海の男の茶事 - 2019.02.19 Tue
今回のお茶事のおよばれは、なんと徒歩5分もかからない、今までで一番近いお茶友さんち。うれしいなあ♪
ご亭主は月のうち1週間前後をお茶のため京都ですごされ、のこりは郷里の瀬戸内の海べりで暮らしておられる海の男〜ご自分のボートも所有されるヨットマンであります。

露地をみるととてもマンションの一室は思えない。三分咲きの梅がこの季節ならではの彩りを添えて。
本日は私と建築士のI君二人でお客様。なんとなれば、我が家の茶室(+家)を設計してくれた彼が、こちらのマンション内にも茶室を設計したという、いわば茶室兄弟(?)(^_^;
今まで何回かお邪魔したことがあったけれど、茶事バージョンになっているのははじめて。TVがあった場所が待合の床となって掛け物がかかり、ソファーが腰掛け待合い、キッチンは上手に御郷里の帆布(やっぱりヨットマン!)を使って隠してある。
さきほどの露地には蹲居がおかれ、ちゃんと湯桶までご用意くださっていた。
ちなみに待合の掛け物は帆船の画賛。靄が晴れた瞬間の波の美しさをうたったもので、これはヨットマンしかわからない感激の瞬間だとか。
夕ざりにて
ご亭主はお茶を習い始めてまだ3年、なのに「男の懐石教室」などにも通って、本日おひとりで懐石もこなされた。向付、美味しかった〜♪(次の茶事でまねっこしよう、、というので詳細伏せる)汁の蕗の薹のほろ苦さが春を感じさせる。
こちらの茶室は一畳台目中板+狭めの向板(このちょっとした面積がすごく便利)
床は亭主床になる。
マンションでは換気が一番問題で、それでも電気ではなく、炭にこだわりたいご亭主は、一酸化炭素測定器を使って、あれこれ試行錯誤、ご自分でめだたないように換気扇などもとりつけ、換気の道筋も計算して、炭を使ってもガス警報器が鳴らない茶室を作り上げた。
煮物椀 この魚の下にお手製の卵豆腐が隠れている。
今回なによりのご馳走で、なにより感激したのが炉縁!
郷里の海に流れ着いた古い舟、長いこと海に沈んでいたか漂っていたか、その木材を使って大工さんに作ってもらったという炉縁は、フジツボまでついて、波や砂に洗われたざらざらの手触り、これぞ海の男の炉縁でなくてなんであろう。世界に1つしかないもの。
八寸
しかし、お茶を習い始めて3年なんて、私なんか茶事?炭点前?それなんですのん?の世界だったのに、すでに最終目標まで到達されている。もちろん、点前とか懐石の手順とかはまだまだ完成はされていないのだけれど(もちろん私もね)失敗を重ねながらもやり通すことによって、どれだけの高みに精進されていくのだろう。
主菓子は求肥のお菓子で別の銘があったが、ご亭主の意向で「自灯明」と。
釈迦入滅の折、弟子がこれから何を頼りに生きていったらよいのか、と嘆いたのに対し、自灯明、自らを灯火とし、よりどころとしなさい、といった言葉。このような深い銘を解釈できらずにいる客でゴメン。
中立の頃、露地はすっかり闇に沈んで、後座には燈火が。とにかく暗い。戦国時代にかえったくらいに(知らんけど)暗い。その中、釜の松籟だけが聞こえる二畳の極小茶室で無言で粛々とすすめられる濃茶点前。この浮世離れした幽玄ともいいたいひとときが、ご亭主が常日頃茶の湯に求められている「他界観念的遊戯(ゆげ)」(「茶経」)の一瞬であろうかと、思った。
しかも茶碗が楽歴代の一人による長次郎赤楽「早船」写し(本歌は畠山美術館蔵)
やっぱり「船」がつくんだ〜!さすが海の男!
続き薄で、最後にご亭主に点てたりして過ごし、かくして一会、見事にやりきらはりました。すばらしい!
