大師会2016〜根津美術館 - 2016.04.03 Sun
東の大師会、西の光悦会、、、、
(しつこいようですが^_^;)さる御方様のご厚情により光悦会は何度も行かせていただいております。このたびさらなるご厚情にて、ワタクシめ、本来このような晴れやかな場に立つ身分ではありませぬが、ついに、、、ついに、、、大師会デビューいたしました!

益田鈍翁が入手した弘法大師筆「座右銘」(『崔子玉座右銘』)を披露するために弘法大師の縁日にあたる3月21日に茶会をもよおしたのを初めとする。

(根津美術館の長いエントランスまでの道)
現在はずっと根津美術館で開かれるが過去には三渓園や畠山美術館などでひらかれていたこともあるらしい。
ゆえに弘法大師ゆかりの三鈷杵のモチーフが会記に刷り込まれていたり、道具にでたりするわけだな。

(会記)
今年は大師会120周年記念らしく、いずれの席も気合いがはいっているといううわさ。根津の茶席は昨年秋に、これまた別のさる方のご厚情で経験済み。あそこの茶室群と庭園はいいねえ。そういえば春の根津ははじめてかな。

まずは濃茶席・一樹庵(MOA美術館席)へ。
ここでは1時間半も待った(◎-◎;) 寄付にて炭道具を眺めながら点て出しの濃茶をいただき本席へ、というパターン。お菓子が塩野の薄紅きんとん+黄味餡でおいしかったわ。
それにしても寄付でいきなり東山御物・牧谿がでてくるものな〜。さすがと言わざるを得ない。

本席では釜を火にかけていた。名物芦屋の極・姥口(姥口というよりおちょぼ口くらい蓋が小さい)なんだが大丈夫かな。漏れないとこ見せたいのかな。床はまたまた虚堂智愚なんかでてるし。(破れ虚堂じゃないよ、あれは東博だからね。「虎丘十詠」)
花入が重量感のある堂々たる砧青磁の筍。私は常々本当に美しい青磁の色ってどんなだろう、、と、なかなか把握しきれずにいる。これがそのお手本だろうか、と穴が開くほど眺める。やはり緑の入った青でつるつるではなくねっとりした色味・肌とでもいおうか。確かにそこらへんの青磁もどきとは違う。花入ればかり眺めていたので肝腎の花を忘れた。たぶん牡丹と古木ではなかったろうか?真の花入れに真の花。

茶入が大名物唐物・羽室文琳。どんな重量感なのか手で持ってみたかったなあ。載っていた盆が藤重。重厚かつ時代変化か透明感あり。かの九十九茄子を灰燼に帰した大阪城から蘇らせた親子の息子の方。(たぶん)
息をつかせるひまもなく、茶碗が長次郎の黒!!「あやめ」。箱書・宗旦。
これがまたかせてかせて、、、。私には「水、、、水をくれ〜〜〜」と言っているように見える。茶碗は濡らすと景色がとたんに変わるから、これも使われている状態で見てみたいとおもうのは見果てぬ夢だろうか。
たまたま並んでいたときに隣り合わせだった東京の先生がおもしろいことをおっしゃっていた。2年前の根津の井戸茶碗展(私も行きました)で、美術館にはいっている乾いた茶碗と個人蔵でたまに使われている茶碗では艶がちがったそうだ。そういう観点で今度からみてみよう。

次に薄茶席・弘仁亭、東京席。
床が南宋の宮廷画家・馬麟の墨絵、寒山拾得図。東山御物。
先日なにかで勉強したばかりの(で、すぐ忘れた)「雑華室印」を見る。足利6代義教の鑑蔵印といわれる四角い小さな印がはしっこのほうに。東山文化の8代義政(義教の息子)より前、というところがミソ。

(根津は紅葉が美しいが桜は意外と少ない。これ一本だけかも)
書院に飾られたこれまた砧青磁の大香炉、またまた青磁の印象がわからなくなる。こちらのはあまりねっとり感なく爽やかにつやつや。脇床には大師会由来の五智鈴(三鈷杵と同じく密教の仏具)が垂涎の、、垂涎の根來の輪花盆にのっておりました。

