光琳乾山忌茶会2023〜平安郷 - 2023.06.07 Wed

嵯峨の平安郷、3万坪という広大な敷地に点在する茶室で毎年乾山、光琳兄弟の忌日(同じ日!)6月2日前後に茶会がおこなわれている。昨年はコロナで休んだあと、3年ぶりに縮小して開催された。今年は3席を2席にして、、、だったが、募集人員は例年通りのようですごくたくさんの方がおみえで、何人ものお茶友さんにであう。(朝一が狙い目!)
マイクロバスで広い庭園内を移動する眺めも楽しみなのだが、ごらんのとおり雨、、、というか線状降水帯〜!までが関西に陣取って、はんぱない雨のため、視界不良。それでも今年もキョウカノコのかわいい花がお出迎え。
中の茶屋席の待合、大沢池畔であるが、この景色もどよ〜んとしている。
これは昨年撮ったほぼ同じ場所からの眺め、本来はこんなに胸のすく景色なのだ。
濃茶席の中の茶屋、今年はなんと楽直入さんが席主である。
もう、ものすごかった。力の入れようがすごかった。
(谷松屋さんの御大もお顔をみせられたとこみると、戸田商店も一枚かんでるかな)
待合の床に直入さんがお好きで、今度コラボ展をするという浦上玉堂の、かわいらしいサイズの水墨画、表具は直入さんの指定で、中回し、上下、ともに白地というのがなんともおしゃれ、おまけに一文字が白地唐草文金更紗という、、、
さりげにおいてあった煙草盆の阿古陀型の火入れが、今回一番のお気に入りかな。常慶(楽二代目、宗慶の息子、長次郎の義理兄)の香炉釉(白)なのだが、どう見ても高麗の匂いがする。粉引か雨漏り手か卵手か、、そんな感じ。ええわ〜。
火箸の「水銀銅」とは?黒っぽい金属だがなんじゃろ??そうかアマルガムか、と思い当たる。
本席の小間、お久しぶりにお姿を拝見した直入さん。我々の年代には吉左衛門といえばこの方なのよね。山にこもって作陶、、とお聞きしたがむしろ若がえらはったみたいでお元気。
楽家は光悦とも光琳乾山の尾形家とも血縁関係でむすばれているのは周知のはなし。待合の床に掛けられた消息が光悦のもので、ちゃわんや吉左宛て、つまりこの時代は若い頃の楽三代目ののんこう(道入)宛て。茶碗四個分の赤土白土をいそぎ(鷹峯の光悦村まで)持ってきてくれという内容。
「まだ若かったのんこうが荷車を引いて土を持っていったんでしょうねえ。」と直入さんはおっしゃる。そののんこうに敬意を表して、本来古銅などを持ってくる花入れを、のんこうの二彩鶴首に。花は大山蓮華。
本席の軸はご自宅の仏間から持ってきた?!という光悦筆「日蓮道歌」。年号は元和5年、鷹峯に光悦村を作って5年目になる。光悦および楽家が日蓮宗徒であるのも有名なはなし。
「終(つい)に小乗を以て、衆生済度せず」
小乗仏教では衆生は救われないという日蓮の言。
続いて万葉仮名で「あしのはのすがたはふねににたれども なにわのひとをえこそわたさね」(違ってたらゴメン)
大乗仏教にて初めて衆生済度はできるのだが、その大乗仏教を初めて伝えたのが達磨大師であったので、香合は堆朱のこの<あしのは>=蘆葉達磨。(蘆葉の話は有名だからもうしないわね)
釜が宗旦所持、覚々斎原叟箱の九兵衞(西村 宗旦の釜師)四方、水指は光悦会定番の南蛮縄簾(南京玉すだれ、、じゃなくて(^_^;)
茶杓が古織、石州筒(佐竹家伝来)茶入は唐物朱塗中次、小堀権十郎箱、、このあたり光悦会レベル。
そして、楽家所有の光悦黒、とくればこれ!「村雲」!
