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2019-06

桐蔭席〜2019・6月 - 2019.06.10 Mon

東山の裾野に立つ桐蔭席


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だんだん翠が濃くなってきました。
曜日があわず参席できないことも多いけれど、本日も流儀のお勉強に。(なにしろ流儀のいい道具がたくさんでるのと、あまりに自分の流儀をしらないことに愕然として)

待合掛けがうれしいことに川喜多半泥子のユーモラスな蟇蛙の画に、
「まかりいでたる千歳山の蟇蛙」の画賛、これ、すごくよかった。
千歳山は半泥子の屋敷があったところだから、この蟇蛙は半泥子自身なんだろうな。

本席の軸は常叟消息。
いまだに自分の流儀の家元の名前を全部いえないので、あわてて調べる。
裏千家五代、先代の仙叟が金沢前田家に仕えたので、金沢で生まれたが、後に松山藩久松家に仕えた方。(前田家とも縁は切れていない)32才の若さで夭折されたので、残された消息は貴重と思われる。

うちでは葉っぱばかりでなかなか咲かない山芍薬のつぼみを入れた花入れの下の敷板が、品川東海寺(澤庵さんゆかりのお寺だね)の古材で、本日の席主さんがかつて東京でお住まいされた頃のご縁らしい。

末富さんのでっかい葛焼「岩漏る水」をいただいたあと、主茶碗はのんこうの赤楽、銘を「鳳翔」。
大宗匠がお好きな鳳凰だね。替え茶碗が均整のとれた白っぽい半使、三日月型の釉薬かけ残しがあって、銘を「白硅(尚磨くべし)」、私は祥瑞の御茶碗でいただいた。

棗が五代宗哲利休型中棗、蓋裏に認得斎の花押、今回この認得斎の花押を勉強しました。
宝珠型なのね。六閑斎のまるっとしているのもいっしょに覚えました。認得斎は10代、柏叟ともいうことも覚えよう。(すぐ忘れるような気もするが、、)

茶杓も認得斎で銘を「百木」、これは柏叟の柏をばらした銘だろうかと思う。(柏は栢とも書く)



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お席のあとは、席を変えて点心、これにお蕎麦がつきます。
このくらいの分量がよいですね。



光琳乾山忌茶会2019 - 2019.06.07 Fri

今年もMOA主催・奥嵯峨平安郷にて光琳乾山忌茶会



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しかし!
今年はどうしてこんなに待ち時間が長いのだ!?
、、、なぜならメインとなる濃茶席の席主が、まさに現代の「近代数寄者」ともいうべき潮田東洋庵(LIXIL会長)さんだからだ。例年の倍のお客さんが殺到したという。おそるべし!



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若干遅く到着したのもあるのだが、第一待合で1時間以上待たされたうえ、第二待合、第三待合、、終わるまでに都合3時間もかかった。



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(第一待合)


参席された方の中には各流派の家元も何人かいらして、いつもと雰囲気が違う。みんな気合い入ってる感じ。


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第二待合に通されるもここでも待つことしばし。



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毎年のことだが、ここは広沢池に面した待合なので、景色がよいので苦にならず。



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やっとたどりついた中の茶屋 濃茶席 潮田東洋庵

寄付には伝・夏珪(馬遠と同時代の南宋の画家)の団扇山水画、芸州浅野家その他伝来
主菓子をいただく中待合には抱一の蓮の画がかかり、またきらびやかな伝来を持つ炭道具が飾られる。藤組の釜敷きですら平瀬家伝来、木津宗詮箱(いずれも武者小路千家を支えた家)
青貝の香合の蟹がかわいかった。

御菓子は名古屋の半田松華堂の錦玉「若葉風」



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(第二待合から見る広沢池)


四畳半台目の小間、これが今回のメインやな。
まあ、博物館級の物がでるわでるわ。しかも!御茶碗席中の全員に触らせてくれるという太っ腹。名物を実際使った茶会をたびたびされているというお噂はかねがね。
潮田御大ご自身がでてこられて、お道具の説明を。



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(中の茶屋 濃茶席)


床に一山一寧墨蹟、白楽天新楽府(しんがふ) 

一山一寧は元からの渡来僧で、名前はしばしば聞くものの、どういう人かはっきりと知らなかった。渡来時、元のスパイと疑われ鎌倉幕府に監禁されたりいろ苦労した末、日本の臨済宗の興隆に一役かい、南禅寺で没した。

