西行忌茶会〜真葛が原・西行庵 - 2015.03.31 Tue
早朝6時から、真葛が原(円山公園の一画)の西行庵では西行法師にお香とお茶を手向ける朝茶があり、参加することができる。

2年前の秋、その朝茶に暗いなか起き出して参席させてもらったことがある。茶室というべきかお堂というべきか、そのなかで次第に白々あけてくる障子の外の明るさの変化を楽しみながら、西行さんの御霊へのお茶のご相伴はとても印象的だった。
今回機会があって、西行庵保存会の西行忌茶会へ参席できたのはことのほかうれしい。歌人としての西行さんも好きだし、その生き方にも興味がある。(ついNHK大河の「平清盛」の男前の西行さんを思い出してしまふ)
(西行庵の歴史は朝茶のときのブログに書いたので、ご興味があればご参照ください。)
この日は朝からのあいにくの雨だったが、かえって観光客も少なくしっとりとした春雨の風情が楽しめた。
寄付は立礼席にもなる土間、ここで御連客がそろうのを待つ。私の席はなんと4名で、とてもゆったり茶事のようになごやかに楽しめた。
ここなる掛け物は一時荒廃した西行庵を立て直した小文法師の自画像。この宮田小文さんは京洛四奇人の一人と言われたそうだが、富岡鉄斎や、裏千家の圓能斎とも親しかったという。
奥伝を文書化したことで千家と袂をわかって困窮した大日本茶道学会の田中仙樵翁をかばって援助した、という話からも彼のお人柄がわかるような気がする。弱い者、苦しんでいる者を捨てておけないのだな、きっと。

(正面は西行さんの木像をおさめる西行堂。隣接しているが、残念ながらこの建物は隣のお寺の敷地になる)
願わくば 花のもとにて 春死なん
その如月の 望月の頃
で、そのとおり陰暦2月の望月になくなった西行さん、あまりにかっこよすぎる。そして桜の花が大好きだったそうだ。
仏には 桜の花をたてまつれ
わがのちの世を 人とぶらはば
なので、各部屋にはいろいろな種類の桜が花入れに投げいれられている。
「まさにさまざま桜だね。」と。(「さまざまな こと思い出す桜かな」芭蕉。伊賀上野の紅梅屋さんの「さまざま桜」という干菓子も有名でこの時期はずせない)
最初の薄茶席は二畳台目向板、ここの桜は経筒に手向けられていたのが印象的。
もともとは水屋としての機能があったのか、丸炉をまるまる炉にいれこんだ形、上には蛭釘。こんなのは初めて見た。炉縁の四角、丸炉の丸い枠、そこにのっているのが四代道爺の宗旦好み四方釜、と丸と四角のリズミカルな見せ方がすてきだった。
なんと勝手付きの壁にじかに、柄杓をかける木釘がでているのはびっくり。これに柄杓をかけると柄杓が中にういているように見えるんだ。
個人的には八代宗哲の真塗棗がツボ。お稽古の時には「塗は八代宗哲でございます。」なんて気軽にいっているけれど、ホンモノをさわらせてもらえる機会はそんなにないから。

(となりの敷地から西行庵の露地を見る)
大徳寺真珠庵の鷹ヶ峰の下舎だった浄妙庵の広間にて瓢亭さんの点心をいただく。ちゃんと瓢亭卵もあるけれど、あれ食べるのけっこうむちかしい。つるつるすべって着物にでも落とした日には、、、、(^_^;
お酒もいただきながら、それぞれ単身でおいでになった御連客、庵主さまと話がはずむ。やはりこの庵を維持していくご苦労は並大抵ではないとお察しする。保存会ができて30年前後、最初からおいでになっている方もおられるが、ここはひとつ若い方にも参会してほしいものだと思う。(会費はややお高めながら)
床の軸:
葉隠れに 散りとどまれる 花のみぞ
忍びし人に 逢ふ心地する
忍びし人、とは許されぬ恋の相手だった待賢門院璋子さまかしら
そして主菓子まで「夜桜きんとん」(柏屋光之)。なかの餡が桜色でかすかに光る寒天の粒がいかにも円山公園の夜桜を連想させてハイグレード。

