イスタンブール・カッパドキア紀行2013〜3)2つの王宮:トプカピとドルマバフチェ - 2013.08.17 Sat
イスタンブール・カッパドキア紀行2013〜2)アヤソフィア+ブルーモスク - 2013.08.15 Thu
イスタンブール。
イスラム圏でもっとも早くもっとも良い形で政教分離が成功した町。
近代的な町ながら、日に数回あるお祈りの時間には町中に礼拝の呼びかけの放送が流れ、イスラムという宗教が色濃く残る町。
アッラーは偉大なり アッラーは偉大なり
アッラーの他に神はなし アッラーの他に神はなし
ムハンマドはアッラーの使徒なり ムハンマドはアッラーの使徒なり
礼拝のために来たれ! 礼拝のために来たれ!

町行く女性の多くはいまも髪をかくすヒジャブをつけ、なかには目しかのぞかないニカーブをつけている人も。
頭からすっぽり黒いチャドルを着ている女性も多くいたが、30度をこすこの暑さの中、いったいどういう体温調整システムになっているのだろう。
とにもかくにもイスタンブールの目玉、向かい合って建つ、アヤソフィアとブルーモスクことスルタン・アフメットジャミイ(以下ブルーモスク)へ。
<アヤソフィア>

京都は38度を記録したらしいが、ここも負けていない。日なたはけっこうじりじりする。

ご存じ、ここは4世紀にローマ帝国の首都がビザンティウム(現イスタンブール)におかれたときのギリシャ正教総本山として建てられた。

何度かの建て増し、焼失の歴史をへながら、ビザンチン芸術の最高峰たるきらびやかなモザイク画で当時は壁一面が埋め尽くされていたという。
しかし、1453年オスマントルコによりコンスタンティンノープル(これも現イスタンブール、ほんま世界史でもやったけど、何回名前変えるねん)は制圧され、キリスト教は排除、偶像崇拝を否定するイスラムのスルタンは壁をすべて漆喰で塗り固めてしまった。そして永いオスマントルコの時代、このモザイク画は日の目を見ることなく、存在すら忘れられていった。

1931年、アメリカの調査隊によって発見されたモザイク画はその後漆喰を剥がしながら修復がすすみ(今なおあちこち修復中)そののち博物館として公開され、今にいたる。

数奇な運命をたどったゆえか、真ん中に聖母と幼いキリストのモザイク画、そのわきにイスラムの大メダリオン(右がアッラーで左がムハンマド)という奇っ怪さ。

ちなみに二階から見たメダリオンの裏側はこんなになってるのよ。

キリスト教なら礼拝所になるべき中央から、メッカの方向に少しずれておかれたイスラムの礼拝所。

まだまだ修復は継続中。

二階にあるデーシスというモザイク画。アヤソフィアのなかで一番美しい最高傑作とされている。
デーシスとはビザンティン美術の伝統的なイコンで、玉座に座るキリスト、傍らに聖母マリヤと洗礼者ヨハネが立った姿で描かれる。
人間を救ってくれるよう、キリストに向かって嘆願するポーズだそうだ。

下半分は残念ながら災害や盗難などにあって消失したらしい。あまりの美しさにイスラム教徒ですら漆喰で上塗りせずカーテンで隠した、という説も。
ちなみにこの天井もかつてはすべてモザイクでうめつくされていたそうだ。どんなにきらめいて美しかったことだろう。想像するしかないが。

かすかにアーチの内側にのこるモザイク。きらきら。

願いの柱。
アヤソフィア一階の隅にある柱でなぜかいつもしっとり濡れている。言い伝えではこの柱には天使が住んで町を守っていたが、オスマントルコが攻めてくる数日前に去ってしまったので、制圧されてしまったとか。その際、イスラムの天使(天使というのか?)が、教会がメッカの方向に向いていないので、この柱の穴に指をいれてずらした、という伝説も。
穴の中に指を入れて手を360度まわせば願いが叶うとか。で、すごいすり減ってます。
私ももちろんやりました〜。

