雛の家 - 2013.02.27 Wed
草の戸も 住替る代ぞ 雛の家 (芭蕉)
洛中でこんな人形屋さんをみつけました。

高倉通りの京人形・本家かつらさん。
おもてのショウウィンドウに飾ってある犬筥についつい引き寄せられて、中へ入ってみました。
中に入るとご主人が土人形のお顔に彩色中。お店の中にもみやびな雛人形、市松人形など飾られています。
ここでお作りになっているんですか?と聞くと京人形は手足師、髪付師、頭師、着付師など、それぞれの専門の職人さんがいるので、4〜5人で集まって作るんですよ、とのことでした。
でも市松さんなどは、(人形の)頭さえあれば、こちらで着付けなどされるそうです。そういえば何種類かの市松さんの振り袖用の裂地がならんでいました。
こういう家内工業的なお店が町中にあるところが京都らしい。
犬筥をもとめて入れてもらった紙袋は、、、、

なんと、ご主人手描きのお雛様が。いや〜ん、これじゃ捨てられへんわ~o(≧▽≦)o

これがその犬筥です。
犬筥は雌雄で一対。(向かって右が雄らしいのですが、やさしい顔してますねえ)
かつて宮中で安産や子供のお守りとして枕元に置かれた飾りで、犬張り子の原型ともいわれます。中にお守りの御札とかおさめるよう、「箱」になっています。
お雛様のお守りとも言われ、雛人形といっしょに飾られることも多いので、この季節にはよく目にします。
え?だれですか?
人面犬とかいっているのは?
でも、ほんとうに不思議な姿をしていますよねえ。
さて、我が家も十年ぶりくらいでお雛様を出しましょう。

娘が大学へ行くのに家を離れるまでは毎年飾っていました。初節句のときの写真から毎年お雛様といっしょに写真をとって、それを一冊のアルバムにまとめてやりましたが、嫁ぐ際、それを大事そうに持っていってくれたのがうれしかったです。

それからしばらく出してやる機会もなく、納戸の隅でおやすみだったお雛様、孫娘の初節句にあわせて久々に飾ってやることができました。
ところでこのお雛様、実は私の初節句に両親がそろえてくれたものなんです。ゆえに還暦まぢか。
普通のサラリーマンの家庭でしたから、それほど豊かでもありませんでしたのでデパートなどで大量に生産され売られていたものだと思います。衣裳の金箔はくすんで、散逸してしまった雛道具もあり完品でもないのですが、私、娘二代を見守ってくれたお雛様です。これからは三代目の孫娘の成長も見とどけて欲しいと願っています。

そのお雛道具の中には私の母から伝えられた道具もあって、その母の母から伝わったものもあります。
これなどは明治頃の雛箪笥かもしれません。どういうゆかりの方が持っていたのか、それすらもわかっていません。

こんな豆雛もあるんです。(1cmくらいの大きさ)
小さい頃にはもっとたくさんあったのですが、とうとうこの2つだけになってしまいました。

この小さい土でできたお雛様は裏に「大正九年」の文字があります。
いずれにしても幼かった私はこの道具をならべ、お膳の器の中に雛あられをいれたり、箪笥を開けたり閉めたり、いとこたちと雛遊びをしていました。懐かしい思い出です。
最近ではそんな雛遊びをする女の子は少ないかもしれませんね。

おかげさまでこのお雛様で遊んだ女の子は無事大きくなって、孫娘まで授かることができました。
ありがとう、、、って言いたい気持ちです。

この薬玉のさげものは数年前、私が作りました。
これもいっしょに飾って、犬筥も飾って、、、、

娘の市松さんと孫娘の市松さん。おにぎやかに。

あと昔信じていたのは、お雛様は夜、皆が寝静まったころに、五人囃子の奏でる楽曲にあわせて歌ったり舞ったりの宴を開いているってこと。
残念ながらそれは確かめたことがありませんが、でもきっとそんな宴を開いているような、、、そんな気がするのが不思議です。

おまけは桃の節句にふさわしい、とらやさんの練り切り。
洛中でこんな人形屋さんをみつけました。

高倉通りの京人形・本家かつらさん。
おもてのショウウィンドウに飾ってある犬筥についつい引き寄せられて、中へ入ってみました。
中に入るとご主人が土人形のお顔に彩色中。お店の中にもみやびな雛人形、市松人形など飾られています。
ここでお作りになっているんですか?と聞くと京人形は手足師、髪付師、頭師、着付師など、それぞれの専門の職人さんがいるので、4〜5人で集まって作るんですよ、とのことでした。
でも市松さんなどは、(人形の)頭さえあれば、こちらで着付けなどされるそうです。そういえば何種類かの市松さんの振り袖用の裂地がならんでいました。
こういう家内工業的なお店が町中にあるところが京都らしい。
犬筥をもとめて入れてもらった紙袋は、、、、

なんと、ご主人手描きのお雛様が。いや〜ん、これじゃ捨てられへんわ~o(≧▽≦)o

これがその犬筥です。
犬筥は雌雄で一対。(向かって右が雄らしいのですが、やさしい顔してますねえ)
かつて宮中で安産や子供のお守りとして枕元に置かれた飾りで、犬張り子の原型ともいわれます。中にお守りの御札とかおさめるよう、「箱」になっています。
お雛様のお守りとも言われ、雛人形といっしょに飾られることも多いので、この季節にはよく目にします。
え?だれですか?
人面犬とかいっているのは?
でも、ほんとうに不思議な姿をしていますよねえ。
さて、我が家も十年ぶりくらいでお雛様を出しましょう。

娘が大学へ行くのに家を離れるまでは毎年飾っていました。初節句のときの写真から毎年お雛様といっしょに写真をとって、それを一冊のアルバムにまとめてやりましたが、嫁ぐ際、それを大事そうに持っていってくれたのがうれしかったです。

それからしばらく出してやる機会もなく、納戸の隅でおやすみだったお雛様、孫娘の初節句にあわせて久々に飾ってやることができました。
ところでこのお雛様、実は私の初節句に両親がそろえてくれたものなんです。ゆえに還暦まぢか。
普通のサラリーマンの家庭でしたから、それほど豊かでもありませんでしたのでデパートなどで大量に生産され売られていたものだと思います。衣裳の金箔はくすんで、散逸してしまった雛道具もあり完品でもないのですが、私、娘二代を見守ってくれたお雛様です。これからは三代目の孫娘の成長も見とどけて欲しいと願っています。

そのお雛道具の中には私の母から伝えられた道具もあって、その母の母から伝わったものもあります。
これなどは明治頃の雛箪笥かもしれません。どういうゆかりの方が持っていたのか、それすらもわかっていません。

こんな豆雛もあるんです。(1cmくらいの大きさ)
小さい頃にはもっとたくさんあったのですが、とうとうこの2つだけになってしまいました。

この小さい土でできたお雛様は裏に「大正九年」の文字があります。
いずれにしても幼かった私はこの道具をならべ、お膳の器の中に雛あられをいれたり、箪笥を開けたり閉めたり、いとこたちと雛遊びをしていました。懐かしい思い出です。
最近ではそんな雛遊びをする女の子は少ないかもしれませんね。

おかげさまでこのお雛様で遊んだ女の子は無事大きくなって、孫娘まで授かることができました。
ありがとう、、、って言いたい気持ちです。

この薬玉のさげものは数年前、私が作りました。
これもいっしょに飾って、犬筥も飾って、、、、

娘の市松さんと孫娘の市松さん。おにぎやかに。

あと昔信じていたのは、お雛様は夜、皆が寝静まったころに、五人囃子の奏でる楽曲にあわせて歌ったり舞ったりの宴を開いているってこと。
残念ながらそれは確かめたことがありませんが、でもきっとそんな宴を開いているような、、、そんな気がするのが不思議です。

おまけは桃の節句にふさわしい、とらやさんの練り切り。
楽茶碗鑑賞茶会〜利休忌にちなみ利休七種を中心に - 2013.02.25 Mon
楽美術館では、年に何回か、楽吉左衛門さんが亭主となって、実際に歴代の楽茶碗を手にとってお茶をいただける楽鑑賞茶会をされています。

小雪のちらつく底冷えの中、出かけて参りました。
昨年秋は明月をテーマにひらかれた茶会でしたが、今回は2月28日(旧暦)の利休忌にちなんで、利休さんをしのぶ茶会がテーマです。

本席の軸はなにやら(読めない)歌が書かれていて、下の方に二つの白い長方形の部分が残された拓本といった感じの部分があって、この白い部分に「利像旧跡」と。
なんとこの長方形は、表千家につたわる利休像の草履(下駄?)を写し取ったものなんだそうです。書かれている歌は(記憶力のなさで、、、)忘れましたが、梅の花を歌った、なんだか自分の死期を覚悟したような歌でした。
花入は「利休形」胡銅鶴首(七代浄益)、茶杓が鉄刀木(たがやさん)の「利休形」(珠徳形とペアのうち)。
菓子器は覚入の瓔珞文食籠。瓔珞は仏様の装飾品なので、利休を偲ぶ、という意味で。お菓子は聚洸さんの鶯蕨餅。(うぐいす餅の餅の部分がわらび餅でおいし〜)
釜が了保(大西の十代・浄雪の弟)の姥口蒲団釜。蒲団釜とは、利休が城の天守での茶事が終わって下に降ろすとき蒲団に包んで大事に降ろしたところからとも。蓋が宝相華のようで、これも仏様の荘厳。
薄器は梅の季節にちなんで、月ヶ瀬梅林の梅の古木でつくった梅蒔絵の雪吹。(とても渋い)

しかし、なんといっても席の主役は長次郎の作った利休七種といわれる名碗を、長入が写した物。
この七つの茶碗はそれぞれいろんな逸話を持っているのですが、残念ながら現存するのはうち三つ(+α)だけなのです。(+αについてはのちほど)
よくご存じの方はスルーしていただいて、自分のメモとして、、、
*「早船」赤楽・畠山美術館蔵で現存。
古田織部、蒲生氏御、細川三斎を大阪の茶会に招いたとき、利休が早船で京からとりよせた、という逸話。利休の死後三人とも所望したが、結局氏郷の手にわたったとか。
本歌は継ぎがはいっていて、富士山みたいな釉薬の景色が入っています。
*「臨済」赤楽・現存せず
口作りの曲線が京都の臨済五山を表しているようだということから。底の部分に目跡あり。
*「検校」赤楽・現存せず
「このようなよい茶碗が長次郎のもとに残っていたとは、皆々検校殿よ」と利休が言ったとか。
木守にしても、俊寛にしても、「良いのが一個だけ残った」という逸話が多いな。
写しを拝見した限りでは、鉢がひらいた大ぶりの、楽にしてはめずらしい形。
*「大黒」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
大黒、、、というわりにはむしろ小さい、という印象。かせた感じはなく、むしろ艶々。
*「東陽坊」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
京都真如堂東陽坊の住職であった東陽坊長盛が利休から拝領して所持していたことから。(建仁寺の本坊にある茶室東陽坊は、北野大茶湯の際に長盛がたてたのを移築したもの。)箱の蓋裏に利休自筆の書付あり。
口べりの内側を薄く削っていて少し反り返っているのが特徴的。わりと大きい。
*「鉢開」黒楽・現存せず
ウエストがきゅっとくびれたような横から見ると8の字にみえるやや小振りな茶碗。鉢開とは托鉢をして金品を 乞い歩く鉢開き坊主のこと。その姿に似ているといわれていますが、その鉢開き坊主がよくわからんのでなんとも。
同じく長次郎で有名な「面影」はこの鉢開に面影がにているから付けられたといいます。面影は内箱蓋裏の書き付けに宗旦門下の石川自安が「細三ノ所持之鉢ひらきニよく似候由也」と。(細三=細川三斎)
*「木守」赤楽・微妙に現存。これがその+αのもの
実はこの写しでお茶をいただきました。すこしかせた感じの赤、というより渋い肌色という感じでしょうか。貫入が良い感じにはいっています。
木守は、次の年の収穫を願って最後に一つだけ木に残す柿の実のことで、かつて利休が長次郎の作った数十個の茶碗を並べて、門人に選び取らせたところ、この茶碗1つだけが残ったことから名付けたとされています。
この木守、官休庵・3代目家元のころに、仕えていた高松の松平候に献上され、代々の家元襲名茶事の折のみ、松平候から拝借し、茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯に返す慣わしになっていました。ところが大正8年、官休庵9代目が松平家からこの木守を拝借し茶事を終えたあと、松平家に戻された木守は高松へは帰らず東京のお屋敷に保管されたため、関東大震災で木っ端微塵になってしまったのです。
その残欠を集めて楽家の弘入、惺入が二代にわたり修復したものが現存しています。写真を拝見しましたが、茶碗全体からすると、たった5%くらいしかオリジナルがないしろもので、色も赤茶色に窯変してしまっています。
あの時、高松に帰っていれば、、、、と数奇な運命を感じさせる茶碗ですね。

、、、このように茶碗にまつわる逸話や歴史は本を読んでも知ることはできますが、その写しを目の前に、あまつさえそれでお茶をいただきながら、楽さんの柔らかい語り口で拝聴すると、とても印象深くて記憶に残ります。
また、次回も参加させていただこう( ̄▽ ̄)b

ちなみに現在の展示「楽歴代 春節会」も見応えあります。
先代覚入のかわいい梅の高台のお茶碗がよかったなあ。たまには渋系ではなくカワイイ系にも惹かれますのよ。おほほ。

小雪のちらつく底冷えの中、出かけて参りました。
昨年秋は明月をテーマにひらかれた茶会でしたが、今回は2月28日(旧暦)の利休忌にちなんで、利休さんをしのぶ茶会がテーマです。

本席の軸はなにやら(読めない)歌が書かれていて、下の方に二つの白い長方形の部分が残された拓本といった感じの部分があって、この白い部分に「利像旧跡」と。
なんとこの長方形は、表千家につたわる利休像の草履(下駄?)を写し取ったものなんだそうです。書かれている歌は(記憶力のなさで、、、)忘れましたが、梅の花を歌った、なんだか自分の死期を覚悟したような歌でした。
花入は「利休形」胡銅鶴首(七代浄益)、茶杓が鉄刀木(たがやさん)の「利休形」(珠徳形とペアのうち)。
菓子器は覚入の瓔珞文食籠。瓔珞は仏様の装飾品なので、利休を偲ぶ、という意味で。お菓子は聚洸さんの鶯蕨餅。(うぐいす餅の餅の部分がわらび餅でおいし〜)
釜が了保(大西の十代・浄雪の弟)の姥口蒲団釜。蒲団釜とは、利休が城の天守での茶事が終わって下に降ろすとき蒲団に包んで大事に降ろしたところからとも。蓋が宝相華のようで、これも仏様の荘厳。
薄器は梅の季節にちなんで、月ヶ瀬梅林の梅の古木でつくった梅蒔絵の雪吹。(とても渋い)

