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2023-10

芝・増上寺〜徳川家の菩提寺 - 2023.09.28 Thu

東京美術俱楽部から徒歩でいけるので、時代小説の中やTV時代劇で度々名前がでてくる増上寺ちゅう所に行ってみることにした。関東在住の方は見慣れた景色かもしれないけれど、私にはおそらく最初で最後のお参り。



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地下鉄のその名も大門駅から交通の激しい通りにどーんと建つ大門。(昭和12年・コンクリート製)これは東京ならではの景色か。


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増上寺といえば徳川将軍家の菩提寺、なんでも家康江戸入府の折、帰依していた増上寺のお坊さんに対面したのがきっかけでここを墓所と決めたという。
そのくせここで眠る歴代将軍は6名だけで、かんじんの家康は日光東照宮に眠っているからなあ。

ちなみに他の将軍方が眠っているのは上野の寛永寺(ここも一度行ってみないと)、三代家光はおじいちゃん大好きだったので日光、最後の慶喜公だけは谷中霊園。


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大門の先に建つ重文・三解脱門。ベンガラ塗りなのだろうか。時代は下るとは言え、京都奈良のお寺とは雰囲気をかなり異にする。
この増上寺は東京大空襲にてほぼ灰燼に帰したため、今ある堂宇は戦後の再建であるが、この門だけは江戸初期の名残である。

あ、ちらっと東京タワー!



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広い境内、大殿(本堂)は昭和40年代に復興されたとか。
ああ、しかしシュールな光景だこと。お堂の向こうに東京タワー、超高層ビル、、東京やな。さすがにこの景色は京都、奈良にはないわ。雰囲気は浅草寺にも似てるな。



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お参り。ご本尊の阿弥陀様は室町時代の作とか。
中はすっかり近代的である。できればお寺には畳のあるコーナーが欲しいと思ってしまうのだが。


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大殿から振り返って見る三解脱門。日比谷通りの慶応大学も近いエリアである。


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せっかくだから徳川将軍霊廟〜御霊屋へ入ってみる。
これは鋳抜き門とよばれる唐金で鋳た門で、現在は墓所の門となっているが、かつては広大だった御霊屋のほんの一部、六代将軍家宣の霊廟の門だったもの。


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中へ入るとおびただしい数のお地蔵様がお出迎え。(千躰子育地蔵〜昭和50年代から)

戦前の御霊屋の地図を見るとはかなり広い敷地で日光東照宮にも匹敵する規模だったそうだ。空襲できれいさっぱり、ほとんどの霊廟が焼失してしまった(戦前は国宝)ため、戦後3分の1くらいのスペースに色々残ったものをかき集めて再建したという。


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ちょうど時間がよくて、ボランティアガイドさんの30分くらいの説明を聞くことができた。

興味深かったのは二代秀忠公の宝塔が焼失したため、奥方のお江さんと合祀されていること。死後も尻の下にしかれているとか(^_^;
他の将軍生母や正室側室方はひとつの宝塔に合祀されているのに、おひとり和宮さんのお墓だけは青銅で復興、おとなりの旦那さんである十四代家茂公に寄り添ってはいるがこちらの宝塔は石製。やはりバックに皇室がついている差でしょう。しっかり菊の御紋もついてたし。

昭和33年、東京オリンピック前に土葬は衛生上良くないとかで、発掘調査が行われ、改めて各歴代さまが火葬にされた、というのは初めて知った!そんなことがあったんやなあ。それで各将軍の頭の大きさから脳みその大きさまで調査でわかったというから面白い。


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さて、この江戸の遺構三解脱門、まもなく10年ほどかけて解体修理がおこなわれるそうだ。今見ておいてよかった。


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この門の先には大門と大都会の通りが見える。ここで増上寺にお別れ。



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近くには東京プリンスホテルなどがあるが、実は戦災で失われた霊廟の跡地に建っているんだって!
現在の境内からちょっと離れたところに有章院霊廟二天門が当時のまま残るが、現在は増上寺ではなく個人の所有なんだそうだ。ちなみに有章院は満6才で夭折した七代様、家継公である。


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御霊屋へ入る時に記念にいただいたクリアファイル。
大河ドラマが「どうする家康」の年にここへこれたのも、何かのご縁かもしれないね。






半世紀ぶりの宮島・厳島神社 - 2023.01.15 Sun

初釜が終わってさっさと帰洛の予定だったが、あまりの天気の良さにちょっとショートトリップ。


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和風堂近くから広電に乗って約30分


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そう、ここまで来たら行くしかないでしょ。
宮島口から船に乗る。


