皐月の伏見さんぽ - 2015.05.31 Sun
初夏ならぬ真夏日の1日ではあるが、今日はゆるりと伏見をさんぽいたすとしよう。
京阪中書島でおりて、、、、

伏見はかつて京・大坂をむすぶ水運の町であった。そのシンボルの三十石舟や十石舟。いまでは大切な観光資源だ。これはあとでのることにいたそう。

伏見は酒蔵の町でもある。まずは月桂冠大倉記念館へ。

この景色が伏見よのう。
残念ながら現在ここは酒の資料館であって、酒造りはここではされていないが。(もっと北の方では招徳酒造など、いまでも酒蔵で酒造りをしているところもまだまだある)

灘の酒は宮水、すっきりしゃんとした男酒。対して伏見の酒は伏水、やわらかい女酒といわれる。ここで伏水をいただく。

よい酒にはよい水が大量にいるのである。いっぱいいただく。たしかにやさしいやわらかい水だ。

資料館ではかつての伝統的な酒造りの道具などが展示されている。これは迫力の酒槽。ここで酒を絞るのである。大きいよ。

蔵の中の梁や準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)などもみどころ。

しかも試飲コーナーあります。昨夜飲み過ぎて酩酊、若干二日酔いなのにここで我慢すればよいものを、、、迎え酒してしまう。吟醸酒、大吟醸、プラムワイン(梅酒みたいなものね)を試飲。私はどっしり米の味のする吟醸の方が大吟醸より好きである。
ここで試飲しすぎて街角でやや酩酊気味のおっさんを見かけるのもさすが酒処伏見か(^_^;)

さて、ほろよい気分で酒蔵の町を散策いたそう。

このあたり外国人観光客の団体さんがいっぱい。伏見、意外と人気あるのやな。

大倉記念館の裏あたり、京阪のCMおけいはんのポスターにのってるのはここ。伏見夢百衆。大正時代に建てられた月桂冠本社だった建物を利用したお土産物とカフェになっている。

伏水でいれた珈琲なんかもあるらしい。

月桂冠の創業者、大倉家の本宅。文政11年(1828年)の建築なのだそうだ。

宇治川へつながる水運の道沿いに歩くと月桂冠の蔵を裏から見ることができる。
さて、いよいよ十石舟に乗ろう。

かつて伏見〜大阪を三十石舟が行き来した濠川をのんびり行く。半分以上は外国のお客さん、残りは酩酊してやかましいおっちゃんや東京からわざわざ来られた方とか、酔狂に市中から来た私とか。

舟の低い視点から見る景色もなかなか。
途中寺田屋の裏が見えたり、ここ伏見から洛中に高瀬川を開鑿した角倉了以の記念碑や、龍馬とおりょうさんのブロンズ像など。そうそう、伏見は明治維新の舞台ともなった場所だった。なので龍馬通りなどという通りもある。

もともとここらには巨椋池(四神相応でいくと南の朱雀がこの巨椋池だったという)というか湖があったのを、宇治川と分離し初めて治水工事をしたのが太閤秀吉だったという。いまでも京阪の中書島駅の中書島はこの巨椋池の中の島だったそうだ。なんで島?かと思っていたがそうだったのか。残念ながら巨椋池は昭和16年に干拓事業で姿を消した。

十石舟の折り返し点は宇治川への出口、三栖閘門。

昭和4年に造られたもの。大正年間、堤防工事により宇治川と伏見港の交通がなくなったのを解消するため造られた門。ここだけみたらヨーロッパの景色みたいだ。

さて、舟をおりたら船着き場近くの長健寺へ。水運で栄えた場所ゆえ航海の安全を守ってくれる‘島の弁天さん’と呼ばれたお寺らしい。ご本尊が弁天さん(八臂弁財天)なんや。

この中国風の門は萬福寺みたいに黄檗系?かとおもいきや、真言宗のお寺らしい。なにやら赤い壁が艶っぽい、、、と思ったらここは中書島遊郭の一部だったそうだ。(ここの宝貝お守りというのが実は××そっくりで、、、、という^_^;、、よう書かんわ)

中は静かな緑や花のきれいな境内であった。枝垂れ桜も有名なのだそうだ。

ぶらぶら散歩するにはちょうどよきスケールの町なのでまたしばしぶらぶら歩き。

そこかしこに良い感じの古い建物が残る。

こちらは黄桜カッパカントリー。酒蔵レストランで昼飯を、、と当て込んでいたが5分の差でランチ終了であった。残念。
黄桜といえばすぐに思い浮かぶ色っぽいカッパのCM,その資料館もここにはある。そういえばあれを描いておられた小島功先生が亡くなられたのは最近のことだったな。

こちらにもわき出る伏水があって、近所のおばあさんがペットボトルに汲み取ってはった。

カッパカントリーのレストランがだめだったので、伏見と言えばこれも有名な鳥料理の鳥せいでご飯にしよう。

蔵元神聖の元酒蔵だったところ。

お昼時を少しはずしたのですぐ入れた。

鶏飯ランチ。おなかいっぱいのボリューム。これで750円は安い。

さらに歩いて寺田屋へ。

寺田屋はかつて薩摩藩の定宿、幕末のころの女将・お登勢は多くの志士を助けたことで有名。だが当時の寺田屋は既に焼失したことがわかっているので、この建物はのちにできた(復元した?)ものらしい。

寺田屋と言えば坂本龍馬が急襲されて、おりょうさんが裸のまま風呂場から駆け上がり急を告げ、龍馬は九死に一生を得たというエピソードが有名だが、これがその階段、、ということらしい。
なんと現役の宿屋なので宿泊できるそうだ。
さて中書島に別れを告げて、同じ伏見区ということで行きたい茶房が一軒。

京阪墨染駅すぐ近くの椿堂茶補。以前近くの藤の森神社・あじさい祭の帰りに寄って閉まっていてがっかりしたことがある。

今日は大丈夫。奥の茶房竹聲へ。

おちついた煎茶席のような室礼。
急須でお茶をいれることが少なくなった昨今に危機感をいだき、日本茶の普及に尽力しておられることで有名なご主人は本日不在。なにしろ新茶の季節なのでお忙しいのだろう。

いろいろな産地の煎茶から、せっかくなので宇治の煎茶「雲華」を選ぶ。自分で二煎目、三煎目をいれる。お湯を適温に冷ます湯冷ましがかわいい。
室内にはレトロな時計がカチカチと時を刻む音だけが聞こえる。煎茶一服、本日の伏見めぐりをしめくくるとしよう。
京阪中書島でおりて、、、、

伏見はかつて京・大坂をむすぶ水運の町であった。そのシンボルの三十石舟や十石舟。いまでは大切な観光資源だ。これはあとでのることにいたそう。

伏見は酒蔵の町でもある。まずは月桂冠大倉記念館へ。

この景色が伏見よのう。
残念ながら現在ここは酒の資料館であって、酒造りはここではされていないが。(もっと北の方では招徳酒造など、いまでも酒蔵で酒造りをしているところもまだまだある)

灘の酒は宮水、すっきりしゃんとした男酒。対して伏見の酒は伏水、やわらかい女酒といわれる。ここで伏水をいただく。

よい酒にはよい水が大量にいるのである。いっぱいいただく。たしかにやさしいやわらかい水だ。

資料館ではかつての伝統的な酒造りの道具などが展示されている。これは迫力の酒槽。ここで酒を絞るのである。大きいよ。

蔵の中の梁や準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)などもみどころ。

しかも試飲コーナーあります。昨夜飲み過ぎて酩酊、若干二日酔いなのにここで我慢すればよいものを、、、迎え酒してしまう。吟醸酒、大吟醸、プラムワイン(梅酒みたいなものね)を試飲。私はどっしり米の味のする吟醸の方が大吟醸より好きである。
ここで試飲しすぎて街角でやや酩酊気味のおっさんを見かけるのもさすが酒処伏見か(^_^;)

さて、ほろよい気分で酒蔵の町を散策いたそう。

このあたり外国人観光客の団体さんがいっぱい。伏見、意外と人気あるのやな。

大倉記念館の裏あたり、京阪のCMおけいはんのポスターにのってるのはここ。伏見夢百衆。大正時代に建てられた月桂冠本社だった建物を利用したお土産物とカフェになっている。

伏水でいれた珈琲なんかもあるらしい。

月桂冠の創業者、大倉家の本宅。文政11年(1828年)の建築なのだそうだ。

宇治川へつながる水運の道沿いに歩くと月桂冠の蔵を裏から見ることができる。
さて、いよいよ十石舟に乗ろう。

かつて伏見〜大阪を三十石舟が行き来した濠川をのんびり行く。半分以上は外国のお客さん、残りは酩酊してやかましいおっちゃんや東京からわざわざ来られた方とか、酔狂に市中から来た私とか。

舟の低い視点から見る景色もなかなか。
途中寺田屋の裏が見えたり、ここ伏見から洛中に高瀬川を開鑿した角倉了以の記念碑や、龍馬とおりょうさんのブロンズ像など。そうそう、伏見は明治維新の舞台ともなった場所だった。なので龍馬通りなどという通りもある。

もともとここらには巨椋池(四神相応でいくと南の朱雀がこの巨椋池だったという)というか湖があったのを、宇治川と分離し初めて治水工事をしたのが太閤秀吉だったという。いまでも京阪の中書島駅の中書島はこの巨椋池の中の島だったそうだ。なんで島?かと思っていたがそうだったのか。残念ながら巨椋池は昭和16年に干拓事業で姿を消した。

十石舟の折り返し点は宇治川への出口、三栖閘門。

昭和4年に造られたもの。大正年間、堤防工事により宇治川と伏見港の交通がなくなったのを解消するため造られた門。ここだけみたらヨーロッパの景色みたいだ。

さて、舟をおりたら船着き場近くの長健寺へ。水運で栄えた場所ゆえ航海の安全を守ってくれる‘島の弁天さん’と呼ばれたお寺らしい。ご本尊が弁天さん(八臂弁財天)なんや。

この中国風の門は萬福寺みたいに黄檗系?かとおもいきや、真言宗のお寺らしい。なにやら赤い壁が艶っぽい、、、と思ったらここは中書島遊郭の一部だったそうだ。(ここの宝貝お守りというのが実は××そっくりで、、、、という^_^;、、よう書かんわ)

中は静かな緑や花のきれいな境内であった。枝垂れ桜も有名なのだそうだ。

ぶらぶら散歩するにはちょうどよきスケールの町なのでまたしばしぶらぶら歩き。

そこかしこに良い感じの古い建物が残る。

こちらは黄桜カッパカントリー。酒蔵レストランで昼飯を、、と当て込んでいたが5分の差でランチ終了であった。残念。
黄桜といえばすぐに思い浮かぶ色っぽいカッパのCM,その資料館もここにはある。そういえばあれを描いておられた小島功先生が亡くなられたのは最近のことだったな。

こちらにもわき出る伏水があって、近所のおばあさんがペットボトルに汲み取ってはった。

カッパカントリーのレストランがだめだったので、伏見と言えばこれも有名な鳥料理の鳥せいでご飯にしよう。

蔵元神聖の元酒蔵だったところ。

お昼時を少しはずしたのですぐ入れた。

鶏飯ランチ。おなかいっぱいのボリューム。これで750円は安い。

さらに歩いて寺田屋へ。

寺田屋はかつて薩摩藩の定宿、幕末のころの女将・お登勢は多くの志士を助けたことで有名。だが当時の寺田屋は既に焼失したことがわかっているので、この建物はのちにできた(復元した?)ものらしい。

寺田屋と言えば坂本龍馬が急襲されて、おりょうさんが裸のまま風呂場から駆け上がり急を告げ、龍馬は九死に一生を得たというエピソードが有名だが、これがその階段、、ということらしい。
なんと現役の宿屋なので宿泊できるそうだ。
さて中書島に別れを告げて、同じ伏見区ということで行きたい茶房が一軒。

京阪墨染駅すぐ近くの椿堂茶補。以前近くの藤の森神社・あじさい祭の帰りに寄って閉まっていてがっかりしたことがある。

今日は大丈夫。奥の茶房竹聲へ。

おちついた煎茶席のような室礼。
急須でお茶をいれることが少なくなった昨今に危機感をいだき、日本茶の普及に尽力しておられることで有名なご主人は本日不在。なにしろ新茶の季節なのでお忙しいのだろう。

いろいろな産地の煎茶から、せっかくなので宇治の煎茶「雲華」を選ぶ。自分で二煎目、三煎目をいれる。お湯を適温に冷ます湯冷ましがかわいい。
室内にはレトロな時計がカチカチと時を刻む音だけが聞こえる。煎茶一服、本日の伏見めぐりをしめくくるとしよう。
初風炉の懐石 - 2015.05.28 Thu
いつも茶事のときはイッパイイッパイで懐石の写真全然撮る余裕がないのですが、今回二回目の茶事ではちょっと余裕をかまして写真撮ってみました。
はっきり申し上げて料理は得意ではありません。なので「なんやこれ〜?」とお笑いになってもけっこう。一応記録として残しておきます(^-^)

