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2018-06

八瀬大原・瑠璃光院茶会 - 2018.06.22 Fri

大原へ行く途中の八瀬は、豊かな緑と、高野川の上流、渓流の地である。




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壬申の乱で矢で傷ついた背中(矢背)を釜風呂で癒した大海人皇子(後の天武天皇)の伝承がある地であり、以来貴族や武士たちの保養地となった。(私的には八瀬童子の里)





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かなり山の中で渓流にかかる吊り橋を揺れながら渡ると、、、、




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ここにたたずむ瑠璃光院がある。

ここはもともと寺院ではなく、亀岡楽々荘が旧邸であるところの田中源太郎翁(山陰本線を引いた人)の所有地であり、交流のあった三条実美卿がその庵に「喜鶴亭」という命名したという。
その後所有者は次々かわって、現在の叡電・京福電鉄が所有したり、したが、今は光明寺というお寺の子院となっているらしい。




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なんといっても青楓、紅葉の美しさが「そうだ京都行こう」キャンペーンで取り上げられて以来、爆発的な人気を獲得し、現在青楓の季節、紅葉の季節のある期間のみの一般公開、それにならぶ行列が3時間待ち、、と聞いた。




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とてもそんなに並ぶ勇気はないが、このたび細見美術館でお茶の稽古をされている松井宗幸先生のお社中がここでお茶会を開かれるので、待たずに中へ入れるという僥倖を得た。




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ちなみに現在の瑠璃光院の建築は大正から昭和初期のもので、数寄屋の名匠・中村外二作、作庭は桜守で有名な佐野藤右衛門一統と伝わる。




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最初に竹重楼さんの点心をいただく。(なぜか点心の写真がナイ!)
先生のお孫さんだろうか、7歳とその妹とおぼしきかわいい女の子が肩上げをした振袖をきて、お菓子のおふるまい。ついつい孫娘とかさなり目をほそめてしまう。




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12000坪の庭園は雨上がりのこの日、圧倒的な緑で美しさにため息がでる。

ここは八瀬の山の中だから、ときおり山道に迷った人がスマホナビを手にまよって入ってくるらしく、この日も「ここはどこですか〜?」という旅人がいてびっくり!(そうか、正門以外から入るルートもあるのね、、、と、悪いことを考えてはイケナイ)




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薄茶席は二階、ここの八瀬の山の眺めは絶景かな!ですばらしい。もっと良いアングルで写真が撮れたらよかったのだが、他のお客様もおられる手前この程度で、、、




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そして、瑠璃光院のパンフレットやポスターにもなっているベストビューはこの二階の座敷、お茶会なので、これもこのていどしか撮れず残念。




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瑠璃光とは薬師如来の薬師瑠璃光如来からくる名だが、瑠璃=青=楓の緑とも思われ、瑠璃光院とはよくぞつけたり!の名だ。




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(床にうつる床みどりも実物はもっと美しいのだけれど)


床には大きな焼物の水盤があって、紫と白の菖蒲が美しく生けられていた。香合は今日庵の名水梅の井井桁の古材、いずれも「水」を思わせる意匠にて、淡々斎好みの渦巻棗だが、真塗りでなく拭き漆っぽいデザイン。
そういえば干菓子も撫子(琥珀)と水(雲平)であった(奥様のお手製とか)。
茶杓が玄々斎の室(女流茶人として有名)玄華斎(または宗柏)お手製という珍しいもの、しかも櫂先の裏に鎹がうってあるという見所のある茶杓であった。銘を「遣り水」




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主茶碗は一入平の黒、了入の隠居印(草楽印)のある赤の平の土見せあり(200つくったうち、50は天明の大火以前の土で作ったもので土見せがあるのが特徴らしい)。
一番萌えたのが絵志野の平。内側に、白い長石釉がはじけて穴がいくつもあいている茶碗で、これ茶筅がいっぺんに削れるよな〜(^_^; でも、楽よりもこっちのほうがええ(個人的趣味)と思った。




