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2013-01

吉田神社節分祭の前の前の日 - 2013.01.31 Thu

節分祭と言ったら私には吉田神社ですわ。
母校・某国立大のキャンパスのど真ん中で露店はたつわ、鬼はでるわ、火は燃えるわ、全国の神々をいっぺんに祀っちゃったというお得感満載のお宮(大元宮)も公開されるわ、で昔っから大好き。

ちなみにスケジュールは

   2日 午前8時    節分前日祭        本宮・大元宮
              疫神祭          大元宮中門
      午後6時    追儺式(鬼やらい神事)  本宮前 舞殿
   3日 午前8時    節分当日祭        本宮・大元宮
      午後11時   火炉祭(古神札焼納神事) 本宮前 火炉
 

皆様、おいでください。(って今は氏子でもないけれど)

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きょうは3日の火炉祭で焚きあげてもらう古い御札や御守りを持っていきました。
当日にはもうどこにもつっこむ隙がないほど、上までぎゅうぎゅうになるんですが、3日前の今日はまだごらんのようにスカスカ。

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境内は節分祭の用意が着々と進みつつあるようで、籤付きの福豆の景品はすでに並べられていました。(あたったことないけど)

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この角にはいつも五色豆のお店が立つのよね。
露店も次々と準備中。

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いつもは静かな参道も両日はすごい人で賑わうでしょう。

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参道ではギャングスターズ(京大アメフトチーム。強いのよ)のメンバーがトレーニング中。

一条通りの参道にももう露店の準備がすすんでいます。
どうぞ、お寒くないかっこうでお出ましを。

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(昨年も使った^_^;岡野玲子さんの「陰陽師」から、鬼やらいの図)




茶の湯の日々 - 2013.01.29 Tue

暦通り、大寒の候、しんしん冷えますね。

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相変わらず、オフ日はほぼお茶に費やす日々です。
(他にも遊んどるやろって?いや、ま、その、、、、^_^;)

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炉の季節ですが、灰型の練習は季節に関係なく。
まだまだ師匠の灰型には近づけませんが、それなりにコツをつかみかけ。
穴が開いたり、よけいについてしまった筋など、修正するテクは身につけた、と思う。

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課題は前瓦と五徳周辺。
今回、前瓦のところは決まった!(と思う)
でもよくみると、五徳の左右で微妙にラインがずれてる。

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なにより、この灰型を作るときの精神統一が心地よい。
やはり雑念をかかえていると、灰も言うことを聞いてくれないものなのです。

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さて、下鴨神社のほど近くにある川口美術
私が愛してやまない李朝家具や、李朝古陶磁がたくさん拝見できる骨董・ギャラリー。
バンダジの上にのせられた李朝白磁の壺に投げ入れられた椿、、、など、ドキドキワクワクするようなディスプレーがすてきなのです。

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この日は伊賀の陶芸作家・笹山芳人さんの個展の最終日。
これぞ伊賀、という器から李朝粉青沙器をおもわせるものまで、どこかかしいでいたり、ゆがんでいたり、、、が魅力の力強い作品群でした。

この日のもう一つの収穫は、謎の茶の湯集団(?!)鴨ん会さんのお点前で一服いただいたこと。
なんと、笹山さんの作品のどれでも好きな茶碗を選んでお茶を点てていただけるのです。

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萩風のお茶碗で一服頂戴。(なんと、釜の代わりは電熱ポット!)
鴨川原で神出鬼没の呈茶をされる鴨ん会さんとお話しも少しさせてもらいました。
お茶を愛する好青年、かっこよかったです。
昨年の植物園大茶会に待庵もびっくり!の二畳シンプル組み立て式茶室をだされてました)

謎の存在のままにしておきますね。
寒い時期はお休みですが、あたたかくなると鴨川べりのあちこちで呈茶をされますので、運が良ければお茶が一服いただけますよ(^_^)b

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さて、先日の七事式之会は重茶碗での濃茶付花月。
お菓子は、あいかわらずプロはだしの席主さん手作りきんとんです。
常磐の松に雪が積もっている、、、そんな風景のお菓子です。

重茶碗で濃茶はいいとして、薄茶の花月にはいったとき、茶碗が2つあるわけで、これをどう扱うかが課題でした。
なるほど、こういうこともできるのか、、、と勉強になりました。
炭付花月で炭が大当たり。現在頭が大炉の炭出前になっているので、羽根の使い方に一瞬混乱しました。(大炉の羽根の使い方は独特なんです)
あとは久々の雪月花。頭の体操、頭の体操、、、

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箱のないお茶碗をいれるのに箱藤さんにオーダーしていた桐箱が届きました。
サイズを測ってメールでオーダーすれば作ってもらえるのです。

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いれるとぴったり!おさまります。
蓋もぴしっとしまって、お茶碗もよいお家を得られたようです。

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奉書で蓋のカバーを作って、中味の説明を書いておきます。
う〜ん、良い感じ。
ただし、お値段はそれなりにしますので、お茶碗より箱の方が高い、、、なんてこともあるかも^_^;

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先日梅田のデパートでゲットした金沢・森八さんの生菓子をいただいて、、、、

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一服。
このお茶碗はおおきくかしいでいて、水平にはならないんです。
そこに惚れたんですがね。

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というわけで、日々茶の湯、日々好日でございます。
(もちろん、仕事が本分なので、ちゃんと働いているんですよ、誤解なきよう( ̄▽ ̄;)b )

若草山・山焼 2013 - 2013.01.27 Sun

若草山は山焼と言っていいんですよ。
「大文字焼」と言うと京都の人には思いっきりイヤな顔をされますけれどね^_^;

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夕刻の若草山。
この一瞬前は山が入り日に映えて、一刻早めの山焼のようにオレンジ色に輝いたのですが、ちょっとの差で写真にとれず。(涙)

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若草山登山口に、春日大社の御神火がやってきます。

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山焼は春日大社、東大寺、興福寺の神仏習合の儀式。


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東大寺のお坊さん、春日大社の神官、興福寺の僧兵(?)入り乱れて、金峯山寺の山伏の先導ですすんできます。

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山焼のルーツは江戸時代の東大寺と興福寺の領地争いだというのが通説でしたが、それ以前にも、古くは鎌倉時代から山焼はおこなわれていたということで、この説は否定的だそうです。


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御神火。

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お山は少しずつ暮れていきます。

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若草山の麓にあるとっても小さな神社、野上神社は春日大社の末社になります。
ここで春日大社の神官がおこなう山焼きの無事終了の祈願祭礼。

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祈願が終わるまで、いつお山に火が放たれるのか、期待感がいやますのですが、その間にも奈良の町には夜のとばりが雪雲とともに降りてきました。

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若草山麓の大篝火がともされるところ。結界が結ばれています。

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東大寺、興福寺の僧たちの読経の中、いよいよ大篝火に御神火がうつされます。

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山伏の法螺貝の音も。

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へたをしたら命もとられそうな勢いの火を見つめる。
炎が起こす風が僧たちの衣をひるがえす。