これを間近で拝見できた。三井が持っている「雨雲」(初めてこれを見たときには鳥肌がたった)にはおよばないものの、どうしてどうして、なかなかの迫力。底にある釉薬のひびわれなんかもしかと拝見。
広間では濃茶をちゃんとお点前にていただく。ご子息の当代吉左衛門さん。「私がだれか知らない人も多いと思いますが、、、」と、笑いをとる。襲名まだまもないので、これからお顔を周知されてくださいね。
正客さんがのまれたお茶碗がのんこうの黒「早梅」、私は直入さんの黒(ちょっと青っぽい釉薬が混じってて直入さんらしいテイスト)でいただいた。ありがたい。
興奮冷めやらぬまま、マイクロバスで薄茶席の上の茶屋へ移動。雨の中、なぜか烏がたくさん芝生でぼ〜っとしてた。
こちらはMOA美術館席、もろに光琳、乾山、琳派ぞろい。
乾山の水指がアバンギャルドだったわ。赤と緑の幾何学的文様、このまま現代のアートで通用しそうである。「絵高麗写し」と書いてあったが、そんなおとなしいもんじゃなかったよ(*^_^*)
遠州流3代目の宗実(当代と違うよ)の箱がある銘「玉椿」の玉子手茶碗。実は同じ銘の堅手をもっている。形はほんまにそっくり、ちょっと熊川型。室内の白熱灯の色がうつるのか、卵色かどうかは見極めにくい。茶器の水葵蒔絵棗は銀の象嵌あり、青貝あり、光琳水あり、のさすが光琳!であった。
茶杓は一翁宗守(官休庵初代)、銘も乾山ゆかりの「清滝」であった。
毎年楽しみにしているこの日本画から抜け出たような景色、雨で残念なので、、、
(いや、水墨画的美しさはあるので一概に悪いとはいわないが)
これも昨年のを貼っておく。
吉兆さんの点心いただいて帰宅、さすがに吉兆さんの仲居さんは優秀だなあ、、と思うこと多々。
この茶会の会記が光悦会と同じパターンなのに萌えている。今年も来ることができてよかった。来年も来れますように。
under45に乱入?〜松若会茶会〜大徳寺玉林院 - 2023.05.27 Sat

大徳寺の竹林
本日は塔頭の玉林院(月釜で有名)での茶会へお招き。
松若会という茶の湯グループは、亭主も客もunder45という縛りがあるらしい。45の線引きの根拠はなんだろうなあ、、と考えつつ45をはるかにオーバーしている私がなぜよんでもらえたか?
会のメンバーが日頃お世話になっている方々をそれぞれ最後の特別席にご招待、ということらしく、なぜかまぎれこませてもらえた〜。わ〜い。
メンバーも何人か知っているし。
孫の先生のMさんや、朝日焼さんや、美簾堂さんや、、、
今回は2回目の茶会とかで、毎回亭主はメンバーのなかで交替で選ばれているみたい。3席あって、under45の正規のお客さんは2席+1席見学、らしいが、オーバー45組はそれぞれ招待してくれた亭主の席に。今回若手も若手、ピチピチかつ新婚さんのNちゃんによんでもらった。
Nちゃんの茶席は東檀那席、方丈庭園を開放的にみられる座敷を使って、である。
お菓子は塩芳軒特注、黒いお盆にこの菅笠と茜襷の有平糖が並んでいて、ほんとに茶畑の茶摘みの風景みたいだった。(画像がないのが残念)ちなみに写真は打ち物の菅笠。
庭園を眺めながらの亭主席、これはお点前も楽しそう。
