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2023-10

修二会2016・その3〜修二会の頃の奈良〜入江泰吉旧居 - 2016.03.14 Mon

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二月堂を辞し裏参道から戒壇院のあたりへぬける。




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戒壇院の庫裏は練行衆たちの別火坊(法会に入る前の精進潔斎)にもなる。ここの四天王像は四天王の中でも最高に美しいと思う。でも、今日はここはスルーして、このちかくのこちらへ。



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ちょうど1年前公開されるようになった入江泰吉旧居

奈良の写真を見た人はかならず入江先生の写真を一度は見ているはずである。


かつて郷里で受験生をしていたころ、図書館で勉強しつつ息抜きは図書館蔵書の奈良の写真集をみることだった。そのなかで二月堂への裏参道の写真は深く印象にのこり、首尾良く京都の大学へいけたらここへも足をのばすんだ、と誓った(?)のである。




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(東大寺別当206世上司雲海師による表札。師は入江先生と同級生で、多くの人脈を入江につないだ方でもあった。)



その写真をはじめ、多くの奈良の写真が入江泰吉(1905〜1992)先生の写真であったと知ったのはずっとあとのこと。

高畑の入江泰吉記念奈良市写真美術館にはなんどか行ったことがあるが、戦後入江先生が亡くなるまですごされた東大寺畔のこの旧宅が奈良市に寄贈され、公開されていると知ったのは今年になってから。



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玄関をはいったところ。万葉の植物が多く育てられていたらしい。

入江先生は大阪大空襲で焼けだされ、戦後くしくも幼い頃をすごしたこの東大寺旧境内の町へ帰ってきて、写真家としてスタートされたそうだ。



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こちらの家は平屋で大正年間の建築か、といわれているがさだかなことはわからないそうだ。


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廊下の化粧裏天井。


現在は痛んだところの改修がなされて住んでおられたころそのままとはいかないが、残された本や調度、日常遺愛のものはそのまま残され展示されている。




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広間。

入江先生の軸がかかる。奥様が能書家であったので、習っておられたらしい。この朱色のテーブルも当時のものだそうだ。




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ここには写真のお弟子さんをはじめたくさんの方が訪れたそうだが、中には高畑に一時住んでいた志賀直哉、「大和古寺風物誌(高校生の頃の愛読書!!)」の亀井勝一郎、歌集「自註鹿鳴集(これも!!)」の会津八一、小林秀雄、須田剋太、白州正子など綺羅星のごとき人々も集まり、文化サロンを形成していたのだとか。



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その人々をつないだのが表札を揮毫した幼なじみの上司和尚なのだ。

廊下には気持ちの良い春の陽射しが入り、正面には、、、、



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吉城川(依水園を流れる川)が流れる。そのほとりに咲く椿がみごとな借景。こんな美しい景色を眺めながら写真の構想を練っておられたのか。



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広間続きの応接間。ここにもたくさんの蔵書があふれんばかり。



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入江先生は風景だけでなく、万葉の植物の写真もたくさん撮っておられた。



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アトリエにされていた、というサンルームは吉城川に乗りだすような場所でまことに気持ちがよい。



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写真だけでなく余技はいろいろお持ちだったようだが、ここには削り掛けの仏像が残されていた。



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サンルームに隣接する座敷は書斎でもあったようだ。部屋一杯に床から天井まで蔵書が残されている。




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庭の片隅にはモノクロフィルム時代の暗室。現在みたいにデジカメで簡単に、、、という時代ではなかったからね。



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暗室の中。



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ここを運営しているのは市民をまじえたワーキンググループ。そのうち茶会やいろんなイベントもおこなわれるようになるのだろう。

このあたりは観光客も少なくひっそりと奈良の昔のたたずまいをよく残しているので、奈良へお出かけの節は足を伸ばしてみられてはいかがでしょう?



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さて、今年のお松明の燃えさしの収穫。



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小さい束を人に差し上げるのに、こんなものを作ってみたりして余韻にひたっている。



修二会2016・その2〜朝の二月堂 - 2016.03.13 Sun

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翌朝の奈良公園である。



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昨深夜に通った暗かった二月堂参道も朝はこんなに明るい。



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二月堂周辺の塔頭や、練行衆をだしている坊には、修二会に先立って境内を清浄な結界内とするために、丸い輪注連がかかる。



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さて、一夜明けた朝の二月堂。
12時からの食堂作法、13時からの日中の法会までまだだいぶん間がある。練行衆たちはまだ参籠所でひとときのくつろぎタイムであろう。



