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2014-11

香雪美術館〜玄庵茶会2014 - 2014.11.29 Sat

神戸の御影は阪神間でも有数の超高級住宅地であります。そこにある香雪美術館は朝日新聞創立者で長らく社長でもあった村山龍平翁(号・香雪)の旧邸宅、敷地5000坪ですから、まさに豪邸中の豪邸でしょう。





ここに近づくといつも「バードサンクチュアリ」という言葉が浮かんできます。

なにせ広大な敷地はとても神戸市内とは思えないような森を形成してますし、おとなりはフィギュアスケートの羽生結弦君で一時有名になった弓弦羽神社の境内ですから、近づくにつれてたくさんの鳥の鳴き声がうるさいくらいに響いてくるのです。



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毎年11月24日の香雪翁命日に、顕彰茶会(茶室の名をとって玄庵茶会)がひらかれます。2年前参席し、邸宅のすごさと、庭園とりわけ紅葉の美しさ、普段はガラスケースの向こう側の茶道具、高麗橋吉兆の点心に感激しました。なので、昨年逃した茶会、今年はなにがなんでも、、


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香雪も近代数寄者の一員ですから、その茶道具コレクションは半端ではありません。(同じく朝日新聞共同経営者だった上野理一・有竹斎も数寄者だったそうですが、そのコレクションは茶道具よりも中国書画であったようです)


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おりしも美術館の方は「松平不昧の好み」展で、これもまたすごいものがでておりました。(漢作唐物・利休丸壺茶入もでておりましたのよ、きゃ〜〜〜\(^O^)/)


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村山邸は玄関棟、洋館、書院棟、茶室棟にわかれる広大な物で、茶室棟のそばに藪内家・燕庵写しの(茶道精進の結果、家元から許可が下りて写した物)茶室、玄庵があります。(写真で見る本歌そっくり!)


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美術館の受付をでて、ぐるりと回って玄関棟にいく御連客。あいにくの雨で、本来ならば森の中を通って濃茶席、薄茶席、点心席をめぐるのですが、残念ながら建物の中をつたっての移動。

それでも茶室棟までの間は傘をさして森の中、歩けました。鳥の声がここでもかまびすしい。雨の森も風情があります。編み笠門もくぐりましたしね。


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(これは受付の建物。玄庵じゃないよ)


玄庵は本歌と同じく三畳台目+相伴席一畳。これは利休の究極のコンパクト茶室から、次代の遠州の数寄屋書院茶室に移行する時期の過渡期的茶室といわれます。なにしろ燕庵は古田織部が義理の弟、藪内剣中に贈った茶室ですから。

香雪翁が藪内を学んだ縁で、茶会は藪内流で。濃茶席は(NHKでもおなじみの)若宗匠が練ってくださいます。熱々でおいしかった!


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さて、聞いておどろくな、床の掛け物は東山御物ですぜ。北宋・徽宗皇帝の花鳥図。(同じく徽宗皇帝の桃鳩図は国宝だしな)花入は砧青磁の筍、釜が与次郎の利休好尻張(うおおおお〜〜)、実際に使ってるんですよ。

水指が井戸の雷盆(すり鉢をみたてたもの)、主茶碗は名物染付・松竹梅(もとは香炉であったもの)、替え茶碗が柿の蔕。

茶入が会記には唐物・半月文琳(遠州命名)になっているけど、なんだか違う。若宗匠がおっしゃるには、使う道具が当日にならないとわからないので、当日ためして、武野宗瓦(紹鷗の息子)の茶杓がはいらないことが判明。急遽かわりに藪内伝来品をおもちになったとか。

あとで飾ってある半月文琳見て,納得しました。「ちっちぇ〜〜〜!」これせいぜい二人分の濃茶しか入らないと思うわ。

客のお流儀はさまざまなので、濃茶茶碗の出し帛紗など、扱いがみなさま、さまざま。これもおもしろいですねえ。


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広大な屋敷の中を、大奥みたいな(?)渡り廊下をつたって二階の薄茶席へ。(一度迷うと遭難しそうな感じですよ)

ここは下の庭の紅葉が赤い大海のようにみおろせて、本日なによりのご馳走でした。その向こうには本当の神戸の海、さらに高層ビルも見えるというシュールな感じも(^_^;

ここでも使う予定の水指が水漏れすることが判明し、急遽差し替えという一場もありました。釜はここでも与次郎尻張、こちらは道安好。

お点前された方が二年前と同じ、かなりご高齢とおみうけする高弟とおぼしき方。立つときも少しふらついておられたので、大丈夫かな、、と心配しましたが、さすがというべきか、帛紗をさばいて茶器を拭くとき(藪内のこれはかっこいいのだ)ぴたっと決まっていました。鍛え方が違う。

主茶碗はかっこいい紅葉呉器、替えがのんこうの赤楽「竃(かまど)」、一部釉薬が茶色になっているので竃であぶられた、、といった感じで。もう一つが織部黒「玉箒(たまばはき)」。先日野村美術館セミナーで学習した瀬戸黒との違いを実際に見て実感しました。


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最後は大広間でこれまた紅葉の雲海を下に眺めながら、吉兆の点心をいただく。ここには江戸時代の狩野派絵師(名前は不祥)によるすごい鳳凰屏風六曲一双が飾られて、この前で食事をするとは王侯貴族にでもなったようで面はゆいです。天気の良かった一昨年はお庭の森の中、篝火の前でいただきましたっけ。

最後に美術館の展示を見て、一昨年、実際に手にとってその軽さを実感した漢作唐物茶入・薬師院肩衝をガラスケースの向こうに発見∈^0^∋

ほんまにこの時代の数寄者はみんなトンデモナイ人たちばかりだわ、、と思ったのでありました。



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お土産に美術館蔵の名品12品の写真をつかった来年のカレンダーも頂戴しました。

来年もまた行けますように!(たのむから月曜日とかやめてね)


真如堂・秋2014〜大学の茶会によせて - 2014.11.28 Fri

秋になってもいつまでも続く暑さに、今年の紅葉を危ぶむ声もあったのに、なんのその、今年の京の紅葉は出色のできでございますよ。


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なにかといそがしく、紅葉狩りだけにゆっくりでかけられないのが悩みのタネ。でもこの日は真如堂の塔頭・覚円院(向井去来が檀家であったところ)で大学の茶会があったのだ。近いのになかなか行けない真如堂、茶会だけでなくこれさいわいと紅葉も愛でに。



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数年前は紅葉の「穴場」だったのに、まあようさん(ぎょうさん)の人!人!人!

無理もないわ、だって今年の透明感のある紅葉、今が盛りですから。


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それでも覚円院周辺は非公開寺院なので、まだ風情がある。

茶会の待合で、またまた今年も久松真一先生の「喫茶去」(うしろに「!!」とつけたいほど、迫力がある)に頭をなぐられる。

おい、お前のお茶は遊興に堕してないか?
かたく侘び数寄の真諦を把住しておるか?
茶に対し道業倦んでいないか?
、、、、、、、

(参照:久松真一「茶道箴」)


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こうして頭を殴られに来ておるよ。毎年そのために来ているんだから。お茶をはじめたばかりの初心に帰り、今の自分の場所との間に線を引いてみる。線は右肩上がりかさがっているか?


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学生時代に使っていた、懐かしい茶碗に再会できるのも楽しいのである。あの頃はウン十年後どんな大人になっているのか想像することすらしなかった。あの頃の自分が今の自分に「是」というのかどうか、、、どうなんだろうな〜〜。でも少なくともこうして数十年の時を経て、同じお茶碗を手にのせることができるのは幸せなことだと思うよ。


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卒業してから学生の気質も少しずつ変化していく。道具組もテイストも変化していく。でも長い間なので、また元に戻ったり、、、がおもしろいよ。変わらないのは生真面目さ。ちゃらけたところも、世慣れたところもなく、上から見下ろすでもなく卑屈になることもない。あの茶席に出陣するときの緊張感だけはいまでも懐かしく思い出す。


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一服のお茶をいただき、己をしばし振り返り、また1年、茶に向かう姿勢を模索する。
お茶の後の紅葉はまた一段と目にしみること。もう、全山真っ赤だ!