水指が染付芋頭藤文。蓋を閉めるときチーンというきれいな音がでたのが印象的。焼が固いのでわりと後世のものか。茶碗がのんこうの黒「唐衣」、斗々屋「曙」、鳴海織部沓。
一番萌えたのが黄瀬戸の竹蓋置。蓋を置く面に朽ちて自然に穴が開いた竹をよく見るが、まさにそれ。本物に見えてしかたない。これほしいわあ。だれか作ってくれんかな。
黄色一色の交趾(交趾といわれなければわからん)香合はユーモラスな獅子。

菓子器が幻といわれる存星。ほんもの見たのはじめてではなかろうか。龍文輪花盆である。龍の絵が彫ってあるわけだが、その模様と関係なく、透かして見ると5㎜四方の中に卍がびっしり彫られていてびっくりした。すごい技術だわ、やっぱ存星。(もちろん唐物)
お菓子が越後大和屋製「五合庵」。
胡麻餡を二色のういろうで巻いて、そのういろうに苫屋の焼き印。越後に帰った良寛さんがむすんだ庵・五合庵なんだろうな。

濃茶席の斑鳩席・名古屋席。
寄付の辻堂香合。辻堂本歌は全国に4〜5個しか現存しないといわれる。その中でもこれが最高のものだ、と鈍翁が箱に「唯一」と書いた物。
本席の床に尼子切・伝藤原伊経筆、恵慶法師の歌。
最近変体仮名をおぼえようと躍起なのだが、全然歯がたたない。いやいや、読もうとせず筆の美しさを見よ。
あさぢはら ぬしなきやどの さくらばな
こころやすくや かぜにちるらむ
まさに季節の歌やなあ。

茶入が中興名物・瀬戸広沢手「松陰」、挽家・箱が遠州。黒っぽいなだれが二本、よりそう二本の松の影を連想したか。これに呼応して寄付の源氏物語の絵に松が二本描かれているものを選んだそうだ。

茶碗が雨漏堅手「はがため」。赤ちゃんの歯がためのことか?銘の由来はよくわからないが、見事な雨漏りの極渋の高麗茶碗。これもよだれがでそうであったが、ふと客観的に冷静になってみると、、、多分お茶をしない人にとっては「きったね〜茶碗!」なのかも(^_^;
いままでの茶をすべて雨漏りが吸い取ったとしたら衛生的にも、、、どうなんだろう???

灰器が南蛮瓶蓋で雲州蔵帳にのっているやつ。そっけない土器のような灰器だが灰器にしては珍しく銘持ち。なぜ不昧公が「花」とつけたのかは不明。
お菓子は名古屋と言えばここよね、の両口屋是清の「花の峰」。道明寺の桜餅を山の形に、上に刻んだ桜の葉っぱと花の塩漬け。桜餅のバリエーション。

最後にはいったのが名古屋席の寄付になっている閑中庵に付属する牛部屋。いや、別に牛がいるわけじゃありません。小上がりの四畳半+土間の極わびの小部屋で、へりくだって牛部屋と名付けたとか。ここは番茶席になっていて香り高いほうじ茶と好評だというおかきがいただける。
ここの四畳半はその真ん中のまるまる半畳が囲炉裏になっていて大きな釜がかかり、とてもおもしろかった。親しい人と盆点てで楽しむもよし、平点前ならこれで十分。気取らない感じがよくて、長板としてこれも渋い古材が使われていたのが印象的。

最後は東京吉兆の点心で締め。
煮物椀の味付けが関東風だと連れは言っていたが、私には違いがようわからんかった。
さて、あれ?あれはどうした? あれぬけてるんじゃないの?と、思われる参会者の方もおられるでしょう。でも、このたびは自分が印象に残ったもののみを独断と偏見でのせておりますのでアシカラズ。
天気も良く、春らしい陽気につつまれた一日、ほんに楽しくすごさせてもらったことに感謝。(さる御方様にも深謝)
(しつこいようですが^_^;)さる御方様のご厚情により光悦会は何度も行かせていただいております。このたびさらなるご厚情にて、ワタクシめ、本来このような晴れやかな場に立つ身分ではありませぬが、ついに、、、ついに、、、大師会デビューいたしました!