(この日の円山公園枝垂れ桜!)
いよいよお楽しみの小間(三畳+道安囲の点前座一畳)、皆如庵で濃茶を。
ここは火灯口つきの道安囲(宗貞囲とも。両者の違いは実はとてもあいまい。定説はないように思える)と茶道検定の「茶室」の章にものっていた円窓床が見所。特に床のど真ん中に丸窓があって、左の袖壁に軸を掛けるというのは独特だねえ。逆転の発想の墨蹟窓にもなってるし。
この茶室は実は朝茶の時にも入らせてもらったが、実際にお点前を拝見するのは初めて。
庵主のご子息の濃茶点前は一見藪内のによく似ている気がする。基本遠州で、石州、藪内もあわせて武士だった西行さんにふさわしい点前を考案、「円位流」流祖を名乗っておられる。男性がするにふさわしい点前とおみうけする。
勝手付きの壁には下地窓があって、亭主の姿にスポットライトの効果、さらに点前座の正面にも下地窓のある明るさ。ここらへんは織部っぽい。(この茶室をつくったのは織部の義兄弟・高山右近だったというからそうなのかも)
ふだんわれわれは濃茶はどろっとしたものだという認識だが、こちらの流派ではむしろしゃばしゃばで量もたっぷり。こんなにたくさん飲めるかいなと思ったが、これがおいしくて渋みが全然なく、するする飲めたのにはびっくりした。口当たりが小豆汁のような感じとでもいうか。
お茶も今年から直接生産農家と契約して好まれたものだという。これも銘が「奥千本」。ああ、桜の吉野やなあ。
小文法師遺愛の金繕いのある井戸脇「伊勢井戸」はおおぶりでええかんじやった。高取茶入の銘が「子寶」。昨年ほんとうに子宝にめぐまれたそうで、なんとなく子煩悩ぶりがすけてみえて好感度アップ(^_^;
香合は時代、青貝の富士見西行図。
風になびく 富士の煙の空に消えて
ゆくへもしらぬ わがおもひかな
の世界。
最後に茶杓の銘が「花散るに知る人もなし」で見事桜で締め。
(もろともにあわれとおもへ山桜 花より他に知る人もなし、、、前大僧正行尊の歌がイメージされるね)

(東山を背景に、柳の緑)
濃茶が終わった後、いちど座ってみたかった道安囲の点前座にすわらせてもらう。
最高に気持ちの良い点前座!火灯口の襖をしめると一畳のほぼ閉鎖された空間で、これ妙におちつく。ここでちょっと暮らしてみたいような。

(祗園の町角の桜)
かくして茶会もおわり、西行庵を辞する頃には雨もあがり、観光客も増えてきた。家まで咲き初めの桜をあちこちで愛でながら歩いて帰る。
これまた楽しからずや。
京都は名所に行かなくてもどこででも桜が楽しめる。

(岡崎・白川べり)
桜をめでつつ、西行さんをしのんだ春のひとひであった。

2年前の秋、その朝茶に暗いなか起き出して参席させてもらったことがある。茶室というべきかお堂というべきか、そのなかで次第に白々あけてくる障子の外の明るさの変化を楽しみながら、西行さんの御霊へのお茶のご相伴はとても印象的だった。
今回機会があって、西行庵保存会の西行忌茶会へ参席できたのはことのほかうれしい。歌人としての西行さんも好きだし、その生き方にも興味がある。(ついNHK大河の「平清盛」の男前の西行さんを思い出してしまふ)
(西行庵の歴史は朝茶のときのブログに書いたので、ご興味があればご参照ください。)
この日は朝からのあいにくの雨だったが、かえって観光客も少なくしっとりとした春雨の風情が楽しめた。
寄付は立礼席にもなる土間、ここで御連客がそろうのを待つ。私の席はなんと4名で、とてもゆったり茶事のようになごやかに楽しめた。
ここなる掛け物は一時荒廃した西行庵を立て直した小文法師の自画像。この宮田小文さんは京洛四奇人の一人と言われたそうだが、富岡鉄斎や、裏千家の圓能斎とも親しかったという。
奥伝を文書化したことで千家と袂をわかって困窮した大日本茶道学会の田中仙樵翁をかばって援助した、という話からも彼のお人柄がわかるような気がする。弱い者、苦しんでいる者を捨てておけないのだな、きっと。

(正面は西行さんの木像をおさめる西行堂。隣接しているが、残念ながらこの建物は隣のお寺の敷地になる)
願わくば 花のもとにて 春死なん
その如月の 望月の頃
で、そのとおり陰暦2月の望月になくなった西行さん、あまりにかっこよすぎる。そして桜の花が大好きだったそうだ。
仏には 桜の花をたてまつれ
わがのちの世を 人とぶらはば
なので、各部屋にはいろいろな種類の桜が花入れに投げいれられている。
「まさにさまざま桜だね。」と。(「さまざまな こと思い出す桜かな」芭蕉。伊賀上野の紅梅屋さんの「さまざま桜」という干菓子も有名でこの時期はずせない)
最初の薄茶席は二畳台目向板、ここの桜は経筒に手向けられていたのが印象的。
もともとは水屋としての機能があったのか、丸炉をまるまる炉にいれこんだ形、上には蛭釘。こんなのは初めて見た。炉縁の四角、丸炉の丸い枠、そこにのっているのが四代道爺の宗旦好み四方釜、と丸と四角のリズミカルな見せ方がすてきだった。
なんと勝手付きの壁にじかに、柄杓をかける木釘がでているのはびっくり。これに柄杓をかけると柄杓が中にういているように見えるんだ。
個人的には八代宗哲の真塗棗がツボ。お稽古の時には「塗は八代宗哲でございます。」なんて気軽にいっているけれど、ホンモノをさわらせてもらえる機会はそんなにないから。

