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2024-04

宗箇ゆかりの縮景園 - 2024.01.25 Thu

広島駅からも近い場所にある縮景園、ここは広島浅野家初代(長晟)の別邸庭園(1620年筑成開始)を元とし、その作庭は、茶人のみならず勇猛無双の武人でもあり、浅野藩家老でもあり、作庭家でもあった上田宗箇による。宗箇流の初釜に行ったからにはここにも、と訪れる。(こう考えると宗箇も遠州に負けず劣らない多才の人だったのね。)


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初めは泉水屋敷とよばれたが、各地の景勝を集めて縮めた様な、、、と言う意味で縮景園と名付けたのは林羅山だそうだ。
残念ながら宝暦の大火で多くの建物が焼失、後に天明の大改修(1783年〜)が行われ、尾道出身、京都の庭師・清水七郎右衛門を招いて改修、ほぼ現在の形になったという。宗箇の名残はのこっているのだろうか。

庭園に入るとまず迎えてくれるのは清風館という茶室、昭和も戦後の建築。時間も考えて今回は西半分のみを回る。
ちなみにここ、縮景園ではほぼ毎月茶会が行われている模様。1月の大福茶会のポスターがはってあり、見るとご担当が宗箇流お家元であった。



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またすぐ目に入ったのが寒牡丹!
なんて美しい。枯れ木の多い冬のなかでひときわ鮮やかな華やかな色がうれしい。


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現在は広島県が管理しているので(浅野家から寄贈)、植栽も手入れが行き届いていて、あちこちで庭師さんの姿を見た。


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広島の原爆投下による被害は、縮景園ものがれられず壊滅的な打撃を受けたが、戦後少しずつ復旧され現在にいたるという。


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しばらく行くと、おお!急にひらけた視界、見事な池泉回遊式庭園。
目の前に広がる池は濯纓池(たくえいち)、いくつかの小さな島が散在する。岡山出身の自分としては遠く岡山城をのぞむ後楽園を思い出す。


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この特徴的なΩの橋が、天明の大改修で清水七郎右衛門が作ったという跨虹橋。戦後の作かと思ったくらいモダン。ちょっと角度が急やなあ、、と思うがご心配なく、向こう側にショートカットの橋が渡されている。


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今回は行かなかった池の東側に見えるのは悠々亭。開けっぴろげの四阿で、夏など茶会や歌会を楽しんだという。いいなあ。


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違うと思うが、巨石ゴロゴロを見ると、すわ、宗箇の作庭の名残か!と思っちゃう。宗箇は現代にも残る庭園を広島以外にもいくつか造っていて、和歌山や徳島にもある。名古屋城二の丸庭園が宗箇作とはしらなんだ。


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丸窓が特徴的な明月亭、牛車の車輪の意匠だそうだ。
中は数寄屋の茶室らしい。ここも茶会に実際に使われているのかな。


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茶室夕照庵の前の池の畔は石のあられこぼしになっていて、桂離宮を思い出すわ。作庭が京都の清水七郎右衛門さんだしね。茶室の前には楓の木がたくさんあって、いまでこそ枯れ木だが秋にはさぞ美しい紅葉を見ながらお茶できるのだろう。う〜ん、想像以上にすごいぞ、縮景園。(後楽園ほど名前はメジャーではないけれど隠れた名園だわ)


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裏は梅林になっていて、これからの季節が楽しみだろうな、広島市民のみなさま。


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一本だけ早咲きの紅梅が春を告げていた。さすが瀬戸内、京都より気候は穏やかだ。


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濯纓池をはさんで広角でみると政令都市広島はやはり都会だ。ビルに囲まれている景勝の地。池の鏡も波静か。


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この周辺が一番宗箇の創意が残っていると言われる超然居。それを尊重して七郎右衛門もあまり手を加えなかったという。


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ここは池に浮かぶ最大の島なので、二本の橋で結ばれている。


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手前に萬歳手水鉢というのがあったが、来歴不明。おそらく七郎右衛門さんの頃のものと思われる。谷の水を誘導して湧き水のように見せていると説明書きあり。