新楽府は、白楽天の50編など、楽府(歌謡)の形式を取る当時の政治社会を風諭した詩だそうだ。
墨蹟の内容は唐太宗(李世民)遺訓だそうだが、お客さんの中に席主以上にようしゃべる方がいらして、気がそれてしまってききそびれた。
しかし、白楽天と言えば長恨歌、長恨歌と言えば楊貴妃だから、蓮の花の茶を飲んでいた、、ということで抱一の蓮の花を待合にかけられたとか。深いわ〜。



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花入は鯱耳の砧青磁、花は大山蓮華であった。
雲龍釜は与次郎、鐶付きが耳兎、これかわいかった。

茶碗が若州酒井家伝来の瀬戸黒「小原女」
くっきりと底から立ち上がった側面、思ったより軽く、つやっつやの黒、手触り、口造りはゆるやかなカーブ。茶室に入った全員に、これを手に取らせてくださったのには感激である。
瀬戸黒は製法としては黒楽と同じだが、造型がかなり違う。同じ瀬戸黒に「小原木」という表千家所蔵のがあるが、これはよく似ているがもっと男性的、たしかに小原女の方が名前の通り女性的。

小原女を調べてみたら三井記念美術館所蔵となっているのを見つけた。これを個人蔵として手に入れはったんや。すごいの一言。



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茶杓が僖首座(きしゅそ)
宗旦の門人で茶杓の制作で知られる人らしい。利休の下削りの慶首座は有名だが、この人ははじめて知った。なかなか渋いところまでコレクションしてはる。

茶入が遠州所持、中興名物・浦井新兵衛(京都の唐物屋、「へうげもの」にも登場してたよ)作の「山雀(やまがら)」
瓢箪型、三日月型の黄色い筋が山雀の羽根みたいで可愛かった。
小堀十左衛門(遠州の四男)の挽家、箱(歌あり)



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もっとゆっくり潮田さんのお話を聞きたかったが、この大人数ではそれもかなうまい。
ほてった頭をクールダウンしに、点心席へ。
今年も点心は嵐山吉兆、せいろのご飯が美味しい。



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もう終わりかけだったので、上の茶屋のMOA席へ行く人が少なかったので、マイクロバス移動ではなく、はじめてこのカートにのせてもらったよ♪



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景色もよく見えるし最高に気持ちよい乗り心地。



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春の一般公開のときに美しい姿をみせてくれる枝垂れ桜も今は青々青。



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上の茶屋 MOA薄茶席

床に元暦校本万葉集断簡、やはり今年はやっぱり万葉集が大流行。
中回の上下に鳥の刺繍で、小袖の一部かと思われる感じですてき。





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一見古染付け?と思ったが、内側の模様がなんか変で、阿蘭陀ときいて納得、中国の青花をまねようとしつつもよく分からないため、変な絵になった、という感じの水指、水がたっぷり張られると涼しげでいい。



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茶碗が赤楽とは到底思えないくらい渋いグレーの左入、盥型。
面白かったのが、ゴブレット型で外側にはスカラップ模様、内側に同心円のぐるぐる、、、これは一体??と思ったら織部だった。へうげた織部だが、なかでもへうげ方がダントツ。
粟田焼の近江八景は、琵琶湖の波が美しく細かく描かれていた。



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御菓子は赤坂塩野の葛焼。これもでかい。



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毎年同じような写真になってしまうが、上の茶屋の前の広沢池の景色はやはり一番フォトジェニックなのだ。



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最後に時間切れかな、と思いつつあきらめかけた下の茶屋、名古屋美術青年会席、なんとか滑り込み。

次の間の寄付にある鈍翁の籤色紙、鈍翁が茶目っ気をだして、茶会の正客がいつもきまらないからくじ引きするための籤を作っておいた、というような内容。そうだ、大寄せもくじ引きにすれば正客バトルがなくなるのに。

本席の和漢四句が寛政の文化人のそろい踏み、松花堂、澤庵、江月、遠州、、となんてきらきらしい。この四人がいっしょに集って句会をしているところなんて、想像しただけでも豪華過ぎて。寛永サロンってほんま、いいなあ。

