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2018-06

八瀬大原・瑠璃光院茶会 - 2018.06.22 Fri

大原へ行く途中の八瀬は、豊かな緑と、高野川の上流、渓流の地である。




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壬申の乱で矢で傷ついた背中(矢背)を釜風呂で癒した大海人皇子(後の天武天皇)の伝承がある地であり、以来貴族や武士たちの保養地となった。(私的には八瀬童子の里)





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かなり山の中で渓流にかかる吊り橋を揺れながら渡ると、、、、




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ここにたたずむ瑠璃光院がある。

ここはもともと寺院ではなく、亀岡楽々荘が旧邸であるところの田中源太郎翁(山陰本線を引いた人)の所有地であり、交流のあった三条実美卿がその庵に「喜鶴亭」という命名したという。
その後所有者は次々かわって、現在の叡電・京福電鉄が所有したり、したが、今は光明寺というお寺の子院となっているらしい。




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なんといっても青楓、紅葉の美しさが「そうだ京都行こう」キャンペーンで取り上げられて以来、爆発的な人気を獲得し、現在青楓の季節、紅葉の季節のある期間のみの一般公開、それにならぶ行列が3時間待ち、、と聞いた。




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とてもそんなに並ぶ勇気はないが、このたび細見美術館でお茶の稽古をされている松井宗幸先生のお社中がここでお茶会を開かれるので、待たずに中へ入れるという僥倖を得た。




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ちなみに現在の瑠璃光院の建築は大正から昭和初期のもので、数寄屋の名匠・中村外二作、作庭は桜守で有名な佐野藤右衛門一統と伝わる。




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最初に竹重楼さんの点心をいただく。(なぜか点心の写真がナイ!)
先生のお孫さんだろうか、7歳とその妹とおぼしきかわいい女の子が肩上げをした振袖をきて、お菓子のおふるまい。ついつい孫娘とかさなり目をほそめてしまう。




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12000坪の庭園は雨上がりのこの日、圧倒的な緑で美しさにため息がでる。

ここは八瀬の山の中だから、ときおり山道に迷った人がスマホナビを手にまよって入ってくるらしく、この日も「ここはどこですか〜?」という旅人がいてびっくり!(そうか、正門以外から入るルートもあるのね、、、と、悪いことを考えてはイケナイ)




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薄茶席は二階、ここの八瀬の山の眺めは絶景かな!ですばらしい。もっと良いアングルで写真が撮れたらよかったのだが、他のお客様もおられる手前この程度で、、、




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そして、瑠璃光院のパンフレットやポスターにもなっているベストビューはこの二階の座敷、お茶会なので、これもこのていどしか撮れず残念。




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瑠璃光とは薬師如来の薬師瑠璃光如来からくる名だが、瑠璃=青=楓の緑とも思われ、瑠璃光院とはよくぞつけたり!の名だ。




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(床にうつる床みどりも実物はもっと美しいのだけれど)


床には大きな焼物の水盤があって、紫と白の菖蒲が美しく生けられていた。香合は今日庵の名水梅の井井桁の古材、いずれも「水」を思わせる意匠にて、淡々斎好みの渦巻棗だが、真塗りでなく拭き漆っぽいデザイン。
そういえば干菓子も撫子(琥珀)と水(雲平)であった(奥様のお手製とか)。
茶杓が玄々斎の室(女流茶人として有名)玄華斎(または宗柏)お手製という珍しいもの、しかも櫂先の裏に鎹がうってあるという見所のある茶杓であった。銘を「遣り水」




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主茶碗は一入平の黒、了入の隠居印(草楽印)のある赤の平の土見せあり(200つくったうち、50は天明の大火以前の土で作ったもので土見せがあるのが特徴らしい)。
一番萌えたのが絵志野の平。内側に、白い長石釉がはじけて穴がいくつもあいている茶碗で、これ茶筅がいっぺんに削れるよな〜(^_^; でも、楽よりもこっちのほうがええ(個人的趣味)と思った。