しかし、なんといっても席の主役は長次郎の作った利休七種といわれる名碗を、長入が写した物。
この七つの茶碗はそれぞれいろんな逸話を持っているのですが、残念ながら現存するのはうち三つ(+α)だけなのです。(+αについてはのちほど)
よくご存じの方はスルーしていただいて、自分のメモとして、、、
*「早船」赤楽・畠山美術館蔵で現存。
古田織部、蒲生氏御、細川三斎を大阪の茶会に招いたとき、利休が早船で京からとりよせた、という逸話。利休の死後三人とも所望したが、結局氏郷の手にわたったとか。
本歌は継ぎがはいっていて、富士山みたいな釉薬の景色が入っています。
*「臨済」赤楽・現存せず
口作りの曲線が京都の臨済五山を表しているようだということから。底の部分に目跡あり。
*「検校」赤楽・現存せず
「このようなよい茶碗が長次郎のもとに残っていたとは、皆々検校殿よ」と利休が言ったとか。
木守にしても、俊寛にしても、「良いのが一個だけ残った」という逸話が多いな。
写しを拝見した限りでは、鉢がひらいた大ぶりの、楽にしてはめずらしい形。
*「大黒」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
大黒、、、というわりにはむしろ小さい、という印象。かせた感じはなく、むしろ艶々。
*「東陽坊」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
京都真如堂東陽坊の住職であった東陽坊長盛が利休から拝領して所持していたことから。(建仁寺の本坊にある茶室東陽坊は、北野大茶湯の際に長盛がたてたのを移築したもの。)箱の蓋裏に利休自筆の書付あり。
口べりの内側を薄く削っていて少し反り返っているのが特徴的。わりと大きい。
*「鉢開」黒楽・現存せず
ウエストがきゅっとくびれたような横から見ると8の字にみえるやや小振りな茶碗。鉢開とは托鉢をして金品を 乞い歩く鉢開き坊主のこと。その姿に似ているといわれていますが、その鉢開き坊主がよくわからんのでなんとも。
同じく長次郎で有名な「面影」はこの鉢開に面影がにているから付けられたといいます。面影は内箱蓋裏の書き付けに宗旦門下の石川自安が「細三ノ所持之鉢ひらきニよく似候由也」と。(細三=細川三斎)
*「木守」赤楽・微妙に現存。これがその+αのもの
実はこの写しでお茶をいただきました。すこしかせた感じの赤、というより渋い肌色という感じでしょうか。貫入が良い感じにはいっています。
木守は、次の年の収穫を願って最後に一つだけ木に残す柿の実のことで、かつて利休が長次郎の作った数十個の茶碗を並べて、門人に選び取らせたところ、この茶碗1つだけが残ったことから名付けたとされています。
この木守、官休庵・3代目家元のころに、仕えていた高松の松平候に献上され、代々の家元襲名茶事の折のみ、松平候から拝借し、茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯に返す慣わしになっていました。ところが大正8年、官休庵9代目が松平家からこの木守を拝借し茶事を終えたあと、松平家に戻された木守は高松へは帰らず東京のお屋敷に保管されたため、関東大震災で木っ端微塵になってしまったのです。
その残欠を集めて楽家の弘入、惺入が二代にわたり修復したものが現存しています。写真を拝見しましたが、茶碗全体からすると、たった5%くらいしかオリジナルがないしろもので、色も赤茶色に窯変してしまっています。
あの時、高松に帰っていれば、、、、と数奇な運命を感じさせる茶碗ですね。

、、、このように茶碗にまつわる逸話や歴史は本を読んでも知ることはできますが、その写しを目の前に、あまつさえそれでお茶をいただきながら、楽さんの柔らかい語り口で拝聴すると、とても印象深くて記憶に残ります。
また、次回も参加させていただこう( ̄▽ ̄)b

ちなみに現在の展示「楽歴代 春節会」も見応えあります。
先代覚入のかわいい梅の高台のお茶碗がよかったなあ。たまには渋系ではなくカワイイ系にも惹かれますのよ。おほほ。
天空の茶事 - 2013.02.23 Sat
今日はひいらぎ様のお宅での茶事に初めておまねきにあずかりました。

勝手に題しまして「天空の茶事」。
なぜかといいますと、、、

なんたる絶景!
ひいらぎ様のお茶室はマンションの高層階にあるのです。
さてさて、どのようにマンションの部屋を茶の湯空間にされているのでしょう。

待合はフローリングの部屋に琉球畳を敷いて。
なんと置炉まであって、お詰めさんが白湯を汲出しにいれるようになっています。
寒い季節にはありがたいご配慮です。

この原了郭の香煎の入れ物、いいなあ(´▽`)

ま!美しい火入れの灰!
腰掛け待合いは室内に椅子を並べて。ちゃんと正客と次客以下の間に本来煙草盆をおくべきスペースもあって、本格的です。

これもアイデアの蹲居です。寒くない季節なら、外のテラスに設置されるそうですが、寒いので玄関のスペースに。

いよいよお茶室に入席、襖をあけますと、、、、
まあ!びっくり!
薄明の茶室に夜咄に使う手燭に和蝋燭の灯りがゆらゆらと。
日あたりのあまりよくない部屋を逆手にとって、幽玄の空間にされているのです。とてもマンションの一室でしかも高層にある、、とは思えません。
炉が切れないことをこれも逆手にとって、風炉をすえた台子飾り。
炭出前ができないかわりに(スプリンクラー作動)香盆をお持ちだしくださり聞香を。
夜咄くらいの薄明かりなので嗅覚がとぎすまされ、とてもみやびなひとときです。
懐石はおとなりのダイニングでちょうだいしました(足が楽〜)。懐石はすべてひいらぎ様おひとりのお手製ですのよ〜\( ̄▽ ̄;)/すごい〜!
あまりにおいしかったので覚えている限り記録しておきますね。
汁は合わせ味噌に里芋(お汁、とってもおいしかった!)
向付は鯛 ツボツボならぬ青竹の器になます
煮物椀は蟹しんじょう 焼物は鮭の西京漬け
蕪蒸しに道明寺粉がはいったもの(これ食感が新鮮でまねしてみようと)
大根の紅芋酢漬け(飯尾醸造さんの紅芋酢!) 利休麩のはいった野菜の和え物 小吸物にはちいさなマンゴーが。
お酒は福井・大野の生酒、「花垣」をご用意いただきました。生酒なのでほのかに炭酸の味がして、ついついたくさんいただく。しかも本席のお軸が「蓬壺(=蓬萊山)生春酒」なので〜(⌒∇⌒。)
さらに感激したのは八寸の、これも数ヶ月かけて手作りされた柚餅子!私、本式に作った柚餅子、はじめていただきました。海の物の蛸も食べやすい切れ目がはいって、意外な七味あじ、お酒がすすんでこまってしまふ( ̄▽ ̄;)

お菓子も手作りの雪餅、黄味餡。古伊万里の赤玉瓔珞のお皿も垂涎。
中立の後は濃茶、続き薄となりました。水指が渋くて重厚でいいなあ、とおもったらほんまもんの南蛮ものとか。ハンネラかなにかが経年変化して艶がでたような、そんな感じです。
その他のお道具もあえて詳しくは書きませんが、ひいらぎ様がお気に召して手元に集められたこだわりのお道具、ひとつひとつに思い入れがおありなのだろうなあ、とじっくり味あわせていただきました。
丹波・吉野・備前出身のお道具をとりそろえていただきましたが、これ、実は、、、、
本日の客の出身地の焼物なんです。お心遣いいたみいります。
そうそう、お干菓子の落雁(三角形)、餡をはさんだ薄焼き煎餅(丸)、雲平(雪輪)もすべてお手製だったんです(@⌒▽⌒@) ちなみに干菓子器は蒟醤の四方盆(四角)。
帰る頃になって、ああ、ここは天空(高層)だったんだ、、と思い出しました。
マンションのお茶事なんてことすっかり忘れるくらい、すてきな茶の湯空間が醸されていました。ここまでされるには、相当の力量が必要だと思います。豊かなご経験、知識、感性あっての力技だと、感動いたしました。
さらに新たな茶の湯の形を勉強させていただきました。
深謝いたします。

勝手に題しまして「天空の茶事」。
なぜかといいますと、、、

なんたる絶景!
ひいらぎ様のお茶室はマンションの高層階にあるのです。
さてさて、どのようにマンションの部屋を茶の湯空間にされているのでしょう。

待合はフローリングの部屋に琉球畳を敷いて。
なんと置炉まであって、お詰めさんが白湯を汲出しにいれるようになっています。
寒い季節にはありがたいご配慮です。

この原了郭の香煎の入れ物、いいなあ(´▽`)

ま!美しい火入れの灰!
腰掛け待合いは室内に椅子を並べて。ちゃんと正客と次客以下の間に本来煙草盆をおくべきスペースもあって、本格的です。

これもアイデアの蹲居です。寒くない季節なら、外のテラスに設置されるそうですが、寒いので玄関のスペースに。

いよいよお茶室に入席、襖をあけますと、、、、
まあ!びっくり!
薄明の茶室に夜咄に使う手燭に和蝋燭の灯りがゆらゆらと。
日あたりのあまりよくない部屋を逆手にとって、幽玄の空間にされているのです。とてもマンションの一室でしかも高層にある、、とは思えません。
炉が切れないことをこれも逆手にとって、風炉をすえた台子飾り。
炭出前ができないかわりに(スプリンクラー作動)香盆をお持ちだしくださり聞香を。
夜咄くらいの薄明かりなので嗅覚がとぎすまされ、とてもみやびなひとときです。
懐石はおとなりのダイニングでちょうだいしました(足が楽〜)。懐石はすべてひいらぎ様おひとりのお手製ですのよ〜\( ̄▽ ̄;)/すごい〜!
あまりにおいしかったので覚えている限り記録しておきますね。
汁は合わせ味噌に里芋(お汁、とってもおいしかった!)
向付は鯛 ツボツボならぬ青竹の器になます
煮物椀は蟹しんじょう 焼物は鮭の西京漬け
蕪蒸しに道明寺粉がはいったもの(これ食感が新鮮でまねしてみようと)
大根の紅芋酢漬け(飯尾醸造さんの紅芋酢!) 利休麩のはいった野菜の和え物 小吸物にはちいさなマンゴーが。
お酒は福井・大野の生酒、「花垣」をご用意いただきました。生酒なのでほのかに炭酸の味がして、ついついたくさんいただく。しかも本席のお軸が「蓬壺(=蓬萊山)生春酒」なので〜(⌒∇⌒。)
さらに感激したのは八寸の、これも数ヶ月かけて手作りされた柚餅子!私、本式に作った柚餅子、はじめていただきました。海の物の蛸も食べやすい切れ目がはいって、意外な七味あじ、お酒がすすんでこまってしまふ( ̄▽ ̄;)

お菓子も手作りの雪餅、黄味餡。古伊万里の赤玉瓔珞のお皿も垂涎。
中立の後は濃茶、続き薄となりました。水指が渋くて重厚でいいなあ、とおもったらほんまもんの南蛮ものとか。ハンネラかなにかが経年変化して艶がでたような、そんな感じです。
その他のお道具もあえて詳しくは書きませんが、ひいらぎ様がお気に召して手元に集められたこだわりのお道具、ひとつひとつに思い入れがおありなのだろうなあ、とじっくり味あわせていただきました。
丹波・吉野・備前出身のお道具をとりそろえていただきましたが、これ、実は、、、、
本日の客の出身地の焼物なんです。お心遣いいたみいります。
そうそう、お干菓子の落雁(三角形)、餡をはさんだ薄焼き煎餅(丸)、雲平(雪輪)もすべてお手製だったんです(@⌒▽⌒@) ちなみに干菓子器は蒟醤の四方盆(四角)。
帰る頃になって、ああ、ここは天空(高層)だったんだ、、と思い出しました。
マンションのお茶事なんてことすっかり忘れるくらい、すてきな茶の湯空間が醸されていました。ここまでされるには、相当の力量が必要だと思います。豊かなご経験、知識、感性あっての力技だと、感動いたしました。
さらに新たな茶の湯の形を勉強させていただきました。
深謝いたします。
茶の湯の日々・如月 - 2013.02.21 Thu
久々に丸灰に挑戦。

おほほ、、、円ではなくて若干おにぎり、、、( ̄∇ ̄;)

曲線は私には向かない、、、と悟る。(あ、もちろん直線もできるわけではない、、、)
所かわって、気をとりなおし、今度は七事式の会にて廻り炭之式。

1年ぶりの巴半田、筋半田\(^▽^)/
(昨年の廻り炭)

底取りで水の卦、「巴」を描く。これはけっこうむつかしい。
巴半田には炉でいこっている炭を全部あげるのです。

炭台にはいつもの倍の炭を。
さて、廻り炭、、、わ〜い、見事に忘れてらあ、、、、なのに花があたって亭主に、、(ひ〜っ(>_<;) )
なぜだか廻り炭の亭主にはよくあたる。
手順はうろ覚えでぼろぼろですが、なるたけたくさんの炭をつぐのは任せて!力
長火箸で丸管・割管まとめて4本は持てるぞ( ̄^ ̄)ゞ (たいした自慢にはなりません、、、、)
3月には五事式の茶事をしてくださるそうなので、廻り炭は必須、がんばって覚えよう。

お次。
今回は亭主の「貴人清次濃茶」を検証する一二三之式。これも五事式にはいっています。
お点前を採点するのに使うのは十種香札。もともと香道の方で使う道具です。十種なので、検証する人は10人までOK(ま、普通は四〜五人くらいだけれど)
点数をよい方から、月の一〜三、花の一〜三、ただの一〜三とつけるのは、なんだか雅ですね。
この香札もお稽古の時は竹製ですが、私、これの漆塗り+金蒔絵という豪華版を鳩居堂で見たことがあります。大名の姫君の嫁入り道具みたいで、すばらしかったです。(お値段も、、、)
さて、先日の社中の研究会(奥伝ばかりのお稽古)では真の点前。真の炭手前、真の行台子、大円真、、、どれがあたるかわからないので、前日必死に自宅でエア稽古。(だって台子もってないのよ)

(画像は以前のお社中の風炉の時のもの)
どれでも好きな物をしなさい、と言われて滅多にする機会のない真の炭手前をさせていただく。意外とおぼえていたのでするするデキマシタ。( ̄^ ̄)ゞ
と、先生は今日は特別にもひとつ、真台子もやりなさいと言って下さったのでありがたや、これも久々にお稽古。

(鶴屋さんの「鶯宿梅」)
以前は「次はなにをするんだっけ、、、」と頭の中で考え考えやっていたのですが、今回は、なんだかはじめて体の方が自然に次になにをするのか覚えているような感覚を味わいました。この感覚、気持ちいいのです。しかも真の格の点前ですからそれなりに重厚に、美しく、を少し表現できたような(当社比自分比)気がする。
最近時々、お点前をしているときに自分の周りに重力の磁場みたいなものができている、と感じる時があります。(あくまで自分の感覚なので、まわりの他人様からはどうってことないと思いますが)
上手にしようとか、まちがえないようにしようとかいう気持ちは超越して、自分だけの世界にのめりこむような感覚、とでもいったらいいでしょうか。今触れている道具とのみ真摯に向き合っているような気持ち。もちろん点前の物理的手順をほぼ完全に自分のものにしている場合にかぎりますが。
いずれその磁場に周りの人を引きずり込むことができるような、一瞬客を沈黙させてしまうような点前ができるようになればいいなあ、と思います。
でも、ま、修行が足りませんし、茶事では時間進行を気にするあまり、そんな気持ちになれるところまではほど遠いのですけれどね。(^▽^;)
そんなこんなで今月の茶の湯の日々は続く、、、

おほほ、、、円ではなくて若干おにぎり、、、( ̄∇ ̄;)

曲線は私には向かない、、、と悟る。(あ、もちろん直線もできるわけではない、、、)
所かわって、気をとりなおし、今度は七事式の会にて廻り炭之式。

1年ぶりの巴半田、筋半田\(^▽^)/
(昨年の廻り炭)

底取りで水の卦、「巴」を描く。これはけっこうむつかしい。
巴半田には炉でいこっている炭を全部あげるのです。

炭台にはいつもの倍の炭を。
さて、廻り炭、、、わ〜い、見事に忘れてらあ、、、、なのに花があたって亭主に、、(ひ〜っ(>_<;) )
なぜだか廻り炭の亭主にはよくあたる。
手順はうろ覚えでぼろぼろですが、なるたけたくさんの炭をつぐのは任せて!力
長火箸で丸管・割管まとめて4本は持てるぞ( ̄^ ̄)ゞ (たいした自慢にはなりません、、、、)
3月には五事式の茶事をしてくださるそうなので、廻り炭は必須、がんばって覚えよう。

