正倉院展2016 - 2016.10.31 Mon
今年も日本人の大好きな正倉院展(奈良国立博物館)がやってきましたね〜。

近鉄奈良駅からならまちを通りぬけていく道々にもポスターが。
毎年ポスターになる目玉はけっこう色彩の派手なキャッチーな展示がおおいのですが、今年はなんかちょっと地味渋いわね。

、、、のせいかどうか、全然並ばずにはいれて、館内も例年に比べればすいています。数年前の瑠璃杯のときは二重に行列ができていたのにね。

ちなみにこのポットみたいなのは漆胡瓶。ペルシアの影響を受けたデザインで中国・唐代のもの。聖武天皇遺愛の水注なのです。XP写真でどうやら薄い板をくるくる巻き上げて(巻胎)形作ってその上に漆を塗り固め、表面に金属の象嵌をほどこした、ということがわかるそうです。
木製だから多分軽い手取りなんでしょうね。
鹿とか鳥とか、草花の象嵌はきれいなんだけれど、いかんせん、色がくすんであまりはっきりしない。ところが同時に展示されているXP写真にはしびれましたよ。金属の象嵌はエッジもシャープに、ほかの部分はきれいに透過され、なんてリズミカルに美しい!
ちょっとだけ月刊「ならら」の写真を。

いつも正倉院展にくるたびに思うけれど、美術工芸の技術も意匠もこの時代にほぼ完成して、現代に到るまでのそれはその模倣でしかないのじゃないのかと。

(猿沢の池の鷺)
粉地金銀絵八角長几(供物を載せる台)の華足の彫りのデザインなんか見ていると、たかが台の足にここまで情熱をかたむけるか?と思うほどの装飾性。
今回いいな、と思ったのは大幡残欠+大幡足+大幡脚端飾。
今でも東大寺で法要があるときに空にはためく幡。(これこれ ↓ こんなやつのもっと大きいの)

(2年前の東大寺華厳茶会の時の画像)
これよりはるかに長く大きな幡だったようで、この残欠が残っているんだよね〜。幅はゆうに1mをこえていると思う。縁どりが羊毛糸?のようにみえたが、細かい織物になっていて、こんなニット、今でもあるよね、って言う感じ。
大幡脚(下になびく長い複数の帯)がまたきれいで、展示されていたのは赤・黄・紫・緑。なかでも赤の赤がほんまに鮮やかで、1200年以上前の染色とはとても思えない。
この大幡は757年、聖武天皇一周忌法要に使われたものという。この鮮やかで巨大で美しくきらびやか(当時)な大幡が空にはためいていたなんて、なんてすばらしいスペクタクルだったことだろう。日本人でよかった。

予習復習にかかせぬ月刊「ならら」。この表紙が今回の展示物のモチーフになっている。ここにも載っている小鳥はせいぜい10円玉くらいの大きさの象牙彩色(撥鏤・ばちる)のおそらく装飾品。これもかわいかったな。

(ミュージアムレストランでいただいた正倉院展記念特別薬膳弁当。この包み紙にもモチーフが)
いつもは古文書類はスルーするのですが、ちょっと足をとめて見たのが「続修正倉院古文書」。日本最古の戸籍。
物部の戸、とか秦の戸(これは帰化人だろうな)とか、各家の戸主、嫡子、何々刀自、、、等々、名前や年令が書いてある物。1200年以上前の日本、その時代をこの人たちは生きていたんだなあ、、あたりまえだけれど。きっと私たちとおなじように家族むつまじかったり、争ったり、喜びがあり苦労があり、悲しみもあったことだろう。その時代を生きた人たちの息づかいまで想像してしまった。

博物館を出て、すぐ北側にある古美術中上さんにまたしても吸い寄せられ、、、、よい出会いがありました。財布はかなり損傷をうけましたが(^_^;

近鉄奈良駅からならまちを通りぬけていく道々にもポスターが。
毎年ポスターになる目玉はけっこう色彩の派手なキャッチーな展示がおおいのですが、今年はなんかちょっと

、、、のせいかどうか、全然並ばずにはいれて、館内も例年に比べればすいています。数年前の瑠璃杯のときは二重に行列ができていたのにね。

ちなみにこのポットみたいなのは漆胡瓶。ペルシアの影響を受けたデザインで中国・唐代のもの。聖武天皇遺愛の水注なのです。XP写真でどうやら薄い板をくるくる巻き上げて(巻胎)形作ってその上に漆を塗り固め、表面に金属の象嵌をほどこした、ということがわかるそうです。
木製だから多分軽い手取りなんでしょうね。
鹿とか鳥とか、草花の象嵌はきれいなんだけれど、いかんせん、色がくすんであまりはっきりしない。ところが同時に展示されているXP写真にはしびれましたよ。金属の象嵌はエッジもシャープに、ほかの部分はきれいに透過され、なんてリズミカルに美しい!
ちょっとだけ月刊「ならら」の写真を。

いつも正倉院展にくるたびに思うけれど、美術工芸の技術も意匠もこの時代にほぼ完成して、現代に到るまでのそれはその模倣でしかないのじゃないのかと。

(猿沢の池の鷺)
粉地金銀絵八角長几(供物を載せる台)の華足の彫りのデザインなんか見ていると、たかが台の足にここまで情熱をかたむけるか?と思うほどの装飾性。
今回いいな、と思ったのは大幡残欠+大幡足+大幡脚端飾。
今でも東大寺で法要があるときに空にはためく幡。(これこれ ↓ こんなやつのもっと大きいの)

(2年前の東大寺華厳茶会の時の画像)
これよりはるかに長く大きな幡だったようで、この残欠が残っているんだよね〜。幅はゆうに1mをこえていると思う。縁どりが羊毛糸?のようにみえたが、細かい織物になっていて、こんなニット、今でもあるよね、って言う感じ。
大幡脚(下になびく長い複数の帯)がまたきれいで、展示されていたのは赤・黄・紫・緑。なかでも赤の赤がほんまに鮮やかで、1200年以上前の染色とはとても思えない。
この大幡は757年、聖武天皇一周忌法要に使われたものという。この鮮やかで巨大で美しくきらびやか(当時)な大幡が空にはためいていたなんて、なんてすばらしいスペクタクルだったことだろう。日本人でよかった。

予習復習にかかせぬ月刊「ならら」。この表紙が今回の展示物のモチーフになっている。ここにも載っている小鳥はせいぜい10円玉くらいの大きさの象牙彩色(撥鏤・ばちる)のおそらく装飾品。これもかわいかったな。

(ミュージアムレストランでいただいた正倉院展記念特別薬膳弁当。この包み紙にもモチーフが)
いつもは古文書類はスルーするのですが、ちょっと足をとめて見たのが「続修正倉院古文書」。日本最古の戸籍。
物部の戸、とか秦の戸(これは帰化人だろうな)とか、各家の戸主、嫡子、何々刀自、、、等々、名前や年令が書いてある物。1200年以上前の日本、その時代をこの人たちは生きていたんだなあ、、あたりまえだけれど。きっと私たちとおなじように家族むつまじかったり、争ったり、喜びがあり苦労があり、悲しみもあったことだろう。その時代を生きた人たちの息づかいまで想像してしまった。

博物館を出て、すぐ北側にある古美術中上さんにまたしても吸い寄せられ、、、、よい出会いがありました。財布はかなり損傷をうけましたが(^_^;
秋の新旧乙女茶会へようこそ - 2016.10.28 Fri
こちらは祗園より少し南の安井金比羅宮です。

縁切り、縁結びの神社としてなぜか最近すごく有名。私が京都に引っ越してきた当初に、え〜え、もぐりましたよあの御札をばりばりに貼り付けたトンネル↑。でも当時あんまりお参りの人はいなかった。縁切りというのはなんだかおどろおどろしい怨念みたいなものがあるので、逢魔が時にひっそりとお参りするモノ、というイメージだけれど。
ところがここ数年、いついってもトンネルくぐりを待つ長蛇の行列が。「え〜、何と縁を切る〜?キャピキャピ♪」のノリの人も多く、時代もかわったなと、、、
ということはさておき、、、、

こちらの茶室をお借りして(とてもリーズナブルなお値段なのよ♪)数ヶ月前からあたためていた
「新旧乙女茶会」開催!!
新旧?
そう、メンバーは20代前半から還暦過ぎ(ごほっごほっ、、)までのお茶大好き今乙女、昔乙女だからなんです。ほんまは連絡とるときの仮称だったのに、いつのまにか本物の名称になってしまいました。
初の抹茶席と煎茶席のコラボです。

朝から集合して、一日4席、みんなでがんばりましょう。
今回のテーマは抹茶席〜名残、長安一片月、煎茶席〜月から稔りへ。
待合には百人一首の古い札、参議雅経
みよしのの やまのあきかぜ さよふけて
ふるさとさむく ころもうつなり

実はこれ、文字札と絵札を細い透明ゴムでとめているだけ。手作りなんです(^^)
札は100組ありますから、これから春夏秋冬、何回も使えそうです、うふふ。

待合の座敷には神社の掛け軸もあったので、そちらの方を皆様みてしまいそうだったので注意喚起のために下に集めた落ち葉は、これも前日美術館裏で夜に懐中電灯をつけながら拾い集めてきたモノ。

名残の中置、名残なんで風炉もやつれでいいか、というよりやぶれかぶれみたいな風炉です。でも全日根さん作のお気に入り。結界の竹は春に使った青竹でしたが、色が変わった竹も名残の季節ならゆるされる。
一席目が始まり、それぞれ分担をくるくる回しながら茶席にいどみます。
若いけれど茶人としてはベテランのメンバーもいれば、今回が亭主デビューという初々しい茶人もおります。それでもみんなお茶が好き、という点ではベテラン。最年長の私の指示がなくても小気味いいくらい手際がいいのです。

抹茶席には月の軸をかけ、砧香合、待合の「衣うつなり」からのつながりです。
お客さま方の暖かいお言葉にもたすけられました。いろんな話題をふってくださったり、過分なお褒めにもあずかり、感謝です。ほんとうはいろいろ小さな失敗も気遣いの足りなさもありましたのに(ああ、はずかしいっ!)

花はりんどう、桔梗、フジバカマ、ススキ、蓼、野菊。これも若いメンバーがいれてくれました。
来月にはもう椿一色になりそうなので、名残には残花、返り咲きをたくさんいれるとか。

今回お菓子は抹茶席も煎茶席も紫野の和菓子 青洋さんにオリジナルをお願いしました。青洋さんも乙女ですよ。
イメージを「長安一片月(砧)」とだけお伝えして、試作をつくっていただき、皆の意見が一致したこのお菓子になりました。
夜空にほんのりかかる月、中は餡ときな粉餡。きな粉で西域・玉門関の砂塵を表したそうです。
長安一片の月 萬戸衣擣つの聲
秋風 吹いて盡きず
總て是 玉關の情
何れの日か 胡虜を平らげ
良人 遠征を罷めん (李白)
の、、、世界ができあがりました。

一方水屋は抹茶席、煎茶席と入り乱れてたいへん、抹茶を点てながらお運びもするという、、、髪をふりみだして席中にはいったかも(^_^;
お茶碗はみんなの持ち寄りです。
茶杓は祗園の某老舗のご隠居手作り、銘はメンバーだけれど都合でこられなかった乙女がつけました。
「酔いどれ」!!
乙女たち、みんな日本酒が大好きなの、、、、(^_^;

しゅんしゅんと沸くお湯の音はいいですね。ここの茶席は炭を使わせてくれるし、水屋はなかなか使い勝手がよかったです。

煎茶席はほとんどひとりで新乙女のF乙女が仕切ってくれました。、、、というか正式に煎茶習っているのは彼女だけ。なのに付け焼き刃で煎茶手前もしてしまうなんて、乙女たち、なんて度胸なんだ(^◇^;)
それでもこの日までに数日、みんな夜遅くまで、F乙女の指導の下、煎茶のお稽古したのです。
ちなみにこの中国の棚は私が10年くらい前に手に入れたものの、抹茶席には使う機会もなくお蔵入りとなっていたのですが、やっとここで日の目を見たのでうれしそうです。

煎茶の道具はちまちまとかわいく、また飾り付けなども茶道に比べると自由で楽しくて、ほんとうに好き。
テーマが稔りなので、稲穂を飾って。

その稲からとれたお米をつかった煎茶席のお菓子。これもF乙女と青洋さんがあれこれ試行錯誤してできたオリジナル。串にさしたお団子は升の中の炒り米をまぶしていただく。これがまた香ばしくて、お客さんがいっせいにポリポリと音をだして召し上がるのがおもしろかった。

お客さまも煎茶初体験の方が多くて、凝縮された茶葉の甘み苦みに感嘆され好評でした。
ちなみにこれは煎茶の涼炉用の炭。指と比べてちっちゃ〜〜♪ 抹茶はこれから炉の季節、また大きい炭を使うようになるので、よけいに小さくてかわいいわね。

席と席のあいだにお弁当をたべたり、差し入れのお菓子を食べたり、中でもうれしかったのが青洋さんの差し入れ。これは全席終わったあとで、片付けもしながら、みんなで抹茶を点て合いながらいただきました。どれも材料や食感がいままでの和菓子と違って斬新で美味しかった。

最後に本日のお軸たちのテーマになる歌を書いたお礼状をお持ち帰りいただきました。(これも手作り感いっぱい)
SNSや個人的メールでお誘いしたお客さま、10名x4席で40名、ほんまにそういうご縁だけで皆様、おいで下さったことは奇跡に近いような気がします。これもお茶のご縁なればこそ。あたたかいお言葉、楽しい会話、差し入れ、等々、ほんとうにありがとうございました。
乙女たちの連絡・打ち合わせはほぼメッセージやメールだけだったのに、こんなにほぼ完璧にできるとは思ってもみませんでした。いまさらながら乙女たちの能力の高さに驚いています。
そして気まぐれな思いつきを形にしてくれて、準備から点前の稽古から、当日の各仕事、後片付けまでイヤな顔ひとつせずこなしてくれたことがとてもうれしくてありがたいのです。夜遅くまで煎茶のお稽古をしたのも今ではいい想い出になりました。
乙女たちに乾杯!!

