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2016-05

水の茶事〜名水点 - 2016.05.30 Mon

茶事をするのにその準備の半分は庭の掃除だといったら、いや8割だ、というお茶人さんがおられた。確かに!


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ほんに今の季節はほぼ毎日毎日掃除しても掃除してもマルバヒイラギの落葉がとまらない。しかも葉っぱが小さいので苔に絡んで拾うのに一苦労。
今回の茶事の準備はほとんどこやつとの戦いだったなあ。



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とにもかくにもなんとかお客さまをお迎えできた。



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ここんとこめっちゃ快調に苔むしている蹲居。もう少ししたらこの周辺には蚊が出没する。そのぎりぎり前のタイミングでの茶事。というよりクーラーのない茶室なので6月〜9月初めまでは茶室封印、だから夏前最後の茶事なのよ。



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そういえば昨年の夏前最後の茶事も蹲居よこのユキノシタがきれいな時期だったな。




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待合には柳に燕、、、といきたかったのだけれど、この絵は春先の初燕のころの絵らしく、柳が若干しょぼいので、ほんまものの柳を陶俑に持たせて足してみた。



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蛍籠の炭斗を煙草盆に。
そうそう、もう2週間くらい前から白川あたりには蛍がでているので、夜遅く帰るときの楽しみなのだ。





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来月には障子を葦戸に変えて、網代を敷くので、この待合もがらりとかわる。



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席入り。
本日はじめまして、のお客さまも、ご遠方からお越しの方も、ご近所の方も、流派の違う方も。



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(由緒正しい後楽園の)丹頂鶴の羽根で自作した羽根と、今回のテーマ、水の香合。


お正客さまがなんでもよくご存じの気さくな方なので、ご挨拶から亭主も御連客もすっかりリラックスして話がはずんでしまった。
本席の軸には久松真一(抱石)先生(K大心茶会創始者)の一番最近ゲットした軸をかける。

「閑」


この席名の「雲閑」にも通じる一文字。


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さて、露地掃除が茶事の半分なら残りの半分の半分は懐石。

何せ料理のレパートリーが少ないもので、毎度おなじような献立。
これは季節柄のタケノコしんじょう、ワカメ添え。
もちろん器も水紋。(というか、これしかもってないのだけれど^_^;)




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白和え。
この器は先日は水指として活躍した伊賀の笹山芳人さんのもの。こうして料理の鉢にもなるところが勝手がよい。

今日もわりとお酒をたくさん召し上がるお客さまでうれしい。
八寸で話が弾んだ(先日の茶事で師匠の会話を思い出しながら)。懐石や八寸は流派によってもかなりちがう扱い。千鳥は千家系だけなのかな。




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風炉の初炭は懐石の後になるので、種炭が燃え尽きがち。添え炭をしてなんとかもちこたえるも後炭みたいになってしまうなあ、どうしても。

最後にお菓子をお出しして中立。
今日お菓子も西陣愛信堂さん。水のイメージで、とだけおつたえして持ってきていただいたのがこの涼しげな葛のお菓子、銘を「緑水」。さっすが〜!



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水といえば舟よね。
このつり下げ型の花入はほんまにむつかしい。鉄板のテッセンとあと白いシモツケ、卯の花にしてみた。いかがだろうか。



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先日貴船までとりにいった貴船神社のご神水。(ほとんどは銅駝水なんだけれど貴船のご神水が約500mlばかしまじってる)
せっせと御幣を作って、庭の姫榊(ヒサカキ)を榊のかわりにたてた。釣瓶もってないので。

名水点で水指のお水を濃茶の前にまずさしあげる。




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後座は点前座の風炉先窓の障子もとっぱらった。緑が美しいので。

濃茶は高麗蕎麦茶碗(+三島の重ね茶碗)でさしあげる。お正客様が蕎麦関係の方なので。(というのはウソ。たまたま蕎麦茶碗を使いたかっただけ ^_^;)

茶入はガラスの「風待月(旧暦6月)」。さわやかな色目なんです。



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水指の桶に映る露地の緑。



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後炭はほとんどいじる必要が無く、輪胴だけいれた。(これだけで茶事が終わった後もかなり長く湯がわいていた)

薄茶の干菓子は亀廣保さんのもの。

干潟の芦原にたたずむ鷺の風情で。
ほんまに京都の干菓子は上品で作りがこまかくてすてきやわ。



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いつもは渋渋系の茶碗ばかり出す私だが、今回は女性陣が多いので久々にキレイ系を出してみた。いずれも水に関わる紋様ばかりをあつめて。これがまた楽しかったんだわ。

お茶でつながったご縁でおいでくださり、お客さま方に感謝。楽しいおしゃべりは尽きません。京都検定1級合格者の方もおられて、ええ〜っ!!そうだったの!!と目からウロコの話もたくさんお聞きできた。

茶杓の銘は、お稽古の時この時期なら必ず出てくる「苔清水」。母が持っていた茶杓で陳腐な銘やな〜と思っていたのだが、この日ようやく時と場所を得た。



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最後にお客さまへお土産。

貴船神社の有名な水占い。水にひたすと文字が浮き出るおみくじなんです。それぞれお持ち帰りいただきお家で水につけていただこうと。よい卦がでますように。悪くても気をつけていれば大丈夫。




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お客さまをお見送りした後、まだよう沸いているお湯で茶を点て独座観念。

きょうもまた楽しい茶事であった。準備も片付けもしんどいのにやっちまう楽しさがあるのよね。茶事には。

また今度は9月末かなあ、、、、




水の貴船 - 2016.05.28 Sat

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叡電に乗ってごとごと約30分、そこからさらにバスに乗って水の貴船へ。

(牛の刻参りは貴船がメッカ、、、なのだが、こんな市中から遠いところによう行ったものだと感心する。女の恨みはこわいよ〜)




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京都で水の神様といえばやはり貴船神社。

昨年ここの献茶式にいったら、土砂降りの雨になった。いくら水の神様といってもこれは降らせすぎや〜と思ったものです。



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貴船神社、御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、ずばり水の神様。

日本書紀に曰わく、伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)がせっせと神生みをしていたさいちゅう、火の神を産んだばかりにやけどして死んでしまった伊弉冉。伊弉諾はこの火の神を斬ってしまう。その血潮から生まれた神の一人が火を伏せることのできる水の神・高龗神だったわけで。




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本殿にお参り。

社伝によれば、反正天皇(仁德天皇の息子)の時代の創建で、海神の娘、伝説では神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡ってここに上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。


玉依姫命がのってきた「黄船」→「貴船」になったとも。



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山から湧くご神水、つめたくて甘露。
実はこれが今回のお目当て。



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約500mlくらいのプラボトルが300円で売られているので、これにご神水を入れて帰る。名水点てをしたいのだ。しかし、貴船からえっちらおっちら大量の水を運ぶのは腰にわるいので(^_^;) つ〜か、無理!なので、これを近所の地下水にまぜまぜして使おうと。




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水はくんだが、せっかくここまで来たのだからもう少し水の貴船、楽しもう。




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まあ、貴船といったら川床よね。数年前行ったことあるわ。足を清流につけることもできて、冷たくて涼しくて市中の暑さを一瞬忘れるひとときであった。




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こんなふうに貴船川にはびっしり川床の店がひしめいている。

車で簡単に行ければいいのだが、ここは車で行きにくい上(道超狭い!)駐車場もあまりないのだ。



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貴船川をさらに500mほど遡って今回初めて奥宮までいってみた。
ここは本来の神社があった場所。ここにあった社が、平安時代に洪水で流失したために新たに遷宮・再建されたのが今の本殿だそうだ。そして、ながらく上賀茂神社の摂社扱いされてきたそうだが、明治になってやっと神社として元のように独立したのだそうだ。



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ご神木の桂の大木によりそうお社。訪れた人は広い境内のあちこちの木陰で思い思いに涼んでいた。そう、市中より確実に1〜2℃は気温が低いのだ。




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玉依姫の乗ってきたという黄船を石で包み込んだ、、、といわれる舟形石。ほんまに中に舟が隠れているんやろか。ピラミッドの太陽の舟伝説を思い出すなあ。

この社のさらに奥にかつて雨乞い神事がおこなわれた雨乞いの滝があるそうだが、現在は禁足地になっているとか。禁足地、、、う〜ん、神様の聖域とか、このあたりに来るとそういうのもありかも、、と思えてしまう土地の雰囲気とか、力とか、あるよね。



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はるか鴨川の源流、水の貴船。
この夏、いかがでしょう?




野村美術館講座〜「名物裂のふるさと」 - 2016.05.26 Thu

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野村碧雲荘脇の疏水分線も初夏の装い。

今回の野村美術館講座のテーマは「名物裂のふるさと〜金襴を中心に〜」。
講師は京都国立博物館学芸員の山川先生。数年前の京博の「高僧と袈裟」展の図録で賞をお取りになった方。


名物裂といえば茶の湯を嗜む者にとっては茶入の仕覆であったり、古帛紗であったり。そういう古い名物裂を顕微鏡でみて織り方から時代設定、場所設定を推測する研究分野があるなんてそもそも知らなかったよ〜。



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(興福寺銀襴・いただいた資料より)


日本に伝わった名物裂のなかで一番古い物のひとつとされる興福寺銀欗(金襴の金が飛んで銀になったとも)をとりあげて、歴史的な文献的考察、織物の紋様や織り方の組織からの考察を加え、一体いつの時代にどこから日本に渡ってきたのか、、、というある意味ロマンのある研究だわ。




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興福寺銀欗は少なくとも1595年には興福寺にあったことが文献に記されていて、「紫地 雲ニテ宝珠ノ内ニ鳳凰 大きさ一寸六分(約6cm)」が一列ごとに互い違いに織られている生地。一説に(大正時代の文献)興福寺開基(710年)の時より存在し、戸帳として使われていて「唐代のもの、金襴の初めなり」ともあるがこれは若干眉唾。

現存は前田家伝来、東博所蔵のものや、藤田美術館所蔵の「蘆庵肩衝」の仕覆など。



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(いただいた資料の一部)



裂を顕微鏡で見てくわしく織り方、金箔の通し方などを観察する。

・地絡み(地の糸で金箔を留めている)縫取織  ・地絡み全通織  ・別絡み(金糸のみを留める糸が別にある)織(ランパス)