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黑谷へ向かう小径には小菊が群れて咲き、赤にやられた目をほっとさせる。


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そしてふたたび赤。黑谷の墓地へ向かう我が愛する散歩道。


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数日もすれば、この紅葉も、散り落ち葉となってしまうだろうが、それもまた美しい風景だと私は思う。



故全日根茶碗展茶会〜なにもいらん なにもしらん、、、 - 2014.11.26 Wed

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   「なにもいらん なにもしらん ただかぜにまかせ」


本席に掛けた全さんの額、この前でしばし声も出さずじっと対峙されていたお客さまがおられた。

これが今回の茶碗遺作展のテーマすべて、、、かもしれない。


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縁あって1年前、うちに来た茶碗が全日根(チョン・イルグン)さんの安南写しだった。安南によくあるトンボの染付なのだが、なんともとぼけた味で,土色はあたたかく、不自然でない古色、手の中でころがしているとなんとなく「ふふ、、、」と笑いたくなるような味があった。安南写しであって安南を越えている、、、それが全さんの陶器との出会いだった。


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だから実は生前の全さんを存じ上げない。3年前の11月19日(奇しくも宗旦忌!)60余歳で急逝されたからだ。生前ご家族とも交流のあった下鴨の川口美術のご主人のお話や、雑誌などで拾った記事などで、どんな方だったのか想像するのみ、というのは残念である。


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その川口美術さんが、遺作のなかから主に茶碗+他の茶陶展をひらかれるにあたって、茶碗ならば、茶碗として使ってる状態を見ていただくのが良かろうと、5日間、場所を変え、亭主を変え、趣向も変え茶会をひらかれた。ご縁あって、そのうちの一席を拙宅にてさせていただいた。



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全さんは京都生まれの京都育ち、最初画家をめざしたが後に陶芸の道で生きることにされた。三重の山奥にご自分で窯を築き星山窯と名付ける。そして手本にしたのがルーツである韓国・李朝の器たち。刷毛目や粉引、三島、堅手、、、日本の織部なども。それを写すだけでなく彼流に解釈。それが独特のとぼけた味わいになっていると思う。どれも見るとふっと肩の力がぬけて、にやりとしてしまうような。


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今回の展示にはなかったが、木俑(木の人形 、かつて韓国で葬礼で棺に飾ったもの。当時の風俗がよくわかる)を陶器で作ってみたら、、、というコンセプトの陶俑、李朝時代の普段着の老若男女の姿の人形もなんとも不思議な魅力にあふれていたっけ。


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今回、茶会では釜や茶器以外はほぼすべて全さんの作品を使わせていただいた。なんとも贅沢なことである。最初お話しをいただいた時、軸をどうしようかと迷った。禅語などの軸は堅苦しすぎて全さんの作品の雰囲気にあわないし。一時画家をめざされた、ということでなにか絵でもお持ちではないかと川口さんにおたずねすると、ある、とのご返事。


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そこでみせていただいて迷わず冒頭のこの額をかけさせていただいた。

この前で感動されたお客さまは実はこの言葉をそのまま献げたいような、体現されているようなお方。なにか響き合う物があるのでしょうか。私はその感動されている姿に感動した。

これは「無一物中無尽蔵」をわかりやすい言葉におきかえたものやなあ、、とおっしゃる。なるほど。


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花器は本来予定していたものがあっさり売れてしまった!ということで当日急遽変更。山奥に窯を焚きながら暮らしていた全さんが、ふらっと山に入って花を取ってきて、投げいれた、、、という風情にしたつもりだったが、「全さんへの手向けの花になっている。」と言われはっとする。亭主が意図した以上をくみとってくださってとてもうれしい。



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お茶は濃茶と続き薄で亭主としては楽しく遊ばせていただいた。


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茶席に出した茶碗は裏に値札がついたものもあり(はがすのがめんどうだったので)「ちょっとがんばれば手が届く値段ですね。」と、お客さんと大笑い。実際茶席のあとお店へ行って、お買い上げくださった方もおられた。


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この5日間の茶席で、当日使用する全さんの菓子器にあわせてイメージをふくらませ、それぞれ日替わりでお菓子を作ってくださったのが、御菓子丸の杉山さん。(日菓さんのお一人。御菓子丸のコンセプトは人工添加物を使わないお菓子)

搔き落としの食籠の蓋の紋様から、彼女がイメージした主菓子がこちら「水雲」。

「空のような水のような景色に花のような雲のようなものがうかぶ。水に映った雲をあらわしました。」
薄い紅色は紅花から取った色。


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干菓子が「琥珀の実・柿」。

「古代食べられなかった柿がそのまま化石になりました。古代人からの自然の贈り物です。」

見た目もかわいらしく、とてもおいしいお菓子だった。他の日もそれぞれすてきなお菓子だったらしい。


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三席させてもらったが、それぞれ席の始まる前か後に川口さんがお客さんに、全さんについて熱く語られる。(お釜の煮えもよいので亭主としては早く始めたいんだがな〜^_^; と思いつつ拝聴)楽しいエピソードのご披露なども。

全さんが、作陶に精進され、いよいよ故郷である京都に錦を飾って帰る自信がついた。だから京都で個展を開く場所、として川口美術に打診があって以来10年以上のおつきあいだそうだ。あまりに突然に逝かれてしまった時にはさぞ茫然とされたことだろう。


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これからもう全さんの作品は増えないのだ、と思うととても残念だ。できればその作品は、それを愛でてくれる似つかわしい人のところへ行って欲しいと思う。


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そして川口美術で初めて全さんのお写真を拝見する。それまで見たことがなかったのだ!まあ、なんて男前、、、(^_^; いや生命力あふれた方だったのだろう。縁あって、うちにきた作品は大切に使わせていただきますね。



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そして、貴重な機会と、佳き人々とのご縁を与えてくださった川口さん、1日水屋でつきあってくれたF太郎君に深く感謝いたします。





野村美術館講座〜「織部焼について」 - 2014.11.24 Mon

美濃の古陶については志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒、、、と時代に沿って堪能し、勉強させていただいたのは昨年駆け足でまわった三井記念美術館展であった。あれはほんまにすごい迫力の展示やった。さすが三井。


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(野村美術館への径・碧雲荘沿い)


今回の野村美術館講座は学芸員の桐山さんによるさらに深い織部焼のおはなし。

織部と言えば、やはりあのへうげものの古田織部がコーデディネーターとして指導していた、というのが通説だが、実はそれもはっきりとしないし、そもそも「織部焼」という名前がはっきりつけられたのもごく最近のことらしい。安土桃山から徳川時代に時代が大きくうつりかわるにつれ、政治的問題もあって、ほぼ抹殺されたといってよい織部焼についてはミッシングリンクが多く、研究資料が実に乏しいのだそうだ。
織部ではとくに鳴海織部が楽しくて好きだが、その織部にそんな大きな謎があったなんてね。


まずは織部焼10種について復習。青織部・総織部・赤織部・鳴海織部・志野織部・黒織部・織部黒・弥七田織部、特殊な物として美濃伊賀・美濃唐津。

いままで織部黒(模様のない真っ黒な釉薬のみ)と瀬戸黒の区別が全然つかなかったのだけれど、やっぱり区別つかないんだ、と納得。専門家ならともかくわれわれ素人では、、、。しいていうなら織部黒はややゆがみがあり、口作りがそりかえったり意匠的、対して瀬戸黒は篦目がめだち、口作りはあっさり、、、なんだそうな。、、、、やっぱりわからんということがわかった(^_^;


弥七田織部は、三井でも実物をみたが少し傾向が違うのでなんとなくわかる。時代も20〜30年下る。プリミティブな勢いのあるそれ以前の織部に比べて瀟洒で繊細なデザイン。どことなく遠州っぽい。



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(いきなりだけど、近くの南禅寺・天授庵の紅葉。スマホ撮りなのでいまいち)


織部が作られたのは、桃山時代の慶長10年(1605年)頃から元和年間(1615年-1624年)まで、主な伝世品のほとんどが焼かれた,という場所が岐阜県土岐市久尻、なかでも最近発掘調査の進んだ元屋敷窯跡という。

一世代前の志野や瀬戸黒を焼いたのは穴窯で、エネルギーの無駄があった。17世紀の文献に記されているのは初代加藤景延(窯大将・「へうげもの」では髭の濃い人として描かれていますねえ。)、彼が唐津から学んだ連房式登窯を導入したことでより効率的に大量生産ができるようになった。その登窯こそ元屋敷窯跡。時に慶長12年(1607年)、そして廃窯となったのが元和元年(1615)、つまり大阪夏の陣、そして古田織部切腹の年。

これは象徴的なので、やはり織部焼には古織の関与があると考えたほうが自然な気がするが、学術的な世界では証拠がないとみとめられないのね。

以後、元和年間に織部がやかれたのが元屋敷近くの、窯ヶ根窯で、先ほどの弥七田織部。あきらかに作風が違うのもうなづける。


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京都三条通の中之町、かつてせともの屋町があったとわかっていたスポットから、織部や志野を中心とした桃山陶器が大量に出土したのは平成元年。未使用の完品もあり、だれかが廃棄した物ではなく、店に陳列されていた物ではないかといわれている。
主に慶長年間、それだけ織部の需要が京都にあったこと、また同じ時期京都ではやった辻が花という染物(技術が失われた幻の染物といわれる)の紋様が織部焼の紋様と似ていること、などから、実は織部は京都でデザインされ美濃に発注されたのでは、という説もあるらしい。(だから、それは古織だと、、、言いたいんだがねえ)

で、冒頭に述べたとおり、ミッシングリンクが多すぎて、よくわからない織部。中之町遺跡のようなものがまたぽっと出てくると、この分野の研究ももっと進むのでしょうが、それはいつごろになるやら。

とはいえ、織部焼は見て楽しく、使って楽しい、、、ということで本日はオシマイ。


おまけ画像

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(くろ谷・金戒光明寺ライトアップ)





京でお誂えの衣二題 - 2014.11.21 Fri

京都で室町というたら瞬時に呉服問屋という言葉がうかんでくる。呉服問屋が軒をつらねるエリアで、室町の旦那衆といえば糸偏業界のヒト、そして祗園祭を支える旦那衆でもある、というイメージ。

呉服問屋さんは小売ではなくて、いわばコーディネーター。

糸偏のお仕事といえば、白生地屋さんからはじまって、下絵を描く職人、地染めをする職人、友禅を描く、紋を入れる、仕立てる、刺繍をする、、、、と多岐にわたり、かつ完全に分業制。

こんな着物が欲しいといえば、あちらの業種、こちらの業種、にかけあって、お客さんの要望に沿った物を完成させるのが問屋さん。(私の理解では。まちがっていたらご訂正ください)

で、室町で訪問着を白生地から一枚お誂え。残念ながら私のじゃなく、娘の。
振袖は作ってやったけれど、本来嫁に行くときにもたせてやるべき訪問着を、どさくさにまぎれて作ってやれなかったので、いまごろやっと。


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実はここ、室町の某鉾の会所どす〜。どんな模様にするか,下絵をたくさん見せてもらって娘と一緒に検討した結果、決めた図柄をこれまた選んだ白生地に描いてもらったもの。イメージをみるための仮絵羽仕立てになっているのを、遠方の娘にかわりに私が試着におよびました。(娘より若干縦が短く、横に広いけどね^_^;)


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下絵は水洗いすればきれいに消えてしまう青花で描かれています。もっと青いのかと思ったら、実際はブルーブラックの色に見えます。布に描いた瞬間はやはり青いのだそうですが、時間がたつと黒っぽくなるんですって。

黄色いシールは、ここにもう一本花の枝をいれようか、という印。長年着物は着ていますが、柄の位置やボリュームについては素人なので、やはりプロのアドバイスは必要ですね。


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次は地の色選び。だいたいイメージは持っていたのですが、実際の色見本を見ると微妙な違いの色がたくさんありすぎてどうしようかと迷ってしまう。小さい布片で見たときと、大きな面積を占める着物になったときでは全く印象がかわってしまう、というのは経験上わかっているし、また地模様によっても色調がかわるのも知っている。だからよけいに迷う迷う、、、。


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特にブルー系は種類が多すぎて、、、、(×_×)
なので次回は選んだ白生地で少し大きめの布きれに試し染めをして見せてもらうことにしました。こうやって段階を踏んで、あれこれ悩みながら,時間をかけて着物を作っていくのも楽しい作業ですねえ。いつになるかわかりませんが、また完成の暁にはご披露いたします。


さて、次なる衣は人間の衣ではなくて、茶入の着物のお誂え。


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春先に手に入れたガラス作家・広沢葉子さんのガラスの替え茶器、これを茶入として使うため、仕覆がいるなあ、、、と。ガラスだから仕覆も名物裂写しなんかじゃなくもっと軽い物を、、、と紬の着物を仕立てたときの余り切れを使うことにしました。

ただし、、、、、自分で縫うだけの腕はアリマセン(^◇^;)

よって、プロにおまかせしようと。


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持ち込みの裂地で仕覆を作ってくれると、茶友さんから聞いていた大徳寺近くの菊光堂さんに持ち込みお願いすることにしました。

余り布のサイズがぎりぎりかな〜と心配しましたが、茶入のサイズも測ってくださって、なんとかいけるでしょう、とのこと。


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布の界切り線(白い横線)は着物に仕立てるときには使わないマークみたいなものですが、仕覆ではそれを生かして間道風にしようと思います。紐の色も決まって、あとはできあがりを待つばかり。これも完成したらお見せしますね〜。(というか、押しつけてみせちゃう!!)


祗園白川〜割烹さか本 - 2014.11.19 Wed

祗園白川べりは夜ともなればどことなく艶っぽい雰囲気になります。


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紅葉の季節とて、夜になってもいつになく賑わいが。(桜の頃は夜桜の名所なのでもっとわんさか人がおいでなんですがね)


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白川ぞいにはたくさんのお店の灯りがならんでいます。


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吉井勇が定宿としたことで有名なお宿・白梅は築100年の老舗、かいわいではここだけ、白川にかかる橋から中にはいることができます。(他のお店は一本南の通りから入る)



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以前から、白川向こうのお店の灯りにずっと憧れてきていました。


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灯りの中にいるお客さんたちがまるで物語か映画の中の登場人物のようにみえ、いつかあの中に入りたいな、と。

今宵、あちら、川向こうの住人になりにいきましょう。


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選んだのは割烹さか本、大将は二代目とか。


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カウンターは5〜6人もすわればいっぱい、それにテーブル席がいくつか。外国の方もいらっしゃってこぢんまりとしたスケール感がおちつきます。

正面の窓のすぐ下を(枕の下じゃなくて、、、)白川が流れているのですが、残念ながら内側からは見えません。

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早速、コースのなかの幾皿かご紹介。
これは酒の肴ですね。鱈+鱈の子和えがもう酒をすすめます。松葉に刺してあるのは、これも大好きな大徳寺納豆。


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すっぽん卵豆腐。すっぽんのお出汁はにごりがなくて上品でおいしい。


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箸洗いは、、、あらまあ!むかごだわ。この季節、八寸にもなる旬の素材。


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熱々の湯葉もいただく。


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われわれ(月イチグルメの会=会員約2名)はコースをたのみましたが、カウンターでおとなりにすわられた常連さんとおぼしき人はこの珍味を1つずつ注文してはお酒をちびり、、と。なるほど〜。これが通の飲み方か〜。


「莫久来」ってなに???と思ったら「ばくらい」と読んで、ホヤとコノワタを原料とする有名な珍味なんですって。(食べてないけど、、、、)


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〆のご飯には、ぱりぱりかりかりに炙ったおじゃこ。このテクスチャーがたまりません。


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こちらでは先の細い竹箸をだしてくださるのですが、希望によりお持ち帰りもできます。きんとん箸になりそうなので、持ち帰る!


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バジルシードのかかったこれは卵豆腐、、、ではなくてデザートのプリン。しかもカラメルソースのかわりに黒蜜。おいしゅうございました。


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さて、果たして川の向こうから、こちらを見られた方々に、物語の中の主人公のように思っていただけたでしょうか?ま、、、ただぱくぱくおいしいもの食べてただけなんですがね〜(^_^; でも一人一人に人生という物語があるのは確かです。


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     かにかくに 祇園はこひし寝るときも

                枕のしたを水のながるる
    吉井 勇



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さらに東へゆけば、芸舞妓さんの信仰も篤い辰巳大明神。これぞTHE・祗園、、、の風景。


ほんの刹那、そこの夢の国の住人気分を味わえた宵でありました。


細見美術館・古香庵〜口切りの茶事 - 2014.11.17 Mon

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岡崎の疏水縁、桜の紅葉が今年はことのほかきれいです。


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展示を見に、ミュージアムグッズを買いに、ランチをしに、、、、と、日ごろヘビーユーズしているご近所の細見美術館のお茶室、古香庵。こちらで年に一度、美術館収蔵品を使っておこなわれる茶事に行ってきました。


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来年の琳派400年記念祭にむけて京都市はまたオール京都でえらいイベントをやるみたいですが、京都でほぼ唯一、琳派をメインとした展示をおこなっているのがこの細見美術館なんです。
俵屋宗達はまだいくばくか残っているものの、光琳などはほとんどが外国や東京に流れていってしまって、京都にはほとんど残っていないんですってね。館長の細見さんは準備でてんてこ舞いらしい。


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古香庵は美術館の最上階(3F)にあるので、この蹲居の後の借景は東山、みやこめっせ、疏水の紅葉、、とすばらしい。

ここ待合には大阪琳派の中村芳中(ちょっと前にこの美術館で芳中展やってました)の紅葉図。

本席の掛物は高山寺開山の明恵上人の消息。井上なにがしの尼にあてたもので、冒頭「いただいたなでしこの花が云々」の御礼の部分をとって「なでしこの文」といわれるもの。

明恵上人の生きた鎌倉後期、度重なる事変で夫や息子を殺され行き場のない公家・武士の未亡人たちや子供たちがたくさんいたのですが、上人は高山寺をすがってきた彼女らを保護し、善妙寺という寺まで建てて尼となった女性たちに安住の地をつくったそうです。この井上なにがしの尼もそういった女性のひとりだったのでしょう。明恵上人はとてもやさしい方だったのですね。

高山寺にいくと善財童子(文殊菩薩の勧めにより53人の善知識を訪ね歩いて、最後に普賢菩薩の所で悟りを開いた)のかわいらしい木造が石水院に飾ってありますが、明恵上人、この善財童子がとてもお好きだったそうですよ。(そういえば国立博物館の高山寺鳥獣戯画展、えらい待ち時間になってるようですね)


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一保堂さんの御茶入日記も回ってきて、今年は2回も茶壺の口切りをみることができたなあ。茶壺もルソンの壺らしく、すごく大きい。茶葉じょうごにこぼす詰茶の葉茶の色が青々として美しい。

お釜は古芦屋で亀甲地紋に鐶付きは亀。蓋につくろいがあってこれも景色になっています。上から見たとき、それほどとは思わなかったのに、炭手前で釜が上げられたとき、こんなに奥行きのある大きな釜だったのか!とびっくり。(京都の人はたぶん知っている、京都銀行CMの「長〜いおつきあい」みたいな、、、、^_^; )おもわず客から「よいしょ」とかけ声がかかるくらい、持ち上げるのが重そうでしたわ。

懐石は辻留さんで文句なくおいしかった!
器も美術館蔵の器で、金繕いのはいった大きな刷毛目の焼物皿が垂涎。こちらの美術館は裏千家ですが、お正客が藪内のかたで、ちがった流儀の懐石の所作をみるのはおもしろかったです。お茶のお点前は拝見できる機会はありますが、他流派の懐石となるとめったに機会はないですものね。


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後座では花入が砧青磁の算木。アブラドウダンの照り葉に椿。
水指が信楽の鬼桶。かなり古いものらしい。それにしても普通の美術館の茶事・茶会では道具は飾ってあって、それを実際使うということはめったにないのに、こちらではおしげもなく使わせていただけるのがうれしい。

茶入は「餓鬼腹」を思わせるような(耳はついてないけど)長い織部。これも桃山時代までいくか?

濃茶茶碗は宗入の黒。宗入といえば現在楽美術館でやっている「樂家五代宗入と尾形乾山」展もいかなくちゃね。宗入と光琳・乾山兄弟は雁金屋の従兄弟同士なので、これも琳派茶事にふさわしいお茶碗。宗入が長次郎回帰の作風だったのに対して息子の左入は光悦にあこがれ、光悦型の茶碗を残していて、席中その赤楽もでてました!ええなあ〜、、、うっとり、、、

私が濃茶をいただいたのは紅葉呉器、ゆがみ方が好み。他にも双六紋様の織部、今回初耳初見の「柿天目」。天目という名はつけどもその形は天目にはほど遠くどんぶりみたいな、、、、。熟した柿のような鉄釉で宋〜元時代の焼物だそうです。

薄茶の時のお菓子が利休の愛用したふのやき。なんと丸い生麩の両面に味噌をつけて炙ったもの。(一見阿闍梨餅)
普通利休時代の麩の焼きはクレープみたいな中に味噌を塗った物、と解釈されていますが最近ではこちらの方が当時の物ではないかとのこと。こちらは酒のアテにもなりそうでおいしかったわ。

そして、実際に挽いていただいたとおぼしき詰茶の薄茶は、まるで濃茶のように濃厚ですごかった!


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茶事が終わるとまだ4時前というのに陽がはやくも翳ってきて肌寒い。桜の紅葉が終わるといよいよ楓の紅葉が錦となることでしょう。また忙しくなりそうです。



好日居・茶ノ教室夜会〜立冬2014 - 2014.11.15 Sat

岡崎好日居さん、夜の茶ノ教室です。


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日が暮れるのは早くなりましたが、冬至まではまだ一月以上あります。夜はまだまだ長くなる。だんだん灯りが恋しい季節、これもきらいじゃないですね。


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今回のテーマは立冬、炬燵開き。茶の湯でも開炉=亥の月(旧暦10月)、亥の日、亥の刻(午後10時)。もともとは炬燵などの火を使う暖房器具を出す目安だったのです。ちなみに亥は火伏せの神様のお使いとか。お寺の懸魚のハートマークも火伏せの亥の目。


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まずはリンゴの皮を煮出したきれいなピンク色のリンゴ水から。ほのかなリンゴの香り。これは家でもできそうですね。(しないけど、、、^_^;)


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本日のご飯が牛脂たっぷりの芋煮なので、油を洗い流すといわれる普洱(プーアル)茶を。茶葉じょうごに乗ったこれは餅茶(ピンチャ)という緊圧茶。これで頭をたたくと気絶しそうなくらい固い。


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これをアイスピックなどでほぐして茶葉にもどす。


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ゆっくりゆっくり茶器をあたためながら丁寧にいれていただく。お茶を飲むまでの時間もごちそう。


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見た目「イソジン」だけれど(^◇^;)
普洱はかび臭い、という思い込みがうそのようなすっきりした普洱。上等な茶葉はやはりちがうのね。


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古伊万里の酒器を茶海(全員分のお茶をいれておくピッチャーのようなもの)として使う。持ち手にとまったカエルがかわいい。


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さあ、ご飯は芋煮会!(先日もいただいたばかり(^^) )

芋煮会は山形などの東北地方で行われる季節行事で、秋に河川敷などでグループで集まり、里芋を使った鍋料理などを作って食べる行事。今回山形から里芋をとりよせていただいたそうです。これが長いこと煮込んでも煮崩れしないほっこほこの大きなお芋さんでした。他に牛肉、牛蒡などはいって、おいしくて体もあたたまります。


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お米も山形の「沢の花」。それでつくったおにぎりをいただく。わ〜い>^_^<


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食後のお茶は熊本産茶葉で作った紅茶を。


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日本産の紅茶はくせがなくやさしい味ですね。


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さて、この紅茶に二煎目は最初のリンゴ水(湯)を使う。後口にほのかにリンゴの香り。さらに生姜、丁子、氷砂糖を加えるとスパイシーなとってもおいしいお茶になった!変化を楽しむお茶。


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デザートは亥の子餅。建仁寺近くの鍵甚良房(鍵善じゃないですよ)さんのもの。中にナマの柿、銀杏、栗、と山の恵みがたっぷりつまった亥の子餅で、いままで食した亥の子餅のなかで最高!



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お茶は安吉白茶。(名前は白茶でも緑茶です)
烏龍茶などの青茶ほど強い芳香はありませんが、やさしい香りのするお茶です。


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水色がよくみえるガラスの茶碗もとてもきれいですね。一式持とうかな。


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どこをどうきりとっても絵になる好日居、茶ノ教室。実はそれを撮りたくてかよっているのかもしれません。


自主稽古と他流二派のお点前 - 2014.11.13 Thu

A様が期間限定で京都に住まわれてから、3年近くになります。


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あれこれと京都〜関西圏ならではの場所や伝統行事めぐり、なによりお茶をたくさん楽しまれてきたご様子、まさに京都暮らしを堪能されておられました。でもとうとうA様の京都暮らしも残り僅かになってしまいました。

こちらに移られてからまもなく(京都の)ご自宅でいっしょにはじめさせていただいた、月イチの奥伝自主稽古、残念ながらあと残り1回(+もう1回?)です(T_T)

それなりに奥伝稽古をこなしてきてはいるのですが、いかんせん、社中では炉、風炉のちがいもいれると1つの点前のお稽古はせいぜい1年に0〜1回程度、これではものにならんなあ、、、と思っていたところでしたので、まことにありがたい修練の場をご提供いただきました。


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お仲間はそれぞれ違う社中で、複数の先生についた経歴も同じ。なので同じ点前でも、先生によってどこがどうちがうのか、どこまでが働きによる相違なのか、時代とともにかわってきた点もある、、、などディスカッションもでき、疑問点もはっきりすることができました。

あみだくじを作って、四ヵ伝2種をどれがあたってもよいようにやる、、、というのもおもしろかったですね。あんなにわからなかった四ヵ伝が、並べてやってみるととてもわかりやすく違いが理解できたのにびっくり。それから点前の覚え方のコツなどもいろいろおしえていただきました。

社中の稽古だけでは10年くらいかかりそうな凝縮された内容をこの3年弱でたくさんたくさん勉強させていただきました。

なによりみなさまのお茶にかける情熱がすごくて勇気づけられたことがなんどもありました。お茶の勉強は社中だけではなく、いろいろなところにころがっていることも、興味がなくスルーしていたことも勉強すればとてもおもしろいことも教えていただいたような気がします。


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広いお茶人さんの交友関係もお持ちなので、関西一円の数々のお茶人さん(多くは流派のお茶を超えて、とてもユニークな茶事をされるすてきな方々)を尋ねて、あちらこちらへ茶事やら出張自主稽古やらにうちそろって出かけたことも、楽しい想い出です。

まだしばらくはおつきあいいただきますが、A様が帰られたあとに、あのころは楽しい時代だったなあときっと懐かしく思う、という確信がすでにあります。限りある楽しい時間、限りがあるのがわかっているから思い切り楽しもう、一刻を大切にしよう、と思うのはだれの人生でも経験することだと思います。あ、そうか、人生自体が限りがあるんですものね。(と、ここでいきなり哲学的になるワタクシ)

さて、この日の稽古は奥伝で一番ややこしいと思う炉の行之行台子。稽古した数ではこれが一番多いのではないかしら。今では一番好きな点前です。

そのあと、特別イベント(?)としてめずらしい流派のお点前を2つ見せていただきました。


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1つはA様が最近習い始められた流派の薄茶点前。帛紗の扱いなどが違いとても興味深々。薄茶だけはものにしたいとおっしゃる。


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もう一つは飛び入り参加のM様の、これも珍しい流派のお茶。なにより茶巾の扱いが独特でびっくりしましたわ。もちろんM様も裏千家は長くお稽古されています。


第二外国語を習うとき、時として単語がごちゃごちゃになり、私なぞは英語をしゃべっているつもりで先にスペイン語の単語がでてきてしまうことも。それと同じような感じでたいへんだと思います、他流派をプラスアルファでやることは。お二人のがんばりと、あくなき好奇心に脱帽です。

たとえ遠方にかえられても、自主稽古はできなくなっても、どうぞこれからもお茶のつながり、大切にさせてくださいませ。


出石・永楽館歌舞伎 - 2014.11.11 Tue

ずっと行きたかった出石(但馬・豊岡市)の永楽館歌舞伎、そらいろつばめ様ご夫妻のご手配にて、にぎにぎしく皆でうちそろって参りました。


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出石にくるのは何年ぶりかなあ。以前来たときは皿そば食べて通り過ぎただけだけど(^_^;
これは出石のランドマーク辰鼓楼。明治14年にできた西洋式時計台。(日本最古を札幌時計台と争っているらしい)


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この地に歌舞伎や芝居、寄席のために永楽館を建てたのは染め物商小幡氏、時に明治34年。昭和にはいって映画館としての利用が増えていき、それもTVにとってかわられると経営不振のため昭和39年閉館。

同年代の地元の人の話によると、子供の頃からずっとほこりをかぶった廃墟としての印象しかないという。それでもとりこわされなかったのは持ち主の小幡家に経済的余裕があったからだといいます。もし、個人の手をはなれていたら、この建物はとっくの昔に取り壊されていたでしょうね。(洛中の多くの町家がそうであるように、、)


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昭和60年代、おりしも町並み保存の気運が全国的におこり、町おこしの一環として永楽館は旧出石町(現豊岡市)に譲渡され文化財指定を受け、当時のままの建築材は使える物はすべて使って復元工事が完成したのが平成20年だったそうです。

その柿落公演の主人公として白羽の矢がたったのは、当時まだまだ全国民的に有名とはいいがたかった片岡愛之助さん。市が松竹と交渉して上方の役者であることやギャラなどの点でおりあった人選であったと思うが、その後、あれよあれよというまに人気実力ともにウナギ登りになったのは周知のはなし。(ちなみに「半沢直樹」でブレイクする前からのファンだったんよ、わたし(・0・)b 色悪やらせたら最高〜)


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今では永楽館と言ったら愛之助、愛之助といったら永楽館、彼も「永楽館歌舞伎はライフワーク」ときっぱりいうほどのイベントとなりました。今年もチケットは即日完売の大人気、遠方から泊まりがけ(城崎温泉一泊もよいわね)の歌舞伎ファンも大勢おいでです。

小屋のキャパは350人、有名なこんぴら歌舞伎の半分ほど、よって役者の汗までよく見えるというコンパクトスケール、これが醍醐味ですね。江戸時代の娯楽であった歌舞伎の小屋はこんな感じだったんじゃないでしょうか。

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二階の枡席から。この柵も当時のままの木製、これにかぶりつきながら観劇します。市の所有となってもその維持はたいへんであろうと思います。感動したのはそろいの着物に前掛けの案内係やお茶子さん、下足係、はてはお掃除まで、みなさん市民のボランティアなんですって!


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地元の方々の永楽館を愛しているというか、大切に思う気持ち、誇りに思う気持ちが熱く伝わってきます。
こんなふうに住民を巻き込んだ町おこしとしては希有な成功例の1つではないでしょうか。


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この看板は閉館当時のものを多少修復してそのまま使っている物だそうで、もうとうになくなったお店もあればまだまだ現役のお店もあるんだそうな。


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最初の芝居は「桂川連理柵(れんりのしがらみ)〜帯屋」。TVにもわりとよく出ている(坂田藤十郎のお孫さんの)中村壱太郎さんの丁稚の「これ前髪」のコミカルな芝居がすばらしかったなあ。(南座顔見世でも何回か拝見し、ちょっと注目株)芝居自体は心中をあつかった悲劇ものなんだけれど。
(「前髪(=のある若造)のお前に色恋なぞ似合わぬ。」といわれて歌舞伎の数々の名作の中から前髪ものの心中物・色恋ものをつぎつぎと上げてみせ、最後に「これ前髪」と見得をきる)


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(これは二階席の天井部分。修復された土壁がおみごと。)

口上は愛之助、壱太郎、上村吉弥、市川男女蔵4人で。ざっくばらんなトークショー、爆笑、爆笑、これもまた観客との距離が近い小屋なればこそ。


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最後にここ、豊岡ならではのオリジナル舞踊劇「神の鳥(こうのとり)」。豊岡といえばコウノトリの里ですものねえ。

愛之助の三役早変わりや、さきほど少々抜けた丁稚をやったと同じ役者とは思えない壱太郎の女形、男女蔵の迫力ある悪役ぶり、コミカルなセリフ、とてもとてもおもしろく、気づけば柵に文字通りかぶりつき。お行儀もクソもありませんわ、状態。


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「見得」や「六方」をふみ、赤の隈取りで花道に仁王立ちの時の愛之助は、二階の桟敷席の観客と顔と顔が向きあう高さになるため、そのあたりだけピンクのハートがとびかっておりましたわ。(ウラヤマシ、、、)これもまた小屋のスケールのお手柄。


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終演後、外に出れば満月に近い月、よい宵です。(でも、、、駐車場まで道は真っ暗で、ひとっこひとりみあたりません。なのでちょっと迷子に、、、^_^; ←さがされてたヒト)


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ご一同、その後そらいろつばめ様の豪邸(100人でパーティーができる!)にて、この日解禁したばかりの勢子蟹を始め、、、


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屋内の暖炉でバーベキューをしたり、お手製のお料理で酒池肉林の境地、しあわせでございました〜〜。

そらいろつばめ様ご夫妻、ご一緒いただいた方々、深く御礼申し上げます。
ありがとうございました!!



寛次郎の器でお茶を楽しむ会〜河井寛次郎記念館 - 2014.11.08 Sat

15日まで焼きものの町、五条坂〜茶わん坂界隈で「わん碗ONE展」やってます。もっと焼きものの町を知ってもらおうと始めて今年で3年目だそうですよ。


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その中のイベントのひとつ、河井寛次郎記念館でおこなわれた「寛次郎の器でお茶を楽しむ会」にいってきました。(Mちゃん、ここでも情報ありがと〜!)


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この記念館の看板の文字は棟方志功、作ったのは黒田辰秋(木工の人間国宝)さん。

数えてみたらここに最初にお邪魔したのが7年前だった。まだ京都移住前で、家を建てるのにこんな民藝風な数寄屋風な家、ほしいな、参考にしよう、というので訪れたのです。(まあ、我が家とはレベルも規模も全然ちがうけど、、^_^; )


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ほんとにいつ来ても落ち着く家です。もちろん寛次郎設計。島根県安来町出身だった寛次郎さんの実家は大工の棟梁だったので、施工はやはり棟梁だった兄上。


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この囲炉裏のまわりが一家の団らんの場所だったそうで、左手の黒い人形がいるあたりが一家の長である寛次郎さんの定座だったそうです。


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と、そんなお話しをしてくださるのは本日のご亭主、寛次郎の娘須也子さんのお嬢さん(寛次郎の孫ね)でこの記念館の学芸員の鷺 珠江さん。実際このお家に住んでおられたので、家のあちこちに想い出があるとか。

例えば今回の茶会の行われる左手のテーブル、ここで子供の頃は卓球をされてたそうな(^◇^;)


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茶会の前に家の中探訪。ほんとにいいお家で、(掃除のたいへんさをのぞけば)ここで暮らしてみたいと思わずにはいられない。ここは寛次郎さんの作品のいくつかを展示してあるコーナー。愛用されていたハットもありますね。


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寛次郎愛用の登り窯。もともとこの登り窯を手に入れたことでこの土地に家を建てたのだ。今でもこの周辺は家の中の聖域。


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焼成室の一室をのぞいてみた。かつて火がたかれると1000度を超える温度になり、冷ます間にピーンピーンという貫入のはいる音がしたのだろうな。


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寛次郎の作業場もそのまま残されている。ここもまた聖域。


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二階の座敷。

焼物の腕についてはすでに定評のあった彼が、柳宗悦、濱田庄司らと出会い、李朝陶磁や英国のスリップウエアに衝撃を受け、作風を変えて「用の美」を追究してやがて民藝の中心人物になっていく。さらにその後民藝を突き抜けた境地にまでいった足跡は、3年前の高島屋でひらかれた「生誕120年展」で追わせてもらいました。


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焼物だけでなく、木工や,金工も日常使う物としてがんがん作った寛次郎さん。今回の茶会では鷺さんの語る家庭人としてのエピソードも聞くことができて、彼がより身近な存在になったような気がします。


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さて、お茶会はすべて寛次郎作品を使って。まあ、なんという贅沢。かつて寛次郎の茶わんを買おうとして、値段を見てすごすごと帰った私には夢のような、、、(^◇^)
みてみて!この茶わんの数々!この中から2つ選んで鷺さんに点てていただく。


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寛次郎の故郷、島根は松平不昧公のお膝元でもあるので、ほんとうにお茶が盛んらしい。一般家庭ではどこでも茶道具一式をしこんだ箱をだしてきては、ことあるごとに気軽に抹茶を点てるのだそうな。だからいまでも煎茶ではなく抹茶、あるいは番茶なんですって。


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だから河井家のお茶はこんな気軽なお茶なんです、、と鷺さん。われわれが選んだ茶わん一つ一つについて解説されながら、また寛次郎のエピソードを語りながら、丁寧にひとりずつたててくださる。


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この寛次郎のお皿に入ったお菓子は松江の三英堂さんの「日の出前」。なんとなれば寛次郎先生の命名だそうですよ。摺り琥珀と羊羹の間くらいのお菓子で上品でおいしかった。


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最初に選んだ茶わんはいかにも「ザ・寛次郎」というお茶碗。たたきつけられた赤・緑・黒の釉薬が特徴。私が値段にびびって回れ右したお茶碗もこんな感じだったので、ここでかたきをとる(?)


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抹茶茶碗のここに緑をもってくるか。そして効いてるなあ、この緑。寛次郎は釉薬作りに天才的だったので、一時は五代清水六兵衛の釉薬顧問のようなこともしていたらしい。


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二碗目。これも寛次郎のよく使うモチーフの花の絵が描かれた茶碗。いつも思うがこの花はなんの花なんだろう。蘭のようにも見える。


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もし持って帰るとしたらどの作品?と皆がたずねられて、私はこれだな、、と。ごついけれど、これでお茶をのんだらうまそうだ。それにやっぱり赤・緑・黒の寛次郎トリコロール。


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お茶の先生方は、民藝の茶碗はお茶にはちょっとね、使いにくいわね、とおっしゃる方が多いとか。確かに侘びた井戸茶碗や古萩のイメージと比べるとプリミティブアートすぎるけれど、それひとつで主人公にもなり、より気軽に心やすく使えるところがいいのじゃないかしら。

この菓子器にのっているのは御池煎餅、これもあの丸い煎餅の缶のラベルが寛次郎デザインだからですよ。知ってた?(←失礼しました。まちがえてた)デザイン by 民藝とゆかりのある棟方志功。(そういえば十二段屋の話がでたんだった)


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寛次郎は30回も見合いを断った後、10歳以上も年下のつねさんと結婚するのですが、この方が実によくできた方だったそうで、寛次郎のお手柄の1つ、とは孫の鷺さんの弁。


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この壺は普通ならガラス窓の向こうにあるもの。筒描きで土手をつくり彩色する、これも寛次郎独特の技法。さわりまくりましたで\(^O^)/

大戦中は窯に火が入れられなくなり、その間彼は書くことで自らを表現し、随筆「いのちの窓」に珠玉の言葉がならぶ。

 新しい自分が見たいのだー仕事する

 おどろいている自分におどろいている自分

 この世は自分をさがしにきたところー居たか、居たか この世は自分をみにきたところ

 この世このまま大調和

 なんといふ今だ 今こそ永遠 

 暮らしが仕事 仕事が暮らし



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(お茶会の〆は抹茶の次に安来でよくのまれる番茶。もちろん湯飲みの寛次郎作。)

こういう言葉は明け方とか、寝ているときに思いつくようで、枕元のノートにメモし、そして朝食のテーブルで「ゆうべはこんな言葉が降りてきたよ。」と家族に披露していたのだそうです。う〜む、ひとつひとつが深い、、、

安来では寛次郎さんは焼いた作品をどんどん近所の人にあげていたそうで、もらった人たちも気楽に日常に使っており、今でも家庭で寛次郎作品普通に使っているお家もあるんだって。まあぁ〜〜!(ウラヤマシイ)値段を見てひきさがったアレはなんだったの?!


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この家の新築祝いに柳宗悦から送られた時計がボーンボーンと柔らかく時を告げ、楽しい茶会のお開きを知らせる。今もまだ現役のネジ巻き式。時を刻む音がノスタルジーをかきたてるわね。



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今でも尊敬する寛次郎さんだが、鷺さんのお話しに少しだけ、身近に方に思えたひとときでありました。



「これまでの茶は出来上がっちまったんです。われわれがやる茶はこれから出来上がらぬ茶をやる。そんな茶をやりたい。」


1955年、柳宗悦が催した第1回民藝茶会は当時の茶の湯界へのアンチテーゼであったことを思えば、この言葉は納得できるわ。



植物園大茶会2014と鴨茶 - 2014.11.06 Thu

植物園大茶会(正確にはお茶といけばなの祭典)ももう4回目を迎える。


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バス停から植物園のこの並木道、もう紅葉の道なんですね。


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植物園内のクスノキ並木。ここにもやわらかい秋の陰翳。


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会場の大芝生に、、、おお、並んどる、並んどる。


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今年は毎年お馴染みとなっていたブースのいくつかがなくて、ちょっとメンバーチェンジ。少しさびしい気もするが新しい試みもみられる。


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まずは年若い茶友のMちゃんたち四人の美女がプロデュースする三壺庵の席へ。印象を一言でいうなら「かわいい〜


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お菓子もすごいのよ。ナツメ、小餅、ぎんなん、蘇(チーズ)、栗。秋の恵みをたっぷり。


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ほんとうはお火焚きの候でもあり、火を囲んで、、、としたかったそうだが、園内は火気厳禁。しかたなく電熱風炉にて。かわりに火消し壺に入れられた、赤い花は火、赤い実は火の粉、枝は燃え上がる炎を表したのだそうな。愛宕山の火伏せの御札なんかもあって火消し壺でも消せない燃える「火」を感じたよ。


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昨年もだされていた石州流大口派の席も。見る機会はあまりないお点前だけにじっと拝見。やはり武家点前は独特でかっこいいなあ。


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高校生のお嬢ちゃん方の立礼席もあったりして。


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府立大の「宇治茶同好会」ってふだんどんな活動しているの?「宇治茶をのんでおしゃべりするだけ」、、、らしい。それっていったい、、、σ(^◇^;)
でもまじめに煎茶の茶歌舞伎みたいなのをやっていたので、たぶんよう当てんやろうなと思いつつも参加。


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宇治茶と静岡茶、鹿児島茶をあてるもの。、、、で、予想通りというべきか、みごとはずして記念品ゲットはならず。お茶の入れ方とか製茶業についてはこれでもちょっとは詳しいのになあ。


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こちらは洋風庭園エリア。秋バラにかこまれてちょっとしたイングリッシュガーデンでのカフェタイムといった感じ。


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こちらでは主に珈琲、紅茶、ハーブティーなどが供されている。


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コスモスもまだがんばって咲いている。


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baharat cafeさんでインド茶をいただく。(トルコのチャイもあったよ、というかもともとトルコ料理を研究している方のブースらしい)
このスグレモノの二段ケトルはトルコでよく使われるもので、下のケトルで湯をわかし、その熱で二段目にいれた茶葉を蒸すんだそうな。よくできてる。


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インドのチャイに添えられるのはセモリナ(粗い小麦粉みたいなもの)と油脂と砂糖をねりあげたハルワというインド菓子。菓子と言うよりおかずみたいな感じ。


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お昼頃になると、影もくっきりしてきて、クスノキ並木道の陰翳がひときわ美しい。


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一方日なたでは秋の晴れ上がった空に大温室の屋根がくっきり。ずいぶん昔に行ったロンドンのロイヤルキューガーデンの温室を思い出す。


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植物園に別れをつげて鴨川べりにでれば、ここも秋の光がいっぱい。気持ちいいなあ。


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休日だしもしかして、、、と思ったら、やっぱり北大路橋の東詰、M坊さんが鴨茶してはる!

まもなく1周年だそうだが、こうして週末、ご喜捨歓迎、来る物拒まず、去る者追わずのお茶をしてはる。元祖鴨茶は鴨ん会さんだと思うが、いまではM坊さんの鴨茶の方が回数が多いかな。


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川べりは風が激しいので飛んでいかないように柄杓は茶箪笥(?)の環にあずける。グッドアイデア!。箱膳を茶箱にして。(この箱膳ゲットのエピソードもおもしろかった!)


最初口に入れたとき、これ知ってる味だけれどなんだっけ???で、あとからああ!あれだ!とわかる不思議な手作りお菓子(正体は秘密です(^_^;)をいただいて、ほんの一服のつもりが幻の銘茶も含め三服もいただき1時間以上もおしゃべりしてしまった。

ちなみに幻の銘茶は城陽のお茶祭り用に一年に1回だけ現地のみで販売される流通していない極上のお茶なのだ。その濃茶と,薄茶、さいごにこれをベースにM坊さんがブレンドしたお茶。前二者はしょっぱなガツンとTHE LEAFの味がして後味が甘い。でも一番おいしかったのは最後のブレンド。ほんままろやかでクリーミーでおいしかった。最後の泡まですすってしまった。



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またまた柄杓が飛んでいかないように蓋置兼用、茶杓も鐶に!ようできてるなあ、この箪笥。

M坊さんのお話しは話題があちこちに無限につながって、とても楽しい。前夜もお茶の話を若い茶人さんと4時間も語られたそうな。なんだかアホらしい話もあれば、あれ、これ深いよね、という話もあって立ち去りがたかったのだが、川風があまりに寒いので撤退。お別れを。

ひとつ印象に残ったお話し。人を批判していたら、自分がその批判された人といずれ同じことをするようになる。政治の世界でも、お茶の世界でも。不完全消化な理解しかしていないと思うけれど、なんだか胸にしみる深いお言葉でした。

夜咄の準備〜足元行灯編 - 2014.11.05 Wed

夜咄の露地におく足元行灯、そろえてみました。


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う〜〜ん、なんとなくカッコイイ。昔は日常必需品だったのでしょうが、今では老舗料亭くらいでしかお目にかかれないですものね〜。(現代の若い子がダイヤル式電話をクール!というような感覚か?)


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一方には和蝋燭、もう一方にはリキッドキャンドルをセットして比較してみた。


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やはり微妙に蝋燭の方が明るいような、、、



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実際に露地においてみる。、、、、これ暗すぎやなあ。手燭を持っているとしてもお客さん、つまづきかねないわ。昔、夜はこんな灯りのもとで生活していたのね。時代劇なんかで夜のお屋敷や長屋の場面がよくでてくるけれど、あんなに明るいはずはなかっただろうね。


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時間がたってくると和蝋燭(右)の明るさが際立ってきた。確かにより明るいけれど、炎がかなり大きくなってちょっとこわいな。やはり安全性をとってリキッドキャンドルにすべきか。



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ちなみに以前紹介した安全性重視の蝋燭芯切り鋏。あまりのキンキラぶりにどうしようかな〜と悩んで、、、


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ちょっと渋いのをみつけてゲットしました。なんだか手術用機械みたいf(^ー^;


西陣で〜落語と人形舞+のばら珈琲 - 2014.11.04 Tue

上七軒ですごいお人形を見たのは今年の2月だった。ホリヒロシさんや辻村ジュサブローさん系で、着せている着物はすべてアンティーク着物の端布、まるで地からはえているとしか思えない人形の髪の毛は丸髷に、太夫髷に、島田髷に、、、艶やかに結い上げられていて。



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それがさらに動くというパワーアップぶり、しかもプロの噺家さんの落語付きというからすごい!

(ちなみにお断りしておきますが、お人形の作者は本職は別にお持ちで、手慰みでされているというのはレベル高すぎ!)


場所は2月と同じ上七軒。


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がまぐちのまつひろ商店上七軒店のお二階、ぎゃらりい和こころさんにて。ここは上七軒のお茶屋さんだった風情のある建物です。


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こぢんまりとした二階の座敷には落語愛好家の方もおられれば、お人形が好きで、という方もおられ、非オープンイベントゆえの和気藹々感があって、ほっこりおちつきます。

2月の時には版画を担当されていたもう一方が今回は三味線にチャレンジ!噺家さんの出囃子と人形舞の音曲担当。こちらも本職は別にお持ちです。三味線のできとして、ご本人の弁では「本番がだめな努力家」なんだそうで、、(^_^;

早速その出囃子にのって、噺家・桂 雀太さん登場。(桂ざこばさんが現在トップでひきいる桂一門の若手〜中堅どころの噺家さんです。大阪天満天神繁昌亭にも出演されています)

この登場の仕方が自分で襖をあけ、赤い毛氈を敷いた(おそらく)和箪笥の上に乗って。なるほど、これが高座なのね。雀太さん、上背のあるかたなので、襖と鴨居で切り取られた四角い画面にいっぱいいっぱいで迫力ある〜。

一席目、お題は「代書」。

代筆屋さんに自分の履歴書を書いてもらおうとしてきた、そうとうスカタンな男と代筆屋さんのあほくさ〜い掛け合いのお話しで笑わせてもらう。

実は私、ライブで落語聞くのは初めて。かつてテレビもビデオもネットもなかった時代の大人たちはこんな楽しみ方をしたんだろうな。音楽のライブでもそうだけれど、同じ空間をシェアしている他人と、同じ感情、笑いなどをシェアできる、というのは一人で自分の部屋できいているのと高揚感がずいぶん違います。

おそらく録音などでは作品のできとしては完成形なんだろうけれど、とちったりかんだりも楽しいライブとはたしてどちらが好きかといわれたら、私はやはりライブかな。


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二席目は「夢の革財布」。江戸落語では同じストーリーで場所だけが変わった「芝浜」というタイトルになります。これは夫婦の愛情の機微を描いた物で、タイトルぐらいは私でも知っています。

明日の晦日には首をくくらなあかんかもというくらいに困窮した魚屋が住之江の浜で82両はいった財布を拾います。これでどんちゃん騒ぎをするのですが、こんなことをしていてはまともに働かなくなる、とおもった女房はこれをかくし、「あんた財布を拾った夢を見ただけやろ。」としらをきりとおす。魚屋はそれから心をいれかえ、酒を断ち、一生懸命額に汗して働き、ぼて振りから大店をかまえるまでになった。
そんなある日、女房が実はあの財布は夢ではなく、、、云々。こんな大店をかまえられるようになったのだから、もうお酒はのんでいい、という女房に、「よそう。また夢になるといけない。」というさげ。

この噺は雀太さんのおはこのようです。面白かった!

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で、人形舞がどこででてくるのか、というと財布をひろって浮かれて仲間をよんで飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎのとき。えびすさんのお人形がえびす舞を舞います。このお人形がまたすごい出来なんですが、これに手と足に棒をつけて、作者のMさんが黒子の姿で文楽の人形みたいに舞わせます。

ほんとうにこの人、人形のプロじゃないんでしょうか(◎-◎;)
一瞬黒子の姿がみえなくなってえびすさんが盃を飲み干しながらええ気分で酔っ払っているようにしか見えませんでした。舞の音曲はやはり「本番に弱い努力家」の「お師匠」はん。

どこでどうやってこんなコラボを思いつかれたのか、意表を突く演出でまあ楽しい会でしたわ。
(ご紹介くださったMI様にも深く御礼もうしあげます)


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その会の興奮の余韻さめやらぬ中、そのまま東へ、西陣のお気に入りエリアへ。この前からいたく気に入っているこの細いろうじの奥ののばら珈琲さんへ。



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古い昭和初期くらいの建物でしょうか。とても落ち着くの。


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建物、照明、家具、タイルなども昭和初期、という感じでノスタルジーにあふれていますが、わざわざそうしたのではなく、建物が呼んだ、、という風情です。


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それにここ、パン系の軽食のボリュームがすごくてうれしい。え?この値段でこんなに?というのはいわゆる観光地ではないからなのでしょうか。同年代くらいのマダムもいそがずあわてずほっこりしたええ感じです。


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一服した後、そのまま東へ行くとあら、毎年桜を愛でに来ている雨宝院さんはすぐそこだったのね〜!これは来春の桜の季節、桜を愛でた後にものばらさん、行かなくちゃ。




口切りの茶事〜如庵写し・正伝永源院 - 2014.11.01 Sat

犬山の国宝茶室・如庵での茶会に行くチャンスをみすみす逃してしまった。犬山の敵を都で、、、というわけではないが、運よく如庵写しの席で口切り茶事に参席できた。


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建仁寺はチャの木の生垣。(茶を日本に持ち帰った栄西さんのお寺だからね)


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花も終わりかけ青いチャの実がなっている。秋も深まればこれが茶色になり三つにはじける。


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早い木はもう紅葉している良い季節になった。


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さて、如庵写しのある正伝永源院。

この建仁寺の塔頭の来歴は複雑で、もともと織田有楽が復興し、如庵を建てて隠居としたのが正伝院。細川家の代々の菩提寺が永源庵。この二塔頭が明治初頭の廃仏毀釈運動で廃寺になったり移転を余儀なくされたり、、、最終的に合併して正伝永源院となったのが明治6年。

このときに如庵は祗園町有志に払い下げられたんだとか。そのご三井財閥の手に渡り東京へ、震災や戦火をさけるために大磯別邸へ疎開、戦後名鉄所有となり、犬山の有楽苑に移築され現在に到る。

国宝茶室のなんと数奇な運命。


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よって有楽さんの墓所もここにあれば、、、、


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細川家のお墓もここにある。昨年完成した細川護煕さんの春秋の襖絵は、そのゆかりで。


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こちらは昨年秋、四頭茶会で三斎流が席をもたれたところなので一度おじゃましたことがある。(普段非公開)けれど如庵写しのなかに入らせていただくのは初めて。

待合の掛け物は寺宝の織田有楽の肖像。


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この如庵写しは現在数寄屋建築研究の重鎮の中村昌生先生の御指導の下、1996年に復元されたもの。

早速席入り。おお〜、、、本で見るのと同じだ〜!

二畳半台目向切。特徴はなんといっても三角形の鱗板。造型として美しいだけでなく、この鱗板、給仕口がない茶室に機能性をもたらしている(三角形ゆえ筋違の席とも)。

次に末客の位置にあたる半畳と点前座のあいだ、中柱に火灯口を持つ杉の板壁。これ末客の位置にすわって亭主と火灯口からご対面(?)しながら点前を見る、、、というのはなかなかおもしろいよ。

そして有楽窓。下地窓にすきまなく竹の連子打ちしたもので、スリット効果により光の変化がおもしろいという。あいにくの曇り空もあるけれど、西面についているので、これは西日じゃないと光がはいらないなあ、、と思っていたら、本歌はやはり有楽窓は東面に作ってあって、朝日が入る設計なんだとか。お寺の境内に作る関係上、東西南北を180度まわさざるをえなかったんだそうだ。ちょっと残念ではある。

最後に「暦貼りの席」といわれる由縁の腰張りがすべて古い暦。それもすわって首くらいの高さまで貼り回してある。一番古い物で慶長年間(秀吉が朝鮮まで攻めていった頃だよ)の暦で、これだけは本歌より古いのだそうだ。


さて、本席の掛け物はこれも寺宝の有楽消息。お茶会への誘いの手紙らしい。(当然ながら読めん)

ここではなかなか見る機会のない向切の初炭手前を拝見でき、勉強になった。

口切りなので茶壺の扱い、御茶入日記の拝見、茶じょうごの扱いなどなど、初めてではないけれど、初めてのような新鮮な気持ちで(ようするに忘れている、、、^_^; )拝見。

懐石をいただくあいだに水屋から聞こえてくる茶臼の音がなにやらゆかしく、、、、と言いたいところだけれど、ご苦労されているようで床に響くような、ごぉ〜んごぉ〜ん、、という音が(^_^; それでもキュッキュッという持ち手がきしむ音はごちそうだった。

縁高に盛られたお菓子は川端道喜さんの亥の子餅に柿がそえられて。かつて茶師が茶を詰めた茶壺を茶家に届ける際、柿と栗を持参するのが習わしだったことから、口切り茶事にはこうして柿や栗を菓子にそえることも。


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さて、後座。
わたくし突き上げ窓の照明装置としての威力を今日ほど実感した日はない!

初座はほんとに暗くてご亭主が手燭をだしてくださるほどだったのに、突き上げ窓を開けたらまあなんと明るい!茶室内の景色がどれだけ違ってみえたことか!まさに陰から陽。う〜〜〜む、うちの小間にもつけりゃよかったかな、、、

後座もまたありがたいことに寺宝のオンパレードで、花入が竹一重切、作ったのは有楽の次男で有楽流を継いだ道八(頼長・通称左門とも)そう、「へうげもの」で頭をばかばかしいリーゼントにしたバサラ気どりの(当時)どうしようもなかったあいつですよ。どうもあの顔がちらついてあかんわ。その後更正してちゃんとした茶人になったもよう。

同じく寺宝、御本立鶴の水指。これがこの手の本歌だそうで、これはよかった、ほんまによかった。


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干菓子は亀屋伊織さんの煎餅と有平糖。この煎餅はほんとうに薄くて薄くてびっくり。この楓の焼印は、さらに季節が進むとだんだん端っこの方に移動していくんだそうな。芸がこまかい。


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なにより如庵の意匠がすばらしかったが、さらにおいしい物をいただいて、茶臼の音に耳をそばだて、よき道具を見てさわって、五感フルに満足させていただいた。佳き日哉。




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京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

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