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2017-02

幸在祭(さんやれまつり)〜上賀茂 - 2017.02.28 Tue

上賀茂周辺は今でも農家が多い。上賀茂神社周辺を歩いていると農家の造りの家をたくさんみかける。すぐきの産地でもあり、中には自宅の庭で大きな石の重しをのせて漬け物を作って販売している農家さんもある。(参照:6年前の上賀茂散歩の記事

そんな上賀茂の地域で、2月24日毎年幸在祭(さんやれまつり)がおこなわれる。

かつてこの地域の農家の元服儀式であったもので、男子が15歳になると「あがり」といい、大人の仲間入りしたことを山の神、田の神、氏神様に報告する儀式。




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午前中でかけられぬ用事があり、本来は(杜若で有名な)大田神社から出発する行列は見られず、上賀茂神社からのスタートになってしまった。
写真は神社でお祓いをうけているところで、一番前にいる大島紬の羽織、黒足袋に下駄履き、首に白襟巻きの姿の男の子が今年の「あがり」。


かつて15歳はこの地域で農業の担い手となり、里の仕事、祭礼、町内行事などで一人前の大人として扱われる節目であった。現代は、、、まあ農家ばかりではないと思うし、15歳はまだまだどう見ても子どもなんだけれどね。




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行列にはそれ以下の子どもたちも加わる。
今から神社本殿への参拝だ。
彼らが手に持つのは「大将木」という青木の幣。




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それぞれが手に太鼓や鉦を持って、



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打ち鳴らしながら本殿へ。




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「あがり」の子も太鼓を叩きながら。

こさんやれ講という地域によるグループがいくつかあって(3〜4組?)、ここの組はあがりは一名。かつては数人いたのだろうけれど、少子化の時代はこんなところにまで。




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大将木(たいしょうぎ)。
なんでこんな名前がついたのかよくわからない。




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本殿から出て、鳥居の方へ行くと、次の組が太鼓や鉦をならしながらやってきた。
今度の組にはお宮参りに行くくらいの赤子も晴れ着を着たおばあちゃんにだっこされて参加。こうして0歳からさんやれに参加するんだ。








そして毎年ひとつずつ大きくなって、15歳であがり、親御さんの節目でもあるな。



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あがりの子。

ちなみにかつてこのさんやれにあがりとして参加した方の話によると、昔はこの日の前に五番町夕霧楼を貸し切りにしたり雄琴にくりだしたり、あっちの方(^_^;の大人にもなったらしい。(今は知らんよ、今は)




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上賀茂神社は洛中から遠いがゆえに、より地元と密着している印象がある。




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最後にあがりの子がいない組とすれちがう。
やはり少子化はおそろしい勢いだ。それでもこの組は大人たちが鉦や太鼓、笛までふいて行列、伝統行事を守ろうという気概。

これを最後に神社を離れ、明神川沿いの社家のある道を、ちょうど行列と反対方向に大田神社まで歩いて見よう。



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社家のならんだ景色もよいが、私が一番好きな明神川の景色はこれだ。
上賀茂神社の小さな摂社・藤木神社のシンボル、樹齢500年といわれる大クスノキと、川が大きく曲がるポイント。



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振り返れば社家の家並み。




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初夏の頃、美しい野生のカキツバタ群生地となる大田の澤は、今こんな感じで来たるべき季節をじっと待っている。



茶友の縁日ミニ茶事 - 2017.02.26 Sun

某お寺さんの近くで、縁日にあわせて毎月茶会をされているお茶友さんとこへ、やっとこさ行けました。
なにしろ超人気なのと曜日が不確定なので私にはハードルがかなり高く、キャンセルまちでなんとか。

会費が2000円とお安いので、点心とお薄くらいかな〜と思っていたら、びっくり!!これで足がでないのかしらん、と心配になるほど、これはもう「茶会」ではなくて「茶事」ですわ(◎-◎;)!

待合の立雛の掛け物を拝見しつつ席入り。ああ、もうお雛様ですねえ。



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毎月趣向をこらしておられるようですが、今月は四畳半を逆勝手台目使いにされて。
まずは後炭を拝見。

逆勝手で台目、しかも後炭、、、、って今までに一度も見たことありません。まず一般的に見る機会ないでしょう。チャレンジャーです。

そしてお手製の点心が、、、、はんぱなかった!
どれも美味しい中、一子相伝瓢亭卵に遜色のないゆで卵、これにはレシピをついついお聞きしましたわ。
お酒の進むカラスミまでつけていただいて、お酒も燗酒と冷やと二種を堪能。




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お櫃までだしていただいた銀杏ご飯には銀杏ごろごろ。

昨年の朝茶事で点心を作った経験から言うと、いろいろつめこむ点心の方が種類がいるので、かえって普通の懐石より手間がかかる。なのにすごいわ、と舌をまいたのでありました。




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中立の前の主菓子は、お善哉、それに糀がのっかっていて一手間かかっています。
器の菓子碗はお寺の市で入手されたものとか。朱塗りがお雛様っぽくて華やか。


中立の後は逆勝手台目で薄茶点前、御趣向のお茶碗で二服ずついただきました。



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お手製お干菓子がまた感動モノ、ラズベリー味の梅をうめこんだペパーミント味の干琥珀のできがプロ級なのでびっくり(◎-◎;) (私はなんど干琥珀作りに挑戦してどれだけたくさんの砂糖をドブに捨てたことやら)

柑橘のチョコかけに、干し柿の中に百合根餡を仕込んだもの。この日のためにどれだけお手間をかけてくださったのやら。


人気でなかなか予約がとれない理由がよくわかりましたわ。

それにしても、これを始めはってからもう2年、1ヶ月も休むことなく続けることは並大抵ではないと思います。体調管理もしなければならないだろうし、趣向も考えないといけないし、うかうかしていると1ヶ月なんてあっという間です。それはしんどい作業だと思うけれど、同時に楽しい作業でもあると確信します。

以前は奥伝の自主稽古をごいっしょしていました。その後、ご自分の茶をどのように発展させるか、いろいろ考えられて始められたのだなあ、となかなか行くチャンスもなくよそ目に見ていましたが、とてもすてきな居場所、道をご自分で作られたのだなあと感慨深いです。まだまだ現在進行形で形もさらに発展されることと思います。競争率高くて当分は行けそうもありませんが、また季節を変えて参席できたらなあと思います。

そして、まけずに自分の茶も実践していかねば、、と改めて思った次第です。



聖護院門跡〜本山修験宗総本山 - 2017.02.24 Fri

今年の京の冬の旅特別公開で、一番うちから近いのが聖護院である。
近すぎていままで中にはいったことがない。




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聖護院、聖護院といって地名だし、聖護院大根も連想するけれど、「聖体護持(天皇をお守りする)」から来たのね。しらなかった。そもそも白川上皇の熊野詣での先達を務めた、三井寺の増誉大僧正が賜った名前だそうだ。さらにその後修験者を統括することになり、全国に2万の末寺をかかえる修験道総本山になった。



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あら〜!
境内の白砂がこんなにきれいになってる!

