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2017-03

新春公演「竹生島」〜大津伝統芸能会館 - 2017.01.13 Fri

大津伝統芸能会館、もう3回目かな。今回は今年最初のおめでたい回なので「神様に出会うお正月」と銘打っての公演。



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まずは大津市歴史博物館館長の橋爪さんの「琵琶湖と竹生島」についてのお話し。

古来琵琶湖は「近つ淡海(あふみ)」と呼ばれていたのが、いつから「琵琶湖」とよばれるようになったのか、の考察がおもしろい。14世紀の文献には「湖の形は弁財天の持つ琵琶の形をしている。」という記載があり、1500年代の文献にはじめて「琵琶湖」という名称が見られるのだそうだ。

また竹生島にまつわる伝説や弁財天との関係についてもあれこれ。時間があればもっと聞きたかったな。

いつも巳年には茶の湯の道具に琵琶=弁財天の持ち物、がでるのはなぜかな、と思っていたが、八臂弁財天(腕が8本)の頭頂部に、体が蛇体の宇賀神さんをのせてるからなのか!(たぶん)と納得できた。



ついでめでたい神歌・素謡を観世能の重鎮・浦部好弘師で。

「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう、、、」

元旦、平安神宮で見られなかった式三番、ここで「翁」を聞くことができたのでうれしい。

   天下泰平、国土安穏、千秋萬歳の、、、、

いとどめでたし!めでたい!




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そして「竹生島」

シテ:味方玄師 (漁翁+龍神)  ツレ:浦部幸裕師  (女+弁財天)
明神の社人: 茂山茂師



ストーリーはきわめて単純。

延喜の帝(醍醐天皇)の臣下が竹生島へ詣でるべく鳰の浦に訪れ、とおりかかった釣舟(若い女と漁師の翁が乗る)にのせてもらう。(舟をあらわす作り物がごくシンプルな竹の輪っかを二つかさねたみたいな=舟の記号という感じでおもしろかった)
竹生島へ着くまで、地歌で春の琵琶湖の景色の美しさをうたう。
 
   所は海の上 国は近江の江に近き 山々の春なれや 花はさながら白雪の ふるか残るか時しらぬ

島に着くと臣下は「女人禁制の島になぜ女が上陸するのだ?」と聞くと、如来様の慈悲は広大無辺であり、また弁財天は女人である、天女であるから女人とて隔てることがないのだ、と翁は申し上げ、「我はこの海の主ぞ」と言い捨て海中に消え、また女も社殿に消える。

狂言師による間狂言。社人が島の宝物をあれこれ披露する。(狂言だけ、当時の口語)
(その間に舞台中央の、布の幕がかけられている社殿の作り物のなかで、女人役が着替えているのだ)



そうこうするうち、社殿の幕があけられ中から光輝く天冠をいただく弁財天が現れ、優美な舞を舞う。
(幕がなくなったので、やっと小鼓の曽和鼓堂さんのお姿が見えた(^^) )

突然月澄み渡る海面に波風鳴動して、龍神登場!勇壮な舞。
龍載の冠(冠の上に龍がのっかってる!この手のかぶりもの、大好き!!)、緋色の髪、面は黒髭というカッと目と口をひらいたやつ、手には打杖、衣裳もまた袴の部分は龍神の鱗紋、上半身は雷のような紋、いずれも金襴でまばゆい。

味方師、きれっきれの勇壮な舞で感激!(時間的に短いのが残念)ちょうど神様系の、成熟も現しつつ、勇壮な舞ができるご年齢なのだな。もう、今が旬って感じ。まさしく琵琶湖の水を蹴立てて水を渦巻かせ泡立たせ舞う龍神そのもであった。(これを見に来たようなもの)
師主催のテアトルノウで、最近は「善知鳥」とか「求塚」とか抑制された暗〜い演目が多かったので、久々に勇壮な舞を見ることができてよかった!

ひとしきり舞ったあとに、弁財天は社殿へ、龍神は「湖水を飛行して波を蹴立てて、大蛇の形に水を返し、」竜宮へ消えていった。


女人の舞のあと、勇壮な男神が舞うのは「賀茂」と同じパターン、二度おいしいってやつよね。
龍神が登場の最初に金銀珠玉を臣下に遣わす意味はなんだろうと、考えたが、人の世を統べる帝に捧げて天下国家の安寧を守りたまえ、という意味かしら。


いや、なんにせよめでたいめでたい!