面白かったのが、光悦の消息の反古紙を貼り付けた金輪寺茶器。これはほしいと思うくらいよかった。

田中訥言(江戸後期の絵師)の茶杓は銘を「郭公」というが、銘を字で書かず、郭公の絵を共筒に描いているのも面白かった。

数茶碗がこの茶会のために誂えたという、瀬戸で活躍する陶芸家・深見文紀さんの「漫画織部」。
一見鳴海織部なんだが、紋様が漫画、茶碗の底ににっこり微笑むバニーガール、、、ってそんな感じ(^_^;

最後は駆け足になってしまったが、平安郷の景色とともにたくさんの名品、美術品を見させてもらってほんとうにうれしい楽しい一日であった。来年もまた行かなくちゃ。









野村美術館講座〜「黒田家のお仕事」 - 2019.05.28 Tue

琵琶湖疏水分線の散歩道、左手は野村碧雲荘。



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さて、今回の野村美術館講座の講師は、2014年に14代を襲名しはった黒田正玄さん。
千家十職の竹細工・柄杓師で先代の長女さんである。このところ千家十職も半分くらいが女性が嗣いでいるのではないかな。(なんでやろ?息子は嗣ぎたくない人が多いのかな)
12年前、やはりここの野村の講座で先代のお父上が講演されたそうで、私はその時は存じ上げないが、一回りしてお嬢さんがまたここで講義なさるというのも感慨深いのでは。


前半は一昨年亡くなられた隠居された先代が1年かけて作った「竹細工の材料ができるまで」のDVDを拝見。秋に竹林の下見にいって大小3000本の竹にあたりをつけ、11月に切りだし、傷つけないように竹の節に藁をまいて養生しながら運ぶ。この時期一番竹の水分が少ないのだそうだ。

黒田家にはこばれた竹はさらに水分を抜くために根を上にしてしばらく保管される。
年が明けた正月に、作品の大きさに合わせてすべての竹を切る、この作業にほぼ1ヶ月かかるのだそうだ。そののち、竹の油抜きの作業。炭を熾し、灰をかけてその上に竹をならべ、油抜き、竹は緑から鶯色にかわる。どこでやめるかは経験がものをいうそうだ。竹の油抜きは私もトライしたことがあるが、根気の要る仕事で途中でなげだしてしまった。

油抜きの終わった竹は2ヶ月間天日干し、屋外にずらっと竹がならんだ姿は壮観。
この半年のあいだに半分くらいは、ひびがいったり虫が食ったりで細工に使えなくなるのだそうだ。
こうしてできあがりかと思えば、まだまだ!5〜10年ねかせて、狂いのないものが初めて材料の竹となる。なんとも!気の長い話だ。

思えば茶碗の楽家の土も先代先々代、あるいはそれ以上の祖先が寝かせた土が材料となると聞いた。指物師の扱う木材も然り。千家十職のような世襲制のシステムが必要なのは、そういう材料を継代的に守っていかねばならないわけで、妙に納得した。

次に代々の黒田正玄についてのお話し。
初代は越前の丹羽家に仕えていたが、関ヶ原の敗戦にともない剃髪して大津へ移住、竹細工を作り始める。かつては刺し通しばかりであった柄杓(台子につかうやつ)を今われわれがよく使う月形の差し込みに買えたのが初代だったという。伏見奉行であった小堀遠州の目にとまり、注文をうけるにあたってその評判が茶の湯界にひろまっていったそうだ。
晩年は京都の瓜生山(造形大のあるとこね)あたりに住まいし、詩仙堂の石川丈山と親交をもったという。だから黒田家の暖簾は「大津(かつての住まいの名残)茶ひしゃく師 正玄」、丈山の筆になる。
初代の作った竹の一重切り花入「帰雁」は黒田家の精神的なご本尊なんやろうね。

三代から表千家に出仕するようになり、五代で御所西に移転し裏千家にも出仕、幕末の八代は、100年〜120年に一度の竹の自然枯(じねんこ・一斉に枯れる)にあたり、材料の調達が出来ず、「材料不足にて作品を納めるのをしばし待って欲しい」という書状をだしたとか。
(ちなみに洛西ニュータウンは、もともと竹林の名所であったが、この自然枯にあって一斉に枯れたため、一気に宅地開発が進んでできた町なんだそうだ。面白い!)

