伏見稲荷〜稲荷山参り(ほぼ登山) - 2017.12.29 Fri
正月には大勢の参拝客でにぎわうだろう伏見稲荷に、まだ混み合わない年内のうちに、とお参り。春に稲荷信仰についての講座を拝聴して興味がわき、一度は稲荷山参り、、というか稲荷山登山をはたさねば、、、と。
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境内は年内だというのに、主に外国人観光客がぎょうさんいてはって、ここは日本だったかしら?の雰囲気。
稲荷山はそれなりに山だし、友人の話では大文字よりきついよ、とのことで躊躇していたのだが。
(大文字も最後に胸突き八丁の階段があって、決して楽ではないと個人的には思っている)
ちなみに本殿周辺では初詣のお飾りの真っ最中。
鈴をとりつけたり、、
大注連縄を飾ったり。(知人のFBでこの垂れ下がりの先が稲穂になっているのを後で知った!)
いざ!
お山巡りに出発!
千本鳥居のあたりはまだ人がいっぱいで、なかなか前へすすめない。
最初に開ける場所は熊鷹社。
お山にはこういう風に、要所要所にお供え物や軽い飲み物などを売っているお店が意外と多い。

新池の景色はひとまずほっとするところ。
お稲荷さんの眷属にかこまれる社。
ちなみにこのお山にある無数の大小様々なお社は、正確には「塚」といい、個人個人が我が信じる神様の名前を刻んだ石を祀り、鳥居を建てたものなのだ、と稲荷信仰の講座で聞いた。
あまりに林立しているので、「山に登る人より登る石の方が多い」と言われたらしい。
これなんか、お祭りする人が不明になった無縁の塚の寄せ集めと思われる。
稲荷山にあるこうした店は、かつてはこれら塚の守りのために建てられたものだったらしい。
無数の眷属。
一人で来たらやっぱりちょっとコワイ雰囲気。
さて、さらにお山に登る。
いつのまにか人の数も減ってきたが、それでも普段よりは多い方かな。
このように稲荷山では杉の植林が盛んにおこなわれているようだ。
お稲荷さんの鎮座は西暦711年の初午だったそうで、初午大祭はそれを由縁とする。けっこうな賑わいなんよ。
ちなみに明治以前は稲荷社とよばれ、明治以後稲荷神社、昭和20年に伏見稲荷大社として独立宗教法人になった由。
しばらく登ると急に視界がひらけてこんなすばらしいパノラマが!
ここは四つ辻という道が4本に分かれる分岐点。まだまだ先は長い。
ここにあるお店は某俳優の実家ということで有名。
奉納される鳥居はほとんど木製なので、年と共に朽ちていくから、新陳代謝がはかられて、次々新しいのが建てられると聞いた。
朽ちて虫歯の穴が開いた臼歯みたいな土台だけが残る場所。
四つ辻から左のルートをたどる。
さあ、ここから山頂までお連れの人はだんだん少なくなってきたよ。
御膳谷奉拝所の筧になっているお狐さん。
ここは稲荷山三峯(一の峯、二の峯、三の峯)に神供をする場所だったらしく、社務所にもちゃんと神社の人が駐在してはった。
さらにすすんで、これも途中にあるお店。
中がなんとなく昭和の感じで、懐かしい電気火鉢なんかもある。
稲荷山には狐ならぬ,野良猫もたくさん生息しているようで、よくお目にかかった。
けっこうまるまるとしているなあ、おまえ。
山頂への最後の難所。
まあ、しんどかったわ、さすがにこの階段。
(若い子は比較的軽装でほいほい登ってた、、、(^_^;)
手やら、口にくわえた珠か巻物を失ってもかわいい赤い帽子で大切にされているお狐さんなどを横目で見ながらやっと、、、、
着いた〜!!山頂!
標高233m。(ちなみに大文字山の火床が330m!)
ここは一の峯、上ノ社。
周辺ぐるりと塚だらけ。
お狐さんもいろいろ表情が違ってる。
私が回っている間にもお店の人が新しい鳥居(ミニ)を設置してはったので、あまりコワイという雰囲気はなし。
山頂を過ぎて二の峯に向かう。
ここも鳥居鳥居、、、
反対側から登ってきた参拝者とすれ違う。
二の峯・中ノ社
三の峯・下ノ社
実はこれらの神社はみな明治以降に建てられたもの、個人が勝手に塚を建てるのを抑えるためだったらしいが、これがかえって逆効果になって、その後も塚が林立するはめに。
この宗教的アジア感が伏見稲荷のおもしろいところでもあり、外国人に受けるところではないかしら。
異次元へ続いていそうな鳥居をまた潜りぬけ、山を下りる。
四つ辻にもどってミつ辻、そして本殿へ戻る道には、それはもう神社林立、すごいことになっている。
道教の神社(?)もあったり、、、
道教では竹の鳥居か?
