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2023-12

西山厚先生と行く大和古寺探訪〜空海の足跡をたずねて - 2023.09.22 Fri



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 明日香の秋!
一袋100円の柿にツルムラサキ(ああ、買って帰るんだった、、、)


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ここは岡寺、1年前飛鳥光の回廊で来てから1年ぶり。
今回は奈良交通のバスツアー、それも元・奈良国立博物館学芸部長(現・名誉館員 帝塚山大学客員教授)の西山厚先生とご一緒に、解説を聞きながら、という贅沢なツアーなんである。


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(名物?岡寺のビー玉手水)


奈良の仏教美術、歴史を語らせたらその面白さで右に出る人がいない、という先生、オンライン講座で時々拝聴しているが学者然としてなくて、時に目からウロコぼろぼろの切り口をみせてくださるので、超人気。実はこのツアーも販売開始になるとすぐ満員御礼になると聞いていたので、奈良交通のメルマガをこまめにチェックしてゲットしたのだよ(*^_^*)v



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今はすっかり岡寺だが、本当の名前は龍蓋寺である。(岡というのはここらの地名)草壁皇子(天武、持統の息子 帝位を継ぐ前に若くして亡くなった)と一緒に育った義淵僧正が皇子の宮のあったここを寺としたという。義淵といえば当時の仏教界のトップだったそうで(弟子に行基、玄昉、良弁など)伝説ではこの地を荒らす龍を退治して、この池に封じ込め岩で蓋をしたというのが寺名の由来。


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これがその封じ込めた岩。
まあ今では信じる人はいないけれど、、、でも、というのが次の伝・義淵僧正の墓での先生の深いお話。


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小高い奥の院に立つ義淵僧正の墓と言われる宝篋印塔、実際には後世に作られたものと思われる。なんか墓らしきモノがある、だれの?わからんけど、この寺で一番大事なのは義淵だからそのお墓にしちゃえ、というのがあったのだろうと。
また現在奈良博に寄託されている国宝・義淵僧正像、これも実は聖僧だったらしい。聖僧(しょうそう)とは奈良時代まで寺の食堂(じきどう)に安置された像で、食事の時にこの像の分まで並べるのがきまりだったとか。(文殊とも御賓頭盧とも)平安以降にすたれたものなので、この像だれの?ワカラン、じゃやっぱりここで一番大事な人物は義淵だから義淵像にしちゃおう。ということらしい。国宝なのに、、、国宝なのに、、、、



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(おみくじの龍の玉)


こんな歴史の話、西山先生からしか聞けない。
先生がおっしゃるに、事実はどうでもいいんです。義淵の墓であろうがなかろうが、像であろうがなかろうが。いままで多くの人によって大事にされてきた、ということが大事なんです。西山節炸裂、なんだか感銘をうけた。美術館、博物館で「伝」がつくものは多い。しかしその真偽よりも大切にまもられて伝えられてきた歴史のほうが尊い、、、深いなあ、、。



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ちなみに今回のツアーは「空海の足跡をたどる」、、、であるが実は岡寺はあんまり関係ない(西山先生曰く)。でも空海が湧かせたという井戸(瑠璃井)はあって、お大師様の石像も。これも伝説に過ぎないけれど、そう信じられてきたことが大事なのね。


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奥の院から見下ろす本堂。
本堂には白い塑像(!)の如意輪観音様がご本尊としておられる。一見如意輪観音にはとても見えず、阿弥陀様のような像で、古い形式なのだそうだ。これも空海伝説があって、空海が天竺・唐・日本の三国の土を混ぜて作ったという。(♪天竺震旦わが朝三国に、、、謡曲「百万」の一節思い出したわ)


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ここからは飛鳥の風景が一望の下に見られる。
いつ来てものどかな明日香村、どうぞこのままでいてね。


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これは三重塔(比較的新しい復興)の軒四方にぶら下がる琴。これは言われないとわからんわ。風が吹くと鳴ることもあるそうで。


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このお寺で一番空海に縁のあるモノと言ったらこれです、と修行中のお坊さん。乙訓寺(唐から帰国してまもなく空海が別当をつとめた)の橘の種を先代ご住職?がもらいうけて植えたものだそうだ。今ではすっかり大きくなって青い実をつけていた。

さて、お次は久米寺。

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紫陽花が有名なので、その季節に一度来たことがある静かなあまりひとけのないお寺である。
聖徳太子の弟・久米皇子創建とか久米仙人とかいろいろ伝説はある。


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だが、空海的に一番大切なのは彼が密教の神髄である「大日経」をここの多宝塔で発見した!ということである。今までの仏教のあり方に疑問を抱き、何度も泣くくらい苦しんでいたが、この経をみたとたん、これだ!と直感。いかんせん、当時の日本にはだれもこれを読み解くことができる坊さんはいなかった。よって空海は渡唐を決意した、というばりばり空海ゆかりの寺なんである。(一般的にはしられてないと思うよ)


