八瀬童子の里〜赦免地踊 - 2013.10.15 Tue
、、、「いちどリサーチにいってみなければ。」、、、、
と、いう今年1月に立てたプランを遂行してまいりました。
なにかというと、今年1月文博でやっていた八瀬童子〜天皇と里人をみて、このミステリアスな集落にいたく心惹かれたからであります。

夜も更けた八瀬の里。
さて、「八瀬童子」とは、以前記事にかいたのをそのまま転用すると、、、
平安時代のころは比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めていたらしく、伝説では伝教大師が使役していた鬼も子孫とも。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らした「大童(おおわらわ)」の姿だったので童子と呼ばれたそうです。
はっきりその存在がわかってくるのは後醍醐天皇のころ以降。
1336年(南北朝のはじまり)京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護し、この功績により地租課役の永代免除の綸旨を受けたそうです。
それ以降、特に選ばれた者が輿丁として朝廷に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことが主な仕事となったとか。

そして秋におこなわれる八瀬天満宮の秋元社の赦免地踊。
これも以前の記事をコピーすると、、、
政治力のあった天台座主が幕府に八瀬郷の入会権の廃止を認めさせたのです。
これは八瀬郷の人たちの生活基盤を根本的におびやかすものでした。
これに対し八瀬郷は再三にわたり幕府に復活を願い出るが認められず、宝永4年(1707年)になってようやく老中秋元喬知の裁定で八瀬郷の入会権は回復されたとか。
八瀬郷はこの恩に報いるため秋元を祭神とする秋元神社を建立し徳をたたえる祭礼、すなわち「赦免地踊」と呼ばれる踊りの奉納をしているそうです。(毎年10月の第2月曜日の前日にあたる日曜日)。

天満宮を通り過ぎてしばらく行くと八瀬小学校があり、むかいにある門口、そのあたりで待機。
19:00 十人頭(当年30歳の集落男子がつとめ、祭の指導者、監督者となる)の祭の開始を告げる声。

暗い集落の中で唯一明るいのがこの案内所にもなっているテント。これだけです。ここで花宿(灯籠が座敷に飾ってある旧家。たずねればお酒のふるまいなどもあるらしい)の地図をもらうも、ちょっと遅すぎて行けず。今度行くときはもっと早めだな。

門口に十人頭10人が手に竹の棒をもって集合。

そうこうするうちに音頭取り(道歌という道中歌を歌う)と太鼓打ちが門口に集まって、その年覚えた道歌の検分。さわりを歌って「よ〜し、よかろう!」と許しが出る。

20:00前、きれいな花笠をつけた女子たち10人が集合。小学校4,5年生だそう。

整列して祭の花形、灯籠着(とろぎ)を待ちます。フラッシュたいてこれなんで、ほんとうはもっと暗い中、赤い提灯だけが並んでいるように見える。

あ、灯籠着がやってきました。さきほどの花宿にかざってあった灯籠を頭にのせてゆっくりゆっくり歩いてくる。
灯籠着は13〜14歳の中学生の男の子8人。昔女官から下賜されたという御所染めの着物を着て女装、化粧もしている。なんだか妖しい腐女子?好みの設定(^_^;

灯籠は5kgもあるそうで、これをかぶって歩くのは少年にはかなりつらそう。灯籠着ひとりには警護(けご)という20歳の男子が支え役について、さらにもうひとり裏方さんが付く模様。

20:00過ぎ、行列がいよいよ出発。八瀬天満宮をめざします。

集落を通ってゆらゆらと頭の灯籠がゆれる。その後をみんなが追いかける。併歩するもよし、先回りするもよし。

天満宮の階段を上る。これが一番大変そう。


鳥居から神社まで、田んぼの中の参道をゆらゆら道歌にあわせて灯籠行列が進む。実はこれこそが祭の真髄でありハイライト。
置灯籠があるとはいえ暗いので、カメラに夢中になっていると田んぼに落下する危険性あり。(^_^;)b

先を行く赤い提灯は花笠少女たちの持つもの。そのあとを追いかけるように灯籠着がゆく。

いよいよ神社の真下の階段まで到着。太鼓を打ち、音頭取りが道歌を歌いながら一段一段上っていく。

そのあとを少女達がいく。

灯籠着達も胸突き八丁の階段を上る。ゆらゆら、ゆらゆら、、、まことに幻想的。

境内到着すると灯籠は頭からはずされて一列にならんで置かれる。

この美しく切り絵と色とりどりの紙で飾られた灯籠はかつては毎年新調されたそうな。現在では1年に2基がせいいっぱいらしい。それにしてもこの精巧な透かし彫りは見事!というほかない。1年かけて集落のひとたちが一枚一枚彫りあげたものなのだ。

ここから22:00ごろまで、神社境内の舞台でかわいらしい少女達の潮汲み踊りや、琴三味線、日本舞踊などがくりひろげられるが、これは地域の人たちの芸能発表会、、と言った感じか。
夜もふけてくると山の冷気が肌寒い。かつて八瀬集落は流入も流出もみとめない閉じた隠里であったが、現代ではもうそんなことはないだろうが、それでも代々ここに住まう八瀬の里人もおられるにちがいない。