鯛の昆布締め+加減酢。汁は合わせ味噌(山利さんの白味噌に八丁味噌はからいのでほんの少し)+生麩。

煮物椀はすりみのしんじょうより作りやすい百合根餅。なかにタケノコをいれました。ほくほくで、魚のしんじょうより好きかも〜。

焼物。1週目は鶏の桑焼きにしましたが、2週目ははしりの鱧の蒲焼きで。まだあぶらがのっていないので蒲焼きがちょうどいいかな。粉山椒をトッピング。下に敷いているのはうちの裏庭に自生したヤブミョウガの葉。これ便利なのよ。

1週目、酢の物はジュンサイにしましたが、味がいまいちだったので、、、、

2週目はもずくに。おろし生姜たっぷり。器はオールドバカラ。これを上手に使っておられた方のを見て、買いに走ったもの。
あと、懐石自作するまでは作ったことがなかった、そしていまでは得意料理に(?)なった菊菜の白和え。浄法寺塗の片口にて。

八寸はクチコとチコリにサワークリーム+胡桃。これ先日の茶事à la françaiseででたものをアレンジさせていただきました。簡単なのでとても便利な山の物。
燗鍋には菖蒲を。端午の節句物は旧暦(今年は6月20日)まで使ってよいとのことだったので。

香の物と順調に来て、懐石は無事おわりました。
またレパートリーふやさないといけないですね〜。半東なしのひとりでやるときにバタバタしないようなメニューがやはりよいです。メインはあくまでお茶なのだし、お客さんも料亭のような懐石は全然期待してないだろうし(^_^;
<おまけ>

茶事のために一日閉じ込められてちょっとご不満なシェル(猫)。
はっきり申し上げて料理は得意ではありません。なので「なんやこれ〜?」とお笑いになってもけっこう。一応記録として残しておきます(^-^)

鯛の昆布締め+加減酢。汁は合わせ味噌(山利さんの白味噌に八丁味噌はからいのでほんの少し)+生麩。

煮物椀はすりみのしんじょうより作りやすい百合根餅。なかにタケノコをいれました。ほくほくで、魚のしんじょうより好きかも〜。

焼物。1週目は鶏の桑焼きにしましたが、2週目ははしりの鱧の蒲焼きで。まだあぶらがのっていないので蒲焼きがちょうどいいかな。粉山椒をトッピング。下に敷いているのはうちの裏庭に自生したヤブミョウガの葉。これ便利なのよ。

1週目、酢の物はジュンサイにしましたが、味がいまいちだったので、、、、

2週目はもずくに。おろし生姜たっぷり。器はオールドバカラ。これを上手に使っておられた方のを見て、買いに走ったもの。
あと、懐石自作するまでは作ったことがなかった、そしていまでは得意料理に(?)なった菊菜の白和え。浄法寺塗の片口にて。

八寸はクチコとチコリにサワークリーム+胡桃。これ先日の茶事à la françaiseででたものをアレンジさせていただきました。簡単なのでとても便利な山の物。
燗鍋には菖蒲を。端午の節句物は旧暦(今年は6月20日)まで使ってよいとのことだったので。

香の物と順調に来て、懐石は無事おわりました。
またレパートリーふやさないといけないですね〜。半東なしのひとりでやるときにバタバタしないようなメニューがやはりよいです。メインはあくまでお茶なのだし、お客さんも料亭のような懐石は全然期待してないだろうし(^_^;
<おまけ>

茶事のために一日閉じ込められてちょっとご不満なシェル(猫)。
聞香付茶事〜東下り - 2015.05.26 Tue
二週連続で茶事です。五月の内にやっておかないと六月からは茶室が蒸し風呂になるのでしばらくおやすみにするのでいそいで。

今回のお客さまはいつもお世話になっている古筆のゆかりの方。お供に以前もお越しいただいた香道をたしなむお若い方と茶室の研究をしておられるこれまたお若い方。

(これは夜咄の時に行灯として使ったもの。青楓をいけて)
一応ぎりぎりセーフかな?で、東下り〜杜若(「伊勢物語」)をテーマに。待合に富士山の扇を飾りました。軸は久松真一先生の「薫風自南来」。

二週連続ともなると、懐石メニューはほぼかわらないので、ちょっと余裕。写真も撮れたので後日アップするわ。たいしたもんじゃないけど(^_^;

迎え付けのあと、いそいで濡れ釜をかける。一番最初の茶事の時、そのまま釜をかけるの忘れてお客さんに「釜かかってませんよ〜。」と声をかけられたのが懐かしい。それがあるからもう二度と忘れんぞ。

香合は鵬雲斎大宗匠お好みの冠香合。やはり在原業平といえばこれよね。テーマに能の「杜若」をしのばせる。杜若の精が、透額の冠をかぶり輝く衣をまとい太刀を佩き、音曲の菩薩の化身となって舞う、、、というもの。

炭手前の前に香道男子に香を焚いてもらう。奮発して伽羅をご用意いたしました。(ただし香炭の熱がいまいちだった、、、)

香包みは自作。

香木はこんなに小さいです。香箸の扱いをまちがうと、どこかに飛んでいきそう、、、。
末席にてお相伴聞香。そのうちどこかで香道の会もやりたいね〜と盛り上がる。是非是非。

主菓子は西陣愛信堂さんに杜若の花じゃない意匠の「唐衣」をつくってほしいとお願い。(もちろんご存じ「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」から)
このお菓子は先週の茶事の時の物で「杜若襲・唐衣巻」
一週間おくれて今度は、、、、

「卯の花襲・唐衣巻」!
なんとまあ、芸の細かい!一つ季節がすすんだわけですね。

中立の後の後座の花。
先週花所望ですばらしい花を見たばかりで、どんなふうにいれてもおはずかしいわ(>_<) 鼓胴はこれも音曲の菩薩にかけてみたけど。

今回の濃茶も、寒冷紗ではなく葦簀と藁で遮光した碾茶から作った濃茶「桐壺」(香廬庵茶補)。これはほんにまろやかでおいしいお茶です。

後炭は初炭で切った月形を藤灰で埋める。風炉の後炭もなかなかええよ。続き薄ばかりでなくて後炭も是非。

からころも、、、の歌がよまれたという三河国の八つ橋。なのでほんものの八つ橋を干菓子に。
八つ橋といえばオリジナルはやはりこの固い焼いたニッキ味よ、生八つ橋ではなくて。西尾製。その他の干菓子はこちらもおなじみ亀廣保さん。

聞香にちなみ源氏香の帯にしてみました。左下がややおくればせながら「葵」。
お正客さんとは同い年ですが、お相伴の方々は二十代の若者、若い方がきてくださるのはほんにうれしいですねえ。リラックスして楽しんでいただけたようでなにより。
お正客さんにはさらに久松先生ゆかりの方のお茶碗を拝領し、心○会のOBとして嬉しい限りでした。

茶事も終わり、縁側で独座観念。片付けもほぼ終わった頃に空をみると三日か四日の月。このあとさらに近くの白川までホタルを見に行ったりして、じつにすがすがしい新緑の候の夕べでありました。

今回のお客さまはいつもお世話になっている古筆のゆかりの方。お供に以前もお越しいただいた香道をたしなむお若い方と茶室の研究をしておられるこれまたお若い方。

(これは夜咄の時に行灯として使ったもの。青楓をいけて)
一応ぎりぎりセーフかな?で、東下り〜杜若(「伊勢物語」)をテーマに。待合に富士山の扇を飾りました。軸は久松真一先生の「薫風自南来」。

二週連続ともなると、懐石メニューはほぼかわらないので、ちょっと余裕。写真も撮れたので後日アップするわ。たいしたもんじゃないけど(^_^;

迎え付けのあと、いそいで濡れ釜をかける。一番最初の茶事の時、そのまま釜をかけるの忘れてお客さんに「釜かかってませんよ〜。」と声をかけられたのが懐かしい。それがあるからもう二度と忘れんぞ。

香合は鵬雲斎大宗匠お好みの冠香合。やはり在原業平といえばこれよね。テーマに能の「杜若」をしのばせる。杜若の精が、透額の冠をかぶり輝く衣をまとい太刀を佩き、音曲の菩薩の化身となって舞う、、、というもの。

炭手前の前に香道男子に香を焚いてもらう。奮発して伽羅をご用意いたしました。(ただし香炭の熱がいまいちだった、、、)

香包みは自作。

香木はこんなに小さいです。香箸の扱いをまちがうと、どこかに飛んでいきそう、、、。
末席にてお相伴聞香。そのうちどこかで香道の会もやりたいね〜と盛り上がる。是非是非。

主菓子は西陣愛信堂さんに杜若の花じゃない意匠の「唐衣」をつくってほしいとお願い。(もちろんご存じ「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」から)
このお菓子は先週の茶事の時の物で「杜若襲・唐衣巻」
一週間おくれて今度は、、、、

「卯の花襲・唐衣巻」!
なんとまあ、芸の細かい!一つ季節がすすんだわけですね。

中立の後の後座の花。
先週花所望ですばらしい花を見たばかりで、どんなふうにいれてもおはずかしいわ(>_<) 鼓胴はこれも音曲の菩薩にかけてみたけど。

今回の濃茶も、寒冷紗ではなく葦簀と藁で遮光した碾茶から作った濃茶「桐壺」(香廬庵茶補)。これはほんにまろやかでおいしいお茶です。

後炭は初炭で切った月形を藤灰で埋める。風炉の後炭もなかなかええよ。続き薄ばかりでなくて後炭も是非。

からころも、、、の歌がよまれたという三河国の八つ橋。なのでほんものの八つ橋を干菓子に。
八つ橋といえばオリジナルはやはりこの固い焼いたニッキ味よ、生八つ橋ではなくて。西尾製。その他の干菓子はこちらもおなじみ亀廣保さん。

聞香にちなみ源氏香の帯にしてみました。左下がややおくればせながら「葵」。
お正客さんとは同い年ですが、お相伴の方々は二十代の若者、若い方がきてくださるのはほんにうれしいですねえ。リラックスして楽しんでいただけたようでなにより。
お正客さんにはさらに久松先生ゆかりの方のお茶碗を拝領し、心○会のOBとして嬉しい限りでした。

茶事も終わり、縁側で独座観念。片付けもほぼ終わった頃に空をみると三日か四日の月。このあとさらに近くの白川までホタルを見に行ったりして、じつにすがすがしい新緑の候の夕べでありました。
野村美術館講座〜「縁側から庭へ〜フランス人が見た日本の庭」 - 2015.05.24 Sun

細川様のお屋敷前の猩々紅葉が今年も真っ赤です。ここはいつもの野村美術館へ行く道。
本日の講座のお題は「縁側から庭へ〜フランス人が見た日本の庭」。
講師のエマニュエル・マレスさんは10数年前に留学来日し、京都で日本庭園史の研究者として暮らすプロバンスはニーム市出身の男性。現在は洛北地球研に所属されています。バッグパックを背負ってひょいひょい歩かれる姿は、外国人観光客そのものですが(^_^;実はそこらの日本人以上に日本庭園についての碩学です。
最初に日本の主に寺院の庭園を見て歩いたときは、全くの観光客としておとずれ、知識ではなく五感で感動した幸せな時代だったとか。

(碧雲荘わきの疏水分線)
その次に夏目漱石の小説での「縁側」の使われ方に興味を持ち、「縁側の研究」を始められた。縁側=家の外と内とをつなぐあいまいな空間、、、いまだにどういう研究なのか私にはようわかりませんが(^_^;
そして「縁側」を求めて来日。ところが現在の日本の住宅事情は、、、いまどき縁側のあるお家はほとんどないですものね〜。唯一かならず縁側があるのがお寺だったそうで、しばし寺院の縁側にたたずみ、そこから今度は日本庭園に興味をもたれたのですって。
いままでの庭園の図では庭自体の図面はあるが、借景などは記載がないので、借景(比叡山など)もスケールにいれた断面図の制作や、比叡山の借景としての取り込み方、遠近法(狭い場所に奥行きを持たせるため手前に大きな石をおく、など)、逆遠近法(手前に小さい物を配し、遠景を近くにみせる、など)などなどの研究をされたそうです。(すみません。くわしくはようわからん、、、^_^;)
同じ景色を見ても、私なぞはぼ〜っと眺めてええなと思っているだけでシアワセだが、そこまでいろいろ考察しながら庭を見るのも人によっては楽しいのでしょうねえ、、、(^_^;