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突如、山の中腹からあがる花火、花火、花火!
ほぼ真下で見ていたので、ドン!という爆発音が体の芯にまで響いて大迫力。
凍える寒さを一時忘れさせるこの一大ページェントをしばし楽しむ。

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、、、と、いよいよ山に火が放たれ、、、

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山を浄化しつくしてゆく。
芝を焼くにおいは思いの外すがすがしくて、よい香り。

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炎を背景に、いつのまにどこにかくれていたのか?と思うほどたくさんの消防団の人の影が。

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その上、若草山は九折山(つづらやま)とよばれ、一重、二重、三重となった山の頂には五世紀ごろの前方後円墳・鶯塚古墳があります。
ここからでる幽霊が人々をこわがらせる、という言い伝えがありました。

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一月までに山を焼かねば翌年、この幽霊によって良くないことが起こると信じられてきたため、通行人がだれかれとなく山に火を放ったそうです。
しかし周囲は東大寺もあれば、春日大社もある、思いつくまま火をはなっていてはこれらの伽藍や社が延焼してしまう。それならば、火を決めて山焼をしよう、ということになったのが江戸中期頃のおはなし。

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けれど東大寺と興福寺の争いは江戸以前からあったし、冬に野焼きすれば若菜はよく育つから、それで秘かに山に火が放たれたという説もあるそうです。

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やがて山の稜線がわかるようになって、火は二重目〜三重目に移り、長くいつまでも消えないように見えます。

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満月に近い寒月もけむりにゆすれ、あれは「三笠の山に いでし」月かも、、、なんて。

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帰る道すがら、浮雲園あたりでふりさけみれば(^_^;)、お山はまだしずかに燃えているのでした。

帰りの近鉄の駅で、「伏見消防団」のそろいの法被をきた一群に遭遇。
これだけのおおがかりな火の祭礼ですから、府県をまたいで消防団の方々の協力が必要不可欠なのでしょう。
こうして守られていく山焼なのですねえ。


赤山禅院〜修学院あたり - 2013.01.25 Fri

空は青いながら、寒波に襲われ冷たい1日、ここ修学院は洛中よりも確かに気温が低いです。

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大寒の候、1年の邪気がいちばんたまってくる季節、だからというわけではありませんが、都の鬼門(東北)を守ってくれている赤山禅院に行ってみようと思いました。

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山門の鳥居、「赤山大明神」の額は後水尾天皇に賜った勅額。
(ただし当然ながらレプリカね)

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紅葉の頃はともかく、こんな寒い日にだれもいないだろう、と思ったら毎月25日は赤山大明神縁日御加持の日だったらしく、けっこうたくさんの方がお参り。

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ご存じのように、平安京は四神相応で守られた王城ですが、鬼門の守りが比叡山、その比叡山と御所を結ぶ線上にある比叡山塔頭がこの赤山禅院。
本殿には「皇城表鬼門守」の文字をみることができます。
仁和4年(888年)に、天台座主 円仁の遺命によって創建されました。

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本尊の赤山大明神は、唐の赤山にあった泰山府君(安倍晴明の逸話にもでてきますね〜)を勧請したものとか。
どうりで何となく道教的な雰囲気もあるお寺です。

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あ、いたいた、拝殿の屋根の上に、、、

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お猿さん。
御幣と神楽鈴をもって、なぜか金網の中に。
赤山禅院のシンボル、比叡山延暦寺の地主神・日吉神社のお使い。
「申」は南西をさす方角なので鬼門(東北)の真向かいになります。
鬼門から魔物が都にはいらぬよう守ってくれているといいます。

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ただし、そこは猿もの、ひっかくもの、夜な夜ないたずらをするので(実際このあたり野生の猿がよくいたずらをするらしい)金網のなかに閉じ込められたとか。

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寒桜。

御所の猿が辻(東北の鬼門で壁の角をくぼませている)にも金網inの猿がいて、ここの猿と対面してるそうです。

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境内にはあちこちにお堂や摂社、末社が点在して、歩いて一周するとけっこう広いのです。
これは弁財天のお堂よこにいらっしゃる十六羅漢さん。

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泣いている?大笑している?「喝!」って言ってる?読経している?
(実はあくびの途中だったりして、、^_^;)

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三十三観音さん。

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その後には赤い山茶花。

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境内は山がちかいことを感じさせる雰囲気があります。
森だってあるんです。

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地蔵堂で、なぜこんなところにドライヤーが???
と思ったのですが、どうやらこれは御朱印帳をかいてもらって、その墨や印やらを乾かすためのものらしい。
こんなサービスあるお寺さんは初めてだわw( ̄▽ ̄;)w

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都七福神ではこちらは寿老人にあたるらしいので、おみくじがこの寿老人。
赤山大明神は、地にあっては泰山府君、天にあっては寿老人といわれるので。
なんともほっこりのんびり、、、

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三彩の狛犬さんも、どことなくシャイな感じでかわいらしい。

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不動堂の前におかれていたクラシックな消火ポンプ。

このお堂の中で護摩焚き加持がおこなわれて、こうして境内を回っている間も音楽的な読経がBGMでした。
宗教行事なので写真はひかえましたが、のぞいてみると大きな護摩火の手前に加持をされている阿闍梨の後ろ姿が影になって、平安時代の加持祈祷を彷彿とさせるような情景でした。
自分の経本を持っていっしょに唱えている信者さんもたくさんおられて、ここはこの修学院に根付いた信仰の場なんだなあ、、と。

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さて、赤山禅院を後にして道を南下すると、、、
この石の生垣はなんでしょう。

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そう、修学院離宮でした。
(まだ行ったことありません。いつか行かなくちゃ)

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比叡山の山の裾野にいだかれたこの風景。
でも一応京都市内、左京区なんですよ〜(^_^;
このあたり、赤山禅院も含まれる歴史的風土特別保存地区なんだそうです。

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高野川の支流・音羽川沿いの道、比叡山登山路の雲母坂へ通じ、この先には修学院離宮と隣接した尼門跡・林丘寺があります。(非公開・こちらの尼さんが京都新聞に週1くらいで記事書かれています。)

さて、しっかり歩いたし、ランチはちょっと南下して一乗寺。

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カフェ猫町さんにて。

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あ、これ、李朝の祭器だ。私も持っている。
ふ〜ん、こんなふうにあしらうとステキなのね。

残念ながら猫はいません。^_^;

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名前の由来は、荻原朔太郎の散文詩的小説「猫町」なんですけれどね。

    私は今もなお固く心に信じている。あの裏日本の伝説が口碑している特殊な部落。
       猫の精霊ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、
           必らず実在しているにちがいないということを。


岩戸山町・木乃婦 - 2013.01.24 Thu

新町仏光寺あたり、京都市指定有形文化財の船鉾町長江家住宅があったり、岩戸山の会所があったりする、祇園祭の頃は必ずうろつく風情ある鉾町エリア、ここにあるのが皆様ご存じ、京料理の木乃婦さん。

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せっかくだから去年撮った、祇園祭の頃の木乃婦さんの写真をのせておこう。
このころ何度もこの前を通ったので、一度は行ってみたいと思っていたの。

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木乃婦と言えば三代目の大将がチャレンジする、ワインにあう懐石料理で有名。
しかし、、、実は私共はワインはあまり嗜まない。
よって普通の懐石を。
(ワイン献立を期待された方、ゴメンナサイ^_^;)

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入り口をはいると長い路地、
一見町家のように見える建物ですが、中は和風旅館のような作りの近代的建築です。
なにしろこちらは100人くらい入る宴会場もあるといいますから、今まで行った懐石のお店とはちょっと違う雰囲気。

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ここは旅館だといわれても納得しそうですぞ。

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こちらの個室でいただきます。(いよいよ高級旅館っぽい)
テーブルの下が掘りごたつみたいになっていて、足がラクチン。

印象に残ったお皿をいくつか。

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先付からいきなりトロの握りがでてきましたよ。
大好きなカラスミも。
(ここらで日本酒一杯いきたいのですが、何分正月からこっち食べ過ぎ飲み過ぎで調子悪く、節制中にて、、、←なのにまた喰うんかい?)