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濃茶席は一階の喜鶴庵にて。
軸は玉舟の「雲収山嶽青」 八瀬の山々も青い。花は烏柄杓というめずらしい山野草、釜が5代寒雉の渦四方釜(仙叟好み初代寒雉が本歌)、これ好きやわ。ほんまデザイン性にすぐれてスタイリッシュだと思う。
古淨味の鐶付き風炉。外壁が丸みを帯びずまっすぐな場合は鐶はあげずに下げておくのだと(まっすぐだからあげられない)おそわった。

茶入は瀬戸の後窯の吉兵衛(遠州くらいの時代か)、茶杓が一燈、共筒共箱(これすごい)。

さてさて、お茶碗はやっぱり高麗ものが多いのがうれしい!(高麗フェチなもんで)

主茶碗は井戸の小貫入、箱にそう書いてあるがちょっと見青井戸のようにみえる。銘を「加賀」(どなたの箱か失念しました。不昧だったか???)
私の萌え〜の一碗は誰が見ても金海!の教科書的な金海茶碗。州浜型の口に猫搔き手。
釘彫り伊羅保も渋うございました。
もう一つは了入の中印(天明の大火から隠居まで)のある黒楽。




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ほんに、こんなロケーションでお茶会って最高!と感激をかみしめながら帰る道、渓流で遊ぶ親子の姿を見つつ、着物着てなかったら私も入りたいな〜と思いつつ、八瀬の地を後にした。






水無瀬神宮月釜〜燈心亭 - 2018.06.13 Wed

水無瀬神宮(神社ではなく神宮なのだ)へ行く道を検索すると「大阪府三島郡、、、」とでてきて、おかしいな〜と思っていたの。だって同じ大山崎の駅から行ける大山崎山荘は京都府乙訓郡だから、てっきり京都だと思っていたのよ。




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阪急大山崎駅からも水無瀬駅からもけっこう距離のある水無瀬神宮。
神宮とは皇室とゆかりのある神社、こちらも御祭神は後鳥羽天皇とそのご子息のふたりの天皇(土御門天皇→土佐に配流、順徳天皇→佐渡に配流)。まつられているのが上皇さん天皇さんなんやなあ。




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早くも茅輪くぐりの夏越払仕様になっていたので、八の字を書いて(左に一周右に一周また左一周でお参り)お参りする。


水無瀬の地は後鳥羽院が愛した離宮があった場所、隠岐に流された後も水無瀬を偲ぶ歌を残しておられるくらいお好きだったようだ。後に院に使えた公家の水無瀬家がこの地に院を祀ったのが水無瀬神宮の起源だそうだ。





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拝殿の参道の両脇にたくさんの涼しげな風鈴がつられ、風がふくと一斉に音をならす。これはおとなりの月釜の茶室にも響いていたよ。




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境内は紫陽花が花ざかり

月釜はなんとこの重要文化財の客殿の中!桃山時代の建築という。




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「都忘れの菊」

この菊の説明文が難解(悪文といいましょうか、どの形容詞がどこにかかっているのかようわからん)なのだが、大意として、「お父上(後鳥羽院)が好きだった野菊を配流先の佐渡で見るたびに、懐かしく都忘れの菊と名付けたよ」と順徳天皇が名付けた佐渡の菊をこちらに移植した、、、ということだろうと思う。




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官休庵の木津宗匠のお席で、お点前を若いお茶友君がされた。

旧暦端午の節句とあって、待合の薬玉の絵から鯉の滝登り、登竜門の話からいろいろテーマがちりばめられ、宗匠のお話し上手でとても楽しい席であった。

印象的なのがお流儀の烏帽子棚
床の間に本物の烏帽子を飾っておられたのと呼応していて、しかもこの棚を使うときのみ、烏帽子折という帛紗のたたみ方をして飾りおく、のだそうだ。(写真のあるブログ発見→)はじめて知った。(そういや先日の薪能でも「烏帽子折」の演目あったなあ、、、なにかご縁が?)

