復興・我谷盆に魅せられて - 2021.02.12 Fri
我谷盆をごぞんじでしょうか。
私は最初その漢字が読めなかった。「わがたぼん」と読みます。最近ではだんだん知名度もあがって、お茶をする人の必須アイテムの一つになりつつある、、、と勝手に思っています。

かく言う私もいくつかそろえています。右上の黒っぽいのは行李蓋のサイズに注文して作ってもらった煙草盆であります。
我谷盆は栗の木の一枚板をノミで平行に刳って刳ってできる盆で、加賀の山中のはずれの我谷村の生まれです。村の生業は林業、炭焼きが主なもので、雪深い冬の間、日々の暮らしのために端材を利用して作られたのが我谷盆でした。主に自家用であったのでそれほど量産されることなく衰退、さらに1959年、県営我谷ダムの底に村が沈んでしまったため、完全に消滅した工芸でありました。
その消えた我谷盆に光をあてたのが、かの黒田辰秋だったのです。
「村が水底に姿をかくすのと引更えのように伝統の生命を継いで、新しい栗の木作りの盆の数々が生まれてくる。北陸路の人や文化のそれの如く、口数少なくコツコツと厳しい毎日に立ち向かってゆく。人々の日々のくらしに仕えようとして、それが我谷盆の面目である。」(「我谷盆賛」黒田辰秋)
この話をもちかけられたのが加賀の木工家・林竜人氏(〜平成3年)で、彼の努力で我谷盆は復興するのです。
それから我谷盆復興の種はあちこちで芽吹きましたが、私が我谷盆を知ったのは、数年前のこと、下鴨の川口美術で個展+我谷盆ワークショップを開いていた森口信一さん(長岡京市)を通じてでした。一度それを見て、このざっくりとした素朴な、それでいて緻密さも感じさせる盆の魅力にとりつかれたのです。わび茶の道具にこれほど合う盆があるだろうか。
あちこちで彼の展示を拝見しに行き、お話しもお聞きすることができました。(WSもちょっとだけ参加(^_^;) 彼は黒田辰秋のご子息のお弟子さんであったのですが、20年ほど前から本格的に我谷盆の研究を始め、現在我谷盆の第一人者とよんでいいのではないでしょうか。
端整すぎる我谷盆も作品としてはあるのですが、私は彫ったあと木材がゆがんできて入ったひびを鎹でエイヤっと留めているようなものが好き。まさに民藝の精神であるところの健康的な用の美であるところが魅力なのではないかと思います。
森口さんは、後継者を育てることにも力をそそいでおられ、我谷盆のふるさと山中、旧我谷村の隣の旧風谷町に、我谷盆木工塾風谷アトリエを創立、塾生達に技術を教えられています。
昨年末、川口美術でその工房の塾生たちの作品展がおこなわれました。師匠の森口さんも在廊されていました。そして、、、「もし売れんかったらワシが買おうと思っとった。」とおっしゃる塾生さんの作品、家に連れて帰りました(^∇^)(川地遙さんという木工漆芸の作家さんの作品)
木を楔で割ったときの割れ目そのままのざっくりさ、本来はくっきりした彫り目を、ワザと彫った後彫りつぶしたという独特のテイスト、ウインドウに飾られているのを遠くから見ただけで、これ欲しい!と思った物なのでした。それはどこか大好きな李朝の家具に通じる物があるような気がするのです。