雨の横浜にて利休にふれる茶事 - 2023.04.05 Wed
今年の春の根津美術館で、ため息がでるしかない濃茶席をひらいてくださったご亭主の茶事に雨の横浜へ。

今年の京都の桜はせっかちだが、横浜でももう満開を迎えていた。
根津美術館ではさわりたおさせてもらったが、あくまで展覧であった。使われていたのはご自分でお造りになられた写し(これがまた素敵で)であったのだが、今回われわれの為だけに、実際に使って、、、の茶事であったのだ。なんと贅沢なことであったろう。まだそのありがたさを整理できずにいる。
茶席には自在に釣釜、、、これはよくある風景だが、これが江岑宗左(表千家四代)の鈎、その養子の随流斎(表千家五代)の竹筒という、とんでもないシロモノであった。
南鐐の鐶は片方に桜、片方に紅葉の陰刻があっておしゃれきわまりない。これにかかる釜が古芦屋。どこまでも隙が無い。
(表さんなのでご飯は丸型)
その上お正客がとんでもなく博覧強記な方ときて、ご亭主との道具談義は盛り上がること。(ああ、、、花押を見てだれ?と言っている私は取り残される(^_^;)
(後に箱が表千家の初代・利休から当代まで全部そろっていると教えてくれたのもお正客さま←裏千家)
後座の席入りのお鳴り物が、なんだか不思議に余韻が長引く音で、一体なんだろう?と。のちにチベットの宗教的儀式に使われるsinging bowlという不思議な楽器(?)で、縁をこするだけでどんどん共鳴音が大きくなると言うものだと判明。(これ客はだれも鳴らせなかった。むつかしい)
床の花入は、かせて枯れた竹の二重切、宗旦在判、銘を「明暮(あけくれ)」。この時代にはまだ竹の油抜きをしていなかったので、こんな膚になるとお聞きした。
花は曙椿、花筏。
(虎屋 「遠桜」)
茶席の主の如く堂々たる達磨型の赤楽水指はノンコウ。根津ではこの写しを使っておられたが、今回水をたっぷり入れた状態で見せていただく。
茶碗はこれも根津で写しを作られていた瀬戸黒(宗旦在判)ホンモノを。
そして今回一番静かに感動したのが利休のケラ判(朱)が蓋裏にある大棗である。これも根津で触り倒したのだが、、、それが実際に茶を擁し、、。ご亭主も初使いだとか。なんと幸運なわれらであろうか。拝見の時、蝋色になった棗の内側にきれいに抹茶が流れた後が残っているのを見たときちょっと震えた。展覧だけの(触ることもできない)利休の棗は何回か見てきたけれど、使われているのを見たのは全く初めて。
実は中立の時に待合にかかっていたのがこの棗への宗旦の添え状、これは来るな、、、と思っていてそのクライマックスに来た!、、、という感じ。
底に原叟(表千家六代)の花押もあるが、原叟、よく書く勇気があったなあ(^_^;
次第がすべて整って仕覆3つ、添え状二本、書き付けの箱もいくつか、大きな箱にそろって入っているのも後に拝見。入手のいきさつも少々。
茶杓は少庵、随流斎筒
薄茶の主茶碗が出たときに思わず目が光り輝いてしまって、お正客様が茶碗を譲ってくださるという、、、(^_^; 根津の薄茶席で出た大好物の御本おそらく茂三、なのだもの。形といい、色といい、内側の鶴刷毛といい、、もう大好き♡
宗旦(?)の棗には朱漆で紀貫之の有名な歌が書かれている。
桜散る 木下陰は寒からで 空にしられぬ 雪ぞふりける
今では百人一首をすらすらとそらんじられるご亭主ならではの選択。(この歌は百人一首ではないが)さらに茶杓が惺斎(表千家十二代)、「うかれける人や初瀬の山桜」とこれぞ百人一首の歌をもじった(うかりける人を初瀬の山おろし、、、)芭蕉の俳句なのである。
