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2017-03

利休忌の茶会〜旧三井家下鴨別邸 - 2017.03.30 Thu

昨年秋に修復後公開されるようになった旧三井家下鴨別邸。最近こちらで茶会をするのがお仲間うちではやっています。



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茶室は一番奥にあって一般公開されていないので、拝見できるのは使う人の特権。
今回の茶会のご亭主は、昨年秋に菊慈童の茶会をしてくださった藪内のお茶友さん。御趣向は「利休忌」。
利休は旧暦2月28日に自刃しているので、新暦でちょうど今ごろの季節。



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邸宅の庭園がそのまま茶庭になるという贅沢なロケーション。




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蹲居に椿が一輪。
宗旦椿の逸話を思い出しつつ、これは企んだものかたまたまか?




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こちらの待合はこの円相窓がとてもステキだ。

待合掛けには菜の花の絵。
利休忌は菜の花忌とも呼ばれることは有名です。利休が好んだ花だっただからとか、最後の茶室に活けられていたとか、諸説ありますが、利休忌が終わるまで茶席には菜の花をいけないという不文律もあったりします。




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主菓子がこれまた菜の花のイメージの朧饅頭。
表千家の利休忌ではこれがだされるそうです。本来は黒糖餡だそうですが、今回はご亭主の注文で蓬餡。蓬の香りが高くとても美味しかった!(甘楽花子・製)




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藪内の武家点前にて濃茶を練るご亭主。

床には利休250年忌(幕末のころ)についての大徳寺管長の書。(漢文が読めませんでした、、、^_^;)
釜も利休が切り型を作った阿弥陀堂。


なぜかお茶友さんの藪内率が高く、藪内のお点前にもずいぶん慣れてきました。
お正客がやはり藪内の、タライ・ラマ師(^_^;の二つ名をもつ和尚様だったので(雨の日の茶事に笠の代わりにプラタライを出してくださるのをみなさん楽しみにされている)会話もとても楽しい。




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薄茶席にかかっていたのは「心外無別法」。
迫力のある字で、心のほかに別の法はない、と。

これに対面しながら、珠光が古市播磨に与えた「心の文」を連想していました。
「心の師とはなれ 心を師とせざれ」
心をコントロールして心(=感情)に支配されることのなきよう。一見相反する言葉が禅語の中にはたくさんあります。いずれも真実、というよりどちらが正しいかとこだわっていること自体がもうダメ、というところでしょうか。




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薄茶はお手伝いの女性の方が点ててくださいました。武家点前の女性版はどうなんかな〜と思っていましたが、全然違和感ありません。いままで拝見した藪内の中でいちばん美しいお点前でした。
藪内は宗匠筋によって若干所作が違うようです。

薄器が大棗だったのですが、蓋裏に「力」と。
これを見たらすぐ利休の遺偈「力囲希咄、、、」がイメージされます。
実際大中小三種作られたこの薄器にはそれぞれ「力」「囲」「希」と蓋裏に書かれているとか。またすてきに珍しいものをお持ちです。




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点心は、こちらもいつもは非公開の二階広間にて。
ここからの庭園の眺めはとてもすばらしい。




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そんな景色を楽しみながら点心をいただく。
ご亭主のとりどりのぐい飲みコレクションも楽しく、それぞれ好きなのでお酒もたくさんいただきました。
ここでもお茶の話に花が咲く楽しさ。




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お開き後はみなさま自主的にお片付けのお手伝い、まあ手際よくかたづいたこと!
さすが、茶人は違う。



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ご亭主をお見送り(?!)したあと、ぶらぶらと近くの出町柳まで。
ここには有名な早咲きおかめ桜の長徳寺、満開でした。




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一足お先にお花見!




乙女の雛祭り茶事2017 - 2017.03.28 Tue

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梅の花もとうとうほとんど散ってしまいました。




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そろそろ桃の花も咲き出した頃、やはりお雛様、桃の節句は旧暦がよろしいですね。




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なので我が家のお雛様を待合に眺めていただきながら雛祭り茶事を。

お客さまはみなさまほんまの乙女から心は乙女まで(^_^;
亭主ももちろん心は乙女でございます。

キーワードはカワイイ、小さいで。



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ですのでこの日の着物はちょっとかわいらしすぎて普段は着るのためらっていたカワイイ兎の小紋に毬の帯で。

かくの如く還暦過ぎた乙女のカワイイを追求してみました。




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もちろんこの季節、ゆらゆら揺れるのが春らしい自在の釣り釜で。




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向付の器もお寿司もカワイイ(?!)
(秋田曲げわっぱ、重宝しております、K様)




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うわばみの乙女もいらっしゃいますが、ここはまずカワイイ酒器にて白酒(ほんまは濁り酒)を。
ちなみに白酒がはいっているのは本来醤油さし(^_^;

日ごろお茶でよくつるむ方たちばかりなので席中でも会話がはずみます。なんか華やかでいいなあ。お雛様の茶事っぽい。ああ、それにしても今日は気持ちいいくらいお酒が減ること!(酒飲み乙女ばかりなんで(^0^;))うれしいなあ。



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主菓子は愛信堂さんの「ひちぎり」、かねていつ使おうか、チャンスをねらっていたミニケーキスタンドに桜の小皿で。うふんカワイイ.゚+.(・∀・)゚+.
意外とぴったりはまったので、これからも使ってみようかな。




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ここのところ燈火の夕ざりばかりやっていたので久々の正午の茶事、陽や影のうつろいがまた美しい。




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ゆらゆらと釜がゆれる。

後座は胴鼓の花入に椿とネコヤナギ。
茶入はこれもカワイイ女流作家のガラスの茶器に紬の仕覆に。

茶杓は正月の結び柳から削りだして柿渋で仕上げた自作のもの、銘を「綰柳(わんりゅう)」(昔中国で旅立つ人の無事を祈って結んだ柳の枝(綰柳)をわたしたという習わしから)。

今年は旅立ちの年なのでしょうか。お客さまそれぞれが春から新しい生活にはいられます。なのでそのはなむけに、新しい世界への旅立ちの無事を祈って。



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薄茶はこれもカワイイ道具がちまちまでてくる御所籠にて。
ちなみに写真をがっつり取り忘れたので、この写真は以前のものです。道具の内容はその後ちびちび誂えたので、実際かなりかわりました。




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本来なら瓶掛けでやる点前ですが、なんとか炉+釜でできないものかとちょっとブロークンにやってみたら案外いけましたよ。

干菓子もカワイイUCHUさんの菱餅に見えなくもないお菓子と千代結び。


楽しい春先の乙女の茶事、これにて終了です。
みなさま、ほんまによき旅立ちを!!






金沢・陽春の茶会〜11代大樋長左衛門襲名を記念して - 2017.03.26 Sun

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もしかして10年ぶりくらいかしら、金沢。
北陸新幹線は関西にはまだきていないので、恩恵にあずかれないが、京都からサンダーバードだと途中福井にしかとまらないので意外と楽であった。




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今回は金沢日帰りで○交社(^_^;主催の茶会旅行へ。
昨年大樋長左衛門を襲名された11代と、先代の陶冶斎さんが席主をされる茶会である。

まずは中村栄俊記念館にて陶冶斎さん席主の濃茶席。
中村栄俊翁は金沢の中村酒造の社長でお茶を愛したお茶人でもあった方。昭和初期に建てられたその旧宅が記念館となってここに移築されたのが昭和40年だったそうだ。




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桧をふんだんに使った邸宅だが、やはり京都の町家とは趣が違う。なんとなく雪の多い土地のお屋敷という印象。

こちらのお屋敷の二階の大広間(一生懸命勘定したが27畳??という中途半端な畳数)にて濃茶席。
土壁はベンガラ色でこれも京都ではあまりお目にかからないが、金沢の東茶屋街のお茶屋さんで同じ色の艶っぽい壁を見たなあ。




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欄間がまたゴージャスで、金沢っぽい。盃をかかえている猩々と酒の瓶から酒を汲んでいる猩々が見事な浮き彫りになっていた。もしかしたら中村翁もお茶だけでなく能楽もお好きだったのかな。(野村得庵さんみたいに)




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(なんとりっぱな一枚板!)