茶箱の卯の花点てにて。茶箱が素敵な誂え品で、花頭窓を模した蓋を開けると、箱の横に見えていた下弦の月が満月になるという趣向、すてきだわ〜。
振り出しは朝日焼の月白釉のユニークなカワイイ形、お茶碗も若い彼女が気に入ってひとつひとつ集めた物。そして茶会デビューまもないご主人が半東さんに♡
軸が二羽の雀が松の枝によりそう絵で、お仲間にご結婚祝に贈られたものとか。彼女のSNSのHNにスズメがはいるので、なんだかとってもほほえましい。
お点前しながらもうお茶が楽しくって楽しくってしょうがないって感じの亭主、こちらまで楽しくなるよ。若いっていいな〜、うらやましいなあ〜。それだけで美しい。
「風姿花伝」の<時分の花>という言葉があるが、若さはそれだけで美しく、人を魅了する。しかしその時に真の花を咲かせるべく精進しなければ、、、云々だが、時分の花は時分の花の時を謳歌すればよい(と、老い木は思うのである)。
とはいえ彼女は茶道界ではサラブレッドと言って良いので基本はしっかりしているし、所作、段取り、気働きはお見事。
それにしても、よいお仲間をつくり、集ってお茶を楽しむ若い茶人達のなんとすばらしいことよ。この若さがこれからさらにどう発展成長していくのか、見られるところまで拝見したいなあ、、と切に願う。
奥嵯峨・不審菴写しの茶室にて茶会 - 2023.05.23 Tue
ここは嵯峨野大覚寺、大沢池の畔、ここで舟遊び茶会をしたのがもう一月も前なのね。そんな奥嵯峨の風情を楽しみつつ約2年ぶり、この近くにお住まいの陶芸作家のNさんの茶会へ。本当は昨年秋の予定が諸事情にて延び延びになって、やっとこの日を。

Nさんの茶室の露地は嵯峨野の竹林が借景になっていて、風が吹くとさやさやと心地よい音を奏でる。(飛んでくる笹の葉っぱの掃除が大変らしいが、、、(^_^;)
ご連客は遠州流の茶道男子Mさんとその師匠で日本人より日本人なイギリス人のS先生、三人でこの風情独占とは贅沢なことである。
主菓子は餡入り蕨餅、ヨーロッパのアンティークのガラス皿にて。
こちらの茶室は以前数寄屋建築のプロとお邪魔したときに表千家の「不審菴」写しと知った。ここでお茶を楽しまれていたご母堂は裏千家だけれど。
(茶道検定テキストより)
ちなみに不審菴は風炉先に茶道口があり、亭主は席入りしてくるりと向きを変えて(あるいはバックして?)点前座にすわるという変わり種(表千家さん、失礼!)。基本炉の時期しか使えないので、風炉の季節は炉の切ってある畳に風炉を据えて、台目畳は放棄する、と聞いたが、さすがにそれは不便と思われたのか、この茶室では普通の位置に茶道口がある。
客座から点前座を見るとほんとに見れば見るほど不審菴そっくり、扁額の位置、壁のサビまでそっくりなのである。
濃茶は一碗ずつ各服で丁寧に練っていただいた。
障子を少しあけた隙間から5月の爽やかな風が吹き込み、点前の間、間断なく聞こえる筧の水の音、竹の葉ずれ、ここは奥嵯峨、う〜ん、別天地だ。
軸は相国寺の大津櫪堂(大象)、有馬頼底師の師匠だった方、偶然にも客のMさんは相国寺の檀家さんで参禅もされている方だった!
