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2016-12

年末の楽しかったことだけ数える〜2016 - 2016.12.30 Fri

今年かなわなかったこと、できなかったことを数えるより、かなったこと、できたことを数えながら今年を終えよう。
思い通りにいかないこともあるけれど、まあ、人生最後に帳尻あうようになっているから、この年末も楽しかったことだけ数えて、新年を迎えよう。



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忘年会一発目はこんなところで。洛中某所の大きな町家。



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あやしげな料理をみんなでもちよっていただく。



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お酒ももちよりなので、私は獺祭のスパークリングを持参。

あかんわ、これ。これあかんやつや。
飲み出したらとまらんわ。

しかもこの下にしいてある敷物もこんなんに使たらあかんやつや(◎-◎;) (朝鮮綴ちゃうか!?)



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走り庭にあるガスコンロでメインディッシュの湯豆腐を。ここのだいどこ、まだ現役なんやわ。でもさっぶいな〜。町家のだいどこってほんま、冬さぶいな〜。

最後はこの家の主、酩酊しておもしろい会話となったが、内容はとても話せない(^_^;)



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今年もはやばやと北野の天神さんへ。もう酉年の絵馬があがっている。




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なんと梅のつぼみもいまにもほころびそうではないか。
まだ12月だというのに。



うめ



毎年授与してもらっているこちらの大福梅を。だいふくうめちゃうよ、おおぶくうめ。(昨年だいふくを連発しとったおばちゃんおったな)
これはお正月に大福茶にするのだ。梅の花の時から、土用の干し梅の時もずっと一年間見守って(?)来た梅やしね〜(^_^;)




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唐長のこの唐紙名刺、愛用してたのだが、この厚い紙質の複雑な版のものはもう販売されていない。もっと薄くてあっさり柄しかないのだ。

なのでやや割高になるものの特注で誂えてもらうことに。



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550枚。50枚はおまけしてくれはった\(^O^)/
さっそく活版印刷の十分屋へ持ち込む。(河原町二条東)→→→完成!!
これで一生分はもつかな。




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おしつまって濃茶と薄茶席おさそい。いつもお世話になってる藪内の若武者宅で、堺の乙女と、表千家の若者とごいっしょに。ありがたいなあ。

彼はのめりこむように日々茶の生活。一時たりとも空白をゆるさない気迫を感じる。たちどまって悩むこともあるだろうが、まだ若い!がんばれ!(こちらは還暦すぎてもなお迷いっぱなし悩みっぱなし)




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もう一人、別のタイプのお茶へのめりこんでる茶道男子が紫野に。この日も一日釜をかけているという。
(暮らす旅舎「京都はお茶でできている」ですっかり全国区になった陶々舎)




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冬至すぎたばかりのまだ遅い朝日が、あたるかあたらないかの時間にお邪魔する。
玄関先からお茶のある家。




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朝ご飯まだだというと、すっと出てくる朝粥。こんなシンプルなのにうれしいもてなしが、私はなかなできないのだなあ。胃に優しく美味しい。



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お茶を二服いただく間に朝日が差し込んできて、亭主の影を浮かび上がらせたとき、なんだかすごく良い物を見た、と思った。早起きは三文以上の得だね!




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こちらは京都駅にほど近い某本願寺派のお寺で、イギリス人とベルギー人(ふたりとも日本語ペラペラ)の遠州流師範クラスの先生のクリスマス茶会。
待合でホットワインとシュトーレンをいただいて(ここらへんヨーロッパ)、四畳台目切の小間にて濃茶をいただく。枡床のかなり歴史がありそうないい茶室であった。遠州流の点前はなんどか見たことがあるが、客の作法ははじめて教わった。なるほど!おもしろい!
そして京都の寺や個人宅の奥深く、どこに良い茶室が隠れているかわからへんなあ、油断できんなあ(?)と思った。



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何度目かの忘年会は一乗寺のご存じ猫町さんを貸し切りで。ときどきランチによせてもらうこともある。




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なにげない室礼が素敵な場所なのだ。やっぱりK美術のお得意さん(?)だし。
ご縁あって、末席に参ずる。去年の忘年会より、他の人たちとの距離も近くなった感じでとても楽しめた。これもありがたいご縁だ。特にK美術主催で我が家でやった半泥子の茶碗の茶会は想い出に残る。




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もちろん、おいしい料理も楽しんだよ。お酒もね。



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手作りのクリスマスケーキがうれしい。今年食べたクリスマスケーキはここのんだけだったなあ。(我が家にクリスマスはないのだ。子供いないし、クリスチャンじゃないし)




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最後に、昨年に引き続きご近所のお茶友さんのご縁で、権太呂さんの年末落語会へ今年も。
恒例の社長の前座手品はインフルエンザであっけなくぱあ。これを楽しみに毎年きてはるひともいるのにね。そのぶん、桂米團治師匠が大活躍してくれはって、昨年以上に笑うたわ。

笑う門には福来たる。笑うと免疫力が高まるのは確かなんで、これでこの冬も風邪引かずにすごせるかな。


雑小ネタにおつきあいありがとう。来年もよろしゅうに。

みなさまもよいお年を!!



ニッポン画山本太郎氏トーク+能と狂言@京町家〜大西常商店 - 2016.12.28 Wed

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河原町から松原通り。
四条より少し南になるので観光客はほとんど歩いていない、そして古い町並みがなんとか残っている通り。昔は祗園祭の山鉾はこの道を通ったそうだ。




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仏光寺の南のエリアで京都の伝統的産業や小売店(和蝋燭屋、簾屋、表具店などなど)の名残がかろうじて。
こういう古くて重厚な町家も散見できる。



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ここはもう店じまいしてはるみたいだが、隣の大きなビルのとなりで体を小さくこごめてかわいそう。



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表の赤青ポールが示すとおり、ここは祗園床という床屋さんだったようだ。




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その並びに立つ大きな表造の京町家は京扇の大西常商店さん。

昨年の祗園祭の時から常の会という主に能を中心としたイベントを楽しむ会を立ち上げられ、その当時からちょくちょくお邪魔させてもらっている。ちなみにお茶室もあるので、イベントにはかならず茶会もついてくるのがうれしい。





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このたびは「Merry! Merry! 和楽 @ 京町家」と銘打って、薩摩琵琶、ニッポン画の山本太郎氏のトーク、観世流シテ方田茂井さん(+味方團さん、河村浩太郎さん)の常連による能+狂言のもりだくさんのイベントが。


なにをおいても昨年細見美術館で見た琳派特別展の中の「ニッポン画」山本太郎さん、いっぺんでファンになってしまった彼のトークショウは行かねば行かねば。



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(その時画集買った!)



一番印象的だったのは「桜川隅田川」

謡曲の「桜川」と「隅田川」を左双、右双に描いた屏風なのだが、お能を知っている人にはクスリと笑えるエッセンスが盛りだくさん。

左双に桜川の主人公(娘が自ら親のため身売りし、そのため物狂いした母が、網で川に流れる桜の花びらをすくいとろうとする場面)が網ならぬ電気掃除機で水を吸い取っている絵。
右双に隅田川の主人公(子供を失って物狂いになった母が隅田川のほとりでその子がすでに亡くなっていることを知る)がスリングにキューピー人形をつっこんでいる絵。


で見られます)



他にも「弱法師(よろぼし)」や、「卒塔婆小町」をモチーフにした絵があり、きっとお能が好きな方なんだろうな、と思っていたら、なんと!京都造型大学在学中は能楽部だったんだそうな。そりゃくわしいはずだわ。田茂井さんともその時からのおつきあいだったとは。




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羽織姿で登場しはった山本さん、トークも軽妙でおもしろい。
ちなみに奥の鏡松は某能楽舞台の山本さんの下絵。

昨年の琳派400年、スーパーマリオ30年記念で描かれたマリオとルイジの風神雷神。もちろん俵屋宗達のものだが、後年尾形光琳、酒井抱一が写したのは昨年国博でならんで見たよね。ところが宗達以前に似たような絵やモデルがある、という話がとてもおもしろかった。

時間的・距離的にいって宗達が三十三間堂の風神雷神像(鎌倉時代・国宝)を参考にしたというのは有名なはなし。ところが北野天神縁起絵巻(鎌倉時代)にでてくる雷神のコミカルさが実に宗達のに似ている。しかし、だれでも見ることができた絵巻ではない。どうやって伝わったのか?