ついこの前、節分の時はこんなだったのに、、、




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しかし、その修験道も明治になって廃止例がだされ、廃仏毀釈の嵐も吹き荒れたため、多くの山伏が還俗し末寺はなくなった。

還俗した山伏や廃寺がほそぼそと持っていたご本尊や仏像の数々、海外に流出や破棄を免れたものが,聖護院に寄せられた。これらを「客仏」というらしいが、今回それらの展示も同時にみることができる。



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客仏の多くは不動明王だったり、修験道の祖・役行者だったり、修験道の本尊・蔵王権現だったりするのだが、今回の目玉はなんといっても美しい弁財天尊立像(旧才智院本尊)だろう。

お厨子の中、とぐろをまく黄金の龍のうえにすっくと小袿をまとい立つ姿は神々しくも美しい。まるで立雛をみるようだ。高さは1mくらいだろうか。(画像はこちらでも見られます)

女雛がかぶる瓔珞きらきらの冠みたいなものをいただき、夏と冬で袿を変えたそうだ。ところが近年になって、袿の下の小袖・袴を外してみると、陽に当たらなかったため当時のままの鮮やかな極彩色が施された木彫がでてきたらしい。その写真が展示されていたが、これまた美しいこと!よく残ってたなあ。

この像は平成の世まで末寺であった定泉寺の末裔が保管しておられたそうだが、高齢のため聖護院に預けられたもの、常は塔頭の積善院に安置されているそうだ。よく大事にしてこられたものだと思う。同時にこうして消えていく歴史あるお寺の運命を哀しく思う。




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後白河法皇の皇子が入寺されたことから始まり、明治まで37代のうち25代が皇室から入られたというすこぶる付きの門跡寺院。さらに天明の大火で御所が焼け、明治天皇のひいじいちゃん、お父さんになる光格天皇、孝明天皇が聖護院に避難されたことから仮の御所にもなったという格式の高さ。




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本堂には役行者のご本尊、これには前鬼・後鬼という式神がつきそうのが普通らしい。
ご本尊の他にもそれぞれの時代の不動明王、蔵王権現など、修験道に関係する客仏の数々。修験道廃止例以降、天台宗の寺院となっていたが、戦後独立して修験宗を立ち上げたので、仏壇のイメージが一般的な寺院とはかなり雰囲気が違う。

荘厳の金襴の紋が菊の御紋の上に法螺貝という山伏の寺らしい意匠ですてきだったわ。



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もう一つの見所は重要文化財の書院。御所より移築した建物で後水尾天皇デザインの建物。

上座と下座があるが、そのへだてなく多くを聞いて楽しむ、という意味の「多聞室」という後水尾天皇御宸翰の扁額がかかる。

意匠がまた凝っていて、襖は当時の一流の三人の絵師によるもの、棚の持ち送りの透かし彫りやら、ダイヤモンド型がならぶのモダンな欄間や、天皇が愛した笹竜胆の七宝の釘隠や結び文の釘隠、火灯窓のガラス、女性たちがおしゃべりを楽しめるようにと広めに幅をとった下座の床の間など、さすが〜!というほどすばらしい。やはりただものでない、ごみのおさん。




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最後に、聖護院はかつて現在の京大病院あたりまでひろがる広大な森を有し、この森の紅葉が錦の織物のように美しかったことから錦の林=錦林とよばれたそうだ。

うちの娘も数年通った錦林小学校、錦林車庫、ずっと「錦林(きんりん)ってなんの意味やろなあ???」と思ってきたけれど、そういうことだったのか!!
そんな歴史を地名に残す京都って、やっぱりええなあ。




初午・梅見夕ざり茶事 2017 - 2017.02.21 Tue



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玄関の障子からのぞく恐いお目々は、、、、??




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お狐さんでございます。

2月は初午、京都では伏見稲荷が有名ですね。今年もお参りにいきました。たいそうな賑わいでしたよ。ちゃんと「しるしの杉」もゲットしてきました。でもこの狐面、参道で売っているような大量生産品ではございません。



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初午茶事のために、I画伯こと絵屋・宝樹さんに以前からお願いしていたもの。
胡粉をたっぷり使って、お目々は金泥、渋い赤がすてきなんです。




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本日は初午・梅見の夕ざり茶事を。

おりしもうちの庭の梅の初花が花開いた日になりました。



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数日来の寒さがうそのように緩んだ日でしたが、朝からあいにくの雨。今日は露地が使えないかなあ。

今日のお客さまは、さすが!最強の雨男、F太朗さん。




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露地を使わない分、待合で雪見障子をあけて、見るだけ見てもらおうと思っていましたが、、、

日ごろの行いのせいか(^_^; 席入りの頃にはなんとかやんできましたので、露地・蹲居を使っていただいて席入り。
(今までうちの茶事で雨で露地使えなかったことないの)



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なので準備したもろもろの露地行灯他、後座の席入りの時に使えそう。




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席中には手あぶりを。

本日のお正客様、次客様は遠州流の流れをくむ流派の方々。

ちょうどタイムリーに「お点前の研究〜茶の湯44流派の比較と分析」の著者の廣田さんから「流派としての遠州流の展開」という論文(野村美術館紀要26)をお送りいただいたばかり。
遠州流は少なくとも6流派あることなど、一生懸命拝読して予習しておきました。




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待合の天神さん。
これは昨年北野天満宮で手に入れた物。一年に一度はお顔をみなければ。




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夕ざりは初座が花になるので、練行衆日の丸盆(3分の2の写し)へ紅梅を一枝。




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昨年夏、土用のころ制作して、年末に乾きが足りないことに気づいて乾かしなおした丹精(?)の湿し灰。うふふん、よいでき。灰器は壬生寺の焙烙。節分はまあ、ぎりぎりテーマになるし、特に2月は裏千家は大炉の後炭で焙烙を使うのでこれもよいかなと。

昨年お正客様の茶事に招かれたとき、炭の置き方や練り香の入れ方(かたまりをちぎって入れる!)がずいぶんちがうなあ!とびっくりしたものです。今回はこちらにびっくりされたかも。流派の違いは最近茶事ではほとんど意識しなくなったのですが、どのタイミングで拝見して問答するのか?が多少違うとお互いにとまどうこともあります。それも苦にならず臨機応変に対応できるようになったらベテランといえるのでしょうが、私はまだまだですわ。
唯一同じ流派のF太朗さん、たのんだぞ〜!



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燈火の扱いにひとり水屋がほしいところですが、今回はあえてひとり亭主に挑戦。そのためにはまず懐石に時間短縮がもとめられました。その結果たどりついた献立。向付はあいもかわらず鯛の昆布締め。

まずは伏せ笠(本来は飯碗に汁椀を伏せてふたとする)にて汁替え・飯器を省略。




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煮物椀は百合根饅頭にて。しつこいけどここにも梅(人参)。
焼物はつけておいて焼くだけの鰆の幽庵。



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嵯峨豆腐・森嘉さんの飛竜頭の炊いたん。
遠州にちなむ道具をさがしまわしたところ、やっとみつけた髙取(遠州七窯の一)の鉢にて。遠州さんの七宝紋入り。これは前日炊いておけば当日温めるだけなので時短できます。




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酢の物も作り置きができるので時短にお役立ちメニュー。

茶室内が暗くなったので、膳燭を用意、炉中はよく火が熾って、ほんまに暖かい。広間だとこうはいくまい。灯りをかこんで小間に寄り合うお客さま方、きっとお話しもはずんだのではないかしら。




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八寸も師匠からいただいたクチコ、これは炙るだけなので手軽。しかもんまい!