蓋置が三人形の鯉バージョンで、登竜門を登りきった金色の鯉(龍になる予定)が1匹、残りの2匹が錦鯉で、この子たちは登り損ねたのかなあ、、と思ったり。かわいかった。





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さて、この客殿の裏にある茶室を拝見するのが楽しみで。
茶道検定にもよく登場する「燈心亭」、その名前はかねがね。やっと本物を見ることができるよ。


 

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藁葺き屋根はまるでどこかの田舎家のようだが、実は後水尾天皇よりご下賜の茶亭なのだ。




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障子の下には籐を貼り付けて水引をあらわすなど、早くもいろんな意匠が満載。

ただし、私は建築学的なことはようわからんので、詳しくはこちらの数寄屋建築家のブログを読まれたし!




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茶室は三畳台目下座床で小間にもかかわらず脇床まであるところが宮家好み。

さて、燈心亭が燈心亭たる由縁はこの天井である。




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20cmほどの格子の中に縦横並べられたのは、、、

蘆、寒竹、苧殻、萩、山吹、木賊、九十九草、竹、柿、桐、桑

の11種類。いずれも燈心になる植物ゆえ燈心亭。ただし、こうよばれ出したのは実は昭和初期と非常〜に新しいのだ。それ以前は「七草の席」とよばれていたそう。

しかし、蘆とか苧殻とかは灯心といってもわかるが、あとの植物が灯心っていわれてもピンとこんなあ。しかし意匠的にとてもモダン。




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風炉先の裏が半畳ほどのスペースになっていて、茶会の時、ここに師匠がすわって点前の指導を影でしてたりして、、、、(^_^;





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かつてはここは申し込まないと拝見できなかったらしいが、今は月釜の客は自由に拝見できるようでありがたい。ここで実際に点前されることはないのだろうか、重文だけに。




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境内には水無瀬川の伏流である名水「離宮の水」がわく。名水百選にもえらばれているため、ポリタンクをかかえて水くみの人が絶えない。よって味見はできなかった。ちょっと残念。(あ、お茶会の水はここのか(^_^;)








光琳乾山忌茶会2018 - 2018.06.06 Wed

よい天気に晴れ上がった奥嵯峨です。




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気持ちのよい早朝の広沢の池、その畔にある3万坪の平安郷にて、今年もMOA美術館主催の光琳乾山忌茶会参席です。

ちなみに光琳、乾山の兄弟は27年の時を経て、同じ6月2日に亡くなったのです。この光琳乾山忌茶会、以前は熱海のMOAでおこなわれていたのですが、H16年から、京都、平安郷で主催となったそうです。

昨年の失敗をふまえ、今年は受付開始より前に到着、全部回ってまだお昼前、という快挙(?)をなしとげました(^_^;!



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マイクロバスにのって(平安郷内は広いので、マイクロバス移動なのです)一番に濃茶席・中の茶屋へ。生垣の向こうに広沢池をのぞむ待合が。期待でわくわくです。

前日からわくわくしすぎて、当日懐紙・扇子・帛紗一式みな持ってくるのを忘れたことに気づいてぼ〜ぜん、、、、我ながらおはずかしい限り、お知り合いの方をみつけて懐紙のみわけていただきました。(ありがとうございました!!)





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ここの待合は広沢池の景色があまりにすばらしいので、いくら待たされても平気です。しかしこの日はほとんど待ち時間がなくて、かえって残念なくらいでした。




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今年の濃茶席の席主が今年3月に松江で行ったところの田部美術館、なのでよけいにわくわくしておりました。美術館を作り島根県知事もつとめ数寄者でもあった23代田部長右エ門さんのお孫さんにあたる当代(39歳のお若さ)が席主をつとめられました。
(ちなみに官休庵の奥様はこの田部家の方です)




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今年は不昧公没後200年ですから、当然と言えば当然のご縁でしょう。田部美術館には私の大好きな高麗系の垂涎モノの茶碗など、すばらしい逸品がたくさんありましたので期待もMAX。今回はやはり不昧公ゆかりの品々、京都でも不昧公祭♪の状態です。
待合でいただくお菓子もまた松江の風流堂さんの葛菓子「湖光」、広沢池に寄せての銘でしょう。




