修二会2013・その3〜日中上堂 - 2013.03.10 Sun
昨夜、鹿たちのねぐらだった場所は朝には、

もうおでかけのようだ。出払っている。

東大寺ミュージアム〜二月堂へ行く道すがら、飛火野で鹿たちがたむろっているのをみつけた。
どうやらこれから鹿寄せをやるらしい。ホルンをもったお兄ちゃんが時計を見ている。
10時ちょうど、ホルンを森に向かって鳴らすと、、、、、

来た〜〜!!
どどどどっ、、、、=3 =3 =3
森の奥から、送れてはならじと一目散にかけよる鹿。でも一列なのは見事だなあ。

あとは兄ちゃんの撒くドングリめざして混沌状態。どさくさにまぎれて私の腹をどつく鹿(左下の頭だけ写ってるやつ)( ̄曲 ̄)#

ミュージアムで、かつて法華堂=三月堂におわした日光・月光菩薩に再会。お勉強した後、、

再び二月堂へ。

二月堂周辺には、お水取りの頃いつも満開をむかえる馬酔木が今年も。

午前中に仕上げられた、12日につかう籠松明がならぶ食堂(じきどう)前、松明をしばる蔓をもぐもぐ食べる鹿も追い払われることもなく。
中では食堂作法といって、一定の式法にのっとって長い祈りと共に練行衆が1日1回の食事をされているはず。
ここでしばらく待ちましょう。

と、北側の門があいて、童子たちが飯器や角樽を運び出しはじめる。どうやら食堂作法がおわったようだ。

南側の門から練行衆方が出てきて、生飯(さば)投げを。
食事の中から残しておいた生飯は鼻紙に包まれて、閼伽井屋の屋根になげられ、鳥獣にも食を施す。

ピッチングスタイルはさまざま。ナイスピッチング!

この後練行衆は参籠所へもどり、日中行法の準備をされる。お手洗いにいく練行衆をちらっとお見かけしたが、紙衣(かみこ・和紙で作られた修二会の間練行衆がずっと着用する衣)は灯明の煤で黒く汚れ、激しい五体投地のゆえか、ところどころ破れている。
そして身支度を整え、日中上堂へそなえる。
日中とは、六時の行法とよばれる「日中・日没・初夜(お松明が先導)・半夜・後夜・晨朝」のひとつ。

お堂に先回り。

聴聞の方々。

お松明をゆりうごかす欄干の角のあて木は、長年の使用に松明の形にえぐられている。
一体何本のお松明を受け止めたのだろう。

童子を伴って上堂される練行衆方。
童子たちは手に丸や四角の版木を捧げ持っている。この日は牛玉日、すなわち内陣で牛玉(ごおう)札と陀羅尼札を刷る日なのだ。
局にはいると昼間なので外陣だけはよく見える。ここでしばし行法の一部を拝見し、声明を拝聴す。
目の前で五体投地を、数えられただけで20回以上、ひとりの練行衆がされる。
い、、、痛そう。やはりはげしい行法なのだな。
内陣に撒かれる白いハゼ(餅米を殻ごと炒ってはぜさせたもの)、これをたびたび外陣へ掃きだし、掃除をするのも行法のひとつとか。
この日は春の陽気で、こころもち、練行衆方の顔もほころんでいるようだ。

茶所の上にある、遠敷神社は修二会の守り神。(修二会の最初と最後に練行衆がお参りされる三社=興成神社・飯道神社・遠敷神社の一つ)

こうして二月堂をあとにして帰路につく。

玄関に飾ったお松明の燃えさしの焼けた杉の香に、この1日を静かに思い返す。
東京文化財研究所の佐藤道子さんといえば、著書「東大寺修二会の構成と所作」は修二会の研究の金字塔といわれているが、お堂にはいることさえかなわない女人が、このようなすごい研究をしてしまうことに感動する。
上記の本はさすがに4巻もあって、しろうとが手をだすのはむつかしいが、この本は新書くらいのサイズで、とても読みやすく、これでいろいろ勉強させてもらった。参考まで。

12日深夜、いよいよ今年のお香水が閼伽井屋の若狭の井からくみだされる。
かなたより、思いをしばし馳せる。


もうおでかけのようだ。出払っている。

東大寺ミュージアム〜二月堂へ行く道すがら、飛火野で鹿たちがたむろっているのをみつけた。
どうやらこれから鹿寄せをやるらしい。ホルンをもったお兄ちゃんが時計を見ている。
10時ちょうど、ホルンを森に向かって鳴らすと、、、、、

