英国田舎紀行・湖水地方/コーンウォール〜コーンウォールその3 - 2015.08.19 Wed
いよいよ英国田舎紀行も本日でおしまい。おつきあいありがとう。もう少しだ!

さて、これはどこでしょう?
モンサンミッシェル?いえ、それはフランス。
ここはターナーが絵にも描いたところ、、、
コーンウォールのマラザイオン(ペンザンスの近く)のSt. Michael's Mount。フランス語読みするとまさにモンサンミッシェル(大天使ミカエルの山)だけれどで。
でもここにはあまりにも観光化されすぎてモンサンミッシェルが失ってしまったものがたくさんある。
昨年モンサンミッシェルに行ったが、道路をつくったためすっかり陸地化して、いまでは満潮の時にも海の上にうかぶ、、、ことにはならない。おまけにお土産物屋やらレストランやらが林立していて観光客もすし詰め。ずいぶんがっかりしたものだ。
だからもし、海に消えてはあらわれ、満潮の時には命を落とす人もいた巡礼の道を歩きたいなら、モンサンミッシェルよりこのセントマイケルズマウントを強くおすすめする。

夕刻7時、といってもまだまだ明るい浜辺にたどりつくと潮がどんどん引き始めていて巡礼の道Causewayが現れ始めていた。

すすんでいくと、途中はまだ水に覆われているが他の人たちがずんずん進んでいくのでパンツの裾をまくりあげ裸足になって突進する。

おお!これは楽しい!!

(お見苦しい足はスルーで)
今年は下鴨神社の足つけ神事にいかれんかったからなあ、、、ここで足つけ(??)

わんこ好きのイギリス人はわんこもつれて巡礼の道を行く。わんこもはしゃぐはしゃぐ!
実はこの道歩きが今回の旅行で一番楽しい思い出であった。

島にちかづくと道はまた海から顔を出す。

島を管理するナショナルトラストの小さなショップもすでにしまっていて静かでよい感じだ。
てっぺんのお城はサン・レヴァン卿のプライベートな住居、という点もモンサンミッシェルとずいぶん違う。

この島の由来は西暦495年に漁師が島の崖の上に大天使聖ミカエルの姿をみたという伝説による。以後ケルトの僧侶たちが修道院を作り、ケルトの聖地、巡礼の場所となったそうだ。

道を渡れる時間をしめす看板。意外と長い間道は歩けるようだ。

島をぐるっとひとまわり。ここにも季節の花が美しく咲く。右手に見える赤い花はフクシア。

フクシアは今が盛りでマルハナバチが蜜集めに忙しそうだ。

この花の名前はしらないが、ここにも作業中の蜂。

島からもどるころには道はすっかかりその姿をあらわしていた。昨年の大嵐でこの花崗岩の道は一部が流され壊れてしまったのを、現在もまだ干潮の時をねらって修復する作業がおこなわれている。

沈む西日。ずいぶん干潟がひろがってきた。潮だまりには魚は見つけることはできなかったが、巻き貝やフジツボのたぐいがたくさんいた。

波が描いた砂の紋様も美しく絵になる。

対岸へ到着。

泊まったB&Bの窓からも正面に山がみえる。これで夜の9時くらいかな。こうして遠景でみると巡礼の道は大きくカーヴしているのね。

今夜のお泊まりはこのB&Bで。ここもよかったよ。窓からCausewayがわたれるかどうかすぐ見えるし。

これはコーンウォールで「Cream tea」と注文するとでてくるもの。スコーン(たいてい)2個、ジャムとクロッティッドクリーム(クリームとバターの間みたいな)、それに紅茶がつく。これだけ食べるともう夕食いらんくらいボリュームある。

翌早朝。マラザイオンの町はまだ眠っている。

朝焼けの海におりてみる。

できはじめた干潟ではたくさんの海鳥が餌探しに余念がない。

けれど巡礼の道はまだ海にしずんだまま聖なる山は静かに浮かんでいた。
これでこの夏の旅行記はおしまい。ながらくおつきあい、ありがとうございましたm(_ _)m

さて、これはどこでしょう?
モンサンミッシェル?いえ、それはフランス。
ここはターナーが絵にも描いたところ、、、
コーンウォールのマラザイオン(ペンザンスの近く)のSt. Michael's Mount。フランス語読みするとまさにモンサンミッシェル(大天使ミカエルの山)だけれどで。
でもここにはあまりにも観光化されすぎてモンサンミッシェルが失ってしまったものがたくさんある。
昨年モンサンミッシェルに行ったが、道路をつくったためすっかり陸地化して、いまでは満潮の時にも海の上にうかぶ、、、ことにはならない。おまけにお土産物屋やらレストランやらが林立していて観光客もすし詰め。ずいぶんがっかりしたものだ。
だからもし、海に消えてはあらわれ、満潮の時には命を落とす人もいた巡礼の道を歩きたいなら、モンサンミッシェルよりこのセントマイケルズマウントを強くおすすめする。