さらにもっと昔に風神雷神のルーツをさぐるとなんと6世紀、敦煌の莫高窟壁画に宗達の風神雷神にあまりに似ている風神雷神図があるのだと!ほんまそっくりやわ。しかし、当時の日本人が見ることは叶わなかったであろうし、いったいどうやって伝わってきたのか。個別にアイデアが天から降ってきたのかも知れないが、なんらかの形で日本のあの時代に伝わってきたと思った方がミステリアスでわくわくするではないか。時はまさに南蛮文化が押し寄せてきた怒濤の時代でもあったし。


それから数年前に絵本出版社とのコラボで作ったポスター兼初夢枕下の「年末年始の図」がおもしろかった。
サンタさんが大きな袋と一緒に鯛をかかえていたり(恵比寿か大黒か)トナカイと鶴がいっしょにとんでいたり、サンタのソリなのか宝船なのかわからない乗り物があったり、、で、このポスターを折りたたむと初夢を見るときに枕の下に敷くとよい、といわれる宝船の絵にもなるという付録。

世間はクリスマスがすんだらすぐ年始の準備にあわただしい、屏風も出したり片付けたりはしんどいのでクリスマスから年始まで飾っておけるものを、、というのでクリスマスの意匠と正月の意匠がごっちゃになった年末年始屏風というのも描いておられるが、これはナイスアイデアだわ。



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間の休憩時間に、山本太郎画伯の画軸(これもバカンティマウス+雪舟、、のおもしろい絵だった)のかかる茶室で一服よばれる。
中にキラキラの錦玉、羊羹のちりばめられたきれになお菓子を作っているのが、知り合いの若い和菓子職人のMちゃんだったとはしらなんだ!!感激。



さて、ニッポン画のトークのあとはいつもの常の会メンバーによる仕舞と素謡の会。それに年末特別企画で茂山千五郎一門の若手による狂言も。


演目は「七宝充満の宝を降らし国土にこれをほどこしたまふ」のめでたさを言祝ぐ部分の「羽衣」仕舞、素謡「弱法師」「蝉丸」、狂言はこの会場のすぐ近くにある因幡薬師にちなんだ「因幡堂」(因幡薬師はしっていたけれど、これほど有名なお堂とはしらんかっった、、、)、因幡にちなんだ仕舞「松風」(因幡の山におふる松とし聞かば、、、)、最後にめでたくかしく、「金銀珠玉は降り満ちて」の「岩船」。

仕舞を習っていると、それぞれの型をプロがいかに舞うのか興味をもって見ることができるのでことのほか楽しい。
(ただいま「杜若クセ」を習っているのだが9分あまり、覚えられん〜〜)



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アンコールはお約束の「土蜘蛛」、金銀珠玉ならぬ蜘蛛の糸がみなさまの頭の上にふりかかり、、、盛況のうちにおひらきとなった。(お隣にすわられたのが、また偶然にもお茶友さんであったのにびっくり!)




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かえり道、クリスマスナイトはふけてゆく。




<おまけ>

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クリスマスコーディネート(?)




「茶碗の中の宇宙〜楽家一子相伝の芸術」〜京都国立近代美術館 - 2016.12.26 Mon

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これは毎朝の通勤時の眺め。
岡崎の国立近代美術館。ここでは珍しい茶の湯関係の展示はなんと!




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楽家歴代の茶碗がずら〜っと並ぶという、さらに楽家とも深い関わりを持ち当代の楽さんが憧れる光悦がまたずらり、乾山もあるよ、、、みたいな、夢のような楽家集大成。


楽美術館で見たことがあるものがたぶんほとんどだと思うけれど、同時に同一平面にこんなにたくさん並ぶのははじめてじゃなかろか。(少なくとも私には)
中でも長次郎がこんなにたくさんの大盤振る舞いにはびっくりだ。しかも本や雑誌によくのっている有名なやつばかり。

黒楽大黒、赤楽無一物、ユニークな四角いムキ栗、赤楽太郎坊の重文クラス、映画「利休にたずねよ」にウン百年ぶりに使われたことで有名になった万代屋黒(意外と小さくてかわいい)、これも映画「本覚坊遺文」でその名前を覚えたところの黒楽本覚坊、、、、

いずれもカセカセにかせた肌。
これに湯をいれると変わるんだな〜色が。ここでは望むべくもないが、先日の玄庵茶会ではおしげもなく所蔵の黒、古狐を使ってはって、あ、色が変わる、、、と思ったのだ。

使わないと茶碗もミイラになるが、楽はもともとほっておけば土くれにかえってしまうような脆弱さもあるので、なかなか使えないよなあ、、、。




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面影もあった。

いつも稽古場で使っている黒楽茶碗は一応面影写しということになっており、みんな茶碗の銘をたずねられるとそういっているのだが、全然ちがうじゃん!ほんものと。胴体にほんのり赤が入るのは同じとしてもこれも本歌はかせていることはんはだしい。ほんまに黒?赤と言っても不思議じゃないほどの色のぬけ方。

面影もそうだが、長次郎の時代にはそもそも赤楽と黒楽の区別があったんだろうか。札に「黒楽」と書いてあるから黒なんだろうけれど、赤楽といわれてもそうかな、と思うような茶碗がけっこうある。特に茶筅すれのはなはだしい内側なんかどうみても黒くない。それに長次郎の赤は赤と言うより渋渋のベージュ〜茶色、いわば土色だしなあ。




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あとは歴代の茶碗がならぶのだが、あ、ここからはっきり違う!というのはテラテラ光る釉薬がいきなりでてくる道入=のんこう。はっきりここから時代がかわるんだ、とわかるような展示方法。
そして道入への影響をかなり与え、交流のあった光悦の茶碗までならぶのはうれしすぎる。名碗雨雲はじめ楽さんが一番好きだとおっしゃる乙御前(これ五島美術館まで見に行ったなあ、、、、)

6年前、当代の還暦記念茶会へ参席したときにはじめてお披露目された白い光悦「冠雪」(益田家から預かり状態でそれまでどこにも公開されていなかった)当代の御命名、手にとらせてもらった記憶がある。それ以後時々あちこちで展示されているのを見たが、ここでもまた会えた。


あとは右が凸、左が凹になっている印象深い五代宗入の亀毛、五岳がここから始まった七代長入、篦づかいの九代了入、当代の父上十四代覚入の作品のなかに当代のあのアバンギャルドな焼抜き作品の萌芽を見る。

一番多い展示は当代の焼抜きシリーズだが、これはお茶的にはどうなんだろう。むしろオブジェとして見た方がいいのかもしれない。どちらかというと当代もオーソドックスな茶碗の方がええな。

そして次期・吉左衛門の篤人さんの作品。オーソドックスでちょっと好きかも。まだお若いのでこれからどのように変化成長して行かれるのか未知数だが、いずれにせよ楽家は安泰だわ。




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当代は、父上が亡くなった61歳をとおり過ぎられ、いよいよ次代へ繋ぐ準備を意識しはじめはった、そのための集大成なのかな、と思えるような見事な展示であった。


新年そうそうに、ここで開かれる楽さんの室礼による立礼席に参加予定(券はゲット!)。それもまた楽しみにしつつ今年の美術館めぐりをここでしめくくり。





好日居・茶ノ教室夜会〜クリスマス2016 - 2016.12.25 Sun

今年最後の好日居茶ノ教室夜会はクリスマスがテーマ。



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部屋の中になんたる存在感!の、、、やっぱりこれはクリスマスツリーの変形?といっていいのかな。インド・ネパールで使われるシンギングボウル(おりんの大きな物?)と、麻縄の編んだもののコラボ。



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すっかりクリスマスの室礼、クリスタルの下に敷いた赤いランナーは、、、なんと博多帯なんだそうで。真っ赤な博多帯はこの歳でしめられるわけないが、そうか、こういう使い方が。


最初のお茶は古樹紅茶、この丸い包み紙が茶葉。



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紅茶にしては珍しい緊圧茶みたいに硬くまるまってます。




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いれてもらうのは(私も同じ物をもっているところの)小谷真三さんの倉敷ガラスの杯。微妙なゆがみと大きさの違いが実に味がある。う〜ん、、ストロングな紅茶!
中国茶の紅茶は一煎だけでなく、何煎もいれられるのが西洋紅茶とちがうところ。




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二煎目をいただきながらつまむ本日の菓子は、、、




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季節柄、シュトーレンと抹茶プラリネ、ドライドラゴンフルーツ、そしてスプーンにのったこのすっと口で溶ける仄かな甘さのお菓子は、、、ソーンパプディ。インドのスイーツ。飴をギーといっしょになんども伸ばして糸状にして香料をいれたもので、韓国の街頭で製造販売している「龍の髭」と作り方はいっしょなんだが、おいしさではこちらに軍配があがる。



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三煎目からスパイスティーにする。
投入するのはシナモン、クローブ、リンゴ、オレンジ、生姜。




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最後に杯に氷砂糖を投入する。ピキーン、ピキーンとグラスの中で氷砂糖が割れるかすかな音がここちよい。

これなら自宅でもできそうだ。生姜も入っているので体がほかほかしてくる。




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あ、おもたせの干菓子がでてきた。亀屋良長とSOUSOUのコラボのクリスマス期間限定のかわいい干菓子。




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この小さな金平糖みたいなのが金平糖でなくて口でふわっとつぶれる粟みたいなものでおいしい。



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次のお茶は老年普洱茶。
プーアールは独特の黴臭がけっこうやみつきになる。赤と緑のクリスマスカラーの杯でいただく。



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三煎目でこれもチャイにする。投入するのは生姜にスパイス、ミルク、そしてゴールデンシロップ。サトウキビやテンサイから作られるシュガーシロップでイギリスではどこの家庭にもあるとか。美しい黄金色をしていた。プーアールでチャイ???と最初思ったけれど、全然臭みがなく、最後のあとくちでほのかにプーアールとわかる、、、という複雑なおいしさ。




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その間にまわってきた胡桃とくるみ割り。それぞれ1つずつ胡桃をパリンと割る(これがなかなか簡単そうでむつかしい)



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そして本日の点心は臘八接心にちなんだ臘八粥。
仏様がさとりをひらいた12月8日(臘月八日)の成道会に振る舞われるナッツたっぷり、栄養たっぷりのお粥です。

今回中にはいっているのは、餅米、紫米、大豆、小豆、栗、粟、蓮の実、生落花生、胡桃、棗、百合根。
これだけでもうお腹一杯の大満足。




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最後のお茶は香り高い広東省・鳳凰単叢茶。
香ってよし、飲んでよし、最後に杯の聞香、またよし。私は最後に杯の残香をきくのが一番好き。



さて、これでいったんおひらきになったのですが、、、、いつもご一緒している若い男性が自作の煎茶盤(?)をつくってきたと。で、初お披露目。



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きゃ〜!!これはなんだ(◎-◎;)!!