茶事をするまでは煙草盆に興味もなかったし、意味もわからなかった、とおっしゃるご亭主、茶事をやってみないと学習できないこともたくさんある。お茶を習い始めた早い段階からそれに気づけるってうらやましい。
茶事が終わった後も茶事について道具について、茶の湯のめざすところについて、ご亭主、I君と話はつきないのであった。お開きになっても、コートもなしで帰宅できる距離のありがたさ、またご近所にすてきなお茶友を手に入れてしまった(*^_^*)
タライ・ラマ師の「日本食」茶事 - 2019.01.14 Mon
昨年中はイタリアン茶事、たこ焼き茶事となんどこちらに通ったことでしょう。

訪れるたびにグレードアップする腰掛け待合い。
今年も新年早々お招きにあずかり恐悦至極でございます。
タライ・ラマ師こと二つ名を持つお寺のご住職、その意味は拙ブログをお読みの方ならもうご存じかと。(☆)
このたび、イタリアン、たこ焼きに加えてあらたな試み、「日本食」懐石をお出し下さるとのこと、そも、日本食とは如何?
いわゆる日本食(ラーメンとかカレーとかふくむ)と違って、こちらでの概念は、砂糖をあまり使わず素材の味を大切にする料理、自然食に近い?とお聞きしました。さてさて、、、
まずは藪内流の炭手前。
私の茶友さんの藪内率の高さは異様なので、なんだかすっかりお馴染みになっているこの霰灰と隅のハマグリ(四隅につける山みたいな)、パイナップルスライスみたいなかわいい輪炭。種炭と胴炭の間を埋めていくように炭をつぐのも独特。(ちなみに藪内の歴代宗匠のお名前も漢字で書けるぞ!裏千家の宗匠はうろ覚えなのに、、、(^_^;)
さて、いよいよ日本食懐石のはじまり。
ご飯が小豆入りの玄米、シャリシャリ感と噛めば噛むほど甘い。
汁は味噌でなく、塩麹を使ったもので、やさしい味でした。汁替えのときに浮き実が菜から絹さやにかわっていたのも芸がこまかい。
何回でも使える(^_^;マグネット式の樽もふたたび登場、お正客様による見事な?鏡開き。
お正客様の向付が垂涎の古染でありましたが、富士山の形という珍しい物。
私の向付が高取で釜が茄子釜、、、とくれば、「一富士二鷹三茄子!」おお!
ちなみに四が扇(末広)、五が煙草(煙は上昇する)、六が座頭(毛がない=怪我ない)なんだとか。
替え茶器になりそうなこれは細川家が作らせたという小代焼だったかな。中に入っているのはフグの白子o(^▽^)o お酒がすすんでこまります。これまた垂涎の鶏龍山の酒器(とっくり)は一体どれだけはいるのだろう、かなりたっぷり入っていましたが、酒飲み組できっちり空にしておきました。
ちなみに待合の掛け物が良寛さんの実弟・山本由之、本席のお軸が良寛さんの消息だったので、お二人の郷里・越後のお酒をご準備くださったよし、さすが米所のお酒は美味しいです。
日本一ピースサインが似合うご住職との異名もございます。おちゃめなタライ・ラマ師。
山芋を牛肉で巻いた物や、このミニ寿司や、、、
最高においしかったのがこのスッポンの煮物椀。
濃厚で、それでいてやさしく体もすっかり温まりました。
本日の懐石のご担当は板宿のたかはらさんということです。
自然食、というと粗食っぽいイメージだけれど、今回の食事は体を気づかいながらも食材や味わいは豊かでたいそう美味しかった、日本食というのがおぼろげながらイメージできるような、まだわからないような。
ということで、毎度イタリアンの時に心配しているブイヤベースの塩笥(絵唐津)は出てきませんでした(^_^;(油が貴重な古唐津にしみこまないかとみんな気をもんでいるの)
出光美術館にありそうな古唐津の大きな陶片の菓子皿で、花びら餅。
お正月に花びら餅を何回もいただけることはありがたいことです。本来裏千家限定ですが、本日のお客様はお正客様以外みな裏千家なので、うれしいです。
中立のあとのお鳴り物がこれ。お寺さんならでは。
もうすっかり(お酒で)できあがってしまって、以下の記憶は若干あいまいでございます、とお断り。
花は仏手柑。親交のある唐津の陶工さんが届けてくださったものだそうです。
古唐津のコレクションが嵩じて、あげくに唐津とのえにしを深く結ばれた和尚様なればこそ。
和尚様はここ数年、唐津やきもん祭で釜を掛けられており、昨年は参席がかないました。素晴らしかった!
