嵐山法輪寺・重陽節句法要2022 - 2022.09.12 Mon
嵐山にも観光客(主に修学旅行生が多い)がだいぶんもどってきた。
往時の賑わいはないもののそれなりに。
嵐山は紅葉を始めた木もそろそろ。
渡月橋をわたって法輪寺へ。9月9日は重陽の節句、こちらでの法要は4年ぶりである。すでに何回か行っているのは能の仕舞がみられるからだ。ちなみにこちらは裏参道。
虚空蔵大菩薩・法輪寺。(TV「京都人の密かな愉しみ〜Blue」をご覧の方、あの渡月橋の上で振り返ってはイケナイ十三参りの舞台ですよ〜)
重陽の節句法要もコロナで中止になった年もあり、今年はなんとか、ただし菊酒のおふるまいはないだろうなあ。
法要は約20分ほど、真言宗のお寺なので、密教荘厳はキラキラ、南無大師遍昭金剛、、、
出遅れたので、お堂の中へははいれず、濡れ縁にて人の隙間から参拝。コロナの時期だがみなさん気合いではようから並んではったのね。
これが由緒正しい?着せ綿の着せ方。かぶせる綿も五色なのだ。綿にうつった菊におく露でからだを拭って無病息災を祈る。お茶の世界界隈だとかならず茶会のテーマになる伝統文化だが、はたしてどれだけの日本人が「重陽」をご存じだろうか。
法要のあと、参拝客に菊の花がわたされる。
これを順番にご本尊に供えていくのだ。
菊の香りがとてもいい。本来なら旧暦重陽(今年は10月4日)のころ、菊の花は盛りだが、まだ暑さの残るこの季節、これだけの菊花をご準備されるのはたいへんだろうなあ、、、といつも思う。
知人とばったりであったので、菊の写真を撮らせてもらった。
そしてお楽しみの仕舞(正確には舞囃子)「枕慈童」(観世では「菊慈童」だが、こちらでは金剛流なので)
写真撮影はしなかったが、これは4年前のもの、やはりご本尊に向けて舞うので観客にはお尻をむけるかっこうになる。菊慈童の仕舞(キリ)はすでに習って舞ったことがあるし、キリの部分だけは謡えるので楽しい。ただし謡いも観世と金剛では微妙な違いがある。
♪ 所は酈縣(れっけん)の山のしただり 菊水の流れ、、、
このくだりは好きやなあ。
枕をまたいで皇帝の怒りに触れ、酈縣山の山奥に観音経を書いた枕を持たされ放り出された少年、菊慈童は「福寿海無量」の経文と酈縣山の水で若い姿のまま700歳の年を生きるのである。
長寿をことほぐ曲ながら、そんなに長い間一人で山の中ってどれだけの寂寥感だろうと思ってしまうのだが。
御所人形師・十代伊藤久重作の「菊慈童」
あどけなくそして美しい。菊慈童人形のなかではピカイチではなかろうか。この人形は重陽のこの日のみ、飾られる。

これは10年以上前にもとめたものだが、この日のみ、法輪寺で入手できる茱萸嚢である。かつて宮中で、端午の節句に薬玉、重陽の節句に茱萸嚢を飾って厄除けにしたという。ちなみに本来の茱萸嚢は漢方にもなる呉茱萸(ゴシュユ)を袋につめたものである。
五山送り火〜3年ぶりフルバージョン2022 - 2022.08.20 Sat
五山送り火、心の中では大文字と単によんでるが、毎年見られるわけではない。仕事の時もあれば旅行の時、疲れてや〜めた、の時もある。昨年、一昨年はコロナの影響で5点点灯となったが今年は久々にフル点灯となるし、曜日周りもよかったので、孫1,2,3号をひきつれて送りに行こう。

銀閣寺のところにある大文字の護摩木おさめは14日からやっている。例年は銀閣寺門前だったが、今年から(昨年も?)すぐ脇の、大文字登山口にあたる八神社の境内になっていた。
多くの方が護摩木をおさめに来られている。これで盛大に山でお焚き上げ、ご先祖様を景気よく送り出すのだ。保存会の方々も3年ぶりのこの日をじっと耐えて待っておられただろうな。
それぞれに名前を書いているところ、子供は絵になるのかTVの撮影取材まであったわ(^_^;
さて16日当日、前日までに丈を直した(この頃の子達の成長は早い)浴衣を着せて、おしゃれしておでかけ、、、、、のはずが、なんと途中で雷をともなう豪雨に見舞われたのは京都の五山送りの民はご存じであろう。せっかくの浴衣がびしょびしょになったのであった、、、(まあ、晴れ間ですぐ乾いたけれど)
今年は孫もいるので、五山送りも気合い入れて見せてやろうと、ほぼ全山(最終的に鳥居は見えなかった)見える古巣の大学研究室の屋上へ、昔のツテを頼って登らせてもらう。
屋上のさらに上、パイプはしごを登るけっこう危険な(^_^;特等席である。
この頃には雨は奇跡的に一時やむ。大の字の要の部分だけにチラチラと灯りが見える如意ヶ岳。
町の灯りも少しセーブされしずまって点火の時を待つ。
ところがやはり最前までの大雨がたたったのか、20時になっても大文字点火せず。
と思っていたらお先に失礼!とばかり(というか定刻なのだが)左大文字が点火。
そうこうするうち西賀茂の舟形もお先に〜
見えにくいが左端に左大文字、右に舟形。(こういうスケールなんです、とお見せしたいので)
15分ほど遅れておお、やっと大が点いた。
このころ舟形はきれいな舟の形をあらわす。
大の字、がんばれ〜!