ギターを改造してつくった盤。胴体の穴の所には建水がセットされていて、ネックの上に杯が並ぶよう、フレットを削って作ったんだと!!すばらしい独創性!

自称「さすらいのギ茶リスト」!



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、、、、というような、楽しいひとときをみなさんで分け合い、夜もふけてゆく好日居を辞しました。
よいお年を。




「107年の謎〜プサン迫間別邸の調査記録」木津宗詮(当代)・著 - 2016.12.22 Thu

武者小路千家の宗匠筋・木津宗詮家は初代が松平不昧公に師事し、その後武者小路千家八代一啜斎の門下となったことから始まる。

一番有名なのが、のちに一代限りの宗泉名を貞明皇后から授かった三代目宗詮(聿斎・いっさい)、明治から昭和戦前に茶人としてより、むしろ数寄屋建築家・造園家として活躍した人である。
私でも知っているのは、大宮御所に貞明皇后の命で作った茶室・秋泉亭の設計。後に淡々斎が好んだ秋泉棚(楓の透かしのあるやつ)もこの茶室の名に由来して作られた。


今回当代(七代)宗詮宗匠が上梓しはったこの本によると、宗泉が設計したのはそればかりではなく、よく知っている茶臼山の住友家・慶沢園、ご近所南禅寺畔の看松居(レストラン桜鶴園の中)、奈良高畑・山田安民(ロート製薬創始者)邸棲霞園、延暦寺大書院、興福寺茶室・静観寮、四天王寺茶室・払塵亭、、、などなどなんだかすごい人だったんだ、なんで今までしらなんだ、とびっくりする。


しかも茶人としては、一時武者小路千家家元を預かっていたという功績がある。先代がなくなり当時10歳だった武者小路千家12代(後に愈好斎)が表千家にひきとられ、後に成人して再興するまでの間、家元預かりだった(大阪最後の数寄人財閥といわれる)平瀬露香・息子の露秀からさらに預かったわけである。



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そんな彼が設計した数寄屋のひとつが、現在韓国・プサンにある。迫間房太郎別荘である。時代はおりしも韓国併合(1910年)直後のこと、そういう時代を背景に考えるとさらにこの数奇な運命をたどったこの建築の物語がおもしろい。

そもそも木津家に、聿斎が書いた迫間邸の図面が残っていたことから話ははじまるらしい。当代が聿斎が設計した建築の記録を残していく中で、時代に流され失われていく物、原形をとどめぬ物がいかに多いか、これは今のうちに可能な限り記録に残しておかねばと思われたそうだ。

中でも今年夏に、韓国における文化財指定をはずされ、いずれホテルに建て替えられるらしい迫間邸に関しては記録するには喫緊のタイミング、ということで急遽調査チームを組むことになり、その顛末を書かれたのが本著。



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(出版記念会)



現在旧迫間邸は東菜別荘という名の宮廷レストランになっている。戦後アメリカ軍に接収され、のちに民間払い下げ、高級キーセンハウスとなったりレストランになったりしているうちに改修、改装がかさねられ、一階部分は当時の面影はないそうだが。

ちなみに迫間房太郎という人はプサンで起業し大成功を収め、朝鮮一、二の大富豪になった実業家。(残念ながら歴史的軋轢国民感情もあり、韓国では評判わるいらしいが)

その調査をするのに、当代の獅子奮迅のマンパワー集めは講演会を聞いていてすざまじいものがあり、これだけ短期間にこんな各界のプロフェッショナルを招聘できたのはご人徳のたまものに他なるまい。
建築家、都市研究家、工務店、数寄屋大工、造園家、通訳、韓国の学生、、、などなど。中には当日初めましての方もいたというから、その緊急ぶりは推して知るべし。しかし、、、すごいメンツ!よくこれだけ集まられたものだ。


東菜別荘のオーナーとの交渉も現地の学者さんなどの尽力もあったらしいが、許された時間は約4時間、(しかも30万円要求されたらしい)この時間で、敷地3000坪、建坪200坪の調査を約20人で可能な限りおこなったという。皆が、この日本から来て、彼の地に歴史に翻弄されつつ残る数寄屋建築の記録への、なみなみならぬ情熱を持って、同じ方向を向いておこなったからできた離れ業だったのではないだろうか。

本によせられた調査に加わった人たちの証言はよんでいてその濃密さや時間との戦いの緊迫感が伝わってくる。



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(公演中の当代宗詮宗匠)



まず一番にしたことが棟札を発見すること。見つかった棟札(よく残ってたな〜〜)には昭和3年の上棟と書かれ、聿斎が設計した以後の増築であることがわかったらしい。(聿斎がこの建築のため渡朝したのは明治の末)
昭和3年と言えば、翌年、この屋敷が東本願寺大谷法主、数ヶ月後に閑院宮載仁親王の宿所になる晴れがましい時代の直前である。

調査内容は本著に詳しい。

撮影した文字通り無数の写真の解析で現在の建物の図面を引き、オリジナルの聿斎の設計図と現在のどこが重なり合うのか検討する。気が遠くなるような作業に思われる。

庭の植栽やこれも無数にある石造物、灯籠などの由来(日本製?朝鮮製?などもある程度判明)などもかなり専門的に記録、調査、され、かつての屋敷の姿が浮かび上がってくる様は圧巻。携わった方々の執念、情熱が熱い。



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これは記念会の呈茶席でだされた韓国にゆかりのあるお菓子(鶴屋製)。
銘を「松花(まつはな)」。
中の餡に、韓国でよく食される松の実の刻みが入り、上の黄色い粉は松の花粉とか。


この調査の前後、どうしても手に入らない物があった。迫間家の人々が暮らした時代の別邸の写真だ。

いろいろ手を尽くして(韓国の資料、占領していたアメリカにまで問い合わせ)さがしたにもかかわらずでてこなかったのだそうだ。最後に住んでいた迫間家の人々も、日本に帰ってきていたときに終戦を迎え、別邸に帰ることかなわず、アルバムさえ持ち出すことができなかったのだそうだ。(戦後別邸は略奪にあい、クッション2つ以外なにも残されていなかったとか)

ところがこの本の出版の直前、房太郎の直系のお孫さんがご存命で、奇跡的に連絡がとれたこと、房太郎の弟のお孫さんとも出会えたこと、であんなに探していた写真がでてきたのだ。大谷門主と房太郎の家族が、もう一枚には閑院宮と一族が、幻の母屋の前で記念撮影した写真が!
執念が実現させた感動的な瞬間であっただろうと推察申し上げる。

かくしてそのため、出版が遅れたそうだが、かえってよかったことになる。
運命は切り開くことができるもの、、、なのかもしれない。


現在の日韓関係を思う時、複雑微妙な気持ちになるのだが、そのはざまで消えていこうとする1つの歴史におおいな餞となる一冊であった。




「この世界の片隅に」〜こうの史代〜2009年のブログから再び - 2016.12.20 Tue

こうの史代さんの「この世界の片隅に」がアニメ映画になっているそうだ。

こうの作品が好きで単行本はほとんど持っているが、なかでも一番好きで良い作品がこれだと思う。

7年前、そのレビューを旧ブログに書いた。映画ができたので久々に読み返して、またいろんな人に知ってもらいたくて再掲してみる。


機会があれば是非、本でも映画でも見てみてほしい。




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8月、、、というと6日の広島、9日の長崎、15日の終戦記念日、ある程度以上の年齢の人なら戦争のイメージをもっているのではないでしょうか。

私はもちろん戦後の生まれではありますが、物心ついた頃に、まわりには戦争のことを語る大人はまだ多くいました。

いまでは戦争の語り部も少なくなり、残念ながら若い世代には遠い夢の国の話に風化しつつあります。

こうの史代さんを知ったのは2年前夕凪の街・桜の国という、戦後10年たった広島、最後には原爆症でこの世を去る娘と、さらに現代に生きるその姪のことを描いた作品を読んでからです。

とてもいい作品で、映画にもなったそうですが、決して原爆の物理的な悲惨さを声高に語った物ではありません。

被爆していつ発症するかわからない原爆症の恐怖をかかえながらも、全く肩に力を入れないで自然体に、少しとぼけたような日々を送る主人公の日常をていねいに綴っているだけなのです。

