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2018-06

「日本らしさと茶道」〜クリステン・スーラック著〜翻訳監修・廣田吉崇他 - 2018.06.16 Sat

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この本は、日本で10年間裏千家茶道を学び茶名ももっているアメリカの社会学者の学位論文で、原著は2014年、アメリカ社会学会アジア部門出版賞を受賞している。

これを翻訳・監修されたのが「近現代における茶の湯家元の研究」「お点前の研究〜茶の湯44流派の比較と分析」など興味深い研究をされている廣田吉崇さん。

基本、社会学の学術論文なので、「Nation Work」とか「文化ナショナリズム」とか社会学の門外漢には読んで理解するのがつらいところもあるが、この際、ムツカシイ序章は読み飛ばしてもいいと思う。最初ここで難解すぎてつまずいてしまったが、第一章からの日本における茶道の話はおもしろくておもしろくて一気読みしてしまった。あと最終章も後半は読み飛ばし、、、これもやや難解、学術論文としての内容はだから把握できていない(^_^; でもそういう読み方もありだと思う。面白いのだもの。


第1章の「茶を点てる」では茶室の説明から道具、茶会の様子、茶を点てる所作などの正確な客観的な説明。理系の論文を読んでいるような印象で、日本人なら畳とか障子とか、説明しなくてもわかることの解説が入るのが新鮮で、あらためて認識を新たにしたりする。(障子=木製の格子に貼られた紙障子とか)
筆者の茶の先生のお点前の指導の様子の記載もあり、ああ、そうだったのか、とあいまいにしか学習してこなかったこと(そして今更聞けないこと)なども指導されていて、これは日本文化に白紙に近い人だからこそ素直にうけいれられたのかなと思う。それにしても文章から知る限りよい師匠にめぐりあわれたようだ。
茶会の説明で、よくある正客の譲り合いを「積極的かつ精力的なそして面倒な駆け引きをとおしてこの不平等な空間における席が決まる」ヽ(≧∀≦)ノははは、、、
点前の描写もきっちり書かれた教科書よりさらにくわしく(茶道に出会ったことのない外国人への説明であるからして)日ごろの自分のユルイお点前を反省するのである。

外から見るがゆえに奇妙な日本人の思い込みについての指摘もするどい。「日本は四季がはっきりした国だから季節感を大切にしなければならないのに、西欧化した現代の生活は嘆かわしい」というのも、常々自分もそう思ってきたのだが、外からみれば滑稽な思い込みなのかも。
アニメや漫画について(日本の代表的サブカル)外人に質問されたら、知らない人はスルーすればよいが、茶道に関して質問されて答えられなければ自分を恥じないといけない、、というのもなんかするどい。

第2章は茶の湯の歴史について。
茶道が政治的権力者とむすびついていった戦国〜安土桃山、庶民にまで広まった江戸時代、近代の茶道〜近代数寄者、そして戦後の女性の時代へと。ここらへんは復習であるが、そこに社会学的視点がちょっと入るのである。しかし高谷宗範と高橋箒庵との論戦まで書かれているあたりさすがというか、、、(日本人でお茶やってる人でも知らない人の方が多いと思うよ)
そしていかにして茶道は日本の国民的象徴になったのかについて語られる。(、、、で茶道はそうなの??という疑問もありつつ、、)


第3章、4章は茶道の家元制度について。
実はこのふたつの章が一番おもしろかった!(*^_^*)
茶道の家元制度について、特に最大級の流派について、われわれ日本人がうすうす気づいていたけれどはっきり認識しなかったり、あるいははっきり口にだすのがはばかれるようなことをあからさまに書いているのにはちょっとびびった。(当該流派から「禁断の書」にされるかもしれない、、、(^_^; )ので、具体的にはよう書かんけど、現在の家元体制ができあがっていく歴史的要素、それに対する客観的評価などなど。許状制度の金額(挨拶料)の表まで掲載されているのにはびっくりした。