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お造り。
それにしても収容能力100人以上って、厨房にはどれだけの料理人がいるのでしょうね。
なんでも厨房だけで120坪もあるとか。(ゆうに2家族は住めそう)

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蛤しんじょう。
一般にしんじょうは、京都では、え?味ついてる?と思うほど薄味が多いのですが、ここのはしっかり味付け。
私好みなんですが、血圧を気にしてるダンナはちょっと濃いすぎとのこと。

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お椀の蓋裏に結び柳の蒔絵があって、ニンマリ。
京料理は器でも楽しめる。

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ウニとホタテのジュレかけ。
これ、おいしかった
しかも、大徳寺古材でつくった大徳寺縁高ででてくるところがにくいわ。

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〆が鯛飯、、、と聞いてええ〜?( ̄ロ ̄lll)と思ったのですが(←魚の飯キライ)、これがね、意外においしかった。山椒がほどよいスパイスとして効いていて、魚臭さが全くなく、、、

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お釜ごと置いていってくれたので、おかわりしたいほどでしたが、そこはもう腹12分目で(^_^;
香物もあっさりとしておいしかった。ここで手をぬくと全体の印象が悪くなると、いつも思うのですが、そこらへんはさすが。

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別腹のデザートはフレンチのデザートみたい。
フルーツたっぷりなので、きっちり完食いたしました!

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使い込まれて色の変わった銅製の急須。
ええ味だしてますね。連れて帰りたくなります。

食事を終えて外に出ると、祇園祭でなくても風情のある鉾町の夜、なんだか町に包まれて暖かい心地です。
余韻を楽しむように、歩いて帰りました。(30分かかったけど、、、^_^;)

弘道館月釜〜有斐斎初点式2013 - 2013.01.22 Tue

今年初の弘道館月釜。
今年の初釜シリーズの〆になります。

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こうやってみると、弘道館の入り口がどこなのか、よくわかりませんねえ。
周りもビルやら近代的な建物やら、、、

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こういう古くて広いお屋敷は昔はこのあたり一帯にたくさん残っていたのでしょうが、今ではここが残っていることが奇跡的です。
老松さんはじめ、ここを意識的に残そう、としている方々の努力のたまもの。

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今回も昨年の初釜と同じく、待合は藤原為家(定家の息子)の手になる文屋康秀の歌。

      春の日の光にあたる我なれど 頭の雪となるぞわびしき

(二条の后藤原高子が「春宮の御息所」と呼ばれていた頃、康秀を御前に召し、「日は照りながら雪の頭(かしら)に降りかかりける」という題で詠むよう命じたのに即興で答えた歌)

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ところで、太田さん、なんとおみ足を怪我されたようで車椅子でのご説明だったんです。
実は私、別にもう一件、足を痛められてチャラになった初釜があったんです。( ̄ロ ̄|||)
今年はお茶人さんにとって、足の怪我がついてまわるのでしょうか?
どうぞ、皆様、お気をつけください。(自分もね)

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本席の軸は、お鏡餅の絵と、いまひとつの床には宗尊親王の歌切。
ちょっと、、、というか全然読めなかったのですが、なんだか雪を歌った歌のようでありました。

宗尊親王は後嵯峨天皇の長子、皇族で初めて征夷大将軍になった方ですが、
異母弟がのちに南北朝にわかれるきっかけとなる持明院統・後深草天皇と大覚寺統・亀山天皇。
でもなにより歌人、能筆家として有名な方のようです。

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真ん中の熨斗アワビに昆布、梅干しでまずは一献。

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そして川端道喜タイプの花びら餅(菱葩餅)。

慶長2年、玄々斎が禁裏にて御献茶、宮中のおせち料理のひとつであった菱葩餅を賜り、これを裏千家初釜で使うことを許された、というもの。
その後、川端道喜に依頼して現在の形の花びら餅ができあがったので、今でも裏千家家元の初釜では道喜さんの花びら餅がでます。(食べたことありませ〜ん)

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ただ道喜さんもご家族少人数で作られているので、なかなかたくさんは作れず、これからは老松さんや末富さんへ依頼もあるかもしれない、というお話しでした。

なににしても中の餡がとろとろなので、へたにかぶりつくとたら〜っとたれて着物をよごすので、懐紙につつんでクレープのようにいただくの正しい食べ方だとか。

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千家流各派では初釜と言えば結び柳ですが、ルーツは中国の「綰柳」の習慣から利休が初めて考案したらしいです。
ただこの時は1本〜数本の柳だったようですが、現在みたいなわさわさたくさんの柳を使うルーツは太田さんによれば古田織部あたりではないかというお話しでした。

う〜む、あの男ならやりかねん。(って会ったことないけど^_^;)

今回はまたまたりっぱなお道具で濃茶をいただきました。
記憶がいまいちだけれど、印象に残ったのは

及台子(花びら餅の嚆矢の玄々斎考案)
棗・琵琶(=弁天さん=巳さんをお使いとする=の持ち物)蒔絵
茶杓 銘「一夜松」(道真公のご神託「われを鎮めたくば、北野の千本の松が生えたあたりに祠を建てよ」。その北野の地に一夜にして千本の松が生えたためここに社を築いた→北野天満宮、、、という伝承)

それから、これ、良いアイデアだな、と思ったのは

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これ、都踊りの小皿を小振りの茶碗にのせたもの。

なにかといえば、濃茶用の口ふき小茶巾をのせていたものなんです。
よごれた茶巾はお皿を持ち上げて下の茶碗にいれる、、、わざわざ茶巾台を買わなくてもこういうので楽しく代用できるんだ!と思ったお道具でした。



期間限定・煎茶入門 - 2013.01.20 Sun

初釜シリーズも終わってちょっと茶会閑散期。
この時期をねらって期間限定で煎茶道に入門してみました。

期間限定というのも教えて下さっている先生には失礼だし、はまりだすとけっこう深みにはまりそうな気もするし、、、という気持ちはありながら、さりとて今の自分の時間の物理的不足はいかんともしがたく、さらに自分の本分はあくまで茶の湯だ、という思いもあるので、「期間限定」と固く誓う。