お点前は、、、、やっぱり業躰の奈良先生(^_^;)(大樋陶冶斎の次男さん)。
お菓子が金沢と言ったらここよね、の吉はし製のきんとん。薄紅色で黒糖がしっかりきいたとても美味しいお菓子だった。(京都の和菓子と遜色ありません)


陶冶斎さんも奥様とご挨拶されたが、御年90歳になられる。ますますお元気で11代との合作もされておられる由。



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待合の軸が、鉄斎が描いた蓮月尼(鉄斎が師事していた)の作陶図というのが珍しくてとてもよかった。老境にはいった蓮月さんが轆轤を前に削り?の道具を持ってすわっているところ。彼女は引っ越し魔であったが、今私が住んでいるところの岡崎にしばし寓居して作陶に励んだというので、なんとなく親しみを感じている。


あとはもう初代から当代までの大樋オンパレードである。茶入は飴釉の棗型、初代大樋が印象深い。釜が5代寒雉となれば茶杓はやっぱり仙叟よね。なにせ三千家に別れた後の裏千家の初代だものね。

古銅の花入が八百善旧蔵(宗和箱)というのも興味深い。酒井抱一に所縁のある八百善、仙叟より少しあとになるが。

大広間のこれまたりっぱなベンガラ色の床にかかっているのが、加賀前田家5代藩主綱紀候の一行「登楼万里春」というのも土地柄を考えるとぴったり。




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記念館の前にはまだ梅がこれから、というころあいでやはり京都より北陸の春はゆっくりなんだなと思う。




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記念館の前には金沢市立中村記念美術館があって、これが思いの外すばらしいコレクションであった。
中村栄俊翁は表千家でお茶も習われていたそうで、お道具数寄の方は金沢へ行かれたときには是非行くことをおすすめする。




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たぶん根津の井戸茶碗展にもでていた青井戸「雲井」はここのコレクションであったか!!
長次郎の赤楽「手枕」をはじめ、名品の本にのっているようなものがたくさん。

一番心ひかれたのが龍泉窯の砧青磁平水指「青海波」。宋時代の名品、六弁の輪花になってきれこみがくっきりきっぱりの鋭角、これは美しい。輪花にあわせて誂えた塗蓋もまた美しかった。




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濃茶のあとは貸し切りバスにて移動、金沢といえばここ、というくらい有名な料亭つば甚へ。創業からこのかた約260年というからやはり金沢はすごい。ここも京都と同じく戦災をまぬかれた土地だからなあ。




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こちらでいただいた点心。おいしゅうございました。



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大広間。真ん中に仕切りの舞台があるのだが、これをあけはなつとなんと200畳敷!
舞台は金沢の花街の芸妓さんが舞ったりするのに使われるとか。さすが古都だわ。





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大広間の片隅には古い由緒有りそうなお雛様の寝殿飾、そこに据えられていた金沢の祝菓子・金花糖の鯛。
やはり金沢も御雛飾りは旧暦でしはるんやね。




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こちらは今の女将さんが生まれたときのお雛飾のそばにいた可愛い子。これも江戸を下るまいと思われる。




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玄関から入ったときは、ここは二階のはずが、犀川の土手側からすると5階になるこの不思議。犀川が流れる遙か向こうに雪をかぶっているのが医王山。あの向こうはもう富山かあ。




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最後のお見送りは女将さん以下みなさんで。ご覧のように男性スタッフはみんな袴姿なのがツボであった。(茶席では珍しくはないが、料亭でこういうのは初めて)みなさんとても感じが良かったし、いろんな質問にもすらすら答えてくださる。さすがつば甚である。




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最後の薄茶席は大樋長左衛門窯・美術館・ギャラリーにて。
かつてここは窯場であったが、清水坂と同じく、環境問題にて窯場は田舎へ移転されたとか。
この左手の大きな松は金沢市指定樹木、樹齢500年の赤松。数十年前火災にあったとき、枝を落としながらも切り口を自らの松脂で塞ぎ長らえたという。その名も「折鶴の松」。


こちらのお屋敷内には茶室がたくさんある。玄々斎命名の「芳土庵」と、前田家当代利祐命名の「松濤間」をつなげて薄茶席に。席主は当代大樋長左衛門さん、お点前は奥様。

ちなみに火事にあったあと、このままではいけない、と自ら設計し再建に尽力されたのが鵬雲斎大宗匠であった。やはりそこは仙叟の力よね。「陶土軒」という小間で、真珠庵の庭玉軒みたいに蹲居が室内にある。金沢は雪国だしね。

他にも 隈研吾設計の立礼席もあるらしい。

当代大樋さんはほぼ同じ年代なので、なんとなく親しみを覚えるし、またトークもお上手だ。作品を拝見するにどこか当代の楽さんと同じようなテイストを感じるわ。どちらも実はモダンアート好き?!

床の軸がたくさんの現代アーティストの合作というのもモダンアートっぽい。
今はなき伊住宗匠・グラフィックデザイナーの麹谷宏・俳人の黛まどかの三人の連句に糸桜の描き表装が千住博、軸先がご当人、箱書きが坐忘斎お家元という。

          いとさくら 日毎の風に 色つむぐ

            野点の夢に 風船の影

              旅立ちの 空の深きに 蝶生まれて


お道具もご本人の作品と現代作家の作品が主。
伊住宗匠手づくねの飴釉茶碗もでていた。生前の交友関係がうかがえるようなお道具。ご存命なら当代の大樋さんと同じくらいのお年であったはず。

脇床で清水公照さんの(東大寺元管長)土仏に出会えたのがうれしい。公照さん好きなんだ。


ギャラリーで大樋の茶碗も拝見したが、ほしいな、と思うのはどれもお高くて、、、(^◇^;)



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現地解散後、他をどこも見物せず金沢をあとにした。
日帰り弾丸ツアーだったので、金沢観光はほぼできなかったのはちょっと残念。

こういう金沢らしい古いお家を見たり、タクシーの運転手さんにここが旧制四高、兼六園、21世紀美術館、、、、と車中でガイドしてもらったのだけが観光といえば観光であったかな。
またゆっくり訪れたいものだ。北陸新幹線がはやく京都まで来ればいいのだけれど。


桐蔭席〜中村宗哲・諏訪蘇山姉妹席 - 2017.03.23 Thu

東山七条、豊国廟へ向かう緩やかな坂は女坂とよばれ、PRINCESS LINEと銘打った赤いバスが頻繁に走る。



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なぜならこのあたり一帯、京都女子大(京女)が占めていて、女子大生がいっぱい通るからなのだよ。先ほどの赤いバスも京女の学生の通学用。(一般人も乗れます)
若い女子ばかりで華やかなイメージだが、私見では京女は質実剛健でしっかりした賢い女子、というイメージ。

ちなみに左手にみえるのは先日オープンしたばかりのリッチなホテル、フォーシーズンズだよ。




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女坂を登り切ったところ、豊国廟の片隅に茶室がある。淡々斎指導の下、昭和4年建てられたという桐蔭席。設計は裏千家?棟梁は三代目木村清兵衛。

裏千家では、ここで釜を掛けるということは一生に一度の名誉なこと、とまで言われるくらい格式が高い茶席なのだ。だから席主は家元に近い偉い先生とか、一流の美術商とかそんなこんなで、一生ご縁がないと思っていたが、なんとこの春桐蔭席を2回も経験することになろうとは!(あと一回はまだ4月だけれど^_^;)人生なにがおこるかわからんものだ。




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ちなみに今回の席主は千家十職の塗師・中村宗哲さんと青磁の諏訪蘇山さんご姉妹。
姉妹合作の水指を4〜5年待ちで作っていただいたご縁にてのご招待。ありがたいことだ。

しかし宗哲さんは表千家、蘇山さんは武者小路を習われているので、裏千家の桐蔭席で釜をかけるに当たって裏千家の重鎮の先生がお点前をされるという裏千家リスペクト。濃茶席のお軸も玄々斎であったし。

寄付は茶席にもなる七畳の間で、待合掛けは藤村庸軒が初代宗哲にあてた消息。ふたりは仲がよかったそうで、なんども消息のやりとりがあったとか。初代宗哲は塗師ではあるが茶杓もよく削った、ということで「このまえあんたが削った茶杓はよかったで。」みたいな内容。こういう消息が家に代々伝わっているというのがすごいな。(千家十職が現代まで続いている、ということも奇跡だが)


濃茶席の席主は宗哲さん。
茶席はよく雑誌「淡交」で写真だけ見たことのある四畳半台目中柱の小間で、ここに座れる日がこようとは、、、と感動。

床の玄々斎は「子能継父業(子よく父の業を継ぐ)」。千家十職に与えられるにまさしくふさわしい一行。これは子供の頃から玄々斎に可愛がってもらっていたという8代宗哲に与えられた物。

与次郎の阿弥陀堂や宗入のかせた黒楽とかもすごいが、○代宗哲、△代宗哲、、、が次々でてくるのには圧倒される。ほとんどが注文に応じてつくられた作品なので、家にはあまり残っていないとおっしゃりながら、これである。
茶杓はさきほどの待合掛ではないが、茶杓をよく削った初代の七六歳の時の作であった。

なにより素晴らしかったのは300年の時を経てさらに深い艶を放つ初代宗哲の利休型真塗手桶水指!漆は経年でさらに透明度が上がっていると思われる。こんなん見ちゃうとね〜、、、、

仕付け棚にのっているのはご姉妹の母上、12代宗哲さんの棗。父が漆関係で交流があった方であったが惜しいことに急逝された。「ここで母が見守ってくれています。」とおっしゃった宗哲さんの言葉が印象的。



かわって明るく開放的な広間の薄茶席は蘇山さんの席。
蘇山さんは水指をお願いするにあたりいろいろお話しもさせていただいたので、なんとなく親しみがある。それでなくても明るく楽しい方だ。

こちらも母方の歴代宗哲、父方の歴代蘇山の作品がずらっと並ぶ様は圧巻。他席ではまず見ることができないであろう。それにしてもお茶道具、こんなのがほしいな、と思えば姉上の漆器、ご本人の磁器、一番上の姉上の金工となんでも姉妹でそろってしまう、というのがうらやましい話である。

こちらにもお母上の青海波蒔絵の大棗、姉上の爪紅四方盆、ご本人の栄螺青磁蓋置がそろい踏み。初代蘇山の絵高麗水指もよかった。
さすがに名人と言われた11代元斎宗哲の平等院古材の炉縁はよかったなあ。側面は古材の肌をそのまま活かし、上面のみ宇治橋蒔絵が上品。

