疫神社夏越の祓え2015 - 2015.07.31 Fri

ひと月の長きにわたりおこなわれてきた今年の祗園祭もいよいよ本日でおひらきです。

31日は締めの神事、清々講社、宮本組(祗園祭を財政的にも支える組織)、山鉾連合会の方々が、八坂神社の摂社、疫神社にて夏越の祓え、茅輪くぐりをして、無事終了を神様に報告、御礼されます。
そのあと一般参拝客もお参りできます。今年は早めに行ったので、わりと行列の前の方でしたが、3年前にいったときはもう長蛇の列が円山公園のほうまで延びておりました。

そうそう、曜日めぐりから、この夏越に参拝できるのは3年ぶりですのよ。しかし、、、この酷暑!37度越えではないかしらん。
ありがたい祝詞を木立越しに聞いて、いよいよ一般にかたの参拝開始。(10:45ごろ〜)

大雨の前祭にもかかわらず、事故もなくつつがなく終えられた関係者の方々ご苦労様でした。関係ない外野ながらひと月おっかけた自分にもご苦労様。
無事、今年も祗園祭楽しませてもらいました。いろんな方とのお出会いもありました。なんということなく過ぎていくことが実はありがたいことであると、この歳になってしみじみ思います。

祗園祭はもとは疫病退散を祈った神事、疫病がよってこないよう「蘇民将来之子孫也」の御札や粽を家々に飾ります。また来年までの一年、家族共々元気ですごせますように。みなさまがたも。

茅輪くぐりのあと、あちこちにたてられている茅を一本ずついただいて帰ります。

今年は早かったので、選び放題♪

たくさんありますが、行列のオシマイの方になるとほんまに残らないんですよ。だからお早めに。

この一本を頂戴。

元のところが固くて、、、、うわ〜ん、ちょっと不細工な茅輪になっちまったです。

西楼門をでるとくらくらしそうな洛中四条通りです。

3年前の茅輪と取り替えました。う〜〜〜ん、、、3年前の方がかっこよかったかな(^_^;
でも青々とした茅はよい香りです。
還幸祭〜御霊遷し2015 - 2015.07.26 Sun
後祭巡行の夜。
四条御旅所にいてはった神さんが八坂神社へお帰りになる。お帰りになる前に神輿に乗って氏子の住むエリアでお遊び、見回りしはる還幸祭。
来年見にいかはる人のために時間系列とともにその還幸祭の点描を。

19時すぎの鯉山町。山はもう片付けられていて、提灯だけが巡行の名残。

黒主山の誉田屋さんの前ではキーヤン(木村英輝さん)の鯉の幟もかたづけられている。
19:30ごろ 三基すべての神輿が通る三条通を西へさかのぼる。

巡行復帰をめざす休み山の鷹山の会所が室町三条西に。三条通り唯一の山。ここで粽も売り出しているようだ。これも早く復帰するといいな。

三条通では各家の前に床机をだして、みなさん神輿を待つ。年配の方は今年も見られる、という思いで。

子どもたちは花火で遊びながら。
こういう祭の風景はほんとうに心にしみる。

20:00前 三条堀川東 八坂神社神官、宮本組、の行列通過。

20:00過ぎ 同場所にて綾戸國中神社神官と久世の駒形稚児さん。

「駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ」
神輿を先導する駒形稚児はまさに神の依り代。
今年は久世の綾戸國中神社までお参りもさせてもらった。

八坂神社へ向かう行列をお見送り。

20:25ごろ 三条堀川の三条会商店街入り口で中御座。一基につき約500人の輿丁さんがつくので男臭い集団がおしよせる。
♪ ホイットホイット

三条通の塩屋町かいわいに、今年は後祭を盛り上げようと、かつて軒先に吊されていた提灯を半世紀ぶりに復活させたそうだ。

20:50ごろ 三条西洞院、東御座。

コチラには子供神輿もつくのでミニチュアの法被を着たお子たちも多い。

東は四若の輿丁さん。

三条会商店街の入り口にある三條若狭屋さんには仲良く三基の御神酒札。

そのまま商店街を西へ。最後の西御座、錦の輿丁さんの姿がみえだした。

商店街の中ほどにある御供社では還幸祭の時だけ、神社の鳥居の横に斎竹をたて、池の水辺を表す芝生を敷き、三本の御幣をたてるオハケとよばれるものがたつ。神輿は三基ともここをお参りするのだ。
21:05 最大級の神輿、西御座、来た〜!
御供社の前で鳴り鐶ならしてひともみ。

