平安神宮煎茶献茶祭茶会2016 - 2016.09.29 Thu

今年もご近所の平安神宮で煎茶献茶祭茶会。毎年9月最終日曜日に行われます。

毎年京都の数ある流派からかわりばんこで六流派。
広い境内〜神苑のあちこちに散らばる席を、植治の池泉回遊式庭園をそぞろ歩きながらたずね歩くのも楽しみ。
入ってすぐの額殿では皇風煎茶禮式のお席。

神苑の中へはいる。ここはほんとうに歩を進める毎に違う景色が広がる市中の名園なのだ。

赤い野点傘は休憩処。
いつも月釜をしている澄心亭では玉川遠州流が席をもってはった。

臥龍橋。
煎茶道はほんとうに100以上流派があるのではないかしら。
それぞれにお点前や作法がちがうので、我流の作法でいただいてもOKよ。

茶道ではお菓子はお茶の前に食べるけれど、煎茶では一煎目と二煎目の間に食べたり、二煎目の後お白湯といただいたり、ほんとお菓子一つとってもそれぞれ違う。

一番迷うのは飲み終わった後に茶杯を伏せる流派、伏せない流派があること。これだけはどっちか悩む。
ちなみに私がちょっとだけかじった小川流では茶碗は伏せない。
お茶は適々といって茶杯の底にほんの数滴のお茶しかはいってない。だから時に「お茶入れ忘れたんじゃ、、、」と思われる人もいるだろうなあ。

数ある茶席で、池にせりだした貴賓館の雰囲気がやはりよいのでこちらを選ぶ。今年は泰山流のお席。

待合からは池が見え、池の中に浮いているような錯覚。
春にはここで紅枝垂れコンサートもおこなわれる。

泰山流は大正年間に作られた比較的新しい流派のようです。
煎茶道は茶道より自由闊達で制約が少なく、清風を旨とし、文人好み、禅宗思想よりは老荘思想を重んじます。なので室礼は野山の木の実があったり、大きな枯木が飾ってあったり、なかなかダイナミックで面白い。野点の自由さを席にもちこんだイメージかな。参考になることが多い。

この席の軸は「温良恭倹譲」。孔子の人柄を五文字であらわしたもの。
さすがに論語や孔子の軸は抹茶の席ではあまり見ない。茶席と水屋のあいだに屏風ではなくて暖簾がかかっているのも煎茶的。
光琳菊の薯蕷をお菓子にいただき、煎茶二服いただく。(ここだけのはなし、私は味的に抹茶より煎茶が好きだ)

泰平閣(橋殿)には席待ちの方がたくさん。

勅使館では小川流の席。
家元の後楽さんが亡くなられたのはついこの前。学究肌で京都新聞で連載されていた漱石がたどる京都の煎茶旅の記事は楽しみにしていたのに残念です。ご冥福をお祈りします。それでも跡継ぎの可楽さん(もう後楽を継がはったかな?)は以前から立派に活躍してはったので流派は御安泰かと。

あと一席は遥拝殿の賣茶本流の野点席へ。
こちらは幕末の頃にできた流派のようです。

腰衣(こしころも)という前掛けみたいなものをつけるのが特徴。他のつける流派もあるかもしれないけど、、

この遥拝殿は神殿の庇部分が席になっていて、白砂の庭に向かうのも雰囲気が良くて好きだわ。
お菓子は本家玉寿軒さん。
煎茶の点出は細長い盆、とくに芭蕉の葉をかたどった彫り物があったり、葉っぱにカエルがとまっていたりするのがあって、これもそそられる。

今年も楽しませていただきました。
参考になる室礼もたくさん。どう生かすか楽しみだわ。
京の庭で楽しむ Demitasse x でみたす - 2016.09.27 Tue
銀閣寺参道前の白沙村荘〜橋本関雪記念館。

意外と観光客にはしられていない穴場だが、私には学生時代からのテリトリーなのだ。

いくつかの茶室を擁し大文字を借景とした10000㎡の庭園・白沙村荘はみどころがいっぱいある。

庭園には季節の花が咲き、いろんな種類の鳥もよってくるバードサンクチュアリ。

体育館みたいなアトリエだった建物の前に投げいれられた花もこの庭でとれたものだろうな。

その奥の方にある茶室倚翠亭(いすいてい)。ここが今日のイベントの舞台。
普段ははいれないが、一度ここでの茶会にいったことがある。でもこの季節こんなに蓮の葉がきれいだとはしらなかった。

倚翠亭の小間に並べられたデミタスカップ、、、というのもけっこうシュールなけしきだなあ。
今日は世界中のデミタスカップを1500以上集めているというコレクター・村上和美さんの、コレクションから一つ選んでコーヒーをいただくという趣向。
この回一番乗りであったので、選び放題。

選んだカップに添えられたカードを手にして、なんと躙り口から入席。

おお〜、、、
この蓮の池に浮かぶが如き浮遊感のある茶室がいいね。
床には関雪の「帰帆」という画がかかる。コーヒーはこのように船に乗って海を越えてきた、、、から。

そして珈琲点前?でコーヒーをいれてくれるのはイノダコーヒーさん。なんだか割烹の板さんみたいだが、いつもこの出で立ちでお店でもコーヒーをいれてはるのだそう。
入れるコーヒーはもちろんイノダの定番・アラビアの真珠。

いよいよ選んだカップが。
私が選んだのはずばりジャポニズム。

関雪記念館のレストラン・ノアノアさんのケーキとともに。

5人のお客さまそれぞれちがうテイストのカップを選ばれる。
それぞれどういうポイントでそのカップを選んだか、思いを語る。
これらの所有者でもある村上さんのコレクションに纏わる楽しみとかご苦労とか、お聞きする。
いつもは1500以上のカップコレクションを床に並べて保管(?)しておられるそうで、いつでも実際にコーヒーをいれて使っておられるのだそうだ。

ちなみに私が選んだジャポニズム。若干惜しい桜の蒔絵は英国のブラウンフィールドという会社のモノで、おそらく100年くらい前のものとか。
他のカップが空白恐怖症のように完膚無きまでに肌を模様で埋め尽くしているのに、ジャポニズムのこれはなんとか日本的空白の美を生かそうとしている。
聞けば英国にも桜の木はあるらしいが、この絵付けをした職人はたぶん古伊万里とか浮世絵とかの桜の絵を見て模写したのではなかろうか。微妙に桜で微妙に桜ではない。

逆さまだがBrownfield & Sonの文字が裏に見える。
なんでも器をひっくり返して見る、というのは茶人のクセだわ。

お隣の方が選ばれたhigh-handleのカップ、持ち手の中に鳥の首。芸がこまかい。

ハイハンドルって持ちにくそうだけれど、マダムのきれいにネイルされた指でつまむとなんてエレガント!

倚翠亭の美しい眺めを見ながらのコーヒータイムはまさに優雅な優雅なひとときであった。
(ジャポニズムのカップを手に夢心地で蓮の池の上を浮遊するワタクシの心、、、なんつって)

茶席を辞したあと、広い白沙村荘の庭も楽しみながら、、、、

その1500以上の村上さんのデミタスコレクションが見られるという新しくできたばかりの関雪記念館へ。

展示室へ入るなり、、、うわあああ、、、
もう圧巻であった。

ひとつひとつじっくりみたいが、これほどあると時間が足りない。
しかもお気に入りナンバー1〜3までを選んでアンケートに答えて、といわれて、、、
一体どれを選べばいいのか、さっぱりわからん。
見る順番でも目移りしすぎ。

とはいいつつも、シルバーとライトブルーの色がとても綺麗だったこちらを私的ナンバー1に。
もちろん他にもナンバー1にしたいカップはたくさんあったんですよ。

コレクションは主に英国、フランスのものが多い。形もハンドルの形態も実にさまざま。こんなにヴァリエーションのあるものだとは思わなかった。
デミタスではないが、ひところヨーロッパのカップをささやかに集めていたことがあったが、抹茶道具ほど惹かれなくてやめてしまった。でもこんなに面白く美しいカップがあるなら見直してもいいかな。(いやいや財政的に破綻をきたす、、、(^_^; どちらかにせねば)

明治の頃には、日本のメーカーが、日本の茶碗にそのまま取っ手をつけたようなカップも輸出していたそうだ。古伊万里や薩摩焼系のカップも多くある。

このフォルムと色がまたいいねえ、、、、

ふと展示室で目をあげるとそこには大文字が正面。
なんて美しい時間を楽しめたのかしら、、、、

意外と観光客にはしられていない穴場だが、私には学生時代からのテリトリーなのだ。

いくつかの茶室を擁し大文字を借景とした10000㎡の庭園・白沙村荘はみどころがいっぱいある。

庭園には季節の花が咲き、いろんな種類の鳥もよってくるバードサンクチュアリ。

体育館みたいなアトリエだった建物の前に投げいれられた花もこの庭でとれたものだろうな。

その奥の方にある茶室倚翠亭(いすいてい)。ここが今日のイベントの舞台。
普段ははいれないが、一度ここでの茶会にいったことがある。でもこの季節こんなに蓮の葉がきれいだとはしらなかった。

倚翠亭の小間に並べられたデミタスカップ、、、というのもけっこうシュールなけしきだなあ。
今日は世界中のデミタスカップを1500以上集めているというコレクター・村上和美さんの、コレクションから一つ選んでコーヒーをいただくという趣向。
この回一番乗りであったので、選び放題。

選んだカップに添えられたカードを手にして、なんと躙り口から入席。

おお〜、、、
この蓮の池に浮かぶが如き浮遊感のある茶室がいいね。
床には関雪の「帰帆」という画がかかる。コーヒーはこのように船に乗って海を越えてきた、、、から。

そして珈琲点前?でコーヒーをいれてくれるのはイノダコーヒーさん。なんだか割烹の板さんみたいだが、いつもこの出で立ちでお店でもコーヒーをいれてはるのだそう。
入れるコーヒーはもちろんイノダの定番・アラビアの真珠。

いよいよ選んだカップが。
私が選んだのはずばりジャポニズム。

関雪記念館のレストラン・ノアノアさんのケーキとともに。

5人のお客さまそれぞれちがうテイストのカップを選ばれる。
それぞれどういうポイントでそのカップを選んだか、思いを語る。
これらの所有者でもある村上さんのコレクションに纏わる楽しみとかご苦労とか、お聞きする。
いつもは1500以上のカップコレクションを床に並べて保管(?)しておられるそうで、いつでも実際にコーヒーをいれて使っておられるのだそうだ。

ちなみに私が選んだジャポニズム。若干惜しい桜の蒔絵は英国のブラウンフィールドという会社のモノで、おそらく100年くらい前のものとか。
他のカップが空白恐怖症のように完膚無きまでに肌を模様で埋め尽くしているのに、ジャポニズムのこれはなんとか日本的空白の美を生かそうとしている。
聞けば英国にも桜の木はあるらしいが、この絵付けをした職人はたぶん古伊万里とか浮世絵とかの桜の絵を見て模写したのではなかろうか。微妙に桜で微妙に桜ではない。

逆さまだがBrownfield & Sonの文字が裏に見える。
なんでも器をひっくり返して見る、というのは茶人のクセだわ。

お隣の方が選ばれたhigh-handleのカップ、持ち手の中に鳥の首。芸がこまかい。

ハイハンドルって持ちにくそうだけれど、マダムのきれいにネイルされた指でつまむとなんてエレガント!

倚翠亭の美しい眺めを見ながらのコーヒータイムはまさに優雅な優雅なひとときであった。
(ジャポニズムのカップを手に夢心地で蓮の池の上を浮遊するワタクシの心、、、なんつって)

茶席を辞したあと、広い白沙村荘の庭も楽しみながら、、、、

その1500以上の村上さんのデミタスコレクションが見られるという新しくできたばかりの関雪記念館へ。

展示室へ入るなり、、、うわあああ、、、
もう圧巻であった。

ひとつひとつじっくりみたいが、これほどあると時間が足りない。
しかもお気に入りナンバー1〜3までを選んでアンケートに答えて、といわれて、、、
一体どれを選べばいいのか、さっぱりわからん。
見る順番でも目移りしすぎ。

とはいいつつも、シルバーとライトブルーの色がとても綺麗だったこちらを私的ナンバー1に。
もちろん他にもナンバー1にしたいカップはたくさんあったんですよ。

コレクションは主に英国、フランスのものが多い。形もハンドルの形態も実にさまざま。こんなにヴァリエーションのあるものだとは思わなかった。
デミタスではないが、ひところヨーロッパのカップをささやかに集めていたことがあったが、抹茶道具ほど惹かれなくてやめてしまった。でもこんなに面白く美しいカップがあるなら見直してもいいかな。(いやいや財政的に破綻をきたす、、、(^_^; どちらかにせねば)

明治の頃には、日本のメーカーが、日本の茶碗にそのまま取っ手をつけたようなカップも輸出していたそうだ。古伊万里や薩摩焼系のカップも多くある。

このフォルムと色がまたいいねえ、、、、

ふと展示室で目をあげるとそこには大文字が正面。
なんて美しい時間を楽しめたのかしら、、、、
大宮鞍馬口〜串揚げ万年青 - 2016.09.25 Sun
いつも前はとおるのだけれど、なかなか行く機会がなくて行きたくて、、と思っていた大宮鞍馬口の万年青(おもと)さん、息子の帰省にあわせて家族でおでかけ。

北大路大宮(大徳寺前あたり)から南下して、コインパーキングにいれたパーキングの入り口がなんと鳥居!!
ちょっとばちあたり(^_^;
碑を見たら「今宮神社御旅所」! 境内には建物はみあたらずほとんど駐車場、、、、京都はこんなところもけっこうあります。

さて、気をとりなおして万年青さん。
こんな長〜いカウンターもすでにうまってます。人気店です。

ご主人がひとりでめまぐるしくくるくるたち働いて次から次へ串揚げ揚げてはります。
おまかせコースにすると次々新しい食材の串揚げがでてきます。串揚げとしてはあまり見たことのないような食材も。きゅうりとか、五角形じゃなくて8角形くらいの大きなオクラ(ダビデの星オクラ)とか。
お野菜が多いのがうれしくて、つけるタレもソースだけじゃなくおろしポン酢、マスタード、塩、山椒、、、で飽きが来ないの。イチジクがおいしいのは知っていたけれど、蛸が思いの外おいしくて。