みんなと共同作業を終えたあとの満足感はなにものにも代え難いけれど、その後は少しの間さびしいですね。
でも、またがんばりましょう。
あ〜、、、夜の金比羅さん、怖さが増してますね〜、、、
重陽菊月〜菊慈童さんの茶事 - 2016.10.26 Wed

国立近代美術館の裏の白川沿いの桜の葉も色づいてきました。また美しい季節がやってくる予感です。

このほとりにたたずむ竹中庵、春には桜のトンネルが眼前、夏には蛍、そして秋には照り葉が楽しめる絶好のロケーション。5月にはここで白川酔舟茶会させていただきました。ついせんだっては大雨の中の白川茶会もありましたねえ。大雨でうちの担当の日はお客さん約2名だった、、、(^◇^;)
でもそのご縁で岡崎のお茶友さんが毎年開かれている年に2度の茶事にこの場所を選ばはった。私は今回初めてのお招きにあずかりました。

「花を弄すれば香衣に満つ」の待合掛けには菊の絵が。ここで心にその対句の「水を掬すれば月手にあり」とともに月のイメージが。
最初の濃茶席、村雲をまとったまん丸なお月様のような花入に鹿ヶ谷のお家からもらわはったという秋の草々。ワレモコウやビナンカズラの赤い実、ホトトギスに、、、ああ、これは私の好きな大文字草。
お軸が重陽の節句(今年は新暦で10月9日でした)と月にちなむ和歌。ご亭主は和歌のお軸がたいそうお好きで造詣が深く、字を見て、あ、これはだれだれの字、とおわかりになるの\(◎o◎)/!
前回初めて山里棚の起源が藪内流にあると教えてもらいましたが、今回は少し小ぶりの風炉用山里棚。(かつて裏千家の淡々斎はこの棚を使うたびに必ず藪内のお家元へ挨拶されたとか)
今回のお正客さまも茶の湯(とくにお道具〜>^_^<)にはんぱなくご造詣の深い藪内の方でしたので(それ以外はみんな裏千家〜)ふたたび山里棚の起源について話がもりあがりました。
お茶碗が、ほとんどのみなさまの共通の知人でもあるサラリーマン陶芸家(?)まさんど窯の平金昌人さんの井戸茶碗二つ。最近信楽に自作の窯をつくらはって薪で窯炊きするようになってますます腕を上げた感のある平金井戸です。
茶杓の銘が「村雲」、月に村雲、月もくまなきはいやにてさふらふ、バッチリはまってますね。

中立のあとは薄茶席、お軸が「福寿海無量」
具一切功徳慈眼視衆生
福寿海無量是故応頂礼
法華経の一節でありますが、お能の菊慈童を連想させるフレーズでもあります。
あやまって帝の枕をまたいでしまったため宮中を追われた慈童、それをあわれんで帝がこの妙文を枕にかきつけられてくださった、それを菊の葉に書き写したところ、滴る雫が不老不死の霊薬となり慈童は700年の寿命を得た、、、そんなお話。
そういえば濃茶席の香合に「万歳」の銘があったのは菊慈童の
いかにも久しき千秋の帝 万歳の我が君と祈る
からきたのかな。

床の花もあらたに一重八重の秋明菊、秋海棠。
香合は能舞台の橋懸かりの松を思わせる松の絵扇形香合、薄器はその菊の葉のしたたりより変じた菊慈童の不老の薬を入れたつもりの薬器。茶杓まで銘が「長寿」、客の長寿を願って使ってくださったのね。
お茶碗もたくさん出してくださったけれど、やっぱり一番惹かれた茶碗が平金井戸の友継ぎ茶碗。それぞれ破片の色が微妙に違うので絶対呼び継ぎだと思っていたのに、これは作者の意図的な友継ぎなんだそうな。渋くていいわ。ええのん手にいれられましたね。
薄茶席の干菓子は菊水、百万遍・かぎや政秋の野菊(アーモンド落雁 ほろりとして口溶けがよい)とお馴染み亀廣保の観世水(ここまで観世流にかけたか)

茶席のあとは、竹中庵の白川が眼前にひろがる二階にて祗園・菱岩さんのお弁当をよばれました。菱岩いちおしの出汁巻きも入っていてうれしい。

石杯もたくさんコレクションをだしていただきましたが、私のチョイスはこれ!
大黒さんの打ち出の小槌に中にネズミの絵がかいてある染付。
そして、、、出して下さったのが長野飯田市喜久水酒造酒造の「菊慈童」!
ここまでこだわりの一会、お見事と言うほかありません!!
いろいろテーマを読み解く茶事ほどおもしろいものはないので、ほんまに楽しい楽しい茶事になりました。ここまでそろえはるのはほんまにたいへんやったと思いますが、ありがたいことです。
泉はもとより酒なれば 酌みては勧め 掬ひては施し
我が身も飲むなり 飲むなりや

さて、ご亭主、、、、
あるときは平成の利休居士?ある時は滋賀のお寺の和尚様(ウソです)?ある時は有能な仕事人、またあるときは歩く京都歴史書(博覧強記すぎる!)、、、しかしてその正体は、、、おちゃめな菊慈童さんやったんや(^◇^)
遠砧〜北村美術館 - 2016.10.24 Mon
遠砧は秋の季語。
それより砧ときけば「長安一片月」とか謡曲「砧」とか、長く帰らぬ夫をまちつつさびしく一人砧を打つ女性の姿を思い浮かべる。

そんな趣向で茶事をすれば、、、という道具組を見せてくれる今期の北村美術館の展示。
ここの目録は茶事の記録のような体裁をとっているのが楽しくてよい。まるで自分がその茶事に招かれたかのように妄想をふくらますことができるからだ。
寄付は白隠の「猿猴捕月図」を掛けて、信楽の大きな四方瓶掛けにしゅんしゅんと沸く湯を、くみ出しに客が自分でくんでいただく。汲み出しは古染付だ。手あぶりも大ぶりであったかそう。
本席の炭手前では唐物の脛当炭斗を使う。火箸がまた金森宗和所持のもの、灰器が、、、まあ!長次郎なのね。(とてもこわくて使えんわ)素朴な素焼きの焙烙で楽茶碗とはまた別のおもむき。
五徳が、、、与次郎ですってよ。霰サツマヤ蝮爪と書かれていたけれど、爪が3本とも違う大きさ、デザインで普段見えない道具にこれだけのこだわりをみせるとは感動。
軸が「布袋図」。描いたのは胡直夫と書かれているが詳細がわからない人らしい。しかし賛が宋の名僧癡絶道沖(1169~1250)で密庵咸傑の法孫にあたる方。800年以上昔のものかあ。

(美術館向かいの空き地に咲くホトトギス)
懐石はなんといっても焼物をのせた織部松皮菱手付鉢!大きいのよ、迫力あるのよ、これぞTHE織部、という感じ。よく見ればやっぱり重文なんだ。これに北村謹次郎はどんな肴を載せたのだろうな。
向付にのんこうの割山椒とか、これもこわくて何ものせられそうにない。
中立には井上世外が持っていたという「松風」という銘をもつ銅鑼。どんな音がするのだろう。
後座の濃茶席は、、、、
おおお!!利休がかの韮山の竹を切って作ったという三つの花入れの一つ、尺八はここにあったのか(◎-◎;)(あと二つは「園城寺」「夜長」)これが今回一番のごちそうかな。つやつや飴色、どのくらいの重量があるのか手にとってみたいものだ。
釜は蓋も無骨でごっつい。大名物・古天明砕銭釜(古い硬貨を鋳つぶして作ったもの?)。もとは足利義政所持だから東山御物になるのか。その後織田信雄、今井宗久の手に渡っているから、茶道黎明期から隆盛期までを見てきた釜なのだな。
茶碗が井戸の「雨雲」。井戸らしく安定感悪そうなところが良い。陶工の指跡が4つついているところも見所か。
唐物茶入は遠州の箱だし、茶杓は織部だし、、、もう勘弁してくれ〜といいたくなるような満腹感。
続き薄ではじめて遠砧らしい銘の赤楽・夕紅葉(宗入)がでてきた。羊遊斎の菊大棗が茶碗に似合う。
、、、で、どこが「遠砧」なのか。あまりにすばらしいお道具に溺れてすっかりテーマを忘れていた。
披きの間(後段か?)でようやく掛け物が京都の日本画家・森本一洋の大和絵「遠砧」が。
牛車にのる上﨟が秋の野でふと車をとめて遠くから聞こえる砧の音に耳を傾けている、、、という絵であった。
こんな道具ばかりでもてなされたら狂喜はするが、お茶の味とか懐石とか茶事の中味がぶっとびそうで、それも恐いなあ。やはり私は分相応に、こういう道具は美術館でみるのがよいわね。あ、でもちょっと手にはとりたい、、、(^_^;

おりしも四君子苑の公開日だったが、受付が15時終了、、、というのに阻まれました、がっくり。
それより砧ときけば「長安一片月」とか謡曲「砧」とか、長く帰らぬ夫をまちつつさびしく一人砧を打つ女性の姿を思い浮かべる。

そんな趣向で茶事をすれば、、、という道具組を見せてくれる今期の北村美術館の展示。
ここの目録は茶事の記録のような体裁をとっているのが楽しくてよい。まるで自分がその茶事に招かれたかのように妄想をふくらますことができるからだ。
寄付は白隠の「猿猴捕月図」を掛けて、信楽の大きな四方瓶掛けにしゅんしゅんと沸く湯を、くみ出しに客が自分でくんでいただく。汲み出しは古染付だ。手あぶりも大ぶりであったかそう。
本席の炭手前では唐物の脛当炭斗を使う。火箸がまた金森宗和所持のもの、灰器が、、、まあ!長次郎なのね。(とてもこわくて使えんわ)素朴な素焼きの焙烙で楽茶碗とはまた別のおもむき。
五徳が、、、与次郎ですってよ。霰サツマヤ蝮爪と書かれていたけれど、爪が3本とも違う大きさ、デザインで普段見えない道具にこれだけのこだわりをみせるとは感動。
軸が「布袋図」。描いたのは胡直夫と書かれているが詳細がわからない人らしい。しかし賛が宋の名僧癡絶道沖(1169~1250)で密庵咸傑の法孫にあたる方。800年以上昔のものかあ。

(美術館向かいの空き地に咲くホトトギス)
懐石はなんといっても焼物をのせた織部松皮菱手付鉢!大きいのよ、迫力あるのよ、これぞTHE織部、という感じ。よく見ればやっぱり重文なんだ。これに北村謹次郎はどんな肴を載せたのだろうな。
向付にのんこうの割山椒とか、これもこわくて何ものせられそうにない。
中立には井上世外が持っていたという「松風」という銘をもつ銅鑼。どんな音がするのだろう。
後座の濃茶席は、、、、
おおお!!利休がかの韮山の竹を切って作ったという三つの花入れの一つ、尺八はここにあったのか(◎-◎;)(あと二つは「園城寺」「夜長」)これが今回一番のごちそうかな。つやつや飴色、どのくらいの重量があるのか手にとってみたいものだ。
釜は蓋も無骨でごっつい。大名物・古天明砕銭釜(古い硬貨を鋳つぶして作ったもの?)。もとは足利義政所持だから東山御物になるのか。その後織田信雄、今井宗久の手に渡っているから、茶道黎明期から隆盛期までを見てきた釜なのだな。
茶碗が井戸の「雨雲」。井戸らしく安定感悪そうなところが良い。陶工の指跡が4つついているところも見所か。
唐物茶入は遠州の箱だし、茶杓は織部だし、、、もう勘弁してくれ〜といいたくなるような満腹感。
続き薄ではじめて遠砧らしい銘の赤楽・夕紅葉(宗入)がでてきた。羊遊斎の菊大棗が茶碗に似合う。
、、、で、どこが「遠砧」なのか。あまりにすばらしいお道具に溺れてすっかりテーマを忘れていた。
披きの間(後段か?)でようやく掛け物が京都の日本画家・森本一洋の大和絵「遠砧」が。
牛車にのる上﨟が秋の野でふと車をとめて遠くから聞こえる砧の音に耳を傾けている、、、という絵であった。
こんな道具ばかりでもてなされたら狂喜はするが、お茶の味とか懐石とか茶事の中味がぶっとびそうで、それも恐いなあ。やはり私は分相応に、こういう道具は美術館でみるのがよいわね。あ、でもちょっと手にはとりたい、、、(^_^;

おりしも四君子苑の公開日だったが、受付が15時終了、、、というのに阻まれました、がっくり。
旧三井家下鴨別邸〜3年前の改修中の画像も添えて - 2016.10.22 Sat
下鴨の旧三井家別邸が今月から一般公開されることになった。
改修中、府の教育委員会が主催する国宝、重文改修現場見学が可能だったので3年前にまだ荒れ果てていた時に来たことがあるのだ。
さて、どのようにきれいになったのか、楽しみ楽しみ。

下鴨神社一の鳥居の手前に旧三井家下鴨別邸はある。(お世話になっている川口美術さんのはす向かい)

入り口。
この別邸は三井家11家共有の別邸として三井総領家(北家)10代三井高棟によって大正14年に建てられた。もともと三井家の祖霊社参拝のための休憩所だったそうだ。
ちなみに三井家11家とは、江戸初期に三井の「越後屋」を京に進出、大きく発展させ大商店三井の基礎を築いた高利の息子6人が継いだ6本家、5人の娘婿が継いだ5連家からなる。
(ちなみに「あさが来た」の広岡浅子さんは6本家のひとつ出水家のちに小石川家のご出身)

おお〜!
望楼まで備えたかっこいい屋敷ではないか!!
これが3年前には↓こんな感じだった。

この母屋の部分はH19まで家庭裁判所所長宿舎として使われていたそうだから、それほど痛みはないものの、無粋なサッシとか網戸とかはまっていたと思う。
左手が改修中の玄関棟。右手が茶室棟。

まあ、、、お庭も苔をきれいにはって、池には下鴨の泉川の水をひきこんだのか、きれいな水が流れ込んでいる。
ここもまたバードサンクチュアリで、たくさんの鳥の鳴き声を楽しめる。
以前のお姿は、、、↓