益田鈍翁が入手した弘法大師筆「座右銘」(『崔子玉座右銘』)を披露するために弘法大師の縁日にあたる3月21日に茶会をもよおしたのを初めとする。

(根津美術館の長いエントランスまでの道)
現在はずっと根津美術館で開かれるが過去には三渓園や畠山美術館などでひらかれていたこともあるらしい。
ゆえに弘法大師ゆかりの三鈷杵のモチーフが会記に刷り込まれていたり、道具にでたりするわけだな。

(会記)
今年は大師会120周年記念らしく、いずれの席も気合いがはいっているといううわさ。根津の茶席は昨年秋に、これまた別のさる方のご厚情で経験済み。あそこの茶室群と庭園はいいねえ。そういえば春の根津ははじめてかな。

まずは濃茶席・一樹庵(MOA美術館席)へ。
ここでは1時間半も待った(◎-◎;) 寄付にて炭道具を眺めながら点て出しの濃茶をいただき本席へ、というパターン。お菓子が塩野の薄紅きんとん+黄味餡でおいしかったわ。
それにしても寄付でいきなり東山御物・牧谿がでてくるものな〜。さすがと言わざるを得ない。

本席では釜を火にかけていた。名物芦屋の極・姥口(姥口というよりおちょぼ口くらい蓋が小さい)なんだが大丈夫かな。漏れないとこ見せたいのかな。床はまたまた虚堂智愚なんかでてるし。(破れ虚堂じゃないよ、あれは東博だからね。「虎丘十詠」)
花入が重量感のある堂々たる砧青磁の筍。私は常々本当に美しい青磁の色ってどんなだろう、、と、なかなか把握しきれずにいる。これがそのお手本だろうか、と穴が開くほど眺める。やはり緑の入った青でつるつるではなくねっとりした色味・肌とでもいおうか。確かにそこらへんの青磁もどきとは違う。花入ればかり眺めていたので肝腎の花を忘れた。たぶん牡丹と古木ではなかったろうか?真の花入れに真の花。

茶入が大名物唐物・羽室文琳。どんな重量感なのか手で持ってみたかったなあ。載っていた盆が藤重。重厚かつ時代変化か透明感あり。かの九十九茄子を灰燼に帰した大阪城から蘇らせた親子の息子の方。(たぶん)
息をつかせるひまもなく、茶碗が長次郎の黒!!「あやめ」。箱書・宗旦。
これがまたかせてかせて、、、。私には「水、、、水をくれ〜〜〜」と言っているように見える。茶碗は濡らすと景色がとたんに変わるから、これも使われている状態で見てみたいとおもうのは見果てぬ夢だろうか。
たまたま並んでいたときに隣り合わせだった東京の先生がおもしろいことをおっしゃっていた。2年前の根津の井戸茶碗展(私も行きました)で、美術館にはいっている乾いた茶碗と個人蔵でたまに使われている茶碗では艶がちがったそうだ。そういう観点で今度からみてみよう。

次に薄茶席・弘仁亭、東京席。
床が南宋の宮廷画家・馬麟の墨絵、寒山拾得図。東山御物。
先日なにかで勉強したばかりの(で、すぐ忘れた)「雑華室印」を見る。足利6代義教の鑑蔵印といわれる四角い小さな印がはしっこのほうに。東山文化の8代義政(義教の息子)より前、というところがミソ。

(根津は紅葉が美しいが桜は意外と少ない。これ一本だけかも)
書院に飾られたこれまた砧青磁の大香炉、またまた青磁の印象がわからなくなる。こちらのはあまりねっとり感なく爽やかにつやつや。脇床には大師会由来の五智鈴(三鈷杵と同じく密教の仏具)が垂涎の、、垂涎の根來の輪花盆にのっておりました。