壁だけでなく、地面にもご注目を。様々な色の大理石で荘厳されています。これはビザンティン帝国の王様が戴冠した場所の床。
宗教への篤き情熱とはかくもすざまじくありなん。

夕暮れのアヤソフィア。興奮した熱を少しさまそう。
<ブルーモスク>
さてお向かいのブルーモスクへ。

17世紀初頭のスルタンアフメット1世によって作られた、今も現役のモスク。

両サイドに建つ尖塔はイスラム建築ではミナレットと呼ばれるが、ここのように6本なのはめずらしいのだそうだ。(アングルによっては全部は見えない)
一説ではアフメット1世が「黄金(アルトゥン)のミナレットを」と言ったのに、建築家が「6(アルトゥ)本のミナレット」と聞き違えた怪我の功名とも。

ちょうど1日5回あるお祈りの時間にあたったため、非ムスリムはしばらく終わるまで待たないといけなかった。しかも入り口も分けられている!
モスクの外でもお祈りしている敬虔な信者達。

ドレスコードもあり。要するに肌を露出してはいけない、女性は髪を隠さなくてはいけない。

露出過多の人は入り口でスカーフや腰巻き貸してくれる。

私はそれ用に持参したスカーフでニセヒジャブ。
イスラムでは、女性の髪は男を誘惑する物と考えられているので、夫以外の男性と接する家の外ではかくすのだそうだが、コチラの女性は髪がみえなくてもすごく美しく魅力的過ぎ!
目だけだしているニカーブ姿はかえってなまめかしく、むしろ蠱惑的なんだが。

それにしても世界各国からやってきたムスリム、非ムスリム、、、うじゃうじゃと多すぎないか?!
きけば前の日までラマザン(断食月・ムスリムのたいせつな行事)だったので、それが開けた楽しさに週末というのも加わって、現地の人も大勢きているそうな。もう人に酔いそうなくらいすごかった。大阪も真っ青なくらい。
ちなみにラマザン明けの3日間はシュケル・バイラム(砂糖祭)といって官公庁も、バザールもお休み。

こちらはすかすか?というなかれ。
ここは礼拝者用のスペースで観光客は入れないのだ。しかし、美しい絨毯。さすがトルコ。

内部に使われるイズニックタイルはブルーを基調にしたものが多いので、ブルーモスクと呼ばれるようになったが、

ブルーは淡く、全体的にみると「ブルー」という印象は薄い。

大ドームを支える4本の象の柱とよばれる巨大な柱。
近くで見るとチューリップのデザインが多い。スルタンが愛した花でもあり、実はトルコ原産の花。国の花にもなっている。町の土産物屋さんでうっているタイルもチューリップ模様が多いのに気づくはず。

とにかく天井のタイルが美しいので上ばかり見ているから首が痛くなる。

こちらは区切られている女性用礼拝所の天井。

もちろん、扉のアラベスクもお忘れ無く。

モスクの外には礼拝の時間表示が。太陽の位置などで計算するので毎日少しずつちがうらしい。

出口で寄付を募っていたので、無料で何回も入らせてもらったから、20TL(1000円くらい)寄付すると証明書のようなものをいただいた。(確定申告に使える?^_^;)

夕刻にはアヤソフィアとブルーモスクの間の公園は様々な屋台も出て、おそくまで家族連れや観光客で賑わっていた。

暮れの空のミナレットのわきに、トルコの国旗のような(正確には向き逆だが)三日月を発見。
そぞろ歩きに気持ちのよい宵であった。(屋台でいろいろ買い食いもしながら)
* 旅行記まだまだ続きます。しばらくおつきあい下さいマセ。
イスラム圏でもっとも早くもっとも良い形で政教分離が成功した町。
近代的な町ながら、日に数回あるお祈りの時間には町中に礼拝の呼びかけの放送が流れ、イスラムという宗教が色濃く残る町。
アッラーは偉大なり アッラーは偉大なり
アッラーの他に神はなし アッラーの他に神はなし
ムハンマドはアッラーの使徒なり ムハンマドはアッラーの使徒なり
礼拝のために来たれ! 礼拝のために来たれ!

