幻の古代甘味料・甘葛煎を再現した甘葛シロップ - 2023.11.11 Sat
愛読雑誌月刊「ならら」に連載されている古代スイーツ再現コラムで、しきりとでてくる甘葛煎(あまづらせん)に非常に興味を持った。
なにせ平安の昔にも清少納言が「枕草子」で
「あてなるもの 、、氷にあまづら入れて 新しき鋺(かなまり)に入れたる、、、」
と、かき氷にかけて楽しんだ様子が書かれているから。あまづらって甘味料らしいが、どんな甘さなんだろう、、と常々思っていた。
鎌倉時代に砂糖が普及するとそれに取って代わられ、作り方のノウハウもわからなくなってしまった幻の甘味料である。
奈良女子大の文化史総合演習チームが2011年にその再現に挑んだ記録がこちら、「古代の甘味料甘葛の再現実験」である。
材料は、、、蔦の樹液(’みせん’という)。キャンパスに生えている紅葉する蔦(常緑のツタはみせんが採れないそう)の枝を切って息を吹き込んでちまちまと少量のみせんを吹き出させる。それを煮詰めて完成、、、と書くと簡単だが、これがなかなか大変な作業。あの大きな枝からたった少量のみせんしか採れないとか。
できた甘葛は果糖・ブドウ糖・蔗糖=1:1:3
メープルシロップとも蜂蜜とも違う組成、味はほんのり甘く上品で後をひかないそうだ。地方でできた甘葛は貴重品で都に献上され、清少納言もいた宮中に届けられたのですねえ、、。
で、どんな味なんだろう???
味わうことはできず、想像するのみであったのだが、、、

ところが!
この甘葛煎を現代の食材を使って味を再現しようというプロジェクトが奈良で始まっていた!
これはツタを使って再現した奈良女子大の先生方だけでなく、奈良のかき氷やさんとして有名な宝石箱さん、私も通っているカフェことのまあかりさん、氷室神社、奈良県農業研究開発センターなどの協力で、その成分分析→再現に成功した人工の甘葛シロップなのである。(なんでも柿のタンニンも使うらしい。いかにも奈良!)
で、早速ゲット!(ことのまあかり、宝石箱、など、他通販で入手可)
光に透かすと美しいルビー色である。
憧れの甘葛〜削り氷にかけるにはちょっと季節が遅いのでそのままなめなめ。
う〜ん、これはべっこう飴!!それもしつこさがなく、あとを引かない。氷水に溶かしてもパンにつけても美味。そう、砂糖は確かに甘い。その甘さに届かない分、よりやさしく上品な甘さなのだ。
(ちなみにほんものの甘葛煎をなめた小学生もべっこう飴みたいと言っていたらしい)
一瓶1500円とお手頃。興味のある方は是非、あなたも清少納言になれるかもよ〜。
<書籍>
大阪高島屋で民藝展〜展示即売 - 2023.09.01 Fri
大阪なんばの高島屋で日本の北から南から、いわゆる民藝の流れを汲む製品が一堂に会して、展示即売会あり。これはちょっと行って見なければ。
、、、で、毎回地下鉄なんばの駅で迷うのよね。素直に高島屋へ行けたことがない。地下には<こちら高島屋>のたぐいの表示が一切無い!なんばパークスとかあるのに、なにか金銭的な問題でも???と思うくらい。今日も迷った迷った。人に聞いてやっとたどりつく高島屋、、、(疲)

これ展示期間が1週間とか短かったと思う。最終日に仕事の合間に滑り込み。
お〜名だたる民藝の各方面、ブースがたくさん。
それこそ北は北海道のアイヌ民具から南は沖縄のやちむん、琉球ガラスなど。
こちらは秋田の大館曲げわっぱ。いくつかのブースでは制作の実演もされていた。
滋賀県の和蝋燭の大與さんも参加されていて、ハゼから蝋燭を作る過程を実演、残念ながらお休み中で拝見できなかったが。
民藝の親である柳宗悦先生、浜田庄司さんや河井寛次郎さんのお写真も。
民藝といえば<用の美>、要するに日常に生活の一部として使われてきたもの、使われるものが前提。だから地方各地に根ざした道具が作られてきて、その飾らない機能美を世に問うたのが民藝だと思うが、世の中どんどん画一化、機械化されてきて、かくなる手仕事というのは絶滅危惧種的である。
(民藝の代名詞的な松本家具)
だから今でも若い人がこうして手仕事道具を作っているのをみると断然応援したくなるのである。
背景は宮崎のわら細工(たくぼ)、棚田で米を作りながら、できた藁で細工物を造っておられる。装飾的なのもが多いが、鍋敷などのオーソドックス民具もあり。
