FC2ブログ
topimage

2018-10

興福寺中金堂再建落慶法要〜慶讃茶会 - 2018.10.13 Sat

藤原不比等によって建立されたのち、幾度か、1717年、最後に焼失した奈良・興福寺の中金堂、平成22年の平城京遷都1300年をきっかけに再建するプロジェクトが動き出した。そして今年ついに完成、めでたく落慶法要をむかえる。



DSC03091.jpg



ああ、見えてきた見えてきた。雲一つない青空を背景に立つ中金堂。

法要はなんと5日間も行われ、毎日日替わりで法要の内容も、藤田美術館+千宗屋主催の慶讃茶会の道具内容も変わる、、、という中身の濃さ。毎日行ってもその価値がある、といわれたが、残念ながら仕事のある身、私がいったのは3日目(10月9日)であった。



DSC03097.jpg



この壮麗さ、華やかさ!これはやはり奈良の寺院なればこそ。いつもは春日大社国宝殿におさまっている鼉太鼓も登場。(春日大社も興福寺も藤原氏ゆかりの寺社だからね。)

法要にはこの日だけでも3000人という参列者。



DSC03096.jpg



法要を行われる猊下・式衆の沓



DSC03103.jpg



この日は南都諸大寺(薬師寺・東大寺・法隆寺・西大寺・唐招提寺)の僧堂の方々。晴天に華やかな僧衣が美しくまぶしい。




DSC03106.jpg



まるで天平時代の一大ページェントをみているようだな。

行くことがかなわなかったが、翌日は南都北嶺と並び称せられ、いずれも暴れん坊(強訴)で教義的に敵対関係にあった比叡山の天台座主が600余年の歳月を経て、興福寺の法要においでになる、という歴史的な法要になったらしい。天台声明も実によかったそうだ。



DSC03109.jpg



まずは南都楽所による舞楽、「振鉾三節」
儀式の最初に舞われる曲だそうだ。いかんせん,遠くてあまり見えないが、オーロラビジョンでなんとか。これって音楽のライブみたいだな〜(^_^;



DSC03110.jpg



5日連続で献茶される武者小路千家の若、千宗屋さん。のちに濃茶席を藤田美術館館長さんと担当される。


DSC03113.jpg



これもオーロラビジョンじゃないと見えないわ。
この時のBGM(?)が薬師寺管主さまの唄匿(法要の最初に唱えられる声明)
錫杖の音を響かせる法隆寺式衆、そして、、、



DSC03117.jpg



晴天に舞い上がる散華!
美しい風景

この散華は中金堂再建のために寄進された善男善女が二枚書いた、その一枚だそうだ。もう一枚はこの中金堂の天井裏に納められたと聞く。

散華の後は東大寺による梵音(声明の一)



DSC03125.jpg



この日は舞囃子が演じられたが、なんと!!
当日の式次第を見てはじめて知ったのだが、私の能の師匠ではないか!
しかも演目が大好きな「菊慈童」 一番のサプライズであった。
ただ、お堂に向かって舞われるので、ほとんど後姿ばかりでしたが(^_^;
(後に先生は3000人にお尻向けて舞ったのはじめて、とおっしゃってました)

つづけて祝辞、読経、焼香と続き、この日の法要はおひらきとなった。

こんな壮麗な落慶法要なんて、ほとんど参加する機会はないので、たいへん貴重な体験であった。(お手配下さったFさまに感謝)



DSC03136.jpg



そのあと慶讃茶会へ
濃茶席担当が藤田美術館、しかも道具日替わり、というのでとても楽しみにしていた。
(藤田は現在建て替え休館中)

その期待にたがわずすばらしい席であった。
なによりお点前が木津宗匠、半東に千宗屋さん、藤田の館長という贅沢さ。
慶讃茶会に藤田を引きずり出したのが宗屋さん、お二人は同年代なのでとても仲よしらしいです。