浄土寺日吉神社〜なつかしの換骨堂 - 2017.12.26 Tue
ここは錦林車庫近くの日吉神社(浄土寺)。
日吉といえば総本山(?)は坂本の日吉大社。その数ある日吉大社を勧請した神社のひとつ。
実は学生の頃から「こんなところに日吉神社??」と思っていたのだ。当時はもっとうっそうとした木々に覆われていたような記憶があるのだが、、、
日吉は「ひよし」とも「ひえ」とも。
日枝→ひえ→比叡、、、で比叡山延暦寺ができたときも比叡の地主神としてあがめられ、天台宗とむすびついたのが山王権現信仰。山王さんのお使いが猿なので、ここにもたくさんお猿さんがいてる。
まあ、ひとっこ一人いません。地元の方しかしらない神社だと思う。
かの紫式部や清少納言の時代、一条天皇の御世にここへ勧請されたと言うから、かなり歴史は古い。ちなみに勧請した母后は真如堂を創建された方、ここはちょうど真如堂の裏手にあたる。
なぜか下におかれている神額。
秀吉の幼名・日吉丸は日吉神社からきているというが、ほんまに猿に似ていたのだろうか不明(^_^;
ただ、ここの火元責任者の名札の名字が「木下」であったので、笑った。ほんま?(わからない人のために、、、木下藤吉郎)
阿吽の狛犬ならぬ狛猿。呍形は子を抱く雌ザル。反対の阿形は長寿のシンボル桃をだく雄ザルである。
境内の奥にはお不動さんも祀られていて、、、さらに奥へ行くと、、、
あら、なにやら素敵な小間の茶室ではないか?
と、思ったら、もうすでにお隣の換骨堂(真如堂境内外塔頭)であった。
裏で続いているとはしらなかったわ。
この換骨堂、尼寺である。現在も庵主さんがお茶をおしえてはる。
なんとなれば、学生時代、ここの茶室をお稽古に週一で借りて使わせてもらっていたのだ。前栽の風景は記憶とちがってかなり整えられたようだ。懐かしい。、、、だから日吉神社の存在も知っていたのよ(^^)
換骨堂を南に行くと、今はもう建物もないが、かつて東天王町の交差点南西に餅屋さんがあった。上菓子屋ではないけれど、見た目もかわいく安くておいしい生菓子を、ガラスケースにいれて売っていたので、換骨堂のお稽古のとき、お菓子当番にあたったら、ここのを買っていったのも懐かしい。
ある日お菓子当番だった後輩が、稽古用菓子にチョコレートを買ってきて、啞然としたのも忘れられない。あの子は、その後若くして亡くなったことも、ここへくれば思い出す。
師走雑記2017 - 2017.12.23 Sat
あとちょっとでもう新年だなんて、、、(オロオロ、、、)

恒例の北野天満宮へ大福梅を拝領に。
もう戌年の絵馬があがってる。
「おおぶくうめ」です。くれぐれも「だいふくうめちょうだ〜い!」と連呼しないように。
境内で実って境内で土用干しした梅で、その時々にそんな様子をみているので、ここの梅は格別。
そこから上賀茂(というか西賀茂か?)へ飛んで、年末年始だけ販売の甘酒干琥珀をゲットしに霜月さんへ。
ここの干琥珀は柚子が有名で、おいしいけれど、ほのかな甘酒の香りがたまらないこちらもおすすめ。(年末年始のみというレア感ももいいね)
ついで洛中。
店は行ったことがあるが、ギャラリーの方ははじめて。
立派な通り庭が比較的よく保存されていて感激。
おくどさんも井戸も一応残っているようだ。
漆黒の不思議な素材を用いたエンボスアートはあまり見た経験がないが、以前これを茶室の床にみたててお茶を飲む、というイベントがあった。ハイブリッド茶会とでもいうべきか、茶人の力量がとわれそう。
この近くに以前から気になっていたのよね、幕末から明治に京都で活躍した日本画の絵師。待合掛けなどで時々拝見するが、ここがお家だったのか。
京都はよく見るとこういう碑があちこちにある。だれこれ?というような知らない方でも、碑を見て改めて調べると、これまたおもしろいんだな。
数年前から紫野あたりのお茶が熱い。その仕掛け人の一人でありながら京都在住でなかったお茶友さんが今年やっと京都に移住叶った。しかもお茶仕様のお家へ。