22:00前、芸能もおわり最後に灯籠着が歌にあわせて境内を3周する灯籠回し。

くるくる、ゆらゆら


音頭取りはたくさんの歌を口伝でおぼえるそうで、なかなかたいへん。素朴で少し哀愁を帯びた曲調。

灯籠回しのあとは狩場踊り。灯籠着の少年達を補佐していた警護がかわって灯籠をかぶり灯籠回しをします。灯籠着の少年たちは解放されてほっとした表情。

「音頭取り、狩場踊りを歌ってた〜し〜(給え)」
歌は最後の方で、テンポが急に速くなって、「いざや帰らん 我が宿へ帰らん 狩場踊 これまでよ」。警護たちはすばやく階段を駆け下りて集落に戻っていく。その速さときたら!さすがに20代の若者は中学生とちがって力があるんだな。

灯籠を見送って、帰路についたのが22:00過ぎ。

八瀬の山の端に上弦の月。
<情報>
神社へ通じる道の国道の向かいに、かなり広い臨時駐車場ができますので車でもOK。京都バスは「ふるさと駅」発最終が22:50ころ(確認してね)
夜はかなり冷えます。防寒対策を。
早めに行って花宿(4軒)めぐりもできたらいいですね。
と、いう今年1月に立てたプランを遂行してまいりました。
なにかというと、今年1月文博でやっていた八瀬童子〜天皇と里人をみて、このミステリアスな集落にいたく心惹かれたからであります。

夜も更けた八瀬の里。
さて、「八瀬童子」とは、以前記事にかいたのをそのまま転用すると、、、
平安時代のころは比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めていたらしく、伝説では伝教大師が使役していた鬼も子孫とも。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らした「大童(おおわらわ)」の姿だったので童子と呼ばれたそうです。
はっきりその存在がわかってくるのは後醍醐天皇のころ以降。
1336年(南北朝のはじまり)京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護し、この功績により地租課役の永代免除の綸旨を受けたそうです。
それ以降、特に選ばれた者が輿丁として朝廷に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことが主な仕事となったとか。

そして秋におこなわれる八瀬天満宮の秋元社の赦免地踊。
これも以前の記事をコピーすると、、、
政治力のあった天台座主が幕府に八瀬郷の入会権の廃止を認めさせたのです。
これは八瀬郷の人たちの生活基盤を根本的におびやかすものでした。
これに対し八瀬郷は再三にわたり幕府に復活を願い出るが認められず、宝永4年(1707年)になってようやく老中秋元喬知の裁定で八瀬郷の入会権は回復されたとか。
八瀬郷はこの恩に報いるため秋元を祭神とする秋元神社を建立し徳をたたえる祭礼、すなわち「赦免地踊」と呼ばれる踊りの奉納をしているそうです。(毎年10月の第2月曜日の前日にあたる日曜日)。

天満宮を通り過ぎてしばらく行くと八瀬小学校があり、むかいにある門口、そのあたりで待機。
19:00 十人頭(当年30歳の集落男子がつとめ、祭の指導者、監督者となる)の祭の開始を告げる声。

暗い集落の中で唯一明るいのがこの案内所にもなっているテント。これだけです。ここで花宿(灯籠が座敷に飾ってある旧家。たずねればお酒のふるまいなどもあるらしい)の地図をもらうも、ちょっと遅すぎて行けず。今度行くときはもっと早めだな。

門口に十人頭10人が手に竹の棒をもって集合。

そうこうするうちに音頭取り(道歌という道中歌を歌う)と太鼓打ちが門口に集まって、その年覚えた道歌の検分。さわりを歌って「よ〜し、よかろう!」と許しが出る。

20:00前、きれいな花笠をつけた女子たち10人が集合。小学校4,5年生だそう。

整列して祭の花形、灯籠着(とろぎ)を待ちます。フラッシュたいてこれなんで、ほんとうはもっと暗い中、赤い提灯だけが並んでいるように見える。

あ、灯籠着がやってきました。さきほどの花宿にかざってあった灯籠を頭にのせてゆっくりゆっくり歩いてくる。
灯籠着は13〜14歳の中学生の男の子8人。昔女官から下賜されたという御所染めの着物を着て女装、化粧もしている。なんだか妖しい腐女子?好みの設定(^_^;

灯籠は5kgもあるそうで、これをかぶって歩くのは少年にはかなりつらそう。灯籠着ひとりには警護(けご)という20歳の男子が支え役について、さらにもうひとり裏方さんが付く模様。

20:00過ぎ、行列がいよいよ出発。八瀬天満宮をめざします。

集落を通ってゆらゆらと頭の灯籠がゆれる。その後をみんなが追いかける。併歩するもよし、先回りするもよし。

天満宮の階段を上る。これが一番大変そう。


鳥居から神社まで、田んぼの中の参道をゆらゆら道歌にあわせて灯籠行列が進む。実はこれこそが祭の真髄でありハイライト。
置灯籠があるとはいえ暗いので、カメラに夢中になっていると田んぼに落下する危険性あり。(^_^;)b