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なにゆえに煎茶かというと、煎茶道は売茶翁高遊外から始まる(中興の祖)、(当時の)茶の湯のあまりに規則に縛られ道具にこだわり、権力の側にある状況へのアンチテーゼからはじまったと理解しているため。

清らかな自然のもと、素焼きの粗末な茶器で煎茶を煮て、文人墨客が清談を楽しむ、というのが本来の煎茶のあり方と聞きます。
これに少しでも触れることでまた茶の湯を別の角度から見ることができるのではないかという思いと、ただただ煎茶、玉露を美味しく飲みた〜い、という生理的欲求を兼ねて。

それから昨年秋、平安神宮でおこなわれた煎茶献茶祭でいくつかの流派の煎茶席に参席して、せめて客の作法くらいは知りたいと思ったことも理由の一つ。


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早々と購入した骨董の茶器。

自分の家で煎茶はまあそれなりにおいしくいれられるのですが、玉露はね〜、、、むつかしい。
ちゃんとお湯の温度も下げて、時間をかけて煎れているのですがいまいち。
ある日本茶インストラクターさんの煎れてくれた玉露が最高においしかったので、なんとかアレが再現できないかなあ。

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ああ、それにしてもお煎茶道具はみんなちっちゃくてかわいい。
乙女心(何か文句ある?)をくすぐってやまない。

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朱泥の茶瓶(ちゃへい)、これもちっちゃいです。

茶道以上にたくさんの流派がある煎茶道なので、習う流派はどこでもよかったのですが、時間的制約で選択の余地がなかったので、ある流派に。
流派に関わらず一般に煎茶道は涼炉という細水指みたいな炉を火源とします。
煎茶といえば、この涼炉がシンボルみたいな感じですね。
茶道の炉や風炉は持ち運びはできませんが、これなら山へでも川へでもどこへでも持ち運べる、というのが真骨頂。

涼炉、もってないなあ。上にのせる素焼きの湯瓶(ゆへい:ボーフラともよばれる)もないし。
電熱の涼炉買おうかなあ、、、日常お客さまが来たときにも使えるし。(おやおや、深みにはまりかけてませんか?)
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布袋作家、昆布さんのつくった茶器入れ。
これで煎茶茶碗5つすぽっと入っているんです。

まだ数回しかお稽古いっていないので、いまはまだ割稽古中ですが、先輩方の煎れた煎茶、玉露はお茶のエッセンスがぎゅっと凝縮されて、ほんの数滴なのに鮮烈に口腔鼻腔に茶葉のエッセンスが広がります。
これこそTHE・茶(葉)という感じ。

茶席の室礼も花もあまり厳しいしばりはないようです。
軸も茶道が禅僧の墨蹟を第1とするのに対して、老荘思想的な物、文人の詩文、文人画などが好まれるとか。
花も茶道のように禁花(茶席では使ってはいけない花)もなく、椿も花が開いているのもOK。
他にも文房飾りや果物飾りなど結構自由自在な印象です。

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「蕗の薹」

でも生菓子はいっしょなの
ただ茶道のようにお茶の前にいただくのではなく、一煎目と二煎目の間だとか、二煎いただいたあととかに頂戴します。お茶の量が少ないので、先に甘い物を食べてしまうとせっかくのお茶の味がわからなくなるから、ということだそうです。そのあとにお白湯がでるところも。

江戸時代後半になると自由な煎茶も家元ができるにおよんで、いろいろ手前法、作法ができてきたそうですが、できればあまり作法作法といわれない茶風が煎茶らしく、売茶翁の意図に適うような気がします。
もともと売茶翁は黄檗宗の禅僧でしたが、その禅僧社会の堕落をみるにつけ、それを批判し革新させるため煎茶売りを方便として使った、といいます。なので禅宗から離れたものではなく、ある意味禅宗そのものだったのでしょう。いうなれば禅宗を根底に持つ茶道と根源は同じ、ということでしょうか。

売茶翁は57歳のとき、寺を後嗣に丸投げして上洛をはたし、京の名所旧跡、風光明媚な場所で煎茶の立ち売りをしたとか。曰く、、、

    茶銭は黄金百鎰より半文銭までは
         くれ次第
    ただ飲みも勝手
      ただよりはまけもうさず


確かに、痛快!です。

小正月の小豆粥・下鴨神社〜知恩寺・手作り市 - 2013.01.18 Fri

1月15日は小正月でしたね。
女の正月ともいわれて、お正月おもてなしで大忙しだった主婦がゆっくり休む日。
それはともかく、この日に小豆粥をいただくと邪気をはらって1年病気にならずにすごせるとか。

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ここは下鴨神社、糺の森。
初詣の喧噪はもう面影もなく(正月にはここは臨時駐車場になっちゃうのよ)、いつもの静かな森です。

15日は下鴨神社で御粥祭があるのですが、神事はどのみち見られないので、小豆粥だけをいただきに。
え?
自分でなぜ作らない?
、、、、、おほほほ、、、だって小豆、炊いたことないんですもの。(←主婦失格のヒト)

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点々とみえているのは羽根をやすめて寒さに耐えている鳩たちです。

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一人一人折敷にのせて供される小豆粥。
中にお餅もはいって、アツアツでおいしい。
これで厄払い、厄払い。(正月からこっち、何回厄払いしてんねん、、、と自分でも思う)

さてその足で百万遍の知恩寺さんへ。
このあたり、青春時代のテリトリーどまんなか。

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毎月15日にひらかれる手作り市は、それほど古くない。
ウン十年前、子どもたちをここの境内にある保育園に通わせていたころにはそんなものなかったのです。
当時は古本市も黎明期で、お店も人も少なく、しょぼかったんですよ。
それがいまじゃ京都を代表する古本市になったとはね〜。

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小雨模様の寒い日だったので、季候の良いときのおしあいへしあいはないものの、それでもけっこうな人出です。

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以前は素人が手作り作品を並べていたらしいですが、今ではけっこうプロも店だししています。(プロの方が多いかもしれない)
ここで評判になって、実店舗を持った方もおられるようです。

まずは懐かしい保育園に(遠くから)あいさつだけして。

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あの木造の園舎、講堂はまだ健在だ。
なにしろお寺さんの保育園なので、クリスマス会がなくて、かわりに成道会(じょうどうえ、12月8日お釈迦様が悟りを開かれた日)なんてのがありました。

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しかも講堂のステージの上にはのの様(仏様)の像があってびっくりしたものです。
(大阪の某仏教系私立校の講堂は天井に抽象的な曼荼羅が一面に描かれていてぶっとんだが、、、、)

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たくさんのお店は売る物が多岐にわたっているので、そぞろ見て歩くだけでも楽しい。
これは空き瓶を再利用して作ったランプのようですね。

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でも、どうしても食べ物系に目が行ってしまうわ。
このおもちゃのようなものは全部クッキーなんです。

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おおぶりで美味しそうなパンは、北山のラミデュパンさん。ここらへんになるとメジャー級の人たちなのに、手作り市、でているんですねえ。
パンを焼いているフランス人ヴィンセントさんも接客されていました。

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コーヒーブレイク。
七条油小路のヒイヅルカフェさんの出店。
マスターが2〜3杯ずつ丁寧にいれてくれるコーヒーは熱くておいしかったです。

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アイシングが超かわいいクッキー

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食べ物ばかりのせるのもなんなので、こんなガラスのミニ花器のお店。

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あれ?どこかで見たことのあるような作風、、、と思ったら作品を2つ持っている若手の陶芸家(黒川正樹)さんのお店だった!
今回初めての出店なんだそうな。こんなところでまたお会いできるとは!