お次。
今回は亭主の「貴人清次濃茶」を検証する一二三之式。これも五事式にはいっています。
お点前を採点するのに使うのは十種香札。もともと香道の方で使う道具です。十種なので、検証する人は10人までOK(ま、普通は四〜五人くらいだけれど)
点数をよい方から、月の一〜三、花の一〜三、ただの一〜三とつけるのは、なんだか雅ですね。
この香札もお稽古の時は竹製ですが、私、これの漆塗り+金蒔絵という豪華版を鳩居堂で見たことがあります。大名の姫君の嫁入り道具みたいで、すばらしかったです。(お値段も、、、)
さて、先日の社中の研究会(奥伝ばかりのお稽古)では真の点前。真の炭手前、真の行台子、大円真、、、どれがあたるかわからないので、前日必死に自宅でエア稽古。(だって台子もってないのよ)

(画像は以前のお社中の風炉の時のもの)
どれでも好きな物をしなさい、と言われて滅多にする機会のない真の炭手前をさせていただく。意外とおぼえていたのでするするデキマシタ。( ̄^ ̄)ゞ
と、先生は今日は特別にもひとつ、真台子もやりなさいと言って下さったのでありがたや、これも久々にお稽古。

(鶴屋さんの「鶯宿梅」)
以前は「次はなにをするんだっけ、、、」と頭の中で考え考えやっていたのですが、今回は、なんだかはじめて体の方が自然に次になにをするのか覚えているような感覚を味わいました。この感覚、気持ちいいのです。しかも真の格の点前ですからそれなりに重厚に、美しく、を少し表現できたような(
最近時々、お点前をしているときに自分の周りに重力の磁場みたいなものができている、と感じる時があります。(あくまで自分の感覚なので、まわりの他人様からはどうってことないと思いますが)
上手にしようとか、まちがえないようにしようとかいう気持ちは超越して、自分だけの世界にのめりこむような感覚、とでもいったらいいでしょうか。今触れている道具とのみ真摯に向き合っているような気持ち。もちろん点前の物理的手順をほぼ完全に自分のものにしている場合にかぎりますが。
いずれその磁場に周りの人を引きずり込むことができるような、一瞬客を沈黙させてしまうような点前ができるようになればいいなあ、と思います。
でも、ま、修行が足りませんし、茶事では時間進行を気にするあまり、そんな気持ちになれるところまではほど遠いのですけれどね。(^▽^;)
そんなこんなで今月の茶の湯の日々は続く、、、
ISO乙女会〜宮川町・游美 - 2013.02.18 Mon
今年初めてのISO乙女会(ISOJI乙女( ̄∇ ̄*)ゞ)でございます。

場所は夜もしっとり艶っぽい花街・宮川町。
残念ながら日曜は花街もおやすみ〜、、なので芸妓はん、舞妓ちゃんの姿は見られません。

本日おじゃましたのは、京町家を改修したお店で出格子からもれる灯りもよい風情。昔はお茶屋さんだったのかな。

お店の名は游美(ゆうみ)さん。懐石料理ですが、なんとオーナーはフレンチ出身なんですって。
大きなカウンターも居心地良さそうでしたが、おしゃべりしやすいようにテーブル席をお願いしました。
残念ながら、こちらではお料理の写真はNGですので、画像がありませんの。
なので、文章だけで表現してみますので、各位想像をふくらませてヨダレを流して下さいマセ( ̄▽ ̄)b
先付・・からし菜、ホタルイカの和え物。菜の花の芥子和えはよく作りますが、からし菜はそのまま芥子の味があって便利ね。
煮物椀・・白魚のしんじょう。ふわふわですっごくやわらかい!春らしいわね。
向付・・ぐじの刺身、きんめの皮をかるくあぶったもの+こごみ(わ〜い!大好きこれ)
強肴・・海老芋を揚げたのに蟹のあんかけ。ほくほくの揚げた海老芋ってこんなにおいしいんだ。煮物しか思いつかなかったけれど。
焼物・・鮭の焼物に蕗の薹の餅粉揚げ\(^▽^)♪+骨までやわらかいもろこのマリネ。

(これはイメージ写真です〜^_^;)
最後のご飯がなんと大根飯!
おもわずお店の若い子に「おしんの大根飯って知ってる?」と聞きましたが、あはは、、、やっぱりご存じじゃなかった。「おしん」の時代、貧しい家庭では飯の量をかさあげするために大根を炊き込んでいたのですが、いまじゃこれがご馳走ですものね。さっぱりしておいしかった〜!
お店の雰囲気もゆったりしてこざっぱり、スタッフの方の接客も感じよかったです。
(できればおしんの大根めし、知って欲しかったがな〜、、、ジェネレーションギャップがなあ〜、、、)

今回はご欠席が多くご参加は4名になりましたが、一つのテーブルをかこんで同じ話題でおしゃべりするにはちょうどいい距離感、スペース感でした。
あいかわらず話題はとびとびで、しゃべったり食べたり大忙しでした。
花咲おばさん様、夢風庵様、凡蔵母さん様、楽しい時間をありがとうございました。

アンティーク着物もあつかっておられる凡蔵母さん様からはこんなすてきな帯留めや、(三分帯締め買ってこなくちゃ)

凡蔵さんのバレンタイン仕様のドーナツ(バカウマ!)まで頂戴し、感謝感激です。
今回ご欠席の皆様も是非次回はごいっしょしましょう!ヾ(=^▽^=)ノ

場所は夜もしっとり艶っぽい花街・宮川町。
残念ながら日曜は花街もおやすみ〜、、なので芸妓はん、舞妓ちゃんの姿は見られません。

本日おじゃましたのは、京町家を改修したお店で出格子からもれる灯りもよい風情。昔はお茶屋さんだったのかな。

お店の名は游美(ゆうみ)さん。懐石料理ですが、なんとオーナーはフレンチ出身なんですって。
大きなカウンターも居心地良さそうでしたが、おしゃべりしやすいようにテーブル席をお願いしました。
残念ながら、こちらではお料理の写真はNGですので、画像がありませんの。
なので、文章だけで表現してみますので、各位想像をふくらませてヨダレを流して下さいマセ( ̄▽ ̄)b
先付・・からし菜、ホタルイカの和え物。菜の花の芥子和えはよく作りますが、からし菜はそのまま芥子の味があって便利ね。
煮物椀・・白魚のしんじょう。ふわふわですっごくやわらかい!春らしいわね。
向付・・ぐじの刺身、きんめの皮をかるくあぶったもの+こごみ(わ〜い!大好きこれ)
強肴・・海老芋を揚げたのに蟹のあんかけ。ほくほくの揚げた海老芋ってこんなにおいしいんだ。煮物しか思いつかなかったけれど。
焼物・・鮭の焼物に蕗の薹の餅粉揚げ\(^▽^)♪+骨までやわらかいもろこのマリネ。

(これはイメージ写真です〜^_^;)
最後のご飯がなんと大根飯!
おもわずお店の若い子に「おしんの大根飯って知ってる?」と聞きましたが、あはは、、、やっぱりご存じじゃなかった。「おしん」の時代、貧しい家庭では飯の量をかさあげするために大根を炊き込んでいたのですが、いまじゃこれがご馳走ですものね。さっぱりしておいしかった〜!
お店の雰囲気もゆったりしてこざっぱり、スタッフの方の接客も感じよかったです。
(できればおしんの大根めし、知って欲しかったがな〜、、、ジェネレーションギャップがなあ〜、、、)

今回はご欠席が多くご参加は4名になりましたが、一つのテーブルをかこんで同じ話題でおしゃべりするにはちょうどいい距離感、スペース感でした。
あいかわらず話題はとびとびで、しゃべったり食べたり大忙しでした。
花咲おばさん様、夢風庵様、凡蔵母さん様、楽しい時間をありがとうございました。

アンティーク着物もあつかっておられる凡蔵母さん様からはこんなすてきな帯留めや、(三分帯締め買ってこなくちゃ)

凡蔵さんのバレンタイン仕様のドーナツ(バカウマ!)まで頂戴し、感謝感激です。
今回ご欠席の皆様も是非次回はごいっしょしましょう!ヾ(=^▽^=)ノ
酒蔵仕込み見学〜伏見・招徳酒造 - 2013.02.17 Sun
お酒と言えば、ビールよりもワインよりもウイスキーよりも私は日本酒が好き!、、、であります。
なので伏見の酒蔵には是非一度いってみなければと思っておりました。
ちなみに以前宝塚に住んでいたときは灘・西宮郷の酒蔵めぐりはきっちりいたしました
( ̄^ ̄)ゞ
そんなところ、機会がありまして伏見の酒蔵見学へ。

町中を歩くとすてきな古いお家がまだまだ残っていてよい感じです。

こんな重厚な街並みの中に、ひときわ目を引くのは伏見に点在する酒蔵。

窓のたくさんある蔵に大きな煙突。
ちなみにこちらは「美山」共同酒造(月桂冠が買い取ったそうです)。
さて、本日お邪魔したのは招徳酒造さん。

こぢんまりとした酒蔵ですが、純米酒にこだわってお酒を造っているメーカーです。新米ができる秋から春先までが日本酒の仕込みの時期、この仕込みの様子を社長さん自らがご案内くださいます。

もうもうと湯気がたつ酒蔵へ。この湯気がたっているとお酒を仕込んでいるんだなあ、、、という印になるそうですが、火事と間違えて土地勘のない人に消防へ通報されたりしたこともあるとか(@_@;)

事務所の玄関にあるこれは、先日丹後半島の富士酢醸造でみた、もろみを絞るための入れ物と同じだわ。なにしろ酢はお酒から作るのですものね。

こちらが招徳さんの井戸水。酒作りの工程すべてにこの水が使われるのです。伏見というのは伏水、つまり昔から地下水の豊富なところなんですね。
灘の水は宮水、ミネラル多目なのできりっとした男酒といわれるのに対して、伏水はミネラル少なめの柔らかい水なので、はんなり女酒。さすが京都のお酒。

さて、蔵に入る前に白衣をきて帽子をかぶって、長靴はイソジンで消毒!

でも、オートメ化された「衛生的」な近代的工場とちがって、作業をしている人はほとんど普通のかっこうだし、材料の米なんかは手でさわりまくるし、私たち部外者までいれてくれるし、およそ食品工場としてのイメージではない。
だってお酒は蔵にいついた菌で醸されるので、無菌ではお酒はできないのだもの。なんだか酒造りって人間的でいいなあ。
さて、仕込みの流れを。私は醸造の専門的知識はないので、ま、だいたい、、です、だいたい^_^;

まずは洗米・浸漬・水切り。
純米酒はお米の精製歩合によって吟醸(60%)、大吟醸(40%)などに分けられますが、現在ではこの段階は専門の精米業者に委託しているとのこと。お米は五百石という種類が一番多いとか。(これ、富士酢さんでも使っているお米)

(きちゃない手はスルーしていただいて)これが水を吸ったお米。このまま食べてもやわらかく、ほんのり甘いです。
このお米を蒸すのですが、すこし芯のあるアルデンテくらいの状態が酵母がよく糖をつくるんだとか。

これもこのままでおいしいd(⌒o⌒)b

蔵の二階ではなにをしているかと言えば、麹を下のタンクに投入しているところ。

麹室ではこのように麹は布で包まれています。

これが麹菌が表面にはえた麹、これ一度食べて見たかったんだ!う〜ん、ほんのり甘い!

小さめのタンクにこの麹と水、蒸米、酵母をいれてできたお酒のもと=酒母(酛)。あま〜いヨーグルトのような芳醇な香り。普通の純米酒はこの酒母から三段仕込みをして作りますが、この酛からだけつくった手間のかかるお酒は生酛作りといってまた全然味わいのちがうお酒になります。

ちなみにこの酒母は電気毛布のようなもので包まれて温められています。(電気毛布のなかった昔は温度管理がたいへんだったでしょうねえ)

こちらは三段仕込みの一段目、添仕込み。先ほどの酒母にさらに麹、水、蒸米、酵母をいれて量を増やしていきます。

暗くて見えにくいのですが、中でお酒のい〜い香りのする泡泡がたって静かに発酵しています。
実は灘に行ったとき、白鹿の酒ミュージアムでこの樽の中の断面の模型があったのです。
こんなのです。↓

こんなおいしそうな泡の中に入ってみたい、天国のような気分だろうなあ、、、と酒飲みならだれでも夢想するでしょうが、入ったら中は二酸化炭素で充満しているので、あっというまにほんまの天国にいってしまいます( ̄△ ̄;)

二段目の仲仕込み、最後の留仕込みでは人力で長い棒でまぜまぜ。これは重労働だろうなあ。

留めから3〜5週間発酵してできたもろみをこの圧搾機でしぼって清酒のできあがり!それを火入れして熟成させたり、火入れせずそのままの生酒にしたりして商品になるのです。
簡単にいうと簡単だけれど、実際は毎日たいへんなお酒の発酵具合の管理、調整をしているわけで、そこは勘がたより、蔵人のリーダーである杜氏の腕のみせどころ。
招徳では7年前からなんと伏見で唯一の若い女性が杜氏さんなんですって!
大塚さんといって、杜氏の里、越前糠集落の杜氏さんに弟子入りして修行をされたそうです。とてもすてきな方なんです。
彼女の仕事がNHKの趣味Do楽〜KYOTOで極めるハンサムウーマンライフ~時代をひらく古都の女子力~で3月5日に放送されるそうなので、ご興味のある方は是非。☆
かつては農閑期や漁にでられない冬の間、杜氏は蔵人をしたがえて蔵にやってきて酒を仕込み、春になると故郷へ帰っていったそうで、ここらへんは宮尾登美子さんの「蔵」で学習しましたわ。もちろん現在では常勤なので、酒作り以外の時期は、研究したりお酒のラベルを考えたりされているそうですけれどね。

絞った滓は酒粕に。(お土産にこの酒粕いただいて早速粕汁にしましたが、まろやかでおいしいのなんのって!)

酒蔵の壁はこのように何本も縦に柱が入っているのですがこれは米俵などがあたっても壊れないように、という作りなんだそうです。(ちなみにこの蔵は大正年間に建てられた物)

最後にお楽しみの試飲会。

本来のきき酒用の正式盃はおなじみのこれです。
午前中からすっかりよい気分 (@⌒ο⌒@)'゚☆。.::・'゚★。.::・'゚ウイ、、、、

酔い覚ましならぬ、伏水はほんのり甘みがあってはんなりしたお水どしたえ。
なので伏見の酒蔵には是非一度いってみなければと思っておりました。
ちなみに以前宝塚に住んでいたときは灘・西宮郷の酒蔵めぐりはきっちりいたしました
( ̄^ ̄)ゞ
そんなところ、機会がありまして伏見の酒蔵見学へ。

町中を歩くとすてきな古いお家がまだまだ残っていてよい感じです。

こんな重厚な街並みの中に、ひときわ目を引くのは伏見に点在する酒蔵。

窓のたくさんある蔵に大きな煙突。
ちなみにこちらは「美山」共同酒造(月桂冠が買い取ったそうです)。
さて、本日お邪魔したのは招徳酒造さん。

こぢんまりとした酒蔵ですが、純米酒にこだわってお酒を造っているメーカーです。新米ができる秋から春先までが日本酒の仕込みの時期、この仕込みの様子を社長さん自らがご案内くださいます。

もうもうと湯気がたつ酒蔵へ。この湯気がたっているとお酒を仕込んでいるんだなあ、、、という印になるそうですが、火事と間違えて土地勘のない人に消防へ通報されたりしたこともあるとか(@_@;)

事務所の玄関にあるこれは、先日丹後半島の富士酢醸造でみた、もろみを絞るための入れ物と同じだわ。なにしろ酢はお酒から作るのですものね。

こちらが招徳さんの井戸水。酒作りの工程すべてにこの水が使われるのです。伏見というのは伏水、つまり昔から地下水の豊富なところなんですね。
灘の水は宮水、ミネラル多目なのできりっとした男酒といわれるのに対して、伏水はミネラル少なめの柔らかい水なので、はんなり女酒。さすが京都のお酒。

さて、蔵に入る前に白衣をきて帽子をかぶって、長靴はイソジンで消毒!