道具をいずれも奈良の古寺の法要というのを念頭におかれて決められたとか。

待合の軸は鎌倉期の虚空蔵菩薩画像に、伎楽面・迦楼羅(天平時代の伎楽面師・基永師作)
(他日は、興福寺伝来千体聖観音菩薩立像とか、法隆寺夢殿所要の青銅風鐸とかいずれもすごい〜)



DSC03126.jpg



本席の軸は5日通して聖一国師(円爾弁円)の南都勧請尺牘と会記に書いてあったが、この中日だけのサプライズ、法隆寺伝来の金銅灌頂幡の一枚。飛天の透かし彫りのある金銅製板だが、これを藤田家の古材でつくった板にとりつけてあり、これは館長みずから工作されたそうだ。
灌頂幡は後に知った名前だが(博学のM女史に聞いた)調べてみるとたしかにこんな感じの板が何枚も連結されてぶら下がっていて、そのうちの一枚だとわかった。1300年の時を経て、なお金色の輝きを放つこれは神々しくて胸をうった。(灌頂幡・参考→

釜は与次郎の東陽坊、水指:南蛮〆切芋頭、茶入:唐物肩衝「蘆庵」島津家伝来、花入:砧青磁、茶杓が珠光作「茶瓢」宗旦文添、で、なんとも変わった形。

主茶碗が日替わりでこの日は三井家伝来彫三島「あらがき」
外の檜垣紋がとちゅうで抜けているので荒垣、と名付けられたそうだ。これがけっこうどっしりした大きめの彫三島で色もグレー〜薄紅と窯変が美しく、なによりしっかりした高台がいいと思った。高台の半径、高さの比率がいい、というのはこういうことか。

実際木津宗匠が練られた正客の茶碗は一入の黒楽、私がいただいたのは三玄院天目。仁清の写しが有名だがそのもとになったもの。

ちなみに他日は、紹鷗伝来の大井戸「蓬莱(もしくは武蔵)」、長次郎赤楽「恩城寺」、柿の蔕「大津」、志野割高台「朝陽」(これ見たかったな〜)いずれもすごいラインナップ。

お菓子は奈良・樫舎さんの千代見草(=菊)、これも法要の五色(赤・緑・黄・紫・白)を日替わりで。この日は黄色であった。

法要でしびれ、茶席でしびれ、ほんまに満ち足りた一日であったなあ。
このあと新しくなった国宝館で久しぶりに阿修羅に会いに行ったのは言うまでもない。(昔はふつ〜にしょぼいガラスケースの一角にならんでいたのにえらく出世したよな)



DSC03140.jpg



引き出物が茶席の茶入の仕覆の一つでもあった「興福寺銀襴」(龍村製)であったのも佳き記念になる。


IMG_3031_20181012211357da8.jpg 

散華





「古美術から見る東大寺の美〜二月堂焼経と日の丸盆を中心に」〜東大寺本坊 - 2018.06.20 Wed

地震はほんまこわかった。宝塚にいたころの阪神淡路大震災を体が覚えていた。京都の家はほとんど被害なかったが、大阪へ出る手段をすべて断たれて、最終的に4時間かけてたどりついたがへとへとであった。電車が普通に動くありがたさをかみしめている。
命を奪われた方のご冥福をいのりつつ、その他の被害に遭われた方々のいち早い復旧をお祈りします。

             *******



DSC00220_201806170107273cc.jpg




やあ、おはよう。
また奈良に来ちゃった。5月にはまだ袋角だったのに、ずいぶんりっぱな角になったねえ。




DSC00222_201806170107290cc.jpg




鹿煎餅のねだり方も上品に、、、、とおもいきや、、、、




IMG_1803.jpg 




きゃ〜!!

