幸在祭(さんやれまつり)〜上賀茂 - 2017.02.28 Tue
上賀茂周辺は今でも農家が多い。上賀茂神社周辺を歩いていると農家の造りの家をたくさんみかける。すぐきの産地でもあり、中には自宅の庭で大きな石の重しをのせて漬け物を作って販売している農家さんもある。(参照:6年前の上賀茂散歩の記事)
そんな上賀茂の地域で、2月24日毎年幸在祭(さんやれまつり)がおこなわれる。
かつてこの地域の農家の元服儀式であったもので、男子が15歳になると「あがり」といい、大人の仲間入りしたことを山の神、田の神、氏神様に報告する儀式。

午前中でかけられぬ用事があり、本来は(杜若で有名な)大田神社から出発する行列は見られず、上賀茂神社からのスタートになってしまった。
写真は神社でお祓いをうけているところで、一番前にいる大島紬の羽織、黒足袋に下駄履き、首に白襟巻きの姿の男の子が今年の「あがり」。
かつて15歳はこの地域で農業の担い手となり、里の仕事、祭礼、町内行事などで一人前の大人として扱われる節目であった。現代は、、、まあ農家ばかりではないと思うし、15歳はまだまだどう見ても子どもなんだけれどね。

行列にはそれ以下の子どもたちも加わる。
今から神社本殿への参拝だ。
彼らが手に持つのは「大将木」という青木の幣。

それぞれが手に太鼓や鉦を持って、

打ち鳴らしながら本殿へ。

「あがり」の子も太鼓を叩きながら。
こさんやれ講という地域によるグループがいくつかあって(3〜4組?)、ここの組はあがりは一名。かつては数人いたのだろうけれど、少子化の時代はこんなところにまで。

大将木(たいしょうぎ)。
なんでこんな名前がついたのかよくわからない。

本殿から出て、鳥居の方へ行くと、次の組が太鼓や鉦をならしながらやってきた。
今度の組にはお宮参りに行くくらいの赤子も晴れ着を着たおばあちゃんにだっこされて参加。こうして0歳からさんやれに参加するんだ。
そして毎年ひとつずつ大きくなって、15歳であがり、親御さんの節目でもあるな。

あがりの子。
ちなみにかつてこのさんやれにあがりとして参加した方の話によると、昔はこの日の前に五番町夕霧楼を貸し切りにしたり雄琴にくりだしたり、あっちの方(^_^;の大人にもなったらしい。(今は知らんよ、今は)

上賀茂神社は洛中から遠いがゆえに、より地元と密着している印象がある。

最後にあがりの子がいない組とすれちがう。
やはり少子化はおそろしい勢いだ。それでもこの組は大人たちが鉦や太鼓、笛までふいて行列、伝統行事を守ろうという気概。
これを最後に神社を離れ、明神川沿いの社家のある道を、ちょうど行列と反対方向に大田神社まで歩いて見よう。

社家のならんだ景色もよいが、私が一番好きな明神川の景色はこれだ。
上賀茂神社の小さな摂社・藤木神社のシンボル、樹齢500年といわれる大クスノキと、川が大きく曲がるポイント。

振り返れば社家の家並み。

初夏の頃、美しい野生のカキツバタ群生地となる大田の澤は、今こんな感じで来たるべき季節をじっと待っている。
そんな上賀茂の地域で、2月24日毎年幸在祭(さんやれまつり)がおこなわれる。
かつてこの地域の農家の元服儀式であったもので、男子が15歳になると「あがり」といい、大人の仲間入りしたことを山の神、田の神、氏神様に報告する儀式。

午前中でかけられぬ用事があり、本来は(杜若で有名な)大田神社から出発する行列は見られず、上賀茂神社からのスタートになってしまった。
写真は神社でお祓いをうけているところで、一番前にいる大島紬の羽織、黒足袋に下駄履き、首に白襟巻きの姿の男の子が今年の「あがり」。
かつて15歳はこの地域で農業の担い手となり、里の仕事、祭礼、町内行事などで一人前の大人として扱われる節目であった。現代は、、、まあ農家ばかりではないと思うし、15歳はまだまだどう見ても子どもなんだけれどね。

行列にはそれ以下の子どもたちも加わる。
今から神社本殿への参拝だ。
彼らが手に持つのは「大将木」という青木の幣。

それぞれが手に太鼓や鉦を持って、

打ち鳴らしながら本殿へ。

「あがり」の子も太鼓を叩きながら。
こさんやれ講という地域によるグループがいくつかあって(3〜4組?)、ここの組はあがりは一名。かつては数人いたのだろうけれど、少子化の時代はこんなところにまで。

大将木(たいしょうぎ)。
なんでこんな名前がついたのかよくわからない。

本殿から出て、鳥居の方へ行くと、次の組が太鼓や鉦をならしながらやってきた。
今度の組にはお宮参りに行くくらいの赤子も晴れ着を着たおばあちゃんにだっこされて参加。こうして0歳からさんやれに参加するんだ。
そして毎年ひとつずつ大きくなって、15歳であがり、親御さんの節目でもあるな。

あがりの子。
ちなみにかつてこのさんやれにあがりとして参加した方の話によると、昔はこの日の前に五番町夕霧楼を貸し切りにしたり雄琴にくりだしたり、あっちの方(^_^;の大人にもなったらしい。(今は知らんよ、今は)

上賀茂神社は洛中から遠いがゆえに、より地元と密着している印象がある。

最後にあがりの子がいない組とすれちがう。
やはり少子化はおそろしい勢いだ。それでもこの組は大人たちが鉦や太鼓、笛までふいて行列、伝統行事を守ろうという気概。
これを最後に神社を離れ、明神川沿いの社家のある道を、ちょうど行列と反対方向に大田神社まで歩いて見よう。

社家のならんだ景色もよいが、私が一番好きな明神川の景色はこれだ。
上賀茂神社の小さな摂社・藤木神社のシンボル、樹齢500年といわれる大クスノキと、川が大きく曲がるポイント。

振り返れば社家の家並み。

初夏の頃、美しい野生のカキツバタ群生地となる大田の澤は、今こんな感じで来たるべき季節をじっと待っている。