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12日深夜、香水をくみあげる若狭井もいまは榊で清められ静かに時をまっているようだ。



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若狭井の前では使われなかったあまった松明用の奉納された竹を運び出していた。あまっているなら一つくらいほしいものだが、持って帰るすべもないし。



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松明の根っこの方は花入れに加工されるのだそうな。たぶん東大寺のえらいお坊さんの花押かなんかがはいるのだろうな。これもひとつほしいなあ、、、(後日ほんまにこの花入れ、あるお茶席で拝見しました。二重切で二月堂の焼き印と館長さんの朱書が入ってましたわ)



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松明は近畿周辺のいくつかの調進講の人たちが毎年奉納している。松明をしばる藤蔓など一年かけて集められる物もある。東大寺だけでなく、たくさんの人たちの裏仕事によって修二会はなりたっているのだ。



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食堂にはこの日の夜につかわれる松明が、それを担ぐ堂童子みずからの手によって作られている。ここは食堂作法のあと、生飯投げがおこなわれるところ。今年は予定がつまってそこまで見られなかったが。



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松明はこんな鉄の釘のような楔で固定されているんだな。12日の籠松明は70kg、それ以外は40kg、この根っこで重さのバランスをとるのだそうだ。



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境内のあちこちで見る注連縄の結界。



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左手が食堂の入り口。向かいが食事調達の湯屋。練行衆の食事は一日1回だが、数年前から江戸懐石の近茶流の若が料理指導しだして、栄養も味もすごくよくなったという話だ。出入りする童子さんも毎年見ているうちになんとなく顔を覚えた方もいる。



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参籠所のなかをちらっとのぞいてみる。



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東の参籠所入り口からは練行衆のお姿が。法会も半ばをすぎ、激しい修法を物語る紙子の破れ。



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これが松明が登ってくる階段。



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二月堂脇にある茶所。いつもはお茶をよばれるだけだが、大松明・お水取りの12日にはここが簡易食堂に早変わりするのは昨年初めて知った!!(何年も行っているのにね)



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その上に若狭の遠敷神社の二月堂支所(?)。勧請したのに遅参した神様ですよ。おかげで香水を若狭から送る約束をしたのですがね。




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二月堂きざはしのぐりぐり。ここにあのお松明をのせるのでこんな具合に。



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今日は奈良市街の見晴らしがよい。(杉花粉もさぞや飛んでいることだろう、、、、)



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法会はまだ始まらないが、お堂の中をのぞいてみると内陣は戸で閉ざされ、外陣に差懸がきちんと並べられていたのが印象的。



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お堂からおりて、ふたたび湯屋の横、仏餉屋(調理所:重文)の横には籠松明がスタンバイ。



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北の参道から道をくだれば、松明調進講の人たちの姿も。



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早春の大和、この季節は最高だ。(花粉さえなければ、、、、、)




修二会2016・その1〜お松明と半夜・後夜・晨朝、下堂 - 2016.03.12 Sat

東大寺修二会(3月1日〜14日)いわゆるお水取りがおわらなければ関西では春は来ないといわれるが、私は例年鼻がむずむずしだすと、ああお水取りの季節やな、と思う。



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(もちいどの商店街の萬々堂さん)


お水取りにはここ20数年、一年もかかさずに毎年行っているが、行ける曜日が限られているので、その年によって法会の内容がかわる。だから香水授与や達陀(だったん)、走りの行など数年掛けて見てきたが、昨年ついにそのクライマックスである深夜の若狭井でのお水取りをみることができた。(苦節20数年、、、、くくく、、、)



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(萬々堂さんの名物は「糊こぼし」。修二会の間お堂を荘厳する椿の造花で、開山堂に咲く糊こぼしの銘の椿の名を冠することができるのは唯一ここ、萬々堂さんだけなのだ。後にうずたかくつまれているのは糊こぼし用の椿の箱。全国への発送に忙しい年に一度の時節)



ここでひとつクライマックスを過ぎたわけだが、実は修二会という法会は謎がまだまだ多く、毎年行くたびに新しいことを学習するので、飽きると言うことがない。



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まずはお水取りの時の奈良公園内の常宿に荷ほどきして、早速糊こぼしをよばれて防寒準備ととのえ、夕刻いざ!