すっかり水は涸れてしまってた。
もっと新旧対比できる写真を撮っていたらよかったのだが、、、(´・_・`)

こちら玄関棟の改修現場。上に上がって屋根のレベルで見学している所。
お兄さんが持っている写真が完成予想図で、現在まさにこうなっている。見学に行かれたらまず三井家についてボランティアガイドさんからレクチャーを受ける場所になっている。

これは3年前の母屋の座敷。
つい最近まで宿舎として使われていただけあって、けっこうきれい。
ちょうど庭を背にしたパート。
同じ座敷で庭に向いて撮った現在の写真がこちら ↓

こちらで抹茶とかコーヒーとか注文して飲むことができる。

こちらは改修中の茶室。
炉壇だけが確認できる。
茶室は一般公開していないので外からのお姿だけ拝見 ↓

パンフによると一畳台目の小間と四畳半の茶室+三畳の水屋になっている。
なんと、ここは格安のお値段で借りることができるので要チェック!母屋の二階座敷も破格のお値段で貸し出しOK。
ただし重文なんで炭は現在のところ使用不可。

母屋正面からの姿。
二階の手すりがアクセントになってすてき。望楼は先日見た西本願寺の飛雲閣をちょっと連想させる。中は三畳の広さがあるらしい。一般公開は2階、望楼ともにできないが、特別公開の時にはあがれるようなので、これも要チェック。

表に回って見る。
右手の玄関棟が一番改修を要したところ。

この式台のある入り口は内玄関かな。これとは別に正式の大玄関もあった。

ふたたび裏に回って玄関棟の外観。

ここの屋根にもさんぜんと(?)三井の四つ目結紋が誇らしげに光る。

坪庭。
こんな風に今は趣ある空間だが、以前は ↓

けっこう荒れ放題。
棕櫚の木がかろうじて生き残ってよみがえったのは良かったよかった。
正面のサッシの部分が一枚前の写真の手前の障子の部分。
さて、こんどは屋敷内を見てみよう。

茶室へ通じる廊下。
アンティークのランプが雰囲気にマッチして憧れる。掛込天井も萌えるポイント。

洗面所。
ここもガラス戸がおしゃれだ。照明がやはりいい。

洗面所の反対側の板壁。一枚板と思しきつやっつやの板は木の種類は不明だが、これも相当な価値がありそう。よくよみがえったものだ。

浴室。
やはりヒノキ風呂かしら。

玄関棟の洗面所。おそらくトイレの手洗い場だったと思われる。
左手の小物置き場がなんとなくおしゃれやなあ。
三井は身代を惣領の指導に基づく兄弟の共有財産とすることで財産の分割を防ぎ、強固な結束を持つ共同組織となり、江戸から近代へ豪商としての地位保ってきた。兄弟で喧嘩して分裂して衰退、、、の愚を回避できたのはすごいね。
そんな大商人一族の華麗なる面影を偲びながら薄茶一服、、、もいい。
(ちなみに広岡浅子さんはここができる前に亡くなっているので来られたことはないとのこと)
改修中、府の教育委員会が主催する国宝、重文改修現場見学が可能だったので3年前にまだ荒れ果てていた時に来たことがあるのだ。
さて、どのようにきれいになったのか、楽しみ楽しみ。

下鴨神社一の鳥居の手前に旧三井家下鴨別邸はある。(お世話になっている川口美術さんのはす向かい)

入り口。
この別邸は三井家11家共有の別邸として三井総領家(北家)10代三井高棟によって大正14年に建てられた。もともと三井家の祖霊社参拝のための休憩所だったそうだ。
ちなみに三井家11家とは、江戸初期に三井の「越後屋」を京に進出、大きく発展させ大商店三井の基礎を築いた高利の息子6人が継いだ6本家、5人の娘婿が継いだ5連家からなる。
(ちなみに「あさが来た」の広岡浅子さんは6本家のひとつ出水家のちに小石川家のご出身)

おお〜!
望楼まで備えたかっこいい屋敷ではないか!!
これが3年前には↓こんな感じだった。

この母屋の部分はH19まで家庭裁判所所長宿舎として使われていたそうだから、それほど痛みはないものの、無粋なサッシとか網戸とかはまっていたと思う。
左手が改修中の玄関棟。右手が茶室棟。

まあ、、、お庭も苔をきれいにはって、池には下鴨の泉川の水をひきこんだのか、きれいな水が流れ込んでいる。
ここもまたバードサンクチュアリで、たくさんの鳥の鳴き声を楽しめる。
以前のお姿は、、、↓

すっかり水は涸れてしまってた。
もっと新旧対比できる写真を撮っていたらよかったのだが、、、(´・_・`)

こちら玄関棟の改修現場。上に上がって屋根のレベルで見学している所。
お兄さんが持っている写真が完成予想図で、現在まさにこうなっている。見学に行かれたらまず三井家についてボランティアガイドさんからレクチャーを受ける場所になっている。

これは3年前の母屋の座敷。
つい最近まで宿舎として使われていただけあって、けっこうきれい。
ちょうど庭を背にしたパート。
同じ座敷で庭に向いて撮った現在の写真がこちら ↓

こちらで抹茶とかコーヒーとか注文して飲むことができる。

こちらは改修中の茶室。
炉壇だけが確認できる。
茶室は一般公開していないので外からのお姿だけ拝見 ↓

パンフによると一畳台目の小間と四畳半の茶室+三畳の水屋になっている。
なんと、ここは格安のお値段で借りることができるので要チェック!母屋の二階座敷も破格のお値段で貸し出しOK。
ただし重文なんで炭は現在のところ使用不可。

母屋正面からの姿。
二階の手すりがアクセントになってすてき。望楼は先日見た西本願寺の飛雲閣をちょっと連想させる。中は三畳の広さがあるらしい。一般公開は2階、望楼ともにできないが、特別公開の時にはあがれるようなので、これも要チェック。

表に回って見る。
右手の玄関棟が一番改修を要したところ。

この式台のある入り口は内玄関かな。これとは別に正式の大玄関もあった。

ふたたび裏に回って玄関棟の外観。

ここの屋根にもさんぜんと(?)三井の四つ目結紋が誇らしげに光る。

坪庭。
こんな風に今は趣ある空間だが、以前は ↓

けっこう荒れ放題。
棕櫚の木がかろうじて生き残ってよみがえったのは良かったよかった。
正面のサッシの部分が一枚前の写真の手前の障子の部分。
さて、こんどは屋敷内を見てみよう。

茶室へ通じる廊下。
アンティークのランプが雰囲気にマッチして憧れる。掛込天井も萌えるポイント。

洗面所。
ここもガラス戸がおしゃれだ。照明がやはりいい。

洗面所の反対側の板壁。一枚板と思しきつやっつやの板は木の種類は不明だが、これも相当な価値がありそう。よくよみがえったものだ。

浴室。
やはりヒノキ風呂かしら。

玄関棟の洗面所。おそらくトイレの手洗い場だったと思われる。
左手の小物置き場がなんとなくおしゃれやなあ。
三井は身代を惣領の指導に基づく兄弟の共有財産とすることで財産の分割を防ぎ、強固な結束を持つ共同組織となり、江戸から近代へ豪商としての地位保ってきた。兄弟で喧嘩して分裂して衰退、、、の愚を回避できたのはすごいね。
そんな大商人一族の華麗なる面影を偲びながら薄茶一服、、、もいい。
(ちなみに広岡浅子さんはここができる前に亡くなっているので来られたことはないとのこと)
菊花の茶会〜黄梅院 - 2016.10.20 Thu
昨年は春にひらかれた大徳寺・黄梅院の是空庵さん主催の春風流水の茶会、今年は秋に「菊花の茶会」としてひらかれた。

是空庵さんは関東のすごい数寄者なのだ。歴史的価値のあるお道具からみたての道具、お嬢さん、息子さんが塗師と金工をされているので、思いのままに新しくデザインして作った道具、それらがすべて同じ舞台に縦横無尽にならぶ茶席はお見事と言うほかない。
黄梅院ご住職の小林太玄師と長年のおつきあいで毎年ここで茶会をひらかれる。

いつもは薄茶席を是空庵さんがされるのだが、今年はひとやすみしてください、というご配慮で、関東の鴛鴦会(夫婦でお茶を楽しむかなりハイレベルな(^_^;会)のメンバーさんが立礼席、濃茶席、薄茶席すべてもたれた。

今年はきばって早く行ったので、第一席・太玄和尚様とごいっしょに席にはいることができたのはうれしかった。長年の知己であるご亭主たちとの会話の弾み方がちがう。
まず立礼席では初代飛来一閑の「飯后軒」の扁額がかかる。
明から亡命してきて宗旦の茶の弟子になった一閑は宗旦から「おまえさんは物覚えが悪いから濃茶は習わずに薄茶だけにしなさい。」云々の書状付きの扁額で、(飯后軒は宗旦からもらった号)黄梅院のお蔵から初めて出してきたものだそうだ。
図らずも立礼のご亭主が使われたのが初代・一閑の煙草盆であって、ご亭主は「鳥肌がたつ思い」とおっしゃる。わかるような気がするわ。
立礼の台は特注でこしらえはったもの、上の台が伊勢神宮遷宮時の材、下の台はふすま紙を貼っているので、季節によって模様をとりかえられるというスグレモノ。茶器が万象さんがまだ作りかけ、という曲げの青海波模様、この茶会が終わればまた胡粉の置き上げを追加されるというストーリーもおもしろい。このままでもけっこうステキなんだが。
びっくりなのは漆の塗盆に銀の波模様の装飾がついていたこと。是空庵さんのお子様たちの合作なのでしょうか。普通ではお目にかかれない茶道具がつくれるのは強みだなあ。

薄茶席は広間の玄徳軒にて。山形からこられたご夫婦がもたれた。これがまた楽しいお席で。
和尚様は中置きの風炉(?)にこれは見事!とうなり声をあげられる。四角の真塗りのつやつやベンガラ色の風炉はすごい存在感。私もまけずにうなる。なんとこれは火鉢なんだそうな。和尚様曰わく、焼香台であったのではないかと。
その風炉に合う釜を探しにご一家で旅をされた、というからすごい。
ちなみにお嬢様方はまだ10代前半、つややかな振袖姿でおはこびをされていたのが印象深い。ええなあ、振袖、、、(もう着られんけど)
耳盥に竹炭を敷き詰めて花入れにしたのはこれはいただきのアイデア。
軸は和尚様がご亭主ご夫婦の銀婚式に送られた「無声呼人」。徳のある人のまわりにはだまっていても人は集まるの意。
棗がこれまた是空庵さんのお嬢さんに注文された棗で、私も大好きで茶杓の銘にもしている人麻呂の
「あめのうみ くものなみたち つきのふね ほしのはやしに ごくかくるみゆ」がテーマだとは!!うれしい!
縁に薄くかかる月、ちりばめられた金砂子は星。ええなあ、こんなふうに注文できるの。(と、常にここにおちつく)

お菓子も特注、鴛鴦会なので鴛鴦と月、そして山形の山葡萄の果汁をつかった琥珀。これはほんのりすっぱくて美味しかった。
数茶碗はこれも特注の2種、一つは陶器の瓔珞模様、もう1種は染付、違うテイストながらモチーフが同じで、長寿・吉祥の桃・石榴・仏手柑。数寄のきわみやな。

濃茶席の待合では利休62歳の作と伝わる庭を眺めながら、利休参禅の師であった古渓宗陳の軸、茶の師であり、濃茶席・昨夢軒を作った人でもある武野紹鷗の茶杓・銘「さゞれ石」を拝見する。まあ、なんて艶やかな煤竹(?)拭き漆(?)の茶杓。
主菓子の栗きんとん、栗の香りがいっぱいで美味しかった。

昨夢軒は本来4畳半、襖をあけはなち広間としても使える。黒いスサ壁が渋い。
この席のご亭主は鎌倉からこられたので、鎌倉と言えば将軍実朝に栄西が献上した「喫茶養生記」、ということで軸も太玄和尚の「喫茶養生」。
昨夢軒の作者の紹鷗=大黒庵にちなんで大黒〜布袋の堆朱香合。茶の十徳が鋳込まれた古い釜は無骨なほど堂々としていてあわせた風炉も無骨そのもの。
主茶碗の伊羅保が肌の色・質感が渋くて印象的。ちょっとかしいだ姿もいい。銘がめずらしくて「羊腸」。羊の腸のように幾重にもおりたたんだような箱根路を越えて京都にやってきました、との意で使われたとか。
みなさま、ご夫婦で数寄を楽しまれているご様子、うらやましくてしかたない。少々値の張るお道具でも相方に内緒でこそこそ買わなくてもいいだろうしなあ、、、(^0^;) 夫婦で共通の趣味ともなれば暴走しそうでこわくもあるが。

最後に是空庵さんチョイスの?点心をいただく。
小さいお皿がちまちま、かわいい。なんと祗園祭にはしみだれ肉まんをだす洛中の膳所漢ぽっちりさんの点心ではないか。おいしいのはもちろんだが、左下の菊花粥が菊花茶会にぴったりですてきであった。

今年も楽しませていただいた黄梅院茶会。
和尚様によると茶会に使ったのはこれが今年で初めてとか。ありがたいなあ。
大徳寺のあちこちで原種フジバカマ(園芸種よりワイルド)が栽培されていたのが季節柄ですてきであった。

是空庵さんは関東のすごい数寄者なのだ。歴史的価値のあるお道具からみたての道具、お嬢さん、息子さんが塗師と金工をされているので、思いのままに新しくデザインして作った道具、それらがすべて同じ舞台に縦横無尽にならぶ茶席はお見事と言うほかない。
黄梅院ご住職の小林太玄師と長年のおつきあいで毎年ここで茶会をひらかれる。

いつもは薄茶席を是空庵さんがされるのだが、今年はひとやすみしてください、というご配慮で、関東の鴛鴦会(夫婦でお茶を楽しむかなりハイレベルな(^_^;会)のメンバーさんが立礼席、濃茶席、薄茶席すべてもたれた。

