二月堂修二会2020〜お水取り〜練行衆下堂 - 2020.03.16 Mon
(続き)
女性もお籠もりできる局は12日のみ、講ごとに入る場所が決まっている。
百人講さまのおかげで、正面の西の局でかぶりつきで約8時間お籠もり。
毎日聞ける神名帳、5日と12日のみの過去帳
今年こそ、過去帳の「青衣の女人(しょうえのにょにん)」を聞き漏らすまい、とがんばったが「〜天皇、〜天皇、、、」の調子がつい眠りをさそって、今年も聞き取れなかった。早すぎて過去帳のコピーをもちこんだとしても、追い切れないだろうと思う。
走りの行
差懸を脱いで足袋はだしとなって内陣をぐるぐる飛び去るように走る練行衆。五体投地で座にもどり最後のひとりが、咒師の「シッチヘン」の合図で五体投地を行うまで、ひそやかな裸足で走る音を聞く。
香水授与
「南座の下﨟立って四角の火をしめして礼堂に香水(こうずい)を参らせ〜」
この香水を参らせ〜、、が聞こえたら、局と礼堂を隔てる格子から手をさしだす。香水を今年もありがたくいただけた。
午前1時過ぎにおこなわれる水取りを待つ閼伽井屋
お堂の中ではまだ五体投地の音が聞こえるが、先回りして南出仕口の前で、咒師を待つお水取り行列の方々。堂童子、童子、駆仕、大きな幣を持っているのは講の方。
水取行列を先導する蓮松明(咒師松明とも)点火
お堂から咒師、平練行衆五名がこれに付き従う。
咒師の洒水で行列出発
BGMは南都楽所の雅楽
先導する蓮松明
前後に白い布を掛けたお水取りの桶が3つ運ばれていく。担ぐのは庄駆仕
一堂は二月堂真下にある興成社で祈りを捧げて閼伽井屋へ
閼伽井屋の中へ入れるのは咒師、堂童子、桶をかついだ庄駆仕だけで、中での所作は絶対秘密なのだそうだ。閼伽井屋の後で耳を澄ますと水の音が聞こえるという。これは一度きいてみたいもの。
水がくまれるとふたたびお堂へ桶は戻っていく。
この水取は5年前に閼伽井屋の前で見たが、今年は上から拝見できた。
再び堂内にもどり午前3時半ごろ、達陀を見る。(達陀は12,13,14日)
ブ〜ブ、ブ〜ブ、という独特の法螺貝の音に、カラコロの鈴、妖しげな火天、水天の奇妙な所作、達陀松明の火の粉、キリキリと巻き上げられた戸帳の向こうにひろがる壇供の餅の山、糊こぼしの花、、、修二会のハイライトだと思う。
これが終われば練行衆は下堂される。
茶所
いつもはお茶をいただけ、12日にはおうどんやおいなりさんなど供する店がでるのだが、コロナのせいで今年はなし。残念。パンをかじって空腹をしのぐ。
午前4時過ぎ
先に4人下堂され、
おくれて残りの7人
この「手水、手水〜」の声と杖の音をきいてほしい。
ああ、美しいな。
今年も無事お参りできた。
来年はまたちがう場所で拝見したいものと早くも計画を練る。
裏参道の帰り道、行きに見た乙万人組の詰め所にも灯りがはいる。
、
半日籠もったあとのマスク
コロナよりも煤をたくさん補足したもよう。
半日でこれだから、練行衆の方々はあんなに長い間、のどがおかしくならないのだろうか、と心配してしまう。
今年のお松明の戦利品
不退の行法、今年も満行(14日)です。
東大寺のお坊さまでも練行衆になりたくてなれない方もいらっしゃると聞く。
だから今年選ばれた練行衆の方々の胸にはどんな思いが去来するのだろうか、と思う。
私は、、、早くも修二会ロス。
二月堂修二会2020〜12日初夜上堂 - 2020.03.15 Sun
3月12日は修二会のクライマックス、紋日でありハレの日だ。
いつものお松明より大きい籠松明で練行衆は上堂されるし、過去帳(5日と12日のみ)の読み上げ、走り、香水たまわり、深夜の閼伽井屋のお水取り、達陀までフルコースだ。
よって12日の人出は例年半端ではなく、特に大松明をみようと参拝客が押し寄せるので、お堂直下には立ち入れず、2〜3本見たら移動させられる、、という大混雑、よって長らく12日のお松明はずっと敬遠してきた。
今年二月堂観音講である圓玄講社の一つ、百人講様とご縁をいただき、お堂直下にいれていただけることとなり、40年ぶり(学生時代)くらいの籠松明を直下で拝見できることになった。振り返っても有り難いことで感謝のほかない。
一般参拝客は二月堂参道から並ぶが、関係者は裏参道から入ることになる。
ここは塔頭がならぶ風情のある道で毎年講の方の宿舎の提灯などがみられる。
これは裏参道きっての名風景である、乙万人組講の宿舎。
乙万人組はこれも歴史が古く、山城の方の講の一つらしい。
裏参道を上りきると食堂の前に出る。
5時ごろ到着したが、はやくも籠松明を運び出ししてはった。この景色を見るのは初めてだ。
1本1本立てかけていく。
この松明の竹は使われた後、寄進した講がまた持って帰るそうだ。う〜ん、それで花入とか茶杓とか作りたい!