明治維新以降は茶の湯界の不振もあって、他家同様ずいぶん苦労されたそうだ。茶道具だけでなく生活用品も作っていたとか。また十二代は女性であったそうだが、襲名はしたが表千家に出仕していないため、一応女性初の黒田正玄はご当代ということになるらしい。

この出仕というシステムははじめてお聞きした。襲名する前に嗣ぐことが決まった段階で表千家に出仕、毎月1日に千家十職全員が家元と会合(?)、お茶をのんだり、いろんな話をしたり、、そこで連帯感を強めるのだろう。席順は出仕した順番でつい最近までご当代が末席だったそうだが、来年楽吉右衛門を嗣ぐ篤人さんが新しく入って、順番がひとつ上がったのですって。現在この出仕者の長老が永楽さんで、先代の正玄さんが亡くなった時も、親戚よりさきに永楽さんに連絡をいれ、そこから家元へ知らせが行く、という世間一般とはちょっとちがう独特の世界だ。

最後に竹の話。
日本には約60種類の竹があるそうで、小さい物から茶杓、柄杓、茶器、水指、、と用途に応じて使い分けがされている。
かつては竹林は日本のどこにでもあったし、油抜きの炭も簡単に手にはいったのだが、昨今の炭不足と高騰は身をもって知っているし、竹林も管理に手がかかるため、個人所有の物は次々となくなっていって、だんだん材料不足の危機感があるそうだ。自然枯の問題もあり、生き物を相手にする仕事はほんとうに大変。竹の植物学的知識も必要であり、たくさん勉強されておられるご様子である。

我々が手にする完成品は美しく、使い勝手がよいけれど、それが出来上がるまでの人の手と自然との闘いと、を考えると徒やおろそかにはできないなと思う。




東大寺華厳茶会2019 - 2019.05.12 Sun

今年もさわやかな好天、東大寺・華厳茶会に参席。毎年故郷の茶友と行くのを楽しみにしている。



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残念なことに鵬雲斎大宗匠は一昨年をもって華厳大茶会を引かれ、昨年から御献茶は当代お家元に。



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長年拝見してきたが、周りがやめるように言ってもおやめにならなかった大仏様の前の階段を、天目台をもってのぼられる姿はもう拝見できない。



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というわけではないが、今年は献茶式はスルーして、、、



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久しぶりに大和茶の茶壺行列を見てみよう。
東大寺のお坊さん方に先導されて、、



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大和茶の茶壺行列。
お茶と言えば宇治に名声を奪われているが、宇治と奈良の茶葉は、ほとんど土地柄のちがわない場所で栽培されているのだ。



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お、来た来た。
大和茶の茶壺。この茶壺の茶葉を臼で挽いて大仏様への献茶のお茶とするのだ。
後に茶葉を持った大和茶業界の方も見える。



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茶壺が大仏殿におさまるといよいよ法要と献茶がおこなわれる。
大和茶がさらに世に周知され名前を上げますように。



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例年の如く、まずは大仏殿裏の副席へ。
今年はいつも奈良の茶会でお見かけする奈良の裏千家の重鎮の先生の席、お点前もお運びもすべて男性、十徳をお召しの方も多い。

本席のお軸が圓能斎の型破りな円相、円の中に圓能(心?)とあり、畳の目が墨にうつっているのが面白い。花入が備前藩家老であった伊木三猿斎の備前耳付き、私も友も岡山出身なので、これはうれしい。お花は雪持草、まだ咲いているんだ

たくさんのお道具を楽しんだが、よかったのはご当地、奥田木白の菖蒲絵の茶碗。灰色の釉薬に青一色の菖蒲、しぶい。
かの藤重の、常叟在判真中次はもっと拝見したかったがタイムアウト。




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次に東大寺本坊の今日庵席(濃茶)、全体に新しい御代を寿ぐような道具組。



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春慶大瀬戸茶入はでかかった。四耳がついていて、茶入と言うより、四耳壺のミニチュアみたい。

茶杓が圓能斎、大正天皇御大典記念に削った「束帯」、御大典の天皇のお衣装は衣冠束帯だしね。

赤楽茶碗が後水尾天皇手づくねという私にとってはめずらしいもの、しかも香淳皇后(良子皇后時代)のお歌つき。夕早苗という、陽が山に沈んでも早苗植える乙女らを歌った歌。これも皇室関連。

黒楽茶碗が(早世したので作品の少ない)得入、銘を「さざれ石」、ああ、「君が代」ね。

淡々斎在判橘香合は、内裏の右近の橘か。




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お菓子は躑躅きんとん。例年唐衣が多いのだが、今年はこれできたか。美味しかった。