でも、オートメ化された「衛生的」な近代的工場とちがって、作業をしている人はほとんど普通のかっこうだし、材料の米なんかは手でさわりまくるし、私たち部外者までいれてくれるし、およそ食品工場としてのイメージではない。
だってお酒は蔵にいついた菌で醸されるので、無菌ではお酒はできないのだもの。なんだか酒造りって人間的でいいなあ。
さて、仕込みの流れを。私は醸造の専門的知識はないので、ま、だいたい、、です、だいたい^_^;

まずは洗米・浸漬・水切り。
純米酒はお米の精製歩合によって吟醸(60%)、大吟醸(40%)などに分けられますが、現在ではこの段階は専門の精米業者に委託しているとのこと。お米は五百石という種類が一番多いとか。(これ、富士酢さんでも使っているお米)

(きちゃない手はスルーしていただいて)これが水を吸ったお米。このまま食べてもやわらかく、ほんのり甘いです。
このお米を蒸すのですが、すこし芯のあるアルデンテくらいの状態が酵母がよく糖をつくるんだとか。

これもこのままでおいしいd(⌒o⌒)b

蔵の二階ではなにをしているかと言えば、麹を下のタンクに投入しているところ。

麹室ではこのように麹は布で包まれています。

これが麹菌が表面にはえた麹、これ一度食べて見たかったんだ!う〜ん、ほんのり甘い!

小さめのタンクにこの麹と水、蒸米、酵母をいれてできたお酒のもと=酒母(酛)。あま〜いヨーグルトのような芳醇な香り。普通の純米酒はこの酒母から三段仕込みをして作りますが、この酛からだけつくった手間のかかるお酒は生酛作りといってまた全然味わいのちがうお酒になります。

ちなみにこの酒母は電気毛布のようなもので包まれて温められています。(電気毛布のなかった昔は温度管理がたいへんだったでしょうねえ)

こちらは三段仕込みの一段目、添仕込み。先ほどの酒母にさらに麹、水、蒸米、酵母をいれて量を増やしていきます。

暗くて見えにくいのですが、中でお酒のい〜い香りのする泡泡がたって静かに発酵しています。
実は灘に行ったとき、白鹿の酒ミュージアムでこの樽の中の断面の模型があったのです。
こんなのです。↓

こんなおいしそうな泡の中に入ってみたい、天国のような気分だろうなあ、、、と酒飲みならだれでも夢想するでしょうが、入ったら中は二酸化炭素で充満しているので、あっというまにほんまの天国にいってしまいます( ̄△ ̄;)

二段目の仲仕込み、最後の留仕込みでは人力で長い棒でまぜまぜ。これは重労働だろうなあ。

留めから3〜5週間発酵してできたもろみをこの圧搾機でしぼって清酒のできあがり!それを火入れして熟成させたり、火入れせずそのままの生酒にしたりして商品になるのです。
簡単にいうと簡単だけれど、実際は毎日たいへんなお酒の発酵具合の管理、調整をしているわけで、そこは勘がたより、蔵人のリーダーである杜氏の腕のみせどころ。
招徳では7年前からなんと伏見で唯一の若い女性が杜氏さんなんですって!
大塚さんといって、杜氏の里、越前糠集落の杜氏さんに弟子入りして修行をされたそうです。とてもすてきな方なんです。
彼女の仕事がNHKの趣味Do楽〜KYOTOで極めるハンサムウーマンライフ~時代をひらく古都の女子力~で3月5日に放送されるそうなので、ご興味のある方は是非。☆
かつては農閑期や漁にでられない冬の間、杜氏は蔵人をしたがえて蔵にやってきて酒を仕込み、春になると故郷へ帰っていったそうで、ここらへんは宮尾登美子さんの「蔵」で学習しましたわ。もちろん現在では常勤なので、酒作り以外の時期は、研究したりお酒のラベルを考えたりされているそうですけれどね。

絞った滓は酒粕に。(お土産にこの酒粕いただいて早速粕汁にしましたが、まろやかでおいしいのなんのって!)

酒蔵の壁はこのように何本も縦に柱が入っているのですがこれは米俵などがあたっても壊れないように、という作りなんだそうです。(ちなみにこの蔵は大正年間に建てられた物)

最後にお楽しみの試飲会。

本来のきき酒用の正式盃はおなじみのこれです。
午前中からすっかりよい気分 (@⌒ο⌒@)'゚☆。.::・'゚★。.::・'゚ウイ、、、、

酔い覚ましならぬ、伏水はほんのり甘みがあってはんなりしたお水どしたえ。
じない町で茶飯釜の粥茶事 - 2013.02.14 Thu
江戸時代の街並みが残る富田林のじない町(寺内町)、ここは散策するだけで江戸時代へタイムスリップできる楽しい町です。

昨年秋懐石料理教室でおじゃました、じない町の峯風庵さんへ、今回は茶事の客として参りました。

峯風庵さんが茶事・茶会のサロンとして入手されたのは、築140年以上の町家。

古いながらとても趣があります。
今日は峯風庵さん自らが亭主をしてくださる茶飯釜の茶事。私は初体験。
「茶飯釜の茶事」というのは、一つの釜をお茶を点てるのにも使い、懐石料理の飯を炊くのにも使ってしまうという、とても侘びた風情のある茶事なのです。釜一つで茶も点てれば飯も炊いた丿貫さんのお話しを思い出させます。
茶飯釜の扱いは、確立した流儀がないそうなので亭主の裁量でどうとでも使えるようです。普通は席中で飯が炊けるのを待つのですが、今回はなんと粥の茶事、時間の経過と共に重湯が三分粥になり全粥になるという変化を楽しむのです。

飯を炊くので、初炭で入れる炭はいつもの倍くらい。
お米の炊ける香りを楽しむため、お香はいれません。
(峯風庵さんでは足が楽なように箱火鉢を炉にして、低めのテーブル席になっているんです)

たっぷりの水をはった釜に、信玄袋からさらさらと米(12時間水に浸しておいた物)を入れ火に掛けます。
強い火力が要求されるので、火吹き竹を使うのですが、趣あってよいですね。
ご亭主がお忙しくされている間、客の方もこれをふ〜ふ〜して、お手伝い。(過換気になって頭くらくら(@_@;)
しかも灰が飛び散るのでまたの名を「シンデレラ(=灰かぶり)茶事」というんですよ〜と峯風庵さんw( ̄▽ ̄;)w

火吹きの先はこんなふうになっていて、効率よく酸素を送り込めるようになっています。
釜肌には「渇来茶」と鋳出してあります。のどが渇いたら、茶を飲みに来て下さいと言う意味。反対側には「飢来飯」は、腹が減ったら飯を食べに来て下さい、、、と。
羽の部分には「自在軒一釜斎宗徳」。
堺の銭屋宗徳という茶人が、宗旦にもらった茶飯釜を大事にして、一生涯この釜一つを自在にかけて茶を飲み、飯を炊いて暮らしたことから茶飯釜はまたの名を宗徳釜。

懐石は向付のかわりに茶碗蒸し、そしてお粥にあう香の物、梅干しなど。

そうこうするうちに吹きこぼれてきたので釜をおろします。がんばってふ〜ふ〜した甲斐あって、けっこう早めに炊けました。
お粥は、末客から逆順に手渡しで送って行きます。これも特徴かな。

火からおろしてすぐのご飯はこのように三分粥〜重湯の様な状態。
ところが釜はもうこれ以上火にかけないのに、米は釜の中で蒸れて茶事が進むにつれて、、、

五分粥、

全粥へと変わっていくのです。
おそるべし!鉄釜の威力!
お米はつやつやと、甘みがほのかにあって、こうして炊くからなおさら美味しいのね。お粥のおいしさをみなおしてしまいました。

その間、空いている炉には炊き合わせの鍋をかけます。これがまたごちそうでした。あつあつをいただきます。

その間にもお粥がなくなった釜は水屋で洗われ、蓋を替えるだけで点茶用の釜になりました。今回は粥なので釜を清めるのは簡単だったと思いますが、おこげができる普通のご飯の時はどうやって洗うのでしょう。こびりついて大変だと思いますが、そこは水屋の裏方さんがササラで必死にこそげとるとかw( ̄o ̄)w オオー!

中立の前には手作りの蓬餅を。蓬が香り立ち、春の気配を十分に堪能させていただく。

練っていただいた濃茶もたっぷりであつあつ。いつもダマができないようにと1杓目でお湯をたくさんいれてしまうので、長く練っているとさめてしまうことが多いのですが、2杓目をたっぷり入れるのがあつあつにするこつだと教えていただきました。

後炭では、お粥をたきあげた炭は胴炭も中まで白く燃えており、寒い季節のこのような炉中はとても美しい景色。
お干菓子はこれもお手製の蕨の落雁、そしてほろほろ繊細な甘さの冬季限定、仙台の九重本舗霜ばしらをご用意いただきました。(これ大好き♪)
前後しますが、待合の軸は「龍起一澤氷」。本席は「茶〜(以下茶の徳について書いた漢文)」。
「龍起一澤氷」は円悟語録からの言葉で「鶴は飛ぶ千尺の雪、龍は起こる一潭の氷」の後半部分。「鶴は千尺も積もった雪原を蹴破って飛び立ち、龍は一面氷の淵を突き割って昇り起つ。」長年の修行の成果により、本来具有する仏の心が発露されること意味するそうです。
本来の意味とはちがえ、春が近づき薄くなった氷をつきやぶって天に登る様を想像して、なんて壮大な景色だろう、と思いました。

楽しく勉強させていただいた茶飯釜の茶事もおわり、峯風庵さんのとっても賢い愛猫イチゴちゃん登場。
「苺」ちゃんとばかり思っていたら、一期一会の「一期」だったのね〜。
同席いただいた御連客様には共通の茶友が数人いることが判明し、これもびっくりやらうれしいやら。

帰り道、じない町を楽しみながら。ここも古民家を利用したおもしろいお店が増えて楽しくなりそう。
こんな意匠も見つけましたよ。

(雨樋の一部が鯉!)

昨年秋懐石料理教室でおじゃました、じない町の峯風庵さんへ、今回は茶事の客として参りました。

峯風庵さんが茶事・茶会のサロンとして入手されたのは、築140年以上の町家。

古いながらとても趣があります。
今日は峯風庵さん自らが亭主をしてくださる茶飯釜の茶事。私は初体験。
「茶飯釜の茶事」というのは、一つの釜をお茶を点てるのにも使い、懐石料理の飯を炊くのにも使ってしまうという、とても侘びた風情のある茶事なのです。釜一つで茶も点てれば飯も炊いた丿貫さんのお話しを思い出させます。
茶飯釜の扱いは、確立した流儀がないそうなので亭主の裁量でどうとでも使えるようです。普通は席中で飯が炊けるのを待つのですが、今回はなんと粥の茶事、時間の経過と共に重湯が三分粥になり全粥になるという変化を楽しむのです。

飯を炊くので、初炭で入れる炭はいつもの倍くらい。
お米の炊ける香りを楽しむため、お香はいれません。
(峯風庵さんでは足が楽なように箱火鉢を炉にして、低めのテーブル席になっているんです)

たっぷりの水をはった釜に、信玄袋からさらさらと米(12時間水に浸しておいた物)を入れ火に掛けます。
強い火力が要求されるので、火吹き竹を使うのですが、趣あってよいですね。
ご亭主がお忙しくされている間、客の方もこれをふ〜ふ〜して、お手伝い。(過換気になって頭くらくら(@_@;)
しかも灰が飛び散るのでまたの名を「シンデレラ(=灰かぶり)茶事」というんですよ〜と峯風庵さんw( ̄▽ ̄;)w

火吹きの先はこんなふうになっていて、効率よく酸素を送り込めるようになっています。
釜肌には「渇来茶」と鋳出してあります。のどが渇いたら、茶を飲みに来て下さいと言う意味。反対側には「飢来飯」は、腹が減ったら飯を食べに来て下さい、、、と。
羽の部分には「自在軒一釜斎宗徳」。
堺の銭屋宗徳という茶人が、宗旦にもらった茶飯釜を大事にして、一生涯この釜一つを自在にかけて茶を飲み、飯を炊いて暮らしたことから茶飯釜はまたの名を宗徳釜。

懐石は向付のかわりに茶碗蒸し、そしてお粥にあう香の物、梅干しなど。

そうこうするうちに吹きこぼれてきたので釜をおろします。がんばってふ〜ふ〜した甲斐あって、けっこう早めに炊けました。
お粥は、末客から逆順に手渡しで送って行きます。これも特徴かな。

火からおろしてすぐのご飯はこのように三分粥〜重湯の様な状態。
ところが釜はもうこれ以上火にかけないのに、米は釜の中で蒸れて茶事が進むにつれて、、、

五分粥、

全粥へと変わっていくのです。
おそるべし!鉄釜の威力!
お米はつやつやと、甘みがほのかにあって、こうして炊くからなおさら美味しいのね。お粥のおいしさをみなおしてしまいました。

その間、空いている炉には炊き合わせの鍋をかけます。これがまたごちそうでした。あつあつをいただきます。

その間にもお粥がなくなった釜は水屋で洗われ、蓋を替えるだけで点茶用の釜になりました。今回は粥なので釜を清めるのは簡単だったと思いますが、おこげができる普通のご飯の時はどうやって洗うのでしょう。こびりついて大変だと思いますが、そこは水屋の裏方さんがササラで必死にこそげとるとかw( ̄o ̄)w オオー!

