祇園祭2022〜後祭り山鉾巡行点描〜鷹山を中心に - 2022.07.26 Tue
後祭り巡行の朝、新町御池を下がって急ぎ足

おや、もう鷹山は船出の準備ができている。9:30烏丸御池集合なので、その前に難関の三条新町の辻回しがあるから早めのスタンバイ。
引き綱がくりだされ、
囃子方も屋根の上の大工方も準備OK
屋根はまだ白木であまり装飾がないが、毎年少しずつ装飾品など追加していかれるのだろう。8年前に復活を果たした大舩鉾がそうであるように。
196年ぶりの出発とあって、綱のあちこちに清めの塩を撒く。
まずは三条通を東に最初の第一声
まるで儀式みたいで厳粛な気持ちになる。
鷹山が動き出す。
関係者の方々が復活を計画してから紆余曲折、何年も前から居祭り〜囃子方結成、唐櫃巡行、コロナで延期、、、、などあってようやく晴れの舞台を迎える。多くの保存会の人たちは感無量であろう。きっと数年後にはもうずっと以前からありました〜と言う感じで存在感をしめすのだろうな。
鷹遣い、犬遣いは前に、樽負いさんだけ後ろにちょこんと乗っているのがかわいい。
さて、この鷹山、車輪は舩鉾、その他菊水や放下などから譲り受けた資材の寄せ集め、はたしてちゃんと最難関といわれる細い道の辻回しができるのだろうか。
(鷹山の前を通る南観音山)
一度東へいって、新町通りを八幡山、北観音山、南観音山が北上していくのを見送り、西へ、最初の辻回しに向かう。どきどきしながら見守る。
一目見ようとすごい人だかり、警備の警察官はたおれるかもしれませんから((゚Д゚))さがってくださ〜い!と叫ぶ。
数回にわけて無事回った!
思わず拍手が沸き起こる。まだまだ何回も辻回しは必要だがとりあえずOK
しかしかなり時間が遅れ、後ろで待機させられていた大舩鉾にあおられたとかなかったとか(^_^;
9時半烏丸御池を出発予定が30分は遅れたと思う。
しかし、大舩鉾、やっぱりかっこいいな。
御池通へ行くため、西洞院を北上していたら、東西の道で新町通を行く大舩鉾が見えた。うわ〜!やっぱりかっこいい!まさに大海を行く大船だ!
鷹山の音頭取りさんは交代制なので休憩中の組、江戸なら鯔背というところ、関西ではなんというのだろうか。
しばらく広い御池通で各山鉾を鑑賞した後、
四条のフェで涼みながら(^_^;タイミングを計るという技も開発して、西へ帰るトップの北観音山が見えたら、、、
新町にもどり、鉾のお帰りを待つことにした。
室町通りでは高張り提灯ははやくもとりはずされていたが、新町では山鉾が帰るルートなのでまだ掲げられている。この景色も見納めだ。
まずは八幡山が帰ってきて、、、
かなり遅れて鷹山
巡行のペースとしては予定より2時間遅れであった。
この日も35度越えの暑い日でみなさんちょっとお疲れ、お疲れ様でした〜!!
あと少し、最後の辻回しを終えて鉾町に帰ることができる。
がんばれ〜!みんな拍手でお迎え。
吉田家の前を通り過ぎる。
吉田孝二郎先生は今年は巡行に参加されず、お家でお見送り出迎えされていた。
新町を最後の辻回しにむかう鷹山を見送ったあと、このところ毎年私的に恒例となっている北観音山の帰艦を待つ。
吉田家の前を通り過ぎ、あと一息、お囃子の拍子が早くなる。
帰り着いた後は、関係者、観客みんなで一斉に三三手拍子、最後は一本締めのお約束。
そしてお待ちかねの、洛中を回った北観音山の柳を切ってもらう。50cmくらい切っては周りの人に授与、要領わかってきたので、一番に手をだす。
なんと柳の実のついたやつをゲット。
洛中の厄をはらった柳だからもらわん方がええという人もいるが、それにも負けないしなやかな柳は強いと思うの。
すでに帰還した南観音山を見て、四条通を唯一南へ帰る大舩鉾の後ろ姿を見送り、これにて巡行は無事終了したのである。
3年ぶりに見ることができてとてもうれしい。どうも7月山鉾巡行がなくては京都の夏って気がしなかった。
来年は曜日巡りで仕事のため見られそうもないので今年しっかり目に焼き付けた。
お酒のあてに一品ずつ頼んでいくスタイルだが、いずれも美味しかった。中でもこのトマトのおひたし、美味❤️
祇園祭2022〜後祭宵山点描 - 2022.07.23 Sat
宵山はやはり後祭である。
夜店もでない。路上に座り込んで飲食するやからもいない。ゆっくりと風情を楽しめる。しかしながら23日は大勢の人出はあるだろうから、初日の21日に鉾町へでかけた。

まだ宵というには明るかったが、駒形提灯に灯りがはいる。
南観音山では真松立ての前に見られなかった真松にとまる白鳩をさがす。
いた!