(となりの敷地から西行庵の露地を見る)
大徳寺真珠庵の鷹ヶ峰の下舎だった浄妙庵の広間にて瓢亭さんの点心をいただく。ちゃんと瓢亭卵もあるけれど、あれ食べるのけっこうむちかしい。つるつるすべって着物にでも落とした日には、、、、(^_^;
お酒もいただきながら、それぞれ単身でおいでになった御連客、庵主さまと話がはずむ。やはりこの庵を維持していくご苦労は並大抵ではないとお察しする。保存会ができて30年前後、最初からおいでになっている方もおられるが、ここはひとつ若い方にも参会してほしいものだと思う。(会費はややお高めながら)
床の軸:
葉隠れに 散りとどまれる 花のみぞ
忍びし人に 逢ふ心地する
忍びし人、とは許されぬ恋の相手だった待賢門院璋子さまかしら

そして主菓子まで「夜桜きんとん」(柏屋光之)。なかの餡が桜色でかすかに光る寒天の粒がいかにも円山公園の夜桜を連想させてハイグレード。

(この日の円山公園枝垂れ桜!)
いよいよお楽しみの小間(三畳+道安囲の点前座一畳)、皆如庵で濃茶を。
ここは火灯口つきの道安囲(宗貞囲とも。両者の違いは実はとてもあいまい。定説はないように思える)と茶道検定の「茶室」の章にものっていた円窓床が見所。特に床のど真ん中に丸窓があって、左の袖壁に軸を掛けるというのは独特だねえ。逆転の発想の墨蹟窓にもなってるし。
この茶室は実は朝茶の時にも入らせてもらったが、実際にお点前を拝見するのは初めて。
庵主のご子息の濃茶点前は一見藪内のによく似ている気がする。基本遠州で、石州、藪内もあわせて武士だった西行さんにふさわしい点前を考案、「円位流」流祖を名乗っておられる。男性がするにふさわしい点前とおみうけする。
勝手付きの壁には下地窓があって、亭主の姿にスポットライトの効果、さらに点前座の正面にも下地窓のある明るさ。ここらへんは織部っぽい。(この茶室をつくったのは織部の義兄弟・高山右近だったというからそうなのかも)
ふだんわれわれは濃茶はどろっとしたものだという認識だが、こちらの流派ではむしろしゃばしゃばで量もたっぷり。こんなにたくさん飲めるかいなと思ったが、これがおいしくて渋みが全然なく、するする飲めたのにはびっくりした。口当たりが小豆汁のような感じとでもいうか。
お茶も今年から直接生産農家と契約して好まれたものだという。これも銘が「奥千本」。ああ、桜の吉野やなあ。
小文法師遺愛の金繕いのある井戸脇「伊勢井戸」はおおぶりでええかんじやった。高取茶入の銘が「子寶」。昨年ほんとうに子宝にめぐまれたそうで、なんとなく子煩悩ぶりがすけてみえて好感度アップ(^_^;
香合は時代、青貝の富士見西行図。
風になびく 富士の煙の空に消えて
ゆくへもしらぬ わがおもひかな
の世界。
最後に茶杓の銘が「花散るに知る人もなし」で見事桜で締め。
(もろともにあわれとおもへ山桜 花より他に知る人もなし、、、前大僧正行尊の歌がイメージされるね)

(東山を背景に、柳の緑)
濃茶が終わった後、いちど座ってみたかった道安囲の点前座にすわらせてもらう。
最高に気持ちの良い点前座!火灯口の襖をしめると一畳のほぼ閉鎖された空間で、これ妙におちつく。ここでちょっと暮らしてみたいような。

(祗園の町角の桜)
かくして茶会もおわり、西行庵を辞する頃には雨もあがり、観光客も増えてきた。家まで咲き初めの桜をあちこちで愛でながら歩いて帰る。
これまた楽しからずや。
京都は名所に行かなくてもどこででも桜が楽しめる。

(岡崎・白川べり)
桜をめでつつ、西行さんをしのんだ春のひとひであった。