茶杓が玄々斎、おそらく中村家におくられたものであろう、銘が「宇るし筆(漆筆)」
歌銘になっていて「茶の手前 やはらかなれや 宇るし筆 かたくなりては 人もこのまず」
漆をなりわいとするお家に贈るに励ましともいましめともとれる言葉、茶家との交流がなんともすばらしく思えた。


点心は茶道資料館担当でたん熊北店、お酒のお酌を伊住家のご次男さんにしていただきこれも恐悦至極。
かくの如く桐蔭席でびゅ〜をおえたのである。








大覚寺・望雲亭 - 2017.03.21 Tue

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奥嵯峨にある、嵯峨天皇の離宮であった嵯峨御所・大覚寺。
1200年もの歴史を持つ格式高い門跡寺院であり、華道・嵯峨御流本山であり、、、時代劇ファンにはたまらないロケ地でもある。
(*ちなみに4月7日~9日に嵯峨御流流は最大の祭典・華道祭があるよ)





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境内を出てぐるっとまわって大沢池南畔に、、、




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望雲亭がある。

かつてここに、少なくとも江戸末期には、庭湖館という建物があったが、のちに明治年間、裏千家の肝いりで広間小間水屋を備えた望雲亭が建てられた。

命名の由来は、嵯峨天皇が高野山に帰山する弘法大師に贈った詩による。
(道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む)←嵯峨天皇は空海ととても仲がよく、ここでいっしょに茶を喫したり、中国留学時代の話を聞いたりされたそうな。


ところが昭和40年代に焼失、昭和50年に再建されたものの、あまり茶会などに使われず、露地がひどく荒れていた。それではあまりにもったいない、ということで露地をきれいに整備したのがうちにもゆかりのある造園屋さん。
そのご縁で、(もったいなくも)お寺さんにこちらを案内していただいた。




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荒れている時を知らないのだが、とても美しく整えられているので、そんな時があったのがなおさら信じられない。




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網代の腰板や天井で囲まれた玄関をはいってまず案内されたのが、この大広間。
船底天井で照明は新しくしたものの、それ以外は当時のままの和風モダン。

特筆すべきはこのテーブルと椅子。
お寺の応接間(?)にも同じ物があったが、有栖川宮家よりの下賜の品なのだそう。現在名宝館で開催中の慈性入道親王展、門跡としては最後の方だが有栖川宮家ご出身なんのだとか。




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八畳の広間。

障子を開け放つと目の前に広がる大沢池のパノラマ!
これは気持ちのよい眺めだが、楽しめるのはむしろ亭主の方かも。




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小間の外観。
この沓脱石などもすべて新しく設置したのだそうだ。



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小間へ続く露地。




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小間は二畳台目向切+堂庫らしきもの+二畳の相伴席。
たてていた雨戸をあけてもらうと、、、、まあ!とおもわずため息のでる切り取られた大沢池、その向こうに二重塔の心経宝塔。




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室内を明るくすると船底天井がよく見える。茶室自体が、まさに池へこぎ出そうとする舟のようだ。




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塵穴もおもしろい。




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これも新たに据えられた四方仏の蹲居。




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水屋も広くて使い勝手がよさそう。
さらに広い広いキッチンもついて、トイレもきれいで複数あって、設備的には申し分ない。これで使われないのはあまりにもったいない!



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腰掛け待合いも修復したそうだが、これも露地を歩く景色になっている。



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しかもここへすわると松越しに大沢池がよく見える。





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さて、なんといってもお楽しみは、、、露地からそのままいける船着き場、そこから池へくりだす舟!




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さあ、舟にのりこもう。
結構広い。




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舟に乗ってふりかえる望雲亭。




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いつもは向こうに見える舞台から見ている大沢池を池から見るこの楽しさ。




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大沢池は水深が浅いので、漕ぐというより竹の棹で地面を押している、という感じ。

ここで池を巡りながら点心をいただくもよし、薄茶席にするもよし。
いろいろ妄想がふくらむ。




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ここには野生の水鳥も多い。
水中にもぐってエサをとっているのはオオバンという鳥だそうだ。




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今は枯れ蓮だが、花の盛りはいかばかりか。
ちなみに池をぐるっとまわっているのは桜なんだそうだ。これも見たいなあ。

嵯峨天皇が中国の洞庭湖を模してつくらせたという大沢池、1200年の昔からほぼ形をかえていないのだとか。平安初期の雰囲気を少し味わえるかも。




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枯れ蓮の景色は若冲も描いていたと思うが、結構好き。




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と、ゆるやかな船遊びをしているうちにふたたび望雲亭が見えてきた。終点だ。




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たっぷりいいものをたくさんみせてもらったあげく鉄鉢料理もご馳走になった。ここで茶会をするときにこういうのを取ることができる。




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しかし、、、、この広い広間に宮家の調度でふたりっきりでご飯を食べるというのもなあ、、、なんだか一時だけ高貴な人になった気分だ。



この望雲亭、お稽古とかイベントとかで使用されることはあっても茶事茶会に使われることがめったにない、というもったいない施設。お寺の方も茶会使用への使い方を模索中とか。船もいろんな使い方があって楽しめることうけあい。
手始めに秋に一回茶会をやってみようかと、思っている。





祗園・山玄茶 - 2017.03.19 Sun

ここのところ忙しくて、月イチグルメ倶楽部(?)の活動ができていなかったが、ようやく久々にがっつり外食。



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場所は祗園花見小路をちょいと東に入ったちょっとややこしい道沿いにある山玄茶さん。

実はここ、私が愛用しているマッサージ日吉堂のほん近く。いつもマッサージに通いつつ、前を通って一度いってみたいなあ、、と思っていましたが、やっと中へ入れました。



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桜の汲み出しをいただいたあと、まず先付の雲丹豆腐+白魚、わらび。

外はまだまだ寒いですが、ここで春を先取り。




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このお造りを粒マスタードドレッシングでいただくのがとっても美味しかった。
特に鯛のお造りを春キャベツで巻いたのが、ドレッシングにとてもよくマッチしてまさにお造りサラダ。




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煮物椀はお雛様の季節らしく蛤しんじょう。花うどや人参のせ、で華やか。




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これは萌える器だ!

特注の小さい菱形お重、中に入っているのがまたまたかわいいサイズのミニ寿司で豆皿にのっているのがツボ。
女性にはうれしい、おいしいものを少しだけ多種類で。




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縁高の中の八寸。

蛸の柔らか煮がほんとうに柔らかくて美味しかった。お雛様の季節のミニミニ器もかわいくて、雪洞、蛤、栄螺。お隣の方には栄螺のかわりにひちぎり風の器、今日の器のテーマは「かわいい」だわね。




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近江牛の唐揚げ、中はミディアムですのよ。

こちらの大将は近江の八日市の名店・招福楼で修行されたとか。招福楼には行ったことはありませんが、茶味あふれる懐石料理の店で、店内には宗和好み・真珠庵庭玉軒写しの茶室もあるそうな。




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こちらもミニサイズの鉢もの。
季節の若竹煮+厚揚げとろみ生姜出汁。ここでも春をたっぷりいただく。




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ご飯は筍ご飯でこれも美味しかったのですが、、、



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ここの売りは土釜で炊いた江州米。
大将も食べてほしいらしく、ほぼ強制的に(^_^;お茶碗についでくださる。確かにコチラの方がより美味しい。炊き方も大切なんだろうと思う。(懐石でご飯炊きに苦労して、電気釜におまかせしてしまっている自分、、、、)
白米のおいしさは、日本人でよかったといつも思わせてくれる。




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そしてこれも逸品、八丁味噌の汁の上澄みだけのお汁。これがまた思いの外上品。手間はかかるが、是非懐石に取り入れたいもの。




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デザートのグレープフルーツのワインゼリー掛けは、食べやすく切れ目が一房ごと入っていて、仕事やなあ、と感心。

さらに和菓子がでると聞いて、もうお腹にさすがにはいらんやろう、、、と思っていましたが、、




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なんとかわいいミニミニ関東風(薄焼きで餡をくるむ)桜餅で、ぺろっと食べてしまったのはいうまでもありません。




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これからも日吉堂のマッサージの時はいつも前を通ると思います。入ったことあるもんね〜と自分に自慢してしまいそうです。ごちそうさまでした。>^_^<



朝鮮毛綴・山鉾風流〜吉田塾 - 2017.03.17 Fri

洛中の吉田家住宅、ついこの前まで山鉾連合会の会長をつとめておられた吉田孝次郎さんが生まれ育った家であり、歴史的意匠建造物でもある大きな表家造りの町家(祗園祭のとき北観音山の屏風飾をするところといったらわかるかな)。

ここで年に数回吉田塾と銘打って京都の歴史や文化、暮らしについてさまざまな講義というかもっと気楽な勉強会がある。昨年からちょこちょこよせていただいている。
今回は吉田さんのライフワークでもある朝鮮毛綴のお話しだ。



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奥の座敷にはお雛様。
京都では旧暦に祝うのが一般的。(うちの郷里もそうだった。3月にまだ桃も咲かないのにやっちゃうのは東京流か)
これは吉田家のお雛様で江戸末期の古今雛といわれるもの。