つぎに彼はそこからなんと庭師さんに弟子入りして庭師見習いを数年やったというから、はんぱではありません。主に奈良の普段ははいれないような庭園の作業にたずさわったそうです。今西家書院や矢田寺など、それはある意味うらやましい。
そこで松の木一本の手入れも、なるたけ自然のまま大きく育てるフランス方式と、手間を掛けて枝振りを整えていく日本方式の違いに驚いたそうです。ごつい作業用ブーツにヘルメットのフランス式装備と、地下足袋に手ぬぐいかぶりだけの日本式装備の違いにも。(地下足袋!あれはええね)
ヨーロッパの庭園はシンメトリーを旨とし、徹底的に人工的に手をかけていて、日本庭園はその対照にあると思っていたけれど、一見自然に見える日本庭園もどれだけみえないところで手をかけているか考えると、基本はそれほど変わりはないのかもしれない。

(インクライン)
さらに研究はすすんでどうやら彼は、武将であり建築家であり茶人であり、そして偉大な作庭家でもあった小堀遠州にとても興味をもたれているようです。地球研のセミナーでもそれやってたし。
小堀遠州の庭ははっきりしている〜あるいはたぶんそうだろう(両説あるようだ)というものが実は10個しかないのね。これは意外だと。
小堀遠州の庭について、対照的な二人の日本人研究者の対比をしつつ写真を交えてお話しを聞きました。
方や学究肌で作庭家としてはあまり有名でない森蘊(おさむ)、方や研究家としてはそれほど評価高くないが作庭が有名な重森三玲。
前者は桂離宮は遠州の作ではないといい、後者は遠州のものだという。
前者は遠州の庭を自然と順応するといい、後者は自然を凌駕し作為が勝つという。
そしてそれぞれの主張はそれぞれの作った庭と同じテイストだと。なるほどね。
子供の頃、日本に関する情報がほとんどないなかで、たまたまはじめた日本語の学習がとうとう彼を日本にひきよせここまでの日本庭園研究家にするとは、一体どういうご縁なのかと思う。それは私たちの人生にもあることで、たまたま京都で学生するからお茶でも習っとくか、と思ったことが現在のふたたび京都にまいもどってお茶漬け(食べるおちゃづけとちがうよ)生活につながるとは自分も想像しなかったように。
そして印象に残った言葉。
「縁というのはとても不思議な言葉。日本人はご縁で、、、というと理屈はなくてもみんなそれで納得する、というのが不思議だった。」
確かに欧米にはない観念かもしれない。でもご縁で、という言葉は好きだな。運命、、ともまた違う感じ。感謝の気持ちがこもっているような。
今日このフランスの地方都市からやってきたエマニュエルさんのお話しを京都で聞くことができたのも、これも「ご縁」といわずしてなんであろう。
初風炉茶事雑記 - 2015.05.22 Fri
ちょっとした茶事のこぼれ話をいくつか。

とりいだしましたるこれは由緒正しき丹頂の羽根。なにが由緒正しいかというと岡山の後楽園で飼われている丹頂鶴なので。世が世なら、池田の殿様お手飼いの鶴ですのよ〜。岡山の実家に帰ったときさる筋を通してゲット。
以前1枚400円の木管楽器の湿りとり羽根で羽根を作ったのに味をしめて、第二弾手作り羽根!

右がその完成品。ちなみに左は市販のもの。ちと大きいが、右羽なので風炉にしか使えないのよ。前のもそうだったけれど、畳におくとまっすぐにならないのが悩みのタネ。まあ、いいか。
茶友より「マンダム」の銘をちょうだいしました。なぜか???
整髪料会社マンダムの旧名「丹頂」からなんだと\(◎o◎)/!
これある程度の年齢の人しかわからない話ね(^_^;

蹲居の掃除をしていると、すぐそばにたくさん増えてきたユキノシタがちょうど花の季節。「大」の字みたいな花がかわいい。ユキノシタの葉っぱは煎じると乳腺炎の薬というか湿布になるという話をきいたがどういうメカニズムだろう???

紅葉の大木がますます葉を伸ばしてきて最近では自然の中門になっている。背の高いお客さまの多い昨今、「頭上注意」のおことわりをいつも言わなければならない。

こちらは白雪芥子の花が終わったあとの葉っぱ。なかなか茶花にしようと思っても、その時ジャストに咲かないのが、茶花を育てる難しさだなあ。

この花はちっちゃいちっちゃい。茶花にはどうか?名前がわからんが、、、、。

いままで席入りしていただくときの芳名録、筆ペンで書いていただいてたが、やはり硯と筆よのう、、、とゲットした硯。
故・全日根さんの陶硯だ。烏丸仏光寺あたりの木と根さんで見つけて連れて帰った。

鳩居堂で墨と筆を買って完璧。あとは習字の腕がなあ、、、、、

とりいだしましたるこれは由緒正しき丹頂の羽根。なにが由緒正しいかというと岡山の後楽園で飼われている丹頂鶴なので。世が世なら、池田の殿様お手飼いの鶴ですのよ〜。岡山の実家に帰ったときさる筋を通してゲット。
以前1枚400円の木管楽器の湿りとり羽根で羽根を作ったのに味をしめて、第二弾手作り羽根!

右がその完成品。ちなみに左は市販のもの。ちと大きいが、右羽なので風炉にしか使えないのよ。前のもそうだったけれど、畳におくとまっすぐにならないのが悩みのタネ。まあ、いいか。
茶友より「マンダム」の銘をちょうだいしました。なぜか???
整髪料会社マンダムの旧名「丹頂」からなんだと\(◎o◎)/!
これある程度の年齢の人しかわからない話ね(^_^;

蹲居の掃除をしていると、すぐそばにたくさん増えてきたユキノシタがちょうど花の季節。「大」の字みたいな花がかわいい。ユキノシタの葉っぱは煎じると乳腺炎の薬というか湿布になるという話をきいたがどういうメカニズムだろう???

紅葉の大木がますます葉を伸ばしてきて最近では自然の中門になっている。背の高いお客さまの多い昨今、「頭上注意」のおことわりをいつも言わなければならない。

こちらは白雪芥子の花が終わったあとの葉っぱ。なかなか茶花にしようと思っても、その時ジャストに咲かないのが、茶花を育てる難しさだなあ。

この花はちっちゃいちっちゃい。茶花にはどうか?名前がわからんが、、、、。

いままで席入りしていただくときの芳名録、筆ペンで書いていただいてたが、やはり硯と筆よのう、、、とゲットした硯。
故・全日根さんの陶硯だ。烏丸仏光寺あたりの木と根さんで見つけて連れて帰った。

鳩居堂で墨と筆を買って完璧。あとは習字の腕がなあ、、、、、
初風炉〜花所望 - 2015.05.19 Tue
我が家の露地もすっかり翠したたる、、、季節になりました。

今年の初風炉の茶事にとてもすてきな三人のお客人をお招きしました。

(塵穴)
以前茶事におよびいただいた時、あまりの道具の凄さ、知識教養の深さ、露地茶室邸宅の凄さにひっくり返りそうになった、という数寄者の方がお正客でしたので、まあ対等な試合ははなから無理でございます。
でも、初心者も大数寄者も茶の湯の席では平等と、固く信じて久松真一先生の「随所作主」の軸をかけ、「主」を貫き通せますようにと願をかけます。

これはニセ塵穴。ほんとうは青葉を切っていれるのですが、この羊歯は穴から生えてきている枯れない青葉ですのよ〜(^0^;)

灰型は前日に。まあ細かいところはスルーして、目をほそめて見ていただければ(^_^;
炉の季節は初炭のあと懐石があるので、たいがい釜の湯はちゃんとわくし、種火が消えることもないのですが、風炉の季節は懐石のあと初炭となるので、懐石中に種火が燃え尽きたり湯がわかなかったりするのは経験済み。なので種火の他に2〜3本丸ぎっちょを追加しておきます。(これも先輩方におそわった)おかげで初炭までなんとか持ちました。
今回も懐石手作り、これが一番の茶事のストレスなのよね、私の場合。何年主婦やってんだか。うちは台所と茶室が遠いので、走り回って息切れをお客さまに指摘されるなど、お恥ずかしい。茶室の前で息を整える余裕はほしいわね。今回若いAちゃんがはじめて水屋を手伝ってくれたので大助かりです。

そして今回の茶事のメインイベントはお正客をお招きするときから「花所望」と決めていました。
なぜならお正客さんは茶花のほとんどプロなのです。ほぼ毎日花を摘みに行ってはたくさんの花入に生けるのが日常茶飯の方なのです。その方の前でなんで私のつたない花がご披露できましょうや。いや、というより、是非そのすご技をライブで拝見したい!という強い思いがありまして。
花をどうしようかと迷っていましたが、以前ご近所にすんでいらした茶友のA様の話を思い出し、そのご近所の花屋さんに聞いてみると、ちゃんと花所望できるくらいご用意できます、とのうれしい返事。
そして12種の花を用意してくれました。しかもと〜ってもうれしいお値段で。「冬は椿がはいるからちょっと高うなるけどな。」とおっしゃる。いえいえ、こちらが想定していた値段のほぼ半分でしたので、冬もお願いしよう。

花は
ショウマ、笹百合、姫リョウブ、鉄線、芍薬、鳴子百合、利休草、都忘れ、丁字草、河原撫子、シモツケ、シラン(写真は花をいれたあとなので全部は写ってません)
花台は菜を干したりする大きな笊を。花入は鼓胴、唐金の釣船、芭蕉籠(これ柱に吊るつもりが直前に吊り輪が壊れた、、、)

後座の最初、花所望にてお正客はほぼ迷うことなく花と花入れを決められ、5分くらいですべて完成されたのがこちら。
す、、すばらしい。
やはり花所望をお願いしてよかった、、、(*^_^*)
花入と花は互いにひかれあうものがあるとおっしゃる。それで主の花を決めてあとはバランスのとれたとりあわせを。茶花のミニレクチャーもいただいたのもうれしい。さりとてすぐマネができるわけではありませんが。

吊花入には鉄線と姫リョウブ。
座った位置からみると絶妙の鉄線の垂れ具合。

笹百合はお一人様で鼓胴におさまり凜としたたたずまい。

丁字草、利休草、シモツケ。それぞれの葉先を結ぶと黄金律っぽい三角形。これが瞬時にいけられたものとは、、、
(しかも後日、それぞれの花にちなんだ歌も頂戴いたしました。これがほんまの数寄の道やねえ、、、)

お花そのままで濃茶は無事に練り上げ、薄茶は風炉を移動し釜を鉄瓶に代えて大茶箱(籠)点前(全くの我流)を。水屋さんにもはいっていただき、会話がはずみました。
お正客さんは道具に関してはほんとによくご存じなので、自分の道具の解説を拝聴して改めてわが道具ながら見る目がかわったわ。
お次客さんは座をとても華やかにしてくださるお話し上手。
お詰めさんはセミプロの陶芸家さんなので、茶碗への感想がとても興味深かった。
ほんによう来てくださったことと感謝いたします。

独座観念は縁側で拝領したお詰めさん作の井戸茶碗で。青井戸かな。信楽に窯を自作されて鋭意創作中のまさんど窯の井戸を一つ手に入れました(^-^)

今回、これこそ亭主冥利につきる、と実感したことがありました。
席入りされるお客さんの様子を水屋の襖越しにうかがっていると、「ほ〜、これは○○や」「これは△△しよったんやな」などの声が聞こえたのです。これを聞くためにお客さん招いているのかも、と思います。
だからこれから自分が招かれたら席入りの時、思いっきり聞こえるように感心したことは声にだそう、そう思ったのでした。

今年の初風炉の茶事にとてもすてきな三人のお客人をお招きしました。

(塵穴)
以前茶事におよびいただいた時、あまりの道具の凄さ、知識教養の深さ、露地茶室邸宅の凄さにひっくり返りそうになった、という数寄者の方がお正客でしたので、まあ対等な試合ははなから無理でございます。
でも、初心者も大数寄者も茶の湯の席では平等と、固く信じて久松真一先生の「随所作主」の軸をかけ、「主」を貫き通せますようにと願をかけます。

これはニセ塵穴。ほんとうは青葉を切っていれるのですが、この羊歯は穴から生えてきている枯れない青葉ですのよ〜(^0^;)

灰型は前日に。まあ細かいところはスルーして、目をほそめて見ていただければ(^_^;
炉の季節は初炭のあと懐石があるので、たいがい釜の湯はちゃんとわくし、種火が消えることもないのですが、風炉の季節は懐石のあと初炭となるので、懐石中に種火が燃え尽きたり湯がわかなかったりするのは経験済み。なので種火の他に2〜3本丸ぎっちょを追加しておきます。(これも先輩方におそわった)おかげで初炭までなんとか持ちました。
今回も懐石手作り、これが一番の茶事のストレスなのよね、私の場合。何年主婦やってんだか。うちは台所と茶室が遠いので、走り回って息切れをお客さまに指摘されるなど、お恥ずかしい。茶室の前で息を整える余裕はほしいわね。今回若いAちゃんがはじめて水屋を手伝ってくれたので大助かりです。