文献でいつ頃最古の記録があるか調べる。
他に同じ類の裂についても考察して、作られた場所や時代を推定する。

、、、、、まあ、地道な作業だ。

時に裂地はもろくなっているので裏布を外すと崩壊してしまうようなものもあるため、生地の裏を確認できないなどの困難もつきまとうとか。

そこで再び興福寺銀襴。

メトロポリタン美術館に白鳥狩文様金襴という裂が所蔵されているが、これが大きな(16cm)宝珠の中に白鳥狩の文様が織り出されているもの。どこで織られたか、どの時代のものかは不明なんだそうな。

大きさこそ違え宝珠の中に鳥の図柄、そして興福寺銀蘭と同じく地絡み縫取織。宝珠の配置も段で互い違いになっている共通点。そして「白鳥狩」という習慣は遊牧民族系の女真族が建国した金(1115〜1234)や同じく遊牧民系の契丹が持っていたということ。金国王墓から出土した金襴に類似すること、、、から興福寺銀蘭はその時代の西域に近いところから渡ってきたものではないかと推測されるそうだ。


おお〜はるかシルクロードや。陸を渡り海を渡り日本に到来した、、、ロマンやなあ。



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もひとつロマン(?)なのが納失失(なしじ・nasj)という金襴の織り方の来し方。

今までのべた金襴は紙に金箔をはって細く切ったものであったが、納失失は、金糸をもちいる。中央・西アジアで主に発達した技法で、腸膜に金箔を捻りつけた糸を使う。織り方は文様の輪郭だけが地の糸で、残りの部分をすべて金糸で埋め尽くして織る。

文様はどこかペルシャ風。


文献に曰く、この納失失を作っていたのはヘラート(アフガニスタン・バーミヤーン近く)の織工たちで、その美しさに魅せられた、ジンギスカンの末子ツルイによって強制的にアルタイ山脈あたりの ビシュバリクへ移住させられ、納失失の中国流行でさらに北京に移住させられたそうだ。

彼らの足跡はまさにアジア大陸を横断、そして海をわたって日本へ。(またまた)ロマンやな〜。

ただし、、、残念ながらこの空間を金糸で埋め尽くす、、、という派手さ加減が日本人の美意識や趣味にはややあわなかったようで、残っているのは徳川美術館蔵の安楽庵裂くらいなのだそう。


高校時代、井上靖の西域小説(「敦煌」「楼蘭」「蒼き狼」などなど)を読み漁っていつか西域に行くんだ!(で、未だ果たせてないが、、)と誓った私としては、裂地ひとつでここまで西域のロマンを感じさせることに感銘を覚えたのでアリマシタ。






西行庵茶会2016〜大日本茶道学会 - 2016.05.25 Wed

いつもそうそうたる席主がお席をもたはる円山公園・真葛が原西行庵にて、保存会今年二回目の茶会。

ご担当は大日本茶道学会大阪支部長さまでありました。(内科系のDrとか)



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西行庵と大日本茶道学会とはご縁がありまして。

大日本茶道学会はご存じの方も多いとおもわれますが、圓能斎の弟子であり12段皆伝の田中仙樵さんが創始者。彼の主義は封建時代のままの呈の流儀のお茶を否定し、利休以前の流儀のない時代の如く、流派を越えて自由にお茶を研究しよう、というもの。

ほとんどの流儀が茶道に関する本の出版を禁止していたタブーをやぶって裏千家の奥伝の本を出版したところから圓能斎より破門されたのです(だったかな?あまり確信ない)

一方朽ちるがままだった西行庵を明治時代に再興された宮田小文法師。法師が、破門され行く場のなくなった仙樵さんを援助して、のちに圓能斎との和解へこぎつけたそうです。

(大日本茶道学会出版の行の行台子、真の行台子の教科書、私も持ってる〜)



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さて、早朝の西行庵、一席目でまたまた弘道館の太田先生とご一緒できてラッキ〜。

受付の軸が仙樵さんの画賛「茶碗と茶筅」で、賛に曰わく

 「数々の 穂先に 人や 迷ふらむ 茶筅の 竹の 本を忘れて」

これは彼の主張そのままですね。痛烈な批判にもなっているのですが、明治の頃から(ほんとうはもっともっと以前から)現在まで、いつの世も昨今の茶道界のありようを嘆く声はつねに存在した。家元制度がある限りずっと続く永遠の課題。(家元制度がなければないで、伝承できないものもたくさあるので全部否定するわけではもちろんありません)


小間の待合では太田垣蓮月さんの画賛。

「まつともし こえゆくかたや もののふの とりはく 太刀の さやの中山」、これは西行の歌、「年たけて 又越ゆべしと思ひきや 命なるべし 小夜の中山」にかけてあるもの。(ちなみにこの歌を引用して細川三斎が中山肩衝茶入を持って帰ってしまった逸話も有名)




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点心席にかかるのは西行といえば桜!ですので「花下遊宴図」、作者は岩佐又兵衛の息子にして荒木村重の孫、勝重。

瓢亭の点心をいただく。わ!一子相伝・瓢亭卵!
懐石をいただきながら、露地で得意げになんども上手に鳴くウグイスの声も楽しみつつ。



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お菓子が末富さんの、、、、おお!これは噴火口まである富士山!!(画像悪くてスミマセン)

西行と言えば「富士見西行」も有名な画題です。
菓子器がめずらしい源内焼(平賀源内が商売にした)で、ひとつは天橋立図。圓能斎と仙樵さんの中をとりもつ橋立を小文法師になぞらえたもの。



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道安囲のある小間・皆如庵に席入り。

まずは道安囲の障子を閉めた状態で、亭主がはいってこられ、建水持ち出しの気配を感じ、柄杓が引かれてから障子をあけ、総礼。亭主の向こうには障子をたてない下地窓を透かして緑色の光。これを背負ってシルエットとなってされる点前は美しかったです。


さて、その後はもう〜めくるめく名器名碗の大洪水、ほんまにすごかったわ〜\(◎o◎)/!全部は書きませんが、それらすべてに本席の軸の消息を書いた遠州ゆかりのものだったり西行にちなむものだったり、皆如庵を作ったキリシタン大名高山右近ゆかりだったり、それはもうすざまじい。
よくぞここまでストーリーを紡ぐ一級品の道具がでてくるものだと、、、みなさま、あきれたり感激したり。

濃茶茶碗はすべて高麗茶碗、すごく垂涎の井戸茶碗が出てましたの(@_@;)
薄茶茶碗はすべて桃山時代のもので桃山茶陶のあらゆる分野をそろえて、、、、は〜(・o・)〜*
すごく個性的な古唐津はその銘のとおり「編笠」状。お茶を飲むのもたいへんなら、点てるのもさぞたいへんだろうとおもわれるシロモノ。



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茶杓の作が、軸の消息の宛先(仙台藩茶頭)の息子だったり、ようそろえましたな。

織田信長が正親町天皇より下賜されたボンボニエールみたいな網代の香合は明治天皇の御衣から作った帛紗の上に。

干菓子器がまたなかせる。
松花堂美術館が泣いてほしがったという(^_^;呉春の絵が描かれた松花堂(田の字に区切られた浅い箱で、それぞれの区画に一人分の干菓子がはいっていた)。



煙草盆が淀城古材の舟形、「これからお茶の世界に船出して参りますの心です。」とおっしゃるが、もう十分太平洋の真ん中くらいまで来られてますよ〜。




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(西行堂)


お腹も心も満たされたすごい朝の茶会は、終えて外に出てもまだ午前10時、帰りにどこか一つ寄って帰れそうな時間なのでありました。



好日居・茶ノ教室夜会〜新茶上市・端午2016 - 2016.05.23 Mon

恒例好日居さんの茶教室夜会です。


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さて、今宵はどんな趣向でしょう。




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玄関に「新茶上市」。
おお、中国でも新茶の季節、新茶が市場にでまわりだしましたよ、というお知らせ。



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相も変わらずどこをとっても絵になるたたずまい。
手前の箱に今年の新茶の茶葉がはいっているのね。



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水野君のお盆にのっている杯は三種。

本日のお茶は貴州省(雲南省の東となり)のお茶三種。行かれた方が実際買ってこられた茶葉だそうだ。それは貴重なものを。




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手前から

*都匀毛尖・明前茶 (清明〜4月5日頃までに摘んだ若い茶葉)

*都匀毛尖・雨前茶 (穀雨〜4月21日頃までに摘んだ比較的若い茶葉)

*雷山白茶 (名前は葉っぱの色がしろいので白茶だが、分類は緑茶)



ちなみに都匀毛尖茶は細くて繊細な茶葉で、細い釣り針の形をしていたため、かつては「魚鈎茶」とよばれていたのを、献上されてそのおいしさに感激した毛沢東が「都匀毛尖と名付けよう。」と言ったとか。



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まずは一番若い都匀毛尖・明前茶を。
今回は上投法(お湯の上から茶葉をいれる)にていれてもらう。




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ふわ〜っと沈んでまるで雲のように茶葉がほどけてくる。
非常に若い茶葉なので葉の表面にあるこまかい毛が水面に浮いているのが見える。(日本茶でもよいお茶は必ずこの毛がういてくる)



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蓮華で煎れたお茶をくみ分け。



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あわ〜い緑〜黄色。茶葉はそのまま食べてもOK。柔らかいので。

味は日本の煎茶に似ている。ほのかな苦みも。烏龍茶系のような華々しい香りはないものの、そこはかとなく香る。



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続いて摘むのを少し送らせた雨前茶を。(手前)
よ〜く見れば茶葉が少し大きいようだが、あまり違いはわからない。

味と香りは少し強くなったような気もするが、淡いことにちがいはない。



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蓮華で何杯もお茶をすくってみんなで楽しむ。

本日の点心は神戸・新在家の天一製菓製、中華粽。
端午の節句(旧暦では6月9日)なので、粽を食べる習慣のもととなった中国・屈原(楚の政治家、入水自殺したことで有名)の伝説にちなんで。

お肉やウズラの卵などはいってボリュームあっておいしい。(やっぱ中華は神戸や)




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お菓子の晒しよし飴(仙台・九重製菓)をつまみながら、最後のお茶を。



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雷山白茶は蓋碗(がいわん)でいれさせてもらった。蓋碗でお茶をそそぐテクニックにも少し慣れてきた。

貴州省雷山県で作られるかなりレアなお茶らしい。茶葉は都匀毛尖より少し大きめ。味は、、やはりこれも淡くて煎茶を彷彿とさせる感じ。



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三つの茶葉をならべて比較。
真ん中の色が薄いのが明前茶、右が雨前茶、左が雷山白茶。乾燥した状態でよくわからなかった違いがお湯を通して戻すとでてくるところがおもしろい。



