奥嵯峨にて紅葉・時雨の茶会 - 2023.12.07 Thu

奥嵯峨にお住まいの陶芸家・N氏に、うちの紅葉がピークを迎えるので、と茶会にお招きいただく。今年5月の若葉の候にお招きいただいて、はや半年、奥嵯峨の風情漂うたたずまいのお宅にうかがうのも恒例になってきてとても楽しみである。
暗い玄関を入ったところで振り返ると嵯峨野の竹林に紅葉の赤が映える。美しい眺め。
大きな火鉢を待合にご用意してくださっていた。ほんまこの季節はありがたい暖である。藁灰もご自分で作られたそうだ。(むか〜し、私も一度挑戦したが、なかなかむつかしいよ、これ)
待合の床に、開炉の茶会ということで、色づいた柚子を。
掛け物はモダンアート。いつもここからわくわくさせてくれる。
腰掛け待合に座すときからぱらぱらの時雨、席中にては激しい驟雨となり、竹林や露地をたたく雨音が心地よい。紅葉の季節のしぐれはなおさら。大げさだが、日本に生まれて、こんな雨の風情を楽しめる機会にめぐまれて、幸せだなあと思えるのである。
席入りしたお茶室はどこからどこまでも表千家の不審菴写し、平三畳台目の小間である。ただし不審菴は風炉先に茶道口がある変わり種だが、そこだけはまっとうな?位置の茶道口。
茶室内は雨もあって暗く、御自作の灯火器の灯りがほのかに空間を照らす。
以前までは濃茶と薄茶だけであったが、今回バージョンアップの炭手前付き!
N氏は遅くに茶の湯を習い始められてまだ日は浅い方である。炭手前の稽古も2,3回しかしていないそうだが、果敢に挑戦される。
(この灯火器は我が家のを見て似せて作られたとか、光栄である)
それにしてもお母上の残されたこの茶室で人を招いて茶会を頻回にすることになろうとは、ご自身も思っていなかったとか。人生なにが契機になるかわからんから面白い。契機といえば、炭手前をしよう!と思われたのは侘びた阿弥陀堂釜をさるところから譲り受け、それをお披露目したかったからだそうだ。侘びた炉縁と相まって、小間の茶室によく似合う。
ご用意くださったお菓子は聚洸さんのおだまききんとん。錦秋の風情にて。
作陶のお手本に、と昔入手された大井戸で濃茶をいただく。前回はイギリス人のS先生がこれで飲まはった。遠慮がちな高台内側の梅花皮が上品。S先生といえば、N氏とも共通の友人であったベニシアさんの話になる。残念ながら今年亡くなられたが、大原暮らしといえばまず思い浮かぶ方。N氏とはとても大切な友人関係であったという。
水指は薄暗い茶室で存在感を発揮する白い粉引の梅壺型。もちろんご本人の作品。色々思うように道具を作られるってほんま、うらやましい。
中立の露地から見上げた玄関先の紅葉。
このころには時雨もあがって、秋が一歩、また深まる気配になる。
後座で薄茶を。
床には瓢に山帰来の赤い実。ここ、嵯峨野では少しあるけばいろんな植物、花、実に会えるのがうらやましい。ちなみにこのヤマブドウはお手洗いに投げ入れてあったものだが、私はこの葉っぱも蔓も実も絵になるこれがほしくてたまらない。ここでは裏山にいくらでも生えているそうだが。
後座のお菓子は有平糖と、初めていただいた亀屋良永(御池煎餅の方)の「瓢々」という瓢箪型のお煎餅。これおいしいの。ふつうの煎餅と違うな、、と思ったら山芋を使ってあるのね。御池煎餅も食べ出したらとまらないが、これもとまらない予感。こんど買いに行こう(^_^;