神輿のてっぺん、鳳凰がくわえている稲束はご神田にて収穫されたもの、八坂神社へかえったときに輿丁さんや関係者が一束ずつおもちかえり。

しかし、ここの商店街では輿丁さんと一般人がいりまじる、至近距離のおつきあい(?)
さて、ここで私は八坂神社へ先回りして、祗園のマッサージ屋さんで1時間休憩にはいります>^_^<
23:00過ぎ 八坂神社

中御座、東御座はもう舞殿にお帰り。あとは西御座を待つばかり。

西御座のお帰り。このあと三回境内を練って、よ〜さ〜よ〜さ〜のかけ声のもと、輿丁さん最後のお仕事、舞殿へ安置。
そして、、、、23:40過ぎ
真っ暗闇、、、といいたいところだが、今年も雲明かりで薄闇の中、オ〜オ〜の警蹕(神様がおとおりになる、という合図のようなもの)の声の中、三基の神輿にうつってはった神々が八坂の本殿におかえりになった。今年も昨年にましてたくさんの人がいっさいの明かりを遮断して(携帯もカメラもoff)参加。これはちょっと鳥肌ものでくせになるよ。

ふたたび明かりのついた境内。すでに神様がでていかれたあとの三基の神輿。
28日の神輿洗い、31日の疫神社の夏越祓え、これで今年も祗園祭はほぼおわった。
今年もまた同じように祗園祭を楽しめたありがたさに頭をたれる。自分も家族もまわりも、明日になにがおこるかわからぬ人生と思えば、来年もまた、きっと同じように楽しめますようにと祈らずにはおられない。
四条御旅所にいてはった神さんが八坂神社へお帰りになる。お帰りになる前に神輿に乗って氏子の住むエリアでお遊び、見回りしはる還幸祭。
来年見にいかはる人のために時間系列とともにその還幸祭の点描を。

19時すぎの鯉山町。山はもう片付けられていて、提灯だけが巡行の名残。

黒主山の誉田屋さんの前ではキーヤン(木村英輝さん)の鯉の幟もかたづけられている。
19:30ごろ 三基すべての神輿が通る三条通を西へさかのぼる。

巡行復帰をめざす休み山の鷹山の会所が室町三条西に。三条通り唯一の山。ここで粽も売り出しているようだ。これも早く復帰するといいな。

三条通では各家の前に床机をだして、みなさん神輿を待つ。年配の方は今年も見られる、という思いで。

子どもたちは花火で遊びながら。
こういう祭の風景はほんとうに心にしみる。

20:00前 三条堀川東 八坂神社神官、宮本組、の行列通過。

20:00過ぎ 同場所にて綾戸國中神社神官と久世の駒形稚児さん。

「駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ」
神輿を先導する駒形稚児はまさに神の依り代。
今年は久世の綾戸國中神社までお参りもさせてもらった。

八坂神社へ向かう行列をお見送り。

20:25ごろ 三条堀川の三条会商店街入り口で中御座。一基につき約500人の輿丁さんがつくので男臭い集団がおしよせる。
♪ ホイットホイット

三条通の塩屋町かいわいに、今年は後祭を盛り上げようと、かつて軒先に吊されていた提灯を半世紀ぶりに復活させたそうだ。

20:50ごろ 三条西洞院、東御座。

コチラには子供神輿もつくのでミニチュアの法被を着たお子たちも多い。

東は四若の輿丁さん。

三条会商店街の入り口にある三條若狭屋さんには仲良く三基の御神酒札。

そのまま商店街を西へ。最後の西御座、錦の輿丁さんの姿がみえだした。

商店街の中ほどにある御供社では還幸祭の時だけ、神社の鳥居の横に斎竹をたて、池の水辺を表す芝生を敷き、三本の御幣をたてるオハケとよばれるものがたつ。神輿は三基ともここをお参りするのだ。
21:05 最大級の神輿、西御座、来た〜!
御供社の前で鳴り鐶ならしてひともみ。

