「閑坐シテ雨音ヲ聴ク」〜雛の茶事 - 2015.03.07 Sat
連続して茶事へのお招きがあるということはなんとありがたく嬉しいことなのでしょう。
今回は西の方播磨国へ。到着時にはけっこうな雨降り。御連客はいつも水屋でお世話になっている茶友と、実際にお目にかかるのは初めての茶道男子。まだ茶道を習い始めて一年足らずにして、前のめりにつんのめるように茶の湯にのめりこんでいる、その勢いに圧倒される方ような方です。いや、たのもしい。

待合には箱火鉢、そしてこの藁灰に感激。ご自分で藁束を入手して作られたものなんだそうで、こうやって簡単に作れる!という方法までご伝授いただいた。(よし、今年の秋はやってみよう!)
(以下写真は我が家のもので本文とは関係ありません)

待合は広間の茶室にもなるゆったりとした座敷、以前お招きにあずかったときは風炉の季節で、建具も葦戸だったな。季節にあわせて全部入れ替えされるのはほんとにご苦労だと思う。
こちらで出されたのが染司よしおかの草木染めを使って仕立てたお座布団\(^O^)/ 冒頭の茶道男子、偶然にもよしおかさんの草木染めのバッグを携帯、やるな、おぬし、なかなか。

上手に工夫された室内の蹲居を使って席入り、これまた一部屋を上手に分割して作られたという三畳小間の茶室。床には「閑坐聴松風」。
茶室の外はだんだん強まってきた雨音が、釜の松籟よりなお大きく聞こえ、ご亭主を待つ間、閑坐して松風ならぬ雨音を聴く。釜の松風は心落ち着かせ心地良いものだが、春先の雨の音もまた然り。

ご亭主はお茶事を100回以上も(@_@;)!された方、動作がきびきびと無駄がありません。日常生活が公私にわたりお忙しいとは存じているので、茶事もまた日常生活の延長というか一部、茶の湯とは日々の生活の美的様式と解釈すれば、まさにそれの体現でありますね。

炭点前では、御連客と炉辺にあつまる。私、楽(大樋)の炉壇初めてみました。塗でも銅でもないのよ。灰がくっつかないので使いやすそう。前にも書いたが、炭の火を見るのはとても好き。人間の生理的なものではないかと思う。おそらく人間だけだよ、火を美しいと思うのは。
大きなホタテ貝の香合の内側が金箔張りになっていたので、「このご亭主ならご自分で貼ったにちがいないね。」などと冗談を言っていたら、ほんまにそうだった!(@_@;) なんでもこなしてしまわれるのね。侘び数寄茶人の鏡だわ。
懐石はお手製で、ちょっと見習いたいとおもうほどおいしいので楽しみにしている。今回汁の中に人参と大根でできた紅白の菱餅がはいっていたのには感激。懐石道具もひとつひとつ気に入って集められたもの、おしげもなく使ってくださる。煮物椀は蓋をあけると蛤の貝あわせの蒔絵、お酒は白酒にちなんだ濁り酒(これがまだ発酵中のスパークリングで、んまかった(^◇^))たくさんきこしめして、ああ、雛の節句やなあ♪。(これも楽しみだから茶事は車ではいかない。)
茶事初参戦という茶道男子も料理がでてくるたびに、料理に、器に、感動の声をあげてはる。これでまた茶道の深みにズルズルはまったな、と心中およろこび申し上げる(^_^;

小吸物の中味がなかなかわからない。この中味をあれこれ推測するのも楽しみのひとつなのだ。ギブアップ。なんと梅の花びらなんですって。風流な。
八寸にはでました!この季節播磨地方の春を告げる定番のイカナゴの釘煮。
兵庫県に住むまではしらなかったのだが、春になるとこの地方の主婦はいっせいにイカナゴの釘煮を大量に作ってはご近所に配るのだ。だからいっとき冷蔵庫の中があちこちからのいただきもののイカナゴで占領される。これを食べると、やはり春だな〜と思うわ。
お菓子は練りきりのお雛様。女性には男雛、茶道男子には女雛、それぞれペアができあがり、というわけですね。

中立後、後座、床の花は山茱萸に節分草。ご亭主の濃茶をすくう量の多いこと、茶の練り上げの豪快なこと、「男前やわ〜」とほれぼれ。
後炭の時は見事に胴炭が真っ二つに割れて拍手喝采(?)。あれ、上手く割れるとほんとに気持ちがいいですね。炭をついだので薄茶のときも最後まで湯相は衰えず、釜はよい音をたてていました。
自ら削られた茶杓もご披露いただき(銘にはにやりと笑いましたが)見事な住吉蒔絵の大棗を拝見。
住吉明神は謡曲「髙砂」ゆかり、その住吉・髙砂の相生の松の精である翁と媼の姿は、よりそって共に歳を重ねたお雛様の姿であろうかと、思いながら。
茶事がお開きになっても外はまだ雨がやわらかに降っており、それもまたよき記憶に残る茶事でありました。ありがとうございました。
今回は西の方播磨国へ。到着時にはけっこうな雨降り。御連客はいつも水屋でお世話になっている茶友と、実際にお目にかかるのは初めての茶道男子。まだ茶道を習い始めて一年足らずにして、前のめりにつんのめるように茶の湯にのめりこんでいる、その勢いに圧倒される方ような方です。いや、たのもしい。