水指が染付芋頭藤文。蓋を閉めるときチーンというきれいな音がでたのが印象的。焼が固いのでわりと後世のものか。茶碗がのんこうの黒「唐衣」、斗々屋「曙」、鳴海織部沓。
一番萌えたのが黄瀬戸の竹蓋置。蓋を置く面に朽ちて自然に穴が開いた竹をよく見るが、まさにそれ。本物に見えてしかたない。これほしいわあ。だれか作ってくれんかな。
黄色一色の交趾(交趾といわれなければわからん)香合はユーモラスな獅子。

菓子器が幻といわれる存星。ほんもの見たのはじめてではなかろうか。龍文輪花盆である。龍の絵が彫ってあるわけだが、その模様と関係なく、透かして見ると5㎜四方の中に卍がびっしり彫られていてびっくりした。すごい技術だわ、やっぱ存星。(もちろん唐物)
お菓子が越後大和屋製「五合庵」。
胡麻餡を二色のういろうで巻いて、そのういろうに苫屋の焼き印。越後に帰った良寛さんがむすんだ庵・五合庵なんだろうな。

濃茶席の斑鳩席・名古屋席。
寄付の辻堂香合。辻堂本歌は全国に4〜5個しか現存しないといわれる。その中でもこれが最高のものだ、と鈍翁が箱に「唯一」と書いた物。
本席の床に尼子切・伝藤原伊経筆、恵慶法師の歌。
最近変体仮名をおぼえようと躍起なのだが、全然歯がたたない。いやいや、読もうとせず筆の美しさを見よ。
あさぢはら ぬしなきやどの さくらばな
こころやすくや かぜにちるらむ
まさに季節の歌やなあ。

茶入が中興名物・瀬戸広沢手「松陰」、挽家・箱が遠州。黒っぽいなだれが二本、よりそう二本の松の影を連想したか。これに呼応して寄付の源氏物語の絵に松が二本描かれているものを選んだそうだ。

茶碗が雨漏堅手「はがため」。赤ちゃんの歯がためのことか?銘の由来はよくわからないが、見事な雨漏りの極渋の高麗茶碗。これもよだれがでそうであったが、ふと客観的に冷静になってみると、、、多分お茶をしない人にとっては「きったね〜茶碗!」なのかも(^_^;
いままでの茶をすべて雨漏りが吸い取ったとしたら衛生的にも、、、どうなんだろう???

灰器が南蛮瓶蓋で雲州蔵帳にのっているやつ。そっけない土器のような灰器だが灰器にしては珍しく銘持ち。なぜ不昧公が「花」とつけたのかは不明。
お菓子は名古屋と言えばここよね、の両口屋是清の「花の峰」。道明寺の桜餅を山の形に、上に刻んだ桜の葉っぱと花の塩漬け。桜餅のバリエーション。

最後にはいったのが名古屋席の寄付になっている閑中庵に付属する牛部屋。いや、別に牛がいるわけじゃありません。小上がりの四畳半+土間の極わびの小部屋で、へりくだって牛部屋と名付けたとか。ここは番茶席になっていて香り高いほうじ茶と好評だというおかきがいただける。
ここの四畳半はその真ん中のまるまる半畳が囲炉裏になっていて大きな釜がかかり、とてもおもしろかった。親しい人と盆点てで楽しむもよし、平点前ならこれで十分。気取らない感じがよくて、長板としてこれも渋い古材が使われていたのが印象的。

最後は東京吉兆の点心で締め。
煮物椀の味付けが関東風だと連れは言っていたが、私には違いがようわからんかった。
さて、あれ?あれはどうした? あれぬけてるんじゃないの?と、思われる参会者の方もおられるでしょう。でも、このたびは自分が印象に残ったもののみを独断と偏見でのせておりますのでアシカラズ。
天気も良く、春らしい陽気につつまれた一日、ほんに楽しくすごさせてもらったことに感謝。(さる御方様にも深謝)