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若草山を借景とする本坊の庭園には藤も咲いていた。



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それから毎年楽しみな花菖蒲も。



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同じく本坊にて辻留さんの点心。
今年の豆ご飯は御豆さんが特にいっぱい入っていてうれしい♪



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毎年最後の席になる東大寺席、勧学院にて。
ここは空海が東大寺別当に任じられたときに創建したという真言院の建物も境内にある。だからご本尊が密教の大日如来なのね。
東大寺学園の秀才たちのお母様方が、上野道善師の指導の下ひらかれる茶席で、今年もお元気そうな道善師におめにかかれてよかった。



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修二会の時に別火坊(修二会に入る前に潔斎をする場所、戒壇院)で茶を点てるのにつかわれる別火坊台子(柱に、蝋燭立てが左右についている)、その上にのっているのが修二会の須弥壇を飾った糊こぼしの造花よね♡

軸が道善師が東大寺別当に就任されたときに、同時に金剛峯寺の座主に就任した松長有慶師との合筆、「無碍(松長座主)」と「楽寿(上野別当)」。
これぞ華厳経と真言宗の勧学院にふさわしい軸で感動した。



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東大寺古材の枡に入れた花菖蒲の入れ方が美しくて、いつか真似してみたいなあ。
香合が大正天皇の高御座の余材というのも、御代代わりにふさわしい。
それからいつも正客にだされる菓子器、朱塗りの盥みたいなのだが、あれを布薩盥ということを今年はじめて知った。(修二会の時、練行衆が手をあらう水をうける盥)

今年も晴天で、各席とも見応えあり、久々に会った故郷の茶友と語らい、楽しい1日であった。


<おまけ>
帰りに今季二回目のことのまあかりの削氷


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上:「いちびこ」 苺の古名 苺のコンフィチュール
下:「大海人」 きな粉、黒蜜、葛餅(大海人皇子は吉野=葛の産地に一時隠棲してたからねえ)



唐津やきもん祭茶会2019〜民藝から茶の湯へ〜 - 2019.05.05 Sun

さて、いよいよ唐津やきもん祭茶会の当日、あいにくの雨模様であったが、会場・旧大島邸の庭園はかえって新緑が美しいのであった。



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旧大島邸(現・唐津市所有)
かの建築士辰野金吾と机を並べ、高橋是清に師事し、のちに唐津銀行をおこした大島小太郎の旧宅、明治中期の建築。



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建物もみどころ満載なのだが、それは昨年の記事にまかせて、お茶会へ。

今年はこの茶会に先立ち、お手伝いの方々その他、博多で出張たこ焼き茶事をされてチームワークをばっちり固めてこられたご様子である。



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風雨がややつよいので、四阿の李朝席はどうなるのだろうと心配していたが、ちゃんと手当てしてあって、さすが。なにがあってもこの四阿を李朝席に、というM和尚様の熱意を感じる。確かに二畳で二方向開け放し、もう一方向も大きな障子窓という開放感は、李朝の雰囲気に合う気がする。



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客は縁側の外に腰掛け、朝鮮人参の砂糖漬(韓国のお菓子)と棗茶をいただく。茶入は唐津の若い作家さんの物、かかれている文字はそれぞれだが、M和尚様とタライ・ラマ師の手によるとか。私のは「己亥(つちのとい)卯月」。年号が変わる最後の月。

床には「サバクヤ心 袱紗サバキツ」、、、おお、柳宗悦だ!
この茶会のテーマは「民藝から茶の湯」だったな。
柳の心偈(こころうた)の中の茶偈の一つ。(他にも「茶ノミ 茶カハ」、「茶ニテアレ 茶ニテナカレ」、「一服イカガ 茶モ忘レテ」、など)



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八角小盤の上には三島の扁壺に白蝋梅とおっしゃったか?
昨年拝見して、これはどうしても同じ物を手に入れたいと思いつつ、いまだ入手できずにいる李朝の鉄製火鉢を風炉にみたてたものに、今年もまた出会えた。そして2日前、お茶を飲むことが出来たあの垂涎の粉引にも再会。

「李朝が好きだが、唐津をみた時に李朝の匂いを感じた。」

素朴でどこか不完全な李朝の器、文禄慶長の役でつれてこられた朝鮮の陶工たちがその技法を伝え日用雑器として生まれ、後にこれこそ民藝と柳にとりあげられた唐津焼。そんな歴史に思いを馳せつつお話しを聞いて、つぎつぎくりだされる李朝の器や民具に和尚様の熱い思いを感じるのであった。