神輿のてっぺん、鳳凰がくわえている稲束はご神田にて収穫されたもの、八坂神社へかえったときに輿丁さんや関係者が一束ずつおもちかえり。

しかし、ここの商店街では輿丁さんと一般人がいりまじる、至近距離のおつきあい(?)
さて、ここで私は八坂神社へ先回りして、祗園のマッサージ屋さんで1時間休憩にはいります>^_^<
23:00過ぎ 八坂神社

中御座、東御座はもう舞殿にお帰り。あとは西御座を待つばかり。

西御座のお帰り。このあと三回境内を練って、よ〜さ〜よ〜さ〜のかけ声のもと、輿丁さん最後のお仕事、舞殿へ安置。
そして、、、、23:40過ぎ
真っ暗闇、、、といいたいところだが、今年も雲明かりで薄闇の中、オ〜オ〜の警蹕(神様がおとおりになる、という合図のようなもの)の声の中、三基の神輿にうつってはった神々が八坂の本殿におかえりになった。今年も昨年にましてたくさんの人がいっさいの明かりを遮断して(携帯もカメラもoff)参加。これはちょっと鳥肌ものでくせになるよ。

ふたたび明かりのついた境内。すでに神様がでていかれたあとの三基の神輿。
28日の神輿洗い、31日の疫神社の夏越祓え、これで今年も祗園祭はほぼおわった。
今年もまた同じように祗園祭を楽しめたありがたさに頭をたれる。自分も家族もまわりも、明日になにがおこるかわからぬ人生と思えば、来年もまた、きっと同じように楽しめますようにと祈らずにはおられない。
後祭・山鉾巡行点描2015 - 2015.07.25 Sat
昨年復活した後祭巡行は前祭と逆回り。昨年はみられなかったので、後祭巡行は今年デビューなのだ。
大雨の前祭とうってかわって朝から熱中症注意報がでるくらいの良い天気。(しかし、、、朝から暑いのなんの、、、)

9時過ぎに新町通りへいってみると、北観音、南観音、大船鉾もとうに鉾町から出陣したあとだった。でもこの景色すがすがしい。

新町を北上すると遠くに南観音の真松と大船鉾の幟をとらえた。

吉田家(無名舎)も屏風祭を終えて敷物を干してはる。

紫織庵こと川崎家住宅の鉾見台。(煉瓦の部分)山鉾を見るためだけに作ったなんとも贅沢なツール。昔の京の繊維業界の旦那衆といったらこういうこともできたんだ。

御池通りでやっと最後尾の大船鉾に追いつく。

東進するための辻回しがおこなわれようとしている。ラッキ〜♪

鉾は一度には回転しきれないからゆっくりゆっくり3〜4回にわけてまわすのだよ。車方の腕のみせどころ。

車輪をすべらす竹に潤滑度をあたえる水の調達もなんどとなく。

一足先に河原町でまちかまえよう。なんと、交通信号をくるっと邪魔にならないように回す作業中。へ〜、、、こういう作業もあるんだ。

今年で山鉾連合会理事長を引かれる吉田会長。念願の後祭復活を果たしてのご勇退。この祭の期間中ある時は短パンサンダル姿、あるときは浴衣着流し、とお見かけをよくしたが、やはり裃姿がいちばんお似合いだ。これからもお元気で、そしてご苦労様でした。

後祭の巡行の先陣を切るくじとらずの橋弁慶山。ユニクロをバックに仁王立ち。

北観音山の真松に、今年は尾長(鳥の人形)がとまっているはずだが、しっぽしか見えない。

役行者山では毎年聖護院からこられたほんものの山伏さんも歩かれる。法螺貝の音もききどころ。

しかしこのシマシマは、、、(^_^; どうも囚人服を連想してしまう。

一方鯉山の服はベトナムのアオザイに見える。みなさん浴衣のデザインに色々工夫されているようだ。

ちびっこでもいっちょまえの裃、一文字笠姿がかわいい。

黒主山の男の子たち。デザイン的に黒で統一はおしゃれだが、この真夏の太陽の下で黒、、、というのはちょっと気の毒だ。

朱塗りの竹の籠、これはかっこいい。インテリアにしたらインパクトありそう。

さあ、私にとっては初めての大船鉾本番巡行。(ほんとの初めの試し曳きは昨年したのよ〜←自慢)
この大きな金御幣が来年は龍頭にかわるという。これも楽しみだ。

なんといってもこの幟と旗がかっこいいよね。

minaをバックに。
ここで巡行とお別れした。
抜け道として平常よりはるかににぎわう御池ZEST(地下街)をとおって、たどりついたのは、、、、

寺町二条の二條若狭屋。こんな汗ダラダラの暑い日はやはりかき氷でしょう。念願の、5色シロップで食す「彩雲」やっといただきました〜!
大雨の前祭とうってかわって朝から熱中症注意報がでるくらいの良い天気。(しかし、、、朝から暑いのなんの、、、)