第5章では(後半ははしょった)現代の茶道について
我が愛読漫画「へうげもの」がとりあげられているのはうれしい。
若い富裕層向けの建築デザイン雑誌「pen」をとりあげて、<茶道は男たちが美意識を発露して客をもてなすクリエイティブな遊び>または<日本文化のトップモードだった茶の湯のパワーは次々と新しい創造を生み出していく>という私も日々感じている現代はやりの風潮をも取り上げている(批判的にか?)とはさすが。

というわけで、社会学としての部分ははしょりになったが、それでも非常に面白かった。日本人として教えられなくても感覚的に知っていることや、当たり前のこととして深く考えることのなかったことをあたらに教えてもらった感じだ。

このスーラック博士、ほんまに茶道のみならず日本のサブカルもふくめた文化や歴史についてほんまに造詣の深い方で、たった10年で、ここまで、と驚きを禁じ得ない。現在はロンドン大学で教鞭をとりつつさらなる研究をされているとか、ますますの発展をお祈りする。

そして、翻訳中、いろいろ苦戦されているご様子をちょっと垣間見て知っている私としては、そのご苦労が報われたことにお祝いと、この本にであわせてくれたこと、翻訳監修の廣田さまに深く感謝をいたします。


最後に序章から引用 〜

「今日の茶道は、観客がいないもののスポーツのような余暇活動であり、趣味でもあるものの厳格な階級組織に取り込まれている。儀礼であるがビジネスでもあり、芸術でもあるが決まり事でもある。作為的に日常生活から切り離されつつも、日本的なもののすべての統合体であると主張される。」


「心理学者の茶道発見」 岡本浩一・著 - 2018.01.19 Fri



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著者の岡本浩一先生は、社会心理学者であり裏千家茶道文化賞もとられた茶人でもある。現在裏千家雑誌淡交に「茶道心講」を連載しておられる。
茶道心講の連載は毎月楽しみで、それをまとめた「茶道を深める」、「茶道に憧れる」は茶の道に精進する上での心の座右の書であるのだが、本書は20年前の連載開始のころの最初のころのをまとめたもの。実はこれは未読であった。今回新書版として加筆修正された復刻版を読む機会を得た。

本書の読み始め、「茶道を深める」などとくらべると心理学的専門用語も多く、やや難解な印象もあったのだが、読み進めるうちにああ、やはりいつもの茶道心講だ、とうれしく感じた。むしろ茶道心講の、最初からキビシイ刃を突きつけられている感じではなく、ご自分の経験、日ごろお茶をしていて私たちも遭遇しがちな具体的な状景やなどからはいっていて、やさしい感じだ。ところが2回目読み直すと、こうした経験や具体的事例を、実は心理学的に解析し、より納得させてくれる本ではないかと思い始めた。

例えば、茶事茶会の亭主として、毎回いろんな失敗をくりかえして落ち込むことも多いという事例から、自己受容(不完全も受容する)という概念、自己受容からひいては他者受容、茶の湯は他者受容の場である、という解説、自分では言葉にしたくてもうまくいえない感情の動きも、理論的に解説されると、ああ、そういうことだったのか、と妙に納得がいくのである。そうなるとあれほどむつかしくてスルーした専門用語もなんとか理解しようと思えるのだ。

特に他者受容という概念。
「他者受容が高い人と接すると、自分一人でいるときよりも、自分のことが素直にわかる。ゆがみなくありのままに受容された自分の姿をその人の態度に感得するからである。その雰囲気の中にすわるだけで、自分の本心が自分にわかり、自己受容がはじまる。」
いっしょにいて楽しいのにあとで妙に疲れる人というのは他者受容の低い人なんだそうだ。なんとなくどきっとする。他者受容の低い人は自己受容も低いという。そして、数少ないけれど他者受容の高い方を何人か思い、ああいうふうになりたいなと思う。
それに比べ自分は、、、といじいじ悩むのだが。


もちろん学問的なことばかりではなく、お茶の稽古をするときや、茶事茶会の亭主となるときの自分を励ましてくれる座右の銘にしたい言葉がちりばめられている。

「個性発揮のためには型の習得が必要なのである。型にはまって個性が発揮されないように見える人は型の習得が未だ不十分なことがほとんど」

「稽古と平行して知的好奇心(茶道具にまつわるすべて)を充実させようとする人は、単に点前の手順だけ習えばよいという気持ちで稽古にのぞむ人とでは大きな差がついてくるのは当然である。その差はたんに知識や点前の差だけにとどまらない。全人格的な属性としての教養的態度に通じる。」