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さて、まず座敷に広げられたり掛けられたりした朝鮮毛綴の実物を見たりさわったり。
実はこれらはつい先日ソウルのギャラリーで里帰り展示を終えて帰ってきたばかりの物。吉田さんのコレクションは72点に及ぶという。

朝鮮毛綴は15世紀末から19世紀初頭まで、朝鮮で織られた毛織物で縦糸が木綿、横糸に山羊などの硬い毛を使ってみっちり硬く織られた織物(硬すぎて虫もくわないので残ったとか)。
これも不思議なもので、本国の朝鮮には伝世品は2点しか残っていないのに、山鉾町周辺に特異的に数多く残っているのだ。ほとんどが江戸時代の山鉾風流(装飾)に使われてきたもの。

こういう敷物は両班などが屋敷で使っていそうだが、15世紀の朝鮮王・世宗(セジョン)(ハングルを発明した王様)の時代、海外贈答以外に使ってはいけないという禁令がでて、朝鮮半島では流通せず、日本にだけ多く残ったそうだ。





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障子を通した光がそそぐいにしえの毛氈。
現在は退色して茶色っぽい色になっている部分は、かつては猩々緋くらい鮮やかであっただろうと推測されるとか。

紋様は織りで色を分け、その上に筆で絵を描くという二重構造。模様のテーマはずばり吉祥。




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山鉾町に伝わる朝鮮毛綴をスライドでみせてもらう。

これは特に有名な放下鉾所蔵、江戸時代に「ばけもの氈」とよばれ親しまれたものらしい。鮮やか!
なぜばけもの、、と呼ばれるのかは紋様がよく見なければなにを描いたかわかりづらいところかららしい。しかし分析してみると朝鮮王朝の吉祥紋がすべからく描かれている。
五羽鶴・鳳凰・玉取獅子(ギョロ目の獅子がじゃれ合ううちに毛玉ができ、中から子獅子が生まれるといった奇妙な紋様)・虎・牡丹・蓮・鵲(かささぎ)、、、などなど。

これらの紋様は多くの毛氈にみられるパターンらしい。他には霊芝とかうずまきの瑞象とか、よくわからないものまで(^_^;




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これらの毛綴がどういう道をたどって山鉾町にたどりついたのか?
まだそれは解明されていないらしいが、吉田さんの研究では、おそらく朝鮮通信使が将軍に献上して渡来したのだろうと。江戸時代の江戸図屏風に通信使の絵が描かれており、その中の献上物のなかに赤い織物のようなものがあるのが、おそらくそれが朝鮮毛綴ではないかとのこと。また、さきぼどのばけもの氈の裏に「拝対馬」の墨書があり、対馬藩も交易にからんでいたらしい。

そしてその華やかさ、美しさ、丈夫さ、に目をつけた京の町衆が祇園祭の山鉾風流にぴったり!と思ったのだろうな。





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端の方は毛がすり切れて,縦糸の木綿だけが残っている部分もある。




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これは緋色の上に緋色の絵の具で紋様を描いた部分。同じ色とはとてもおしゃれではないか。




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おしげもなく座敷に広げられた朝鮮毛綴。そういえば、飲み会の時にも惜しげもなく鍋の下になんか敷いてたよね(^◇^;)それだけ時代を経て尚、丈夫な綴れということだろう。
なにより渋い美しさである。今年の祇園祭の山鉾を見る楽しみがまた増えた。




<おまけ>

吉田塾。朝鮮毛綴だけでなく、京都の町衆は跡取りの長男だけ篤く教育を施して、他家に出る予定の次男以下には教育投資をしない、という徹底した合理的(?)習慣があったとか、そんなお話しもきけます。
ちなみに孝次郎さんは次男なので、極楽のような?少年時代を送ったそうですが、長男の兄上の早世で跡をつぐことになってからは厳しく勉強させられたのだそうです。





修二会2017・その4〜尻つけ松明 - 2017.03.14 Tue

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奈良公園。




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えへへ、、また来てしまった。





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本日満行の日、この日だけの尻つけ松明を見に。




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12日深更、ここで若狭井のお香水がくみあげられたはず。今年はこれなかったが。




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閼伽井屋付近で残った生飯をあさりにきた鹿さん。




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今日は全体像が見たいので、このあたりに布陣いたすとしよう。2時間前。

この日だけはいつもより30分はやく練行衆は上堂される。今年最後の上堂だ。

満行のこの日は練行衆はそろって上堂し、そのあとを10本の松明がどんどん追いかける。追い立てられてお尻に火がつきそうなので、尻つけ松明とか、尻焦がしとかいわれるのだ。




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さあ、あがってきた。
これまではそれぞれがお堂の角に一本ずつ、、、なので、こんなふうにならぶことはない。




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早い早い、あっというまに10本そろいました!




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圧巻!!これは初めての景色だ!












ちょっと興奮したが、時間はほぼ10分くらいだっただろうか。あっというま。




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帰りの道で奈良の市街地の上に金星を見る。



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童子さん達がさっそく境内のあちこちに張り巡らされた結界を撤収してはった。



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なので、湯屋の前で一部を切ってもらって拝領した。
しばしお下がりの結界を玄関に張っておこう。(うちの玄関、祗園祭と修二会がけんか?しているの)



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本日深更、いよいよ満行を迎える。
無事に終わることを祈りつつ、また来年もくることができますように、と祈る。




修二会2017・その3〜二月堂界隈点景〜食作法・日中上堂 - 2017.03.13 Mon

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一夜明けた奈良公園。朝日の影が長い。




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浮雲園地をつっきって再び二月堂へ。




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二月堂手前にある手向山八幡神社の境内。修二会はある意味神仏習合だからね。
「このたびは 幣もとりあえず手向山 もみじの錦神のまにまに」ですよ。
燃えたあとのお松明がおいてあった。




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三月堂(法華堂)。
昔は堂内に不空羂索観音とあの美しい国宝・日光月光菩薩がおいでになったのだが、東大寺ミュージアムにお引っ越しされてしまった。保存という意味ではわかるのだが、あれはやはりこの暗いお堂内で拝みたい。




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四月堂。
こちらも以前は大きな千手観音様がいらしたのだが、これもミュージアムへお引っ越し。なんか哀しい。
ここの隣が開山堂なので、背伸びをすれば糊こぼしが見えるらしいのだが、どれが糊こぼしなのかはっきりとはわからぬ。




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さて、二月堂。
昨夜の晨朝の行がおわったあと、内陣の扉には鍵がかかっているはず。




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はらね、閼伽井屋(若狭井)の、きのうの枯れた榊が一夜にして新しい榊になっているでしょ。



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練行衆たちは参籠所でまだ食作法の前、くつろいではる。

「あ、園長先生!」

東大寺幼稚園の子どもたちが園長先生を見つける。ほほえましい一景。




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参籠所ではいろいろな打ち合わせがおこなわれている模様。




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こちらは北回廊の上にある茶所の、さらに上にある遠敷明神。若狭井を湧かせた遠敷明神が祀られる。練行衆は修二会に先立ち三社を巡るがここもその一つ。



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裏参道。




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練行衆として出仕しはる塔頭にはこの輪注連縄が掛けられる。




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湯屋では練行衆の一日一回の食事、食作法の準備がおこなわれる。



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湯が沸かされ、大鍋には汁。
まあ、なんとりっぱな薪だこと!




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仏餉屋の前の榊も青々としたものに。




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食作法は食事を前に延々と30分以上はかかるので、その間ご飯はおあずけ、そしてお汁は冷めてしまうのだとか。
これはその作法に使うお灯明の種火だろうか。



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以前から不思議におもっていたのだが、食作法の時にはかならずこの破れた鍋が食堂の前にもちだされるのだ。
これは破鍋(まんしょ)と言って、その由来ははっきりしないのだそうだ。なんだ、やっぱりわからないのか。たぶん昔々にはなにかいわれがあったのだろうが、もう失われてしまったということだろう。




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童子が、鉢にはいった干し柿をもって食堂に入る。



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時間とともに参籠所から練行衆が走って食堂に入室される。早い,早い。




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この躍動感!