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日本のお茶もそろそろ製茶作業の終盤のころだろう。中国茶の製茶も当たり前かも知れないが茶摘みから始まる。貴州省はおろか雲南省にもこれから行く機会はないだろうとおもわれるけれど、そんな地方のことを思い描きながら今宵の茶教室もおひらきとなりました。


禅ー心をかたちにー〜京都国立博物館 - 2016.05.21 Sat

会記終了間近、なんとかすべりこみで京博「禅ー心をかたちにー」へ。



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不立文字、文章で残すこともできず、形としてみることのできないものをどうやって展示にするのか、不思議であったが、展示は主にインド達磨を祖とする禅宗の歴史的な禅僧の頂相が多かった印象。しかもさすが国博だけあって国宝がざくざくなのには驚いた。

「禅文化」として、禅宗の影響をおおいに受けた茶の湯の名物(国宝天目茶碗もでてましたわよ)もいくつか出ていたのでこれは必見、ほかにも等伯の猿猴図やら若冲の障壁画やら、ここらへんはほんとうにすごい。



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達磨から六祖・慧能、そこから別れた禅の諸派、だれがだれの法嗣で日本に来たのは誰で、誰が日本の弟子で、、、とか茶道検定受けるときにさんざん勉強したので、なにやら懐かしい名前がいっぱい。

テキストにも写真が載っていた大燈国師の「関山」道号の実物を拝見できるとはなあ。虚堂智愚の墨蹟もあったし、大燈国師(大徳寺開山)の法嗣・徹翁義亨筆の「臨済録」や、「無門関」版本、東福寺に伝わる「百丈清規(しんぎ)」も見物。これらよう勉強したわ。(もうほとんど忘れとるけど)



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馬祖道一の弟子で百丈野鴨子で有名な百丈懐海(百丈清規もね)

同じく馬祖の弟子の黄檗、さらにその弟子で黄檗に殴られまくっていた臨済義玄は禅宗のなかのビッグネーム中のビッグネーム、逸話にも事欠かない。「臨済の喝」といわれるくらい弟子たちに苛烈だったのだ。

これもまた馬祖の弟子、南泉は子猫を斬っちゃうんだよ。(南泉斬猫)
南泉の弟子趙州はワンコに仏性があるかないかきかれて「無」と答えるし(趙州無字)(「無門関」の中の第一の公案)

無準師範のもとにはたくさんの日本から僧が留学していて、その一人、東福寺を開いた円爾弁円は中国のお寺の再建のため材木を送って無準から礼状をもらっている(国宝「板渡しの墨蹟」・東博)。





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(白隠の達磨。後期展示にはなかった。残念)


なんてことを思い出しながら(まあ、調べなおさないといけないくらい忘れてるけど、、、)それらの名前を展示にさがすのは楽しかった。


しかし今回、ほとんど知識のなかった禅宗の初祖・達磨から二祖・慧可〜六祖・慧能まで、知ることができたのが収穫であった。

二祖・慧可はポスターにもなった雪舟の「慧可断臂図」(水墨画の雪舟がこんな人物像を描くとはしらなかったよ)(

達磨に弟子になりたいと申し出るもゆるされず、左腕を切り落としてその覚悟のほどを示し、弟子になることを許された、という随代の人で達磨の後を継いで二祖となる人である。雪舟の絵はその左腕を差し出す場面。


もうひとり、ここから禅宗が諸派に別れる根源となったといわれる六祖・慧能。
慧能は僧ではなく、もともとお寺で米搗き男をしていた。五祖・弘忍(ぐにん)が法嗣を決めるため課した「悟りの心境を表す詩」で当時寺一の秀才といわれた神秀が作った詩にイチャモン(?)をつけ「本来無一物」の名言を含む詩を作って見せた人。それで弘忍は慧能を法嗣と定めたそうだ。神秀の率いる北宗、慧能の率いる南宗、やがて以後の有名な宗派はほとんど南宗からでているそうだ。

そういえば、さる茶会で六祖釜なるものをみたっけ。(すっかり忘れていたが、、)
形はあやまたず達磨型、胴に「無一物」の文字あり、鐶付きが米を搗く杵。そうだ慧能は米つき男をしていたんだ。いまさらながらその意匠に感動。



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かくのごとく、展示物とあまり関係ない話を展開してしまった。
禅の歴史についてはともかく中味については実はあまりよくわからない。でも禅祖たちの名前をエピソードを繰り返し聞いてなにか真理となるものを見つけられやしないか、、と少し期待している。




カフェとか日本酒とか〜2016春〜初夏 - 2016.05.19 Thu

まずは日本酒+和菓子という意外にマッチするコンビネーションをとりいれた日本酒カフェおづ maison du sakeをご紹介。



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場所は御所西、護王神社のならび西側。
灘の酒・白鹿が京都に日本酒文化発信地としての日本酒カフェをつくらはった。「おづ」は映画監督・小津安二郎の映画の世界がコンセプトらしい。(ようわからんかったが)



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甘みもお酒も好きな人を両刀遣いというが、じつは和菓子と日本酒は意外とあうのだと前々から思っていたが、まさしくそれを楽しめるお店なのだ。(そう思っていた人は多かったってことね)

その日のセレクト日本酒を樽からついでいただく。



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唐衣の和菓子を木の香りも高い椹の杯でいただく。
えへへ、、、おいしいよ。

ただしくれぐれもお車でいかないようにね。



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こちらではおづのためのレーベルがいくつかあって、ボトルも縦長でワインボトルのようにおしゃれ。純米大吟醸「おづプルミエ」を買って帰った。




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こちらは日本茶とお酒のコラボ。

華やか艶っぽい芸妓はん舞妓はんも闊歩する、新橋通りの日本茶バーtea channel さん。

開店は土日だけなのでお間違えなく。

基本は日本茶(煎茶、玉露、抹茶)を茶の生産地から吟味しながら、もっと手軽に楽しめるよう、というコンセプト。
お茶といえば素通りできませんものね〜。



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しかもお酒と日本茶のカクテルがあるのがうれしい。

以前KK&F子のお茶ばーで、日本茶各種とお酒各種のコンビネーションが意外や意外、とてもおいしいことを知ってしまっていたから、すぐおでかけ。やはりこのコンビのおいしさに気づいた人は他にもいたか〜!



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二階にて、玉露焼酎に若干惹かれながらも、このたびは抹茶ビールをいただく。えへへ、、うまい!



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ちなみに、1Fはここ日本茶の店???と思うくらいバーっぽかった!(代表の藤田氏)



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続きまして鞍馬口の、船岡温泉のならび、以前日菓さんがあったところに新しくできたうめぞの4号店(?)、うめぞの茶房さん。

こんどは羊羹に特化したカフェらしいです。(河原町の本店がいちばん普通の甘味処で、他はいろいろな展開をしてはるのがおもしろい)



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日菓さんのときにもここにカウンターがあったな、と思いながら、ここで羊羹をあれこれ選ぶ。

羊羹といっても一般的な羊羹とはべつもの、プチケーキみたいで、種類も味も多彩。



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下で選んで、二階でいただく。町家の二階、なにもないガランとした空間がかえって良い雰囲気。



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どれかにしぼるのはなかなかむつかしい。3個いけるか?!と思ったけれど、かろうじて2個でおもいとどまる。




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レモン(左・めちゃうま)とブルーベリーにいたす。

これは全種制覇するまで通っちゃうかもな〜、、、



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おしまいは円山公園から。

以前、「なかなか予約のとれない割烹」・未在さんの建物をそのままリノベーションして使ってはる茶菓円山さん。
(ちなみに未在さんは円山公園の南の方に移転)



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入り口がちょっと見つけにくいかもしれないけど、いもぼうさんのお向かいだからね。

入り口からして数寄屋。



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腰掛け待合い風のスペースが玄関脇にあったり、蹲居もあったり。



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中は割烹だった頃のカウンターのイメージを残しているみたい。(未在行ったことないから知らんけど)



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ほうじ茶をたのんだら、急須を選ばせてくれた。プリーツワーク(こまかい筋筋、、)が大好きなところの額賀章夫さんの急須や湯飲み、ピッチャーもあるところがポイント高し。




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大徳寺縁高(とても茶味がある)に入ってでてきた甘味三種盛。

右は甘い豆(花豆、エンドウの甘煮)左は大徳寺納豆、黒豆、胡麻なんかを黒糖蜜で固めたようなおこし、手前が胡麻豆腐の甘いのん(真葛羹というりっぱな名前があった^_^;)。




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懐紙のような銀彩の器にとって食べる感じが茶席にいるようなイメージでよかったわ。



そろそろ甘いもんもかき氷バージョンになりそうな、、、暑い京都からおおくりしました〜!




遠州忌茶会2016〜孤篷庵 - 2016.05.18 Wed

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紫野大徳寺、境内のはずれのはずれに小堀遠州ゆかりの孤篷庵がある。



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毎年五月におこなわれる遠州忌茶会に三年ぶりに参席。3年前はとにかく憧れの忘筌(遠州を代表する書院茶室)でお茶をいただく、ということに興奮していたのを思い出すわ。



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朝一にいったのに大勢の方。遠州は茶道史上の巨人のひとりなので、お客さんは遠州流の方ばかりではありません。いろんな流派の方がおみえだったと思う。


まずは遠州流宗家(実は遠州流と一口にいってもいくつかの流派に別れていることを知ったのは最近なのだ)お家元による献茶とご住職による法要を本堂で。「父は家元」という映画ですっかり有名になったお家元。
お仏壇のところに遠州公の辞世、像、あとおそらく遠州の母上の像がかかる。

残念ながら後の方にすわったのでお点前はほとんど見えず。3年前にはばっちり拝見できたのでまあいいか。
ちなみに台子の手前は各流派あまり大きな違いはないのではないか、、と思う。




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まずは家元席・其心庵へ。
四畳半台目の小間で薄茶の呈茶席。

愛知県一宮市ふくやのわらび餅をつかった和菓子をいただく。中が緑の餡でおいしかった(*^_^*)

寄付の床には遠州の消息、其六(佐川田昌俊・遠州の茶道の弟子)宛。
今日は訪れる人もいなくて一人時鳥を友として時をすごし、茶を飲もうと思っていて、、、云々の内容。ネットも電話もTVもない時代、きっと時がゆっくり流れていたのだろうなあ。


