うちで「師匠」の茶事 - 2017.02.12 Sun
我が家にて「師匠」(勝手にそうおよびしてあがめている)が茶事をひらかれた。(ゆうとくけど師匠は実年齢はうちよりかな〜りお若いんよ)

その日は昨夜からの今季最大の寒波に見舞われ、朝からうっすら薄化粧。
淡雪はお昼には消えたが、席入りのあとには何回も粉雪がちらついたり薄日がさしたり、茶室の中の光と影が一瞬一瞬姿を変える。

ご遠方から朝早くに、車一杯に道具を積んで、懐石担当の奥様とごいっしょに入洛された師匠、荷ほどき、道具の配置、てきぱきとあっというまに完了。
余った時間で、お持ち込みの(え?こんなんさわってええの?いつもはガラスの向こうのシロモノよね、の)お茶碗にてお茶を点てて一服のませていただく。こんな茶碗でお茶を飲める日がくるとは。

お客さまは5名、茶道の歴史や古典の研究で成書も多い某美術館参与の方とか、TVでたまに拝見するシュハリーのあの方とか、先般某所の茶事でご一緒させていただいた古美術商の方とか、、、、私では恐れ多くて絶対お招きできないような方ばかりなのもまた心憎いのである。
さて、我が家の梅、まだ堅いつぼみでそれを一枝、、、

師匠は切って塵穴へ。
天神さんの落とし物とかや。
ちなみに塵箸が裏千家仕様ではないとご指摘をうける。ひ〜…>_<…ずっとこれだと信じてたよ。なにごとにも先達はあらまほしけれ、、と兼好法師もゆうとったな。

私が準備したのは火鉢くらい。前日藁灰を作成しようとして、あまりの煙にこわくなって失敗。なので灰がちょっとええかげんだが。
そんなうちらを尻目に奥様はてきぱきと懐石つくり、いつも茶事のネックが懐石の私は、その手際にみとれる。
今回懐石はいつも待合にしている六畳でめしあがっていただくので、隣接した台所から電子レンジの音が聞こえないようそれを使わない献立に変えはったとか。なかなか力量がないとそこまではできない。
懐石道具もお持ち込みのそれはまた垂涎のお宝で〜(◎-◎;)、、、を、なんて惜しげもなくくり出すのだろう。

お正客の学者様は、どんな道具や所作をご覧になっても多く語られるので、水屋で耳を澄ませていたが、最近聞こえづらいわが耳では十分な集音もできず残念。ただそのせいかいつもの茶事よりはペースがゆっくりゆっくり。水屋としては(といってもたいした仕事はないのだが)なかなか時間が計れない。
初炭では、炭道具のひとつひとつもおろそかにできないコレクションで、拝見されるお客さま方もさぞ時間がかかったことと思われる。
初炭の後は待合にもどって懐石開始、私はお運びしただけだが、奥様、五人前の懐石に八面六臂の大活躍であった。台所でお相伴させていただくが、どれも美味(^o^)
お正客様、お酒がたいそうお好きでよく飲まれるとのこと、なのでほぼ下戸の師匠に代わり、千鳥だけは飲み部のワタクシが。その間も千鳥の盃は明治以降の作法で、、とかいろいろ講義をお聞きする。さすがに五人と千鳥をすると結構飲みますなあ(^_^;

再びの席入りは降ってきた雪のため屋内の通路から。
待合に用意した火鉢は市川孝さんのもの。瓶掛けにもなるお気に入り。降る雪をあびてもなお、最後まで火が消えずほかほかと暖かかった。炭の力は偉大だと見直すことの多い昨今。

後座。
たくさん持参された水仙の中から一本だけ選んで竹の一重切り(これの箱もまたすごい)に。
簾をまきあげたので、座中は明るくなっただろうなと想像する。
濃茶、薄茶ともにややゆっくり目のペースですすむ。水屋は茶碗をあたためることくらいしかできないが。
最後のお道具拝見もみなさん名残惜しいので、これもゆっくりじっくり。
一座のあと、躙り口でお見送りする師匠の後姿が絵になっていた。
お客さまが帰られた後、今度は荷造り、残ってくださったお若いお客さま、助っ人のKさん、みんなで一斉に。入っていた物を出しただけなのに、なぜ入らない???というのはよくある「あるある」、あれほんまに不思議。
ほんま出すよりしまう方がたいへんなのだ。
一段落ついたところでみんなで茶室につどい、お客さまにお茶を点てていただき今日の労をねぎらいあう。
ほっとするひとときだ。こんな一会にたちあわせていただいたことに、感謝。とてもうれしい。
さすがに年のせいで私は足腰少々痛んでへばってるけれど、師匠はもう次の茶事やらなにやらの計画へ。若いとはいえほんまタフやなあ、体も精神も。淡々とした中にどれだけの熱いspiritがあるのやら。うちなんかやけどするわ。まねはできないけれど、茶に対してstrictな姿勢はいつも我が姿勢をただしてくれる。