自分がめざすことはまちがっていない、言葉にあらわせなかったが、言いたかったことはこれだ、と思う一節。


背筋をのばしてまた勉強、そしてお茶の自己鍛錬をしようと改めて思う。ただ熱しやすくさめやすいのが欠点でいつまで続くか問題だが(自己受容(^_^;?)、本書がくれるような刺激を自分に継続的に与えていかないといけないようだ。




「107年の謎〜プサン迫間別邸の調査記録」木津宗詮(当代)・著 - 2016.12.22 Thu

武者小路千家の宗匠筋・木津宗詮家は初代が松平不昧公に師事し、その後武者小路千家八代一啜斎の門下となったことから始まる。

一番有名なのが、のちに一代限りの宗泉名を貞明皇后から授かった三代目宗詮(聿斎・いっさい)、明治から昭和戦前に茶人としてより、むしろ数寄屋建築家・造園家として活躍した人である。
私でも知っているのは、大宮御所に貞明皇后の命で作った茶室・秋泉亭の設計。後に淡々斎が好んだ秋泉棚(楓の透かしのあるやつ)もこの茶室の名に由来して作られた。


今回当代(七代)宗詮宗匠が上梓しはったこの本によると、宗泉が設計したのはそればかりではなく、よく知っている茶臼山の住友家・慶沢園、ご近所南禅寺畔の看松居(レストラン桜鶴園の中)、奈良高畑・山田安民(ロート製薬創始者)邸棲霞園、延暦寺大書院、興福寺茶室・静観寮、四天王寺茶室・払塵亭、、、などなどなんだかすごい人だったんだ、なんで今までしらなんだ、とびっくりする。


しかも茶人としては、一時武者小路千家家元を預かっていたという功績がある。先代がなくなり当時10歳だった武者小路千家12代(後に愈好斎)が表千家にひきとられ、後に成人して再興するまでの間、家元預かりだった(大阪最後の数寄人財閥といわれる)平瀬露香・息子の露秀からさらに預かったわけである。



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そんな彼が設計した数寄屋のひとつが、現在韓国・プサンにある。迫間房太郎別荘である。時代はおりしも韓国併合(1910年)直後のこと、そういう時代を背景に考えるとさらにこの数奇な運命をたどったこの建築の物語がおもしろい。

そもそも木津家に、聿斎が書いた迫間邸の図面が残っていたことから話ははじまるらしい。当代が聿斎が設計した建築の記録を残していく中で、時代に流され失われていく物、原形をとどめぬ物がいかに多いか、これは今のうちに可能な限り記録に残しておかねばと思われたそうだ。

中でも今年夏に、韓国における文化財指定をはずされ、いずれホテルに建て替えられるらしい迫間邸に関しては記録するには喫緊のタイミング、ということで急遽調査チームを組むことになり、その顛末を書かれたのが本著。



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(出版記念会)



現在旧迫間邸は東菜別荘という名の宮廷レストランになっている。戦後アメリカ軍に接収され、のちに民間払い下げ、高級キーセンハウスとなったりレストランになったりしているうちに改修、改装がかさねられ、一階部分は当時の面影はないそうだが。

ちなみに迫間房太郎という人はプサンで起業し大成功を収め、朝鮮一、二の大富豪になった実業家。(残念ながら歴史的軋轢国民感情もあり、韓国では評判わるいらしいが)

その調査をするのに、当代の獅子奮迅のマンパワー集めは講演会を聞いていてすざまじいものがあり、これだけ短期間にこんな各界のプロフェッショナルを招聘できたのはご人徳のたまものに他なるまい。
建築家、都市研究家、工務店、数寄屋大工、造園家、通訳、韓国の学生、、、などなど。中には当日初めましての方もいたというから、その緊急ぶりは推して知るべし。しかし、、、すごいメンツ!よくこれだけ集まられたものだ。