そういえばいままでけっこう大雨でも火は点いていた。昨今のような豪雨では無かったにしろ、それなりの雨対策ノウハウは持っていらっしゃると思う。
そして松ヶ崎の妙
法
昔から思っていたがなんで「妙」は草書体で「法」はたどたどしいほど活字体なのかしら。(元となった字をかいたお坊さんが実は違うのだ)松ヶ崎あたりは今も日蓮宗のお家が多いと聞く。
舟と妙法の距離感
そしてやっと湯気をあげながら美しい大の字が浮かび上がった。
最初に大文字を見たのは中学の時、K大に行ってたいとこの下宿に遊びに行ってつれていってもらったが、当時はまだ交通規制するほど人出は多くなく、加茂大橋のたもとの交番の前でのんびり見たっけ。あれから追いかけてK大行ってその後、京都からでたり入ったり、最終的に京都に住んでるが幾度となく拝んできた。いや、拝むという感覚は年取ってからだな、若い頃は物見遊山でしかなかったが。
あれがお正月に登った大文字山なんよ、と孫に教えるもわかっているのかいないのか。
今の若い世代はおしょらいさんを迎えたり送ったりとかしらないだろうな、なにせ仏壇すらない家がほとんどだし。かくいううちにもない、、、(^_^;。それでもお盆となればキュウリや茄子に割り箸で足をつけた思い出がある。
そっくりだが、こちらはやや小型の左大文字である。一番についてすぐ暗くなったように見えたが、なんと復活してさらに明るくなっている。なにかの雨用テクニックを使ったのか?
やがて大の字も消えていく。
みんなの護摩木の煙とともに、ご先祖様も願いも昇華する。
ああ、今年も夏が終わったな、、、、
この後、家にかえるとふたたび雷雨、あの一瞬だけ雨がやんで雲間から空が見えたのはほんまに奇跡に近かったのではなかろうか。何かの力を感じる今年の五山送り火。
夏越大祓〜上賀茂神社2022 - 2022.07.01 Fri
6月30日あちこちの神社で夏越祓が行われる。体温超えというどうかしてる暑さにも負けず、1日で茅の輪くぐり4カ所という快挙?をなしとげたが、その最後を飾ったのが上賀茂神社、5年ぶりの夏越大祓である。

猛暑にもかかわらず、また決してアクセスがいいとは言いがたいのに、たくさんお参りだ。早速儀礼にのっとって茅の輪くぐり、例のあやしい歌(♪水無月の夏越の祓するひとは、、、)を心に念じつつ。(吉田神社では大勢でこれ歌いながらぞろぞろを茅の輪くぐりをするというすごくアヤシイ大祓されるのだが、今年も中止であった)
大祓で御手洗川に流される人形(ひとがた)に、半年分のケガレを移して納める。名前と数え年を書くのだが、数えいくつだっけ???こんなとこでサバ読んじゃだめよ(^_^;
かぜそよぐ ならの小川の夕暮れは 禊ぎぞ夏のしるしなりける (藤原家隆)
、、、の世界が息づく。5年前に来た時には、はさんである紙が三角だと認識していたのだが、どうやら四角い紙の両端がたれて丸まって三角に見えたもよう。
20時行事が始まる前にご神火からきりとられた火で護摩木に点火。そうでなくても体温超えで汗だらだらなのに、この火がまた暑い熱い。少しでも和らぐように扇子持参して正解。
護摩木は納められた分だけ大量にあるので、次から次へとくべられる。
水に映る火が美しい。
夏の景色
浄化の炎は夏に見ても(暑いのをのぞけば)よいものだな。松明フェチなもので(^_^;
延喜式のころから行われていた夏越祓だが、本来6月だけでなく12月の晦日にも大祓は行われていたという。1000年も昔の情景を思い描く。
ちなみに茅の輪くぐりは比較的新しく、江戸時代からでは、、とのことである。
そうこうするうちに神主さんご一行が、雅楽師さんをひきつれて橋殿にご到着。
まずは「禊ぎぞ夏のしるしなりける」の歌を詠唱。
そして行事のハイライト、人形流しだ。
中臣の祓えの祝詞をBGMに、いったいどれだけあるだろうという大量の人形を指ではじいて流していく。東大寺修二会でも大中臣祓という練行衆が祝詞をあげるという神仏習合的儀式があるのだが、もともと中臣祓は夏越祓(と年越祓)用の祝詞やったんやね。
人形は次々と流れて行く。
(どこらへんで回収しはるんやろ?)