手前はご存じ沖縄のシーサー。
絶対あると思っていた小谷栄次さんの倉敷ガラス。郷里の名産で私もいくつかのコレクションもっている。(ちなみに倉敷ガラスの歴史は新しく柳宗悦はかかわっていない)
このぽってりとした暖色ガラス、ゆらぎやゆがみのあるフォルムが好きやわ〜。
で、あれこれ悩んだあげくゲットしたのが岩手の小久慈焼のすり鉢。
(*小久慈焼 江戸時代から八戸藩にもうつわを納めていた窯、柳によって絶賛されたそうだ)
うちにあるのはでかくて重くて、ちょっと胡麻すったりするのにたいそうなんで、ちょうど良いサイズをずっと探していたの。径18cm、もう一回り小さくても、、、と思ったが、とりあえず使い勝手をみてみよう。
神無月雑記2021 - 2021.10.29 Fri
暑かったり寒かったりいろんな事があった神無月の雑記

山越えして坂本へ。比叡山を東に下りるところに日吉大社。
あまりに古い歴史で神話時代の神様をお祀りする。
なぜか山王さんの総本山にいつの頃からかなっていて、なぜかお使いがお猿さんなので、おみくじも神猿(まさる)さん。
幼名日吉丸だからとか、猿に似てたからとか、秀吉の信仰も篤かった神社なのだ。
山に抱かれて、山の気いっぱいの境内は西社と東社に分かれる。摂社もたくさんあって、この相似形はどうよ。
最澄が比叡山に寺を建ててからは、いつの間にかこの神社は比叡山の鎮守社になるのだが、そこらへん最澄さんのうまいこと融和させる戦略だったとか。
ここの花手水は派手〜で最初造花かとおもったが、ちゃんと生花であった。
この日のお目当ては春秋に行われる献茶祭、今年は売茶翁流煎茶のお家元の献茶だったようだが、これには間に合わず。副席の中国茶席が無料とあって、参集殿へ。
四君子席
菊の敷物、梅の朱泥の建水、竹絵の蓋碗、、、あと紫蘭は、、、
見えないけど茶杯を乗せたお皿に紫蘭の絵があった。
蓋碗で煎れてもらったのは烏龍茶、香り高い!聞香杯がまた多幸感を禁じ得ない。
しかし、日吉大社、まだまだ見所あって、周辺にも日本最古の茶園(日吉茶園:高山寺よりほんとは古い。最澄が持ち帰った茶の種)、旧竹林院庭園、律院、穴太積み石垣などなど見所一杯なので、また改めてゆっくり来るつもりである。
小河通の兜門、今日庵裏千家、、、の前を通り過ぎて、、、、
アトリエとゲストハウス草と本さんへ。
町家の風情がまたよろしいなあ。
こちらで月曜と火曜、みのり菓子さんのランチとお菓子が食べられるとあって、でかける。
久しぶりのみのりランチ、ご近所の月とさんで食べられなくなったので、なんだか懐かしい。
そしてお楽しみのお菓子、この日は「栗まみれ」
餅米の餅のまわりに栗がまみれてます。美味しい♪
さてこのたびご縁あって静岡のお茶屋さん、山壽杉本商店さんの煎茶ティーバッグを購入、その名もねこ茶。
ティーバッグのタグが猫なのだ。
なんて猫なんだ!お茶をゆっくり出している間も退屈せずにすむではないか。
よ〜く見ると爪までちゃんとあるのだ。
しかも6種類、ああ、捨てられないタグがたまっていく、、、
(お犬様バージョンもあるよ)
うるわし奈良の興福寺五重塔
初めてこれを見た12歳の時、心をわしづかみにされた。以後ずっと奈良が好き。奈良好きの原点ともいえる五重塔。
これが来年からおよそ10年の間にわたって改修補強工事のため、覆いがかけられる。10年かあ、人生なにがあるかわからんから、これが最後になってもいいくらい、何回も何回もガン見しようと思う。
現在そのため塔の初層の一般公開あり、これは必見。
塔を支える奇跡的な心柱、東西南北を三尊像(計12体)が取り囲む。東方の薬師如来には日光月光の脇侍、南方の釈迦如来には獅子にのった文殊、象に乗った普賢、という具合に。(像は室町時代のもの)萌え要素たっぷり。
瓦を寄進した。
お返しにいただいた散華。
奈良と言えば奈良カレー、、、どこら辺が、、、というと鹿の人参と奈良漬け。美味しかったよ。
京都では後の名月十三夜は厚い雲に覆われてみられなかったが、十五夜はすばらしかった。
鴨川で満月を見て、東山に近い自宅に帰ると東山の影になって月の出はまだみたいだ。
よって、カメラを持って待ち構える。
お!