しかしお尻の方からちらっとしか見えない(^_^;
北観音山の吉田家ではいよいよ最大の屏風祭りがはじまった。
吉田塾(休止中)に参加していた頃はこの二階から曳き初めを見たし、
ミセの間のこの座敷から外を眺めることもできたが、コロナでそれもできなくなってしまった。
ほんとうはここで宵のおよばれしたかったのだが。
レアものの(一般販売されない)北観音山粽もゲットする予定だったのになあ、、、
そうこうするうちにあたりは暗くなって、雰囲気は盛り上がる。この周辺ではかならずだれぞ祇園祭友?に出会う。これもまた愉しみ。1年に一度の人もあり。
お囃子も始まった。
南・北観音山の大きな山鉾を見た後、小さな山を訪ねる。
北観音山の北の八幡山にて
高張り提灯の具合を見る鉾町の方
屏風祭りに思い思いに足を止める人
前祭りの喧噪がウソのような静かな宵山である。
三条通では今年の話題をさらう、196年ぶりの復活なった鷹山
真松にとまった雉をキャッチしたが、、、なんか変な色〜と思っているとなんでも先日の雨で彩色が流れて半分白雉になったとか(゚Д゚) なんで水性絵の具を使ったのかな〜???
お囃子だけはここ数年前から、あちこちで囃子方さんが囃子をご披露していたからもうおなじみである。コロナ前の会所の前でもよくされていたし、鷹山の手ぬぐいももとめた。今年は粽を、、、と思ったらすでに宵山初日で完売とな!
21日はまだ人形達は飾られていなかったので、次の日行って撮ったもの。1826年災害で大破したのち、しばらく居飾りされていたが幕末に火災にあい、首と手だけ焼け残ったのを後補したもの。
左:鷹使い 在原行平が光孝天皇芹川野行幸時供奉した時の姿とも(「伊勢物語」に逸話あり)
中:指樽(さしたる)を背負った樽負い(粽を持っているのがなんだか滑稽)
右:犬遣い
いよいよ暗くなって、高張り提灯と駒形提灯がくっきり浮かび上がり、異世界へ引き込まれそうな雰囲気。これ、好き。
役行者山では恒例の茅の輪くぐり
今年会所を新しくしはって、すごく入りやすく見やすくなった。
3年ぶりの役行者腰掛け石
肩こりに御利益があるとかでいつもなでなでする。
黒主山のご町内、誉田屋さんの恒例鯉の垂れ幕(キーヤンこと木村英輝画伯)、これも3年ぶりに見た。
逸話や伝承ではなぜか悪者にされる大伴黒主をご神体とする黒主山
ここまでくるとぐっと人が少なくなって、より風情が増す浄妙山
「悪しゅう候 御免そうらえ」(宇治川の合戦)の浄妙と一来法師(どちらも討ち死になんだけどね)
残念ながら今年はご神体の会所飾りはないそうだ。
後祭りの時に店をださはる、大徳寺そばのつまみ細工・おはりばこさん。3年前つまみ細工のブローチ買ったなあ。で今年も年齢相応の(^_^;地味〜なピンを。
例年なら♪ろうそく一本献じられましょうの歌の子供達や粽など売るスペースが、がらんとして寂しい鯉山。
いや、久しぶりに再会できたわ、でっかい鯉さん。
あら、松井酒造さんの提灯が、、、と思ったらかたわらでお酒販売中、ちょっと買おうかな、と思いましたがさすがに酒瓶は重いので断念。
橋弁慶山で弁慶と牛若丸を見た後、四条通を南下。
大舩鉾へ。
この鉾が復活したときもすごく話題になったがもう8年も前。
今年は竜頭なんだね(大金幣と交替)。これも最初の頃は金箔貼られてなくて生地だった。
人が少ない今のうちに、と鉾にのせてもらうことに。
