湯木美術館〜藤田美術館 - 2013.04.26 Fri
昼の空き時間を利用して茶道関係の美術館をちょいとハシゴしてきました。
大阪は北浜。道修町(どしょうまち、、、よ。)は薬関係の会社が集まるオフィス街。ここのランドマーク、コニシKK。(ボンドといえばコニシ)最初ビルの谷間にたつこのレトロな黒壁にびっくりしたものですが、いまではすっかりおなじみの景色になりました。
ここから御堂筋の方へ歩くこと約10分、湯木美術館へ到着。
なにしろ吉兆をつくった湯木貞一の茶道具コレクションですから、よそよりも懐石道具の充実度はすごいです。
展示室もこぢんまりとしているのでおちつきます。
今季の展示は「茶の湯の漆器〜利休と不昧のデザイン」。
利休デザインと言えばいわゆる利休形。棗などは寸法も決められているわけで、千家十職の宗哲や一閑の物が主。どちらかといえばしぶい、、、。
宗旦在判の又隠棗(黒小棗)は数百年前の物と思えないくらいつやつやとして、時代のおかげできれいな蝋色になって、茶道の歴史的価値もあるけれど、、、、やっぱり地味(;^_^A
来歴をきかねばスルーしてしまうかも。こういう渋い漆器がいいな〜と思うにはもう少し修行が足りんのかな。
懐石道具ではいろんな種類の折敷が山とつまれていたのはさすが吉兆。利休形山折敷(3代彭祖・宗哲)というのを初めて見ました。底とまわりの縁を桜皮で綴じたカンナ目の折敷で、これはそうとう侘びた感じ。ついでに3代宗哲が彭祖(中国の伝説の長寿仙人)という俗称をもっていたのも初めて知ったわ。
金蒔絵の華やかな折敷もあって、これで出された日には鑑賞にいそがしくてゆっくり懐石があじわえないのでは?と思うくらい豪奢。
不昧デザインは江戸期のおしゃれな物が多くて、見てて楽しい。ここでは茶道検定にでそうな(^_^;塗師の名前を覚えておこう。不昧のパトロネージを受けた原 羊遊斎とか小島漆壺斎とか。今の象彦さんのご先祖、西村彦兵衛の名前もありました。
先日某茶会で吉野寿司桶の水指(建水はよくあるらしいが)をはじめて見たのですが、ここでも拭き漆のかかった寿司桶水指を拝見。2回見たから、もう忘れない。
蓋に吉野御寿司弥助云々と焼き印が。これも先日初めて知ったのですが、弥助寿司は今でも吉野にあって、義経千本桜にでてくる有名な寿司屋なのですね。やはり桜の季節の道具でしょうか。
一番印象に残ったのは片輪車蒔絵香合、出雲松平家伝来。
片輪車とは波の紋様の中に半分だけひたった御所車の車輪が描かれる意匠。細密な蒔絵と青貝でえがかれる景色はとても美しい。貴族の乗る牛車の車輪が、乾燥によってゆがまないように鴨川の水に浸しているのはかつてよく見られた風景なんだとか。それを頭に描いてみるからなおのこと印象深く思うのかもしれません。
さて、湯木をでたあとはその足で大阪城北の藤田美術館へ。
維新の動乱期に奇兵隊にも参加した藤田傳三郎男爵のコレクション。
左手の蔵のような建物が美術館で、床はオイルびきの木の床、私なんかは昔通った小学校の講堂のイメージ(若い人にはわからんだろうなあ、、、)で好きなのよね。
ちなみに隣接してみごとな藤田家の庭園(現在は太閤園の施設)を無料で見ることができます。お時間あれば是非。
普通展示会の図録って高価で重たいものが多いのですが、こちらはA5サイズのリーフレットに説明もちゃんとついて200円、という親切さ。大好き!
「茶道具のいろは」と題して茶道を知らない人に、茶会・茶事の流れに沿ってこの道具はこうやって使うものですよ、とレクチャーしてくれるような展示で、楽しいばかりでなく、お宝がざくざく。もうガラスにへばりつき。
そういえば外人さんも熱心に見入ってはったけど、英語の説明は一切なかったし、説明文(かなり専門的な用語もある)が理解できるほど日本語に堪能な人だったのかしら。
利休の二重切竹花入「よなが」!よくエピソードもしっているけれど、見たのは初めて!
長次郎の楽茶碗、珠光の注文により最初に作られたという漆塗り棗(羽田五郎・作)、真中古茶入「面影」なんかもエピソードは知ってても見るのはお初、漢作唐物文琳茶入「田村」お〜本でよく見るやつ、仁清、利休〜織部〜遠州というゴールデンラインが所持した斗々屋茶碗、利休・紹鷗の茶杓、古天明釜、与次郎の釜+風炉(鰐口で、すごくいい)、、、、
いつみてもすごいコレクション~( ̄∇ ̄)~。.:♪*:・
一番印象に残ったのは古井戸茶碗。織部の命名「老僧」。いわゆる雨漏りとよばれる斑文(シミみたいなものね)を、長年修行をつんできた僧侶になぞらえたところが妙にぴったり。少しゆがんで梅花皮も実にみごと!