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そしてここもふきっさらしの四阿だが、茶室にもなるのである。ここからの眺めは絶品、先ほどの跨虹橋も見えるよ。こんな場所で茶席作ってみたい!と強く思う。

いやほんま、想像以上によかったので、もし来年も行ける機会があるのなら、今度は反対側の半分を回ってみたいと思うのであった。(チャンスあれば他の季節も)

広島駅までは歩いて1km以内、隣接して広島県立美術館のある好立地、広島駅で時間持て余したら是非。(シルバー料金0円!(^_^;)



本居宣長を訊ねて〜松阪鈴屋 - 2023.10.05 Thu



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長次郎さんに感激のご対面をしたあと、せっかく松阪に来たのだし、松阪と言えばやっぱり牛肉、、、いや本居宣長先生、その旧宅が保存公開されていると聞いて足をのばすことに。


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また松阪といえば「松阪の一夜」。
昔の尋常小学校の教本にものっていた有名な話である。(あ、さすがに尋常小学校の時代は知らないよ(^_^;)

江戸から来ていた当時すでに有名であった国学者・賀茂真淵(70代)と30代だった宣長が一夜限りの面会をして、真淵に背中を押されるようにして、宣長は「古事記」の研究を始めるのである。


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(松阪城近く武家屋敷のあった面影をとどめるあたり)


真淵は古事記を研究するために古語を知らねばならぬ、古語を調べるために万葉集の研究をしていたらのめり込んで、古事記にまでいたらなかった。自分はもう年だがあとの研究を宣長に託すよ。背中を押された宣長はその後古事記研究最高峰の「古事記伝」を書き上げた、、と尋常小学校の修身の本は結んでいる。どんな研究も先達の苦労と功績の上に少しずつ積み重ねられるもの、宣長も真淵がいなければ古事記研究の頂点をきわめることはできなかっただろうと思う。



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宣長の当時(18世紀)ですら古事記はすでに解読不能の書物だったらしい。それを35年かけて解読した宣長先生なくば、現代のわれわれは、天岩戸も因幡の白ウサギも海幸山幸もしらないままだったかもしれない。(日本書紀は漢文で書かれていたので解読できたがあれ皇室史観だから)



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松阪城二の丸の一画にある本居宣長記念館、敷地内に宣長の旧宅が移築されて保存されている。


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12歳から72歳、天命を全うするまで宣長が住んだ家である。
彼はここで古事記の研究をした。53歳の時に増築した二階にたくさんの鈴を掛け、疲れたときにこれを鳴らして癒やされてたそうで、この家を「鈴屋(すずのや)」と名付けた。


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宣長の本職は医師なので、その仕事もしながら国文学の研究にも励んだというわけだ。資料館にはたくさんの薬の入った愛用の薬箱も展示されていた。


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玄関の間は医師としての診察室であるが、奥の座敷は多くの門人に国学の講義をした部屋。
立派な家だが、もともと宣長の生家は伊勢松阪の豪商であったそうだ。
右手の階段は鈴をかけた書斎へつづく。(拝見不可)


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あ、お風呂発見。
せ、、狭い。


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宣長が古典文学に興味をもったのは京都遊学中で、王朝文学にひかれてゆくのだが、その頃遊びもしただろう彼に母親が「お酒は盃3杯までに!」という書状を送っていて、記念館に残されている。


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で、「本居宣長先生修学之地」という碑が京都市内にある、と聞いてどれどれどこらへん?室町綾小路、、ん?綾傘鉾会所の近く??と思っていたら、なんと綾傘保存会の会合をよくしているビルの前やん!!
絶対見ているはずなのに、スルーしてるわ、今度しっかり見てこなければ。知らないってほんとオソロシイ。



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他にどなたもおられず、座敷には暑いながらもなんとなく秋の日差しが入り込む。かつて門人が、家族が行き交う幻を想像する。


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台所も京町家と同じ、走りがあって、竈がある。この景色好きだな。


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外に出ると松阪市を一望できる松阪城二の丸である。伊勢湾までは無理か?