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例年は濃茶はすべて点てだしなのですが、今年は官休庵の門弟の方々のお点前付き、という贅沢な席でした。お正客がお茶への造詣が深すぎる(^_^;TZ寺の和尚様でしたので、席主の方々の解説にも力がはいって、そのお相伴をさせていただけたありがたさ。

床に不昧公作、園城寺写しの花入「晩鐘」
煤竹色の花入れで真ん中に園城寺みたいな割れ目がすっとはいっているのが景色

水指が分厚い古備前の一重口、極渋なのに、蓋がうごかすとかたかたと鳴るのが愛嬌があります。



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(田部美術館リーフレット)


展覧の茶碗は、田部美術館からの再会でした。
青井戸「秋埜」不昧箱 梅花皮の少ない青味のある茶碗


実際濃茶をいただいたのが、和尚様のお相伴ができたので主茶碗の御本・茂三でありました。なんとまあたくさん御本が浮いていて、和尚様のご指摘で内側に1本刷毛目がすっと通っているのを見ることができました。御本はあまり好きではないのですが、これはなかなかの景色でした。




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一番心惹かれたのは茶入 撫で肩のかわいらしい瀬戸金華山・雲州蔵帳収載、遠州箱の「京童」
これは不昧公が弟のように可愛がった姫路城主・酒井宗雅(抱一の兄)愛蔵の茶入だったそうです。不昧と宗雅の茶の湯をめぐる交わりは記録にも残っていて実に深い親交があったようです。しかし彼は36歳の若さでこの世を去り、不昧公の嘆きもさぞ深かったことでしょう。この茶入は宗雅が自分の死後何年後かに不昧に譲ると遺言したもので、後に不昧から田部家に伝わったそうです。この茶入をはさんで一体どんな二人のやりとりがあったのでしょう。

茶杓ももちろん不昧公作共筒「山里」
箱が不昧の娘さん、堀田玉映とありますが玉映さんは不昧の曾孫なので、玉暎さんの方かな。聞き違えかもしれませんが。




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ついで上の茶屋・薄茶席はMOA美術館が席主です。

こちらも負けず劣らず不昧公祭、寄付の自画賛は風炉釜に羽根、賛は利休の「茶の湯とは ただ湯を買わし、、、」の一節でした。



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脇床になんと大きな嵯峨人形!犬を小脇にかかえた童子の人形で、床の俵屋宗達の犬図に呼応しているではありませんか。それにしても宗達のわんこ(ブチ犬)は人間っぽい顔をしていてユーモラス。




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直斎(官休庵七代)の竹一重切花入「長袴」にはオレンジ色のマツモトセンノウ、破れ傘(だったか?)が涼しげ

青貝の香合はびっしり細かい細工、黒田辰秋の螺鈿細工を連想しました。

水指が足つきの渋い金襴手、長板にのせて

官休庵がらみが多くて、茶杓も一翁宗守共筒「清滝」




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三つならべて拝見した茶碗が


膳所光悦 光悦が膳所の土をもって作った茶碗二つのうちの一つ、遠州の箱
白いボディに鉄釉がかかり、形は光悦らしいあの形、ガラス釉の貫入が美しくて磁器のようなイメージ

仁清の色絵歌書巻文 裏に「仁清」の印あり

乾山の錆絵山家文、松の絵と漢詩が書かれているもので、不昧の長男松平斉恒(月潭)の箱





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お菓子はこちらも葛焼、赤坂塩野です。

砂張の建水が、これまた酒井宗雅所持、箱に漆で宗雅の号のひとつ「一得庵」とあの瓢箪のかたちの印。これも不昧との親交や早逝したことを考えると感慨深いです。(ちなみに一得庵の号は和尚様におしえていただきました。知らなかったらふ〜んで通り過ぎてた(^_^;)





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茅葺きの中の茶屋
今年はじめて行ったMOA美術館で、そこの茶室とよく似ている造り(土間+座敷)だと思った中の茶屋です。




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またまたマイクロバスで移動
ここは枝垂れ桜がきれいで、その季節には一般公開されるのです。(写真はこちら