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濃茶席は一階の喜鶴庵にて。
軸は玉舟の「雲収山嶽青」 八瀬の山々も青い。花は烏柄杓というめずらしい山野草、釜が5代寒雉の渦四方釜(仙叟好み初代寒雉が本歌)、これ好きやわ。ほんまデザイン性にすぐれてスタイリッシュだと思う。
古淨味の鐶付き風炉。外壁が丸みを帯びずまっすぐな場合は鐶はあげずに下げておくのだと(まっすぐだからあげられない)おそわった。

茶入は瀬戸の後窯の吉兵衛(遠州くらいの時代か)、茶杓が一燈、共筒共箱(これすごい)。

さてさて、お茶碗はやっぱり高麗ものが多いのがうれしい!(高麗フェチなもんで)

主茶碗は井戸の小貫入、箱にそう書いてあるがちょっと見青井戸のようにみえる。銘を「加賀」(どなたの箱か失念しました。不昧だったか???)
私の萌え〜の一碗は誰が見ても金海!の教科書的な金海茶碗。州浜型の口に猫搔き手。
釘彫り伊羅保も渋うございました。
もう一つは了入の中印(天明の大火から隠居まで)のある黒楽。




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ほんに、こんなロケーションでお茶会って最高!と感激をかみしめながら帰る道、渓流で遊ぶ親子の姿を見つつ、着物着てなかったら私も入りたいな〜と思いつつ、八瀬の地を後にした。






「古美術から見る東大寺の美〜二月堂焼経と日の丸盆を中心に」〜東大寺本坊 - 2018.06.20 Wed

地震はほんまこわかった。宝塚にいたころの阪神淡路大震災を体が覚えていた。京都の家はほとんど被害なかったが、大阪へ出る手段をすべて断たれて、最終的に4時間かけてたどりついたがへとへとであった。電車が普通に動くありがたさをかみしめている。
命を奪われた方のご冥福をいのりつつ、その他の被害に遭われた方々のいち早い復旧をお祈りします。

             *******



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やあ、おはよう。
また奈良に来ちゃった。5月にはまだ袋角だったのに、ずいぶんりっぱな角になったねえ。




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鹿煎餅のねだり方も上品に、、、、とおもいきや、、、、




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きゃ〜!!

東大寺南大門前は外国人観光客と修学旅行生と節操なく煎餅をねだる鹿でカオスとなっている(;゜0゜)




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しかし、そこを通りぬけると静謐な祈りの世界が




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キュレーションは白洲信哉氏で土曜には白洲氏によるギャラリートークもあったのに!なんで土曜日(´;ω;`)(←仕事)




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東大寺本坊は5月の華厳大茶会の時に点心をいただく会場になっているところね。




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今回の展示はメインが日の丸盆(二月堂練行衆盆)と二月堂焼経(紺紙銀字華厳経)である。

日の丸盆は二月堂練行衆が食堂で現在も使用している朱塗りの盆で、ポスターにもなっているこれ。


(参考画像 青葉茶屋の練行衆食を模した夕食)

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東大寺のは裏に朱で「二月堂練行衆盤廿六枚内永仁六年十月日漆工蓮□仏」と書かれているはず。(今回裏面の展示はなかった、残念)
当初永仁6年(1298年)に26枚作られた記録があるが、現在東大寺に11枚(重文)ある他、数枚の個人蔵のみとか。MIHOミュージアムの根来展でも数枚でていたと記憶する。

長年の使用で盆の中央当たりの朱塗りがはげて下地の黒漆がうきでている、そのむらむら加減がどれもちがって、ちょっとロールシャッハテストみたいだったり、割れたのを朱漆で繕っているのがわかるものや、盆の中央に数字(通し番号か)が書かれた物など。これだけたくさん(9枚)日の丸盆が見られる機会はそうないと思う。


そして二月堂焼経!東大寺所蔵の長いやつ(重文)や個人蔵で軸装された断簡が座敷いっぱいに。

ちなみに二月堂焼経は、寛文6年(1667年)、修二会の行法の最中(達陀かしら(^_^;)に二月堂が全焼したため焼失した経文のうち、後に灰の中から回収できた経文である。(ちなみにこの火災で絶対秘仏の生き仏といわれる小観音を見た!という記録もあり)
よって経文の上か下が無残にも焦げ焦げ、これをほんま、うまいこと修復したもの。