今年はきばって早く行ったので、第一席・太玄和尚様とごいっしょに席にはいることができたのはうれしかった。長年の知己であるご亭主たちとの会話の弾み方がちがう。
まず立礼席では初代飛来一閑の「飯后軒」の扁額がかかる。
明から亡命してきて宗旦の茶の弟子になった一閑は宗旦から「おまえさんは物覚えが悪いから濃茶は習わずに薄茶だけにしなさい。」云々の書状付きの扁額で、(飯后軒は宗旦からもらった号)黄梅院のお蔵から初めて出してきたものだそうだ。
図らずも立礼のご亭主が使われたのが初代・一閑の煙草盆であって、ご亭主は「鳥肌がたつ思い」とおっしゃる。わかるような気がするわ。
立礼の台は特注でこしらえはったもの、上の台が伊勢神宮遷宮時の材、下の台はふすま紙を貼っているので、季節によって模様をとりかえられるというスグレモノ。茶器が万象さんがまだ作りかけ、という曲げの青海波模様、この茶会が終わればまた胡粉の置き上げを追加されるというストーリーもおもしろい。このままでもけっこうステキなんだが。
びっくりなのは漆の塗盆に銀の波模様の装飾がついていたこと。是空庵さんのお子様たちの合作なのでしょうか。普通ではお目にかかれない茶道具がつくれるのは強みだなあ。

薄茶席は広間の玄徳軒にて。山形からこられたご夫婦がもたれた。これがまた楽しいお席で。
和尚様は中置きの風炉(?)にこれは見事!とうなり声をあげられる。四角の真塗りのつやつやベンガラ色の風炉はすごい存在感。私もまけずにうなる。なんとこれは火鉢なんだそうな。和尚様曰わく、焼香台であったのではないかと。
その風炉に合う釜を探しにご一家で旅をされた、というからすごい。
ちなみにお嬢様方はまだ10代前半、つややかな振袖姿でおはこびをされていたのが印象深い。ええなあ、振袖、、、(もう着られんけど)
耳盥に竹炭を敷き詰めて花入れにしたのはこれはいただきのアイデア。
軸は和尚様がご亭主ご夫婦の銀婚式に送られた「無声呼人」。徳のある人のまわりにはだまっていても人は集まるの意。
棗がこれまた是空庵さんのお嬢さんに注文された棗で、私も大好きで茶杓の銘にもしている人麻呂の
「あめのうみ くものなみたち つきのふね ほしのはやしに ごくかくるみゆ」がテーマだとは!!うれしい!
縁に薄くかかる月、ちりばめられた金砂子は星。ええなあ、こんなふうに注文できるの。(と、常にここにおちつく)

お菓子も特注、鴛鴦会なので鴛鴦と月、そして山形の山葡萄の果汁をつかった琥珀。これはほんのりすっぱくて美味しかった。
数茶碗はこれも特注の2種、一つは陶器の瓔珞模様、もう1種は染付、違うテイストながらモチーフが同じで、長寿・吉祥の桃・石榴・仏手柑。数寄のきわみやな。

濃茶席の待合では利休62歳の作と伝わる庭を眺めながら、利休参禅の師であった古渓宗陳の軸、茶の師であり、濃茶席・昨夢軒を作った人でもある武野紹鷗の茶杓・銘「さゞれ石」を拝見する。まあ、なんて艶やかな煤竹(?)拭き漆(?)の茶杓。
主菓子の栗きんとん、栗の香りがいっぱいで美味しかった。

昨夢軒は本来4畳半、襖をあけはなち広間としても使える。黒いスサ壁が渋い。
この席のご亭主は鎌倉からこられたので、鎌倉と言えば将軍実朝に栄西が献上した「喫茶養生記」、ということで軸も太玄和尚の「喫茶養生」。
昨夢軒の作者の紹鷗=大黒庵にちなんで大黒〜布袋の堆朱香合。茶の十徳が鋳込まれた古い釜は無骨なほど堂々としていてあわせた風炉も無骨そのもの。
主茶碗の伊羅保が肌の色・質感が渋くて印象的。ちょっとかしいだ姿もいい。銘がめずらしくて「羊腸」。羊の腸のように幾重にもおりたたんだような箱根路を越えて京都にやってきました、との意で使われたとか。
みなさま、ご夫婦で数寄を楽しまれているご様子、うらやましくてしかたない。少々値の張るお道具でも相方に内緒でこそこそ買わなくてもいいだろうしなあ、、、(^0^;) 夫婦で共通の趣味ともなれば暴走しそうでこわくもあるが。

最後に是空庵さんチョイスの?点心をいただく。
小さいお皿がちまちま、かわいい。なんと祗園祭にはしみだれ肉まんをだす洛中の膳所漢ぽっちりさんの点心ではないか。おいしいのはもちろんだが、左下の菊花粥が菊花茶会にぴったりですてきであった。

今年も楽しませていただいた黄梅院茶会。
和尚様によると茶会に使ったのはこれが今年で初めてとか。ありがたいなあ。
大徳寺のあちこちで原種フジバカマ(園芸種よりワイルド)が栽培されていたのが季節柄ですてきであった。
名月を愛でる野点〜岡崎茶 - 2016.10.18 Tue
鴨川べりで、道行く人に、あるいはSNSつながりの友人に、お茶を点てている茶友がけっこういる。みんなひっくるめて鴨茶と称する。抹茶もあれば煎茶もあるよ。今、鴨川周辺はお茶文化が花開く。
その鴨茶に対抗すべく(?!)岡崎茶を展開しようともくろむ。実はすでに春の遅桜の候、ご近所のお茶友さんが岡崎某所にて野点をしてくれた。それが岡崎茶の嚆矢。

今回は十三夜の一日前の十二夜を愉しみながらお茶をしようと私がよびかけた。
コロコロをひっぱっていける距離の場所で。獺祭?、、、もちろんお酒もあるよ。

春の頃八重桜が満開だった場所は今は少し紅葉した葉っぱ越しに十二夜の冴え冴えとした月が美しい。

茶席設置完了!
21:00〜の遅いスタート(仕事帰りなのだ)
だれか来てくれるかな?

ちょっと冷え込む中なのに皆様来てくれてありがとう!
総勢8名で楽しみました。これはおもたせのみたらし団子。美味しゅうございました〜\(^O^)/
やっぱり月より団子、、、でして。

準備したお干菓子も。
杯も持参、お酒いただきほろ酔い加減。高歌放吟いたしたきところ、近所迷惑なのでやめとく。
遠方からきてくださった方もおられるし、ごくお近くの方も。この岡崎、意外と身近に茶人が潜んでいたのです。しかもなぜか世間一般の分布と違って藪内率高し!話題はやはりお茶談義になるね。

さて、今回のために準備した秘密兵器はこのアルポット!
下に燃料用アルコールが入るキャンプ用品なのだが、火力強いこと強いこと!湯気がもうもうと立つし、柄杓もあずけられる。風の影響を受けない、外から火が見えない。唯一欠点は燃料の消費が激しいこと。今度は大きな燃料用アルコールのボトル持参だな。

このアルポット、昨年秋に三日連続鴨茶を集団でやったときに、はるか出雲国からおいでになったensyuuさんが鴨川べりで使っておられたもの。
これはスグレモノだ!とすぐさま心が動いたのだが、なかなか野点デビューができなくてね。やっと今回初お目見えとなったのである。
夜も更けてきたので会はお開き、次回は酷寒のころ火鉢でもかこみながらやろうかと、話が盛り上がる。アルポットをもうひとつ買って熱燗とかおでんとか、岡崎茶人の妄想はひろがるのであった。
またできたらいいね!!
その鴨茶に対抗すべく(?!)岡崎茶を展開しようともくろむ。実はすでに春の遅桜の候、ご近所のお茶友さんが岡崎某所にて野点をしてくれた。それが岡崎茶の嚆矢。

今回は十三夜の一日前の十二夜を愉しみながらお茶をしようと私がよびかけた。
コロコロをひっぱっていける距離の場所で。獺祭?、、、もちろんお酒もあるよ。

春の頃八重桜が満開だった場所は今は少し紅葉した葉っぱ越しに十二夜の冴え冴えとした月が美しい。

茶席設置完了!
21:00〜の遅いスタート(仕事帰りなのだ)
だれか来てくれるかな?

ちょっと冷え込む中なのに皆様来てくれてありがとう!
総勢8名で楽しみました。これはおもたせのみたらし団子。美味しゅうございました〜\(^O^)/
やっぱり月より団子、、、でして。

準備したお干菓子も。
杯も持参、お酒いただきほろ酔い加減。高歌放吟いたしたきところ、近所迷惑なのでやめとく。
遠方からきてくださった方もおられるし、ごくお近くの方も。この岡崎、意外と身近に茶人が潜んでいたのです。しかもなぜか世間一般の分布と違って藪内率高し!話題はやはりお茶談義になるね。

さて、今回のために準備した秘密兵器はこのアルポット!
下に燃料用アルコールが入るキャンプ用品なのだが、火力強いこと強いこと!湯気がもうもうと立つし、柄杓もあずけられる。風の影響を受けない、外から火が見えない。唯一欠点は燃料の消費が激しいこと。今度は大きな燃料用アルコールのボトル持参だな。

このアルポット、昨年秋に三日連続鴨茶を集団でやったときに、はるか出雲国からおいでになったensyuuさんが鴨川べりで使っておられたもの。
これはスグレモノだ!とすぐさま心が動いたのだが、なかなか野点デビューができなくてね。やっと今回初お目見えとなったのである。
夜も更けてきたので会はお開き、次回は酷寒のころ火鉢でもかこみながらやろうかと、話が盛り上がる。アルポットをもうひとつ買って熱燗とかおでんとか、岡崎茶人の妄想はひろがるのであった。
またできたらいいね!!
播磨路の有明の月茶事 - 2016.10.16 Sun
播磨の国にてお茶事にお招きいただく。
待合にて播磨路の有明の月を詠んだ歌。

汲み出しの小さな碗は蓮月さんのものでそれぞれ違う蓮月さんの歌の釘彫り。
引っ越し魔ではあったけれど、蓮月焼を始めたゆかりの粟田焼、粟田近くの岡崎村にしばらく寓居された蓮月尼。今の我が家が岡崎なので、ひそかに親しい気持ちをもっていたので、これはうれしい。
足腰への負担を考え、見立ててご自作された低めの立礼のような本席、体をおいといされながらお孫さん達とも茶事茶会を楽しまれるゆるゆるお茶ライフ。これから体力が落ちてきても十分楽しめるんだ、とお手本にしたいと思う。
けれど決して手はぬかれない。
懐石はシンプルに見えて実は非常に手間暇かかっている。地下水を料理にも使って、出汁は水出し昆布、味噌や野菜の選択も十分吟味、手作りの胡麻豆腐はなめらかで絶品であった。

ご亭主は庸軒流、懐石の作法も少し違う。
庸軒流では懐石は質素に控えめに、お茶が主役、というのがポリシーなのだそうで(本来そうあるべき、と私も同意)一度たくさん強肴をだしたら、先生が「それはひっこめなさい。」とおっしゃったこともあるとか。
藤村庸軒は宗旦の弟子、乞食宗旦といわれ実際利休賜死のあと、経済的に困窮していたわけだけれど、フル懐石ではない飯後の茶事をよくしたという。その師にしてこの弟子、なるほどな、と思う。
一方武家系の流派ではやはりサムライは体力維持のためたくさん食べなければ、ということで山ほどでてくるところもある。
今回は名残の時期なので、寄せ向う(そろわない向付をわざわざ使う)、どれもすてきに古い器であった。
そして引重を使われた。
引重は二段の重箱の上の段に香物、下の段に焼き物をいれ、箸は一方なまぐさ、一方精進ということで両方使える両細を添える。裏千家でも香物の箸が両細なのはその名残だと聞いた。
しかしながら、いまだにどういうタイミングで上の香物の重をまわすのか、よくわからない。真の茶事などでは引重は必ず出るから、この作法、知っておきたいのだが、、、

主菓子はこれもお手製のじょうよ。すすきの焼印がやはり月を連想させる。
中立の間は手入れの行き届いた庭を愛でる。歴史のあるおうちの庭をお茶仕様に工夫されている。蹲居も立ち蹲居で腰にはありがたい。
後座。
池川みどりさんの揖保川焼(播磨のお茶人さんには大人気)のしゅっと縦長の細い花入れにワレモコウ、シロバナホトトギス、シュウメイギク、繊細な桜タデ。
お釜は鉄風炉、灰にはかきあげ(鉄風炉には灰に筋を入れ掻きあげるのがお約束)
そして初めて拝見する庸軒流のお点前。
宗旦は千家が三流派に分かれる大もとの人だから、表千家によく似たお点前。と思ったら、庸軒はもともと久田家出身の人だったんだ。(初代久田家の次男)
斬新だったのは茶巾の扱い。使う前に勝手付で茶巾を裏表、熱湯消毒(?)するのだ。そして茶碗に投げ入れるような所作。これは山荘流でもあったな。
高麗刷毛目の茶碗でたっぷりと濃茶をいただく。これぞ手練のお練り加減、あつあつで美味しい。播磨のお茶屋さんのお茶とのこと。これも吟味してくださったのだろう。

薄茶では、立礼席の茶碗を出す台にあたるところが実は洞庫みたいで中から替茶碗がでてきたのには驚く。
山田無文老師の手になる「月」の字の描かれた呉器風の茶碗がよかったなあ。ご夫婦で無文老師のおられた妙心寺に帰依しておられるとか。
お干菓子も手作りの稲穂の打ち物、なんて美味しい。和三盆にきな粉、白あんで作られた物とか。ほろほろとくずれる口溶けはプロ級であった。ご連客のおひとりもお茶のお菓子は全部ご自分で作ってしまわれる方だったので、レシピをくわしくチェックしておられる。私も及ばずながらマネしてみようかな。
最後に拝見した茶杓が、席中での私との会話で急遽さしかえた、という金戒光明寺(くろ谷さん)塔頭西翁院の何代か前のご住職さんのもの。
この西翁院は庸軒の祖父が建てたもので、名席「淀看席」は庸軒が作った庸軒流ゆかりの塔頭なのだ。その淀看席にちなむ山階宮(幕末勤皇志士に味方した気骨のあるお公家さんだったらしい)の歌銘。やや小高い場所にあるここからはかつて淀の方まで見えた。その景色を歌ったもの。
西翁院はうちの家のほん近く、さらに学生心茶会は秋の錬成茶会をよくここでしているので(私が学生の時もした記憶ある)、馴染みのある大好きな塔頭(非公開)。その気持ちをくんでくださったことがありがたい。
蓮月に始まり西翁院に終わり、あちこちに散りばめられた陰の月。
帰り道、まだ月は日の浅い月であったけれど、心の中には有明の月が浮かんでみえた。
感謝。
待合にて播磨路の有明の月を詠んだ歌。