世にかくの如き名物名器をお持ちの方はそれなりにおられると思うが、必ずしもお茶が好きとは限らす、道具自慢のみに陥ったり、あるいは人にはさわらせない吝嗇だったり、、、。本日のご亭主ほどお茶に熱心に、客に誠実に、向き合っておられる方はいないのではないかと思い、その席に入れた僥倖を感謝せずにはいられない。(おさそいくださったY様、ありがとうございます)
<おまけ>
横浜から帰りにちょっと足をのばして有楽町。
お茶友さんがかんでる「暮らしで楽しむ茶の湯展」へ。普段暮らしの中のお茶にまつわるあれこれが楽しい。
信楽の春を遊ぶ茶事 - 2023.03.29 Wed
京洛の桜は満開でも信楽の里はまだまだであった。
いつもおなじみ、まさんど窯へ行く途中に信楽の作家・保庭楽入さんの壺中庵がある。
楽入さんの工房でもあれば、茶事や作陶体験、お茶のお稽古、その上宿泊もできるという施設である。
古いお家にリノベーションを良い感じにされていて、まずこのナグリの床に感動。こんな広い面積のナグリって初めて見た。
寄付の座敷には楽入さんのお母上のものだという立派なお雛様が。お雛さまは恥ずかしいのか扇でお顔をちょっと隠しておられる。
この壺中庵を借り切って、ついでに楽入さんの信楽焼の作品も借りてお茶事をしようと茶友のIMさんがお誘いくださった。ありがたい限りである。
全員顔見知りの連客様方は、古典文学者、陶芸家、道具商、茶道学園出身のお茶の先生、、、と錚錚たる面面。みなさんお茶はいうに及ばず、多方面に一家言をお持ちのクセのある方々、もうにぎやかで厳しいことも言うが笑いが絶えない席となった。
ちなみに腰掛け待合の足下の石も信楽の陶板なんである。
二畳台目の小間の席は50年位前に楽入さんの先代が建てられたものだという。
軸は大徳寺管長をつとめられた高田明浦師の「花無心招蝶(花無心にして蝶を招く)」一文字が蝶の文様。
楽入さんは表千家堀之内長生庵でお茶をされているが、待合にあった色紙「桃花灼々 水潺々」が久田宗匠だったのでお聞きすると楽入さんは堀之内、奥様が久田半床庵で学ばれているとか。
さて、ご亭主の炭手前
一見瓢にみえるが実は信楽焼(軽い)という珍しいものを使われた。
香合がお雛様らしく三重の菱形だな、、、と思ったら三階菱・阿波の三好長慶(実は信長以前に天下をほぼとった人)の紋であった。ご亭主のIMさんが阿波ご出身のゆかりで。しかも大徳寺の聚光院は長慶の菩提寺、花押が現在の聚光院の虎洞和尚。
懐石は広間の立礼席に場をうつして。
楽入さんの奥様とお嬢様のお手製。この四つ碗も驚くなかれ陶器なのだ。
杯台にのった盃まで信楽焼!
お酒もたくさん用意していただき、車の私にはシャルドネのノンアルをご準備くださるとはなんというお心使い。
煮物椀が(さすがにこれは漆器だった)お雛様仕様で、ピンクと緑に着色した大根の菱餅型が心憎い。
懐石では途中で「どうぞお持ちだしを」と、亭主にも同席をもとめるのだが、ほぼ形式で、たいがい水屋で相伴いたしますとことわるのだが、IMさん、ちゃんと言われたら膳をお持ちだし、立礼席をテーブルにお召し上がり、なんだかとても新鮮。
でました!これまた信楽焼の八寸!
遠目には焼き物に見えなくて、こんな形の焼き物って作るの難しいのではとびっくり。しかも薄くて軽い。
お菓子も楽入さんの奥様お手製、ひっちぎり。
後座
信楽といえば一つはほしい蹲(うずくまる)の花器に椿、クロモジ。
席からはちょうど目の前に庭の沈丁花が見えた。

水指はやっぱり信楽の迫力ある大きな筒型。
うるさく圧をかける客(^_^;に対し淡々と黙々とお点前を続けられるご亭主。濃茶美味しかったです。
主茶碗は弘入赤「滋賀里」、場所柄ぴったり。