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空海が大日経を見つけた多宝塔があった場所に礎石が残っている。これは教えてもらわなければ絶対スルーするよね。ちなみに奥に見えるのは仁和寺から賜った再建された多宝塔。


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それにしても空海のあまりの運の強さを再認識する。

本来遣唐使船に選ばれなかった彼は20年待たないと次の便はなかったところ、船が九州で座礁、待機していたため間に合って乗ることができたこと。
当時大唐で密教の第一人者であった恵果和尚(青龍寺)が亡くなる直前に会えて、その教えをすべて体得できたこと。
帰りの遣唐使船は十数年先の予定であったが、唐の皇帝が亡くなりその弔問に臨時の船が出て3年足らずで帰国できたこと。


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いずれもひとつ時期を間違えば入唐できず、恵果にも会えず、唐で亡くなっていたかもしれない、、、仏様の加護があったとしか思えない、不信心モノでも。


さらにバスは走って橿原市十市町・正覚寺へ。ここは初めて。(大和八木の近く)


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なんとここでは、西山先生が来られる!というので十市町公民館で自治会総出のお出迎えに感激。ここのご本尊、大日如来像の里帰りに関わったのが当時奈良博におられた西山先生だったのだ。

正覚寺は無住の寺で、地域の人たちが守ってきたのだが、大日如来像(平安時代)は天部立像、地蔵菩薩立像とともに、昭和50年代に修復修理のため、ずっと奈良国立博物館へ寄託されてきたのだ。


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地域の人たちにとって、ご本尊のお帰りは悲願であった。そのために博物館とかけあい、新しく収蔵庫を建設、ようやく昨年三体そろってのお帰りとなったのだ。
木の香も新しいお堂に安置された大日如来は智拳印を結んで柔らかなお顔(撮影OK)。

ちなみに智拳印は密教・金剛界の大日如来。胎蔵界のは円をつくるような法界定印。この金剛界、胎蔵界の密教をまとめたのが恵果和尚、と教えてもらう。う〜ん、勉強になるなあ。


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一緒に里帰りされた錫杖を持たない古い様式のお地蔵様とならぶのは西山先生。なんでも国博時代、この像とはずっと仲良しだったんだそう。またここで久々に巡り会えてうれしそうである。


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こちらはお向かいの阿弥陀堂、どちらかといえば地域の人の集会場的な雰囲気。自治会の方々にも色々お話をうかがえた。


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帰りに公民館で一服もさせていただく。ほんまにありがたい。それもこれも西山先生のおかげ。すっかり旧交をあたためて、ツアーの時間はどんどん押すのであった(^_^;


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なので奈良市内の大安寺にたどり着いたときにはもうお寺の門が閉まる時間、結局閉門時間を過ぎてまで拝観をゆるしていただいた。


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何回か来ているし、昨年は奈良博で大安寺展もあったし、なじみがあるのだが、おや、新しい建物が、、、今年4月にオープンしたばかりの新しい宝物殿だった。

ここではCGでいろんな角度から見られるかつての南都七大寺の一、広大な境内を誇った昔の大安寺の姿を見ることができるゲーム機みたいなのもあって面白い。


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しかし、、、境内いたるところに達磨が、、、実はこれおみくじの容器。もらった人がおいていったのがこんな感じに。


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本堂では貫首さまの太鼓うちならしながらの読経を拝聴、天井を見上げると格子天井のすべてに梵字、と一部三鈷杵。まさにここは真言宗のお寺なんだなあと思う。大安寺は若き日の空海が学問にはげみ、大きな影響を受けた勤操(ごんぞう)和尚に教えを受けた寺なのだ。


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空海は亡くなる前、弟子達に御遺告を残したが、その中に「大安寺を本寺とせよ」という条文がある。東寺でもなく高野山でもなく南都の大安寺だった、というところにこの寺の重要性を知ることができる。


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西山先生は貫首さまと仲良しで、お坊さんのなかで一番好きな方、と言われた。ご自分の葬式は是非大安寺でされたいそうだ。(葬式はほとんどやってないらしいが、、、(^_^;)


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あ〜、それにしてもいっぱいのダルマだこと。

明日香村からだんだん北上して大安寺にてツアー終了、たくさん勉強させてもらったことに感謝。ますます西山先生から目がはなせない。






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● COMMENT ●

前貫主・河野清晃様ご存命中 何度かお訪ねしたことがありましたが、当時は立派な荒れ寺でした。でもご仏像はみな すごく存在感があり なかでも馬頭観音様(?)は特に荘厳で迫力があったような記憶があります。

山葵様

立派な荒れ寺?!そうだったんですね。その時代は知りませんでした。
馬頭観音様は3月しか一般公開されてなくて、数年前に一度拝んだことがあります。お堂の名前がいななき堂というのにウケたことを思い出しました。


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