建物が建物なだけにここの展示の照明はちょっと暗いのです。茶碗などは高台が影になって暗くてよく見えない。でも、本来茶道具はほの暗い茶室で使う物だとすれば、本来の茶碗のありようの見せ方かな、と最近思うのであります。
大阪は北浜。道修町(どしょうまち、、、よ。)は薬関係の会社が集まるオフィス街。ここのランドマーク、コニシKK。(ボンドといえばコニシ)最初ビルの谷間にたつこのレトロな黒壁にびっくりしたものですが、いまではすっかりおなじみの景色になりました。
ここから御堂筋の方へ歩くこと約10分、湯木美術館へ到着。
なにしろ吉兆をつくった湯木貞一の茶道具コレクションですから、よそよりも懐石道具の充実度はすごいです。
展示室もこぢんまりとしているのでおちつきます。
今季の展示は「茶の湯の漆器〜利休と不昧のデザイン」。
利休デザインと言えばいわゆる利休形。棗などは寸法も決められているわけで、千家十職の宗哲や一閑の物が主。どちらかといえばしぶい、、、。
宗旦在判の又隠棗(黒小棗)は数百年前の物と思えないくらいつやつやとして、時代のおかげできれいな蝋色になって、茶道の歴史的価値もあるけれど、、、、やっぱり地味(;^_^A
来歴をきかねばスルーしてしまうかも。こういう渋い漆器がいいな〜と思うにはもう少し修行が足りんのかな。
懐石道具ではいろんな種類の折敷が山とつまれていたのはさすが吉兆。利休形山折敷(3代彭祖・宗哲)というのを初めて見ました。底とまわりの縁を桜皮で綴じたカンナ目の折敷で、これはそうとう侘びた感じ。ついでに3代宗哲が彭祖(中国の伝説の長寿仙人)という俗称をもっていたのも初めて知ったわ。
金蒔絵の華やかな折敷もあって、これで出された日には鑑賞にいそがしくてゆっくり懐石があじわえないのでは?と思うくらい豪奢。
不昧デザインは江戸期のおしゃれな物が多くて、見てて楽しい。ここでは茶道検定にでそうな(^_^;塗師の名前を覚えておこう。不昧のパトロネージを受けた原 羊遊斎とか小島漆壺斎とか。今の象彦さんのご先祖、西村彦兵衛の名前もありました。
先日某茶会で吉野寿司桶の水指(建水はよくあるらしいが)をはじめて見たのですが、ここでも拭き漆のかかった寿司桶水指を拝見。2回見たから、もう忘れない。
蓋に吉野御寿司弥助云々と焼き印が。これも先日初めて知ったのですが、弥助寿司は今でも吉野にあって、義経千本桜にでてくる有名な寿司屋なのですね。やはり桜の季節の道具でしょうか。
一番印象に残ったのは片輪車蒔絵香合、出雲松平家伝来。
片輪車とは波の紋様の中に半分だけひたった御所車の車輪が描かれる意匠。細密な蒔絵と青貝でえがかれる景色はとても美しい。貴族の乗る牛車の車輪が、乾燥によってゆがまないように鴨川の水に浸しているのはかつてよく見られた風景なんだとか。それを頭に描いてみるからなおのこと印象深く思うのかもしれません。
さて、湯木をでたあとはその足で大阪城北の藤田美術館へ。
維新の動乱期に奇兵隊にも参加した藤田傳三郎男爵のコレクション。
左手の蔵のような建物が美術館で、床はオイルびきの木の床、私なんかは昔通った小学校の講堂のイメージ(若い人にはわからんだろうなあ、、、)で好きなのよね。
ちなみに隣接してみごとな藤田家の庭園(現在は太閤園の施設)を無料で見ることができます。お時間あれば是非。
普通展示会の図録って高価で重たいものが多いのですが、こちらはA5サイズのリーフレットに説明もちゃんとついて200円、という親切さ。大好き!
「茶道具のいろは」と題して茶道を知らない人に、茶会・茶事の流れに沿ってこの道具はこうやって使うものですよ、とレクチャーしてくれるような展示で、楽しいばかりでなく、お宝がざくざく。もうガラスにへばりつき。
そういえば外人さんも熱心に見入ってはったけど、英語の説明は一切なかったし、説明文(かなり専門的な用語もある)が理解できるほど日本語に堪能な人だったのかしら。
利休の二重切竹花入「よなが」!よくエピソードもしっているけれど、見たのは初めて!
長次郎の楽茶碗、珠光の注文により最初に作られたという漆塗り棗(羽田五郎・作)、真中古茶入「面影」なんかもエピソードは知ってても見るのはお初、漢作唐物文琳茶入「田村」お〜本でよく見るやつ、仁清、利休〜織部〜遠州というゴールデンラインが所持した斗々屋茶碗、利休・紹鷗の茶杓、古天明釜、与次郎の釜+風炉(鰐口で、すごくいい)、、、、
いつみてもすごいコレクション~( ̄∇ ̄)~。.:♪*:・
一番印象に残ったのは古井戸茶碗。織部の命名「老僧」。いわゆる雨漏りとよばれる斑文(シミみたいなものね)を、長年修行をつんできた僧侶になぞらえたところが妙にぴったり。少しゆがんで梅花皮も実にみごと!
建物が建物なだけにここの展示の照明はちょっと暗いのです。茶碗などは高台が影になって暗くてよく見えない。でも、本来茶道具はほの暗い茶室で使う物だとすれば、本来の茶碗のありようの見せ方かな、と最近思うのであります。