東大寺南大門前は外国人観光客と修学旅行生と節操なく煎餅をねだる鹿でカオスとなっている(;゜0゜)




DSC00226.jpg




しかし、そこを通りぬけると静謐な祈りの世界が




DSC00227.jpg





キュレーションは白洲信哉氏で土曜には白洲氏によるギャラリートークもあったのに!なんで土曜日(´;ω;`)(←仕事)




DSC00228_20180617010734e94.jpg




東大寺本坊は5月の華厳大茶会の時に点心をいただく会場になっているところね。




DSC00233_20180617010739b0b.jpg




今回の展示はメインが日の丸盆(二月堂練行衆盆)と二月堂焼経(紺紙銀字華厳経)である。

日の丸盆は二月堂練行衆が食堂で現在も使用している朱塗りの盆で、ポスターにもなっているこれ。


(参考画像 青葉茶屋の練行衆食を模した夕食)

IMG_52351.jpg 




東大寺のは裏に朱で「二月堂練行衆盤廿六枚内永仁六年十月日漆工蓮□仏」と書かれているはず。(今回裏面の展示はなかった、残念)
当初永仁6年(1298年)に26枚作られた記録があるが、現在東大寺に11枚(重文)ある他、数枚の個人蔵のみとか。MIHOミュージアムの根来展でも数枚でていたと記憶する。

長年の使用で盆の中央当たりの朱塗りがはげて下地の黒漆がうきでている、そのむらむら加減がどれもちがって、ちょっとロールシャッハテストみたいだったり、割れたのを朱漆で繕っているのがわかるものや、盆の中央に数字(通し番号か)が書かれた物など。これだけたくさん(9枚)日の丸盆が見られる機会はそうないと思う。


そして二月堂焼経!東大寺所蔵の長いやつ(重文)や個人蔵で軸装された断簡が座敷いっぱいに。

ちなみに二月堂焼経は、寛文6年(1667年)、修二会の行法の最中(達陀かしら(^_^;)に二月堂が全焼したため焼失した経文のうち、後に灰の中から回収できた経文である。(ちなみにこの火災で絶対秘仏の生き仏といわれる小観音を見た!という記録もあり)
よって経文の上か下が無残にも焦げ焦げ、これをほんま、うまいこと修復したもの。

その名の通り、地の紙は紺色、経文は銀、これがまたすっきりと美しい組み合わせなのだ。軸装のものは中にはかなり焼けている部分が多くて、または銀字が酸化してほとんど読めなくなっているものもある。それでもよくぞここまで残ってくれました。
個人蔵の軸装はいつの時代のものか、様々な意匠があったが、個人的に一番好きなのは小田原文化財団蔵のもの。横長の軸装で一文字が焼けた銀の紙、中回しがなくて天地が紺紙。なんてスタイリッシュ!こんなん茶室にかけてみたいわ。

ちなみに古美術としての経文は行数で値段が決まるらしいので、値段も想像してみたり(^_^;ちょっと下世話でした。失礼。

他にも大聖武(伝・聖武天皇ご宸筆)などあり、これは正倉院展でもでているやつでは、と思ったり、伎楽の面や、本歌二月堂(机)や、平安時代の金剛蔵王権現像なども。
故小泉淳作画伯の襖絵「蓮池」「吉野の桜」もお忘れなく。(




DSC00229_201806170107368e4.jpg



本坊をでたあとは、ならまちから国立博物館前の夢風広場に移転されたten ten cafeさんでランチ

亡き河島英五ファミリーの営むお店だ。(お嬢さんのあみるさんは関西NHKの昼前番組のレギュラーです)




DSC00231.jpg




ならまち時代の町家の雰囲気が好きだったが、こちらはかなり河島英五色がぐっと濃いめ。
牛丼弁当をいただく。美味しかった。





DSC00224.jpg



じゃあ、またね。



3年ぶりの紫陽花・矢田寺〜大和郡山城趾 - 2018.06.18 Mon

紫陽花の名所矢田寺は大和郡山にある。
紫陽花のシーズン、名所とよばれるところ(おもに京都だけれど)いろいろ行ってみたが、私の中ではここと三室戸寺が最高峰である。




P1140736.jpg




というわけで、3年ぶりに矢田寺へお参りがてら紫陽花を楽しみに。
京都から車で1時間半くらい。電車では大和郡山駅からあじさい号という臨時バスもでているのだが、いかんせん、本数が少ない。