そして今回の茶事のメインイベントはお正客をお招きするときから「花所望」と決めていました。
なぜならお正客さんは茶花のほとんどプロなのです。ほぼ毎日花を摘みに行ってはたくさんの花入に生けるのが日常茶飯の方なのです。その方の前でなんで私のつたない花がご披露できましょうや。いや、というより、是非そのすご技をライブで拝見したい!という強い思いがありまして。
花をどうしようかと迷っていましたが、以前ご近所にすんでいらした茶友のA様の話を思い出し、そのご近所の花屋さんに聞いてみると、ちゃんと花所望できるくらいご用意できます、とのうれしい返事。
そして12種の花を用意してくれました。しかもと〜ってもうれしいお値段で。「冬は椿がはいるからちょっと高うなるけどな。」とおっしゃる。いえいえ、こちらが想定していた値段のほぼ半分でしたので、冬もお願いしよう。

花は
ショウマ、笹百合、姫リョウブ、鉄線、芍薬、鳴子百合、利休草、都忘れ、丁字草、河原撫子、シモツケ、シラン(写真は花をいれたあとなので全部は写ってません)
花台は菜を干したりする大きな笊を。花入は鼓胴、唐金の釣船、芭蕉籠(これ柱に吊るつもりが直前に吊り輪が壊れた、、、)

後座の最初、花所望にてお正客はほぼ迷うことなく花と花入れを決められ、5分くらいですべて完成されたのがこちら。
す、、すばらしい。
やはり花所望をお願いしてよかった、、、(*^_^*)
花入と花は互いにひかれあうものがあるとおっしゃる。それで主の花を決めてあとはバランスのとれたとりあわせを。茶花のミニレクチャーもいただいたのもうれしい。さりとてすぐマネができるわけではありませんが。

吊花入には鉄線と姫リョウブ。
座った位置からみると絶妙の鉄線の垂れ具合。

笹百合はお一人様で鼓胴におさまり凜としたたたずまい。

丁字草、利休草、シモツケ。それぞれの葉先を結ぶと黄金律っぽい三角形。これが瞬時にいけられたものとは、、、
(しかも後日、それぞれの花にちなんだ歌も頂戴いたしました。これがほんまの数寄の道やねえ、、、)

お花そのままで濃茶は無事に練り上げ、薄茶は風炉を移動し釜を鉄瓶に代えて大茶箱(籠)点前(全くの我流)を。水屋さんにもはいっていただき、会話がはずみました。
お正客さんは道具に関してはほんとによくご存じなので、自分の道具の解説を拝聴して改めてわが道具ながら見る目がかわったわ。
お次客さんは座をとても華やかにしてくださるお話し上手。
お詰めさんはセミプロの陶芸家さんなので、茶碗への感想がとても興味深かった。
ほんによう来てくださったことと感謝いたします。

独座観念は縁側で拝領したお詰めさん作の井戸茶碗で。青井戸かな。信楽に窯を自作されて鋭意創作中のまさんど窯の井戸を一つ手に入れました(^-^)

今回、これこそ亭主冥利につきる、と実感したことがありました。
席入りされるお客さんの様子を水屋の襖越しにうかがっていると、「ほ〜、これは○○や」「これは△△しよったんやな」などの声が聞こえたのです。これを聞くためにお客さん招いているのかも、と思います。
だからこれから自分が招かれたら席入りの時、思いっきり聞こえるように感心したことは声にだそう、そう思ったのでした。
初風炉茶事にお招き頂戴 - 2015.05.17 Sun

青梅が大きくなってきました。でも今年は落ちるのが多い。昨年、一昨年の豊作(約200個収穫)には遠くおよばなさそうだな。
そんな緑の季節、初風炉茶事(茶の湯の世界では4月までは炉、五月から風炉なのです)にお招きいただきました。

(丁子草)
もつかな〜と心配していた空からとうとう雨がふりだして、御連客の袴もびしょびしょにぬらしてしまった。けれどもこの季節の雨は新緑の色をさらに美しくするので、きらいではないでしょう、みなさま。
待合には雨ならぬ滝のしぶきに濡れ青さを増す青楓の絵。
雨で露地の蹲居を使えなかったのは残念ながら、席入りで「殿閣微涼を生ず」のお軸を拝見。かの有名な「薫風自南来」に続くフレーズです。禅語としてよく使われますが、これは唐の文宗皇帝がつくった歌に柳公権が続けた句、さらにそれに蘇東坡がなんくせをつけて4行追加した、、、といういわくつきの漢詩なのです。
まあ、ともかく風炉の美しい灰型に感激しました。私の灰型の師匠もすばらしく美しい灰型をつくらはるが、全然遜色ありません。ああ、、、灰型また練習せねば、と不肖の弟子は汗をかきました。
懐石もおひとりで手作り、いつもながらの腕前、おいしゅうござました。茶事をするのに懐石料理がストレスの私にはうらやましい腕でございます。かますの焼物もきれいなロールになっていて、プロ級でした。
風炉になると炭点前でつぐ炭の数もサイズも減って軽やかになります。涼しげな淡々斎好みの清風籠。他流派の御連客もおられたので、ここがこういうふうに違うね〜と、そんなお話しを聞くのもとてもおもしろい。某Y流では灰も白い藤灰を使うし、灰型の観念も裏千家とはずいぶん違うみたいです。さらに某E流では湿灰を使うのよ。これおもしろくて興味がつきませんわ〜。

炭点前も終わり、主菓子の登場です。いつもお菓子も手作りされるのですが、さすがこれはプロのお菓子やろ〜、、と思っていたら、やはりこれもお手製!(@_@;) ういろう製で上に乗っている緑の寒天が、これもプロはだし。
中立を経て、いよいよ後座の濃茶です。いつも端整なたたずまい、背筋の伸びたお点前でした。
高麗茶碗でいただく濃茶はさすがにひさびさに美味しいのをいただいた、と思うお練り加減でした。(いつもお稽古でへたれな濃茶ばかり飲んでるねん)問答をするとき、私はつかえたり噛んだり落ち着きのなさ自信のなさが態度にでるな〜といつも反省しているので、きびきび問答されるご亭主はさすがだと。人間の練られ方が違うのかしら。そういえば、正客さんもお若いのによく練れたお人だ。

さらなるサプライズはこの干菓子!これはどうみても(愛用しているところの)亀廣保さんの(雲平の)葦やろ〜!と思えば、これもお手製とは!!亀廣保さんとこの干菓子は芸が細かいのだが、そっくりそのままではないか。いやもう脱帽でございます。
薄茶はなごやかに、同じ猫loveの茶友と猫話などもしながら、楽しゅうございました。気心のしれた同年代の茶友も貴重なら、おそるべき後生(若い方々)とのお話しも刺激を多々もらえるのでありがたい。お茶について視野の開ける場面もたくさんある。

かくの如き交友は、お茶を媒体としなければなかなかできないものではなかろうか。ほんにお茶は人と人をつなぐ(時にはしくじるが、、、^_^;)ありがたきもの。よくぞこの道にであったものだと思います。
もう雨の音なのか釜の松風なのかわからなくなった音をBGMにした楽しいひとときはお開きとなりました。
ご亭主に、御連客にありがとうございました。m(_ _)m
弘道館月釜〜KyotoGraphie2015 - 2015.05.14 Thu

楽美術館の茶会の後は同じく御所西エリアの弘道館月釜へ。
この日が最終日だったKyotoGraphie(京都国際写真祭)とのコラボで。ここ、弘道館も会場の一つだったようです。

京都市内に15ヶ所ある展示会場で、ここはルーカス・フォーリアという方の写真展示会場でした。いつも茶席になる広間が待合になっていて、ここにたくさんの写真が。

”薪で暖をとり、農業を営んで食料を缶詰にし、また靴の購入から歯の治療まで、生活に必要なものは全て育てた農作物との物々交換でまかなって暮らしている”人々がテーマの写真。アーミッシュのようなイメージです。それにちなんで、いつもの床には自家製の生活用具などが飾られていました。

主菓子には双葉葵の焼印。
七畳の茶室が本席の濃茶席。掛け物はなんと楠木正成の児島高徳にあてた消息。鎌倉末期の書状だよ(◎-◎;)
「青葉茂れる桜井の、、、」で有名な楠公さんですので、青葉の時期にかけたとか。ちなみにこの歌は楠木正成とその息子楠木正行の桜井の別れを歌った歌で、昔小学校唱歌だったそうです。「みなさん、ご存じでしょう??」と太田先生はいわはるけれど、私は知識としてしってはいるものの、習った覚えはないぞ〜。(同年代だけど、、、)
児島高徳は「天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず」と桜の木を削って後醍醐天皇を勇気づけたことで有名だが、これもたまたま彼が私の郷里・備前の人だったから知っているだけで、特に若い人はご存じないだろうなあ。

昨年の斎王代に太田先生のお嬢様がなられたこともあって、弘道館の庭で上賀茂神社、下鴨神社で拝領した双葉葵を育てておられたのに、つい最近だれかがごそっと盗んでいったそうな。心ないことをする人がいたもんです(-_-#)
さいわいにそれを知ったある方がこれを、と持ってきてくださったのがこの鉢植えの双葉葵なのだそうです。
お点前は風炉の台目逆勝手、お馴染みの茶室もいろんな使い方ができるんだな、と感心しました。
それにしても太田先生、月釜だけでなくいろんな茶会を催され、文化史・古典芸能などの講義もされ、今様の歌合わせもされ、、、おそろしいほどのお忙しさ、どうか無理してお体をこわされませんように。

本日のお楽しみの副席は、、、広間の裏の庭にて。母の日なので赤いカーネーションを蹲居のまわりに。写真では遠目で見にくいですが、スイカが庭のあちこちにおいてあります。

縁側にしつらえられた席にもスイカが、、、。本日の写真展の中の一枚、スイカ畑(アーミッシュ系の人たちが自給自足でうえたもの)のイメージだそうです。

おまけに菓子器もスイカ!(七宝製)他にも煙草盆のそばにクラシックな火縄銃。アーミッシュの生活に必要なウィンチェスター銃をかざりたかったらしいですが、銃刀法にひっかかる??(^_^;)ため断念されたとか。凝り性やなあ。

こちらが点前座(^◇^) 後に干してあるのが軸がわりのアーミッシュのクラシカルな下着(洗濯物を干しているイメージで)、お点前はチェコからおいでのクリスティーナさん(アーミッシュ風ファッション)、お茶はダージリンのファーストフラッシュ(一番摘み)、チェコのアンティークカップでいただきました。
楽しいわね、こんなお茶も。
楽美術館・楽茶碗鑑賞茶会〜琳派系?楽茶碗 - 2015.05.12 Tue

久しぶりの楽美術館、楽茶碗鑑賞茶会。当代の楽吉左衛門さんによる解説付き、歴代の楽茶碗でお茶をいただき(それなりの節度を持って)さわりまくれる(^_^;お値打ちの茶会なのです。
楽さんの語り口はとてもやわらかでお人柄がにじみ出るようで、ファンは多いのだ。

今回のテーマは現在展示室でもやっているがズバリ「琳派」。琳派400年のイベントは全国あちこちで開催されていますものね。ただし、楽さんもおっしゃるように時に絢爛豪華な琳派と楽茶碗って対極にあるような存在。しかしながら、楽家歴代は時代に沿うようにそれぞれ新しい試みをしてきたので、中には展示室にあった覚入(当代のお父上)の茶碗のように、一見永楽さんか?と思うような色釉を使った茶碗もあるのね。

茶席は東下りあり、端午の節句あり、のしつらえ。お菓子は聚洸さん(たいてい聚洸さん。楽さんお気に入りらしい)の「燕子花」。菓子鉢が以前もこちらで拝見した菱形織部の鉢で覚入作、家のすみにころがっていたのを取手を当代がつけて菓子鉢にした、というエピソードがあったっけ。
花入が九代了入の粽、花はアマドコロと都忘れ、それに丁子草。いずれも楽さんご自身で山のアトリエで取ってきて入れたもの。
風炉先が銀刷毛目でえらくモダンだな、と思ったらこれも当代ご自身の作とか。なにをやらしてもすごい人っているのね。