東菜別荘のオーナーとの交渉も現地の学者さんなどの尽力もあったらしいが、許された時間は約4時間、(しかも30万円要求されたらしい)この時間で、敷地3000坪、建坪200坪の調査を約20人で可能な限りおこなったという。皆が、この日本から来て、彼の地に歴史に翻弄されつつ残る数寄屋建築の記録への、なみなみならぬ情熱を持って、同じ方向を向いておこなったからできた離れ業だったのではないだろうか。

本によせられた調査に加わった人たちの証言はよんでいてその濃密さや時間との戦いの緊迫感が伝わってくる。



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(公演中の当代宗詮宗匠)



まず一番にしたことが棟札を発見すること。見つかった棟札(よく残ってたな〜〜)には昭和3年の上棟と書かれ、聿斎が設計した以後の増築であることがわかったらしい。(聿斎がこの建築のため渡朝したのは明治の末)
昭和3年と言えば、翌年、この屋敷が東本願寺大谷法主、数ヶ月後に閑院宮載仁親王の宿所になる晴れがましい時代の直前である。

調査内容は本著に詳しい。

撮影した文字通り無数の写真の解析で現在の建物の図面を引き、オリジナルの聿斎の設計図と現在のどこが重なり合うのか検討する。気が遠くなるような作業に思われる。

庭の植栽やこれも無数にある石造物、灯籠などの由来(日本製?朝鮮製?などもある程度判明)などもかなり専門的に記録、調査、され、かつての屋敷の姿が浮かび上がってくる様は圧巻。携わった方々の執念、情熱が熱い。



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これは記念会の呈茶席でだされた韓国にゆかりのあるお菓子(鶴屋製)。
銘を「松花(まつはな)」。
中の餡に、韓国でよく食される松の実の刻みが入り、上の黄色い粉は松の花粉とか。


この調査の前後、どうしても手に入らない物があった。迫間家の人々が暮らした時代の別邸の写真だ。

いろいろ手を尽くして(韓国の資料、占領していたアメリカにまで問い合わせ)さがしたにもかかわらずでてこなかったのだそうだ。最後に住んでいた迫間家の人々も、日本に帰ってきていたときに終戦を迎え、別邸に帰ることかなわず、アルバムさえ持ち出すことができなかったのだそうだ。(戦後別邸は略奪にあい、クッション2つ以外なにも残されていなかったとか)

ところがこの本の出版の直前、房太郎の直系のお孫さんがご存命で、奇跡的に連絡がとれたこと、房太郎の弟のお孫さんとも出会えたこと、であんなに探していた写真がでてきたのだ。大谷門主と房太郎の家族が、もう一枚には閑院宮と一族が、幻の母屋の前で記念撮影した写真が!
執念が実現させた感動的な瞬間であっただろうと推察申し上げる。

かくしてそのため、出版が遅れたそうだが、かえってよかったことになる。
運命は切り開くことができるもの、、、なのかもしれない。


現在の日韓関係を思う時、複雑微妙な気持ちになるのだが、そのはざまで消えていこうとする1つの歴史におおいな餞となる一冊であった。




「この世界の片隅に」〜こうの史代〜2009年のブログから再び - 2016.12.20 Tue

こうの史代さんの「この世界の片隅に」がアニメ映画になっているそうだ。

こうの作品が好きで単行本はほとんど持っているが、なかでも一番好きで良い作品がこれだと思う。

7年前、そのレビューを旧ブログに書いた。映画ができたので久々に読み返して、またいろんな人に知ってもらいたくて再掲してみる。


機会があれば是非、本でも映画でも見てみてほしい。




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8月、、、というと6日の広島、9日の長崎、15日の終戦記念日、ある程度以上の年齢の人なら戦争のイメージをもっているのではないでしょうか。

私はもちろん戦後の生まれではありますが、物心ついた頃に、まわりには戦争のことを語る大人はまだ多くいました。

いまでは戦争の語り部も少なくなり、残念ながら若い世代には遠い夢の国の話に風化しつつあります。

こうの史代さんを知ったのは2年前夕凪の街・桜の国という、戦後10年たった広島、最後には原爆症でこの世を去る娘と、さらに現代に生きるその姪のことを描いた作品を読んでからです。

