壺中日月長〜初秋の宵の茶事 - 2023.09.29 Fri

北摂阪神間の妊婦さん達はほぼここで安産祈願すると思われる中山観音さん。宝塚に住んでいた頃、長男がお腹にいたのでここにお参りしたのも、生まれてから長女の手を引いて長男抱っこしてお礼参りしたのも懐かしい。これは参道のお礼参り用さらし(腹帯)を売っている景色、これもかわらない。
中山さん(中山寺)の五重塔の上にはもう秋の雲だが、9月末と思えない暑さはまだ続く。
お招きいただいたのは、広い露地と小間の茶室を擁する某道具屋さんの大きなお家。本日のご亭主はご懇意にされておられるので、ここをわれわれ客4人のためにお借りくださったとか。まあ、入り口からはいったところでその風情に感激。わくわくである。
待合の座敷には「楽しみはその中にあり雪月花」で、瓢箪の絵。どなたの作かと思っていたら、100歳を越えてお元気でいらしたお母上の手によるもの、本日のテーマに沿って久々にお使いになられたとか。
腰掛待合にはきちんと蕨箒、夕刻の中立にはこの灯籠に灯りが入る。
変則的に広間でまず懐石をいただく。なにしろ我が家と同じで小間の茶室にはエアコンがないとのことで。日中は暑いだろうと、夕刻のお招きのお心使い、感謝である。
社中のお弟子さんの渾身の懐石。盛り付けにも、献立にもすごく繊細な心配りがあってこれも感激。自分の雑な懐石をちょっと反省。
金沢とのご縁で、加賀のお酒あれこれ数種、それぞれちがう酒器でいただいた。いずれも美味しい。今日は車じゃないのでいっぱい飲める♡
写真にはうまいこと写っていないが、黄色の満月のようなしんじょうにはこぼれ萩にみたてた小豆が入っているという懲りよう。小豆も柔らかく炊けていて美味しかった。(小豆炊くのはけっこう時間がかかる)
びっくり!が八寸である。
満月にみたてたサツマイモは私も作るが、尻尾を兎の耳に見立てた海老には感激!これも手がこんでいるのよ。梨の酢の物も美味しかった。参考にメモメモ。
大きな月とススキを描いたお皿に載ってでてきたのは栗きんとん。なめらかで栗の風味がとても、良い具合、、、と思っていたら、今朝、加賀の行松旭松堂から届いたばかりですと!なんてうれしいお心使い。
懐石終わる頃には日も暮れて、灯火の美しい時間。
小間に場所を変えて炭手前。かかる軸は山田無文師の「壺中日月長」
これが本日のテーマ。われわれは時を忘れて壺中に遊ぶ客である。
初代寒雉の車軸釜は鐶付がカマキリ。ちょうどこの季節に卵を産んで、小カマキリがあちこち出没する季節だな、、、と思う。(カマキリは不完全変態なので、芋虫時代がないので好き)
土風炉の時には風炉中拝見があるとは知らなかった。自流ではあるが、まだ知らないこといっぱい。勉強勉強。
曲げ物の香合は木賊に月、蓋裏には、ここにも兎。(木賊、兎、月の三点セットは昔からある意匠らしい)
昔からお気に入りだったという時代の火箸は、柄のところがエンドウ豆の莢そっくりで、かわいらしい。
後座の迎付はあるかな?あるかな?とみんなで喚鐘の数を数える。よし、最後の一点はなし、手燭の交換あるわ〜、と喜ぶ。久々に客として交換させてもらってうれしくて舞い上がったので、ご連客の足下照らすのすっかり忘れて、とっとと一人席入りしてしまった(^_^;
花はかわいい紫のビーズ玉みたいな花のカリガネ草、柳蓼、あと菊に似た黄色い花、、名前を失念(汗)
竹檠のほの暗い炎に照らされた小間はまさに世間から切り離された別天地=壺中である。
濃茶の主茶碗は黒楽なので、ご亭主はお手元暗い中、茶の分量、お湯の分量は手探りである。茶入が古丹波耳付き銘を「山路」、茶杓は淡々斎「峰の雲」。山路に上り来て、見上げれば峯の雲、このとき胸に去来(茶碗の銘)するものはなんであろう、、、というような景色が脳内に広がる。これが茶道具の銘のほんま面白いところなのだ。
かずらの蔓を巻いた建水がまた、伊勢物語の蔦の細道を連想させて、宇津の山越え〜山路につながって、、、と妄想はさらに広がる。
薄茶では透明なクリアキャンドルをたくさんご用意くださって、これどうしてこんなに透明なの??と話題も広がる。
時代の升を煙草盆に、曳舟の図が描かれているのが印象的。この曳舟の意匠は淀川の景色だと以前教えてもらった。それから発展して、くらわんかの茶碗についてとか、茶道具についてご造詣の深いご連客の古老さまに、色々教えていただく。ほんまに今日は勉強した〜!