P1140743.jpg




このお寺は矢田山という小高い山に立っているので、ここまで来るにはちょっとしんどい階段もある。

ご由緒は大海人皇子の壬申の乱戦勝祈願に遡ると言うから、かなり古い。




P1140744.jpg




ご本尊が平安時代からお地蔵様にかわったとのことで(それ以前は十一面観音と吉祥天)、境内にはお地蔵様があちこちにいらっしゃる。
3年前みそこねた「味噌なめ地蔵」さま、今回は忘れずに拝んだ。とはいえ、味噌をお地蔵様の唇に塗ると(自家製)味噌の味がよくなる、という伝承なので、味噌を手作りしない私にはあまり御利益は、、、、(^_^;




P1140747.jpg




紫陽花であるが、このお寺に紫陽花を植えだしたのは50年ほど前というから、それほど昔のことではない。



P1140751.jpg




ところが今では境内に1万株、60種類もの紫陽花があるという。どこへいっても紫陽花だらけ、しかもその種類も様々で実に見応えがある。




P1140753.jpg




紫陽花はひとつの花でも美しいが、やはり群れて咲くとさらに美しいと思う。




P1140755.jpg




矢田山を登る道にも紫陽花の森、どこまで紫陽花が続くのか、さらにその先までのぼってみたくなる。




P1140756.jpg




ふりかえれば遙か向こうに大和郡山の市街がみわたせる。



P1140748.jpg




お釈迦様がその下で悟りをひらいたという菩提樹の花も満開




P1140758.jpg




3年前にも、はしっこがくるっと丸まって、おもしろい花弁だな〜と思っていた種類もきれいに咲いている。ほんまに紫陽花は種類豊富だ。




P1140767.jpg




茶席にむくのはやはりガクアジサイ〜山紫陽花系なので、ついついそちらに目が行くが。




P1140763.jpg




池にはめずらしい北米原産・水カンナの花も咲く。(昭和初期に来日したらしい)




P1140768.jpg




さて、圧巻は紫陽花の山
本堂手前の左手にある紫陽花庭園で、小さな渓流もある山の斜面にびっしりの紫陽花。その3Dの咲き方は迫力がある。



P1140773.jpg




この日、紫陽花日和で小雨。3年前は本格的な降りで、この石の階段ですべってあやうくカメラをダメにするところだったのを思いだし、慎重に歩く。




P1140780.jpg




わけいっても わけいっても 紫陽花の山、、、、山頭火の歌をついもじりたくなる(^_^;




P1140788.jpg




薄紅ぎざぎざ花びら



P1140795.jpg




純白四葩




P1140782.jpg




紫陽花の山には山法師も咲いている。




P1140798.jpg




紫陽花の森のあちこちで花を楽しむ人たち

紫陽花に雨はよく似合う(晴れた日は、やっぱりくたっとしているそうだ)




P1140803.jpg




参道の塔頭・大門坊には、今度はお釈迦様がその下で入滅されたという沙羅の花(ほんとうは別の種類の植物なんだが)、ナツツバキとも。宝塚時代ここまで大きくなかったけれど庭に植えて楽しんでいたっけ。


北僧坊という塔頭では紫陽花御膳と称したお昼がいただけると聞いていたが、さすがハイシーズン、私が行ったときにはすでに売り切れ。ここで食いっぱぐれると、矢田寺周辺なんにもないです(´・_・`)




P1140807.jpg




こちら大門坊にある茶室一如庵、500円でお薄一服できる。




P1140808.jpg




この茶席は大和平野を一望できるこの眺望がなによりのご馳走である。




P1140810.jpg




はったい粉をつかった紫陽花のオリジナル干菓子




P1140811.jpg




お茶碗も紫陽花であった。


さて、せっかく車できたことだし、帰る道道、これも前回見逃した大和郡山城趾にもよってみよう。



P1140839.jpg




大和郡山城は、初代・郡山衆とよばれた人たちが入城したほか、いろんな城主がいれかわりたちかわり、なかでもビッグネームは筒井順慶、秀吉の弟秀長あたり。18世紀に柳澤家が入り明治まで続いたと言うが、その後城は破却されたので、現在ある建物は近年になってからの復元である。