とてもいい作品で、映画にもなったそうですが、決して原爆の物理的な悲惨さを声高に語った物ではありません。

被爆していつ発症するかわからない原爆症の恐怖をかかえながらも、全く肩に力を入れないで自然体に、少しとぼけたような日々を送る主人公の日常をていねいに綴っているだけなのです。

だからよけいに、彼女の死を暗示するラストが、原爆が人類になにをしたのか、、、を問いかけてくるような気がするのです。

そしてこうのさんの新しい作品、「この世界の片隅に」、これもまたとてもしみじみ心にしみてくる良い作品でした。

昭和9年から終戦の20年の年の暮れまで、主人公すずの広島での子供時代から、呉へ嫁いで北條すずとなってから、、、昭和の暮らしがていねいに描かれています。

こうのさんの描く女の子はとてもかわいくて、特に小さなおかっぱ頭の女の子が照れて笑っている姿はもう、抱きしめたくなるくらいいとしいのです。

すずは絵を描くのが好きで、どこかとぼけた娘で、今の言葉で言うといわゆる「天然(ぼけ)」でしょうか。

呉に住む夫となる北條周作さんとの子供時代の出会いはじつはとてもシュール、、、かつラストの伏線にもなっています。(まあ、これはネタバレになるので読んでね)

周作さんに望まれて、若くして嫁に来たすずは義父母、叔父叔母、そして近所の人たちに温かく迎えられます。

ちょっととぼけてて、たよりなく不器用なところがほおっておけないのでしょうか。


時代は戦争へとつきすすみ、呉は空襲爆撃をうけるようになります。

毎夜防空壕に逃げ込んだり、町にがれきや死体が転がる状況下においてもなお、すずはユーモアやおもいやりを忘れず、自然体で生きていきます。

食糧難で道ばたの雑草を使った楠公飯という超!まず〜い代用食の作り方や、落ち葉を焦がしてこねて作る代用炭団(たどん)の作り方や、着物からもんぺを作る作り方。こんなことまで描かれています。

これは生きた戦争中の昭和文化史にもなっています。

(作者はもちろん若い方ですので、お年寄りから聞いた話で描かれているのですが、もしまちがったことを描いていたら訂正してください、というコメントをつけてはります。)


さて、いつしか北條の家で自然に家族の一員になったすずですが、ただ一人、出戻りの義姉さんだけはちょっと意地悪。
でも私は全編をとおして、この義姉さんとすずの関係が変わっていくところがとても好きです。

嫁いで若くして夫に先立たれ、跡継ぎの息子は婚家にとられ、幼い娘の晴美をつれて帰ってきた義姉さん、すずのぼ〜っとした垢抜けないところが気に入りません。

ある日、「お母ちゃんの具合が心配で周作の結婚をせかしたけれど、わたしがずっとおりゃ嫁なんぞまだいらんかったんよね。、、、すずさん、あんた広島へ帰ったら?」

と暗に離縁をほのめかして義姉さんは夕食時にみんなの前で言います。

すずは天然(?)ですから、「ええんですか?(里帰りしても)」と逆によろこぶ勘違い。

ところが義父母までが「ほんまじゃ、気がつかんでわるかったのう。径子(義姉)も言うとるし、2,3日ゆっくりしてくりゃええよ。」と勘違い。

それだけ、すずはもう北條の人間になりきっていたのですね。「ありがとうございます!!おねえさん」と逆に感謝され「そ、、そりゃよかった、、、」と言うしかない義姉さん。悪い人じゃないのですよ。でもその顔がおかしくて。

それにしても里帰りしてうたたねをし、目覚めて「あせったあ、、呉へお嫁に行った夢見とったわ!」と、ぼけるあたりさすがすずです。母親にほっぺたつねられてましたけどcoldsweats01

戦況が悪くなる中、口ではきついことを言ったりしつつも、義姉さんはすずをなにかとかまってくれます。
義姉の娘、幼い晴美ちゃんは、すずによく遊んでもらいすっかりなついています。