この日の深夜、若狭井からお水取りが行われる閼伽井屋。
3月2日に若狭の国、鵜の瀬から送られた、遠敷明神約束の水が届いているはずである。
今年はコロナ騒ぎで散々であるが、二月堂修二会の行は粛々と行われ、まもなく満行である。
いつものお堂直下に陣取るが、この日ばかりはまわりは関係者のみである。
暮れてゆく奈良の夕空の下に大仏殿の鴟尾が見える。
他の日、例年より参拝客がはるかに少なくてスカスカだと聞いていたが、さすがに12日は多い。一般参拝客のエリアでは立錐の余地もないくらいの人で、コロナなんかどこかにぶっ飛んでる(^_^;
この混雑がいやで、長いこと12日のお松明にはこなかったのだが、12日のみの独特の所作があったことを知った。
三時の案内(あない)の加供奉行が持つ松明も、他の日より一回り大きいのだ。回廊を3回上下し、練行衆上堂を一人堂内で待つ処世界(練行衆の一番新人がされる役)に知らせる。
これは3回目、最後の案内である。
加供奉行「出仕のあな〜い(案内)」
処世界「うけたまわってそうろう!」
が、聞こえるかな?
そしていよいよ大きい籠松明に先導された練行衆がお一人お一人登ってこられる。
他の日の松明の1.5倍はあろうかという60kg〜になる大松明。この日は担ぐ堂童子さんのハレの日である。
お松明は練行衆の役職毎に、登る前に童子の名前の呼び出しがある。
「かんまえた〜かんまえた〜 処世界さんの童子、処世界さんの童子、○丸、仲間 △丸!」というふうに。
これは処世界さんなので最後の11本目の呼び出し。かんまえた〜のところは収録できず。
(処世界さんは他の練行衆の上堂をみまもり、最後に改めて上堂するので、12日のみ松明は11本となる)
久々に見る籠松明はやはり迫力が違って、落ちてくる火の粉の大きさも半端ではない。ビニールのレインコートを被っていたがあちこち穴があく。ふと上を向いた顔にも落ちてきて、あち!とちょっとだけ火傷した。
日ごろのコロナ騒ぎで閉塞感のあった日々も、この火を見るとアドレナリン分泌が高まって解放される気がする。そして思い切り手をあわせたくなる。これは祈りだ。
次々と上がってくる籠松明
籠松明
怒濤のように。
この回廊はかなり長い。あの重い松明を慎重に慎重に。
お堂の角で松明を突き出す堂童子さん
今年の私的ベストショット!