町行く女性の多くはいまも髪をかくすヒジャブをつけ、なかには目しかのぞかないニカーブをつけている人も。
頭からすっぽり黒いチャドルを着ている女性も多くいたが、30度をこすこの暑さの中、いったいどういう体温調整システムになっているのだろう。
とにもかくにもイスタンブールの目玉、向かい合って建つ、アヤソフィアとブルーモスクことスルタン・アフメットジャミイ(以下ブルーモスク)へ。
<アヤソフィア>

京都は38度を記録したらしいが、ここも負けていない。日なたはけっこうじりじりする。

ご存じ、ここは4世紀にローマ帝国の首都がビザンティウム(現イスタンブール)におかれたときのギリシャ正教総本山として建てられた。

何度かの建て増し、焼失の歴史をへながら、ビザンチン芸術の最高峰たるきらびやかなモザイク画で当時は壁一面が埋め尽くされていたという。
しかし、1453年オスマントルコによりコンスタンティンノープル(これも現イスタンブール、ほんま世界史でもやったけど、何回名前変えるねん)は制圧され、キリスト教は排除、偶像崇拝を否定するイスラムのスルタンは壁をすべて漆喰で塗り固めてしまった。そして永いオスマントルコの時代、このモザイク画は日の目を見ることなく、存在すら忘れられていった。

1931年、アメリカの調査隊によって発見されたモザイク画はその後漆喰を剥がしながら修復がすすみ(今なおあちこち修復中)そののち博物館として公開され、今にいたる。

数奇な運命をたどったゆえか、真ん中に聖母と幼いキリストのモザイク画、そのわきにイスラムの大メダリオン(右がアッラーで左がムハンマド)という奇っ怪さ。

ちなみに二階から見たメダリオンの裏側はこんなになってるのよ。

キリスト教なら礼拝所になるべき中央から、メッカの方向に少しずれておかれたイスラムの礼拝所。

まだまだ修復は継続中。

二階にあるデーシスというモザイク画。アヤソフィアのなかで一番美しい最高傑作とされている。
デーシスとはビザンティン美術の伝統的なイコンで、玉座に座るキリスト、傍らに聖母マリヤと洗礼者ヨハネが立った姿で描かれる。
人間を救ってくれるよう、キリストに向かって嘆願するポーズだそうだ。

下半分は残念ながら災害や盗難などにあって消失したらしい。あまりの美しさにイスラム教徒ですら漆喰で上塗りせずカーテンで隠した、という説も。
ちなみにこの天井もかつてはすべてモザイクでうめつくされていたそうだ。どんなにきらめいて美しかったことだろう。想像するしかないが。

かすかにアーチの内側にのこるモザイク。きらきら。

願いの柱。
アヤソフィア一階の隅にある柱でなぜかいつもしっとり濡れている。言い伝えではこの柱には天使が住んで町を守っていたが、オスマントルコが攻めてくる数日前に去ってしまったので、制圧されてしまったとか。その際、イスラムの天使(天使というのか?)が、教会がメッカの方向に向いていないので、この柱の穴に指をいれてずらした、という伝説も。
穴の中に指を入れて手を360度まわせば願いが叶うとか。で、すごいすり減ってます。
私ももちろんやりました〜。

壁だけでなく、地面にもご注目を。様々な色の大理石で荘厳されています。これはビザンティン帝国の王様が戴冠した場所の床。
宗教への篤き情熱とはかくもすざまじくありなん。