出た!
おおお〜!美しい満月。
そして村雲もまたよし。
長年テフロン加工の卵焼き器を使っていたが、すぐだめになって卵焼きがぐちゃぐちゃ〜であったが、かねて購入しようと思っていた銅製卵焼き器ついにゲット!八木包丁店さんで。
使用前の注意を教えてもらい、しかもお値段もリーズナブル。早速油をなじませた後初使い、なんということでしょう!あんなに焦げ付いてだめだめだった卵焼きがこんなにきれいにしかもふんわり!もっと早く買えば良かったアイテム。
昨年鳴り物入りでリニューアルした烏丸通の新風館。ほとぼりが冷めてからと思っていたら1年以上たってたわ。遅まきながら突入。
おお〜昔の面影がほとんどない。
スペイン料理フェスタなんかよく行ってたけれど、あの広場がなくなっている。
おしゃれっぽいお店も多いが、せっかくなのでここでランチしよう、本と野菜OyOy
本屋とオーガニック野菜を扱う会社のコラボ店舗、、、という不思議な空間になっている。
本だけじゃなく野菜も売ってるもんなあ。
OyOyプレートをいただく。野菜ばっかりなのにボリューム満点。ナッツご飯が美味しかった。
最後に円山公園真葛が原の西行庵さんへ、小文忌の茶会へ。(宮田小文:富岡鉄斎らとともに西行庵復興に尽力された洒脱な茶人さんである)
この季節、小文忌茶会に寄せてもらうようになってもう何年たつだろうか。いつもながら見事なお庭である。
座敷の浄妙庵から円窓床が有名な小間、皆如庵を眺める。
柿傳さんのお弁当をいただいていたら、西行庵影の主?猫のくーちゃんがお出ましになった。久しぶり!元気そうでよかった。ここでくーちゃんに会えるとなにかいいことがある(*^_^*)
初代諏訪蘇山没後百年記念・妙心寺大雄院〜仏師樋口尚鴻展・嵯峨野 - 2021.10.14 Thu
日中は暑いが秋もそろそろ深まる頃、アートの鑑賞にぴったりの季節、二つの展示会におでかけ。

妙心寺は学生時代から好きなお寺のひとつである。境内にたくさんの塔頭が散在してひとつの村みたいになっている。その間を縫う道は江戸時代にタイムスリップしたみたいで、実際時代劇の舞台によくなっている。
イベントや特別公開で何回かお邪魔したことのある塔頭、大雄院(だいおういん)。柴田昰真の襖絵が有名。近年その是真が描いた、皇居千種の間花の丸大天井の絵(焼失)を、残された下絵を元にこちらの襖絵として再現されたよし、これも見所↓
今回こちらでご当代(4代)諏訪蘇山からご案内いただき、「初代諏訪蘇山没後百年記念展」を見に。
中では蘇山さん、姉上の宗哲さんが案内をされていた。
諏訪家というと青磁、と思うが初代はさにあらず、すごく多彩な焼き物を作っておられてびっくりした。幕末のもとはといえば加賀藩士だったそうで、これもびっくり。
中には楽茶碗のような茶碗もあったり、どう見ても古伊万里の九谷手としか見えないような器も。さらにその多才ぶりに舌をまくのが漆芸もされていたこと、余技だからお金はとらなかったというが、素人のレベルなんかはるかに超えている。螺鈿の香合が模様違いで10個あったが、どうみても中国伝来にしかみえない。倶利の堆朱もすてきだった。
なぜ大雄院かというと、ここが初代蘇山の作品をたくさん所蔵しておられるので、展示も大雄院所蔵と諏訪家所蔵のものであった。
蘇山さんが教えてくださった、亡くなる直前の最後の作品というのが戌香合、赤絵で彩色されたかわいらしいものであった。
大雄院の景色も楽しめる。
↑
ちなみに数年前行ったときに撮った写真もこのアングルだった(^_^;
最後の展示コーナーでこれもびっくり。諏訪家につたわる初代から三代が作ったおびただしい焼き物の石膏型、これを長年調査されているのだが、経年劣化がひどく、将来に残すためにいろいろな手法を考えた末、京都工繊大のDーLabの協力の下3Dプリンターを利用した新たな石膏型を作ることに成功。最近の3Dプリンターの威力はよく知っているからね、すごいわ、寸分たがわぬコピーが残せる。現代テクノロジーの勝利やね!