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最後に東京美術青年会の薄茶席、下の茶屋

待合の床に磯部光太郎さんの金彩日本画「喜雨」
やぶれた蕗の葉のあちこちに小さな雨蛙が7匹、雨を喜んでいる様子で、ちょっとカエルが多いな、、と思っていたら、今回この席のために特注したもので、青年会のメンバーが力をあわせていることを現しているそうです。なるほど。




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本席の床が雪村の「瀧」、長い長い縦長の軸で、琵琶床に珍しい乾山の錆絵の獅子香炉。

宗和箱の砂張釣船花入れには白いシランと根〆に小さな小さなアザミの蕾、これがすてきでした。

茶器が室町時代の根来西大寺型、室町のものとしては保存状態がとても良好で、蓋裏の漆がなめらかで透けてきているのもなんともうっとりです。


今回学習したのは直斉好みの香合「名取川」
なんと香合番付では行司の位です。仙台伊達家から宮中に献上された埋もれ木を、官休庵7代直斉が九条家を通じ拝領、それで5つ半(一つは蓋のみ埋もれ木)つくった香合のまさしくその一つ。本物を拝見するのははじめて。表面は埋もれ木の木地を生かした拭き漆みたいな感じで、蓋をあけると細かい線描の蒔絵で川波文が!これはしっかと目に焼き付けておかねば。





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(干菓子は東京・みのわの青梅と観世水)



最後に今回の茶碗としては私的に最高だった雨漏堅手
名古屋糟谷家伝来の茶碗で、堅手というよりむしろ粉引に近く、貫入がおびただしく入り色はブルーからグレーのちょっと珍しい色
益田鈍翁が糟谷へ送った添え状付きで「この茶碗を使って茶事をしてくれてありがとう、、、」みたいな事が書いてあるらしいです。(読めない、、、)目利きの鈍翁がそう褒め称えるくらい、ええ茶碗でした。ほんま。





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最後に京都吉兆さんの点心をいただいて、東京のお茶の先生とのご縁もいただいて今年もお開きです。




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ああ、楽しかった。
ワクワク感は裏切られず想像以上でした。懐紙帛紗扇子忘れてもしょうがないよね(^_^;




喜左右衛門井戸を至近距離で拝見す〜松江月照寺・不昧公記念茶会 - 2018.05.30 Wed

3歳児のころ来て以来、くることもなかった松江の地を久々に踏んだのは3月の枕流会茶会であったが、今年2回も行くことになろうとは、想像もしなかった。




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前泊して眺める宍道湖サンセット




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島根県立美術館から眺める朝の宍道湖


今回は、孤篷庵とご縁の深い遠州流のH先生と、孤篷庵の和尚様主催の松平不昧公没後200年記念茶会に出席するためである。




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場所は雲州松平家菩提寺である月照寺、当然不昧公もここに眠っておられれ、ゆかりの茶会にふさわしい。




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ご存じのように不昧公は小堀遠州を尊敬しており、遠州が建立した孤篷庵(大徳寺)が焼失したとき、それを再建された方、孤篷庵との関わりは深いのである。

しかも、かの国宝・喜左右衛門井戸茶碗は不昧公が所持し、その死後、孤篷庵に寄進されたという茶碗である。(所持者を次々に不幸に陥れる、という伝説もあったが、今では孤篷庵ですっかりおとなしくしているもよう(^_^;)




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(境内にある、不昧公ご愛用の名水)




今回、孤篷庵の和尚様がこの喜左右衛門井戸を松江までお持ち下さり、茶会参席者に見せてくださるという、なんとなんとありがたい企画。
もちろん、この茶碗はなんども美術館で見ているし、今年にはいっても京都国博の国宝展で拝見したのだが、さてガラスの隔たり無し、至近距離の喜左右衛門はどのように見えるのだろうか。




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(歴代の藩主が眠る広い境内にある不昧公・大圓菴の御墓所)