干菓子はこれも加賀の諸江屋さんの菊煎餅。裏にちゃんと萼まである仕事である。
薄茶器も朱の彫り物の菊(人間国宝・北村昭斎)、茶杓がなんとヤジロベエになった案山子!私も好きで2本ほど持っているところの家具デザイナー久野輝幸さんのもの!
今うめだ阪急でふくいひろこさんの茶箱遊び展をやっていて、そこに久野さんの茶杓もたくさんでているのだが、同じようなの見たことある!と思ったら、昔ご亭主が、わざわざたのんで作ってもらったものとのこと、つまり原案は本日のご亭主だったのね!意外なつながりに感激。
かくして壺中に遊んだわれわれもついに壺から追い出される時刻に。
気心しれたご連客様方とご亭主と、本当に楽しくて、話もはずんだ一会であった。(水屋さんもご苦労さま、ありがとうございます)
余韻にひたりながら空を見上げれば美しい十二夜の月。いよいよまもなく中秋の名月だ。
蝦蟇窟主人の茶事〜鮎尽くし懐石 - 2023.09.03 Sun
昨年末新幹線に閉じ込められて遅参した美濃の国の茶事にまたお招きいただける幸甚、今回は師匠と、師匠の師匠?東京の大御所さんとご一緒でますますテンションあがる。

いただいたご案内状には蛙(蝦蟇)の絵、そして、お、ウナギ、鮎が食べ放題?いつもお手紙には素敵な絵を描いてくださるご亭主だが、この蝦蟇はなにの謎かけか?
8ヶ月ぶりの日本料理・須多さんの茶室と内露地、前は初雪の日でだったが、今日は酷暑の茶事である。芳名録の文鎮がまた青銅の蝦蟇。
蹲居の左手に蒲の穂、、、蒲(がま)、、、蝦蟇?(がま)
寄付には片桐石州の消息、松平織部宛。竹の花入れを送ったがいかがでしょうか云々、、、。(松平織部家という旗本家があるらしいが、詳細不明)
前回はここの小間を使われたが、
今回は続きの広間にて。
本席の軸は「蝦蟇窟」
(ご亭主からいただいた写真、お使いくださいとのことでありがたくアップさせていただく)
鈍翁お気に入りの出入りの道具商であった横山雲泉に贈ったものだそうだ。
ご亭主の茶事を語るとき、鈍翁と雲泉にまつわるお道具の逸話は欠かせない。茶道具を介しての、この年の離れた二人の仲は知れば知るほど親密であったのだなあと思う。
(汁は奥様お仕込みの味噌)
雲泉のお父上だったか?露地に蝦蟇を放ってそのゲコゲコの声を楽しみながら道具談義をしていると聞いて、その茶室を蝦蟇窟と鈍翁が名付け、その扁額の元になった字がこの軸である。(老稚園といい、当時の数寄者のネーミングセンスが(^_^;) 横山家のご親族からご亭主が譲り受けた軸と聞いた。新しい蝦蟇窟あるじ誕生である(4年前だそうです)。
(鮎尽くしの最初は鮎のつくね!)
其中庵さんと並ぶ数寄者のご亭主、あちらは雲泉が所持していた鈍翁の「茶狂」が旗印、こちらは「蝦蟇窟」、なんて仲良しな両巨頭!