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記念館にあった、私のとても好きな宣長の和歌。吉野に行くときいつもこの歌が頭にうかぶ。

  敷島の大和心を人問はば
     朝日ににほふ 山さくら花


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松阪市のマンホールの蓋も、宣長愛玩の鈴。



芝・増上寺〜徳川家の菩提寺 - 2023.09.28 Thu

東京美術俱楽部から徒歩でいけるので、時代小説の中やTV時代劇で度々名前がでてくる増上寺ちゅう所に行ってみることにした。関東在住の方は見慣れた景色かもしれないけれど、私にはおそらく最初で最後のお参り。



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地下鉄のその名も大門駅から交通の激しい通りにどーんと建つ大門。(昭和12年・コンクリート製)これは東京ならではの景色か。


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増上寺といえば徳川将軍家の菩提寺、なんでも家康江戸入府の折、帰依していた増上寺のお坊さんに対面したのがきっかけでここを墓所と決めたという。
そのくせここで眠る歴代将軍は6名だけで、かんじんの家康は日光東照宮に眠っているからなあ。

ちなみに他の将軍方が眠っているのは上野の寛永寺(ここも一度行ってみないと)、三代家光はおじいちゃん大好きだったので日光、最後の慶喜公だけは谷中霊園。


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大門の先に建つ重文・三解脱門。ベンガラ塗りなのだろうか。時代は下るとは言え、京都奈良のお寺とは雰囲気をかなり異にする。
この増上寺は東京大空襲にてほぼ灰燼に帰したため、今ある堂宇は戦後の再建であるが、この門だけは江戸初期の名残である。

あ、ちらっと東京タワー!



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広い境内、大殿(本堂)は昭和40年代に復興されたとか。
ああ、しかしシュールな光景だこと。お堂の向こうに東京タワー、超高層ビル、、東京やな。さすがにこの景色は京都、奈良にはないわ。雰囲気は浅草寺にも似てるな。



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お参り。ご本尊の阿弥陀様は室町時代の作とか。
中はすっかり近代的である。できればお寺には畳のあるコーナーが欲しいと思ってしまうのだが。


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大殿から振り返って見る三解脱門。日比谷通りの慶応大学も近いエリアである。


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せっかくだから徳川将軍霊廟〜御霊屋へ入ってみる。
これは鋳抜き門とよばれる唐金で鋳た門で、現在は墓所の門となっているが、かつては広大だった御霊屋のほんの一部、六代将軍家宣の霊廟の門だったもの。


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中へ入るとおびただしい数のお地蔵様がお出迎え。(千躰子育地蔵〜昭和50年代から)

戦前の御霊屋の地図を見るとはかなり広い敷地で日光東照宮にも匹敵する規模だったそうだ。空襲できれいさっぱり、ほとんどの霊廟が焼失してしまった(戦前は国宝)ため、戦後3分の1くらいのスペースに色々残ったものをかき集めて再建したという。


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ちょうど時間がよくて、ボランティアガイドさんの30分くらいの説明を聞くことができた。

興味深かったのは二代秀忠公の宝塔が焼失したため、奥方のお江さんと合祀されていること。死後も尻の下にしかれているとか(^_^;
他の将軍生母や正室側室方はひとつの宝塔に合祀されているのに、おひとり和宮さんのお墓だけは青銅で復興、おとなりの旦那さんである十四代家茂公に寄り添ってはいるがこちらの宝塔は石製。やはりバックに皇室がついている差でしょう。しっかり菊の御紋もついてたし。

昭和33年、東京オリンピック前に土葬は衛生上良くないとかで、発掘調査が行われ、改めて各歴代さまが火葬にされた、というのは初めて知った!そんなことがあったんやなあ。それで各将軍の頭の大きさから脳みその大きさまで調査でわかったというから面白い。


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さて、この江戸の遺構三解脱門、まもなく10年ほどかけて解体修理がおこなわれるそうだ。今見ておいてよかった。


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この門の先には大門と大都会の通りが見える。ここで増上寺にお別れ。