花入はスマトラのバタク暦だったか?竹の筒にびっしり暦が書かれているめずらしいもの。
濃茶はどっしりした西本願寺伝来の真呉器でちょうだいしました。
茶杓が普通のものより長く、節無し、しゅっとした拭き漆?で、印象的。これは利休スタイルが定着する前の、竹の茶杓の揺籃期に作られたものだそうで、筒に「はねふち」。紹鷗の茶杓師・羽淵宗印のとだったでしょうか。
薄茶の干菓子が出てきたときにはもう、皆様歓声です。
これは唐津やきもん祭りの時にも使われ、私も買って帰ったところの唐津陶片煎餅!(中里太郎右衛門さん監修で作られた煎餅、味もしっかり美味しい)
さらに和尚様のお蔵の深いところではありますが、お客さまが選んだ陶片と同じ紋様の御茶碗をそれぞれに出して下さるという芸の細かさ。
そっくりの紋様のものもあれば、私が選んだ沢瀉のように(唐津で買ったお皿が沢瀉文だった。わりと絵唐津ではポピュラーな柄)、茶碗にお茶をいれると沢瀉が浮かび上がってくるものまで。
お茶を飲み干し、しばらくすると乾いて沢瀉が消えていくのです。
これは、唐津の土が砂岩であるという証明で、以前和尚様の古唐津の勉強会で拝見し、強く印象に残った物であります。また相まみえることができて非常にうれしい。
お点前を最近お茶を習い始めたご子息にまかせて、しばしお茶道具談義、火入れか何かの話で染付の話題になり、以前から区別がつかない染付と呉須(呉須青絵、もしくは呉州・福建省あたりの民窯で明末に焼かれたもの)の違いを尋ねたならば、、、、
なんと現物がでてきたではありませんか!
説明だけではわからないものも、百聞は一見にしかずとはこのこと。色も高台もずいぶん違うのね。たまたまお尋ねしただけなのに、それがさっと出てくるこの感激。
日本からの注文ではない古染が伊万里とどう違うのかのご説明も受け、ありがたいことであります。
さて、このように美術館クラスの茶道具を拝見できるのが通ってしまう理由の一つでありますが、そういうのをおしげも無く使って下さるという、太っ腹で、おちゃめな和尚様のお人柄がなにより魅力的であるから、というのは言うまでもありません。
本年もまた何度でもお招き下さいマセ〜!ありがとうございました。
淡く、長いおつきあいの、、、F太朗さんの茶事 - 2019.01.07 Mon
招いてくれたご亭主は、「淡く、長いおつきあいの方々を、、、」と記した。

待合の井戸もある土間で、お手製の注連縄+餅花が迎えてくれる。
亭主のF太朗さんが陶々舎を出て、静かな上賀茂の、古い農民家を補修しながら住むようになってから早2年近い。
農家の造りで、昭和のにおいが色濃いお宅は、雨漏りとか、壁のシミとか、いろいろ補修がたいへんだったと聞くが、また寂びた良い感じの土壁になったな。朝の光をやわらかく反射して美しい。
はじめて入る茶室の床の間や脇床、仏間だったらしいスペースは、不思議なオブジェとともに、いずれもF太朗ワールドになっていた。
いつか茶事によんでねと、しつこくお願いしていたが、それもきっと忘れ去られたであろうな〜と半ば諦めていたころ、、、、前日連絡の新年早々のおさそいとなったのは、さらに強く強くプッシュした乙女のAちゃんのお力のたまもの、同じく乙女のMちゃんとお相伴にあずかる。
ずっと以前から、シンプルな美しさを茶の道に追求してきた(私的解釈)亭主であるから、茶事といってもいきなり八寸ではじまる、、、、で、お酒、八寸、お酒、お酒、八寸、、、わ〜い、なにこれ、楽しい〜♪
これは牡蠣を醤油で軽く火をとおしたもの、酒がすすんでしまうではないか。
お酒好きの三人の乙女の懐にいきなりはいりますな。
お酒は種類も変えて、冷酒、熱燗。
皿はなく、それぞれの懐紙に手渡しで肴をとりわけるシンプルな懐石。客の所望に懐から杯をだし、さしつさされつ。