茶碗は以前より作陶の見本として所持されていた高麗シリーズを初使いしていただく。大ぶりの井戸は背の高いS先生へ、ぴったり。Mさんへは金海?。私は常々「かりんとう」と言っている黒高麗にて。
いつも茶事でお客様に丸久小山園の<天授>をお出ししているが、なかなか自分では飲めぬモノ、今回たっぷり客としていただき幸せである(*^_^*)
茶入は先々代の朝日焼、遠州七窯のひとつであった朝日焼は本日の遠州流のお客様にふさわしい。
濃茶の後中立をへて薄茶へ。
室礼は灯火を用いまた雰囲気が変わる。この吊り下げ型灯火器は李朝の写しをご自分で作られた物、そこはさすがプロである。ただこの鎖と灯火器をとめている輪っかは現代作家物をご自分でバーナーで炙るなどしてサビをつけたものとか!そんなんできるんや、良いこと聞いた。マネしよう。
松本の銘菓真味糖(命名:淡々斎)
胡桃の入った美味しいお菓子である。
薄茶のお道具はほぼご自分の作品の白いアルバレロシリーズ。
アルバレロはデルフトで盛んに作られた、本来は軟膏入れだったそうだが、日本ではぐい飲みや茶器に見立てられる事が多い。私は碍子に似ていると常々思っている。
Nさんはこれを水指サイズ、茶器サイズ、と色々作って使いこなしておられる。ほんまになんでも自分で作られるってうらやましい。
特記すべきは花入れ
なんと漆器の火薬入れなんだそうだ。江戸時代火縄銃に火薬をこめるのに便利なように口が極細になっているところへ一輪の鉄線、、おしゃれやなあ、、、と一堂感動したのである。
以前のご自宅にあったお屋敷の楓の木でご自分で削り出された茶杓も印象的であった。
茶会のあとは別室にてお茶、焼物談義、気がつけば4時間、濃茶+薄茶なのに茶事なみの時間を楽しんでしまったのだった。
今年も唐津・旧大島邸茶会2023 - 2023.05.04 Thu
今年もやってまいりました!唐津!
残念ながら今年も祭自体はかなり縮小されて、以前はこの通りに所狭しといろんな唐津の窯元が店開きしていたのがなくて、ちょっとさびしい。

唐津にくるたび寄っていたこの文化財のカフェも健在。この建物好きやわ。唐津にはこの手の建築がまだまだ残っていて、町歩きは楽しい。
やきもん祭のポスター。<食と器の縁結び>は毎年同じだが、今年は「作り手八分、使い手二分」がキャッチコピーらしい。
茶会の亭主八分に客二分みたいで、プロデュースする方が何倍も楽しいに決まっている(*^_^*)
こちらもすっかりおなじみになった旧大島邸。こちらにて、タライ・ラマ師と、李朝を語らせたらこの人!の長崎のM師コラボの茶会である。去年に引き続き今年も無事開催できてよかった。できれば以前みたいに点心もついたパーフェクトバージョンに早くもどればいいね。
庭園の翠の中にたたずむ四阿にて、M師の李朝席
このシチュエーションだけで萌える。
李朝鉄火鉢に中国製?の古い鉄瓶、茶碗は井戸〜古井戸?
文禄慶長の役にて日本につれてこられた朝鮮半島の陶工達の物語、、というテーマにて、席は新羅の小さな仏様が見守る。
軸は初代唐津藩主・寺澤宏高の消息、宛名は津田宗及??だったらいいな、というか判読できないのだそうだ。
宏高は秀吉から唐津を賜り、朝鮮出兵の折には名護屋城普請を担い、また自身も朝鮮に出陣して軍功をあげた人だが、表千家四代の江岑宗左が出稽古に来ていたというくらいお茶も好きな大名だったらしい。だから多分朝鮮から陶工たちも連れ帰って茶碗などを焼かせたのだろうな。
唐津の花入れに収まるのは、今年も唐津の陶芸家・矢野直人さんのお母上が丹精された夏蝋梅。お母上とは同じ茶席に。昨年ご一緒して覚えてくださっていた焼物や歴史に詳しい、リタイヤ後唐津に移住されたというK様と今年もご一緒できてうれしい。
お菓子は唐津銘菓「けいらん」