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近くには東京プリンスホテルなどがあるが、実は戦災で失われた霊廟の跡地に建っているんだって!
現在の境内からちょっと離れたところに有章院霊廟二天門が当時のまま残るが、現在は増上寺ではなく個人の所有なんだそうだ。ちなみに有章院は満6才で夭折した七代様、家継公である。


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御霊屋へ入る時に記念にいただいたクリアファイル。
大河ドラマが「どうする家康」の年にここへこれたのも、何かのご縁かもしれないね。






半世紀ぶりの宮島・厳島神社 - 2023.01.15 Sun

初釜が終わってさっさと帰洛の予定だったが、あまりの天気の良さにちょっとショートトリップ。


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和風堂近くから広電に乗って約30分


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そう、ここまで来たら行くしかないでしょ。
宮島口から船に乗る。


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見えてきた〜!あの大鳥居。


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宮島にわたれば、やっぱり鹿が居るのね。

考えたら半世紀ぶりの上陸だわ。うちらの某A高校は(岡山市)他の公立高校が信州に1週間修学旅行に行くのに、隣の県の宮島に二泊三日しか行かない変な公立高校であった。受験勉強しろということらしいが、うちらの数年前まではなんと一泊二日だった。それ以来だからほぼ半世紀、、きゃ〜年がばれる〜。



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宮島のしゃもじは有名で参道のあちこちの店に大小さまざまのしゃもじあり。かつて島民は年貢の代わりに薪をおさめていたそうで、林業の仕事の片手間に作ったといわれ、島にある弁天様にちなんで琵琶の形=しゃもじなんだそうだ。


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けっこう長い参道。
宮島はコロナ前から外国人観光客に伏見稲荷とならんで有名な場所、それなりににぎわっていた。


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やはりこれよ、これ。
つい先月まで、長期の補修で覆いがかかっていたそうだが、それもとりはずされ、運が良い、きれいに見える。


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こちらは厳島神社社殿。
みるまにどんどん潮が引いていく時間であった。


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創建は推古帝の頃といわれるが、やはり平家の氏神として有名。海洋貿易を積極的に行った平清盛公ならではの海と一体化するような社殿。
モンサンミッシェルやイギリスのセントマイケルズマウントみたいに潮の満ち干が見所の教会などはあるが、建物(の一部)そのものが水に沈んだりでてきたりすることはない。



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もう高校生の頃の記憶なんて風化しているが、この長い回廊だけは記憶にある。夜に有志で宿泊所を出て、ここまできたのだ。回廊の提灯に灯りはともっているものの、先は闇がわだかまっていて、じっと見ていると向こうから若き日の清盛や、きらびやかな襲装束の女人、楽人などがこちらへ向かって大勢で歩いてきているような幻想をいだいた「平家納経(国宝)」の耽美の世界にあこがれる女子高生であったなあ。(遠い目)



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ここまで干潮になると、今度は海にうかんでいる満潮の時を見たくなる。


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本社拝殿より平舞台を経て大鳥居を見る。
平舞台で雅楽(多分蘭陵王)を舞っている写真をよく見る。あれも一度見てみたいし、上田流和風堂の献茶もあるそうで、これも、、、と、半世紀ぶりに来た割には欲張り(^_^;



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重要文化財の反橋または勅使橋
ここは入れなかったが、かなりの勾配、擬宝珠には毛利元就が寄進した物もあるらしい。


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とうとうここまで鳥居に近づけた。
着物に草履だったのでさすがにこのあたりで撤退。映像などで見慣れているにもかかわらず、なんとも不思議な光景である。


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帰りの参道では店をひやかして、子供の頃から好きだったもみじ饅頭を購入。牡蠣も目の前で焼いてくれるのだが、私牡蠣ニガテでして、、、(^_^;



秀吉の夢の跡〜肥前名護屋城跡 - 2019.05.08 Wed

唐津から1〜2時間に1本しかない、途中バス停でないところでも停まってくれるローカル色豊かなバスにゆられて約40分、ようやく到着。



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昨年行きそびれた名護屋城跡である。
ご覧の通り大雨で、、、というより嵐のような風雨でビニールのレインコートが非常に役に立ったが、足元はレインブーツなのにびちょびちょ。