P1140819.jpg 



なので、ここに○○門があった、△△廓があった、、という標識をたよりに、お濠や、、、



P1140822.jpg




石垣に当時の面影を想像するしかないのだが。




P1140823.jpg




現在も大和郡山市は濠にかかっていた橋を復元しようと工事中。




P1140835.jpg




こちらも近年の復元追手門、またの名を梅林門




P1140828.jpg




なんとなれば近くに梅林があったからだそうで、今でも梅の木がうえられている。梅の実は収穫する人もないようで、熟して落ちているのがちょっともったいない。





P1140830.jpg




最後に隣接する旧奈良県立図書館の建物をチラ見。
明治41年奈良県技師であった橋本卯兵衛が設計した建築で、もともと奈良公園内にあったのを昭和43年、当地に移設したもの。




P1140831.jpg




なかなか見所のありそうな建築物だが、一般公開は週末だけのようだ。現在は大和郡山市教育関連施設として、まだ現役なのがすごい。




ならまち樫舎の和菓子フルコース - 2018.05.19 Sat

奈良国立博物館へ「国宝・春日大社のすべて」展で春日大社の秘宝を堪能した後、以前からなかなか予定が合わず行けなかった和菓子のフルコースにやっと行けました〜♪




P5150029.jpg





ならまち元興寺の近く樫舎さん。

奈良へ来たとき3回に1回はいっているかな、二階のカフェへ。(かき氷も美味しいし)
でもカウンター席での和菓子フルコースは予約が必要。





P5150030.jpg




店先はこんな感じ、左手に見えている階段箪笥は薬師寺の故・高田好胤師が愛用されていた物だったとか。薬師寺とはご縁が深く、薬師寺でしか買えない葛の和三盆、「白鳳の飛天」(これも大好き!)は樫舎さんが作られています。




IMG_1374.jpg




まずは冷えた煎茶にその白鳳の飛天と同じタイプの鹿の和三盆
お盆や器はすべてこのフルコース用の特注品




IMG_1375.jpg




一般的な落雁は寒梅粉がはいったり、口の中がもそもそするのだけれど、樫舎さんはそれはかさを増やすためのもので、接着剤としての役割はない、ときっぱり。
砂糖と、上質の葛粉だけで落雁は固まるし、口溶けもよいのだと。だから白鳳の飛天、うまいのね。

ただ、100個単位だと問題ないが、1000個作るとなぜか美味くできないという。それを調べるために工業試験場まで行って電顕写真までとったそうです。結果、どうしてもたくさん作っている間に粉が摩擦熱に曝され質がおちるのだと。なんと和菓子も科学ですね。樫舎さんきっと理系。




IMG_1381.jpg




コースの次はきんとんだが、先にわらび餅を作って、冷ましておく。
みせてもらった、これが本わらび粉。よくスーパーで売っているのは甘藷のデンプンなんで、この農家指定特注で入手されている本わらび粉は値段10倍くらい違うらしい。

かつて和菓子屋さんで修行をされていたとき、わらび粉は火にかけて15分練れ!と教わったそうだが、ご自分で疑問を感じてあれこれ試した結果、数分で上等、それ以上練るとわらびの風味が飛んでしまうと気づかれたそうだ。




IMG_1385.jpg





で、目の前で練り上げたわらび餅をヘラの上にのせる。この段階で100℃以上(砂糖による沸点上昇、あ、やっぱり理系?)、きな粉の上に落としてく。




IMG_1388.jpg




こしあんの玉をわらび餅の中にしこむ頃には60℃くらいだとか。でも普通は熱い!という温度だよね。ここでもあんこと水の比率で感じる甘さは逆説的にかわる、というお話しも聞く。




IMG_1392.jpg





さて、わらび餅が冷めるあいだ、きんとんを。
この白餡が白小豆!