これはジャガバター串揚げ!お塩でいただきます。
ここで、ん?!!この木彫りの菊割皿はどこかでみたことがある、、、

この高知の粗塩と沖縄の雪塩のいれものの蓋の木工、、、ますます見たことがある。
もしやと思って奥様に聞いたらやっぱり!!
無理矢理水指の蓋を作らせ^_^;たり、好日居さんの木の筋彫りトレーと同じのをもとめたりしているところの木工、水野悠介さんのものだった!
あとで聞いたところによると川口美術さんはここで水野さんの作品とお出合いしたのだそうな。今はそこで展示会するようになっているものね。

で、ここの奥様がこういう食器の目利きでらしく、良い作家物をかしこく手に入れてはるとか。よく見ると、私の好みとも合うお宝食器が後の棚にずら〜っとならんでるわ。

うすいガラスのコップ。おひやをいれたり、おかわり自由のキャベツを主体とした(串カツだもんね、キャベツはマスト)サラダをいれるのだが、大ぶりだけれど思いがけず軽くてこれいいな、と。
これもガラス作家さんのものらしいが、試作品を安くわけてもらっているとのこと。

箸休めの湯葉豆腐アーモンド添えの、アーモンド型の彫りの木皿も水野さんの。

そろそろお腹がいっぱいになってきたのでオーダーストップ。すると本日の串のメニューをだしてくれて、最後に揚げて欲しいと思う物はありませんか?とおたずね。
いろいろまよったけれど、珍しい栗の串揚げ!ほこほこでおいしかった。(あとバナナの串揚げも心惹かれたが、さすがにお腹の方が、、、、)

これも油っぽくなったお腹にありがたい二品目の箸休め、葡萄のおろし和え。
器のお猪口(茶巾入れになりそう)もいいなあ。

最後に再び水野さんの菊割皿でほうじ茶アイス(桃シャーベットもあるよ)をいただいて締め。
お値段もお手頃、アルコール類も多種あってうれしい。でも串揚げにはやっぱりビールかな(^_^)b(運転手は飲んでませんのでだじょうぶよ)

北大路大宮(大徳寺前あたり)から南下して、コインパーキングにいれたパーキングの入り口がなんと鳥居!!
ちょっとばちあたり(^_^;
碑を見たら「今宮神社御旅所」! 境内には建物はみあたらずほとんど駐車場、、、、京都はこんなところもけっこうあります。

さて、気をとりなおして万年青さん。
こんな長〜いカウンターもすでにうまってます。人気店です。

ご主人がひとりでめまぐるしくくるくるたち働いて次から次へ串揚げ揚げてはります。
おまかせコースにすると次々新しい食材の串揚げがでてきます。串揚げとしてはあまり見たことのないような食材も。きゅうりとか、五角形じゃなくて8角形くらいの大きなオクラ(ダビデの星オクラ)とか。
お野菜が多いのがうれしくて、つけるタレもソースだけじゃなくおろしポン酢、マスタード、塩、山椒、、、で飽きが来ないの。イチジクがおいしいのは知っていたけれど、蛸が思いの外おいしくて。

これはジャガバター串揚げ!お塩でいただきます。
ここで、ん?!!この木彫りの菊割皿はどこかでみたことがある、、、

この高知の粗塩と沖縄の雪塩のいれものの蓋の木工、、、ますます見たことがある。
もしやと思って奥様に聞いたらやっぱり!!
無理矢理水指の蓋を作らせ^_^;たり、好日居さんの木の筋彫りトレーと同じのをもとめたりしているところの木工、水野悠介さんのものだった!
あとで聞いたところによると川口美術さんはここで水野さんの作品とお出合いしたのだそうな。今はそこで展示会するようになっているものね。

で、ここの奥様がこういう食器の目利きでらしく、良い作家物をかしこく手に入れてはるとか。よく見ると、私の好みとも合うお宝食器が後の棚にずら〜っとならんでるわ。

うすいガラスのコップ。おひやをいれたり、おかわり自由のキャベツを主体とした(串カツだもんね、キャベツはマスト)サラダをいれるのだが、大ぶりだけれど思いがけず軽くてこれいいな、と。
これもガラス作家さんのものらしいが、試作品を安くわけてもらっているとのこと。

箸休めの湯葉豆腐アーモンド添えの、アーモンド型の彫りの木皿も水野さんの。

そろそろお腹がいっぱいになってきたのでオーダーストップ。すると本日の串のメニューをだしてくれて、最後に揚げて欲しいと思う物はありませんか?とおたずね。
いろいろまよったけれど、珍しい栗の串揚げ!ほこほこでおいしかった。(あとバナナの串揚げも心惹かれたが、さすがにお腹の方が、、、、)

これも油っぽくなったお腹にありがたい二品目の箸休め、葡萄のおろし和え。
器のお猪口(茶巾入れになりそう)もいいなあ。

最後に再び水野さんの菊割皿でほうじ茶アイス(桃シャーベットもあるよ)をいただいて締め。
お値段もお手頃、アルコール類も多種あってうれしい。でも串揚げにはやっぱりビールかな(^_^)b(運転手は飲んでませんのでだじょうぶよ)
水車の竹中みち〜茶の湯と川床のある風景5日間の顛末 - 2016.09.23 Fri

岡崎の平安神宮より南、都メッセの疏水から分流する白川。
春には桜の秘密の名所ともなる大好きな通り道。
けれどこの美しい景観は、ほっておいたら観光開発やマンション開発の波にのみこまれ破壊されていたかもしれない。この界隈にお住みの方の維持努力があってはじめて美しく保たれているのを知ったのは、今年五月、茶事のために白川ぞい・竹中庵をお借りしたとき。
かつてこの白川の水流をつかった竹中精麦工場(大麦の加工工場)が竹中庵の場所にあったのだ。向いのマンションの場所には冷蔵工場、マンションに建て替えられるとき少しでも景観を維持するようにと白川との間に桜の木を植えて欲しいと要望し、それがかなえられ、今や桜の名所になったわけだ。

その景観を維持し、少しでも知ってもらおうと数年前からこの季節、竹中庵の竹中さんのお世話で、都市計画の専門家や学生さんも交えてひらかれる白川茶会、今年は5日間、亭主を日替わりで、白川の真ん中に床をすえて行われた。
おりしも台風直撃の5日間、、、さて、いかがあいなりましたでしょうか。

前日お掃除の手伝いにいったときの川床の様子。お〜やっとるやっとる。かっこいいな、これ。
1日目

初日の亭主はF太朗君。
実は川床をつかってちゃんと亭主ができたのはこの日だけ、F太朗、ええとこ全部もってった!

通りすがりの人もいたかも。大人も子供もお茶を知っている人もいない人も、楽しそうに茶席の下の水の流れを楽しみお茶を楽しむ。

中には亭主にお尻をむけて足を川につっこみながらお茶する人も。
なんとも楽しい風景。

その茶席の上流にあるのはこれまた建築デザインを学ぶ学生さんの力作ピラミッド茶室。(実はこれも台風のせいで一日しか稼働しなかった!)
2日目

亭主は不肖わたくし。
川床の上で川の中でやるのを楽しみにしていたのに、無情の雨!
お向かいの竹中さん所有の町家(将来はゲストハウス)の一階にて急遽場所変更。

庭でとれた秋海棠と白の水引も用意し、

急遽の茶室こしらえに逆勝手も準備し、

愛信堂さんにお願いした干菓子もたくさん用意したのに、、、、

雨が、、、集中豪雨のような勢い。
道行く人は急ぎ足で家に帰る、、、わな、そりゃ。自分が客でもさすがにこんな日はいらんわ。
雨の激しさにめったにない白川の増水がおこり、床が冠水したら流れて行ってしまうので、撤去すべきかどうするか担当のKさんは悩んでいる。

結局ピラミッド茶室の学生さん(一人としてお茶を習ったことある人いなかった。やっぱり世間的にお茶はやはり特殊な世界なんか、、、)と、大雨をついてきてくれたありがた〜いわずかなお客さんだけでこの日はおしまい。(ありがとうございました!!)

豪雨の音に白川の流れの音もかきけされ、、、室内ではろうそくをともして竹中さんとKさんと水屋手伝いしてくれたWさんと、おもに白川の景観についてお茶について、いろいろ静かに語りあえたのがよかったかな。
3日目
実はKさんから台風のため三日目以降中止にします、と伝達がきたのだが、、、
そこは亭主一味がだまっていなかった。どんな条件でもお客さんがこなくても、茶会はやる!!
おお〜!!素晴らしき数寄者魂!
その熱意にほだされて、床も撤去せずにすんだことだし、竹中庵の母屋を茶室にして継続することに。

3日目の亭主は秘密結茶のMちゃん姉妹+能ユニット(?)TBTのMさん。
Mさん所有の能面(神体系だったか?)が飾られた床。

葉っぱの茶巾置、兎さんの五徳など、Mちゃんらしさいっぱいの素敵な席になっている。

お茶をいただくあいだ、外の白川の方から聞こえるMさんの小鼓。どうやら川中の床几のところで打っているらしい。しかも冴え冴えとしたよい音!
Mさんいわく、後のマンションが能舞台の鏡板の役目をして反響が抜群なんだそう。そうか、白川、音曲や謡の舞台にも最適やんか。

Mちゃんの炉はお湯をわかすだけぢゃありません。肴も炙ってお酒とともに出していただく。3日目も楽しいうれしい席であった。
4日目
またまたここでハプニング。
朝から台風直撃の大雨で担当亭主がリタイアを宣言。ところがどんな環境でもやるのがお茶だ!こんなおいしいシチュエーションを逃してなるものか、とF太朗君の数寄魂炸裂!水着+ゴーグル持参で雨の中、川床で茶席をやると宣言。

夜までに台風は通り過ぎ、雨もあがったが、一体どういうことになっているのろう、、、と行ってみると、、、、なんと!床の上ではじまっていたのはKさんによる大鍋宴会!しかもスタッフばかりとはいえたくさんの人。みなさんの好き者、、、いや数寄者ぶりはよ〜くわかりました。

朝の雨がウソのように穏やかな白川の流れの音をききながら鍋をつつき酒を飲み、

こんな景色を楽しむ。
この白川の景色、ほんとうにいいなあ。特に近所にあってうれしい限り。

そうこうするうちに床几からちょうどみえる場所から月ものぼってきたではないか。

遅れてきたF太朗君は早速湯をわかし、ほんまに(雨ふってないけど)水着+ゴーグルでお茶を点ててくれたのだ。実はこの夜が一番楽しいお茶だったかもしれない。
5日目 最終日
やはり雨がふろうと台風がこようとお茶する!とのたまわった数寄者の鏡・Y&Yペアの席。

竹中庵母屋にて。

Y&Yペアは裏千家と藪内のペア。これはどうまとめるのか?
と思っていたらなんと山里棚。これは両派共通の棚なのだ。
そのいわれを博覧強記のYさんから聞いてびっくり!もともと藪内剣中が利休からたまわり、藪内に伝わるも、淡々斎が使わせて欲しいと、かつて使うたびに藪内に挨拶にいっていたのだそうだ。
知らんかったなあ、、そんないわれがあるとは。

お菓子は月。Yちゃんこだわりの鍵善さん特注のもの。泡雪寒みたいにふんわりしてとても美味しかった。雲華のお皿もYちゃん家ゆかりの品。
道具組がYさんこだわりのストーリーになっていて、わざわざこの茶会のためにいろいろ入手された物も多い。これは中止するわけにはいかんよなあ。

川床のそばに沈めてある大きな壺に鴨川で刈ってきたというススキをいっぱい投げいれてくれたのもYさんであった。

かくして亭主の数だけ数寄のありようがあった白川茶会、雨にも負けず風にも負けず無事お開きとなりました。
お茶は亭主する方が楽しい、絶対そう思う。
野村美術館講座〜「金碧画の金箔と現代の金箔〜光琳、燕子花図、紅白梅図の秘密」 - 2016.09.21 Wed
光琳、宗達、等伯らの金碧画の金箔にはなぜか細かいヒビ、というかシワがあるのに気づかれただろうか?意識して見なかったら絶対スルーしているが、そう言われてみれば真四角の金箔の中にミミズの這ったような線が。
現代の金箔はきれいな真四角で、そんな線はない。いったいこの線は何??
というところから西陣「箔屋野口」野口 康さんの話ははじまる。

(定点観測的な景色^_^; 碧雲荘脇の野村美術館への道)
箔屋とは?
金糸銀糸に輝く西陣帯、それに使われる「引箔」の地作りをする仕事。「引箔」というのは帯の中に織り込まれる横糸で、金箔を貼った和紙を0.3ミリ幅程度に細かく裁断し、糸状にしたもの。これを専門的につくるのが家業。先代くらいまでは金糸もつくっておられたそうだ。一口に引箔といってもただの金箔ではなく、金の色、質感、紋様までいろいろなバリエーションをこなされる。野口さんはその家業の4代目。