まずは濃茶席

H先生のお点前、和尚様の半東で、本席の軸がなんと不昧公16〜17歳のときの一行「江聲夜聴潮」。高校生くらいの歳でこんなん書けるのか〜、、、
花入が朝鮮古銅、中国の端整な古銅にくらべゆるくて、ちょっとひょうげたモダンなもの、生けられた花が牡丹、松江の牡丹の名所大根島から。この日に合わせるのに咲き具合にとても苦労されたよし。ほんのり先端がピンクにそまった蕾がみずみずしかった。

茶入がまた強い印象をのこす「転合庵手」、全体も、ついている耳もごつくて一度見たら忘れない。
転合庵は現在東京国博の庭園に移築されているが,遠州が桂宮智仁親王から拝領の茶入「於大名(おだいみょう)」を披露するために作った茶室、そのときの茶入を転合庵手という。もちろん不昧公の箱で銘を「万石」。




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(月照寺書院庭園)



主茶碗の堅手がすっかり熊川にみえる逸品で不昧公の銘「卯の花」
茶杓が藩祖・松平直政作、不昧の追い筒にして銘を「千と勢」
、、、、と不昧公づくし、さすがゆかりの孤篷庵。
ちなみに藩祖直政は家康の次男・結城秀康のご子息だったのね。




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濃茶が終わると同じ座敷で、いよいよ貴左右衛門様御出座!
今回、茶碗を守る五重の箱(一つは失われ現在は4箱)のうち3箱といっしょにご来雲、箱も拝見する。
「本多能登守忠義後所持 船越伊予(でた!)添状 いとちやわん」
「、、、(中略)中村宗雪求所持、、、(略)塘氏為家蔵、、、、」
最後にふかふかの紫のお布団にくるまれた喜左右衛門井戸が!

さすがに手にとることはできなかったが、和尚様が手の中でくるくると弄されるのを目の前で見ると、なんというか、いままで私が見てきた美術館での喜左右衛門は一体なんだったのだろう、ということ。

座敷の中で、人の手の中でみるとサイズ感が全然違う。色もいわゆる枇杷色と納得していた色なのに、これも脳内イメージとかなり違う。

高台の裏までびっしりと梅花皮があり、なにより内側を深く深く削ったため、高台の中にまで削りこんだ底の薄さがはっきりわかった。底に当てた指を内側からさわれるような感触と和尚様はおっしゃる。この深さが井戸=wellのゆえんといわれて納得できるのだ。

荒々しくて、朝鮮半島では雑器であった、かたぶいた茶碗というイメージはどこから来たのだろう、目の前の喜左右衛門はむしろ優美でなんと品格のある茶碗であろうか。わかったつもりでいた自分を深く恥じる。




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(不昧公の父・宗衍の墓所)



喜左右衛門を拝見した印象があまりに強くて、薄茶席はちょっと記憶がとんでいる(^_^;

花入が不昧公お手作りの竹、釜がこのたび孤篷庵内に復元完成したところの大圓菴什器・手取釜(ちなみに大圓菴は不昧公の戒名 「院」号を用いられなかっためずらしい戒名)
水指がご当地楽山焼、楽山窯5代=不昧公の時代のもの。
香合が荘子香合を塗り物に写したもので、松枝不入(不昧公と知己を得ながら松江には一度もこなかったので不入の名を拝領したとか)
薄器が時代の紫陽花蒔絵、茶杓が遠州の孫にあたる小堀政恒、歌銘付き。

主茶碗が、小ぶりなちょっと粉引っぽい三島、そう、二徳三島によく似た感じで、あれよかったな〜。不昧の箱で「芦垣」
いまひとつが斗々屋、ねっとりした土の具合が特徴なんだろうけれど、私はいまだに蕎麦と斗々屋の区別があまりつかない。伊羅保もまじろうものならお手上げ〜。




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かくして興奮の不昧公づくし、喜左右衛門にノックアウトの茶会は終了したのである。
そのあとは少し気が緩んで楽しく点心をいただく。京都から日帰りでおつきあいしてくれたMKちゃんともおしゃべりがはずむ。