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見えてきた〜!あの大鳥居。


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宮島にわたれば、やっぱり鹿が居るのね。

考えたら半世紀ぶりの上陸だわ。うちらの某A高校は(岡山市)他の公立高校が信州に1週間修学旅行に行くのに、隣の県の宮島に二泊三日しか行かない変な公立高校であった。受験勉強しろということらしいが、うちらの数年前まではなんと一泊二日だった。それ以来だからほぼ半世紀、、きゃ〜年がばれる〜。



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宮島のしゃもじは有名で参道のあちこちの店に大小さまざまのしゃもじあり。かつて島民は年貢の代わりに薪をおさめていたそうで、林業の仕事の片手間に作ったといわれ、島にある弁天様にちなんで琵琶の形=しゃもじなんだそうだ。


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けっこう長い参道。
宮島はコロナ前から外国人観光客に伏見稲荷とならんで有名な場所、それなりににぎわっていた。


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やはりこれよ、これ。
つい先月まで、長期の補修で覆いがかかっていたそうだが、それもとりはずされ、運が良い、きれいに見える。


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こちらは厳島神社社殿。
みるまにどんどん潮が引いていく時間であった。


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創建は推古帝の頃といわれるが、やはり平家の氏神として有名。海洋貿易を積極的に行った平清盛公ならではの海と一体化するような社殿。
モンサンミッシェルやイギリスのセントマイケルズマウントみたいに潮の満ち干が見所の教会などはあるが、建物(の一部)そのものが水に沈んだりでてきたりすることはない。



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もう高校生の頃の記憶なんて風化しているが、この長い回廊だけは記憶にある。夜に有志で宿泊所を出て、ここまできたのだ。回廊の提灯に灯りはともっているものの、先は闇がわだかまっていて、じっと見ていると向こうから若き日の清盛や、きらびやかな襲装束の女人、楽人などがこちらへ向かって大勢で歩いてきているような幻想をいだいた「平家納経(国宝)」の耽美の世界にあこがれる女子高生であったなあ。(遠い目)



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ここまで干潮になると、今度は海にうかんでいる満潮の時を見たくなる。


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本社拝殿より平舞台を経て大鳥居を見る。
平舞台で雅楽(多分蘭陵王)を舞っている写真をよく見る。あれも一度見てみたいし、上田流和風堂の献茶もあるそうで、これも、、、と、半世紀ぶりに来た割には欲張り(^_^;



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重要文化財の反橋または勅使橋
ここは入れなかったが、かなりの勾配、擬宝珠には毛利元就が寄進した物もあるらしい。


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とうとうここまで鳥居に近づけた。
着物に草履だったのでさすがにこのあたりで撤退。映像などで見慣れているにもかかわらず、なんとも不思議な光景である。


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帰りの参道では店をひやかして、子供の頃から好きだったもみじ饅頭を購入。牡蠣も目の前で焼いてくれるのだが、私牡蠣ニガテでして、、、(^_^;



秀吉の夢の跡〜肥前名護屋城跡 - 2019.05.08 Wed

唐津から1〜2時間に1本しかない、途中バス停でないところでも停まってくれるローカル色豊かなバスにゆられて約40分、ようやく到着。



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昨年行きそびれた名護屋城跡である。
ご覧の通り大雨で、、、というより嵐のような風雨でビニールのレインコートが非常に役に立ったが、足元はレインブーツなのにびちょびちょ。



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利休賜死の1591年から、大陸をもわがものにせんと出兵を決意した秀吉が、その拠点として僅か数ヶ月で築城させたという城である。もちろん、城は完全に破却され、石垣がそれとなく残っているだけ(後に発掘された石垣も多い)であるが。



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仮の城だし、もっと簡単な構造の城かと想像していたが、城趾のお向かいにある佐賀県立名護屋城博物館にあるバーチャル名護屋城のCG画像を見ると、大阪城と規模でも遜色のないりっぱなお城だったのに驚いた。とても仮ごしらえとは思えない。



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(三の丸の井戸の跡)

秀吉は翌1592年、ここに入城し、臣下を過酷な戦に出兵させる一方で、城に茶室や能舞台まで作って楽しんでいたという。



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また、出兵の拠点は名護屋城だけかと思っていたら、この周辺、玄界灘の浜辺まで各大名の陣屋を作らせ、最盛期には20万人が駐留したと言うから、私の想像をはるかにこえる規模の出兵だったんだな〜、文禄慶長の役って。(当時の朝鮮半島の人にはえらい迷惑だっただろうな)