結局食べ物ばかり買い込んでランチは百万遍南西をちょっとはいったところにある、なつかしい、、、

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こちら。
レストランまどい
(昔は「円居」と表記していた)
学生の頃、ちょっとバイト代がはいったりして懐に余裕があるときに行く、、という感じでしたね。
雰囲気はもう昔の面影はありませんが、実は5日にリニューアルオープンしたばかりだったんですね。

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お得なワンコイン(500円)ランチ。
なつかしい味だわ。
ただし、学生向きなので今の私にはややヘビーでしたが。

本日の戦利品。

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クッキーシリーズ。

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ラミデュパンのパン。
一つがでかいよ。

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水仙、菜の花、、、これ全部でなんと200円!

泉涌寺・七福神巡り - 2013.01.16 Wed

東山三十六峰の南の方、月輪山全体を境内とする、皇室の御香華院、「御寺(みてら)」こと、泉涌寺

成人の日あたりに七福神巡りがおこなわれます。
なにしろ参道からも距離があるし、お山全体に塔頭がちらばっているようなのでアップダウンの道をあちこち福を訪ねていけば、かなりな運動量になりますので、お正月お餅を食べ過ぎた方におすすめ。(^_^;

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参道の途中にある即成院でまず福笹ゲット。
これは無料です。

ただし、笹に付けるお飾りは一つ最低300円ですので、7カ所+番外2カ所全部あつめると、最低2700円は必要なので、お財布とご相談の上、集めてくださいね。

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第1番にその即成院の福禄寿さんへお参り。
幸福、封禄、長寿のシンボル。
寿老人と同体ともいわれます。

こちらには那須与一のお墓があるそうなので、、、、

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お飾りは的と矢。

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七福神の幟も鮮やかな道をどんどん歩きましょう。

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法音院では寿老人を。
たいてい鹿とともに描かれていることが多い道教の神様。
福禄寿と同一視されるのは述べたとおり。

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こちらのお飾りは達磨や大判、小判。

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お財布と相談して小判に。金運があがるのかな。

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続いて弁財天の戒光寺。
こちらには新撰組と袂を分かって、のちに暗殺された伊東甲子太郎のお墓があるんですって。
(大河ドラマの「新撰組!」ではイケメンの谷原章介さんがやってましたね〜)

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こちらではついついお財布の紐がゆるんでしまい、、、、
一番高い熊手を買ってしまった、、、(汗)
まあ、今年は巳年だから、蛇は弁天さんのお使いってことで。

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こちらでは小豆粥接待があります。
一足早い小正月。

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新善光寺には番外の愛染明王が祀られています。
直江兼続の兜の「愛」は愛染明王信仰からきたとか。

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ここでは小判1枚というけちくさいことは言わないぞ。
小判が枡にざっくざく!(本物ならいいわね〜)

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山あり、谷ありの境内の道を、腕を組んでかばいあって歩むご夫婦。
人生幾星霜。

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観音寺は恵比寿さん。

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人々の篤き信仰はかくも。

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こちらもたくさんの魅力的な飾りがあったのだけれど、やっぱりお財布と相談して、、、

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この恵比寿さん。

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こちらのご接待は昆布茶でした。

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山中の細い道のごとき道をとおって、、、

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来迎院は布袋さん。

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布袋さんの伏見人形。
京都の商家では商売の初めに小さい布袋さんを買って、年々少しずつ大きな物を買っていって7つそろえるんだそうな。そういえば杉本家のお台所にもありましたね。

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こちらでは大福帳を。
あとで調べると大石義雄建立の茶室「含翠軒」があるらしい。、、、、見逃した( ̄▽ ̄;)!!

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さらに進むと、ぱっとひろがる仏殿のあたりへでてきます。
泉涌寺が東山に抱かれた場所にあるのがよくわかる風景。

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こちらは雲龍院。
昨年の初夏初めておとずれて、すっかり気に入ってしまった塔頭。
ミステリーの女王、山村美紗さんの墓所でもあります。
お寺の奥様がお花を教えておられるので、あちこちにすばらしい生け花が飾ってあってすてきなんですが、さすがにこの七福神巡りの日は非公開になっていました。

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いつもは厨に鎮座まします「走り大黒天」様、今日は表におでましです。
ほんとうに今にも走り出しそうな躍動的な大黒様なんですよ。

次はいよいよラストです。
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悲田院は毘沙門天。

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ここからの眺めは最高!
接待の甘酒をすすりながら、京都タワー、左大文字、清水、京都女子大、国立博物館などをさがす。

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毘沙門天様のお使いは虎だから、某球団のファンならきっと張り子の虎をお買い上げになるはず。
でもちょっとお高いので、財布の中をみて帰りの交通費を確認し、(300円の)千両箱をお買い上げ。

もう一つ番外の楊貴妃観音様は今回いけてませんが、ほぼコンプリートした福笹はこちら!

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う〜ん、昨年まわった天龍寺のスタイリッシュな七福神にくらべるとキッチュな感じがなんとも。(^_^;

今年1年、福をた〜くさん授かりますように!


<参考>
昨年の天龍寺の七福神
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「近現代における茶の湯家元の研究」 - 2013.01.13 Sun

数年前、ご縁があり、ご自宅のお茶室でお茶を点てて下さった廣田吉崇さんが、かねて大学院で博士論文としてまとめられたものをついに上梓された。

家元(画像はクリックで大きくなります)

「近現代における茶の湯家元の研究」

むつかしそうだし、読むのに時間がかかるかな、と思ったのは全くの杞憂で、研究論文でありながら読み始めるととまらなくなり、一気に読破。
ついつい家事もうっちゃって読破した宮尾登美子さんの「松風の家」以来の興奮。

おもしろおかしい筆致で書いておられるわけではなく、淡々と、むしろご自分の意見や感情は極力出さないような文体であるにもかかわらず、のめりこんだのはひたすら研究対象自体のおもしろさ。
そして、いくども熟読されたであろう参考文献・資料の厖大なデータに裏打ちされていることによる信憑性、それはあたかも理系の論文を読むが如しなのだ。

特に近代(特に江戸中期以降)以降の茶道のたどってきた道は私にはほとんど未知の世界で、たくさんの知識をこの本からいただいた。

廣田さんはお若い頃から、お茶は石州流の一派・鎮信流を嗜んでおられる。
先にお招きいただいた時に初めて拝見、、というか初めて知る流派だった。
当時、石州流という流派があるのはしっていたが、その石州流がずいぶん細かく分派していることは知らなかったし、不明にして石州流というのは片桐石州の子孫が家元で教授しているものとばかり思い込んでいた。
(まあ、裏千家でお茶を習っている多くの人が似たようなものだと思う。)
遠州流しかり、宗偏流しかり、、、、