じっくり向き合い主客のまじわりに一番重きをおく茶事なのだ。これはいつも真似できないなと思う。
F太朗さんにはじめて興味をもったのは、私がまだ京都に移住する前後だから、かれこれ10年近く前にもなろうか。
鴨ん会と称して、鴨川べりでゲリラ的にお茶をする(鴨茶の元祖は実はF太朗さんなのだ)若者、という認識、お茶のイベントでお姿を何度か見たあと、やっと互いに挨拶をかわしたのは下鴨のK美術の片庇の茶席だった。
それから直ぐに、彼はお茶を愛する三人でシェアする陶々舎に住み始め、そこから茶人としての快進撃がはじまる。豊かな人脈にめぐまれ、たくさんの良き友人にめぐまれ、それもひとえに彼のお茶の魅力と人柄によるものであろうが、今ではお茶の世界ですっかり有名になった感がある。うれしいけれど、ちょっとさびしい、というのが本音。
決して俺が俺が、というタイプではなく、どちらかと言えば素朴で朴訥な感じさえするのは、昔と変わらない。今でも鴨ん会として、花を飾り、茶をひっそりと点てていたころの姿が忘れられない。
F太朗さんのふるさと(関東)風のお雑煮(焼餅、おすまし)で締めて中立。
ああ〜、すっかりできあがっちゃった。
中立の部屋では、F太朗さんが自作した白茶(微発酵中国茶)をのみながら、最近はまっているという碁石を置く、、、ただ置いて、回収するというお遊びをいっしょに。
意味もなく、白黒の碁石やネコヤナギの花芽、茶の実を並べるだけなのだが、それぞれの個性がでるのは如何?なんだか面白い模様がテーブルの上に現れ、、、そして回収、消えていく、それだけなんだが、ちょっと真剣になってしまうのは何故?自分との対話をさせられているような感じ。
これを茶事に持ってくるか、さすがF太朗。
中立の終わりにでてきた、干し柿+とけたバターのお手製菓子が、異常に美味しくて悶絶する。これはなんだ?!これはずるすぎるぞ。普通の菓子がだせなくなるじゃないか。
濃茶は4人共通の知人でもあるAS君の最新作の黒楽茶碗で。
あいかわらず背筋ぴしっと姿勢良く、点前も端整である。
薄茶のお菓子は北陸の砂糖菓子「辻占」、中に占いの小さな紙がはいっている。
(私的解釈)「くよくよせずに(仕事も)辛抱すれば、金がたまって想いのまま(茶道具が買える)になる」
ヤッタ!
思えばAちゃんもMちゃんも陶々舎始まって以来のけっこう長いお付き合いになる。しょっちゅう会うこともあれば、たまにしか会わないときもある若い茶友である。
席中、三人でなにを話したのか、酔っ払って思い出せない。おそらくたわいもないことで盛り上がったとおもわれ、それが幸せな時間というものではないだろうかと強く思う。
F太朗さんとも、いっしょに主催した大覚寺舟遊び茶会の思い出など忘れられないが、ガチで付き合うというわけではなく、つかず離れず、のおつきあい、まさに「淡交」、「淡くて、長い」おつきあいである。そういうつきあいであると、認識してもらったこともまた、うれしいことなのである。
師走の宇治茶事〜縣神社 - 2018.12.14 Fri
宇治橋からみる朝の宇治川は今日はわりと穏やか。この眺めは好きだな。
橋を渡って平等院へ行く方向をちょっと東にずらすと縣神社(あがたじんじゃ)の参道になる。
御祭神は木花開耶姫、茶業の盛んな宇治では一年の作業のしめくくり(茶摘み後製茶がおわる)の6月はじめに、開放感にひたった男女がここでつどって(雑魚寝ともいう(^_^;)夜には「暗闇の奇祭」とよばれる縣祭がおこなわれるのである。
こちらがその縣祭で渡御する梵天
こちらの神社の社殿のなかには、藪内十二代猗々斎の作った燕庵写しの茶室「棠庵(とうあん)」があり、ここで本日、藪内流の若き亭主のお茶事、ひさしぶりだ。