会所飾りでは第一水引が目を引く。江戸時代のものを写して新調した物で赤の地に金のコマ留め刺繍、この寸足らずの龍?と思ったのは応龍という想像上の魚なのだそうだ。
今年さらに増えた装備として、上村淳之画伯の天井絵。少しずつ充実して行くね。
鉾の上から見る竜頭の裏側。
囃子方の席、、、と思って見ていたら囃子方さんが乗る時間になって、ぎりぎりセーフで搭乗できたようだ。
ここからはじまる大舩鉾のお囃子を聴き、ひさびさにここで♪ろうそく一本〜の子供達の歌を聴いた。
後祭りの山全部訪ねたなあ、、、と満足していたら、、、あ、鈴鹿山忘れた(^_^;
また23日に。
御旅所でお休み中の八坂の神様方にご挨拶して帰る。無言参りはようせんわ(^_^;
帰宅して今年ゲットした粽コレクションを眺める。綾傘鉾のはすでに玄関に飾っているが、大舩鉾の以外は全部拝領品。ありがたい。
祇園祭2022〜後祭真松立て・新町通り - 2022.07.22 Fri
洪水警報がスマホに鳴り止まない大雨の日、まさかこんな日には作業はしないのでわ??と思った私は浅はかでした。

新町通を四条から北上すればまず南観音山の作業が!ブルーシートを吹き飛ばされそうになりながらもミッション完遂中ではないか!すごいわ。(こんな日に出かけるアンタもアンタだが)
南観音山ではまだ縄がらみの最中、まだ真松はたちそうにない。
作業に余念の無い手伝方(てったいかた)さん。
高張提灯がならぶ通りにブルーシートがそこだけ怪獣みたいだ。
北観音山も真松はまだ横になったまま。
この嵐の中でも松を選ぶくじ引きはちゃんとおこなわれたそうだ。今年は南が先に松を選んだとか。
北観音山のご町内、祇園祭はこの人なくしては!の吉田孝次郎先生のお宅でもある吉田家住宅、屏風飾りの準備はすませたそうだが、松が立ってからのお披露目とか。
北観音山の真松接合部の作業、法被の背中の「祇園守り」がかっこいい。
北観音山の真松には尾長鳥をつける。南観音山では白鳩だ。長年間違ってあべこべになっていたのを(北が白鳩、南が尾長)2014年、元の形にもどしたのだそうだ。意味は不明ながら、とりあえず巡行の無事を見守る、、、ということか。
この尾長は昨年真松が立ったとき下を向いてしまった、、とのことで今年は慎重に作業されていた
ちなみにこの尾長と鳩は山鉾のミニチュアにもちゃんとのせられている。
さあ、北観音山、いよいよ真松を差し込む。
輈にかけた綱をひっぱる面々
ブルーシート込みで立つ真松
毎年これにはどきどきする。もう何年見続けているだろう。コロナの時にはとぎれたが、昨年は頑張って立てはった。
南は?と見るとすでに一足お先に立っていた。あら、見損ねた。近年ホテルが建って、その前は立ち止まらないようにいわれるので、すごく不満。(後からきたくせに〜)
今年はあばれ観音でるのかな。
新町を三条で東に向くと、三条通に唯一立つ鷹山、今年196年ぶりの巡行復活に沸くおそらく今年の後祭りで最大の目玉である。
真松立てはすでに終わっていて、その姿を私は初めて見た。
この山の真松には雉がのっているのだそうだ。後日望遠カメラで確認しよう。この雉も意味不明ながら江戸時代の祭礼図に描かれているためのせたそうだ。
囃子方も乗るのでりっぱな屋根や欄干がついているなあ。
ここでちょっと珍しい物を見た。
ある意味鷹山の曳き(押し)初め??(^_^;