この本は、おおざっぱにわけて3つの柱があると思うのだが、
(あくまで私個人の見解で、まちがって理解している部分もあるかもしれません、、とおことわりして)

1)家元と天皇家の距離・・家元の社会的地位の近現代における歴史的変化をあらわすのに、天皇との距離を指標として考察する、というのは斬新。
明治維新で武家社会の茶頭としての扶持=収入の道を絶たれた家元が、いかにして生き延びてきたかという歴史がおもしろい。特に裏千家の近代史はビジネスサクセスストーリーともいえる。国際化を早くに推進してきた先見性は以前から納得しているところながら、その経緯がわかってなおなお納得。
皇室が家元をある意味「利用」した時代があった、というのは目からウロコ。
「貴紳の茶の湯」と「流儀の茶の湯」の分け方が私には新鮮で、とてもすっきりして得心でき、気に入っている。

2)近代、特に明治維新以降の中小流派の苦悩・・流派統合の成功例、失敗例など読んでいて涙ぐましくなる。
(こんなにたくさんの流派があって、どういう流れで伝承されてきたか、ここで初めて知ることばかり。)
「統合」というのが「技芸の統合」ではなく「流祖の家系の統合」という手があったか。
ここまで点前手技が細分化されると、同じ流儀でくくるのは無理があると思うが、そうか、流祖が同じならいいのか。

3)宗旦と利休に血のつながりがあるのか?「利休血脈論争」・・少庵の妻は利休の娘、だから利休のDNAは今の千家に流れている、と今までなんの疑問もなく無条件に思っていた。ところがこれに大きな論争があったとは!
実は素人的にはこの部分が一番興味があった。少庵の妻、宗旦の母・亀はほんとうに利休の娘だったのか?
実は決定的な血のつながりを示す資料はいまのところみあたらず、結局結論はでない、という結論。
利休の侘び茶をよく継いだ宗旦の子孫であることにはちがいはないのだから、別にそこに生物学的血縁がなくても家元の権威はかわらないように思うが、巨大組織を統制するためには大切なポイントと考える人が多かったんだなあ。

むすびに、巧みに時代の波をくぐり抜け、巨大化した家元制度も茶道人口の着実な減少にともなって、今後どのようなシステムになっていくのだろうかという問題提示が。
本の帯に作家・北康利氏の「学術書ながら、企業経営のヒントにもなる」という書評はけだし、正鵠を射ているなあ。巨大化した家元制度の維持・発展=大企業の経営と考えれば。

   *    *   *

以前から家元の存在意義ってなんだろう、と考えることがある。
お茶をするのに、私のような末端の弟子にはほぼ関係のない距離感のある存在なので、いてもいなくてもいいんじゃないか、と思っていた。
けれどはっきりした家元制度をもたなかった中小流派の苦難の道を思う時、やはり家元って弟子すべてを同じ方向性を向かせるシンボルとして必要なのかも、と今回本を読みつつ思った。


数年前、伺ったときには、これでもか?と分化した流派の点前ひとつひとつを、時に門前払いもされつつ実際にご覧になって、その類似性、相異性について、統計学的手法で解析した論文を拝見した。
それはそれで目からウロコの視点を持つ研究で感動したのだけれど、そこから始まった研究をこのような論文に結実されたとは、実にお見事です。

過日廣田さんに、ふたたび客2名という贅沢なお茶会にお招きいただいた。
ほんとうに佳きひとときを頂戴した。
どんな質問にも丁寧に、淡々とお答え下さるお人柄は、この御本の語り口そのものでした。
ご縁をむすんでくれた茶の湯に感謝です。

八瀬童子ー天皇と里人ー 〜京都文化博物館 - 2013.01.11 Fri

EPSON001.jpg京都文化博物館開催中の(〜14日まで)「八瀬童子」展、行ってきました。
八瀬童子の特異な歩みを伝える資料(「八瀬童子関係資料」)が2010年に国の重要文化財に指定された記念だそうです。

そもそも八瀬童子とはなにか?

ネイティブ京都人でない私には聞いたことあるような気もするけれど???な存在で、展示もじみ〜な古文書のたぐいばかりなんですが、展示物の説明など読んでいると「かくれ里」の伝説みたいでいたく興味をそそられました。

八瀬童子は比叡山麓の八瀬(八瀬ちゅうたら八瀬遊園とか、窯風呂の話しかしらんかったし、、、)は閉鎖的な地理的条件もあって、1000年以上独特の村落共同体をつくって生活してきた人々のこと。
かつてよそからの人の流入も拒んでいたといいます。
(現在はまさかそんなことはないでしょうが、その伝統を守るため関係者によって社団法人八瀬童子会が組織されているそうです。)

平安時代のころは比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めていたらしく、伝説では伝教大師が使役していた鬼も子孫とも。
寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らした「大童(おおわらわ)」の姿だったので童子と呼ばれたそうです。

はっきりその存在がわかってくるのは後醍醐天皇のころ以降。
1336年(南北朝のはじまり)京を脱出した後醍醐天皇が比叡山に逃れる際、八瀬郷13戸の戸主が輿を担ぎ、弓矢を取って奉護し、この功績により地租課役の永代免除の綸旨を受けたそうです。
それ以降、特に選ばれた者が輿丁として朝廷に出仕し天皇や上皇の行幸、葬送の際に輿を担ぐことが主な仕事となったとか。
「天皇側近の里人たち」といわれる由縁ですね。

のちに比叡山寺領に入会権を持ち、洛中での薪炭、木工品の販売に特権を認められた、とあるので日々の暮らしは主に農林業だったようです。

今回の展示は、そのほとんどがその嚆矢である後醍醐天皇を皮切りに代々の天皇の綸旨もしくは綸旨案です。
ちなみに綸旨とは蔵人が天皇の意を受けて発給する命令文書。
「八瀬の里人には地租、年貢は一切免除する」という簡単な文面ながら、これは里人にとっては大事な保証書のようなものだったはず。

この綸旨はどれも煤けた、というか薄汚いといえなくもない灰色の紙に書かれているのですが、これは、薄墨紙とよばれるリサイクル紙なんですって。だから墨の色がまじってこんな色!
後に綸旨には薄墨紙を用いるのが慣例化したので、薄墨紙を「綸旨紙」、綸旨自体を「薄墨綸旨」とよぶようになったそうです。

年代を追っていってみると、途中で役人(蔵人)もだれてきたのか、ほとんど前例文書き写しという感じで、最初の頃威厳のある流麗な文字も、私でも判読できるくらいの楷書体になってきて、時代のうつりかわりよのう、、、と。

さて、織田信長ですら八瀬郷の特権の安堵状をあたえたくらいですが、かれらものほほんとそれに甘えていたわけではありません。
近隣の村との結界争いは度々あったようです。
一番大きな事件になったのは延暦寺との境界争い。

政治力のあった天台座主が幕府に八瀬郷の入会権の廃止を認めさせたのです。
これは八瀬郷の人たちの生活基盤を根本的におびやかすものでした。
これに対し八瀬郷は再三にわたり幕府に復活を願い出るが認められず、宝永4年(1707年)になってようやく老中秋元喬知の裁定で八瀬郷の入会権は回復されたとか。