作品の唐津写し、塩笥、、、でいただく。濃茶も薄茶二服も丁寧に一人ずつ、お話しながら点ててくださる。私もご亭主に一服差し上げたり、、、気がつけばいつのまにか四時間!懐石なしだけれどほぼ茶事、これはいつものことなのでその心づもりで来ている。ご連客もお茶大好きな方々なので、お茶の話をしだすととまらないのである。
かくして濃密な茶の時間はお開きに。今回は炭手前付きの進歩、さらなるバージョンアップを期待しつつ次回のお招きを待たなくっちゃ(*^_^*)
帰り支度の玄関に、さきほど茶室にあった灯火器がお見送り。
外に出れば十六夜の月、広沢池の上にぽっかりうかんでいるのも楽しみながらの帰路であった。
光悦会2023 - 2023.11.15 Wed
あしひきの 山かきくもり時雨(しぐる)れど 紅葉はいとど照りまさりつつ (紀貫之)
京都席の伝公任の掛け物の歌であるが、まさにこれを体現したかのような日であった。一時傘がいるほど時雨れてその後、紅葉はさらに色を増したのである。

今年も光悦会、鷹ヶ峰に参上。
今回も参加者を絞っていたようで、コロナ以前の混雑は無いのがありがたい。
しかし、、、紅葉は今年はもひとつだった。遅れている感じ。
↓ これは去年の同じ日。今年は暑すぎる夏〜秋で紅葉はちょっと期待できないかも。
例年の如く一番待ち時間が長い本阿弥庵〜自得軒〜騎牛庵(本席)へ。今年は東京席。
寄付の掛け物は、本阿弥空中・灰屋紹益・飛鳥井雅章の三筆詠草、鷹ヶ峰光甫(空中・光悦の孫)宅にて、というまことに場所柄ふさわしい。
遠州蔵帳にある藤田家伝来火箸の箱が蒟醤で印象的。
それから今年のトレンドは、久以の炉縁、南蛮縄簾水指は毎年のこと、なんとのんこうの灰器が3つもでていた。
(丸い鷹ヶ峰)
待合の掛け物は光悦慶長色紙。金と銀(酸化してほとんど黒)の宗達の下絵。
日付がうれしいまさに当日、(慶長11年)11月11日!
火入れが染付紀三井寺。雲堂手じゃないの?と思って調べたら、雲堂手の上手のものを紀三井寺というそうだ。知らんかった。ひとつ学習。
(雨がふると冷えるので囲炉裏はありがたし)
いよいよ本席
遠州蔵帳大覚禅師墨跡「居山」、これは弟子に与えた号、堂々たる横もの。ちなみに蘭渓と書いてあるので、これも?と思ったら蘭渓道隆の諱が大覚禅師だった。知らないことが多い。それを学びにここへきているようなもの。(お茶やお菓子は二の次)
砧青磁!大名物東山御物、小さくてかわいいけれどこの色がなあ、青が浅い感じが透明感あっていい。如窯の青に近い。後柏原天皇(15世紀)の勅命「吉野山」。入れられた花、その名も<加茂本阿弥椿>。
茶入が名物唐物本行坊茄子、利休所持、わりとでかい。鴻池家伝来。瓶子蓋がまた立派。これに添った若狭盆の裏に利休のケラ判、宗旦の箱に「この盆我が家の宝秘蔵すべし云々、、」。
茶杓は紹鴎、宗旦筒。元節でよ〜く見ると下の方に針彫りで「一閑」。紹鴎は一閑斎と晩年名乗っていたので。
茶碗は高麗割高台(柳営御物)。とにかくごつい。割高台でなければ高麗のどこに分類されるのか不明。分類できないたぐいの茶碗かと。
菓子器が嘉靖赤絵、瓔珞紋。おお、先日の其中庵さんの茶事の向付がやっぱり嘉靖の頃の金襴手、瓔珞紋やった!萬歴赤絵の50年ほど前(1522〜1562年頃)に景徳鎮で焼かれた上手の赤絵である。
大阪席は徳友庵、これがまたすざまじかった。なんとなれば席主が泣く子も黙る潮田さん(LIXIL)だから。