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食堂に運び込まれる(たぶん)ご飯。



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そしてお汁。

ここからが長い長い。
食堂の一箇所に中をうかがえる場所がある。今年はじめて食時開始の合図の三本柄杓がくるりと回るところを見た。


われわれは遠慮しいしい見たが、中にむかって写真をばしばし撮っている人あり。やっぱりそれはあかんやろうと思う。

食堂内は無言のため、おかわり請求の箸をカンカンならす音も聞こえる。練行衆たちの食事はほんとうに早い。




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童子たちが中にはいっていく。練行衆の食事のあと、その残りをいただく盥をもって。童子たち三役はのちにゆっくり参籠所で召しあがるのだそうだ。




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食事を終えられた練行衆たちは閼伽井屋の屋根にむかって生飯なげをする。




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それぞれ投げるフォームが違うのがおもしろい。
遠投が上手な方もおられれば、そうでない方も。




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その生飯をねらって早速やってきたカラス。
こういう動物たちも修二会の一環なんだなと思った。



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そして参籠所前で初めてご飯のお余りを拝領した。
これは食べて見るとどうやら蕗の砂糖漬けのようだ。練行衆と同じ物を口にできるとはなにやらありがたい気がする。




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1日1食だけの食事を終えてゆっくりするひまもなく、1時から日中上堂。



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日中は勢いよく走って入堂される。写真がぶれていると言うより、みなさま早いのよ。

内陣の戸の鍵がなかなかあかず、少し時間がかかったが、長い行、そういうこともあるのだ。
日中は二列にならんで内陣にはいられ、行の準備、掃除、この間も戸帳はまきあげられるので御厨子を拝む。

しばし美しい唱句を聞いたあと、局をあとにする。

練行衆たちはこのあと入浴、仮眠をとられる。
湯屋のお風呂は桧でとてもいいお風呂なんだそうな。このお風呂は年末の大仏御身ぬぐいのご奉仕をされた方も利用できるのだと、東大寺の職員さんから聞いた。



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今年も無事に修二会は終わる。
いよいよ本格的な春だ。



修二会2017・その2〜初夜上堂・お松明〜下堂 - 2017.03.13 Mon

北の回廊をゆっくりゆっくり大きな松明が登ってくる。


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この灯りに照らされて練行衆がおひとり、おひとり、10人(あとお一人はすでに上堂し準備を整えている処世界)上堂されるが、松明の明かりが暗闇にまぶしくて、そのお姿はしかとは拝見できない。




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火の粉が飛び移らないように、その後を掃き清める三役(練行衆に付き従いいろいろな用事をするお役目)のざっざっという箒の音が小気味よい。



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練行衆が差懸(木の沓)の音を高らかにひびかせて内陣に入られたのを見とどけて、松明は参拝客の前に姿を現す。



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今年もほぼ真下で見ることができたので、火の粉をいっぱい浴びた。これで無病息災、、、のはず。気がついたら鞄に火がついてまわりの人が消し止めてくれるという場面も。(やばかった)



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これを見て、もう春やな、とみんな感じるのだ。




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お松明がおわり、観光客がほぼ引き上げた後の静けさを取りもどしたお堂前。二月堂シンボルの瓜灯籠だ。




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夜景の前にたちはだかる良弁杉。二月堂開山の良弁上人にまつわる伝説の杉。

まずは南の局にて声明を拝聴しよう。
南の局は戸帳がないので意外と内陣の中までしっかり見ることができる。高く積み上げられた壇供の餅、糊こぼしの造花や南天の荘厳、練行衆のお顔まではっきり見ることができる。



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何回も聞いてだいぶん覚えてしまった唱句もある。南無観コーラスはいつ聞いても美しい。今年の呪師さんだろうか、とてもすばらしいバリトンの方がひとりおられ、その方の声のときは聞き惚れてしまった。

カラコロとなる鈴、法螺貝のぷ〜ぷ〜、鐘のご〜ん、堂内を走り回るときの差懸の音、五体投地のバ〜ンという音、目をつぶってきいているだけでも楽しい。

正面の西の局に移動(膝掛けと座布団は必需品)すると、今度は戸帳の向こうに大きな影、小さな影、それらが動く景色は幻想的ですらある。

途中内陣のお掃除もあって、その時は戸帳が巻き上げられるので、下七日のご本尊・小観音さまの御厨子がはっきり拝めるのだ。

有名な青衣の女人がでてくる過去帳は5日と12日にしか読み上げられないが、神名帳は毎夜読み上げられる。○○大明神、△△大明神、++大明神、、、、と大明神だけは聞き取れるのだけれどね。早すぎてなんて言っているのかよくわからない。


そして深夜1時前になると戸帳の前に粥食(じゅくじき)といってお粥のはいった大きな盥みたいなのが堂童子によってだされる。これはこの日の行をおえた練行衆が寝る前に口にするむしやしないのようなものだが、まずは観音様にささげて、ということらしい。今回はじめて見た。

そして練行衆がそろって外陣にでてこられたので、すばやく北の入り口に移動して下堂を待つ。



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出口を松明で照らす三役さん。



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そして大きな声で「手水手水〜手水手水〜」と叫びながら杖の音も高らかに走って参籠所まで駆け下りられるのだ。

手水〜、、は、練行衆がお堂を留守にしている間、烏天狗がやってきてマネをして悪さをするので、手水(お手洗い)にいくだけですぐもどるから悪さをするなよ、の意。


昨年も動画をアップしたが今年もあいもかわりませず。まあ、アングルが違うので懲りずに見てくださりませ。








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練行衆たちが参籠所へもどられたあと、粥食の係りなのか童子さんが湯屋(食事の準備をする台所)の前で片付けをしておられた。



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局を出て振り返ると静かにおさまる二月堂。



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他に人をみない暗い参道。
誰かにあったら私も恐いが、相手もきっと恐かろう(^_^;



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お松明の燃えさし、今年もこれだけゲットした。杉の焦げた匂いがすがすがしい。



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そして見事に穴のあいたポリのバッグ、、、、(>_<)ゞ



修二会2017・その1〜夕方から三度の案内(あない)まで - 2017.03.13 Mon

今年もお水取りの季節がやってきた。
毎年同じような記事ばかり書いてはいるが、それでも毎年新しい発見や知識を得ることができる、底知れぬ奥深さが東大寺修二会にはある。



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修二会の行は日によって内容がくるくるかわってくるので、行ける曜日がいつになるか、でかなり面白かったり、普通だったり。今年はこれといった特別な行のない日しか選べなかったが、それでもお松明や声明は毎年楽しめるのだ。

今年もお参りにくることができた、といううれしさもある。あと何年来ることができるかな。



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下七日(ご本尊が小観音に変わる)の第9日、深夜のお水取りは12日深夜だから、この時はまだ閼伽井屋(お水取りの若狭の井)のまわりは枯れた榊。この翌日10日のお昼にきてみるとこれが緑の新しい榊にかわっていたのだ。




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閼伽井屋の上の鵜。
遠敷明神(おにゅうみょうじん)の約束した鵜の瀬の水は白黒二羽の鵜とともにここに湧き出たという。




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食堂(じきどう)の前には12日に使う籠松明(14日間の行の間、一番大きく重い松明)の準備も。




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北の回廊をのぼる。
お松明は上堂する練行衆の足元を照らしながらここを上る。




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回廊下の練行衆参籠所前の結界。これは修二会開始に先立って2月20日に境内のあちこちに張られる。




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お松明用の竹は乙訓の松明講の人たちによって届けられるとか。寄進した人のお名前が墨書されている。




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参籠所のすぐ前は、二月堂で一番趣のある裏参道だ。
ここをおりてすぐのところの塔頭・中性院は東大寺の中の名門・北河原家だ。先々代の東大寺管長であったが、今年ご子息も練行衆に選ばれた(2回目?)。

奈良にくわしいお方からの情報によると今年はあの清水公照さんのお孫さんがはじめて練行衆として出仕されるという。お軸をもっている関係で公照さんには(お目にかかったこともないながら)日ごろ親しみを感じていたので、そのお孫さん、、、というと感慨深いものがある。




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回廊を上って、本堂との間に大仏殿の屋根が見える。



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西向きのこの方向から奈良市内がよく見渡せるのだ。




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年々お松明拝見のための規制が厳しくなって、以前のように一時間前で十分最前列が確保、、というわけにはいかなくなったので、4時半にはでかけて場所を確保。寒い中の長時間待ちなので、新聞紙、ビニールシート、座布団完備で。(毎年の経験で寒さ対策はしすぎるということがないのを学習)




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1時間前になるともう二月堂下はこんなに混雑する。おりしも小雨がぱらつき冷え込んできた。




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さらに暮れて市街の灯りが遠くに見える。
40年前は12日の大松明の日でさえ、100人くらいしか参拝客はいなかったらしく、余裕で見て帰れたのだが、、、今から思えば夢みたいな話だ。




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暗くなって灯籠に灯が入った。




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(露出失敗でかなり明るく撮れているが、本当は微かな火しか見えない)



いよいよ練行衆初夜(午後7時からの行、その後半夜、後夜、晨朝と続きこの日は終了1時AM)上堂を告げる三度の案内(あない)。

小さな加供(かく)松明を持って回廊を三度上り下りし、準備のため先だって上堂している処世界(練行衆の一役)に上堂を告げる。

1に「時香の案内」
2に「用事の案内」
3に「出仕の案内」これに処世界が「承って候」と答える。(なかなか聞き取れないけれどね)鐘が鳴らされいよいよお松明だ。




和尚様の雛の茶事 - 2017.03.11 Sat

昨年の秋、みのり茶事にお呼びいただいた日は雨、仲間内で伝説となっている雨笠ならぬプラスチックタライを笠に使えた感激(^_^;はいまも忘れません。(なのでご亭主の和尚様は「タライ・ラマ」の二つ名をお持ちです(?))


このたびは雛の茶事にお招きいただきました。
待合に掛けられた短冊は山本由之の雪を歌ったもの。

ところで山本由之さんってだれ???と思うでしょ。私もしらなかった。
実はあの良寛さんの実弟なのです。まずはここで和尚様の心あたたまるお話を拝聴。

長男である良寛さんが実家をでて出家したものだから、山本家の商いを継ぐことになった弟由之さん。初めは順風満帆だったものの、そのうち家業は傾き一家離散、妻にもさきだたれ自暴自棄、酒に溺れる放蕩の荒れた日々をすごしていました。ある日弟を家によんだ良寛さん、ひとことも責めることなくもてなし、帰り際に兄のわらじの紐をむすんでいた由之さんはなにやら熱い物がしたたってくるのに気づきます。はっと上を見ると兄の目からはらはら涙が、、、。

はっと我に返った由之さん、それからというもの世を捨て庵をむすび、俳人として生きたそうです。兄の愛はかくも大きかった。(、、と、こんなものでしょうか?聞き間違えあるやもしれませんが、、、)

峰の庵の雪景色を歌ったこの歌は、俳人となってからのものでしょうか。
いきなりしんみり。さすが説法はお上手です。


中待合には半泥子の蕨春草萌える図が。

そして、、、、

本席にはその、、その,,良寛さんの消息が〜〜!!