ますますお茶が熱くなりそうな紫野。

朝茶、というか朝ご飯を茶室でよばれる。このあとお茶を点ててもらってしあわせ。
もうちょっと近ければいりびたるかも(^_^;
後日、ここの茶室の炉がこのような使い方をされていてたいそううれしかった\(^O^)/
つい最近、ご近所の平安神宮に新しい観光客のためのスポットができた。なにやら工事しているなとは思ってはいたが。
もろ観光客、外国人向け(二階が免税店)の施設だが、近所なのでちょっと好奇心丸出しで行ってみた平安神宮・時代祭館十二十二。
東向きのアングル、正面は東山、右手がロームシアター。
十二十二は「トニトニ」と読ませて時代祭のおこなわれる十(月)二十二(日)を続けたものらしい。
この建物、目に見えるところはすべて木造で、神社建築そのものなんだが、実は鉄筋。(そういえば薬師寺の食堂もそうやったな)建物としての雰囲気はよいが、自販機が若干目障りやな〜。
中は大人の京土産、といった感じのショップがはいっている。
軽食もわりと多彩。(イカ焼きスタンドまであるよ(^_^;)
個人的にうれしいのが、一保堂の抹茶がここで買える!
俵屋吉富もあるので、簡単なお茶のおもてなしには重宝かも。しかし、、、これ以上このあたりに観光客が増えて騒々しくなるのもちょっと考えものやな〜、、、、、
晩秋の哲学の道2017 - 2017.12.03 Sun
今年はいろんな状況がかさなって、錦秋をおいかけてどこまでも、、、とはいかなかった。
でもそこは京都の良いところ、遠出しなくても、日常生活圏に紅葉の名所はいくらでもあるのだ。
今日は哲学の道を歩いて散策しよう。いつもは自転車とばしているので見えなかった景色がみえるかもしれない。
紅葉も最盛期は少し過ぎたせいか、観光客の姿もまばら。
今年の紅葉は例年より早かったし散るのも早い。
哲学の道南端から北上するとどうしてもここと、和菓子のとま屋さんが目にはいってついふらふらとはいっちゃうのよね。
叶匠壽庵でわらび餅をいただき、いきなり腹ごしらえとなった。
散歩これからなのに、、、、
こちらの玄関に飾られていたのは老爺柿かな。
完璧に茶室の花。
若王子にはあいかわらず地域猫がいる。
冬を前にたっぷり皮下脂肪をたくわえているようだ。
しっかり食べて無事この冬も越すんだよ。
疏水に目をやれば、、、
風のかけたるしがらみは、、、
ここの紅葉が一番きれい。
真っ赤にならず黄色いまま爪先だけ紅いろ。
こちらは萌えるような赤で白壁にはえる。
見る人は無口になってみとれている。
鴨のつがいも数カップルがエサを必死で食べていた。君たちも冬を無事越えないとね。
敷き落ち葉の赤い絨毯を背景に白い山茶花の花盛り。
哲学の道名物(?)ミツマタももう蕾をつけている。春先に真っ先に地味だけれど花が咲くんだよね。
哲学の道は東側の川べりを歩くのがオススメ。
ちょっと寄り道して安楽寺。
ここは紅葉の季節週末のみの公開。今日は非公開なので山門まで、でもこの落ち葉の錦の美しいことよ。
東山は秋の衣をまとうとて 足元の錦集めけるかな (腰折れ一首)
ひとつとして同じ色づきの葉っぱはない。
疏水縁のギャラリーの入り口。
たっぷりと山茶花。
こうしてみると紅葉だけでなくドウダンツツジの赤も美しいね。
まもなく来る冬を待つ景色。
そのさらに先の春の準備もOKですぜ、と桜。
見上げれば錦の衣をまとった大文字。
美しい町だなあ、、、ここは。

おまけでうちの紅葉。やっと紅葉してきたと思ったら、もう散り始めた。
早すぎるよ〜。次の茶事まで待って〜〜!
一葉だけ残った木の葉っぱはとても美しい色合いで景色の中で光っていた。
島原角屋〜秋期鑑賞会 - 2017.10.17 Tue
ご存じ、唯一島原に残る揚屋(料亭のようなもの、ちなみに輪違屋は置屋)建築の雄、角屋である。

なんとど迫力な総二階総格子!