夕刻7時、といってもまだまだ明るい浜辺にたどりつくと潮がどんどん引き始めていて巡礼の道Causewayが現れ始めていた。

すすんでいくと、途中はまだ水に覆われているが他の人たちがずんずん進んでいくのでパンツの裾をまくりあげ裸足になって突進する。

おお!これは楽しい!!

(お見苦しい足はスルーで)
今年は下鴨神社の足つけ神事にいかれんかったからなあ、、、ここで足つけ(??)

わんこ好きのイギリス人はわんこもつれて巡礼の道を行く。わんこもはしゃぐはしゃぐ!
実はこの道歩きが今回の旅行で一番楽しい思い出であった。

島にちかづくと道はまた海から顔を出す。

島を管理するナショナルトラストの小さなショップもすでにしまっていて静かでよい感じだ。
てっぺんのお城はサン・レヴァン卿のプライベートな住居、という点もモンサンミッシェルとずいぶん違う。

この島の由来は西暦495年に漁師が島の崖の上に大天使聖ミカエルの姿をみたという伝説による。以後ケルトの僧侶たちが修道院を作り、ケルトの聖地、巡礼の場所となったそうだ。

道を渡れる時間をしめす看板。意外と長い間道は歩けるようだ。

島をぐるっとひとまわり。ここにも季節の花が美しく咲く。右手に見える赤い花はフクシア。

フクシアは今が盛りでマルハナバチが蜜集めに忙しそうだ。

この花の名前はしらないが、ここにも作業中の蜂。

島からもどるころには道はすっかかりその姿をあらわしていた。昨年の大嵐でこの花崗岩の道は一部が流され壊れてしまったのを、現在もまだ干潮の時をねらって修復する作業がおこなわれている。

沈む西日。ずいぶん干潟がひろがってきた。潮だまりには魚は見つけることはできなかったが、巻き貝やフジツボのたぐいがたくさんいた。

波が描いた砂の紋様も美しく絵になる。

対岸へ到着。

泊まったB&Bの窓からも正面に山がみえる。これで夜の9時くらいかな。こうして遠景でみると巡礼の道は大きくカーヴしているのね。

今夜のお泊まりはこのB&Bで。ここもよかったよ。窓からCausewayがわたれるかどうかすぐ見えるし。

これはコーンウォールで「Cream tea」と注文するとでてくるもの。スコーン(たいてい)2個、ジャムとクロッティッドクリーム(クリームとバターの間みたいな)、それに紅茶がつく。これだけ食べるともう夕食いらんくらいボリュームある。

翌早朝。マラザイオンの町はまだ眠っている。

朝焼けの海におりてみる。

できはじめた干潟ではたくさんの海鳥が餌探しに余念がない。

けれど巡礼の道はまだ海にしずんだまま聖なる山は静かに浮かんでいた。
これでこの夏の旅行記はおしまい。ながらくおつきあい、ありがとうございましたm(_ _)m
英国田舎紀行・湖水地方/コーンウォール〜コーンウォールその2 - 2015.08.18 Tue

北部をぐるっと回ってセントアイブスへ到着。ここで行きたかったのはバーナード・リーチのリーチポッタリー。

閉館ぎりぎりにミュージアムへすべりこむ。
バーナードリーチは民藝をご存じの方なら忘れてならない名前。柳宗悦の親友にして、富本憲吉や、この地でいっしょに作陶もした濱田庄司とも親しく交友した陶芸家。幼い頃は日本ですごした、というのも我が国とのゆかり。
作品はイギリス伝統的な用の器、スリップウェアに似た感じが多い。

リーチはここに日本と同じ登り窯を築いた。リーチポッタリー、すなわちリーチ窯。

日本や中国、韓国の焼きものに惹かれ、ヨーロッパの伝統的日常使いの焼きものを研究した彼の作品の多くはここで生まれた。

ここでは彼の作陶の道具も見ることができる。ほう、、、こんな轆轤を使っていたのか。

ここは今でもその後継者たちが作陶にはげんでいる現役の窯なのだ。なんでも日本人の女流陶芸家もおられると聞いた。

現在はこの屋外にある窯で焼いているらしい。現在の工房の作品も求めることができるが、すでにスーツケースは満杯、、、諦めたのであった。

翌日はすこし遠出してトゥルロという町まで。
Tregothnan Estate、40haの広大な庭園に、英国はじめての国産茶葉生産に成功した茶園がある。(英国の紅茶と言えば茶葉はスリランカ、印度、中国産であった)
ここはほんの入り口、現在ボスコーウェン卿のプライベートな屋敷でもあるので、ここから車でかなり走ってやっと、紅茶ファクトリーへたどりつく。