八瀬郷はこの恩に報いるため秋元を祭神とする秋元神社を建立し徳をたたえる祭礼、すなわち「赦免地踊」と呼ばれる踊りの奉納をしているそうです。(毎年10月の第2月曜日の前日にあたる日曜日)。

展示の最後はその秋本神社の四季のパノラマ大写真と、その赦免地踊りの華やかな意匠と、みごとな切り紙細工の切り子灯籠。
いままでのじみ〜な展示とうってかわって、これは美しい!
祭のVTRもありました。
赦免地踊をするのは10代前半の男の子なんですって。
彼らが化粧を施され、刺繍の豪華な衣裳に身をつつむとなにやら妖しい神々しさがでてきます。(私は決して腐女子ぢゃありませんよ)
これはいちどリサーチにいってみなければ。

近代においては、
明治元年、明治天皇が初めて江戸に行幸した際に八瀬童子約100名が参列。
大正元年、明治天皇の葬送にあたり、八瀬童子を葱華輦(天皇の棺を載せた輿)の輿丁とする慣習が復活。
昭憲皇太后葬儀に参加。
昭和元年、大正天皇の葬送に参加。
明治維新後には地租免除の特権は失われていたそうですが、毎年地租相当額の恩賜金を支給されていたそうです。

ところが平成元年、昭和天皇の葬送では棺は自動車によって運ばれることとなり、葱華輦は式場内の移送にのみ用いられることとなり、八瀬童子会は旧例の通り八瀬童子に輿丁を任せるよう宮内庁に要請しましたが警備上の理由から却下されたそうです。
これに対して八瀬童子会の悔しさ、悲しさは、落胆ぶりは尋常ではなかった、、、とどなたかのブログで拝見しました。村をあげての誇りの仕事だったでしょうから。
やがて、こういうミステリアスな集落の伝説も消えていくんだなあ、、と少しさびしいです。

ちなみに冒頭のポスター写真は、明治天皇大喪奉舁参観図をデジタル処理できれいにしたものだそうですよ。

(参考)「天皇の影法師 」 猪瀬直樹・著
  (あら、オリンピック招致だけやってるわけじゃなかったのね^_^;)



(おまけ)行ったらこんなかわいい次回展示の割引券いただいた。栞にしよう

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弓月さんで御召 - 2013.01.09 Wed

上七軒にある西陣御召の織元のアンテナショップ、弓月(京店)さんで、お手頃価格の御召をゲットしました。

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ここはお店自体も見応えのある町家だし、和装小物がすてきで着物好きには素通りできないお店なんです。
特に御召の着尺が豊富にそろっていて、目移りすることしきり。
あれこれ肩にあててみて、ようやく選んだ一枚、先日仕立て上がったので受け取りに行きました。

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たとう紙のロゴもなんとなくおしゃれ。

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ダークグリーンの変わり格子です。
おしゃれ着にしようと、八掛は同系色にせずベージュに。
すると、歩くときちらっとみえる裏側にこんなすてきな弓月模様がついていました。

御召(おめし)はしゃきっとしてて着やすいし、それでいて大島みたいにかたくなく、しっとりと身になじむので好きな着物です。
京都の西陣で300年ほど前からつくられていたそうで、徳川11代将軍家斉が好んで着用したのが「御召」の呼称の所以であるとか。

御召とはWikiによると

先染めの糸を用いた平織りの織物で縮緬の一種。
通常縮緬は縦糸に撚りをかけず、横糸に右撚りと左撚りを交互に用いることで独特のしぼを出すが、御召は縦糸につよい撚りをかけた八丁撚りという糸を用い、横糸にも一般の縮緬よりも撚りのつよい御召緯という糸を使うことによって、縮緬独自のしぼがより大きく、はっきりとあらわれるところに特色がある


、、、、だそうです。
かつては柳条(しま)縮緬とか錦紗ともよばれたとか。(山名騒然様、プロの情報をありがとうございました。)
着心地はやわらかものと紬の中間といったところでしょうか。

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アップにするとこんな感じ。

調べると、一般に和服では織りよりも染めのほうが格が高いといわれているにもかかわらず、御召にかぎっては先染め織物中一二の格を持ち、略礼装として用いられると書かれています。

しかして茶席の亭主として、御召はどうなのか?
男性の場合はむしろ亭主は御召を着用がのぞましい、と書かれているけれど、女性の場合、やはり織りの着物だからNGという意見もあれば、略礼装になるくらい格がたかいのだからOKという意見もあり、悩むところです。

さらに調べてみると、御召にも模様や織り方によっていろんな種類があることを知りました。
縞御召、絣御召(昔の女学生やお女中さんが来ていた矢絣なんか)、無地御召、紋御召、風通御召、絵緯御召、縫取御召などなど。
そういえば縞、格子や矢絣なんかはやはり茶席には合わないような気がしますし、無地や地紋の御召ならふさわしいような気がします。
いずれにせよ、御召の着用におよぶと、陰で「お茶席であんな着物を着て、、」と言われる可能性はゼロではない→よって避けた方が無難かも〜、、、と思ったり。

最近では紬でも高級な物ならフォーマルな席でもOKという人もおられるし、6月・9月単衣、7月・8月薄物、というのも気候に合わせて融通をつけてもよいという人もおられるし、なにが着物の正しいドレスコードなのかよくわからなくなっている気はします。
時代に合わせて変化していけばいい、というのも一つの意見ですが、やはり長年培われた着物文化のベースになるところは壊してはいけないと思うのですが。

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今回は初めからおしゃれ着として誂えたので、こんな名古屋帯とあわせてカジュアルに楽しむつもりですけれどね。

年の始めの初春のけふ降る雪の〜出町あたり - 2013.01.06 Sun

  あらたしき 年の始めの初春の けふ降る雪の いや重(し)け吉言(よごと) 
                                      大伴家持

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4日は降りましたね、雪。
で、こんな歌を思い出しました。

この歌はめったにない朔旦立春(立春と元日=旧正月が重なる)のめでたさを歌ったもの。
立春と正月が重なったようにめでたいことも重なるように、と。
最近では平成4年、次回は2038年なのだそう。(う〜ん、、、いくつになっているのだろう?というかまだ生きてるかしらん(^_^;)

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出町あたりから北山を見るとすっかりしぐれてかすんでいます。
ユリカモメの群れがかすかにみえるでしょうか。
このユリカモメ、もうすっかり京都の冬の風物詩として定着していますが、私が学生の頃は「最近よく飛来するようになったユリカモメ」といわれていたので、そんなに古くからではないようです。
(え?十分古いって?(^◇^;) )

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そのユリカモメが夜帰っていく琵琶湖への飛行ルートであるところの比叡山。
お山が特に神々しく見える雪景色。

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鴨大橋の所から雪大文字を期待しましたが、降雪中とみえて、大の字すらもさだかならず。
残念。

かなり吹雪いてきたので(おおげさか?でもチャリだったので)橋の西詰めにあるBON BON cafeさんで雪やどり。
ここは昔銀行だったのよ。(何銀行だったか記憶になし)
リバービューの席では、真正面のほんによい角度に大文字が見えるの。

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あら、、、
雪やどりしているとほんとうにからりと晴れてきましたね。
せっかくだから鴨川わたりをしよう。

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高野川と賀茂川が合流して鴨川になるこの三角州は、昔から有名だったけれど(合ハイ名所^_^;)当時はこんな飛び石なかったように記憶するが。
少なくとも、亀やら千鳥やらの形の石はなかったはず。

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この飛び石の間隔が微妙で、小柄もしくは短足者にはややきつい。(私はその二重苦なので、、、)
まだジャンプできるけれど、あと10年したら確実に無理っぽい。

橋をわたって川端を南下したところで、こんなお店を発見!!