その名の通り、地の紙は紺色、経文は銀、これがまたすっきりと美しい組み合わせなのだ。軸装のものは中にはかなり焼けている部分が多くて、または銀字が酸化してほとんど読めなくなっているものもある。それでもよくぞここまで残ってくれました。
個人蔵の軸装はいつの時代のものか、様々な意匠があったが、個人的に一番好きなのは小田原文化財団蔵のもの。横長の軸装で一文字が焼けた銀の紙、中回しがなくて天地が紺紙。なんてスタイリッシュ!こんなん茶室にかけてみたいわ。

ちなみに古美術としての経文は行数で値段が決まるらしいので、値段も想像してみたり(^_^;ちょっと下世話でした。失礼。

他にも大聖武(伝・聖武天皇ご宸筆)などあり、これは正倉院展でもでているやつでは、と思ったり、伎楽の面や、本歌二月堂(机)や、平安時代の金剛蔵王権現像なども。
故小泉淳作画伯の襖絵「蓮池」「吉野の桜」もお忘れなく。(




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本坊をでたあとは、ならまちから国立博物館前の夢風広場に移転されたten ten cafeさんでランチ

亡き河島英五ファミリーの営むお店だ。(お嬢さんのあみるさんは関西NHKの昼前番組のレギュラーです)




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ならまち時代の町家の雰囲気が好きだったが、こちらはかなり河島英五色がぐっと濃いめ。
牛丼弁当をいただく。美味しかった。





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じゃあ、またね。



3年ぶりの紫陽花・矢田寺〜大和郡山城趾 - 2018.06.18 Mon

紫陽花の名所矢田寺は大和郡山にある。
紫陽花のシーズン、名所とよばれるところ(おもに京都だけれど)いろいろ行ってみたが、私の中ではここと三室戸寺が最高峰である。




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というわけで、3年ぶりに矢田寺へお参りがてら紫陽花を楽しみに。
京都から車で1時間半くらい。電車では大和郡山駅からあじさい号という臨時バスもでているのだが、いかんせん、本数が少ない。




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このお寺は矢田山という小高い山に立っているので、ここまで来るにはちょっとしんどい階段もある。

ご由緒は大海人皇子の壬申の乱戦勝祈願に遡ると言うから、かなり古い。




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ご本尊が平安時代からお地蔵様にかわったとのことで(それ以前は十一面観音と吉祥天)、境内にはお地蔵様があちこちにいらっしゃる。
3年前みそこねた「味噌なめ地蔵」さま、今回は忘れずに拝んだ。とはいえ、味噌をお地蔵様の唇に塗ると(自家製)味噌の味がよくなる、という伝承なので、味噌を手作りしない私にはあまり御利益は、、、、(^_^;




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紫陽花であるが、このお寺に紫陽花を植えだしたのは50年ほど前というから、それほど昔のことではない。



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ところが今では境内に1万株、60種類もの紫陽花があるという。どこへいっても紫陽花だらけ、しかもその種類も様々で実に見応えがある。




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紫陽花はひとつの花でも美しいが、やはり群れて咲くとさらに美しいと思う。




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矢田山を登る道にも紫陽花の森、どこまで紫陽花が続くのか、さらにその先までのぼってみたくなる。




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ふりかえれば遙か向こうに大和郡山の市街がみわたせる。



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お釈迦様がその下で悟りをひらいたという菩提樹の花も満開




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3年前にも、はしっこがくるっと丸まって、おもしろい花弁だな〜と思っていた種類もきれいに咲いている。ほんまに紫陽花は種類豊富だ。




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茶席にむくのはやはりガクアジサイ〜山紫陽花系なので、ついついそちらに目が行くが。




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池にはめずらしい北米原産・水カンナの花も咲く。(昭和初期に来日したらしい)




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さて、圧巻は紫陽花の山
本堂手前の左手にある紫陽花庭園で、小さな渓流もある山の斜面にびっしりの紫陽花。その3Dの咲き方は迫力がある。



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この日、紫陽花日和で小雨。3年前は本格的な降りで、この石の階段ですべってあやうくカメラをダメにするところだったのを思いだし、慎重に歩く。