八寸の時は席中に長くいるので、ここぞとばかりあれこれ流派の所作について質問。お正客様はお若いのに流儀の師範をされているので、いろんなことをよくご存じ。付け焼き刃で遠州、遠州といっているのが恥ずかしいくらいでした。



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今回は懐石終了はけっこう早かったし、消耗も軽く、なんとかお点前まで緊張感をたもつことができました。(いつもなら懐石で燃え尽きる)

最後に西陣・愛信堂さんの薯蕷「狐面」をお出しして中立。空はなんとかもちました。



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12月にほぼ同じ時間に夕ざりをしたのですが、あの時は中立の頃ちょうど良い具合に暗くなって手燭交換ができたのですが、季節は確実に動いていますね、今回はしようかどうしようか微妙なところ。
結局若干まだ薄明ながら、手燭交換しました。やっぱり燈火の茶事のハイライトですから、これ。雁行するほどには暗くなかったのはご愛敬。



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濃茶は、先日恵文社イベントで手に入れた日本茶アワード2016抹茶部門最優秀賞の「四天王」、宇治の利招園さんです。濃茶を飲む作法、飲んだ後の作法が遠州系はまた独特(逆に言うと裏千家が独特か?)。




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薄茶では先日珠光茶会・遠州流宗家席でいただいた遠州の印をかたどった大有糖を菓子に。これ、京都の鍵善さんで作っているのにそこでは買えないというシロモノで、遠州流の知人にお願いして東京からおとりよせ。ちなみに大有糖の大有は小堀遠州の法名・大有宗甫から。お正客様はもちろん、このお菓子のことはご存じでした。



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薄茶では最後に全国に数十人しかいない、という遠州系流派の次客様にお茶を点てていただきました。なんとまあ、慣れているとはいえ、裏千家の人が貴人点てでいつも苦労する千鳥茶巾をするするっと作られるのには感嘆です。柄杓の構え方、仕舞茶碗への茶筅の置き方など、廣田さんの「お点前の研究」を思い出して、実際に違いを目の当たりにして感動でした。




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一会終了し、席からでられるころ、露地は燈火が良い感じの暗さになって風情があります。(自画自賛)ひとりでチャッカ○ンを手にあちこち火をつけて回った甲斐があったというもの。

しかし、ここで緊張の糸が切れてお見送りをすっかり忘れてしまいました。惜しい。

しめてちょうど4時間、一人でやったわりにはベストな時間をキープできました。


玄関までお見送りの時にふと見ると、、、、



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脇山さとみさんの人形のそばに一枝白梅が置いてあるではありませんか!

う〜む、やるなあ、F太朗さん、彼の置き土産、春一枝。



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しばし、水にさして楽しもうと思います。


お客さま方、美しき宵のひととき、ありがとうございました。




袋帯の芯入れに挑戦 - 2017.02.19 Sun

ネットでお買い得だった袋帯未仕立て。はしっこは切りっぱなしで芯なし。
仕立てをお願いしてもいいのだけれど、それなりにかかるしね〜。、、、ということで自分で芯入れに挑戦することにした。テキストはネットであれこれ調べて。



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まず買ったのは三河帯芯。1200円。(もっと安いのもある)
ちなみに袋帯は未仕立ての状態ですでに袋状に縫ってあるので、これに帯芯を縫い付けていくだけなのだ。




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袋状の帯を腕つっこんでえいやっと全長裏にひっくりかえす。裏はこのように糸がたくさん出ている状態なので、指とか爪とかひっかけないように気をつけながら。




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帯芯の幅は実際の帯より幅広いので、帯に合わせてカットして、ひっくりかえした裏地にあてて、まずは数カ所を縫い留め。帯は長いのでこれもけっこう時間が掛かる。




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さて、本縫い。糸はゴールドの細いもの。

帯の裏と表をぬいあわせた縫い代の一方と芯を縫っていく。正式には千鳥掛けらしいが、自分の技術を考え、波縫いどめにした。このとき帯の表に糸が通ってしまうと台無しなので、指の感覚だけで縫い代と帯芯だけをすくって縫う。このあたりは長年パッチワーク&キルトで鍛えた腕だ!(^◇^;)




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全長縫い留め完了!




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これに腕をまたまたつっこんで、えいやっとひっくりかえす。




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あとは端っこの始末だけ。




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くけ縫いをして綴じた状態。
一日かるく重しをかけてならすと完成。




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こんな感じになる。

ただ、、、締めるときなかなか模様が合ってくれないのだ。風神雷神両方出すのはなかなかむつかしい。




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いちど締めてみたが、、、、う〜〜ん、、、風神が消えてしまった。
これはどこで結ぶかまだまだ研究が必要だなあ。

とりあえず、帯芯の1200円でできちゃった!



清風荘〜南禅寺別荘群の百万遍飛び地とでも言おうか - 2017.02.17 Fri

学生時代のなわばり(?)百万遍。今出川を少し西に行くと行きつけだった喫茶店ミリオン(百万、、、)があった。(今もあるが当時の面影はない)




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そのさらに西になんだろな〜???と思っていた塀と石垣に囲まれた広い場所があった。そのはしっこに京大女子寮があったので、寮の敷地かな〜?とも思っていたけれど、謎のまま、当時はそれ以上の興味もなかったのでワカランままだった。




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後にそれが清華家の一つ、徳大寺家の別業であり、後に徳大寺から住友へ養子にはいったバロン春翠(男前!)が譲り受け、実兄であるところの西園寺家へ養子にいった公望のために控邸として整備した清風荘という広大なお屋敷+庭園であることを知ったのは比較的最近である。

公望没後、住友家が管理していたが、昭和19年京都大学に寄贈された。東京には官吏を作る大学(=東京大学)があるが、京都には研究をする大学が必要だ、と京都大学設立に、文部大臣も務めた西園寺公望が支援したゆかりである。




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終戦直後にはアメリカ軍に接収されそうになったらしいが、そこは私邸ではなく大学の施設であることを盾に戦った当時の総長他のおかげでつぶされるのをまぬかれた。戦後はかなり荒廃していたらしいが、H19年から庭園の整備に入り、H24年には建物は国の重要文化財、庭園はH26年に国の名勝となった。




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ちらほら名前も聞いて、一度中を見てみたいものだと思っていた。数年前から試験公開などもされていたらしいが、基本非公開、大学の教官がゼミに使ったり、外国からの賓客を接待したりにもっぱら使用。まあ、大学の一施設というスタンス。
ここには江戸時代に建てられた茶室があり、京大関係者とのコネがあれば使用できるというおいしい話もあって、この日、私ははじめてこのずっと謎だった清風荘に足を踏み入れることができた。京大の某研究室の方の茶会で\(^O^)/



記録写真はたくさん撮らしていただいたが、画像のアップは原則禁止なので、参考までに京大HPを見てくだされ。





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入り口を入ると左手にお屋敷、右手の霰石の道をたどり中門をすぎるといきなり視界がひらけ、東山を借景とした見事な開けた庭園が!

第一印象としては南禅寺別荘群の中の一つ、野村碧雲荘に似てるということだった。まあ、それもそのはず作庭したのが同じく七代目小川治兵衛(植治)なのだ。私が中に入ったことがあるのは碧雲荘、無隣庵、洛翠庭園くらいだけれど。




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屋敷の方は、住友家がらみの邸宅を多く手がけた大阪の大工八木甚兵衛の作、竣工が大正2年。最初玄関からはいって離れの待合まで行くのに、どれだけ廊下の角をまがったことだろう。坪庭も二つは確実に見た。ひとりだと確実に迷子になる。(実際茶会の後他のお客さまとはぐれてしまって遭難しかけた!)

内部はできるだけオリジナルに近く、しかも現代的設備もある程度兼ね備えるような改修がされているとのこと。建具などはみな古い物、待合の広い座敷からは庭園が開放的に見わたせるガラス戸はみごとに昔のなみうつなみなみガラスだったな。

茶会は客間にて。(茶室は客が多かったため使わず、残念)
ここもなみなみガラスで庭への眺望、東山までの眺望が開け、角のところに見事に扇形に開いた松の樹の一群がすばらしい。

茶会では、床にお懐かしい久松真一先生の「喫茶去」の軸。勢いのある字で大好きだ。亭主はお若い女性研究者で、大学の道具も借りながらの初々しい席であった。正客がK先生だったので、久松先生のエピソードをまたまた聞くことができてうれしかった。

学生時代、私もよく使ったところ白い刷毛目茶碗、銘を久松先生が「白牛(びゃくご・法華経譬喩品から)」とつけられた、懐かしい茶碗。それこそ昭和20年代か30年代、清水坂でウインドウに飾ってあった茶碗を見て、久松先生は「この人はまじめに茶碗を作っている。きっといいものがあるから。」といって中に入って求めた茶碗だという。当時ほとんど無名だったはずの、後に人間国宝になった清水卯一の茶碗であった。なんという鑑識眼。

茶会の後、居間(公望が主に起居した場所)にてK先生の指導の下、学生時代のようにしばし端座、その後広大な庭園と,その中にある江戸時代の茶室をみせてもらう。




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茶室は広大な庭園の端の方にあって、円相窓のある袴着+腰掛け待合いは独立した建物、ここですら茶会ができそう。
茶室・保真斎は四畳半、床の反対側に付け書院みたいな場所があって、障子を開けると東山がばっちり見えるという意匠。公望はもっぱらここで書籍などをよみふけったそうだ。なんて贅沢な書斎!そういえば雰囲気が足利義政の銀閣寺・同仁斎に似てるなあ。(名前も似てるし)

う〜〜、、いつか、ここ、借りて茶会したい!