普通の白餡はほとんどが手亡豆(てぼうまめ)で、白小豆というのはめったにお目にかかれない。京都の和菓子のお店でも白小豆だけで白餡を使ってるところは5軒しかないという。

これは岡山産の白小豆で、この農家さんが作らなくなったらどうしよう、、というシロモノらしい。
ここでも、和菓子の材料と成る農家が作るものが以下に大切か、農家をいかに大切にしないといけないか、ということを力説。




P5150036.jpg




馬の毛を使ったきんとん篩いは一番大きなメッシュでもこの細かさ。きんとんはもちろんつくね芋、しかも冷凍ではなくて数年寝かせたものだとおっしゃる。




P5150038.jpg




上に「ダイヤモンドカット(^_^;」の寒天を露のようにのせて完成!
銀朱の椿皿にのせて


和菓子は横からの光でみるのが美しい、、、とわざわざ電灯を消してくださったので、自然光で撮影。なんと繊細で美しい。どんな洋菓子より日本人好みの美しさ。つくね芋の味がほんとにしつこくなく美味しい。

これは抹茶でいただいた。




IMG_1398.jpg




さて、先ほど作ってさましておいたわらび餅に仕上げのきな粉をかける。
このお皿も練行衆盆のミニチュアみたいできれいだなあ。




P5150043.jpg



これもふたたび電灯を消して
わらび餅のテクスチュアがもう普通のわらび餅とは別物!ねばるねばる。

これはケニア産のこだわりの豆、入れ方でいれたもの、といっしょにいただく。カップは赤膚焼きの大塩正人さんの奈良絵、特注品。(写真ないけど)





P5150046.jpg




最後のメインディッシュが最中
目の前で粒あんを皮にしこんで皿に載せる間も惜しんで手渡し。
なぜかというと、一秒でも食べるまでに時間がかかると餡の水分が皮にしみてくるから。




IMG_1405.jpg





写真をとるのもそこそこに口にほおばった。
普通和菓子をこれだけいただいたら、ちょっと胸わるくなるのに、最後までまったくそんなことはなく、するっと食べられた。この上品な甘さはなんだろう。




IMG_1412_20180515225703169.jpg




最中にはほうじ茶
左のミニチュア馬上杯は一煎目、右手の筒状が二煎目、いずれの杯もコーヒーカップと同じく正人窯の特注品。(馬上杯は正人窯で売っているそうなのでゲットしたい)
一煎目では香りを楽しみ、二煎目で味を楽しむ。この茶葉もまた上等なものだろう。


くりかえし、くりかえし、樫舎さんがおっしゃるのは、和菓子職人は砂糖と小豆+αのごく数種類の材料を手間をそれほど掛けずに作る単純な仕事であり、出来上がった和菓子の9割は、その材料を作った農家さんの手柄である、と。なのに社会的地位はそれにつりあっていない。だから後継者も育たない、もっと農家を大切にしなければ、農家こそが日本伝統文化をささえてくれるものだ、ということ。
その熱い思いは確かに伝わりましたよ。








春日若宮おん祭2017〜御旅所にて神遊 - 2017.12.20 Wed

近鉄奈良駅でおりたらそこはもうおん祭だった。(12月16〜17日)




PC170001.jpg 




保延年間(12世紀)にはじまったとされる春日若宮おん祭。
調べてみたら、前に出かけたのはもう7年も前だった。(若かったな〜)

深夜におこなわれる遷幸の儀・暁祭(1:00AM〜)を凍死寸前になりながら見た記憶がある。
若宮の神様が本殿を出て、春日大社参道にある御旅所・行宮にお渡りになるのは深夜、真の闇、静寂、のなか、榊の木を手にした神官に十重二十重に取り囲まれ神霊がお渡りになる。榊の山が動くように見え、古人は「青垣山の移り行く如し」とたとえたという。
「ヲ〜ヲ〜」という警蹕の声は人の声に思えず、この世の物ではないような心地がした。





PC170003.jpg





三条通りを春日神社参道へ向かう。
17日は朝からお渡り式という時代絵巻が繰り広げられ、7年前には見たのだが、なにせ人がいっぱいなので、今年はもういいや、とスルーすることにした。
お渡り式をみて帰る大多数の人たちの流れにさからって東へ。