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本丸御殿跡、かつてこのあたりに五層七階の天守閣があったそうだ。
しかし、、、傘がぶっ飛ばされそうな風と雨で少々くじけそうになる。



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ここから玄界灘を望む。
晴れた日には対馬も(朝鮮半島も?)みえるらしいが、いかんせん、近くの島もかすむ。秀吉にはここから朝鮮に手が届きそうに見えたのだろうか。実際ここに滞在したのは約1年だけだったようだが。




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同じくここから各大名の陣跡が望め、それぞれを訪ねて歩くこともできるのだが、この風雨で断念。
彼らは秀吉が帰ってしまった後もあしかけ7年間、ここで苦労したのだ。歴史の授業ではさらっと終わる感じだが、全国の有力者がここに結集し四苦八苦したのは歴史的にも大きな出来事であったに違いない。



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1593年、講和使節として来日した明の沈維敬(遊撃将軍の使者)の宿舎があったので遊撃丸と名付けられた一画。
同年一旦は休戦したが、1597年和平交渉決裂で再開、1598年の秀吉の死とともに長い戦は終結したのだった。



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思えばなぜ秀吉は天下統一にあきたらず大陸まで手に入ると思ったのかな。老いがみせた幻影だったのか、本気でとれると思っていたのか。

名護屋城はその後島原の乱などを経て、反幕府軍などがたてこもるのをおそれ、人為的に破却された唯一の城だそうだ。今目に見える部分は土の中に埋まっていたものも多数あるらしい。
秀吉の大陸への夢の跡、今はむなしく石垣をさらすのみ。

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もう一つ忘れてならないのが、大阪城の山里丸ににせて作らせた名護屋城の山里丸。方向的にはこのあたりなのだが、なんにも見えない。茶室の跡、井戸の跡などもあるらしいのだが。

大阪城の山里丸には利休がこしらえた草庵の茶室があった。こちらは利休亡きあとなのだが、ここにひとつ謎がある。秀吉が名護屋滞在の時に母親の侍女に宛てた手紙に「きのふりきうの茶にて御せんもあかり、おもしろくめてたく候まま、、、(昨日、利休の茶にて御膳もあがりおもしろくめでたく)」の一文があること。この「りきうの茶」をどう解釈するか、歴史学者の間でも諸説あり、実は利休は切腹せずに生きて九州に流され(細川氏あたりに)庇護されていた、だから名護屋で、利休ゆかりの山里丸で茶会をした、という解釈がとても興味深い。




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お向かいの名護屋城博物館、H5年設立。
名護屋城跡及び陣跡の保存整備事業、調査研究の展示、特別展として朝鮮通信使の展示もあり楽しめた。
ここではバーチャル名護屋城ツアーと称して、タブレットを貸し出し、現地で当時の様子をCGで見られるという企画もあるのだが、この雨風ではちょっと無理であったのが残念。







唐津やきもん祭の町を歩く2019 - 2019.05.07 Tue

昨年のやきもん祭であちこち唐津の町を歩き回ったので、一年ぶりとは思えない、とてもなじみのある町になってしまった。



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やきもん祭の中心的通り、五福の縁結び通り



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道の両脇に唐津陶芸家によるまちなか展示販売所が連なる。



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ここをぶらぶらしながら器を物色するもまた楽し。


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お目当ての作家さんのは、超人気でほとんど残っていなかった(^_^;



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少し離れた場所にあるギャラリーで、(ここは昨年も良い雰囲気の建物で気に入っていたのだ)花入をひとつもとめた。大きいので送ってもらおう。



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今年も陶芸家が亭主をつとめる角打ちちょこバルも健在。昨年は飲みっぷりの良い九州女子と隣同士でおおいに飲んだっけ。



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唐津くんちで曳山が集う唐津神社や



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江戸時代の武家屋敷を取り囲んでいた石垣にその時代に思いを馳せたり、



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玄界灘の松林を愛でる。



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あいにくの雨模様だが、かなたに唐津城も見える。



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昨年も訪れて、屋敷内に茶室はおろか能舞台まであって感激した旧高取邸にも再訪。数寄の粋をつくしたディテールも堪能。



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庭園には藤の花

さて、お腹もすいたし腹ごしらえを。



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やきもん祭メインストリートの一つ、中町のhanaはな家さん。昨年もお世話になった。



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ここは元歯科医院だったという有形文化財の建物なのだ。



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やきもん祭の期間中、町中のあちらこちらで「食と器の縁結び」という催しがおこなわれているのだが、hanaはな家さんではこの日、唐津焼の窯元の作品をたくさん並べて、好きなのを好きなだけ選んでおばんざいを盛る、という楽しい趣向。



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大きさも形もさまざま、目移りしてしまう。



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主に野菜を中心としたおばんざいを盛る器も唐津焼。これに肉か魚のメインディッシュがつくの。



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どれも美味しかった。お豆腐もおいしかったよ〜。(ザル豆腐発祥のお店が近くにある)ごちそうさま!