なんて心憎い演出でありましょうか。しかも内容が朝から客がきてお酒をのんでおり云々。
和尚様曰わく、雪=白、春草=緑、お酒を飲んでほんのり赤くなった良寛さんの頬=赤
で、菱餅の色を現したのだそうです。

ヤラレタ〜〜!!


まずは炭手前。藪内独特の霰灰、角のハマグリ、炉中に撒く灰もやはり霰なので、灰匙にあたるとカラコロ音がするのが印象的でした。炭のつぎ方も裏千家と全然理屈が違うのが面白い。
たっぷりとした濡釜も浄林、炉縁が六角ナグリの漆か自然の煤の色、大きな節がとてもよい景色でこれには萌えました。
座掃きも小さい同じ羽根でこまめになんども掃く所作が自流とだいぶん違う。




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懐石の前に、、、お!鏡割り。小さな樽の蓋は実はマグネットで初めから三つに割れているもの(^∇^)
杵で割って(?)小さな柄杓で白酒をよばれました。お雛様にふさわしい御趣向です。




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こちらの懐石はいつも美味しいイタリアン、お料理もさることながら、なにせ器がもう次々と眼福物もの。
白酒の次は海上がりの古備前鶴首にはいった日本酒(ワインより日本酒が飲みたいと以前ワガママ言っていましたので。言ってみるもんやな〜)、また備前燗鍋でワインと三種のチャンポン、飲み助にはなんてうれしい!

そして石杯が、、、もう泣かせる泣かせる。
刷毛目の塩笥のぐい飲みサイズ、金繕いあり!ないよ〜、なかなか刷毛目で塩笥でこのサイズ。めちゃかわいくてかわいくて手放したくありませんでしたわ。



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例によって、みなさんが「油がしみこむのではないか?」とはらはら心配されている古唐津ブイヤベース、今宵もでましたでました。
使う前後に水通ししているから大丈夫、と得意げにピースサインのお茶目な和尚様はおっしゃるけれど、やっぱり太っ腹すぎます。

焦がしたご飯にあさりのスープが、湯斗と湯の子みたいで洋風に解釈するとこうなるのか、のナイスアイデア。

最後にでたシチリアオレンジシャーベットもこんなん使ってええの??の絵唐津でございました。




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神戸つるやさんの特注菓子をいただいて中立。
お菓子は桃襲とでもいいたい袿をまとったお雛様(o‘∀‘o)*:◦♪


後入りの合図の銅鑼がすごく佳い音色で、さすがお寺様だと余韻を楽しみました。


濃茶席は珍しく長板?と思いましたが、向こうに杓立て、右に水指(しかも懐石でおかわりのパンがはいっていた古伊万里のポット!!)左に茶入、手前に火舎蓋置。珍しい置き方。

実はこれは藪内独特の菱かざりという置き方なのだそうです。
自流なら菱形の水指を使う所ですが、こういうのもありなんですね、お茶って意外と融通無碍なのよ。

軸は森寛斎を初めとする江戸の絵師たち何人かの合作の、墨絵のお雛様、描き表装。


そして、、、、一年ぶりにまた手にすることができました、井戸茶碗・小貫入「八重桜」。(根津の井戸茶碗展に個人蔵ででていたもの)
一年前、和尚様が楽々荘で八重桜に寄せてと題する釜を掛けられたときにこれで濃茶をいただいた感激が蘇ります。

再び我が手の中に〜(ほんの一時にしろ)。
小貫入の名にしおう内側のびっしり細かい貫入、釉薬の小さな盛り上がり、外側の梅花皮は控えめ、どこをとってもええな〜、、、の言葉しかでてきません。
今回おつれした御連客は八重桜と初めてのご対面、皆様、感激の面持ちでありました。は〜、、、+゚。*(*´∀`*)*。゚+




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八重桜の感激もさめやらぬ薄茶席では楽しいお菓子が。
(あん、振り出しがまた安南v(o゚∀゚o)v)




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山形県鶴岡市のからからせんべい。振るとからから音がして、中から小さなおもちゃがでてきます。お煎餅も黒糖の味がしっかりしてとても美味しい。



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私のは瓢箪でしたが、他にも小さな鈴とかダルマとか。そうか、お雛様サイズね。

お菓子の台も薄器もこれぞThe 李朝!、茶碗も三島系、朝鮮陶器の流れをくむ絵唐津、「李朝オタクもしくは李朝ミーハー」にはうれしいセレクションでありました。


そして最後にやっぱり和尚様のあったかいお人柄(コレクションもね!)が心にしみて、感動しつつ、みな、家路につきました。
深く感謝いたします。
合掌



渉成園〜早春 - 2017.03.10 Fri

学生時代、たぶんここはまだ公開していなかったのじゃないかな。



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河原町の五条をくだったあたりに続く長い長い塀。
当時なんやろなあ、と思いながらもあまり興味はなく、、、



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渉成園(しょうせいえん)という名勝庭園と知ったのはかなり後。でもこのあたり、通りすぎはしてもあまり歩く機会もなかったのだ。
市比賣神社からほど近いので、やっと中へ入ってみようという気になった。


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こうしてまわりに枳殻(カラタチ)の生垣があるので、枳殻邸(きこくてい)とも。




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東本願寺が徳川家光より賜った寺所で、光源氏のモデルにもなった源融の六条河原院跡という説もある。




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最初にここを賜った本願寺13世宣如上人が、自らの隠居所と定め、陶淵明「帰去来辞」の一節、「園 日に渉って以て趣を成す」から「渉成園」と名付けたとか。




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源融の六条院であれば、寝殿造りの屋敷の前にひろがる池といった風情の印月池だが、残念ながら、冬の池干しのためごらんのようなありさま。



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そこに風情を添える侵雪橋も修復中〜〜(>_<)ゞ




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気をとりなおして建物探訪。

ご多分にもれず渉成園の建物は何度か焼失しており、現在残る建物の多くは幕末〜明治の再建。

これは大書院・閬風亭(ろうふうてい)。能を演じることもできるキャパらしいが、中はうかがえない。



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これは(たぶん、、、だいぶん忘れた、、)茶室の蘆庵の中門。




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四畳半に三畳台目、二階の茶席は主に煎茶風、、、らしい。中へ入れないのはいかんともしがたいなあ。




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数ある建物のなかで一番目を惹くのがやっぱりこれ、傍花閣。明治の再建らしいが、、、なんとも奇っ怪な姿。




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一階を支える柱のカーブや、意味不明の円窓、彫りの装飾。技術的にはすごいと思うが。




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この雰囲気はむしろ煎茶的だなあ。ここで煎茶の立礼席ができそうだ。




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二階にあがる階段は右と左にひとつずつ。上は四畳半の部屋だそうだ。




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傍花、、、花の傍ら。この桜の傍らってことね、きっと。まだ蕾だけれど咲いたらきっと良い眺め。



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池にせりだす臨池亭と滴翠軒。

こちらではお茶会かなにかが開催中のもよう。いつか中にはいってみたいものだ。




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池をぐるっと回って池のはしっこにかかる回棹廊。池が干上がってなければきっと良い眺めだろう。




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この姿は平安神宮の泰平閣を連想させる。あれのミニ版といった感じ。



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橋をわたって中の島に建つのは縮遠亭。
二つの建物をつなぐ部分がおもしろい。ここも池にせりだす茶室になっている。ほんまに茶室だらけの渉成園。うらやましい。




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島から振り返る(干上がった)池。
これはまた水のある時にゆっくり来ねばなるまい。今回あんまりゆっくりできなかったし、見落としもたくさんあるので。




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園内のあちこちで植木屋さんがお仕事にいそしんでいた。これだけの広さだからメンテナンスはさぞや大変な事と思う。




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京都タワーもこんなに近くに見えるロケーション。これもシュールな景色だわ。




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渉成園をでて歩いてすぐ、最近できて話題になっているKaikado cafeへ行って見よう。




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銅や真鍮製の茶筒で知られる老舗開化堂さん運営。
自社の茶筒のみならず京都の陶芸や木工などのギャラリー風にもなっている。使われている椅子とか食器、カトラリーにいたるまで、京都のアートクラフトというこだわり。




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建物はもと市電の施設だったそうで昭和2年の建物で、ええかんじのレトロ。




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茶筒をイメージしたというまあるいチーズケーキ、美味しゅうございました。





遠州流の雛の茶会と大圓庵復元〜大徳寺・孤篷庵 - 2017.03.08 Wed




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大徳寺の本堂の方からず〜っと西へ石畳をたどっていくと小堀遠州の名茶室・忘筌で有名な孤篷庵がある。
ここは5月に小堀遠州忌茶会がおこなわれるので、なんどか来たことがある。