だからよけいに、彼女の死を暗示するラストが、原爆が人類になにをしたのか、、、を問いかけてくるような気がするのです。

そしてこうのさんの新しい作品、「この世界の片隅に」、これもまたとてもしみじみ心にしみてくる良い作品でした。

昭和9年から終戦の20年の年の暮れまで、主人公すずの広島での子供時代から、呉へ嫁いで北條すずとなってから、、、昭和の暮らしがていねいに描かれています。

こうのさんの描く女の子はとてもかわいくて、特に小さなおかっぱ頭の女の子が照れて笑っている姿はもう、抱きしめたくなるくらいいとしいのです。

すずは絵を描くのが好きで、どこかとぼけた娘で、今の言葉で言うといわゆる「天然(ぼけ)」でしょうか。

呉に住む夫となる北條周作さんとの子供時代の出会いはじつはとてもシュール、、、かつラストの伏線にもなっています。(まあ、これはネタバレになるので読んでね)

周作さんに望まれて、若くして嫁に来たすずは義父母、叔父叔母、そして近所の人たちに温かく迎えられます。

ちょっととぼけてて、たよりなく不器用なところがほおっておけないのでしょうか。


時代は戦争へとつきすすみ、呉は空襲爆撃をうけるようになります。

毎夜防空壕に逃げ込んだり、町にがれきや死体が転がる状況下においてもなお、すずはユーモアやおもいやりを忘れず、自然体で生きていきます。

食糧難で道ばたの雑草を使った楠公飯という超!まず〜い代用食の作り方や、落ち葉を焦がしてこねて作る代用炭団(たどん)の作り方や、着物からもんぺを作る作り方。こんなことまで描かれています。

これは生きた戦争中の昭和文化史にもなっています。

(作者はもちろん若い方ですので、お年寄りから聞いた話で描かれているのですが、もしまちがったことを描いていたら訂正してください、というコメントをつけてはります。)


さて、いつしか北條の家で自然に家族の一員になったすずですが、ただ一人、出戻りの義姉さんだけはちょっと意地悪。
でも私は全編をとおして、この義姉さんとすずの関係が変わっていくところがとても好きです。

嫁いで若くして夫に先立たれ、跡継ぎの息子は婚家にとられ、幼い娘の晴美をつれて帰ってきた義姉さん、すずのぼ〜っとした垢抜けないところが気に入りません。

ある日、「お母ちゃんの具合が心配で周作の結婚をせかしたけれど、わたしがずっとおりゃ嫁なんぞまだいらんかったんよね。、、、すずさん、あんた広島へ帰ったら?」

と暗に離縁をほのめかして義姉さんは夕食時にみんなの前で言います。

すずは天然(?)ですから、「ええんですか?(里帰りしても)」と逆によろこぶ勘違い。

ところが義父母までが「ほんまじゃ、気がつかんでわるかったのう。径子(義姉)も言うとるし、2,3日ゆっくりしてくりゃええよ。」と勘違い。

それだけ、すずはもう北條の人間になりきっていたのですね。「ありがとうございます!!おねえさん」と逆に感謝され「そ、、そりゃよかった、、、」と言うしかない義姉さん。悪い人じゃないのですよ。でもその顔がおかしくて。

それにしても里帰りしてうたたねをし、目覚めて「あせったあ、、呉へお嫁に行った夢見とったわ!」と、ぼけるあたりさすがすずです。母親にほっぺたつねられてましたけどcoldsweats01

戦況が悪くなる中、口ではきついことを言ったりしつつも、義姉さんはすずをなにかとかまってくれます。
義姉の娘、幼い晴美ちゃんは、すずによく遊んでもらいすっかりなついています。

ところがある日、投下された時限爆弾の炸裂が、すずの絵を描くのが大好きだった右手と、その手をしっかり握っていた晴美ちゃんの命を奪ってしまうのです。

「あんたがついておりながら、、、人殺し!晴美を返して!」

傷を負ったすずに義姉さんは、つめよりますが、心では決してすずを恨んではいないのです。どこにもぶつける場所のない思いを叫ぶことで少しでも紛らそうとする、せつない場面です。

広島から、すずを見舞いに来た妹は「家のことができんかったら、北條の家におりづらいじゃろう。広島にかえっておいでや。」といいます。

晴美を死なせてしまったこと、周作さんが結婚前につきあっていたらしい赤線(わからない若い人はしらべてね)の女性りんさん(すずはこのりんさんとも友達になっているのですが)のことで周作さんとのあいだにできた小さなわだかまり、たびかさなる爆撃、、、、耐えきれず心が弱くなったすずは、実家の広島にかえることを決意します。

たとえ「すずさん、わしは楽しかったで。この1年、あんたのおる家へ帰れて。あんたと連ろうて歩くんも、たらたら喋るんも嬉しかったで。あんたは違うんか。」と周作さんに言われても。

その運命の8月6日の朝。片手で不自由そうに荷物をまとめるすずに、口ではきついことをいいながら、自分で縫った、片手でも着られるもんぺを渡す義姉さん。

そしてすずの髪を梳いてやりながら、、、

「こないだは悪かった。晴美が死んだんをあんたのせいにしたりして。」

「周りの言いなりに知らん家へ嫁に来て、言いなりに働いて、あんたの人生はさぞやつまらんじゃろう思うわ。
じゃけえ いつでも往にゃええ思うとった。ここがイヤになったならばね。」

「ただ言うとく。わたしはあんたの世話や家事くらいどうもない。むしろ気が紛れてええ。失くしたもんをあれこれ考えんですむ。」


「すずさんがイヤんならん限りすずさんの居場所はここじゃ。くだらん気兼ねなぞせんと自分で決め。」

そしてすずは、、、「やっぱりここへ居らしてもらえますか」

腕にすがりつくすずに、義姉さんは「わかったから、離れ!暑苦しい」と口は相変わらず悪いですが、うれし涙です。


その時、、、、、、、、

「、、、?、、、なんかいま光ったね?」


、、、、、、、はるか広島の空で炸裂した原爆の閃光が呉にも届いたのでした。

そして終戦。

広島の実家のすずの母は爆心地で亡くなり、母を探しに行った父は数ヶ月後に原爆症でなくなり、妹は親戚のうちでふせっていました。腕には出血斑がつぎつぎと。彼女はすでに重い原爆症を発症していたのです。

「すずちゃん、うち治るかねえ、、、」

「治るよ、治らんとおかしいよ、、、」

これもせつない場面です。

妹を見舞うことが出来たすずと、迎えにきた周作さんは、家に帰る前に小さな原爆孤児の女の子にであいます。

「あんた、よう広島で生きとってくれんさったね。」

二人はこの子を呉へ連れて帰ります。北條の家族はなにも訳など聞きません。すんなり事態を受け入れます。

そして、最後の一こま。

義父母は「とりあえず風呂かのう。」「ものすごいシラミじゃ。大鍋に湯う沸かし!着とるものみな煮るで。」

叔父叔母は「明日米軍へ連れて行き。DDT(わからない人は調べてね)をまぶして貰うたらええわ。」

そして今は亡き娘の遺した洋服を引っ張り出して「晴美の服じゃ小まいかねえ、、、」と早速思案する義姉さん。

家族がまだ家族でありえた時代のお話。


自己中心的な人が次々おこす事件、家族は求心力を失い、地域では他人のことにお互い無関心。
当座は戦争の心配もなく、物も豊かにあふれている今という時代が、決して幸せな時代ではないことをあらためて思います。

やわらかい、私には近しい広島弁(私は岡山弁speaker)、こうのさんのやさしく暖かい絵、この家族の暖かさにいやされながらも、悲しみを感じるのはその背景に色濃く陰をおとす戦争のせいなのでしょう。

決して声高に戦争の悲惨さを訴えてはいません。でも確かに反戦の思いを心に種まく作品だと思います。



(2009年8月5日の旧ブログ記事再掲)




粉もん茶事〜楽々荘 - 2016.12.18 Sun

一昨年、ご亭主の55歳の賀の茶事、Go!Go!中途半白茶事では、あまりのお道具に圧倒され、昨年の56歳の賀、根來ごろごろ利休にたずねなくていい茶事でその数寄者ぶりに圧倒された、亀岡楽々荘ご主人の、57歳はそれにかけて粉もんやな、とごろごろの時から言っておられたのですが、とうとう今年、やっぱり粉もん茶事でした〜♪




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20日以上かけてお茶のご友人をお招きなさる、100人こえるんじゃなかろか。その末席に参席できたこの上ないうれしさ。しかしながらそれゆえここに内容をばらすわけにはいかないのです(^◇^;) ナイショ、ナイショ。

だいたい私より前に参席された方がいろいろアップされているので、これは見ちゃいかん、見ちゃいかんとなるたけスルーする努力を。




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当日はあいにくの雨、、、、と思いましたが、なんのなんの、雨の茶事ゆえの美しさと楽しさが待っておりました。




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そう、雨笠。急遽ご用意いただいたようです。
(あ、タライラマ氏のブルーのプラタライもすてきだったですよ^_^;)



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なにより散り紅葉のしっとり雨に濡れた美しさは、雨でよかった、、、と思わずにはいられません。



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ご準備いただいた露地下駄もよい景色。

待合の軸はこれはこれしかないと思われる、ご亭主を数寄の修羅道(?)に導いた益田鈍翁の「茶狂」。
(ご亭主は茶狂会という月釜もされている)いやまさに、茶の道にここまで鬼気迫って精進されている方を私は他にしらない。



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ご亭主の迎え付け。どんな粉もんになるのか期待がふくれあがります。



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笠で席入り。笠の使い方はほぼマスターしたぞ。


炭出前は小間の其中庵にて。またまた炭道具一式、なんと釜敷(最高〜♪)にいたるまで数寄の道具のオンパレードに最初から感涙を(心の中で)流すのでありました。その中には、海外のお土産物としてもとめられたものなどがあったりして、これがまたスパイスになって良い味出していました。

花の白玉椿に添えられた蝋梅の蕾がかわいらしく、梅に先駆けて咲くあの蝋梅の芳香が脳裡によみがえったよう。




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広間での懐石は、今年も富山の万惣さん。(今年懐石協会をたちあげはりました)この方の研究熱心さと茶を主ととらえた一歩控えた懐石がすばらしいのです。この懐石の中にいくつかの「粉もん」キーワードがかくれていました。(言えないけど、、、(^◇^;) )ああ、あの焼物の器の迫力!(言えないけど、、、)

石杯はまさんど窯こと、サラリーマン陶芸家、平金さんの井戸のミニチュア版のぐいのみをチョイス。お酒(大阪の秋鹿、めちゃうまし!)