棠庵は正確には燕庵写しとはいえない四畳半台目、点前座の亭主の向こうに下地窓が上下にあって、午前中の朝日が入ってくる時間ゆえ、とにかく明るい。
「源流茶話」や「真向翁」の著作で有名な藪内中興の祖・竹心の達磨さんの画賛ににらまれながら、炭出前。藪内独特の霰灰と角のハマグリ切り(正確にはなんというのかしらない)、そして枝炭を真上にのせるのな。昔は釜の底でこれをごりごり割って、火つきをよくしたとか。ワイルドだな〜。
楽の一文字香合・香炉釉雪華紋がしぶくて好き。
この日のお客様は藪内さんが正客様1名のみ、あとは表さんとお裏さん。藪内の懐石での作法も興味深い。ご亭主君は(息子より年下なので君付け〜)自宅が卸売市場の近くなので、新鮮な食材を調達してきて上手にお料理される。
汁が白味噌の蕪みぞれ仕立てで美味しかった。
あとは酒盛り合戦の様相を呈して(ごいっしょしたEちゃんと、Y君が競って、汁椀の蓋で酒を飲む、という(^_^;)でてくる強肴ももろに酒盗で困ったもんだ(ちっとも困ってないが)。
ちなみにでてきたお酒の名前が「憲法と人権」というのでまた盛り上がりの種を作っておった。(かの佐々木酒造、京都弁護士会コラボの日本酒)
お菓子は、老松さんの雪餅みたいな(銘忘れた)つくね芋の練り切り。そして中立。
待合の花(針があるので鳥がとまることもできないので、「トリトマラズ」という名の照り葉。この季節この木はよく使われる。)
濃茶席の花は竹の広口切りに紅色の妙蓮寺椿のつぼみ
替え茶碗の宗入がよかったな。しろっぽい筒茶碗のようなでかい茶碗だが、宗旦の瓢花入ゾロリの上をスパーンと切ったような、ちょっとゆがんだフォルムが萌えポイント。(おそらく太公望を意味する銘あり)
一度席をあらためて薄茶席 墨蹟窓にビナンカヅラ。織部の意匠だったと思うが、この茶室は窓が多くて、しつこいようだがひたすら明るい。お手製の州浜を菓子に、祥瑞や妙全さんやら楽しいお茶碗がたくさん。時節柄、暦手もあり。
それにしても亭主君は茶事の亭主として、(上から目線ではないが)以前来たときよりはるかに成長を感じた。前回来たときと同じお道具があったが、説明の仕方がバージョンアップ、うん、勉強したんやね、と親心的に感動。若いってすばらしいね。伸びしろが違う。
お開きのあとは、凍えるくらい寒かったのに、とても気持ちが晴れ晴れしたので、徒歩5分くらいの場所にあるこちらへも足を伸ばしたのである。
これにて今年の茶事はすべておわりとなりました。
其中庵〜瓢・名残の茶事 - 2018.11.01 Thu
(数日同じ道具組で茶事をされるというので、アップ控えてましたが、追って会記もいただいたことだし、お許しもでたと解釈、そろそろよかろうかとアップ)
亀岡楽々荘を去られて、其中庵様が現在の土地に居をうつされて、はや2年近い時がたとうとしています。時の流れははやいなあ。

こちらで茶事を開始された今年の3月、春雨の茶事にお招きいただいたが、今回は2回目、名残の茶事です。ご力作の露地も灯籠の影に植栽が増えるなど、ちょっと育ってきたようです。
春の時には春の嵐でめくれあがって大変だった腰掛け待合いのテントも、なんとがんじょうに補強がしてあって、ここで腰を据えて茶事をする気合いを十分に感じるのです。
これから名残の茶事も数会されるようなのですが、この日の席はその第一陣、そしてお正客が「掛け物の四季」を著された数寄者の菱本先生でありました。先生のお茶会は2回行ったことがありますが、素晴らしい道具をお持ちで、たしかに掛け物がなんといってもすごかった。茶会にもたのしいテーマがあり、とてもお茶がお好きなのだなあと思ったものです。まあ、先生が正客をされるとお聞きしたので,この日に是非に!と。
(その後、「掛け物の四季」拝読しましたが、知識、精神性、いずれも格調高く、感動しました!)
