芝・増上寺〜徳川家の菩提寺 - 2023.09.28 Thu
東京美術俱楽部から徒歩でいけるので、時代小説の中やTV時代劇で度々名前がでてくる増上寺ちゅう所に行ってみることにした。関東在住の方は見慣れた景色かもしれないけれど、私にはおそらく最初で最後のお参り。

地下鉄のその名も大門駅から交通の激しい通りにどーんと建つ大門。(昭和12年・コンクリート製)これは東京ならではの景色か。
増上寺といえば徳川将軍家の菩提寺、なんでも家康江戸入府の折、帰依していた増上寺のお坊さんに対面したのがきっかけでここを墓所と決めたという。
そのくせここで眠る歴代将軍は6名だけで、かんじんの家康は日光東照宮に眠っているからなあ。
ちなみに他の将軍方が眠っているのは上野の寛永寺(ここも一度行ってみないと)、三代家光はおじいちゃん大好きだったので日光、最後の慶喜公だけは谷中霊園。
大門の先に建つ重文・三解脱門。ベンガラ塗りなのだろうか。時代は下るとは言え、京都奈良のお寺とは雰囲気をかなり異にする。
この増上寺は東京大空襲にてほぼ灰燼に帰したため、今ある堂宇は戦後の再建であるが、この門だけは江戸初期の名残である。
あ、ちらっと東京タワー!
広い境内、大殿(本堂)は昭和40年代に復興されたとか。
ああ、しかしシュールな光景だこと。お堂の向こうに東京タワー、超高層ビル、、東京やな。さすがにこの景色は京都、奈良にはないわ。雰囲気は浅草寺にも似てるな。
お参り。ご本尊の阿弥陀様は室町時代の作とか。
中はすっかり近代的である。できればお寺には畳のあるコーナーが欲しいと思ってしまうのだが。
大殿から振り返って見る三解脱門。日比谷通りの慶応大学も近いエリアである。
せっかくだから徳川将軍霊廟〜御霊屋へ入ってみる。
これは鋳抜き門とよばれる唐金で鋳た門で、現在は墓所の門となっているが、かつては広大だった御霊屋のほんの一部、六代将軍家宣の霊廟の門だったもの。
中へ入るとおびただしい数のお地蔵様がお出迎え。(千躰子育地蔵〜昭和50年代から)
戦前の御霊屋の地図を見るとはかなり広い敷地で日光東照宮にも匹敵する規模だったそうだ。空襲できれいさっぱり、ほとんどの霊廟が焼失してしまった(戦前は国宝)ため、戦後3分の1くらいのスペースに色々残ったものをかき集めて再建したという。
ちょうど時間がよくて、ボランティアガイドさんの30分くらいの説明を聞くことができた。
興味深かったのは二代秀忠公の宝塔が焼失したため、奥方のお江さんと合祀されていること。死後も尻の下にしかれているとか(^_^;
他の将軍生母や正室側室方はひとつの宝塔に合祀されているのに、おひとり和宮さんのお墓だけは青銅で復興、おとなりの旦那さんである十四代家茂公に寄り添ってはいるがこちらの宝塔は石製。やはりバックに皇室がついている差でしょう。しっかり菊の御紋もついてたし。
昭和33年、東京オリンピック前に土葬は衛生上良くないとかで、発掘調査が行われ、改めて各歴代さまが火葬にされた、というのは初めて知った!そんなことがあったんやなあ。それで各将軍の頭の大きさから脳みその大きさまで調査でわかったというから面白い。
さて、この江戸の遺構三解脱門、まもなく10年ほどかけて解体修理がおこなわれるそうだ。今見ておいてよかった。
この門の先には大門と大都会の通りが見える。ここで増上寺にお別れ。
近くには東京プリンスホテルなどがあるが、実は戦災で失われた霊廟の跡地に建っているんだって!
現在の境内からちょっと離れたところに有章院霊廟二天門が当時のまま残るが、現在は増上寺ではなく個人の所有なんだそうだ。ちなみに有章院は満6才で夭折した七代様、家継公である。
御霊屋へ入る時に記念にいただいたクリアファイル。
大河ドラマが「どうする家康」の年にここへこれたのも、何かのご縁かもしれないね。
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