本席の床がまた小さい小さい5cm四方の紙の中にペン字で書いたみたいに細い字で漢詩が書かれている。書いたのが孤篷庵の開祖でもあり、遠州も含めた寛永サロン華やかなりし頃の有名人、江月宗玩。

黄銅の花入れに入れてあったのは山法師と赤い撫子。これは今年還暦を迎えられる家元にちなんだもの。
釜がよかったなあ、大正から昭和の頃の釜師・根來実三の唐犬耳釜。西洋のポットみたいに両側に大きな取っ手がついているような感じ。
そうそう、遠州流では風炉の灰は湿し灰で枝炭は胡粉が塗ってなくて黒いのだった。

水指が初めて聞く「宇治田原焼」。先日宇治田原に茶摘みにいってきたばかりなので、あそこにも遠州の指導が入った窯があったとは驚き。一見高取になんとなく似ている。

遠州蔵帳にも載っている高麗茶碗は東高麗手または江戸高麗手とよばれるもので、利休所持の斗々屋と同じ手なんだそうだ。すごく渋い。極渋。

茶杓が寄付の消息の宛名であったところの其六が作った物であった。



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ついで山雲床(さんうんじょう)・四畳半台目の濃茶席。席主は東京の遠州流世話人の方らしい。この茶室の外には刀掛けもあった。現代では無用の長物だが、当時をしのばせる。

寄付の羽根と鐶の画賛は、孤篷庵が焼失した折り、その復興のため尽力した松平不昧公。この方も遠州に憧れたゆかりの方である。
お道具はなぜか益田鈍翁旧蔵のものが多かったな。火入れの灰が菱灰で苫屋型、炭がすみっこにちょこん、といれてあるのがおもしろかった。


古銅の曽呂利には見事な大山蓮華のつぼみ。(開花したものは茶室では使わない。くさいらしいのだ)
黒田家(孤篷庵を創建)伝来の高取肩衝茶入はきゃしゃで小ぶり。茶杓が遠州作のこれまた薄い薄い。よくここまで削った物だ。豪快さとか渋さとかよりあくまで「綺麗さび」。

茶碗はこちらも高麗斗々屋であったが、利休の箱書きがついておった!

お菓子は亀末廣の躑躅きんとん。



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お昼、祗園まつむろさんの点心をいただいてからいよいよ最後、憧れの忘筌、薄茶席。ここでのみお点前もついてくる。席主は名古屋の道具屋さんらしい。
この席はなんと釜師の大西清右衛門さんとか、徳禅寺の和尚さんとか、お名前は存じ上げないがどうやら遠州の研究をされている方?などがご同席、大寄せながら、なぜかとてももりあがった席で楽しかった。(言いたいことをいつもおっしゃる徳禅寺の立花和尚、ナイス!)

ここの唐金の風炉がとってもめずらしくてすてきだった。直径15cmかあるいはそれ以下くらいの穴しか開いていないので、極小の筒釜しかのせられないのだ。上から見ると鍵穴様。これは灰型つくるのさぞたいへんだったと思う。ちなみにこの極小釜は名越弥五郎(江戸名越家)の作で東陽坊。

水指がこれぞ遠州、高取、という典型的な半月。
茶器が雲州蔵帳にのっている盛阿弥の中棗。利休お抱えの塗師で天下一の名をほしいままにした人。真塗りで真っ黒。

茶碗が前田家伝来・彫三島(高麗)、益田鈍翁箱・祥瑞(唐物)、江存作・沓形黒織部(和物)。

織部の裏に「Q」みたいな窯印があって、これが江存のマークと教えてもらう。つるし柿みたいな絵がかかれたすてきな織部だった。


さすがに三個目の主菓子はあかんやろう、、、と思いながらも名古屋・両口屋是清さんの「袖乃香」というお菓子つるっと食べてしまった。誰が袖みたいなお菓子で、茶杓の銘「花橘」にかけたそうだ。(五月待つはなたちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする、、、古今集)


席中では障子はしめてあったが、お点前がおわると後の障子をあけはなち、かの有名な忘筌の忘筌たる舟入板の間を楽しむ。もちろん遠州の字で露結と書かれた蹲居もお忘れ無く。
ちなみに露結耳とは兎のことで、「荘子」の「得魚而忘筌、得兎而忘蹄」から、忘筌の魚と対をなすものなのだよ。


かえりに孤篷庵ほぼお向かいの陶々舎で冷たい煎茶を縁側で一服よばれて帰る。

また楽しい一日、おつれくださったT様、ありがとう〜!




茶摘み体験 in 宇治田原 - 2016.05.16 Mon

♪ 夏も近づく八十八夜、、、、


宇治からバスで約30分、天ヶ瀬ダムの奥、お茶のふるさと宇治田原。

ここでお茶を中心とした都市と農村、地域と地域の交流事業をされている21お茶のふるさと塾主催の茶摘み体験交流会に社中の先生、みなさんと行ってきた。




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この日は晴天で絶好の茶摘み日和。茶の若い葉の浅い緑がきらきらまぶしい。

ちなみに奥に見える黒い寒冷紗は茶葉を遮光していたもの。抹茶になる碾茶、玉露は茶摘み前の21日間を遮光してカテキンをおさえ旨味のテアニンをふやすのだ。(覆下茶園、、、茶道検定受けた方なら懐かしいでしょ?)ちなみに煎茶は遮光しない。




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実は5年前もこのイベントに参加したことがある。
その年は寒さが長引き、芽の動きがおそく小さい新芽しかなかったのでちょっと苦労した記憶がある。

ところがまあ、今年はなんてたくさんの大きな新芽!!
暖かかったからね。こうなると採取意欲ががぜんわいてくるのだ。




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参加者は100人前後か。多いようだが広い茶畑では多いという感じはしない。この茶畑は体験用に特別に区切られた区画で茶葉は無農薬で育てられている。外国から参加された方もおられる。

希望者は茶摘み娘のコスプレ(茜襷、あねさんかむり、手甲脚絆)もできるよ。小さい子供さんが茶摘み娘の格好をしているのはとてもかわいい。意外にも社中のお姉さまがた(私よりかなり年上)が希望されて、、、それはそれなりに、、、(^-^;;




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一芯二葉では量が足りないので若い芽は全部摘んでください、とのこと。いやあ今回は摘み甲斐があるわ。
それにしても茶の若葉の色の美しいこと。ツンツンと上を向く。



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畝の間を下から撮ったところ。
どうしてもてっぺんだけ摘みがちだが、下の方にも若芽はある。


茶摘み歌に


  ♪ お茶を摘むなら下から摘みゃれ上の楉(ずあえ)は後で摘む


というように、プロは木をかき分け下の方から摘んでてっぺんに至るように摘むのだ。

かくして約1時間半、無念無想でせっせと茶摘み。意外とのめりこめるわよ。摘んだ生の茶葉は青臭いわけでもなく、あのお茶の香りも全くしない。これが製茶というプロセスを経てあの香り豊かな日本茶になる不思議。




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かくしてみんなで摘んだ茶葉を集める。一体何Kgくらいとれたのかな。これらは製茶してのちに送ってくれる。(製茶すると重さは5分の1になる)




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茶畑の一画では製茶=手揉み製法のデモンストレーションもある。

とった茶葉をすぐに蒸して発酵を止め(殺青)加熱しながら手揉み(現在は機械で)乾燥で荒茶のできあがり。ここまでが茶農家の仕事。

この製茶方法を江戸時代に発明したのが、ここ宇治田原出身の永谷宗圜(永谷園のご先祖さま)。彼の生家がまだ残っていて、見学もできる。おりしも同日茶摘みや茶会のイベントがそこであったもよう。(こちら




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さて、お昼はお茶をふんだんに使った宇治田原ふるさと弁当をおいしくいただく。鮭以外は全部宇治田原の産物。

玉露ご飯、茶葉の天ぷら、抹茶マヨネーズあえの鮭、たけのこ、などなど。




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そのあとは茶歌舞伎!!
お茶の種類をあてっこするゲームのようなものです。

塾長でもあり、お茶その他いろいろのお友達(^-^)/であるところのTさん担当。(Tさんは全国津々浦々、あちこちで茶歌舞伎デモをされてますよ〜)


実は密かに心に期すところが。
というのも5年前、この茶歌舞伎で、全部間違えたのは私を含め100余人中5名のみというひどい結果だったのだ。



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最初に煎茶を試し飲みして、そのあとランダムに煎茶、玉露、玄米茶(これが意外とむつかしい)、雁金をいれる。5杯のうち2杯だけが煎茶。それをあてるのだ。

といっても、すべて90度のお茶で90秒でいれるというルールなので、玉露などは低温でまったりだしたものとは別物になっているところがクセモノ。


水の色とか、茶の落ち方とか、香りとか、残留物とか、いろいろここに注目、という説明があるのだが、5年前の経験からそれらはすべてフェイント、話は聞かず自分の鼻と舌だけを信じること。これがコツよ!(ほんまか?)
小学校低学年ほど正答率が高いというのは人の話聞かんからやろうし。



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で、今回は煎茶は全部当てた!(でもけっこう正答率高かった)
でも、、、雁金と玉露はまちがえたんで、あんまりたいした舌ではないな、私。



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茶歌舞伎のあとは石臼挽き体験。盛りだくさんだ。

かなりいい碾茶を用意してくれたらしい。
時計と反対周りに一定のリズムで。早すぎても遅すぎてもいけない。




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石臼の構造を説明するのは、、、、

あれ〜〜???Σ(゚□゚(゚□゚*)

こんなところに鴨茶の為さんが!!

Tさんのお友達でもあったんだ。さすが為さん、相手を見て名調子だわ。皆さんも楽しそう。



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前回自分で挽いた抹茶は粉っぽくておいしいと思わなかったのだが、今回、、、




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なぜかとても美味しかった\(^o^)/
濃茶にしても十分おいしいので3〜4杯濃茶にしたり薄茶にしたりして楽しんだ。点て方は為さんの指導つき。



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今年初めて体験したのはお茶バーテンダーのパフォーマンス!
実際プロのバーテンダーであった方がみごとなジャグリングや、




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煎茶、玉露、川柳、ほうじ茶、京番茶など6種のお茶を、それぞれお茶をいれるお湯の温度も考慮しながら一気にいれる!というパフォーマンスが圧巻であった!