ニッポン画山本太郎氏トーク+能と狂言@京町家〜大西常商店 - 2016.12.28 Wed

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河原町から松原通り。
四条より少し南になるので観光客はほとんど歩いていない、そして古い町並みがなんとか残っている通り。昔は祗園祭の山鉾はこの道を通ったそうだ。




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仏光寺の南のエリアで京都の伝統的産業や小売店(和蝋燭屋、簾屋、表具店などなど)の名残がかろうじて。
こういう古くて重厚な町家も散見できる。



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ここはもう店じまいしてはるみたいだが、隣の大きなビルのとなりで体を小さくこごめてかわいそう。



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表の赤青ポールが示すとおり、ここは祗園床という床屋さんだったようだ。




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その並びに立つ大きな表造の京町家は京扇の大西常商店さん。

昨年の祗園祭の時から常の会という主に能を中心としたイベントを楽しむ会を立ち上げられ、その当時からちょくちょくお邪魔させてもらっている。ちなみにお茶室もあるので、イベントにはかならず茶会もついてくるのがうれしい。





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このたびは「Merry! Merry! 和楽 @ 京町家」と銘打って、薩摩琵琶、ニッポン画の山本太郎氏のトーク、観世流シテ方田茂井さん(+味方團さん、河村浩太郎さん)の常連による能+狂言のもりだくさんのイベントが。


なにをおいても昨年細見美術館で見た琳派特別展の中の「ニッポン画」山本太郎さん、いっぺんでファンになってしまった彼のトークショウは行かねば行かねば。



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(その時画集買った!)



一番印象的だったのは「桜川隅田川」

謡曲の「桜川」と「隅田川」を左双、右双に描いた屏風なのだが、お能を知っている人にはクスリと笑えるエッセンスが盛りだくさん。

左双に桜川の主人公(娘が自ら親のため身売りし、そのため物狂いした母が、網で川に流れる桜の花びらをすくいとろうとする場面)が網ならぬ電気掃除機で水を吸い取っている絵。
右双に隅田川の主人公(子供を失って物狂いになった母が隅田川のほとりでその子がすでに亡くなっていることを知る)がスリングにキューピー人形をつっこんでいる絵。


で見られます)



他にも「弱法師(よろぼし)」や、「卒塔婆小町」をモチーフにした絵があり、きっとお能が好きな方なんだろうな、と思っていたら、なんと!京都造型大学在学中は能楽部だったんだそうな。そりゃくわしいはずだわ。田茂井さんともその時からのおつきあいだったとは。




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羽織姿で登場しはった山本さん、トークも軽妙でおもしろい。
ちなみに奥の鏡松は某能楽舞台の山本さんの下絵。

昨年の琳派400年、スーパーマリオ30年記念で描かれたマリオとルイジの風神雷神。もちろん俵屋宗達のものだが、後年尾形光琳、酒井抱一が写したのは昨年国博でならんで見たよね。ところが宗達以前に似たような絵やモデルがある、という話がとてもおもしろかった。

時間的・距離的にいって宗達が三十三間堂の風神雷神像(鎌倉時代・国宝)を参考にしたというのは有名なはなし。ところが北野天神縁起絵巻(鎌倉時代)にでてくる雷神のコミカルさが実に宗達のに似ている。しかし、だれでも見ることができた絵巻ではない。どうやって伝わったのか?

さらにもっと昔に風神雷神のルーツをさぐるとなんと6世紀、敦煌の莫高窟壁画に宗達の風神雷神にあまりに似ている風神雷神図があるのだと!ほんまそっくりやわ。しかし、当時の日本人が見ることは叶わなかったであろうし、いったいどうやって伝わってきたのか。個別にアイデアが天から降ってきたのかも知れないが、なんらかの形で日本のあの時代に伝わってきたと思った方がミステリアスでわくわくするではないか。時はまさに南蛮文化が押し寄せてきた怒濤の時代でもあったし。