最初金碧画の金箔のこの線がなにを表すのかわからなかったそうだが、ある日はたと気づいたのはこういう制作過程。

金箔は金を薄く薄く叩いてたたいて引き延ばす。その過程で初め真四角だった金箔の元は4辺がふくらみをもってきて、膨張した四角形になる。
現代でははしっこを切って真四角に成形するのだが、当時、上図に示した方法ように
1)縦に直線に切る
2)左右を逆に辺が直線になるように
3)上下のハミダシを切って直線にする
4)切り端をスキマにうめる
この継ぎ重ねた跡が謎の金箔上の線だったのだ。(箔足という)
完璧な正方形より、この線が、ゆらぎ、日本人の美意識にとてもマッチする。(欧米人、古代中国人が好むパーフェクト、シンメトリーは日本人好みではない)
その継ぎ重ねの仕方がまちまちな絵もあるが、唯一光琳のみ、重ねの方向が見事に全図そろっているのだそうな。
これは光琳の強い意図があったと思われる。
ところが、、、
光琳の誰もが知っている紅白梅図、その技法については明治の頃からずっと議論が続いていたらしいが、2004年NHKの特別番組「光琳 解き明かされた国宝の謎」で「金地は金泥による偽装金箔、箔足は手描きによるもので光琳のだまし絵である」と東京文化財研究所が結論づけたのだ。
かつて写真家でもあり、日本画も学び、現に箔屋として日々金箔を扱っている野口さんとしてはこれはだまっておれなかった。これに反論し続け、ついに2010年、東京理大による物理光学的検査で金碧画の金地は金箔である、という断定を得たのだ。
専門家じゃないからどちらが正しいかとはよう言えんが、少なくとも宗達や等伯の金碧画にさえある箔足、それ手描き、、というのはどう考えてもおかしいよな。
ただ、東京理大のこの研究には新たな問題もあった。
紅白梅図の真ん中を流れる流水の部分。ここにも四角い箔足があるのに、この部分からはごく微量の銀しか検出されなかった。しかし理大は銀箔の上に墨で描き水流の部分は銀を硫黄の煙で変色させたもの、と結論づけた。
これにも野口さんは反論している。
1)銀箔を四角く切って糊で貼り合わせる(銀箔は金箔のように継ぎ重ねができない)
2)水流部分にのみ墨を引く
3)温水に浸すと糊がとけて銀箔は剥離、継ぎ目にのみ、しみこんだ墨の跡が四角く残り箔足のように見える
4)これに濃い膠液で水流を肉筆で描く
5)乾いた後上に墨を塗る
6)乾燥後、これを水に浸すと膠とその表面の墨はとけだし流紋となる
呉服・帯の仕事をしてその技法に熟知しているからこそ考えつく方法。
ろうけつ染めとか友禅の糊置きなどの技法に通じ、しかも、その光琳こそ呉服屋の御曹司だったではないか。
これもしろうとの私には正誤は断定できないが、どう考えても野口さんの勝ちだよなあ。机上の推論より実技を体得している方が強いもの。
これまた決着をみない美術史上の課題であるが、当の光琳はお墓の下で「ふっふっふ、、、解けるものなら解いてみよ」と笑っているかもしれない。
(野村美術館は改築のため来年からしばし長い休館にはいります。)
現代の金箔はきれいな真四角で、そんな線はない。いったいこの線は何??
というところから西陣「箔屋野口」野口 康さんの話ははじまる。

(定点観測的な景色^_^; 碧雲荘脇の野村美術館への道)
箔屋とは?
金糸銀糸に輝く西陣帯、それに使われる「引箔」の地作りをする仕事。「引箔」というのは帯の中に織り込まれる横糸で、金箔を貼った和紙を0.3ミリ幅程度に細かく裁断し、糸状にしたもの。これを専門的につくるのが家業。先代くらいまでは金糸もつくっておられたそうだ。一口に引箔といってもただの金箔ではなく、金の色、質感、紋様までいろいろなバリエーションをこなされる。野口さんはその家業の4代目。

最初金碧画の金箔のこの線がなにを表すのかわからなかったそうだが、ある日はたと気づいたのはこういう制作過程。

金箔は金を薄く薄く叩いてたたいて引き延ばす。その過程で初め真四角だった金箔の元は4辺がふくらみをもってきて、膨張した四角形になる。
現代でははしっこを切って真四角に成形するのだが、当時、上図に示した方法ように
1)縦に直線に切る
2)左右を逆に辺が直線になるように
3)上下のハミダシを切って直線にする
4)切り端をスキマにうめる
この継ぎ重ねた跡が謎の金箔上の線だったのだ。(箔足という)
完璧な正方形より、この線が、ゆらぎ、日本人の美意識にとてもマッチする。(欧米人、古代中国人が好むパーフェクト、シンメトリーは日本人好みではない)
その継ぎ重ねの仕方がまちまちな絵もあるが、唯一光琳のみ、重ねの方向が見事に全図そろっているのだそうな。
これは光琳の強い意図があったと思われる。
ところが、、、
光琳の誰もが知っている紅白梅図、その技法については明治の頃からずっと議論が続いていたらしいが、2004年NHKの特別番組「光琳 解き明かされた国宝の謎」で「金地は金泥による偽装金箔、箔足は手描きによるもので光琳のだまし絵である」と東京文化財研究所が結論づけたのだ。
かつて写真家でもあり、日本画も学び、現に箔屋として日々金箔を扱っている野口さんとしてはこれはだまっておれなかった。これに反論し続け、ついに2010年、東京理大による物理光学的検査で金碧画の金地は金箔である、という断定を得たのだ。
専門家じゃないからどちらが正しいかとはよう言えんが、少なくとも宗達や等伯の金碧画にさえある箔足、それ手描き、、というのはどう考えてもおかしいよな。
ただ、東京理大のこの研究には新たな問題もあった。
紅白梅図の真ん中を流れる流水の部分。ここにも四角い箔足があるのに、この部分からはごく微量の銀しか検出されなかった。しかし理大は銀箔の上に墨で描き水流の部分は銀を硫黄の煙で変色させたもの、と結論づけた。
これにも野口さんは反論している。
1)銀箔を四角く切って糊で貼り合わせる(銀箔は金箔のように継ぎ重ねができない)
2)水流部分にのみ墨を引く
3)温水に浸すと糊がとけて銀箔は剥離、継ぎ目にのみ、しみこんだ墨の跡が四角く残り箔足のように見える
4)これに濃い膠液で水流を肉筆で描く
5)乾いた後上に墨を塗る
6)乾燥後、これを水に浸すと膠とその表面の墨はとけだし流紋となる
呉服・帯の仕事をしてその技法に熟知しているからこそ考えつく方法。
ろうけつ染めとか友禅の糊置きなどの技法に通じ、しかも、その光琳こそ呉服屋の御曹司だったではないか。
これもしろうとの私には正誤は断定できないが、どう考えても野口さんの勝ちだよなあ。机上の推論より実技を体得している方が強いもの。
これまた決着をみない美術史上の課題であるが、当の光琳はお墓の下で「ふっふっふ、、、解けるものなら解いてみよ」と笑っているかもしれない。
(野村美術館は改築のため来年からしばし長い休館にはいります。)
観月はお茶とともに - 2016.09.19 Mon
今年の旧暦8月15日は9月15日と不思議な符合。お月見は15日ながら月齢は13日くらいだったかな。

お天気が心配された中、なんとか東山から上る月を眺めることができた。
ここは祗園近くの某ビアガーデン。

某流派のユニークな宗匠社中がここで釜を掛けはった。
でも夜は暗い写真ばかりでお見苦しいですね。

ここまでくるとなにがなんだか、、、(^_^;
東山から上った月を広口の水指の水に映した所なんですよ。
みやびだけれど、スマホ写真で再現は不可能ですねえ、、、、

月はどんどんかけのぼり、、、
秋月揚明暉 明暉を揚げる。

その足で祗園から一気に賀茂街道、賀茂川べりのいつもの晦月居さんの鴨茶へ。
これも真っ暗でなんの写真やら、、、、とほほ、、、
でも賀茂川の風に吹かれながらいただくお煎茶は味わい深い。

月も祗園でみたときよりさらに上り、ときおり雲にかくれながらも中天近くへ。賀茂川で眺める月はまた格別だ。

翌日、十六夜、既望、の月は円山公園の西行庵で眺める。

月齢は14、より満月に近い。

こちらの家付き猫、黒猫ちゃんにお出迎えを受け、観月の茶会。

掛けられた大きな軸が「月にうさぎ」でなく「月にお狐さん」に意表をつかれる。
、、、信太の森のうらみ葛の葉、、、を連想させる。
前にミニお稲荷さんの社が据えられ、ろうそくの灯りだけの中、お狐さんへの献香、献茶のおごそかな式をみせていただく。そのあと直会の点心と薄茶を。
ろうそくの暖かい灯りを囲む者は、皆なんだか心が一つになったような気がしたのでした。
今年の観月はよき人々、よき所にて、楽しめた幸せに感謝。

お天気が心配された中、なんとか東山から上る月を眺めることができた。
ここは祗園近くの某ビアガーデン。

某流派のユニークな宗匠社中がここで釜を掛けはった。
でも夜は暗い写真ばかりでお見苦しいですね。

ここまでくるとなにがなんだか、、、(^_^;
東山から上った月を広口の水指の水に映した所なんですよ。
みやびだけれど、スマホ写真で再現は不可能ですねえ、、、、

月はどんどんかけのぼり、、、
秋月揚明暉 明暉を揚げる。

その足で祗園から一気に賀茂街道、賀茂川べりのいつもの晦月居さんの鴨茶へ。
これも真っ暗でなんの写真やら、、、、とほほ、、、
でも賀茂川の風に吹かれながらいただくお煎茶は味わい深い。

月も祗園でみたときよりさらに上り、ときおり雲にかくれながらも中天近くへ。賀茂川で眺める月はまた格別だ。

翌日、十六夜、既望、の月は円山公園の西行庵で眺める。

月齢は14、より満月に近い。

こちらの家付き猫、黒猫ちゃんにお出迎えを受け、観月の茶会。

掛けられた大きな軸が「月にうさぎ」でなく「月にお狐さん」に意表をつかれる。
、、、信太の森のうらみ葛の葉、、、を連想させる。
前にミニお稲荷さんの社が据えられ、ろうそくの灯りだけの中、お狐さんへの献香、献茶のおごそかな式をみせていただく。そのあと直会の点心と薄茶を。
ろうそくの暖かい灯りを囲む者は、皆なんだか心が一つになったような気がしたのでした。
今年の観月はよき人々、よき所にて、楽しめた幸せに感謝。
秋雨のみのり茶事2016 - 2016.09.16 Fri
茶事にお招きいただいて、当日朝起きて、雨だ、やった!!と思ったのは初めてかも。

昨年は、秋晴れの日にみのり茶事にお招きいただいた。あれから約1年、ふたたび、今年はしっとりした秋雨みのり茶事になった。ご亭主はスーパー数寄者(#^.^#)であられる和尚さま。

なぜ雨で喜んだのかというと、、、、先だって和尚様が茶事をされた折に急な雨。笠の用意がないままそれなら!っとご準備されたのがこのプラタライであったのだ。
これが意外にうけてうけて、タライ庵のタライ・ラマ師という二つ名をお持ちになることに。それ以降みんなが期待するもんだから、和尚様、とうとう笠を代えられぬまま。

こんな感じに((^∀^*))!!
雨ではないのにこれをしたがる数寄者の方もおられるとか。私たちはしっかり実用でプラタライを使用。
和尚様だから許される離れ技ですが。
そんなお茶目はさておいて、茶事は重厚で説諭に富んだお話で始まる。
待合にかけられた大観の「遠寺晩鐘」、小さな墨絵のスケッチ。
山寺の晩鐘に驚き、山のねぐらに帰っていた鳥の群れが一瞬羽ばたいた瞬間を小さくすみに描いている。この絵を見せると幼稚園児は(和尚は幼稚園の園長さんでもあらせられる)「ゴ〜ンって鐘の音が聞こえた!」というのだそうだ。
なんたる感性。音を聴かずして音を聞く。
ついでは月を見ずして月を見る、、、本席の指月布袋。(かの室町時代のビッグネーム禅僧の画(゚△゚;ノ)ノ )
凡人は月(仏法の真理)を見ずして教え示す指(悟りにいてる方法論)ばかりを見る。示唆に富む画題。
そういえば昨年のお茶事では仙厓さんの指月布袋をみせていただいたなあ、、と思い出す。
なぜ月にウサギがいるのか、なぜ月は満ち欠けするのか、幼い頃聞いた仏法説話もなつかしく聞かせていただく。
(猿、狐、兎の「ジャータカ」の有名な話は絵本で読んだが、成敗されて半分に切られた蛇が腹いせに月を飲み込んだが、切られたところからまた月がでてきて、また飲み込んで、、、、のお話しは初めて、童心に返りおもしろかった(^^) )

こちらの懐石はイタリアン。ご近所のリストランテのシェフが来て作ってくださるのだ。杯にいただくお酒はもちろんワインで。
あ!
古染付!
先日の古染付・祥瑞古陶磁勉強会でご同席したので、その復習に、とたくさんたくさん古染をだしていただいた。ありがたし。
しかも今回のご連客はプロ、アマ両者の古陶磁専門家もしくは愛好家、器を見ながら(控えめにされていましたが)解説いただけたのがうれしい。私はまだまだ勉強が足らんなと思ったことです。
しかしながら心配は、この古染にオリーブオイル、ガーリックたっぷりのイタリアンをのせていいのか?!ということ。

こんな、、、こんなよだれが出そうな古唐津の塩笥に入っているのはブイヤベース!
だ、、だいじょうぶか??と思いつつも、おしげもなく使ってくださる和尚様の太っ腹ぶりには頭が下がる。

八寸が二種でたあとで、「藪内は八寸三種じゃないんですか?」「おっと、これは失礼、忘れておりました。ただいま用意します。」、、、で席中で松茸を焼く、、、という段取りだったらしいですが、どなたも失礼かと思い何もいわなかったので、 (^ ^;)和尚様自作自演で松茸の網焼き。
昨年もいただいたのだが、今年はプロに教えを請われたという松茸が縮まずにしっとり焼きあがる裏技を駆使してのグレードアップ。初物の松茸がより美味しくちょうだいできた。(日本酒を含ませたキッチンペーパーをかぶせて焼く。マネしたいが松茸高すぎて多分買えない!)
興が乗ったのか、和尚様、席中でやおらお盆回しをはじめ(きゃ〜!あれがぶっ飛んだら絵唐津が、古染付が、朝鮮青磁があ〜〜〜Σ(゚д゚|||))
そのほか幼稚園の園児に大好評だったと思しき芸を次々ご披露。なんてサービス精神!いや、園児にもどれて楽しいのですがね、和尚様、ちょっと太っ腹すぎます。(茶席での奇行が多かったという朝吹柴庵が乗り移ったとおっしゃってましたが(^ ^;))