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煮物椀の、このぷちぷちっとしたもの、これが宍道湖七珍味のひとつ、海藤花(かいとうげ)。マダコの卵で確かに藤の花房に似ているわな。松江らしい珍しい物をいただいた。




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月照寺はほとんど山一つが境内である。歴代雲州公が眠る中、不昧公のたっての希望であったかどうか、その墓所からは松江城がよく見える。そして松江市も,墓所と城の間に高い建物をたてないことにしているという。茶人としてだけでなく、藩の財政改革に辣腕をふるった不昧公は、今も松江の人々に愛されているお殿様なのだなあ。



<余談>
ちょっと面白い不昧公紹介動画貼ってみる(^_^;









南禅寺界隈別荘群・對龍山荘にて茶会 - 2018.05.25 Fri

東山南禅寺界隈別荘群は京都最後の秘境といわれている。東山、比叡山までも借景に取り入れ、豊富な琵琶湖疏水の水をひいた池泉回遊式庭園(多くが七代植治作庭)、野村碧雲荘しかり、外国人のものになった何有荘しかり、無隣庵しかり、清流亭しかり。




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普段は非公開の對龍山荘もそのひとつである。今回こちらで淡○交社主催の茶会、ここで茶会をするのは初めてのことだという。





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對龍山荘は南禅寺の山号である瑞龍山にちなむ。薩摩藩出身の実業家・伊集院兼常が別荘として建てた物。彼は無隣庵をたてた山県有朋とも親しく、また玄々斎とも親交があり,裏千家の老分もつとめる数寄者でもあったらしい。




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借景庭園面目躍如の広間・對龍台からの眺め!
この日は天気もよく最高に気持ちの良い眺めであった。ここには東山、比叡山の他に実はお隣の金地院の樹木も写っている。

さて、これを見て、どこかで見たことあるような、、、と思った方もおられるかも。




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これですよ〜。
NHKのブラタモリ・京都東山編!




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ここにも写っている館長の小川さん、ここの植栽の管理をしている加藤造園・植弥さんの方に、この日も案内してもらった。




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(二階の座敷の円窓からの眺め)



この別邸はその後次々と所有者を替え、現在の所有者ニトリが10年前に入手したときには庭も建物も荒れ放題だったという。所有するだけ所有してあまり使いもしなければ管理もしない、、というのはありがちなパターンだが、そこを10年かけて建物の修復、庭園の手入れを続けてきて、なかでも庭園は現在がいままででベストの状態だという。




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(同じく)


冒頭にあげた南禅寺界隈別荘群のいくつかは、けっこう無残なことになっている(使用目的や状態において)ところもある。




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(ゆたかなしたたる緑 二階円窓の反対側)



財力があれば手にははいるだろうが、それを良い状態で維持して行くにはそれだけではだめなんだ。文化に対する見識も、高い志も必要だ。次の世代にも残していけるように、と、その意味ではニトリさんがここを手に入れてくれてほんとうによかったと思う。




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(遠景として黒谷さんの三重塔が見えるがおわかりだろうか?)




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(ほぼ毎日、どこかを手入れしている植弥の庭師さん 女性もいます)



原則非公開ながら、見学も積極的にうけいれておられるようだし、社員の二等親まではお泊まりもできるんだそうですよ。うらやまし〜!茶会にもどんどん使ってほしいといううれしいご意向もあると館長の小川さん。




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(琵琶湖疏水から引いた小川の両脇に躑躅)



会長はご自分で蒐集した美術品のコレクションを、ふたつある蔵に「ニトリ美術館」として公開もされている。けっこうビッグネームの物が若干脈絡なく(^_^;ならべられていた。(何でも鑑定団に出品された壺もあった!)