中立の前には手作りの蓬餅を。蓬が香り立ち、春の気配を十分に堪能させていただく。

練っていただいた濃茶もたっぷりであつあつ。いつもダマができないようにと1杓目でお湯をたくさんいれてしまうので、長く練っているとさめてしまうことが多いのですが、2杓目をたっぷり入れるのがあつあつにするこつだと教えていただきました。

後炭では、お粥をたきあげた炭は胴炭も中まで白く燃えており、寒い季節のこのような炉中はとても美しい景色。
お干菓子はこれもお手製の蕨の落雁、そしてほろほろ繊細な甘さの冬季限定、仙台の九重本舗霜ばしらをご用意いただきました。(これ大好き♪)
前後しますが、待合の軸は「龍起一澤氷」。本席は「茶〜(以下茶の徳について書いた漢文)」。
「龍起一澤氷」は円悟語録からの言葉で「鶴は飛ぶ千尺の雪、龍は起こる一潭の氷」の後半部分。「鶴は千尺も積もった雪原を蹴破って飛び立ち、龍は一面氷の淵を突き割って昇り起つ。」長年の修行の成果により、本来具有する仏の心が発露されること意味するそうです。
本来の意味とはちがえ、春が近づき薄くなった氷をつきやぶって天に登る様を想像して、なんて壮大な景色だろう、と思いました。

楽しく勉強させていただいた茶飯釜の茶事もおわり、峯風庵さんのとっても賢い愛猫イチゴちゃん登場。
「苺」ちゃんとばかり思っていたら、一期一会の「一期」だったのね〜。
同席いただいた御連客様には共通の茶友が数人いることが判明し、これもびっくりやらうれしいやら。

帰り道、じない町を楽しみながら。ここも古民家を利用したおもしろいお店が増えて楽しくなりそう。
こんな意匠も見つけましたよ。

(雨樋の一部が鯉!)
名店もりだくさん!丹後半島エクスカーション - 2013.02.12 Tue
東山がこんな薄雪化粧の日。

丹後半島はさぞ雪が深いだろうと、、、、

雨草履としっかり防寒でおでかけ。

京都からJRで1時間ちょっと、日本海側はやはり結構な積雪です。
豊岡におすまいのそらいろつばめ様ご夫婦にお誘いいただき、きょうは丹後半島1日エクスカーション。ご夫婦の豊富な人脈と、ご自分の足で確かめられたお気に入りスポットを案内いただきました。博識なそらいろつばめ様の立て板に水、の豪華ナレーション付きで(^▽^)/
まず一番にむかったのはこちら。

丹後半島の玄関口、京都府大宮町にあるこだわりのスーパーいととめ。
現在の若い社長になってから、ありきたりのスーパーではなく、新鮮な地元の食材のみならず、社長みずからが海外に出て買い付けた外国の食材なども品数多くとりそろえたこだわりのお店になったそうです。

ここには日本酒の酒蔵コーナーがあって、地元の酒蔵まででかけて納得がいったお酒をイチオシとして扱っているし、ワインの酒蔵コーナーも充実しています。目の前で調理されるお惣菜コーナーもあるんです。このスーパーには1時間以上もかけて遠方からお客さんがこられるそうですよ。
めずらしいものもいっぱいあって、見ているだけで楽しい。丹後半島についたとたん、すっかりお買い物モードになってしまって、竹野酒造さんの日本酒、豊岡産そば粉(蕎麦掻きを家でつくるんだ♪)をお買い上げ。(重いものばっか)
お昼ご飯にはご夫婦オススメの弥栄町、魚菜料理縄屋さんへ。

聞いて驚くなかれ、このすてきな土の築地壁はオーナーの吉岡さん自らが作ったものなの
w( ̄▽ ̄;)w

インテリアにも器にもこだわりが感じられます。なによりお料理が見た目もお味もヽ(*^^*)ノ!
京都の和久傳(もともとはこちら、峰山の老舗料理旅館でしたのよ)で修行されたそうです。

坪庭をほうふつとさせる植栽もご自分でされたのでしょう。シンボルツリーは山法師。
それではお料理のいくつかをご紹介。

前菜に牡蛎!なにしろ日本海が近いのですもの、新鮮さがちがいます。(この点は京都の料亭よりアドバンテージあり)

煮物椀には蕗の薹餅、ほろにがいお餅がさわやか。

右側がお寿司の原型のなれ鮨(だったと思う)。お米を乳酸発酵させたもの。

お口直しにはなんとトマトにクレソンのソース!赤と緑があざやかで味はさわやか。

〆は土釜でたいたホンダワラのご飯でした。
こういっては失礼ですが、このあたり、他にはな〜んにも見当たらない変哲もない田舎の風景なんです。そこになにげなく、こんなお店があるなんておどろき。このあたりの方は、おいしい日本料理をいただくのにわざわざ京都まででる必要がありませんね。
こちらでゆっくりお昼をご馳走になったあと向かったのは宮津の富士酢飯尾醸造さん。

創業は明治26年。これもそらいろつばめ様のご人脈にて、お休みの日に関わらずご主人(今は社長を息子さんにゆずってはりますが)がわざわざおいでになって蔵を見せていただく。

こちらでは昭和39年から地元宮津の棚田で、契約農家さんに農薬を使わずにお米を作ってもらい、それを原料としているこだわりの酢なんです。

米酢と称することができるお酢の原料の米の量は200mlあたり、一番左のビン。ところがここの富士酢はその5倍、プレミアム富士酢ではさらにその1.5倍(一番右のビン)の米を使っているそうです。

まずは酒を造り、それに酢酸菌をくわえてお酢にするのですが、大量生産のお酢ではタンクの中を攪拌するため1日で酢ができてしまうそうです。でもこちらでは「静置発酵法」といって、タンクの表面だけで酢酸菌が自然発酵していくのを待つ発酵法なので、2〜6ヶ月(季節によりことなる)かけるそうです。

それだけでも丁寧につくられた良いお酢だな、とわかりますね。

なんとまあ、タンクの中を見せていただきました。ほんのり湯気があがっているでしょう?あれ、自然発酵で生じた熱で湯気がでているんです。自然の力ってすごいw( ̄▽ ̄)w

これが静かに発酵する酢のもと。表面に見えるのが酢酸菌の薄い膜。

その丁寧で無農薬の製法ゆえ、「おいしんぼ」にも取り上げられたんですって!
(15年前のご主人だそうです(^^))

米酢以外にも水を一滴も使わず、人力で圧搾してつくる紅芋酢や、りんご酢(無農薬の「奇跡のりんご」が原料)、、、

石榴酢や、そのまま使えるピクル酢、酢の物酢などバリエーションも豊か。

それらをすべてテイスティングできるんですv(゚▽゚)v♪

一般の大量生産米酢を飲んでから試すと違いが歴然の米酢、さわやかなりんご酢、おいしいピクル酢、健康に良い飲む酢の紅芋酢、、、、次から次へと。(もちろん薄めていただきます)

こちらでまた重いビン物をショッピングしたのはいうまでもありません。( ̄^ ̄)ゞ
宮津の街並みをあちこちご案内いただきながら最後に訪れたのが天橋立のたもと、ワインとお宿・千歳。

こちらのオーナーは旅館は奥様にまかせて、ご自分はワインにはまって天橋立にワイナリーを作っちゃうようなお人なんです。世界のワイナリーをたずねて、テイスティングを重ね、そのワイン蔵には2万本以上のワインが眠っているとか。

こちら隣接する千歳のカフェ、Cafe de Pin。なんと天橋立の廻旋橋の目の前というすごい立地。

これもすごい人脈のおかげで、オーナーの山崎氏をご紹介いただく。なにしろ京都の祗園は辰巳橋たもとの一等地のワインとフレンチの町家レストランル・サルモン・ドールのオーナーでもあるのですもの。(ちなみに一之舟入のワインサロンラ・ムーのオーナーでもある)

天橋立はゆっくり見ることはできませんでしたが、各方面ですばらしい方々を知ることができてほんとに充実した1日でしたわ。そらいろつばめ様ご夫婦に感謝です。
それにしても地方、元気じゃないか、と思います。かえって都会ではできない思い切ったことができるのかもしれませんね。

帰りの北近畿タンゴ鉄道のシートカバー。ほんまの「丹後ちりめん」でできているの。なんだか感激。
そして本日の戦利品。重かった〜、、、、( ̄▽ ̄;)


丹後半島はさぞ雪が深いだろうと、、、、

雨草履としっかり防寒でおでかけ。

京都からJRで1時間ちょっと、日本海側はやはり結構な積雪です。
豊岡におすまいのそらいろつばめ様ご夫婦にお誘いいただき、きょうは丹後半島1日エクスカーション。ご夫婦の豊富な人脈と、ご自分の足で確かめられたお気に入りスポットを案内いただきました。博識なそらいろつばめ様の立て板に水、の豪華ナレーション付きで(^▽^)/
まず一番にむかったのはこちら。

丹後半島の玄関口、京都府大宮町にあるこだわりのスーパーいととめ。
現在の若い社長になってから、ありきたりのスーパーではなく、新鮮な地元の食材のみならず、社長みずからが海外に出て買い付けた外国の食材なども品数多くとりそろえたこだわりのお店になったそうです。

ここには日本酒の酒蔵コーナーがあって、地元の酒蔵まででかけて納得がいったお酒をイチオシとして扱っているし、ワインの酒蔵コーナーも充実しています。目の前で調理されるお惣菜コーナーもあるんです。このスーパーには1時間以上もかけて遠方からお客さんがこられるそうですよ。
めずらしいものもいっぱいあって、見ているだけで楽しい。丹後半島についたとたん、すっかりお買い物モードになってしまって、竹野酒造さんの日本酒、豊岡産そば粉(蕎麦掻きを家でつくるんだ♪)をお買い上げ。(重いものばっか)
お昼ご飯にはご夫婦オススメの弥栄町、魚菜料理縄屋さんへ。

聞いて驚くなかれ、このすてきな土の築地壁はオーナーの吉岡さん自らが作ったものなの
w( ̄▽ ̄;)w

インテリアにも器にもこだわりが感じられます。なによりお料理が見た目もお味もヽ(*^^*)ノ!
京都の和久傳(もともとはこちら、峰山の老舗料理旅館でしたのよ)で修行されたそうです。

坪庭をほうふつとさせる植栽もご自分でされたのでしょう。シンボルツリーは山法師。
それではお料理のいくつかをご紹介。

前菜に牡蛎!なにしろ日本海が近いのですもの、新鮮さがちがいます。(この点は京都の料亭よりアドバンテージあり)

煮物椀には蕗の薹餅、ほろにがいお餅がさわやか。

右側がお寿司の原型のなれ鮨(だったと思う)。お米を乳酸発酵させたもの。

お口直しにはなんとトマトにクレソンのソース!赤と緑があざやかで味はさわやか。

〆は土釜でたいたホンダワラのご飯でした。
こういっては失礼ですが、このあたり、他にはな〜んにも見当たらない変哲もない田舎の風景なんです。そこになにげなく、こんなお店があるなんておどろき。このあたりの方は、おいしい日本料理をいただくのにわざわざ京都まででる必要がありませんね。
こちらでゆっくりお昼をご馳走になったあと向かったのは宮津の富士酢飯尾醸造さん。

創業は明治26年。これもそらいろつばめ様のご人脈にて、お休みの日に関わらずご主人(今は社長を息子さんにゆずってはりますが)がわざわざおいでになって蔵を見せていただく。

こちらでは昭和39年から地元宮津の棚田で、契約農家さんに農薬を使わずにお米を作ってもらい、それを原料としているこだわりの酢なんです。

米酢と称することができるお酢の原料の米の量は200mlあたり、一番左のビン。ところがここの富士酢はその5倍、プレミアム富士酢ではさらにその1.5倍(一番右のビン)の米を使っているそうです。

まずは酒を造り、それに酢酸菌をくわえてお酢にするのですが、大量生産のお酢ではタンクの中を攪拌するため1日で酢ができてしまうそうです。でもこちらでは「静置発酵法」といって、タンクの表面だけで酢酸菌が自然発酵していくのを待つ発酵法なので、2〜6ヶ月(季節によりことなる)かけるそうです。

それだけでも丁寧につくられた良いお酢だな、とわかりますね。

なんとまあ、タンクの中を見せていただきました。ほんのり湯気があがっているでしょう?あれ、自然発酵で生じた熱で湯気がでているんです。自然の力ってすごいw( ̄▽ ̄)w

これが静かに発酵する酢のもと。表面に見えるのが酢酸菌の薄い膜。

その丁寧で無農薬の製法ゆえ、「おいしんぼ」にも取り上げられたんですって!
(15年前のご主人だそうです(^^))

米酢以外にも水を一滴も使わず、人力で圧搾してつくる紅芋酢や、りんご酢(無農薬の「奇跡のりんご」が原料)、、、

石榴酢や、そのまま使えるピクル酢、酢の物酢などバリエーションも豊か。

それらをすべてテイスティングできるんですv(゚▽゚)v♪

一般の大量生産米酢を飲んでから試すと違いが歴然の米酢、さわやかなりんご酢、おいしいピクル酢、健康に良い飲む酢の紅芋酢、、、、次から次へと。(もちろん薄めていただきます)

こちらでまた重いビン物をショッピングしたのはいうまでもありません。( ̄^ ̄)ゞ
宮津の街並みをあちこちご案内いただきながら最後に訪れたのが天橋立のたもと、ワインとお宿・千歳。

こちらのオーナーは旅館は奥様にまかせて、ご自分はワインにはまって天橋立にワイナリーを作っちゃうようなお人なんです。世界のワイナリーをたずねて、テイスティングを重ね、そのワイン蔵には2万本以上のワインが眠っているとか。

こちら隣接する千歳のカフェ、Cafe de Pin。なんと天橋立の廻旋橋の目の前というすごい立地。

これもすごい人脈のおかげで、オーナーの山崎氏をご紹介いただく。なにしろ京都の祗園は辰巳橋たもとの一等地のワインとフレンチの町家レストランル・サルモン・ドールのオーナーでもあるのですもの。(ちなみに一之舟入のワインサロンラ・ムーのオーナーでもある)

天橋立はゆっくり見ることはできませんでしたが、各方面ですばらしい方々を知ることができてほんとに充実した1日でしたわ。そらいろつばめ様ご夫婦に感謝です。
それにしても地方、元気じゃないか、と思います。かえって都会ではできない思い切ったことができるのかもしれませんね。

帰りの北近畿タンゴ鉄道のシートカバー。ほんまの「丹後ちりめん」でできているの。なんだか感激。
そして本日の戦利品。重かった〜、、、、( ̄▽ ̄;)

「書画と白磁、そして民画の世界」〜高麗美術館 - 2013.02.11 Mon
紫竹にあるお気に入り、浅川兄弟と出会った高麗美術館へ。

今季の展示は「書画と白磁、そして民画の世界〜朝鮮時代の絵画と陶磁」。

美術館のコレクションの中から書画、白磁、民画の3つのコーナーにわけて。
書画では朝鮮時代後期(日本では江戸末期)の書聖とうたわれた実学者、書芸家・金正喜(号:秋史・チェサ)の書画を中心に。かれの独特な書体は「秋史体」とよばれ、多くの人々が彼の書に感銘を受けたそうです。
でも、彼の書は漢字なのよね。韓国はここ数十年で漢字を捨ててしまった。10数年前にソウルに行ったときには彼らの名刺には必ず漢字の名前が書かれていたのに、最近では名前すら漢字ではなく、すべてハングル。
ハングルも書体によっては美しいと思うけれど、漢字の書には及ばないと思う。
世界遺産に、というほどハングルへの誇りはわかるのだが、漢字をすべてすてていいのか、と思ってしまう。

(辰砂桃型水滴)
民画は、正統な絵画技法と無縁な自由奔放な民衆の絵画。文字絵とかのたぐいですね。思い切りデフォルメされた虎の絵などは朝鮮時代っぽくっていい。家具や焼物も同じだけれど、緻密さ、完璧さとはほど遠い、どこかゆるみのある脱力したようなフォルムがとても魅力的。
でも、いいな〜と思うのはやはり白磁を中心とした焼物。
15世紀〜の粉青沙器の時代、それにかわり17世紀〜の儒教的思想を映したといわれる白磁全盛の時代の焼物の数々。
なかでも、おお、これは!と思ったのが鉄砂帆船魚文壺。

そう、高麗美術館のシンボルマークになっているあの帆船の元絵がこれだったんですね。
私は初めてここで見るような気がする。
美術館創始者の鄭詔文氏がとても愛してつねにそばに置いていた壺だそう。
よくみると形はゆがんでいるし、窯の中で土が沸騰したのかでこぼこしているし、あまつさえ穴まであいている。
日本の陶工ならこんなもの絶対世に出さないだろうと思うのに、とても心惹かれるのはなぜだろう。
この帆船のヘタウマ感はどうだ。一目見たら忘れられないよね。この(飛んでる?)魚がユーモラスでなんともいえない。(この魚が飛び跳ねる動画が美術館HPのtopで見られます!)
白磁の大壺にしても、どこかかしいでいるし完璧なシンメトリーではないのに、それがゆえに魅力的なのは、人間がちょっとしたゆらぎに心地よさを感じるから?
他にも栗鼠の耳が付いた葡萄文扁壺とか、中が硯になっている青白磁の瓜とか。
粉青では三島や伊羅保か井戸かといった茶碗もあって、ついついなめるようにみてしまふ
w( ̄▽ ̄)w(←ガラスにへばりつく、の図)