汲み出しの小さな碗は蓮月さんのものでそれぞれ違う蓮月さんの歌の釘彫り。
引っ越し魔ではあったけれど、蓮月焼を始めたゆかりの粟田焼、粟田近くの岡崎村にしばらく寓居された蓮月尼。今の我が家が岡崎なので、ひそかに親しい気持ちをもっていたので、これはうれしい。
足腰への負担を考え、見立ててご自作された低めの立礼のような本席、体をおいといされながらお孫さん達とも茶事茶会を楽しまれるゆるゆるお茶ライフ。これから体力が落ちてきても十分楽しめるんだ、とお手本にしたいと思う。
けれど決して手はぬかれない。
懐石はシンプルに見えて実は非常に手間暇かかっている。地下水を料理にも使って、出汁は水出し昆布、味噌や野菜の選択も十分吟味、手作りの胡麻豆腐はなめらかで絶品であった。

ご亭主は庸軒流、懐石の作法も少し違う。
庸軒流では懐石は質素に控えめに、お茶が主役、というのがポリシーなのだそうで(本来そうあるべき、と私も同意)一度たくさん強肴をだしたら、先生が「それはひっこめなさい。」とおっしゃったこともあるとか。
藤村庸軒は宗旦の弟子、乞食宗旦といわれ実際利休賜死のあと、経済的に困窮していたわけだけれど、フル懐石ではない飯後の茶事をよくしたという。その師にしてこの弟子、なるほどな、と思う。
一方武家系の流派ではやはりサムライは体力維持のためたくさん食べなければ、ということで山ほどでてくるところもある。
今回は名残の時期なので、寄せ向う(そろわない向付をわざわざ使う)、どれもすてきに古い器であった。
そして引重を使われた。
引重は二段の重箱の上の段に香物、下の段に焼き物をいれ、箸は一方なまぐさ、一方精進ということで両方使える両細を添える。裏千家でも香物の箸が両細なのはその名残だと聞いた。
しかしながら、いまだにどういうタイミングで上の香物の重をまわすのか、よくわからない。真の茶事などでは引重は必ず出るから、この作法、知っておきたいのだが、、、

主菓子はこれもお手製のじょうよ。すすきの焼印がやはり月を連想させる。
中立の間は手入れの行き届いた庭を愛でる。歴史のあるおうちの庭をお茶仕様に工夫されている。蹲居も立ち蹲居で腰にはありがたい。
後座。
池川みどりさんの揖保川焼(播磨のお茶人さんには大人気)のしゅっと縦長の細い花入れにワレモコウ、シロバナホトトギス、シュウメイギク、繊細な桜タデ。
お釜は鉄風炉、灰にはかきあげ(鉄風炉には灰に筋を入れ掻きあげるのがお約束)
そして初めて拝見する庸軒流のお点前。
宗旦は千家が三流派に分かれる大もとの人だから、表千家によく似たお点前。と思ったら、庸軒はもともと久田家出身の人だったんだ。(初代久田家の次男)
斬新だったのは茶巾の扱い。使う前に勝手付で茶巾を裏表、熱湯消毒(?)するのだ。そして茶碗に投げ入れるような所作。これは山荘流でもあったな。
高麗刷毛目の茶碗でたっぷりと濃茶をいただく。これぞ手練のお練り加減、あつあつで美味しい。播磨のお茶屋さんのお茶とのこと。これも吟味してくださったのだろう。

薄茶では、立礼席の茶碗を出す台にあたるところが実は洞庫みたいで中から替茶碗がでてきたのには驚く。
山田無文老師の手になる「月」の字の描かれた呉器風の茶碗がよかったなあ。ご夫婦で無文老師のおられた妙心寺に帰依しておられるとか。
お干菓子も手作りの稲穂の打ち物、なんて美味しい。和三盆にきな粉、白あんで作られた物とか。ほろほろとくずれる口溶けはプロ級であった。ご連客のおひとりもお茶のお菓子は全部ご自分で作ってしまわれる方だったので、レシピをくわしくチェックしておられる。私も及ばずながらマネしてみようかな。
最後に拝見した茶杓が、席中での私との会話で急遽さしかえた、という金戒光明寺(くろ谷さん)塔頭西翁院の何代か前のご住職さんのもの。
この西翁院は庸軒の祖父が建てたもので、名席「淀看席」は庸軒が作った庸軒流ゆかりの塔頭なのだ。その淀看席にちなむ山階宮(幕末勤皇志士に味方した気骨のあるお公家さんだったらしい)の歌銘。やや小高い場所にあるここからはかつて淀の方まで見えた。その景色を歌ったもの。
西翁院はうちの家のほん近く、さらに学生心茶会は秋の錬成茶会をよくここでしているので(私が学生の時もした記憶ある)、馴染みのある大好きな塔頭(非公開)。その気持ちをくんでくださったことがありがたい。
蓮月に始まり西翁院に終わり、あちこちに散りばめられた陰の月。
帰り道、まだ月は日の浅い月であったけれど、心の中には有明の月が浮かんでみえた。
感謝。
半泥子の茶碗をめぐる茶会〜笹山芳人さんと - 2016.10.14 Fri
伊賀丸柱にある笹山芳人さんの窯を川口美術の川口さんのご案内で訪ねたのは遅桜の頃だった。

(この日は旧暦の重陽の節句だったので着せ綿に似せた室礼を)
もともとご実家は伊賀丸柱の土鍋作りを家業としていたとはいえ、一時サラリーマンをしていたのを30代にして捨てて陶芸の道にはいった、そのきっかけが半泥子の茶碗だったという。
半泥子といえば作品は自由奔放で飄逸、銘が「欲袋」(破れ袋の向こうを張る伊賀水指)とか、「閑く恋慕(かくれんぼ)」とか「猫なんちゅ(犬はワンとなくが猫はなんとなく?)」とか人をおちょくっているようなイメージ。でも、まともなもの(?)も実は多く、陶芸としては高く評価されている。
半泥子本人がいうところ「光悦と同じく生活の手段でなく趣味だから、売れる売れないは考えず自分の好きな物だけを作れる。」というあたりがあの作風の原点だろう。

その笹山さんが愛してやまない半泥子の茶碗を入手された。高いお金を払って購入したわけではない。来るべき人の所へ茶碗が自分でころがりこんだ、、、というべきか。
その記念にくだんの茶碗を使わせてもらって、川口美術主催の茶会を我が家でひらくことに。
飾りも気どりもないお人柄の笹山さんは茶碗をしまい込んだりせず、毎日そばに置いてそれで茶を点ててのまれているそうだ。茶会の前に持ってきてくださり、ほいっと差し出されたその茶碗をうやうやしく受け取る。

招待されたのは若い陶芸家さん、若い茶人さん、川口美術ゆかりの方々、私もはいって9名。六畳の間はちょっとぎゅうぎゅうだったが、まずはお弁当をいただきながら、茶碗をみんなで眺めてさわって茶碗談義。
ご入手のいきさつや半泥子のエピソードや、どんな風に影響を受けているかなどなど。
「椎ノ実」(半泥子にしてはマトモ?)と名付けられたその茶碗は椎の実のように少し丈が高く灰色の釉薬+白の釉薬で一見唐津のような、手のひらにすぽっとおさまる茶碗であった。
どうしても半泥子というとアヴァンギャルドな茶碗のイメージが先行するが、これはなかなか端整。展示会となるとどうしてもインパクトのある作品ばかり並べがち、、なのであやまったイメージだと笹山さんはおっしゃる。
私などは茶碗はどうしてもお茶の亭主、使う側としての見方をしてしまうが、陶芸家さんたちはやはり作り手としての見方をされているのが新鮮であった。そういうポイントは普段チェックしないよなあ、、ということ多し。おもしろい。

会食のあとはいよいよこのお茶碗にて茶会を。
水指は笹山さんの大平片口、それを購入した川口美術にたまたまその場にいた木工の水野悠祐さんにお願いした蓋をつけたもの。
敷板は春に笹山窯を訪ねた時に拝領した舟板。(いいなあこれ、といったらくださった。太っ腹!感謝!)

二組に分かれて席入りしていただく。先発が主に陶芸家グループ、後発が主に茶人グループだったので、席での会話、話題が全然ちがっておもしろかった。作り手と使い手の違いをふたたび。それを味わえたのは亭主の役得。
「椎ノ実」は少し塩笥のように口がつぼまっているので点てやすいとは決していえないが、人の手にいだかれている姿がよいなあ。男性の大きな手には少し華奢に見え、女性の手の内にある時はちょうどすっぽりと。茶碗はやはりこういう場で使われてこそ生き生きと命を持つようだ。美術館にずっと展示されたままの茶碗はどこかかわいそう。
すべてこの一碗で二服ずつ点ててさしあげた。自分でも一服いただく。口当たりがよい、手取りがよい、抹茶の色が映える、、、半泥子はやはりお茶を知っている人だったのだな、と思った。
お菓子は愛信堂さんにお願いした「着せ綿」。

花入は、初めて触れた笹山作品で記念すべきもの。裏と表で表情がまったく違っていて時代がついているように見えて、けっこうお気に入りなのだ。
若い陶芸家さんのお一人はこういう小寄せの茶室でお茶を飲んだのは初めてとおっしゃる。こういう機会を今後の作陶に少しでも生かしてもらえたなら、亭主冥利につきるというもの。
茶会の後もひとしきり茶碗談義は続いたがついにおひらき、笹山さんはまた半泥子の茶碗を箱に入れて包んでぶらさげて、颯爽と帰っていかれた。
(笹山さん、川口美術様、御参席の皆様、つたない亭主をつとめさせていただきほんとうにありがとうございます。とても楽しかったです。)

(この日は旧暦の重陽の節句だったので着せ綿に似せた室礼を)
もともとご実家は伊賀丸柱の土鍋作りを家業としていたとはいえ、一時サラリーマンをしていたのを30代にして捨てて陶芸の道にはいった、そのきっかけが半泥子の茶碗だったという。
半泥子といえば作品は自由奔放で飄逸、銘が「欲袋」(破れ袋の向こうを張る伊賀水指)とか、「閑く恋慕(かくれんぼ)」とか「猫なんちゅ(犬はワンとなくが猫はなんとなく?)」とか人をおちょくっているようなイメージ。でも、まともなもの(?)も実は多く、陶芸としては高く評価されている。
半泥子本人がいうところ「光悦と同じく生活の手段でなく趣味だから、売れる売れないは考えず自分の好きな物だけを作れる。」というあたりがあの作風の原点だろう。

その笹山さんが愛してやまない半泥子の茶碗を入手された。高いお金を払って購入したわけではない。来るべき人の所へ茶碗が自分でころがりこんだ、、、というべきか。
その記念にくだんの茶碗を使わせてもらって、川口美術主催の茶会を我が家でひらくことに。
飾りも気どりもないお人柄の笹山さんは茶碗をしまい込んだりせず、毎日そばに置いてそれで茶を点ててのまれているそうだ。茶会の前に持ってきてくださり、ほいっと差し出されたその茶碗をうやうやしく受け取る。

招待されたのは若い陶芸家さん、若い茶人さん、川口美術ゆかりの方々、私もはいって9名。六畳の間はちょっとぎゅうぎゅうだったが、まずはお弁当をいただきながら、茶碗をみんなで眺めてさわって茶碗談義。
ご入手のいきさつや半泥子のエピソードや、どんな風に影響を受けているかなどなど。
「椎ノ実」(半泥子にしてはマトモ?)と名付けられたその茶碗は椎の実のように少し丈が高く灰色の釉薬+白の釉薬で一見唐津のような、手のひらにすぽっとおさまる茶碗であった。
どうしても半泥子というとアヴァンギャルドな茶碗のイメージが先行するが、これはなかなか端整。展示会となるとどうしてもインパクトのある作品ばかり並べがち、、なのであやまったイメージだと笹山さんはおっしゃる。
私などは茶碗はどうしてもお茶の亭主、使う側としての見方をしてしまうが、陶芸家さんたちはやはり作り手としての見方をされているのが新鮮であった。そういうポイントは普段チェックしないよなあ、、ということ多し。おもしろい。

会食のあとはいよいよこのお茶碗にて茶会を。
水指は笹山さんの大平片口、それを購入した川口美術にたまたまその場にいた木工の水野悠祐さんにお願いした蓋をつけたもの。
敷板は春に笹山窯を訪ねた時に拝領した舟板。(いいなあこれ、といったらくださった。太っ腹!感謝!)

二組に分かれて席入りしていただく。先発が主に陶芸家グループ、後発が主に茶人グループだったので、席での会話、話題が全然ちがっておもしろかった。作り手と使い手の違いをふたたび。それを味わえたのは亭主の役得。
「椎ノ実」は少し塩笥のように口がつぼまっているので点てやすいとは決していえないが、人の手にいだかれている姿がよいなあ。男性の大きな手には少し華奢に見え、女性の手の内にある時はちょうどすっぽりと。茶碗はやはりこういう場で使われてこそ生き生きと命を持つようだ。美術館にずっと展示されたままの茶碗はどこかかわいそう。
すべてこの一碗で二服ずつ点ててさしあげた。自分でも一服いただく。口当たりがよい、手取りがよい、抹茶の色が映える、、、半泥子はやはりお茶を知っている人だったのだな、と思った。
お菓子は愛信堂さんにお願いした「着せ綿」。

花入は、初めて触れた笹山作品で記念すべきもの。裏と表で表情がまったく違っていて時代がついているように見えて、けっこうお気に入りなのだ。
若い陶芸家さんのお一人はこういう小寄せの茶室でお茶を飲んだのは初めてとおっしゃる。こういう機会を今後の作陶に少しでも生かしてもらえたなら、亭主冥利につきるというもの。
茶会の後もひとしきり茶碗談義は続いたがついにおひらき、笹山さんはまた半泥子の茶碗を箱に入れて包んでぶらさげて、颯爽と帰っていかれた。
(笹山さん、川口美術様、御参席の皆様、つたない亭主をつとめさせていただきほんとうにありがとうございます。とても楽しかったです。)
神無月のお楽しみいろいろ・2016 - 2016.10.11 Tue
<その1〜西本願寺ライトアップ・飛雲閣もあるよ>
格式高い西本願寺さんの初のライトアップがこの秋!