茶入の銘が「三上山」と聞いてジーンときた。琵琶湖沿岸を走っていると目に飛び込んでくる美しい円錐形の三上山、別名も近江富士、あれが見えるとほっとするから、三上山は特別な山なんである。仕覆が木綿の唐桟というところも渋い。
茶杓は聚光院先代・寛海和尚の「都の春」
薄茶はさきほどの立礼席にて室礼をがらっとかえておしゃれである。
干菓子1
富山の銘菓「月世界」を壺中庵用にアレンジした<紫香楽宮礎>
干菓子2
壺中庵でも求められる手裏剣クッキー(バターなしなのであっさりといくらでも食べられる)と兵糧丸。なんといってもここは伊賀の里ですから。
薄茶の茶碗はIMさんの所有のもの、楽入さんのもの、いろいろ取り混ぜて楽しく。信楽って焼締めのイメージしかないが、きれいな絵付けの京焼風のものもある。こちらでは主に奥様が絵付けをされているそうだ。
茶杓が聚光院・利休の墓所近くの沙羅双樹の木で作った「雪月花」、これも驚きである。
茶事のあとはギャラリーにて楽入さんの作品を見ながら、珈琲などもいただける。
ご亭主のIMさんは前日こちらでお泊まりもされたそうで、いちどゆっくり泊まりがけで夜咄などもしたいなあ、という話にもなった。車で京都からなら1時間もあれば来ることができるので便利だし。
(ただし帰り道高速大渋滞、桜の季節だからねえ、、、)
お土産に、とご連客様の著書をいただき、さっそく署名をしていただいた。
これだけ多彩で多才な方々を一堂に会させるのは、やはりご亭主の人徳ですねえ。ありがとうございました。
其中庵・鈍翁を茶事に招いたら〜跡見茶事 - 2023.03.28 Tue
裏千家系雑誌「なごみ」の<夢の茶会>シリーズ、「もしも○○を招いたら」という仮想茶会なのであるが、その2月号に其中庵さんが登場。
(なごみ2月号)
鈍翁の「茶狂」の軸を旗印にお茶をされている其中庵さん、よって当然ながら招くのは近代数寄者の雄、益田鈍翁である。
(なごみ2月号)
彼の最後の茶事に招かれたのが、彼に私淑していた実業家・横井夜雨と鈍翁がかわいがった年下の道具商・横山雲泉、彼らを連客にという想定である。
この「茶狂」の軸は雲泉へ茶室の名前として鈍翁より贈られたもの、まさにふさわしい客組なのである。
このたび、取材だけでなく、実際その道具を使って跡見の茶事をしてくれることとなり、喜んで鈍翁の連客となるべく出かける。
待合の軸はもちろん「茶狂」
(それにしても自分が度が外れた茶狂いであるのに、後輩に茶狂いと揶揄するような軸を贈るとは、鈍翁、しゃれがききすぎ〜)
「鷹峯太虚庵」の名前が鋳込まれた鉄瓶。鈍翁は光悦会法人としての初代会長であったから、これも心憎い鉄瓶である。
あいにくの雨であったが、これも春雨、しっとりとした雰囲気をかもしだし、笠、露地下駄を使う。
もうひとつうれしかったのは、10年あまり前に徳川茶会をご一緒いただいたK様ご夫妻と再会し、連客となれたことである。(11年前!だった)
小間据えにした本席で、夕ざりの初座は花、木五倍子(きぶし)に椿、花入れが鈍翁手作りの「萬代(よろづよ)」と銘のついた竹尺八。小田原に住んだ鈍翁が利休をならって小田原の竹で作った、、という感じかしら。
釜はすっかりおなじみの宮嶋釜、家康と神田上水を拓いた大久保主水のエピソードのある釜で、鈍翁が愛蔵していた釜の写し。ベンジャロン焼の香合は其中庵さんがタイでもとめた古いもの、「これに鈍翁の箱があったらな〜。」と無理筋をおっしゃるが、ほんま、そうだったら価値がはねあがりますね。
懐石は蕎麦懐石。
ご飯ではなく蕎麦の替え玉(?)が引重でなんどもでてくる。鴨もでてきて鴨南蛮、最後の〆が湯でなくて蕎麦湯というのもしゃれが効いている。鈍翁もきっと面白がって蕎麦茶事もしたであろう。(と、思ったら鈍翁が喜三郎につくらせた蕎麦懐石皆具をお持ちなんですって!)
