修二会2019〜達陀帽いただかせ〜明けて大和の春 - 2019.03.18 Mon
明け方まで続いたであろう満行結願行事を尻目に昨夜は帰ってからとっとと眠ってしまったが、明けて15日の朝である。

朝の奈良公園、、、鹿が1匹、、、、と思ったら、、、
浮雲遊園はえらい鹿のたまり場になっていた。
さわやかな早春の朝、二月堂への道を行く。
昨夜の一大ページェントがウソのように静まりかえる朝の二月堂。
明けた15日は昨夜の達陀の行で練行衆が被った達陀帽いただかせが南側でおこなわれる。(10時〜)
まだ少し早いようなので、お堂周辺をぶらぶら
外陣に火の粉やゴミを掃き入れる穴があいているのだが、そこにセットしてあったとおぼしき容器が茶所の近くにおいてある。中の白いのは、昨夜八天(達陀の行)の一人、芥子がまいたハゼである。(餅米のはぜたもの)
昨日拾うことができなかったお松明の燃えさしは茶所の前の箱に入っているので、これを持ち帰ることにした。焦げた杉のこの香りが大好き。(昼過ぎにはもうなくなっているよ)
関西では「お水取りが終わるまでは春は来ない」と古来いわれているが、たしかに二月堂から眺める空も春の色をいちだんと濃くしたようだ。
お堂の中は夕べまでがウソのように荘厳も普段のものに変わっていて、跡形もない。内陣の前には大きな涅槃図がかけられて、入り口すら見えないのだ。
昨夜のあの達陀は夢だったんかな〜。
欄干の隅はお松明をがしがしあてるところなので、こんなことになっているのを見るのも懐かしい気がする。
12日の深夜、お水取りが行われた閼伽井屋と興成社(練行衆が修二会前後にお参りする三社の一つ)を見下ろす。
三社のもうひとつ飯道神社は二月堂のすぐ真上にある(残り一つは遠敷神社)。
ここで神供所にまだ新しい神供を見つけた。
破壇後、夜中の3時ごろに咒師が処世界(一番若手の練行衆)をつれてここに参り、神供作法を行ったあとだ。幣を立て、神供(大豆、大麦、小麦、胡麻、、などなど)をそなえ、お粥を供える。修二会を無事最後まで守ってくれた御礼と報告、、、くらいの意味であろうか。
ふたたび南側の広場へ。
長閑だ。そろそろ達陀帽の準備ができたようだ。
おお〜!
白日の元で見るのは初めて。
燈火のもとで見ると妖しげな輝きなのだが、こうして見るとキラキラ。
昨夜練行衆たちが被っていた帽子だ。(全部で6つ)
これは本来子供にかぶせて、その無病息災を願うものだが、いつのころからの習慣なのか不明。
最近は大人も外国人もかぶるのOKなので、スミマセン、私も被ってきた。かぶせながら耳元で「観音力のご加護煮て無病息災、、」云々を唱えてもらうのである。
でもやはり子供がかぶる方が絵になるね。
中にはいやがって泣き叫んでいる子がいるのもご愛敬。
達陀帽いただきからはなれて鵜の瀬の鵜をいただく閼伽井屋へ。そういえば昨年は若狭まで行ってお水送りを見に、鵜の瀬までいったなあ。懐かしい。
遠敷明神のお使い、白と黒の鵜とともに湧き出でた閼伽井の水、今年のお水取りもとうとうおわりだ。
小観音厨子用の水桶
今年は小観音さんの厨子も拝見できたし。
修二会の期間中、何本もここでスタンバイしていたお松明の竹ももうない。
達陀帽をいただいて、裏参道を帰る親子連れもたくさん。
大和も天下も春だ!
修二会2019〜14日満行 尻つけ松明・走り・香水・達陀 - 2019.03.17 Sun
お水取りに行き始めのころ、もう20年以上も前になるが、一度で良いから達陀の行を見てみたいなあ、、でも真夜中の行だし、夢のまた夢、と思っていた。それが年を追う毎に、南の局でちょろっと垣間見たり、正面の西の局の一番後ろから見たり、そしてとうとう、真正面かぶりつきで達陀を見ることができた今年。生半な迫力ではなかったよ。
一週間前は中日で小観音出御をおこもりでみた、二月堂、いよいよ最後の満行の日を迎える。
この日も早くに、16時半に着いてみると西の局(真正面の局)はまだまだがらがらであったので、ど真ん中かぶりつきの席をゲット。
なぜそんなにお堂の中が余裕かというと、この日は最後の練行衆初夜上堂は尻つけ松明という大きな見所があるので、みなさん、下の席を確保されるのね。
いつもはお一人お一人ゆっくり上堂されるので、お松明は一本また一本とゆっくりあがってくるのだが、この日はどんどん間をつめて上がってくる。だからあたかも先を行く練行衆のお尻に火が付くようだ、というので尻つけ松明とよばれる。おまけに二月堂欄干に10本のお松明が並ぶ様はまさに壮観、一大スペクタクル!
良弁杉の向こうに暮れてゆく西の空。
(あ、、、花粉が、、、ヘックション!)
いつもは静かな茶所も最後の数日はおうどんやお寿司などの軽食食堂に早変わりする。
二月堂うどんに若干心ひかれつつ、お稲荷さんをお腹に仕込む。
これから約8時間、お堂に籠もるので腹ごしらえはしておかないと。
尻つけ松明(この日だけ18時半〜と早め)の日は二階の欄干への居残りはできないので、下で見るか、お堂にお松明が終わるまで閉じ込められるか(トイレもダメ)なのだ。
17時にお堂の扉は閉められ、中に残っているのは10数人、意外と少人数。人手が外にとられるので、中は意外と自由空間だった。ちょっとねそべったり、おしゃべりしたり、屈伸運動をしたり、、、だれも文句は言わない。
その代わり尻つけ松明はこんなふうに隙間からちらっと見えるだけ。でもあの煙と杉の焼ける香りにはしっかりつつまれてお松明満喫気分。
今回も三度の案内、練行衆の「うけたまわってそうろう〜」をしっかり見て聞く。
↓この場面
ついでに、ちょっとさびしいので、2年前の画像を置いておく。↓
10本上堂の壮観お松明。
これも2年前撮った動画。
真正面なので、練行衆がそれぞれお堂にはいって差懸にはきかえ、あの独特のリズムの音を刻んで内陣入りするのをはじめて目の前で見た。
それから数時間、目の前の戸帳に大きく小さく映り、また飛び去る影を見たり、神名帳の神様の名前を聞き取ろうとしたり、少し意識を失ったり(^_^;、、、
(練行衆の休憩の時にお手洗いは行けますよ)
22時過ぎ、咒師と3人が四方加持を戸帳の片隅で。咒師はお声のよい上司師。そのあと走りの行に先だって、戸帳の巻き上げ。これがまた見物なのだ。堂童子が、我々が見ている局の前の格子ぎりぎりまで戸帳を持って巻き上げる。尻尾の方は隅に控えた加供が巻き上げ。きりきりと巻き上げられると兜率天を写したという内陣の様子がはっきりみてとれる。
かさなった壇供、糊こぼしや南天の荘厳、燈火、、、
走りが始まる。最初諸役以外の8人で、内陣の須弥壇のまわりをぐるぐる、順番に五体投地後着座、最後の一人がかなりのスピードで飛び去るように走る。あれはかなりしんどそうだ。もう五体投地をして着座して良いよ、という合図は咒師の「シッチヘン」という謎の言葉なのだが、今回それもはっきり、聞き取れた。
走りの後は香水たまわり、一番に手をだしてお香水をいただいた。(今回はたっぷり!)先週のはまだお水取り(閼伽井屋)前だったが、今回はその後、あたらしい香水だっただろうか。
差懸の音をそろえて足踏みしながら謡うように唱えられる「散華」の声明はほんまに萌える。
24時前、再び戸帳が巻き上げられいよいよ達陀の行である。
はじめてこれを見た時は、これ何?何これ?と美しさと妖しさに感動しつつも不思議でしょうがなかったが、いまもってこの行の意味は謎のままなのだそうだ。(なにしろ実忠和尚が兜率天でみてきた行法らしいから、人間の身ではわからんのね)
ぶぉ〜ぶぉっ!ぶぉ〜ぶぉっ!、、という原始のリズムを刻む法螺貝の音
火天が火を、水天が水を、芥子がハゼ(餅米をはぜさせた物)を、こちらめがけて、ユーモラスとも見える所作で放り投げる、あと楊枝とか、鈴はほられたとき、ゴトンって音がした。
そしてキラキラ蝋燭の火に光る達陀帽をかぶった火天と水天の達陀松明と水のせめぎ合い
これも練行衆の仕事なのだと思うと尊い。
音、光、匂い、振動、、、この一大ページェントの仕上げは達陀松明をこちらに向けてダ〜ンと放り投げる。こちらまで飛び散る火の粉。火事にならんかとヒヤヒヤするが、これを箒でけしてゆく加供の職人技、これも見所。
この達陀を正面最前列で見るという望みを叶えるまで何年かかったのか、ありがたいことにそれも叶った。
この後明け方4時頃まで続く結願の行事にそなえて、練行衆はいったん下堂する。
下堂はまとまって、早い早い!
このあと再び上堂して修二会の間、お堂にもちこんだ自分道具や荷物を片付け、壇供も荘厳も片付け、通常の荘厳とする、、、以後も行事が続くがさすがにここまでで体力の限界、これで二月堂においとまを。それ以後の満行下堂などはまた次回への課題となった。(何年来ていても、これで全て見たということがない。多分残りの人生でも無理ね。)
修二会2019〜7日 二月堂内からのお松明・小観音出御と後入・走り・香水たまわり・ - 2019.03.11 Mon
東大寺修二会中日の7日、奈良へ。

この季節いつもはまだ少し早い片岡梅林(奈良公園内)の梅が、すっかり見頃になっている。
山焼の跡の残る若草山、浮雲遊園をつっきって二月堂へ(かなりショートカットになる)いつものコース。
17時前に二月堂に到着。今年はお松明を二月堂の中から眺めようと、早めに。(17時以降は上堂できなくなる)19時のお松明まで、篭城する作戦である。
7日は、上七日のご本尊となる大観音にかわって、下七日の本尊となる小観音が普段安置されている須弥壇の裏正面から、お出ましになる小観音出御があるので、他の日にはまだ上堂していない練行衆も先にはいって小観音お迎えの準備にいそがしいようだ。差懸の音がかしましい。
(小観音は実忠和尚が難波津に生仏として勧請されたといわれる絶対秘仏である。江戸時代の火災の時以外にだれも見たことがないという)
初めて見るお松明前の二月堂前の上からの風景。今日もぎっしり、たくさんの参拝客だ。
18時すぎ、雅楽の演奏と共に宵御輿松明(杉のへぎみたいな、、)に先導され、4人の練行衆にかつがれた御輿が戸帳の向こうからしずしずと出御。お堂の外陣の北西角(お堂は西向きなので、西の局のむかって左)に安置され、深夜の後入(須弥壇正面へ移動)を待つ。
19時前、練行衆上堂を導く松明の前に、チョロ松明を持った加供(かく)が三度の案内(あない)をするのだが、この日は最初の時香の案内はすでに小観音のためにすんでいるので、用事の案内、出仕の案内のみ。
いずれもいままでかすかに聞こえるか?くらいの声だったが、お堂の中にいるのではっきり聞くことができた。
「出仕のあな〜い!」
「うけたまわってそうろう!」(処世界・練行衆の役の一)
いよいよはじめて同じ高さから見るお松明である。
ううっ!
早すぎてシャッターが遅れる!
あ、ちょっとだけ。
火の粉もすごければ、煙も尋常でなく、お堂の周辺はけむりで燻されている状態。
やっととらえたお松明。
ちなみに普段は、上堂して戸帳の中にはいるのに差懸の音をターンタタタ!とひびかせるのだが、7日は小観音に遠慮して音をたてない。
いつも下から見上げてわ〜わ〜言っていたが、60kgの松明を担いでいる堂童子はほんま大変そう。体力の限りを尽くしている感じだ。
それから松明から飛び散った火の粉を払う人が職人技だった。あれだけの火で、焦げ一つのこさないのだから。(とはいえ1667年、修二会中おこった火災はあったが)
動画も置いておく。
さて、この火の粉をあびて(煙でもいぶされて)今年も無病息災、あとは小観音後入、走り、香水をねらって、長い長いお籠もりをする。(結局約8時間、籠もっていたので、膝が足が、、死にかけました(^_^;)
お松明の後、参拝客のほとんどが帰った後の二月堂の表はこんな感じ。早くに行っていたため、西の局(正面)一番前のポジションをゲット。
最上級の防寒対策をしていったが、今年はまだ暖かいほうかもしれない。とはいえ、夜も更け、じっとしているとしんしん冷えてくる。
初夜の勤行は神名帳。早口すぎて決して聞き取れない13700余の津々浦々の神々の名前。○○大明神、△△大明神〜と大明神だけはききとれるのだが。
何度も聞いた有名な南無観コーラス、堂内を差懸の音を響かせてぐるぐる回りながら唱える散華、これとてもリズミカルで好きな声明なのだ。
普現一切大神力 光明熾盛 、、、、
種々の声明が時に静かに時に激しく、堂内にただよう。今年はあのお声のよい上司師も咒師として入堂されていて、聞き分けられるのもうれしい。
(トイレ休憩、、、二月堂瓜灯籠)
23時すぎ、走りの行法
練行衆が須弥壇の周りをぐるぐる回り始めると、堂童子によって、戸帳がきりきりと極限まで巻き上げられ、内陣の壇供(つみあげられた餅)、糊こぼしや南天の荘厳、走り去るような練行衆の姿がはっきり見える。
最初は差懸の音を響かせているが、ふっとその音が消える。差懸を脱いで足袋裸足でだんだんスピードを上げる。
実忠和尚が兜率天の菩薩の行法を人間界に持ち帰りたいと願い、兜率天での一日は人間界の400年にあたることから、少しでも近づこうと走る、というのが走りの行法の意味。
その内陣から一人、一人と外陣に飛び出して五体投地して着座、やがて走る練行衆は二人に、やがて一人になり、最後に五体投地して、あっというまに戸帳は巻きもどされ、須弥壇はまたベールの向こうになる。
走りの後は香水(お水取りで汲みあげられた昨年までの香水)賜り。
「礼堂に香水参らせ〜」
の合図で、さっと格子の間から手を差し出すと、外の局の参拝客にも一人一人香水杓から香水をいただけるのだ。ことしも数滴、ぺろっと。
深夜1時前、小観音後入。
一時外陣の北西に安置されていた小観音の厨子が、暁御輿松明に先導され、裏正面〜南へ回って須弥壇正面に安置される。これはあまりはっきり見えなかったが(眠かったし、、、(^_^;)松明やら灯明やらが明々としてなんとも華やか、火の行法といわれる意味がよくわかる。
勤行はさらに続くが、この日の下堂は2時頃になるというので、1時過ぎにドロップアウト、下堂時の「手水、手水〜」は聞けず。
回廊階段の下にはこれからの出番を待つお松明がならぶ。
振り返ってみた二月堂。勤行はまだまだ続いている。
表参道から深夜の道を奈良公園の宿まで帰る。うまいこと雨はさけられたが、しっとり濡れた石畳の道が美しかった。
つかのまの異世界トリップであった、、、、そして、おまけであるが私の花粉症はかなり重症化した。(なにしろ周りは杉林、、、敵陣まっただなかであったからなあ)
萬々堂 「糊こぼし」