夕暮れのアヤソフィア。興奮した熱を少しさまそう。
<ブルーモスク>
さてお向かいのブルーモスクへ。

17世紀初頭のスルタンアフメット1世によって作られた、今も現役のモスク。

両サイドに建つ尖塔はイスラム建築ではミナレットと呼ばれるが、ここのように6本なのはめずらしいのだそうだ。(アングルによっては全部は見えない)
一説ではアフメット1世が「黄金(アルトゥン)のミナレットを」と言ったのに、建築家が「6(アルトゥ)本のミナレット」と聞き違えた怪我の功名とも。

ちょうど1日5回あるお祈りの時間にあたったため、非ムスリムはしばらく終わるまで待たないといけなかった。しかも入り口も分けられている!
モスクの外でもお祈りしている敬虔な信者達。

ドレスコードもあり。要するに肌を露出してはいけない、女性は髪を隠さなくてはいけない。

露出過多の人は入り口でスカーフや腰巻き貸してくれる。

私はそれ用に持参したスカーフでニセヒジャブ。
イスラムでは、女性の髪は男を誘惑する物と考えられているので、夫以外の男性と接する家の外ではかくすのだそうだが、コチラの女性は髪がみえなくてもすごく美しく魅力的過ぎ!
目だけだしているニカーブ姿はかえってなまめかしく、むしろ蠱惑的なんだが。

それにしても世界各国からやってきたムスリム、非ムスリム、、、うじゃうじゃと多すぎないか?!
きけば前の日までラマザン(断食月・ムスリムのたいせつな行事)だったので、それが開けた楽しさに週末というのも加わって、現地の人も大勢きているそうな。もう人に酔いそうなくらいすごかった。大阪も真っ青なくらい。
ちなみにラマザン明けの3日間はシュケル・バイラム(砂糖祭)といって官公庁も、バザールもお休み。

こちらはすかすか?というなかれ。
ここは礼拝者用のスペースで観光客は入れないのだ。しかし、美しい絨毯。さすがトルコ。

内部に使われるイズニックタイルはブルーを基調にしたものが多いので、ブルーモスクと呼ばれるようになったが、

ブルーは淡く、全体的にみると「ブルー」という印象は薄い。

大ドームを支える4本の象の柱とよばれる巨大な柱。
近くで見るとチューリップのデザインが多い。スルタンが愛した花でもあり、実はトルコ原産の花。国の花にもなっている。町の土産物屋さんでうっているタイルもチューリップ模様が多いのに気づくはず。

とにかく天井のタイルが美しいので上ばかり見ているから首が痛くなる。

こちらは区切られている女性用礼拝所の天井。

もちろん、扉のアラベスクもお忘れ無く。

モスクの外には礼拝の時間表示が。太陽の位置などで計算するので毎日少しずつちがうらしい。

出口で寄付を募っていたので、無料で何回も入らせてもらったから、20TL(1000円くらい)寄付すると証明書のようなものをいただいた。(確定申告に使える?^_^;)

夕刻にはアヤソフィアとブルーモスクの間の公園は様々な屋台も出て、おそくまで家族連れや観光客で賑わっていた。

暮れの空のミナレットのわきに、トルコの国旗のような(正確には向き逆だが)三日月を発見。
そぞろ歩きに気持ちのよい宵であった。(屋台でいろいろ買い食いもしながら)
* 旅行記まだまだ続きます。しばらくおつきあい下さいマセ。
イスタンブール・カッパドキア紀行2013〜1)奇岩のカッパドキア - 2013.08.15 Thu
旅の初日はイスタンブールを通過してアナトリア地方のカッパドキアへ。

このように見晴るかす大地は奇妙な形の岩に覆われている。
唯一突出しているのは写真がとれず残念だが、カイセリ空港でみたエルジェス山・3917m。富士山よりちょっと高く、まわりにそれ級の山がないので、雲の上に頭を突き出してたっている孤高の姿がかっこよかった。

<三人姉妹の石、もしくは家族の岩とよばれる奇岩>
日帰りでイスタンブールから行けなくもない。ただし一人でまわるには交通網があまりに不便なので現地ツアーなどに参加するのがおすすめ。レンタバギーでまわっているつわものもいましたが。