まだ30代という若さの新しい門主様が一昨年に就任したことを内外に披露する「伝灯奉告法要」の関連行事。
受付の順番にぞろぞろと行列をなして境内に入ると、極楽もかくやと思われるような五色の光の御影堂、阿弥陀堂。

境内は広いので、中に入ってしまうと三々五々、あちらこちらにたたずんでライトアップを愉しむ人たち。
私は、西本願寺は床の埋木を見て歩くのが好きなのだが、これもまたなかなかシュールな感じがよい。

お、なんだか朱塗りの柱にみえる。
しかしながら、一番のお目当ては、昼間も来たことがないお初の国宝・飛雲閣!!
ここは普段でも事前申し込みをしないと拝観できないのだ。それをいきなりライトアップ、これは期待に胸が高まる。

飛雲閣のある滴翠園の中は撮影禁止なので画像はないが、金閣・銀閣とならんで「京都三名閣」なのだそうだ。
池の向こうに、、、、建物の中に照明をおいた飛雲閣!
しばし心奪われ足がとまってしまった。
金閣・銀閣とちがってあえて非対称になった構造は少し時代が室町よりあとなんだろうな、と思わせる。聚楽第の遺構とも言われるが確証はないとのこと。

(これは記念品売り場の画像^_^;)
外から見るとまるで当時の権力者や貴賓が中で燈火をともしながら、典雅な遊びにうち興じているような錯覚をおぼえた。ここは手前の滄浪池から舟で中へ入る仕組みらしい。同じような構造が高台寺の傘亭にもあったので、やはり秀吉ゆかりの建築物なんだろうか。
唯一はっきりしているのが閣の左端にある茶室憶昔席(いくじゃくせき)。ここは寛政7年(1795年)藪内竹蔭らによって増築されたのが確かな部分。
この茶席の中にも照明装置が設置されていたが、障子があかるく輝きすぎ。茶室にしては明るすぎたのが残念。せめて茶室はもっと仄かな灯りでよかったのに。

ライトアップに協賛して門前の仏具屋さん通りも店の灯りがともってよい感じであった。
<その2〜三条通のプチフレンチ>
またまたご近所に美味しいお店ができた。

三条通白川、フレンチベースのデリカテッセン&カフェRAISIN(レザン)さん。下京からの移転だそう。

キッシュなどのテイクアウトはご近所のご年配の方も愛用されているようだ。スイーツもあるよ。
シェフは奥様、パティシエは旦那様。イメージ的には反対みたいだが(^_^;

中でランチもいただける。出遅れて日替わりランチにはありつけなかったけれど、温野菜たっぷりのチキンのプレートはおいしかった。デリのメニューのつけあわせもGood!

カウンター席の窓の外は三条通。
頼めばその場で揚げてくれるスパイシーコロッケで有名なお肉の荒井亭のお向かいくらいだよ。
<その3〜西行庵・小文忌茶会>
早朝(といっても7時台だけど、、、)の茶会へ西行庵へ。
円山公園を通りぬけたあたりなので、まあ、我が家から歩いても十分いける距離。

知恩院前の隕石説もある謎の瓜生石の朝。
この前の晩、粟田神社還幸祭でこの前で夜渡り神事(れいけん祭り)がおこなわれたはず。(今年は見に行く元気がなかった、、、)

朝早いのでまだ観光客もだれもいない円山公園のなかで黒猫にであう。
もしかして西行庵のく〜ちゃんかしら???

宮田小文法師は一時荒廃した西行庵を立て直した方。京洛四奇人の一人と言われたそうだが、富岡鉄斎や、裏千家の圓能斎とも親しかった人で、千家と袂を分かった大日本茶道学会の田中仙樵翁をかばった方でもある。

ここのところ10月とは思えない暑さが続いていたがこの朝は、いただいた薄茶の茶碗からたちのぼる湯気が見える季節となった。東から差し込む朝日が茶室に美しい陰翳をつくる。

(点心はたん熊北店さん)
この時代(幕末〜明治)幕府や国に対するまずいことは文書にするのがはばかられたこともあり、また口伝できる人も次々この世を去り、小文法師についてよく分かっていないことが多かったそうだ。
しかし、あるきっかけから次々と発見された彼の経歴、これからますます研究発掘をしていきたい、という庵主さんの意気込みに打たれる。
明治は近くて遠い。そういえば明治生まれのじいちゃんばあちゃんの話をもっとよく聞いておけばよかったな、生きた歴史として。

主菓子は老松の栗きんとん。箸は庵主が少々手をくわえた松ヶ崎大黒天の祝箸。吉田神社のもあったよ。
老松といえば弘道館の太田先生、いつも朝一の席でたまたまご一緒する事が多い。この日も楽しい蘊蓄を山ほど拝聴できてうれしかった!
普段は円位流(小堀遠州流がベース)の庵主のお点前を拝見するのだが、秋のこの茶会はお母上の裏千家で。
なのでお道具は、宗旦からはじまって又妙斎、圓能斎、如心斎、薄茶席のお菓子は如心納豆!とすばらしい千家オンパレードであった。
清々しい初秋の朝、早起きも佳きもの哉。美しい朝を堪能した。
<その4〜うるわし屋さん>

丸太町通り御所向かい、主に漆の道具がメインの古美術店、うるわし屋さん。
煎茶道具も店主のご趣味なのか充実している。時々買う物がなくてものぞいてみるのが楽しい。

漆器の店なのに、、、古染付があるなんて!!きゃ〜\(^O^)/
ついなでなでして、ホツ(虫食い)やら砂高台やら、堪能させていただく。向付にいいな、これ。

主に煎茶道具の茶箱展、今年も今月末にあるらしい。
行かねば!
(10月29日〜11月6日 於:うるわし屋)
<その5〜寺町・百春>
お茶やら和紙やらグランピエのアヤシイ雑貨やら、二條若狭屋のかき氷やら、なにかとよく行く大好きな寺町(二条〜丸太町)、ここにまた新しくすてきな休憩スポットができてしまった。

百春(ももはる)さん。
ビルの二階なので最初は入り口にとまどう。

ビルなのにレトロなドア、が目印。

静かな店内はすぐに満席になりそう。
実際数組のかたが満席です、、にあきらめてかえらはった。オーナーマダムとお母上?のお二人でやってはる。
たまごトーストが名物らしいがお腹がよかったのでコーヒーだけ頼んで文庫本をしばし読む。コーヒー豆をひく良い香りがたまらなくいいね、ここ。

奥のカウンター席からはお気に入りの寺町通りも眺められるだろう。
また寺町散策の楽しみが増えた。
格式高い西本願寺さんの初のライトアップがこの秋!

まだ30代という若さの新しい門主様が一昨年に就任したことを内外に披露する「伝灯奉告法要」の関連行事。
受付の順番にぞろぞろと行列をなして境内に入ると、極楽もかくやと思われるような五色の光の御影堂、阿弥陀堂。

境内は広いので、中に入ってしまうと三々五々、あちらこちらにたたずんでライトアップを愉しむ人たち。
私は、西本願寺は床の埋木を見て歩くのが好きなのだが、これもまたなかなかシュールな感じがよい。

お、なんだか朱塗りの柱にみえる。
しかしながら、一番のお目当ては、昼間も来たことがないお初の国宝・飛雲閣!!
ここは普段でも事前申し込みをしないと拝観できないのだ。それをいきなりライトアップ、これは期待に胸が高まる。

飛雲閣のある滴翠園の中は撮影禁止なので画像はないが、金閣・銀閣とならんで「京都三名閣」なのだそうだ。
池の向こうに、、、、建物の中に照明をおいた飛雲閣!
しばし心奪われ足がとまってしまった。
金閣・銀閣とちがってあえて非対称になった構造は少し時代が室町よりあとなんだろうな、と思わせる。聚楽第の遺構とも言われるが確証はないとのこと。

(これは記念品売り場の画像^_^;)
外から見るとまるで当時の権力者や貴賓が中で燈火をともしながら、典雅な遊びにうち興じているような錯覚をおぼえた。ここは手前の滄浪池から舟で中へ入る仕組みらしい。同じような構造が高台寺の傘亭にもあったので、やはり秀吉ゆかりの建築物なんだろうか。
唯一はっきりしているのが閣の左端にある茶室憶昔席(いくじゃくせき)。ここは寛政7年(1795年)藪内竹蔭らによって増築されたのが確かな部分。
この茶席の中にも照明装置が設置されていたが、障子があかるく輝きすぎ。茶室にしては明るすぎたのが残念。せめて茶室はもっと仄かな灯りでよかったのに。

ライトアップに協賛して門前の仏具屋さん通りも店の灯りがともってよい感じであった。
<その2〜三条通のプチフレンチ>
またまたご近所に美味しいお店ができた。

三条通白川、フレンチベースのデリカテッセン&カフェRAISIN(レザン)さん。下京からの移転だそう。

キッシュなどのテイクアウトはご近所のご年配の方も愛用されているようだ。スイーツもあるよ。
シェフは奥様、パティシエは旦那様。イメージ的には反対みたいだが(^_^;

中でランチもいただける。出遅れて日替わりランチにはありつけなかったけれど、温野菜たっぷりのチキンのプレートはおいしかった。デリのメニューのつけあわせもGood!

カウンター席の窓の外は三条通。
頼めばその場で揚げてくれるスパイシーコロッケで有名なお肉の荒井亭のお向かいくらいだよ。
<その3〜西行庵・小文忌茶会>
早朝(といっても7時台だけど、、、)の茶会へ西行庵へ。
円山公園を通りぬけたあたりなので、まあ、我が家から歩いても十分いける距離。

知恩院前の隕石説もある謎の瓜生石の朝。
この前の晩、粟田神社還幸祭でこの前で夜渡り神事(れいけん祭り)がおこなわれたはず。(今年は見に行く元気がなかった、、、)

朝早いのでまだ観光客もだれもいない円山公園のなかで黒猫にであう。
もしかして西行庵のく〜ちゃんかしら???

宮田小文法師は一時荒廃した西行庵を立て直した方。京洛四奇人の一人と言われたそうだが、富岡鉄斎や、裏千家の圓能斎とも親しかった人で、千家と袂を分かった大日本茶道学会の田中仙樵翁をかばった方でもある。

ここのところ10月とは思えない暑さが続いていたがこの朝は、いただいた薄茶の茶碗からたちのぼる湯気が見える季節となった。東から差し込む朝日が茶室に美しい陰翳をつくる。

(点心はたん熊北店さん)
この時代(幕末〜明治)幕府や国に対するまずいことは文書にするのがはばかられたこともあり、また口伝できる人も次々この世を去り、小文法師についてよく分かっていないことが多かったそうだ。
しかし、あるきっかけから次々と発見された彼の経歴、これからますます研究発掘をしていきたい、という庵主さんの意気込みに打たれる。
明治は近くて遠い。そういえば明治生まれのじいちゃんばあちゃんの話をもっとよく聞いておけばよかったな、生きた歴史として。

主菓子は老松の栗きんとん。箸は庵主が少々手をくわえた松ヶ崎大黒天の祝箸。吉田神社のもあったよ。
老松といえば弘道館の太田先生、いつも朝一の席でたまたまご一緒する事が多い。この日も楽しい蘊蓄を山ほど拝聴できてうれしかった!
普段は円位流(小堀遠州流がベース)の庵主のお点前を拝見するのだが、秋のこの茶会はお母上の裏千家で。
なのでお道具は、宗旦からはじまって又妙斎、圓能斎、如心斎、薄茶席のお菓子は如心納豆!とすばらしい千家オンパレードであった。
清々しい初秋の朝、早起きも佳きもの哉。美しい朝を堪能した。
<その4〜うるわし屋さん>

丸太町通り御所向かい、主に漆の道具がメインの古美術店、うるわし屋さん。
煎茶道具も店主のご趣味なのか充実している。時々買う物がなくてものぞいてみるのが楽しい。

漆器の店なのに、、、古染付があるなんて!!きゃ〜\(^O^)/
ついなでなでして、ホツ(虫食い)やら砂高台やら、堪能させていただく。向付にいいな、これ。

主に煎茶道具の茶箱展、今年も今月末にあるらしい。
行かねば!
(10月29日〜11月6日 於:うるわし屋)
<その5〜寺町・百春>
お茶やら和紙やらグランピエのアヤシイ雑貨やら、二條若狭屋のかき氷やら、なにかとよく行く大好きな寺町(二条〜丸太町)、ここにまた新しくすてきな休憩スポットができてしまった。

百春(ももはる)さん。
ビルの二階なので最初は入り口にとまどう。

ビルなのにレトロなドア、が目印。

静かな店内はすぐに満席になりそう。
実際数組のかたが満席です、、にあきらめてかえらはった。オーナーマダムとお母上?のお二人でやってはる。
たまごトーストが名物らしいがお腹がよかったのでコーヒーだけ頼んで文庫本をしばし読む。コーヒー豆をひく良い香りがたまらなくいいね、ここ。

奥のカウンター席からはお気に入りの寺町通りも眺められるだろう。
また寺町散策の楽しみが増えた。
好日居・茶ノ教室夜会〜西方見聞録2016 - 2016.10.09 Sun

夏の間、ちょっとご無沙汰していた好日居さんの茶ノ教室、久しぶりに参加。

夏の終わり〜秋の初め、ついこの前まで中国大陸のお茶にちなむ長旅をお仲間と愉しまれた好日居さんのお土産のお茶とお菓子とお話。名付けて大陸西方見聞録。

こちらはその大陸のお土産らしきお菓子を盛ったもの。あとでいただけるのね。
この日は秋らしく少し落ち着いた静かな宵。

ウェルカムティーは大きいデーツ(棗)のはいったプーアル茶。

旅の前半は主にプーアル茶の故郷・雲南省最南のシーサンパンナ(西双版納)、タイ族自治州。
プーアル茶の製茶工程を描いた絵のはしっこに、人間が見上げるくらいの大木の茶の木の絵が。
ここにあった樹齢800年の茶樹王の絵だろうか。残念ながら20世紀末に枯死したが、それでも他にも800年をこえる大きな古茶樹はこのあたりにまだまだあるのだそうだ。

木も大きければ葉っぱも大きい(根本の方の葉)。
見て、この大きさ!