大荷物をつめこんだ車を見送ったあと、しばらくして外にでてみるとこの景色。

さらに夜半、茶事に使った露地は雪国と化していた。

空には満月に近い寒月、厳しくも美しい姿である。

その日は昨夜からの今季最大の寒波に見舞われ、朝からうっすら薄化粧。
淡雪はお昼には消えたが、席入りのあとには何回も粉雪がちらついたり薄日がさしたり、茶室の中の光と影が一瞬一瞬姿を変える。

ご遠方から朝早くに、車一杯に道具を積んで、懐石担当の奥様とごいっしょに入洛された師匠、荷ほどき、道具の配置、てきぱきとあっというまに完了。
余った時間で、お持ち込みの(え?こんなんさわってええの?いつもはガラスの向こうのシロモノよね、の)お茶碗にてお茶を点てて一服のませていただく。こんな茶碗でお茶を飲める日がくるとは。

お客さまは5名、茶道の歴史や古典の研究で成書も多い某美術館参与の方とか、TVでたまに拝見するシュハリーのあの方とか、先般某所の茶事でご一緒させていただいた古美術商の方とか、、、、私では恐れ多くて絶対お招きできないような方ばかりなのもまた心憎いのである。
さて、我が家の梅、まだ堅いつぼみでそれを一枝、、、

師匠は切って塵穴へ。
天神さんの落とし物とかや。
ちなみに塵箸が裏千家仕様ではないとご指摘をうける。ひ〜…>_<…ずっとこれだと信じてたよ。なにごとにも先達はあらまほしけれ、、と兼好法師もゆうとったな。

私が準備したのは火鉢くらい。前日藁灰を作成しようとして、あまりの煙にこわくなって失敗。なので灰がちょっとええかげんだが。
そんなうちらを尻目に奥様はてきぱきと懐石つくり、いつも茶事のネックが懐石の私は、その手際にみとれる。
今回懐石はいつも待合にしている六畳でめしあがっていただくので、隣接した台所から電子レンジの音が聞こえないようそれを使わない献立に変えはったとか。なかなか力量がないとそこまではできない。
懐石道具もお持ち込みのそれはまた垂涎のお宝で〜(◎-◎;)、、、を、なんて惜しげもなくくり出すのだろう。

お正客の学者様は、どんな道具や所作をご覧になっても多く語られるので、水屋で耳を澄ませていたが、最近聞こえづらいわが耳では十分な集音もできず残念。ただそのせいかいつもの茶事よりはペースがゆっくりゆっくり。水屋としては(といってもたいした仕事はないのだが)なかなか時間が計れない。
初炭では、炭道具のひとつひとつもおろそかにできないコレクションで、拝見されるお客さま方もさぞ時間がかかったことと思われる。
初炭の後は待合にもどって懐石開始、私はお運びしただけだが、奥様、五人前の懐石に八面六臂の大活躍であった。台所でお相伴させていただくが、どれも美味(^o^)
お正客様、お酒がたいそうお好きでよく飲まれるとのこと、なのでほぼ下戸の師匠に代わり、千鳥だけは飲み部のワタクシが。その間も千鳥の盃は明治以降の作法で、、とかいろいろ講義をお聞きする。さすがに五人と千鳥をすると結構飲みますなあ(^_^;

再びの席入りは降ってきた雪のため屋内の通路から。
待合に用意した火鉢は市川孝さんのもの。瓶掛けにもなるお気に入り。降る雪をあびてもなお、最後まで火が消えずほかほかと暖かかった。炭の力は偉大だと見直すことの多い昨今。

後座。
たくさん持参された水仙の中から一本だけ選んで竹の一重切り(これの箱もまたすごい)に。
簾をまきあげたので、座中は明るくなっただろうなと想像する。
濃茶、薄茶ともにややゆっくり目のペースですすむ。水屋は茶碗をあたためることくらいしかできないが。
最後のお道具拝見もみなさん名残惜しいので、これもゆっくりじっくり。
一座のあと、躙り口でお見送りする師匠の後姿が絵になっていた。
お客さまが帰られた後、今度は荷造り、残ってくださったお若いお客さま、助っ人のKさん、みんなで一斉に。入っていた物を出しただけなのに、なぜ入らない???というのはよくある「あるある」、あれほんまに不思議。
ほんま出すよりしまう方がたいへんなのだ。
一段落ついたところでみんなで茶室につどい、お客さまにお茶を点てていただき今日の労をねぎらいあう。
ほっとするひとときだ。こんな一会にたちあわせていただいたことに、感謝。とてもうれしい。
さすがに年のせいで私は足腰少々痛んでへばってるけれど、師匠はもう次の茶事やらなにやらの計画へ。若いとはいえほんまタフやなあ、体も精神も。淡々とした中にどれだけの熱いspiritがあるのやら。うちなんかやけどするわ。まねはできないけれど、茶に対してstrictな姿勢はいつも我が姿勢をただしてくれる。

大荷物をつめこんだ車を見送ったあと、しばらくして外にでてみるとこの景色。

さらに夜半、茶事に使った露地は雪国と化していた。

空には満月に近い寒月、厳しくも美しい姿である。