これらの奇岩はすべて自然の造型。さきほどのエルジェス山が数億年前まだ活火山だったころ、噴火で堆積した凝灰岩、溶岩のうち柔らかい凝灰岩は早くに浸食され、硬い溶岩部分のみがのこってこんな奇っ怪な形になったもの。

<らくだ岩。ほんま、駱駝にみえるわ>
自然はモダンアートもびっくりの芸術家とみえる。

これが有名なトルコの邪視除けのお守り、ナザール・ボンジュー。邪視からこの目が守ってくれるといわれ、家の玄関口やアクセサリーとして身につけたり、いわゆる厄除け。ガラス製で割れるとよいことがあるのだそう。

なんだか奇妙で、なんだか滑稽。鬼太郎の父みたいにもみえる(^艸^)

かつてイスラムからの迫害をのがれるため、9世紀ごろからキリスト教徒たちがほりやすい凝灰岩の奇岩を掘って、あちこちに洞窟教会をたてた名残。これはギョレメ野外博物館のもの。

礼拝所、食堂、ワイナリーまで備え、かすかに壁にフレスコ画も残る。残骸だけ見るとこんなところよう住んでたな、と思えるが、

同じく岩をくりぬいた場所をカフェにしているのだが、トルコ絨毯やキリムを敷き詰めると案外居心地よさそうだ。

岩肌を見るまでは洞窟の中だということを忘れてしまう。

こちらは反対に地下に8層の地下都市をつくってしまった、というカイマクル地下都市。やはりイスラムからの迫害を逃れるためのもので、最盛期には5000人もの人が暮らしていた、というから驚き。

もちろんワイナリーもあり、これはおそらく石臼。見つからないように煮炊きの煙を隠す方法や、大きな円盤石でふさげる入り口、蟻の巣のように入り組んだ構造など、敵からの防御の工夫があちこちに施されている。昔の人は知恵があった。多分外敵もなくのほほんと暮らしている現代人よりは。
閉所恐怖症の人にはタマラんだろうなあ。しかも中は灯りがなければ真っ暗闇なわけだし。

しかしながら、こういう窓のある岩にはつい最近までロマなどの人が住んでいたそうな。国策で今はもう住むのは禁止され、生活のあとはすでになく、遺跡になってしまった。

お昼もやっぱり洞窟レストランで。

間口は狭いが、中はけっこう広い。ダンスもできるホールまであった。

肉、野菜、豆、スパイスを壺に封じ込めて3時間蒸し焼きにしたというこの地方の名物料理。まあ、イスタンブールもそうだけど、トルコって日本人にとって味にはずれがないと思うよ。トルコの味噌汁とも言うべきメジメッキ(レンズ豆のスープ)、ばかうま!唐辛子を入れるとうまさ倍増。

夕刻、予約をいれておいたサルハン・ケルバンサラユでセマー(旋舞)を見る。ここは13世紀のキャラバン宿だった建物。

中央のパティオに噴水があるのはなんとなくアルハンブラを思い出させる。同じイスラム文化圏だし。

さて、セマーはトルコといえば思い出す、あのくるくる信じられないくらい回転する、イスラム神秘主義教団の1派、メヴラーナ教団の儀式。 薄暗い建物の中で拝見。
町中でも観光用に一人で踊っているのはよくみかけますが、ここは一応宗教的儀式なので撮影禁止。小一時間の儀式の後、撮影用にちょっとだけ踊ってくれたのを撮りました。

楽士が4人、セマーゼン(踊り手)が5人に導師みたいな人が一人。
起立した詠い手の独唱の間、セマーゼン達は、黒いマントを羽織って瞑想しているかのように見える。
やがてマントを脱いで、それぞれにかろやかに歩きながら互礼。
はじめは肩を抱きかかえるようにした腕をゆっくりと上げていき、トップスピードにはいると右手は天を指し、左手は地を、心臓を中心に廻るので首は少し右にかたむけて。
神との一体化を求め、ひたすらくるくるくるくる軽やかに、途中でとまって祈りをささげまたくるくるとの繰り返し。
白いスカートのようなすそが翻るたびにふわ〜ふわ〜と風がおこります。