そして11人練行衆上堂が終わり、初夜の行が始まる。
お松明が終わり静けさをとりもどした二月堂。正面になる西の局へ移動する。この日ばかりは講ごとにすわる場所が決まっているのね。(一般参拝客は入れないが、夜中のお水取り、達陀のころにはすいてくるので入れるようだ)
これから深夜のお水取り、午前4時ごろの下堂まで見守るためにお籠もりをする。
(つづく)
二月堂に行く前に今回お世話いただいた百人講の詰め所に寄せてもらう。お水取り熱烈ファンの方々もいらして、熱く語り合ったのも楽しかった。
大中臣祓〜二月堂修二会 - 2020.03.01 Sun

二月堂の周りにはもう結界がはられていた。2月末日、翌日から修二会の本行が始まる日である。
本行に入る前日夕刻(18時〜)練行衆参籠所の前で行われる大中臣祓を一目見ようと。本格的な雨だし、ややこしいウイルス騒ぎだし、きっと人は少ないだろうと思って行ったら1時間前にはもうけっこうたくさんの人が待ってはった。
18時前、参籠所の前に祓に使われる松明が用意される。
大中臣祓は本行前に練行衆のうち密教的儀式を司る咒師が場と練行衆を清める行事である。
もともと中臣祓は神道からきているのだが、陰陽道や仏教にとりこまれてきた歴史があるそうだ。
「お祓いにござろう お祓いにござろう」の呼び出しで参籠所の門が開く。
この日の午後、別火坊を出て参籠所入りした練行衆の方々だ。
全員、北の回廊(細殿)下にならんでうずくまる。
咒師のお出ましを待つ火
咒師が蹲踞すると小綱(堂童子・駆士とともに参籠三役の一)が松明をかかげ、、、
火をつける
咒師が本尊を勧請
ここで普段僧侶が右肩を出す形にかける袈裟(黒い紐状の簡略化された袈裟)を左肩を出す形に掛け替える。仏教の修法から神道の作法に変わるため、と言われる。そして襟元にさした幣をとりだす。
中臣祓を黙誦(声はださない)
中臣祓は祝詞である。
祓戸ノ八百万ノ神達ノ広前ニ練行ノ諸衆、カシコミカシコミ申サク、、、
、、、、、、、、、如意宝珠ノ珠ノ御簾ヲトメテ聞コシ召セト申ス
他の練行衆も蹲踞のまま数珠を手に祈る
祓の儀式
大中臣祓は別名天狗寄せともいわれる。春になって騒ぎ出し悪さをする天狗を集めて、まとめて祓ってしまおうという。
そういえば本行の下堂の時に「手水手水〜!」とさけびながら回廊を走って下るのは、練行衆が留守の間、天狗が悪さしないように「手洗いだけだからすぐ帰ってくるぞ!」という意味。二月堂のあたりよっぽど天狗が多いのか(^_^;
場も祓い
練行衆も祓いを受け、
そしてみんな参籠所へ帰って行った。
この日の深夜からいよいよ行は始まる。
静けさと人気のなさを取りもどした二月堂に上がって見る。
こんなご時世にこそ、祈りは必要なのかも知れない。(祈りだけでは足りないとしても)
大中臣祓をもって、参籠所の前にも結界がはられ、本行の場の結界は完結する。
これに先立つ21日の注連縄撒きに来年は行きたいなあ。
練行衆として出仕しはる塔頭の玄関にはその注連縄がかかる。
ご無事の満行を祈る。
油はかり〜東大寺修二会・百人講 - 2020.02.21 Fri
早朝の浮雲遊園、例のウイルス騒ぎで観光客がほとんどいないのだが、いいんだか悪いんだか。
山焼を終えた若草山を望みつつ目指すは二月堂。
まもなく修二会を迎える二月堂、この時間(といっても午前9時前)観光客の姿はない。
けれど18日は観音様の縁日なので、十一面観音をご本尊とする二月堂では法会が行われていて、中から読経の声、雅楽の音が聞こえ、外の局では意外と多くの方が参拝されていた。
東大寺修二会に、色々な方面でご奉仕する講を圓玄講社といい、現在は約30講くらいあるそうだが、がそのうちの一つが百人講である。修二会の行法の間、観音様に捧げるお灯明の油を献じるお役目を代々(少なくとも200年以上)になっておられる。その行法中に使われる油を量るのが油はかりである。(油はかつて貴重なものだったので多くても少なくてもいけなかった)
先だってその油はかりについて、それをになっている方からお話しを聞くことができた。ならば実際にそれを見なくてはならんだろう、と午前10時開始の1時間前にやってきたのだ。
油はかりが行われる南の出仕口
おや、あそこに並んでいるのは、、、、
すでに運び込まれている灯明油
今では愛知の岡崎のここだけが作っていて、東大寺、伊勢神宮、宮中祭祀にしかつかわれないという製法は企業秘密の油である。
午前10時、百人講の代表の方が箱を持って南の石段を上がってこられる。せんだってお話しを聞いた方もおられた。
油はかりの道具一式がおさまる箱を抱えて。
この時間になると、オブザーバーがあっというまに増えたが、例年に比べるとずいぶん少ないそうである。
南出仕口で、まずは油で床を汚さないように養生