八寸が、、、千鳥が、、、、どういう発端だったのかはさだかでないものの、なぜか懐かしの洋の東西ロック大会になったのは最高に楽しかった。千鳥の時にご亭主にもとめられると普通お謡を披露することが多いし、しかも能楽師のお家の方がいらしたのにも関わらず(!)
そりゃ、私はやっぱりQueen でしょ!でも酔っ払いすぎて「Killer Queen」の歌詞が最後まで歌えなかったのは悔しい。ジャズとか、ちょっと年代が違ってしらない歌も、あとご亭主のEXILEまでもとびだし、大笑いの千鳥とはなりました。(他日サザエさんの替え歌で終わった会もあったそうです)



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粉もんにちなむ主菓子をいただいて、中立、後座のころにはすっかり暗くなっていました。

再び小間に帰り、燈火のもと、静かに練られる濃茶。
外は夜の雨の音、小間には釜の煮える音、茶筅の音、、、お茶はほんとうに五感の楽しみ、短い時間ながらそれはとても幸福なひとときでした。

ああ、あの濃茶の茶碗ときたら!絶妙のサイズで床におさまるあの軸ときたら!


美術館、博物館級のお道具をもつことは普通の人にはできることではありません。しかし、いくら財産があっても、茶をやらない人にはただの土くれみたいなものにそこまでつぎ込む、というあたり並々ならぬご亭主の覚悟を感じます。(「命かけてる」というのが言葉のあやでなく)



かわって薄茶はなごやかに。
干菓子がまたクスッと笑える御趣向で、これもおおいに受けておりました。


ありがたいことに御連客はほとんど知り合い、という楽しい客組で(ご亭主に感謝)、千鳥も楽しかったし、待合での時間も楽しくおしゃべりがはずみました。ほんに心に残る一座建立、ご亭主のみならず皆様に感謝です。



堺に利休の面影をもとめる - 2016.12.16 Fri

乙女の茶事のあと、せっかく堺に来たのだから堺の町の利休ゆかりの場所をたずねてみよう。

堺は言わずとしれた利休のふるさと、そして桃山時代の茶人達が活躍した場所でもある。それでもなかなか堺まで足がむかなかったのは、現在の堺ではそれをしのぶよすががほとんどないからなのだった。

ところが堺市もこれではイケナイと思ったかどうかしらないが、こんな施設をつくらはったのだ。



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さかい利晶の杜
堺出身の千利休、与謝野晶子を顕彰して堺の歴史に興味をもってもらおうという観光施設で昨年オープン。




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千利休パートはなんと三千家の肝いりなので、お茶をやっている人にも十分楽しめる施設になっている。もちろん経験のない人はより興味をもってもらえるのではないだろうか。

これは表、裏、武者小路の三千家それぞれの茶室で、中で茶道体軒もできる。かなり利休パートに力入っている感じ。(というか、いままで利休をフューチャーした施設なさ過ぎだよな、堺市)



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せっかくだから裏千家の風露軒を撮影。とても近代的施設の中にあるとは思えない立派な数寄屋。どこかのお屋敷の中にはいったみたいな気分。



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西江軒、これ表さんだったかな??茶の湯体験と行っても茶室とは言えないようなところでちょこちょこっと、、、という施設が多い中、こんなところで体験したら、絶対お茶やりたくなるんじゃないだろか。



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大山崎にある利休の茶室・国宝待庵を写した本格的なさかい待庵の体験もできるが、こちらは予約が必要なため残念。




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立礼席の南海庵(南宗寺の和尚さん命名)。
この日のご担当は武者小路千家。ちゃんとお点前もされ、茶道初心者への解説もあり、なかなかここまで本格的な呈茶が楽しめる施設は京都にもないんじゃないかしら。



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お菓子をいただきお薄一服よばれる。



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お茶碗の模様は利休屋敷跡の椿の井の模様。

ではその利休屋敷跡へいってみよう、、、、って利晶の杜のすぐお隣(^_^;




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おお〜!!
なんかいつのまにか竹垣ができてりっぱになってる!!ここ、以前はなんのへんてつもない空き地に井戸の後があっただけなんだよ。利晶の杜オープンあわせて整備したらしい。解説のボランティアさんまで駐在。



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利休遺愛の椿の井。
ただしそういう言い伝えは他の場所にもあるのではっきりとはしないらしいが、そう思えばまた楽しいではないか。




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これは屋敷跡から利晶の杜をふりかえったところ。文化財、観光資源としての利休の活用法にようやく気づいたか、堺市(*^^)v


ここから20分ほど歩いて、やはり利休ゆかりの南宗寺へ。



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とちゅう堺のお菓子と言えばこれよね、のかん袋さんでくるみ餅を買う。



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人気なのでけっこうお待ちの人が。この寒いのに氷くるみ餅(文字通りかき氷が上にのってるやつ)を食されている方も。くるみは胡桃ではなく、餅をくるむ、からきているそうでくるんでいる餡のレシピは門外不出なのだそうだ。



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さて、臨済宗大徳寺派・南宗寺。
夕暮れ時で本堂とかにははいれなかったけれど、広い境内を歩く。



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重要文化財の山門〜甘露門とも。


開山は大林宗套、当地の支配者であった三好長慶の依頼による。武野紹鴎、千利休が禅の修行をした縁の寺で、いまでもここでは月釜や利休忌の茶会などがおこなわれている。いままで利休がらみで堺へ行きたい、と思ったのはこの南宗寺の存在だけだっな。




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利休の生きた時代、奈良の今井町と畿内の富を半分にしたといわれるほど栄え、また力をつけた町衆の茶の湯への傾倒がいちじるしかった堺の町の雰囲気は今はもうないが、それでもここのお寺の境内を歩いていると、当時の雰囲気を想像できるような気がする。




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この奥に月釜などおこなわれる茶室があるのだが、当然しまっていて、近づいたら防犯ブザーがなったので(^◇^;)あわてて退去。



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さきほどの利休屋敷跡にもあった椿の井がここにも。



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山上宗二の供養塔まであるんだ。




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おや、もう月もでてきた。そろそろおいとましよう。




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帰りは阪堺電車で。
狭い両脇に家が建ち並ぶ線路をはしることで有名なチンチン電車だ。



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あ、来た来た。
これで天王寺まで約40分。こんな長い距離を単一料金ではしる路面電車を他にしらない。




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帰宅して、今日一日の楽しかった茶事や堺散歩を思い出しながら、もちかえったくるみ餅を食す。一見ずんだのようだが全然ちがうのよ。美味美味!



<おまけ>


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これは他日堺の某ホテルで講演会を聞きにいったときのもの。
部屋の名前が「利休1」とか「利休2」とか。
だれかが「利休1000はないんですかねえ。」とナイスリアクション!


北野天満宮御土居の紅葉2016 - 2016.12.14 Wed

しつこいと思われるのも承知の上、これで本当に最後です。ほんまに今年最後の京都の紅葉レポート。あんまりきれいだったのでゆるしてくだせえm(__)m



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京洛でもちょっとばかし遅めの紅葉が続くので、公開の日程延長した北野天満宮、御土居の紅葉。

まずは本殿裏の摂社、明月舎近くのイチョウの落葉。この屋根に積もった景色、今年もなんとかぎりぎりセーフ。




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かつて天満宮と言えば梅だけで、紅葉は有名じゃなかった、、、というかなかったのかも。境内の脇を流れる紙屋川沿いの御土居の跡を整備して公開するようになってからだから、けっこう最近のはなし。



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はは〜ん、、、これだな。今年から曲水の宴をするとて新たに作ってしまった人工の流れは。




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それはさておき御土居の紅葉苑へ。最盛期には呈茶もあってもっと人が多かったのだろうけれど、紅葉のフィナーレの時期にあたって人は少ない。




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おお!
まだまだ美しい紅葉かな。



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桜も散り始めた花吹雪が美しいように、散り紅葉もまた美しい。この最後の時期でよかったかも。



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紙屋川にかかる橋の周辺も、、、



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まだ新しい落ち葉はよい香りがする。このふとんにくるまってみたいな。



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風がふけば、頭と言わず肩といわずふりかかる散り葉。落ち葉を雨にたとえた歌もあったよな。

(「秋の夜に雨と聴こえて降りつるは風にみだるる紅葉なりけり」紀貫之)



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肩にとまった落ち葉。




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これは思わず息をのんだ。

紙屋川の両岸が赤くなっている!