残念ながら、そのプライベート庭園なので、茶園は見ることができなかったが、茶の木を発見!
ここのガーデナーが日本や印度へ出向き研究をかさねてやっと2002年に茶の栽培に成功、2005年からトレゴスナンティーとして商品化されたそうだ。

ここにあるショップでテイスティングができる。実際の処収穫量は多くないのでSingle Estateという混じりっけなしのトレゴスナンでとれた茶葉の紅茶は限定販売で入手困難とか。

テイスティングのリーフティーのなかにグリーンティーを発見。しかしどう見ても日本の煎茶とはまったく見かけもちがえば味も全然ちがう。(どちらが好きかは好みだと思うが)
そこでちょっと燃えまして、お店のスタッフさんに「日本の抹茶をためさないか?」ともちかけた。

さすがにお茶にたずさわる人、興味津々。目の前で野点セットで抹茶をたててあげた。なにぶんパウダーティー=抹茶というもの自体を知らなかったようだ。苦かったら一口でいいよ、といったらほんまに一口だけ(^_^;
「全然違う!」と。でもよくおつきあいくださったものだ。感謝。
煎茶と抹茶の作り方の違いもレクチャーして(いや、通じてるかどうかは不明だが、、、)紅茶を買ってお別れした。

道場破りというか、紅茶の本場でけんか売るとは若干あつかましかったかな。でも感謝。
次にペンザンスからは2時間ほどのドライブ、北岸のティンタジェル城へ。

道々、ここにもあちこち紫陽花が盛り。

こんなのどかな田舎道、、、、と思っていたらカーナビはとんでもない道を示し、、、

これどうなん??
ひたすら対向車こないで〜〜〜と心の中で叫びながらすすんだ。車体と生垣がちかすぎて警報なりっぱなし、、、

ふう、、やっと到着、イギリスヘリテイジ、ティンタジェル城。しかし、これだけたくさんの人が来ているってことは、もっと大きな道があるんとちがうんか?

マーリンの洞窟。そう、ここはアーサー王伝説に彩られた場所なのだ。

もともと古代ローマ人が作った遺跡だそうだが、廃墟になっていたものを13世紀にコーンウォール伯レジナルドが古城に見せかけてわざと古い城を再建したものとか。

それがヴィクトリア時代に「アーサー王伝説」に結びつけられ、町を挙げての大ブーム。いわゆる町おこしみたいなものか。

アーサー王自体が実在したわけではないといわれているので、ここはひとつ心の中でキャメロットの幻想を見ようではないか。

これはローマ人の遺構だろうか。ワイン壺をたてかけるものか、かまどのあとか。

しかし山肌の崖に沿って一人しか通れないような道をぞろぞろ上っていくのは恐かった。

あ!
マーリンの衣裳!ほんまにいたんだ、、、、(もちろんマーリンやアーサー王に扮した役者さんのもの)

町のお土産物屋にはアーサー王の剣、エクスカリバーも売ってるよ。さすが。

同じくアーサー王の腕(King Arthor's Arm)、という名前のパブでパブ飯をたのむと、、、、

フィッシュアンドチップスがこんなにデカイ、、、、
(あと1回で終わりだよ。がんばれ!)
英国田舎紀行・湖水地方/コーンウォール〜コーンウォールその1 - 2015.08.17 Mon
コーンウォールはイングランドの南西の端、一瞬ウェールズかな?と思ったけれどウェールズをまわりこんで南西につきだしている。

イギリス人に聞くと海のリゾート地というイメージなんだそうな。英国が舞台の小説では(アガサクリスティなんか)お馴染みの名前だが、実はイギリスのどこらへんにあるのかシラナカッタ、、、。イメージでは荒涼たる岩と海の地方、、、だったが。
今回車でまわった場所を地図に書いてみたのでご参考に。

とはいえロンドンからは列車で5時間以上かかるので、時間節約のため行き帰りをパディントン発の寝台車で9時間かけて移動することにした。
これはパディントン駅にある「熊のパディントン」(マイケル・ボンドの児童文学)。パディントン駅でスーツケースの上に座っているところをブラウン夫妻に発見された場面らしい。「このくまをよろしくお願いします」と書かれた札もついてるよ。