ところがある日、投下された時限爆弾の炸裂が、すずの絵を描くのが大好きだった右手と、その手をしっかり握っていた晴美ちゃんの命を奪ってしまうのです。

「あんたがついておりながら、、、人殺し!晴美を返して!」

傷を負ったすずに義姉さんは、つめよりますが、心では決してすずを恨んではいないのです。どこにもぶつける場所のない思いを叫ぶことで少しでも紛らそうとする、せつない場面です。

広島から、すずを見舞いに来た妹は「家のことができんかったら、北條の家におりづらいじゃろう。広島にかえっておいでや。」といいます。

晴美を死なせてしまったこと、周作さんが結婚前につきあっていたらしい赤線(わからない若い人はしらべてね)の女性りんさん(すずはこのりんさんとも友達になっているのですが)のことで周作さんとのあいだにできた小さなわだかまり、たびかさなる爆撃、、、、耐えきれず心が弱くなったすずは、実家の広島にかえることを決意します。

たとえ「すずさん、わしは楽しかったで。この1年、あんたのおる家へ帰れて。あんたと連ろうて歩くんも、たらたら喋るんも嬉しかったで。あんたは違うんか。」と周作さんに言われても。

その運命の8月6日の朝。片手で不自由そうに荷物をまとめるすずに、口ではきついことをいいながら、自分で縫った、片手でも着られるもんぺを渡す義姉さん。

そしてすずの髪を梳いてやりながら、、、

「こないだは悪かった。晴美が死んだんをあんたのせいにしたりして。」

「周りの言いなりに知らん家へ嫁に来て、言いなりに働いて、あんたの人生はさぞやつまらんじゃろう思うわ。
じゃけえ いつでも往にゃええ思うとった。ここがイヤになったならばね。」

「ただ言うとく。わたしはあんたの世話や家事くらいどうもない。むしろ気が紛れてええ。失くしたもんをあれこれ考えんですむ。」


「すずさんがイヤんならん限りすずさんの居場所はここじゃ。くだらん気兼ねなぞせんと自分で決め。」

そしてすずは、、、「やっぱりここへ居らしてもらえますか」

腕にすがりつくすずに、義姉さんは「わかったから、離れ!暑苦しい」と口は相変わらず悪いですが、うれし涙です。


その時、、、、、、、、

「、、、?、、、なんかいま光ったね?」


、、、、、、、はるか広島の空で炸裂した原爆の閃光が呉にも届いたのでした。

そして終戦。

広島の実家のすずの母は爆心地で亡くなり、母を探しに行った父は数ヶ月後に原爆症でなくなり、妹は親戚のうちでふせっていました。腕には出血斑がつぎつぎと。彼女はすでに重い原爆症を発症していたのです。

「すずちゃん、うち治るかねえ、、、」

「治るよ、治らんとおかしいよ、、、」

これもせつない場面です。

妹を見舞うことが出来たすずと、迎えにきた周作さんは、家に帰る前に小さな原爆孤児の女の子にであいます。

「あんた、よう広島で生きとってくれんさったね。」

二人はこの子を呉へ連れて帰ります。北條の家族はなにも訳など聞きません。すんなり事態を受け入れます。

そして、最後の一こま。

義父母は「とりあえず風呂かのう。」「ものすごいシラミじゃ。大鍋に湯う沸かし!着とるものみな煮るで。」

叔父叔母は「明日米軍へ連れて行き。DDT(わからない人は調べてね)をまぶして貰うたらええわ。」

そして今は亡き娘の遺した洋服を引っ張り出して「晴美の服じゃ小まいかねえ、、、」と早速思案する義姉さん。

家族がまだ家族でありえた時代のお話。


自己中心的な人が次々おこす事件、家族は求心力を失い、地域では他人のことにお互い無関心。
当座は戦争の心配もなく、物も豊かにあふれている今という時代が、決して幸せな時代ではないことをあらためて思います。

やわらかい、私には近しい広島弁(私は岡山弁speaker)、こうのさんのやさしく暖かい絵、この家族の暖かさにいやされながらも、悲しみを感じるのはその背景に色濃く陰をおとす戦争のせいなのでしょう。