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網膜に焼き付けるのは赤・赤・赤・黄・赤、、、のグラデーション。




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最後に老松さんの紅葉苑だけの特製菓子「大茶湯」をあたたかいほうじ茶とともに。味噌餡を巻き込んだ利休さんの時代の麩の焼きを模したお菓子であった。


我が家の紅葉は遅い紅葉で、まだがんばっているけれど、とりあえず紅葉の話はこれで最後。秋の都の錦、今年も堪能できました。おつきあい、ありがとうございました。



一客一亭〜乙女の茶事 - 2016.12.13 Tue

乙女の茶事におまねきいただきました。場所も利休さんゆかりの堺にて。しかも一客一亭というぜいたくな。


前日は夜咄の茶事、今日はこの一会のあとダブルヘッダーで夜の一客一亭もこなすという、、、麗しくたおやかな乙女は実はタフな乙女でもあったのです。



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小学校の頃から通っていた、とおっしゃるお茶の先生のお家をお借りしての茶事、堺のこのあたりは戦災で焼けなかったそうで、このお屋敷も古くて重厚で萌えるツボが満載。

待合の茶室で前茶をいただき、何本も木がうわっている庭の露地をとおりぬけて四畳半の茶室へ。



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茶室の入り口ではこんなモノもお迎えくださりました。(萌えるわ)



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お屋敷の中にひっそり隠されている呈の茶室はよく見ると、材や建築技法にさりげなく凝っていて、できれば建築士の解説付きで席入りしたいような茶室でありました。躙り口はなく、貴人口ともいうべき障子戸から入る光はやわらかく変化し、室内は明るくなったり暗くなったり。


ここで子供の頃から自分のお稽古がおわっても居心地がよく、ず〜っと他の人のお稽古を日が暮れるまで見ていたのだそうです。つい頭の中で小学生の時の彼女を想像してしまいました(^_^; お菓子をだされてうきうきしている様子とかも。

そんな先生との出会いが彼女をお茶専門の勉強の道に導いたのでしょう。人生の長さは三倍近く私いってますけれど、茶の道の濃度の濃さでは彼女の方がはるかに先輩なのです。




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炭手前のあと、懐石の間に火はよく熾って、釜はごうごうと音を立て湯気が渦をまく。この火を見るのが炉の季節の一番の楽しみ。
お手製の懐石、一客一亭は膳をお持ちだしになりますが、水屋人員なしなので給仕もし、料理のアレンジもし、席でのお相伴もし、、、八面六臂とはこのことか(◎-◎;)

ななめ差し向かいでさしつさされつ、かなりのウワバミでいらっしゃるので、石杯と徳利が居酒屋の雰囲気、私も酔い気分でハイテンション、しゃべるわ食べるわまあ忙し楽し。ついに別杯として遊興盃*なるものまで出てきて、お互いに一番でかい盃が当たり、飲むわ飲むわ、さらに重ねる酒の盃 ♪飲めども尽きずくめどもつきせぬ〜〜宴は最高潮、これぞ一客一亭の醍醐味!

(*遊興杯:サイズの違う盃3〜5個がマトリョーシカみたいな入れ子になっていて、サイコロの出た目で決定したサイズの盃で酒を飲む。中には歌を歌う、という目もあるよ)




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お手製の懐石は煮物椀の蕎麦饅頭がおいしくて。そばがき大好きな私としてはうれしい献立、そうか煮物椀にもできるんだ、と学習。蛸の出汁がよくきいたおでんも冬ならではのごちそう、これも懐石になるし、むしろ一客一亭のときは鍋ごともちだしてとりわけるのがよい感じではないか。

懐石をおいしく頂戴した後はこれもお手製の百合根きんとんの雪餅!




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中立の後の後座は早くも傾き始めた冬の日でやや暗くなった茶室に燈火をともして。
乙女、かなりお点前豪快です。すがすがしいくらい。

お茶が好きで、お茶に関わる仕事もなさりながら、京都のお茶仲間とあちこちで釜をかけておられる(せんだっての新旧乙女茶会もいっしょにさせていただいた)。

その茶会がお金はかけないけれど手間をかけ、アイデアをもりこむ、かつ正統派の王道勝負の茶会。将来はこんなことをしたいという夢もお持ちなのです。まだ二十代前半の若さゆえ、これから先に無限に広がる時間と可能性がまぶしくってしょうがありません。(ゆく先々まで見とどけるほど長生きはできそうもないのが残念だわ)

まだお若い分数少ないご自分の道具と、先生の道具をバランスよく配置して、堺という町の雰囲気も楽しめる道具組でした。それにしてもいいお道具を、そして最大の茶道具の茶室をこうして使わせてもらえるなんて、どれだけの師弟愛なんだ、とうらやましくもある師弟関係が垣間見られて、これも印象深いご馳走でありました。




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茶室から出るときにかえり見た畳にできた光の模様の美しさに感動しつつ、乙女との一客一亭の茶事はおわりました。あ〜楽しかった!!

茶を通じてでなければ、娘より若い人とこんなに楽しい時は共有できないと、そう思います。茶の功徳に感謝、そして、これからどんどんいろんな方向に発展していくであろう乙女の未来を、こちらの寿命が続く限り楽しみにしております。








晩秋栂尾高山寺 - 2016.12.11 Sun

了徳寺で周山街道の入り口まで来たからもう少し足を伸ばして久々に学生時代夏合宿してた高山寺にいってみようと思う。今年の青楓の頃、高雄神護寺まで行ったが、高山寺はスルーしてたしな。

調べてみたら前行ったのは5年も前になる。修復なった高山寺の茶室遺香庵初公開の時以来かもしれない。



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高山寺裏参道の入り口にある市営駐車場はピークの時だけ料金をとる。だから今はいくら停めても無料。しかし、、、だれもおらんな。おそらく紅葉のピーク時はすごかったと思われる。



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お向かいを流れる由良川のほとりで、さきほど食べ残した大根焚きのお斎を食べきって、さあ、裏参道から入山しよう。




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地面が赤い。おそらくもう少し前は赤の色も鮮やかだったと思われるが、枯れてきてしまってる。まあ、そりゃあ紅葉が最高に綺麗なときに訪れればいいのだけれど、あとで石水院の方にきいたら一日1000人が来られたと言うから、、、ちょっと人混みは、、、ねえ。




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昔はピーク時でも、高雄止まりで栂尾まで来る人はあまり多くなかったんだけれどなあ。昨今の京都の観光客の多さはえげつないことになっている。海外旅行先人気№1から6に転落したのも、そのせいだろうな。(なのにまだホテルを建てまくってる京都市って、、、、(-_-#) )



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とりあえず、必ず見る「日本最古の茶園」を見る。チャの花が咲いていた。

(チャの種を中国から持ち帰った栄西禅師が高山寺の明恵聖人にそれをあげたのが茶の栽培のはじまりとされている。本当はもっと以前から茶は日本で栽培されてたらしいけど)



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さて、山上の金堂まで上ろう。



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学生時代の合宿施設であった懐かしい法鼓台。あそこで1週間たべた精進はとってもおいしかったな。



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開山堂は、、、、、はっと息をのむ赤い絨毯。



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でもこれは楓ではなくて針葉樹の落葉。これもまた美しいものだ。




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合宿中はこの山道を法鼓台から上の金堂まで坐禅をしに上った。まだあけやらぬ早朝や、灯りのない夜のこの道はなかなかスリリングで、今でも懐かしい想い出だ。




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ほどなく金堂の姿が見えてきた。表参道から上るとこれは正面にみえるが、裏から山伝いに行くのが風情ある。




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まわりをほんの少し彩る名残の紅葉。
ここまで訪れる人はこの季節少ない。というかほとんどいない、、、



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坐禅は金堂の中で。一坐と一坐の間におこなう経行(きんひん)は足のしびれをとったり気分転換したりできるのだが、この縁側をぐるぐる、ぐるぐる回るのがお約束だった。最初ゆっくり、だんだん早く、最後はほぼ小走りで。




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今でも、人が来ないにもかかわらず、この縁側はつるつるに磨かれている。
数十年前の私の足が、確かにここで経行していたと思うと、やっぱりこういう構図で写真を撮るのはお約束(^_^)b



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石水院へもどる途中、いまは非公開の遺香庵の露地。
ここはなかなかいい小間だったな。(




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さて国宝石水院。
明恵聖人が後鳥羽上皇より学問所として賜った場所。




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明恵聖人と言えば樹上坐禅像が有名だが、わたしは「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかやあかあかや月」を思い出す。なんだかすなおに無邪気に美しい月を喜んでいるそんなお姿を想像する。



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そしてそして、、、どきどき。明恵聖人の愛した彼に会える。




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もうすっかり葉を落としてしまっているけれど、山の木をバックに立つかわいい彼は、、、




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善財君。

文殊菩薩のお勧めで53人の善知識を訪ね歩き、最後に普賢菩薩の所で悟りを開いた善財童子。
(この像は西村虚空という大正〜昭和初期の方が作られた一木造り)

この場所はもともと春日・住吉大社の遥拝所だったらしいが、私が若い頃からしっているのはこの善財君。一番好きな東京国博にある善財童子をちょっとちいさくかわいくした感じ。