(こちらは次の茶会へはしごするため時間待ちにはいった一条の虎屋菓寮のテラス席。爽やかな風と緑とやってくる野鳥の姿と、、、とても気持ちがよかった。)
さて、本日のお茶碗。「なんとなく琳派っぽいのを出してみました。」とのこと。
1)赤楽「開口」 六代左入二百之内
左入二百は晩年の享保18年(1733)に制作された200碗のことで、すべて作行きが異なり、それぞれに表千家七世如心斎が銘をつけたもの。(うちの先生一つもってはったな)同じ左入でも二百之内というと価値があがるんだそうです。
小ぶりですぽっと手に納まり、少しざらざらした手触り。平茶碗っぽいので開口か?
2)赤楽「緋縅写し」 九代了入
これが一番すごかった。存在感のある茶碗。光悦の「緋縅」を写したものらしいが、「加賀光悦」にも似ている。加賀光悦は承天閣美術館(相国寺)蔵だが、そこに納まったいきさつや「あそこは金(閣寺)も銀(閣寺)も持ってますからねえ。」というおもわずニヤリとするお話しなども。
口のところがさっと刷毛ではいたように白いのはそこだけ黄土釉をぬっていない土の色だからだそうだ。手に取ってみるとたしかに境目に黄土釉をぬったとおぼしき筆使いのあとがみられる。しかしごっついなあ、この茶碗。裏の高台の中に黒い丸が描かれているのだが、これは一体何なのか、楽さんも謎、とおっしゃる。
3)黒楽「太郎写し」 十二代弘入
私はこれでいただいた。どことなく宗入の「亀毛」っぽい、よこにちょっとくぼみのある茶碗。表千家六代覚々斎が三人の息子(長男・表千家七代如心斎、次男・裏千家七代竺叟、三男・裏千家八代一燈)にそれぞれ与えた茶碗、太郎・次郎・三郎という茶碗の一つだそうです。親子の愛情を感じるネーミング。
4)赤楽兜の絵 十二代弘入作 十三代惺入絵
これも親子合作。惺入の兜の絵は緻密。楽茶碗にもこんな絵付けがあるんだ。
5)赤楽張り子の虎絵 十四代覚入 表千家即中斎絵
6) 同 十五代(当代) 表千家而妙斎絵
5)は1962年、6)は1998年 茶碗も親子なら絵も親子、という組み合わせ。
干支の茶碗は毎年三千家家元へおさめるもので、各流派のお家元はそれに絵を描くを楽しみにしておられる、というここでしか聞けないお話しも聞く。そうなのか〜。

(虎屋菓寮)
たっぷりお茶碗を楽しんだあと、展示も拝見。なんといってもポスターにもなっているのんこう(三代道入)の黒楽「荒磯」がすごい。胴から下に蛇喝釉という茶色っぽいまさに蛇の鱗のようなごつごつした釉薬の景色、これを荒磯の波にみたてたらしいが、私には龍のようにも見えた。
これは個人蔵で、あまり長くは貸し出しできないということなので、見に行く方はお早めに。

さて、その後は一条虎屋菓寮で虎屋なのにお菓子をたのまず赤飯をいただく。ここの赤飯おいしいんだ(^-^)
禅と菓子〜寺町・新京極で坐禅と念仏とお菓子と??? - 2015.05.10 Sun
タイトルを見て、???の方もおられることでしょう。でもまさにこんな(坐禅、念仏、和菓子)ひとときをすごしましたのよ(*^^)v

そのイベントの前に、、、裏寺町通りと新京極にはさまれた柳小路を。

かつては一杯飲み屋が集結していた細い通りが、このごろとんとおしゃれな店が並ぶ通りになったではありませんか。うさんくささがなくなってしまった。たまにくるたびにどんどんショップが増えてる。

中ほどにある八兵衛明神。ご本尊はお狸さん。なんといってもここは森見登美彦さんの「聖なる怠け者の冒険」で鍵となる場所ですから、もりみんファンは巡礼しないといけないわよ。

、、というまに通り過ぎてしまう短い通りなので、新京極にこられたら是非どうぞ。

さて、その「禅と菓子」のミスマッチとも思えるイベントを企画したのは自転車ランデブーby 自転車アクティビストKaOさん supported by SOU SOU。
まずはこちらの裏寺町をはいったところにあるSOUSOUの一店、紳士物の傾衣さんのお茶コーナーに集合。

なにやらこの店の雰囲気(アヴァンギャルド着物?の店なので)からちょっと浮いてるお坊さんが。その方が本日の参禅の御指導くださる羽賀浩規和尚(岐阜の禅寺の御住職にして臨済宗妙心寺派花園禅塾塾頭)でした。
禅の修行はまず毎日の茶礼から、ということでこちらでお茶をいただきます。このパンフも和尚手作り。茶碗の柄がちゃんとSOUSOUのテキスタイルになっているあたり、ぬかりない(^_^;

で、でてきたお菓子がこれ!! by 御菓子丸さん。
おお〜っ、、、、真っ黒、、、、

どこからみても真っ黒、、、味わって何が入っているか当てて下さい、と。これって禅の公案みたいなもの?(^^ゞ
切り口はやはり真っ黒で中味不明。味わってみても、これどこかで食べたことあるけど思い出せない、、、という風味。あとにほんのり苦みが残るこれは???(他の方も???)

答はのちほど。(^_^;b
まずは禅宗の和尚さんと新京極の真言宗・誓願寺の和尚さんという異例のコンビに導かれて寺町散策。通行人がなにごとかと振り返るが、ここは寺町、お寺があって当然なのよね、ほんとは。洛中のお寺を集めてここ、寺町におしこんだのが秀吉さんなのだ。

これは江戸時代(年間は聞き漏らした)の地図。オレンジ色の部分がその集められた寺で思いの外たくさんあったのだな。その下の緑の部分が御土居、その下が河原町通り。寺町通りはその寺群のすぐ上。現在でも三条通ですこしずれている(かに道楽やら三嶋亭のあるあたり)のはこのころからなのか、、、と感慨深い。
それにしても本能寺もさることながら、誓願寺って大きかったのね。いまではもう無くなってしまったり、移転したりしたお寺も多い。
明治時代、このお寺群の真ん中にずば〜っと道を通してしまったのが新京極通りなのだ。

裏寺町を少し河原町の方によったとこ、昔からいつも若者で賑わっているエリアのビルに「赤門正覚寺」のプレートが!これお寺さんだったのか(◎-◎;)

遠景でみると、確かに屋上にお寺さんらしき建物が、、、よく前を通るのに全然気がつかなかった。ビルになったのは1989年らしいがその前の記憶はない。これも時代か。、、、というよりこんな繁華街の真ん中に生き残っていることがすごい、というかさすが京都や、と思う。

中には、ここには以前○○寺がありました、、、という現在マンション建築中の場所も。以前のお寺は洛外にお引っ越しされたよし。

地図にものっている法界寺。昔の面影を残すお寺もまだまだこのあたりたくさんある。

宝蔵寺は近くの錦市場の危機にたちあがったこともある伊藤若冲の菩提寺で若冲の絵も所蔵されているとか。

あ、なんだかええ味だしてる簾のかけ方がいきあたりばったりな民家。歩き慣れた道も、道案内さんのお話しを聞きながらあるくとまたまったく別の道のように思える。これも今回の収穫であった。

最終目的地の誓願寺に到着。ここは門が新京極通りに面しているのでけっこう目立つ。門の前に迷子道しるべの石がたつお寺だ。歴史は天智天皇勅願寺というからかなり古い。ここ、寺町に移転させられる前は今では「元誓願寺通り」に名前を残す上京区にあったそう。ちなみに謡曲「誓願寺」(和泉式部の霊がでてくる)はこちらが舞台。

こちらは浄土宗のお寺だからお念仏で、坐禅とあまり関係ないのだが、それもフュージョンしてしまうあたりおもしろいイベントだわ。この本堂まではお参りしたことがあるけれど、その奥にとってもとっても広い庫裏があるとは想像だにしなかった。とても新京極の喧噪の中にあるとは思えない広い座敷で今度は坐禅を。
花園禅塾(妙心寺)で、これから禅僧になる修行を始める若い人たちを指導しているだけあって、羽賀和尚のイントロダクションはわかりやすく、うまいなあと思った。
定期的に参禅するのが、まだ京都移住してから果たしていない事なので、こういう機会はありがたい。学生時代には某会にてさんざん作務(掃除)と参禅をやったが、てんで我流であったがそれなりに得るものはあったと思う。久々に気持ちよく座った。10〜15分だったので、もっと座っていたかったくらい。

参禅のあとは、一転して誓願寺の和尚さんにあわせて5分間、頭真っ白にして「なむあみだぶ〜」を唱える。これもまたいとおもしろし。
終了後、車座になって、終わりの茶礼。

ここでも御菓子丸さんのお菓子が。
同じ場所に集って参禅した輪がほどけていく様をあらわした干琥珀と胡桃のお菓子。

一人ずつ輪を切り取っていただく。最後に輪は消滅。こういうお菓子を作る感性がとてもすてきなので、御菓子丸さんのお菓子から目が離せない。
そうそう、開始の茶礼のお菓子の中味の正体は、、、、なんと蓬!
一人当てられた方がいて、これには御菓子丸さんもびっくり。そういえばあの苦みは。(黒い色は竹炭の色)
物を食べるとき、やはり視覚に頼ることがおおいけれど、視覚に頼らずそれ以外の感覚で味わってみたらどうなるだろうか、、、坐禅を組むとき、視覚を用いずそれ以外の感覚をオープンにして宇宙の一部である自分を感じる、とも解釈できると思っているので、なんとそれにふさわしいお菓子なのだろうかと、おもわずうなったのでありました。

そのイベントの前に、、、裏寺町通りと新京極にはさまれた柳小路を。

かつては一杯飲み屋が集結していた細い通りが、このごろとんとおしゃれな店が並ぶ通りになったではありませんか。うさんくささがなくなってしまった。たまにくるたびにどんどんショップが増えてる。

中ほどにある八兵衛明神。ご本尊はお狸さん。なんといってもここは森見登美彦さんの「聖なる怠け者の冒険」で鍵となる場所ですから、もりみんファンは巡礼しないといけないわよ。

、、というまに通り過ぎてしまう短い通りなので、新京極にこられたら是非どうぞ。

さて、その「禅と菓子」のミスマッチとも思えるイベントを企画したのは自転車ランデブーby 自転車アクティビストKaOさん supported by SOU SOU。
まずはこちらの裏寺町をはいったところにあるSOUSOUの一店、紳士物の傾衣さんのお茶コーナーに集合。

なにやらこの店の雰囲気(アヴァンギャルド着物?の店なので)からちょっと浮いてるお坊さんが。その方が本日の参禅の御指導くださる羽賀浩規和尚(岐阜の禅寺の御住職にして臨済宗妙心寺派花園禅塾塾頭)でした。
禅の修行はまず毎日の茶礼から、ということでこちらでお茶をいただきます。このパンフも和尚手作り。茶碗の柄がちゃんとSOUSOUのテキスタイルになっているあたり、ぬかりない(^_^;

で、でてきたお菓子がこれ!! by 御菓子丸さん。
おお〜っ、、、、真っ黒、、、、

どこからみても真っ黒、、、味わって何が入っているか当てて下さい、と。これって禅の公案みたいなもの?(^^ゞ
切り口はやはり真っ黒で中味不明。味わってみても、これどこかで食べたことあるけど思い出せない、、、という風味。あとにほんのり苦みが残るこれは???(他の方も???)