今日の茶事に先だって過日其中庵さんが正客をされたよし、どんな数寄な会話がなされたのか聞きたかったなあ。
(鮎の塩焼き 蓼酢 長良川より今は和良川の鮎の方がよいのだそうだ)
(こちらもご亭主からいただいた写真)
炭手前の羽根が鵜と白鷺、なんと御自作。長良川の鵜飼い、この鮎も鵜がとったのかしら?鵜の羽根は黒く、小さくて、かわいらしい。一番手前に添えた小さな白鷺の飾り羽根がご亭主のセンスである。灰匙が南米インカの匙、というのもびっくりだ。灰器は須恵器、南鐐と銅の紅白捻り鐶も初めて見た。
懐石の鮎尽くしはまだまだつづく。
これは味噌ダレの鮎、この後もう一回塩焼きがでて、もう1年分の鮎を食べ尽くした感あり。
鵜難儀(うなぎ)も出ましたよ、白焼と蒲焼きの紅白。
お酒も岐阜恵那市の「女城主」というお酒が水のようにさらさらとして美味しかった。
(前回もいただいて酒のアテに最高の自家製柚餅子、これで今期最後なんだそうだ)
中立にて、今回の後座入りのお鳴り物はなんだろうとわくわく。前回は宗旦狐の妖しさたっぷりの笛の音であった。
ここ、須多さんのすぐ横を電車が通るのだが、その踏切の音がとまるやいなや ♪ おもしろや〜
のお謡いが。(能「鵜飼」の多分<鵜の段>)そのBGMになんとゲコゲコの蝦蟇の声!
ま、まさか本当の蛙?と驚いたが、実は赤貝の外側をこすりあわせて出した音だった!今回も十分意表をつかれてヤラレタ!
(主菓子 ほんのり暖めた黒糖葛焼 ここの餡子、ほんまにいつも美味しい)
後座の床は、待合の石州の消息に書かれていた花入れまさにそのものである。一重切の太くて艶のある花入れにいれてあったのは高砂ホトトギスの花と、モミジバハグマの葉。切れ込みの深いこの葉を蝦蟇の手に見立てて。(どこまでも蝦蟇へのこだわり(^_^;)
(さらにご亭主からいただいた写真)
濃茶の主茶碗は外側がほとんど伊羅保に見えて内側は御本に見える蕎麦斗々屋。了入の黒、井戸脇など各服でたくさんの茶碗の名品を手に取る。茶入はご当地、瀬戸の広沢手。パイナップルの繊維で織った出帛紗が思いのほか美しかった。
煤がはいった華奢な蟻腰の茶杓は小堀権十郎、歌銘が小野小町の歌(色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける)。
最後のハイライトが薄茶の主茶碗「蝦蟇」
鈍翁が77才にして初めて作った白楽の茶碗であるが、ゆがんでちょっと不格好、よって蝦蟇みたいと揶揄されて開き直って?「蝦蟇」と命名したとか。
この茶碗は流れて最終的に蝦蟇窟の雲泉の元にきたそうだ。そして今ご亭主の手元に軸と茶碗とふたつともという大団円。すばらしいストーリーを聞かせてもらった。
もう一つ印象的だったのがこれも鈍翁が益田家の婚礼の際、引き出物として配ったという手焙り型の横に長い平水指(鈍阿?)。これは一目見てびっくりする意匠だ。
薄器が原羊遊斎の「蝶蒔絵」、茶杓が玄々斎。
(これが蝦蟇の声の正体、拝領いたしました!)