ほんとの曳き初めはこの次の日で、仕事でいけなかったんだよねえ。残念。大舩鉾の時は行けたのに。
帰りに四条より南の新町の大舩鉾を見て帰る。復活したのは8年前、ちょっと興奮した事件?だった。いまやもうずっとここにあるような錯覚さえ起こさせる存在感である。これも巡行の日が楽しみだ。
祇園祭2022〜前祭山鉾巡行の日・山鉾町点描 - 2022.07.19 Tue
前祭3年ぶりの山鉾巡行の朝、綾傘鉾のお手伝いにこの日も早朝から鉾町出勤(^_^;

鶏鉾さんでも巡行の準備に余念が無い。前夜どちらも遅くまで宵山〜後片付けとお忙しかったことだろうに。観客の方は観客で朝6時頃から場所取りをしている人も少なからずおられる。
綾傘鉾でも傘を広げて準備中、保存会の若い青年部の人たちがどんどん力仕事もこなしていく。
前日後援会席だったガレージの奥で、早速山の曳き手さんや白丁さん(お稚児さんに赤い傘をさしかける)の着付けが始まる。
みなさん学生ボランティアなので、浴衣を着たこともなかったり、ましてや足袋なんか履いたことない、という若い人ばかり。特に地下足袋はコハゼが10個くらいついていて、こちらもとめるのに難儀する。(若い人へ:足袋のコハゼは下からとめようね)
帯はきりっと腰骨よりかなり下に締める。
時々観光着付けで男性が帯をウエストにしめて○カボンみたいになっているのをたまに見かけるが、腰骨のかなり下よ、下!この方がかっこいい。
曳き手さんの完成形はこちら。
白丁さんのはこちら。
広げた赤い傘の下にお稚児さんが二人ずつ6人、裃を着たお父さんに手を引かれて巡行する。
裃の着付けはベテランさんのお仕事。私はまだこの裃の仕組みがわかっていない。
化粧、着付けのおわったお稚児さんも並ぶ。
ここでお手伝い一段落したので他の鉾町の出発前の情景のコレクションに。(なんで一眼レフ忘れちゃったんだろう、、、、(T-T) 画像いまいちだが全部スマホにて撮影)
先ほどの鶏鉾も曳き手さんの準備整う。
蟷螂山が西洞院から四条通へすでにでてきている。裃の色がおしゃれだ。
中で蟷螂を操る係の人が予行演習中、こちらに首をくりっと向けたカマキリかわいい。この山は私が大学生時代に復興された山。
裃の背中にいれるのは団扇あり、ここみたいに榊あり、粽あり、で後ろ姿がとにかくかっこいい。日本人男性は裃で男前度がかなり上がる。民族衣装ってそういうもの。
舩鉾も出港準備完了のようだ。
杉本家住宅の前の伯牙山
表家作りの大きな町家の背景がよく似合う。お囃子もなく派手な演出もないが、かえって山を大切にされる山鉾町の風情があって、とても好きだ。
町内の少年たちが大人に交じって巡行ではがんばるが、出発前はまだ年齢相当に少年の顔をしている。
つづいて芦刈山の出発。
それをお見送りする町内のお年寄り、この風情こそ祇園祭だ、と私は思うのだが。
そして14日お座敷でよばれた秦家さんとこの前から太子山。
山鉾の西の端、南の端、ゆったりしていて、ここの風情もとても好き。
10年ほど前、知人が相談されて復興にいたった担い茶屋も出動。巡行中あちこちでお茶を振る舞う。
ご真木の杉(ここのみ松ではない)は電線とか邪魔になるものがあるときはパタンと折りたためるようになっている。(四条通の信号機もそうだね)
山が出発したあとの杉本家、ちょうど遅れていかれる役員さんがでてきはったので絵になるショットが撮れた。(返す返すも一眼レフでないのが残念!)