鶏卵素麺?と思ったが、こちらのけいらんは「(朝鮮出兵の)いくさに勝つまではけいらん=帰らん、の名古屋弁?(宏高は尾張出身)」だそうで(^_^;
お菓子が載ってきた皿は一枚が李朝の白磁、これは端正、そしてもう一枚がそれをまねて日本の陶工が作った初期伊万里。裏の釉薬に3本の指の跡がくっきりついて、これが景色になっている。そしてお約束の?3分の1高台。李朝のは大きい高台。これは技術の差。
矢野直人さんの塩笥の器に入ったお茶は、博多の万(よろず)さん調整の蓬、かぶせ茶、紅茶のブレンド。すっきり蓬の香りが効いていてさわやかなお茶だった。
席から日の光に透かしてみるチョガッポはとても美しく、晴れた空、渡る風は李朝の古い風鈴をゆらし、いつまでもここに座っていたいなあ、、、、
お次は母屋に移動して、(大島邸は明治26年ごろ完成)タライ・ラマ師席
千鳥の薯蕷(草生庵)が乗っているお皿が垂涎の粉引〜♪
これは李朝の15世紀〜の焼物、これから始まって次客さんが李朝白磁17世紀〜、次が日本に渡って絵唐津、カオリンの発見で磁器が作られるようになった初期伊万里、古九谷(金沢でなくて伊万里が産地だよ)、柿右衛門、金襴手、、、江戸時代の伊万里、、と時代を下っていくラインナップ、勉強になるなあ。
二服いただく茶碗も前半が朝鮮のもの、後半がそれをまねた日本のもの、と対比させていてこれも勉強勉強。たとえば小井戸(もしくは井戸脇)に対しては枇杷色の瀬戸唐津、鶏龍山の鉄絵には似たような絵付けの絵唐津、李朝の天目茶碗には仁清の三玄院天目とか。
(志野織部だけはようわからんなあ、、、)
今年も(点前がむしろ父より上の)ご子息との比翼点て、親子だけに息がぴったり。むしろ息子さんの方がリードしていたかも(^_^;
軸が絵因果教(降魔成道の場面)、白磁偏壺に大山蓮華、兎鐶付雲龍釜(道也)、雲華焼風炉(大谷尊由)水指は(私がブイヤベースとよんでいるところの)絵唐津塩笥、別々に求められたにもかかわらず全く同じ形の八角形の古染付と天啓赤絵の茶器、薮ノ内流、竹心と比老斎茶杓
楽しかった席も終わり、庭園に目をやると先ほどの李朝席の半東をされたチマチョゴリの麗人のお姿が緑の中に。絵になるなあ。
ラマ師は茶会にさきだって、M師のお寺で数日を過ごされて、茶談義、焼物談義三昧の楽しい日を過ごされたそうだ。それこそが<亭主八分 客二分>の楽しみ、うらやましくもあり、談義を聞いてみたくもあり。
<付記>
とりあえず唐津に来たら辰野金吾の旧唐津銀行も見ておかねば。ここでも唐津やきもん祭の展示。茶会に参加されていた陶芸家さんの作品もある。
同じ辰野金吾設計だから、京都市の旧日本銀行京都支店にいるのではないかと錯覚するくらい似てるね。
四頭式茶礼2023〜10年ぶり〜建仁寺 - 2023.04.23 Sun

コロナで4年ばかり休止されていた建仁寺の四頭茶礼(よつがしらされい)、今年は開催。いままで2回参加したこととがあるが、何年前だったかな〜と調べてみたら10年前だった。券をとるのが結構大変だったのでここ数年、なんとなくスルーしていたが、なんとなく久々に行きたくなった。
建仁寺境内は牡丹がすでに盛りを少し過ぎているところ。
臨済禅の本拠地に艶っぽい牡丹があるのもまた一興。
建仁寺の生け垣はほぼすべて茶の木である。4月と言うにもう茶摘みをしてもいいくらいの若芽がでそろっている。そう、ここを興した栄西禅師は中国から禅宗とともに茶の種を持ち帰ったのである。(「鎌倉殿の13人」の時代な)
禅師の生誕日4月20日にその徳をたたえて毎年行われている四頭茶礼は、彼が持ち帰った中国の禅宗寺院での茶礼様式を伝えるもので、お茶の歴史を勉強していると必ずでてくる。
(○△□の庭 緑が美しい)
朝9時開始だが、そこは茶人のたしなみ?(病気とも言う)1時間早く行ったにもかかわらずすでに7席目であった(゚Д゚) みなさま一体何時にお出ましだったのかしら?