振り返ればご亭主の、審美眼と教養と郷土愛に裏打ちされた茶事であり、それをわかるには少々役不足ではありましたが十分楽しませていただいた。感謝です。
さて、2年前は福の神(大黒様)、去年は宗旦狐、今年は蝦蟇で、次はなにかしら〜?と早くも厚かましいことを考えているのである(^_^;
西翁院淀看席にて木津宗匠華甲茶事 - 2023.06.27 Tue
日頃の散歩コース、ご近所黒谷さん塔頭・西翁院にて、官休庵・木津宗匠の還暦自祝茶事におよばれ。
散歩コースのみならず、西翁院は学生の時に茶会によくお借りした場所でもあり、茶会前の掃除が大変だった思い出のある場所なのである。
ここは藤堂家の呉服商をつとめた藤村源兵衛(法名・西翁院)が建立した塔頭であるが、のちに三代目、宗旦四天王の一人であった藤村庸軒の茶室「淀看席」で有名で、その三畳の小間を使っての茶事、日頃非公開なだけにうれしいのである。
今回は一畳の宗貞囲いの点前座に、客席が二畳、客が9人!と、入れるのかしら??と疑問に思っていたが、意外と入れるのね(^_^; ややぎゅうぎゅうであったが、三方の窓を開け放つと開放感、この席からかつてはるか淀が見えたという。現在は植栽と市中の建物にはばまれているが、今でも条件がよければ、あべのハルカスが見えるという。(ちなみに淀看席といわれるようになったのは後世で、庸軒の頃はその号である反古庵、寺の山号・紫雲庵などと呼ばれていたらしい)
*宗貞囲い(炉が点前座内にある。道安囲いは出炉になる)。
迎付の時に関守石をどかして一礼、というのは初めて見たが、柴折戸がないときに、表千家、官休庵ではそうするのだとか。初めて見たわ。そういえば官休庵の正式の茶事は初めてかも。
席入り
近年中村昌生先生のご指導の下、修復が入っているが、床の土壁の中心部は庸軒の時代のそのまま、そこにかかるのはまさしく庸軒の一行「華表無由待鶴」。
華表は中国の装飾的な石柱(漫画「千年狐」で学習した(^_^;)、ここに止まるのは鶴と決まっているらしい。昔仙人が故郷の華表の上に棲み着いたとかいう伝説による。
なんとなく「華」の文字が華甲(還暦)を連想させる。
表千家・官休庵では土風炉の時にまかれるうろこ灰を拝見、これは裏千家にはないもの。どっちが楽だろう、、などと考える不精者である。釜は風炉の透木。
広間(学生時代茶会はここでしてた。鉄斎の袋戸棚の絵があったりする)にて懐石。これも裏千家ではみられない所作を色々拝見でき、学びが多い。今回官休庵の引重(二重の重箱で上に香物、下に焼物を入れる)の扱いがとても参考になった。(裏千家の懐石で引重でることほとんどないのでずっと疑問だった。)
また宗匠による懐石の歴史の変遷を聞けるのも勉強になる。官休庵では焼物をだしたあと(八寸の後だったけ??)亭主水屋相伴でひっこんで、強肴は半東が出す、というのも合理的(一人亭主ではできんけど)
水屋にいるお茶友さんから、うちの盃は空にならないように、という指令をうけた半東さんがお酒をどんどんついでくれるので、ちょっと飲み過ぎ(^_^; でも本日の蔵元のご連客さまからのお持たせのお酒、美味しゅうございました。
主菓子は初代木津宗詮・松斎好みの葛に小豆をばらまいたような、京都鶴屋製、銘「さざれ水」。見た目は違うが構成は水無月と同じである。
炭手前では灰をまく。(裏千家では初炭は月形切るだけで灰は撒かない)
ここで忘れられない出来事が。
茶事の直前、火箸の頭についていた蟹の飾りが一本だけなくなっていることが判明!なんとその時には尼崎にいたお弟子さんの荷物の中からでてきたそうで、さすがにそこまでとりに行けず、「只今蟹は尼崎に海をもとめてお出かけ中」ということになった(^_^;
1cmくらいの小さな蟹、箸の胴に菊の飾り彫り、これも華甲の意匠だが、それより逃げ出した蟹が忘れられないことになりそうだ。
中立
背のびして、あべのハルカスが見えないか目をこらしてみたがわからない。ここはほんとにちょっとした高台になっているので、吉田の景色がよく見える。腰掛け待合〜露地はアップダウンがあり、移り変わる景色を楽しめるが、これは先代ご住職が作られたものだそうだ。初めて知った。
本堂からの庭の眺め、懐かしいなあ。茶会前日の露地の掃除は大変だったのを思い出すわ。多分学生最後の大寄せ茶会がここだったと記憶する。