答はのちほど。(^_^;b
まずは禅宗の和尚さんと新京極の真言宗・誓願寺の和尚さんという異例のコンビに導かれて寺町散策。通行人がなにごとかと振り返るが、ここは寺町、お寺があって当然なのよね、ほんとは。洛中のお寺を集めてここ、寺町におしこんだのが秀吉さんなのだ。

これは江戸時代(年間は聞き漏らした)の地図。オレンジ色の部分がその集められた寺で思いの外たくさんあったのだな。その下の緑の部分が御土居、その下が河原町通り。寺町通りはその寺群のすぐ上。現在でも三条通ですこしずれている(かに道楽やら三嶋亭のあるあたり)のはこのころからなのか、、、と感慨深い。
それにしても本能寺もさることながら、誓願寺って大きかったのね。いまではもう無くなってしまったり、移転したりしたお寺も多い。
明治時代、このお寺群の真ん中にずば〜っと道を通してしまったのが新京極通りなのだ。

裏寺町を少し河原町の方によったとこ、昔からいつも若者で賑わっているエリアのビルに「赤門正覚寺」のプレートが!これお寺さんだったのか(◎-◎;)

遠景でみると、確かに屋上にお寺さんらしき建物が、、、よく前を通るのに全然気がつかなかった。ビルになったのは1989年らしいがその前の記憶はない。これも時代か。、、、というよりこんな繁華街の真ん中に生き残っていることがすごい、というかさすが京都や、と思う。

中には、ここには以前○○寺がありました、、、という現在マンション建築中の場所も。以前のお寺は洛外にお引っ越しされたよし。

地図にものっている法界寺。昔の面影を残すお寺もまだまだこのあたりたくさんある。

宝蔵寺は近くの錦市場の危機にたちあがったこともある伊藤若冲の菩提寺で若冲の絵も所蔵されているとか。

あ、なんだかええ味だしてる簾のかけ方がいきあたりばったりな民家。歩き慣れた道も、道案内さんのお話しを聞きながらあるくとまたまったく別の道のように思える。これも今回の収穫であった。

最終目的地の誓願寺に到着。ここは門が新京極通りに面しているのでけっこう目立つ。門の前に迷子道しるべの石がたつお寺だ。歴史は天智天皇勅願寺というからかなり古い。ここ、寺町に移転させられる前は今では「元誓願寺通り」に名前を残す上京区にあったそう。ちなみに謡曲「誓願寺」(和泉式部の霊がでてくる)はこちらが舞台。

こちらは浄土宗のお寺だからお念仏で、坐禅とあまり関係ないのだが、それもフュージョンしてしまうあたりおもしろいイベントだわ。この本堂まではお参りしたことがあるけれど、その奥にとってもとっても広い庫裏があるとは想像だにしなかった。とても新京極の喧噪の中にあるとは思えない広い座敷で今度は坐禅を。
花園禅塾(妙心寺)で、これから禅僧になる修行を始める若い人たちを指導しているだけあって、羽賀和尚のイントロダクションはわかりやすく、うまいなあと思った。
定期的に参禅するのが、まだ京都移住してから果たしていない事なので、こういう機会はありがたい。学生時代には某会にてさんざん作務(掃除)と参禅をやったが、てんで我流であったがそれなりに得るものはあったと思う。久々に気持ちよく座った。10〜15分だったので、もっと座っていたかったくらい。

参禅のあとは、一転して誓願寺の和尚さんにあわせて5分間、頭真っ白にして「なむあみだぶ〜」を唱える。これもまたいとおもしろし。
終了後、車座になって、終わりの茶礼。

ここでも御菓子丸さんのお菓子が。
同じ場所に集って参禅した輪がほどけていく様をあらわした干琥珀と胡桃のお菓子。

一人ずつ輪を切り取っていただく。最後に輪は消滅。こういうお菓子を作る感性がとてもすてきなので、御菓子丸さんのお菓子から目が離せない。
そうそう、開始の茶礼のお菓子の中味の正体は、、、、なんと蓬!
一人当てられた方がいて、これには御菓子丸さんもびっくり。そういえばあの苦みは。(黒い色は竹炭の色)
物を食べるとき、やはり視覚に頼ることがおおいけれど、視覚に頼らずそれ以外の感覚で味わってみたらどうなるだろうか、、、坐禅を組むとき、視覚を用いずそれ以外の感覚をオープンにして宇宙の一部である自分を感じる、とも解釈できると思っているので、なんとそれにふさわしいお菓子なのだろうかと、おもわずうなったのでありました。
ならまち案内 - 2015.05.08 Fri
東大寺華厳茶会のあと、遠方よりの茶友を奈良散策にご案内。昨年は万葉植物園のみごとな藤の花を見せてあげたので、今年はならまちにしようかな。
大好きなならまちはもうだいたい地理が頭にはいっている。ここがはじめての友には限られた時間の中でおさえておくべきところを押さえてご案内。

まずはなんと言っても元興寺でしょう。なにせならまち自体がもともとすべて元興寺の伽藍の内であったのだから。
右手が本堂、左手が禅室とよばれいずれも国宝。なんといっても飛鳥時代の瓦が残るのが見所。それぞれの建物の屋根の一部が色が違うのがわかるかしら。

瓦の色がまちまちな部分。大半を占める整っている瓦は後世に修復したもの。
元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺がその前身。平城京遷都とともにおひっこし、元興寺という名前になったそうだ。奈良時代には東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、現在は元興寺といわれているのは広大だった伽藍のごく一部、極楽坊という一室だけなのだ。

小さな仏様それぞれに手向けるが如き桔梗が。夏から秋にはきっと美しいことだろう。そうそう、ここは萩もフジバカマも有名なのだ。

ここには四畳半の茶室、泰楽軒がある。元興寺の古材と明治時代の名人大和指物師であった川崎幽玄氏の指物で構成されている。川崎幽玄忌茶会が毎年10月ここでおこなわれるのだ。(いちどお誘いいただいたが平日なのでアウト!)

以前に比べると境内は整備されてきれいになったけれど、こういう一隅に、廃寺になった他の伽藍部分を思わせる雰囲気がただよっている。

さて、あとは勝手知ったるならまち散策。ここはこんな古い町家がまだまだ残っているが、橿原市の大規模な江戸の町並みを残す今井町ほど建物規制が厳しくないため、なんだかな〜のモダンな家も増えているのも事実。

以前は静かな町並みだったが昨今は来るたびにびっくりするほど町家ショップもふえている。雰囲気を壊さなければ、建物を壊されるよりはましか。(ちなみにここは猫カフェ。ちょっと心惹かれた、、、)

お次に案内するのもならまちのシンボルのひとつ、庚申堂。
庚申信仰は全国各地でみられる。
60日に一度めぐってくる庚申の日に眠ると、体内にいる三尸(さんし)の虫が体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられる。それゆえに庚申の夜は眠らずに虫が抜け出さないように過ごす庚申待の行事がおこなわれる。

ここに祀られるのは青面金剛。文武天皇代、疫病が流行した時に、元興寺の護命僧正が祈祷していると、青面金剛があらわれ、間もなく悪病がおさまったという。その日が「庚申の年」の「庚申の月」の「庚申の日」であったそうな。
ここに奉納されるならまちのアイコン、身代わり猿、即ち猿はその青面金剛のお使いなんだそうな。

ならまちが元興寺の伽藍であったなごりの小塔院跡もおさえておかねば。あら?いつもの門がもう閉まってる、、、、と思ったら、反対側からはいれました。

ここは出入り自由、そしてなにがある、、、というわけでもない。ちいさなお堂がぽつんと。そしていつきてもソファーやらテーブルやら、はては自動車のゴミ捨て場的雰囲気だが、なぜかお花がきれいに植えられているのだ。

こちら、いつも入っている方の入り口へ続く道。
かつてここには元興寺の小五重塔があったそうだが、室町時代に焼失して以来再建されることはなく、上記の廃棄物(?)とあいまって廃墟の雰囲気をただよわす。でも、その感じがなぜか好きなのよね。

おお!今日は黒猫ちゃんがいる!なんでもこのあたり猫の放し飼いができないのだそうで首輪と長い綱付き。

お堂の影にも黒猫、、、、いや、にせものか。

もう1匹、こちらはホンモノの黒猫。さっきの子よりシャイなのか人間嫌いなのか。

こんな町家ショップもあれば、、、

すでに住む人のいなくなった町家もある。壊されなければいいが。

ならまちの和菓子屋、中西さんへ行く。ここには身代わり猿のかたちの上生菓子があるんだ。

で、中にはいっておどろいた!
かつて店のはしっこにあった喫茶コーナーが店の奥に広がっている!

いや、まあ、大規模な町家の中を拝見できるのでいいのだがね。

昔のひなびた感じの和菓子屋の雰囲気も好きだったのだがなあ。
ならまちは変化が激しい。どうか良い方に変化してほしい。まちがっても某三年坂みたいにならんといてほしいわ。
ここで茶友は身代わり猿をお買い上げ、それぞれの帰路についたのであった。
大好きなならまちはもうだいたい地理が頭にはいっている。ここがはじめての友には限られた時間の中でおさえておくべきところを押さえてご案内。

まずはなんと言っても元興寺でしょう。なにせならまち自体がもともとすべて元興寺の伽藍の内であったのだから。
右手が本堂、左手が禅室とよばれいずれも国宝。なんといっても飛鳥時代の瓦が残るのが見所。それぞれの建物の屋根の一部が色が違うのがわかるかしら。

瓦の色がまちまちな部分。大半を占める整っている瓦は後世に修復したもの。
元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺がその前身。平城京遷都とともにおひっこし、元興寺という名前になったそうだ。奈良時代には東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、現在は元興寺といわれているのは広大だった伽藍のごく一部、極楽坊という一室だけなのだ。

小さな仏様それぞれに手向けるが如き桔梗が。夏から秋にはきっと美しいことだろう。そうそう、ここは萩もフジバカマも有名なのだ。

ここには四畳半の茶室、泰楽軒がある。元興寺の古材と明治時代の名人大和指物師であった川崎幽玄氏の指物で構成されている。川崎幽玄忌茶会が毎年10月ここでおこなわれるのだ。(いちどお誘いいただいたが平日なのでアウト!)

以前に比べると境内は整備されてきれいになったけれど、こういう一隅に、廃寺になった他の伽藍部分を思わせる雰囲気がただよっている。

さて、あとは勝手知ったるならまち散策。ここはこんな古い町家がまだまだ残っているが、橿原市の大規模な江戸の町並みを残す今井町ほど建物規制が厳しくないため、なんだかな〜のモダンな家も増えているのも事実。

以前は静かな町並みだったが昨今は来るたびにびっくりするほど町家ショップもふえている。雰囲気を壊さなければ、建物を壊されるよりはましか。(ちなみにここは猫カフェ。ちょっと心惹かれた、、、)

お次に案内するのもならまちのシンボルのひとつ、庚申堂。
庚申信仰は全国各地でみられる。
60日に一度めぐってくる庚申の日に眠ると、体内にいる三尸(さんし)の虫が体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられる。それゆえに庚申の夜は眠らずに虫が抜け出さないように過ごす庚申待の行事がおこなわれる。

ここに祀られるのは青面金剛。文武天皇代、疫病が流行した時に、元興寺の護命僧正が祈祷していると、青面金剛があらわれ、間もなく悪病がおさまったという。その日が「庚申の年」の「庚申の月」の「庚申の日」であったそうな。
ここに奉納されるならまちのアイコン、身代わり猿、即ち猿はその青面金剛のお使いなんだそうな。

ならまちが元興寺の伽藍であったなごりの小塔院跡もおさえておかねば。あら?いつもの門がもう閉まってる、、、、と思ったら、反対側からはいれました。

ここは出入り自由、そしてなにがある、、、というわけでもない。ちいさなお堂がぽつんと。そしていつきてもソファーやらテーブルやら、はては自動車のゴミ捨て場的雰囲気だが、なぜかお花がきれいに植えられているのだ。

こちら、いつも入っている方の入り口へ続く道。
かつてここには元興寺の小五重塔があったそうだが、室町時代に焼失して以来再建されることはなく、上記の廃棄物(?)とあいまって廃墟の雰囲気をただよわす。でも、その感じがなぜか好きなのよね。

おお!今日は黒猫ちゃんがいる!なんでもこのあたり猫の放し飼いができないのだそうで首輪と長い綱付き。

お堂の影にも黒猫、、、、いや、にせものか。

もう1匹、こちらはホンモノの黒猫。さっきの子よりシャイなのか人間嫌いなのか。

こんな町家ショップもあれば、、、

すでに住む人のいなくなった町家もある。壊されなければいいが。

ならまちの和菓子屋、中西さんへ行く。ここには身代わり猿のかたちの上生菓子があるんだ。

で、中にはいっておどろいた!
かつて店のはしっこにあった喫茶コーナーが店の奥に広がっている!