法悦の境地というのか、その表情はトランス状態にはいっていますな。坐禅のようなものかしら。
私なら直ぐに吐いてますな。一体どういう三半規管の鍛え方をしているのかしら。(←即物的考え方しかできない無宗教人なので)

なんとも不思議な儀式。始まりは13世紀ごろというからかなり古い。
おわったあとはまたパティオにもどって、カシスジュースのふるまい。

この日はカッパドキアの洞窟ホテルにて一泊。
なかなか素敵なホテルだったのでちょっとご紹介。

カッパドキア・ケイヴ・スイーツ。


いろんなタイプの部屋があるがすべての部屋の前にバルコニーがあり眺め抜群。


部屋の中もあちこちに民族細工がおいてあって、楽しい。
カッパドキアのむき出しの自然は美しいが、しばらくするとちと飽きてくるのも確か。でも、この景色は、、、、

朝日を浴びて次々とあがるバルーン。これは最高の美しさでした!
(6時AM〜の気球ツアーね。私は高所恐怖症だからいらない)

ゆっくりとホテルの岩山をすれすれに越えていくバルーン。熱い空気をうみだすランプのシューという音まで聞こえてくる。

奇岩に負けず劣らず奇妙だが、美しい光景。

肌寒いくらいの朝の空気を楽しんだ後、部屋に入ろうとするその入り口には、ここにも魔除けのボンジュー。

このように見晴るかす大地は奇妙な形の岩に覆われている。
唯一突出しているのは写真がとれず残念だが、カイセリ空港でみたエルジェス山・3917m。富士山よりちょっと高く、まわりにそれ級の山がないので、雲の上に頭を突き出してたっている孤高の姿がかっこよかった。

<三人姉妹の石、もしくは家族の岩とよばれる奇岩>
日帰りでイスタンブールから行けなくもない。ただし一人でまわるには交通網があまりに不便なので現地ツアーなどに参加するのがおすすめ。レンタバギーでまわっているつわものもいましたが。

これらの奇岩はすべて自然の造型。さきほどのエルジェス山が数億年前まだ活火山だったころ、噴火で堆積した凝灰岩、溶岩のうち柔らかい凝灰岩は早くに浸食され、硬い溶岩部分のみがのこってこんな奇っ怪な形になったもの。

<らくだ岩。ほんま、駱駝にみえるわ>
自然はモダンアートもびっくりの芸術家とみえる。

これが有名なトルコの邪視除けのお守り、ナザール・ボンジュー。邪視からこの目が守ってくれるといわれ、家の玄関口やアクセサリーとして身につけたり、いわゆる厄除け。ガラス製で割れるとよいことがあるのだそう。

なんだか奇妙で、なんだか滑稽。鬼太郎の父みたいにもみえる(^艸^)

かつてイスラムからの迫害をのがれるため、9世紀ごろからキリスト教徒たちがほりやすい凝灰岩の奇岩を掘って、あちこちに洞窟教会をたてた名残。これはギョレメ野外博物館のもの。

礼拝所、食堂、ワイナリーまで備え、かすかに壁にフレスコ画も残る。残骸だけ見るとこんなところよう住んでたな、と思えるが、

同じく岩をくりぬいた場所をカフェにしているのだが、トルコ絨毯やキリムを敷き詰めると案外居心地よさそうだ。

岩肌を見るまでは洞窟の中だということを忘れてしまう。

こちらは反対に地下に8層の地下都市をつくってしまった、というカイマクル地下都市。やはりイスラムからの迫害を逃れるためのもので、最盛期には5000人もの人が暮らしていた、というから驚き。