ほぼ深夜0時発の寝台車。駅で時間つぶすのが若干つらかったが。(待合室も閉鎖される)

二段ベッドで、、、狭い。けれど洗面ボウルもコンパクトに内蔵されている。疲れていて爆睡したのでまあ寝心地はよかったのだろう。

早朝、コーンウォールのペンザンス到着。「ペンザンスはあなたを歓迎します」が、英語とコーニッシュ語で書かれている。
ここでレンタカーを借りてペンザンスから反時計回りにコーンウォールの西のでっぱりを一周。

まずはポースカーノのミナックシアターへ。おお、イメージ通りの海だ。

ミナックシアターはロウィーナ・ケイド(〜1983)という女性がほぼひとりで手作りしたという野外劇場。崖を利用して階段が座席になっている。ここではオペラやコンサートもひんぱんにおこなわれているらしい。

この海になだれこむ急勾配はこわいぞ。しかし、さぞ気持ちよいだろうな、演じる方も海風に向かって。

ロウィーナは花崗岩を手で切り出してひとつひとつ手押し車ではこび、セメントをこね、約半世紀、人生のほとんどを費やしてこつこつつくりあげたというからすごい。彼女はもとは劇場の衣装係だったそうだから、すべて独学でやりとおしたのだろう。

ここにも日本では6月の花、アガパンサスが満開であった。他の植栽は海風にも強い多肉植物を多用している。よくみると岩陰にこんなものも潜んでいた。

この日は無料で子どもたちへの読み聞かせのだしものをやっていた。機会があればここでクラシックコスチュームのオペラなぞ観てみたい。

なにはともあれ、この絶景野外劇場を作り上げたロウィーナ・ケイドに敬意を。
ついでさらに西へ。
イングランドの西の果て、ランズエンドへ。

ヨーロッパいや、ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬へ行った時のイメージをいだいていたが、なんとミニ遊園地まであってちょっとあれあれ??な感じ。

気を取り直してさらに海側へすすむ。ここまできたらうるさいお子たちの声はもう聞こえない。

Land's End、、、地の果て。ちょっと雰囲気がでてきた。嵐みたいな天候だったらもっと果て、、の雰囲気でたかも。

ここもおとなりのセネンコーヴビーチまでフットパスがあるので歩いてみる。

イングランドの涼しい夏にせいいっぱい盛りを迎えて咲く野の花。薄紫は荒れ地に咲くヒース。ほんに海辺のお花畑だ。ゆるやかな起伏を、海を見ながら花を楽しみながらどんどん歩く。ああ、これは楽しい♪

そしてここでやりたかったことを。
そう、このためにわざわざ野点セットもってきたんだ。(ちいさい缶は金平糖入れ)

大西洋に、地の果てに一服献茶つかまつる。

ヒース。
文字通りヒースクリフ(ヒースの崖、「嵐が丘」の主人公の名前ね)

この景色がイングランドっぽくって見たかったんだ。

これは戦後だったと思うがここで難破した船の残骸。さいわい乗組員は全員救助されたそうだが、船はそのままここに残っている。今では風化が進んですっかりここの景色の一部になってしまったようだ。

いよいよ丘一つ越えたビーチが見えてきた。温度は20℃越えるかどうか、というくらいだがけっこうたくさんの人が泳いでいる。短い夏を楽しんでいるんだな。

いまいちど来た道をふりかえればヒースと、

うちの庭ではさっぱり育たなかったモントブレチア(ヒメヒオウギ)が野生の大群であたりをオレンジ色に埋め尽くしていた。

これはパスティというコーンウォールの郷土食である。パイ生地でビーフシチューを包んだ、とでも言おうか。これはコーンウォールにたくさんあった鉱山の労働者たちが愛用した食事だという。
よごれた手でももちやすく、携帯カイロのようにあたたかく、おいしく栄養価も高い。とくに鉱山は有毒物質をあつかうこともあったため、持ち手の部分はちぎって捨てたそうな。これを鉱山に住む妖精ノッカーへ与える、というふうに言い伝えられてきた。

コーンウォールにはこうした鉱山の採掘場がたくさんあったが、1860年の銅の暴落とともに衰退し、ついに1998年最後の山が閉じられた。そのあとは今でもたくさん残っており、ここ、レヴァントマインもその一つで、現在ナショナルトラストが管理している。