ご亭主の迎え付け。
夕ざりなのでまずは花
これも何回も拝見してみるたびにいいな〜と感動する宗旦の瓢箪花入「ゾロリ」に秋明菊、秋海棠、水引、糸薄、ホトトギスなど亀岡で摘んでこられた秋の残花
そして、大迫力で存在感のある鉄のやつれ風炉・与次郎
中置き・赤の前瓦、掻き上げ灰はなによりの名残の季節のご馳走です。
懐石は今回も亀岡時代からずっと、の富山万惣の中尾さん。
いつも端整で、出過ぎず引きすぎず、ちょうどよいあんばいの懐石でした。
折敷は数ある中から選ばれた瓢盆。
「不改其楽 賢哉回也」だったかな、とにかく瓢ひとつで人生を楽しんだ孔子の一番弟子・顔回の「論語」の一節が書かれ、ここにふたつめの瓢。
向付はお約束で寄向こう
私のは七官青磁、他に高取、南京赤絵、織部志野などなど、いずれもすてき。
お酒が「菊水」というのは旧暦重陽にちなんだものでしょうか。
もう〜煮物椀が鱧と松茸(長野産)なんてヽ(≧∀≦)ノ
八寸でごちそうとして、凝りもせず、下手なQueenを(菱本先生の前で)歌ってしまうバカは私です(恥ずかしい!)
お正客の菱本先生は茶の湯、茶道具への造詣が深い方で、御亭主と道具談義をかわされるのですが、深くてついて行けないところも多いです。
でも、あいまに「お茶事はされてるの?」とか「お茶は楽しいね」とか、ほんとうに楽しそうにお話しくださるのがうれしくて。
お菓子は老松さんの栗きんとん
栗がたっぷりはいって、店頭の物よりはるかに濃厚で美味しい。
中立のころにはもう早い秋の日は暮れて、これまた新兵器の露地照明がよい雰囲気です。
後座・蝋燭の灯りのもとでみる沢庵さんの消息(秋でさびしいから遊びに来てね、、云々)、主催されている茶狂会のフラッグである鈍翁の「茶狂」にちなんだ鈍阿の濃茶茶碗はなんどか拝見したことがあります。
茶入が真塗棗、桃山時代のビッグネーム塗師・秀次ですが、形だけみて「これは秀次ですね。」と看破された菱本先生、さすが、というかすごい!!
濃茶の茶杓と薄茶の茶杓は呼応しあうもので、しかも濃茶の茶杓には瓢の隠喩が複数かくれていて、これはほんまツボでした。この茶杓はまた使われるよし、くわしくは伏せますが、伏せるのがとても残念なくらい、ようそろえはったなあ〜と感動しますよ。
薄茶茶碗は綺羅星のオンパレードで、二服目はリクエストで好きな茶碗で飲めるといううれしさ。私は一碗目、黒織部沓形(桃山)、二碗目はこれまた何回もお目にかかって大好きな熊川「白菊」で頂戴いたしました。瀬戸唐津が渋くて人気でしたね〜。他にも仁清の三玄院天目、刷毛目、宗入の(青にしか見えない複雑な色の)赤楽など。
と、またたくまに楽しい時は過ぎ去り、名残の茶事はお開きとなりました。
たくさんたくさんお宝を使って使わせてくださる其中庵様に感謝、茶人として憧れるお正客の菱本先生、いずれもお茶にのめり込み方が尋常でないご連客のみなさま、ありがとうございました。たっぷりと瓢をたのしませていただきました。
おまけ
銀ねずの一つ紋無地に、お茶友でもある友禅作家・本間美也子さまに描いてもらった縮緬名古屋帯
茶事の後、ちょっとした事件をおこしたことは忘れます(^_^;
でも、ご迷惑をおかけした方々にゴメンナサイ