9時過ぎに新町通りへいってみると、北観音、南観音、大船鉾もとうに鉾町から出陣したあとだった。でもこの景色すがすがしい。

新町を北上すると遠くに南観音の真松と大船鉾の幟をとらえた。

吉田家(無名舎)も屏風祭を終えて敷物を干してはる。

紫織庵こと川崎家住宅の鉾見台。(煉瓦の部分)山鉾を見るためだけに作ったなんとも贅沢なツール。昔の京の繊維業界の旦那衆といったらこういうこともできたんだ。

御池通りでやっと最後尾の大船鉾に追いつく。

東進するための辻回しがおこなわれようとしている。ラッキ〜♪

鉾は一度には回転しきれないからゆっくりゆっくり3〜4回にわけてまわすのだよ。車方の腕のみせどころ。

車輪をすべらす竹に潤滑度をあたえる水の調達もなんどとなく。

一足先に河原町でまちかまえよう。なんと、交通信号をくるっと邪魔にならないように回す作業中。へ〜、、、こういう作業もあるんだ。

今年で山鉾連合会理事長を引かれる吉田会長。念願の後祭復活を果たしてのご勇退。この祭の期間中ある時は短パンサンダル姿、あるときは浴衣着流し、とお見かけをよくしたが、やはり裃姿がいちばんお似合いだ。これからもお元気で、そしてご苦労様でした。

後祭の巡行の先陣を切るくじとらずの橋弁慶山。ユニクロをバックに仁王立ち。

北観音山の真松に、今年は尾長(鳥の人形)がとまっているはずだが、しっぽしか見えない。

役行者山では毎年聖護院からこられたほんものの山伏さんも歩かれる。法螺貝の音もききどころ。

しかしこのシマシマは、、、(^_^; どうも囚人服を連想してしまう。

一方鯉山の服はベトナムのアオザイに見える。みなさん浴衣のデザインに色々工夫されているようだ。

ちびっこでもいっちょまえの裃、一文字笠姿がかわいい。

黒主山の男の子たち。デザイン的に黒で統一はおしゃれだが、この真夏の太陽の下で黒、、、というのはちょっと気の毒だ。

朱塗りの竹の籠、これはかっこいい。インテリアにしたらインパクトありそう。

さあ、私にとっては初めての大船鉾本番巡行。(ほんとの初めの試し曳きは昨年したのよ〜←自慢)
この大きな金御幣が来年は龍頭にかわるという。これも楽しみだ。

なんといってもこの幟と旗がかっこいいよね。

minaをバックに。
ここで巡行とお別れした。
抜け道として平常よりはるかににぎわう御池ZEST(地下街)をとおって、たどりついたのは、、、、

寺町二条の二條若狭屋。こんな汗ダラダラの暑い日はやはりかき氷でしょう。念願の、5色シロップで食す「彩雲」やっといただきました〜!
南観音山・あばれ観音2015 - 2015.07.24 Fri

今宵も毎月23日の「にいさん茶会」(祗園祇園楽園小路の火の見櫓下)で一服いただき、気合いを入れて深夜近い鉾町へくりだそう。お茶碗もすてきな祗園祭バージョンであった。今宵もごちそうさま。

四条の御旅所に鎮座される神さんにごあいさつ。三基の神輿をみていると、、、あ、日和神楽が聞こえてきた。

北観音山の日和神楽だ(明日の巡行の日和を祈願する)。御旅所前で拝礼とお囃子奉納。
その足で新町通りへ向かう。

南観音山。今年もあばれ観音見るぞ〜!!
、、、と思ったら同じ事を考えている人はようさんいてはって、芋づる式にぞろぞろ知り合いに出会う(^◇^;)