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いれてもらったお茶はこれもおいしくみんなで飲み比べ。いずれのお茶も捨て難いおいしさだ。




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(覆い中の茶畑)


あとは恒例のおいしいお茶の入れ方講座をこれも面識のある和束のイントラクターさんにおしえてもらっておひらきとなった。

おいしいお茶を1日で一体何煎、何服のんだことやら。

ペットボトルのお茶はのどが渇いた時、心が渇いたら是非急須でお茶をいれてください、とはインストラクターさんのお言葉。
お湯の温度をゆっくりおとしながら、茶葉が開くのをゆっくりまちながらいれて飲むお茶はまた格別なんです。






白川「酔」舟茶会 - 2016.05.13 Fri

我が家から近く、国立近代美術館の裏から南の白川べり。




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季節毎にここちよい美しい道です。



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ここを少し南にいくとかつて竹中製麦所(大麦の製麦)とその水車があった竹中庵があります。(右手)このあたりは昭和初めのころまで、白川の水力を利用した小さな工場が並んでいた場所なんだそうです。今からは想像できませんね。




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この竹中庵ではいままで白川あかり茶会などで茶友さんが席をもったところなので、何回かおじゃましていますが、今回ご縁あって使わせてもらうことになりました。
(今後このお家は文化的なイベントなどにもっと貸し出しされたいとのことです。)


さて、今回の茶会の首謀者(?)・いちご亭師匠の御指導の下、奥方(懐石担当)、竹中庵との顔つなぎもしてくれた水屋・裏方担当の藪内の茶道男子、それに私で3席合計28名のお客さまを迎え撃つことになりました。

竹中庵、目の前は白川ゆえ、白川で舟に乗り、ほろ酔いかげんで茶を飲み音曲を楽しむ旦那衆になっていただこうと、強力助っ人を要請。



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懐石で、お酒もでまわっている間のBGMとして力強い津軽三味線を披露してくれたF子ちゃん。(ロックギターに通じるものがあり、めちゃかっこよかった。)



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そして会の格調を高めてくれました、鳳凰の鳴き声といわれる笙を奏でてくれたM師。(ひととき極楽浄土の妙なる調べを聞きました)


本邦初の(いや、たぶん世界でここだけ)津軽三味線と笙のコラボセッションでございます\(^O^)/



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懐石は、、、あまりにめまぐるしい忙しさゆえ、写真が、、、、写真がありませぬ。かろうじて八寸だけ。お精進でお客さまに運びながらもちょいちょい味見>^_^<
茶道検定に出た「引重」なるものを使うのを初めて見ました。(上の段に香物、下の段に焼物)

向付は胡麻豆腐、汁はよもぎ麩、煮物は森嘉さんのひろうす(*^^)v、焼物は賀茂茄子の田楽、八寸は根昆布に松茸佃煮。

ご飯も大きな土鍋で3席ともそれぞれ一から炊きます。湯斗のこがしもこれでつくる、まあ、なんと奥方といちご亭師匠、藪内茶道男子の手際のよさ!!懐石裏方の勉強をたっぷりさせていただきました。

その間師匠は二階の茶席(濃茶席・薄茶席)の炭やお湯の管理までいつのまにかすませてくれているって、いくら年季が違うとはいえすごすぎるよ〜(ちなみに師匠は私よりはるかにお若いのだけれど)


お初にお目にかかる方、ご遠方から来られた方、時々いっしょに宴会?してるお若い人たち、皆様、呼びかけに応じてきてくださったありがたいお客さま方。
懐石の一献の時に盃でなく煮物椀の蓋をさしだし、そのお酒を飲み干した特に若い女子s!!いや!たのもしい!!日本の未来は明るいぞ!!



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今回主菓子はやっと念願かなって御菓子丸さんに依頼。
白川酔舟のイメージで、とお伝えしただけでこんな美しいお菓子を作って下さった。

舟板に(某所で採取した)柳の枝(+ヤブミョウガの葉)のうえにお菓子を盛る。白川ぞいに柳がゆれ、白川に舟をうかべ、水は流れる、、、そんなイメージで。



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銘を「白水」とつけていただきました。


懐石の後は笙のお送りの調べで二階のまずは濃茶席へ。



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こちらが私担当の濃茶席ですが、これはまだ前日の準備段階の写真。窓も遮光して四畳半を閉塞的な空間にしてみました。



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床の間がないので、あれこれ考えて、即席床の位置からして風炉の逆勝手とすることにしました。初風炉からいきなり逆勝手、けっこうおもしろかったけど、その後のお稽古での本勝手点前があれあれ??って感じで、、、^_^;



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李朝の染付に姫百合、姫リョウブ、前日の菖蒲湯の名残の(^_^;葉菖蒲。


締め切って電気を消すと、、、、



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昼なお暗い茶席になりました。



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これはお客さまからいただいた写真。
第3席になるとほんとうに夜のとばりがおりて、主客とも燈火に意識が凝縮されるよい空間になったと思います。

まあ、お客さまとの会話が最初はわれながらたどたどしくて、反省しきり。席を重ねるたびにましになったとは思いますが、その点いちご亭師匠の懐石中や席中の会話がほんまの落語家そこのけの巧みさで何回舌をまきましたやら。あのように当意即妙の茶席ばなしができるようになりたいものだわ。


(そうか、八寸の時こそお客さまひとりひとりとじっくり会話をせねばならないのね。いままで時間を気にして駆け足でお酒だけついでたわ。今度からそうするようがんばろ〜)




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濃茶席がおわったあとは向かいの薄茶席へ。
閉塞感からぱあ〜っと白川がみわたせる開放感あふれる席です。思わずお客さまから歓声が。




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窓から下をみると前栽に大山蓮華の大木。塀の向こうはすぐ白川が流れます。川の向こうの緑の木は桜の木で、桜の花の季節にはほんとうに美しい景色になります。



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(薄茶席のお菓子。酒粕の干琥珀がめちゃおいしい!)


いちご亭師匠担当の薄茶席は遊び心いっぱい、そして落語への愛があふれた席でした。

お道具も、一目見たら「まあ!!」と思わず笑顔になってしまうようなもの、ええ〜\(◎o◎)/!と驚くような型破りな物、端整な襟を正したくなるような物、いろいろ多彩でお客さまもお楽しみの様子、さすが真打ち(?!)でございます。

さらにおひとりおひとりのお客さまとかわす師匠の楽しげな会話をお運びをしながら聞いて勉強勉強。



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最後の席には薄茶席も夜に沈みました。白川もほんのり夜景、もうすぐここにも蛍が飛ぶはず。

お客さまのお見送りは津軽三味線の「花笠音頭」で。(この曲、楽しくていまだに頭の中をぐるぐる回ってます)


3席無事終了し、片付けが終わるともう22時を越えていました。いささか、、というよりたっぷり疲れましたが、みんなで力を合わせてなにかやり遂げるという達成感はいくつになっても幸せな経験です。

来てくださったお客さまにもささやかな幸せを感じていただければさいわいです。ありがとうございました。
いちご亭師匠、お声かけしてくださって感謝です。奥方様にもご苦労様です。
茶道男子、特に搬入時撤収時大活躍してくれて助かりました。緊急招集に応じて片付け手伝ってくれたMちゃん、ありがとう。F子ちゃん、M師、唐突な声かけに快く応じてくださり、お客さんも拍手喝采でおおよろこび、ほんまにありがとうございました。

このまま幸せな気持ちで、、、家で倒れます(^_^;

(私は疲れすぎてばたんきゅ〜、、でしたが、解散後若い連中はさらにご飯食べに。いや、元気やわ〜。さすがについていけんかったわ(@_@;) )






軒菖蒲作り〜旧西村家住宅 - 2016.05.11 Wed

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洛中にある旧西村家住宅は国の指定登録有形文化財である。ここを近年(私も「らくたび文庫」でしょっちゅうお世話になってるところの)らくたびさんが手に入れはった。昨年公開してたので中を隅々まで拝見したが、とてもすてきな町家で、よくぞ残ってらくたびさんのところへ行ったものだ、と感激した。(そのときの記事はこちら。写真もたくさん載せたよ)




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5月5日端午の節句にここで軒菖蒲をつくるイベントがあったので早速参加。

玄関には五月人形のしつらえ。



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座敷には葉菖蒲(花菖蒲とは違う種類)と蓬が準備されている。




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時間まで町家ウォッチング。やっぱりええなあ〜、町家は。

さて、そもそも軒菖蒲とは。

今でも炭屋さんでは5月5日にかならずしはります。一日限りの厄除け装置(?)。

玄関の屋根に葉菖蒲と蓬をのせる、、、だけなんですけどね。



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菖蒲と蓬を束ねているところ。
菖蒲の蓬も独特の匂いがあるので鬼が嫌うのだとか。蓬は餅にあるほど芳香だが、確かに葉菖蒲はちょっとクセのある匂い。


軒菖蒲はいつごろから始まった風習なのか、しらべたけれどよくわからない。ただ、狩野永徳渾身の上杉本「洛中洛外図屏風」に屋根に菖蒲を葺く場面が描かれているので、少なくとも安土桃山のころにはあったと思われるとのこと。(しかもこの場面は東洞院通と書かれている!このおうちのほん近く)



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で、なぜ端午の節句に厄除けをするのか?

これも諸説があるみたいだが、一説に、ちょうど田植え前の時期。

田植えはそのかみには神聖な行事であったので、田植えをするのは清らかな若い乙女=早乙女でなければならなかった。
その早乙女たちは田植えの前夜から菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋にこもり、菖蒲酒を飲んで穢れを祓い、神聖なる田植えに臨んだところからきたという。



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(10束をひもでつないだところ)



また一説に古来中国では旧暦五月は午の月で縁起のわるい月だった。(端午とは五月の最初の午の日というところからきている。)五月忌みという言葉もあるようにこの縁起悪さを菖蒲や蓬で祓おうという習慣が平安貴族のあいだで取り入れられた、と。



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とにもかくにも、厄除けのために軒菖蒲を飾り、菖蒲酒を飲み、菖蒲湯につかる。昔のひとは節句や、日が悪い、方角が悪いと言ってはいろいろ厄除けやおまじないを欠かさなかったようだ。現代ではほぼ失われた習慣だが、季節コンシャスで雅。ただし、、、少しめんどくせぇ〜(^_^;)(さぞ生きづらかったのでないだろうか)




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さあ、いよいよ玄関の軒に飾る。




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水をうって、完成!