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お茶用の炭をバラ売りしてくれるお店!
福知燃料さん!
たしか暁庵様がいってらしたのはここだったのね。
実はここ、学生時代一番最初で一番長くいた下宿の目と鼻の先。
古い看板の電話番号の局番が一ケタだったので、当時からここにあったはず。
そういえばなんとなく記憶にあるのだが、多分「燃料のお店」くらいの認識でした。
いや〜、これからもご縁がありそうな店になるとは当時しるよしもなく。

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家に帰って雪の日にはこれ、、、と。
「雪餅」(千本玉寿軒)
つくね芋の繊細きんとんに黄味餡。

  ♪ けふ降る雪のいや重け吉事


Along the 哲学の道・2013 新春 - 2013.01.04 Fri

三が日のお昼に、銀閣寺道にほど近い名代おめんさんへ。

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お!
三宝にちゃんと仏手柑がのってるね。

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ここのおうどんはつけ麺タイプ。
どっさりの薬味をいれていただきます。

学生時代に哲学の道の畔に住んでいた頃から、ここ、おめんさんはタレントなどが来る店としてすでに有名でした。
まあ、学生にはちょっとお値段の方がアレでしたので、1〜2回しかいったことなかったですけれどね。

いまではあちこちに支店をだすまでに繁盛しているんだ。

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せっかくここまで来たことだし、帰りは哲学の道を南下して歩いて帰ろう。

新春の哲学の道は、人のすがたもまばらだし、沿道のお店は多くは閉まっているので、西田幾多郎や河上肇らが「哲学的思考」をしながら歩いた頃の雰囲気そのままかもしれない。

道により沿う流れは琵琶湖疏水鹿ヶ谷分線。

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春先に黄色〜オレンジ色の花をさかせるミツマタのつぼみがこんなに大きくなっている。

あ、こんなお店なら開いていてもいいな。

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あんこ好きには素通りできない仙太郎さん。
学生の時にはなかったお店ですが。

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私好みのお汁粉に近い善哉を新年早々いただく。

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せっかく近くまできたのだから法然院にもよっておこう。

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普段はあまり見ない山門の化粧屋根裏をしげしげと拝見。
良い仕事してますね〜、、、なんて言葉もでてくる。

一般的viewはこちらのほうだけれど。

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今年初の砂山に描かれた砂絵はちょっと解読できなかったが、、、

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椿の寺としても有名だけれど、今はさざんか。
学生時代からお気に入りの場所。

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藤の木の幹はねじれねじれて、花の季節以外にはなんだか人間が苦しみもがいて葛藤する姿に見える。

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お正月らしいイケメン王の蘭陵王の衝立。

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哲学の道にもどろう。
全長1.6kmながら、その景色は少しずつちがう。
多分もっと歩き倒したら、写真をみただけでどこらへん、、ってわかるようになるのではないかしら。

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こんどは大豊神社へよりみち。
ご存じ狛犬ならぬ狛ネズミで有名。
この小さいお手々がかわいい。
頭の上にお賽銭をのっけているのも笑えるほほえましい。

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大豊神社のご祭神は少彦名命、応神天皇、菅原道真公だけれど、この狛ネズミが守っているのは大国主命。
せまりくる炎から「内はほらほら、外はすぶすぶ」といって大国主を助けたネズミの神話によるものらしい。

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境内ではおささがふるまわれます。
各自自由にいただけるので、のんべさんは何杯でも可(かも)。

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ここでは早くも蝋梅のつぼみがほころんでいました。

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丸太町より南は椿、山茶花ががぜん多くなる。

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そして山の気がぐっとせまってくるような感じがするパートです。
ひっそり戦没者(だったと思う)の慰霊碑とそれを守るがごとき山椿の大木があるのもこのあたり。

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東福門院ゆかりの光雲寺裏の通称哲学の道猫たち。
寒風に耐えて年をこしたようだ。
野良には野良の矜恃がある、といわんばかり。

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いよいよ道も若王子あたりでおわり。
疏水はこの先鹿ヶ谷取水池へ。(管轄は松ヶ崎浄水場なのね、なぜか)
更に先は南禅寺の水路閣へと続く。

ここからお家まではあと一息。











壬辰から癸巳2013へ - 2013.01.02 Wed

年が明ける前から初詣をあてこんだ露店がならぶ平安神宮前。

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長い行列の知恩院前はスルーして、八坂神社へ。

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白朮(おけら)火をいただく。

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火のついた吉兆縄を消えないように回してお持ち帰り。
まあ、火をうつすかまどはないのですけれど、なんとなく厄除けの気分。

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年も明けて初詣は平安神宮。

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お賽銭をいれるところまでが長い行列( ̄△ ̄;)

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お目当ては神楽殿にての神楽式。

  ♪ とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう

       ちりやたらり たらりら  たらりあがり ららりとう


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露払いの千歳は大蔵流能楽師・狂言方、山口耕道さん。


   ♪ 所千代までおはしませ 我等も千穐さむらはう

         鶴と亀との齢にて  幸ひ心にまかせたり


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能と言うより神事たる翁の舞は金剛流宗家・金剛謹永さん。


  ♪ とうとうたらり たらりらちりやたらり たらりら
    
            たらりあがり ららりとう


P10501162.jpg



なにやら神々しき翁の舞に、今年も世の中「いや重け吉事(いやしけよごと)」と祈らずにはいられない。

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〆は重厚な翁とうってかわって軽快な三番叟・鈴の段。
大蔵流能楽師・狂言方 茂山良暢さん。

このあともめでたい「髙砂」など続きますがここで失礼して、氏子であるところの岡崎神社へ初詣。

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そして帰宅後は自宅で初釜。

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まあ、ちょっとありあわせの取り合わせで。

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お菓子は千本玉寿軒さんの花びら餅にて。
昨年は点前襖をあけたとたん、すでにお菓子を食ってる(!)連中と目があったので、今年はちゃんと「お菓子をどうぞ。」といわれてから食べるように言い聞かせました。

しかし、最初のお菓子をどうぞ、、、で全員がいっぺんに食べ始めた、、、Σ( ̄ロ ̄lll) 

P1050137.jpg

で、ゼロ歳児、茶室2回目のでびゅ〜

孫・茶の湯化計画ひそかに進行中。


かくて新年の1日は暮れにけり。



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