出雲紀行2〜古代出雲歴史博物館〜雲州平田・木綿街道 - 2018.06.02 Sat



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出雲大社に隣接する島根県立古代出雲歴史博物館へ。




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床にも八雲立つ、、、




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出雲神話が書かれた三書(古事記・日本書紀・出雲風土記)そろい踏み

古来、出雲大社は巨大で中古には高さ16丈(48m)、その前の上古には32丈(96m)もあったと伝えられていたがあくまで伝説と思われてきた。

しかし、平成20年、出雲大社本殿の発掘調査中地中から発見された直径1m以上の3本の柱の根本が、歴史を塗り替えた。これらの古書によるあくまで伝説と考えられてきた巨大説がにわかに真実味を帯びてきたのだ。



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まだまだ検証すべきことは残っているのだろうが、多くの歴史学者、建築家が興味をもって復元模型を作っている。ここに展示されているこれもその一つ。階段の上の方に白く見えるのが人なので、もしこれが本当であればすごく巨大な高い建物であったのだ。これも古代史のロマンの一つだなあ。




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他にも神在月の神儀式の様子の歴史的資料やVTRもあって、少し勉強した。

ちなみにこれは荒神谷遺跡から発掘されたおびただしい銅剣、弥生時代のモノで国宝なんよ。実に壮観!



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さて、出雲大社をあとにして、一畑電車にゆられて雲州平田・木綿街道へ。
電車はこんな景色を楽しめる車両もあって楽しい♪




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雲州平田は江戸時代から明治に書けて雲州木綿の集散地、川港の町として栄えた。


 

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もともとこのあたりは汽水湖であったのを埋め立て、稲作ができるようにしようと、塩抜きのため綿花を栽培した土地。ところがのちに、稲よりも綿花の方に商品としての価値がでてきたため、そのまま綿花が栽培されつづけたのだそうだ。




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駅から歩くこと約10分ほど、昔ながらの町並みは残ってはいるがかなり限定されたエリアだけのよう。



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それでもナマコ壁とか格子とか、往時の雰囲気を残す。




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こちらは加藤醤油屋さん。
醤油ソフトクリームを売っているもう一件の有名なお醤油屋さんは道に迷って結局行くことができなかった。(有名な生姜糖屋さんも)残念。




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今も昔もろうじを自在に歩き回る猫
通行人に会うこともない静かなたたずまいの町だ。




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木綿街道のシンボルともいうべき本石橋邸、国の登録有形文化財である。
ここへはお隣の旧長崎家、200年前の医家を復元した建物の木綿街道交流館に声をかけてあけてもらう。スタッフの方の解説付きで中へ入ることができる。(200円)





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広い玄関の間
この建物は江戸中期1750年頃に建てられたという。本石橋家は木綿の集散を一手に取り仕切っていた地主さんだったそうだ。40年前までは実際ここで本石橋家の方が暮らしておられたという。

現在庭は出雲市が管理しているが、建物は本石橋家の子孫の所有で、所有者は東京にいらっしゃるとか。




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地主さんの家なので、松江藩主が出雲大社御参拝の時には御成の場所となった。ここはその御成の間。




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こちらの大きな庭は明治以降に作庭されたモノ。なぜなら江戸時代、武家でなければ庭はつくってはいけなかったから。しかし、この家は大地主であったため、坪庭を作ることは許されていて、江戸時代の庭が残っている。(ただしまだ復元まではいっていない)




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露地には蹲居もあって、茶室は三畳中板、でも茶室にしては、、、ちょっと雰囲気が???と思っていたら、時代柄、そもそも煎茶のための茶室として作られたという。確かに円相の前の棚なんか、なんとなく文房四宝を飾るのによい感じだものね。




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しかし、よく壊さんと残りましたね、と言うとガイドさんは、京都なんかと違ってここらの土地は安いからね、壊して売っても二束三文だからね、と苦笑い(^_^;




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出雲も出雲大社だけではなかった。
時間があれば神様がやってくるという稲佐の浜にも行きたかったが、ふたたび出雲に来る機会はあるか、ないのか、こればかりはご縁のものなのでわからない(^_^;







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