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わけいっても わけいっても 紫陽花の山、、、、山頭火の歌をついもじりたくなる(^_^;




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薄紅ぎざぎざ花びら



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純白四葩




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紫陽花の山には山法師も咲いている。




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紫陽花の森のあちこちで花を楽しむ人たち

紫陽花に雨はよく似合う(晴れた日は、やっぱりくたっとしているそうだ)




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参道の塔頭・大門坊には、今度はお釈迦様がその下で入滅されたという沙羅の花(ほんとうは別の種類の植物なんだが)、ナツツバキとも。宝塚時代ここまで大きくなかったけれど庭に植えて楽しんでいたっけ。


北僧坊という塔頭では紫陽花御膳と称したお昼がいただけると聞いていたが、さすがハイシーズン、私が行ったときにはすでに売り切れ。ここで食いっぱぐれると、矢田寺周辺なんにもないです(´・_・`)




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こちら大門坊にある茶室一如庵、500円でお薄一服できる。




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この茶席は大和平野を一望できるこの眺望がなによりのご馳走である。




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はったい粉をつかった紫陽花のオリジナル干菓子




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お茶碗も紫陽花であった。


さて、せっかく車できたことだし、帰る道道、これも前回見逃した大和郡山城趾にもよってみよう。



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大和郡山城は、初代・郡山衆とよばれた人たちが入城したほか、いろんな城主がいれかわりたちかわり、なかでもビッグネームは筒井順慶、秀吉の弟秀長あたり。18世紀に柳澤家が入り明治まで続いたと言うが、その後城は破却されたので、現在ある建物は近年になってからの復元である。



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なので、ここに○○門があった、△△廓があった、、という標識をたよりに、お濠や、、、



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石垣に当時の面影を想像するしかないのだが。




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現在も大和郡山市は濠にかかっていた橋を復元しようと工事中。




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こちらも近年の復元追手門、またの名を梅林門




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なんとなれば近くに梅林があったからだそうで、今でも梅の木がうえられている。梅の実は収穫する人もないようで、熟して落ちているのがちょっともったいない。





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最後に隣接する旧奈良県立図書館の建物をチラ見。
明治41年奈良県技師であった橋本卯兵衛が設計した建築で、もともと奈良公園内にあったのを昭和43年、当地に移設したもの。




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なかなか見所のありそうな建築物だが、一般公開は週末だけのようだ。現在は大和郡山市教育関連施設として、まだ現役なのがすごい。




「日本らしさと茶道」〜クリステン・スーラック著〜翻訳監修・廣田吉崇他 - 2018.06.16 Sat

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この本は、日本で10年間裏千家茶道を学び茶名ももっているアメリカの社会学者の学位論文で、原著は2014年、アメリカ社会学会アジア部門出版賞を受賞している。

これを翻訳・監修されたのが「近現代における茶の湯家元の研究」「お点前の研究〜茶の湯44流派の比較と分析」など興味深い研究をされている廣田吉崇さん。

基本、社会学の学術論文なので、「Nation Work」とか「文化ナショナリズム」とか社会学の門外漢には読んで理解するのがつらいところもあるが、この際、ムツカシイ序章は読み飛ばしてもいいと思う。最初ここで難解すぎてつまずいてしまったが、第一章からの日本における茶道の話はおもしろくておもしろくて一気読みしてしまった。あと最終章も後半は読み飛ばし、、、これもやや難解、学術論文としての内容はだから把握できていない(^_^; でもそういう読み方もありだと思う。面白いのだもの。


第1章の「茶を点てる」では茶室の説明から道具、茶会の様子、茶を点てる所作などの正確な客観的な説明。理系の論文を読んでいるような印象で、日本人なら畳とか障子とか、説明しなくてもわかることの解説が入るのが新鮮で、あらためて認識を新たにしたりする。(障子=木製の格子に貼られた紙障子とか)
筆者の茶の先生のお点前の指導の様子の記載もあり、ああ、そうだったのか、とあいまいにしか学習してこなかったこと(そして今更聞けないこと)なども指導されていて、これは日本文化に白紙に近い人だからこそ素直にうけいれられたのかなと思う。それにしても文章から知る限りよい師匠にめぐりあわれたようだ。
茶会の説明で、よくある正客の譲り合いを「積極的かつ精力的なそして面倒な駆け引きをとおしてこの不平等な空間における席が決まる」ヽ(≧∀≦)ノははは、、、
点前の描写もきっちり書かれた教科書よりさらにくわしく(茶道に出会ったことのない外国人への説明であるからして)日ごろの自分のユルイお点前を反省するのである。