閉鎖は1930年だそうだ。海の下の鉱山とよばれ、海底よりはるかにはるかに深い場所まで坑道がある。

廃墟にいまこだまするのはカモメの声ばかりだが、最盛期にはたくさんの男たちが、採掘にたずさわったという。表層部では10才以下の少年や女性までが働いていたそうだ。

これはレヴァントエンジンというコーンウォール独自の蒸気機関で最近になってボランティアグループが再生したそうで、実際に動くところを見せてもらった。動力の原理を説明してくれているところだが、メカ音痴なのと英語が聞き取りにくいのとで半分も理解できんかったが。

坑道の図。左の上の方に海底のラインが描かれているので比べるといかに深く掘ったかがわかる。

坑道の入り口のひとつ。ここから奈落の底にリフトでおりていったのだろうが、こんなこわいとこ私はよう行かん。のぞくだけでも足がすくむ。

当時の採掘の様子を語っているところ。おそらく地熱、有毒ガスや出水などで事故もあっただろうし、きつい労働であっただろう。しかしそれが鉱夫たちに生活の糧を与えたのも事実。

当時の写真。みな一様に顔をまっくろにしている。少年とおぼしき鉱夫もいるがいっちょまえの男の顔をしている。しかし若い体にこの労働環境が良い影響をあたえたはずはなく、その後健康で長生きできたのか気になる。

そう思ってみるとこの景色はもの悲しくも見える。

鉱物の色で赤い土、赤い岩、一角にだれがはじめたのか賽の河原みたいな石積みがたくさん。賽の河原なんて発想はここにはないと思うが、この哀愁感はなんだろう。

いまはカモメの生息地としてのどかで平和な場所なんだが。

イギリス人に聞くと海のリゾート地というイメージなんだそうな。英国が舞台の小説では(アガサクリスティなんか)お馴染みの名前だが、実はイギリスのどこらへんにあるのかシラナカッタ、、、。イメージでは荒涼たる岩と海の地方、、、だったが。
今回車でまわった場所を地図に書いてみたのでご参考に。

とはいえロンドンからは列車で5時間以上かかるので、時間節約のため行き帰りをパディントン発の寝台車で9時間かけて移動することにした。
これはパディントン駅にある「熊のパディントン」(マイケル・ボンドの児童文学)。パディントン駅でスーツケースの上に座っているところをブラウン夫妻に発見された場面らしい。「このくまをよろしくお願いします」と書かれた札もついてるよ。

ほぼ深夜0時発の寝台車。駅で時間つぶすのが若干つらかったが。(待合室も閉鎖される)

二段ベッドで、、、狭い。けれど洗面ボウルもコンパクトに内蔵されている。疲れていて爆睡したのでまあ寝心地はよかったのだろう。

早朝、コーンウォールのペンザンス到着。「ペンザンスはあなたを歓迎します」が、英語とコーニッシュ語で書かれている。
ここでレンタカーを借りてペンザンスから反時計回りにコーンウォールの西のでっぱりを一周。

まずはポースカーノのミナックシアターへ。おお、イメージ通りの海だ。

ミナックシアターはロウィーナ・ケイド(〜1983)という女性がほぼひとりで手作りしたという野外劇場。崖を利用して階段が座席になっている。ここではオペラやコンサートもひんぱんにおこなわれているらしい。

この海になだれこむ急勾配はこわいぞ。しかし、さぞ気持ちよいだろうな、演じる方も海風に向かって。

ロウィーナは花崗岩を手で切り出してひとつひとつ手押し車ではこび、セメントをこね、約半世紀、人生のほとんどを費やしてこつこつつくりあげたというからすごい。彼女はもとは劇場の衣装係だったそうだから、すべて独学でやりとおしたのだろう。

ここにも日本では6月の花、アガパンサスが満開であった。他の植栽は海風にも強い多肉植物を多用している。よくみると岩陰にこんなものも潜んでいた。

この日は無料で子どもたちへの読み聞かせのだしものをやっていた。機会があればここでクラシックコスチュームのオペラなぞ観てみたい。

なにはともあれ、この絶景野外劇場を作り上げたロウィーナ・ケイドに敬意を。
ついでさらに西へ。
イングランドの西の果て、ランズエンドへ。

ヨーロッパいや、ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬へ行った時のイメージをいだいていたが、なんとミニ遊園地まであってちょっとあれあれ??な感じ。

気を取り直してさらに海側へすすむ。ここまできたらうるさいお子たちの声はもう聞こえない。

Land's End、、、地の果て。ちょっと雰囲気がでてきた。嵐みたいな天候だったらもっと果て、、の雰囲気でたかも。

ここもおとなりのセネンコーヴビーチまでフットパスがあるので歩いてみる。

イングランドの涼しい夏にせいいっぱい盛りを迎えて咲く野の花。薄紫は荒れ地に咲くヒース。ほんに海辺のお花畑だ。ゆるやかな起伏を、海を見ながら花を楽しみながらどんどん歩く。ああ、これは楽しい♪