だって、だって、あの光悦の超有名な茶碗「乙御前」なんですよ〜茶碗が(ちなみに重文)。いつもガラスの向こうでしかお目にかかれない、、、しかも全員に手に取らせていただけるとは!もうはっきりお尻まで見ましたよ、あのソファのボタン留めみたいなお尻。初めてじかに見た。所持していた鈍翁が箱に「たまらぬものなり」と書き、楽の直入さんが一番好きな茶碗と言って手に取って涙もにじませたというあの名碗。潮田さんところへ行った直入さんが、之を手に取って語ること語ること、1時間以上だったという。
茶杓が光悦、孫の空中筒。空中の封印マークは桜の花みたい。
掛け物は一山一寧。元からの渡来僧で鎌倉幕府からスパイを疑われ一時監禁されていた方。その徳に次第に名声を高め、許され建長寺、その後後宇多天皇の要請で南禅寺3世となる。その一寧が、恩義に感じて天皇の歌を写した墨跡。これも重文。
(奥に光悦の墓所あり)
興奮さめやらぬまま三巴亭の名古屋席へ。
寄付は一休に私淑した(100年ほど離れてるけど)武将佐川田昌俊の雁自画讃。一休さんが好きで一休寺のかたわらに隠居した方だとか。
というわけで本席は一休宗純の、かの有名な「諸悪莫作衆善奉行」。真珠庵のが有名だが、こちらも真珠庵何代目かの和尚の極めがある。この言葉をしっていなければちょっと読めそうも無い字であるが、一休さんらしい感じ。
書院飾りに光悦の鹿蒔絵硯箱があるが、面白いのがこれを所持していた光琳が質にいれた預かり状が添っていること。光琳ちょっとお金に困っていたからね(^_^; その後無事に手元にもどったのか、この預かり状のおかげで光琳が持っていたことがわかったという。
今回の茶碗の中で、私の中ではピカイチだったのが、この席の玄悦。
すっごいごっついわ〜。迫力あるわ〜。ちょっと男性の手にもあまりそうなくらい。高台裏から側面〜口作りに届きそうな猛々しい釘彫り、それに複雑な曜変(御本)が内側の上半分に。さすがの関戸家伝来。御本では茂三が好きだけれど、玄悦もええな〜と思ったのであった。(だからといって入手はできないが)
水指が古染付の芋頭、佐野弥高亭伝来とあったが、今度行く予定の、名古屋の昭和美術館の茶室が佐野家からの移築からなので、ちょっと名前覚えた。佐野家は尾州の素封家、かつ佐野(灰屋)紹益の直直系の子孫なのだそうだ。
最後に太虚庵の京都席。
ここの待ち時間が一番長く、しかも待っている間に時雨れること時雨れること。待合が屋外なので屋根があるとはいえ、しんそこ寒くてつらかった。
それも報われる冒頭の歌の伝・公任色紙。角度を変えてみるとしっかり雲英の唐紙だとわかる。仮名はなかなか読めないが、解説にあった歌が、時雨の後の紅葉の美しさを歌っていて、あまりにシチュエーションにぴったりで萌える。小間の太虚庵の雰囲気も抜群。
もう一首は平兼盛(三十六歌仙の一)の
時雨ゆえかつぐ袂をよそ人は 紅葉をはらふ袖かとや見ん
(ちなみに会記には「はらふ」が抜けてる)
これもまた雅び。着物きているとよくわかる情景。
この歌色紙の軸装がまた美しかった。中回しの、古い衣装からとったと思われる花鳥の総刺繍。
茶入が瀬戸海鼠手本歌「三輪山」
海鼠手とはなるほどの曜変のむらむら。幕末に福知山藩朽木近江守が入手し、手に入れ損ねた不昧が悔し紛れの狂歌?を残している。
「三輪山は福知山に納まり鬼の餌(大江山)となり申し候」(*^o^*)
池田候所持の若狭盆本歌あり。
茶杓、清巌宗渭共筒「霜夜風普(あまねく)庵円(内?)明」
