宇治にて深まる秋の夕ざり茶事〜縣神社 - 2016.11.18 Fri

日が西に傾き始めた頃の宇治川である。
いつもは恐いくらい激しい流れなのだが、この日はいつになく川深も浅くめずらしい穏やかさ。

宇治の茶業とは切ってもきれぬご縁の縣神社。(6月5日の縣祭は深夜の奇祭でその年の製茶作業の打ち上げとも)
この春、桜の頃陽春の茶事でこちらのお茶席に初めていれてもらった。

その時は花が見事だった枝垂れ桜も紅葉している。ご亭主もその時と同じ、藪内流の若武者である。
茶席は燕庵写し(少し広さを変えてある)の棠庵(とうあん)。藪内十二代猗々斎の作。
点前座の亭主の背景になる上下2つの下地窓、風炉先窓、と窓多用でほどよい明るさ、ここは亭主にスポットライトがあたる茶席なのだ。

躙り口をあけて最初に茶室を見るのは正客の特権、今回もおしもおされぬ歳の功で正客の座についた(わっはっは、、、^_^; )
いつもながら弁舌さわやか流麗なご亭主。茶道具についてしゃべりだしたらとまらない。今回もいろいろ勉強させていただいた。「黄鶴」の銘をつけてもらったという髙取の花入のエピソードが印象に残る。茶の道を行く覚悟のほどがうかがい知れる。(参照:漢詩「黄鶴楼」催顥)
炭出前で炉のまわりに集まるのはこの季節の楽しいポイントだ。炭の切り方も置き方も違うのがいつも新鮮。
ごいっしょした裏千家の友人に藪内のあられ灰や炉の四隅の蛤などもエラソウに説明しちゃった(^_^;
釜は「談古堂」の文字が鋳込まれていたが、これは藪内家にある茶室の名前とか。

夕ざりは食事の時間としては中途半端なので、先に濃茶をいただいてその後懐石を、という臨機応変。
先にいただく主菓子は老松さんの栗餅。おいしい。これだけは広間の縁側でお庭を拝見しながらいただいた。こういう流れをつくるのも亭主の手柄だと感心する。
ここの神社のお向かいにはさすが宇治だけあってお茶屋さんがいくつかある。縁側にいると茶を焙じるまことに良い香りが流れてきて、これもまた印象的であった。
濃茶もそのお向かいのお茶屋さんの茶で、たっぷりでしっかり練れたとろっとした濃茶はとても美味しかった。
懐石は、今回は不慮の用事のためお弁当になったが、いつもはちゃちゃっと美味しいのをつくらはるんよ。(主婦歴ウン十年のわたくしまけましたわ)
引き続き薄茶席。同じ席ながら花も軸も変えてある。
裏千家は後座にしか(夕ざりは初座)花を飾らないが、藪内では待合にも初座・後座にも飾ることがあるそうで、何回も花を堪能できるのはよいなあ。
墨蹟窓に花入を掛けるのをはじめたのは織部だっけ。(藪内剣中の義理兄だし)掛かっていた鉈籠花入がすてきだった。
この頃になると日はもう落ちて茶室の中は暗く、手燭の灯りがたより。これが夕ざりの醍醐味。
道具の色目もあやしくなるが、お茶碗もたくさん出してもらって楽しむ。
またまたご亭主の立て板に水の語りを聞き、御連客ともいろいろお話しできて楽しい一座建立であった。

ご亭主はなんとこの日の午前中にも一会茶事をされていて、どんだけタフなんだ、と感心する。若さだけではあるまい。お茶への情熱と覚悟のほどあればこそ。
最期の挨拶をして外に出ればもうとっぷりと夜。

帰りに宇治橋を渡るとき、宇治川の上にかかる冴え冴えとした十三夜の月があまりに美しくて、しばしたちどまったのであった。満ち足りた時間であった。