そしてここでやりたかったことを。
そう、このためにわざわざ野点セットもってきたんだ。(ちいさい缶は金平糖入れ)

大西洋に、地の果てに一服献茶つかまつる。

ヒース。
文字通りヒースクリフ(ヒースの崖、「嵐が丘」の主人公の名前ね)

この景色がイングランドっぽくって見たかったんだ。

これは戦後だったと思うがここで難破した船の残骸。さいわい乗組員は全員救助されたそうだが、船はそのままここに残っている。今では風化が進んですっかりここの景色の一部になってしまったようだ。

いよいよ丘一つ越えたビーチが見えてきた。温度は20℃越えるかどうか、というくらいだがけっこうたくさんの人が泳いでいる。短い夏を楽しんでいるんだな。

いまいちど来た道をふりかえればヒースと、

うちの庭ではさっぱり育たなかったモントブレチア(ヒメヒオウギ)が野生の大群であたりをオレンジ色に埋め尽くしていた。

これはパスティというコーンウォールの郷土食である。パイ生地でビーフシチューを包んだ、とでも言おうか。これはコーンウォールにたくさんあった鉱山の労働者たちが愛用した食事だという。
よごれた手でももちやすく、携帯カイロのようにあたたかく、おいしく栄養価も高い。とくに鉱山は有毒物質をあつかうこともあったため、持ち手の部分はちぎって捨てたそうな。これを鉱山に住む妖精ノッカーへ与える、というふうに言い伝えられてきた。

コーンウォールにはこうした鉱山の採掘場がたくさんあったが、1860年の銅の暴落とともに衰退し、ついに1998年最後の山が閉じられた。そのあとは今でもたくさん残っており、ここ、レヴァントマインもその一つで、現在ナショナルトラストが管理している。

閉鎖は1930年だそうだ。海の下の鉱山とよばれ、海底よりはるかにはるかに深い場所まで坑道がある。

廃墟にいまこだまするのはカモメの声ばかりだが、最盛期にはたくさんの男たちが、採掘にたずさわったという。表層部では10才以下の少年や女性までが働いていたそうだ。

これはレヴァントエンジンというコーンウォール独自の蒸気機関で最近になってボランティアグループが再生したそうで、実際に動くところを見せてもらった。動力の原理を説明してくれているところだが、メカ音痴なのと英語が聞き取りにくいのとで半分も理解できんかったが。

坑道の図。左の上の方に海底のラインが描かれているので比べるといかに深く掘ったかがわかる。

坑道の入り口のひとつ。ここから奈落の底にリフトでおりていったのだろうが、こんなこわいとこ私はよう行かん。のぞくだけでも足がすくむ。

当時の採掘の様子を語っているところ。おそらく地熱、有毒ガスや出水などで事故もあっただろうし、きつい労働であっただろう。しかしそれが鉱夫たちに生活の糧を与えたのも事実。

当時の写真。みな一様に顔をまっくろにしている。少年とおぼしき鉱夫もいるがいっちょまえの男の顔をしている。しかし若い体にこの労働環境が良い影響をあたえたはずはなく、その後健康で長生きできたのか気になる。

そう思ってみるとこの景色はもの悲しくも見える。

鉱物の色で赤い土、赤い岩、一角にだれがはじめたのか賽の河原みたいな石積みがたくさん。賽の河原なんて発想はここにはないと思うが、この哀愁感はなんだろう。

いまはカモメの生息地としてのどかで平和な場所なんだが。
英国田舎紀行・湖水地方とコーンウォール〜湖水地方その4 - 2015.08.14 Fri
湖水地方最終日の早朝。

起きたら霧がかかっていた。気温はおそらく10℃前後、キルトのはいったジャケットがいる。

ウィンダミア湖の東岸を車で北上してアンブルサイド近くまで。
湖はまだ夜明けとも朝ともつかないあいあまいな色で。

背後の丘から朝日は昇るようだ。

霧に朝の陽光が乱反射して、、、

この景色はもうほとんど神だ。

キリスト教文化圏の天使の存在を信じてしまいそうだ。

足元にはまたまた美しい野の花。

停泊中のヨットのそばの浮きに鴨の親子。

あ、泳ぎだした。
これだけたくさんの仔がいるということをきかないのが一匹はいるよね。


このまま明けていくのかと思えばまた霧が濃くなる。

こういう景色を見ると不信心者でさえ敬虔にひれふしたくなるのだ。

もうちょい北の方、スコットランドの国花・アザミ。これもまた神の創造物か。

かえりがけ、今更遅いがようやくフェリー乗り場を発見した。

これに乗ればあっというまにニアソーリーにいけたのだが。惜しい経験をのがした。

さて、朝食をいただき、この気持ちの良いB&Bともお別れ、湖水地方をあとにしていったんロンドンへもどろう。
(湖水地方編、やっとおわりです。おつきあいありがとう。まだコーンウォール編もおみのがしなく(^_^)b )