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利休賜死の1591年から、大陸をもわがものにせんと出兵を決意した秀吉が、その拠点として僅か数ヶ月で築城させたという城である。もちろん、城は完全に破却され、石垣がそれとなく残っているだけ(後に発掘された石垣も多い)であるが。



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仮の城だし、もっと簡単な構造の城かと想像していたが、城趾のお向かいにある佐賀県立名護屋城博物館にあるバーチャル名護屋城のCG画像を見ると、大阪城と規模でも遜色のないりっぱなお城だったのに驚いた。とても仮ごしらえとは思えない。



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(三の丸の井戸の跡)

秀吉は翌1592年、ここに入城し、臣下を過酷な戦に出兵させる一方で、城に茶室や能舞台まで作って楽しんでいたという。



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また、出兵の拠点は名護屋城だけかと思っていたら、この周辺、玄界灘の浜辺まで各大名の陣屋を作らせ、最盛期には20万人が駐留したと言うから、私の想像をはるかにこえる規模の出兵だったんだな〜、文禄慶長の役って。(当時の朝鮮半島の人にはえらい迷惑だっただろうな)



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本丸御殿跡、かつてこのあたりに五層七階の天守閣があったそうだ。
しかし、、、傘がぶっ飛ばされそうな風と雨で少々くじけそうになる。



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ここから玄界灘を望む。
晴れた日には対馬も(朝鮮半島も?)みえるらしいが、いかんせん、近くの島もかすむ。秀吉にはここから朝鮮に手が届きそうに見えたのだろうか。実際ここに滞在したのは約1年だけだったようだが。




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同じくここから各大名の陣跡が望め、それぞれを訪ねて歩くこともできるのだが、この風雨で断念。
彼らは秀吉が帰ってしまった後もあしかけ7年間、ここで苦労したのだ。歴史の授業ではさらっと終わる感じだが、全国の有力者がここに結集し四苦八苦したのは歴史的にも大きな出来事であったに違いない。



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1593年、講和使節として来日した明の沈維敬(遊撃将軍の使者)の宿舎があったので遊撃丸と名付けられた一画。
同年一旦は休戦したが、1597年和平交渉決裂で再開、1598年の秀吉の死とともに長い戦は終結したのだった。



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思えばなぜ秀吉は天下統一にあきたらず大陸まで手に入ると思ったのかな。老いがみせた幻影だったのか、本気でとれると思っていたのか。

名護屋城はその後島原の乱などを経て、反幕府軍などがたてこもるのをおそれ、人為的に破却された唯一の城だそうだ。今目に見える部分は土の中に埋まっていたものも多数あるらしい。
秀吉の大陸への夢の跡、今はむなしく石垣をさらすのみ。

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もう一つ忘れてならないのが、大阪城の山里丸ににせて作らせた名護屋城の山里丸。方向的にはこのあたりなのだが、なんにも見えない。茶室の跡、井戸の跡などもあるらしいのだが。

大阪城の山里丸には利休がこしらえた草庵の茶室があった。こちらは利休亡きあとなのだが、ここにひとつ謎がある。秀吉が名護屋滞在の時に母親の侍女に宛てた手紙に「きのふりきうの茶にて御せんもあかり、おもしろくめてたく候まま、、、(昨日、利休の茶にて御膳もあがりおもしろくめでたく)」の一文があること。この「りきうの茶」をどう解釈するか、歴史学者の間でも諸説あり、実は利休は切腹せずに生きて九州に流され(細川氏あたりに)庇護されていた、だから名護屋で、利休ゆかりの山里丸で茶会をした、という解釈がとても興味深い。




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お向かいの名護屋城博物館、H5年設立。
名護屋城跡及び陣跡の保存整備事業、調査研究の展示、特別展として朝鮮通信使の展示もあり楽しめた。
ここではバーチャル名護屋城ツアーと称して、タブレットを貸し出し、現地で当時の様子をCGで見られるという企画もあるのだが、この雨風ではちょっと無理であったのが残念。







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