南観音山の日和神楽が鉾町に帰ってきた。

あばれさせるために楊柳観音様の瓔珞などの荘厳を一時的に外したところ。ちなみに外す前はこんな感じ↓

脇侍の善財童子さんもだっこされて走り回るのよ。
このあと観音様は布と紐でぐるぐる巻きにされ御輿にのせられる。善財さんは布でくるまれるだけ。

時間まで北隣の北観音山も拝見。吉田家の屏風祭は何回見てもええな。今日は浴衣姿の吉田山鉾連合会会長のお姿もおみかけした。

おお!来た来た!!
なんであばれさせるのか、いまだに定説はないそうだが、一説に宵山で会所に座らせられたストレスを一気に発散していただき、明日の巡行におとなしくしていただく、、、とか、北観音様へ恋慕する思いを発散させるとか、、、昔は町内にお披露目する、という意味でゆっくり廻っていたのがいつのまにかあばれ、、、になったとか。
担ぐのは3グループで3回鉾町内を走り回って三本締めで終了。今年もすかっとした〜!ご苦労様。

今年の真松立てはたいへんだったけれど(一度立てるの失敗)、鳩もちゃんと乗っている。北観音には尾長鳥が乗っていて、これは昨年から古文書に従ってとりかえたそうだ。

暴れて気がすんだ(?)観音様を鉾にお乗せするところ。

駒形提灯の灯りも落ちて、明日の巡行を待つ。

こちらも灯りをおとした鯉山。

橋弁慶山。
明日の巡行がよい日和でありますように。
祗園祭後祭・宵々々山の宵2015 - 2015.07.22 Wed
昨年から復活した後祭の宵山は露店禁止なので、屏風祭もゆっくり見られるし、そぞろ歩き、昔ながらの風情があって前祭の宵山よりも好きだな。

しかし、昨年150年ぶりの巡行復帰を果たした大船鉾は人気なので、ここだけ一方通行、立ち止まり禁止。なんだかなあ。宵々々山だし、人出も前祭ほどではないのだから、ゆっくりたちどまって見るくらいはいいではないか。
この大きな金の御幣もかっこいいが、来年は高兄様情報によるといよいよ完成した龍頭になるという。楽しみだ!

会所には凱旋の船に乗る神功皇后のご神体。このあと神力でおさえこんでいた分娩をはたしたという伝説。お生まれになったのは応神天皇、またの名を胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とはなんとなく言い得て妙。

新町を北上できないので一本西の膏薬の図子(杉本家の横)を通って逆戻り。まあ、この図子は風情があるからいい。

四条新町を北に上がると先日4時間にもわたる松立てを見たところの南観音山。

会所に鎮座まします楊柳観音さまは宵山の遅くに(23時〜)鉾町を暴れ回る「あばれ観音」として有名。脇侍の善財童子さんもいっしょにあばれるのよ。今年も見に行こう。あれはほんに迫力ある。京都の祭とは思えないくらい。

やはり通りに辻に駒形提灯のある風景はいいなあ。

北にあがるとすぐ北観音山。

屏風祭は山鉾連合会吉田会長の大きなお屋敷で。

六角形のマークは北観音山のシンボル。鉾町が六角町だから。ちなみに南観音の「百」のマークは百足屋町の町名に由来する。
お囃子を少し聴いてみよう。(二階囃子も聞きにいったし)


露店がないのっていいわ〜。屏風祭もゆっくり拝見できて風情満点。

ここは八幡山の鉾町。八幡様のお使いの二羽の鳩がシンボル。巡行の時にも鳩を二羽のせる。

会所では今年も女の子が燃え尽きたろうそくを取り除く作業に余念がない。
役行者山の子どもたちの粽売りの声。これも昔からかわらへん。歌ってた子たちはみんなどんどん大きくなっていくけれど。

黒主山といえばやはり桜がシンボル。粽にも桜の造花が添えられる。
謡曲「志賀」にちなむ山で主人公は大伴黒主。
♪ふしぎやなこれなる山がつを見れば、重かるべき薪に猶花の枝を折りそへ、休む所も花の陰なり
「黒」つながりで、こちらの山のグッズはスタイリッシュな黒で統一されている。