それから数年前に絵本出版社とのコラボで作ったポスター兼初夢枕下の「年末年始の図」がおもしろかった。
サンタさんが大きな袋と一緒に鯛をかかえていたり(恵比寿か大黒か)トナカイと鶴がいっしょにとんでいたり、サンタのソリなのか宝船なのかわからない乗り物があったり、、で、このポスターを折りたたむと初夢を見るときに枕の下に敷くとよい、といわれる宝船の絵にもなるという付録。

世間はクリスマスがすんだらすぐ年始の準備にあわただしい、屏風も出したり片付けたりはしんどいのでクリスマスから年始まで飾っておけるものを、、というのでクリスマスの意匠と正月の意匠がごっちゃになった年末年始屏風というのも描いておられるが、これはナイスアイデアだわ。



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間の休憩時間に、山本太郎画伯の画軸(これもバカンティマウス+雪舟、、のおもしろい絵だった)のかかる茶室で一服よばれる。
中にキラキラの錦玉、羊羹のちりばめられたきれになお菓子を作っているのが、知り合いの若い和菓子職人のMちゃんだったとはしらなんだ!!感激。



さて、ニッポン画のトークのあとはいつもの常の会メンバーによる仕舞と素謡の会。それに年末特別企画で茂山千五郎一門の若手による狂言も。


演目は「七宝充満の宝を降らし国土にこれをほどこしたまふ」のめでたさを言祝ぐ部分の「羽衣」仕舞、素謡「弱法師」「蝉丸」、狂言はこの会場のすぐ近くにある因幡薬師にちなんだ「因幡堂」(因幡薬師はしっていたけれど、これほど有名なお堂とはしらんかっった、、、)、因幡にちなんだ仕舞「松風」(因幡の山におふる松とし聞かば、、、)、最後にめでたくかしく、「金銀珠玉は降り満ちて」の「岩船」。

仕舞を習っていると、それぞれの型をプロがいかに舞うのか興味をもって見ることができるのでことのほか楽しい。
(ただいま「杜若クセ」を習っているのだが9分あまり、覚えられん〜〜)



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アンコールはお約束の「土蜘蛛」、金銀珠玉ならぬ蜘蛛の糸がみなさまの頭の上にふりかかり、、、盛況のうちにおひらきとなった。(お隣にすわられたのが、また偶然にもお茶友さんであったのにびっくり!)




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かえり道、クリスマスナイトはふけてゆく。




<おまけ>

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クリスマスコーディネート(?)




「求塚」〜テアトル・ノウ京都公演 - 2016.11.09 Wed

 、、、飛魄の鬼となって 笞を振り上げ追いたつれば

      行かんとすれば前は海 後は火焔 左も右も 水火の責めに詰められて

         詮方なくて 火宅の柱にすがりつきとりつけば 柱は即ち火焔となって、、、




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今年最後のテアトル・ノウ(観世流能楽師・味方 玄師主催)観世会館公演の演目は「求塚」であった。

まずは恒例の作品解説、今回は軽妙な語り口の歌人の林 和清さん。


万葉集の高橋虫麻呂の長歌にいう葦屋の菟原処女(うないおとめ)の悲劇的伝説。二人の男性に同時に求愛され、どちらをえらぼうにもせんなくて、葛藤したあげく苦しんで自殺する話。
虫麻呂は下総国真間の手児奈という似たような長歌も残している。よほど好きだったのね、この手の乙女の話。現代の乙女にはまずありえん設定。(あ、脱線した)

平安時代に「大和物語」がこれを脚色して悲恋物語をつくり、それが後に生田川伝説になったとか。これをもとに観阿弥・世阿弥親子合作の能といわれる。

大和物語では単に二人の男がひとりの乙女を争うだけでなく、さらに罪深いことに生田川(摂津住吉のあたり)の鴛鴦を射て勝負し勝った方のものになろうときそわせ、二人の矢は同時に鴛鴦の命を奪う展開になる。
二人の男を争わせただけでなく、鴛鴦の命まで奪ったおのれの罪深さに、乙女は生田川に入水自殺した。(現在の生田川では浅すぎて入水自殺は不可能とのこと^_^;)
それを悲しんだ二人の男も乙女の墓の前で差し違えて死んでしまった。

