宗像大社中津宮〜玄界灘越えて - 2023.05.07 Sun
唐津の茶会の後はふたたび博多に戻りここから30分ほどJRに乗って世界遺産に登録された記憶もまだ新しい宗像大社を目指す。本来なら本土にある辺津宮(一番大きい)を目指すべきだが、ここは行きにくい中津宮へ先に行くべきか、直前まで悩む。なにしろ本日中に京都へ帰らんならんので時間的に選択肢は一つ。

結局JR東郷駅からタクシーで神湊まで来てしまった。本数の少ないフェリーの時間がなんとか間に合う、、というので決めた。途中辺津宮の大きな鎮守の森山を横目でスルーしながら、それこそ遙拝のみにてごめんなさい。
船で玄界灘を渡る。このように水平線が見えるのは瀬戸内育ちの身には珍しく、うれしい景色なのだが、、、、
さすが音に聞く玄界灘〜!!
揺れる揺れる、船上でまっすぐ歩けないほど、途中で船酔い?
30分ほどで到着するも、たどりついた大島の大きさに自分の誤算に気づく。なんとなく歩いて回れる小さな島だと思っていたのに、、、レンタサイクルでゆっくり回って3時間!とか、、、、(思いつきで来て事前情報収集を怠るとこうなる)
ここは人口700余人の集落まである島なのだ。一番行きたかった沖津宮遙拝所まで片道25分、帰りのフェリーの時間を考えると許された島滞在時間は20分!(博多から2時間近くかけて来て、、、(^_^;)
よって駆け足で中津宮、これは5分ほどなのでセーフ。
宗像三女神の神話はあえてくわしく語ることはしないが、記紀(古事記・日本書紀)の時代の天照大神と素戔嗚尊の誓約の神話に由来する。剣から生まれた天照大神の娘三人を祀る。
天照大神は三人の女神に「汝三神道の中に降りて居して天孫を助け奉りて、天孫の為に祭られよ」と命じ、この地に降臨、以来神話時代から近世に至るまで、天皇家との関係が深く、かなり大がかりな国家祭祀がおこなわれてきた。
もとは玄界灘の海運を守る神でもあったという。(玄界灘渡って納得、命がけだわありゃ)
長女の田心(たごり)姫神は沖津宮へ
この沖津宮はこの大島より遙か北にある小島で、島全体が国の天然記念物、女人禁制、一草一石ですら持ち出し禁止、神職のみ渡島可能、という神秘的で神聖な島なのだそうだ。
一般の参拝者はこの大島の遙拝所から参拝するのみである。(沖津宮の御朱印は中津宮でのみもらえる)それでもはっきり沖津島が見える日は限られているようで、さらに神秘性が増すのである。
この中津宮へ入られたのは次女の湍津(たぎつ)姫神
そして三女の市杵島(いちきしま)姫命が本土の一番大きなお社の辺津宮へ。市杵島姫命は意外とポピュラーで、京都では松尾大社、広島の今年行ったところの厳島神社、などのこの姫神さまだ。
お社の千木(ちぎ)が横切り(内そぎ)になっているのは女神様の証。
ちなみに男神では縦切り(外そぎ)。
時間も時間とて、境内には他に誰もおらず、急ぎ足に境内内摂社を見て回る。屋根の意匠がそれぞれで面白い。神道的知識がもっとあったらもっと面白いだろうが。
ちなみにこの地をおさめた宗像氏は天武天皇へ妃も出しており、その子供が高市皇子(天武・持統時代皇族臣下筆頭の実力者、その子が長屋王)であったとは!古代史は面白い。
もう神社も閉まる時間になって、神職さんがすでに御簾をまきあげて片付けてはった(^_^;
神社から鳥居の方をみると海になだれ込むような錯覚を覚える。今度はもっと時間配分して、ゆっくり大島巡りするのは宿題、あと、辺津宮へもお参りしないとね。
あとは駆け足で湊にもどる。
光る海風に、この地におわす宗像三女神の恩恵を祈りつつ大島をあとに急ぎ帰洛。