PC170005.jpg




影向の松
春日明神が初めてお姿を現した場所で、お渡り式の各座はここで足をとめ、芸能をショートで奉納する。特に猿楽の金春座は能の原点であるここで舞を奉納するのだ。(能舞台の背景の松はこれがモデル)



↓ これは7年前、松の下式を裏側から見た時の写真。

_photos_uncategorized_2010_12_18_p1080255.jpg 

(小さすぎてわからんな〜)





PC170007.jpg




お渡り式を終えて帰途につく流鏑馬の稚児たち。




P1130614.jpg




さて、御旅所に到着。うん、けっこうな人だかり。
7年前はここの入り口に埒をたて、金春太夫がこれを切って、行列が中へはいるところも見た。

↓ 中央の小さな柵に白い紙が結んであるのを切る(7年前の写真)

_photos_uncategorized_2010_12_18_p1080264 (1) 





P1130613.jpg




向かって右の左方の鼉太鼓(だだいこ)は日輪・龍である。
右方のは月輪・鳳凰になる。

さて、いよいよ若宮様をお楽しませする神遊のはじまり。(15:30〜)




P1130615.jpg




6人の御巫(みかんこ)による神楽。

後の階段の上が若宮様おわします行宮。




P1130622.jpg




前にかざした藤の簪がかわいいよね。
扇舞あり、鈴舞あり、唯一女性による舞。




P1130638.jpg




ついで少年たちによる東遊(あずまあそび)。
このころになるとやや暮れてきて、篝火に火がはいる。なぜかずっと杉が燃えるだけでないよい香りが御旅所に満ち満ちていたが、沈香でも焚いていたのかもしれない。




P1130639.jpg





平安時代に近衞の官人が出仕したため。装束は細纓冠緌に桜を翳す。





P1130648.jpg




源氏物語絵巻を見ているが如し。




P1130649.jpg




ついで田楽
左右の端に立つ大きな花笠が美しい。




P1130652.jpg




行宮に奉納された御幣も五色と華やか。

しかし、、、遠すぎてどんな芸能をやっているのか後からはよく見えなかった。
神様にお見せするので、われわれに見えなくてもいいのだけれどね。




P1130653.jpg




この華やかな笠は綾藺笠というらしい。


さて、17:00〜、実は本日の私的メインイベント。これを、これだけを本当は見に来たと言ってよい。

細男(せいのお)



P1130658.jpg




白い布で顔を隠すのがそもそも異様。
そう、異様な舞なのだ。7年前もこれにいたく心惹かれた。




P1130659.jpg




時、あたかも逢魔が時。日没前後にこれをもってくるところがあまりにはまりすぎ。




P1130665.jpg




安曇磯良(船鉾のご神体でもあるよ)の舞というが、7年前の旧ブログから細男の由来を。


神功皇后が朝鮮出兵に向かうとき、常陸国の海底に住む安曇磯良(あずみのいそら)に船の舵取りをさせようと使いを出したが応じない。訳を聞くと、自分は深い海底に長い間住んでいるので顔中に牡蛎が吸い付いてしまってあまりに醜いためでられないのだ、とのこと。そこで住吉の神が自ら拍子をとって歌い舞うと、舞楽好きの磯良はたまらなくなって醜い顔を覆い、首に鼓を掛け「細男」という舞を舞いながら海からでてきて、神功皇后の渡海を助けた、という話。






(拡大してみてね)


このちょっと脱力するような「ポチャン、ポチャン、、」という単純なリズムに、妖しげに腰をかがめて顔を隠して反閇を踏むように歩くだけ、、、という、これはナニカの呪術か?









P1130674.jpg



かくして7年ぶりに見た細男も終わり、気がつけばあたりは暗闇の帷がおりてきている。灯りが極端に少ない奈良公園、暗さがはんぱない。




P1130681.jpg




翁を略式化した神楽式ではあの「とうとうたらり〜たらりあがりいたらりとう〜」の呪文(?)