お値打ちは酒器、鈍翁お抱えの陶芸職人であった大野鈍阿の三島写し酒器であるが、箱にびっしり鈍翁の解説と謝辞が書かれているもの。
向付は寄せ向こうで、私のは七官青磁の八角皿であった。強肴が乗る蓮弁古染と祥瑞の針木皿が並んででてくるところに眼福を感じる。ついでに南京赤絵と呉須赤絵のそろい踏みも。
「なごみ」に向付として載っていた磬型呉須は強肴の器として。
ふかふかの薯蕷をいただいて中立、後座へ
軸は宋の禅僧・雲耕慧靖、当時中国に留学していた聖一国師(円爾弁円)が日本へ帰国する時の送別の偈。春風にのって帰って行く、、、まさに今の季節。
主茶碗は、何度も拝見してのんでもいる茶碗だが、ここはこれしかない!という鈍阿作、鈍翁の銘「いはほ(巌)」。覚々斎原叟が手尽くねの黒楽「鈍太郎」に似る。鈍太郎を手に入れた鈍翁はこれを鈍阿に何個も写させたという。そのひとつだろうか。
秀次(利休の塗師)の棗を濃茶器に、茶杓がびっくりの丿貫!銘を「落葉」
高原杓庵の絵付き添え状ものちほど拝見。それによると杓庵が知る丿貫の茶杓は3本しかないそうで、そのうちの一本がこれなのね。利休の繊細華奢な茶杓なぞクソ食らえ!とでも言うような対極の茶杓でありました。
薄茶の主茶碗は、鈍翁の30歳も年下の茶友・横山雲泉が還暦の記念に作った伊賀の茶碗に、最晩年の鈍翁が「若かへり(若返り)」と銘をつけたもの。
茶狂の軸とともに鈍翁と雲泉の間にあった深い交流に思いを馳せてみる。(そういえば其中庵さんのお茶の親友K氏も鈍翁・雲泉ゆかりの香合をお持ちだった。)
しかし、いい年をした男達がこれほど命がけの情熱をかけて、お茶にのめりこみ遊ぶことができた時代はなんと幸せな時代であったのだろうか。ひたすらうらやましい。
かくして鈍翁と雲泉が客である茶事の末席も末席につらねていただいた如き茶事はお開きとなった。
<おまけ>

この席にてジャワ更紗二枚をはぎ合わせて作ってもらった帯、デビュー。
宝塚で目利きさんの茶事 - 2023.03.11 Sat
かつて20年近く住んだ宝塚へ久々に足を運ぶ。
阪神間北部(阪急沿線)は独特の文化圏を有する。いうなればハイソでおしゃれ。その中でもこのエリアは高級住宅街である。(私が住んでたところはそれほどでもない、、、(^_^;)

おそらくお茶をする人なら、ああ、とだれでもご存じのお店(敷居高いよ)の目利きさんとこへ茶事のお招き。お庭には桜の木もあれば蝋梅、南天、椿、とたくさんの植木がお手入れされていたが、この日は枝垂れ梅が見頃で、遠くからでもわかる芳香を放っていた。
こんなにたわわに花をつける椿を何種類かお持ちなのはうらやましい限りだ。
ご亭主は石州流のお茶をされる。裏千家のなんでも聞きたがりはちょっとうるさいかな、と思いつつも何もかも詳しく聞きたい思いがうずうずして、あれこれお聞きしてしまう。
ついでに火鉢の灰は前日湿したのに筋をつけておくと翌日まで筋がこわれない、という秘訣も教えていただく。
ご亭主は手作りもお好きだそうで、このペーパータオル置きもご自分でお造りになられたよし。きっとこの蹲居の蓋も、灯籠の障子も御自作に違いない。
三畳の小間が居間の隣にうまいこと作られていて、垂涎の洞庫もある。ここの茶室はちょっと珍しい隅炉。
床には小さいが、美しい料紙に書かれた斎宮女御(三十六歌仙で佐竹本のは超人気で鈍翁が手に入れた)の有名な歌が書かれる。
琴の音に 峰の松風通ふなり いづれの緒より 調べそめけむ
そして炭手前の練香の銘が「松風」なのである。
石州では練香は大きくひとまとめにして、火箸でちぎっていれるのだ。(ピラミッド型にするのは裏千家だけ、多分)
懐石は広間にて。
本日の懐石方さんが偶然にもおさそいしたご連客様のお弟子さんであった!
ご飯がやたら美味しいと思ったら、岩手の<ひとめぼれ>、お酒も岩手の<あさ開き>、これは何かの伏線か?
ふわっふわの蛤しんじょう、お雛様だしね。
このふわっふわ具合の秘密が知りたくて、料理人さんに聞いたことがあるが企業秘密らしい。ちなみにこの器は喜三郎。懐石道具も豊富なご経験の目利きで集められたもの。手桶型のガラ入れのような容器などのちょっと珍しいものもあれば、お手製の燗鍋の蓋などもあって洒脱。
八寸の、牛蒡の新芽の天ぷらが絶品。酒盗もでてきてちょっと酒盛りしてしまった(反省)。
これは小吸物、食用の花であるが、ビオラであるところに宝塚を感じる。(♪ スミレの花〜咲くころ〜)
昔、宝塚に住んでいた頃、阪急の中でよく宝塚歌劇学校の生徒さんをみかけたが、制服をきてなくてもオーラがすごくてすぐわかったのを懐かしく思い出す。
後座は石州(古石州:石州流は流派があまりに細分化されてよくわからないが)のお点前を。
道具に対する知識も、流派に対する知識、歴史的知識、われわれなどよりもはるかに深いものをお持ちながら、さりげなく飄飄とお点前される姿勢が印象的。
花入はやはり石州の竹一重切、お庭の紅白の椿のつぼみにて。
古信楽の堂々たる水指に裏千家の我々に気を遣っていただいて、圓能斎箱の古瀬戸茶入、そして、、、
本日のご馳走、紅葉呉器、銘を「最上川」!