やっぱり、ここはいいわ〜とほっとして外に出ると、紫竹あたり、吹雪いていました。

今季の展示は「書画と白磁、そして民画の世界〜朝鮮時代の絵画と陶磁」。

美術館のコレクションの中から書画、白磁、民画の3つのコーナーにわけて。
書画では朝鮮時代後期(日本では江戸末期)の書聖とうたわれた実学者、書芸家・金正喜(号:秋史・チェサ)の書画を中心に。かれの独特な書体は「秋史体」とよばれ、多くの人々が彼の書に感銘を受けたそうです。
でも、彼の書は漢字なのよね。韓国はここ数十年で漢字を捨ててしまった。10数年前にソウルに行ったときには彼らの名刺には必ず漢字の名前が書かれていたのに、最近では名前すら漢字ではなく、すべてハングル。
ハングルも書体によっては美しいと思うけれど、漢字の書には及ばないと思う。
世界遺産に、というほどハングルへの誇りはわかるのだが、漢字をすべてすてていいのか、と思ってしまう。

(辰砂桃型水滴)
民画は、正統な絵画技法と無縁な自由奔放な民衆の絵画。文字絵とかのたぐいですね。思い切りデフォルメされた虎の絵などは朝鮮時代っぽくっていい。家具や焼物も同じだけれど、緻密さ、完璧さとはほど遠い、どこかゆるみのある脱力したようなフォルムがとても魅力的。
でも、いいな〜と思うのはやはり白磁を中心とした焼物。
15世紀〜の粉青沙器の時代、それにかわり17世紀〜の儒教的思想を映したといわれる白磁全盛の時代の焼物の数々。
なかでも、おお、これは!と思ったのが鉄砂帆船魚文壺。

そう、高麗美術館のシンボルマークになっているあの帆船の元絵がこれだったんですね。
私は初めてここで見るような気がする。
美術館創始者の鄭詔文氏がとても愛してつねにそばに置いていた壺だそう。
よくみると形はゆがんでいるし、窯の中で土が沸騰したのかでこぼこしているし、あまつさえ穴まであいている。
日本の陶工ならこんなもの絶対世に出さないだろうと思うのに、とても心惹かれるのはなぜだろう。
この帆船のヘタウマ感はどうだ。一目見たら忘れられないよね。この(飛んでる?)魚がユーモラスでなんともいえない。(この魚が飛び跳ねる動画が美術館HPのtopで見られます!)
白磁の大壺にしても、どこかかしいでいるし完璧なシンメトリーではないのに、それがゆえに魅力的なのは、人間がちょっとしたゆらぎに心地よさを感じるから?
他にも栗鼠の耳が付いた葡萄文扁壺とか、中が硯になっている青白磁の瓜とか。
粉青では三島や伊羅保か井戸かといった茶碗もあって、ついついなめるようにみてしまふ
w( ̄▽ ̄)w(←ガラスにへばりつく、の図)

やっぱり、ここはいいわ〜とほっとして外に出ると、紫竹あたり、吹雪いていました。
雪舞う大原の里2013 - 2013.02.10 Sun
オフ日にいろいろ計画をたてていたのだけれど、朝、雪が舞っているのを見て、急遽大原へいってみよう!と。

大原は、、、、おおっ!吹雪いてる!

と思ったら、ちらほら舞う程度になったり、晴れたり、また吹雪いたり、、、

洛中とちがって、なかなか溶けない雪。

とりあえず三千院へ行ってみよう。

よいお顔のお地蔵様、雪の中でしんと立っておられる。

蹲居の水がつららになっている。さすがにこれは市中では見られないなあ。

雪の中ではことさら赤い、万両の実。

あの〜、、そこ寒くないですか?

やった!冷え切った体にありがたい、初午大根炊き接待。
奥の院金色不動堂前広場にて11日まで。

湯気ほかほか。

門跡寺院の菊の御紋。

雪の晴れ間には薄日もさして、雪の上に木漏れ日模様。

実光院さんは、入り口を新しくしはったみたい。
ここは天台声明の寺、勝林院の子院にあたります。

この勝林院にちなんで大原のこのあたりの川は、呂川、律川。
雅楽では呂音階、律音階ってあるそうですが、声明の音階もそうなのでしょうか。

本堂にはまあ!りっぱな仏手柑!
(皮をジャムにするととてもおいしいそうです。バチアタリな気がして作ったことはありませんが)

実光院の池泉回遊式庭園。雪もやや小降り。

ここではまず、これを見ないと。秋から春まで咲く不思議な不断桜。雪の中、可憐な桜色です。

筧の水は太いつららに。

外に出ると、また吹雪いてきました。その足で宝泉院へ。

ここの囲炉裏の間では、自在に目が行きます。
うちの茶室は小間だから、釣り釜は鎖じゃなくて自在を使わないといけないの。今各方面のお手を煩わせて鋭意調達中。できたらできたで、自在の扱いを教えてもらわなければ、、、
さて、みなさま、宝泉院といえばお待ちかね、額縁庭園。人も少なくばっちり撮れました。

ここに静かにすわっている間にも、音もなく風に舞う大原の里の雪でした。
日かずふる雪げにまさる炭竈の
煙もさびし大原の里 (式子内親王)


大原は、、、、おおっ!吹雪いてる!

と思ったら、ちらほら舞う程度になったり、晴れたり、また吹雪いたり、、、

洛中とちがって、なかなか溶けない雪。

とりあえず三千院へ行ってみよう。

よいお顔のお地蔵様、雪の中でしんと立っておられる。

蹲居の水がつららになっている。さすがにこれは市中では見られないなあ。

雪の中ではことさら赤い、万両の実。

あの〜、、そこ寒くないですか?

やった!冷え切った体にありがたい、初午大根炊き接待。
奥の院金色不動堂前広場にて11日まで。

湯気ほかほか。

門跡寺院の菊の御紋。

雪の晴れ間には薄日もさして、雪の上に木漏れ日模様。

実光院さんは、入り口を新しくしはったみたい。
ここは天台声明の寺、勝林院の子院にあたります。

この勝林院にちなんで大原のこのあたりの川は、呂川、律川。
雅楽では呂音階、律音階ってあるそうですが、声明の音階もそうなのでしょうか。

本堂にはまあ!りっぱな仏手柑!
(皮をジャムにするととてもおいしいそうです。バチアタリな気がして作ったことはありませんが)

実光院の池泉回遊式庭園。雪もやや小降り。

ここではまず、これを見ないと。秋から春まで咲く不思議な不断桜。雪の中、可憐な桜色です。

筧の水は太いつららに。

外に出ると、また吹雪いてきました。その足で宝泉院へ。

ここの囲炉裏の間では、自在に目が行きます。
うちの茶室は小間だから、釣り釜は鎖じゃなくて自在を使わないといけないの。今各方面のお手を煩わせて鋭意調達中。できたらできたで、自在の扱いを教えてもらわなければ、、、
さて、みなさま、宝泉院といえばお待ちかね、額縁庭園。人も少なくばっちり撮れました。

ここに静かにすわっている間にも、音もなく風に舞う大原の里の雪でした。
日かずふる雪げにまさる炭竈の
煙もさびし大原の里 (式子内親王)

新洞学区のピニョ食堂/錦林学区のnoma cafe - 2013.02.08 Fri
東西は川端〜東大路、南北は二条〜三条、このあたりが新洞学区です。

江戸時代、宝永の大火(1708)で寺町に集められていた寺院の多くが焼け出され、さらに焼けたご御所再建のために土地をさしだすかわりに鴨東のこのあたりに土地を賜って、集団移動したためこの学区にはなんと55も寺院があり、一つの通りの両脇の建物が全部お寺さんだったりするんです。

その学区内のシンボル、新洞小学校が今春から錦林小学校に統合されることになったようです。京都市立小学校の統廃合は今に始まったことではありませんが、とうとう鴨東地区までやってきたか、という感じです。
140余年の歴史、京都で33番目の小学校だそうです。
うちは以前京都に住んでいたときから錦林学区で娘はひっこしするまで2年間通いました。新洞はおとなりの学区だったので、無関係というわけではなく、ちょっとさびしいです。

新洞の西のはしにある韓国スープ定食のお店ピニョ食堂へ。
昨年高麗美術館主催のソウル浅川巧日記を歩くツアーで知り合った、たまたまご近所だったKちゃんのおすすめ。
カウンターとテーブル1席だけのちいさい食堂だけれど、清潔で感じがよくて、暖簾がポシャギなのもすてき。

お店の主は韓流ドラマもびっくり!の美男美女カップルw(゚o゚*)w
メニューがスープ系定食だけ、というのもおもしろいし、ヘルシーな感じ。
ズンドゥブとかもあったけれど、そこはやはり、浅川巧さんの日記に何度も出てくる、好物だったらしいソルロンタンでしょう!
あっつあつでぐらぐら煮立ちながらでてきますよ。

ソルロンタンは牛の骨などを何時間も煮込んで出た出汁のようなものなので、栄養はたっぷりながら味はとても淡白。このようにご飯もキムチも全部投入していただくのが韓国風。
あつっ!あつっ!
、、、といいながら、体がすっかりあたたまりました。げふ〜(←下品)寒い日になによりのごちそうだし、滋養もあります。
ちなみにピニョとは簪。韓国時代ドラマで女性が身分に応じた素材の長い簪を横一にさしてるあれです。大韓航空のCAはピニョをアレンジした髪飾りをみんなしていてかわいいの。
さてここから東大路にもどって、三条東山の○○人形さんへ、孫娘の初節句用の市松人形をもとめに。
市松さんは値段はお召しのべべで決まるようです。お支払いの時に「新洞学区の方?」とたずねられました。ここらへんが番組小学校で地域をある意味自治してきた京都の学区のおもしろさ。
残念ながらとなりの錦林で、、、というと、まあ統合するし、、ってことで少し値引していただいたのo(>▽<)o ウキャキャ!

で、自分のテリトリー、錦林学区内のnoma cafeさんでデザートを。
おとなりの北欧雑貨のすてきなお店、nomaのオーナーさんがだされたカフェです。

どこのコーナーを見ても、インテリアから食器まで、オーナーさんのセンスが光るカフェ。

注文がやってくるまでアート系のミニライブラリーを見ていると、、、
おお!!
かの山口画伯の図録が!!

また隅から隅までじ〜っくり眺めて、しかけられた地口やユーモアにくすくすと。

こちらのケーキはとてもおいしい。
本日のケーキは、金柑タルトでした。o@(^-^)@o。

江戸時代、宝永の大火(1708)で寺町に集められていた寺院の多くが焼け出され、さらに焼けたご御所再建のために土地をさしだすかわりに鴨東のこのあたりに土地を賜って、集団移動したためこの学区にはなんと55も寺院があり、一つの通りの両脇の建物が全部お寺さんだったりするんです。

その学区内のシンボル、新洞小学校が今春から錦林小学校に統合されることになったようです。京都市立小学校の統廃合は今に始まったことではありませんが、とうとう鴨東地区までやってきたか、という感じです。
140余年の歴史、京都で33番目の小学校だそうです。
うちは以前京都に住んでいたときから錦林学区で娘はひっこしするまで2年間通いました。新洞はおとなりの学区だったので、無関係というわけではなく、ちょっとさびしいです。

新洞の西のはしにある韓国スープ定食のお店ピニョ食堂へ。
昨年高麗美術館主催のソウル浅川巧日記を歩くツアーで知り合った、たまたまご近所だったKちゃんのおすすめ。
カウンターとテーブル1席だけのちいさい食堂だけれど、清潔で感じがよくて、暖簾がポシャギなのもすてき。

お店の主は韓流ドラマもびっくり!の美男美女カップルw(゚o゚*)w
メニューがスープ系定食だけ、というのもおもしろいし、ヘルシーな感じ。
ズンドゥブとかもあったけれど、そこはやはり、浅川巧さんの日記に何度も出てくる、好物だったらしいソルロンタンでしょう!
あっつあつでぐらぐら煮立ちながらでてきますよ。

ソルロンタンは牛の骨などを何時間も煮込んで出た出汁のようなものなので、栄養はたっぷりながら味はとても淡白。このようにご飯もキムチも全部投入していただくのが韓国風。
あつっ!あつっ!
、、、といいながら、体がすっかりあたたまりました。げふ〜(←下品)寒い日になによりのごちそうだし、滋養もあります。
ちなみにピニョとは簪。韓国時代ドラマで女性が身分に応じた素材の長い簪を横一にさしてるあれです。大韓航空のCAはピニョをアレンジした髪飾りをみんなしていてかわいいの。
さてここから東大路にもどって、三条東山の○○人形さんへ、孫娘の初節句用の市松人形をもとめに。
市松さんは値段はお召しのべべで決まるようです。お支払いの時に「新洞学区の方?」とたずねられました。ここらへんが番組小学校で地域をある意味自治してきた京都の学区のおもしろさ。
残念ながらとなりの錦林で、、、というと、まあ統合するし、、ってことで少し値引していただいたのo(>▽<)o ウキャキャ!

で、自分のテリトリー、錦林学区内のnoma cafeさんでデザートを。
おとなりの北欧雑貨のすてきなお店、nomaのオーナーさんがだされたカフェです。

どこのコーナーを見ても、インテリアから食器まで、オーナーさんのセンスが光るカフェ。

注文がやってくるまでアート系のミニライブラリーを見ていると、、、
おお!!
かの山口画伯の図録が!!

また隅から隅までじ〜っくり眺めて、しかけられた地口やユーモアにくすくすと。

こちらのケーキはとてもおいしい。
本日のケーキは、金柑タルトでした。o@(^-^)@o。
廬山寺・鬼法楽 - 2013.02.06 Wed
(立春も何日か過ぎたというのにまだ節分ひきずってます^_^; )
電車の中でのおぢさんの会話。
「節分は京都のあちこちでやっているけど、同じ時間帯ばかりだから1年に一カ所しか回れないので、全部回ろうと思うと10年以上かかるなあ。」
なるほど、そうよね。
しかも私の場合平日にあたると行けないし。
せっかく日曜に節分があたっているのだから、行けるところから回ろう。
で、今年はいきなりメジャー、御所東の廬山寺!

境内の桔梗もきれいなので、昨年は桔梗の季節に行きました。御土居もあるし、紫式部邸跡としても有名なので、見所満載のお寺です。

こちら節分追儺式は鬼踊りこと、鬼法楽が有名。

なので相当の人出が予想されるので1時間前に行ったのですが、もうすでにこんなに人が
( ̄□ ̄;)!!

前にも後にも行けない満員電車状態で待つこと1時間。(京都では大きなイベント見ようと思ったら、ひたすら忍耐が必要)
さいわいこの時期にしては暖かく、空も雲ひとつない気持ちの良い天候。BGMはその間ずっとくりかえされる御真言。
♪ おんばらだ〜はんどめいうん おんばらだ〜はんどめいうん、、、、、
ここにお祀りされている元三大師(良源)の御真言です。実は如意輪観音の真言と同じ。元三大師は如意輪観音の化身と信じられているから。
しかしあまりに長い間くりかえされるので、テープでもながしているのかな?と思ったら、ちゃ〜んとお坊さんが肉声で唱えておられました。

お、いよいよ始まるみたい。
追儺師さんが弓矢を持って。

比叡山からこられたとおぼしき、一番偉いお坊さん。(傘付き!)
大勢のお坊さん達が護摩壇のまわりで加持祈祷をはじめると、、、、

赤鬼さん登場!