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石水院の庭園。ここにもほんの名残の紅葉。



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他に人がいないのをよいことに、ここでずいぶんゆっくりした。



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ここから眺める山の稜線。そこを横切る雲の形の変化をぼ〜っと眺めるもまた楽し。




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お茶室で薄茶をよばれる。




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あ、これも懐かしい近藤濶(近藤悠三の息子さん)さんの茶碗だ。学生時代彼の工房へ茶碗ひねりにいったことがある。それも高山寺絡みのご縁だったなあ。ここの鳥獣戯画の湯飲みは濶さんのものだった。もう亡くなられて何年もたつ。息子さんの高弘さんはいまでは押しも押されぬ陶芸家になった。




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ゆっくりと懐かしい高山寺の景色、こうして五年ぶりながら尋ねられるのはうれしいことだなあ、、と思いつつここを辞した。




鳴滝・了徳寺大根焚き - 2016.12.09 Fri

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鳴滝は、高雄や栂尾にいたる周山街道の入り口当たり、仁和寺よりも西の方にある地名。尾形乾山が窯をひらいた場所でもあります。このあたりの山ではまだ紅葉が楽しめそう。




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このあたりも住宅化がどんどんすすんだとはいえ、まだ田舎ののんびりした趣をのこす景色が楽しめます。




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普通の住宅のあいだにこんなお家まであるんですよ\(◎o◎)/!




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さて、ここにある真宗大谷派(東本願寺系)了徳寺。そういうより大根焚寺と言った方がとおりがよいらしい。毎年12月9日、10日に行われる報恩講に大根焚きをふるまわれるので。




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今までは近場で西陣の千本釈迦堂の大根焚きをいただいていたが、今年は鳴滝まででかけてみた。
門前ではご近所の方かな?ちらほら露店がでている。なんだかのんびりほっこりした景色。




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お経にさそわれて斑鳩から太秦まででかけた聖徳太子が、桂の木の下で菩薩がお経を唱えておられるのに行き当たる。そこでこの桂の木をもって太子が彫った阿弥陀如来像がご本尊なのだそうだ。応仁の乱で当地に安置された、、、というのも京都らしいおはなし。



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境内にはいると、、、おお〜〜〜大根!大根!大根がいっぱい!この皮むきや切るの、さぞたいへんだったでしょうね。




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こちらの大根は千本釈迦堂の聖護院大根(まるっこい)とは違うようです。聞けば亀岡の篠大根だとか。白くてみずみずしくてこの季節とてもおいしそう。




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下ゆでは一気に強い火力で炊き上げています。




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親鸞聖人が愛宕山中の月輪寺に師である法然上人の遺跡を訪ねた帰り、了徳寺を訪れ、鳴滝の村人たちに教えを説かれた。

その教えに感銘を受けた村人たちがお礼に塩炊きの大根をごちそうしたところ親鸞聖人はおおいに感動したそうです。




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こちらは下ゆでのすんだ仕上げをまつ大根かな。



さて、その感動した親鸞聖人、そばにあったすすきの穂の束を筆代わりとし、鍋の残り煤で「帰命尽十方無碍光如来」という十名号(真言宗ではありがたいお言葉だそうです。十方にひろがりさえぎる物のない如来の光に帰依いたします、、、という意味か)を書いてそのお礼として残された、それが報恩講、大根焚きの起源とか。




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ちなみにお堂の裏にそのすすきゆかりのすすき塚があります。





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厨ではご近所の保存会のご婦人方が大根の仕上げ、もりつけにおおわらわ。




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外の境内では、こちらは洗い方のご婦人方。この寒い中、ごくろうさまです。ありがたやありがたや。




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本堂でいただく大根焚き。このお揚げさんがたまらんのよね。熱々、、、と思ったら法要がはじまり、さすがに読経を聞きながら食べるわけにもいかず、、、しばらくおあずけ状態でした(^_^;
お昼時だったので、素朴なお斎(とき)もいっしょにいただきました。芥子菜の胡麻和えが大根に合っておいしゅうございましたよ。



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箸袋に書かれた俳句。どなたの作かは不明なれど

「なつかしや けふ鳴瀧の 大根焚」

大根焚きはもう季語になっているんですねえ。




師走に洛中を駆け回る - 2016.12.07 Wed

師走はなにかれとなく忙しい、、、ような気分になる。ほんとうは毎日せわしないんだが。
せわしない年末の雰囲気にのって、寒波到来、観光客も一段落して少しおちついた洛中をあれこれかけまわり。



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年末には人出でぎゅうぎゅうになる錦市場。大晦日にのこのこでかけていって冗談でなく圧死しそうになったよ。まだ月初めなんですいすい。




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用事があるのは刃物の有次さん。外人の観光客がいっぱい。



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お願いしておいた庖丁のつくろいの受け取り。先ががっつり欠けてたのがきれいになおってる。つくろいもしてくれるのがありがたい。



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ちょうどお昼時なので錦のちょっと南でランチ。



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ネパール料理Yak&Yetiでカレーランチ、このでっかいナンでお腹一杯、これで1000円いかないとは!




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デザートは栖園で月替わりの蜜があじわえる琥珀流しを。



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あまりに人気なので、冬期はお休みだったのを12ヶ月通しで食べられるようにしはったのは最近。コンプリートの誓いをたてたのは京都移住前だったが、いまだに完遂できていない。なぜなら夏場は特に人気で行列ができるほどなので、なかなか食べられないのだ。



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12月は黒豆と黒蜜であった。



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ちなみに11月は柿だったよ(*^_^*)これはおいしかった!1月はなにかな〜。この調子でコンプリートできたらな。



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いつ前を通ってもファンタスティックな麩屋町通りの革島医院。登録有形文化財の昭和初期の建築。

洛中面白い建物ウォッチングが以前から好きだったが、歩くたびに大きな町家が小さな町家がどんどんつぶされて、マンションになっている姿を目にする。洛中の風情のある景色はいずれ消滅してしまうだろうなあ、このペースだと。悲しいけど。



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こちらも昭和初期の有形文化財・平楽寺書店。



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姉小路通に春芳堂さんを発見。表装で有名なとこで、ここの軸装だとちょっとランクが上がるんだとか。ひとつ持ってるけど、ほんまええ箱にはいってる。外の紙箱にたしかこの暖簾と同じ模様が描かれてたわ。



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お隣は和菓子の亀末廣さん。亀屋とか亀がつく和菓子屋さんはほとんどこちらの別家さんなんよ。




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お向かいは、、、ことし3月まで新風館だったところが、、、、まあ〜〜〜!駐車場になっとるわΣ(゚д゚|||)

かわりゆく京の景色、、、でも新風館自体が私が京都を不在にしている(^◇^;)間にできとったしな。




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ついで油小路二条上ルの和誌倶楽部へ和風ステーショナリーを仕入れに。




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こちらはもともと先代の初代が、寺社に使用する経本和紙、着物用のたとう紙、市内の料理店や菓子屋の包み紙、掛け紙を作ってはったのを、現在の二代目さんが和風ポップなデザインの和紙小物ステーショナリーを扱うようになって人気が出たお店。



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奈良の中川政七商店に似ているかな。当代になって経営内容を変えて成功した例。こうやって生き残っていく老舗もあれば、昔のままをあくまで貫いて長く続く老舗もある。時代の流れに押し流されて廃業したものもあれば変革に失敗した例もあるだろう。むつかしいね、伝統産業を維持していくのは。




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懐紙やぽち袋、レターセット、ブックカバーさまざまある商品の中で一番お気に入りはこの包み香。手紙にいれる文香にしたりバッグにいれたり、、、。包み紙のデザインが豊富なのだがやっぱり黒猫のが一番好きo(^▽^)o たくさん買い込んだ。




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二条通りをてくてく歩いて帰宅する道すがら、寺町でちょっと休憩。カフェ百春さんから、コーヒーをのみながら見下ろす寺町の景色が好きだ。



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さすがにちょっと疲れて寺町丸太町でバスに乗ろうとしたら、、、、バス停はイチョウの葉っぱで埋もれていた(o‘∀‘o)*:◦♪



晩秋〜落葉の夕ざり茶事 - 2016.12.05 Mon

今年最後の我が家の茶事は夕ざりで。



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師走の景色をぎゅっと詰め込んで。



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野山の晩秋も詰め込んで。



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昨年の同じ時期には庭の楓はまだぱらぱらと葉をおとすのみだったが、今年は早くも毎日雨のように葉を落とす。茶事まで毎朝落ち葉と格闘、、、もう紅葉は見たくない〜(^_^;と思うまでに。




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待合には芭蕉盆(煎茶道具)にまもなく来る冬至に思いをよせて、柚子を。




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火鉢にはたっぷり炭をつぐ。六畳の間がほかほかと、最後まで暖かかった。懐かしい火鉢の威力を再認識。




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あれだけ落ち葉を集めたのに、まだまだ残る楓。風が吹けばちらり、はらりと。風情はあるが、掃除をする身には、、、

ただ今年の紅葉は色がいまいち赤くならなかったな。




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腰掛け待合いにも手あぶりをおいた。
お客さまは三人様なので、もう一つはほしいところ。



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席入りを待つ風情の躙り口の楓。



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炭手前は玄々斎お好みの鴨箱。
この日のお客さまは表さんと宗偏流の方がいらしたので、珍しいかと。玄々斎(幕末明治を乗り切った家元)が茶道指南をしていた田安徳川家(明治維新後、徳川慶喜の後、徳川宗家をついだ家達は田安家出身)よりのたぶんお歳暮、鴨をまるごと箱に入れておくられたのを、漆をかけて炭斗として好んだもの。

なにか暦手のものが欲しいと思い、炭斗の底に敷いた紙は江戸時代の伊勢暦。

で、炭手前は、、、はは、いろんなとこ間違えた。他流派の方ばかりならこれがうちの流儀で、と押し通すところ、裏千家の偉い先生がいてはったので大汗(^_^;、、、精進します。(しゃべりながらすらすらできるようになりたい)




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今回懐石の写真はほとんど取り忘れ。まあ、メニューはあいも変わりませず、、、

唯一初めての方に出すつぼつぼだけは。これはこのサイズ。親指大。清水志郎さん(清水卯一さんのお孫さん)のもの、本来は煎茶用か?