かくの如き楽しい懐石の締めは満月錦玉、お皿もこの前の研究会でみせていただいた古染付。
中立ちの待合にかけられていたのもまた月。
英一蝶の十六夜月。齢70を越えるとぶん回し(コンパス)を使っても満月がよろけて十六夜の月になるわい、、、といった画賛。

(この写真は和尚様に提供いただく)
たっぷりと露をうった後座の花。
お庭で山芍薬のはじけた実がとれるなんてうらやましい。(うちの庭のは葉っぱばかり)
先ほどの賑やかな初座とうってかわって静けさの中で粛々とすすむ濃茶点前。
主人公は、、、重厚な奥高麗。
どっしりと手にとると重く、その肌は青味をおびてお尻はほんと美しく丸い。高台の露胎に釉薬が二筋流れ込んで、そのうち一つがくるっと猫のしっぽのよう。反対側に陶工の指のあと。釉薬につけるときにできたとおぼしき約400年も前の指跡。その時代に思いを馳せる。
奥高麗は高麗と名はつくけれど唐津で焼かれた焼き物。文禄慶長の役で朝鮮から連れてこられた陶工たちが、唐津で焼始めた初期の茶碗といわれているので、なんとなく大陸的なおおらかさ。今この時、この場所で現代のわれわれに愛玩されるとは作った陶工も想像しなかっただろうな。
これまた江戸初期のビッグネーム茶人の箱書き付き。いまは行方知れずの有名な奥高麗茶碗と寸分たがわぬ、と添え書き。長次郎の今はなき「鉢開き」に面影が似ているので「面影」と銘をつけられた黒楽の話を思い出してしまった。
最後にお正客の古美術のプロの方が、ずっと控えめにしてはったのに「これはまちがいのない奥高麗です。」と断言しはったとき、なんだか今日の茶事が決まった!と思った。

垂涎の古備前大皿!
お薄席でもたくさんの名碗をだしていただいた。二服いただくのに、あれでも飲みたいこれでも飲みたいと茶碗の選択に困ってしまうほど。
中でもお気に入りは典型的安南、この形は好き。振り出しも安南、これもいい。備前池田家伝来の古備前沓形茶碗も景色があってよかったなあ、、、
初座の大笑いお座興があって、座がなごんで後座で怒濤の息つく間もない感嘆、心にくい演出。
名残惜しけれどこれにて、みのり、稔り、御法茶事、おひらきとなりました。

昨年は、秋晴れの日にみのり茶事にお招きいただいた。あれから約1年、ふたたび、今年はしっとりした秋雨みのり茶事になった。ご亭主はスーパー数寄者(#^.^#)であられる和尚さま。

なぜ雨で喜んだのかというと、、、、先だって和尚様が茶事をされた折に急な雨。笠の用意がないままそれなら!っとご準備されたのがこのプラタライであったのだ。
これが意外にうけてうけて、タライ庵のタライ・ラマ師という二つ名をお持ちになることに。それ以降みんなが期待するもんだから、和尚様、とうとう笠を代えられぬまま。

こんな感じに((^∀^*))!!
雨ではないのにこれをしたがる数寄者の方もおられるとか。私たちはしっかり実用でプラタライを使用。
和尚様だから許される離れ技ですが。
そんなお茶目はさておいて、茶事は重厚で説諭に富んだお話で始まる。
待合にかけられた大観の「遠寺晩鐘」、小さな墨絵のスケッチ。
山寺の晩鐘に驚き、山のねぐらに帰っていた鳥の群れが一瞬羽ばたいた瞬間を小さくすみに描いている。この絵を見せると幼稚園児は(和尚は幼稚園の園長さんでもあらせられる)「ゴ〜ンって鐘の音が聞こえた!」というのだそうだ。
なんたる感性。音を聴かずして音を聞く。
ついでは月を見ずして月を見る、、、本席の指月布袋。(かの室町時代のビッグネーム禅僧の画(゚△゚;ノ)ノ )
凡人は月(仏法の真理)を見ずして教え示す指(悟りにいてる方法論)ばかりを見る。示唆に富む画題。
そういえば昨年のお茶事では仙厓さんの指月布袋をみせていただいたなあ、、と思い出す。
なぜ月にウサギがいるのか、なぜ月は満ち欠けするのか、幼い頃聞いた仏法説話もなつかしく聞かせていただく。
(猿、狐、兎の「ジャータカ」の有名な話は絵本で読んだが、成敗されて半分に切られた蛇が腹いせに月を飲み込んだが、切られたところからまた月がでてきて、また飲み込んで、、、、のお話しは初めて、童心に返りおもしろかった(^^) )

こちらの懐石はイタリアン。ご近所のリストランテのシェフが来て作ってくださるのだ。杯にいただくお酒はもちろんワインで。
あ!
古染付!
先日の古染付・祥瑞古陶磁勉強会でご同席したので、その復習に、とたくさんたくさん古染をだしていただいた。ありがたし。
しかも今回のご連客はプロ、アマ両者の古陶磁専門家もしくは愛好家、器を見ながら(控えめにされていましたが)解説いただけたのがうれしい。私はまだまだ勉強が足らんなと思ったことです。
しかしながら心配は、この古染にオリーブオイル、ガーリックたっぷりのイタリアンをのせていいのか?!ということ。

こんな、、、こんなよだれが出そうな古唐津の塩笥に入っているのはブイヤベース!
だ、、だいじょうぶか??と思いつつも、おしげもなく使ってくださる和尚様の太っ腹ぶりには頭が下がる。

八寸が二種でたあとで、「藪内は八寸三種じゃないんですか?」「おっと、これは失礼、忘れておりました。ただいま用意します。」、、、で席中で松茸を焼く、、、という段取りだったらしいですが、どなたも失礼かと思い何もいわなかったので、 (^ ^;)和尚様自作自演で松茸の網焼き。
昨年もいただいたのだが、今年はプロに教えを請われたという松茸が縮まずにしっとり焼きあがる裏技を駆使してのグレードアップ。初物の松茸がより美味しくちょうだいできた。(日本酒を含ませたキッチンペーパーをかぶせて焼く。マネしたいが松茸高すぎて多分買えない!)
興が乗ったのか、和尚様、席中でやおらお盆回しをはじめ(きゃ〜!あれがぶっ飛んだら絵唐津が、古染付が、朝鮮青磁があ〜〜〜Σ(゚д゚|||))
そのほか幼稚園の園児に大好評だったと思しき芸を次々ご披露。なんてサービス精神!いや、園児にもどれて楽しいのですがね、和尚様、ちょっと太っ腹すぎます。(茶席での奇行が多かったという朝吹柴庵が乗り移ったとおっしゃってましたが(^ ^;))

かくの如き楽しい懐石の締めは満月錦玉、お皿もこの前の研究会でみせていただいた古染付。
中立ちの待合にかけられていたのもまた月。
英一蝶の十六夜月。齢70を越えるとぶん回し(コンパス)を使っても満月がよろけて十六夜の月になるわい、、、といった画賛。

(この写真は和尚様に提供いただく)
たっぷりと露をうった後座の花。
お庭で山芍薬のはじけた実がとれるなんてうらやましい。(うちの庭のは葉っぱばかり)
先ほどの賑やかな初座とうってかわって静けさの中で粛々とすすむ濃茶点前。
主人公は、、、重厚な奥高麗。
どっしりと手にとると重く、その肌は青味をおびてお尻はほんと美しく丸い。高台の露胎に釉薬が二筋流れ込んで、そのうち一つがくるっと猫のしっぽのよう。反対側に陶工の指のあと。釉薬につけるときにできたとおぼしき約400年も前の指跡。その時代に思いを馳せる。
奥高麗は高麗と名はつくけれど唐津で焼かれた焼き物。文禄慶長の役で朝鮮から連れてこられた陶工たちが、唐津で焼始めた初期の茶碗といわれているので、なんとなく大陸的なおおらかさ。今この時、この場所で現代のわれわれに愛玩されるとは作った陶工も想像しなかっただろうな。
これまた江戸初期のビッグネーム茶人の箱書き付き。いまは行方知れずの有名な奥高麗茶碗と寸分たがわぬ、と添え書き。長次郎の今はなき「鉢開き」に面影が似ているので「面影」と銘をつけられた黒楽の話を思い出してしまった。
最後にお正客の古美術のプロの方が、ずっと控えめにしてはったのに「これはまちがいのない奥高麗です。」と断言しはったとき、なんだか今日の茶事が決まった!と思った。

垂涎の古備前大皿!
お薄席でもたくさんの名碗をだしていただいた。二服いただくのに、あれでも飲みたいこれでも飲みたいと茶碗の選択に困ってしまうほど。
中でもお気に入りは典型的安南、この形は好き。振り出しも安南、これもいい。備前池田家伝来の古備前沓形茶碗も景色があってよかったなあ、、、
初座の大笑いお座興があって、座がなごんで後座で怒濤の息つく間もない感嘆、心にくい演出。
名残惜しけれどこれにて、みのり、稔り、御法茶事、おひらきとなりました。
さらば宝塚の家 - 2016.09.14 Wed

久しぶりの宝塚です。
宝塚から京都に移住してはやまる6年がたとうとしています。その間、約18年暮らした宝塚の家は、知り合いに貸していたのですが、とうとう売却することにしました。買い手ももう決まっているので、契約成立までに最後のお別れにいこうと思ったのです。

まだ住んでいる当時の、リビングの適当な写真が見つからなかったので、なんとなく雰囲気のわかるものを。
初代「いつか・住もう・京都(1)」ブログを読んでくださっていた方はなんとなく見覚えがあるかもしれません。(ちなみにこのさげもんはお雛様特別バージョンでいつもこんなのを吊っていたわけではありません)

ほぼ6年ぶりに中へ入りました。家具などはそのままにしておく、という約束だったのでお貸ししていた方はそのままつかってくださいました。
無住になって半年ですが、すでにほこりの匂いと空家独特の空虚感。家は住み手を失うと命を失うといいますが、まさにそれ。

このソファは猫たちのお気に入りでした。(3匹目は今は娘のところにいるフレさん)
そしてここに住んでいた頃は、ほとんど職場と家の往復だけの超忙しかった私のくつろぎの場所でもありました。職場でつらいことやいやなことがあった時でも、家に帰ってこのソファにすわるとひとときそれを忘れてくつろげたのです。

思えば約18年、連続で暮らした中では一番長い家になります。それまで結婚してから5回以上引っ越ししていましたから。
子どもたちが小学校を卒業したのもこの家、猫たちがやってきたのもこの家、子どもたちが大学へ入学するために家を離れたのもここでした。
家具がないがらんどうの家でも、その場に身をおくと、いろんな想い出が次々とわきでるように思い出されます。
二階の子供部屋のドアをあけると勉強机に向かっている娘の姿や、ベッドに寝そべって漫画を読んでいた息子の姿が見えてもおかしくないような気がしました。

まだ若いシェルさんのお気に入りの場所だったところ。

それがここ。

今年の桜の頃に御年19歳で逝ってしまったプリさんのお気に入り。冬はこのカップボードの前にストーブを置いていたので、家で一番暖かい居心地の良い場所だったようです。

そのカップボード。

二階の階段の踊り場には猫たちのつけた爪の跡も懐かしい。
そういえば、あの阪神淡路大震災を味わったのもここでした。
うちは大きな被害はありませんでしたが、周辺では景色がすっかり変わるほどの被害もでました。くずれた家の破片が散らばる道を歩くのは胸が痛かった。
そして1ヶ月ガスが使えず隣の隣の市まで銭湯かよい、おりしも娘の中学入試直前だったのを思い出します。

ダイニングから見たキッチン。
今よりはお料理してましたね。お弁当作らなきゃならなかったし。
家中あちこち見て回っているうち、6年のブランクはまったく感じなくなって、明日からここでまた宝塚の暮らしをしようと思えば6年をすっとばして、すっとはいっていけるような心地がしました。18年の重みでしょう。
特に家族にとって、あるいは自分の人生にとっても華といってよい時代を過ごした場所ですから。もちろん華の時代とは、苦しいことやしんどいこと、悩みもたくさんあったけれど、過ぎてみれば人生で一番充実していた時代、という意味です。
いまは楽しいけれど、人生のピークはもう過ぎちゃったかな〜という感じで。人間苦労した時代が一番ふりかえって輝かしい時代のようです。
さて、ほりっぱなしの庭にまわりましょう。

かつてウィークエンドガーデナーであった私は庭造りにはかなり労力を傾けました。いろいろな花を育て失敗したり、思った以上に繁殖して困ったり、、、、
かつてのなんちゃってイングリッシュガーデンです。

こんなクラシックローズも育てていたんですよ。

それが、、、こんなことになっちゃってます。どひゃ〜〜!
一応ビニールシートを造園屋さんに敷き詰めてもらってたのですがね。雑草の強い生命力の前には無力でした。
にもかかわらず、生垣のアベリアや西洋紫陽花、夏蜜柑、秋明菊は健在!というのは感激でした。

一番びっくりしたのはこの大木になっちゃったネムノキ。
これ最初鳥の運んだタネから芽が出た小さい小さい木ともよべないものだったのです。それがまあ、こんな大木に、、、ふわふわのパウダーブラシのような花もさかせていました。
この荒れ放題の庭はまだ所有権を残しておくので、ちょっとなんとかしないといけないなあ。

最後に、家の中にもどって思わず深々と頭を下げました。
長い間、どうもありがとう。ありがとう。
もうここに来ることもないと思うと少し涙がでました。

帰りに毎日通勤に使っていた阪急宝塚駅へ。
ここに引っ越した当初は阪急の駅もJRの駅も古かった時代。宝塚歌劇へ通じる道もひなびた温泉地の道、それでしたが、引っ越してから駅前はどんどん変わっていきました。
この阪急の駅などはできてすぐあの大震災、新しいのに亀裂ができたところもありましたね。