同じ李朝好きといってもレベルが違うのでちょっとへこたれるが、こんな先達(私よりお若いけど)がおられるのはなによりの励みになる。



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おや、これは!
2日前お酒をいれていた鉄釉だけの鶏龍山片口。のちに和尚様がこれに花を入れ替えたら、また不思議にぴったり合うのだ。懐の深い器。

お話しは、柳を朝鮮古陶磁に導いた浅川伯教や、窯にくべるための松の樹を伐採しすぎてはげ山になった朝鮮の山に松を植樹しようと、その発芽法を発見した弟の浅川巧にまで及んで、うれしい限りであった。



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この緑したたる庭園のなかの四阿に別れをつげて次は懐石席へ。



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今年も担当は京都の美山荘で修行されたというひら田さん。


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器はこの会のために改めて作ってもらったという唐津の現代作家さんのものばかり。これだけの協力を得られるとは、いままで培ってきたものの重みを感じる。

今年は本懐石に近い献立で、唐津の食と器を堪能した。



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かわいい八寸、お名前は覚えきれなかったが若い作家さんのものだと聞く。酒器も唐津で、お隣の方とさしつさされつでかなりいけてしまった(^_^; 
古唐津研究会で編集者の方とか、博多の有名和菓子屋の親子さんとか(博多たこ焼き茶事でお菓子を作らはった)、京都の李朝古美術店の主とか、唐津の作家さんのお母上とか、かなり濃いメンバーだったこの席、入れて光栄であるとともに今更ながらタライ・ラマ師のご人徳ご人脈おそるべし!




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タライ・ラマ師の本席に向かう途中、、、あ!やっぱりタライが!
(降らずとも笠の用意、降ったらタライの用意)
雨模様だったので、わざわざこちらで調達されたとか、どちらにいらしてもタライ・ラマの二つ名はついてまわる(^_^;



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本席の床には妙心寺管長もつとめられた山田無文師の「不二」
唯一不二というより無文さんなら不二の妙道、自他不二か。自己と他人は別人でありながら二つに分けられない、主観と客観も分けられない。
李朝の香りを残す唐津は民藝=庶民の器でありながら、茶の湯の道具にとけこんでいる。ラマ師曰わく、「和漢の境をまぎらかす」〜「民藝と茶の湯の境をまぎらかす」、自他不二、、、なのね。




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花はある陶工さんが数日前から手配してくれていたという大山蓮華。ナイスタイミングの蕾具合。

お点前は宗偏流(唐津は宗偏流が盛ん)の達人でもある陶芸家・藤ノ木土平さんがされた。端整なお点前であった。後見のラマ師のお話し上手、笑いの絶えない良い席になった。さらにお客様一人一人についてあらかじめもてなしの用意をされているところが心憎いのである。

先だってたこ焼き茶会の折に拝見した丹波の水指が鎮座していて、蓋の載る面と胴体をつなぐのに(ラマ師曰わく)餃子の皮を閉じるときのように、指で押してつないであるのだそうだ。これも「境をまぎらかす」の一つ。
茶杓が藪内比老斎、先代の有名な竹心作ゆきをまねて作った物で、歌銘が、鶯と思ったらホトトギス(托卵)云々と掛けている。これも「境をまぎらかす」かな。



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薄茶は、唐津の鶴丸商店さんが中里太郎右衛門さん監修の元で作ったおなじみ陶片煎餅(これ、爆買いして帰った(^_^;)お客にそれぞれ好きなのを選ばせて、それの元となった古唐津の茶碗でお茶をたてるというなんともうれしく楽しい御趣向。ということは、これも鶴丸さんに茶碗をみせて作らせた特注品なのね!
私が選んだのは沢瀉、はい、これもお馴染みの好きな茶碗になった、濡れると沢瀉が浮き上がる古唐津で。(乾いていくと沢瀉の模様は消えていくの)



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驚いたのは、石ハゼで穴が開いた青唐津(珍しい)の穴まで煎餅が再現していること。いい仕事だなあ〜、鶴丸さんもラマ師も。

かくして笑い声につつまれて和やかに今年のやきもん祭茶会はお開きとなった。スタッフのみなさま、ありがとうございました。
私は、楽しすぎて、明日から普通の生活に戻れるか不安なくらいだ。





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