この道具箱は数年前に新調されたもので、当時の別当・狭川普門師の文字だと聞いた。
そしてこれが油を量る桶、年季が入っている。
これが油を量る目盛りである。
今年は法要が長引いたようだが、やがて出仕口が堂童子によって開けられた。
奥では修二会全体の進行を司る練行衆の一役、堂司(どうつかさ)と、1年目の新人練行衆・処世界が見守る。
こんな感じで油を何回かに分けて量る。
遠目にも透明な油
これを二月堂常什の油壺に移していくのだが、壺は全部で3つ、それぞれ一斗(18L)、一斗二升、一斗三升入れるのである。
入れ終えると堂童子が蓋をして、、、
こよりで封印
二月堂の中へ運び入れる。
そして次の壺が運び出され、これが3回くりかえされる。
3つの壺に油が入り、お堂に運び込まれるとまた静かに扉はしまるのであった。
現代の生活から考えると、メスシリンダーとか使ってほいほい入れたらいいじゃない、、、ってところを伝統的な方法に則り行われるのがゆかしいし、心惹かれるのだろうなあ。
北の回廊下にはお松明の竹が既に運び込まれていた。この竹を運び込んで寄進するのも講(山城)の役割である。こうしてずっと庶民の信仰によって支えられ続けた途切れることない「不退の行法」も今年で1269回目を迎えるそうだ。
ややこしいウイルスに邪魔されないで、どうか無事に今年もおえられますように。
百人講(油量り)〜修二会を支える講の一つ - 2020.01.29 Wed
あっというまに今年も東大寺修二会が近づいてきて、修二会カテゴリーを立ち上げる季節になった。
10年以上前の雑誌「ならら」のお水取りシリーズを見ていて、あ、これ興味あるけどたどりついてないな、と思ったのが修二会を裏方で支える講社の件である。
修二会の間、裏参道を歩くと○○講社宿泊所、△△講社宿泊所、、、と張り紙がしてあるので、興味は惹かれていた。
信仰心に基づいて寄り合い、ご奉仕する、という講(講社)の中でも二月堂にかかわる講を「圓玄講社」といい、かつて奈良にとどまらず近畿一円に50〜60くらいあったそうだ。そのうち消滅したり、新たにできたり、で現在は30前後あるらしい。
山城のお松明の竹を送る講、信楽の松明をしばるクツワ蔓を送る講、伊賀の達陀松明を調進する講、お水取りの警護に当たる河内永久社、などなど、、、それに去年初めて参加した満行翌朝の達陀帽戴きを担当するのも講(朝参り講)の方だったとは!
(また新しい修二会に関する鉱脈をみつけちゃった〜♪)

その他近畿一円にある講のうち、行中用いられる灯明油を寄進するのが百人講とよばれる奈良の講社。ちなみにこの写真は2009年の「ならら」の、百人講による油量りの様子である。
ありがたいことに、その百人講の方にお話しを聞く機会があった。
これがその修二会の間、十一面観音様に捧げられる灯明の油である。原料は植物性で菜種、綿実、椿などらしいが、製法は秘伝で、現在は愛知県の岡崎で作られているという。二月堂、伊勢神宮、宮中祭祀のみに使われる貴重な油だそうだ。煤の出にくい調合とは言うが、一晩お堂に籠もったら、マスクは真っ黒になったもんだ。
修二会に先立つ2月18日(毎月18日は観音様の縁日)、二月堂ではこの油を三つの甕にきっちりはかって入れる油量りという行事がある。百人講の代表の方が堂司などの監視の下、木の目盛りを使って一斗(約18L)、一斗二升、一斗三升といれわける。油はかつて貴重品でもあり、信仰篤い庶民の浄財でまかなわれたため、無駄が出ないように量った名残。
灯芯は、短檠を扱う茶人ならお馴染みの藺草の芯でできたもの。
百人講は現在は木津川ぞい(菜種の産地)に約300人弱いらっしゃるそうだ。お話しをしてくださった方は、かつて代々油を東大寺におさめたお家で、少なくとも280年以上の歴史があるらしい。江戸時代以降は記録もないではないが、それ以前のことは不明で、もしかしたら鎌倉以前からの歴史があるやもしれぬ。畏るべし、古都奈良!
油量りの日はかつては興味を示す人も少なくて、重い油缶を楽々お堂まで運べたそうだが、昨今すごい見物客で、通る道も塞がれる状態だそうだ。そうそう、昔は12日の大松明の日でさえ、お堂の真下で見ることができたものだ。
修二会の行の始まる前にすべての行中の灯明のもととなる一徳火が切り出されるが、ここでは一足早くライターが種火ではあるが(^_^;火をつけてみた。なにやら尊い。
こうして講の下支えなくば修二会は遂行できず、東大寺もお世話になってるわけだが、それに対して東大寺では各講に出向いて法要を行ったり、塔頭を宿舎として提供したりしている。そんな信仰に基づく密接な関係がこんなに長い間続いてきたことは奇跡としかいいようがないと思うのだが。だからこんなにもこの行に惹かれる人が多いのではないかしら。