駅ビルであるところのソリオ(ショッピングセンター)も、住んでいた頃から(あるいはそれ以前から)変わらないお店もたくさんありました。なつかしい。この日の晩飯は、よく子どもたちといったお好み焼き屋(大きく拡張してはった!)でお好み焼きとビール。

変わる物あり、変わらない物あり、、、今度この町にくるのは何年先になるでしょう。
しばし、さらば宝塚。
祗園古陶磁研究会〜古染付・祥瑞編 - 2016.09.12 Mon
祗園某所にておこなわれる古陶磁研究会。
数寄道具をいっぱいお持ちの数寄者の方々がご自分のお道具を見せたがり、、、いや(^_^; 見せていただけるだけでなく、手でさわりまくり使いまくりができるという、夢のような研究会でございます。

祗園にかかる月。
初回の古唐津、二回目の井戸に続く三回目は古染付・祥瑞です。うわ〜\(^O^)/

しかも今回は骨董古美術月刊誌としてその方面では有名な「目の眼」8月号の特集が古染付・祥瑞、中で誌鼎談をされている古染付・祥瑞の研究家として第一人者でおられるN先生にお越しいただきミニ講義までついているというすてきな企画です。
会場には主催者や数寄者の方々がお持ちの古染付・祥瑞がずらっとならび、手にとってそれぞれ拝見できるのです。うふふふ、、、いひひひ、、、(あやうく自制心を失う、、、、)
お見せするのはちょっと弊害がありますので(ごめんね〜私のモノじゃないので)、その時にいただいたお料理の写真などとともにお読み下さいマセ。

古染付といったらすぐに思い浮かぶのが野村美術館にもある葡萄棚水指なんですよね。乳白色の肌に青花で描いたユニークな葡萄の実やくるくるの蔓、そしてタマランのが虫食いとかホツとかいわれる釉薬のはがれた部分!
あんなの欲しいと言ったら、だいたいこのくらいの値段、と教えてくれた方がいて、速攻次元も世界も違うとすっぱりあきらめがつきましたが。

(雉鍋〜)
次にねらったのが古染付の向付。これはほんとうに模様も形もヴァリエーションが多彩で、しかもユニークすぎる絵付、最高ですね。、、、、でもまだ本物は手に入れておりません(^◇^;) 残念ながら、、、

これは私の持っている現代の作家・村田 森さんの古染付写し向付です。最初こんなユニークな絵は村田さんのオリジナルとばかり思っていたのです。古染付にすでにあった紋様の写しとは!しかもほんものの古染付はもっとユニークな柄や形があるのを知ったのは後の話。
手に入れられぬまでも写真をみているだけでも楽しい。栄螺型、木の葉型、半開扇型、桃型、なにやら妖しい南蛮人とか、、あ、琵琶型もええね。
茶道検定用の勉強では
古染付:明代末天啓を中心に〜崇禎年間まで(1621〜1644)に主に江西省景徳鎮民窯で焼かれたコバルト(青花、回青、呉須)絵付けのもの
祥瑞:古染付よりやや時代は下るが景徳鎮で焼かれたやや上質の土、呉須をもちいたもの 紋様も釉薬も磁器として古染付より上等な印象
でも、古染付の方が好き.゚+.(・∀・)゚+.

(あ、このお皿古染ちゃうかな)
古染のほつれ具合、肩の力の抜け具合、これが日本の茶人の美意識にかない、大名家ではごまんと伝世されてきているのに、なんと!本家中国では一切痕跡がないそうなのです。出土もしなければ伝世もない、、これはびっくり。
なのでどういう経路で日本に入ってきたのか不明なんです。ミステリーですね〜。
曜変天目が日本に3碗あるのに中国にはほぼ(最近破片がでてきたらしい)ない、朝鮮の話だけれどあれだけ日本で珍重される井戸茶碗が本家ではほとんど出土しない、、、という線上の話みたいと思いました。
そう、日本人の美意識って独特なんだ。中国は(欧州も)もっとかちっと整った物が好きよね。
なので景徳鎮で焼かれた古染は日本からの注文で作られた物、というのが通説だが、その証拠はいまのところなにもないのだそうです。
でも、注文主として一番有力視されているのが、徳川幕府が力をつけてきた時代を背景にした有能なビューロクラットでもあった綺麗さびの小堀遠州さん。彼の茶会記は他に類を見ないほど圧倒的に古染の記載が多いのだそうで。
一時代前の利休や織部などの時代が陶器の時代とすると、確かにここで磁器の時代にかわっていってるんですね。

頭からばりばりしっぽまできれいにいただいた落ち鮎。美味!
N先生からはいろいろ学術的なお話しをたくさん拝聴し、レジュメも頂戴し、勉強することがまた増えました。先生はほんとうに古染や祥瑞を中心とした古陶磁の研究にご熱心なご様子、お話もあれこれ別の方面の研究に脱線しながらすすみ、ほんとうに楽しかったです。(ここには書ききれません。私自身まだ消化できていない、、、)ありがとうございました。
そのあとの並べられた古染付・祥瑞のおさわりタイムは各人そりゃあもう至福の時でございましたよ。そこにこういう学術的な話がからむといっそう楽しいです。やっとまがりなりにも「研究会」の面目がたつというもの。(」*´∇`)」
最後にずっと疑問だった古染と呉須の違いについて教えていただいたことを。
呉須は福建省漳州窯の産、発色がややにぶいのと白地がややよごれている感じ、底に砂粒がついたものが多い。しかし、古染に混じっている可能性もあり、厳格な分類は不可能とのこと。ようするにやっぱりあいまいなんだ、とうことがわかりました。
あ、もうひとつ教えてもらったトリビア。
磁器の土はカオリンという成分を含むのは周知だが、その名前の由来がカオリンのとれた景徳鎮・高嶺山の中国語読みだったなんて、、、、ご存じでした???
数寄道具をいっぱいお持ちの数寄者の方々がご自分のお道具を見せたがり、、、いや(^_^; 見せていただけるだけでなく、手でさわりまくり使いまくりができるという、夢のような研究会でございます。

祗園にかかる月。
初回の古唐津、二回目の井戸に続く三回目は古染付・祥瑞です。うわ〜\(^O^)/

しかも今回は骨董古美術月刊誌としてその方面では有名な「目の眼」8月号の特集が古染付・祥瑞、中で誌鼎談をされている古染付・祥瑞の研究家として第一人者でおられるN先生にお越しいただきミニ講義までついているというすてきな企画です。
会場には主催者や数寄者の方々がお持ちの古染付・祥瑞がずらっとならび、手にとってそれぞれ拝見できるのです。うふふふ、、、いひひひ、、、(あやうく自制心を失う、、、、)
お見せするのはちょっと弊害がありますので(ごめんね〜私のモノじゃないので)、その時にいただいたお料理の写真などとともにお読み下さいマセ。

古染付といったらすぐに思い浮かぶのが野村美術館にもある葡萄棚水指なんですよね。乳白色の肌に青花で描いたユニークな葡萄の実やくるくるの蔓、そしてタマランのが虫食いとかホツとかいわれる釉薬のはがれた部分!
あんなの欲しいと言ったら、だいたいこのくらいの値段、と教えてくれた方がいて、速攻次元も世界も違うとすっぱりあきらめがつきましたが。

(雉鍋〜)
次にねらったのが古染付の向付。これはほんとうに模様も形もヴァリエーションが多彩で、しかもユニークすぎる絵付、最高ですね。、、、、でもまだ本物は手に入れておりません(^◇^;) 残念ながら、、、

これは私の持っている現代の作家・村田 森さんの古染付写し向付です。最初こんなユニークな絵は村田さんのオリジナルとばかり思っていたのです。古染付にすでにあった紋様の写しとは!しかもほんものの古染付はもっとユニークな柄や形があるのを知ったのは後の話。
手に入れられぬまでも写真をみているだけでも楽しい。栄螺型、木の葉型、半開扇型、桃型、なにやら妖しい南蛮人とか、、あ、琵琶型もええね。
茶道検定用の勉強では
古染付:明代末天啓を中心に〜崇禎年間まで(1621〜1644)に主に江西省景徳鎮民窯で焼かれたコバルト(青花、回青、呉須)絵付けのもの
祥瑞:古染付よりやや時代は下るが景徳鎮で焼かれたやや上質の土、呉須をもちいたもの 紋様も釉薬も磁器として古染付より上等な印象
でも、古染付の方が好き.゚+.(・∀・)゚+.

(あ、このお皿古染ちゃうかな)
古染のほつれ具合、肩の力の抜け具合、これが日本の茶人の美意識にかない、大名家ではごまんと伝世されてきているのに、なんと!本家中国では一切痕跡がないそうなのです。出土もしなければ伝世もない、、これはびっくり。
なのでどういう経路で日本に入ってきたのか不明なんです。ミステリーですね〜。
曜変天目が日本に3碗あるのに中国にはほぼ(最近破片がでてきたらしい)ない、朝鮮の話だけれどあれだけ日本で珍重される井戸茶碗が本家ではほとんど出土しない、、、という線上の話みたいと思いました。
そう、日本人の美意識って独特なんだ。中国は(欧州も)もっとかちっと整った物が好きよね。
なので景徳鎮で焼かれた古染は日本からの注文で作られた物、というのが通説だが、その証拠はいまのところなにもないのだそうです。
でも、注文主として一番有力視されているのが、徳川幕府が力をつけてきた時代を背景にした有能なビューロクラットでもあった綺麗さびの小堀遠州さん。彼の茶会記は他に類を見ないほど圧倒的に古染の記載が多いのだそうで。
一時代前の利休や織部などの時代が陶器の時代とすると、確かにここで磁器の時代にかわっていってるんですね。

頭からばりばりしっぽまできれいにいただいた落ち鮎。美味!
N先生からはいろいろ学術的なお話しをたくさん拝聴し、レジュメも頂戴し、勉強することがまた増えました。先生はほんとうに古染や祥瑞を中心とした古陶磁の研究にご熱心なご様子、お話もあれこれ別の方面の研究に脱線しながらすすみ、ほんとうに楽しかったです。(ここには書ききれません。私自身まだ消化できていない、、、)ありがとうございました。
そのあとの並べられた古染付・祥瑞のおさわりタイムは各人そりゃあもう至福の時でございましたよ。そこにこういう学術的な話がからむといっそう楽しいです。やっとまがりなりにも「研究会」の面目がたつというもの。(」*´∇`)」
最後にずっと疑問だった古染と呉須の違いについて教えていただいたことを。
呉須は福建省漳州窯の産、発色がややにぶいのと白地がややよごれている感じ、底に砂粒がついたものが多い。しかし、古染に混じっている可能性もあり、厳格な分類は不可能とのこと。ようするにやっぱりあいまいなんだ、とうことがわかりました。
あ、もうひとつ教えてもらったトリビア。
磁器の土はカオリンという成分を含むのは周知だが、その名前の由来がカオリンのとれた景徳鎮・高嶺山の中国語読みだったなんて、、、、ご存じでした???
重陽の節会〜2016 - 2016.09.10 Sat
9月9日は重陽の節句。
菊の節句、着せ綿、菊慈童、菊花酒、、、お茶の世界ではテッパンのテーマになるのですが、意外と普通にはご存じない方も多い。
おめでたい陽の数字(奇数)の一番大きい9が二つ重なる月日は、陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として行われる節句ですがいまは廃れてしまいました。(お茶の世界とか伝統芸術の世界以外ではね)

これは茱萸袋。
中国から宮中に伝わった習慣で、呉茱萸(茱萸の実とはちがう)をつめた赤い茱萸袋を柱にかけ、邪気を払い、寒を防ぐまじないとするのです。
端午の節句には薬玉を飾り、重陽の節句にこの茱萸袋にかえたそうです。
この茱萸袋は9月9日だけ、嵐山法輪寺で授与されるもの。
昔重陽の節句によせる茶事をしたときに、まだ法輪寺の重陽節会へいったことがない、と申しましたらお招きしたお客さまが後日行かれてわざわざ入手してきてくださったものなのです。
今年、9日がくるので出してみたら、そうだ、今年の重陽は私の休みの日だ、と思い当たり自分もいってみることにしました。

嵐山渡月橋。
今年は9月になっても観光客の数がはんぱではありません。なかなかごった返しています。

渡月橋を渡りきったところ、嵐電から行かれるときにはこちらの裏参道が近くて便利。

虚空蔵法輪寺。
十三参りが有名ですね。
本堂の前ではもう大勢の人が並んでみえました。

13時から始まる法会。
お坊様は4〜5人くらいでしたでしょうか。
いや、わたくし声明はどの宗派であれ音楽的にすてきだと思っておりましたよ。でも今日ほど真言声明が美しいと思ったことはありません。目を閉じて聞いていると心がきもちよくたゆたうような心地がしました。
そしてご本尊、虚空蔵菩薩の前で形つくられる不思議な印相。
ちなみにこれは着せ綿(前夜菊に五色の綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐい老いをぬぐう)、右にちらっと見えているのは菊慈童のお人形。
他の寺社でも重陽の節会はされていますがなぜ法輪寺が有名かというと、ご本尊虚空蔵菩薩が愛でられた花が菊であった、、ということらしいです。
法要のおしまいに参列者に一本一本菊の生花が渡され、それをそれぞれがご本尊に手向けてゆきます。旧暦の重陽は菊の季節ですが、新暦の重陽は菊にはちょっと早い。こんなところからもこういう節句は忘れられていったのかもしれません。(京都は旧暦で行事をしてほしいですわ)

法要の後は、重陽=菊、菊と言えば、この方、菊慈童。
菊の下葉の露をのみ不老不死にて700歳以上を生きたという中国の伝説の美少年のお話です。
金剛流シテ方宇高通成師による舞囃子「枕慈童」(観世流では菊慈童)が本堂で披露されました。これもまた舞と言い、舞台と言いすばらしかった!
雫も芳しく滴も匂い 渕ともなるや谷陰の水の 所は酈縣の山のしただり
菊水の流れ 泉はもとより酒なれば、、、、
ここから菊水鉾の銘菓「したたり」(亀廣永)はきているのですね。初めて知った。