御供が待つ供待・閑睡軒まで手を抜かぬ景観。
茶室関連の建物群は、この日杮葺〜檜皮葺の屋根に白く雪を残していたのが印象深い。



庭園は琵琶湖を模した玉砂利の浅い池、苔むした石橋、庭園と屋敷をみわたせる築山、松の大群があるかと思えば、急に視界がひらけたところにひっそりと咲く、光琳の絵のような白梅、、、など、植治の庭だ。ここは南禅寺からはなれてはいるが、確かに南禅寺別荘群の飛び地だ。




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蹲居をつかってふと立ち上がると目に入るように計算された大文字はこの日うっすら雪化粧であった。




其一好みの「白椿に楽茶碗」に寄せて〜細見美術館鑑賞茶会 - 2017.02.14 Tue


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1月に細見美術館の「鈴木其一 江戸琳派の旗手」を堪能したが、この美術館には展示中のテーマに沿った鑑賞茶会が屋上の古香庵であるので、そちらも見逃すわけにはいかないのだ。



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古香庵前の「露地」。みやこめっせのすぐそば。



今回選ばれたのが「白椿に楽茶碗花鋏図」。

まずはこれを床に掛けて、愛でつつお点前で薄茶一服。




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お菓子は夏の錦玉・金魚鉢で有名な市役所近くの松彌さんの白侘助。

絵の中の白椿によく似た、お水取りの時の糊こぼしにもよく似たきれいなお菓子で芸が細かい。
ちなみに写真は食べたあとのもの〜(^_^; 想像で補ってね。




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これは最後にいただいた絵はがきから似た雰囲気で撮ってみたもの。
軸としてはこちらで感じがわかると思う。

茶会のために椿を一枝、今切ってきました、、という風情。茶人にはしびれるよね、この画題。



お釜が越前芦屋釜、前面に椿の紋様が鋳出されているのがこの会にふさわしい。

お正客の茶碗が長次郎並みにかせてかせて、、、の宗入黒楽、確かに絵の中の黒楽茶碗に面影がにていること!細見の所蔵の中で一番にているものを出してくださったとか。(おりしも近くの近代美術館で楽の展示!〜12日まで)
あの茶碗、よかったなあ、、内側の銀河みたいな釉薬の小さな欠損、高台近くのがすっと削った部分、釉薬をかけるときにあたった挟みの跡、、、ついついなでまわしてしまった。
ちなみに其一の活躍した江戸後期、同時代の楽家といえば了入(九代)あたりになるそうだ。


いつもなら展示物であるところの物を惜しげもなく使ってくれるのが、ここ、細見の太っ腹というかうれしいところなのだ。先々代か先代か、良い物を見て、見る目を肥やすことが大切、その道場として自分のお宝コレクションをどんどん使って欲しいというポリシーのもと、若い人たちと勉強会などしておられたという。なんというご見識!

さて、お茶の後は学芸員さんによる絵の解説を拝聴す。



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これは1月に行った折、展示されていた黒楽と白椿の別バージョンの絵はがき。


このように白椿と楽茶碗というのは師匠の酒井抱一も、他の絵師も、其一自身もたくさん描いている人気の画題だったらしい。
当時其一には江戸一番という富豪・蝋油問屋の松澤家のバックアップがあった。良質の群青や緑青(朝顔図!)をあれだけ大量に使えるのはその後ろ盾あってのこと。その松澤家がお得意様であったであろう茶人へのおつかいものとして、この画題をたくさん所望したのではないか、とのこと。


気になるのは其一自身はお茶を嗜んでいたのか?ということ。当時の知識人、教養人としては少々は嗜んでいたと思われるが、師匠の酒井抱一の兄ちゃん、姫路藩主の酒井宗雅は石州流のすごい茶人であったことなどを考えると、茶人好みの画題のツボをおさえていたと思われる。


この絵はがきのは鋏がないが、いままでの日本絵画では花と茶碗に鋏のような道具を添えることはほとんどなかったそうだ。中には道具を添える=西洋とくにオランダ絵画の影響、とする学者もいるそうで興味深い。江戸の後期ならそういう情報もたくさん日本に入ってきていただろうから。


最後に、とってもうれしい(個人的)気づきがあった。

同じ画題=黒楽に白椿の沖一峨(鳥取藩主池田家の御用絵師・狩野派から出発し酒井抱一に琳派の勉強もした幅広い作風の絵師)の絵もみせていただいたが、この賛に「碧雲引風吹不断」。
唐の詩人盧仝(ろどう)の「走筆謝孟諫議寄新茶」の一節、このあとに「白花光を浮かべて碗面を凝らす」と続く。
これはすなわち碗にいれたお茶の美しさを歌っているのだ。

盧仝、,盧仝、、、どこかで聞いたことが、、、そうだ!!
せんだって西翁院の庸軒の淀看席に行ったとき、「(庸軒は)幽閑淡泊 読書を好み 辞章を善くす 常に陸鴻漸(陸羽)玉川子(唐代の詩人・いずれも喫茶を愛した)の風を慕い 喫茶を嗜む」と聞いたではないか!陸羽は有名だとしてこの玉川子がイコール盧仝のことだったのだ!

しかも断片的に聞いたことのある、茶の功徳の詩(「七碗茶詩」部分下記)、これがまさにこの詩の一部分だったのだ。
知識を得ることはなんて楽しいことだろう(すぐ忘れるにせよ(^_^;)とひとりひそかに合点し、感動したのである。(そんなん常識!といわんといてね(^0^;) )



一碗 喉吻潤し (一碗目でのどをうるおし)
両碗 孤悶を破る (二碗目で孤独を忘れる)
三碗 枯腸を捜し 唯有り文字の五千巻 (三碗目で感動の言葉が腸まであふれ)
四碗 軽汗を発し 平生の不平の事、尽く毛孔に向かって散ず (四碗目で汗とともに日ごろの鬱憤がとんでいき)
五碗 肌骨清く (五碗目で体は清められ)
六碗 仙霊に通ず (六碗目で仙人のような境地)
七碗 吃するも得ざるなり
唯 両腋の習習として 清風の生ずるを覚ゆ
蓬萊山 何処にか在る   (七碗目で無我の境地、蓬萊山はまさにここにある)


(お茶を愛する詩人も七碗までが限界だったようで、、、、^_^;)









うちで「師匠」の茶事 - 2017.02.12 Sun

我が家にて「師匠」(勝手にそうおよびしてあがめている)が茶事をひらかれた。(ゆうとくけど師匠は実年齢はうちよりかな〜りお若いんよ)



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その日は昨夜からの今季最大の寒波に見舞われ、朝からうっすら薄化粧。

淡雪はお昼には消えたが、席入りのあとには何回も粉雪がちらついたり薄日がさしたり、茶室の中の光と影が一瞬一瞬姿を変える。



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ご遠方から朝早くに、車一杯に道具を積んで、懐石担当の奥様とごいっしょに入洛された師匠、荷ほどき、道具の配置、てきぱきとあっというまに完了。