起きたら霧がかかっていた。気温はおそらく10℃前後、キルトのはいったジャケットがいる。

ウィンダミア湖の東岸を車で北上してアンブルサイド近くまで。
湖はまだ夜明けとも朝ともつかないあいあまいな色で。

背後の丘から朝日は昇るようだ。

霧に朝の陽光が乱反射して、、、

この景色はもうほとんど神だ。

キリスト教文化圏の天使の存在を信じてしまいそうだ。

足元にはまたまた美しい野の花。

停泊中のヨットのそばの浮きに鴨の親子。

あ、泳ぎだした。
これだけたくさんの仔がいるということをきかないのが一匹はいるよね。


このまま明けていくのかと思えばまた霧が濃くなる。

こういう景色を見ると不信心者でさえ敬虔にひれふしたくなるのだ。

もうちょい北の方、スコットランドの国花・アザミ。これもまた神の創造物か。

かえりがけ、今更遅いがようやくフェリー乗り場を発見した。

これに乗ればあっというまにニアソーリーにいけたのだが。惜しい経験をのがした。

さて、朝食をいただき、この気持ちの良いB&Bともお別れ、湖水地方をあとにしていったんロンドンへもどろう。
(湖水地方編、やっとおわりです。おつきあいありがとう。まだコーンウォール編もおみのがしなく(^_^)b )
英国田舎紀行・湖水地方とコーンウォール〜湖水地方その3 - 2015.08.14 Fri
湖水地方のもう一人の有名人と言えば桂冠詩人・ワーズワーズ。、、、、と名前は知っていてもその詩は実はあんまり、、、(^_^;)

ここはウィンダミア湖北部の町、グラスミア。彼が10年足らずをすごしたダヴ・コテイジが残って公開されている。

(ダヴ・コテイジ)
一番有名な詩は「Daffodils(水仙)」だというので読んでみた
I wandered lonly as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils ;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.

これに対し、和訳はたくさんあって、文語調のものから中学生の訳みたいなのまで。まるでまったく違う詩のようだ。

たとえば
谷また丘の空高く
ひとり漂う雲のごと
さまようわれのふと見しは
群れ集いたる黄水仙
湖水のほとり木々の下
風にひらめき踊るなり (研究社版)
実際彼がこの水仙の一群れを見たのはグラスミアの北、アルスウォーター湖の畔だそうだ。ただし水仙は早春だからね。

私は雲のようにひとりさまよった
谷間や丘に空高く浮かぶ雲のように。
そのとき突然私は一群に出会った、
黄金色の水仙の群れに。
湖のほとりや、木々の下で、
微風に揺らめき踊っていた。 (オセアニア出版版)
文語体、口語体どちらがいいかはなんとも言い難いが、みなさまはどちらだろうか。
せっかくだから最後の節ものせておくね。
For oft when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude,
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the Daffodils.
というのも、私が寝椅子に横たわって
虚ろな物思いにふけっている時にも、
それは孤独の喜びにひたっている
あの心眼にきらめくからだ。
そんな時私の心は喜びに満ち
水仙と一緒に踊るのだ。 (オセアニア出版版)

川のほとりにカフェをみつけた。

せっかくだからここでお茶を。背景にみえるのはワーズワースの墓のあるオズワルド教会。

これがその墓石(左)。後のケルティッククロス(ケルト十字架)は、ここがスコットランドに近いことを思い出させる。

ここ、グラスミアは自然環境が抜群なため、地価がイギリス屈指の高さだそうだ。なるほどね。ロンドンのお金持ちが別荘を持っていて週末に遊びに来る、、、という感じか。うらやましいのう。

教会の裏にあったジンジャーブレッドのお店。

1854年創業、セイラ・ネルソンおばさんのレシピをいまでも守っているそうで、ワーズワースもお気に入りだったそうですよ。

あ、セイラおばさん、、、じゃなくて、ヴィクトリアスタイルの店員さんだった。

なんというか、ハーブの香りただようジンジャーブレッド。一つ食べたらもうお腹一杯で夕食抜き、、、というシロモノであった。

グラスミアに別れを告げボウマスへ帰る道々、見え隠れする湖。

これはライダル湖。スコットランドの湖はネス湖をはじめ底が土ではなくて岩なので有機質に乏しく、生物は(ネッシーも含め)繁殖しがたいと聞いた。なので水は澄んでいる。

ボウマスにもどったら、観光客お約束のウィンダミア湖クルーズ!