もちろんワイナリーもあり、これはおそらく石臼。見つからないように煮炊きの煙を隠す方法や、大きな円盤石でふさげる入り口、蟻の巣のように入り組んだ構造など、敵からの防御の工夫があちこちに施されている。昔の人は知恵があった。多分外敵もなくのほほんと暮らしている現代人よりは。
閉所恐怖症の人にはタマラんだろうなあ。しかも中は灯りがなければ真っ暗闇なわけだし。

しかしながら、こういう窓のある岩にはつい最近までロマなどの人が住んでいたそうな。国策で今はもう住むのは禁止され、生活のあとはすでになく、遺跡になってしまった。

お昼もやっぱり洞窟レストランで。

間口は狭いが、中はけっこう広い。ダンスもできるホールまであった。

肉、野菜、豆、スパイスを壺に封じ込めて3時間蒸し焼きにしたというこの地方の名物料理。まあ、イスタンブールもそうだけど、トルコって日本人にとって味にはずれがないと思うよ。トルコの味噌汁とも言うべきメジメッキ(レンズ豆のスープ)、ばかうま!唐辛子を入れるとうまさ倍増。

夕刻、予約をいれておいたサルハン・ケルバンサラユでセマー(旋舞)を見る。ここは13世紀のキャラバン宿だった建物。

中央のパティオに噴水があるのはなんとなくアルハンブラを思い出させる。同じイスラム文化圏だし。

さて、セマーはトルコといえば思い出す、あのくるくる信じられないくらい回転する、イスラム神秘主義教団の1派、メヴラーナ教団の儀式。 薄暗い建物の中で拝見。
町中でも観光用に一人で踊っているのはよくみかけますが、ここは一応宗教的儀式なので撮影禁止。小一時間の儀式の後、撮影用にちょっとだけ踊ってくれたのを撮りました。

楽士が4人、セマーゼン(踊り手)が5人に導師みたいな人が一人。
起立した詠い手の独唱の間、セマーゼン達は、黒いマントを羽織って瞑想しているかのように見える。
やがてマントを脱いで、それぞれにかろやかに歩きながら互礼。
はじめは肩を抱きかかえるようにした腕をゆっくりと上げていき、トップスピードにはいると右手は天を指し、左手は地を、心臓を中心に廻るので首は少し右にかたむけて。
神との一体化を求め、ひたすらくるくるくるくる軽やかに、途中でとまって祈りをささげまたくるくるとの繰り返し。
白いスカートのようなすそが翻るたびにふわ〜ふわ〜と風がおこります。

法悦の境地というのか、その表情はトランス状態にはいっていますな。坐禅のようなものかしら。
私なら直ぐに吐いてますな。一体どういう三半規管の鍛え方をしているのかしら。(←即物的考え方しかできない無宗教人なので)

なんとも不思議な儀式。始まりは13世紀ごろというからかなり古い。
おわったあとはまたパティオにもどって、カシスジュースのふるまい。

この日はカッパドキアの洞窟ホテルにて一泊。
なかなか素敵なホテルだったのでちょっとご紹介。

カッパドキア・ケイヴ・スイーツ。


いろんなタイプの部屋があるがすべての部屋の前にバルコニーがあり眺め抜群。


部屋の中もあちこちに民族細工がおいてあって、楽しい。
カッパドキアのむき出しの自然は美しいが、しばらくするとちと飽きてくるのも確か。でも、この景色は、、、、

朝日を浴びて次々とあがるバルーン。これは最高の美しさでした!
(6時AM〜の気球ツアーね。私は高所恐怖症だからいらない)

ゆっくりとホテルの岩山をすれすれに越えていくバルーン。熱い空気をうみだすランプのシューという音まで聞こえてくる。

奇岩に負けず劣らず奇妙だが、美しい光景。

肌寒いくらいの朝の空気を楽しんだ後、部屋に入ろうとするその入り口には、ここにも魔除けのボンジュー。