ちなみに現在も阪神神戸線石屋川駅の近くに処女塚古墳、住吉駅近くに一方の男の東求塚古墳、西灘駅の近くに他方の男の求塚西古墳があるらしいが、もちろん、伝説、後付け。

前半、西国の旅の僧が生田の小野に至り、菜摘みする赤い着物に白い水衣の清楚な三人の乙女にであう。乙女たちはそれぞれ手に菜採り籠をさげ、「生田の若菜摘まうよ」と謡いながらまだ雪の消え残る小野にやってくる。

白い水衣が清々しく美しい。僧は彼女らに求塚というのはいずこ、とたずねる。
そんなのしらないわ、とこたえる乙女。ほぼ同じ装束ながら、だた一人だけ鬘帯が他二人の赤系とちがい白い乙女はたちさりあぐねている。

そしていぶかしがる僧に、先ほどお尋ねの求塚は実はここなんですよ、と示しながら菟原処女とふたりのおのこの悲話を語る。そしてその死後の魂を助けて欲しいと、僧に頼んで消えていく。
途中から主語が「我」となるため、この乙女が実は菟原処女の化身であることが観客にわかるのだ。


ここで狂言方による間があり、その間、舞台中央の火宅をあらわす作り物の中にはいった乙女がやせ衰えた霊となってあらわれる。そして生前の罪により、永劫続く責め苦を語る。

身を焼く火宅に永劫に囚われ今も魂は救われず、二人の男の亡霊に責めさいなまれ、鉄の怪鳥と化した鴛鴦は乙女の頭に鉄の爪でとまり頭をつつき割る、地獄の鬼は笞をふりあげ追い立てるが前は海、後は火焔、責め苦に耐えかね思わずすがりつく火宅の柱は火焔となってあまりの熱さにおもわず手を離す。


  、、、、黒縄衆合叫喚大叫喚炎熱極熱無間の底に、、、


言葉を聞くだにおどろおどろしい責め苦の様子だが、実際はほとんど作り物=火宅の中で演じられ、所作は静かで抑制された感じ。
ただ、せんなくてすがりつく柱が炎の熱さで思わず手をぱっと離す、そこだけが動を感じて印象的。


普通ここで僧の読経に魂が救われるパターンが多いのだが、求塚では、乙女は救われず夜明けとともにまた火宅に帰って行く、、、という救いのないお話しになっている。これからまた未来永劫乙女の責め苦が続くのだろう。なんとも理不尽な気がする。

二人の男に言い寄られたのは己の罪ではない。
他にどんな救われる道があっただろうか。どちらか一方を選んでいたら救われたか?第3の男を選んでいたら救われたか?
どちらも選びがたくしてやむなく一番貴重な命まで捧げたのに。キリスト教みたいに自殺を禁じる宗教では、自殺者は天国へいけないらしいが、仏教はそんな教えはないと思うけれど。

まあ、そういう終わり方をするのが能らしいといえばそうなんだが。

味方師の抑制された鬘物(美女が主役)や雑能物(狂女や恨みつらみ)もよいが、この手の演目は、ちょっと意識を失うこともあるので^_^;、そろそろ師の修羅物(武将・主に源氏平家・が主役)も見たいなあ。



能「隅田川」〜大津市伝統芸能会館 - 2016.06.16 Thu

三井寺のほんそばにある大津市伝統芸能会館、二回目である。




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味方 玄師の能、演目は押しも押されぬ名曲「隅田川」。


能のジャンルとして、子別れ狂女物というのがあるが(子どもと離れ離れになった母が、狂乱して子を尋ね歩く)その代表作。ただし「桜川」のようにだいたいが子供と再会できハッピーエンドに終わるのに、この「隅田川」だけは悲しい結末になっている。



都の北白川に住する梅若丸という12,3歳の少年が、両親とはぐれたときに人買いにさらわれてしまう。母親は子供を捜し、はるばる東下り、隅田川の渡しへたどりつく。

人からは物狂いといわれるが、これは子をさらわれた母親の尋常でない様子をしめすことば。ほんまの病気じゃないよ。渡しでは船頭が女物狂いのうわさを聞き、興味を持ってこれを見たい、と思う。