湖畔でキャンプする人あり、ボートやヨットでこぎ出す人あり、別荘あり、、、

中産階級のリゾート、、なんだな。

たくさんの野鳥がすっかり人に餌をもらうのに慣れているようだ。いいのかそれで?
あとリゾート地にたくさんのわんこ連れが目に付いた。中には大型犬二匹以上という人もいる。乗り物にはわんこ料金も明示され、わんこもよくしつけられている。狩に犬を使った歴史があり、動物愛護の総本山だけのことはあるわ。イギリス人ってほんとわんこ好き。(猫をほとんど見かけなかったのが残念)
(まだまだつづく、がんばれ、もうちょっと、、、でもないか)

ここはウィンダミア湖北部の町、グラスミア。彼が10年足らずをすごしたダヴ・コテイジが残って公開されている。

(ダヴ・コテイジ)
一番有名な詩は「Daffodils(水仙)」だというので読んでみた
I wandered lonly as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils ;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.

これに対し、和訳はたくさんあって、文語調のものから中学生の訳みたいなのまで。まるでまったく違う詩のようだ。

たとえば
谷また丘の空高く
ひとり漂う雲のごと
さまようわれのふと見しは
群れ集いたる黄水仙
湖水のほとり木々の下
風にひらめき踊るなり (研究社版)
実際彼がこの水仙の一群れを見たのはグラスミアの北、アルスウォーター湖の畔だそうだ。ただし水仙は早春だからね。

私は雲のようにひとりさまよった
谷間や丘に空高く浮かぶ雲のように。
そのとき突然私は一群に出会った、
黄金色の水仙の群れに。
湖のほとりや、木々の下で、
微風に揺らめき踊っていた。 (オセアニア出版版)
文語体、口語体どちらがいいかはなんとも言い難いが、みなさまはどちらだろうか。
せっかくだから最後の節ものせておくね。
For oft when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude,
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the Daffodils.
というのも、私が寝椅子に横たわって
虚ろな物思いにふけっている時にも、
それは孤独の喜びにひたっている
あの心眼にきらめくからだ。
そんな時私の心は喜びに満ち
水仙と一緒に踊るのだ。 (オセアニア出版版)

川のほとりにカフェをみつけた。

せっかくだからここでお茶を。背景にみえるのはワーズワースの墓のあるオズワルド教会。

これがその墓石(左)。後のケルティッククロス(ケルト十字架)は、ここがスコットランドに近いことを思い出させる。

ここ、グラスミアは自然環境が抜群なため、地価がイギリス屈指の高さだそうだ。なるほどね。ロンドンのお金持ちが別荘を持っていて週末に遊びに来る、、、という感じか。うらやましいのう。

教会の裏にあったジンジャーブレッドのお店。

1854年創業、セイラ・ネルソンおばさんのレシピをいまでも守っているそうで、ワーズワースもお気に入りだったそうですよ。

あ、セイラおばさん、、、じゃなくて、ヴィクトリアスタイルの店員さんだった。

なんというか、ハーブの香りただようジンジャーブレッド。一つ食べたらもうお腹一杯で夕食抜き、、、というシロモノであった。

グラスミアに別れを告げボウマスへ帰る道々、見え隠れする湖。

これはライダル湖。スコットランドの湖はネス湖をはじめ底が土ではなくて岩なので有機質に乏しく、生物は(ネッシーも含め)繁殖しがたいと聞いた。なので水は澄んでいる。

ボウマスにもどったら、観光客お約束のウィンダミア湖クルーズ!

湖畔でキャンプする人あり、ボートやヨットでこぎ出す人あり、別荘あり、、、

中産階級のリゾート、、なんだな。

たくさんの野鳥がすっかり人に餌をもらうのに慣れているようだ。いいのかそれで?
あとリゾート地にたくさんのわんこ連れが目に付いた。中には大型犬二匹以上という人もいる。乗り物にはわんこ料金も明示され、わんこもよくしつけられている。狩に犬を使った歴史があり、動物愛護の総本山だけのことはあるわ。イギリス人ってほんとわんこ好き。(猫をほとんど見かけなかったのが残念)
(まだまだつづく、がんばれ、もうちょっと、、、でもないか)