今年は、この春めいた季節、遠州流の女流茶人・堀江先生(幽水会)の雛の茶会に行ってきた。
堀江先生は、亡くなられたご主人が古筆研究者・書道史家の故堀江知彦氏で遠州流の重鎮であらせられる。御夫君は生前(我が敬愛する)会津八一さんとも交流があったという話を聞き、お目にかかるのははじめてながらなんだか親しい気持ちがした。

今回お道具もすばらしいとお聞きしていたが、孤篷庵の中に復元中の松平不昧公ゆかりの茶室・大圓庵の工事中の姿をみせていただけるのも楽しみに。



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さて、孤篷庵。

小堀遠州がもともと龍光院内に建立した庵で、孤篷とは一艘の苫舟の意。
1793年の火災により焼失するが、遠州を崇敬した不昧公が、古図に基づき再建したので、ここは雲州と切っても切れない縁がある。

しかも来年は不昧公没後200年、松江では大きなお茶がらみのイベントがあるらしく、私の入った席には松江市長はじめ観光局長などなどの松江からのご一行様がたくさんおみえになっていた。

びっくりしたのは庭という庭にびっしり敷松葉がほどこされていたこと。見事なり!(植木屋さん、大変やったろうなあ)




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さて、堀江先生の今回のテーマは「熟女(といっていいのか?)のお雛様」とか(^_^;

待合に掛けられていたのは草子洗小町の絵。(お能では有名な演目)瑪瑙の柄の火箸や、白鳥と孔雀のあの玉虫色の部分を組み合わせた羽根など、優美な炭道具を拝見。

濃茶席は書院の直入軒と小間の山雲床をつなげて、桜の小袖をお召しの堀江先生が練られた。小柄な方なのになんという迫力、、、

ここのなによりのご馳走は、山雲席の古い障壁画に囲まれた小さな暗い床に掛けられた定家の小倉色紙!!
しかもしかも小野小町ですよ(;゜0゜)
あの「花の色は うつりにけりな、、、」のやつですよ。こんなものが実際の茶席にかかっているのが見られるなんて!

しかも古筆の専門家でもあった御夫君の鑑定付き。
中回しが刺繍もはいった小袖の裂と思われるのもまた優美で。

お雛様らしく優美な遠州流の飾り紐のついた棚を使おうとされたそうだが、こちらに来て向切であることに気づき、断念されたとか。でもとの棚は山雲床の席に飾られていて、たしかにみやび綺麗さび。うちの流派ではこのような棚はない。

主茶碗は粉引で、銘を「西王母」とされたが、使っているうちにだんだん肌に錆のような模様が出てきたため、後に有馬頼底猊下が「成龍」と追い銘をつけられたもの。今、窯からだしたばかりと思えるくらいつやつやの美しい茶碗であった。

お菓子が、これも雲州所ゆかり、松江の三英堂さんの「桃花」。露をふくんだおしべの表現が美しかった。




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薄茶席はかの忘筌。(ここは客よりも亭主が一番良い景色を眺められる茶室なのだ。)

とにかくびっくりしたのは床いっぱいにのびた青竹の上から枝垂れ桜、途中にソメイヨシノ系の桜が入れられていたこと。まるで床の天井から花の雨が降り注いでいるような錯覚をおぼえる。この桜は奄美大島からおくってもらったものとか。

薄器の嵯峨棗は枝垂れ桜と柳の意匠なので、一足早く花見を楽しませてもらった。迫力ありすぎる花入れの足元に、こちらはかえって小さく愛らしい祥瑞の香合は枕型で、花見をしながらちょっとうたた寝でもしようか、の意か。


大名にだすような大きな蒔絵の高坏に盛られた干菓子は、三英堂さんの「不昧公お好み三大菓子」のひとつ、「菜種の里」。黄色い浮島のようなお菓子でなんどかいただいたことがある。(ちなみに残りの二つは「山川」と「若草」)




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本堂で点心を美味しく頂戴した後は、お楽しみの復元中の大圓庵見学。


大圓庵は不昧公がに自らの京都での菩提所とするために建てた庵で、仏間だけでなく、広間や小間の茶室を備えていたという。生前席披きの茶会をしたが、その翌年に不昧公は亡くなられ、その直後に焼失したまま、ペリーの黒船来航などの不安定な時代背景のため再建されることがなかった。

しかし孤篷庵と不昧公のお膝元松江に古図が残っていたため、来年の200回忌に合わせて有志をつのり復元にのりだしたのだそうだ。

建物の外観はほぼ完成。

まだ工事中ゆえ、あちこち養生がしてあって、障子も畳もない状態ながら、八畳の広間、二畳の小間+二畳の次の間、水屋、物置、そして茶室にもなる丸炉のあるフリースペース三畳がよみとれる。
スリッパをはいて中までいれてもらった。

解説は復元を担当している山科の方の数寄屋建築の棟梁であり建築士でもあるお若い方。監修は中村昌夫先生。




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広間は一番不昧公の趣味炸裂という感じで、如庵みたいな点前座の前のアーチ型窓の板があったり、天井を斜めに切って、点前座を一番格の高い真の鏡板、本来一番格の高いはずの床前を草の網代、客座を行の竿縁にしたりする。点前座が一番よい席なのは忘筌と同じ、やっぱり大名のプライドか。
床柱は棟梁が山で拾った流木、これをナグリにして拭き漆。畳が入ったらどんな感じになるか一番わくわくする茶室。


小間の風炉先窓には細い矢竹を詰め打ちしているのが斬新。洞床に袖壁付き。炉は出炉になるとか。天井は幅広のへぎ板で、孤篷庵に残されていた遠州時代のものなのだそうだ。

廊下の天井板はなんと桐だった。

どこだったか忘れたが、舟板を使っている箇所があって、孤篷=苫舟からふさわしかろう、というアイデア。


一番面白いのが三畳の間。
ここだけは棟梁のユニークなアイデアでデザインした水屋にも使え、茶室にも使えるスペース。火灯窓を三分の二にぶった切った窓がおもしろい。
天井は化粧天井裏で竹の抑え、はっきりした空間のしきりを作らないための蹴込み床で、落掛のかわりに、ここを復元するにあたって切らなければならなかった裏の椿の木を使っている。これも棟梁のアイデア。

来年には完成の予定だが、完成した姿も是非拝みたいものである。そこでのお茶会ならもっとうれしいが。





市比賣神社〜ひいなまつり - 2017.03.06 Mon

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河原町五条下るに市比賣神社がある。
前々から名前だけしっていたが実は行ったことがない。




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3月3日にひいなまつりのイベントがあると聞いて、休みも重なったことだし、いそいそと。




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境内には古いお雛様がたくさん飾られていた。

ここは女人守護の神様、雛祭りはまさにふさわしいイベント。

しかし、延暦14年(795)、藤原冬嗣が垣武天皇の命により、官営市場東市・西市の守護神として創建されたのが初めなので、本来は市場の神様。




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ところが、御祭神は全て女神様なので、女性の守り神とされ、子授け、安産の御利益があるとか、歴代皇后の信仰も篤かった。(現在も「皇后陛下勅願所」)

今も湧く境内の天之真名井の水は歴代天皇の産湯に用いられたそうだ。
(そういえばNHK「京都人の秘かな愉しみ」にも水の女神様としてでてきたな、ここ)




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姫ダルマのおみくじの入れ物には祈願を書いてここにおさめる。
真っ赤でかわいい。


さて、ひいなまつりのイベントは河原町をはさんだ反対側のひと・町交流館にて開催。(参加費用2000円)



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まずはお雛様のお菓子と言えばこれよね、のひっちぎりとお抹茶をいただく。

桃挿華(ももかざし)守りもいただくが、これは結び柳と桃の枝、いずれも厄除けのお守り。
孝明天皇皇后様がこれを雛祭りの夜に風呂に浮かべて邪気払いをした、という由来があるらしい。桃の木はいろんなところで邪気を払う物としてあちこちで活躍してるな。追儺の弓も桃の木だし。



さて人雛様の着付けがメインイベントなのだが、それを待つ間、平安時代の雅な遊びのデモンストレーションを拝見。



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双六。
これは源氏物語絵巻にもでてきてたわね。駒の進め方にもいろいろ複雑なルールがあるらしく、テレビやネットのない時代、ゆっくり優雅にこれで時間を過ごしたのだろう。



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貝あわせ。
これもお雛様の紋様。


他に投扇興の体験もあった。



さて、ここで先日山科家旧別邸ではじめて聞いた衣紋がでてくる。

身分の高い方の装束、色目、着付けにたずさわたったお公家さんは山科家と高倉家。今でも両家は健在で、皇室の儀式や葵祭などの衣裳衣紋などにご活躍。




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ただし、山科、高倉流というのは男性皇族の衣紋だけをいうのだそうだ。(女性には特に流派はない)
後世。高倉家は武家の、山科家は公家の衣紋に別れたそうだが、皇室関係のお仕事は両家が協力しておこなっているとか。


で、今回衣紋を担当されるのは高倉家の衣紋道研究所で勉強されている先生方。

ふつう衣紋には、前衣紋者、後衣紋者の二人がペアで息をあわせてされるそうな。




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紐をしめたり、漆塗の板みたいに硬い帯を巻いたり、かなりの力仕事に見える。



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束帯の完成。
男性の衣裳は位によって厳密に紋様や色が定められており、これは三位のお公家さんの衣裳。
(ちなみに天皇様は黄櫨染色、桐竹鳳凰の紋様、太刀は佩かない)

袖もぱりっとうまくふくらませるのにもコツがあることを学習した。




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さて、次は女房装束。

ちなみに十二単という言葉は正式にはないそうで、唯一文献にみられるのが「平家物語」壇ノ浦の建礼門院の装束についてだけらしい。知らんかったわ。



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萌黄の単衣。

緋袴は既婚者、未婚の女性は濃き色というえび茶色の袴。



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さて、袿をどんどん衣紋されていくよ。
これは紅梅襲の色目。ほぼ白に近い紅からだんだん濃い紅色をかさねていく。五枚重ねることが多いので五つ衣(いつつぎぬ)とも。





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表(うわぎ)は紋様有り、これは三位以上の方は二重織物という二重に織られた布を使う。




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最後に唐衣(丈が短い)と裳をつけて、畳紙(たとうし・メモ帳とかお手紙とかになる))を胸に入れ、扇を持って完成!