茶碗が粉引のような堅手の雨漏りのような、決めかねる高麗。小堀十左衛門(遠州の四男)箱、銘を「有来(うらい)」。有来新兵衛(「へうげもの」にも出てたわね)が所持したことによる。
馬越化生が末期の茶をこれで所望し飲んだという逸話あり。
眼福の数々のあとは口福もなくちゃ。
瓢亭さんの弁当、瓢亭卵付き、給仕の方の大原女のコスプレも復活。あたたかいお汁が冷えた体にうれしい。(まあ、心はホットだったけれどね)
点心席からいつも見える真っ赤な満天星も今年はまだ80%くらいか。しかしこの雨と寒さで一気に色づくだろうな。
今年も来ることができてうれしかった。やっぱりすごいわ光悦会。
(茶会として来てはイケナイ。古美術を見ておさわりが信条の会である)
Y氏の伊勢をめぐるあれこれ茶会〜奈良三五夜さんにて - 2023.11.09 Thu

ちょっとご無沙汰してました、奈良の三五夜さん。
今回こちらにうかがったのは、三五夜さんの月釜ではなくて、ここを借りてのY氏の茶会に参席せんがため。
Y氏(まだお若い)は某数寄者の会の常連さん、その博覧強記さ(茶の湯に限る??)とマニアックさでみなさんから一目おかれているのである。私もつい口をついて出るのは「よ〜知っとるな〜そんなことまで、、、」という感嘆詞。
そんな知識だけでなく実践の茶会に是非よんでほしいものだ、と思っていたがようやくその機会が。マニアック路線なので人口に膾炙するわけでなく、客も少数精鋭(、、、かな?(^_^;)
最初の席には数寄者の会の親玉氏も来席されたそうで、そこはさすが、Y氏の意図した趣向をほぼよみとられたとか。
私と言えば、それに追いつけなかった、、、。待合の二見ヶ浦の絵に、ああ、ご出身が伊勢の方だったから、きっと伊勢神宮にまつわるご趣向かな、とは思ったが。本席の歌にはおそらく日本礼賛なので神道だろうと思い、すばらしく珍しくて印象的な擬宝珠をさかさまにして花入れにしてあるのを、ああ、五十鈴川の橋の擬宝珠ね、とはわかったが、、、、あとが全然初めてワードばかりで情報処理ができなかった!茶道史や茶の湯に関わる知識には多少自信がないわけではなかったが、全く太刀打ちできず。Y氏ワールドのマニアックさ、、、、いや(^_^;、すごさに絶句するのである。
かろうじて聞き取れたのは射和文庫(いざわぶんこ)、それを作った竹川竹斎、これは茶道文化検定で勉強した、、、、くらいで。確実にわかったのは、Y氏の郷土愛の深さ。
竹斎といえば射和の豪商で、玄々斎の有力な支援者でもあった。その玄々斎が竹川家に逗留したときに好んだ菓子が「三友餅」といわれ、芥子の実をまぶした上品な餅菓子。現在はその旧竹川邸裏の白子屋さんだけが作っている。それに似せて奈良の樫舎さんに作ってもらったというお菓子が美味しかった。ちなみにここでいう三友は「花・実・味」。
もう一つなんとか覚えて帰ったのが幕末〜明治の11代飛来一閑の花押。花丸みたいなので花丸一閑、または有隣庵の号から有隣(ウリ)一閑とも。これくらい覚えて帰らないとばちあたるわ。
夕刻だったので、席を辞する時にはもうあたりは暗い。
なかなかのマニアックぶり、茶の湯のめりこみ具合をみせてくれたY氏に感謝。お茶はおいしゅうございました。客は私と古美術商の方二人だけで最終席だったので、ゆっくりさせてもらいました。ありがとう。今度はもっと勉強してでなおします〜。
ちょうど良い暮れ具合だったので、ほんのちょっとひっかけて帰ろう。
ことのまあかりさんで奈良の地酒テイスティングセットとおつまみに蘇!