(もう少し束が多い方がいいかも、、、)




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厄除けのあとは、直会(なおらい)っぽく点心をみなさんで。



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もちろん菖蒲酒も飲みますよ。




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二條若狭屋さんの「唐衣」のお菓子をいただいて、、


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一階のお座敷で、こちらでお茶の教室をされている先生にお薄を点てていただく。



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軒の内側から見る菖蒲。光を透かせるさわやかな緑にすっかり厄落とし厄落とし。




昔語りの茶事 - 2016.05.09 Mon

(今月Sさんのお茶事に行かれる方、ネタバレかもしれないのでスルーしてね)


「髙砂」の翁・媼の大津絵に迎えられて、席入りすると「山是山 水是水」の掛物に黄瀬戸っぽい鬼の香合。
これは一体なんの趣向なのだろう?とちょっとわくわくする茶事のはじまり。

おさそいいただいてSさんのお茶事によんでいただいた。

Sさんのお住まいはマンションなのだが、その一室を四畳半の茶室に上手に作りかえられて、電熱ながら炉も切っておられる。床をあげて炉の深さを確保、炉縁の丈も短くしたものを特注、隣の部屋のエアコンがうまく茶室にもきくようになっている空調、などなどそれらの工夫にまず目が行く。



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ちなみにこれは後座の写真だが、軸を掛ける折れ釘を壁にうち、こうして台をおいただけでりっぱな床の間になるのだ。上のほうはうつっていないが、マンション特有の天井近い壁のでっぱり、その下のひっこんだスペースに軸用の釘がうってあるので、押板床っぽい雰囲気がでていた。




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まずはお手作りの懐石をいただく。加減酢でなく煎り酒を使った昆布締めの刺身がとてもおいしい。

そこでさきほどの趣向についておたずね。

「翁と媼でおじいさんとおばあさん。山は、、、水は、、、はおじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、、、」
それで鬼の香合とくれば、、、いやあ、次の登場人物はどこらへんででてくるのかわくわく。



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汁の実が!兜と矢筈とは!



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煮物椀にも見事な鯉のぼり!!
感激感激。懐石にまで季節やテーマをとりいれる余裕は私にはまだない。

最後の八寸にいたるまで、とてもおいしく楽しくちょうだいした。

で、主菓子が(これもお手製の)ねりきりの桃!!やった!やっぱり!


中立のあとの後座。
さあ、なにがでるかな、次!


後座では濃茶をおいしくいただく。
ここでまずは蓋置が三猿(猿)、濃茶の茶入の銘が「小鳥(雉)」、どきどき、あと犬はどこにでてくるのだろう。



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薄茶席で、これまたお手製の雲平は青楓、そしてこの丸い州浜は、、、、?
これぞ「きび団子」!!

次々くりだされる物語にほんとうにわくわくする。


薄茶の主茶碗に、、、いましたいました!わんこ(犬)!これで御供が全員そろいましたよ。

しかも竹の絵の次茶碗は、スマホa○の三太郎(桃太郎・浦島太郎・金太郎)の有名なCMで、桃太郎のお嫁さんが、かぐや姫になっているから、、というお遊びまであった。

棗の蒔絵は花七宝繋ぎ、鬼ヶ島から持って帰ったお宝なのね。


最後の締めに茶杓の銘が「昔語り」。
これにて「桃太郎」の物語、完結!

いや、楽しい御趣向だった。お見事と言うほかない。かくされたキーワードをこぼれずに拾い上げようとする謎解きみたいな楽しくってしょうがない茶事であった。

Sさん、ありがとうございました。おさそいくださったOさん、御連客さまにも感謝です。
また、こんな茶事ができたらいいな。






信貴山縁起絵巻展〜奈良国立博物館 - 2016.05.07 Sat

東大寺華厳茶会の後、そのまま奈良国立博物館にて開催中の「信貴山縁起絵巻展」へ。


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これは行きたかった、行かねばなるまい。いざ、遙か平安のコミック展へ!


さて、信貴山縁起絵巻は有名だが、その信貴山の寺の本来の名前が朝護孫子寺ということを実ははじめて知った!(今でも言いにくいのでよう覚えきらん、、、)

建立は聖徳太子までさかのぼる。太子が物部討伐に向かう途中、戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を授け、勝利できたとする伝説。よって信貴山は毘沙門天を祀り、その使いである虎がシンボルとなっている。



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だから博物館の入り口で虎の張り子のお迎えを受けたとき、最初は???と思ったが、納得。


中に入ると入り口ホールの高い天井に、、おお!!俵が、、俵がいくつもとんでいた。よく見ると飛鉢もあった。国立博物館なのにけっこう遊んだディスプレー。


信貴山縁起絵巻を横歩きしながらじっくり見る。剥落もけっこうあるので見にくいところは上にある写真(実物より見やすい)で補いながら。

ストーリーは信貴山中興の命蓮を主人公とした霊験譚3つ。


*山崎長者の巻(飛倉の巻)

信貴山に住する命蓮は托鉢の代わりに鉢をとばして食べ物などもらっていたが、山崎の長者は鉢を米俵の倉の中にうっちゃってた。すると倉ごと空を飛んで信貴山までいってしまったので、長者は倉を返すよう頼む。命蓮曰わく倉は返せないが中の米俵はすべてお返ししよう。俵をひとつ鉢にのせると、あ〜ら不思議!その鉢のあとを追いかけるように倉の中の俵はすべて連なって空を飛んで長者の家へかえったとさ。


*延喜加持の巻

延喜の帝(醍醐天皇)が病にかかり、その治癒を祈る加持祈祷を(俵飛ばしで有名になった)命蓮に頼む。命蓮は山を下りずに信貴山で祈祷するという。もし帝が平癒したとして、それが命蓮の祈祷の成果だとどうしてわかるのか?という勅使の質問に、自分の加持祈祷が成就した暁には「剣の護法童子」を使わす、と。
そして帝の夢に、右手に宝剣を,左手に羂索を持ち、千本の宝剣を体に吊し,黄金の法輪を回転させて空を疾走する護法童子が現れ、帝の病は平癒したのであった。


*尼公(あまぎみ)の巻


修行に出て行ったきりの弟命蓮をさがして姉の尼公が信濃から奈良へでてくる。東大寺の大仏様の前で一夜祈り続けると夢に未申の方に紫の雲のたなびく山をたずねよ、というお告げが。
それが信貴山であり、姉弟は無事再会、そのままいっしょに信貴山で仏に仕えたそうな。



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登場人物の表情やしぐさが、これはもう平安のコミック!としかいいようがない、。これを現代に描かれたマンガ、といわれても違和感がないのがすごいのだ。1000年近く前なのにね。


たとえば倉や俵が飛んでびっくり、あわてふためく様子、倉においすがろうとするところ、命蓮に俵を一つだけ鉢にのせるといい、と言われ、いぶかしげながらもそれに従う男の表情。
騒ぎを見ようとする男のつま先立ちのポーズ。尼公が大仏様の前で一夜を明かす様子を表すのに、大仏殿の前のあちらこちらに半透明の尼公が複数描かれているところ。

平安時代の貴族の暮らしは源氏物語絵巻などでよく目にするが、庶民の暮らしというのは絵にもあまり残っていないので、ほとんど知らないままであったが、この絵巻にでてくるのはほとんどその庶民。乳をふくませたまま外に出てくる女や、褌?に衣をひっかけただけの男の子が飯碗?をもっているところ、店をいとなむ人やその台所で働く女、、など。

先日のNHKの特集では、この絵巻に使われた絵の具が非常に良質で高価な物であることから高貴な権力者が描かせたものと思われ、しかるに庶民の市井の暮らしにも通じていた人、、ということで描かせたのは後白河法皇ではないか?と言っていた。なるほどな。





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そして絵巻のハイライト、剣の護法童子!
これ好きやわ〜。(中学の美術の教科書で見た時以来よ)

絵の具成分の分析から忠実に描かれた当時のままを再現した模写では、童子のころがす法輪はきらきら金色に輝く。この異様ないでたちの童子の疾走感がたまらない。(あと頭頂部がちょっと気になる、、^_^; )
スピード感を表す、尾を引く雲?の表現はこれまた現代のコミックに通じる。

見ているとチャリンシャラン、と剣のふれあう音、法輪の回る音が聞こえてきそうだ。

日本のコミックは世界的にも人気だが、1000年も前にルーツがあったのだ!
これは感激。

これは行くべし!お見逃し無く!(〜5月22日まで)




東大寺華厳茶会2016 - 2016.05.06 Fri

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今年35回目を迎えた東大寺華厳茶会、この茶会の記事を書くのも5〜6回目かなあ(^_^;



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東大寺好き(お水取りフェチ)とお茶好きがあわさって、ここんとこ毎年でかけている。



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法要時にはためく幡(ばん)。
天気予報では雨が心配されたが、なんとかもってくれた。そういえばいままで参席した中で5月3日、雨がふったことがない。適度な曇り加減で暑くもなく寒くもなく、待ち時間が苦にならない天気である。



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GWまっただ中とて観光客も多い中、とりどりの着物をお召しのみなさまがた、4席の茶席の間を逍遙。



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毎年最初に大仏殿裏の副席(毎年いろんな数寄者が釜をかけられる一番人気の席)を攻略するのだが、ここが一番待ち時間も長く、大宗匠の御献茶と重なることが多い。だから大和茶のお茶壺道中とか、献茶式(11時〜)をご覧になりたい方は時間配分をお気をつけあれ。




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そもそも東大寺を建てられた聖武天皇を法要する祭の一環として行われることになった華厳茶会、労をとられたのは鵬雲斎大宗匠であった。なので毎年御献茶をされる。大仏様への御献茶、大仏殿の階段を天目台をもって毎年てすりもつかわず登られる。御年90はいくつか過ぎられたはず。今年はもうのぼらないでください(転ぶと危険だから)と業躰さんたちがとめるらしいが、たぶん、今年ものぼられたのであろう。
副席を待っている間におわりそうなので拝見できないなあ、、、と思いつつ。




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回廊で待っている間にお茶壺の姿が遙か遠景にみえた。これがカメラの望遠機能ぎりぎりの画像。



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少しだけ大仏殿をのぞき大宗匠のお姿をチラと拝見しただけ(いつ席入りになるかわからないので)。来年は廻る順番を変えて、御茶壺道中から久々に見ようかな、と思う。



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さて、副席。

いやあ〜〜一休さんの軸がでてました〜〜!!
「諸悪莫作 衆善奉行」


白楽天と鳥巣禅師のエピソードで有名な禅語だが、一休さんかあ、、、と感激して拝見。

釜をかけられたのは、こちらも大宗匠に負けず90歳をいくつか越えられた奈良の数寄者さんであった。



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(お菓子は大和郡山・菊屋の「藤」)