ここで茶摘みをし、ご自分たちで製茶したお茶がこれ。
温めたチャフーにいれるとよい香りがする。

当地でもとめられた蓋碗でいれる。
一煎目、若々しい香り、二煎目、香りがくっきりたつ。
茶杯に残る香りを聞く。芳香。むしろお茶より、この香りの方が好き。

現地の素朴な人々をまねて、ヒマワリの種や殻付きピーナツ、ピーカンナッツをぽりぽり口にしては茶を何煎も飲む。

茶の実で採った茶油も。
茶はツバキ科だから椿油みたいなのがとれるのだ。なめてみたり手につけてみたり。うわ〜濃厚なオイルだ。

ここで現地のさきほどのお菓子をいただく。
左手前の丸いのが、とてもめずらしい山椒の月餅、、、といった感じ。
口に入れるとしばらく口の中が痺れて山椒祭り、、、、でもこれがけっこう後をひく。

後半の旅は内モンゴルへ。
こちらもプーアル茶、ただし商品としてあつかわれているもの。
私はコチラの方が繊細と感じたなあ。チャフーの下にあるのは現地の火山の溶岩。

そして内モンゴルといえばやっぱりバター茶!
20年ほど前に行ったとき、牧民のお宅で作るところから見せてもらい飲ませてもらった。ちょっぴり生臭かった記憶があるけれど、ここのは日本風にアレンジ。
ベースはプーアル茶、牛乳に塩。
乾燥した気候で失われがちな水分、脂肪分、熱量と塩分を効率的に補給することができ、暖も取れるという現地では大切な飲み物。

これにチーズやヨーグルト、乳で作ったバターのようなもの、米のあられなどを投入。

う〜ん、、、濃厚!
これはお茶と言うよりむしろスープだわ。
お茶に赤飯やら豆やら漬け物やらを投入する松江のぼてぼて茶となにやら似ている。これはもう食事だ!
大陸にはまだまだ日本人が考えもつかないような深いお茶文化があるのだな。

最後に、ほんとうのお土産として安徽省宣紙をいただく。薄く金のラインがはいってとても美しい画仙紙だ。さて、なにに使おう。
北白川〜一乗寺 初秋散歩 - 2016.10.07 Fri
10月とはいえ暑いです。まだ単衣が手放せません。
先日所用あって北白川へ。学生時代から馴染みの場所ではありますが、車で通り過ぎることが多いので、真剣に(?)歩いたのはひさしぶり。

前からいちどいってみたかったかの有名な銀月アパートメントを見にいきます。
北白川の疏水べりにたつなんだかなつかしい建物がみえてきました。
戦前からあった、ということ以外建築年も設計者もすべて不明という不思議なアパート。当然ながら耐震とか防火基準とかちょっとあぶないかもな〜。

けれどもこの佇まいはほんとうに素敵です。
京都を舞台にした映画のロケにつかわれたのもうべなるかな。(「鴨川ホルモー」や「クローズドノート」や)

今でも現役のアパートで、芸術家系の人が多く住んでいるとか。
ネットでみるとけっこう空き部屋もあって、一ヶ月の家賃が2.5万円前後。バストイレは当然付いていないけれどそれでも安〜〜!

小学校の木造校舎をおもいださせるな。オイルステンの匂いなんかも。(若い子にはわからんやろうな〜)

どんな人が住んでいるのか、つい知りたくなるような外観。
「クローズドノート」ではヒロインが恋する相手=画家が住んでたことになっていました。(この映画は京都の知っているお店とか景色とかちょこちょこでてきて楽しかった)

さすがに中まではようはいりませんでしたが。でも、ちょっとねらっている中国茶の銀月サロン、ときどきここで茶会をされているので、いつかもぐりこむ予定。
ここの入り口横には、大きな枝垂れ桜の木があって、春にはとても美しいと思われるので、そのころにまた来てみたいものだなあ。

さて、白川通り近くにもどってランチを三代目カレー舎、NANDIさんへ。(王将の裏)
ここのお店はもうつきあい長くって、、、というのは初代NANDIさん、尼崎にあって、かつての職場の近く、職場のスタッフといっしょによく行ったインド+アジア料理のお店だったのです。その後二代目として伊丹近くに移転しはって、そうこうするうちに私が尼崎の職場を去ったのでそれきりになってました。

それが私が京都に移住後、NANDIさんまで京都に移住してたとは!!(奥様のご実家は京都だったのね)と最初はびっくりしました。なんという偶然。
尼崎で25年、京都で今年で2年、引っ越し3回だから三代目なのね。
尼崎時代はいろいろインドを中心とした無国籍料理のメニューがたくさんありましたが、京都ではカレーにしぼってはります。(あ、でも蛸焼き飯もおいしいのよ!)
この東南アジア系えびせん!これがおいしいんんだ、また。

オーナーご夫婦は、昔はよくバッグパッカーの旅に出てレストランは長期休み、ということもありましたが、もう長い旅はずっとされてないそうです。
でもアヤシイ飾り付けは尼崎時代とかわらず(^_^;懐かしく、うれしい。
さて、食後のスイーツは、、、

さらに北に向かいます。北白川から一乗寺へ。
白川通りから一本はいっただけでこんな稲穂がたれている風景がある、これが左京区のいいところですね。洛中にはないのどかさがある。

おお、茄子もええ感じになってます。

曼殊院通りに面したスイーツのお店、648471(むしやしない)。
むしやしないは腹の虫を養う、、、ということで小腹を満たすちょっとした食べ物こと。
このお店の外観にちょっと見覚えがある、という方もおられるかも。

NHKの人気番組(季節ごとに不定期放映)「京都人のひそかな愉しみ」のエピソードのひとつ、悦っちゃんが働いているケーキ屋さんとしてでてました。離婚して傷心をかかえて東京から京都・下鴨の実家にかえってきた主人公の大学時代からの親友で、オーナーにひそかに恋する悦っちゃんのとのお話しでしたね。(わかる人にはわかる)

スイーツをお茶やコーヒーといっしょにいただけるカフェコーナーもあります。

いつか食べてみたい、むしやしないの「むしやしなべ」。フルーツたっぷりのケーキ一個がまるまる入った黒い鍋はクッキーでできていて鍋ごと食べられるのです。大きいので、だれかの誕生日パーティーにもっていきたいわね。

私はタルトタタンを紅茶でいただいた。
うふふ、、、この日は誕生日だったので、ひとりバースデーケーキ。

さて、おうちに帰ろう。
北白川、一乗寺からはバス一本でカエルことができるのよ(^_^;
先日所用あって北白川へ。学生時代から馴染みの場所ではありますが、車で通り過ぎることが多いので、真剣に(?)歩いたのはひさしぶり。

前からいちどいってみたかったかの有名な銀月アパートメントを見にいきます。
北白川の疏水べりにたつなんだかなつかしい建物がみえてきました。
戦前からあった、ということ以外建築年も設計者もすべて不明という不思議なアパート。当然ながら耐震とか防火基準とかちょっとあぶないかもな〜。

けれどもこの佇まいはほんとうに素敵です。
京都を舞台にした映画のロケにつかわれたのもうべなるかな。(「鴨川ホルモー」や「クローズドノート」や)

今でも現役のアパートで、芸術家系の人が多く住んでいるとか。
ネットでみるとけっこう空き部屋もあって、一ヶ月の家賃が2.5万円前後。バストイレは当然付いていないけれどそれでも安〜〜!

小学校の木造校舎をおもいださせるな。オイルステンの匂いなんかも。(若い子にはわからんやろうな〜)

どんな人が住んでいるのか、つい知りたくなるような外観。
「クローズドノート」ではヒロインが恋する相手=画家が住んでたことになっていました。(この映画は京都の知っているお店とか景色とかちょこちょこでてきて楽しかった)

さすがに中まではようはいりませんでしたが。でも、ちょっとねらっている中国茶の銀月サロン、ときどきここで茶会をされているので、いつかもぐりこむ予定。
ここの入り口横には、大きな枝垂れ桜の木があって、春にはとても美しいと思われるので、そのころにまた来てみたいものだなあ。

さて、白川通り近くにもどってランチを三代目カレー舎、NANDIさんへ。(王将の裏)
ここのお店はもうつきあい長くって、、、というのは初代NANDIさん、尼崎にあって、かつての職場の近く、職場のスタッフといっしょによく行ったインド+アジア料理のお店だったのです。その後二代目として伊丹近くに移転しはって、そうこうするうちに私が尼崎の職場を去ったのでそれきりになってました。

それが私が京都に移住後、NANDIさんまで京都に移住してたとは!!(奥様のご実家は京都だったのね)と最初はびっくりしました。なんという偶然。
尼崎で25年、京都で今年で2年、引っ越し3回だから三代目なのね。
尼崎時代はいろいろインドを中心とした無国籍料理のメニューがたくさんありましたが、京都ではカレーにしぼってはります。(あ、でも蛸焼き飯もおいしいのよ!)
この東南アジア系えびせん!これがおいしいんんだ、また。

オーナーご夫婦は、昔はよくバッグパッカーの旅に出てレストランは長期休み、ということもありましたが、もう長い旅はずっとされてないそうです。
でもアヤシイ飾り付けは尼崎時代とかわらず(^_^;懐かしく、うれしい。
さて、食後のスイーツは、、、

さらに北に向かいます。北白川から一乗寺へ。
白川通りから一本はいっただけでこんな稲穂がたれている風景がある、これが左京区のいいところですね。洛中にはないのどかさがある。

おお、茄子もええ感じになってます。

曼殊院通りに面したスイーツのお店、648471(むしやしない)。
むしやしないは腹の虫を養う、、、ということで小腹を満たすちょっとした食べ物こと。
このお店の外観にちょっと見覚えがある、という方もおられるかも。

NHKの人気番組(季節ごとに不定期放映)「京都人のひそかな愉しみ」のエピソードのひとつ、悦っちゃんが働いているケーキ屋さんとしてでてました。離婚して傷心をかかえて東京から京都・下鴨の実家にかえってきた主人公の大学時代からの親友で、オーナーにひそかに恋する悦っちゃんのとのお話しでしたね。(わかる人にはわかる)

スイーツをお茶やコーヒーといっしょにいただけるカフェコーナーもあります。

いつか食べてみたい、むしやしないの「むしやしなべ」。フルーツたっぷりのケーキ一個がまるまる入った黒い鍋はクッキーでできていて鍋ごと食べられるのです。大きいので、だれかの誕生日パーティーにもっていきたいわね。

私はタルトタタンを紅茶でいただいた。
うふふ、、、この日は誕生日だったので、ひとりバースデーケーキ。

さて、おうちに帰ろう。
北白川、一乗寺からはバス一本でカエルことができるのよ(^_^;
宇治茶まつり2016 - 2016.10.05 Wed
茶の種を日本に持ち帰った栄西禅師、その種を拝領し栂尾高山寺に植えた明恵上人、茶聖・千利休の3人の茶祖、茶業にたずさわってきた先達の霊を祀り、宇治茶の振興を図るために毎年10月第一日曜日におこなわれる宇治茶まつり。

今日も宇治川は流れが速い。
ちんたら流れる鴨川を毎日見てるから、この早さは少し恐いわ。しかも先日まで大雨だったので増水気味。
宇治橋のむこ〜の方に三ノ間が、、、、見えないか(。-_-。)

宇治橋東詰の通圓さん(平安末期からの長い歴史あり)の前には早くもお水くみ上げのご一行が。
そう、秀吉が名水として茶会のための水をくみあげたという宇治橋三ノ間(西詰めから三間目)からの水を古式にのっとって汲み上げる儀式が朝9時からあるのですよ。

斎竹も立って準備万端の様子。下においてある桶が汲み上げ用だな。
洛中の行事ならぎりぎりの時間にいったら、もう人だかりでなんにも見えないところだが、さすが宇治はのんびりしている、ぎりぎりでもすいすい前までいけました。

あ、ご一行が橋をわたってきはった。

名水をくみ分ける青竹の筒。

滑車のついた棒の先に桶をむすんだ綱をたらしてお汲み上げ。

なにせこの早い水流の宇治川、かなり抵抗があると思われ、力仕事ですが見事にこなさはりました。

汲んだ水は青竹に分け入れて、行列は西へ。
ぐるっと川を回って東岸の禅寺・興聖寺へ運ばれる。この水が三茶祖に捧げる献茶の水になるのだ。
では興聖寺へ先回りしましょう。
お茶席もあることだし。

宇治橋からの眺め。左手の赤い朝霧橋のさらに向こうに興聖寺はあります。

宇治川べりを離れてちょっと長い坂を上る。
興聖寺は禅宗修行(曹洞宗)の実践的なお寺なので、修行中の若いお坊様がたくさんいてはる。
NHKの「京都人のひそかな愉しみ」にもちらっとでてきてちょっと有名になった。

異国風の山門。
1年ほど前に来たとき、入り口でお坊さんに「ここは観光寺院ではないので、拝観してがっかりされるかもしれません。」なんて言われたなあ(^_^;