ちなみにこの写真の蹲居ではないが、淀看席前にある袈裟型の蹲居は、江戸時代の「都絵図」のとは明らかに異なっていて、鉄斎あたりが入れ替えたのでは?という和尚様のお話を前回聞いて納得できたっけ。
板床は2枚半の板でしかも珍しく釘打ち、飯島先生によるとこの意匠は躙り口と同じなのだとか。
床には宗旦の竹花入に薄紫のムクゲが一輪、今年初のムクゲ。
(淀看席の連子窓から)
濃茶の主茶碗は遠目では、ん?黒織部??だったが手に取るとなんか違う。と思ったら、のんこうが黒織部を写して作った楽だったのだ。なんとトリッキーな。次客さんの山科宗甫(宗旦の弟)の瀬戸黒がよかったな。私は紫野焼の黒茶碗でいただく。
茶入は宗旦棗、一翁宗守(だったか?)在判、茶杓が先端を斜めにざっくり切り取った形の「関羽」、関羽の偃月刀の意匠。杉木普斎(庸軒とともに宗旦四天王の一人)作。
薄茶は宗匠は恥ずかしそうに?赤の帛紗を使っておられた。還暦だけに(*^_^*)
茶碗も歴代官休庵や木津家の歴代が還暦で自作された物など。私は和田桐山の祥瑞写しにていただく。茶器は唐物、甲に蟹の絵、茶杓は鼈甲に黒く漆を塗った珍しいものであった。
この日京都は最高気温33℃の真夏日もいいとこ、さすがに汗だくであったが、お寺の中は外よりも涼しいのだなあ、、と実感。
良き一会でありました。これからの益々のご発展をお祈りする。
(まもなく官休庵の歴史には重要人物である平瀬露光の伝記も上梓されるとのこと、前作の戸田露吟もすごく面白かったので、楽しみ)
宇治縣神社〜藪内の茶事2023初夏 - 2023.06.23 Fri
恒例年2回の宇治縣神社にて、薮之内の若武者の茶事、今年もあやまたず行けたことに感謝。毎年の行事にかわることなく参加できることの大切さを特に感じるお年頃である(^_^;

こちらは毎年行こう行こうと思いつつ、いまだ行けていない縣祭(6月5日深夜の奇祭)でつかわれる梵天。そういえば、まだ宇治川の鵜飼いにもいけてないなあ、、。こちらは天候もあるので敷居が高い。
社務所の中にある露地を通って茶室へ。
この茶室棠庵(とうあん)は薮之内にある茶室燕庵の写しに近い。若干広さとか床の位置に違いはあるが、亭主が敷色紙窓を背景に茶を点てるのは同じで、窓をたくさん作った織部の好み。
風炉の灰は薮之内の白い藤灰であるが、切懸なのであの豆腐みたいな(^_^;塊はない。(有馬八景をあらわす景色の一つ)季節柄の朝顔蒔絵の香合を拝見して、懐石へ。
朝顔は朝露負いて咲くといへど 夕影にこそ咲きまさりけり (万葉集)
朝ドラ「らんまん」にもでてきた古歌であるが、万葉の時代の朝顔は桔梗だといわれている。(朝顔の渡来はまだ)
懐石は広間にて。
奥様が懐石を作られだして、間違いなくグレードアップした懐石。でも、茶道男子が作る懐石も捨てがたかったな。
この三角形のが絶品!
最初卵豆腐かと思ったら、トウモロコシをなめらかにすりおろした物を葛で固めてある。これはもうちょっとたくさんいただきたかった!(自分でつくろっと)
この季節ぴったりの春海バカラの器。ついにこれを購入できてしまうようになったのね。いいな〜、これ。(値段だいたいわかるので買えないけど)
老松さんの季節先取り、錦玉をいただいて中立。
ご亭主は、本拠を構えて、ここでどっしり茶事をされるようになって少なくとも5年(私の参席は多分今回10回目)、お若いだけに5年と言えば様々な環境変化も著しい年月。かわらぬのはお茶をだれかにさし上げなければno lifeっていうスタンス。
だんだんお家元での立ち位置も重くなって、簡単にお手伝いを頼みにくくなったけれど、それはうれしい変化、と、つい母親目線になるのであった(^_^;
後座の花は時計草
竹の花入れがだれのだったか覚えられず。おそらく歴代の薮之内の宗匠のどなたか。銘もわすれたが、覚えている逸話からいくと「鼓滝」か?(若かりし西行が歌を作ったところ、翁、媼、娘に化身した神様にさんざん直され、元の歌の片鱗もなくなった、という話。)
西行がでてくるこの謡曲はむしろ講談、落語の方が有名みたいだ。
濃茶、広間で薄茶、流儀のもの、古い物、高麗、京焼とバランス良いたくさんの茶碗でお茶をいただき、この初夏の縣神社定例行事を無事終えたのである。秋も、来年も、ひとつよろしく(*^_^*)