古銅に入れられた花は姫大山蓮華のつぼみ、香合が現在奈良国博で開催中の「信貴山縁起絵巻」中の剣の護法童子がころがす法輪にも似た八角輪宝。

六代宗哲はすごいな、の薄器・仙叟好形歌棗。
「花もなく 実もなき枯木 いけてみよ こころの花は 何かまさらむ」
とは宗旦の歌らしい。溜塗の上に黒い漆で歌が書かれているので、会記がなければまず読めないくらい渋い。


それからそれから当代の楽さんの焼貫きっぽい(アヴァンギャルド)黒楽!
家元が席主に乞われてつけた銘が「幽玄」。
なんでもドイツ語のJugend(若さ)からきているとか。ヒットラーユーゲント(少年隊)と関係があったのかどうか、聞き漏らしたが。

替茶碗も金森宗和所持の井戸とか、赤膚焼の木白(もくはく)の茶碗とか、八碗で南都八景をひとつひとつ描いた茶碗とか、すばらしいお道具ばかり。お席主のお歳においつくまであと30年くらいあるけれど、こつこつ集めたとしてもとうてい追いつきませんな。

茶杓が不見斎で銘が「横笛」であったが、これもお席主が邦楽?を習うにあたって最初に奏じた曲銘なのだそうな。

ほんま、毎年毎年副席はすごい。(やっぱ一休がよかったなあ〜)



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次に本坊にて濃茶の今日庵席へ。



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お道具組は大宗匠がされたそうで、、、という話をきいていたら、その大宗匠がすぐ目の前で参席客に挨拶されていた。献茶はみることできなかったが、ここでお元気なお姿を拝見。ほんまに腰もまがっておられない。すごいです。




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お菓子は末富の「香具山」。昔の記事を読んでいたら数年前にも同じのがでていた。淡い草色がはるか飛鳥にある山の姿を彷彿とさせる。

この席で正客されていたのが、4月初めひな会式で訪れた法華寺の尼様だった!

軸は玉舟宗璠(江戸初期の大徳寺禅僧)の「咄々々 力口希」。利休辞世の一部。
竹二重切の花入は、かすがいがいっぱいうたれてつくろわれている今日庵伝来のもの、銘を「老僧」。やぶれかぶれの衣をまとった老僧かな(^_^;) ただし竹の内側は金砂子の漆ぬり。

花はケマンソウにテッセン。




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(若草山ものぞめる本坊の庭には杜若もしくは菖蒲が)


根來の香合に一入茄子茶入「仙人」、茶杓が宗旦「山猿」、渋渋好み。

加賀光悦を長入が写した物も大きくて迫力あったし、一番ええな〜と思ったのが大徳寺呉器。おおぶり。残念ながら拝見だけだったが、こういう大きいので一度お茶を飲みたいもの。



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これも毎年恒例、辻留さんのお弁当をいただき、



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勧学院の東大寺席へ。
ここは東大寺学園の父兄が奉仕され、学園長でもあり、お茶に造詣の深い上野道善師の席でもある。



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なんといってもここはご本尊の前で点茶され、本堂でお茶をいただく、という独特の雰囲気が好き。



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お菓子は、奈良・樫舎さんの葛焼「草千里」。
こちらのお菓子は毎年いろいろ工夫されているなと思う。




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上野師が書かれた東大寺の「大」の字がお茶碗ひとつひとつの中に。



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最後に大仏殿回廊の奈良青年部呈茶席へ。
ここは一般の方もまじってお茶をいただける。大仏殿を背景に葛のお菓子を食べて一服。




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お花はフタリシズカとキスゲ?でしょうか。



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今年の記念品は花喰い鳥の香合。東大寺古材をもって指物師・岩木秀斎作る。
なぜかこの木材とてもよい芳香がするのだが、材はなんであろうか?



(記憶違いもあるかと思われるので、間違っていたらご指摘下さい。特にユーゲントの由来が、、、)



千本ゑんま堂大念仏狂言2016 - 2016.05.05 Thu

大念仏狂言といえば壬生狂言があまりに有名だが、ローカル色(ご近所の方が自転車で来ている率高い)ゆたかな千本ゑんま堂こと引接寺の大念仏狂言も忘れちゃならない。(私はどちらかというとコチラの方が好き)

まずは幕間にきこえる「カンデンデン(太鼓と鉦の音)」をお聞き願おう。









なんだか、ひなびたような、なつかしいような音色。

ゑんま堂の念仏狂言は5月1〜4日までおこなわれるが、初日と2日は夜の部のみ。3年前は昼の部にいったが、今回、宵になってからの19時〜の部に。




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ここは平安時代の野辺送りの地、蓮台野の入り口にあたるのだが、千本通り鞍馬口あたり、庶民的な商店街がまだまだ元気だ。




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陽もおちてくると赤い提灯に火がはいる。ここのご本尊は閻魔様、こわいよ(^_^;
寺の建物は再建ながら15世紀というからすごく古い。




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本日の演目。

かつては西陣の特定の家の男子のみ世襲で継承されてきた狂言で、一時は20日以上も延々と演じられるほど人気があったらしいが、TVの普及ともに狂言を見る人もいなくなり、昭和39年に中断、昭和49年に舞台と衣裳焼失で一時は完全消滅かといわれたらしい。

現在ではゑんま堂狂言保存会の方々の(幼稚園児からシルバーまで)手弁当の努力で復活、維持されている。
出入り自由、料金無しの公演なのだ。ありがたさに頭がさがる。

地元のおっちゃん、おばちゃんがつっかけばきでくるようなイメージで、これこそもともとの演芸の姿かな、と思う。



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第1演題は「花盗人」

壬生狂言はすべてセリフ無しの無言劇だが、ここの狂言はすべてセリフあり。その台詞回しがまたユーモラスでおもしろくもある。

大名に花を取ってくるようにいわれた太郎冠者が、花を持った悪人とのかけひきにだまされて、自分の刀、大名の刀までとられてしまう。



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おこった大名が悪人をとらえようとするが、まぬけな太郎冠者はまちがえて大名をしばってしまう、、、というおはなし。



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太郎冠者のまぬけぶりもさることながら、大名も意外とへたれでまぬけなところが笑える。二人を翻弄したあげくさっさと逃げおおせる悪人の悪人振りが痛快。



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幕間の「カンデンデン」
壬生狂言はセリフがないので劇中ずっとカンデンデン♪なのだが、こちらは幕間のみ。




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第2演目「伯母ヶ酒」


酒屋の伯母から、なんとかしておいしいお酒を振る舞ってもらおうとするがうまくいかない甥。伯母さんはなかなかしたたか。



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そこで酒屋ばかり狙う鬼がいる、という法螺をふきこみ、夜に鬼に化けて伯母さんをおどし、まんまと銘酒をしこたまいただく甥。飲んでいる間は鬼の面をはずさないといけないので、「のぞくなよ〜、のぞくとわにわにするぞ〜」とおどす。
伯母さんは「こわやこわや、、、(でも)わにわにとはなんやろ??」

案の定酔っ払って寝込んだ甥は伯母に正体をしられてあとは、、、というおはなし。

見るなよ、といわれてコワイながらもこっそりのぞこうとする伯母さんのしたたかさがおもしろい。




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第3演目「でんでん虫」


これが一番おもしろくて大笑いしてしまった。しかも歌がつくので賑やかで華やか。ゑんま堂狂言でも人気の演目らしい。
この太郎冠者の衣裳もすてき。蕪の紋様なのだ。




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高齢になった伯父の長寿の薬に、でんでん虫の黒焼きが良いと聞いた大名は、太郎冠者を呼び、でんでん虫を捕まえに行かせようとする。しかし、太郎冠者は今まで「でんでん虫」と言うものを見たことも聞いたこともない。

そこで、大名はでんでん虫とは、頭が黒い、腰に貝がついている、二本の角を出すもの、と教える。

太郎冠者は、屋敷の裏山へ探しに出かけ、竹やぶの中で眠っている山伏を見つける。

頭が黒い→黒い兜巾
腰に貝がついている→法螺貝を腰につけている
二本の角→鈴懸がそうみえなくもない



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山伏をすっかりでんでん虫とおもった太郎冠者はつれてかえろうとするが、いっしょに囃しながら踊りながらなら行こうといわれ

山伏「♪ でんでんむしむし ででむし でむし」

太郎冠者「♪ 雨も風も吹かんのに出ざ釜打ち割ろう 」

この歌がまた調子よくてまだ頭の中まわってるわ。

大名はこれはいかん、と太郎冠者をとめようとするが、いつしか自分も「雨も風もふかんのに〜〜」と歌いながらミイラ取りがミイラに。だんだん早いスピードになっていき三人とも踊りながら退場。

大笑い。



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最後は「靫猿(うつぼざる)」


狂言役者は「猿に始まり狐に終わる」といわれるその猿。
子役が最初に演じるのが靫猿の猿役なのだ。(ちなみに引退するときには「釣狐」を演ずる)

ここでも猿を演じるのは幼稚園か小学校低学年のお子だった。
猿なので、いっときもじっとしていなくて猿らしいしぐさをくりかえさなければならないので、これも大変な役だと思う。



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大名が矢をいれる靫にその毛皮を使いたい、と猿引きに猿を殺せという。小猿の頃から育てた猿引きは涙ながらに命乞いをするが叶わず、棒をふりあげると、猿は芸をする合図だと思って一生懸命艪をこぐ芸をする。そのけなげさにうたれた大名は猿も猿引きも許し、最後に猿が囃子にのって踊り、めでたしめでたし、というもの。


人情物でしんみりかというと、そこは狂言、大名の言葉を直接伝えず太郎冠者を通じてするまどろっこしさがおかしみになっている。




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夜9時頃終了。夜はすっかり更けた。
初めの頃はぱらぱらだった席も帰る頃には観客がびっしりであった。今年もまた楽しませてもろうた。いにしえの芸能を普段の生活の中で楽しめる、これがなんといっても一番だ。



山荘流茶事〜近代数寄者・高谷宗範をしのんで - 2016.05.03 Tue

大正から昭和にかけて活躍した近代数寄者のなかで高谷宗範はちょっと特異な存在だったような印象がある。

以前宗範がつくりあげた木幡の広大な松殿山荘(しょうでんさんそう)を訪れたことがある。もともと山荘があった土地は源平合戦の時代の貴族、藤原基房の松殿とよばれた別業があった土地だそうだ。