余った時間で、お持ち込みの(え?こんなんさわってええの?いつもはガラスの向こうのシロモノよね、の)お茶碗にてお茶を点てて一服のませていただく。こんな茶碗でお茶を飲める日がくるとは。




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お客さまは5名、茶道の歴史や古典の研究で成書も多い某美術館参与の方とか、TVでたまに拝見するシュハリーのあの方とか、先般某所の茶事でご一緒させていただいた古美術商の方とか、、、、私では恐れ多くて絶対お招きできないような方ばかりなのもまた心憎いのである。


さて、我が家の梅、まだ堅いつぼみでそれを一枝、、、




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師匠は切って塵穴へ。
天神さんの落とし物とかや。


ちなみに塵箸が裏千家仕様ではないとご指摘をうける。ひ〜…>_<…ずっとこれだと信じてたよ。なにごとにも先達はあらまほしけれ、、と兼好法師もゆうとったな。




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私が準備したのは火鉢くらい。前日藁灰を作成しようとして、あまりの煙にこわくなって失敗。なので灰がちょっとええかげんだが。


そんなうちらを尻目に奥様はてきぱきと懐石つくり、いつも茶事のネックが懐石の私は、その手際にみとれる。
今回懐石はいつも待合にしている六畳でめしあがっていただくので、隣接した台所から電子レンジの音が聞こえないようそれを使わない献立に変えはったとか。なかなか力量がないとそこまではできない。

懐石道具もお持ち込みのそれはまた垂涎のお宝で〜(◎-◎;)、、、を、なんて惜しげもなくくり出すのだろう。




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お正客の学者様は、どんな道具や所作をご覧になっても多く語られるので、水屋で耳を澄ませていたが、最近聞こえづらいわが耳では十分な集音もできず残念。ただそのせいかいつもの茶事よりはペースがゆっくりゆっくり。水屋としては(といってもたいした仕事はないのだが)なかなか時間が計れない。


初炭では、炭道具のひとつひとつもおろそかにできないコレクションで、拝見されるお客さま方もさぞ時間がかかったことと思われる。

初炭の後は待合にもどって懐石開始、私はお運びしただけだが、奥様、五人前の懐石に八面六臂の大活躍であった。台所でお相伴させていただくが、どれも美味(^o^)


お正客様、お酒がたいそうお好きでよく飲まれるとのこと、なのでほぼ下戸の師匠に代わり、千鳥だけは飲み部のワタクシが。その間も千鳥の盃は明治以降の作法で、、とかいろいろ講義をお聞きする。さすがに五人と千鳥をすると結構飲みますなあ(^_^;



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再びの席入りは降ってきた雪のため屋内の通路から。
待合に用意した火鉢は市川孝さんのもの。瓶掛けにもなるお気に入り。降る雪をあびてもなお、最後まで火が消えずほかほかと暖かかった。炭の力は偉大だと見直すことの多い昨今。




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後座。
たくさん持参された水仙の中から一本だけ選んで竹の一重切り(これの箱もまたすごい)に。
簾をまきあげたので、座中は明るくなっただろうなと想像する。


濃茶、薄茶ともにややゆっくり目のペースですすむ。水屋は茶碗をあたためることくらいしかできないが。
最後のお道具拝見もみなさん名残惜しいので、これもゆっくりじっくり。

一座のあと、躙り口でお見送りする師匠の後姿が絵になっていた。



お客さまが帰られた後、今度は荷造り、残ってくださったお若いお客さま、助っ人のKさん、みんなで一斉に。入っていた物を出しただけなのに、なぜ入らない???というのはよくある「あるある」、あれほんまに不思議。
ほんま出すよりしまう方がたいへんなのだ。

一段落ついたところでみんなで茶室につどい、お客さまにお茶を点てていただき今日の労をねぎらいあう。
ほっとするひとときだ。こんな一会にたちあわせていただいたことに、感謝。とてもうれしい。

さすがに年のせいで私は足腰少々痛んでへばってるけれど、師匠はもう次の茶事やらなにやらの計画へ。若いとはいえほんまタフやなあ、体も精神も。淡々とした中にどれだけの熱いspiritがあるのやら。うちなんかやけどするわ。まねはできないけれど、茶に対してstrictな姿勢はいつも我が姿勢をただしてくれる。



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大荷物をつめこんだ車を見送ったあと、しばらくして外にでてみるとこの景色。



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さらに夜半、茶事に使った露地は雪国と化していた。




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空には満月に近い寒月、厳しくも美しい姿である。



第4回珠光茶会〜元興寺特別茶席 - 2017.02.10 Fri

奈良ゆかりの佗茶の祖、珠光にちなむ珠光茶会、無事4年目をむかえた。



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大雪の中の第1回から毎年のこの季節の楽しみとなっている。
約一週間にわたり奈良市内のあちこちの古刹・神社でおこなわれるので、自分が行ける日を選ぶ。昨年は薬師寺の宗偏流の特別茶会だったな。



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今年ははじめて元興寺の茶席へ。
遠州流小堀宗美家元の特別茶席。

なにしろ昨年秋にここの茶室・泰楽軒で毎年おこなわれる川崎幽玄忌茶会に申し込み忘れ、現地で交渉するも当然ながらだめで(^_^;すごすご帰った想い出があるので、今日はリベンジ(?)できてうれしい。




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元興寺はいわずとしれたならまちの中心的古刹、現在の建物は鎌倉時代の建築で、飛鳥時代の瓦を一部いただく本堂、禅堂は国宝なのだ。



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受付は県の有形文化財、旧極楽院庫裡であった小子坊。
中に護摩壇があったり時代を感じさせる梁があったり、この建築もなかなかの見物。

ここの座敷で炭道具拝見と濃茶をいただく。

軸が遠州の後を継いだ二世大膳宗慶の「風」に遠州の三男権十郎の鶯の絵。
宗慶は松花堂に書を習ったそうでなかなかの能筆家だったとか。

炭道具は炭斗がまんま遠州のシンボル・七宝型をしていたのがおもしろい。こちらの流派は枝炭を胡粉で化粧しないので黒い枝炭で、灰も湿し灰を使われる。
鐶が見事な卍型で一度どう使うのか見てみたいもの。元興寺古材の香合も虫食いが渋くて、古材が手に入るなら手に入れたいわね。



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この小子坊の奥に、さきほど行きそびれたと言った奈良出身の名指物師・川崎幽玄が設計した四畳半の茶室・泰楽軒がある。




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家元のご実弟(孤篷庵遠州忌でもおなじみ)の説明にてお道具拝見するが、私はまずこの茶室の凝った造りに感動。
元興寺の古材と幽玄の指物でできているのだが、まずビックリしたのが下地窓のつくりが竹を縦にスライスしたものを格子状に組み合わせていたこと。さすが指物の名人といわれた方。

さらに床がまたかわっていて、ナグリの床の上にさらに置床をのせたような感じで框があきらかに元興寺古材、天井の電灯の笠が見事な曲線の桔梗の形をしていたのだが、おそらくこれも幽玄の指物か?掛け込み天井も普通のと違ってちょっと凝っている。写真はこちらで見ることができるので、ご参考までに。




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釜が大西二代の浄清平丸釜だったが、ここの炉壇はなんと石製、しかもかなり分厚いので、釜が一杯一杯はいっているという感じ。古銅の花入の耳が生きのよさげな海老(伊勢エビみたいなの)でミズキと加茂本阿弥椿。

茶入が金華山・飛鳥川手、「あすか河」。
本歌は湯木美術館にある中興名物だが、この茶入も遠州の茶会記によくでてくるものなのだとか。




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水指も遠州七窯のひとつ、志戸呂烏帽子箱。
主茶碗はどっしりと重たそうな高麗堅手。飲み口が内側にきりとられてエッジがあるような感じで、本来は茶碗ではなかったのかも。高台に十文字の切り込みがあるのも珍しい。