これをぽりぽりかじりながら飲むの、とても良く合うのだ。真ん中の斑鳩産黒米を使った宇陀のお酒「太子の黒駒」、さわやかで美味しかった〜。
唐招提寺の茶会 - 2023.11.01 Wed
秋の大和路を行く。良い日和の西ノ京、唐招提寺へ。
観月会やらなんやら、ここにはよく来ているのだが、今回は初めて唐招提寺でのお茶会に。
今回なにがうれしかったかといって、鑑真和上像にまたお目にかかれたのがなによりうれしい。
なぜなら和上像には6月6日の忌日周辺の3日間しか一般公開されないお姿なのに、(で、今年も行きましたよ〜6月)この日のためにご開帳だなんて。
初夏に拝見するお顔と秋に拝見するお顔は光の加減でまた違って見える。まずは手を合わせる。
和上さんの前で、東山魁夷画伯の障壁画をバックに岡本長老(管長にあたる)による、和上の日本へ戒律を伝えるための苦難の話を拝聴。はい、私、高校時代から「天平の甍」の愛読者であります。
しかしこの、和上が越えた日本海を描いた障壁画の<東山ブルー>は本当に美しいなあ。
(講堂・ご本尊弥勒さんの修理のため中はからっぽ。令和8年完成とか)
最近亡くなられた谷村新司さんの「昴」ってね、あれ鑑真和上の歌なんだよ、と聞いた。ああ、なるほど、と納得できる歌詞だわ。
♪目を閉じて何も見えず、、、
、、、荒野に向かう道より他に見える物はなし、、、
さてまずは薄茶席。
鎌倉時代の重要文化財建築、この細長い東室とよばれる10間の間で。
ここに立てられた屏風には、毎年5月に行われる団扇撒きの原画がはりつけられている。各界の方々の作品で、プロの画家もあれば、漫画家のも、絵の素人のも、大宗匠のも。そういえば私の知人の日本画家さんも描いてたなあ。
東大寺別当(管長)だったころの北河原公敬さんのも発見。やっぱり観自在菩薩〜(修二会の南無観コーラス思い出す)
立礼席で、立礼の棚がこの校倉造りをモチーフとしたもので面白い。
席主は尼崎と八ヶ岳南麓に窯をもつ和田桐山さん。
唐招提寺では、和上のおられる御影堂を長らく工事していて(昨年まで)そこで出た土を使って色々焼き物を作ったそうだが、それをされたのが桐山さん。
今回茶会に使われる土でできたものはすべて、その御影堂の土で焼いた物なのだそうだ。かつて唐招提寺では広大な境内に瓦を焼く窯もあったそうで、焼き物にむく土なんだろう。
軸は岡本長老の「永寧」に唐招提寺の軒丸瓦の拓本。(寧楽好きにはたまらんな)
その前においてあった鴟尾を模した花入れ(桐山)が一番印象的。だって、あの天平の甍ですもの!
それこそ唐招提寺の茶会といえるもの。
舟型の釜もよかった。唐招提寺所蔵、川邊庄造作、ちゃんと舟の艫も舳先もあって、鑑真和上が海を渡ってこられた景色を想像する。蓋のつまみが団扇撒きの宝扇のハート型なのも泣かせる。
薄器の棗も塗りでなくて、御影堂の土で作った焼物。截金の上に透明釉をかけてあり、あたかも蒔絵に見える。
茶杓が先だって台子の茶を見せてもらった(慈光院)古石州流の14代の作、「翁草」。
(和田家とつながりがあった?)