百畳敷きか?!と思うような広い大書院のみの訪問であったが、ここには茶室も大小様々あるのだそうだ。(見たかったな)そのどれも懲りに凝ったつくりだという。




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宗範はもともと検事・弁護士であった。茶道は主に遠州流(遠州流もたくさんの派があるらしい)を学んだそうだが、後に自分の流派・山荘流を設立した。
儒教的礼儀・道徳としての茶道振興を求め国を発展させる、という「茶道経国」をとなえた。そのために「広間書院の台子茶」を復活、厳格きわまりない茶道をめざしたところから、当時の鈍翁や箒庵などの茶道を趣味・教養ととらえ草庵の佗茶を好む近代数寄者とはソリがあわなかったらしい。
特に高橋箒庵(「大正名器鑑」書いた人)とは「高谷宗範高橋箒庵両先生茶道論戦公開状」に残されているような大げんか(?)をしたようだ(^◇^;)




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著作「お点前の研究」で44流派を比較検討された廣田さんにおさそいいただき、その山荘流を継承されている宗範のお若い曾孫さんの邸宅でおこなわれた茶会に参席させていただいた。

他流派のお点前を拝見するのは、いつもとても興味深くて楽しいので、めったに見る機会のないこのおさそい、ありがたい。
しかも茶道流派の研究で豊富な知識をお持ちの廣田さん(石州流鎮信派)のコメント付き!という贅沢さ。
あと遠州流のお若い男性もご一緒に。




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(干菓子・松殿山荘の紋)



宗範の軸がかかる待合から、三畳向切+変則的な向板?の小間へ。しかも釣り釜。

まずはお炭を。他流試合(?)で炭手前を拝見する機会はめったにないので、これも貴重な機会。丸ぎっちょを千家系では縦におくところを胴炭みたいに寝かせて置くのははじめて見た。枝炭が黒いまま、これは遠州流もそうだったな。遠州流を学ぶ連客さんによれば、かなり遠州流のお点前に近いのだそうだ。そういえば遠州さんのお点前はみているようであまり知らないな。

羽根の使い方もかなり違うし、練香は大きいかたまりを作って、それをちぎって二箇所におく、という斬新な!(裏千家のものとして)初炭ながら流れた炭をなおして、という後炭に近い感覚。廣田さんによると、濡れ釜を掛けるのは千家系で、石州や遠州でははじめから湯をつねに沸かしておくという設定なので、濡れ釜も(いわゆる)初炭もないのだそうだ。


亀末廣さんのこなし「つつじ」(ちらされた胡麻がつつじのおしべみたいでかわいらしいお菓子だった)をいただいて中立ち。

後入りの合図に銅鑼を使うのはおなじだ。
後座の花入が竹の一重切り、渋くてかなり古い物かな、と思ったらお正月に作られた竹の花入れから油ぬきした新しいものだった。そうは見えない。コデマリの花がいい風情。

お点前では裏千家と違うところをあれこれチェック。(これが楽しい)
建水を右手でもつところ、帛紗は武家手前なので当然右腰につける、捌き方がしごくようにして細かくたたむ、茶巾がなんと千鳥!(これたたむのいつも苦労する)茶をいれてさばいたあと、茶杓でいきおいよく茶碗のふちをたたかずに、小指で持って薬指のスナップのみで軽くふちにあてる、茶碗に仕込むとき、茶筅は上向き(茶杓は下向きでおなじ)、、、その他いろいろ。

なかでも一番ビックリしたのが、濃茶をのんだあとの茶碗を指をつっこんで指で洗うところ(◎-◎;)!!
(石州でも指使うらしいが)その指は、その指はどこでふくの〜〜??(ちゃんと着物をよごさないコツがあるそうです)



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ほんまに、自流派を中心にして他流派をみるとあまりの違いにびっくりするが、それぞれ違う理屈があるようで、何が本当なのかは不明、、、ということはわかった(^_^; 
同じ流派でも時代によって変化しているので、いよいよどれが正しい、ということはないのだろう。
全体として、お茶を点てる流れはどこも皆同じで、おいしく茶を喫することが肝要、ディテールにあまりこだわる必要はないと思う。でも他流派のお点前って新鮮。翻って自分の流派を外から見直す機会でもある。


うれしかったのが濃茶茶碗、斗々屋の写しを作ったのが、先日伊賀・丸柱の窯元を訪ねたとき、数ある作家さんのたくさんの茶碗の中から選んだ井戸写しの作者さんだったこと(窯炊きを手伝うほどお親しいらしい)。ここでまた再会できるとは!


茶会終了後、宗範の写真記録でもある松殿山荘の茶会記念の写真集を拝見させていただく。山荘開きのときはかの野村得庵も席をもっていたんだね。「あさがきた」で有名になった天王寺屋五兵衛(ドラマでは山王寺屋)の座敷(宗範が買い取った)の写真もあった。
大正15年、スウェーデンの皇太子妃を一族上げて山荘で茶の湯接待をした写真記録もあった。外務省などのバックアップもあったにせよ、一族だけで賓客もてなしできたとはやはりたいしたものだ、と感心する。

またいずれ機会があれば松殿山荘にももう一度いってみたいな。今度は茶室も拝見したいもの。


このたびは貴重な機会をくださった廣田さん、山荘流のYさん、ありがとうございました。





南大和古寺・その3〜花の長谷寺 - 2016.05.01 Sun

室生口から近鉄で大和八木へ向かう急行はこの季節だけ長谷寺にもとまる。なにせ牡丹の季節だから。

(なので今日は文章のあいだにサブリミナルでもねらっているのか、というくらい牡丹の写真が唐突にでてくるが、なにせ牡丹の季節だし、牡丹の長谷寺だから^_^;)


長谷寺駅から歩くこと約20分、けっこう上り坂もあってそれなりに健脚でないとしんどいよ。



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なぜに数十年ぶりに初瀬参りを思い立ったかというと、先日舞った仕舞の「玉鬘」の連想が大きい。

源氏物語の玉鬘(夕顔と頭中将の娘)はたよりない身をよせていた九州から上洛し、長谷寺の二本(ふたもと)の杉で夕顔の元侍女右近に出会い、それが縁で源氏にひきとられるのだ。

謡いでは「、、、迷いもよしや 憂かりける 人を初瀬の山おろし はげしくおちて露も涙もちりぢりに、、、」
百人一首で「憂かりける 人を初瀬の山やまおろしよ はげしかれとはいのらぬものを」 源俊頼朝臣

そう、「初瀬」「初瀬」、、、が頭にこびりついた結果。
ちなみに初瀬の枕言葉は「隠國(こもりく)の」



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これこれ!清少納言が泣きをいれたという108間399段の登廊!
段差が低くてちまちま登るので歩きにくいが、平安時代の女子の歩幅ならこれくらいでないとあかんか。




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長谷寺参りは平安時代には1種のブームだったようで、清少納言だけでなく紫式部も(「玉鬘」の舞台だし)「更科日記」の菅原孝標の娘も参拝の様子を書き残している。その時代からのつながりを感じられてなんだかうれしい。




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登廊の両脇にはたくさんの牡丹がびっしり。



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学生時代に行った時には、一つでもゴージャスな花なのに、こんなにたくさんだと暑苦しくてむしろうざかった牡丹が、なぜか今は素直に美しいと思える。思考の経年変化。どの花もひとつひとつの生命なれば、、、あれから人生いろいろありました、はい。



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さらに右に折れて左に折れて本堂まで登廊は続く。



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途中、紀貫之故郷の梅、という梅の木があった。
「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に にほいける」と歌ったゆかりの梅とか。(多分何代目か)

長谷寺詣での定宿にしばらくいかなかったら宿の亭主にイヤミをいわれたので、梅の枝を一枝折って、この歌をさらりと詠んだとか。あんたこそ忘れてたんじゃないの?と切り返したわけ。かっこいい〜♪



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寺伝によれば、長谷寺は天武天皇の時代(686年)、僧の道明が初瀬山に三重塔を建立したのが始まりと言うから、これまた1300年以上の歴史をほこる。建物はいくたびも焼失再建をくりかえしたので、清少納言の時代そのままとはいかないのだが。



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登廊をやっと登り切ると、国宝・本堂。右手にはご本尊の十一面観音、左手は清水の舞台と同じく懸け造りの舞台になっている。




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暗いお堂の内々陣(内陣とさらにその内々陣で二重構造になっている)から上半身をのぞかせる観音様は右手に錫杖を持ち、左手に水瓶をもつ高さ10mの巨大な立像だ。(外からみるとそんなに大きくはみえないけれど)錫杖を持つ姿は観音様としてはめずらしく長谷寺様式というそうだ。室町時代の再興。




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外陣のまわりは緑したたる。



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長谷寺の舞台。



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ここから見下ろすと仁王門(修復中)とか本坊とかが見える。



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人が思い思いに腰掛けて憩うきざはしのところは、長年の使用に良い具合にへこんできて、ますます腰掛けやすくなっていた。



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この日はまだ人出は少なかったが、GWにはぼたん祭があり、たくさんの人がおしよせることだろうな。牡丹は8〜9割が盛り、まだ蕾の株もあった。



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ご本尊の前から舞台を見る。この景色もさまになって美しい。



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現在期間限定で(6月まで)国宝の本堂の内陣、内々陣まではいれるのだ。1000円はちょっと高いけれどもう来る機会もないかもしれないから、入って見よう。



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入り口のところで腕に「結縁の五色線」という五色の紐をまいてもらう。ご本尊にむすんだ五色の紐のさきを信者が持って縁を結ぶ、というのはよくあるのでその簡略版か。



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内陣のさらに内側に入り込むとご本尊の足元に出る。(おみ足に触れることもできるよ)狭い空間で見上げる観音様のなんと大きくりっぱなことよ。金色の後背、瓔珞も神々しく美しい。外陣から遥拝するのとまた違った荘厳さ。(できれば最近になって描かれた壁画はない方がいい)



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そして長谷寺は花の寺でもある。
ここにも御衣黄桜を発見!



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藤の花もそろそろ盛りを迎え、、、



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ポンポン手鞠のようなオオデマリ。



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山吹も咲けば、、




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本坊の奥にはノムラモミジの赤い色(画像いまいち、、)




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本坊から本堂を見上げる。若い緑がすがすがしいよい季節になった。



これにて南大和古寺めぐり終了です。


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