いや、まあ、大規模な町家の中を拝見できるのでいいのだがね。

昔のひなびた感じの和菓子屋の雰囲気も好きだったのだがなあ。
ならまちは変化が激しい。どうか良い方に変化してほしい。まちがっても某三年坂みたいにならんといてほしいわ。
ここで茶友は身代わり猿をお買い上げ、それぞれの帰路についたのであった。
東大寺華厳茶会2015 - 2015.05.06 Wed
今年もやって参りました、東大寺華厳茶会。

鹿たちのせんべいくれ出迎えの御挨拶。

しかしながら初めて華厳茶会によせてもらってから5回目(1年だけぬけてる)、どうしても過去の記事と絵柄(写真)が同じになってしまうのよね、、、(^_^;)

それでも毎年ゴールデンウイークの楽しみのひとつになっているので、高校時代の友人でもある茶友といそいそとおでかけ。この幡(ばん)を見ると心おどるのだ。

今年、華厳茶会は34回目(ということは昭和56年が1回目か)。
東大寺を建立した聖武天皇忌(5月2日)法要の翌日、東大寺の位の高いお坊さんたちが天皇の陵にお参りされ、ついで今年摘まれた大和茶のお茶壺行列、裏千家大宗匠による御献茶という流れ。まあ、私たちは献茶を拝見し、添釜を楽しむだけなんですが。
献茶式、茶壺道中(4年前の茶壺道中)は同時にみることはなかなかむつかしく、一番人気の大仏殿西庭の副席の待ち時間が長いので、ここ数年はスルーしてた。でも今年は久々に献茶式を拝見したく思い、早めのスタート、先に副席に並ぶ。

今年は琳派400年ということで、全国をまたにかけあちこち飛び回っておられる細見美術館の細見館長が席主。
掛け物は昨年秋細見美術館での口切茶事の時に拝見した「なでしこの文」。高山寺・明恵上人の井上なにがしの尼にあてた消息で、印象深かったのでここでまた会えたのがうれしい。一目でわかった。(全然読めへんけど)
冒頭「いただいたなでしこの花が云々」の御礼が「なでしこの文」とよばれる由縁。そしてその前に大きな根來(ほんまもんの古い根來)の水注(?)に投げいれられていたのがなでしこの花で、これはじーんときた。
前の席で入られた大宗匠が、「これは冒頭はやさしいけれど本文は厳しいことが書いてありますね。」とおっしゃったそうだ。禅の修行についての質問への回答らしく(そうだったのか、、)そこは厳しいアドバイスを明恵上人はされたようだ。しかし、、、この消息をさらさら読んでしまうあたり、やはり大宗匠はただ者ではない(◎-◎;)
煙草盆の煙草入れがこれまた根來で水次も根來、そしてとどめが根來の茶杓!時代があるようにみえるがこの茶杓は現館長の祖父に当たる細見財閥の創始者・古香庵(同名の茶室が細見美術館にあり)さんの作だそうだ。とても良い感じの茶杓だった。しかも銘が「東大寺」。それにぴったりマッチする古い薬器の茶器は大きくて、女性の手にはあまるほどの迫力。竹蓋置の光悦の判も鳥肌。光悦大好きだった左入の光悦「加賀」写しの赤楽茶碗も拝見するのは二度目でうれしい。

副席を堪能して大仏殿へ。すでに献茶式の準備はととのっている。

お茶壺行列は拝見できなかったが、駕篭からおろされた茶壺が大仏様に奉納される場面。大和茶業界の方々の手で。
いったん奉納された茶壺は献茶の台子にもどされ大宗匠の手で口切りが行われる。以前は実際にこの中の袋茶を石臼で挽かれていたが、現在はそれは省略されたようだ。台子のお点前を拝見。濃茶と薄茶を一服ずつ。

しっかりとした足取りで階段を上られみずから献茶される。
初めてこの茶会に来たときから5年、大宗匠もついに卒寿を越えられた。いまでも背筋はぴんと伸びておられるが、あとどれくらいこのお点前を拝見できるのだろう、という思いで、しっかりこの目に焼き付けておこうと思う。思えば初めて大宗匠のお点前を拝見したのは大学生の頃、吉田神社の献茶式でのことだった。あの頃はまだ御髪も黒く、油ののった世代でおられたなあ。

本坊では今日庵の拝服席、濃茶をいただく。なにしろ今日庵ですからね、御道具はやはりすごいのよ。清厳和尚の軸「謝茶」、宗旦の竹一重切花入、鳴海織部茶入などなど。

荘ってあるだけで触れなかったもののガラスなしで息がかかりそうな距離で拝見できた長次郎の黒楽がすごかったな。かせた黒でほのかに赤が浮かび上がる、、、その銘も「岩根」、岩根ツツジの赤と見るか。
この席には江戸千家の若宗匠もおいでになっていた。

同じく本坊で辻留さんのお弁当をいただく。タケノコが季節柄おいしい。

大仏殿の東廻廊では毎年奈良青年部の立礼席がかかって、ここだけ一般の参拝者にも無料で施茶がおこなわれるのだが、今までずっと時間の関係でスルーしてきた。今年初めて時間的余裕があったので参席。

全席まわると主菓子3つになるので、さすがの和菓子好きにもきつい。なのでここの葛の干菓子にほっとする。

参会者も、外人さんも、あまりお茶に縁のなさそうな観光客も、みなさんごいっしょに一服。

今年も最後の席は勧学院で東大寺席。

主に東大寺学園にかようご子息をもつお母さん方の席。道具は持ち寄りだが、本堂でご本尊の真ん前でお茶をいただく雰囲気がなにより気に入っている。

今年は台子がでていたが、四本柱の二本に灯明台がついている珍しいもの。上には修二会で観音を荘厳する糊こぼしの造花がほんものの椿の枝に。聞けばこの台子は修二会(お水取り)の勤行に入る前の別火(潔斎)の時、練行衆たちが茶を喫するのに使うものだそうだ。別火は四天王像で有名な戒壇堂でおこなわれるが、この間出入り禁止で世間とは隔離されて潔斎されるため、部屋は暗い。なので台子に灯明台が必要なのだとか。

三個目のお菓子だったが、ういろうと白餡のさっぱりしたお菓子でするっと入ってしまった。

最後に毎年これもお楽しみの記念品。いままで茶碗と香合ばかりであったが、今年は初めて茶杓であった。現・別当の筒井和尚の共筒・箱書き付き。銘を「蓮華蔵」。
蓮華蔵世界は華厳経に説く、毘盧遮那仏(東大寺の大仏さんはこれ)の願行によって現出した一種の浄土、、、らしい。う〜ん、、、むつかしい。どんな席で使えるかな。

鹿たちの

しかしながら初めて華厳茶会によせてもらってから5回目(1年だけぬけてる)、どうしても過去の記事と絵柄(写真)が同じになってしまうのよね、、、(^_^;)

それでも毎年ゴールデンウイークの楽しみのひとつになっているので、高校時代の友人でもある茶友といそいそとおでかけ。この幡(ばん)を見ると心おどるのだ。

今年、華厳茶会は34回目(ということは昭和56年が1回目か)。
東大寺を建立した聖武天皇忌(5月2日)法要の翌日、東大寺の位の高いお坊さんたちが天皇の陵にお参りされ、ついで今年摘まれた大和茶のお茶壺行列、裏千家大宗匠による御献茶という流れ。まあ、私たちは献茶を拝見し、添釜を楽しむだけなんですが。
献茶式、茶壺道中(4年前の茶壺道中)は同時にみることはなかなかむつかしく、一番人気の大仏殿西庭の副席の待ち時間が長いので、ここ数年はスルーしてた。でも今年は久々に献茶式を拝見したく思い、早めのスタート、先に副席に並ぶ。

今年は琳派400年ということで、全国をまたにかけあちこち飛び回っておられる細見美術館の細見館長が席主。
掛け物は昨年秋細見美術館での口切茶事の時に拝見した「なでしこの文」。高山寺・明恵上人の井上なにがしの尼にあてた消息で、印象深かったのでここでまた会えたのがうれしい。一目でわかった。(全然読めへんけど)
冒頭「いただいたなでしこの花が云々」の御礼が「なでしこの文」とよばれる由縁。そしてその前に大きな根來(ほんまもんの古い根來)の水注(?)に投げいれられていたのがなでしこの花で、これはじーんときた。
前の席で入られた大宗匠が、「これは冒頭はやさしいけれど本文は厳しいことが書いてありますね。」とおっしゃったそうだ。禅の修行についての質問への回答らしく(そうだったのか、、)そこは厳しいアドバイスを明恵上人はされたようだ。しかし、、、この消息をさらさら読んでしまうあたり、やはり大宗匠はただ者ではない(◎-◎;)
煙草盆の煙草入れがこれまた根來で水次も根來、そしてとどめが根來の茶杓!時代があるようにみえるがこの茶杓は現館長の祖父に当たる細見財閥の創始者・古香庵(同名の茶室が細見美術館にあり)さんの作だそうだ。とても良い感じの茶杓だった。しかも銘が「東大寺」。それにぴったりマッチする古い薬器の茶器は大きくて、女性の手にはあまるほどの迫力。竹蓋置の光悦の判も鳥肌。光悦大好きだった左入の光悦「加賀」写しの赤楽茶碗も拝見するのは二度目でうれしい。

副席を堪能して大仏殿へ。すでに献茶式の準備はととのっている。

お茶壺行列は拝見できなかったが、駕篭からおろされた茶壺が大仏様に奉納される場面。大和茶業界の方々の手で。
いったん奉納された茶壺は献茶の台子にもどされ大宗匠の手で口切りが行われる。以前は実際にこの中の袋茶を石臼で挽かれていたが、現在はそれは省略されたようだ。台子のお点前を拝見。濃茶と薄茶を一服ずつ。

しっかりとした足取りで階段を上られみずから献茶される。
初めてこの茶会に来たときから5年、大宗匠もついに卒寿を越えられた。いまでも背筋はぴんと伸びておられるが、あとどれくらいこのお点前を拝見できるのだろう、という思いで、しっかりこの目に焼き付けておこうと思う。思えば初めて大宗匠のお点前を拝見したのは大学生の頃、吉田神社の献茶式でのことだった。あの頃はまだ御髪も黒く、油ののった世代でおられたなあ。

本坊では今日庵の拝服席、濃茶をいただく。なにしろ今日庵ですからね、御道具はやはりすごいのよ。清厳和尚の軸「謝茶」、宗旦の竹一重切花入、鳴海織部茶入などなど。

荘ってあるだけで触れなかったもののガラスなしで息がかかりそうな距離で拝見できた長次郎の黒楽がすごかったな。かせた黒でほのかに赤が浮かび上がる、、、その銘も「岩根」、岩根ツツジの赤と見るか。
この席には江戸千家の若宗匠もおいでになっていた。

同じく本坊で辻留さんのお弁当をいただく。タケノコが季節柄おいしい。

大仏殿の東廻廊では毎年奈良青年部の立礼席がかかって、ここだけ一般の参拝者にも無料で施茶がおこなわれるのだが、今までずっと時間の関係でスルーしてきた。今年初めて時間的余裕があったので参席。

全席まわると主菓子3つになるので、さすがの和菓子好きにもきつい。なのでここの葛の干菓子にほっとする。

参会者も、外人さんも、あまりお茶に縁のなさそうな観光客も、みなさんごいっしょに一服。

今年も最後の席は勧学院で東大寺席。

主に東大寺学園にかようご子息をもつお母さん方の席。道具は持ち寄りだが、本堂でご本尊の真ん前でお茶をいただく雰囲気がなにより気に入っている。

今年は台子がでていたが、四本柱の二本に灯明台がついている珍しいもの。上には修二会で観音を荘厳する糊こぼしの造花がほんものの椿の枝に。聞けばこの台子は修二会(お水取り)の勤行に入る前の別火(潔斎)の時、練行衆たちが茶を喫するのに使うものだそうだ。別火は四天王像で有名な戒壇堂でおこなわれるが、この間出入り禁止で世間とは隔離されて潔斎されるため、部屋は暗い。なので台子に灯明台が必要なのだとか。

三個目のお菓子だったが、ういろうと白餡のさっぱりしたお菓子でするっと入ってしまった。

最後に毎年これもお楽しみの記念品。いままで茶碗と香合ばかりであったが、今年は初めて茶杓であった。現・別当の筒井和尚の共筒・箱書き付き。銘を「蓮華蔵」。
蓮華蔵世界は華厳経に説く、毘盧遮那仏(東大寺の大仏さんはこれ)の願行によって現出した一種の浄土、、、らしい。う〜ん、、、むつかしい。どんな席で使えるかな。
閉炉2015 - 2015.05.03 Sun
昨年秋からお世話になった炉をふさぐ。

まずは灰をあげないとね。
この半年、夜咄2回もやれたのはうれしかったな、とか、初めてのお客さんもたくさんよべたな、とかあれこれ思い出しながら。

例によって舞い上がる灰を吸い込む掃除機。いつかフィルターが目詰まりしそう(^_^; よい子はまねしちゃだめよ。

もひとつの秘密兵器はこの頭に装着するLEDライト。両手が自由になるし、見えにくいすみずみまでよく見える。このライト夜の庭の水やりにもお役立ちよ。ただしあまりに怪しい姿なのでひとりでやること。

灰は底取りで豪快に取り出したあと、少なくなった灰は懐紙ですくう。

さらに取りにくい角は100均で買った絵筆がお役立ち。

この半年、ごくろうさん。

しばしのお休みを。本来ならば畳も丸畳にかえるべきで、畳もあるのだけれど、あまりの重さに怪我しそうなので、しばらくはこのままで行こう。

かわりにこれからの半年お世話になる風炉のために敷板をだす。上がり台目は向こうから6寸(約18cm)という約束だが、敷板の大きさにもよるらしく、台目の曲尺割(かねわり)はほんまようわからん。本にはっきり書いてないこともあるし。ようは自分で使いやすいように働きでおけばよい、、、らしいが。大柄な人と小柄な人では同じ曲尺割ではちょっとつらいものね。

昨年からいい土風炉をさがしているのだが、なかなか出会いがない。今年もしばらくこの風炉で。底に奉書、底瓦を。奉書は本来角はこんな風にまるめないのだけれど、昨年灰から奉書がぴょこっととびだしてやばい思いをしたので。