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茶杓が「長闇堂記」を記した奈良春日大社神職であった長闇堂こと、久保権太輔(遠州とも仲良しだったらしい)、かつここ、元興寺極楽坊旧蔵の物。まさにこの席にふさわしい。



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薄茶席はお向かいの禅室にて。ここも国宝よ。
しかも調査により、ここに使われている木材の一部は西暦582年伐採の樹木ということがわかり、すると法隆寺より古い木材なのだ。中に入るのははじめて。



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こちらは遠州流奈良支部の立礼席だったのだが、、、あら〜!!
年末にクリスマス茶会におじゃましたところのイギリス人とベルギー人のおふたりの先生たちの席であった!!
日本語は流暢でおそらく普通の日本人より茶道文化にくわしい。
遠州さんのお点前は武家流なのでりりしい。

こういう古刹の国宝建築物で異国の人たちがお茶を点てるって、、、なんだかとても不思議な感じでよかった。




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干菓子は遠州流のお菓子で大有糖、鍵善良房製。すべて遠州の印の形を模した物だそうで、いろんな種類があるそうだ。
しかもこれ、京都のお店では手に入らないらしい。遠州流のゆかりの方でないと。

茶杓は当代お家元の作、さすが遠州だけあって銘が歌銘であった。(覚えられんがな、、)




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茶席のあとは徒歩5分くらいのところにある料亭つる由さんの新館で点心をいただく。



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奈良ではけっこう上のランクの料亭らしい。これに赤飯もついて美味しかった。
思いがけず現地でご一緒になったお茶の先輩方に相伴させてもらった。なので話が弾みすぎてついつい長居を。お待ちの方もおられるのに、、、スミマセン。先輩のご威光?でお酒の追加もたっぷりいただきありがたいことであった。




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ちなみにつる由さんの本館はこちら。


今年も雪がちらつく寒い寒い時期であったが、楽しい珠光茶会であった。また来年は日にちがゆるせば、またシンポジウムなどにも参加したいものである。




菓子につどう〜和菓子店 青洋〜5周年記念 - 2017.02.08 Wed

紫野にある和菓子店青洋さんが五周年の記念の茶会と展覧会をひらかれた。



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青洋さんは青木洋子さんがひとりできりもりする和菓子のお店だ。月に2〜3日しか開店しないので、また開店日にいっても人気ですぐ売り切れてしまうので、やや遠方に住む、私にはなかなかハードルが高いのだが、、、、

それでも手に入れることができたら、とってもうれしくなるような、ほほえみたくなるようなお菓子なのである。



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ちなみに昨年秋、新旧乙女茶会の時には、抹茶席、煎茶席ともに青洋さんにお願いした。

これは抹茶席の「長安一片月」、中に西域の砂漠の黄砂をおもわせる仕掛けがあったり手間の掛かったお菓子だった。




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煎茶席の「稔」
炒った米をまぶしていただく。

いずれも50組、お一人で作られるのはさぞ大変だったろうなと思ったのだが、、、、




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な、な、なんと!!

この記念の会「菓子につどう」では、二日間で24席、24種のお菓子を会場のバックヤードで直前に手作り、という超ハードなこころみに挑戦されたのだ。


会場もウェスティン都ホテル(蹴上・ほん近くよ)の7階とはとても思えぬ屋上庭園佳水園の中の可楽庵。



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朝7時から夜22時の席まで、煎茶席と抹茶席交互で。

早朝から夜遅くまで、席は陽の移ろいとともにきっと姿を刻々とかえただろうと思うと、1席(夜の煎茶席)しか入れないのがとても残念だが、青山さんの体力気力はすばらしい。




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待合では、今までの青洋の主菓子、干菓子の実物や写真の展示があるので、席が始まるまで見て楽しむ。



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青洋さんのお菓子は、FBでいつもチェックしているのだが、とってもリリカル。色もパステルが多く、造型も繊細、とにかくかわいらしいのだ。なかでも伝統的な京和菓子ではほとんど使われることのない、混じりけのない水色がとても印象的。(この前の汝窯の雨過天青ブルーを思い出したわ)

実際に食したのはほんの数種類だが、外見だけでなく、素材や,味、テクスチュアにもとてもこだわりがある。




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抹茶席のテーマは12ヶ月、それも亭主のF太郎君の1年間。1月にはこんなことがあった、こんなことが印象的だった、という日記風の文章をテーマにしたもの。(抹茶席はいきそびれ残念)

煎茶席のテーマは「水」。
流れたり、凍ったり、しみたり、、、をテーマにそれぞれ違った趣向で。



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煎茶席の亭主はF子ちゃん、いっしょに茶会をしたり毎月の十五夜の鴨茶(鴨川で月を見ながら野点)におじゃましたりしたが、この春から新たな出発をされるので、お茶を人前でいれるのはこれが当分最後なのだそうだ。
新たな出発を祝す。

私の入った煎茶席のテーマは「水が潤し花開く」

小さい灯りだけの、お互いの顔も見えないくらいの薄明の中で、玉露をいただく。暗いと人は無口になる。静かな中、柔らかな雨の音と、F子ちゃんのしずかな心地良い語りを楽しむ。青洋さんとの出会いから、この会の立ち上げから今日までのこととか。若くて心が柔らかいってとてもうらやましい。

花がテーマなので、お盆に置かれた種々の花を、お菓子を受け取る予定の皿に各自アレンジする。私はコデマリ、ネコヤナギ、アオモジ、小さな桜をのせた。




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そしてお茶を二煎いただいたあと、青山さんがバックヤードで作ったばかりの和菓子を持ってきてくださる。
花で飾った皿に入れる。

暗いので、色はわからないが白くて丸い求肥のような。視覚が使えない分、嗅覚・味覚を研ぎ澄まして味わうお菓子はほんのり華やかな花の蜜の味がした。

求肥でつつまれた中の錦玉に蜂蜜を埋め込む、という手間の掛かったお菓子だった。そのあとさらにいただく一煎は限りなく甘露。


舌も心も満たされた夜は更けゆく。


5年は一区切りとはいえ、まだまだ通過点、青洋さんのこれからのますますの発展を祈ります。

早朝からほぼ深夜まで、両席のご亭主もご苦労様でした。



節分2017〜その2・吉田神社復活!火炉祭 - 2017.02.06 Mon

大学入って京都に来たときから、節分祭といえば必ず吉田神社だった。
だってキャンパスが目の前だもん。

一時はここの氏子でもあったので必ずお参りする。仕事で昼間来られないこともあるが、ここはけっこう遅くまで賑やかなので夜はかならず。




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実は祭の数日前にもおじゃました。

3年前、燃えた灰の処分をめぐって京都市ともめて、一昨年、昨年と例年の大お焚き上げの火炉祭は中止になり、かわって、おさめられた古い御札は京都市のビニールゴミ袋につめられて、つみあげられているだけ、あまりのショボさに泣いたわ。

どういうやりとりがあったにせよ、とりあえず火炉祭復活、ばんざい!