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毎年公園内の梅林がきれいなころである。



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すでにねぐらを決めている鹿たちにもあいさつをして、浮き雲遊園をつっきって二月堂へ。



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日中法会を終え、入浴仮眠をすませた練行衆たちの初夜(19時からの法会)上堂を待つ二月堂。



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日もおちてくると松明を一目見ようと大勢の参拝客が増えてくる。真ん中に立つのは良弁杉。東大寺開山の良弁和尚は鷲にさらわれてこの杉のてっぺんにおきざりにされた、という伝説があるがこの杉は実は二代目。(これを見るとますます鼻がかゆくなる、、)

このころぽつぽつと雨がふってきた。




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いよいよ初夜上堂がちかづくとチョロ松明をもった童司(練行衆の身の回りの世話をする)が三度の案内(あない)で北側の階段を三回往復する。

そしていよいよ練行衆10人の上堂。(処世界という役付き練行衆のみ先に上堂して準備している)童司の持つ松明に足元を照らされながら。ゆっくりと参籠所から階段をのぼってこられる。おごそかな鐘の音とともに。








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今年もこうして火の粉を浴びることができた。ありがたいことだ。あと何年来ることができるのか、そんなことを計算してしまう歳になってしまった。



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すべての練行衆が上堂され、初夜の法会、この日はこのあと独特の節回しで神明帳が読み上げられ、552柱の神々をここに勧請するのだ。
129番目によばれた若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)はこれに遅れ(釣りに興じていたらしい)おわびとして若狭から香水を送る約束をし、それが「お水取り」の起源となった。

この間われわれはちょっとブレイク、いったん宿にひきかえす。



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お松明からこぼれおちた燃えさし、今年はこれだけゲット。部屋中杉の焦げた匂いが充満する。春やな。私は好きだ、この香り。



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ここの宿は練行衆の食作法で使われる丸い練行衆盆と同じ盆をつかって精進をだしてくれる。腹ごしらえして、風呂にもはいって後は寝るばかりに準備して、いざ後半、後夜引き続き晨朝の法会、午前1時頃の練行衆下堂をみるのに出発。



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行ってくるわね、と鹿にあいさつ。(よ〜やるわ、、、と鹿が言ったとか言わなかったとか)



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二月堂の参道はお松明の時にあれだけの人が居たのがうそのように静まりかえる。



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法会中の二月堂のまわりは明るい。



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二月堂のシンボル瓜灯籠。

この夜はあまり特別の法会がないので、正面の西の局の一番前にすわることができた。

毎年聞いていると、あ、このお経は知っている、聞いたことある、というのもでてくる。

音楽的でうっとりする。天台声明みたいに西洋の聖歌風のところもあり、歌うような般若心経もあり、問いかけ答えるという問答のようなところも。鐘の音、鈴の音、芥子をばらまく音、差懸(さしかけ:練行衆の木の靴)のタ〜ンタ〜ンという音、、、、
中でも有名な「南無観 南無観 南無観、、、、」が聞こえて来るとうれしくなる。


西の局は正面なので戸帳といううすい白い布が内陣の前にたらされて、これを透かして灯明や、壇供の餅(計2000個作られる)、糊こぼしや南天の荘厳、実物より大きくうつる練行衆のうごめく影など、目でも楽しめる。




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(奈良市内の夜景)


初夜のあと半夜に入る前、内手水といって練行衆たちがいちど全員外陣にでてこられる。このとき童司がきりきりっと戸帳を巻き上げるのだが、これも見所。このとき戸帳越しでなくダイレクトに内陣の様子をちらっと見ることができる。
局の格子のすぐ前、手の届くくらい近いところに大柄な練行衆がお座りになられた。



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引き続き半夜、後夜、晨朝の法会。練行衆が一人外陣にでてきて五体投地を。何度も何度も、膝が内出血するのではと心配するくらい。これで法衣の下に着た紙子(和紙でできた衣)が破れるという。



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途中でふっと意識を失って寝てたときもあったが3時間くらいこもっていただろうか。いよいよこの日の法会も終わり、ここで局から出て、階段前へ移動。

練行衆が参籠所へ走って帰る下堂をみまもる。

お堂が空になるとカラス天狗が悪さをするといわれ、「今から下堂するが手水(トイレ)にいってくるだけだ、すぐ帰ってくるぞ。だから悪さはするな。」という意味で、練行衆は松明をもった童司に導かれ全速力で階段を駆け下りる。「手水手水!」とよばわりながら。






しかし、この階段けっこう急であぶないのだよね。しかもこの暗さの中、足をふみはずしたりすることはないのだろうか。



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参籠所へお帰りになられたあとはまた静けさが。参籠所の前の湯屋。(風呂と台所)




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風情ある北の参道。こちらを帰る人の姿もこの時間でもまだちらほらと。




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宿に帰る道すがら、牝鹿に「おやすみ」




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