400年の伝統に圧倒されるわ。
しかし、こんな夜の時間にこのあたりに来たのは初めてである。
今宵は秋の鑑賞会、太夫の舞と呈茶、一般公開の時には見る事ができなかった二階(これがまたすごいのだ)のガイド付き観賞。
もちろん現在は揚屋としての営業はなく、重要文化財として「角屋もてなしの文化美術館」となっているが、夜、格子の向こうに灯りがはいるとなんだか艶めいてみえるではないか。
まずは一階の大広間・松の間にて太夫の舞を観賞。
この扇の形の屏風留め、ちょっと萌える。
髪は島田髷、総重量いくらになるか見当も付かない簪、笄、櫛。
帯は前に「心」の字結び。蝋燭ではないが、夜にみるとなまめかしさアップだ。
舞は「茶音頭」
舞の中でお茶を点てる所作をするのだが、ちゃんと帛紗もつけて帛紗さばきもする。これが裏千家なのだ。島原は藪内と聞いていたがな。
ちなみに舞は角屋では京舞・篠塚流が仕切っている。
ここで舞を披露する人は、江戸初期に島原で活躍した流派の八千代太夫にあやかってその名をなのるのだそうだ。(だからこの方はほんとうの太夫さんではないと思う)
しかしまあ、絢爛豪華な衣裳。
舞妓さんなどとはまた違う華やかさ。ちなみに島原の太夫は当時の客筋、公家や皇族のもてなしもできる正五位の位をもっていたという。
松の間の前の臥龍の松。三代目らしい。
その奥に茶室あり。(ここだけはなかなかのぞけないらしい)
手前の茶室が曲木亭、その裏に藪内の清隠斎があるはず。
かつての揚屋建築にはかならず茶室がついていたのだそうだ。ここに集ったのは与謝蕪村などの当時の文化人たち。
松の間の床の間には岸駒の寒山拾得図。
ここも意匠がこらされた部屋なのだが、初めて二階へいって、こんなもんどころではない!とビックリしたのだ。残念ながら撮影はできなかったが。
(松の間の脇床の意匠)
襖が緞子張り(蝋燭の煤で真っ黒だが)の緞子の間、だまし絵みたいに御簾の襖絵に囲まれ一箇所だけほんものの御簾のかかる御簾の間(落掛が紫檀の曲木という贅沢さ!床の間の天井がカーブをえがいているのも斬新)、天井に扇面をちらした扇の間、天井、障子が檜垣紋でしかも障子の桟が削りだした曲線になっているのが印象的な檜垣の間、、、などいずれも夜見るのでさらに当時の雰囲気をよく再現していると思う。
(引き手はどこも蔦紋。角屋の紋が蔓三蔦紋)
中でも一番すごいな、と思ったのが青貝の間。
黒い漆喰(もとは浅葱色だったそうだが)にはめ込まれた吉祥紋の螺鈿、黒い漆塗の建具にもはめこまれる螺鈿。部屋の向きは南からの陽光をうけてさらに螺鈿が輝く設計だが、むしろ燈下にきらめく様の方が、妖しくて美しいかも知れない。対して天井は煤けた筵状、このコントラストがまたすばらしい。
二階は予約で見ることができるそうなので、百聞は一見にしかず、是非見に行ってほしいわ。
さて、二十八畳の網代の間でお呈茶。
お運びしてくれるのは袖につけた鈴の音も清々しく麗しい禿さんたち。
お隣に司太夫さんがお客さんとして来てはったので(もちろん普通のお着物姿)、太夫さんたちのお茶の流儀についてちょっとお伺いする。
呈茶は表千家。茶音頭の裏千家と、流儀の藪内と、呈茶の表千家が仲良くミックス(^_^;
お運びの禿さん。
これがその袖につけて,歩くたびにしゃらしゃら鳴る鈴。
だれがこんなカワイイ仕掛けを考えたのだろうね。
終了後は一階の調理場、配膳場、帳場などを見てまわる。
なにしろ料亭という扱いなので、料理や配膳は大切な仕事だったのだ。
こちらは3年前に撮った一般公開の時の写真がたくさんあるので、かるく撮影。
家紋・蔓三蔦紋の透かしのはいった衝立。
ここがかつて使用人にあふれ活気に満ちていた時代を想像する。
この蔓三蔦の暖簾は使用人の入り口に置かれた物、なぜか向こうの壁の上に広隆寺の牛祭のお面が、、??
来客用玄関の景色を楽しみながら、これにて夜の角屋においとましよう。