舞囃子に酔ったあとは本物のお酒(菊花酒)に酔う、というおふるまい、なんてありがたい。

祗園祭の菊水鉾にも菊慈童のお人形が乗りますが、あれはかわいい感じ、こちらは妖しく美しいですね。なんだかよわい700越えてるのがうなづけるようです。

法会のあとは嵐山〜渡月橋〜京都市内(京都タワーも見えます)を一望できる舞台で一息ついて下山します。

ちなみにこちらが本当の山門ですよ。
念願の重陽の節会に行くことができたし、これで少しは老いがはらわれたでしょうか?(^_^;
最後に重陽の節句というと必ず思い出す、大好きな漢詩を。
九月九日 山東の兄弟を 憶ふ 王維
獨り 異鄕に在りて 異客と 爲り,
佳節に 逢ふ毎に ますます親(しん)を思ふ
遙かに知る 兄弟 高きに登る處,
あまねく 茱萸(しゅゆ)を插して 一人(いちにん)を少(か)くを
(昔中国では重陽の日に親族とともに頭に茱萸の枝を挿し、高い山へピクニックへいく習慣があった=登高)
菊の節句、着せ綿、菊慈童、菊花酒、、、お茶の世界ではテッパンのテーマになるのですが、意外と普通にはご存じない方も多い。
おめでたい陽の数字(奇数)の一番大きい9が二つ重なる月日は、陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として行われる節句ですがいまは廃れてしまいました。(お茶の世界とか伝統芸術の世界以外ではね)

これは茱萸袋。
中国から宮中に伝わった習慣で、呉茱萸(茱萸の実とはちがう)をつめた赤い茱萸袋を柱にかけ、邪気を払い、寒を防ぐまじないとするのです。
端午の節句には薬玉を飾り、重陽の節句にこの茱萸袋にかえたそうです。
この茱萸袋は9月9日だけ、嵐山法輪寺で授与されるもの。
昔重陽の節句によせる茶事をしたときに、まだ法輪寺の重陽節会へいったことがない、と申しましたらお招きしたお客さまが後日行かれてわざわざ入手してきてくださったものなのです。
今年、9日がくるので出してみたら、そうだ、今年の重陽は私の休みの日だ、と思い当たり自分もいってみることにしました。

嵐山渡月橋。
今年は9月になっても観光客の数がはんぱではありません。なかなかごった返しています。

渡月橋を渡りきったところ、嵐電から行かれるときにはこちらの裏参道が近くて便利。

虚空蔵法輪寺。
十三参りが有名ですね。
本堂の前ではもう大勢の人が並んでみえました。

13時から始まる法会。
お坊様は4〜5人くらいでしたでしょうか。
いや、わたくし声明はどの宗派であれ音楽的にすてきだと思っておりましたよ。でも今日ほど真言声明が美しいと思ったことはありません。目を閉じて聞いていると心がきもちよくたゆたうような心地がしました。
そしてご本尊、虚空蔵菩薩の前で形つくられる不思議な印相。
ちなみにこれは着せ綿(前夜菊に五色の綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐい老いをぬぐう)、右にちらっと見えているのは菊慈童のお人形。
他の寺社でも重陽の節会はされていますがなぜ法輪寺が有名かというと、ご本尊虚空蔵菩薩が愛でられた花が菊であった、、ということらしいです。
法要のおしまいに参列者に一本一本菊の生花が渡され、それをそれぞれがご本尊に手向けてゆきます。旧暦の重陽は菊の季節ですが、新暦の重陽は菊にはちょっと早い。こんなところからもこういう節句は忘れられていったのかもしれません。(京都は旧暦で行事をしてほしいですわ)

法要の後は、重陽=菊、菊と言えば、この方、菊慈童。
菊の下葉の露をのみ不老不死にて700歳以上を生きたという中国の伝説の美少年のお話です。
金剛流シテ方宇高通成師による舞囃子「枕慈童」(観世流では菊慈童)が本堂で披露されました。これもまた舞と言い、舞台と言いすばらしかった!
雫も芳しく滴も匂い 渕ともなるや谷陰の水の 所は酈縣の山のしただり
菊水の流れ 泉はもとより酒なれば、、、、
ここから菊水鉾の銘菓「したたり」(亀廣永)はきているのですね。初めて知った。

舞囃子に酔ったあとは本物のお酒(菊花酒)に酔う、というおふるまい、なんてありがたい。

祗園祭の菊水鉾にも菊慈童のお人形が乗りますが、あれはかわいい感じ、こちらは妖しく美しいですね。なんだかよわい700越えてるのがうなづけるようです。

法会のあとは嵐山〜渡月橋〜京都市内(京都タワーも見えます)を一望できる舞台で一息ついて下山します。

ちなみにこちらが本当の山門ですよ。
念願の重陽の節会に行くことができたし、これで少しは老いがはらわれたでしょうか?(^_^;
最後に重陽の節句というと必ず思い出す、大好きな漢詩を。
九月九日 山東の兄弟を 憶ふ 王維
獨り 異鄕に在りて 異客と 爲り,
佳節に 逢ふ毎に ますます親(しん)を思ふ
遙かに知る 兄弟 高きに登る處,
あまねく 茱萸(しゅゆ)を插して 一人(いちにん)を少(か)くを
(昔中国では重陽の日に親族とともに頭に茱萸の枝を挿し、高い山へピクニックへいく習慣があった=登高)
下鴨〜雲心月性 - 2016.09.08 Thu
下鴨の閑静な住宅地の中にひっそりたたずむレストラン・雲心月性。

おそらく観光客はこられないでしょうね。
地元の人間でもなにげにうっかり通り過ぎてしまうような、入り口の小ささですから。
一見昔の韓屋のような入り口です。

入り口だけではなく中に入っても、そこは韓屋の世界、李朝風の雰囲気がただようすてきな空間です。
時々奥の食器棚(すてきな焼物の食器がぎっしり)の上に看板猫の黒猫ちゃんが寝てたりします。

奥の部屋へ。
ね、まるで韓屋でしょ?
テーブルはこれはどこかな、半島かインドあたりの民家のドアをテーブルに。

こちらはご姉妹でされている和食中心+中華+洋食の家庭料理のお店です。お野菜たっぷりがうれしいメニューです。
いただく前に苦手な物、アレルギーなど聞いてくださいます。
これは賀茂茄子と挽肉のかやく味噌焼。
そしてそして!
ここの器がたまりませんのです。うふふ、、、
お皿は全日根さんのもの、お酒の入った片口は伊賀の笹山芳人さんのもの、絵唐津風のお猪口も好み!
私の好きな作家さんのものに囲まれる、、、、というか、ここのオーナーさんの趣味が良すぎるのです。

しかもこちらの花器や小棚などの調度は多くは川口美術さんのもの、そりゃ〜、、、、私のツボにはまるわけですわ。
この花器も新羅土器、5〜6世紀のもの。ホトトギスの花も盛られてきれいです。

魚と夏野菜のレモンマスタードソース。たっぷりの夏野菜が美味しい上、レモンマスタードってまねしてみよう。
このお皿は古伊万里でしょうか。

これがまた絶品の貝柱・春雨・エビの春巻き!
ところで雲心月性とはなんでしょう。
字だけ見ても意味がわからないながら、とても清らかな、俗世の塵埃からとおくへだったった、、、、という感じがしますね。
辞書にはちゃんと四字熟語としてあって、「雲や月のように高く澄んだ心、 世俗の名誉や利益を求めようとしない、無欲で清らかな心」という意味だそうです。
すてきですね、一度聞いたら忘れられない。

やわらかいやわらかい豚肉の煮込みにこれまたたっぷりのお野菜、ご飯と香物といっしょにいただきます。
静かな時間を楽しみながらいただく一手間かけた家庭料理、大人の隠れ家ですね。

最後にご飯をいただいたお茶碗が(もう廃業された亀岡の作家さんのものでしたが)もう、いますぐお茶を点てたくなるような小ぶりの茶碗で。
全部で四碗しかないそうです。どれも景色が少しずつ違う。伊羅保のようでもあり、唐津のようでもあり、粉青のようでもあり、、、最後の締めによいお茶碗、ごちそうさまでした!

おそらく観光客はこられないでしょうね。
地元の人間でもなにげにうっかり通り過ぎてしまうような、入り口の小ささですから。
一見昔の韓屋のような入り口です。

入り口だけではなく中に入っても、そこは韓屋の世界、李朝風の雰囲気がただようすてきな空間です。
時々奥の食器棚(すてきな焼物の食器がぎっしり)の上に看板猫の黒猫ちゃんが寝てたりします。

奥の部屋へ。
ね、まるで韓屋でしょ?
テーブルはこれはどこかな、半島かインドあたりの民家のドアをテーブルに。

こちらはご姉妹でされている和食中心+中華+洋食の家庭料理のお店です。お野菜たっぷりがうれしいメニューです。
いただく前に苦手な物、アレルギーなど聞いてくださいます。
これは賀茂茄子と挽肉のかやく味噌焼。
そしてそして!
ここの器がたまりませんのです。うふふ、、、
お皿は全日根さんのもの、お酒の入った片口は伊賀の笹山芳人さんのもの、絵唐津風のお猪口も好み!
私の好きな作家さんのものに囲まれる、、、、というか、ここのオーナーさんの趣味が良すぎるのです。

しかもこちらの花器や小棚などの調度は多くは川口美術さんのもの、そりゃ〜、、、、私のツボにはまるわけですわ。
この花器も新羅土器、5〜6世紀のもの。ホトトギスの花も盛られてきれいです。

魚と夏野菜のレモンマスタードソース。たっぷりの夏野菜が美味しい上、レモンマスタードってまねしてみよう。
このお皿は古伊万里でしょうか。

これがまた絶品の貝柱・春雨・エビの春巻き!
ところで雲心月性とはなんでしょう。
字だけ見ても意味がわからないながら、とても清らかな、俗世の塵埃からとおくへだったった、、、、という感じがしますね。
辞書にはちゃんと四字熟語としてあって、「雲や月のように高く澄んだ心、 世俗の名誉や利益を求めようとしない、無欲で清らかな心」という意味だそうです。
すてきですね、一度聞いたら忘れられない。

やわらかいやわらかい豚肉の煮込みにこれまたたっぷりのお野菜、ご飯と香物といっしょにいただきます。
静かな時間を楽しみながらいただく一手間かけた家庭料理、大人の隠れ家ですね。

最後にご飯をいただいたお茶碗が(もう廃業された亀岡の作家さんのものでしたが)もう、いますぐお茶を点てたくなるような小ぶりの茶碗で。
全部で四碗しかないそうです。どれも景色が少しずつ違う。伊羅保のようでもあり、唐津のようでもあり、粉青のようでもあり、、、最後の締めによいお茶碗、ごちそうさまでした!
蔵酒場・佐々俵2016〜佐々木酒造 - 2016.09.06 Tue
洛中唯一の造り酒屋(左京区にもあるんだけれど洛外だから、、、、^_^;)佐々木酒造さんで一夜限りの蔵酒場。

造り酒屋の蔵に入れるなんて、滅多にないチャンス。(もちろんたいせつなタンクのある部分は立ち入り禁止よ)
書家の俵越山先生(私らには越前屋俵太さんの方がなじみがあるわね)と太っ腹な佐々木酒造の男前の社長さんのコラボで昨年から始まった一日限りの蔵酒場。

開場前にすでに前の駐車場では焼き鳥とかウナギの蒲焼きとかミニ弁当とか、、、お酒のあてになりそうなものがいっぱいでいいにおいをさせてます。

<蔵酒場 佐々俵>
一日限りの酒場の名前。

開場前にちょっとフライングをして蔵の中をのぞかせていただく。
ああ、こんなになってるんだ。早くもお酒を飲みたい心ははやる。

18時、いよいよ蔵酒場・佐々俵、会場です。
越山先生と(お兄さんの佐々木蔵之介さんより男前、の評判の高い)佐々木社長のご挨拶。
昼の部にはなんと市長が挨拶しはったそうで、、、さすが佐々木酒造、京都市民には有名です。

さあ、酒蔵にGo!
事前申し込みしたたくさんの日本酒愛好家、、、いや飲んべえがどっとなだれ込む。

奥のカウンターでは佐々木酒造のお酒飲み放題。
看板吟醸の聚楽第、ぐっと濃厚で強い古都、フルーティーなボトルもおしゃれな平安四神などなど、、

後のお品書きは越山先生が酒場の雰囲気を盛り上がるために書いた物で、実際にこんなんがでるわけではありません(^_^;

会費を払うともらえるこのオリジナル杯をもってふらふら、あっちのお酒、こっちのお酒を飲み比べ。

しかし、味がどうのと言っていたのは最初の5〜6杯までだったかな、あとはもう勢いに任せてなんでもええから日本酒ならかかってこい!、、、、状態。

もちろん、下戸さんでも楽しめるノンアルコールもやわらぎ水もあるよ。
10〜20円で買える駄菓子もあるよ。ひととおり焼き鳥とか食べて、そのあとのアテにこの駄菓子がまたようあうんですわ〜。
ここで初めて、ずっと飲みたいと思っていた、佐々木酒造開発、ノンアルコールの米麹飲料「白い銀明水」飲みました!!
おいしい!(佐々木酒造まで行かないと買えません)

ここは蔵の中の事務的な仕事をする場所でしょうか?
先ほどから壁にも提灯にも額にも屏風にも、書き殴られている書は越山先生のですよ。

そうこうするうちに社長と越山先生の「越山美術館(?!)オープン式典(?)」、テープカットです。

この「美術館」の扉をあけると、、、ここは瓶詰めのコーナーでしょうか。醸造関係らしき機械がいろいろ置いてある。

そのあちこちに越山先生のじんわり笑えるお言葉を記した書が。
「なすがままなら きゅうりはぱぱ」 「初心忘れるで必ず」 、、、
あはは、、、

でも、心にじんわりしみるお言葉も。

実は越山先生には一度お願いして西行の歌を短冊に書いていただいたことがあります。越山体で書かれた西行さん、茶事の折、玄関に掛けて使わせてもらいました。(その時の記事)
ご挨拶したら覚えていてくださったようで、うれしい。

始まって時間がたってもバーカウンターへ押しかける人はひきもきらず、、、みなさん、飲んべえですねえ、、

なんだかどこかでお見かけしたようなお顔もちょい有名な方もまじっていたような。
狂言師のS師もご夫婦でおいででしたし、、、こんな方にもお目にかかりました。

裏千家教授のランディ先生!
今日はアロハに短パンでなくて十徳(茶名以上の男子の正装)なんですね(^_^;

ちょっとお酒や肴でちらかってますが、同じテーブルを囲んだのんべえのみなさん、まったく見ず知らずの方々ながら、酒の勢いもありすっかり意気投合、是非来年もご一緒に!とお互いに集合写真をとりあいました。
来年も是非おめにかかりましょう、合い言葉は「かきピー!」(#^.^#)(ここだけで通じる合い言葉)

宴はまだまだ続きますがここらでおいとましよう。

いや、楽しかった。
良い酔い加減の宵、、、なんつって。

蔵の少し北に佐々木酒造の店舗。杉玉の影だけが映ってますね。

店舗の前の自販機に銀明水発見!!
(さきほどの飲んべえさんのおひとりに教えてもらった)

というわけで、一本、買って帰りました!!