とにもかくにも風炉灰をいれた。灰型はまたのちの課題(^_^;)
またよき茶席がもてますように。

まずは灰をあげないとね。
この半年、夜咄2回もやれたのはうれしかったな、とか、初めてのお客さんもたくさんよべたな、とかあれこれ思い出しながら。

例によって舞い上がる灰を吸い込む掃除機。いつかフィルターが目詰まりしそう(^_^; よい子はまねしちゃだめよ。

もひとつの秘密兵器はこの頭に装着するLEDライト。両手が自由になるし、見えにくいすみずみまでよく見える。このライト夜の庭の水やりにもお役立ちよ。ただしあまりに怪しい姿なのでひとりでやること。

灰は底取りで豪快に取り出したあと、少なくなった灰は懐紙ですくう。

さらに取りにくい角は100均で買った絵筆がお役立ち。

この半年、ごくろうさん。

しばしのお休みを。本来ならば畳も丸畳にかえるべきで、畳もあるのだけれど、あまりの重さに怪我しそうなので、しばらくはこのままで行こう。

かわりにこれからの半年お世話になる風炉のために敷板をだす。上がり台目は向こうから6寸(約18cm)という約束だが、敷板の大きさにもよるらしく、台目の曲尺割(かねわり)はほんまようわからん。本にはっきり書いてないこともあるし。ようは自分で使いやすいように働きでおけばよい、、、らしいが。大柄な人と小柄な人では同じ曲尺割ではちょっとつらいものね。

昨年からいい土風炉をさがしているのだが、なかなか出会いがない。今年もしばらくこの風炉で。底に奉書、底瓦を。奉書は本来角はこんな風にまるめないのだけれど、昨年灰から奉書がぴょこっととびだしてやばい思いをしたので。

とにもかくにも風炉灰をいれた。灰型はまたのちの課題(^_^;)
またよき茶席がもてますように。
初夏の茶会・五島美術館〜関東の茶友のお宅へ - 2015.05.01 Fri
一昨年、東京の根津(井戸)、三井(桃山陶器)、五島(光悦)で茶碗祭(三ヶ所ですごい茶碗ばかり拝見したので)があった。世田谷の五島美術館で光悦の茶碗を堪能したが、東京23区の中とは思えない広大な庭園に茶室が散在しているのをみて、ここでお茶をいただきたいな〜と思っていた。

よき機会を得て、某お社中がこちらで釜をかけられるのに念願叶ってよせていただいた。

早朝に起きて一路お江戸へ。富士山もみえたかもしれない上天気ながら、新幹線車中は爆睡であった。本館の設計はかの吉田五十八(北村美術館・四君子苑のモダンな方の棟を設計)。

五島美術館の庭園は斜面(というより崖)を利用してつくられている。五藤慶太翁はこの庭園を歩いて上って降りて足腰を鍛えていたという。広さなんと6000坪!

視界がうまくさえぎられて全貌が見えないようになっているので(ここらへん桂離宮的)歩くたびに景色がかわってとてもすてきだ。しかも時まさに新緑の候、気分は最高である。

ツツジの花のまっさかり。ここ、ほんとに東京?

濃茶席にはまだ時間があったので、富士見亭(立礼茶室)の香煎席で一服。かつてここから富士山が一望できたのだろうが、現在はビルやら大木やらでなにも見えない。

それでも香煎をいただきながら見る眺めはなかなかのものであった。(残念ながら写真では光でとんじゃってるが)「薫風自南来」の扇がかかっていて、もうそんな季節なのだなあ。

香煎席のお菓子。あ、金太郎飴!

こちらは明治時代に建てられた古経楼。こちらの小間(三畳台目だったか?)で濃茶を、広間で薄茶をいただく。

(やはり高層ビルがみえるあたり東京やわ)
濃茶の席主は男性で今年還暦をむかえられるそう。それにちなんだ道具組、、、とはいえ、いきなり利休の消息(かねて願っていた茶入を拝見できたお礼状)と利休の竹花入がでるとは!!
茶杓が当代お家元作だったので(銘・「殊更」ことさら)千家の初代と、当代、つまり還暦で一周したので「十よりかえるもとのその一」のご心境をあらわしているとか。しかし、美術館クラスだよ、これ。

花は延齢草、これもまた還暦にふさわしい。紅白のきんとんの菓子の銘がまた「華寿(60歳)」。鶴屋吉信製でお茶は丸久小山園(ここでmeet Kyoto in Edo)

(卯の花)
同年代のご亭主のゆったりとしたお点前を拝見し、濃茶をいただく。五客練られた主茶碗がぎりぎりあたって、なんとごっつい黒楽やろ、、、と思ったら当代の楽さんのものだった!昨年あたりに作られたものというから、あの唇を切りそうな焼抜きのその先の茶碗なのだろうな。しかし、、、重い茶碗だった。まさに男性の手に合いそう。
銘を「壺中天」。別に壺中に天あり(後漢書)。流れる時間が違うので、1日だと思っていたらはや60年がすぎていた、、、の心で。

(崖の一番下の部分にある瓢箪池)
水指も古備前なら茶入も古瀬戸、ころんとしてなぜかこれだけかわいらしいサイズの茶入だった。銘を「小槌」。なるほど〜。

(四阿からの景色。右が山中、左が都会、、と別れているところがおもしろい)
薄茶席も男性の亭主であった。こちらは端午の節句の室礼。
水指がめったに見られない鯉桶だったので、紐を解く所作を見よう見ようと思っていたのに、目の前にきたおいしそうな蓬柏餅につい心奪われ、肝腎なとこをみのがした!!痛恨のきわみ。

(緑に映える赤門)
添えられた干菓子が五色豆だったのは鯉のぼりの吹き流しの色だそうだ。もしや、と思ってたずねたらやはり京都夷川・豆政さんのものだった。(ここでもmeet Kyoto in Edo )
淡々斎の粽画賛、鯉のぼりの香合、杜若茶器、そして茶杓の銘が「鍾馗」。よくぞここまでそろえはったものだ、と感心したりうらやましかったり。

緑を楽しみながらお寿司の点心をいただく。

庭もさんざん散策して堪能したあとは今度は美術館で国宝を堪能よ!
なにせ源氏物語絵巻(鈴虫・夕霧・御法)のかの有名な場面をガラス越しとは言え目の前でおがめるのだから。消えていない下線や直線の引き直しなどもばっちり見えて、千年近く前の絵師の息づかいまで聞こえるような気がした。(私も図録をもっているところの)近年完成した復元模写の原画(加藤純子)も並べてあるので、ああ、ここはこんな色だったのだな、と想像しながら見る頃ができるのもうれしい。
おそらく一昨年の光悦展にもでていたと思うのだが、おもに茶碗にしぼって見ていたのできづかなかっただろう俵屋宗達下絵、光悦筆の色紙帖がとてもすてきだった。琳派のデザインなのだが、当時はどんなに斬新であったことだろう。おそらく現代のデザインはこれを越えられない、と思う。

(やっぱり富士山は見えないんよ)
茶会のあと、今年1月にお見送り茶会でお送りしたA様の関東のお宅にお邪魔しました〜!
京都に約3年間住まわれたのがご縁で、毎月の奥伝の自主稽古やあちこちの茶事茶会にごいっしょして、ともに研鑽しあった先輩です。(I miss you!)数ヶ月しかたっていないのにもうお懐かしい。
すでに花月の会の立ち上げなど本拠地でのエネルギッシュな活動を再開されておられるご様子。さらに新たにお茶を教えることを決心され、おいでになった新しいお弟子さんとお茶席に同席させていただいたのもうれしい。これからもさらなるご発展をお祈りするとともに、また京都にも顔をだしてくださることを願う。私もまた行きます、これからも茶縁を細く長くよろしく〜\(^O^)/

よき機会を得て、某お社中がこちらで釜をかけられるのに念願叶ってよせていただいた。

早朝に起きて一路お江戸へ。富士山もみえたかもしれない上天気ながら、新幹線車中は爆睡であった。本館の設計はかの吉田五十八(北村美術館・四君子苑のモダンな方の棟を設計)。

五島美術館の庭園は斜面(というより崖)を利用してつくられている。五藤慶太翁はこの庭園を歩いて上って降りて足腰を鍛えていたという。広さなんと6000坪!

視界がうまくさえぎられて全貌が見えないようになっているので(ここらへん桂離宮的)歩くたびに景色がかわってとてもすてきだ。しかも時まさに新緑の候、気分は最高である。

ツツジの花のまっさかり。ここ、ほんとに東京?

濃茶席にはまだ時間があったので、富士見亭(立礼茶室)の香煎席で一服。かつてここから富士山が一望できたのだろうが、現在はビルやら大木やらでなにも見えない。

それでも香煎をいただきながら見る眺めはなかなかのものであった。(残念ながら写真では光でとんじゃってるが)「薫風自南来」の扇がかかっていて、もうそんな季節なのだなあ。

香煎席のお菓子。あ、金太郎飴!

こちらは明治時代に建てられた古経楼。こちらの小間(三畳台目だったか?)で濃茶を、広間で薄茶をいただく。

(やはり高層ビルがみえるあたり東京やわ)
濃茶の席主は男性で今年還暦をむかえられるそう。それにちなんだ道具組、、、とはいえ、いきなり利休の消息(かねて願っていた茶入を拝見できたお礼状)と利休の竹花入がでるとは!!
茶杓が当代お家元作だったので(銘・「殊更」ことさら)千家の初代と、当代、つまり還暦で一周したので「十よりかえるもとのその一」のご心境をあらわしているとか。しかし、美術館クラスだよ、これ。

花は延齢草、これもまた還暦にふさわしい。紅白のきんとんの菓子の銘がまた「華寿(60歳)」。鶴屋吉信製でお茶は丸久小山園(ここでmeet Kyoto in Edo)

(卯の花)
同年代のご亭主のゆったりとしたお点前を拝見し、濃茶をいただく。五客練られた主茶碗がぎりぎりあたって、なんとごっつい黒楽やろ、、、と思ったら当代の楽さんのものだった!昨年あたりに作られたものというから、あの唇を切りそうな焼抜きのその先の茶碗なのだろうな。しかし、、、重い茶碗だった。まさに男性の手に合いそう。
銘を「壺中天」。別に壺中に天あり(後漢書)。流れる時間が違うので、1日だと思っていたらはや60年がすぎていた、、、の心で。

(崖の一番下の部分にある瓢箪池)
水指も古備前なら茶入も古瀬戸、ころんとしてなぜかこれだけかわいらしいサイズの茶入だった。銘を「小槌」。なるほど〜。

(四阿からの景色。右が山中、左が都会、、と別れているところがおもしろい)
薄茶席も男性の亭主であった。こちらは端午の節句の室礼。
水指がめったに見られない鯉桶だったので、紐を解く所作を見よう見ようと思っていたのに、目の前にきたおいしそうな蓬柏餅につい心奪われ、肝腎なとこをみのがした!!痛恨のきわみ。

(緑に映える赤門)
添えられた干菓子が五色豆だったのは鯉のぼりの吹き流しの色だそうだ。もしや、と思ってたずねたらやはり京都夷川・豆政さんのものだった。(ここでもmeet Kyoto in Edo )
淡々斎の粽画賛、鯉のぼりの香合、杜若茶器、そして茶杓の銘が「鍾馗」。よくぞここまでそろえはったものだ、と感心したりうらやましかったり。

緑を楽しみながらお寿司の点心をいただく。

庭もさんざん散策して堪能したあとは今度は美術館で国宝を堪能よ!
なにせ源氏物語絵巻(鈴虫・夕霧・御法)のかの有名な場面をガラス越しとは言え目の前でおがめるのだから。消えていない下線や直線の引き直しなどもばっちり見えて、千年近く前の絵師の息づかいまで聞こえるような気がした。(私も図録をもっているところの)近年完成した復元模写の原画(加藤純子)も並べてあるので、ああ、ここはこんな色だったのだな、と想像しながら見る頃ができるのもうれしい。
おそらく一昨年の光悦展にもでていたと思うのだが、おもに茶碗にしぼって見ていたのできづかなかっただろう俵屋宗達下絵、光悦筆の色紙帖がとてもすてきだった。琳派のデザインなのだが、当時はどんなに斬新であったことだろう。おそらく現代のデザインはこれを越えられない、と思う。

(やっぱり富士山は見えないんよ)
茶会のあと、今年1月にお見送り茶会でお送りしたA様の関東のお宅にお邪魔しました〜!
京都に約3年間住まわれたのがご縁で、毎月の奥伝の自主稽古やあちこちの茶事茶会にごいっしょして、ともに研鑽しあった先輩です。(I miss you!)数ヶ月しかたっていないのにもうお懐かしい。
すでに花月の会の立ち上げなど本拠地でのエネルギッシュな活動を再開されておられるご様子。さらに新たにお茶を教えることを決心され、おいでになった新しいお弟子さんとお茶席に同席させていただいたのもうれしい。これからもさらなるご発展をお祈りするとともに、また京都にも顔をだしてくださることを願う。私もまた行きます、これからも茶縁を細く長くよろしく〜\(^O^)/