修二会2015・その3〜食作法・日中上堂 - 2015.03.16 Mon
深夜のお水取りの行法明けの朝。

昨夜の寒さがウソのような暖かさ。遠景に大仏殿の屋根を背負う桜の木々も枝が薄紅色に染まってきた。

修二会もあと2日を残すのみの二月堂。

向かいの東大寺開山・良弁(ろうべん)僧正を祀る開山堂には有名な椿、糊こぼしがある。庭には燃えたあとのお松明が飾られている。

昨夜深夜にご香水をくみ上げるためあけられた若狭井の閼伽井屋はもうすでにしんと静かにしずまっている。
くみ上げの日にはここの入り口の上に「蜂の巣」とよばれる独特の大きな御幣が飾られるのだが、これは誰が取ってもよいそうで、飾られるとすぐになくなってしまうのだそうだ。飾る時間は秘密なのだそうで、、、一度見てみたいものだな。

練行衆参籠所向かいの湯殿。ここでは練行衆の食事がつくられる。白い法衣のかたは湯屋をとりしきる駈士さんかな。

参籠所すぐ横の練行衆が上堂する通り道、北の回廊階段には今夜のお松明がすでに準備されている。

回廊階段の上。ここをあのお松明がゆっくりと登っていくのだ。

参籠宿舎。練行衆だけでなく童子たちもおこもりする。

修二会のもう一つの(個人的)お楽しみは食堂での食作法を垣間見ること、その周辺の童子さんたちの働きをみること。なので12時前には食堂の前に待機。

食事の後には練行衆はそれぞれ食事からとりわけたものを閼伽井屋の屋根に向かって投げる。この生飯(さば)は鬼神・餓鬼に供え、鳥獣に施すという意味だが、すでに施しを享受している頭の良い奴もいる(^_^;

おそらく食堂にともすお灯明の種火をはこぶ童子さん。この竹のミニ手桶、いいですね〜。

練行衆たちは南の入り口から入室される。

食堂に運び込まれるこれは湯桶かな。
食作法も勤行のひとつなのですぐに食されるわけではなく、長いお祈りのあと作法によってすすめられる。終始無言。外で耳をすませていると鐘の音や声明の声、(まだ聞いたことがないが)おかわりを求めるときに箸で机を叩く音、などなかなか味わい深い。長年かよっておられる人は声明の部分を聞いて進行状況がわかるという。

湯屋から運び込まれるおそらく汁。

重そうだ。

樽を運び出す老童子。ええ味だしておられる。このご奉仕に誇りを感じて長年たずさわって来られたのだろう。

樽や鍋を運び込むときにちらっと中に座っておられる練行衆の姿を垣間見ることができる。1日一回のみの食事、深夜(明け方)の勤行が終わり下堂するまで食べるものはおろか一滴の水も飲まないのだ。

どうやら食作法がおわったらしい。童子たちがそれぞれの練行衆の紋のついた漆塗の丸桶に食器をさげてくる。

湯桶もさがってくる。おこもりの童子さんの家族が声をかけるとふっと顔もゆるむ。このきびしい参籠もあと2日でおわりだ。

飯器もさがってくる。飯につきさしたしゃもじが独特。

長い柄杓は、童子が食事の前に三本もってくるっと回って開始の合図、1本もってくるっとまわって終了の合図となるもの。

生飯を投げ終えた練行衆が食堂の一画にある鬼子母神の前に並び、参籠所に帰っていく。この鬼子母神の前に植えられているのが鬼子母神のシンボル、石榴の木だということを今年初めて知った。

やがて日中のお勤めに上堂していかれるが、私は茶所でちょっと休憩。

今年は12日ゆえお松明を身近で見ることあたわず、お松明の燃えさしがゲットできなかった。でもここにくればあると思ってたのよ。お持ち帰り用の新聞紙もおいてある心配り。

随時補充されるので、取りそびれた方はこちらでどうぞ。燃えた杉の良い香りがする。(家人にいわせればただ焦げ臭い(-_-;))これは家に飾っておくと1〜2週間はほのかに香り気分がよい。

修二会後半のみ、火が入る二月堂の大釜。お茶と甘酒をいただく。

局の中に入るとあの独特の有名な声明「南無観 南無観 南無観、、、、」がきこえてくる。南無観自在菩薩が南無観自在になり、さらに南無観になる最後のパート。表の西の局では激しい五体投地もみることができる。

茶所の上には若狭井を献じた遠敷(おにゅう)明神を祀る神社。練行衆が参籠の初めと終わりに社参する三社のうちの一つ。

二月堂からみる大仏殿も遙かな奈良市街も春の気配だ。関西ではお水取りがすんだら春がくるといわれているがまさしくそのとおりだな。

そうこうするうちに日中の勤行がおわり、参籠所へもどられる練行衆。カラス天狗がわるさをしないように「手水〜手水〜」とよばわりながら走ってかけおりる深夜の下堂とちがって、のどかな感じ。

私も裏参道を通って帰ろう。
かくして1200年以上一度も途絶えることなく続けられた不退の行法、今年も無事おわった。
天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣、、、南無観、南無観、、、、、