そこへあらわれる母親。

一説には「班女」の花子(はなご・吉田少将にすてられた我が身を秋の扇にたとえる狂女もの)の後日譚とよばれるのは、会話の中で梅若丸の父親は吉田某、住んでいたのは北白河(少将と再会するのは下鴨神社、、、まあ近いと言えば近い)、という言葉があるかららしい。

黒塗りの丸笠に水衣というふわっとした上衣、手に狂い笹という物狂いをあらわす笹の枝。これを見たら「隅田川」、というくらい定型になった衣裳。下の縫箔(袿のような着物)には蛇篭が縫い取りされてあって、ああ、隅田川なんだな、と。

舟にのせてくれるようたのむ母に「おもしろく舞い狂うてみせれば舟にのせよう。」という船頭。そこは都人の女、しかもなにやら芸事を身につけているような風情。「伊勢物語」の東下りに我が身をになぞらえて、当意即妙の受け答え。


、、、、なうその詞はこなたも耳に留るものを 彼の業平も此渡にて 名にしおはば いざ言問はん都鳥 我が思ふ人は有りやなしやと、、、

(思う人、、、子を思う心なのですよ)


さらに


、、、なう舟人 あれに白き鳥の見えたるは 都にては見馴れぬ鳥なり あれをば何と申し候ふぞ

船頭はあれは沖の鴎だと答える。

、、、、うたてやな浦にては千鳥とも云へ鴎とも云へ など此隅田川にて白き鳥をば 都鳥とは答へ給はぬ

(あらいやだ、沖にいれば千鳥とも鴎とも言っていいけれど、なぜこの隅田川で都鳥と答えないの?伊勢物語の風流をわからない人ね)


と、船頭をやりこめるのである。ここも見所。

すっかり感心した船頭は女を舟に乗せる。

おりしも対岸ではなにやら大念仏がおこなわれている。聞けば1年前の今日人買いに伴われた幼い子が、ここで病気になり、先へ進めなくなったところを、残忍な人買いたちに捨てられて、ついに息絶えた。それを憐れんで近隣の人たちが塚をつくり念仏供養をしているのだ、と。

その子はいまわの際に、懐かしい都人も通るであろうこの隅田川の岸に葬って柳の木を植えて欲しいと願ったのだ。

女はその話を聞きながら、すでに片手を目の上にかざす。(泣きのポーズ)

それはいつの話か? 昨年の3月15日
その子の歳は? 12歳
その子の名は? 梅若丸
父の名字は? 吉田某


その亡くなった子こそ、たずねる我が子梅若丸であった。葬られた柳の下の塚の土を掘ろうとまでして嘆き悲しむ女に、船頭は「嘆いてばかりでは甲斐もない。せめて念仏をとなえてあげなされ。」と鉦をわたす。


ずっと抑えに抑えた動きで、発声もいつもより高く、かつ音楽的で梵唄のようにも聞こえるシテのせりふ。すでに宗教的ですらある。先日平安神宮薪能で勇壮で激しい神舞(「養老」)を舞ったのと同じ人とは思えない。


女は鉦をうちながら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、」と唱える、その声が地謡の「南無阿弥陀仏、、、」と絶妙のハーモニーを奏でる。ほぼ聖歌といってよい。宗教的トランス状態がつくられているような感じ。

そこへ一声、子供の声で(子方の声)「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、」が重なる。これがクライマックスである。

(子方は姿をあらわす演出もあるが、世阿弥とその息子元雅(作者)とのディスカッションでどちらがよいか決着をみなかったとも)

今一声、きかせておくれ
  南無阿弥陀仏、、南無阿弥陀仏、、、
あれは我が子か?
  母にておわしますか、、、


おもわず涙がにじむ場面である。しかしそれもひとときの幻、

、、、、我が子と見えしは塚の上の 草茫々として 唯しるしばかりの浅茅が原となるこそあはれなりけれ


母は、まるで我が子の頭をなでていつくしむように、手をそっと塚の上にのせるのであった。

このシーンがこのパンフレットの場面。



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うう、、泣けるわ。



平安神宮薪能2016 - 2016.06.05 Sun

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今年も平安神宮薪能である。ほぼ毎年行っているが昨年から自分も仕舞を習い始めてから、よけいに熱がはいるというものである。



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この日は晴天ながら気温はあまり上がらず。毎年、薪能で陽が落ちると寒い思いをしている自分としてはかなり厚着をしていったにもかかわらず、日が暮れると死ぬほど寒い〜〜思いをした。冗談でなくダウンジャケットほしかったなあ。来年はさらなる防寒を考慮。(最後まで半袖Tシャツでがんばってた男の子、えらい!!)