造り酒屋の蔵に入れるなんて、滅多にないチャンス。(もちろんたいせつなタンクのある部分は立ち入り禁止よ)
書家の俵越山先生(私らには越前屋俵太さんの方がなじみがあるわね)と太っ腹な佐々木酒造の男前の社長さんのコラボで昨年から始まった一日限りの蔵酒場。

開場前にすでに前の駐車場では焼き鳥とかウナギの蒲焼きとかミニ弁当とか、、、お酒のあてになりそうなものがいっぱいでいいにおいをさせてます。

<蔵酒場 佐々俵>
一日限りの酒場の名前。

開場前にちょっとフライングをして蔵の中をのぞかせていただく。
ああ、こんなになってるんだ。早くもお酒を飲みたい心ははやる。

18時、いよいよ蔵酒場・佐々俵、会場です。
越山先生と(お兄さんの佐々木蔵之介さんより男前、の評判の高い)佐々木社長のご挨拶。
昼の部にはなんと市長が挨拶しはったそうで、、、さすが佐々木酒造、京都市民には有名です。

さあ、酒蔵にGo!
事前申し込みしたたくさんの日本酒愛好家、、、いや飲んべえがどっとなだれ込む。

奥のカウンターでは佐々木酒造のお酒飲み放題。
看板吟醸の聚楽第、ぐっと濃厚で強い古都、フルーティーなボトルもおしゃれな平安四神などなど、、

後のお品書きは越山先生が酒場の雰囲気を盛り上がるために書いた物で、実際にこんなんがでるわけではありません(^_^;

会費を払うともらえるこのオリジナル杯をもってふらふら、あっちのお酒、こっちのお酒を飲み比べ。

しかし、味がどうのと言っていたのは最初の5〜6杯までだったかな、あとはもう勢いに任せてなんでもええから日本酒ならかかってこい!、、、、状態。

もちろん、下戸さんでも楽しめるノンアルコールもやわらぎ水もあるよ。
10〜20円で買える駄菓子もあるよ。ひととおり焼き鳥とか食べて、そのあとのアテにこの駄菓子がまたようあうんですわ〜。
ここで初めて、ずっと飲みたいと思っていた、佐々木酒造開発、ノンアルコールの米麹飲料「白い銀明水」飲みました!!
おいしい!(佐々木酒造まで行かないと買えません)

ここは蔵の中の事務的な仕事をする場所でしょうか?
先ほどから壁にも提灯にも額にも屏風にも、書き殴られている書は越山先生のですよ。

そうこうするうちに社長と越山先生の「越山美術館(?!)オープン式典(?)」、テープカットです。

この「美術館」の扉をあけると、、、ここは瓶詰めのコーナーでしょうか。醸造関係らしき機械がいろいろ置いてある。

そのあちこちに越山先生のじんわり笑えるお言葉を記した書が。
「なすがままなら きゅうりはぱぱ」 「初心忘れるで必ず」 、、、
あはは、、、

でも、心にじんわりしみるお言葉も。

実は越山先生には一度お願いして西行の歌を短冊に書いていただいたことがあります。越山体で書かれた西行さん、茶事の折、玄関に掛けて使わせてもらいました。(その時の記事)
ご挨拶したら覚えていてくださったようで、うれしい。

始まって時間がたってもバーカウンターへ押しかける人はひきもきらず、、、みなさん、飲んべえですねえ、、

なんだかどこかでお見かけしたようなお顔もちょい有名な方もまじっていたような。
狂言師のS師もご夫婦でおいででしたし、、、こんな方にもお目にかかりました。

裏千家教授のランディ先生!
今日はアロハに短パンでなくて十徳(茶名以上の男子の正装)なんですね(^_^;

ちょっとお酒や肴でちらかってますが、同じテーブルを囲んだのんべえのみなさん、まったく見ず知らずの方々ながら、酒の勢いもありすっかり意気投合、是非来年もご一緒に!とお互いに集合写真をとりあいました。
来年も是非おめにかかりましょう、合い言葉は「かきピー!」(#^.^#)(ここだけで通じる合い言葉)

宴はまだまだ続きますがここらでおいとましよう。

いや、楽しかった。
良い酔い加減の宵、、、なんつって。

蔵の少し北に佐々木酒造の店舗。杉玉の影だけが映ってますね。

店舗の前の自販機に銀明水発見!!
(さきほどの飲んべえさんのおひとりに教えてもらった)

というわけで、一本、買って帰りました!!
朝茶事合宿2016 - 2016.09.04 Sun
昨年の夏の朝茶事合宿はとてもとても濃い、濃いい〜〜おとろしい内容でありました。メンバーも濃い、、、いや(^_^; すごい方々で、数寄談義は深更1時までおよび、その上翌朝5時起きの朝茶事という身も心もふらふらでありました。
しかしながら、稔りの多さ、ご亭主御連客との距離が縮まるなど、合宿でこそ味わえる数寄体験忘れがたく、今年もお誘いいただき二つ返事で参加いたします。

おりしも迷走台風が近くを通る最中、仕事を終えてかけつけた亀岡・楽々荘は大雨の中。
激しい雨の音を聞きながらの楽々荘・チンギアーレでの夕食会でありました。
(私はおくれて駆けつけたので、コースを一皿にもりあわせていただく)

激しい雨に打たれよりいっそう緑を強めた夜の楽々荘の庭。
すでにお集まりの御連客とご亭主のあいだでは数寄談義がすでに盛り上がっています。
御連客は、昨年とはまったくメンバーがちがうのですが、そこはそれ、合宿してでも朝茶事をしたい、というご遠方から駆けつけたお茶狂い、、、おっと数寄人の方々、お話しははずみます。

明日の朝が早いご亭主が引き上げられた後も、延々と数寄話は続き、大笑いの話題あり、勉強になる話題あり、一番盛り上がったのは某家の「奥歯」という銘のついた茶道具の話でしたねo(^▽^)o

話はつきませんが、さすがに明日5時起き、そろそろおひらきに。今年も贅沢な造り室礼の楽々荘客室に泊めていただく。
昨年は信楽のバスタブにびっくりしましたが、今年のお部屋にはジャグジーが!!しかも広い。泳ぎはしませんでしたが、ふわふわ楽しいバスタイムですっかり疲れがふきとび、ただちに爆睡。

なんとか5時に起きられて、ウソツキ襟だけつけた浴衣にお着替え。
外は台風一過、すっかり暑気がはらわれて、あたり一面くまなく水うちされたようなさわやかな朝でした。最高の朝茶事の舞台です。百日紅が美しい。

さすがに8月も末になると日の出は遅くなり、太陽の光もややその力を弱めたようです。しっとりぬれた庭ではあちこちで虫の音がかまびすしいくらい。すっかり初秋の風情となりました。
洋館の待合には大綱和尚の豆腐画賛。「世の中は 豆で四角で やわらかで 豆腐のような 人になれ人」
今日の懐石は豆腐づくしか?

腰掛け待合いのそばの石榴の木から落ちた(あるいは落とした)実、ひとつ。
本席は広間の八畳。
お軸は無学宗衍(七事式制定に一枚かんだ禅師)「幽篁訡涼味」。
篁になぞらえて茶室は葦戸に囲まれています。まだ日が上りきらず葦戸がつくる影は最初弱々しかったのですが、時がうつろうにつれてだんだん光と影がはっきりしてきて、亭主の座を照らします。
この光の変化は朝茶事なればこそ楽しめます。(だんだん暮れていく夕ざりもすてきですが)

一枚○○万円するといううわさの讃岐円座。
しなやかで最高の座り心地。
釜は小ぶりの霰の車軸で鐶付きが貝、鐶は南鐐、さらに竹にからめて竹の形の火箸。香合もご亭主の大きな手の中でちんまりとかわいい小ぶりの夕顔でありました。

前夜夕食時に富山の万惣さんがおられたので、今日の懐石は万惣さん、やった!!と思いました。でしゃばらず上品な懐石にはいつも感動させられます。
待合の豆腐にちなんで、汁は湯葉、ガラスの鉢に張った水にうかぶ亀岡産の豆腐、煮物も豆腐屋さんにつきもののがんもどき。
それから北陸でよく食されているという金時草、裏の葉脈が赤い、食感がまるでワカメ、というようなこちらでは珍しい物、これはくせになる。
向付がな、な、な〜んと、それぞれ違う意匠の古染付!!
私のは木の葉でした。一枚でも手に入らないのにこの贅沢さはなんでしょう。他にも木瓜、魚、ねじり梅、などなど。近々、ご亭主が古染付の勉強会をひらかれるので、その前振りなんだとか。それは勉強会も楽しみ楽しみ!古染、、、ええなあ、、、、:(´◦ω◦`):
八寸は昨年も感動したイナダ(鰤の幼魚)の干物、ほんまに酒盗なんやわ、これ。
お菓子は一見、四角く切った豆腐???、、、と思ったら真っ白な蓮根羹、しゃくしゃくとした食感がこれまたたまらない。もちろん万惣さん。

中立のころにはすっかり朝になって、昨夜の雨がうそのように晴れ、光が明るい。
日がのぼるにつれてあれほどうるさかった虫の音がぴたりとやんで、時の移ろいを感じさせます。1週間前までは虫の音の後は蟬がとってかわってにぎやかだったそうですが、昨夜の嵐のせいかうつりかわる季節のせいか一声もきこえませんでした。
後座の花は、、、、薄紫のいま開いたばかりの朝顔一輪。
利休の逸話にもあれど、実際に朝顔を茶花として生けているのは見た記憶がない。朝茶しか使えないこともあるのだろうが、ほんまにほどよく花びらがほどけている。水屋を担当されたI先生がご自宅でご丹精された朝顔なのだそうです。
いれるタイミングで使えない場合もあると思うので、なかなかむつかしい朝顔をここまで美しく見せていただき感謝。花入は掛置籠。
濃茶は高麗茶碗にて。水指は南蛮モール抱桶水指、あらかじめ氷をいれて金属の表面に水滴を作ったのだそうで、そうかそういうテクニックがあったか。
棗型の茶入はもう、あのお方(;゜0゜)の花押つきで、それにのる茶杓はその三男坊の作という、普通美術館クラスのものでありました。ありがたやありがたや。

続き薄の席では青楓の山にほとばしる滝のような筋が入った氷柱が据えられ、たくさん出していただいた茶碗は、ご亭主お気に入りの桃山の黒織部Σ( ̄。 ̄ノ)ノをはじめ魅力的なものばかりでした。昨年も出していただいた渋い猿投の山茶碗もよろしいなあ。
茶事が果ててもまだ朝10時、太陽がのぼってもこの日はさわやかで涼しい一日、今年も楽しいうれしい朝茶事合宿でありました。来年も再来年もその先も、またこんな朝茶事合宿に参加できますように、あつかましいですが、そう祈っておきます。
しかしながら、稔りの多さ、ご亭主御連客との距離が縮まるなど、合宿でこそ味わえる数寄体験忘れがたく、今年もお誘いいただき二つ返事で参加いたします。

おりしも迷走台風が近くを通る最中、仕事を終えてかけつけた亀岡・楽々荘は大雨の中。
激しい雨の音を聞きながらの楽々荘・チンギアーレでの夕食会でありました。
(私はおくれて駆けつけたので、コースを一皿にもりあわせていただく)

激しい雨に打たれよりいっそう緑を強めた夜の楽々荘の庭。
すでにお集まりの御連客とご亭主のあいだでは数寄談義がすでに盛り上がっています。
御連客は、昨年とはまったくメンバーがちがうのですが、そこはそれ、合宿してでも朝茶事をしたい、というご遠方から駆けつけたお茶狂い、、、おっと数寄人の方々、お話しははずみます。

明日の朝が早いご亭主が引き上げられた後も、延々と数寄話は続き、大笑いの話題あり、勉強になる話題あり、一番盛り上がったのは某家の「奥歯」という銘のついた茶道具の話でしたねo(^▽^)o

話はつきませんが、さすがに明日5時起き、そろそろおひらきに。今年も贅沢な造り室礼の楽々荘客室に泊めていただく。
昨年は信楽のバスタブにびっくりしましたが、今年のお部屋にはジャグジーが!!しかも広い。泳ぎはしませんでしたが、ふわふわ楽しいバスタイムですっかり疲れがふきとび、ただちに爆睡。

なんとか5時に起きられて、ウソツキ襟だけつけた浴衣にお着替え。
外は台風一過、すっかり暑気がはらわれて、あたり一面くまなく水うちされたようなさわやかな朝でした。最高の朝茶事の舞台です。百日紅が美しい。

さすがに8月も末になると日の出は遅くなり、太陽の光もややその力を弱めたようです。しっとりぬれた庭ではあちこちで虫の音がかまびすしいくらい。すっかり初秋の風情となりました。
洋館の待合には大綱和尚の豆腐画賛。「世の中は 豆で四角で やわらかで 豆腐のような 人になれ人」
今日の懐石は豆腐づくしか?