雨の横浜にて利休にふれる茶事 - 2023.04.05 Wed
今年の春の根津美術館で、ため息がでるしかない濃茶席をひらいてくださったご亭主の茶事に雨の横浜へ。

今年の京都の桜はせっかちだが、横浜でももう満開を迎えていた。
根津美術館ではさわりたおさせてもらったが、あくまで展覧であった。使われていたのはご自分でお造りになられた写し(これがまた素敵で)であったのだが、今回われわれの為だけに、実際に使って、、、の茶事であったのだ。なんと贅沢なことであったろう。まだそのありがたさを整理できずにいる。
茶席には自在に釣釜、、、これはよくある風景だが、これが江岑宗左(表千家四代)の鈎、その養子の随流斎(表千家五代)の竹筒という、とんでもないシロモノであった。
南鐐の鐶は片方に桜、片方に紅葉の陰刻があっておしゃれきわまりない。これにかかる釜が古芦屋。どこまでも隙が無い。
(表さんなのでご飯は丸型)
その上お正客がとんでもなく博覧強記な方ときて、ご亭主との道具談義は盛り上がること。(ああ、、、花押を見てだれ?と言っている私は取り残される(^_^;)
(後に箱が表千家の初代・利休から当代まで全部そろっていると教えてくれたのもお正客さま←裏千家)
後座の席入りのお鳴り物が、なんだか不思議に余韻が長引く音で、一体なんだろう?と。のちにチベットの宗教的儀式に使われるsinging bowlという不思議な楽器(?)で、縁をこするだけでどんどん共鳴音が大きくなると言うものだと判明。(これ客はだれも鳴らせなかった。むつかしい)
床の花入は、かせて枯れた竹の二重切、宗旦在判、銘を「明暮(あけくれ)」。この時代にはまだ竹の油抜きをしていなかったので、こんな膚になるとお聞きした。
花は曙椿、花筏。
(虎屋 「遠桜」)
茶席の主の如く堂々たる達磨型の赤楽水指はノンコウ。根津ではこの写しを使っておられたが、今回水をたっぷり入れた状態で見せていただく。
茶碗はこれも根津で写しを作られていた瀬戸黒(宗旦在判)ホンモノを。
そして今回一番静かに感動したのが利休のケラ判(朱)が蓋裏にある大棗である。これも根津で触り倒したのだが、、、それが実際に茶を擁し、、。ご亭主も初使いだとか。なんと幸運なわれらであろうか。拝見の時、蝋色になった棗の内側にきれいに抹茶が流れた後が残っているのを見たときちょっと震えた。展覧だけの(触ることもできない)利休の棗は何回か見てきたけれど、使われているのを見たのは全く初めて。
実は中立の時に待合にかかっていたのがこの棗への宗旦の添え状、これは来るな、、、と思っていてそのクライマックスに来た!、、、という感じ。
底に原叟(表千家六代)の花押もあるが、原叟、よく書く勇気があったなあ(^_^;
次第がすべて整って仕覆3つ、添え状二本、書き付けの箱もいくつか、大きな箱にそろって入っているのも後に拝見。入手のいきさつも少々。
茶杓は少庵、随流斎筒
薄茶の主茶碗が出たときに思わず目が光り輝いてしまって、お正客様が茶碗を譲ってくださるという、、、(^_^; 根津の薄茶席で出た大好物の御本おそらく茂三、なのだもの。形といい、色といい、内側の鶴刷毛といい、、もう大好き♡
宗旦(?)の棗には朱漆で紀貫之の有名な歌が書かれている。
桜散る 木下陰は寒からで 空にしられぬ 雪ぞふりける
今では百人一首をすらすらとそらんじられるご亭主ならではの選択。(この歌は百人一首ではないが)さらに茶杓が惺斎(表千家十二代)、「うかれける人や初瀬の山桜」とこれぞ百人一首の歌をもじった(うかりける人を初瀬の山おろし、、、)芭蕉の俳句なのである。
世にかくの如き名物名器をお持ちの方はそれなりにおられると思うが、必ずしもお茶が好きとは限らす、道具自慢のみに陥ったり、あるいは人にはさわらせない吝嗇だったり、、、。本日のご亭主ほどお茶に熱心に、客に誠実に、向き合っておられる方はいないのではないかと思い、その席に入れた僥倖を感謝せずにはいられない。(おさそいくださったY様、ありがとうございます)
<おまけ>
横浜から帰りにちょっと足をのばして有楽町。
お茶友さんがかんでる「暮らしで楽しむ茶の湯展」へ。普段暮らしの中のお茶にまつわるあれこれが楽しい。