ご飯とお酒の岩手シリーズはこれの前振りだったと考えるのはうがち過ぎか。
時節柄「山桜」の銘のある堅手、後二碗は現代の作家で村田浩一さんはわかるとして、茶友の平金さん(まさんど窯)の井戸(これは一目でわかる)であって、御縁にびっくりした!宝塚でであえるとは。
茶杓はいわずとしれた石州公である。華奢!
茶事のあと、居間の本棚の古美術、茶の湯に関するおびただしい書籍に圧倒され、最後に、いつまでもお見送りいただいた姿が心に残る。お招き感謝、ほんとうにありがとうございました。
有馬温泉にて茶飯釜と花月の茶事 - 2023.03.06 Mon
京都駅から高速バスで約1時間、なんと有馬温泉に着いちゃった!
うちを出るときには庭にうっすら雪がつもっていたが、有馬では吹雪いている感じで、さすが北の方。(でも神戸市北区)
有馬温泉に来るのはもう20年ぶりくらいではなかろうか。宝塚に住んでいたときには車でシュッと行けたのだが、京都からはすごく遠いと思っていた。
有名な有馬筆のお店もあるお土産物ストリートも懐かしい。あまり変わっていないように思える。
さて、今回茶事にお招きいただいたのは、有馬にお茶ができる別宅を構えたご亭主。昨年から何度も計画しつつ諸般の事情でのびのびになり、本日やっと念願叶った。
露地もいい苔が育っている。飛び石も蹲居もご主人とおふたりで運び込んだお手作りだそうだ。玄関には枝垂れ梅の植木があるのだが、さすがに雪が舞うこの寒さには縮こまってまだつぼみは固い。
なんの予告もなく、席入りしたら茶飯釜がかかっていてびっくりした。かくいう私、茶飯釜を自分でしたことがない。なのでかなり難しい、、、というイメージがあって、客としても緊張するのである。でも、ご亭主は茶飯釜がお好き、とて、さらさらと軽々お点前されるのである。
ご飯が炊けるまでのおつまみにて燗酒を少々いただく。お皿は奈良絵(赤膚焼)と九谷の盃。
床の軸は大徳寺瑞峯院の和尚様にご亭主が書いていただいた物、「遠山無限碧層々」。碧巌録の言葉であるが、有馬は山の中、この有馬の風景を連想する。今は東山無限雪霏々であるが(^_^;
約10分ほど、おお〜!お見事、美味く炊けました!
炊きたてのご飯の美味しいこと。一文字によそうのがご亭主のこだわり。
煮物椀がとっても美味しい治部煮。なんと!本日の懐石はすべてご主人がお造りになられたのだそうだ。や〜、いいな〜ご主人に懐石方やってもらえるなんて。(ちなみにご主人はお茶はされないそうである。懐石のみ習いにいかれているとか〜)さらに茶事が終わる頃、食器も洗い終わっているというなんてすばらしい!!
八寸のお皿がもうおいしそうな瓦煎餅にしか見えない。よくこんなの見つけてこられるなあ。
茶飯釜に作法はあってないようなもの、ご亭主のはたらきでいかようにもなる。おこげが釜にこびりついて、同じ釜で茶も点てないといけないので、これをはがすのに苦労すると聞くが、ご亭主は湯を入れてそのまま炉にかける。そしてそれを湯斗かわりに。そうするときれいにご飯がはがれるのだそうだ。(いつか自分でするときのためにメモメモ)
お菓子は叶匠寿庵の歌留多に餡子をはさんだもの。ちょうど季節柄、先日梅見茶事で使ったところの紀貫之を選ぶ。(人はいさこころもしらずふるさとは 花〈=梅〉ぞ昔の、、、)
濃茶をいただいたあと「お薄は花月で」
この文句を茶事で聞くとは思わなかった〜!花月初心者の方もおられたが、そこはみんなでよってたかって指導(^_^;するのも楽しいものである。
茶飯釜に花月、ほんとに楽しいご趣向だった。
茶歴もお茶のスタイルもみんな様々でそれぞれ違うが、茶の湯という共通言語があることのありがたさをかみしめる。
帰り、バスを待つ間少し有馬散歩。
遠くまでは行けなかったが、1時間で来れるとなるとまたゆっくり温泉につかりにこようかな。