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今年は「オリンピックイヤーに復興と平和を祈る」というスローガンで、二日とも最初は「翁」であった。

毎年、正月にはここ平安神宮舞殿で翁は舞われるのだが略式なので、今回初めて正式の翁を見た。

「能にあって能にあらず」といわれる「翁」は猿楽の時代に呪師によって舞われていたというなにやら呪術的な演目。はっきりした由来は不明という謎めいたものなのだ。
祝言の「とうとうたらりたらりら〜〜」からして意味不明。


正式には千歳・翁・三番叟を従えてまず「面箱」が入ってくる。露払いの千歳が待っている間に翁役は面箱にはいるご神体ともいうべき白色尉(顎の動く唯一の面、、たぶん、、、)を舞台上でつける(これも唯一)。
この瞬間を、つい千歳の舞にみとれて見逃してしもうた。゚(゚´Д`゚)゚。



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(だんだん暮れていく青龍閣の景色をお楽しみ下さい、、??)



次に翁の祝言と舞。片袖を頭上にまくりあげる「神」の決めポーズ(?)がかっこよい。そして何度聞いても「とうとうたらりたらりら〜たらりあがりららりとう、、、」は意味不明ながら神々しい気持ちになる。

舞終わると翁は千歳とさっさと退場。
かわって三番叟。今回はじめて正式の揉の段と鈴の段両方見ることができた。(新年の舞はどちらか一方しか舞われない)

揉の段では直面(面をつけない)で、鈴の段で黒色尉(いわば黒い翁面)という面をつけるというのは初めて知った。

いや、なにやら境内に神々しい結界がひかれたような、、、そんな雰囲気であった。「翁」、ええなあ。




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西日のまぶしさがやや落ち着いた頃、味方玄師・團師兄弟による「養老〜水波之伝」。

小書(特殊演出)「水波之伝」では普通登場しない楊柳観音(團師)が天女の姿であらわれ、美しく気品あふれる舞を見せた後、豪快な神舞をみせる山神(玄師)。
これは「賀茂」の、天女姿の御祖神のあとに雷をうちならす別雷神が登場するのとおなじようなカタルシスがあるなあ。
やっぱり玄師はこういう速いテンポの豪快な舞を舞わせたら最高。

最近、仕舞「髙砂」ではじめて神舞を習ったのだが、足の開き具合とかテンポも速くて、いままでの仕舞と全然ちがい、かなりとまどったことを思いだすわ。



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狂言は茂山正邦師に、こちらも兄弟、茂山宗彦・逸平兄弟の「三本柱」。最後に太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者三人と主人の果報者がいっしょになって歌って踊るシーンは先日の千本釈迦堂念仏狂言の「ででむし」を思い出してしまって、またあの奇妙なメロディーが頭の中をぐるぐると、、、(で〜んでんむしむしででむしでむし、、、♪というやつ)


「三輪」は三輪明神が美しい天女のなりで静謐な舞を。このころ寒さはピークを迎え、、、すみません、あまりの寒さに若干冬眠モードにはいってしまった(´・_・`)



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最後がご存じ「猩々」なのだが、ここは「大瓶猩々」といってなんと五人も猩々がでてくるのだ。赤面赤髪の酒好きの妖精(もののけ?)がそろって「足元はよろよろと〜〜」とよろよろさせる様は壮観。
今回女性の能楽師が猩々をやってらしたが、女性のプロの舞台は初めて見たわ。

大瓶から酒をくみあげ酔っ払い、赤い顔をますます赤くさせ楽しそうに舞う猩々に、、、ワタシモナリタイ。そんな幸せな気分のまま、今年の薪能はお開きとなった。



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いつも感心するスグレモノのパンフ袋。
袋になっているのだが、回りを線に沿って切りはなせばクリアファイルのできあがり!



(初日舞台の上で演奏中に倒れられ急逝された笛方・帆足正規師のご冥福を心よりお祈り申し上げます)



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