腰掛け待合いのそばの石榴の木から落ちた(あるいは落とした)実、ひとつ。
本席は広間の八畳。
お軸は無学宗衍(七事式制定に一枚かんだ禅師)「幽篁訡涼味」。
篁になぞらえて茶室は葦戸に囲まれています。まだ日が上りきらず葦戸がつくる影は最初弱々しかったのですが、時がうつろうにつれてだんだん光と影がはっきりしてきて、亭主の座を照らします。
この光の変化は朝茶事なればこそ楽しめます。(だんだん暮れていく夕ざりもすてきですが)

一枚○○万円するといううわさの讃岐円座。
しなやかで最高の座り心地。
釜は小ぶりの霰の車軸で鐶付きが貝、鐶は南鐐、さらに竹にからめて竹の形の火箸。香合もご亭主の大きな手の中でちんまりとかわいい小ぶりの夕顔でありました。

前夜夕食時に富山の万惣さんがおられたので、今日の懐石は万惣さん、やった!!と思いました。でしゃばらず上品な懐石にはいつも感動させられます。
待合の豆腐にちなんで、汁は湯葉、ガラスの鉢に張った水にうかぶ亀岡産の豆腐、煮物も豆腐屋さんにつきもののがんもどき。
それから北陸でよく食されているという金時草、裏の葉脈が赤い、食感がまるでワカメ、というようなこちらでは珍しい物、これはくせになる。
向付がな、な、な〜んと、それぞれ違う意匠の古染付!!
私のは木の葉でした。一枚でも手に入らないのにこの贅沢さはなんでしょう。他にも木瓜、魚、ねじり梅、などなど。近々、ご亭主が古染付の勉強会をひらかれるので、その前振りなんだとか。それは勉強会も楽しみ楽しみ!古染、、、ええなあ、、、、:(´◦ω◦`):
八寸は昨年も感動したイナダ(鰤の幼魚)の干物、ほんまに酒盗なんやわ、これ。
お菓子は一見、四角く切った豆腐???、、、と思ったら真っ白な蓮根羹、しゃくしゃくとした食感がこれまたたまらない。もちろん万惣さん。

中立のころにはすっかり朝になって、昨夜の雨がうそのように晴れ、光が明るい。
日がのぼるにつれてあれほどうるさかった虫の音がぴたりとやんで、時の移ろいを感じさせます。1週間前までは虫の音の後は蟬がとってかわってにぎやかだったそうですが、昨夜の嵐のせいかうつりかわる季節のせいか一声もきこえませんでした。
後座の花は、、、、薄紫のいま開いたばかりの朝顔一輪。
利休の逸話にもあれど、実際に朝顔を茶花として生けているのは見た記憶がない。朝茶しか使えないこともあるのだろうが、ほんまにほどよく花びらがほどけている。水屋を担当されたI先生がご自宅でご丹精された朝顔なのだそうです。
いれるタイミングで使えない場合もあると思うので、なかなかむつかしい朝顔をここまで美しく見せていただき感謝。花入は掛置籠。
濃茶は高麗茶碗にて。水指は南蛮モール抱桶水指、あらかじめ氷をいれて金属の表面に水滴を作ったのだそうで、そうかそういうテクニックがあったか。
棗型の茶入はもう、あのお方(;゜0゜)の花押つきで、それにのる茶杓はその三男坊の作という、普通美術館クラスのものでありました。ありがたやありがたや。

続き薄の席では青楓の山にほとばしる滝のような筋が入った氷柱が据えられ、たくさん出していただいた茶碗は、ご亭主お気に入りの桃山の黒織部Σ( ̄。 ̄ノ)ノをはじめ魅力的なものばかりでした。昨年も出していただいた渋い猿投の山茶碗もよろしいなあ。
茶事が果ててもまだ朝10時、太陽がのぼってもこの日はさわやかで涼しい一日、今年も楽しいうれしい朝茶事合宿でありました。来年も再来年もその先も、またこんな朝茶事合宿に参加できますように、あつかましいですが、そう祈っておきます。
漢國神社・林淨因をたずねて〜フルコト・このとまあかり - 2016.09.01 Thu
先日の建仁寺両足院のイベントにて、同院を開いた龍山徳見禅師のことを調べた。
禅師が元に渡って勉強したあと帰国の際(14世紀半ば)、その人徳にひかれて中国から日本についてきた林浄因・饅頭の祖のこともちらっと話に触れたが、その淨因を祀る神社が近鉄奈良駅のほんちかくにあるので、今度奈良へ行った時に是非寄ってみようと思った。

近鉄駅の東大寺と反対側、徒歩5分くらいの所になにげにある漢國(かんごう)神社。
推古天皇の勅命にて建てられたというから1400年くらいの歴史はあるのだ。主祭神は・大物主命・大己貴命・少彦名命。

日本に帰化した林淨因が饅頭を作り生業としたのが現在のこのあたり、林小路町だったということで、昭和になって京都和菓子協会のはたらきかけで境内に林神社ができたのだそうだ。

少し奥まった所にある神社はひっそりとして静か。

本殿の右手にありましたありました、林神社!

こ、、、これは?!
饅頭か?餅か?
淨因は最初徳見禅師と天龍寺にはいったが、当時の都の政情不安、対して奈良は経済活動がさかんで帰化人も多かったので奈良に移住したという。
中国の饅頭(マントウ・肉まんのようなもの)を、肉食が許されない僧侶のために中味を小豆と甘づらにかえて作ったのが饅頭(マンジュウ)で、これが饅頭の祖といわれているのだ。奈良発祥なので「奈良饅頭」とも。

評判をとった饅頭は時の天皇の口にも入ることになり、褒美として宮女を賜った。その結婚に際し、子孫繁栄を祈って紅白の饅頭を埋めたのがこの饅頭塚という。

こちらは漢國神社本殿、桃山時代の建築で奈良の文化財に指定。

淨因の命日とされる4月19日(あら、うちのプリさんと同じ命日!^_^;)には林神社大祭、饅頭祭りが行われ、京都・奈良の和菓子の老舗からたくさんのお供えがよせられるのだとか。

おそらくその時以外はあまり訪れる人もなく、静かな静かな神社なのだろう。
和菓子関係者、和菓子好きは是非いってみてください。

それから「きたまち」とよばれ、面白い店やカフェが最近できだした近鉄北側のエリアを北東に歩く。観光客はあまり来ないので、閑静なそしてまだまだ古い町並みが続く。

ときおり鹿の散歩にでくわしたり。
このあたりでは鹿煎餅をくれる人もいないだろうに。

若草山と大仏殿の屋根が見える。
京都でいえば東山が見えるとほっとするように、奈良では若草山がみえると落ち着くというか。

今となってはどなたも住んでおられない古い連棟式町家が続く。良い景色なんだが、いずれ再開発で取り壊される可能性は高い、、、残念だが。

そして転害門ちかくに奈良愛がいっぱいつまった雑貨+古本の店フルコトさんへ。

いろんな方面で奈良にまつわる情報を発信、活躍している4人の女性によるお店で基本、土・日・月のみ。
細い道のさらに奥へずずっと入ったところにある。

古民家を改修して庭なんかもきれいにご自分たちでしてはるなあ。
ちなみに「フルコト」は「ふるきことのふみ=古事記」からきているらしい。

とにかく奈良に関するグッズや本、小物、特筆すべきは古墳フェチというか古墳愛にあふれたさまざまな古墳をモチーフにしたグッズ。
遠方後円墳の形のポシェットは真ん中に勾玉のアクセサリーがついてとてもかわいくていいな〜と思ったのだが、還暦過ぎた人が持ってもな〜、、、、と泣く泣く諦める。
最近NHK歴史秘話ヒストリアで古墳ブームについて放送していたが、ほんまに古墳に興奮するファンは多いらしい。(「コフンにコウフン」という歌まであるらしい)

で、購入したのはこれが目的だった「奈良旅手帖」、埴輪のピン留め、、、、そして前方後円墳型のクリップ・その名も「くりっ墳(ぷん)」∈^0^∋あははは、、、、

ここから少し東に歩けば国宝・転害門(てがいもん)。
天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構だそうで、鎌倉時代修理はあったものの、基本的には奈良時代の建物なのだ。
ちなみにこのあたりの住所は手貝町。

夕刻で鹿たちがたくさんくつろいでいたが、たしか万城目学さんの「鹿男あをによし」で、最初にセンセーが鹿に話しかけられるのがここだったよね。

近鉄奈良駅の近くにもどって、フルコトさんで教えてもらったフルコト2号店・カフェ&バー「ことのまあかり」さんへ。フルコトでお買い物をするとここのかき氷(削氷・けずりひ)が割り引きと聞いて(^_^;
削氷メニューがまた奈良愛にあふれていて、「長屋王削氷」「橘三千代削氷」「阿倍仲麻呂削氷」、、、とか、それぞれのフレーバーにちなんだ(若干強引ながら)ネーミング。

で、色がきれいなので「勾玉管玉」というのにした。
氷の山をスコップ型のスプーンで発掘するのだ。

勾玉(みかん)管玉(ゼリー)、ちゃんと発掘できました!!
禅師が元に渡って勉強したあと帰国の際(14世紀半ば)、その人徳にひかれて中国から日本についてきた林浄因・饅頭の祖のこともちらっと話に触れたが、その淨因を祀る神社が近鉄奈良駅のほんちかくにあるので、今度奈良へ行った時に是非寄ってみようと思った。

近鉄駅の東大寺と反対側、徒歩5分くらいの所になにげにある漢國(かんごう)神社。
推古天皇の勅命にて建てられたというから1400年くらいの歴史はあるのだ。主祭神は・大物主命・大己貴命・少彦名命。

日本に帰化した林淨因が饅頭を作り生業としたのが現在のこのあたり、林小路町だったということで、昭和になって京都和菓子協会のはたらきかけで境内に林神社ができたのだそうだ。

少し奥まった所にある神社はひっそりとして静か。

本殿の右手にありましたありました、林神社!

こ、、、これは?!
饅頭か?餅か?
淨因は最初徳見禅師と天龍寺にはいったが、当時の都の政情不安、対して奈良は経済活動がさかんで帰化人も多かったので奈良に移住したという。
中国の饅頭(マントウ・肉まんのようなもの)を、肉食が許されない僧侶のために中味を小豆と甘づらにかえて作ったのが饅頭(マンジュウ)で、これが饅頭の祖といわれているのだ。奈良発祥なので「奈良饅頭」とも。

評判をとった饅頭は時の天皇の口にも入ることになり、褒美として宮女を賜った。その結婚に際し、子孫繁栄を祈って紅白の饅頭を埋めたのがこの饅頭塚という。

こちらは漢國神社本殿、桃山時代の建築で奈良の文化財に指定。

淨因の命日とされる4月19日(あら、うちのプリさんと同じ命日!^_^;)には林神社大祭、饅頭祭りが行われ、京都・奈良の和菓子の老舗からたくさんのお供えがよせられるのだとか。

おそらくその時以外はあまり訪れる人もなく、静かな静かな神社なのだろう。
和菓子関係者、和菓子好きは是非いってみてください。

それから「きたまち」とよばれ、面白い店やカフェが最近できだした近鉄北側のエリアを北東に歩く。観光客はあまり来ないので、閑静なそしてまだまだ古い町並みが続く。

ときおり鹿の散歩にでくわしたり。
このあたりでは鹿煎餅をくれる人もいないだろうに。

若草山と大仏殿の屋根が見える。
京都でいえば東山が見えるとほっとするように、奈良では若草山がみえると落ち着くというか。

今となってはどなたも住んでおられない古い連棟式町家が続く。良い景色なんだが、いずれ再開発で取り壊される可能性は高い、、、残念だが。

そして転害門ちかくに奈良愛がいっぱいつまった雑貨+古本の店フルコトさんへ。

いろんな方面で奈良にまつわる情報を発信、活躍している4人の女性によるお店で基本、土・日・月のみ。
細い道のさらに奥へずずっと入ったところにある。

古民家を改修して庭なんかもきれいにご自分たちでしてはるなあ。
ちなみに「フルコト」は「ふるきことのふみ=古事記」からきているらしい。

とにかく奈良に関するグッズや本、小物、特筆すべきは古墳フェチというか古墳愛にあふれたさまざまな古墳をモチーフにしたグッズ。
遠方後円墳の形のポシェットは真ん中に勾玉のアクセサリーがついてとてもかわいくていいな〜と思ったのだが、還暦過ぎた人が持ってもな〜、、、、と泣く泣く諦める。
最近NHK歴史秘話ヒストリアで古墳ブームについて放送していたが、ほんまに古墳に興奮するファンは多いらしい。(「コフンにコウフン」という歌まであるらしい)

で、購入したのはこれが目的だった「奈良旅手帖」、埴輪のピン留め、、、、そして前方後円墳型のクリップ・その名も「くりっ墳(ぷん)」∈^0^∋あははは、、、、

ここから少し東に歩けば国宝・転害門(てがいもん)。
天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構だそうで、鎌倉時代修理はあったものの、基本的には奈良時代の建物なのだ。
ちなみにこのあたりの住所は手貝町。

夕刻で鹿たちがたくさんくつろいでいたが、たしか万城目学さんの「鹿男あをによし」で、最初にセンセーが鹿に話しかけられるのがここだったよね。

近鉄奈良駅の近くにもどって、フルコトさんで教えてもらったフルコト2号店・カフェ&バー「ことのまあかり」さんへ。フルコトでお買い物をするとここのかき氷(削氷・けずりひ)が割り引きと聞いて(^_^;
削氷メニューがまた奈良愛にあふれていて、「長屋王削氷」「橘三千代削氷」「阿倍仲麻呂削氷」、、、とか、それぞれのフレーバーにちなんだ(若干強引ながら)ネーミング。

で、色がきれいなので「勾玉管玉」というのにした。
氷の山をスコップ型のスプーンで発掘するのだ。

勾玉(みかん)管玉(ゼリー)、ちゃんと発掘できました!!