流れが速いので、うまくシャッターに捉えきれない。
そのうちのいくつかは幣の棒にひっかかる。
人形がおわれば、贖物(あがもの)の木綿と麻を裂いて裂いて、水に流す。これもケガレを切って捨てるという意味だろうか。
おもふこと みなつきねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓えつるかな (和泉式部)
水無月と皆尽きを掛けてあるのが憎いね。
雅楽の音とともに神職ご一同退席される。
上賀茂の夜は暗い。
こんな儀式でもないことには夜来ることはなかろう。
さて、上半年のケガレは祓いまくったし、新たな気持ちで残り半年、無事過ごせますように。その前にこの暑さにやられませんように〜。
節分の日2022 - 2022.02.04 Fri
昨年は多くの寺社の節分祭が中止になったり極端に縮小されたりであった。今年もフルバージョンにはほど遠いものの、洛中洛外諸処で節分祭がおこなわれたもよう。
毎年かよっているおなじみの節分祭を用事をこなしながらはしごした。

まずはご近所須賀神社
毎年同じお兄さんが懸想文売りされているが、京都移住前から通っているので、お兄さんも10年以上もたつと貫禄でてきはったなあ。
今年も懸想文ゲットしましたよ。良縁はともかく押し入れにいれて、着物増加を図る?
須賀神社お隣の聖護院さんでは午後から山伏さん総出で、護摩供養がおこなわれる。
山伏さんもビニールシートで囲まれてコロナ対策中。
本堂前のりっぱな梅の木には、猫ちゃんが(塑像)かくれているので、さがすのも楽しみ。
追儺式も今年は行われるらしく、出番を待つ赤鬼さんを発見(^_^;
テリトリーではないが、西の壬生エリアにも今年はでかけよう。昨年はいけなかったし。まずは四条通に面する元祇園・梛神社と隼神社へ。
壬生寺道の入り口にあるので、参詣の人は結構多い。
ここは梛神社の敷地に近くにあった隼神社が、大正年間にお引っ越ししてきたので、本殿が二つある。
ちょうど巫女さんのお神楽を拝見することができた。
壬生寺道にはぱらぱらと露天がでているが、例年の賑わいはない。ここに2,3軒あった焙烙を売っている店もでていない。ちょっとさびしい。新撰組ゆかりの地であるから「誠」の旗も。これは壬生の屯所であった八木家で、今は和菓子・鶴屋さんである。
その代わり壬生寺の境内の一部に、一カ所にまとめられているようだ。
壬生狂言で景気よく割られる焙烙である。
早速祈願など書いて奉納する。
以前一枚もちかえり、今もこの季節の茶事には灰器として使わせてもらっている。
節分祭は神社はもとよりお寺でもしはるので、ついついお寺で柏手を打つというミスをしがち(^_^;
今年は人数回数を制限して壬生狂言も行われたようだ。もう数年見ていないので、また早く気兼ねなく見られるようになってほしい。
さて、我が家の節分の本丸はこちら、吉田神社。
学生の頃は、キャンパスが節分祭の会場になったみたいでわくわくしたものだ。通算12年、ここの氏子であった。
今年は露天が復活、ただし例年よりは縮小。
深夜の火炉祭も、時間を告知しないでおこなわれるとか。
一時燃やした灰の廃棄方法をめぐって神社と市がもめて、火炉祭中止の数年もあったな。(すご〜くしょぼい点火神事だけやらはった)
それなりににぎわう境内。
追儺式は中止、神事も関係者のみという。
非時香菓(ときじくのかくのこのみ・橘といわれる)をこの地にもたらした田道間守(たじまもり)を祀る菓祖神社も、駄菓子と豆茶の接待なし。残念。でも、今年も美味しいお菓子がたくさん食べられますようにと祈る。
大元宮に行く坂には8割くらいの屋台、飲食系の屋台もけっこうでていて、これにはちょっとびっくり。ただし2年連続、河道屋の晦日蕎麦は出店なく、蕎麦たべそこねる。