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この日はお祭りの時に参道を照らす○○協賛の雪洞に職人さんが字入れをしていた。



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こういう風景はふだんはお目にかかれない。貴重な機会であった。




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さて当日、火炉祭は23時からなので、夕刻先にお参りだけすませようとやってきた。
う〜〜ん、、、例年になくおさめられた御札、少ないやん!
復活した、ということが周知されてなかったのか。ちょっと迫力ないかも〜。




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それでもお参りする人はけっこう多い。市外から来ている人も外国人観光客もいてるのだ。



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古い御札をもってないのでせめて火炉にいれてもらおうと、護摩木を一本奉納す。




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大元宮へ行く前にまずはここよね、の菓祖神社。



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不老不死の果実をもとめて、唐土へ渡った田道間守(たじまもり)をお祀りする。




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田道間守がもちかえったのが”ときじくのかぐのこのみ”(非時香具菓)
今の橘とされるので、ここの神社の紋は橘。

お茶してると和菓子は切っても切れない縁があるものね。大好きだし。(洋菓子はいまいち好きでない)



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ここで駄菓子と小豆茶をいただくのも恒例。



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1年に、節分祭の3日間だけ公開される吉田神道中枢部・大元宮。今年も無事一年生かされて、お参りに来ることができました。感謝、感謝。




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参道の河道屋の年越し蕎麦も毎年いただく。
立春から新しい一年が始まるので、その前日は年越しになるのだ。




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一度帰宅して、夜ふたたび火炉祭のためにお参り(自転車でちょい、の距離なのよ〜)
ああ、あの字を書いてはった雪洞に灯がともってるわ。



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22時過ぎだというのに、火炉祭目当ての参拝客はけっこうたくさん。




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ありゃ〜、、、w( ̄o ̄)w
火炉祭直前になっても、これだけかい?

いつもは上まではみでるくらいぎっちぎちなのに、、、



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そろそろ人が集まってきた。押しくらまんじゅうしながら点火を待つ。




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おお〜〜!!
火炉祭復活だ〜〜!!ばんざーい!\(^o^)/



↓  でも例年はここまで古札があふれてた、、、(^◇^;)

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大勢の参拝客はゆっくりゆっくり進んで、火炉の前まで行くことができる。




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それなりに綺麗だが、、、、やっぱり量的に迫力ないのが残念。




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そばにいくと顔が熱くなるほどの熱気。



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ここでひとまず火炉にお別れして二度目の大元宮参り。




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吉田の松井酒造さん、今年も升酒売ってはる。濁り酒をいただく。




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夜の大元宮はなかなか雰囲気がある。



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日本全国の(残念ながら蝦夷だけはない)八百万の神を勧請したお社。



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考えて見れば吉田神道は室町に成立した比較的新しい神道なのだが、その教義はユニークで、きっと勉強したらおもしろいのだろうな。




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帰りの参道は日付が変わろうとしているのにまだこんな人混み。
だれもが新しい春を感じてうきうきしているのかもしれない。




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火炉の火も少し落ちてきた。




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日付変わって立春大吉。

またこの一年も楽しく元気にすごせますように。



節分2017〜その1・旧三井下鴨別邸のすてきな節分茶会付き - 2017.02.05 Sun

節分の日は立春の直前の日。

この日は京都中が浮き足立つ。
明日からはじまる春が、おさえきれずに一日早くうごめいているようで、わくわくする。

市中のどんな小さな神社も節分のお祝いの赤白の幔幕をたてる、節分ワンダーランド。
あ〜、どこからまわろうかな〜と迷うのもうれしい。

でも結局、毎年同じ場所ばかり、でもそれが尊いのだ。今年も無事来ることができました、と。



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四条通りの梛神社+隼神社(同じ境内に二つ社がある)へまずお参りして壬生寺へ。
参道すでにけっこうな人出。



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節分の時が一番賑わう壬生寺。
都の裏鬼門(南西)に位置するからなんだろうね。



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壬生寺と言えば焙烙奉納。
それぞれ名前とか祈願とか描き込んで奉納する。4月の壬生狂言の焙烙割りでことごとくがらりがらりと割っていくさまは圧巻。
昨年灰器もしくは菓子器として一枚ゲットして温存している、うふふ♪




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姫ダルマのお守りは節分の日だけの授与。




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節分会の時だけ演じられる壬生狂言「節分」、文字通り豆まきの狂言でこの建物の向こう、大念仏堂(狂言堂)おこなわれているが、待ち時間が長いのであきらめる。ただし狂言堂は今年の京の冬の旅で公開中なので、節分終わったらまたこよう。



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このあたりの観光地と言えば壬生の新撰組の屯所とか壬生寺しかないので、まだ現役の町家のふだんの暮らしが息づいているようだ。




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一度帰宅してあらためて自転車でGo!
我がテリトリーご近所さんの節分巡。

まずは恒例須賀神社。




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こちらも普段は人っ子一人いない静かな神社なのだが、節分にはみなさん懸想文売りがおめあてでお参りにきはる。





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昔の公家のアルバイト、懸想文売り。貧乏公家が顔を隠して懸想文(ラブレター)を売っていた風習を踏襲したもの、このお兄さんは毎年でてはる。残念ながら素顔は拝見したことがない。




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良縁にめぐまれるという懸想文のお守り、良縁はもうええけど箪笥にしのばせると着物が増えるというので、毎年ゲットしているのよ。効き目は、、、、まあまあかな(^_^;





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毎年、前年の干支が今年の干支に書いた懸想文、という内容になっている。12年で一周するのかまだ検証していない。




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須賀神社の目の前が修験道本山聖護院。
節分の日には大護摩供がおこなわれる。(ちなみにこちらも京の冬の旅公開ちう)

ごほごほ、、、かなり、、、煙い。




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火の粉はさすがにここまでは飛んでこないが、参拝客はみんな灰被りになる。
しまった、白いダウンコート着て来ちまった。あとで黒い点々がいくつも。゚(゚´Д`゚)゚。




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奉納された護摩木を次々投入、その間途切れることなく続く読経。
般若心経は聞き取れるが、今年は観音経もちらっとききとれたぞ。それにかさなる大太鼓の腹にひびく音、法螺貝をふく音、なんとも賑やかに華々しく冬を見送ること!




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修験者の装束は独特でいろいろ決まりがあるのだそう。
兜巾と結袈裟のポンポンがなんといっても特徴的だよね。




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護摩壇があらかた燃え落ちたところで参拝客が中に入って燃え残りをいただく。燃えたヒバの香りは焦げ臭いのだけどすがすがしい感じもして、これを持って帰って厄除けのおまもりとする。






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境内の梅はもうほぼ満開に近く、枝の根元に小さな猫(の人形)がいたのが微笑ましい。
春ですなあ、、、、(まだ寒いけど)




そして、、、素敵な二人の若いお茶人さんの節分茶会へ。




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場所は、昨年から一般公開開始し、茶室を貸し出してくれる(しかも格安!!)ようになった旧三井家下鴨別邸




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ここの庭園を露地に見立てて実にすてきなロケーション。




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亭主のお二人はお若い茶友なんだが、昨年から二人ユニットで、京都市内のあちこちすてきな場所を茶室に選んでアイデアあり、心のこもった素敵な茶会をしてくださるのだ。(拾翠亭とか無隣庵とか)平日なのでなかなか行けなかったがようやく参席かなう節分の日の節分茶会。




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焙烙を菓子器に手作りの豆餅、その名も「(鬼に)金棒」(^∇^)
うふふ、、、○たばの豆餅よりおいしゅうございましたわ。




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花器も豆を入れる枡、福助の絵に「桧製品 保証」、なんだか明治のかおりがするわ。よく見つけたわね、こんなすてきな枡!

豆を投げられて、たそがれてとぼとぼ帰る鬼の後姿や、鬼退治の桃太郎のフルメンバーの絵柄とか、高台が枡型になっているのや、くり出されるたびにお客さまに笑い声がはずむお茶碗の数々。




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しかもかわいい点心付き、ヒイラギ、鰯、豆っぽい大徳寺納豆、極めつけは小さな小さな枡に絵を描いた物。これでおささもいただきました。ほほえみがこぼれる。
高価な茶道具がなくても心に残る茶会をまたひとつ経験してしまった。

おふたりのアイデアと、お客さまを、自分たちでできる範囲で楽しませようとする心遣いにしびれるのだな。見習わねば。





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しかもお土産付き。
十八屋(おはこや)の箱にはいった御豆さん、おいしくちょうだいした。

ありがとう。最高の節分!