一口に御影堂の土といってもさまざまで、また作品もいろんなテイストで、絵付けあり、陶器っぽいのありで面白い。御影堂の襖絵の東山ブルーを再現したような色の茶碗もあり。私がいただいたのは、御影堂小座敷の襖絵になっている和上のふるさと、揚州の景色の絵付けであった。
おそい萩の小径を通って本坊へ。
ここは前だけ通るが中へは通常は入れない。なので今回初潜入、濃茶席である。
席主は奈良の先生だそうで、舟型の大樋の水指を見て、鑑真和上の艱難辛苦の渡海に思いをいたし席主を引き受けられたとか。
一番印象的なのがお菓子。
菊屋さんの誂え菓子だが、銘を「滄海」
見た目は普通の薯蕷饅頭だが、中の餡がなんとあの東山ブルー!
はるばる和上が越えてこられた海の色を思う。
(名物の蓮は終わるとこのように菰をかけるのね)
主茶碗が直入さんのあの焼貫、やっぱり唇が切れそうなエッジだったわ(^_^;
桃山の志野に覚入がよび継ぎをしたのも面白かった。
軸は玄々斎の円相。
本坊をでるとすでに夕刻、大和の秋の夕である。
とても心地よい。
最後に香芝の卯の庵さんの点心をいただいて、、、
お約束の、おほてらのまろきはしら、、、(by 会津八一)をじっくり鑑賞してからお寺を辞す。
良き大和の秋の1日。
石州350年忌法要茶会〜慈光院 - 2023.10.22 Sun
まだまだ石州流のご縁はつづく。

大和郡山市にある慈光院、片桐石州が父の菩提を弔うために自らの領地内に玉舟宗璠和尚を開山に建てた寺院である。一昨年亡くなった茶友氏はここで古石州流を教えておられた。亡くなる直前、ここで一緒に石州麺をいただいた思い出が私には強くて懐かしい。
昨年遠州流のM氏にお誘いいただいて初めてここの石州忌茶会に参席したのだが、今年はなんと石州350年忌、しかも先日拙宅茶事のお正客Kさんが茶席の半東で差配してはって、道具もだしてはる、と聞いてお寺さんも私も気合いの入り方が違った。
(石州作がはっきりしている中門)
朝9時から開山玉舟和尚、片桐石州候の法要。
ご住職(お茶を熱く語り、お話大好きな)の読経の間に、鎮信流(平戸藩松浦鎮信による石州流の一派)お家元の真台子によるお献茶。
今回は特別な法要なので、お茶以外に石州流華道の
献花、石州流盆石の献盆もあり。
今回はご一緒くださったM氏のはからいで、見よい席をゲット。
真台子点前の流れはそれほど流派変わらないと思うが、萌えポイントはいくつか。
釜の蓋を開けたときかならず建水の上で露を切る、これ合理的。
茶筅が柄の長いもので、茶筅通しの時に思い切りくに〜っと茶碗に押しつける。台子の柱に帛紗をむすびつける(これは遠州でもある)
杓立の火箸に鐶がかけられている。(石州はお香もすきだったので、いつでも釜をあげて香をたけるように)
茶筅皿の茶筅はおろさないままなので、その下にある茶巾が取りにくく置きにくそう。
全体に道具は武張って遠州よりもはるかに武家茶道。
(ここに来るとき見るの楽しみにしているドングリの靴べら立て)
お茶は台天目で二服。
一服は玉舟和尚へ
もう一服は片桐石州候へ
(玉舟は玉室宗珀の法嗣 玉室は春屋宗園の法嗣)
拝服席は濃茶と薄茶があるが時間があったので、先に点心を。
こちらの点心は外注でなく、お寺の畑で収穫した野菜を使ってお寺のお家の方々の手作りなのである。(普段でも予約でいただける)
石州公案の石州麺(油をつかわない素麺)と、揚げたそばがき?がとっても美味しかった。