新町通最南端にある岩戸山も四条通にむけて出動。
山という名はつけど、立派な鉾である。
専属カメラマンがまたお知り合いでご挨拶を。
曳き手さんの衣装も鉾町それぞれ意匠をこらす。
四条通に出た舩鉾の辻回し。
この狭い新町の辻回しこそ面白い。多くの観光客は御池とか河原町あたりの広いところを見はるけど。
さて、ここでまたお手伝いに中座、午後2時ごろ、四条通りに帰ってきた先頭の長刀鉾を確認してから、また各山鉾の帰還を追いかける。
西洞院の蟷螂山はすでにご帰還。
新町通、北観音山、南観音山の鉾町を南下してくる菊水鉾
舩鉾の帰還ならぬご帰艦である。
長い航路を終えて今港に着く。大勢の人に拍手で出迎えられて。
新町通り綾傘通過と聞いてあわててもどるとすでに帰り着いていて、大原神社で最後の棒振りおどり奉納中であった。
巡行を歩き通したお稚児さんもお疲れ様!ほっとしたお顔。
お隣の鶏鉾さんも最後のお囃子。
ピーッという最後の笛の音で拍手。
洛中の厄を祓った山鉾はただちに解体にはいる。
曳き手さんから白丁さんから、奪うように衣装を脱がせて汗を飛ばすため大型扇風機にかける。我々の仕事はこれでおわりだが、綾傘の解体〜神泉苑倉庫への運搬、後援会座席の解体、着付けのための畳や茣蓙の撤収から大道具級の仕事がたくさんあって、ほんとうにご苦労様なのである。心でエールを送るくらいしかできないけれど。
白丁さんが持っていた赤い傘もこのように毎年アーティスティックに干されるよし。ただ綾小路はもう車両通行が再開するのでちょっと大変。
帰る道すがらの地下鉄の駅では、これから神幸祭へ向かう輿丁さんの姿もちらほら。これは西御座の錦やね。がんばって〜。今年はコロナゆえ、御旅所直行直帰と経路はすごく短いのだが、それでも神輿は八坂さんから出座される。さすがに今年はくたびれて、追い回しあきらめたが、無事を祈る!
そして来週からはいよいよ後祭りがはじまる!
祇園祭2022〜前祭宵山点描 - 2022.07.18 Mon

今年は14日からすでに宵山気分であった。粽売りなどのお手伝いもしながら愉しむ宵山の鉾町点描。(粽買いに、顔を見に、きてくださった方々に感謝)
3年ぶりの菊水鉾茶席、今年はコロナゆえ前売りだけで当日券無しであきらめていたが、お茶友さんより茶券を拝領、ありがたし。
恒例の「したたり」をいただき、今年の菊花皿を持ち帰る。今年は淡い黄色だな。大分たまってきたよ。
この日のご担当は遠州流、お点前さんに知り合いがいてなんだかうれしい。
こちら月鉾さんの粽、茶席券で拝領(手違い?で2本(*^_^*)。
こちら岩戸山の子供神楽
前日は観世流・林宗一郎さんの神遊びもあったのかな、行けなかったが。ちなみに岩戸山は天の岩戸神話がテーマなので、お神楽(天鈿女命のエロチックなやつ(^_^;オリジナル)をするのだよ。
子供達がこういう伝統行事を継承しているあたり、さすが京都だなと思う。
岩戸山恒例の「食べられる粽」(木乃婦さん製)の販売は今年はなし。ここでも The Terminal Kyotoでお手伝い中のお若いお茶友さんに邂逅。あの人混みで会えるとは!
烏丸通りの祇園祭の時(15日〜24日)だけ開く御手洗井も今年久々に開放。
ご神水をいただく。八坂さんの御旅所は歴史的に転々としてきたが、ここも信長に移転させられた御旅所の跡という。
夕方、ボランティアの学生さんの浴衣着付けを手伝わせてもらった。人に着せるのは自分で着るより難しいが、色々コツをおそわって、てばやくきれいにできるようになったと自画自賛、半幅帯の結び方も勉強になった。(3日間で20人近く着付けたのではなかろうか)
完成形がこちら
綾傘鉾の会所になっている大原神社は普段は閉鎖されているが宵山のあいだはお参りされる方で賑わう。お祓いをしてくれる巫女さんの(学生ボランティア)着付けもおもしろかった。
夕刻は人混みでごったがえす四条通を避けて、主に西の小さな通りにある鉾の駒形提灯を愉しむ。
まだかろうじて残る表家造りの町家の前のは風情がことさらだ。
宵山の夕べはふけていく。