P1130685.jpg




ついで舞楽5番10曲

このあたりになると寒さはますますしんしんと。
今年は7年前に凍死しかけた(^_^;経験をふまえ、上半身の防寒対策は万全だったのだが、いかんせん、足元の対策がもうひとつであった。次回への課題。




P1130691.jpg




鼉太鼓。
この大きな音にはしびれる。
ちょっとだけ、音を録音 ↓








蘭陵王の時の鼉太鼓はもっと激しくてやばいのよ。
しかし管楽器のこの不協和音的な音色はなんというか、、、やっぱり不思議。はるか昔に大陸からわたってきた、、というのが納得。



P1130699.jpg




赤系装束の左方は中国・印度から伝わる唐楽
緑系装束の右方は朝鮮半島から伝わる高麗楽

と、よばれ必ずペア(番舞・つがいまい)で舞われる。




P1130712.jpg




左方舞










P1130716.jpg




南都楽所(なんとがくそ)の楽士さんたち




P1130723.jpg




右方舞




P1130730.jpg





望遠で暗い中撮るのはこれが限界。




P1130737.jpg




こちらは和舞(大和舞)舞楽が異国的なのに対して和風。
榊を手にして4人の舞手。

今夜はお泊まりできないので最後に大好きな蘭陵王を見て帰ろうと思ったら、、、




P1130746.jpg



あら、蘭陵王の番舞の納曽利(なそり)が。

この二曲の順番はお渡り式の競馬で勝ちを取った方が先になるとのことで、今年は右方の勝ちだったようだ。

しかし、蘭陵王に比べ、あまり見る機会のない納曽利、はじめてじっくり見た。蘭陵王は美貌の猛将・高長恭のストーリーが有名だが、納曽利は双龍の舞だと今回初めて知った。




P1130748.jpg




そして納曽利の舞納めを迎えるが如く立つ蘭陵王。




P1130750.jpg




猛将の勇壮な舞は腹にしみこむ鼉太鼓の音とともに、カタルシスを生む。いつみてもかっこええなあ、蘭陵王。


ここで御旅所をあとにする。
7年前は23時〜、若宮様が本殿にお帰りになる還幸の儀まで見て帰ったから、体力あったなあ、、、
行宮におわすのは24時間弱という、あわただしい神様のお遊び、今年も無事お開きとなったようでなにより。

それにしてもさぶい、、、、、








NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

最新コメント

プロフィール

しぇる

Author:しぇる
京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

最新記事

カテゴリ

未分類 (9)
茶の湯 (233)
茶事(亭主) (29)
茶事(客) (73)
茶会(亭主) (5)
煎茶 (8)
京のグルメ&カフェ (59)
町家ウォッチング (7)
弘道館 (7)
岡崎暮らし (59)
MUSIC (4)
能・歌舞伎 (39)
京都めぐり2018 (17)
京都めぐり2017 (30)
京都めぐり2016 (34)
京都めぐり2015 (34)
京都めぐり2014 (39)
京都めぐり2013 (36)
京都めぐり2012 (6)
本・映画 (10)
美術館・博物館 (68)
奈良散歩 (24)
大阪散歩 (1)
着物 (6)
京の祭礼・伝統行事 (45)
祗園祭2018 (11)
祗園祭2017 (17)
祗園祭2016 (18)
祗園祭2015 (16)
祇園祭2014 (13)
祇園祭2013 (14)
修二会2018 (4)
修二会2017 (4)
修二会2016 (3)
修二会2015 (3)
修二会2014 (3)
修二会2013 (3)
その他の町散歩 (6)
京都和菓子の会 (3)
イスタンブール・カッパドキア紀行2013 (8)
英国田舎紀行2015・湖水地方とコーンウォール (7)
パリ紀行2014 (7)
ノルウェー紀行2016 (4)
古筆 (1)
ポルトガル中部〜北部紀行2017 (7)
京都でお遊び (6)
ギャラリー (4)
暮らし (5)
中国茶 (27)
京都の歴史・文化について勉強 (2)
過去ブログ終了について (0)
猫 (1)
滋賀さんぽ (1)
オランダ・ベルギー紀行2018 (9)
台北旅行2018 (3)

月別アーカイブ

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR