如月京さんぽ〜おもにプチグルメ2015 - 2015.02.28 Sat

鞍馬口大宮を少し西にいったところ、若い女性お二人の和菓子ユニット日菓さんの工房があります。意匠がいままでの和菓子のイメージとちがって、かわいくて、ユーモアがあって、とにかく今人気です。
いつもは注文の和菓子をつくっておられる工房専門なのですが、月イチ日菓といって、月に一回工房でお菓子を販売されています。(あと毎月15日、一乗寺の恵文社でも)たまたま休みとあったので、やっと行くことができました。
ただし、三種あったお菓子はすでに二種売り切れ。でも一番欲しかったこれが残っていたので求めてかえります。

求肥でつつまれた白餡、銘を「好きのきもち」。
説明文曰く
「この手紙には好きのきもちが ぱんぱんに詰まっています。あふれそうな想いは封筒の白をもピンクに染めるほど。言葉で気持ちを伝えるのが恥ずかしい人のためのお菓子です。」
ほんのり甘くておいしい。
後日日菓さんのお一人とお話しする機会があったのですが、例えばお茶を習っていると当たり前のように何の気なしに受け入れてきた紋様が、彼女には「なになんだろう?なぜなんだろう?」と違う姿で見えているのだな、と思いました。物をあくまで自分の目で納得いくまで見て、感じる、、そういう感性があるから、あのお菓子たちはできるのだなと、得心した次第。
そのまま鞍馬口通りを東へいけば、できたときから行きたくて行けなかったカフェフランジパニへやっとたどりついた。

映画「マザーウォーター」で、小林聡美さんが開いているウイスキーしかおかないバーとして使われたことで有名。

でも、映画では内装は全くといっていいほど、変えられていたけれどね。あれはあちこちになじみの景色(おもに左京区が多かった)がでてきて、この場面はどこ、あの場面はそこ、とあてっこが楽しかったですね〜。

通りに面した大きな窓があかるくて良い感じです。奥には座敷もあり、市松模様の障子(ガラス)はシンボル。
ちなみにフランジパニは花の名前で、ハワイではプルメリアとよんでいる芳香高い花ですよ。

鞍馬口から堀川を少しさがると水火天満宮さんがあります。茶道資料館へ行く道すがらなのでよくお参りします。ここはこじんまりとした神社ながら、今の季節は紅白の梅、もう少しすると枝垂れ桜がきれいなのです。

梅や桜の名所もよいけれど、ちいさいながら独り占め出来る場所の梅や桜もよいものです。

ここ数日のあたたかさで、いつのまにかこんなに見事に!

さて、ここでいきなり左京区にワープします(^_^;
ご近所の西尾八橋の里。
ここはずいぶんりっぱなお屋敷だと、以前から思っていたのですが1,2年ほど前、八ツ橋の西尾(熊野神社の北)が買い取って改築、お食事処になったのです。

建てられたのは大正初め、数寄者であり財閥でもあった方の別邸とか。

通り庭はふさがれてはいますが火袋の大きな梁は健在で、往時をしのばせます。

数寄をつくした家らしいので、あちこちきょろきょろしたいところ、他のお客さんもいるので控えめに。(もうちょっと探検したかったが、、、)

このお庭を見ながらいただきます。こんなお屋敷だから高いのかな〜と思っていましたが、メニューはオムライス、そば・うどん、などすごく庶民的で気軽に使える感じです。一番お高いので八ッ橋の里膳1600円。これおいしそう。

ちなみにお庭にはほんものの八ッ橋が。

おうどんを頼みましたが、ちゃんと(固いオリジナルの)八ッ橋がついてくるところがニクイね。私、学生の頃はまだまだ八ッ橋といえばこの固いの。いまでこそ八ッ橋といえば生しか知らない人も多いでしょうが。銀閣寺参道の割れたお徳用八ッ橋を一袋買って、歩きながら、麦茶で流し込みながらいただくのが最高!だった記憶が。
またまた祗園にワープします。

八坂神社南がわの細い路地にあるチョコレートの Dari K。本店は三条通商店街にありますが、こちらの方が近いので。

インドネシア産のカカオを栽培から発酵の指導までするところから始めたそうです。フェアトレードの精神にのっとり、現地で根を下ろす産生体制のもと作られたカカオ、それから作られたチョコレートはがっつり、カカオの香りと味です。

ゴ○ディバなどのチョコとはめざしている方向性がちがうので、どちらがおいしいとは言えませんが、大人のチョコです。子供にはたぶん受けないと思います。人生の甘さも苦さも知ったあなたに、、、、なんちって、、、
ちなみに Dari Kとはインドネシア語でfrom K。Kとはその産地であるインドネシアのスラウェシ島の形がアルファベットのKに似ているからだそうですよ。
合槌稲荷〜謡曲「小鍛冶」 - 2015.02.25 Wed
神宮道から東の三条通。昔はここを京阪電車が地上を走っていました。日に日に三条通沿いの多くの町家が壊されていく中、このあたりはまだがんばって残っています。

通り過ぎそうになるけれどここに合槌稲荷さんの鳥居があります。

お向かいは(私が準氏子であるところの、、、、と勝手に思っている)粟田神社。旧東海道の京への入り口の1つ、粟田口。ここを過ぎるともう山科、大津の気配です。

少し西には肉の荒井亭。注文してから揚げてくれるスパイシーなコロッケがおいしいところ。お行儀云々はおいておいて、これは食べ歩きがよろしゅうございます。
さて、最初に合槌稲荷、、、と聞いてなんのあいづちを打つのだろう???と思っていました。まあ、地元のマイナーな神社かな?と。

(一昨年の粟田神社大祭の写真)
粟田神社の秋の大祭にはたくさんの大灯呂(ねぶたの小さい奴と思ってね)がでますが、そのなかに「合槌稲荷」もあって、かわいい子狐を親狐がくわえているのがとてもラヴリーなのです。
なので色々調べてみたら、な、、な、、、なんと!謡曲の世界ではメジャーな神社ではありませぬか!!

能・「小鍛冶」にでてくるお狐様の社だったんですね〜。
簡単にあらすじを書きますと、、、
ある日夢のお告げを受けた一条天皇(紫式部、清少納言の時代の帝)は刀匠として名高い三條小鍛冶宗近に剣を打つよう命じます。
宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れない、と訴えますが、聞き入れられず、氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣すると、不思議な童子に声をかけられます。
童子は、剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊の物語を語って宗近を励まし、相鎚を勤めようと約束して消えていきました。
家に帰った宗近が身支度をすませて鍛冶壇に上がり、礼拝していると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れ、「相鎚を勤める」と告げます。先ほどの少年は、稲荷明神の化身だったのです。

(「能百十番」より)
カッコイイ!稲荷明神さん。
明神の相鎚を得た宗近は、無事に剣を鍛え上げ、名剣「小狐丸」を帝に献上できたのです。
ちなみに三條小鍛冶宗近は長刀鉾の鉾を打った人らしいです。
さて、その合槌稲荷さんを拝みに、鳥居をくぐってみましょう。

あり?

ありあり??
一体どこに神社があるのでしょう???
民家があるだけ。鳥居だけで御本体はもうないのかしら、と回れ右。

あきらめてさきほどの荒井亭さんでお肉を買って、脇の細い道をぷらぷら歩いていると、、、おおっ!!
あれなる社はもしやもしや。

あわてて引き返し、さきほどの行き止まりと見えた民家の奥へ歩を進めると、矢印が!!

ありました、ありました。
合槌稲荷さんのお社が。
有名な謡曲の題材ながらわりとつつましやかな境内です。合槌を打った明神さんの名残はまったくありませんが、

だんだん日も暮れてくれば、お使いのお狐さんの人形もなんだかにやっと笑っておられるようで、やはりここは神域。そろそろ帰りましょう。
教の鎚をはつたと打てば
ちやうと打つ
ちやう/\/\と打ち重ねたる鎚の音
天地に響きて。おびたゝしや
かくて御剣を打ち奉り 表に小鍛冶宗近と打つ
神体時の弟子なれば 小狐と裏にあざやかに。
打ち奉る御剣の 刃は雲を乱したれば 天の叢雲ともこれなれや
天下第一の 二つの銘の御剣にて 四海を治め給へば 五穀成就も此時なれや
即ち汝が氏の神 稲荷の神体小狐丸を 勅使に捧げ申し これまでなりと言ひ捨てゝ
又群雲に飛び乗り 又群雲に飛びのりて東山稲荷の峯にぞ帰りける

通り過ぎそうになるけれどここに合槌稲荷さんの鳥居があります。

お向かいは(私が準氏子であるところの、、、、と勝手に思っている)粟田神社。旧東海道の京への入り口の1つ、粟田口。ここを過ぎるともう山科、大津の気配です。

少し西には肉の荒井亭。注文してから揚げてくれるスパイシーなコロッケがおいしいところ。お行儀云々はおいておいて、これは食べ歩きがよろしゅうございます。
さて、最初に合槌稲荷、、、と聞いてなんのあいづちを打つのだろう???と思っていました。まあ、地元のマイナーな神社かな?と。

(一昨年の粟田神社大祭の写真)
粟田神社の秋の大祭にはたくさんの大灯呂(ねぶたの小さい奴と思ってね)がでますが、そのなかに「合槌稲荷」もあって、かわいい子狐を親狐がくわえているのがとてもラヴリーなのです。
なので色々調べてみたら、な、、な、、、なんと!謡曲の世界ではメジャーな神社ではありませぬか!!

能・「小鍛冶」にでてくるお狐様の社だったんですね〜。
簡単にあらすじを書きますと、、、
ある日夢のお告げを受けた一条天皇(紫式部、清少納言の時代の帝)は刀匠として名高い三條小鍛冶宗近に剣を打つよう命じます。
宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れない、と訴えますが、聞き入れられず、氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣すると、不思議な童子に声をかけられます。
童子は、剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊の物語を語って宗近を励まし、相鎚を勤めようと約束して消えていきました。
家に帰った宗近が身支度をすませて鍛冶壇に上がり、礼拝していると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れ、「相鎚を勤める」と告げます。先ほどの少年は、稲荷明神の化身だったのです。

(「能百十番」より)
カッコイイ!稲荷明神さん。
明神の相鎚を得た宗近は、無事に剣を鍛え上げ、名剣「小狐丸」を帝に献上できたのです。
ちなみに三條小鍛冶宗近は長刀鉾の鉾を打った人らしいです。
さて、その合槌稲荷さんを拝みに、鳥居をくぐってみましょう。

あり?

ありあり??
一体どこに神社があるのでしょう???
民家があるだけ。鳥居だけで御本体はもうないのかしら、と回れ右。

あきらめてさきほどの荒井亭さんでお肉を買って、脇の細い道をぷらぷら歩いていると、、、おおっ!!
あれなる社はもしやもしや。

あわてて引き返し、さきほどの行き止まりと見えた民家の奥へ歩を進めると、矢印が!!

ありました、ありました。
合槌稲荷さんのお社が。
有名な謡曲の題材ながらわりとつつましやかな境内です。合槌を打った明神さんの名残はまったくありませんが、

だんだん日も暮れてくれば、お使いのお狐さんの人形もなんだかにやっと笑っておられるようで、やはりここは神域。そろそろ帰りましょう。
教の鎚をはつたと打てば
ちやうと打つ
ちやう/\/\と打ち重ねたる鎚の音
天地に響きて。おびたゝしや
かくて御剣を打ち奉り 表に小鍛冶宗近と打つ
神体時の弟子なれば 小狐と裏にあざやかに。
打ち奉る御剣の 刃は雲を乱したれば 天の叢雲ともこれなれや
天下第一の 二つの銘の御剣にて 四海を治め給へば 五穀成就も此時なれや
即ち汝が氏の神 稲荷の神体小狐丸を 勅使に捧げ申し これまでなりと言ひ捨てゝ
又群雲に飛び乗り 又群雲に飛びのりて東山稲荷の峯にぞ帰りける
2月の夜会〜全日根さん花入、人形展 - 2015.02.23 Mon

疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏、、、(林和靖)
と高吟したくなるが、暗闇はあれど梅の香りも未だし、月もみえませぬ。
大徳寺孤篷庵近くの参道は夜は人っ子一人みかけず、道の向こうは異次元界か?

このあたりお茶好きなアヤシイ人々が集っている、、、とてもすてきな場所也。
その道の半ばの館にてさらに妖しい^_^;集会あり。
お正月に他流派研究会??がひらかれた場所だが夜はまたまたさらに妖しげな魅力に包まれる。
紫竹の花屋みたてさんでおこなわれていた故・全日根さんの花入と陶俑展、場所をかえてこちらで引き続き。
館には電灯はなく、灯りはろうそくの灯り、影がゆらめくなか、全日根さんの花入れに、みたてさんのいけた茶花(すごくセンスいいの)がおそらく昼間よりもはるかに魅力的で惹きつけられる。
李朝家具にのせられたり、床に飾られたりした陶俑(人形)たちは長い影がゆらゆらするので、まるで生きて踊っているようでさらに妖しい、、、そして魅力的だ。
そんな陶俑たちに囲まれながら見られながら、お茶を点てていただく。最高の雰囲気。御連客もなんとなくなじみの方々で、これもまた楽しからずや。
茶碗はもちろん全さんのもの。これは先の全さんの遺作展茶会でも使わせてもらったな、、と懐かしく思いながら。安南写しや高麗写し、織部写し、写しはなんでもござれの全さんだが、時に本歌よりいいじゃないかと思う茶碗もある。
お菓子は先日の茶事でも使わせてもらった愛信堂さん(この日のお正客でもありました)の「好文(梅の異名)」。お茶を始められたばかりの若い方ともお話しをして、お茶好きの同士とも話をして、なんとも貴重なひとときを過ごす。
帰りの夜道はますます暗いがこんどこそ暗香浮動月黄昏を(心の中で)高吟す。
さらにあの参道の向こうの異次元界に行ってみたくて突進。、、、、う〜む、、、たしかに異次元界は数件のラーメン屋だった、、、(^_^; いかない方がよかったかしら、、、
されど夜気にも春がほんのり香る佳き夜であった。
梅花の茶事 - 2015.02.21 Sat
世間ではもう一斉にお雛様モードにはいっているが、まだまだ桃より先に梅を忘れちゃ困る。

我が家の梅はまだつぼみ。北野の天神さんの梅花祭だってまだなのだ。
なので今度の茶事は梅をテーマに。

待合には北野天満宮さんでいただいてきたありがた〜い天神さんを飾る。牛の絵馬もね。(奉納せずお持ち帰り)

今回酒三献に使った盃はこれ。結婚のお祝いにいただいたものなのでもうウン十年の箔がついてます。というか長い間存在すら忘れてたのだけどね。見ればなんと!梅の紋様ではないか!ウン十年ぶりにやっと陽の目を見ました。杯台は時代で普段は蓋置にしているの。

朝、茶室を清めていると朝の淡い光が、障子越し、床にあいまいな影をつくって良い感じ。日本家屋のよさだなあ。

本日のお客さまはみなさま、もう「お茶・命」の方ばかりで緊張するわ。(ウソ、もうひらきなおれるお年頃)
で年代も20代から同年代までとりそろえました(^_^;) いえ、年代を問わず茶語りができるのが茶の功徳。年下でも尊敬できる、見習うべき茶人さんはたくさんおられるのです。
いや、若いからこそできる茶の湯アクティビティもあって、まぶしいですね。まねはもうようできんけど。

流儀の茶も、禅の流れを汲むきびしい茶も、間口を広く普及をめざす茶も、ただ楽しい茶も、すべてこれ茶の湯の魅力。ふところのとても深い文化なのだ。だからはまるときりがない。

今回、手あぶりOK、火入れ火を熾しすぎて早くに燃え尽き、火鉢初座で燃え尽き中立前にあわてて熾した炭、不発。まだまだ一人でやるとうまいこといきませんわ。

少し早めの釣り釜。
小間なので大工さん特製の煤竹の自在を使う。中柱がある場合は重なるので釣り釜はしない、というのが流儀だが、それでは楽しくないのであえてしてます。
この自在、ちょっとコワイ。いつか釜をストーンと炉中におとすのではないかとひやひや。でも、うまいことできているのですがね、自在って。

懐石の汁は旧正月なので小餅に小豆をのせた。例によって、懐石は写真撮るヒマもなくつっぱしったので(息切れしながら)画像ありません。かろうじて煮物椀だけ。盛りつけヘタ?やっぱり、、、(^◇^;) ここにも一応梅を咲かせておきました。

だいたい懐石終わった頃燃え尽きるので、いつもながらお点前が、、、、。とくに炭出前ぼろぼろ〜。釣り釜の見せ所なのにね。しかも大炉のお稽古をずっとしてたので、帛紗を右膝の上でさばいたりして、、、。
お菓子はやはり梅に鶯、うぐいす餅だけれど、ぎゅうひと白餡にしてもらった特製。西陣・愛信堂さん。

後座はあえて花をいけなかった。だってテーマが梅花だから、これ以上なんの花がいりましょうや。それぞれの心の内で思い描く梅の花を投げいれてもらう。
干菓子盆にも梅が咲いていますしね。亀廣保さん製。
薄茶はなごやかに。やっとお客さまとお話ができる。茶を巡る話はほんとに尽きない、楽しい。
今回はちがう流儀の方もいらしたので、その流儀では懐石はこう、炭出前はこう、と違いなども聞けてたいへん興味深い。裏千家の点前はどう映っただろう。代表するにはへたれな亭主だったが。

後炭もしてつごう4時間、平均的なところ、長きにわたりおつきあいいただいた茶事も終わり、茶室で独座観念、自服三昧。
釜をあげたら、後炭もしたのにほぼ燃え尽きていた。この景色をみるのも楽しみ。ちなみに後炭のとき、すかっと胴炭がきれいに割れた。それほど火の勢いがよかったのは、吊り釜のため小ぶりの釜にしたせいかな。空気の通りがすごくいいから。
自分で茶事・茶会をやるまでは炭をろくに熾したこともなかったのに、少しずつ火の管理がわかってきて(道は遠いが)炭火のよさがわかってきて、炭と仲良くなれてきた。炭火をながめていると飽きない。これもお茶をやっていてうれしいことだなあ。
みなさん、お湯わかしは電気ポットやレンジばかりじゃダメよ。

我が家の梅はまだつぼみ。北野の天神さんの梅花祭だってまだなのだ。
なので今度の茶事は梅をテーマに。

待合には北野天満宮さんでいただいてきたありがた〜い天神さんを飾る。牛の絵馬もね。(奉納せずお持ち帰り)

今回酒三献に使った盃はこれ。結婚のお祝いにいただいたものなのでもうウン十年の箔がついてます。というか長い間存在すら忘れてたのだけどね。見ればなんと!梅の紋様ではないか!ウン十年ぶりにやっと陽の目を見ました。杯台は時代で普段は蓋置にしているの。

朝、茶室を清めていると朝の淡い光が、障子越し、床にあいまいな影をつくって良い感じ。日本家屋のよさだなあ。

本日のお客さまはみなさま、もう「お茶・命」の方ばかりで緊張するわ。(ウソ、もうひらきなおれるお年頃)
で年代も20代から同年代までとりそろえました(^_^;) いえ、年代を問わず茶語りができるのが茶の功徳。年下でも尊敬できる、見習うべき茶人さんはたくさんおられるのです。
いや、若いからこそできる茶の湯アクティビティもあって、まぶしいですね。まねはもうようできんけど。

流儀の茶も、禅の流れを汲むきびしい茶も、間口を広く普及をめざす茶も、ただ楽しい茶も、すべてこれ茶の湯の魅力。ふところのとても深い文化なのだ。だからはまるときりがない。

今回、手あぶりOK、火入れ火を熾しすぎて早くに燃え尽き、火鉢初座で燃え尽き中立前にあわてて熾した炭、不発。まだまだ一人でやるとうまいこといきませんわ。

少し早めの釣り釜。
小間なので大工さん特製の煤竹の自在を使う。中柱がある場合は重なるので釣り釜はしない、というのが流儀だが、それでは楽しくないのであえてしてます。
この自在、ちょっとコワイ。いつか釜をストーンと炉中におとすのではないかとひやひや。でも、うまいことできているのですがね、自在って。

懐石の汁は旧正月なので小餅に小豆をのせた。例によって、懐石は写真撮るヒマもなくつっぱしったので(息切れしながら)画像ありません。かろうじて煮物椀だけ。盛りつけヘタ?やっぱり、、、(^◇^;) ここにも一応梅を咲かせておきました。

だいたい懐石終わった頃燃え尽きるので、いつもながらお点前が、、、、。とくに炭出前ぼろぼろ〜。釣り釜の見せ所なのにね。しかも大炉のお稽古をずっとしてたので、帛紗を右膝の上でさばいたりして、、、。
お菓子はやはり梅に鶯、うぐいす餅だけれど、ぎゅうひと白餡にしてもらった特製。西陣・愛信堂さん。

後座はあえて花をいけなかった。だってテーマが梅花だから、これ以上なんの花がいりましょうや。それぞれの心の内で思い描く梅の花を投げいれてもらう。
干菓子盆にも梅が咲いていますしね。亀廣保さん製。
薄茶はなごやかに。やっとお客さまとお話ができる。茶を巡る話はほんとに尽きない、楽しい。
今回はちがう流儀の方もいらしたので、その流儀では懐石はこう、炭出前はこう、と違いなども聞けてたいへん興味深い。裏千家の点前はどう映っただろう。代表するにはへたれな亭主だったが。

後炭もしてつごう4時間、平均的なところ、長きにわたりおつきあいいただいた茶事も終わり、茶室で独座観念、自服三昧。
釜をあげたら、後炭もしたのにほぼ燃え尽きていた。この景色をみるのも楽しみ。ちなみに後炭のとき、すかっと胴炭がきれいに割れた。それほど火の勢いがよかったのは、吊り釜のため小ぶりの釜にしたせいかな。空気の通りがすごくいいから。
自分で茶事・茶会をやるまでは炭をろくに熾したこともなかったのに、少しずつ火の管理がわかってきて(道は遠いが)炭火のよさがわかってきて、炭と仲良くなれてきた。炭火をながめていると飽きない。これもお茶をやっていてうれしいことだなあ。
みなさん、お湯わかしは電気ポットやレンジばかりじゃダメよ。
細見美術館・特別鑑賞会「俵屋宗達 墨梅図」 - 2015.02.18 Wed
夕刻から細見美術館の特別鑑賞会。なにせ琳派400年なので琳派を代表する美術館としてがんばってます。

なぜ夕刻か?
今回の特別鑑賞会の主役が俵屋宗達の墨梅図だから。
モノトーンの水墨画なので、これを鑑賞するには明々とした照明ではなく、ろうそくのような灯りのもとの方が適切であろう、という館長さんのご判断。
最上階の茶室古香庵にて、まずは床の間の墨梅図を見ながら茶会。ご亭主のお点前でお茶をそれぞれ一服点てていただく。
しかしてこの墨梅図、梅の古木を墨だけで描いているのだが、真ん中にピシ〜ッと枝がはみだすまでに突き抜けている。(こちらのブログに画像のってました)
その周辺に上から下から、一見野放図に枝が伸びているのだが、全体を見るとすごくバランスがとれている。(エラソウに言ってますが、あんまりわかってない^_^;)
最初暗い照明のもとでは花までは見えなかったので、枝だけで墨梅図なんかなあ、、、と思ってた。茶会の最後に照明を上げると、あ、梅の花が、、、、。私には白梅に見えたのだが、紅梅という説も白梅という説もあるらしい。墨の色はモノトーンに見えて実に多彩な色に見えるのだものなあ。
なんと、お茶会の最後の拝見に光悦の茶杓「明烏」がでてましたわよ!おくさま!(◎-◎;)!!
しかも全員手にとってさわらせていただきましたのよ!!(普通光悦会なんかでは飾ってあるだけでさわれない)
それだけでもお値打ちなのに、茶会の後は館長さんのギャラリーツアーが!
展示内容は先月行って見たばかりなのだけれど、館長さんのトークを聴きながら再度みるとまた違って見える。私もいたく気に入っていた若冲のヨッパライ鼠の墨絵(鼠の宴席におくれてきた2匹。1匹はすっかりできあがって盃をかかえていて、もう1匹がそのしっぽをひきずって宴席につれてきた、宴席の鼠も迎えている、、という場面。とてもかわいらしくユーモラスなのだ)。
館長さんは「20年前にこの絵を見て、僕は若冲さんはええ人やと確信しました。」
若冲は錦市場の商売を弟に丸投げして自分は放蕩三昧に絵を描いて結婚もしなかった変人、と思われていたけれど、最近になって錦市場の存亡の危機に立ち上がり尽力した、ということがわかってきてその人物像も描きなおされているらしい。そういうことがわかってくる以前から、ええ人だと思ってたんだって。たしかにこの絵を見ればねえ。ほんっと何回見てもかわいい。
あと光琳が燕子花を描くのに、計算すると当時とても高価だった顔料・ラピスラズリを身代つぶすくらいの量使っていたとか(ほんまに身代つぶしたけど^_^;)、若冲の実家の青物問屋がそこらへんの店と違って今でいうなら一部上場企業くらいの規模だったとか。
印象に残ったのは、源氏物語は当時の(江戸時代)の人より現代人の方がはるかによく理解している、という話。なにしろ江戸時代の人にもあの古語はむつかしすぎて町人にはまずわからなかったそうだ。われわれは現代語訳でするっと読んでいるからね、夕顔といえば源氏、若菜といえば女三宮、くらいはわかるんだ。なので江戸の町衆はよりわかりやすい「伊勢物語」に傾倒したらしい。ああ、だから琳派の絵って伊勢物語ゆかりの題材が多いんだ。(カキツバタしかり)
ただいまMOA美術館で光琳の二大国宝「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」を同時に公開しとる。ああ、行きたい、、、でもちょっと無理(泣)
もひとつ、常設展示されている金銅の春日神鹿御正体(重要文化財; 南北朝時代)、いつもスルーしてたけど、あれ実はすごい文化財らしい。時代も14世紀だし。明治初頭廃仏毀釈の折り現管長のおじいさんが入手したらしいけれど、実は流出元はあの興福寺なのは確実なんだそうな。興福寺からはそろそろ返してくれんかね、といわれているらしい(^_^;)

さて、楽しい茶会とギャラリートークのあとは地下のカフェキューブにて、三友居さんの点心をいただく。御神酒も少々いただいて、充実の3時間でありました。
(ちなみに次回の特別鑑賞会は6月、鈴木其一の「糸瓜に朝顔図」らしいですわよ)

なぜ夕刻か?
今回の特別鑑賞会の主役が俵屋宗達の墨梅図だから。
モノトーンの水墨画なので、これを鑑賞するには明々とした照明ではなく、ろうそくのような灯りのもとの方が適切であろう、という館長さんのご判断。
最上階の茶室古香庵にて、まずは床の間の墨梅図を見ながら茶会。ご亭主のお点前でお茶をそれぞれ一服点てていただく。
しかしてこの墨梅図、梅の古木を墨だけで描いているのだが、真ん中にピシ〜ッと枝がはみだすまでに突き抜けている。(こちらのブログに画像のってました)
その周辺に上から下から、一見野放図に枝が伸びているのだが、全体を見るとすごくバランスがとれている。(エラソウに言ってますが、あんまりわかってない^_^;)
最初暗い照明のもとでは花までは見えなかったので、枝だけで墨梅図なんかなあ、、、と思ってた。茶会の最後に照明を上げると、あ、梅の花が、、、、。私には白梅に見えたのだが、紅梅という説も白梅という説もあるらしい。墨の色はモノトーンに見えて実に多彩な色に見えるのだものなあ。
なんと、お茶会の最後の拝見に光悦の茶杓「明烏」がでてましたわよ!おくさま!(◎-◎;)!!
しかも全員手にとってさわらせていただきましたのよ!!(普通光悦会なんかでは飾ってあるだけでさわれない)
それだけでもお値打ちなのに、茶会の後は館長さんのギャラリーツアーが!
展示内容は先月行って見たばかりなのだけれど、館長さんのトークを聴きながら再度みるとまた違って見える。私もいたく気に入っていた若冲のヨッパライ鼠の墨絵(鼠の宴席におくれてきた2匹。1匹はすっかりできあがって盃をかかえていて、もう1匹がそのしっぽをひきずって宴席につれてきた、宴席の鼠も迎えている、、という場面。とてもかわいらしくユーモラスなのだ)。
館長さんは「20年前にこの絵を見て、僕は若冲さんはええ人やと確信しました。」
若冲は錦市場の商売を弟に丸投げして自分は放蕩三昧に絵を描いて結婚もしなかった変人、と思われていたけれど、最近になって錦市場の存亡の危機に立ち上がり尽力した、ということがわかってきてその人物像も描きなおされているらしい。そういうことがわかってくる以前から、ええ人だと思ってたんだって。たしかにこの絵を見ればねえ。ほんっと何回見てもかわいい。
あと光琳が燕子花を描くのに、計算すると当時とても高価だった顔料・ラピスラズリを身代つぶすくらいの量使っていたとか(ほんまに身代つぶしたけど^_^;)、若冲の実家の青物問屋がそこらへんの店と違って今でいうなら一部上場企業くらいの規模だったとか。
印象に残ったのは、源氏物語は当時の(江戸時代)の人より現代人の方がはるかによく理解している、という話。なにしろ江戸時代の人にもあの古語はむつかしすぎて町人にはまずわからなかったそうだ。われわれは現代語訳でするっと読んでいるからね、夕顔といえば源氏、若菜といえば女三宮、くらいはわかるんだ。なので江戸の町衆はよりわかりやすい「伊勢物語」に傾倒したらしい。ああ、だから琳派の絵って伊勢物語ゆかりの題材が多いんだ。(カキツバタしかり)
ただいまMOA美術館で光琳の二大国宝「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」を同時に公開しとる。ああ、行きたい、、、でもちょっと無理(泣)
もひとつ、常設展示されている金銅の春日神鹿御正体(重要文化財; 南北朝時代)、いつもスルーしてたけど、あれ実はすごい文化財らしい。時代も14世紀だし。明治初頭廃仏毀釈の折り現管長のおじいさんが入手したらしいけれど、実は流出元はあの興福寺なのは確実なんだそうな。興福寺からはそろそろ返してくれんかね、といわれているらしい(^_^;)

さて、楽しい茶会とギャラリートークのあとは地下のカフェキューブにて、三友居さんの点心をいただく。御神酒も少々いただいて、充実の3時間でありました。
(ちなみに次回の特別鑑賞会は6月、鈴木其一の「糸瓜に朝顔図」らしいですわよ)
富本憲吉展・奈良県立美術館〜依水園 - 2015.02.16 Mon
せっかく奈良に来たのだから、吹雪にもめげず奈良公園までもどる。

そうよね、これこれ。奈良に来たらこの風景見なくちゃ。

県庁裏の県立美術館では富本憲吉展やっている。なぜ富本憲吉?とおもったら、彼は奈良出身だったんですね。知らなかった。(生駒郡安堵町:法隆寺のわりと近く)

彼の作品というとポスターのように微細な幾何模様がびっしり、、、というイメージだが、実は全国の窯場をめぐっていろんな焼物の技法を身につけていたので、それだけではなかったのね。白磁もあれば染め付けもある、乾山風のもあるという感じ。
中でも九谷の技法はかなり勉強したようで影響をずいぶん受けているようだ。展示には参考として古九谷、江戸時代の復興九谷などの焼物も展示されていて、ラッキ−。
でも、やはり富本らしい陶箱の表にも裏にもびっしり繰り返し紋様が描かれている作品が一番いいな。

先月の山焼でボウズになった若草山。
写真ではあまり見えないかも知れないけれど、かなり吹雪いている。でも酔狂だから近くの依水園にも行ってみよう。

ここは国の名勝指定も受けている4000坪もある宏大な庭園ながら、みなさまあまりご存じない穴場。(4年前の秋の写真がここで見られます。)春秋はとても美しいけれど、冬枯れの景色も好きなので。

こちらは17世紀に奈良晒業者がつくった別邸の前園。池を中心に茶室や母屋が散在するコンパクトにまとめられた景色。

どうです〜?
吹雪いてるでしょう、ほんとに。

こんな日に訪れる人は皆無だろうな、と思ったら意外とミニグループツアーの方たちが茶室でお茶を召し上がっていたりする。ただし、さぶいふきっさらしの庭園は独占です。

明治になって奈良晒の業者・関家が、裏千家十二代又妙斎に依頼し作庭させた後園の庭は茶味あふれる庭。市松の敷松葉。

又妙斎がつくった茶室、清秀庵。裏千家の又隠写しの四畳半。

こちらはダイナミックな借景の庭。背景に見えているのは若草山、東大寺南大門。この景色を見ながらお茶できるのが氷心亭。

広大な庭を吹雪かれながら散策すれば、こんな四阿もあります。水車小屋だってあるんですよ。

この階段の石はどうみても奈良の古刹の柱礎石かなんかだろうな。

おお、まだ降る降る。ええかげん帰らないと風邪をひきそうだ。

ちなみに前回来たときに由来のわからなかった菊桐の紋の蹲居は、秀吉の弟、秀長(大和郡山城主)遺愛のものなんだそう。なるほど〜。

依水園から登大路へもどる。コートちょっとぬれてきた。
それでもまだ古美術店巡りなんかをして散財して帰る根性のあるわたくし(^◇^;)

来月はもうお水取りだ。
練行衆たちの別火(潔斎)もはじまったころだろう。奈良は、、、田舎だけれど愛しい場所だなあ、大好き。

そうよね、これこれ。奈良に来たらこの風景見なくちゃ。

県庁裏の県立美術館では富本憲吉展やっている。なぜ富本憲吉?とおもったら、彼は奈良出身だったんですね。知らなかった。(生駒郡安堵町:法隆寺のわりと近く)

彼の作品というとポスターのように微細な幾何模様がびっしり、、、というイメージだが、実は全国の窯場をめぐっていろんな焼物の技法を身につけていたので、それだけではなかったのね。白磁もあれば染め付けもある、乾山風のもあるという感じ。
中でも九谷の技法はかなり勉強したようで影響をずいぶん受けているようだ。展示には参考として古九谷、江戸時代の復興九谷などの焼物も展示されていて、ラッキ−。
でも、やはり富本らしい陶箱の表にも裏にもびっしり繰り返し紋様が描かれている作品が一番いいな。

先月の山焼でボウズになった若草山。
写真ではあまり見えないかも知れないけれど、かなり吹雪いている。でも酔狂だから近くの依水園にも行ってみよう。

ここは国の名勝指定も受けている4000坪もある宏大な庭園ながら、みなさまあまりご存じない穴場。(4年前の秋の写真がここで見られます。)春秋はとても美しいけれど、冬枯れの景色も好きなので。

こちらは17世紀に奈良晒業者がつくった別邸の前園。池を中心に茶室や母屋が散在するコンパクトにまとめられた景色。

どうです〜?
吹雪いてるでしょう、ほんとに。

こんな日に訪れる人は皆無だろうな、と思ったら意外とミニグループツアーの方たちが茶室でお茶を召し上がっていたりする。ただし、さぶいふきっさらしの庭園は独占です。

明治になって奈良晒の業者・関家が、裏千家十二代又妙斎に依頼し作庭させた後園の庭は茶味あふれる庭。市松の敷松葉。

又妙斎がつくった茶室、清秀庵。裏千家の又隠写しの四畳半。

こちらはダイナミックな借景の庭。背景に見えているのは若草山、東大寺南大門。この景色を見ながらお茶できるのが氷心亭。

広大な庭を吹雪かれながら散策すれば、こんな四阿もあります。水車小屋だってあるんですよ。

この階段の石はどうみても奈良の古刹の柱礎石かなんかだろうな。

おお、まだ降る降る。ええかげん帰らないと風邪をひきそうだ。

ちなみに前回来たときに由来のわからなかった菊桐の紋の蹲居は、秀吉の弟、秀長(大和郡山城主)遺愛のものなんだそう。なるほど〜。

依水園から登大路へもどる。コートちょっとぬれてきた。
それでもまだ古美術店巡りなんかをして散財して帰る根性のあるわたくし(^◇^;)

来月はもうお水取りだ。
練行衆たちの別火(潔斎)もはじまったころだろう。奈良は、、、田舎だけれど愛しい場所だなあ、大好き。
今年も雪〜第2回珠光茶会 - 2015.02.15 Sun
昨年第1回目がおこなわれた奈良の珠光茶会、シンポジウムで奈良市長は「100回までは続けたい。」とおしゃっていたが、まずは第2回目、開催おめでとうございます〜\(^O^)/
(珠光さんは奈良の称念寺ゆかりの方)

ちなみに昨年行った日は奈良市内は十数年ぶりの大雪で、こんな景色も初めて見ました。(↓昨年の東大寺大仏殿)

今年は寒いけれど大丈夫(、、でもなかったんだけれど)。
会場は春日大社、東大寺、元興寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺、大安寺、ならまちや大乗院など名だたる南都名刹が日替わりで。流派も三千家以外に石州流、遠州流も。
今年は曜日まわりがわるくて、いきたかったシンポジウムも、有馬頼底猊下が亭主をされた春日神社特別茶席にも行けなかったのが残念。宗屋さんのお話し、聞きたかったな。

この日の会場はまずは大安寺。東大寺などがある奈良公園とはかなり離れた場所にあるので初めて行く場所です。

空海が別当をつとめていたこともある古刹で、前身は大官大寺、こちらの方が有名な名前ですね。寺の歴史をさらっと読んでいたら南門の前で筒井順慶と松永久秀が戦をしたこともある場所と書いてあった。
こちらでは裏千家担当の薄茶席。
朝早かったせいもあり、寒いせいもあり、交通の便が悪いのもあり、、、で行ってすぐ入席できしかも少人数でかえって良いお席でした。

お菓子はまもなく始まるお水取りのお菓子、「糊こぼし」を作っている萬々堂さんの「つぼみ」。ちなみにお水取りの間お堂を荘厳する椿の造花・糊こぼしの銘を使えるのは萬々堂さんだけ。

ここには小間のお茶室もあるようです。
さて、主茶碗は楽の馬上杯、蓋置が馬の鞍。、、、、なぜか??

そう、ここには重文の秘仏(3月のみ公開)の馬頭観音がおられるからなんですね〜。その御堂の名前も「嘶堂(いななきどう)」。珠光茶会のお客さんに限り拝観できました。
馬頭観音というと頭に馬頭をくっつけているのが一般的だけれど、こちらのはどこをさがしても馬がないなあ、と思ってあとでガイドさんに聞くと、白鳳時代の仏像で馬頭観音の原型ということです。馬頭がつくのはもっと後世だそうです。ただし国の重文としての記録には「千手観音」となっているそうでややこしい。

大安寺の周辺はのどかな田んぼがひろがり山が見えるこんな場所です。

珠光茶会の期間はこんな会場巡回バスがでるのでありがたい。
バスに乗ったガイドさんが「茶道は表と裏と、、、あとなんやったかいなあ、そうや、オガサワラや。」とつぶやいとった(^_^; そりゃそんな流派もあるかもしれないが、普通ちがうぞ、おぢさん。それをいうなら武者小路やろ。

と、楽しく移動したのが次の会場薬師寺。ここは何回もきているし、お茶席にも入ったことあります。

この参道の両脇には春の頃、牡丹の回廊になるのですが、いまはまだかすかに新芽をみとめるのみ。

でも、梅はチラホラ2分咲きくらい。

こちらには紅梅も。

こちらのまほろば会館では遠州流の濃茶席。
なんと半東さんが流暢な日本語をしゃべる西洋人のおぢさん、家元直門だそうですよ。日本語が流暢なだけでなく、定家の歌をさらっと詠んだり、日本文化や古典について並の日本人より遥かによくご存じ。こちらがはすかしくなります。
きれいさびの遠州流のお点前はなんどか拝見したことがあるけれど、濃茶点前は初めて。遠州流では歴代家元が次々と楽しい新しいお点前を考案されるのですって。お棚も独特、今回のはしいていえば紹鷗棚に似ているかな。香合も飾れるタイプ。
お菓子は社中の和菓子屋さんがつくらはったという練り切りで「月光椿」。(月光椿は別名卜半(ぼくはん)といって唐子先の蕊が白い茶人に珍重される椿。)

お茶席を楽しんだあとは同じく薬師寺内の慈恩殿で点心をいただく。茶粥のオプションもあったけれど、よくいただいているから点心を。
ここで珠光茶会のリーフレットをもらう。2回目はがんばってるなあ。各茶席の説明や、各流派の説明、茶席の道具を書きとめるメモページもあったりして充実。

点心のお弁当が中華薬膳でボリュームもあってとってもおいしかったですわ。御製は奈良が本社の中国料理・桃谷楼さん。点心席では今年も大和茶の販売があって(宇治茶のブランドにまけてるけど、クオリティは負けてない)深蒸し茶をお買い上げ。

で、外に出たら、、、、
ふ、、吹雪いてる!
やはり珠光茶会に雪はつきもののようで(^0^;)

いけなかったけれど今年は茶事形式の特別茶会も新たに開催されたし、さて来年はまたさらにバージョンアップしてるといいな。100回は無理でも、行ける間はがんばっておつきあいいたしますわ。
(珠光さんは奈良の称念寺ゆかりの方)

ちなみに昨年行った日は奈良市内は十数年ぶりの大雪で、こんな景色も初めて見ました。(↓昨年の東大寺大仏殿)

今年は寒いけれど大丈夫(、、でもなかったんだけれど)。
会場は春日大社、東大寺、元興寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺、大安寺、ならまちや大乗院など名だたる南都名刹が日替わりで。流派も三千家以外に石州流、遠州流も。
今年は曜日まわりがわるくて、いきたかったシンポジウムも、有馬頼底猊下が亭主をされた春日神社特別茶席にも行けなかったのが残念。宗屋さんのお話し、聞きたかったな。

この日の会場はまずは大安寺。東大寺などがある奈良公園とはかなり離れた場所にあるので初めて行く場所です。

空海が別当をつとめていたこともある古刹で、前身は大官大寺、こちらの方が有名な名前ですね。寺の歴史をさらっと読んでいたら南門の前で筒井順慶と松永久秀が戦をしたこともある場所と書いてあった。
こちらでは裏千家担当の薄茶席。
朝早かったせいもあり、寒いせいもあり、交通の便が悪いのもあり、、、で行ってすぐ入席できしかも少人数でかえって良いお席でした。

お菓子はまもなく始まるお水取りのお菓子、「糊こぼし」を作っている萬々堂さんの「つぼみ」。ちなみにお水取りの間お堂を荘厳する椿の造花・糊こぼしの銘を使えるのは萬々堂さんだけ。

ここには小間のお茶室もあるようです。
さて、主茶碗は楽の馬上杯、蓋置が馬の鞍。、、、、なぜか??

そう、ここには重文の秘仏(3月のみ公開)の馬頭観音がおられるからなんですね〜。その御堂の名前も「嘶堂(いななきどう)」。珠光茶会のお客さんに限り拝観できました。
馬頭観音というと頭に馬頭をくっつけているのが一般的だけれど、こちらのはどこをさがしても馬がないなあ、と思ってあとでガイドさんに聞くと、白鳳時代の仏像で馬頭観音の原型ということです。馬頭がつくのはもっと後世だそうです。ただし国の重文としての記録には「千手観音」となっているそうでややこしい。

大安寺の周辺はのどかな田んぼがひろがり山が見えるこんな場所です。

珠光茶会の期間はこんな会場巡回バスがでるのでありがたい。
バスに乗ったガイドさんが「茶道は表と裏と、、、あとなんやったかいなあ、そうや、オガサワラや。」とつぶやいとった(^_^; そりゃそんな流派もあるかもしれないが、普通ちがうぞ、おぢさん。それをいうなら武者小路やろ。

と、楽しく移動したのが次の会場薬師寺。ここは何回もきているし、お茶席にも入ったことあります。

この参道の両脇には春の頃、牡丹の回廊になるのですが、いまはまだかすかに新芽をみとめるのみ。

でも、梅はチラホラ2分咲きくらい。

こちらには紅梅も。

こちらのまほろば会館では遠州流の濃茶席。
なんと半東さんが流暢な日本語をしゃべる西洋人のおぢさん、家元直門だそうですよ。日本語が流暢なだけでなく、定家の歌をさらっと詠んだり、日本文化や古典について並の日本人より遥かによくご存じ。こちらがはすかしくなります。
きれいさびの遠州流のお点前はなんどか拝見したことがあるけれど、濃茶点前は初めて。遠州流では歴代家元が次々と楽しい新しいお点前を考案されるのですって。お棚も独特、今回のはしいていえば紹鷗棚に似ているかな。香合も飾れるタイプ。
お菓子は社中の和菓子屋さんがつくらはったという練り切りで「月光椿」。(月光椿は別名卜半(ぼくはん)といって唐子先の蕊が白い茶人に珍重される椿。)

お茶席を楽しんだあとは同じく薬師寺内の慈恩殿で点心をいただく。茶粥のオプションもあったけれど、よくいただいているから点心を。
ここで珠光茶会のリーフレットをもらう。2回目はがんばってるなあ。各茶席の説明や、各流派の説明、茶席の道具を書きとめるメモページもあったりして充実。

点心のお弁当が中華薬膳でボリュームもあってとってもおいしかったですわ。御製は奈良が本社の中国料理・桃谷楼さん。点心席では今年も大和茶の販売があって(宇治茶のブランドにまけてるけど、クオリティは負けてない)深蒸し茶をお買い上げ。

で、外に出たら、、、、
ふ、、吹雪いてる!
やはり珠光茶会に雪はつきもののようで(^0^;)

いけなかったけれど今年は茶事形式の特別茶会も新たに開催されたし、さて来年はまたさらにバージョンアップしてるといいな。100回は無理でも、行ける間はがんばっておつきあいいたしますわ。
茶事の水屋で - 2015.02.13 Fri
いつも水屋のお手伝いをしてくれるI君の茶名拝領の茶事を彼が設計したところのうちの茶室ですることにあいなりました。
いつもこき使ってますからね、こんな時ぐらいは水屋でご恩返しを、、、、と思ったけれど、(なにをいまさら、、、ながら)水屋の仕事って意外とむつかしい。

我が家の梅の木。
朝から雨が降って露地傘もないし、露地下駄もないしどうしよう、と思っていたら茶事がはじまるころにはすっかり上がっていました。(終わったあとにまた雨になったので、I君はよほど心がけがよいようです)

今回は懐石をお弁当の点心にしたので、そのぶん労力を火と水の管理にむける。夜咄で外の腰掛け待合いにおいたところ、外におくのはモッタイナイといろいろご意見をいただき、今回は室内の待合においた火鉢。

炭セットにはいっていた着火炭なるものを使って種火もガンガンに熾したので、これは茶事が終わるまでちゃんと火が残っていた。これは成功(^_^)b
ただしいつも問題の火入れが、一勝一敗。細い火入れにいれたものは最後にほろりと灰がくずれるように燃え尽きるまでがんばりましたが、腰掛け待合いのはね、だいぶんガンガンに熾したのだけれど、途中でご臨終(T.T)むつかしいわ、火入れの灰。
灰をあらかじめぬくめておくとか、下にもう一つ炭をいれておくとか、いろいろな技は聞きましたが勝率10割にはなかなかならないもの。

腰掛け待合いの手あぶりは微妙。これも着火炭を使ってみたけれど、最後まで仄かに火はついているものの、ちっともあったかくない。これでは手あぶりの意味がありません。むつかしいものだな。

蹲居の湯桶も最初の席入りの時はいいぐあいに準備して亭主がださはったけれど、後座の席入りのどのタイミングでだしたらよいのかわからず、(後座は迎え付けなしだったので)結局お出しできないままになってしまった。
道具はご亭主が全部準備をきっちりされていたので、あまり出る幕なし。いつもやってもらっている後座の簾まきあげを初めてやったわ。(いままでしてもらうばかりで)
席中のさざめきはきこえるものの、会話の中味までは聞き取れず。でもなごやかに順調にすすんでいるらしい。今回の茶事の道具はお菓子にいたるまで、いままでI君が仕事の上で関わったたくさんの方々ゆかりのものばかり。ひとりで生きているわけではなく、多くの人とのつながり、ご縁の上に生きている、という思いをこめたよい道具組だったと思います。
![P10809173]](https://blog-imgs-75-origin.fc2.com/c/h/e/cherubinpriel/20150212220921a28.jpg)
亭主をしているときは必死でなにがなんだかわからないけど突っ走る、、、状態ですが、水屋ではじめてゆっくり障子の影が移ろっていくのを楽しむ余裕がありました。
、、、、と終わりかけは余裕かましている場合ではなく、茶事と平行してお片付け。これは得意よ。でもO型だから雑だけど(^_^;
茶事が終わりお客さまが帰られた後、お茶を一服点てていただく。ご苦労様。道具運びだしてI君撤収。よき1日でしたね。

これは玄関にI君が飾った水仙。実はこの花にも思い入れがあったと知ったのは後日でしたが、この日1日、玄関は水仙のよき香りに満ちておりました。
いつもこき使ってますからね、こんな時ぐらいは水屋でご恩返しを、、、、と思ったけれど、(なにをいまさら、、、ながら)水屋の仕事って意外とむつかしい。

我が家の梅の木。
朝から雨が降って露地傘もないし、露地下駄もないしどうしよう、と思っていたら茶事がはじまるころにはすっかり上がっていました。(終わったあとにまた雨になったので、I君はよほど心がけがよいようです)

今回は懐石をお弁当の点心にしたので、そのぶん労力を火と水の管理にむける。夜咄で外の腰掛け待合いにおいたところ、外におくのはモッタイナイといろいろご意見をいただき、今回は室内の待合においた火鉢。

炭セットにはいっていた着火炭なるものを使って種火もガンガンに熾したので、これは茶事が終わるまでちゃんと火が残っていた。これは成功(^_^)b
ただしいつも問題の火入れが、一勝一敗。細い火入れにいれたものは最後にほろりと灰がくずれるように燃え尽きるまでがんばりましたが、腰掛け待合いのはね、だいぶんガンガンに熾したのだけれど、途中でご臨終(T.T)むつかしいわ、火入れの灰。
灰をあらかじめぬくめておくとか、下にもう一つ炭をいれておくとか、いろいろな技は聞きましたが勝率10割にはなかなかならないもの。

腰掛け待合いの手あぶりは微妙。これも着火炭を使ってみたけれど、最後まで仄かに火はついているものの、ちっともあったかくない。これでは手あぶりの意味がありません。むつかしいものだな。

蹲居の湯桶も最初の席入りの時はいいぐあいに準備して亭主がださはったけれど、後座の席入りのどのタイミングでだしたらよいのかわからず、(後座は迎え付けなしだったので)結局お出しできないままになってしまった。
道具はご亭主が全部準備をきっちりされていたので、あまり出る幕なし。いつもやってもらっている後座の簾まきあげを初めてやったわ。(いままでしてもらうばかりで)
席中のさざめきはきこえるものの、会話の中味までは聞き取れず。でもなごやかに順調にすすんでいるらしい。今回の茶事の道具はお菓子にいたるまで、いままでI君が仕事の上で関わったたくさんの方々ゆかりのものばかり。ひとりで生きているわけではなく、多くの人とのつながり、ご縁の上に生きている、という思いをこめたよい道具組だったと思います。
![P10809173]](https://blog-imgs-75-origin.fc2.com/c/h/e/cherubinpriel/20150212220921a28.jpg)
亭主をしているときは必死でなにがなんだかわからないけど突っ走る、、、状態ですが、水屋ではじめてゆっくり障子の影が移ろっていくのを楽しむ余裕がありました。
、、、、と終わりかけは余裕かましている場合ではなく、茶事と平行してお片付け。これは得意よ。でもO型だから雑だけど(^_^;
茶事が終わりお客さまが帰られた後、お茶を一服点てていただく。ご苦労様。道具運びだしてI君撤収。よき1日でしたね。

これは玄関にI君が飾った水仙。実はこの花にも思い入れがあったと知ったのは後日でしたが、この日1日、玄関は水仙のよき香りに満ちておりました。
京の冬の旅2015〜頂妙寺 - 2015.02.11 Wed
今年も観光閑散期解消をねらって京の冬の旅はじまってます。
冬の京都は私好きなんです。まあ、いろいろな理由で。なので京都移住前からけっこう通ってましたから、もう何回かいった場所が多い。

でも、この頂妙寺は冬の旅初公開、しかも自宅からチャリ5分ちょっとで行けるし、自分の生活圏内でもあるので、行かない手はなかろう。
しかし頂妙寺ってなんかなじみのある名前だなあ、、、、と思っていたら、そうか!!川端二条のとこにあるのが「頂妙寺パーキング」なんだ!お寺さんの経営。その看板、学生時代からよく見てたんだわ。

門の前の東西に鴨川までのびる通りを仁王門通りといって、なじみのある名前なのだけれど、その名前がこの頂妙寺仁王門からきているとは知らんかったなあ。びっくり。
なんでも当時はこの門の前に長い参道があっておおいににぎわっておったそうな。現在は普段非公開で静かなお寺。

この仁王門には東山天皇(元禄時代)より賜った「聞法山」の扁額がかけられているのだけれど見えるかな?
その下の扁額は玄以通りに名を残す前田玄以(豊臣政権の五奉行のひとり)の「前田玄以判物」を写した扁額。(信長政権による圧迫で一時衰退した寺を、秀吉がいわば名誉回復を約した文書)

仁王門に安置された伝・運慶、快慶の多聞天。反対側には持国天がまつられています。

仁王門をくぐると表からは想像できない広い伽藍。(京都はこの手が多い)

これは日蓮上人の像。そう、ここは日蓮宗のお寺なのよ。開基は応仁の乱のころで創建当時は大伽藍だったらしい。時代の波にもまれ各所を転々としたあげく、現在のここにおちついたのは天明の大火(1673)以降だとか。
まずは本堂へ。法華経のお寺らしく、信者用に団扇太鼓がたくさん用意されていました。そういえば本阿弥光悦一族は法華経で結ばれた一族だったときいたな。光悦の血筋を引く楽吉左衛門さんとこも法華経だった。
普通お寺では真ん中にお釈迦様とか観音様とかがおられるのだが、ここでは一塔両尊四士という法華経独特の配置。(まんなかに南無妙法蓮華経と書かれた宝塔、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が一つの蓮台に乗っていて、そのまた外に4体の菩薩が安置されている)
あちこちに描かれる月星紋は初代・日祝上人が関東の名門武家・千葉氏の出身であることによる。ちなみに建仁寺両足院の紋も月星。

ところでこの頂妙寺が冬の旅初公開となったのは琳派400年と無関係ではない。その光悦が法華経だったこと、そのつながりで同時代を生きたこれも琳派の始祖・俵屋宗達、かれの絵がこのお寺にあるのです。
「牛図」二幅。前期は立っている牛、後期に臥す牛。重文です。烏丸光廣の賛あり。
どこらへんが琳派なのか、不勉強でわかりませんが、狩野派の絵とは明らかに違うのはわかる。今でこそいろんな画派をみているので、それほど画期的とも思わないが、おそらく当時としてはすごく斬新な絵画技法だったのだろうな。

他にも京都市指定文化財京都十六本山会合文書(日蓮宗の歴史みたいなもの?)を秘匿してあった複雑な構造の大きな櫃なども。

本堂から出ると寺猫?とおぼしき大きな三毛猫がたたずんでいる。

どうも猫臭いのか近寄ってきてくんかくんか匂いをかがれた。

拝観の後は斜め向かいにある仁王門うね乃をお忘れなく。もともとお出汁の花カツオを扱っている老舗、つい最近そのお出汁を使ったおうどん屋さんを開店。人気です。(でも時間外で私はアウト!(T.T) )
冬の京都は私好きなんです。まあ、いろいろな理由で。なので京都移住前からけっこう通ってましたから、もう何回かいった場所が多い。

でも、この頂妙寺は冬の旅初公開、しかも自宅からチャリ5分ちょっとで行けるし、自分の生活圏内でもあるので、行かない手はなかろう。
しかし頂妙寺ってなんかなじみのある名前だなあ、、、、と思っていたら、そうか!!川端二条のとこにあるのが「頂妙寺パーキング」なんだ!お寺さんの経営。その看板、学生時代からよく見てたんだわ。

門の前の東西に鴨川までのびる通りを仁王門通りといって、なじみのある名前なのだけれど、その名前がこの頂妙寺仁王門からきているとは知らんかったなあ。びっくり。
なんでも当時はこの門の前に長い参道があっておおいににぎわっておったそうな。現在は普段非公開で静かなお寺。

この仁王門には東山天皇(元禄時代)より賜った「聞法山」の扁額がかけられているのだけれど見えるかな?
その下の扁額は玄以通りに名を残す前田玄以(豊臣政権の五奉行のひとり)の「前田玄以判物」を写した扁額。(信長政権による圧迫で一時衰退した寺を、秀吉がいわば名誉回復を約した文書)

仁王門に安置された伝・運慶、快慶の多聞天。反対側には持国天がまつられています。

仁王門をくぐると表からは想像できない広い伽藍。(京都はこの手が多い)

これは日蓮上人の像。そう、ここは日蓮宗のお寺なのよ。開基は応仁の乱のころで創建当時は大伽藍だったらしい。時代の波にもまれ各所を転々としたあげく、現在のここにおちついたのは天明の大火(1673)以降だとか。
まずは本堂へ。法華経のお寺らしく、信者用に団扇太鼓がたくさん用意されていました。そういえば本阿弥光悦一族は法華経で結ばれた一族だったときいたな。光悦の血筋を引く楽吉左衛門さんとこも法華経だった。
普通お寺では真ん中にお釈迦様とか観音様とかがおられるのだが、ここでは一塔両尊四士という法華経独特の配置。(まんなかに南無妙法蓮華経と書かれた宝塔、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が一つの蓮台に乗っていて、そのまた外に4体の菩薩が安置されている)
あちこちに描かれる月星紋は初代・日祝上人が関東の名門武家・千葉氏の出身であることによる。ちなみに建仁寺両足院の紋も月星。

ところでこの頂妙寺が冬の旅初公開となったのは琳派400年と無関係ではない。その光悦が法華経だったこと、そのつながりで同時代を生きたこれも琳派の始祖・俵屋宗達、かれの絵がこのお寺にあるのです。
「牛図」二幅。前期は立っている牛、後期に臥す牛。重文です。烏丸光廣の賛あり。
どこらへんが琳派なのか、不勉強でわかりませんが、狩野派の絵とは明らかに違うのはわかる。今でこそいろんな画派をみているので、それほど画期的とも思わないが、おそらく当時としてはすごく斬新な絵画技法だったのだろうな。

他にも京都市指定文化財京都十六本山会合文書(日蓮宗の歴史みたいなもの?)を秘匿してあった複雑な構造の大きな櫃なども。

本堂から出ると寺猫?とおぼしき大きな三毛猫がたたずんでいる。

どうも猫臭いのか近寄ってきてくんかくんか匂いをかがれた。

拝観の後は斜め向かいにある仁王門うね乃をお忘れなく。もともとお出汁の花カツオを扱っている老舗、つい最近そのお出汁を使ったおうどん屋さんを開店。人気です。(でも時間外で私はアウト!(T.T) )
着更着雑記2015 - 2015.02.08 Sun
こぼれおちた画像をあつめて着更着(如月)の雑記。
<その1> 岡崎バードウォッチング
岡崎の疏水べりはこの季節、水を抜いてることもあって餌がとりやすいのかバードウォッチャー天国になっております。

雨の日にも関わらず餌取りに余念のない白鷺や鴨やらが。

画題になりそうな、むくむくとまるまった白鷺。このあと「見るなよ〜!」と、ガン飛ばして飛んでいってしまった。

冷たい水の中でも爆睡中の鴨さんも。あとオナガのつがいがしきりと餌をとっていたのだが、カメラをとりだしているすきに逃げて行ってしまった。

東山の方をむけば、、、、

まあ、どこにでもいる鳩ですが、こういうふうに街灯にとまっているとオブジェの様でしょ?
<その2> 大徳寺界隈〜手作り雑貨のお店

ご存じ茶人の聖地(?)紫野の大徳寺。この土塀のむこうはすぐ北大路なのに、一歩は入れば茶面(ちゃづら)のお寺です。
ちなみに京都の禅宗のお寺は、大徳寺の茶面・南禅寺の武家面・建仁寺の学問面・東福寺の伽藍面・妙心寺の算盤面・相国寺の声明面があって特徴を一語でうまくあらわしてる。

その大徳寺の近くの新大宮商店街にちょっと用事が。こんな感じで生活に密着した小売り店が並んでいるのがどことなく昭和を感じさせるわ。大きなスーパーなどこのあたりにはないようだし。

そこから北大路を堀川へ向かってあるくとなんだか素敵な匂いのする町家のお店が。

手仕事雑貨風土さん。 自然素材(土、木、鉄、布や毛糸など)の手作り雑貨のお店らしい。
ここはもと米穀屋だったという奥の深い町家の作りも必見。表の三和土の部分が広いのはお米屋さんのなごりなのね。奥の座敷もディスプレーあり。

実は以前この店の前を通ったとき、チラ見してちょっといいな、と思っていたこれをゲット。靴べらぢゃありませんよ。

このようにお茶をすくう匙なのです。キンキラの銅色ともっとくろい渋いのと色違い、素材違いもあったのだけれど、これがお気に入り。手に添うというかなじむ感じが使用感良好。眺めているだけでも作った人の手仕事のあとを楽しめてよろしいのよ。
<その3> 懸想文(?!)
節分の時だけあらわれる須賀神社の懸想文売りのことは数日前書きましたね(☆)梅の枝に懸想文(恋文)を結んで恋文代筆をする顔をかくした貴族のアルバイト。

先日の茶事の後礼のお手紙を梅一枝に結んだ懸想文形式でいただきましたのよ〜\(^O^)/ス・テ・キ☆
最近は前礼、後礼も趣向をさりげなくこらしてしてくださる方が多くて、茶人ってどうしてこう楽しい工夫が好きなのかしら、、、、とお茶をやっててヨカッタと思う昨今です。
ところでみなさま、少なくとも茶事にお招きの手紙を受け取ったら必ず前礼の手紙を、終わったら御礼の後礼を、ちゃんとしませうね!
<その4> ヤオイソのフルーサンド

こちらは四条大宮のかどっこにあるヤオイソさんです。(フルーツ屋専門店)創業120年という老舗、昨今病院のお見舞いにフルーツというのもなくなって(院内の規則だとか衛生の問題だとか)果物屋だけではなかなか商売がなりたたないケースが多いですが、ここはがんばってはります。

その数件東にあるヤオイソのパーラー。ここの人気メニュー、フルーツサンドをいちど食べたくて壬生寺節分祭のあとに寄ってみました。

店内はさいきん洛中のあちこちでみかけるキーヤンこと木村英輝さんの壁画(?)が。青蓮院のブルーロータスの襖を描いたのもこの方。
しかし、絵に文句をつけるつもりはさらさらアリマセンが、、、フルーツはやっぱり青ってあまりおいしそうにみえないのね(^_^; イチゴが青かったらちょっと、、、

で、念願のフルーツサンド!!
フルーツが大きいスペシャルの方です。イチゴのでかさが半端なく、しかもはみでているのを上手にサンドにしてあるこの技!このイチゴがとっても甘くておいしかったの。
評判通り!
おいしかった!!
<その1> 岡崎バードウォッチング
岡崎の疏水べりはこの季節、水を抜いてることもあって餌がとりやすいのかバードウォッチャー天国になっております。

雨の日にも関わらず餌取りに余念のない白鷺や鴨やらが。

画題になりそうな、むくむくとまるまった白鷺。このあと「見るなよ〜!」と、ガン飛ばして飛んでいってしまった。

冷たい水の中でも爆睡中の鴨さんも。あとオナガのつがいがしきりと餌をとっていたのだが、カメラをとりだしているすきに逃げて行ってしまった。

東山の方をむけば、、、、

まあ、どこにでもいる鳩ですが、こういうふうに街灯にとまっているとオブジェの様でしょ?
<その2> 大徳寺界隈〜手作り雑貨のお店

ご存じ茶人の聖地(?)紫野の大徳寺。この土塀のむこうはすぐ北大路なのに、一歩は入れば茶面(ちゃづら)のお寺です。
ちなみに京都の禅宗のお寺は、大徳寺の茶面・南禅寺の武家面・建仁寺の学問面・東福寺の伽藍面・妙心寺の算盤面・相国寺の声明面があって特徴を一語でうまくあらわしてる。

その大徳寺の近くの新大宮商店街にちょっと用事が。こんな感じで生活に密着した小売り店が並んでいるのがどことなく昭和を感じさせるわ。大きなスーパーなどこのあたりにはないようだし。

そこから北大路を堀川へ向かってあるくとなんだか素敵な匂いのする町家のお店が。

手仕事雑貨風土さん。 自然素材(土、木、鉄、布や毛糸など)の手作り雑貨のお店らしい。
ここはもと米穀屋だったという奥の深い町家の作りも必見。表の三和土の部分が広いのはお米屋さんのなごりなのね。奥の座敷もディスプレーあり。

実は以前この店の前を通ったとき、チラ見してちょっといいな、と思っていたこれをゲット。靴べらぢゃありませんよ。

このようにお茶をすくう匙なのです。キンキラの銅色ともっとくろい渋いのと色違い、素材違いもあったのだけれど、これがお気に入り。手に添うというかなじむ感じが使用感良好。眺めているだけでも作った人の手仕事のあとを楽しめてよろしいのよ。
<その3> 懸想文(?!)
節分の時だけあらわれる須賀神社の懸想文売りのことは数日前書きましたね(☆)梅の枝に懸想文(恋文)を結んで恋文代筆をする顔をかくした貴族のアルバイト。

先日の茶事の後礼のお手紙を梅一枝に結んだ懸想文形式でいただきましたのよ〜\(^O^)/ス・テ・キ☆
最近は前礼、後礼も趣向をさりげなくこらしてしてくださる方が多くて、茶人ってどうしてこう楽しい工夫が好きなのかしら、、、、とお茶をやっててヨカッタと思う昨今です。
ところでみなさま、少なくとも茶事にお招きの手紙を受け取ったら必ず前礼の手紙を、終わったら御礼の後礼を、ちゃんとしませうね!
<その4> ヤオイソのフルーサンド

こちらは四条大宮のかどっこにあるヤオイソさんです。(フルーツ屋専門店)創業120年という老舗、昨今病院のお見舞いにフルーツというのもなくなって(院内の規則だとか衛生の問題だとか)果物屋だけではなかなか商売がなりたたないケースが多いですが、ここはがんばってはります。

その数件東にあるヤオイソのパーラー。ここの人気メニュー、フルーツサンドをいちど食べたくて壬生寺節分祭のあとに寄ってみました。

店内はさいきん洛中のあちこちでみかけるキーヤンこと木村英輝さんの壁画(?)が。青蓮院のブルーロータスの襖を描いたのもこの方。
しかし、絵に文句をつけるつもりはさらさらアリマセンが、、、フルーツはやっぱり青ってあまりおいしそうにみえないのね(^_^; イチゴが青かったらちょっと、、、

で、念願のフルーツサンド!!
フルーツが大きいスペシャルの方です。イチゴのでかさが半端なく、しかもはみでているのを上手にサンドにしてあるこの技!このイチゴがとっても甘くておいしかったの。
評判通り!
おいしかった!!
吉田神社節分祭2015 - 2015.02.06 Fri
いよいよ真打ち、京都の表鬼門なる吉田神社の節分祭です。
なにせ吉田神社はかつて12年間氏子であって毎年いっていた神社だし、母校の構内といっていい場所にあるし、やはり私には特別。

いつもは仕事を終えて日がとっぷりと暮れてからでかけるのですが、今年は明るいうちに行けました。

なにしろ今年は23時からの火炉祭が(実質)中止になってしまったのがあまりに残念。

しかも今年から(一度もあたったことのない)豪華景品のくじ付き福豆がビニール袋になっとる!

神楽でお祓いをうける節分お化け(節分の日には自分と違う物に仮装して鬼をやりすごす、という習慣で一部花街に残っています)のひとたち。最近またふえてます、この節分お化け。

少し暮れてきてあかりがともるとまたよい風情。
で、火炉祭の実質中止ですが、京都新聞の記事によると、 いままで一般廃棄物として焼却灰を処分していたのに、京都市から飛散防止、環境への配慮などを理由に灰を袋詰めするよう求められたのだそうです。神社は灰があまりに大量なので、人手や費用の面から袋詰めは無理と判断。産業廃棄物として処分しようとしたがこれもおりあわず。で、やむなく廃止になったとか。
おかげで参拝客は激減だそうで、これは神社にとっても観光都市京都にとっても負け負けではありませんか。
ただ京都市は「袋詰めしなくても産業廃棄物として処理できる」と説明したといい、もしかしたら来年は復活できるかもという期待も。
あの猛火をみて灰をあびないと立春来た気がしないし。

さて吉田山を大元宮の方へのぼりながらまずは菓祖神社へおまいり。お菓子のルーツ、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を日本へ持ち帰った田道間守(たじまもり)を祀る神社で、お菓子にはいつもお世話になっているからね。非時香菓は橘の実といわれているので、社紋はもちろんタチバナ。

今年からこちらも豆茶が湯飲みではなく紙コップになりました。なんだかなあ。さびしい。駄菓子もいただけます。

さらに大元宮へ、参道にはびっしり露店が続く。

こちらも恒例、川端一条の松井酒造さん(学生時代の下宿のほん近く)の枡酒。今年は明るいうちなのでかわいく甘酒にしときました(^_^;)

こちら日本全国から勧請した3132座の神様がおわす大元宮。節分の時のみ公開です。

厄塚に触れて厄落とし。
節分=(ほんとうは四季全部の変わり目なんだが現在では主に)冬と春の季節の境目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを追い払うための悪霊ばらい宮中行事が形を変え民間に広がったものという。
吉田の追儺でもでてくる鬼を追い払う方相氏(四つ目の面をかぶる)はもともと宮中で厄を祓う役だったのが、後世、方相氏=鬼と混同されるようになったのだとか。このあたりの民俗学を勉強するのもおもしろいかもしれません。

さて、あなたの出身の神々は祀られていますか?私は今住んでいる山城国、出身地の備前国の神様におそなえ。

ただね、残念ながら蝦夷(北海道)と琉球(沖縄)の神様はおられないよし。

こちらも毎年いただく河道屋の年越蕎麦。まあ、年内立春だから旧暦の正月はまだなんですが。

こうして今年もまた同じ場所で同じ物をいただけるありがたさ。何歳までこうして毎年いけるかなあ、、、とにかく健康ですごしたい、と切に願う。

こちらは東一条に続く参道。ここにもびっしり露店。学生の頃に比べてかなり内容は様変わりしてますね。時代を感じるわ。

かえり道にここもテリトリーの熊野神社へもお参り。

こちらの神社も節分の日だけ(たぶん)御開帳。京都熊野三山の一つなのでやはりお使いの八咫烏が紋。

こうして節分の日には市内あちこちでこんな赤白の幔幕、燈火がともりそれはそれは夜は幻想的ですらある景色が見られるのです。こんな都市って他にはないよね。(まあ、京都人はほんま年がら年中あちこちにお参りが好きだが、特に京都人だけ御利益があるというわけではないのだが^_^;)
<BREAK>

さて、夜も更けてきた。一応新式?の火炉祭を見ておこうと、22:30ごろふたたび吉田神社へ。

境内の人は今までに比べるとはるかに少ない。危惧したとおり。

30分前に来たのにほぼ最前列の場所がとれるなんて、例年ならありえない。

どうやらここに御幣をたてるらしい。

巫女さんの鈴による古札お清め。

宮司さんが御幣に「お〜お〜、、」の警蹕の声とともに古札のspiritを移して点火。

御幣は小さいから、あっというまに燃え尽きてオシマイ。スタンバイした消防も出る幕ナシ。あちこちから若干のブーイングが聞こえたのもまあ仕方ないよね。
参考までに2年前の火炉祭の写真おいておきます。
これはほんまにすごい!顔が熱くなるくらいの猛火。厄払いがきっちりできた気がします。

来年は是非復活してほしいなあ。
これで今年の節分リポート終了。とにもかくにも春はきましたね。
なにせ吉田神社はかつて12年間氏子であって毎年いっていた神社だし、母校の構内といっていい場所にあるし、やはり私には特別。

いつもは仕事を終えて日がとっぷりと暮れてからでかけるのですが、今年は明るいうちに行けました。

なにしろ今年は23時からの火炉祭が(実質)中止になってしまったのがあまりに残念。

しかも今年から(一度もあたったことのない)豪華景品のくじ付き福豆がビニール袋になっとる!

神楽でお祓いをうける節分お化け(節分の日には自分と違う物に仮装して鬼をやりすごす、という習慣で一部花街に残っています)のひとたち。最近またふえてます、この節分お化け。

少し暮れてきてあかりがともるとまたよい風情。
で、火炉祭の実質中止ですが、京都新聞の記事によると、 いままで一般廃棄物として焼却灰を処分していたのに、京都市から飛散防止、環境への配慮などを理由に灰を袋詰めするよう求められたのだそうです。神社は灰があまりに大量なので、人手や費用の面から袋詰めは無理と判断。産業廃棄物として処分しようとしたがこれもおりあわず。で、やむなく廃止になったとか。
おかげで参拝客は激減だそうで、これは神社にとっても観光都市京都にとっても負け負けではありませんか。
ただ京都市は「袋詰めしなくても産業廃棄物として処理できる」と説明したといい、もしかしたら来年は復活できるかもという期待も。
あの猛火をみて灰をあびないと立春来た気がしないし。

さて吉田山を大元宮の方へのぼりながらまずは菓祖神社へおまいり。お菓子のルーツ、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を日本へ持ち帰った田道間守(たじまもり)を祀る神社で、お菓子にはいつもお世話になっているからね。非時香菓は橘の実といわれているので、社紋はもちろんタチバナ。

今年からこちらも豆茶が湯飲みではなく紙コップになりました。なんだかなあ。さびしい。駄菓子もいただけます。

さらに大元宮へ、参道にはびっしり露店が続く。

こちらも恒例、川端一条の松井酒造さん(学生時代の下宿のほん近く)の枡酒。今年は明るいうちなのでかわいく甘酒にしときました(^_^;)

こちら日本全国から勧請した3132座の神様がおわす大元宮。節分の時のみ公開です。

厄塚に触れて厄落とし。
節分=(ほんとうは四季全部の変わり目なんだが現在では主に)冬と春の季節の境目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを追い払うための悪霊ばらい宮中行事が形を変え民間に広がったものという。
吉田の追儺でもでてくる鬼を追い払う方相氏(四つ目の面をかぶる)はもともと宮中で厄を祓う役だったのが、後世、方相氏=鬼と混同されるようになったのだとか。このあたりの民俗学を勉強するのもおもしろいかもしれません。

さて、あなたの出身の神々は祀られていますか?私は今住んでいる山城国、出身地の備前国の神様におそなえ。

ただね、残念ながら蝦夷(北海道)と琉球(沖縄)の神様はおられないよし。

こちらも毎年いただく河道屋の年越蕎麦。まあ、年内立春だから旧暦の正月はまだなんですが。

こうして今年もまた同じ場所で同じ物をいただけるありがたさ。何歳までこうして毎年いけるかなあ、、、とにかく健康ですごしたい、と切に願う。

こちらは東一条に続く参道。ここにもびっしり露店。学生の頃に比べてかなり内容は様変わりしてますね。時代を感じるわ。

かえり道にここもテリトリーの熊野神社へもお参り。

こちらの神社も節分の日だけ(たぶん)御開帳。京都熊野三山の一つなのでやはりお使いの八咫烏が紋。

こうして節分の日には市内あちこちでこんな赤白の幔幕、燈火がともりそれはそれは夜は幻想的ですらある景色が見られるのです。こんな都市って他にはないよね。(まあ、京都人はほんま年がら年中あちこちにお参りが好きだが、特に京都人だけ御利益があるというわけではないのだが^_^;)
<BREAK>

さて、夜も更けてきた。一応新式?の火炉祭を見ておこうと、22:30ごろふたたび吉田神社へ。

境内の人は今までに比べるとはるかに少ない。危惧したとおり。

30分前に来たのにほぼ最前列の場所がとれるなんて、例年ならありえない。

どうやらここに御幣をたてるらしい。

巫女さんの鈴による古札お清め。

宮司さんが御幣に「お〜お〜、、」の警蹕の声とともに古札のspiritを移して点火。

御幣は小さいから、あっというまに燃え尽きてオシマイ。スタンバイした消防も出る幕ナシ。あちこちから若干のブーイングが聞こえたのもまあ仕方ないよね。
参考までに2年前の火炉祭の写真おいておきます。
これはほんまにすごい!顔が熱くなるくらいの猛火。厄払いがきっちりできた気がします。

来年は是非復活してほしいなあ。
これで今年の節分リポート終了。とにもかくにも春はきましたね。
須賀神社〜聖護院・節分厄払開運採燈大護摩供2015 - 2015.02.05 Thu
節分には京都中の神社仏閣が大きな所、こぢんまりした所に関わらず、節分祭をおこなうので、いそがしいったらありません。

まずはご近所の須賀神社で節分の時だけ現れる懸想文売り(貴族が昔顔をかくして恋文の代筆をしたことにちなむ)から懸想文を。

良縁のお守りですが、そちらはさておき箪笥に入れておくと着物が増えるらしいので、そちらをオネガイ。(勝手に増えてくれたらいいのだけどな〜)

ご存じない方の為に中味をご披露、こんな結び文がはいって、毎年違う文言の恋文がつづられています。今年は春馬(午年)から羊子(未年)様へ。昨年は巳代子(巳年)さんから熱烈な恋文をもらったくせに、羊子さんへ恋文をだすとは春馬さん、すみにおけませんな。
さてお向かいの五大力さんへお参りするとそのおとなりの聖護院さんにひとだかりが、、、

ちょうど折良く払開運採燈大護摩供がおこなわれているところでした。いつもは非公開ですが節分の数日だけは中に入れるのです。

聖護院といえば修験道の総本山ですから、たくさんの修行を積まれたホンモノの山伏さん勢揃い。すでに真ん中へしつらえられた護摩壇(中に古い御札とかはいっている)に火がつけられたもよう。

その前の山伏問答は聞き損ねた。山伏問答は祗園祭中役行者山でも拝聴できます。多分儀式も同じだろうと思います。こちらの方が大きいけれど。

け、、、けむいのも同じ、、、ごほごほ。これを浴びれば厄除けになるのよね。(今年は一体何回厄除けしたんやろ)

うわ〜〜、なんも見えん。

しばらくして煙がおちつくと今度は炎がごうごうと燃え上がり、修験道の導師が錫杖(?)で炉壇を清めていきます。

束になった護摩木を剣で清めて、、

護摩壇へ投入を繰り返す。
今年は吉田神社の火炉祭が火をつけなくなったので(いろいろ行政のよこやりとかナントカで)さびしいけれど、ここでお焚き上げの火をみることができてよかった。

続いて他の山伏さん達も護摩木を次々とくべていく。BGMは般若心経と太鼓。
太鼓の原始的リズムにおもわずトランス状態になりそうになるわ。

そしてとうとう儀式の終わりをつげる法螺貝。

山伏さんの退場の後、ついに護摩壇が崩れる。山伏、お坊さん、消防が入り交じって消火活動。

ほぼ消えて多少ブスブスいっているころ、中に入ることがゆるされて、みなさん燃え残りの檜(ヒバ)の枝を拾って厄除けにお持ち帰り。へたに手をつこむとまだやけどするような枝もあり要注意。

私は檜の実がついてるのをゲット。焦げ臭いともいうが、よくいえばスモーキーな良い香り。

熾火を囲んでみなさんの顔にも笑顔です。

境内の見事な紅梅のつぼみもかなりふくらんで、まさしく立春、春の気配です。

まずはご近所の須賀神社で節分の時だけ現れる懸想文売り(貴族が昔顔をかくして恋文の代筆をしたことにちなむ)から懸想文を。

良縁のお守りですが、そちらはさておき箪笥に入れておくと着物が増えるらしいので、そちらをオネガイ。(勝手に増えてくれたらいいのだけどな〜)

ご存じない方の為に中味をご披露、こんな結び文がはいって、毎年違う文言の恋文がつづられています。今年は春馬(午年)から羊子(未年)様へ。昨年は巳代子(巳年)さんから熱烈な恋文をもらったくせに、羊子さんへ恋文をだすとは春馬さん、すみにおけませんな。
さてお向かいの五大力さんへお参りするとそのおとなりの聖護院さんにひとだかりが、、、

ちょうど折良く払開運採燈大護摩供がおこなわれているところでした。いつもは非公開ですが節分の数日だけは中に入れるのです。

聖護院といえば修験道の総本山ですから、たくさんの修行を積まれたホンモノの山伏さん勢揃い。すでに真ん中へしつらえられた護摩壇(中に古い御札とかはいっている)に火がつけられたもよう。

その前の山伏問答は聞き損ねた。山伏問答は祗園祭中役行者山でも拝聴できます。多分儀式も同じだろうと思います。こちらの方が大きいけれど。

け、、、けむいのも同じ、、、ごほごほ。これを浴びれば厄除けになるのよね。(今年は一体何回厄除けしたんやろ)

うわ〜〜、なんも見えん。

しばらくして煙がおちつくと今度は炎がごうごうと燃え上がり、修験道の導師が錫杖(?)で炉壇を清めていきます。

束になった護摩木を剣で清めて、、

護摩壇へ投入を繰り返す。
今年は吉田神社の火炉祭が火をつけなくなったので(いろいろ行政のよこやりとかナントカで)さびしいけれど、ここでお焚き上げの火をみることができてよかった。

続いて他の山伏さん達も護摩木を次々とくべていく。BGMは般若心経と太鼓。
太鼓の原始的リズムにおもわずトランス状態になりそうになるわ。

そしてとうとう儀式の終わりをつげる法螺貝。

山伏さんの退場の後、ついに護摩壇が崩れる。山伏、お坊さん、消防が入り交じって消火活動。

ほぼ消えて多少ブスブスいっているころ、中に入ることがゆるされて、みなさん燃え残りの檜(ヒバ)の枝を拾って厄除けにお持ち帰り。へたに手をつこむとまだやけどするような枝もあり要注意。

私は檜の実がついてるのをゲット。焦げ臭いともいうが、よくいえばスモーキーな良い香り。

熾火を囲んでみなさんの顔にも笑顔です。

境内の見事な紅梅のつぼみもかなりふくらんで、まさしく立春、春の気配です。
壬生寺節分会2015 - 2015.02.04 Wed
明日はいよいよ立春・大吉でございます。旧暦の新年は今年は2月19日、年の明けぬ内の年内立春でございますな。
『年の内に 春は来にけり ひととせを
こぞとや言はむ 今年とや言はむ』 (古今集)
毎年お参りに行っているご近所の吉田神社が都の表鬼門だとすると、裏鬼門に当たるのが壬生寺。今年はいっちょ焙烙おさめにでかけよう。

壬生寺道のバス停をおりると目の前に四条通りに面して、式内隼神社とな。

ところが鳥居の反対側は元祗園梛神社と???

向かって左が梛神社(半分切れてごめんなさい)右が隼神社だそうで。もともとは梛神社だったところへ大正7年隼神社が引っ越ししてこられたのだとか。
いずれも創建は9世紀という由緒ある古い神社だそうで、祗園さんの八坂神社に牛頭天王を勧請するとき、この地に分霊の神輿を祀ったのだそうだから、祗園祭と同じ歴史をもつわけですね。
ここも節分の参拝客でにぎわい、古い御札のお焚き上げされてました。

これはあとで偶然通りかかった場所(少し北にいったところ)で見つけた元、隼神社のあったところ。大正年間に移転していまだに更地のままとは、、、

さてこの神社の東側の坊城通りをずんずん南下しましょう。

このあたり新撰組がかつてぶいぶいゆわしてたあたりですが、節分のころにはずらっと屋台がならびます。

新撰組の最初の屯所であった八木家の末裔であるところの和菓子の鶴屋さん。ここは壬生寺の門のすぐ脇になります。

ここらへんにくると焙烙を売っているお店がたくさん。

1枚500円。2枚奉納するとして、もう1枚はお持ち帰り。

表に奉納者の名前や年齢、裏に家内安全とか無病息災とか、、、祈願を書く。

あれこれ家族や自分のことを考えながら書く。
お店によっては達筆で書いてくれるとこもあるようです。でも私は自前で。

なんじゃ、この落書きは?(^_^; へったくそ、、、、
下のは瓢箪を描いたつもりだが、、、(瓢箪は6つ描くと六瓢=無病になる)
これを4月の壬生狂言、毎日最後のだしもの、焙烙割りで割ってもらって厄を祓うのだ。
ちなみにこんな感じね。(壬生狂言のパンフより)


律宗大本山壬生寺こと、心浄光院宝憧三昧寺。(そ、、そんな長い名前があったなんて知らんかった)

参道にある古札納め所はなんとベルトコンベアーで処理してはった!

壬生寺は普段は静かなお寺なのだが、節分の時と春と秋の壬生狂言の時はすごくにぎわう。今日もようさんお参りに来てはるわ。

こちらが焙烙納め所。焙烙割りの時にあれだけたくさん割って、足りなくなったらどうするのか心配したこともあったけれど、こんなにたくさんの奉納があれば、こりゃ大丈夫だわ。

節分の時は1時間毎に8回、壬生狂言の「節分」が演じられるのですが、1時間半待ちにめげて断念。来年は夜にこようかな。燈火の雰囲気がよさそうだから。

帰りに少し北に上って前から行ってみたかった座辺の骨董 こと、民藝骨董の幾一里さんへ立ち寄る。
、、、、はい、また散財してきました。だって好みのお宝がたくさんあるんですもの。

さて、お持ち帰りの焙烙1枚は、、、、灰器にもなるし、煙草盆にもなりそうだ。またまたくらた・たまえさんのお福さんとあわせてみた。名のみとはいえ、春やねえ。
『年の内に 春は来にけり ひととせを
こぞとや言はむ 今年とや言はむ』 (古今集)
毎年お参りに行っているご近所の吉田神社が都の表鬼門だとすると、裏鬼門に当たるのが壬生寺。今年はいっちょ焙烙おさめにでかけよう。

壬生寺道のバス停をおりると目の前に四条通りに面して、式内隼神社とな。

ところが鳥居の反対側は元祗園梛神社と???

向かって左が梛神社(半分切れてごめんなさい)右が隼神社だそうで。もともとは梛神社だったところへ大正7年隼神社が引っ越ししてこられたのだとか。
いずれも創建は9世紀という由緒ある古い神社だそうで、祗園さんの八坂神社に牛頭天王を勧請するとき、この地に分霊の神輿を祀ったのだそうだから、祗園祭と同じ歴史をもつわけですね。
ここも節分の参拝客でにぎわい、古い御札のお焚き上げされてました。

これはあとで偶然通りかかった場所(少し北にいったところ)で見つけた元、隼神社のあったところ。大正年間に移転していまだに更地のままとは、、、

さてこの神社の東側の坊城通りをずんずん南下しましょう。

このあたり新撰組がかつてぶいぶいゆわしてたあたりですが、節分のころにはずらっと屋台がならびます。

新撰組の最初の屯所であった八木家の末裔であるところの和菓子の鶴屋さん。ここは壬生寺の門のすぐ脇になります。

ここらへんにくると焙烙を売っているお店がたくさん。

1枚500円。2枚奉納するとして、もう1枚はお持ち帰り。

表に奉納者の名前や年齢、裏に家内安全とか無病息災とか、、、祈願を書く。

あれこれ家族や自分のことを考えながら書く。
お店によっては達筆で書いてくれるとこもあるようです。でも私は自前で。

なんじゃ、この落書きは?(^_^; へったくそ、、、、
下のは瓢箪を描いたつもりだが、、、(瓢箪は6つ描くと六瓢=無病になる)
これを4月の壬生狂言、毎日最後のだしもの、焙烙割りで割ってもらって厄を祓うのだ。
ちなみにこんな感じね。(壬生狂言のパンフより)


律宗大本山壬生寺こと、心浄光院宝憧三昧寺。(そ、、そんな長い名前があったなんて知らんかった)

参道にある古札納め所はなんとベルトコンベアーで処理してはった!

壬生寺は普段は静かなお寺なのだが、節分の時と春と秋の壬生狂言の時はすごくにぎわう。今日もようさんお参りに来てはるわ。

こちらが焙烙納め所。焙烙割りの時にあれだけたくさん割って、足りなくなったらどうするのか心配したこともあったけれど、こんなにたくさんの奉納があれば、こりゃ大丈夫だわ。

節分の時は1時間毎に8回、壬生狂言の「節分」が演じられるのですが、1時間半待ちにめげて断念。来年は夜にこようかな。燈火の雰囲気がよさそうだから。

帰りに少し北に上って前から行ってみたかった座辺の骨董 こと、民藝骨董の幾一里さんへ立ち寄る。
、、、、はい、また散財してきました。だって好みのお宝がたくさんあるんですもの。

さて、お持ち帰りの焙烙1枚は、、、、灰器にもなるし、煙草盆にもなりそうだ。またまたくらた・たまえさんのお福さんとあわせてみた。名のみとはいえ、春やねえ。
東寺ガラクタ市・如月2015 - 2015.02.02 Mon
毎月21日は東寺の弘法市でようさんの人で賑わうが、毎月第1日曜もガラクタ市があるのです。

早朝行かないと良い物はもうなくなるときいていたので早起きを試みるも、起きたら雪つもっていてはやくも挫折。

東山も薄化粧、どうしようかと思ったけれど遅がけながら参戦しよう。

こっちのほう(東寺は八条と九条のあいだくらい)にくると、雪はまったく積もっていなくて、ときおり陽もさすけれどやはり寒い、、、

昼前到着、もう店じまいして帰ったところもあるみたいで、完全に出遅れ。

それでもそこそこ露店はでてるし、いざ出陣!

まあ、ほんまにいろんなもの売ってはります。弘法市の時は骨董だけでなく、野菜や食料品、着物の古着屋さんもたくさん出店してるので、それにくらべると骨董中心のガラクタ市はいくぶんこぢんまり。でも茶道具探しにはこちらの方がいいかも。

万代屋釜に手取釜。いくらなんやろ?

ええ感じの石にむす苔。これどうやって庭に植えたらええのやろ?

なんだかよくわからない雑然と混沌、、、といった店もおもしろい。案外と掘り出し物があるのかもよ。

う〜〜〜ん、こんなものいったいどこから出てくるんやろう(; ̄д ̄)(ミュゾーまである←わかる人はわかる)

お、ここはほっこり癒しのコーナー。

茶壺??? 乳(紐を通すところ)が3つしかないってどういう???

鉄瓶の山の手前にキューピーさんの頭、というシュールな光景。実は買い物よりもこういうのを見るのが楽しいのだ。

ちょっとよさげな円座だが、巻き終わりのところが尻切れトンボ。(こういうひとりツッコミを入れながら見ると楽しいよ♪)

こんなさぶい日にパフェもないだろうって?もちろん食品サンプル。

ビニール袋の中は本日の戦利品。うしし。

物欲に取り憑かれた目にはまぶしい清浄なる五重塔。あれ、学生時代から実家から京都に帰るとき、新幹線から見えるランドマークなのだ。いつも「京都帰ってきた〜。」と実感する。

南大門ではコーヒー屋さんが。みぞれまじりになってきて、寒いので一杯いただいてあったまろう。

お寺の門のなかにテーブルが出てる景色もなんだかシュール。

せっかくだからこの冬特別公開中(京の冬の旅)の五重塔の中も見ていこう。前、中にはいったのはまだ京都移住前だったなあ。ちなみに国宝ですよ。

中が絢爛豪華な仏の世界、、、の重文の講堂がおすすめ。(ここは岡野玲子さんの「陰陽師・玉手匣」の中にでできます。若子(阿倍晴明の息子)が中の仏像の位置を整理して宇宙を出現させる、、というくだり)

さて、これもお約束の東寺餅を買って帰ろう。

あんこ系餅系では最高かも知れない!

早朝行かないと良い物はもうなくなるときいていたので早起きを試みるも、起きたら雪つもっていてはやくも挫折。

東山も薄化粧、どうしようかと思ったけれど遅がけながら参戦しよう。

こっちのほう(東寺は八条と九条のあいだくらい)にくると、雪はまったく積もっていなくて、ときおり陽もさすけれどやはり寒い、、、

昼前到着、もう店じまいして帰ったところもあるみたいで、完全に出遅れ。

それでもそこそこ露店はでてるし、いざ出陣!

まあ、ほんまにいろんなもの売ってはります。弘法市の時は骨董だけでなく、野菜や食料品、着物の古着屋さんもたくさん出店してるので、それにくらべると骨董中心のガラクタ市はいくぶんこぢんまり。でも茶道具探しにはこちらの方がいいかも。

万代屋釜に手取釜。いくらなんやろ?

ええ感じの石にむす苔。これどうやって庭に植えたらええのやろ?

なんだかよくわからない雑然と混沌、、、といった店もおもしろい。案外と掘り出し物があるのかもよ。

う〜〜〜ん、こんなものいったいどこから出てくるんやろう(; ̄д ̄)(ミュゾーまである←わかる人はわかる)

お、ここはほっこり癒しのコーナー。

茶壺??? 乳(紐を通すところ)が3つしかないってどういう???

鉄瓶の山の手前にキューピーさんの頭、というシュールな光景。実は買い物よりもこういうのを見るのが楽しいのだ。

ちょっとよさげな円座だが、巻き終わりのところが尻切れトンボ。(こういうひとりツッコミを入れながら見ると楽しいよ♪)

こんなさぶい日にパフェもないだろうって?もちろん食品サンプル。

ビニール袋の中は本日の戦利品。うしし。

物欲に取り憑かれた目にはまぶしい清浄なる五重塔。あれ、学生時代から実家から京都に帰るとき、新幹線から見えるランドマークなのだ。いつも「京都帰ってきた〜。」と実感する。

南大門ではコーヒー屋さんが。みぞれまじりになってきて、寒いので一杯いただいてあったまろう。

お寺の門のなかにテーブルが出てる景色もなんだかシュール。

せっかくだからこの冬特別公開中(京の冬の旅)の五重塔の中も見ていこう。前、中にはいったのはまだ京都移住前だったなあ。ちなみに国宝ですよ。

中が絢爛豪華な仏の世界、、、の重文の講堂がおすすめ。(ここは岡野玲子さんの「陰陽師・玉手匣」の中にでできます。若子(阿倍晴明の息子)が中の仏像の位置を整理して宇宙を出現させる、、というくだり)

さて、これもお約束の東寺餅を買って帰ろう。

あんこ系餅系では最高かも知れない!