外から見るがゆえに奇妙な日本人の思い込みについての指摘もするどい。「日本は四季がはっきりした国だから季節感を大切にしなければならないのに、西欧化した現代の生活は嘆かわしい」というのも、常々自分もそう思ってきたのだが、外からみれば滑稽な思い込みなのかも。
アニメや漫画について(日本の代表的サブカル)外人に質問されたら、知らない人はスルーすればよいが、茶道に関して質問されて答えられなければ自分を恥じないといけない、、というのもなんかするどい。

第2章は茶の湯の歴史について。
茶道が政治的権力者とむすびついていった戦国〜安土桃山、庶民にまで広まった江戸時代、近代の茶道〜近代数寄者、そして戦後の女性の時代へと。ここらへんは復習であるが、そこに社会学的視点がちょっと入るのである。しかし高谷宗範と高橋箒庵との論戦まで書かれているあたりさすがというか、、、(日本人でお茶やってる人でも知らない人の方が多いと思うよ)
そしていかにして茶道は日本の国民的象徴になったのかについて語られる。(、、、で茶道はそうなの??という疑問もありつつ、、)


第3章、4章は茶道の家元制度について。
実はこのふたつの章が一番おもしろかった!(*^_^*)
茶道の家元制度について、特に最大級の流派について、われわれ日本人がうすうす気づいていたけれどはっきり認識しなかったり、あるいははっきり口にだすのがはばかれるようなことをあからさまに書いているのにはちょっとびびった。(当該流派から「禁断の書」にされるかもしれない、、、(^_^; )ので、具体的にはよう書かんけど、現在の家元体制ができあがっていく歴史的要素、それに対する客観的評価などなど。許状制度の金額(挨拶料)の表まで掲載されているのにはびっくりした。

第5章では(後半ははしょった)現代の茶道について
我が愛読漫画「へうげもの」がとりあげられているのはうれしい。
若い富裕層向けの建築デザイン雑誌「pen」をとりあげて、<茶道は男たちが美意識を発露して客をもてなすクリエイティブな遊び>または<日本文化のトップモードだった茶の湯のパワーは次々と新しい創造を生み出していく>という私も日々感じている現代はやりの風潮をも取り上げている(批判的にか?)とはさすが。

というわけで、社会学としての部分ははしょりになったが、それでも非常に面白かった。日本人として教えられなくても感覚的に知っていることや、当たり前のこととして深く考えることのなかったことをあたらに教えてもらった感じだ。

このスーラック博士、ほんまに茶道のみならず日本のサブカルもふくめた文化や歴史についてほんまに造詣の深い方で、たった10年で、ここまで、と驚きを禁じ得ない。現在はロンドン大学で教鞭をとりつつさらなる研究をされているとか、ますますの発展をお祈りする。

そして、翻訳中、いろいろ苦戦されているご様子をちょっと垣間見て知っている私としては、そのご苦労が報われたことにお祝いと、この本にであわせてくれたこと、翻訳監修の廣田さまに深く感謝をいたします。


最後に序章から引用 〜

「今日の茶道は、観客がいないもののスポーツのような余暇活動であり、趣味でもあるものの厳格な階級組織に取り込まれている。儀礼であるがビジネスでもあり、芸術でもあるが決まり事でもある。作為的に日常生活から切り離されつつも、日本的なもののすべての統合体であると主張される。」


水無瀬神宮月釜〜燈心亭 - 2018.06.13 Wed

水無瀬神宮(神社ではなく神宮なのだ)へ行く道を検索すると「大阪府三島郡、、、」とでてきて、おかしいな〜と思っていたの。だって同じ大山崎の駅から行ける大山崎山荘は京都府乙訓郡だから、てっきり京都だと思っていたのよ。