来た〜〜!!
どどどどっ、、、、=3 =3 =3
森の奥から、送れてはならじと一目散にかけよる鹿。でも一列なのは見事だなあ。

あとは兄ちゃんの撒くドングリめざして混沌状態。どさくさにまぎれて私の腹をどつく鹿(左下の頭だけ写ってるやつ)( ̄曲 ̄)#

ミュージアムで、かつて法華堂=三月堂におわした日光・月光菩薩に再会。お勉強した後、、

再び二月堂へ。

二月堂周辺には、お水取りの頃いつも満開をむかえる馬酔木が今年も。

午前中に仕上げられた、12日につかう籠松明がならぶ食堂(じきどう)前、松明をしばる蔓をもぐもぐ食べる鹿も追い払われることもなく。
中では食堂作法といって、一定の式法にのっとって長い祈りと共に練行衆が1日1回の食事をされているはず。
ここでしばらく待ちましょう。

と、北側の門があいて、童子たちが飯器や角樽を運び出しはじめる。どうやら食堂作法がおわったようだ。

南側の門から練行衆方が出てきて、生飯(さば)投げを。
食事の中から残しておいた生飯は鼻紙に包まれて、閼伽井屋の屋根になげられ、鳥獣にも食を施す。

ピッチングスタイルはさまざま。ナイスピッチング!

この後練行衆は参籠所へもどり、日中行法の準備をされる。お手洗いにいく練行衆をちらっとお見かけしたが、紙衣(かみこ・和紙で作られた修二会の間練行衆がずっと着用する衣)は灯明の煤で黒く汚れ、激しい五体投地のゆえか、ところどころ破れている。
そして身支度を整え、日中上堂へそなえる。
日中とは、六時の行法とよばれる「日中・日没・初夜(お松明が先導)・半夜・後夜・晨朝」のひとつ。

お堂に先回り。

聴聞の方々。

お松明をゆりうごかす欄干の角のあて木は、長年の使用に松明の形にえぐられている。
一体何本のお松明を受け止めたのだろう。

童子を伴って上堂される練行衆方。
童子たちは手に丸や四角の版木を捧げ持っている。この日は牛玉日、すなわち内陣で牛玉(ごおう)札と陀羅尼札を刷る日なのだ。
局にはいると昼間なので外陣だけはよく見える。ここでしばし行法の一部を拝見し、声明を拝聴す。
目の前で五体投地を、数えられただけで20回以上、ひとりの練行衆がされる。
い、、、痛そう。やはりはげしい行法なのだな。
内陣に撒かれる白いハゼ(餅米を殻ごと炒ってはぜさせたもの)、これをたびたび外陣へ掃きだし、掃除をするのも行法のひとつとか。
この日は春の陽気で、こころもち、練行衆方の顔もほころんでいるようだ。

茶所の上にある、遠敷神社は修二会の守り神。(修二会の最初と最後に練行衆がお参りされる三社=興成神社・飯道神社・遠敷神社の一つ)

こうして二月堂をあとにして帰路につく。

玄関に飾ったお松明の燃えさしの焼けた杉の香に、この1日を静かに思い返す。
東京文化財研究所の佐藤道子さんといえば、著書「東大寺修二会の構成と所作」は修二会の研究の金字塔といわれているが、お堂にはいることさえかなわない女人が、このようなすごい研究をしてしまうことに感動する。
上記の本はさすがに4巻もあって、しろうとが手をだすのはむつかしいが、この本は新書くらいのサイズで、とても読みやすく、これでいろいろ勉強させてもらった。参考まで。

12日深夜、いよいよ今年のお香水が閼伽井屋の若狭の井からくみだされる。
かなたより、思いをしばし馳せる。

修二会2013・その2〜礼堂に香水を参らせ - 2013.03.09 Sat

「こんな真夜中にまたおでかけですか?」 (鹿)

深夜の参道はどこか異次元の世界につながっている。

二月堂では半夜・後夜の行法がおこなわれているはず。

それにしても人っ子一人であわない。
闇にたむろするのは鹿ばかり。

お堂の外まで来て、外陣の外側の局(ここまでは女人でも入れる)への扉の前に20〜30足の靴があるのを見て、中にお参りの人がいるのがやっとわかる。

局に入ると、いままさに外陣と内陣をへだてる戸帳がきりきりと独特の作法で巻き上げられている。
(巻き上げるのは兜巾、篠懸の格好を許された堂童子)
たくさんのお灯明が燃え明るいので、はっきりと内陣の須彌壇の前に山型に積まれた壇供の餅が見える。
これから走りの行がはじまる。
「南無頂上 南無頂上 南無頂上」
「南無最上 南無最上 南無最上」
差懸を脱いで、袈裟のすそをからげて、三人の練行衆が須彌壇のまわりを走る。
天上での1日は人間界の400日にあたる。少しでも天上界に近づかんと、走る、走る、、、
順番に走りの列をぬけて外陣にとびだし(このために戸帳をあけておくのね)五体板(五体投地をする板)に膝を3回打ってはまたもどる。
トーン、トントン
一体何回回るのだろう、、、と思った頃に鈴の音と共に終了、戸帳はまたもとどおり巻き戻され、内陣は見えなくなる。
かわりに、揺れ動く戸帳にうつる練行衆のゆらめく影がなにやら幻想的。