亡くなった茶友氏と来た時にはまだ咲いていた梅の木、この木を見ると彼を思い出す。
本堂の横に昭和時代?からの毎年の石州忌茶会の席主の名前札が。席主は毎年かわるのだ。なにしろ石州流の流派はすごくたくさんある。令和元年から昨年の4年までの間が空白なのはすべてコロナのせいである。それもずっと歴史の一コマになっていくのだろう。
濃茶席は新棟にて(ここで故茶友はお茶のお稽古してはったんやな〜)。
展覧席も用意されていて、ここで采配をふるっておられたのが、先日の正客K氏。さらに東美アートフェアでの仕事をさぼって?水屋手伝いのO商店のO先生までいらして、お互いに面識のある同志、M氏、S先生とわいわい道具談義楽しかった〜♪
なにより並べられた道安→桑山宗仙→石州の子弟の流れの茶杓そろい踏みは圧巻、さぶいぼでるわ。こんな展覧の仕方、正客氏と席主様のお力がなければとても。
石州の独楽判(独楽の形の花押)というのも教えていただく。
茶杓も作れば竹花入れも作る、茶碗もつくればプロはだしの陶器香合も茶入も作る、、、遠州はアーキテクトだったが石州はアートクラフターだったのだな。
あと歌切れもたくさん書いていて、武張った道具から想像できない繊細な筆致。
本席は古石州流の家元。片桐家家臣鉄砲組与力であった本庄家に伝わる流派とか。
ちなみにK氏はこの流派。
軸は玉室(玉舟の師)「生鉄崑崙雲外走」(まあ禅語なので意味はようわからん)、竹一重切りの花入れはやっぱり石州やな、、、の迫力。K氏のお計らいで私の大好物熊川でいただいた。ありがたし。底に釉薬たまりのある珍しい景色のあるもの。
ちなみに主茶碗は石州作赤楽「野狐」
これで茶を飲んだ正客のM氏、禅宗に詳しいので「野狐禅(禅に似て禅ではないよこしまな禅)」の説明を客みんなにしてくれた。
茶杓が極細、華奢。武家茶道ともおもえぬ繊細さ、銘を「ゆがみ」、同じく石州流の伊達家茶頭・三代清水道竿(竿どうかんとよばれる)の添え状付きがすごい。
なぜか茶入が遠州、瀬戸飛鳥川手で銘を「雨柳」
銘の由来は近くで見てわかった。縦に何筋か、柳の枝をおもわせるしだれるような黒い模様が浮き出ているのだ。この茶入の挽家の蓋が青貝でこれまた美しかったこと。
さて、席待ちの間、あの最高な眺めの書院へ行こうと思ったら、その書院が薄茶席になっていた!
薄茶席は伊佐派、正しく柳営茶道を指導してきた流派である。五代綱吉のころから茶頭をつとめてきた。初代は伊佐幸啄。そういえば昨年の茶会で幸啄の茶杓がでていたわ。
まさに将軍家の茶で、薄茶ながら真台子の茶入を使った点前をご披露。足がすり足でなく、仕舞のあのつま先を最後につける歩き方なのね。しかもお菓子を運ぶ、お茶を運ぶ、その所作がゆっくりで丁寧。帛紗は四方さばきで裏千家的。
お菓子が石州が好まれたという山椒餅(かなり複雑な味)、糊こぼしでおなじみの奈良の萬萬堂さんの。
流派にゆかりのある五人のお客様(以前ここで席主をされた方とか)に天目台で点てられたあと、われわれは点てだしで。お茶をいただいたあと、質疑応答など若さんと若いお弟子さん主導でされたのが面白かった。一番の話題はやはり若い人をどうやって茶道の世界へ呼び込めるか、、、だったわねえ。
記念のお土産にいただいた古帛紗。
慈光院裂〜大燈金襴に片桐家の鷹羽紋を組み込んだものでとても美しい。
今年も、いや今年こそ、くることができてヨカッタ。
ご縁をいただいたことに感謝。