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さて、主菓子。
西陣・愛信堂さんになにか顔見世にちなんだものを、とだけお願いしたらこの銘は???




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今年の顔見世は、中村芝雀改め五代目中村雀右衛門の襲名披露、さらに南座耐震補修のため今年のみ先斗町歌舞練場での興業。
雀右衛門(京屋)当たり役の娘道成寺から鐘をつるす紅白の手綱、道成寺ならぬ道明寺のお菓子、そして先斗町のシンボル千鳥!!

まあ、愛信堂さん、いつも真面目なお顔なのに、こんなお茶目\(^O^)/

京数寄者=京茶の子、おほほ、、、思い当たる方たくさんいましてよ。




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中立。
冬至も近いこの日はもうとっぷりと暮れて、庭のあちこちに仕掛けた燈火が我ながらうるわしい。




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いままで鍋をたたいていたが、看破されたので、やっと手に入れた喚鐘。夜の茶事は陰なので、陽の鳴り物=喚鐘をもちいる。(裏千家だけ。表さんは広間小間で使い分ける)




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待合にも燈火をいれる。暗い中、火鉢の炭が見飽きないほど美しかった。



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待合に大津絵の鬼の寒念仏をかけたので、本席では(夕ざりでは後座が軸になる)鬼のにせもののお経でなく本物の平安時代の焼経をかける。そうでなくてもお坊さんがお経をあげに走り回る師走だ。




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後座の席入りの後、茶室を見ると上に三日月が。
なんとも心に残る美しい景色であった。



濃茶はやっぱり年越し蕎麦ならぬ蕎麦茶碗。茶入の仕覆は古くなりすぎて使うのがはばかられるよれよれさ。古渡り更紗などで新たに作りたい。



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お干菓子は亀廣保さん、ちょうど11月のんと12月のんがまじる時期なので、吹き寄せと、蹲居の陰に実をつけた薮柑子を思い出して。

お茶碗は出雲にゆかりのある方に布志名焼。しかも宝船の絵付き。さすがに宗偏流の先生はすぐにわかってくださった。

年の瀬に、煤竹売りに身をやつした赤穂浪士の大高源吾が、俳句の師匠である宝井其角に両国橋の上で出会い、「年の瀬や 水の流れと人の身は(討ち入りはあきらめておちぶれたものだ)」 と言われたのに対し、「あした待たるる その宝船」と下の句をつけ、討ち入りは明日か!とわかったエピソード(歌舞伎の中だけ?)による。

ちなみに山田宗偏は吉良上野介の茶の師匠なので、忠臣蔵物は宗偏流得意中の得意のテーマ。


今回のお客さまはほんまに偉い先生ばかりで、胸をお借りしたかっこう。おはずかしいところも多々。まだまだ懐石で力尽きるクセはなんとかしないと。基礎体力アップだ!(この歳でもだ!)

さりながら、燈火のもと顔をよせて語り尽くす一会は楽しくて、心に残る。


茶事も終わり、待合の柚子はおひとつずつお持ち帰りいただいた。

水屋を手伝ってくれた藪内(流)君と茶室でお茶を点て合って独座観念ならぬお疲れ様ねぎらい会。

今年もたくさんの佳きお茶に出会えた。来年もきっとかくありますように。







口切りの茶事〜横浜A庵 - 2016.12.03 Sat

口切り茶事はなんどか経験したけれど、なにかのイベントや大寄せなので、ほんとうの主客の交わりのある茶友の口切り茶事は今回がはじめて。

茶友とはいえはるかなご先輩のA庵様、横浜に帰られてから初めて茶事にお招きいただいたのが今回の口切り!
京都にお住みになった約三年間はいっしょに奥伝の勉強や、あちこちの茶事茶会をご一緒させていただき、ほんとうに楽しくもいっぱいいっぱい勉強させてもらった。

昨今、口切りの茶事を個人でされる方はあまりいないと思うので、今回は楽しみにして参上した。



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(ちなみにこれは後座の茶壺)



初座で床の間に鎮座する茶壺は仁清の吉野図茶壺(福岡市美術館蔵)写しで、口切りを迎えた茶人のうれしさの象徴のように華やか。ご挨拶のあと、「ご都合により茶壺の拝見を」乞う。

御茶入日記をみんなで回しているあいだにも茶葉じょうご(挽家2個、封紙、口切り用の小刀、封用の印鑑+朱肉、封用の糊をのせた糊板、竹べら、、、がのってる)登場。たしかにここまでそろえるのは個人ではたいへんだ。

いよいよ口切り、茶壺の封紙を小刀でじょりじょり切っていく。詰茶(薄茶になる)を茶じょうごに少しあけたとき、ふわ〜っとお茶の佳い香りがした。どのお茶をさしあげましょうか?と問いかけに、連客と相談の上「おまかせいたします。」

聞けば関東の方では茶壺に碾茶をつめてくれるお茶屋さんはないそうで、半袋も御自作なら詰茶もご自分で詰められたとか。やはり口切りする茶人の人口はへっているのだなあ。

再び封をした茶壺は拝見に。茶壺の拝見時、正客と連客の茶壺の回し方は反対になるのだが、ご亭主より「みなさん時計回りにまわしてください。」と。
なぜだろうと思っていると、壺に描かれた吉野山が、その方向に回すことによって、朝〜夕の景色にかわっていくように見えるとのこと。おお、確かに!
そこに人生を重ね合わせ、「私は今晩秋かな?」とおっしゃる。どなたかが「いえ、錦秋ですよ。」と。




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(懐石の焼物の焙烙。食べたあとだけど、、、、(^◇^;))



口切りの興奮さめやらぬまま炭手前。友人にもらわれたという大きな大きな(頭にかぶれそうな、羽根が中で泳ぐような)ふくべ炭斗で。炉の炭はほんとうに楽しい。ご名炭で、懐石の間中釜は湯気をしゅんしゅんあげていいぐあい、炉中の真っ赤になった炭をのぞいてみるのも楽し。香合がお約束の織部でくくり猿の形、オレンジ色の部分の色が鮮やかでかわいく、私には柿の実のように見えたよ。

懐石はさとうえまさんといわれるお若いプロの方のお料理、どれもおいしかったが、なかでも銀杏すり流しははじめて食す。なんとも印象的、心に残る味でこれはレシピをしらべてみないと!
それになんとなんと、最近はまっている古染の向付!!がぞろぞろでてくるではないか!とてもステキですごくうれしかった。こんなのコレクションできたらなあ。

主菓子は亥の子餅。



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後座。さきほどの茶壺がきれいに真行草の紐飾りをほどこされ床の間に。水指が備前(伊部)でこれで三部(織部、ふくべ、伊部)がそろう。

濃茶の茶碗が昨年三渓園でされた古稀の茶会で使われた一入の黒楽(京都在住時入手された)「不老門」で、懐かしくたなごころにのせる。

茶入は庸軒ゆかりの凡鳥棗。これも京都在住の折、縁をむすばれた庸軒流のお茶人さんにお餞別としていただかれたものなのだそうだ。

実り多い三年間を京都ですごされていたのですね。



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炉の季節は特に後炭が楽しみで、どれだけ炭が燃えているかどきどき。おお〜!!胴炭がほとんどほろほろの灰になっている!あの勢いはすごかったものなあ。

横浜へ帰られてからはじめてお茶の教室をひらかれたご亭主、薄茶点前はその若いお弟子さんにおまかせになる。もうすっかりリラックスしておしゃべりがはずんだ。


初座での掛け物が「遠山無限碧層々」であったが、禅語としての解釈はあれど、行っても行っても山また山、頂上をきわめたと思ったらまた向こうにさらなる山、、茶の湯の道かくの如し、ゴールはないに等しいが少しでもその先に進みたい、そういう思いで掛けられた、と。

茶道のその奥の深さ、幅の広さは私も実感している。すべて行き尽くすにはどなたの人生も短すぎるのだ。しかし飽きずにやっていける、いつまでいっても常に新しい景色がみえるから。先を行かれるA庵様のあとを追って、私もさらに遠山の山や谷にわけいって進みたいと、、そんなことを思った。



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一会おわって、デザートの柿と栗。
昔、茶師が壺を茶家に届けるとき、柿と栗を持参するのがしたしきたりだった名残にて。





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