道真さま〜!、、雨の太宰府天満宮 - 2023.05.06 Sat
唐津の茶会の前日、どしゃぶりの雨であったが博多から、ウン十年ぶり(多分20代の頃が最後ではなかろうか)に太宰府へ行ってみた。

宝物館に入ったところで愛読書であるところの「応天の門」の作者、灰原薬先生の道真さまの絵がっ!萌え萌え〜。若き日の道真と検非違使時代の在原業平のバディが活躍する漫画で、三白眼で愛想のない道真君のなんと魅力的なこと。あの時代の背景(応天門の変に至るまでの時代)の勉強にもなる。
と、とりあえず興奮をおさめまして、まずは参道の風景から。まあ雨です。なので参拝客も多い、、とまでは行かないが日本人率低い。
参道にたくさんある梅ヶ枝餅の誘惑をふりきって、まずはお参り。(梅ヶ枝餅は博多駅内でも食べられるの知ってる)
♪ 心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で二つ目が今
三つ目の橋(未来)で君が転びそうになったとき、、、、
って歌いながら若き日の私はわたったっけ(^_^; さだまさしの「飛び梅」という歌ですよ。カップルの別れを予感させる歌でしたねえ。
しかし雨に濡れた緑の鮮やかさと朱色の橋のコントラストはほんまに美しいな。わびさびが好きな日本人だが、こういう色彩感覚も持っていたのだ。
太宰府天満宮、いわずとしれた菅原道真公をお祭りする神社、藤原氏の讒言にて都で上り詰めた地位を追われ太宰府に左遷され、この地でなくなった。通説では太宰府の暮らしは悲惨で寿命を縮めたといわれ、かわいそうな道真様、、、と思っていたが、この小説を読んで納得するところがあった。
澤田瞳子さんの「泣くな道真」とその続編「吼えろ道真」
太宰府に流され鬱屈していた道真であったが、ここは大陸の文物が活発に行き来する最前線、道真のような人の好奇心を刺激せずにはおられないはず。そして太宰府の一癖も二癖もある役人達に囲まれて、案外彼はここでの日々を楽しんでいたのではなかろうか。都から来た役人には逼塞していると見せかけてさらなる辺境へおいやられるのをみんなで防いだ、、というのが痛快な話であった。
これは道真が、山に登って自らの潔白を七日七晩、天に祈ったという故実に基づく姿の人形。博多に近いだけにやっぱり博多人形。
京都の北野天満宮にもたくさんの牛がいてるが、ここには100体以上もあるのだそうだ。道真の棺を引いた牛が歩かなくなった今の場所にこの天満宮は建てられたという。
美しい本殿
京都の北野天満宮の建物より平安の頃の建築に近い印象。重要文化財
その本殿の前にドーン!っと立つヘンテコな(失礼)建物は???と思ったら、今月からご本殿は改修工事にはいるため、その間の3年間の道真様の仮殿なんだそうだ。斬新すぎる。(藤本壮介建築設計事務所)
本殿を取り囲む回廊にも梅の紋。
本殿前の石の橋
これも雨に濡れて良い雰囲気だ。
これは厄晴れ瓢箪といって、中に願い事を描いて神棚に供え、厄が晴れたらここにつるすのだそうだ。
私はお賽銭の代わりに檜皮をお供えした。ご本殿が新しくなった後、またここに来るかどうかはわからんけどね。
境内には大きな樟の大木があちこちにあって、中には樹齢が1000年を超えるモノもあるという。まさに道真の時代を見てきた樟もあるやもしれぬなあ。
いつも清香殿や吹き寄せを取り寄せしているところの太宰府の有名な菓子屋さん、藤丸さんへせっかくだし、行ってみたら、、、、あら〜お休みでした。(GW中はずっとお休みなんだって。商売っ気がないわね(^_^;)