銀月サロン・(旧暦)新年茶会〜銀月アパートメント - 2017.02.04 Sat

北白川にたたずむ、戦前からあったということ以外建築年も設計者もすべて不明という不思議なアパート・銀月アパートメント。



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いろんな映画のロケ地にもなり、特にアーティストたちに人気でいつも部屋は埋まっているという。
レトロな昭和のTHE下宿、という感じの建物。




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ここの一室、特に玄関脇の枝垂れ桜が目の前にひろがるという一等地の部屋でときたまひらかれる中国茶教室・銀月サロン。
昨年秋に紅葉の茶会で初めて参加させていただいたが、今回は旧正月にあわせた新年茶会へ。




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中国や台湾では太陽暦の正月は地味で、旧暦の正月はかなり賑やかに盛大にお祝いするのだとか。




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最初のお茶は、武夷山・大紅袍。烏龍茶の最高峰。

この茶樹の母樹は6株しかなく、国賓クラスでないと採取してはいけないのだそうだ。で、今回の大紅袍はその母樹の孫にあたる茶樹の葉。(クローン技術で作られた)




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香り華やかで、やっぱり中国茶の中では一番好き。ザ・中国茶、という感じで。茶杯に残る香りを聞くのもまた楽しい。




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二番目のお茶は祁門(キーマン)紅茶。祁門は茶葉のとれる安徽省の地名から。

中国茶で作った紅茶はイギリスなどの紅茶と違って、何煎でもだせるのが特徴。茶葉をクラッシュしていないfull leaf なので、じっくり味が出せるのだそうだ。




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キーマンといえば水色(すいしょく)が美しいことで知られるが、ほんとうにルビー色で「紅」茶なんだと納得する。
味は紅茶であって紅茶でない、もっと奥深い豊かな飲み物になっている。




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三番目のお茶は台湾・阿里山紅茶。
この茶葉はころころと丸い(兎のフンのような、、、)形状になっている。
祁門紅茶と飲み比べ。どちらも劣らず美味しい。




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ここでお楽しみの点心。銀月サロンは前回もそうだったが、手作り点心がまたおいしいのだ。
今月は、台湾のお雑煮みたいな、というかエビ麺に水餃子、高菜の若菜を添えた葱湯と又焼包。おいしかった!レシピを一応お聞きするが、なかなか自分ちでは作れないものね(^_^;



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最後のお茶は生姜の刻みをたっぷり入れた肉桂岩茶。
肉桂はシナモンではなくて、それほどスパイシーな香りがするお茶、と言う意味。それに波照間のきび糖を投入したもの。飲んでしばらくするとのどで生姜が炸裂、体がほかほかとあたたまる。




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このお茶の友がまた目からウロコの組み合わせ!
大阪空堀にあるエクチュアのチョコ、フロマージュ&ペッパー。

文字どおりチーズと胡椒のプラリネ入りのチョコ。これがまたお酒でもワインでも飲めそうなタイプの味なんで、近いうち買いに走ろうと思う。




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お互いにお茶を煎れあったり、談笑したり、心潤う楽しいひとときであった。




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最後に次回の茶会の予約を。
次はこの窓から、満開の枝垂れ桜が正面にみえるはずの桜茶会。大人気なんだそうで、あぶれないように、しっかり予約をとって帰った。春の楽しみがまた増えた。




卜深庵・木津宗匠点初〜建仁寺本坊 - 2017.02.02 Thu

先日記事にした「107年の謎〜プサン迫間別邸の調査記録」、それを上梓された武者小路千家の宗匠、木津宗詮宗匠の点初に行って参りました。



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場所は祗園のど真ん中にある臨済禅の寺、建仁寺。本坊の茶室清涼軒(東陽坊保存茶会の月釜やってるとこ)にて。




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本坊の玄関は閉まっているし、どこから入るのか???
と、たまたまご一緒の席になった方としばし悩む。あ!あれは!




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なるほど、本坊を通りぬけずに清涼軒までのショートカットがあったのね。でもこの大陸風の潜り、ええなあ。




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(本坊広間)



待合では天の岩戸の画賛が掛かる。

まずは濃い茶席、清涼軒へ。清涼軒はいつごろ建てられた茶室なのかさだかではないが、八畳+六畳の広間、小間の茶室でその名も高い、東陽坊とは隣り合わせ。(なので席中に外をいく観光客の声もきこえる(^_^; )

床には蹴鞠の家、飛鳥井家の雅章(江戸初期)の立春の歌の懐紙。
花入が竹の尺八、松平不昧公のお作とか。紅白の椿に、梅の三分咲きの枝がかわいらしい。結び柳ももちろんだが、この結び方はやはり流派による違いがあるのだろうか?(裏千家とは少し違うような気がしたが)




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(本坊の中庭)



台子のお点前で、なんと木津宗匠自ら五碗すべて練ってくださった。(うちの某流派ではありえんことやわ〜^_^;)
初釜というとけっこう派手派手なお道具になりがちだが、こちらでは台子のお道具も、濃茶の茶碗も高麗で渋系で好みやったわo(^▽^)o
先代の露真宗匠もご同席、正客から半分くらいは男性ばかりの武者小路重鎮という方ばかりで、他流試合の私はちょっと緊張。

道具の中で一番興味深く印象的だったのが売茶翁手づくねの鳥香合。飴釉でちょこんとかわいらしい、頭でっかちの鳥さんで、売茶翁のお人柄がにじみ出ているようなあたたかい感じ。(会ったことないけどな^_^;)
お手におとりください、の言葉に甘えて裏をひっくり返すと(だいたい器の裏をひっくり返している人をみたら茶人と思ってまちがいない)「遊外」の陶印。(売茶翁の本名は高遊外)


ちなみにお道具や席の様子は木津宗匠がおしげもなくFBで写真の大盤振る舞いされているので、そこも見てね。売茶翁の香合の写真もあるよ。




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(隣接する東陽坊。秀吉の北野大茶会の時に利休高弟であった真如堂の東陽坊が建てた茶室。東陽坊は最近見直した映画「本覚坊遺文」にも出てる。長次郎の黒楽「東陽坊」はもちろん彼にちなむ)



場所を最近新築された近代建築の富春閣に移しての薄茶席。
裏千家ではあまり使われない四層の棚で一番上に熨斗をのせた熨斗台が飾ってある。その最上層を除外すれば普通の三層棚と同じ扱いなのかな。

水指が宋胡録、渋いなあこれ。宋胡録と言えばだいたい香合サイズのしか見たことなかったから、水指サイズのを見ることができてうれしい。

花は鶴首古銅に蝋梅、宗旦椿。
お点前は同じ千家系なので大きな違いはないけれど、茶筅通しの仕方がちょっとちがう。表千家ともまたちがうのね。
主茶碗(あるいは次客茶碗)がこまか〜い貫入のはいった御本茶碗で、これまた渋!でも連客の茶碗の中には華やかなウェッジウッドの磁器もあって楽しかった。



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最後に点心席。

点心の間のお楽しみに、酒を注ぐと鳥の鳴き声がするとっくりとか、天狗盃(天狗の鼻が底になっているので飲み干さないと下に置けない)とかひょっとこ盃(底になるひょっとこの口を指でおさえて飲み、飲みきらないとこれも下へおけないやつ)などくりだされ、初見のお隣さんとも会話がはずむ。

(しかし、以前体験した遊興杯といい、酒飲みはほんまに楽しく酒を飲もうといろんな道具を考えるものやな〜と苦笑)




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自分の流派の初釜には行ける身分ではないのに、他流派の宗匠の点初に参席できるとは、なんとありがたい。これも懐の深い太っ腹、木津宗匠とのご縁のおかげです。(あと社中のO君とのご縁もね(^-^))楽しい一日をありがとうございました!



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京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

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