貪欲の象徴とか、剣と松明をもっています。

まさかりをもった緑鬼、瞋恚=怒りの象徴。
(か、、かわいい
)

愚痴を表す黒鬼さんは槌をもって登場。

この3匹が法螺貝と太鼓のゆっくりとした原始的リズムで「躍る」んですが、なんともスローモーでユーモラス。

Ψ( ̄∇ ̄)Ψあはは、、 全然こわくな〜い。子供も怖がらないんじゃ?
しかしこの単調なプリミティブな不協和音にあわせて踊るこの踊り、、、どこかで。
そうだ!古代の踊りといわれる春日若宮おんまつりの細男(せいのお)だ!細男に似ている。

やがて3匹は加持祈祷を邪魔せんと、そろって本堂のほうへ。
後ろ姿がまたなんとも ( ´艸`)ウププ。

そこへ追儺師が東・西・南・北・中央の5箇所に向い矢を射て鬼たちを降伏。
(この射られた矢をゲットできた人は今年いいことあるかも)

お坊さん達の法力と破魔弓に「ヤラレタ〜、、、、」と言ってか言わずか弱ってでてきた鬼さんたち。逃げていきます。

仕上げに豆をまいて厄除け。

小餅と豆をまいてくれるんだが、とれんのだわ、これがなかなか。
中には大きなバッグの口をあけてキャッチしている猛者もいて、びっくり!

地面に落ちたちょっと泥付きのやつをとりあえずゲット。
こちらのお豆さんは蓬萊豆といって、ちょっとかわっていて、大豆の外側を砂糖で固めた紅白の豆。
本尊の元三大師が豆大師と云われるので、それを表したものだとか。
この蓬莱豆を紅白一粒づつ食べると6年寿命が延びるんですって。洗って食べましたよ。かなり固かった!

追儺式がおわるとどこからともなく、、、、

改心した鬼が現れて、体の悪いところをなおしてくれる「鬼のお加持」を。う〜ん、私の場合悪いのは「根性」かなあ( ̄w ̄)

我が家にもある角大師の御札。元三大師・良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像といわれます。
これで1年分の厄除けをひとつよろしく。
♪ おんばらだ〜はんどめいうん おんばらだ〜はんどめいうん、、、、、
電車の中でのおぢさんの会話。
「節分は京都のあちこちでやっているけど、同じ時間帯ばかりだから1年に一カ所しか回れないので、全部回ろうと思うと10年以上かかるなあ。」
なるほど、そうよね。
しかも私の場合平日にあたると行けないし。
せっかく日曜に節分があたっているのだから、行けるところから回ろう。
で、今年はいきなりメジャー、御所東の廬山寺!

境内の桔梗もきれいなので、昨年は桔梗の季節に行きました。御土居もあるし、紫式部邸跡としても有名なので、見所満載のお寺です。

こちら節分追儺式は鬼踊りこと、鬼法楽が有名。

なので相当の人出が予想されるので1時間前に行ったのですが、もうすでにこんなに人が
( ̄□ ̄;)!!

前にも後にも行けない満員電車状態で待つこと1時間。(京都では大きなイベント見ようと思ったら、ひたすら忍耐が必要)
さいわいこの時期にしては暖かく、空も雲ひとつない気持ちの良い天候。BGMはその間ずっとくりかえされる御真言。
♪ おんばらだ〜はんどめいうん おんばらだ〜はんどめいうん、、、、、
ここにお祀りされている元三大師(良源)の御真言です。実は如意輪観音の真言と同じ。元三大師は如意輪観音の化身と信じられているから。
しかしあまりに長い間くりかえされるので、テープでもながしているのかな?と思ったら、ちゃ〜んとお坊さんが肉声で唱えておられました。

お、いよいよ始まるみたい。
追儺師さんが弓矢を持って。

比叡山からこられたとおぼしき、一番偉いお坊さん。(傘付き!)
大勢のお坊さん達が護摩壇のまわりで加持祈祷をはじめると、、、、

赤鬼さん登場!

貪欲の象徴とか、剣と松明をもっています。

まさかりをもった緑鬼、瞋恚=怒りの象徴。
(か、、かわいい


愚痴を表す黒鬼さんは槌をもって登場。

この3匹が法螺貝と太鼓のゆっくりとした原始的リズムで「躍る」んですが、なんともスローモーでユーモラス。

Ψ( ̄∇ ̄)Ψあはは、、 全然こわくな〜い。子供も怖がらないんじゃ?
しかしこの単調なプリミティブな不協和音にあわせて踊るこの踊り、、、どこかで。
そうだ!古代の踊りといわれる春日若宮おんまつりの細男(せいのお)だ!細男に似ている。

やがて3匹は加持祈祷を邪魔せんと、そろって本堂のほうへ。
後ろ姿がまたなんとも ( ´艸`)ウププ。

そこへ追儺師が東・西・南・北・中央の5箇所に向い矢を射て鬼たちを降伏。
(この射られた矢をゲットできた人は今年いいことあるかも)

お坊さん達の法力と破魔弓に「ヤラレタ〜、、、、」と言ってか言わずか弱ってでてきた鬼さんたち。逃げていきます。

仕上げに豆をまいて厄除け。

小餅と豆をまいてくれるんだが、とれんのだわ、これがなかなか。
中には大きなバッグの口をあけてキャッチしている猛者もいて、びっくり!

地面に落ちたちょっと泥付きのやつをとりあえずゲット。
こちらのお豆さんは蓬萊豆といって、ちょっとかわっていて、大豆の外側を砂糖で固めた紅白の豆。
本尊の元三大師が豆大師と云われるので、それを表したものだとか。
この蓬莱豆を紅白一粒づつ食べると6年寿命が延びるんですって。洗って食べましたよ。かなり固かった!

追儺式がおわるとどこからともなく、、、、

改心した鬼が現れて、体の悪いところをなおしてくれる「鬼のお加持」を。う〜ん、私の場合悪いのは「根性」かなあ( ̄w ̄)

我が家にもある角大師の御札。元三大師・良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像といわれます。
これで1年分の厄除けをひとつよろしく。
♪ おんばらだ〜はんどめいうん おんばらだ〜はんどめいうん、、、、、
吉田神社・節分祭 2013 - 2013.02.05 Tue
立春大吉・鏡文字(左右対称)

春立つ前の冬の晦日、一年間たまりにたまった陰の気を、一気にうちやぶろうとおこなわれる節分祭。
学生時代からおなじみ、チャリですぐ行ける気楽さもあって、吉田神社節分祭、2日連続暗くなってからのお参り。
その前に、、、

こちらも恒例、聖護院の須賀神社へ。

イケメンヽ( ̄▽ ̄)ノ 懸想文売りからお守りを。
懸想文売りは昔のお公家さんの小遣い稼ぎだったわけで、ばれるとまずいので顔を隠しているとか。
この日はお一人だったので、「今日はお一人?」と聞くと「もう一人は休憩中ですねん。」って!

今年の懸想文は「巳代子様 辰郎より」(昨年は「辰郎様 美卯まいる」)
良縁に云々、、、は、もう遅いので、着物が増えますように、と箪笥にいれておくの。
吉田神社、方相氏と鬼のでる追儺式のあとをねらっていったのですが、かえってお参りの人でごったがえしてました。

翌日の火炉祭の火炉。
焼納する古い御札や御守りはまだ新しくつっこむスペースがありますね。

神鹿さん。
実は意外と新しく、昭和30年代につくられたもの。
学生の頃はここにほんものの鹿がいたような気がする。(檻の中で)

本殿にお参りした後は、必ず菓祖神社へ。
紋所は橘。唐土から非時香菓(ときじくのかくのこのみ=橘の実といわれている)を持ち帰った田道間守(たじまもり)をお祀りしています。

ここでいただく豆茶とお菓子は毎年はずせません。
だって、おかげさまでこの1年、おいしく美しい和菓子をたんとよばれましたもの。これからの1年もよろしく。

御献灯も塩芳軒とか本家玉寿軒とか(ズルッ、、←よだれ)

参道を少しでも外れようものなら、魑魅魍魎が跋扈していそうな暗闇が口をあけています。
この感じがええのよ。(もちろん一人ならこわくて来られませんが)

日本全国から勧請した3132座の神様がおわす大元宮。(節分の時だけ中に入れます)
これぞ吉田神道の真骨頂。

大元宮の厄塚にふれてお願いをすると、厄塚に巻かれた綱を伝わって、、、

願いが神様につたわる糸電話のようなもの?

生きることは時につらいことも苦しいこともあるから。
一通りお参りを済ませた後は夜店めぐりも。

立春前の晦日なので年越し蕎麦を河道屋さんでいただいて、、、

松井酒造さんのにごり酒で仕上げます。
松井酒造さんは昔から東一条の西にあって、学生時代の下宿のほん近くでしたので懐かしい。

やはり代表は「富士千歳」。
洛中に残る酒蔵は佐々木酒造さんだけど、松井酒造さんもぎりぎり洛中かなあ。(吉田村かもしれない。)
<break>
さて翌日3日の吉田神社。
23時からいよいよ火炉に火がはいる火炉祭です。

こんな夜更けなのに、まだまだ人出でにぎわっています。
遠方に火炉がみえるでしょうか。もうすでに上の方まで、焼納する古札などでぎゅうぎゅう。

いよいよ火が入ります。
おお〜、、、w( ̄▽ ̄)w'゚☆。.::・'゚★。.::・

燃えさかる火はおそろしいくらいで、消防隊員が緊張の面持ちでスタンバイしているのもうなづけます。
こんな人混みの中で、知り合いに会うこともなかろうと、ええかげんな格好で行っていたのに、ご近所にお住まいの暁庵様にばったり!(奇跡的〜!)

1年分のたまりたまった厄を全部全部燃やし尽くせ。

浄化され天に帰っていくさまざまな願い事。
新しく迎えるこの1年が、佳き年でありますように。

春立つ前の冬の晦日、一年間たまりにたまった陰の気を、一気にうちやぶろうとおこなわれる節分祭。
学生時代からおなじみ、チャリですぐ行ける気楽さもあって、吉田神社節分祭、2日連続暗くなってからのお参り。
その前に、、、

こちらも恒例、聖護院の須賀神社へ。

イケメンヽ( ̄▽ ̄)ノ 懸想文売りからお守りを。
懸想文売りは昔のお公家さんの小遣い稼ぎだったわけで、ばれるとまずいので顔を隠しているとか。
この日はお一人だったので、「今日はお一人?」と聞くと「もう一人は休憩中ですねん。」って!

今年の懸想文は「巳代子様 辰郎より」(昨年は「辰郎様 美卯まいる」)
良縁に云々、、、は、もう遅いので、着物が増えますように、と箪笥にいれておくの。
吉田神社、方相氏と鬼のでる追儺式のあとをねらっていったのですが、かえってお参りの人でごったがえしてました。

翌日の火炉祭の火炉。
焼納する古い御札や御守りはまだ新しくつっこむスペースがありますね。

神鹿さん。
実は意外と新しく、昭和30年代につくられたもの。
学生の頃はここにほんものの鹿がいたような気がする。(檻の中で)

本殿にお参りした後は、必ず菓祖神社へ。
紋所は橘。唐土から非時香菓(ときじくのかくのこのみ=橘の実といわれている)を持ち帰った田道間守(たじまもり)をお祀りしています。

ここでいただく豆茶とお菓子は毎年はずせません。
だって、おかげさまでこの1年、おいしく美しい和菓子をたんとよばれましたもの。これからの1年もよろしく。

御献灯も塩芳軒とか本家玉寿軒とか(ズルッ、、←よだれ)

参道を少しでも外れようものなら、魑魅魍魎が跋扈していそうな暗闇が口をあけています。
この感じがええのよ。(もちろん一人ならこわくて来られませんが)

日本全国から勧請した3132座の神様がおわす大元宮。(節分の時だけ中に入れます)
これぞ吉田神道の真骨頂。

大元宮の厄塚にふれてお願いをすると、厄塚に巻かれた綱を伝わって、、、

願いが神様につたわる糸電話のようなもの?

生きることは時につらいことも苦しいこともあるから。
一通りお参りを済ませた後は夜店めぐりも。

立春前の晦日なので年越し蕎麦を河道屋さんでいただいて、、、

松井酒造さんのにごり酒で仕上げます。
松井酒造さんは昔から東一条の西にあって、学生時代の下宿のほん近くでしたので懐かしい。

やはり代表は「富士千歳」。
洛中に残る酒蔵は佐々木酒造さんだけど、松井酒造さんもぎりぎり洛中かなあ。(吉田村かもしれない。)
<break>
さて翌日3日の吉田神社。
23時からいよいよ火炉に火がはいる火炉祭です。

こんな夜更けなのに、まだまだ人出でにぎわっています。
遠方に火炉がみえるでしょうか。もうすでに上の方まで、焼納する古札などでぎゅうぎゅう。

いよいよ火が入ります。
おお〜、、、w( ̄▽ ̄)w'゚☆。.::・'゚★。.::・

燃えさかる火はおそろしいくらいで、消防隊員が緊張の面持ちでスタンバイしているのもうなづけます。
こんな人混みの中で、知り合いに会うこともなかろうと、ええかげんな格好で行っていたのに、ご近所にお住まいの暁庵様にばったり!(奇跡的〜!)