ところ変わってここは嵯峨野大覚寺に近い民家である。
まわりは嵯峨野らしい風景が広がる。もう稲刈りも終わったようだ。
こちらで仏師・樋口尚鴻さんと木工作家・太田浩二さんの二人展。いままで西翁院や玉林院で拝見していたが、ここはまわりの雰囲気も古民家を改修された建物もすごくいい。二階の窓からは遠く比叡山もみえるのね。
樋口さんの作品で一番多いのがかわいい小さなお地蔵様、手のひらサイズ。ちょうど上の大雄院のお地蔵様にも雰囲気が似ている。それぞれ違うポーズをしていて、かわいくて、癒やされる。
材によって(桜、桂、檜、翌檜など)堅さが違うので、刃物の入れ方がよく見ると違うのも比べるとおもしろい。
一番気に入ったのは、縁側の天井からぶら下がっている空飛ぶお地蔵様、いや、飛天か。小鳥が飛ぶとき、羽根を閉じて流線型でグライドする格好と同じで思わずにっこりしてしまった。
そして外にでると、柿の実もみのる嵯峨野の秋!
謹賀新年2021〜北野天満宮 - 2021.01.02 Sat
謹賀新年と書きながら実は昨年末の北野天満宮であります。

昨年の正月はどんな一年になるのかなにも考えず脳天気にすごしていたのがウソのようである。
例年の歳の瀬と違って、人出は少なく、インバウンドの喧噪もなく静かなので、なにやら正月の準備ももういいかな〜と気合いが入らなかった。
気がついたら注連飾りも根曳松も入手しないままで休みに突入、あわててしまった。そうだ、せめて毎年恒例天神さんの大福梅だけはゲットしないと、、、とあわただしく北野さんへでかける。
境内の梅はすでにほころんでいる木もあって、人間界の喧噪をよそに季節をあやまたず粛々とすすむ自然界である。なんだか尊い。
もしかして売り切れ?かと思っていた大福梅(おおぶくうめ・けっしてだいふくではない)もなんとか拝領できた。境内の梅の実から作って夏には境内中酸っぱい匂いをさせて土用干しされる梅なので、ありがたさこの上ない。
おや、お正月にしか授与されないと思っていた「思いのまま」があるではないか。梅の剪定した一枝に御札と、お米入りの瓢箪をくくりつけたもので、これを水に差しておくとちゃんと時期が来れば梅の花が咲くのだ。以前茶友さんからいただいて咲かせたことがあるが自分で手に入れたことはなかった。
2021年は丑年なので、境内のあちこちに牛のいる天神さんは当たり年といっていいかも。
私がひそかに「ジュノー」と名付けている赤い目の牛である。年末には、12年に一度となるほんものの牛が引き出されて境内を廻ったとニュースで見た。
ここに来たら一応この北野大茶の湯の碑もチェックしておこう。
他にぶらぶら歩きもせずこの日はまっすぐ家に帰る。思いのままを1本携えて。
昨年のコロナの感染拡大は日常から多くの楽しみや習慣を奪った。今年もそう簡単には終息しないと思われるが、猖獗をきわめたスペイン風邪も数年はかかったが、今ではただの風邪のひとつとして細々と生きながらえるのみとなった。どれくらいの時間がかかるかはわからないが、収束はかならず来る、ウイルスとて自然界のものの一つで有る限りは。しかしそれをゆっくり待つほど残りの人生は長くない。制約の中でも、それなりの楽しみをみつけなければ人生の貴重な時間を浪費することになると思いつつ、今年も生きるのだ。