待合には箱火鉢、そしてこの藁灰に感激。ご自分で藁束を入手して作られたものなんだそうで、こうやって簡単に作れる!という方法までご伝授いただいた。(よし、今年の秋はやってみよう!)
(以下写真は我が家のもので本文とは関係ありません)

待合は広間の茶室にもなるゆったりとした座敷、以前お招きにあずかったときは風炉の季節で、建具も葦戸だったな。季節にあわせて全部入れ替えされるのはほんとにご苦労だと思う。
こちらで出されたのが染司よしおかの草木染めを使って仕立てたお座布団\(^O^)/ 冒頭の茶道男子、偶然にもよしおかさんの草木染めのバッグを携帯、やるな、おぬし、なかなか。

上手に工夫された室内の蹲居を使って席入り、これまた一部屋を上手に分割して作られたという三畳小間の茶室。床には「閑坐聴松風」。
茶室の外はだんだん強まってきた雨音が、釜の松籟よりなお大きく聞こえ、ご亭主を待つ間、閑坐して松風ならぬ雨音を聴く。釜の松風は心落ち着かせ心地良いものだが、春先の雨の音もまた然り。

ご亭主はお茶事を100回以上も(@_@;)!された方、動作がきびきびと無駄がありません。日常生活が公私にわたりお忙しいとは存じているので、茶事もまた日常生活の延長というか一部、茶の湯とは日々の生活の美的様式と解釈すれば、まさにそれの体現でありますね。

炭点前では、御連客と炉辺にあつまる。私、楽(大樋)の炉壇初めてみました。塗でも銅でもないのよ。灰がくっつかないので使いやすそう。前にも書いたが、炭の火を見るのはとても好き。人間の生理的なものではないかと思う。おそらく人間だけだよ、火を美しいと思うのは。
大きなホタテ貝の香合の内側が金箔張りになっていたので、「このご亭主ならご自分で貼ったにちがいないね。」などと冗談を言っていたら、ほんまにそうだった!(@_@;) なんでもこなしてしまわれるのね。侘び数寄茶人の鏡だわ。
懐石はお手製で、ちょっと見習いたいとおもうほどおいしいので楽しみにしている。今回汁の中に人参と大根でできた紅白の菱餅がはいっていたのには感激。懐石道具もひとつひとつ気に入って集められたもの、おしげもなく使ってくださる。煮物椀は蓋をあけると蛤の貝あわせの蒔絵、お酒は白酒にちなんだ濁り酒(これがまだ発酵中のスパークリングで、んまかった(^◇^))たくさんきこしめして、ああ、雛の節句やなあ♪。(これも楽しみだから茶事は車ではいかない。)
茶事初参戦という茶道男子も料理がでてくるたびに、料理に、器に、感動の声をあげてはる。これでまた茶道の深みにズルズルはまったな、と心中およろこび申し上げる(^_^;

小吸物の中味がなかなかわからない。この中味をあれこれ推測するのも楽しみのひとつなのだ。ギブアップ。なんと梅の花びらなんですって。風流な。
八寸にはでました!この季節播磨地方の春を告げる定番のイカナゴの釘煮。
兵庫県に住むまではしらなかったのだが、春になるとこの地方の主婦はいっせいにイカナゴの釘煮を大量に作ってはご近所に配るのだ。だからいっとき冷蔵庫の中があちこちからのいただきもののイカナゴで占領される。これを食べると、やはり春だな〜と思うわ。
お菓子は練りきりのお雛様。女性には男雛、茶道男子には女雛、それぞれペアができあがり、というわけですね。

中立後、後座、床の花は山茱萸に節分草。ご亭主の濃茶をすくう量の多いこと、茶の練り上げの豪快なこと、「男前やわ〜」とほれぼれ。
後炭の時は見事に胴炭が真っ二つに割れて拍手喝采(?)。あれ、上手く割れるとほんとに気持ちがいいですね。炭をついだので薄茶のときも最後まで湯相は衰えず、釜はよい音をたてていました。
自ら削られた茶杓もご披露いただき(銘にはにやりと笑いましたが)見事な住吉蒔絵の大棗を拝見。
住吉明神は謡曲「髙砂」ゆかり、その住吉・髙砂の相生の松の精である翁と媼の姿は、よりそって共に歳を重ねたお雛様の姿であろうかと、思いながら。
茶事がお開きになっても外はまだ雨がやわらかに降っており、それもまたよき記憶に残る茶事でありました。ありがとうございました。