なかなか大きなお寺なのに修行僧の作務(お掃除)がいきとどいているのがいいわ。

境内はなんとなく木造小学校を思い出させる。

ほどなくして先ほど汲みあげられた三ノ間の名水が三茶祖に献じられます。

このあと茶壺の口切りの儀が通圓さんの若(?)によって行われたのですが、人がいっぱいで全然見えませんでした。
今年担当の裏千家の業躰先生による御献茶もあったらしいのですが、あまりに見えないのでcurry にthrough(?)
境内の広間の茶席にてお薄一服ちょうだいしました。
軸が淡々斎の「清風万里秋」
あ、これ、この前使った同じく淡々斎の「秋空(昨夜)一聲雁」の対句。表装も同じなので、兄弟軸だったかも〜。

その後門前で茶筅供養も行われたようです。
茶筅って意外と捨てがたいのよね。なにかに使えそうな気がして。

宇治川沿いに少し駅の方にもどると福寿園宇治茶工房がある。ここの二階にはとてもいいお茶室があって、そこで副席がもうけられている。

ここでは毎月朝日焼(遠州六窯の一)の朝日窯の月釜があって、やはり1年ほど前におじゃました。その時先代の豊斎さんのお姿もお見かけしたのだが、今年はもう亡くなっていらっしゃらない。お元気そうにみえたのに。合掌。

福寿園の茶室は小間(中村昌生先生設計)の他襖をとっぱらうと八畳になる四畳半のいいお茶室がある。こちらでも一服。偶然にもここも淡々斎の軸でしたね。

そこから少しゆけば世界遺産・宇治上神社。

一番奥にまします本殿は、なんと平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされている。

宇治上神社といえば、私はまず宇治の六名水の一、桐原水を思い出す。
この閼伽井屋の中に今もこんこんとわく透明な地下水。

ここの拝殿で宇治茶まつり協賛の立礼席があったので、そちらにも入って見た。

こんな感じ。
なんだか結婚式に参列しているような感じだわ。めったに入れない拝殿にて一服。これも楽しかった。

こちらの社務所で点心もいただく。これ全部で2500円(+700円:宇治上神社)とは!太っ腹!
ほかにもお茶のみコンクールとかスタンプラリーとかファミリー向けのイベントもたくさんあったようです。

この日は宇治川をイメージして青海波の洋服で。
10月のくせに、なにせ暑くて暑くて、さすがに着物姿の方は一握りでしたね。

最後は京阪宇治駅前の通圓さんとこで抹茶ソフトクリームで締め!

今日も宇治川は流れが速い。
ちんたら流れる鴨川を毎日見てるから、この早さは少し恐いわ。しかも先日まで大雨だったので増水気味。
宇治橋のむこ〜の方に三ノ間が、、、、見えないか(。-_-。)

宇治橋東詰の通圓さん(平安末期からの長い歴史あり)の前には早くもお水くみ上げのご一行が。
そう、秀吉が名水として茶会のための水をくみあげたという宇治橋三ノ間(西詰めから三間目)からの水を古式にのっとって汲み上げる儀式が朝9時からあるのですよ。

斎竹も立って準備万端の様子。下においてある桶が汲み上げ用だな。
洛中の行事ならぎりぎりの時間にいったら、もう人だかりでなんにも見えないところだが、さすが宇治はのんびりしている、ぎりぎりでもすいすい前までいけました。

あ、ご一行が橋をわたってきはった。

名水をくみ分ける青竹の筒。

滑車のついた棒の先に桶をむすんだ綱をたらしてお汲み上げ。

なにせこの早い水流の宇治川、かなり抵抗があると思われ、力仕事ですが見事にこなさはりました。

汲んだ水は青竹に分け入れて、行列は西へ。
ぐるっと川を回って東岸の禅寺・興聖寺へ運ばれる。この水が三茶祖に捧げる献茶の水になるのだ。
では興聖寺へ先回りしましょう。
お茶席もあることだし。

宇治橋からの眺め。左手の赤い朝霧橋のさらに向こうに興聖寺はあります。

宇治川べりを離れてちょっと長い坂を上る。
興聖寺は禅宗修行(曹洞宗)の実践的なお寺なので、修行中の若いお坊様がたくさんいてはる。
NHKの「京都人のひそかな愉しみ」にもちらっとでてきてちょっと有名になった。

異国風の山門。
1年ほど前に来たとき、入り口でお坊さんに「ここは観光寺院ではないので、拝観してがっかりされるかもしれません。」なんて言われたなあ(^_^;

なかなか大きなお寺なのに修行僧の作務(お掃除)がいきとどいているのがいいわ。

境内はなんとなく木造小学校を思い出させる。

ほどなくして先ほど汲みあげられた三ノ間の名水が三茶祖に献じられます。

このあと茶壺の口切りの儀が通圓さんの若(?)によって行われたのですが、人がいっぱいで全然見えませんでした。
今年担当の裏千家の業躰先生による御献茶もあったらしいのですが、あまりに見えないのでcurry にthrough(?)
境内の広間の茶席にてお薄一服ちょうだいしました。
軸が淡々斎の「清風万里秋」
あ、これ、この前使った同じく淡々斎の「秋空(昨夜)一聲雁」の対句。表装も同じなので、兄弟軸だったかも〜。

その後門前で茶筅供養も行われたようです。
茶筅って意外と捨てがたいのよね。なにかに使えそうな気がして。

宇治川沿いに少し駅の方にもどると福寿園宇治茶工房がある。ここの二階にはとてもいいお茶室があって、そこで副席がもうけられている。

ここでは毎月朝日焼(遠州六窯の一)の朝日窯の月釜があって、やはり1年ほど前におじゃました。その時先代の豊斎さんのお姿もお見かけしたのだが、今年はもう亡くなっていらっしゃらない。お元気そうにみえたのに。合掌。

福寿園の茶室は小間(中村昌生先生設計)の他襖をとっぱらうと八畳になる四畳半のいいお茶室がある。こちらでも一服。偶然にもここも淡々斎の軸でしたね。

そこから少しゆけば世界遺産・宇治上神社。

一番奥にまします本殿は、なんと平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされている。

宇治上神社といえば、私はまず宇治の六名水の一、桐原水を思い出す。
この閼伽井屋の中に今もこんこんとわく透明な地下水。

ここの拝殿で宇治茶まつり協賛の立礼席があったので、そちらにも入って見た。

こんな感じ。
なんだか結婚式に参列しているような感じだわ。めったに入れない拝殿にて一服。これも楽しかった。

こちらの社務所で点心もいただく。これ全部で2500円(+700円:宇治上神社)とは!太っ腹!
ほかにもお茶のみコンクールとかスタンプラリーとかファミリー向けのイベントもたくさんあったようです。

この日は宇治川をイメージして青海波の洋服で。
10月のくせに、なにせ暑くて暑くて、さすがに着物姿の方は一握りでしたね。

最後は京阪宇治駅前の通圓さんとこで抹茶ソフトクリームで締め!
長月晦・夕ざりの茶事 - 2016.10.02 Sun
長月のつごもりの夕ざりの茶事。

季節としては旧暦の重陽(今年は10月9日)・菊の節句もとりたいし、、、

先の月見(9月15日の十五夜)後の月見(10月13日の十三夜)のはざまの時期で月もとりたい、、、

というのであれもこれも、、、この季節はお題にことかかない。事欠かなすぎて困る。
この季節のお約束、鴨川べりで刈ってきた薄を玄関なげいれてお迎え。

ついでに虫の音のテーマも。
月を愛でながら、虫の音も愛でながら(これができるのは日本人だけらしいよ。よその国の人には雑音なんだって)、、

鼓胴の花入で音曲も想像して楽しんでいただこう。
夕ざりは初座が花になる。暗くならないうちに見ていただくために。

汲み出しは先日川口美術で入手したばかりの伊藤明美さんの高麗青磁写し。本来は深向付。

お酒は重陽で菊酒。
この日のお客さまはわりと召し上がってくださるのでうれしい。

この季節限定の萩の煮物椀。
満月しんじょうにしたつもりが、なんとなく居待ち月くらいにゆがんじゃった。

強肴の器は伊賀の笹山さんの片口。木工の水野悠祐さんに蓋を作ってもらって水指にしたやつだ。こうして懐石にも大活躍。
中味は嵯峨野・森嘉さんの大き目ひりょうず。(かなりボリュームあり)
茶事は、、、
私にとって庭掃除50%、懐石25%、残りの25%がお茶なの。懐石がすんだ段階で75%終了なのよ。あと一息!
千鳥は別杯持ちだしをまたやっちゃった!
ちょっとびっくりするお客さまの顔をみるのが楽しみで、、、、(^-^)

お菓子は西陣・愛信堂さん。
月にまつわるもの、、、とだけお願いしたらこんなすてきなお菓子。銘を「つごもり」
雁の焼き印があるがこれが期せずして後座の「秋空一声雁」に見事呼応してうれしい限り。
葛を求肥で巻いたもので、初めていただく食感!

中立のころ、思惑通り燈火がいるほの暗さになってきた。
これからが夕ざりの醍醐味。夜咄のおいしいとこどり。

灯籠の障子(手作り)もスタンバイOK。
本日も有能な水屋さんに助けられる。

待合から茶室への露地。
あちこちにいろんなタイプの燈火を用意。

写真では暗くてあまりわかりませんよね(^_^;
でもこの雰囲気はお茶事の中で一番好きな景色。

今回はじめて、使い方がわかったジャイロの手燭、これを躙り口の横にひっかけた。これってこうやって使うモノだったんだ。安定の悪い手燭やなあ、、、と思っていたの(^_^;
(こうなってます↓)

実際はもっとはしっこに掛けてます。

今回も短檠のかわりに李朝燈火器。
(一生短檠の灯芯はよう使わん。あれぶちぶち切れすぎ、、、)
これと手燭一つではほんまに昔の夜の茶会はこうやったんやろうなあ、、、というくらい暗い。
点前のボロがかくせてよい、、、(^_^;あれ?
もとい、蛍光灯の下では絶対味わえない茶碗や茶入の陰翳を楽しめる。

手燭灯りの元、道具を拝見されるお客さま。
美しい景色。私はレンブラントの絵を思い出す。
続き薄では、他流派を修行されている水屋さんに点てていただいて、一堂裏千家なものだから、「へ〜」「ほ〜!」と驚きしきりもまた楽しかった。今回はみなさま、京都以外からおいでのお茶の手練れの方々。一座建立、ありがとうございました。
亭主もずいぶん楽しませてもらいました。

お干菓子は例によって干菓子専門の亀廣保さんのススキと小芋。
ススキの尾花に氷餅の粉がかかっていて尾花のふわふわの雰囲気をよくあらわしている職人芸。好きやわ、ここの干菓子。
いよいよ神無月になりましたね。

季節としては旧暦の重陽(今年は10月9日)・菊の節句もとりたいし、、、

先の月見(9月15日の十五夜)後の月見(10月13日の十三夜)のはざまの時期で月もとりたい、、、

というのであれもこれも、、、この季節はお題にことかかない。事欠かなすぎて困る。
この季節のお約束、鴨川べりで刈ってきた薄を玄関なげいれてお迎え。

ついでに虫の音のテーマも。
月を愛でながら、虫の音も愛でながら(これができるのは日本人だけらしいよ。よその国の人には雑音なんだって)、、

鼓胴の花入で音曲も想像して楽しんでいただこう。
夕ざりは初座が花になる。暗くならないうちに見ていただくために。

汲み出しは先日川口美術で入手したばかりの伊藤明美さんの高麗青磁写し。本来は深向付。

お酒は重陽で菊酒。
この日のお客さまはわりと召し上がってくださるのでうれしい。

この季節限定の萩の煮物椀。
満月しんじょうにしたつもりが、なんとなく居待ち月くらいにゆがんじゃった。

強肴の器は伊賀の笹山さんの片口。木工の水野悠祐さんに蓋を作ってもらって水指にしたやつだ。こうして懐石にも大活躍。
中味は嵯峨野・森嘉さんの大き目ひりょうず。(かなりボリュームあり)
茶事は、、、
私にとって庭掃除50%、懐石25%、残りの25%がお茶なの。懐石がすんだ段階で75%終了なのよ。あと一息!
千鳥は別杯持ちだしをまたやっちゃった!
ちょっとびっくりするお客さまの顔をみるのが楽しみで、、、、(^-^)

お菓子は西陣・愛信堂さん。
月にまつわるもの、、、とだけお願いしたらこんなすてきなお菓子。銘を「つごもり」
雁の焼き印があるがこれが期せずして後座の「秋空一声雁」に見事呼応してうれしい限り。
葛を求肥で巻いたもので、初めていただく食感!

中立のころ、思惑通り燈火がいるほの暗さになってきた。
これからが夕ざりの醍醐味。夜咄のおいしいとこどり。

灯籠の障子(手作り)もスタンバイOK。
本日も有能な水屋さんに助けられる。

待合から茶室への露地。
あちこちにいろんなタイプの燈火を用意。

写真では暗くてあまりわかりませんよね(^_^;
でもこの雰囲気はお茶事の中で一番好きな景色。

今回はじめて、使い方がわかったジャイロの手燭、これを躙り口の横にひっかけた。これってこうやって使うモノだったんだ。安定の悪い手燭やなあ、、、と思っていたの(^_^;
(こうなってます↓)

実際はもっとはしっこに掛けてます。

今回も短檠のかわりに李朝燈火器。
(一生短檠の灯芯はよう使わん。あれぶちぶち切れすぎ、、、)
これと手燭一つではほんまに昔の夜の茶会はこうやったんやろうなあ、、、というくらい暗い。
点前のボロがかくせてよい、、、(^_^;あれ?
もとい、蛍光灯の下では絶対味わえない茶碗や茶入の陰翳を楽しめる。

手燭灯りの元、道具を拝見されるお客さま。
美しい景色。私はレンブラントの絵を思い出す。
続き薄では、他流派を修行されている水屋さんに点てていただいて、一堂裏千家なものだから、「へ〜」「ほ〜!」と驚きしきりもまた楽しかった。今回はみなさま、京都以外からおいでのお茶の手練れの方々。一座建立、ありがとうございました。
亭主もずいぶん楽しませてもらいました。

お干菓子は例によって干菓子専門の亀廣保さんのススキと小芋。
ススキの尾花に氷餅の粉がかかっていて尾花のふわふわの雰囲気をよくあらわしている職人芸。好きやわ、ここの干菓子。
いよいよ神無月になりましたね。