あたたかい家庭茶会 - 2012.12.13 Thu
(本日は画像はすべてイメージ画像ですので (⌒-⌒*)v のほほ)
大きな会場での大寄せの茶会はポピュラーですし、機会は頻繁にあります。
小寄せの家庭茶事も経験はあります。
でも、ご自宅で大寄せ(中寄せくらい??^_^;)の茶会をされる方はめずらしいのではないでしょうか。

今回ご縁があって、家庭茶会におさそいいただきました。
一席6〜7人で三席されるとか。
最後の三席目へ入らせていただきました。
お茶のために作られたわけではない家が、屏風などのあしらいで佳きお茶のための空間に。
(この屏風がまた「古美術」級ですばらしかった)
屏風の背後にかくされているのはお仏壇、、、ご先祖様、しばしお許しを。(^◇^;)
それから猫ちゃんのトイレもかくれていたの、私しっかり確認。(^-^)
(かわいい黒ちゃんがいるのです)

建物の脇の本来通路のスペースが、蹲居のあるりっぱな露地になっているのは巧の技、、、と思ったら実はこれ、プロではなくご友人が作られた物なんですと!
すごいですw( ̄o ̄)w!!
動線はやや変則的にはなるものの、蹲居を使うとやはり文字通り「市中の山居」のイメージがふくらみます。

ここだけはお茶仕様のお茶室は四畳半。
床には「無事」の一行物。
竹の花入に、赤い椿とナンキンハゼの白い実。
この席ではお茶つながりの友人と、職場のご友人が暖かい炉の周りにつどいました。
お菓子は山もとさんの薄紅色の椿。西王母、、、かしら?
お薄をいただくのにそれぞれ違ったお茶碗で。
これもまた楽しみ。
茶道をご存じない方も、常日頃から心のつながりがある方ばかりで、ほのぼのと実に暖かい家庭茶会でした。

この茶会にうかがう途中、前席をおえられた方々と出会いました。
何人かはお茶つながりの知己、道すがらすれちがいながらかける挨拶がとても心地よい、なんだかうれしい。
お茶という共通言語をもっているだけで、実生活ではよく存じ上げない方でもひととき心を通わすことができる、、これもお茶の功徳だと思うのですが。(明恵上人の「茶の十徳」にははいってないけど)
逆に茶の湯は総合芸術といわれるだけあって、その裾野がとても広い。ゆえにアプローチの仕方も多岐にわたるので、いろんなタイプの人を巻き込めるといえるかもしれません。
ここで大切なのは「淡交」であること。
君子の交わりは淡きこと水の如く、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し(荘子)
プライベートな生活にお互いまきこまれぬよう、干渉せぬよう、ほどよい距離の「茶友」でありたい。

それにしても本日の席主さんの茶を通じた知己の多いこと。
そういうふうにお茶の人脈を広め、それを深めていくには、かなりの努力、エネルギーが不可欠だと思うのです。
日々の生活にかかわるすべてが禅宗でいうところの作務、修行だと思えば、そういう茶友を持つこともまた修行かな、と思うこのごろです。
大きな会場での大寄せの茶会はポピュラーですし、機会は頻繁にあります。
小寄せの家庭茶事も経験はあります。
でも、ご自宅で大寄せ(中寄せくらい??^_^;)の茶会をされる方はめずらしいのではないでしょうか。

今回ご縁があって、家庭茶会におさそいいただきました。
一席6〜7人で三席されるとか。
最後の三席目へ入らせていただきました。
お茶のために作られたわけではない家が、屏風などのあしらいで佳きお茶のための空間に。
(この屏風がまた「古美術」級ですばらしかった)
屏風の背後にかくされているのはお仏壇、、、ご先祖様、しばしお許しを。(^◇^;)
それから猫ちゃんのトイレもかくれていたの、私しっかり確認。(^-^)
(かわいい黒ちゃんがいるのです)

建物の脇の本来通路のスペースが、蹲居のあるりっぱな露地になっているのは巧の技、、、と思ったら実はこれ、プロではなくご友人が作られた物なんですと!
すごいですw( ̄o ̄)w!!
動線はやや変則的にはなるものの、蹲居を使うとやはり文字通り「市中の山居」のイメージがふくらみます。

ここだけはお茶仕様のお茶室は四畳半。
床には「無事」の一行物。
竹の花入に、赤い椿とナンキンハゼの白い実。
この席ではお茶つながりの友人と、職場のご友人が暖かい炉の周りにつどいました。
お菓子は山もとさんの薄紅色の椿。西王母、、、かしら?
お薄をいただくのにそれぞれ違ったお茶碗で。
これもまた楽しみ。
茶道をご存じない方も、常日頃から心のつながりがある方ばかりで、ほのぼのと実に暖かい家庭茶会でした。

この茶会にうかがう途中、前席をおえられた方々と出会いました。
何人かはお茶つながりの知己、道すがらすれちがいながらかける挨拶がとても心地よい、なんだかうれしい。
お茶という共通言語をもっているだけで、実生活ではよく存じ上げない方でもひととき心を通わすことができる、、これもお茶の功徳だと思うのですが。(明恵上人の「茶の十徳」にははいってないけど)
逆に茶の湯は総合芸術といわれるだけあって、その裾野がとても広い。ゆえにアプローチの仕方も多岐にわたるので、いろんなタイプの人を巻き込めるといえるかもしれません。
ここで大切なのは「淡交」であること。
君子の交わりは淡きこと水の如く、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し(荘子)
プライベートな生活にお互いまきこまれぬよう、干渉せぬよう、ほどよい距離の「茶友」でありたい。

それにしても本日の席主さんの茶を通じた知己の多いこと。
そういうふうにお茶の人脈を広め、それを深めていくには、かなりの努力、エネルギーが不可欠だと思うのです。
日々の生活にかかわるすべてが禅宗でいうところの作務、修行だと思えば、そういう茶友を持つこともまた修行かな、と思うこのごろです。