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阪急大山崎駅からも水無瀬駅からもけっこう距離のある水無瀬神宮。
神宮とは皇室とゆかりのある神社、こちらも御祭神は後鳥羽天皇とそのご子息のふたりの天皇(土御門天皇→土佐に配流、順徳天皇→佐渡に配流)。まつられているのが上皇さん天皇さんなんやなあ。




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早くも茅輪くぐりの夏越払仕様になっていたので、八の字を書いて(左に一周右に一周また左一周でお参り)お参りする。


水無瀬の地は後鳥羽院が愛した離宮があった場所、隠岐に流された後も水無瀬を偲ぶ歌を残しておられるくらいお好きだったようだ。後に院に使えた公家の水無瀬家がこの地に院を祀ったのが水無瀬神宮の起源だそうだ。





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拝殿の参道の両脇にたくさんの涼しげな風鈴がつられ、風がふくと一斉に音をならす。これはおとなりの月釜の茶室にも響いていたよ。




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境内は紫陽花が花ざかり

月釜はなんとこの重要文化財の客殿の中!桃山時代の建築という。




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「都忘れの菊」

この菊の説明文が難解(悪文といいましょうか、どの形容詞がどこにかかっているのかようわからん)なのだが、大意として、「お父上(後鳥羽院)が好きだった野菊を配流先の佐渡で見るたびに、懐かしく都忘れの菊と名付けたよ」と順徳天皇が名付けた佐渡の菊をこちらに移植した、、、ということだろうと思う。




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官休庵の木津宗匠のお席で、お点前を若いお茶友君がされた。

旧暦端午の節句とあって、待合の薬玉の絵から鯉の滝登り、登竜門の話からいろいろテーマがちりばめられ、宗匠のお話し上手でとても楽しい席であった。

印象的なのがお流儀の烏帽子棚
床の間に本物の烏帽子を飾っておられたのと呼応していて、しかもこの棚を使うときのみ、烏帽子折という帛紗のたたみ方をして飾りおく、のだそうだ。(写真のあるブログ発見→)はじめて知った。(そういや先日の薪能でも「烏帽子折」の演目あったなあ、、、なにかご縁が?)

蓋置が三人形の鯉バージョンで、登竜門を登りきった金色の鯉(龍になる予定)が1匹、残りの2匹が錦鯉で、この子たちは登り損ねたのかなあ、、と思ったり。かわいかった。





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さて、この客殿の裏にある茶室を拝見するのが楽しみで。
茶道検定にもよく登場する「燈心亭」、その名前はかねがね。やっと本物を見ることができるよ。


 

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藁葺き屋根はまるでどこかの田舎家のようだが、実は後水尾天皇よりご下賜の茶亭なのだ。




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障子の下には籐を貼り付けて水引をあらわすなど、早くもいろんな意匠が満載。

ただし、私は建築学的なことはようわからんので、詳しくはこちらの数寄屋建築家のブログを読まれたし!




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茶室は三畳台目下座床で小間にもかかわらず脇床まであるところが宮家好み。

さて、燈心亭が燈心亭たる由縁はこの天井である。




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20cmほどの格子の中に縦横並べられたのは、、、

蘆、寒竹、苧殻、萩、山吹、木賊、九十九草、竹、柿、桐、桑

の11種類。いずれも燈心になる植物ゆえ燈心亭。ただし、こうよばれ出したのは実は昭和初期と非常〜に新しいのだ。それ以前は「七草の席」とよばれていたそう。

しかし、蘆とか苧殻とかは灯心といってもわかるが、あとの植物が灯心っていわれてもピンとこんなあ。しかし意匠的にとてもモダン。




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風炉先の裏が半畳ほどのスペースになっていて、茶会の時、ここに師匠がすわって点前の指導を影でしてたりして、、、、(^_^;





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かつてはここは申し込まないと拝見できなかったらしいが、今は月釜の客は自由に拝見できるようでありがたい。ここで実際に点前されることはないのだろうか、重文だけに。




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境内には水無瀬川の伏流である名水「離宮の水」がわく。名水百選にもえらばれているため、ポリタンクをかかえて水くみの人が絶えない。よって味見はできなかった。ちょっと残念。(あ、お茶会の水はここのか(^_^;)








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