こちらも人気の登竜門・鯉山。

やはりこの鯉を毎年拝まないことには。

ここの会所ののんびりさ加減が好きなのだ。いつもは小さな子もいてるのに(寝てたりする)今宵は長老さんたちばかりだな。

橋弁慶山。これは説明不要。後祭ではつねに先頭を行く山なのだ。(いままで前祭といっしょの巡行だったが、昨年から後祭巡行の先頭を切ることになったため時間配分にいろいろご苦労されていると聞いた)

人形がアクロバティックなポーズを決める平家物語・宇治川の合戦由来の浄妙山。

浄妙山はまわりがりっぱな大店造りの町家ばかりでことに雰囲気がある。

祭礼の提灯も幔幕もかっこいいなあ。

最後に、唯一烏丸通りにとびだす最北の鈴鹿山。
これを眺めて10基コンプリート。24日の後祭巡行は私は初めてなので(昨年は涙をのんだ、、)楽しみにして見に行こうと思う。今度はお天気だといいな。

しかし、昨年150年ぶりの巡行復帰を果たした大船鉾は人気なので、ここだけ一方通行、立ち止まり禁止。なんだかなあ。宵々々山だし、人出も前祭ほどではないのだから、ゆっくりたちどまって見るくらいはいいではないか。
この大きな金の御幣もかっこいいが、来年は高兄様情報によるといよいよ完成した龍頭になるという。楽しみだ!

会所には凱旋の船に乗る神功皇后のご神体。このあと神力でおさえこんでいた分娩をはたしたという伝説。お生まれになったのは応神天皇、またの名を胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とはなんとなく言い得て妙。

新町を北上できないので一本西の膏薬の図子(杉本家の横)を通って逆戻り。まあ、この図子は風情があるからいい。

四条新町を北に上がると先日4時間にもわたる松立てを見たところの南観音山。

会所に鎮座まします楊柳観音さまは宵山の遅くに(23時〜)鉾町を暴れ回る「あばれ観音」として有名。脇侍の善財童子さんもいっしょにあばれるのよ。今年も見に行こう。あれはほんに迫力ある。京都の祭とは思えないくらい。

やはり通りに辻に駒形提灯のある風景はいいなあ。

北にあがるとすぐ北観音山。

屏風祭は山鉾連合会吉田会長の大きなお屋敷で。

六角形のマークは北観音山のシンボル。鉾町が六角町だから。ちなみに南観音の「百」のマークは百足屋町の町名に由来する。
お囃子を少し聴いてみよう。(二階囃子も聞きにいったし)


露店がないのっていいわ〜。屏風祭もゆっくり拝見できて風情満点。

ここは八幡山の鉾町。八幡様のお使いの二羽の鳩がシンボル。巡行の時にも鳩を二羽のせる。

会所では今年も女の子が燃え尽きたろうそくを取り除く作業に余念がない。
役行者山の子どもたちの粽売りの声。これも昔からかわらへん。歌ってた子たちはみんなどんどん大きくなっていくけれど。

黒主山といえばやはり桜がシンボル。粽にも桜の造花が添えられる。
謡曲「志賀」にちなむ山で主人公は大伴黒主。
♪ふしぎやなこれなる山がつを見れば、重かるべき薪に猶花の枝を折りそへ、休む所も花の陰なり
「黒」つながりで、こちらの山のグッズはスタイリッシュな黒で統一されている。

こちらも人気の登竜門・鯉山。

やはりこの鯉を毎年拝まないことには。

ここの会所ののんびりさ加減が好きなのだ。いつもは小さな子もいてるのに(寝てたりする)今宵は長老さんたちばかりだな。

橋弁慶山。これは説明不要。後祭ではつねに先頭を行く山なのだ。(いままで前祭といっしょの巡行だったが、昨年から後祭巡行の先頭を切ることになったため時間配分にいろいろご苦労されていると聞いた)

人形がアクロバティックなポーズを決める平家物語・宇治川の合戦由来の浄妙山。

浄妙山はまわりがりっぱな大店造りの町家ばかりでことに雰囲気がある。

祭礼の提灯も幔幕もかっこいいなあ。

最後に、唯一烏丸通りにとびだす最北の鈴鹿山。
これを眺めて10基コンプリート。24日の後祭巡行は私は初めてなので(昨年は涙をのんだ、、)楽しみにして見に行こうと思う。今度はお天気だといいな。