というわけで副席周りを先にしたのだが、まずは本命四頭茶礼について。
待合でビデオで次第を解説、、、も時代か?
(これは11年前に撮った画像)
本来は頭四人にお供がそれぞれ8人で36人でおこなっていたが、コロナのためか今年はお供6人の28人が一席、しかも今年はじめて椅子を導入されたとか。
番号で席が決まる。四組に並んで待っているところ。
終了後撮影OK。
正面の栄西禅師の頂相と龍虎図、その前には大きな香炉がおかれて、侍香の僧により香が焚かれ座を浄める所作。
それぞれの組にそれぞれ一人、計4人の僧が菓子の入った縁高(ピリ辛こんにゃくと紅白の紋菓子)と天目台と茶碗を大きな盆を抱えるようにして出す。ついで浄瓶(じんびん)の口に茶筅を刺して登場、頭には胡跪で、お相伴には立ったまま中腰で湯を注いで茶筅で点てる。その間じっと天目台を捧げ持っていないといけないのだ。
4人がそれぞれきびきびと規則にのっとた無駄のない動きで、見ていて気持ちが良い。大きな盆を抱える所作もかっこいい。10年前は若くてイケメンばかりわざわざそろえたか?と思ったが、10年たつとみなさんそれなりに貫禄がついてはるわね(^_^;
頭が座る椅子だけに座牌という敷物。10年前は頭に当たったので、これを折りたたむ所作などさせてもらった。
何席あるのか、次々と次の席の準備準備。修行中のお坊さんは忙しい。
前は塔頭の禅居庵で点心いただいたが、今回は建仁寺の庭園を眺めながらの食事でこれはとてもうれしい。朝一の法要で、建仁寺派のお坊さん達が全国からおいでなので、そのお姿もちらほら。
塔頭の久昌院では、裏千家の副席・K先生ご社中。お点前も点て出しさんも全員男子。
「一花開天下春」は圓能斎の軸、花が雪持草で、今年はじめて出会えた。
一席かなりぎゅうぎゅうに詰め込まれてお点前は全く見えず。ああ、コロナ前がもどってきたな〜という感慨。
霊洞院の表千家・堀内長生庵席はすでに風炉。マイセンの水指は先だって天龍寺のお席でもでていた。軸が建仁寺管長の「茶養生仙薬延齢妙術」、栄西禅師の「喫茶養生記」の冒頭である。
こちらの浮島のお菓子は以前もいただいた記憶がある。銘を「柳絮」
楠部彌弌のお茶碗が印象的。笠や振り分け荷物、杖などの旅支度の絵付けであった。
両足院の煎茶席は花月菴流。
この両足院は建仁寺では一番よく行っている塔頭ではなかろうか。半夏生の季節のみならず、いろんなイベントの会場になっているから。
池の向こうの茶室・水月亭、臨池亭でも何回か茶席に入ったこともある。
こちらの待ち時間はゆっくり庭園を楽しむことができた。
本日ピカイチのお菓子。蕎麦饅頭なのだが、茶の実の形!秋には建仁寺の境内で一杯拾える茶の実、それを思い出したわ。
それから祇園辻利さんが野点風に出してはる番茶席で番茶をよばれ、ああ、茶摘みまた行きたい、、と茶摘み娘姿をみて思う。
駆け足であったが、なかなか楽しい半日を過ごさせてもらった。
帯は建仁寺に敬意を表して「風神雷神図」(建仁寺は俵屋宗達のを所有されている)