1年分のたまりたまった厄を全部全部燃やし尽くせ。

浄化され天に帰っていくさまざまな願い事。
新しく迎えるこの1年が、佳き年でありますように。
大炉の茶事〜瓢亭の懐石を再現する - 2013.02.03 Sun
若くてやる気と才能のある料理人さんが、表(千家)であれ、裏であれ懐石ができるように勉強したい、という意気込みにS庵様が共鳴して、12ヶ月、瓢亭さんの懐石を再現する茶事をされることになったそうです。
その記念すべき第1回目、大炉編にご縁あって光栄にもお招きいただきました。

待合で初対面ながら、茶の湯の道に足をどっぷりつけている者同士、の同志(^_^;)4名様とごあいさつして、腰掛け待合へ。こちらでは吉田神社の福枡が煙草盆に(*^^*)
露地の風情も茶事の楽しみ、広いお庭の一部を露地にされているのですが、植栽はなんとS庵様自らされたとか。
そして席入り。
大炉は逆勝手なのですが、客は本勝手と同じようにふるまってよいとされます。
(いや、大炉のあるお家なんてそうそうありません。すごい。)

軸は近衛信尹(三藐院)の渡唐天神。
三藐院といえば松花堂昭乗、本阿弥光悦とならぶ寛永の三筆の一人、、というのは知っていましたが、改めて調べてみるとこの方、公家にしては型破りの生き方をした方のようです。
秀吉の朝鮮出兵の際、自分も朝鮮へ渡ろうとして(公家としての昇進にあきらめをつけて武家として武勲をたてようとしたらしい)後陽成天皇の勅勘をこうむり、薩摩の坊津に流された。
その折りにこの渡唐天神(よくみると「天神」という文字がおりこまれている)の絵を100枚描いたそうで、そのうちの1枚なんですね。
本来美術館級のものではありませんか!
ちなみに渡唐天神は今月の「淡交」にも載っていましたが、天神様が禅宗を学ぶのに一夜で唐に渡り、径山の無準師範に参禅し法衣をさずかった、という伝説による画題。(多くは唐衣を着て梅を一枝持っている)
朝鮮に渡ろうとして渡れなかった三藐院が、一夜で唐までいった天神さんをうらやんで描いたのでしょうか。
唐衣 折らで北野の神とぞは 袖に持ちたる梅にても知れ
そして大炉には雪輪瓦(これも何代目かの楽だった)、大ぶりのかせた釜肌がとっても良い感じの釜が、、、
ええ〜っ!!?
*与次郎ですって〜w( ̄▽ ̄;)w (*利休時代の釜師)
ご縁あってS庵様のもとへ来た釜だそうで、その人脈すごくないですか?
せんだって与次郎釜を大西清右衛門さんとこで見せてもらって感激していたのですが、なんとそれでお茶を点てていただけるとは!そのうえ叩き出しで成形しているので(与次郎時代はみんなそうだった)軽い、という蓋も持たせていただく。
とても大ぶり、とてもどっしり(実際重いらしい)、そしてシンプルなんだけれど王道を行くフォルム、そして出過ぎない。
こうやって次々とその価値がわかる人の所へ伝わって行く、というのは釜にとっても幸せなことだと思います。
よいところへ来られましたなあ。
お水も徳島・眉山麓の瑞巌寺の名水をわざわざ汲んできて下さったそうです。感謝。

さて、大炉は炭出前が独特でこの季節にしかでませんので、お稽古も1年に1回しかできません。
とくに後炭は焙烙をくるくる回す所作がこの季節ならでは、の風情があってよいのです。
大炉の炭出前が拝見できる、というのは願ってもないことで、しっかり本で予習して拝見したのですが、S庵様、あまりにすらすらとなにげにされてしまわれるので、あれ?いつのまにおわったの?
利休の点前は点て始めから終わりまで少しも目立ったところがなくすらりすらりとした点前だった、というアレでしょうか?後座の濃茶しかり、薄茶しかり。
「若輩です。」とご謙遜なさいますが、とんでもございません。S庵様、実は若きご住職、初座にては袴姿、後座にては墨染めの衣、なんというか風格がありますなあ、、、

なかなかさわらせてもらえる機会のないようなお道具がたくさん出てくる中、ほっとさせられたのがこのお干菓子。あの好日居さんの茶会でもおなじみ、日菓さんのもの。(日菓さんのかわいい和菓子、この1年雑誌「なごみ」の内表紙を飾るので、ますますメジャーになるなあ)
節分ですからね、鬼の金棒と、、、鬼の虎皮パンツ!
茶入は古瀬戸、棗は八代宗哲(玄々斎の頃)の梅花棗、茶杓は濃茶が玄々斎「真鶴」、薄茶が淡々斎「竹生島(弁財天が祀られている。巳年にちなみ)」、、、(以下記憶しきれず。)
さて、最後にすばらしかった懐石についても述べておかねば。

瓢亭さんが出している懐石の本に従い、材料も忠実に産地をなぞって作られたそうです。
今回は2月の献立。
(若干記憶に問題あるところもあるかもしれませんが、、、)
汁:自然薯 白味噌仕立て (自然薯の口触りがとてもまろやか)
向付:蟹
煮物椀:おこぜのまる鍋仕立て 焼葱 (おこぜってこんなに淡泊でおいしいんだ)
焼物:ぐじの西京漬 (味噌なしでもほんのり甘い。甘鯛ともいうのはこういうことか)
強肴:海老の米衣揚げ (衣がぱりぱりの、あのおこげさんの感触)
酢物:帆立、野菜のウニ和え (ウニがとってもクリーミーでおいしかった!)
八寸:子持昆布、蕗の薹(このほろにがさが、口中さわやかにしてコースの中でいいアクセントになっていた)
おまけ:このわた (鮮烈な磯の香り、ついついもう一杯酒持ってこい状態)
お酒は新潟・宮尾酒造さんの〆張鶴。
淡麗にして何杯もいただいてしまいました。
この盃がまた何代目かの宗哲で、懐石道具も酔っ払っている場合じゃないものが次々と、、w( ̄▽ ̄;)w
懐石の流れは瓢亭さんをなぞったとしても、それなりの腕がなければここまではできません。
聞けばこちらの地元でなかなか予約のとれないお店をだしておられるとか。納得です。
S庵様にしても、この板さんにしても、お二人ともお若いのに、茶の湯に料理に熱いものをもっておられる。
これからこの世界、こんな方がおられるとは、ほんとうに頼もしい限りです。
そしてその若さがまぶしい、というかうらやましくねたましくさえ感じるのでありました。
おばさんとて、これは負けてはイラレナイ。
片道約3時間、遠く馳せ参じましたが、その甲斐がございました。
これもまた茶の湯がつないでくれたご縁、ありがたい限り。

S庵様のご家族もバックアップしてくださったようで、これも感謝です。
帰りにお庭の水仙をたくさん、お土産に頂戴しました。
玄関を開けると水仙の芳香がむせるほどで、これまた楽しんでおります。
ありがとうございました。
残り11回、瓢亭茶事、さまざまに趣向を変えて計画されておられるようです。
産みの苦しみはありましょうが、がんばってくださ〜い(^-^)ゝ
その記念すべき第1回目、大炉編にご縁あって光栄にもお招きいただきました。

待合で初対面ながら、茶の湯の道に足をどっぷりつけている者同士、の同志(^_^;)4名様とごあいさつして、腰掛け待合へ。こちらでは吉田神社の福枡が煙草盆に(*^^*)
露地の風情も茶事の楽しみ、広いお庭の一部を露地にされているのですが、植栽はなんとS庵様自らされたとか。
そして席入り。
大炉は逆勝手なのですが、客は本勝手と同じようにふるまってよいとされます。
(いや、大炉のあるお家なんてそうそうありません。すごい。)

軸は近衛信尹(三藐院)の渡唐天神。
三藐院といえば松花堂昭乗、本阿弥光悦とならぶ寛永の三筆の一人、、というのは知っていましたが、改めて調べてみるとこの方、公家にしては型破りの生き方をした方のようです。
秀吉の朝鮮出兵の際、自分も朝鮮へ渡ろうとして(公家としての昇進にあきらめをつけて武家として武勲をたてようとしたらしい)後陽成天皇の勅勘をこうむり、薩摩の坊津に流された。
その折りにこの渡唐天神(よくみると「天神」という文字がおりこまれている)の絵を100枚描いたそうで、そのうちの1枚なんですね。
本来美術館級のものではありませんか!
ちなみに渡唐天神は今月の「淡交」にも載っていましたが、天神様が禅宗を学ぶのに一夜で唐に渡り、径山の無準師範に参禅し法衣をさずかった、という伝説による画題。(多くは唐衣を着て梅を一枝持っている)
朝鮮に渡ろうとして渡れなかった三藐院が、一夜で唐までいった天神さんをうらやんで描いたのでしょうか。
唐衣 折らで北野の神とぞは 袖に持ちたる梅にても知れ
そして大炉には雪輪瓦(これも何代目かの楽だった)、大ぶりのかせた釜肌がとっても良い感じの釜が、、、
ええ〜っ!!?
*与次郎ですって〜w( ̄▽ ̄;)w (*利休時代の釜師)
ご縁あってS庵様のもとへ来た釜だそうで、その人脈すごくないですか?
せんだって与次郎釜を大西清右衛門さんとこで見せてもらって感激していたのですが、なんとそれでお茶を点てていただけるとは!そのうえ叩き出しで成形しているので(与次郎時代はみんなそうだった)軽い、という蓋も持たせていただく。
とても大ぶり、とてもどっしり(実際重いらしい)、そしてシンプルなんだけれど王道を行くフォルム、そして出過ぎない。
こうやって次々とその価値がわかる人の所へ伝わって行く、というのは釜にとっても幸せなことだと思います。
よいところへ来られましたなあ。
お水も徳島・眉山麓の瑞巌寺の名水をわざわざ汲んできて下さったそうです。感謝。

さて、大炉は炭出前が独特でこの季節にしかでませんので、お稽古も1年に1回しかできません。
とくに後炭は焙烙をくるくる回す所作がこの季節ならでは、の風情があってよいのです。
大炉の炭出前が拝見できる、というのは願ってもないことで、しっかり本で予習して拝見したのですが、S庵様、あまりにすらすらとなにげにされてしまわれるので、あれ?いつのまにおわったの?
利休の点前は点て始めから終わりまで少しも目立ったところがなくすらりすらりとした点前だった、というアレでしょうか?後座の濃茶しかり、薄茶しかり。
「若輩です。」とご謙遜なさいますが、とんでもございません。S庵様、実は若きご住職、初座にては袴姿、後座にては墨染めの衣、なんというか風格がありますなあ、、、

なかなかさわらせてもらえる機会のないようなお道具がたくさん出てくる中、ほっとさせられたのがこのお干菓子。あの好日居さんの茶会でもおなじみ、日菓さんのもの。(日菓さんのかわいい和菓子、この1年雑誌「なごみ」の内表紙を飾るので、ますますメジャーになるなあ)
節分ですからね、鬼の金棒と、、、鬼の虎皮パンツ!
茶入は古瀬戸、棗は八代宗哲(玄々斎の頃)の梅花棗、茶杓は濃茶が玄々斎「真鶴」、薄茶が淡々斎「竹生島(弁財天が祀られている。巳年にちなみ)」、、、(以下記憶しきれず。)
さて、最後にすばらしかった懐石についても述べておかねば。

瓢亭さんが出している懐石の本に従い、材料も忠実に産地をなぞって作られたそうです。
今回は2月の献立。
(若干記憶に問題あるところもあるかもしれませんが、、、)
汁:自然薯 白味噌仕立て (自然薯の口触りがとてもまろやか)
向付:蟹

煮物椀:おこぜのまる鍋仕立て 焼葱 (おこぜってこんなに淡泊でおいしいんだ)
焼物:ぐじの西京漬 (味噌なしでもほんのり甘い。甘鯛ともいうのはこういうことか)
強肴:海老の米衣揚げ (衣がぱりぱりの、あのおこげさんの感触)
酢物:帆立、野菜のウニ和え (ウニがとってもクリーミーでおいしかった!)
八寸:子持昆布、蕗の薹(このほろにがさが、口中さわやかにしてコースの中でいいアクセントになっていた)
おまけ:このわた (鮮烈な磯の香り、ついついもう一杯酒持ってこい状態)
お酒は新潟・宮尾酒造さんの〆張鶴。
淡麗にして何杯もいただいてしまいました。
この盃がまた何代目かの宗哲で、懐石道具も酔っ払っている場合じゃないものが次々と、、w( ̄▽ ̄;)w
懐石の流れは瓢亭さんをなぞったとしても、それなりの腕がなければここまではできません。
聞けばこちらの地元でなかなか予約のとれないお店をだしておられるとか。納得です。
S庵様にしても、この板さんにしても、お二人ともお若いのに、茶の湯に料理に熱いものをもっておられる。
これからこの世界、こんな方がおられるとは、ほんとうに頼もしい限りです。
そしてその若さがまぶしい、というかうらやましくねたましくさえ感じるのでありました。
おばさんとて、これは負けてはイラレナイ。
片道約3時間、遠く馳せ参じましたが、その甲斐がございました。
これもまた茶の湯がつないでくれたご縁、ありがたい限り。

S庵様のご家族もバックアップしてくださったようで、これも感謝です。
帰りにお庭の水仙をたくさん、お土産に頂戴しました。
玄関を開けると水仙の芳香がむせるほどで、これまた楽しんでおります。
ありがとうございました。
残り11回、瓢亭茶事、さまざまに趣向を変えて計画されておられるようです。
産みの苦しみはありましょうが、がんばってくださ〜い(^-^)ゝ
un cafe Le Petit Suetomi 〜京都ホテルオークラ - 2013.02.01 Fri
どこの宮殿かしら〜?

なんちって、ここは京都ホテルオークラの1Fロビー。
いまだに、あとに「オークラ」がつくのは慣れません。
あの2Fのカフェが外からガラス越しに見える昔の「京都ホテル」がいまでもどこかにあるような気がして。

現在は、シンボルの大柱にキーヤンこと木村英輝さんの絵が。
青蓮院の襖絵、青の幻想は好きだなあ。

ホテルのショッピングアベニューにも、今ならキーヤンのギャラリーがあるようですね。

ホテルの別棟、高瀬川の一之舩入のところ(以前レストランカフェ・了以がはいっていたところ)今年リニューアルされました。
お目当ては、、、

末富さんのカフェ!
鍵善さんもZEN CAFEを祗園にださはったし、今和菓子の老舗はカフェブームなのかな。

ちなみに一之舩入は高瀬川が交通運輸の大事な水路であったころに設けられた船溜の跡です。
以前あった了以さんは、場所を少し移動され、メニューも少し変わった模様。
(店の名前はもちろん高瀬川を拓いた角倉了以にちなむもの)

京野菜プレートがなくなって、これは了以プレート。
う〜ん、、、若干普通すぎるかな( ̄‥ ̄)
さて、いよいよデザートをun cafe Le Petit Suetomiさんで。
(ちなみにun cafe=餡カフェ)

店内は末富ブルーを基調にモダンにまとめられています。
扇形(末富のマーク)の商品ディスプレーとその後方の席がおしゃれ。

ちょっと斜めで見えにくいけれど、誇らしげな末富マーク。

メニューをチェックしたところ、和菓子・抹茶はいうにおよばず、コーヒー、紅茶、ワイン、軽食までのっています。末富さんは和菓子のみ担当、、というところかな。
和菓子を注文すると、本日の和菓子のサンプルをもってきてくれるので、その中からチョイス。
(2個でもいける人は2個でも3個でもOKよ)

選んだのはきんとんに角がはえた追儺の和菓子。
こちらもみごとな末富ブルーの銘々皿ででてきました。
一保堂のほうじ茶と共にいただく。
これこそ、The・京都のデザートどすなあ、、、、

なんちって、ここは京都ホテルオークラの1Fロビー。
いまだに、あとに「オークラ」がつくのは慣れません。
あの2Fのカフェが外からガラス越しに見える昔の「京都ホテル」がいまでもどこかにあるような気がして。

現在は、シンボルの大柱にキーヤンこと木村英輝さんの絵が。
青蓮院の襖絵、青の幻想は好きだなあ。

ホテルのショッピングアベニューにも、今ならキーヤンのギャラリーがあるようですね。

ホテルの別棟、高瀬川の一之舩入のところ(以前レストランカフェ・了以がはいっていたところ)今年リニューアルされました。
お目当ては、、、

末富さんのカフェ!
鍵善さんもZEN CAFEを祗園にださはったし、今和菓子の老舗はカフェブームなのかな。

ちなみに一之舩入は高瀬川が交通運輸の大事な水路であったころに設けられた船溜の跡です。
以前あった了以さんは、場所を少し移動され、メニューも少し変わった模様。
(店の名前はもちろん高瀬川を拓いた角倉了以にちなむもの)

京野菜プレートがなくなって、これは了以プレート。
う〜ん、、、若干普通すぎるかな( ̄‥ ̄)
さて、いよいよデザートをun cafe Le Petit Suetomiさんで。
(ちなみにun cafe=餡カフェ)

店内は末富ブルーを基調にモダンにまとめられています。
扇形(末富のマーク)の商品ディスプレーとその後方の席がおしゃれ。

ちょっと斜めで見えにくいけれど、誇らしげな末富マーク。

メニューをチェックしたところ、和菓子・抹茶はいうにおよばず、コーヒー、紅茶、ワイン、軽食までのっています。末富さんは和菓子のみ担当、、というところかな。
和菓子を注文すると、本日の和菓子のサンプルをもってきてくれるので、その中からチョイス。
(2個でもいける人は2個でも3個でもOKよ)

選んだのはきんとんに角がはえた追儺の和菓子。
こちらもみごとな末富ブルーの銘々皿ででてきました。
一保堂のほうじ茶と共にいただく。
これこそ、The・京都のデザートどすなあ、、、、