行ってらっしゃい、シェル - 2018.01.23 Tue
こんな風に冬にはめずらしくあたたかい小春日和、この日と定めて行こうと決めたのね。
20年間、うちの家族によりそって生きた猫のシェル、旅立ちました。
(私のHNはこの子からもらいました)

最後の3ヶ月、人間でも悪魔の癌といわれる口腔癌と戦いました。どんなに飢えても渇いても、口からの摂取が自力でできないのです。手術で下顎をとるとか放射線治療とか、最終的には安楽死とか、獣医さんから提示がありましたが、いずれも老猫には過酷です。
シェルが行きたい日は自分で決めるだろうと、介護して見送る覚悟をきめました。
発病してからの3ヶ月、日に日にやせおとろえて、よだれをたらしっぱなで、手足は拭いても拭いてもよだれまみれ、壊死した腫瘍の悪臭、苦しんで苦しんでの旅立ちでした。どうしてやることもできないはがゆさ、悲しさ、せめて体をなででやるしかできませんでした。
食事介助や、清拭、体が少しでも楽になるように、鎮痛剤をのませたり、ターミナルケアはできうる限りのことをしたので悔いはありません。
でも、発病するまでのあいだ、そこにいるのがあたりまえということに甘えて、留守がちな家でひとり留守番させていた時間の長さを思うと後悔の念にさいなまれます。
20年前、シェルは震災後の西宮の仮設住宅で生まれて、子猫の時に我が家へ来ました。
誰に見せてもきれいね、といわれる美人さんでした。そして人の気持ちをよむ賢い子でした。
たまに庭のトカゲやちょうちょ、トンボを捕まえてくる名ハンターでもありました。
8歳の時に生きるか死ぬかの大病をして、もうあきらめかけたこともありましたがシェルは不死身でした。
娘や息子が次々と家をでていって、2年前に先にプリが旅だって、留守がちな家で年老いたシェルはいつもさびしく留守番していたかと思うと胸がつまります。もっとそばに長く居て、もっと甘えさせてやればよかったなあ。
夏にわずらった角膜炎も完治させてやれないままでごめんね。
苦しむ姿をみて、その頭に顔をくっつけて、もうがんばらなくていいから、もうがんばらなくていいよ、となんども言い聞かせました。でもシェルはよくがんばったのです。今、苦しみから解放されているはずなのに、その喪失感がこんなに悲しいなんて思わなかった。
旅だったシェルの体を湯灌したり、荼毘にふしたり、一連のあわただしさがおわったあと、大好きだったクッションのへこみをみても、闘病と介護の日々をおくったソファのバスタオルをみても、そこにいない、、ということにいまさらながら気づき、そしてもう二度と会えないという事実がじわじわしみてきました。家に帰ってもお迎えはもうないのです。シェルの通り道として、戸をいつも少しあけてやっていた習慣はなくなりません。そのたびに、ああ、もういらなかったんだ、と。
しばらくは喪失感とのたたかいです。シェルをおもいだして涙があふれること、それは残された私のつとめだと思っています。
(元気な頃のシェルとプリ)
いまごろは先に行ったプリと仲良くしているか、けんかしているか(^_^;
行ってらっしゃい、シェル
優美で
賢くて
ハンターで
しっぽが長くて
誇り高い猫でした
さようなら
またいつかね