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對龍台の裏にあたる聚遠亭の前の池 ここにはまだ小さめで鳥に狙われやすい鯉を養生している。
もっと小さい稚魚は隔離しているのだそう。実際われわれが見ている前で大きなアオサギがとんで来ていたから、ほっておけばやばいことになるしね。





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これが感激した蛇籠。
花入れの意匠としてあるが、本物が本来の場所で使われているのをみるのははじめて。




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(園遊会用の芝生広場の四阿 ここでもお茶をたてたらしい)



さて、茶会の方は、日替わりで席主がかわるのである。この日は何回か茶会にお邪魔したことのあるK先生。いつもすごい道具をさわらせてくださるのでうれしい。




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濃茶は小間で。
これがまたかわった小間で三畳+道安囲いのまるまる一畳に向板がつく。今は風炉の季節だが、炉はいずこに??聞くと向切だそうだ。



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對龍台でも聞こえていたが、濃茶が練られている間、ずっと滝の音が茶室にひびき、清々しかった。でも目に見える滝は池のずっと向こうにあり、そんなに音が聞こえるはずもなく、、、その種明かしは,実はブラタモリでもでていたのだが、對龍台のすぐ下の隠し小滝なのだ。(上の写真)




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(カモ、鷺、などの野鳥やってくる)



床は足利13代将軍の歌、花入が小堀遠州(大山蓮華)、釜が古芦屋、とすごいが、なかでも天下一釜師(秀吉時代)五三郎の紹鷗好眉土風炉!土風炉だよ!400年も前のものがまだこんなにつやつやと美しく実用に耐えるなんて!




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古伊賀の水指は破れ袋にちょっと似て、茶入は織部所持の古瀬戸。同じく織部の茶入「餓鬼腹」から耳をとったようなあの形、そしてそして!長次郎の黒楽を手にとらせてもらった〜!!銘を「閑坐」
かせて、てどりは軽い。美術館のガラスごしや照明でない、茶室のほの暗い自然光の中で拝見できる機会はそうないからね。これはうれしかった。





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(小間の躙り口 席名はないそうだ)



茶杓がまた変わっていて、二節、かつ、くにゃっと曲がっている。よくこんな竹が手に入ったものだ。紹鷗の長男、武野宗瓦作だそうだ。

ほんま美術館席みたいだった。しかも一応中寄せの茶会にもかかわらず、われわれの席は客が3人で茶事みたいな感覚で楽しめたのも日ごろのおこないのよさ、、いや、ありがたい(^_^;





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(水流の中に涼しげにおかれた流れ蹲居 これは野村碧雲荘にもあったな)



続いて薄茶席は四畳半。錆の出た土壁が侘びた雰囲気だが貴人口障子なので明るい。
仙叟好みの唐犬風炉釜は古淨味、水指が柳の金銀蒔絵の施された手桶。漆が経年変化で呂色になっているのもさることながら、井伊家伝来、かの井伊宗鑑(直弼)も使ったに違いないとおもうとなんかじ〜んとくるなあ。(大河ドラマでは今おもいっきり悪人ヅラだけど)




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茶碗は左入の赤楽「花菖蒲」と替えが仁清のシブ系天目、菓子器の堆黒唐物盆がまたすごかった。




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(何条の橋かは不明ながら鴨川に架かっていた橋脚を高い立ち蹲居にしたもの)



主菓子は哲学の道沿い、ここからも近い緑庵さんのきんとん「相生」
干菓子は亀屋伊織の時鳥煎餅(例のちょっと塩からめの味噌餡)と生砂糖の水




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茶会を十分堪能したあとはこれも日替わりの料亭がはいる点心席。
居間亭にて。ここの天井はこんな自然木と網代で凝っている。




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この日の担当はたん熊北店さん。
5月らしく、大徳寺縁高の上に蓬と菖蒲(端午の節句にはこれを屋根の上に葺く習慣があった)




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いずれも美味しかったが、白ダツという和食の世界では珍重される白ずいきが珍しく、テクスチュアが独特で美味しゅうございました〜♪




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このあとブラタモリにも出ていらした庭師さんが庭園内や植栽を説明してくれて、これも勉強になった。この銅を好む、というか銅にも負けないらしい「ホンモンジ苔」、銅の雨樋などの周辺でよくみられるものらしいが、これははじめて知った。


この對龍山荘茶会、秋の紅葉がきっと美しいに違いない季節にもまた何日か開催されるようなので、これは秋もいこうかな〜と実は思っている。




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