決して声高に戦争の悲惨さを訴えてはいません。でも確かに反戦の思いを心に種まく作品だと思います。



(2009年8月5日の旧ブログ記事再掲)




「一億人の茶道講座 心を耕す」岡本浩一 - 2015.08.02 Sun

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「茶道を深める」「茶道に憧れる」に続く雑誌淡交連載中の茶道心講単行本第3弾。今回新書版サイズになって、通勤カバンにも入れられるところがありがたい。前2冊に続き、いつも読むたびに自分と茶道の関わり方についてあれこれ考えさせられる、というか悩ませられる。自分は茶道を生き甲斐、とするほどのめりこんでいるわけではなく、しいていえば奥伝まではいったけれど、茶道との心理的距離についていまだ測りかねているというところか。

連載の体裁なので一節一節はほどよい長さでどこからでも読める。たいがい導入部は茶道ではなく古武術であったり将棋であったりロックギターであったりする。最終的に茶道に収束されるのだが、逆に言えば語っているのは茶道だけでなく人生のあれこれすべてに通ずる一つの真理をいろんな方向から語っておられるように思う。自分の人生や茶道を習ってきたことを振り返れば、思い当たる箇所がいくつもあるし、納得がいく。納得がいくが時に一般人には厳しすぎるところもある。だが、どれも(若干むつかしい単語が多いが)座右の銘として書き留めておきたいような文章でしめくくられており、これに励まされることは多い。

奥伝が身についてはじめて初心の草の点前の意味や解釈が理解できる。歴史的な意味や背景がわかりはじめる。真の点前が確かな人とそうでない人の草の点前はあきらかに違う。型に自分を追い込んでいって初めて得られる「自在」というものがある。経験を磨いて初めて心に映り目にも映る美とことわりがある。

茶道心講にくりかえし形をかえ奏でられるテーマだと解釈している。だからがんばってさらに茶道の奥をきわめよ、と叱咤されているような気持ちになる。しかし、そこまでいかない茶道との距離の取り方でもそれなりの癒しがあると逃げ道も用意してくれているのでご安心を。

深くうなずかされたのが、小学校で円周率を「3」として、未知の科学の世界に不思議さや好奇心を覚えるきっかけを失わせたという一節。実生活で円周率を使う場面はほとんどないと同じように、実生活で貴人点をしらなくて困ることはまずないだろうが、これを習うことによって二段階の丁寧さの自然な区別を身につけることができると。これは上の点前にはいってから、茶入が和物から唐物にかわり茶碗が天目になったときの所作の違いをロジカルに理解し、背後のさらなる茶道の世界の広がりを知る一歩になるのではなかろうか。
さらに経験された茶事、茶会の主として客としての真剣勝負のエピソードは自分でも茶事茶会をする人なら多少の羨望をもちつつむさぼるように読んでしまうだろう。

かくてこの本を読みつつ、もっと背筋を伸ばして茶道に向き合わねばならない、と思ったり、自分は茶道にそれほど切実でないことにがっかりしたり、これからどういう茶の湯をしたいのかしっかり目標をもたねばならん、がどうしたらいいのか方向性がよくわからん、と悩んだり、そうあれこれ考えること自体が実は心の贅沢なのではと思ったり。

ただ心しておかねばならないのは、そういうことを考えている自分に酔っていないかということ。増上慢について以前お叱りをうけたことがある。反省しつつもすぐに忘れて思い上がり、またたたかれて反省する、の繰り返し。凡人であればすぐに悟りはひらけぬのはしかたないが、それでもそれを叩いて下さる人がいるということはありがたいことだと思っている。

最後に「市井の茶人」として励まされ心にとめておきたい一節を。


仕事をし、仕事のストレスに苛まれ、家庭人の務めも果たし、、(中略)、、茶道の稽古を日常のものとする。そういうありようは、やがて茶境にも、そして、本業やあるいは「人としてのありよう」にも透徹や豊かさをもたらしていく。茶道を真の余技として、一年一年時間を重ねていく贅沢をときには心に留めつつ生きたいものである。


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