「礼堂に香水を参らせ」
局の聴聞客がいっせいに格子のあいだから手を差し出す。
香水は練行衆に授けられた後、聴聞客にも杓でさずけられる。
暗い中なのでなんともはっきりは見えないが、唐金の杓のようだ。
一滴くらいだろうと思っていたら、片手にあふれるほどいただく。
口に含めば、ほんのり甘い。まさに甘露の一滴。(練行衆はお昼の食堂作法のあと、一滴の水も飲んでいないのでわれわれ以上に甘く感じるらしい)
ちなみに聴聞客に授けられるのは昨年くんだ香水。(練行衆には根本香水といって何年も汲み足してきた香水が授与される)

声明がしばらく続く。
声明は音楽的とよく言われる。でも「音楽的」だけでは表しきれないものにあふれている。グレゴリオ聖歌のようでもあり、はるかチベットの読経にも聞こえ、聞く人をトランス状態に導くようななにか、、、
南無観自在 南無観自在 南無観自在、、、、、
南無観 南無観 南無観 南無観、、、、、
ときに練行衆全員で、ときに一人の声にたたみかけるように、みなさん、よいお声をしていらしゃる。
この日は法会の後半=下七日の初日にあたり、本尊が前半の大観音からかわって、後半の小観音が出御・後入される。
実忠和尚、摂津国難波津にて海より来給える生身の十一面観音をお迎えし安置し奉る。これ小観音、絶対秘仏なり。(江戸時代、二月堂が火災にあったとき、小観音を救い出し奉った僧がそのお姿をはじめて見たが、暖かく息をしてまさに生身であったとかや)
内陣の灯りは消され、暗闇の中、差懸の音ばかりごとごとと。おそらく小観音の厨子が正面に運び出されているのであろうと想像するのみ。

行はまだまだ深更におよびますが、宿の方にご迷惑になるのでわれわれはそろそろおいとまを。
「お帰りですか?おやすみなさい。」

暗香浮動 月黄昏 (林和靖)
あ、月は見えませんでしたが。
修二会2013・その1〜お松明 - 2013.03.08 Fri

例年の如く、萬々堂さんの「糊こぼし」にて虫やしない、いざ、出陣!

「おでかけ?うちらはこれからおやすみ。」(鹿)

片岡梅林の少し早い梅の林をぬけて、

1月にみた若草山の山焼の跡をみながら浮雲遊園をつっきって、

修二会の行法さなかの二月堂へ。

暮れてゆく奈良市街をはるか見晴らしながら、初夜上堂、お松明を待つ。

消防士さんもスタンバイOK。
今年は久々に登廊近くの北側に陣を張る。

暮れてくるとますますお参りの人はふえてくる。

午後7時、堂童子がかかげる三度の案内の小松明が登廊を駆け上り、駆け下りたあと、

練行衆をみちびくお松明がゆっくり、ゆっくり、登廊をのぼってくる。

かくて釣りにうち興じ、実忠和尚の諸神13700余座勧請に遅参せし、若狭国遠敷明神、これをうち悲しみ香水(こうずい)を湧かせて献上せむと約せり。

たちまち黒と白の鵜、飛び立ちその地に甘泉わきだし、これを石で畳みて井戸となす。
これ若狭井の伝承なり。

その黒と白の鵜、いまも井戸のある閼伽井屋の屋根にとまりて、これを守れる。

人々がお松明にみとれているうちにも、練行衆が次々と入堂する際の差懸(さしかけ:はきもの)のトーントーントントントトト、、という音が聞こえる。

世の人々に代わり、観音菩薩におこなう悔過(けか:罪の懺悔告白)、その功徳により天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣を祈る。
火とそのむこうにおられる練行衆にむかい手を合わせる。
日ごろ無宗教なれど。(無神論者ではない)

10本目のお松明が終わると、お松明の燃えさしをいっせいに拾う。
お堂の下で消火作業にあたるおじさんに「おじさ〜ん、こっちへほうって〜。」
「おじさんぢゃない!」すかさず「おにいさ〜ん!」


今年も隣近所に配るほど(?!)ゲット。焼けた杉の焦げたよい匂いがあたりを浄化するような気がする。

二月堂真下、良弁杉のかたわらにある興成社。
修二会の最初と最後に練行衆がお参りされる三社(興成神社・飯道神社・遠敷神社)のうちのひとつ。若狭井の鵜を祀ったお社。

ついさきほど、灼熱の巨大なお松明がゆらゆらのぼった登廊。

湯屋(湯殿、調菜・湯の調達を行う場所)を背景に、東大寺のあちこちにはりめぐらされた結界。

本堂にのぼってみはるかす夜の奈良市街。

祈りの灯。

二月堂のシンボル、大きな瓜灯籠。

二月堂茶所にて、お茶をいただき、

お堂を後に、暗い道を宿へ帰り、
一休みして、また夜に再出陣(?!)に備ふ。