昨夜の寒さがウソのような暖かさ。遠景に大仏殿の屋根を背負う桜の木々も枝が薄紅色に染まってきた。

修二会もあと2日を残すのみの二月堂。

向かいの東大寺開山・良弁(ろうべん)僧正を祀る開山堂には有名な椿、糊こぼしがある。庭には燃えたあとのお松明が飾られている。

昨夜深夜にご香水をくみ上げるためあけられた若狭井の閼伽井屋はもうすでにしんと静かにしずまっている。
くみ上げの日にはここの入り口の上に「蜂の巣」とよばれる独特の大きな御幣が飾られるのだが、これは誰が取ってもよいそうで、飾られるとすぐになくなってしまうのだそうだ。飾る時間は秘密なのだそうで、、、一度見てみたいものだな。

練行衆参籠所向かいの湯殿。ここでは練行衆の食事がつくられる。白い法衣のかたは湯屋をとりしきる駈士さんかな。

参籠所すぐ横の練行衆が上堂する通り道、北の回廊階段には今夜のお松明がすでに準備されている。

回廊階段の上。ここをあのお松明がゆっくりと登っていくのだ。

参籠宿舎。練行衆だけでなく童子たちもおこもりする。

修二会のもう一つの(個人的)お楽しみは食堂での食作法を垣間見ること、その周辺の童子さんたちの働きをみること。なので12時前には食堂の前に待機。

食事の後には練行衆はそれぞれ食事からとりわけたものを閼伽井屋の屋根に向かって投げる。この生飯(さば)は鬼神・餓鬼に供え、鳥獣に施すという意味だが、すでに施しを享受している頭の良い奴もいる(^_^;

おそらく食堂にともすお灯明の種火をはこぶ童子さん。この竹のミニ手桶、いいですね〜。

練行衆たちは南の入り口から入室される。

食堂に運び込まれるこれは湯桶かな。
食作法も勤行のひとつなのですぐに食されるわけではなく、長いお祈りのあと作法によってすすめられる。終始無言。外で耳をすませていると鐘の音や声明の声、(まだ聞いたことがないが)おかわりを求めるときに箸で机を叩く音、などなかなか味わい深い。長年かよっておられる人は声明の部分を聞いて進行状況がわかるという。

湯屋から運び込まれるおそらく汁。

重そうだ。

樽を運び出す老童子。ええ味だしておられる。このご奉仕に誇りを感じて長年たずさわって来られたのだろう。

樽や鍋を運び込むときにちらっと中に座っておられる練行衆の姿を垣間見ることができる。1日一回のみの食事、深夜(明け方)の勤行が終わり下堂するまで食べるものはおろか一滴の水も飲まないのだ。

どうやら食作法がおわったらしい。童子たちがそれぞれの練行衆の紋のついた漆塗の丸桶に食器をさげてくる。

湯桶もさがってくる。おこもりの童子さんの家族が声をかけるとふっと顔もゆるむ。このきびしい参籠もあと2日でおわりだ。

飯器もさがってくる。飯につきさしたしゃもじが独特。

長い柄杓は、童子が食事の前に三本もってくるっと回って開始の合図、1本もってくるっとまわって終了の合図となるもの。

生飯を投げ終えた練行衆が食堂の一画にある鬼子母神の前に並び、参籠所に帰っていく。この鬼子母神の前に植えられているのが鬼子母神のシンボル、石榴の木だということを今年初めて知った。

やがて日中のお勤めに上堂していかれるが、私は茶所でちょっと休憩。

今年は12日ゆえお松明を身近で見ることあたわず、お松明の燃えさしがゲットできなかった。でもここにくればあると思ってたのよ。お持ち帰り用の新聞紙もおいてある心配り。

随時補充されるので、取りそびれた方はこちらでどうぞ。燃えた杉の良い香りがする。(家人にいわせればただ焦げ臭い(-_-;))これは家に飾っておくと1〜2週間はほのかに香り気分がよい。

修二会後半のみ、火が入る二月堂の大釜。お茶と甘酒をいただく。

局の中に入るとあの独特の有名な声明「南無観 南無観 南無観、、、、」がきこえてくる。南無観自在菩薩が南無観自在になり、さらに南無観になる最後のパート。表の西の局では激しい五体投地もみることができる。

茶所の上には若狭井を献じた遠敷(おにゅう)明神を祀る神社。練行衆が参籠の初めと終わりに社参する三社のうちの一つ。

二月堂からみる大仏殿も遙かな奈良市街も春の気配だ。関西ではお水取りがすんだら春がくるといわれているがまさしくそのとおりだな。

そうこうするうちに日中の勤行がおわり、参籠所へもどられる練行衆。カラス天狗がわるさをしないように「手水〜手水〜」とよばわりながら走ってかけおりる深夜の下堂とちがって、のどかな感じ。

私も裏参道を通って帰ろう。
かくして1200年以上一度も途絶えることなく続けられた不退の行法、今年も無事おわった。
天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣、、、南無観、南無観、、、、、