先を行く赤い提灯は花笠少女たちの持つもの。そのあとを追いかけるように灯籠着がゆく。

いよいよ神社の真下の階段まで到着。太鼓を打ち、音頭取りが道歌を歌いながら一段一段上っていく。

そのあとを少女達がいく。

灯籠着達も胸突き八丁の階段を上る。ゆらゆら、ゆらゆら、、、まことに幻想的。

境内到着すると灯籠は頭からはずされて一列にならんで置かれる。

この美しく切り絵と色とりどりの紙で飾られた灯籠はかつては毎年新調されたそうな。現在では1年に2基がせいいっぱいらしい。それにしてもこの精巧な透かし彫りは見事!というほかない。1年かけて集落のひとたちが一枚一枚彫りあげたものなのだ。

ここから22:00ごろまで、神社境内の舞台でかわいらしい少女達の潮汲み踊りや、琴三味線、日本舞踊などがくりひろげられるが、これは地域の人たちの芸能発表会、、と言った感じか。
夜もふけてくると山の冷気が肌寒い。かつて八瀬集落は流入も流出もみとめない閉じた隠里であったが、現代ではもうそんなことはないだろうが、それでも代々ここに住まう八瀬の里人もおられるにちがいない。

22:00前、芸能もおわり最後に灯籠着が歌にあわせて境内を3周する灯籠回し。

くるくる、ゆらゆら


音頭取りはたくさんの歌を口伝でおぼえるそうで、なかなかたいへん。素朴で少し哀愁を帯びた曲調。

灯籠回しのあとは狩場踊り。灯籠着の少年達を補佐していた警護がかわって灯籠をかぶり灯籠回しをします。灯籠着の少年たちは解放されてほっとした表情。

「音頭取り、狩場踊りを歌ってた〜し〜(給え)」
歌は最後の方で、テンポが急に速くなって、「いざや帰らん 我が宿へ帰らん 狩場踊 これまでよ」。警護たちはすばやく階段を駆け下りて集落に戻っていく。その速さときたら!さすがに20代の若者は中学生とちがって力があるんだな。

灯籠を見送って、帰路についたのが22:00過ぎ。

八瀬の山の端に上弦の月。
<情報>
神社へ通じる道の国道の向かいに、かなり広い臨時駐車場ができますので車でもOK。京都バスは「ふるさと駅」発最終が22:50ころ(確認してね)
夜はかなり冷えます。防寒対策を。
早めに行って花宿(4軒)めぐりもできたらいいですね。
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● COMMENT ●
ひいらぎ様
八瀬童子の歴史には文博の展示ですごく興味を惹かれたので、赦免地踊りは是非に、と思っていました。まわりと隔絶されるがごとき地理的条件や比叡山から近いという条件、その他いろいろかさなって「天皇の里人」がうまれたのでしょう。
ただ世界的にもそうですが、秘境といわれる地域はもうなくなりつつあって、八瀬の里も実のところもうどこにでもある普通の郊外になっているのかもしれません。
今回、夜だったのでまわりの景色が全然見えず、今度は昼間に八瀬八幡宮へ言ってみなければ、、と思いました。
ただ世界的にもそうですが、秘境といわれる地域はもうなくなりつつあって、八瀬の里も実のところもうどこにでもある普通の郊外になっているのかもしれません。
今回、夜だったのでまわりの景色が全然見えず、今度は昼間に八瀬八幡宮へ言ってみなければ、、と思いました。
わあ、いいなあ。私も一度みたいとおもって、八瀬童子の本は買い集めているんですが、行動力が伴いません。なかなかそちらに居ない時期ということもありますが。。。
写真は夜なのにとっても綺麗にとれてますね。とても雰囲気が伝わってきます。
写真は夜なのにとっても綺麗にとれてますね。とても雰囲気が伝わってきます。
キレミミ様
10月はアメリカはまだまだ新学期ですよね。いつかリタイアされたらゆっくりごらんください。
京都新聞に灯籠着の少年の記事がでていて、彼は正しく八瀬童子の子孫だそうです。
やっぱりすごいなあ、、、、
京都新聞に灯籠着の少年の記事がでていて、彼は正しく八瀬童子の子孫だそうです。
やっぱりすごいなあ、、、、
しぇるさん、こんにちは
おもしろいですね~
全然、知りませんでしたが
八瀬の、雰囲気に
なんともあっていますね^^
おもしろいですね~
全然、知りませんでしたが
八瀬の、雰囲気に
なんともあっていますね^^
高兄様
八瀬は歴史的にも特別な集落ですね〜。今でも八瀬童子の子孫もおられるそうで、山間のちいさな集落ににつかわしい不思議な雰囲気の祭礼でしたよ。最近は観光客もふえているとか。あ、私も観光客みたいなものだった(^_^;
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あちこち行かれてお知らせいただき 楽しみです。
ですがこんな夜は行けないなあ。