吉田に唯一ある造り酒屋の松井酒造さん(学生時代、下宿が近くで懐かしいの)、吉田神社へご神酒をご奉仕されているご縁で、例年はここで升酒いただくのだが、今年は販売のみにて。でも出店できてなにより。
全国津々浦々の神様を祀る大元宮。節分の時だけ入ることができるので、今年も無事お参りできたことへ感謝。
山城とか、大和とか、美濃とか、備前とか、、、それぞれの国の小さいお社がずらっと並ぶので、昔の地名をたどるのもまた楽しい。
内宮源、外宮源にもひっそりお参りして、今年も無事すごせますように。
吉田神社の節分祭はやっぱり夜がいいよ。あやしくも幻想的、かつノスタルジックな景色がみられるからね。
で、松井酒造さんで入手した生酒「神蔵・七曜」(飲食店限定流通で普通店では売っていない)、おうちで一杯。
明日は立春大吉、新しい年のはじまりだ。
時代祭にかえて〜衣装特別公開・平安神宮 - 2021.10.21 Thu
今年もあの華やかな絵巻っぽい時代祭行列は行われないらしい。縮小版で境内内だけでおこなわれると立て看には書いてあった。
その代わりなのか、時代祭の装束が無料で公開されている。(〜24日まで)
(ちなみに22日、本来の行列当日は神苑無料解放される)
実は時代祭は歴史が浅すぎて、あまりそそられないのでしっかり見たことはないのだが、あの装束がまじまじと見られるとあって、行ってみた。
おお!なかなかすてきだ。
この装束が当時のものを正確に復元したものかはわからないが、着倒れの京都の名に恥じない作り込み様で、昔の装束に興味がある者としては、息がかかるくらい間近でガン見。
清少納言の衣装、当然平安時代の襲である。五つ衣のグラデーションが美しい。
驚いたのは「板引き」が忠実に再現されていたこと。唐衣の襟の部分だが、この光沢を帯びたつやつやの部分は、板引きといって、漆の板に貼り付けて糊をつけ、パリパリにする技法。ここまで再現ということは全体的にクオリティー高そう。
大和絵でみる十二単の裳ってわかりにくいのだが、これなんよね。こんなのを引きずって歩いてたわけだ。襲と唐衣だけで十分美しいのにこれって必要?といつも思う。
裳そのものは美しい。技術的にも手間がかかってるなあ。
時代はかなり下って皇女和宮の近世宮中衣装。実用性が勝って唐衣がずいぶん短くなっている。髪も下げ髪ではなくおすべらかしで動きやすくなっている。
でもやっぱり裳はあるんだな。
しかしこの五色の飾り紐、帯の刺繍、これもお見事。
これは出雲阿国、想像の域を出ないがきっとこんな傾いた衣装だったのだろう。帯がユニーク。腰にぶら下げた飾り物が、現代の若者が腰にじゃらじゃら鍵やらスマホやらぶら下げた姿に通っておもしろい(^_^;
静御前
この水干の袖がどうなっているのかずっと疑問であったが、後ろに回ってみることができ、長年の疑問が解けた。
この紗の透け感がすてき。
こちらは平安時代の市中に住む貴族の娘の普段着(袿姿?)ってこんな感じだったのかと納得の紀貫之の娘。
かの「勅なればいともかしこし鶯の、、、」の歌を詠んだ鶯宿梅の逸話で有名。
巴御前
この天冠のような兜のようなかぶり物が美しい。菩薩の天冠のようでもある。能の「巴」がかぶるのは烏帽子だが。
百済王明信(桓武帝宮中女官)
一番興味深かったのがやはり天平装束(平安初期)、先だって平城京跡公園の女舞女楽でもたっぷり見せてもらったが、今一番関心がある。染めも織りもやはりすばらしい。やっぱり領巾(ひれ)はひきずるのね。裳と同じく機能的でなく装飾的。
上着が裳の中にちゃんとしまいこまれているのを知りたかった。
せいぜい時代劇の衣装程度と思っていてごめんなさい。さすが京都やわ、どこにだしても恥ずかしくないホンモノの衣装を作ってはったわ。職人さん万歳!