御室八十八ヶ所霊場巡り - 2020.12.09 Wed

御室仁和寺、今日はこの山門を通り過ぎて、、、、
お大師様が見守られる道をいざ!八十八ヶ所霊場巡りに出発!
(仁和寺西門から西進すると入り口見つけやすい)
御室八十八ヶ所霊場は、仁和寺に隣接する成就山をぐるっと登って廻る山道約3kmの間のあちらこちらにこんな感じのお堂が88点在する霊場、「一日で四国八十八ヶ所霊場巡礼と同じ御利益」というのである。
その昔、文政10年(1827)、当時困難であった四国八十八ヶ所への巡礼をもっと楽にみんなにできるようにと、時の仁和寺門跡済仁法親王が四国の各霊場の砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋めそのうえにお堂を建てたのがはじまりという。
各お堂にはそれぞれ四国の霊場の名前が記されている。
お堂の形はだいたいが同じような感じだが、ちょっと独特の形をしているものなどもあって、お参りするのも楽しい。
10番を過ぎたあたりからだんだん山道になっていくが、けっこうご近所の方がウォーキングがてらおいでだ。左京区で言えば大文字山登山のノリかな。(大文字の方がちょっとキツイ)
それほどキツイ感じではないので、あちこち見て回る余裕がでる。道端に祀られているお地蔵様にもちゃんと前垂れがお供えされている。大切にされているのだな。
お花はホンコンフラワーだけれど、、、と言って、何人がホンコンフラワーって言葉まだ知っているかな、と苦笑い。
バードサンクチュアリでもあって、歩いているといろんな鳥の鳴き声も聞こえる。ちらっと姿を見せてくれることもある。これはじっとこちらを見ていた烏。
時の流れで木の根っこに押しつぶされそうになっているお地蔵様。がんばれ!ファイトッ!と応援をおくる。
だんだん傾斜がきつくなってきたが、ここにもトレイルランナーが。みんな元気やな。
どこのお堂もお掃除用のちりとりがおいてあったり、おりんやささやかなお供え物があるのがゆかしい。ちなみにどのお堂にも一つはお大師様の像が祀られている。それプラス四国のお寺のご本尊のミニチュアコピーとでもいうか。それでもたとえば千手観音はちゃんと千手の像が飾られているのがすごい。
この山もご多分にもれず一昨年の台風で倒木やらお堂大破やらあったようだ。これは31番竹林寺で目下再建中。それでも打ち壊れたまま放置されていないところが救われる。
ここらまでくると眺望がすばらしい。おまけに雲一つない青天。目標となる大文字も比叡山も愛宕山も見えないのでオリエンテーションがつかない!と思っていたらどうやらこれは南向きの眺望らしい。そりゃ大きな山は見えないわな。
立派な常夜灯を供え、大きめのお堂のちょっと格の高そうなのは36番青竜寺。大きいのはお大師様が入唐して密教を恵果和尚に学んだのが青竜寺だったからかなあ。
愛媛の媛ダルマの奉納。昭和時代にはどこの家庭にもお土産でもらったやつがあったはず、ご多分にもれず実家にもあったなあ。しかし青竜寺は伊予じゃなくて土佐なんだが。
おお、落ち葉の道がきれいだ。
この37番岩本寺の天井だけ、格子絵になっていると、ウォーキングの方から教えてもらった。ご本家の四国のお寺の天井が格子絵なのだそうだ。この絵を奉納したのが明治36年になっているから100年はたっている。
珍しい六角形のお堂は41番龍光寺。こういうデザインは誰が決めたのだろう。
ちょっと脇道の逸れたところから愛宕山が見える。緊急事態宣言下で運動不足解消のため大文字登山を繰り返しトレッキングにめざめ、いつか愛宕山に登ってやろうと計画してたが、とうとう今年は実現できなかった。登るとしたらやっぱり来年春かなあ。待ってろよ、愛宕山。
山は落ち葉が盛んで、じっとしていると雨のように枯れ葉がおちてくる。そのカサカサという音も心地良い。
成就山頂上、、、って236mしかないのね。吉田山クラスやな。
ちなみに大文字山は472m。
それでもこの眺望である。南向きだからほんと、さえぎるものがない。真ん中のこんもりした山が双岡。
しかも山の紅葉はまだ健在である。
さて、一番すごい場所にあるのはこの岩盤の上に立つ53番円明寺。あちこちで岩の露出を見たので、成就山は岩山なんだ。
なんと!鎖場まである。しかもここを登らないと次の54番まで行けない。
ただ足に自信がない人用にショートカットルートもあるのでご心配なく。
道には目印のように梵字を刻んだ石標が並んでいるので迷子にはならない。それぞれの梵字にあてはまる仏様がおられるのだが、全然わからないのが残念。
道を降りていくとなんとこんな山の中に池が!
そこを越えるとまあ、なんてきれいな紅葉!まだ残っていた。ここの景色が一番すてきだった。しばしここでたたずむ(←迷子になりかけた)
まだ青い紅葉もある。今年の秋は暖かかったからな。
この65番三角寺のあたりが唯一道がよくわからなくなった場所。順路の矢印が微妙なところを指していたので。後から来た人に道を聞いて事なきを得たが要注意。
奥に行くと成就滝のお不動様がいらして、こっちへ行くと行き止まり。反対へ折れ曲がらないといけなかったのね。
その他、池の向こうにあって橋があるお堂や、
水平軸がずれて壊れかかっているお堂など拝んで、、、
パッと開けた場所に出たらここが結願の88番目大窪寺の薬師如来様。
所要時間は、あちこち寄り道したり迷ったりしたが1時間40分であった。比較的お手頃なトレックキングコースなので、またゆっくり来ようかなと思う。もう何回も巡っているという猛者もいたな。
ここを降りるともう仁和寺の西門が見えてくる。
来年の春には見事に咲くであろう御室桜を五重塔を見送って帰路についた。
二ノ瀬・白龍園 - 2020.12.02 Wed
いよいよ紅葉もフィナーレ、今年はインバウンドがないから、人生初の秋の嵐山へいけるかも!と思ったが、甘かった。やはりこの季節嵐山は人を見に行くようなものになっていた。ほとんど日本人観光客というのが例年と違うが。

ここは惟喬親王伝説があちこちに残る洛北・鞍馬の手前の市原の集落、山の紅葉もきれい。嵐山を諦めた代わりに、というわけではないが、紅葉の隠れ名所、二ノ瀬の白龍園をめざす。現在叡山電鉄は市原より先は土砂崩れで復旧していないので、手前の市原から1kmほど歩く。
叡電の名所でもある紅葉のトンネルも下からみるとこんな感じなのだな。今年はここも見ることはできないけれど。
白龍園に到着。
安養寺山麓にあるこの庭園は京都のアパレルメーカー・アオノの創業者、青野正一氏が昭和37年にこの土地を入手、専門家の手を借りず、社員家族と地元のお手伝いだけで作り上げた庭園なのである。
いきなりの真っ赤な紅葉の大木に出迎えられて感激。
人数制限もされているので、混雑することもなく、ゆっくり楽しめそう。
アップダウンの山のあちこちに点在するそれぞれ名前のついた四阿の一つから。
彩雲亭、鶯亭、福寿亭、龍吟亭、清風亭などなど、これらもすべて社員達がつくりあげたものらしい。釘を使わない工法で手がけたとは、プロはだし。
ここで紅葉を見ながら野点してみたいものだ。
また、ここは現在は苔がとてもきれいに石段や道のあちこちに生えていて、なぜかその合間に竜胆の花が顔を出しているのもかわいらしい。
逆光の紅葉
今年は例年より紅葉が早く、いつもなら最盛期だが少し盛りを過ぎている感じだ。
庭園内のあちこちにある蹲居にはそれぞれ美しく花が生けられていて、
それぞれ目を楽しませてくれる。
創業者の青野氏は、この地が白髪白髭の翁と白蛇伝説がある霊域であると知って(詳細は調べたけれど不明)ここをその霊域にふさわしく整備しようと決心して白龍園を作られたそうだ。
庭園の奥深くには山の御祭神・白鬚大神、八大龍王を祀る祠と大鳥居が立てられ聖域となっている。(ここのみ聖域ゆえ撮影禁止、霊感ほぼゼロの私でもちょっと神聖な空気を感じたよ。)
白龍園の命名はここからきているのだ。
ここにはお正月、お茶の家の人が血眼になってさがして飾る日蔭の蔓がわっさわっさ生えていて感激、持って帰ろうかと思ったよ(^_^;
ヒカゲノカズラってよく観察すると、延びたヒゲは蔦みたいに、小さい根を張りながら成長しているのだね。
眺めていると庭のお手入れをされている方(この方も社員かな〜?)が「茶花に興味があるなら、めずらしい高野箒も咲いていますよ。」と教えてくださった。残念ながら写真は全然ピンボケで没(T^T)
ここからもう少し北へ行くと貴船や鞍馬になる。
あのあたりもすっかり紅葉と落葉がすすんでいることだろう。
四阿にも小さな花が生けられていて、生けた人の心ばえを感じる。
下地窓にからませたカラスウリも絵になる。
最後に訪れた四阿・清風亭は苔が見事。
この景色が好きで、感じ良いな〜と思っているが、実は突き当たりの建物はお便所である(^_^;お便所も景色になる白龍園。
冬が来て散ってしまう前にいっとき燃え上がる、美しき唐紅(からくれない)
降り積もる落ち葉も唐紅に
辞するときには早い陽は傾いて夕刻の影をつくっていた。
道路を隔てた河鹿荘も白龍園の一部といってよい。江戸時代末期の古民家だそうだ。
ここからの眺めもまた美しい。夏にはその名の通り、カジカの声がかしましいのだそうだ。
土間があり、囲炉裏があって、ここでお茶をいただける。窓の外は鞍馬川が流れる。
ここでお善哉をいただき、暖まってまた市原までの道を歩いて帰るとしよう。
(ちなみに市原から二ノ瀬まで京都バスもあります。本数少ないけど)
知恩院ライトアップ2020〜兼実忌十夜会古式法要 - 2020.11.18 Wed

この秋も知恩院のライトアップが始まった。今年は8年間の大改修を終えて春に落慶法要したばかりの御影堂拝見も兼ねて久々にやってきた。(チャリの距離)
まずは友禅染の宮崎友禅を記念して造園された友禅苑へ(この近くに居を構えていたそうだ)。
どうも赤やら青やらのライトアップはにつかわしくない気がするのだが(^_^;
紅葉には若干早いが、バックグラウンドの暗さもあいまってそれなりに美しい。
茶室へ通じる小さな門がいい雰囲気を出している。
茶室白寿庵
いまだ行ったことはないが、ここでは月釜がおこなわれている。今年はどうかな、やっぱり中止かな。
露地も蹲居まわりもよい雰囲気である。
池の鏡面に映る紅葉。
これは観音様かな。
ほんまに知恩院はこの山門だけかと昔思っていたほど存在感がある。
さて、御影堂に続くなだらかな女坂をだらだら登る。
完成後来るのは初めて。
国宝・御影堂。
お堂の上からなにやらありがたい?青いビームがでているのが見えるだろうか?
仏の光りはあまねく十方世界を照らし、、、かな?
ライトアップ期間中は中で法話と木魚念仏体験があると聞いたので入ってみたら、中にはおもいがけずたくさんの参拝客がいた。それにしても壮麗な内陣、柱も金にきらきら光っている。ここらへんは密教にも負けていない。中央に法然上人座像がまつられているはずだ。
しばらく待っていると雅楽の音をバックに、10人ほどのお坊さんが萌黄色の正式の僧衣をまとってでてこられるではないか。なにか法要でもあるのかな、と思っていたらこの日は兼実忌法要、十夜会古式の法要の日であった。
関白九条兼実は慈円の兄でもある。天台座主慈円は法然にとって、法敵でもあれば、時に庇護者でもあった、敵か味方かようわからん人。しかしその兄の兼実は法然に深く帰依し、こうして追悼法要がなされる。
美しいメロディーの聲明、そして散華、となかなか美しいページェントである。
十夜会古式は引声(音楽的)阿弥陀経など日常勤行とは異なる聲明によってつとめられるそうだ。十夜会は「この世で十日十夜の間善行を積むのは仏の国で千年善行をするよりも尊い」という教えを実践したものという。この世のほうが誘惑が多いからね(^_^;
思いもかけずよいものに出会った。
お堂の入り口にもアルコールがおいてあったのが今という時だね。
で、ちゃっかり記念の忘れ傘缶バッジもらった。
(忘れ傘は知恩院七不思議の一つ 左甚五郎の置き忘れとも狐の御礼とも)
泉涌寺・悲田院 - 2020.10.28 Wed
御寺(みてら)泉涌寺、皇室の菩提寺として、御寺とよばれる。なにしろ献茶の時に東京から勅使が今も来るような寺格なのだ。

その塔頭の悲田院の特別公開、普段は非公開ながら、正月の七福神巡りの毘沙門天さんのところなので、一度境内まではお邪魔したことがある。
こちらは煎茶の東仙流の総本山でもあって、大奥様であるY先生とは、心茶会や茶会に来ていただいたり、白沙村荘でのお稽古場に乱入したり?など、以前からご縁をいただいている。前からこちらにおじゃましたいと思いつつはたせず、今回特別公開にかこつけてようやくお邪魔することが出来た。
悲田院は福祉施設として、平安京に東西二つつくられたが消滅、その後西悲田院の名跡を引き継いだ寺院となった。江戸時代にいたり高槻藩主永井氏の帰依をうけ、現在地に移転、明治維新まで庇護を受け栄えたという。
ここからは洛中が一望できるのだ。いつのまにこんな高台にまで登ってきたのだろうといぶかるくらい、なだらかな坂の上にあるのね。
こうしてみると京都はいかに山に囲まれた盆地であるか、がよくわかる。散歩にこられていたご近所の方に、五山送り火はここから右大文字(銀閣寺の方)以外はみんな見えるのよ、と教えていただいた。
中ではY先生直々にご案内をいただいた。
悲田院のお宝の一つは今回の公開の目玉でもある宝冠阿弥陀如来座像である。以前から快慶作ではないかと言われていたが、胎内にカメラをいれて「アン(梵語)阿弥陀仏(快慶のサインみたいなもの)」の署名と弟子達の名前が確認できたのはほんの10年くらい前のことなのだ。へたしたら国宝級だがそうなると、とりあげられるので、指定はなにもとっていないとおっしゃる。仏像を保存の観点から美術品として扱うか、信仰の対象としてみるか、いつもぶつかる問題だ。
それにしてもこの阿弥陀様は彩色が依然あざやかで、菩薩の如く高く結い上げた髪(宝冠と言われる由縁)が絶妙のバランスで美しい。一般公開だから、距離があるので、いつか至近距離で見たいものだわ。
お宝はそれだけにあらず、土佐派の襖絵の四愛図(黃庭堅の蘭のみ欠くが、李白、杜甫が加わる)が印象的。
それから入手の経過をお聞きしてとてもおもしろかったのが橋本関雪の襖絵。もともとは関雪も逗留したことのある西脇市の来住家(きしけ)(現在は有形登録文化財)の襖だったそうだ。画題はちょっと忘れたが山に籠もっている老人四人が世にいったん事あると山をおりてくる、、、といったような話だった。これをひきとるひきとらないで来住家と白沙村荘といろいろあって、最終的に(白沙村荘とご縁のある)Y先生のところへやってきたとか。お寺さんだし、ようやくおさまるところへおさまってよかった。
一通り拝見したあと、Y先生に煎茶をふるまっていただく。下に敷いた芭蕉の大きな葉っぱがすてきだ。こちらの露地は有名なアメリカ人の日本庭園家・Marc Peter Keaneさんの作、斬新でいて日本的な露地になっていて驚く。
ずっと昔(調べたら7年前!)、萬福寺の月見茶会で東仙流の席にはいったことがある。とても自由で楽しそうな室礼の流派だなと思っていた。
境内の白砂に蓮池をイメージした水紋が描かれ、枯れた蓮の実を飾り、茶碗に蓮の絵、お菓子も蓮根餅、そしてお茶が、、、
こんなすてきな蓮茶であった。当時きっと市販の工芸茶だと思っていたが、実はY先生がご自宅の池の蓮の花からご自分でお茶を詰め込んで冷凍して、作られたものだったのだ!7年ぶりに知る真実!すごいなあ。東仙流はかくのごとくお茶目な先生のお人柄そのままの楽しく自由な煎茶道なのね。
Y先生、おいしいお茶をありがとうございました。
とてもたくさんおしゃべりできて楽しかったです。
泉涌寺のおとなりは紅葉で有名な東福寺、そろそろ色づいて、人の姿も多くなってきましたね。
秋の花背〜石井まり子さんと - 2020.10.25 Sun
ブログ友として、また主催される料理情報図書室会員として、のお付き合いはもう10年以上もなるのに、初めてお目にかかったのがつい先月であるとはとても思えないのである。今月2回目にお会いしたときに「もう何年も知っている人のような気がして、、」と言っていただけたときはとてもうれしかった。「京都が好き」という本を書かれた石井まり子さんである。

その中でも書かれているが、洛北・花背(一応京都市左京区)は彼女にとって特別な場所なのである。秋の花背をみんなで楽しみたい、とプランナーとしての腕も確かな彼女が計画を練って、旧知のご友人方と上洛なさるのに、声をかけていただいた。
関東各地から、南は沖縄まで、まり子さんが京都でカフェ(Cafe Rive Droite)をされていたころのスタッフさん、神楽坂にいらしたころのご近所さん、みなさん長いお付き合いの方ばかり、先月初めてあったばかりの私をさそってくださるとは、とてもありがたいことである。
車で1時間半ほど、このあたりは洛中より秋が来るのが早い。
まり子さんはご体調があまりおよろしくなく、ご子息のアテンド付きの旅であるが、それを伝えてもだれも「やめときなさい。」という人はいなかったのだとお笑いになる。だれもとめる気にもならないの花背への愛だな。20年以上昔、家と畑を借りて年の半分くらいをこの土地で2年間、暮らされたのだ。
彼女のブログの「私と花背」に詳しいが、それは便利とはほど遠い生活だったそうだが、土地と畑を無償で貸して下さった大地主のFさんご一家はじめ、たくさんの土地のご縁をもらった場所である。
あ、花背と出町柳を往復する京都バスが来た。なんだかオルゴールみたいな音楽を流している。そうそう、記事にあった、バスが花背へ行くときと出町柳にいくときと曲が違うのだ。(アンニーローリーとグリーンスリーブス)これが聞こえるとバスを利用する人はいそいでバス停へ駆けつけるのだろうな。なにしろ1日に数本しかないから、逃すとたいへんなことになるから。
まり子さんのプラン1、貸しロッジでみんなですき焼きを作ってお昼ご飯にする。
東京で居酒屋をされている方がほとんど全部手際よく作ってくださった。まり子さんは横になりながら指図係り。このロッジも昔Fさんが景品の宿泊無料券をくれて無料で泊まったという思い出の場所。たくさんの人が泊まれるスペースがある。
すき焼きを作るかたわら、花背の農家のお知り合いが、畑でとれたばかりのプリップリの枝豆を届けてくださった。枝からちぎって筋をとる作業だけ私でもお手伝いできた。早速ゆでる。おいし〜い♪
同じくいただいたマコモダケ(真菰筍)、実は初めて見る。葱みたいに見えるが焼いて食べるとほんのり甘く、トウモロコシみたいな味がするのね。
さて、すき焼き完成!
みんなで、タクシーの運転手さんもお仲間に(まわりにランチ食べられる店なんかないものね(^_^;)していただく。おいしいわ〜。最後に投入したうどんもおいしくて食べ過ぎ。まり子さんに申し訳ないくらい食べてしまった。
さらに、今月誕生日を迎えるのが、まり子さんだけでなく、私も、そして他に2名もいらっしゃった。そこでバースデーケーキならぬロールケーキでお祝いである。
会費集めの方法もまり子さんのやり方で。最低と最高の金額だけを決めて、その間の自由な額のお金を握りこみ、紙袋の中に他の人に見えないようにいれてぱっと離すだけ。だれがどれだけだしたか、なんて野暮なことは言わない。お茶目だ。
食後はしばらく、みんなそれぞれ好きなように過ごす。
私は秋の花背を満喫しようとロッジの近くを散歩した。
ススキの尾花にいた小さい蟷螂が小さいくせにいっちょまえに威嚇してくるのがかわいい。
このススキの道に導かれるように歩いて行くと、、
河原にでた。
先月上洛された時にまり子さんが河原遊びをされたのは、このあたりだったろうか。
河原にミントが繁殖しているのを発見。へ〜、こんなところに。
風が吹くと河原の向こう側の草の綿毛が雪のようにふわ〜っと舞い上がって美しく、しばしみとれた。花背はほんま、ええところや。(途中の花背峠がえげつない道でなければもっとひんぱんに来られるのに)
東京からいきなり、いっときにせよ花背に住むことになった、ここの土地でいろんな人と交流された、私とも会ってくださった、人生における縁は不思議で、いろいろ思うことも多い。
そのご縁のひとつ、花背で佐野藤右衛門さんのとこの土、桜の木の釉薬を使って器を焼いている蕗窯の小松華巧さんのところへもお邪魔する。奥様お手製のとびきりおいしい栗きんとんとお薄を頂戴する。食欲がいまいちだったまり子さんが、このきんとんだけはぺろっとお召し上がりになるほどに。ここのお庭で冬はかまくら遊びをされたとか。
こちらは説明する必要もないくらい有名な美山荘、ここは花背の大家さんと同じご町内になるそうな。
お宿ではあるが、いつかここにご飯だけ食べに来たいと何年も前から思っているのだが、予約がとれない。でもなぜ摘み草料理なのかわかった気がする。町中へ食材買い出しにいくのに非情に不便な場所だから、近くの山で畑で収穫したもので、いかにおいしく、ということだよね。
こちらではまり子さんおすすめの花山椒ちりめんをみんなで買った。
そしてこの旅の最後は、まり子さんが花背時代一番お世話になったFさんのお宅である。
このあたり一帯はほとんどこのお家のもの、というお宅は蔵もある立派な大地主の風格のお家であった。自分のところだけの為の橋があるくらいである。「赤い橋があるのよ。」と聞いていたが渡るとぎしぎしけっこう揺れるのである。
当時、家や畑をただで貸してくれた先代さんはすでに亡くなって、息子さんご夫婦の時代になっているが、よそからこられたお嫁さんが先代の奥様が作っていた自家製柴漬けを自分も作りたいとおっしゃるくだりも本やブログで読んでいたので、本当にその自家製柴漬けを、全員にわけてくださったのには感激であった。
そのFさんの家のすぐそばに立つこのお家が、まり子さんとご子息が2年間すごされた思い出深いお家。
Fさん一家専用の赤い橋をわたったところと、むかしまり子さんが耕していた畑のそばに山椒の木がある。この木の山椒の実、はじけた割れ山椒を見るのがここに来た目的の一つであった。昔、春には花山椒をバスが来るまで、たくさん収穫されたのだそうだ。枯れた割れ山椒がまだ残っていて、一房手にして、もうほのかになってしまった香をかいでたしかめて大事そうに手で包まれた。それだけで花背がいかにまり子さんにとって心から大切な場所なのかわかるのだ。
<付記>
記事を書き終えて、予約投稿にしている間に、まり子さんが旅立たれたという知らせが届きました。花背から1週間もたたないうちに。そんな状態だったのに、みんなこの旅をとめなかった、そこにまり子さんのお人柄を読み取るのです。今ごろは虹の橋のたもとで待っていた京都猫のみやこ、神楽坂猫の文子、ぐり絵に「おかーちゃん、待ってたよ〜」とじゃれつかれているに違いありません。
まり子さん、さようなら、ありがとう。