しめて17kg!

どっこい歩けやしない。先生がおっしゃるには、女性がそれほど歩かなくてすんだ平和な時代であったのだと。




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しかし、,,重ねた色目のなんと美しいこと!

日本人でヨカッタ、、、と思うわ。




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バックスタイル。




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この姿で、会場にある雛壇に上るのは容易ではないと思ったが、モデルさんはまだ大学生、若いからちゃんとのぼらはった。偉い!



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三人官女、五人囃子(大学の雅楽部の学生さん)もそろって、人雛完成。




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そして、本来の雛祭りのルーツであるところの儀式、「天児(あまがつ)の儀」。

人がたに穢れを移して、本来はこれを焼いたり川に流したり、後世では厄払いとして寝所においたり。




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神社の方にもこれがあって、天児に厄除けをしてもらうお祓いもあった。
ちなみにこれは子供の枕元に厄除けとして飾られていた天児。




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最後に三人官女(ほんまの巫女さん)の桃の枝をかざすお神楽を見てここを後にした。



公家雅に魅せられて〜旧山科家別邸・源鳳院 - 2017.03.05 Sun


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ご近所の岡崎神社へ行く途中にはいつも前を通るこの建物。
以前は「洛陽荘」という名前の旅館だったのだが(現在は源鳳院と改名)、中へはいったことはない。なんだか格式高そうなお屋敷やな〜と思っていた。

実はそれもそのはず、元お公家さんも山科家の別邸だったんだ。




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山科家は公家の家格でいうと羽林家になる。(トップが摂関家、ついで清華家、大臣家、名家と並んで羽林家)

もともと衣紋装束(身分の高い方の衣裳の着付けをする)の家柄だそうで、高倉家とその世界を二分しているとか。
実は後日、それについて詳しい話をきけるイベントがあったので、その件についての記事は後日。



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お雛様の展示があるからとご案内いただいて、おそるおそる入ってみた。(入り口になんの案内もないのでどきどきだったよ)




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入り口は旅館らしく改修されているのでモダンな造り。




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広間の座敷には新旧(といっても新でも江戸時代)お雛様がいっぱい。
ああ、桃の節句やねえ。(ちなみにうちは旧暦で祝うからまだ出してもいない)




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この広間は庭に面していて陽がさしこんでぽかぽか。




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山科家に伝わる束帯や袿などの古式ゆかしい衣裳に冠。

最初「衣紋衣裳」ってなんのことだかわからなかったので、???だったのだが。

昔の宮様やお公家さんなどの身分の高い方はご自分でお着替えをなさらない。特に正式の衣裳は一人ではとても身につけられるようなものではなかったのだ。そこで衣紋方、衣裳を着付ける役目を担っていたのが先にあげた山科家と高倉家。
衣裳を着付けることを「衣紋する」という。

そうか、だからお雛様なんだ。
雛人形は庶民がお公家さんの雅に憧れてそれをまねて作ったお人形、人形に着付けるのにも衣紋、有職故実の知識が要る。現在山科家が古いお雛様をお持ちだったり、さらにもとめたりされるのは、衣紋の研究という側面もあるのだ。




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こちら檜扇。
平安時代の絵巻物では、これで顔をかくしたり、花や文をのせたりしていたが、近世になってから開くことはなくなったそうだ。(だから皇后様は一度もご自分の檜扇をお開きになったことがなく、紋様をご存じないと聞いた。)




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これは古い享保雛かな。お顔がゆで卵っぽいのでわかる。

なんと山科家の若様がお雛様について解説くださる。(ちなみに高倉家も健在で衣紋道の研究所をお持ちだ)




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御殿のお雛様も菊置き上げだったり、御簾の巻き上げ金具がちゃんとついていたり、紐結びもなんとなく有職故実っぽかったり、雅びやわ〜。




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床の間にもならぶお雛様。

この屋敷はオリジナル部分は大正9年だから今から約100年前に建てられたそうだ。
上棟式の写真や、できたばかりのこの屋敷のここ大広間で、当時の当主山科伯爵の神前結婚式の写真も拝見できた。もちろん公家の正式な衣裳で。(束帯と小袿?)




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建物の造りも当時のモダンの気風が取り入れられているような印象。
これは廊下との間の欄間。




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化粧裏天井。
お寺や商家のお屋敷と違って(どこがどうとはよう言えんが)なんだか雅な。さすがお公家さんの別邸。

向かいの庭では紅梅がつぼみをふくらませていた。

この景色、なんだかよく○○画報とかでモデルさんが立ってる景色に似てるな、と思ったら、しょっちゅうここで撮影があるそうですよ。ここに立てば着物をお召しの方ならぴったりはまる感じですよね。




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こちらは新しく改修したとおぼしき部屋。
和モダンという感じ。低い網代の天井が落ち着く。




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お日さまぽかぽかの日当たりの良い廊下で、愛信堂さんの麩の焼きと加賀棒茶をいただく。




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お庭も拝見できるので、これも楽しい。



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植治の庭らしい。奥まではいかなかったが、ここも東山を借景にできるポイント。



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さて、美しく雅なものたちをみて、気持ちだけはお公家さんになって(^_^;)おうちへ帰ろう。




柳の茶杓を作ってみた - 2017.03.03 Fri



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お正月に飾ったなんちゃって結び柳。

片付けるにあたって根元の太さに注目した。これりっぱな木だよなあ。そのまま捨てるのもったいないし、、、
ということで、これから茶杓を削り出すことを思いついた。




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だいたい茶杓の長さに切って、彎曲部分を櫂先の彎曲にあてることをめざし、まず樹皮削り。
縦方向には簡単に刃が入るので、ついつい楽しくて♪



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さくさく、、、楽しい作業。
おおむね完成したところでサンドペーパーで表面をきれいに。




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櫂先の彎曲はこんな感じ。ここを彫り込むのに繊維を横断して削るのは一苦労だった。それは竹の時も同じ。



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さて、次に向かいましたるは、、、河原町二条上がるの柿渋専門店渋新さん。
200mlから量り売りしてくれる。こういう特化商品の小店舗がわりとどこにでもあるところが京都の良さだわ。




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柿渋濃度が2度〜5度まであって、一番濃い5度を購入。




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柳茶杓に塗り塗り。
最初は柿渋をはじいて、思うように染まらないが、何回も上塗りしているうちに色がだんだんでてくる。



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5〜6回上塗りして完成。
思ったより濃くなってしまったが。

上品さでは拭き漆に負けるが、それなりに野点とか使えそう。(漆はひどくかぶれたことがあって私は使えない)



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裏側はこんな感じ。




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はじめは遊び事でやってみようと思ったので、長さは目分量で測ったが、普通の茶杓の長さとほぼぴったり!
やっぱり日ごろ使い慣れる体感って大事よね、と思った。


あとは筒を作って(完成品1800円ほどで売ってる(^_^;)

銘は「綰柳(わんりゅう)」とつけた。旅立つ人の無事を祈る思いをこめて。




二つの天神社で梅見 - 2017.03.02 Thu

うかうかしてたらいつのまにか3月になってたわ。
早く梅見の記事をアップしなくちゃ!



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やっぱり北野天満宮ははずせない。1月、大雪の日に来たとき、すでに開花している梅があったが、やはり25日の梅花祭前後が一番見頃。



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ここには梅苑もあるけれど、やはり神社の背景があってこそ梅も引き立つと思うの。




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この季節には花をつけ、初夏に実をつけ、梅干しにして夏には境内で土用干し、そして年末に大福梅としていただく、一年を通して、梅仕事をそれとなく眺めているから、ここの梅は特別いとおしい。




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あざやかな紅梅もよいが、



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やはり楚々たる白梅の方が好きかな。
近くには白梅町もある。白梅町に比べればマイナーだけれど、北野には紅梅町もあるのよ。




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白梅を背負うジュノー(この牛に勝手にそう名付けてます)。
今年もそんなあなたを見ることができたわね。




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三光門のそばのフォトジェニックな角のある狛犬さん。なにせ梅の枝が後光みたいで絵になるのん。




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実はこの日は梅花祭の前日。
上七軒のきれいどころがお茶を点ててくれる会場はちゃくちゃくと準備中。今年は土曜日とかさなったので、すごい人出だったとあとで聞いた。


さて梅見のあとはランチどこでしよう。ここらにくるといつも悩むのだが。



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以前来たときに気になっていた、天満宮東門前の蕪庵(かぶらあん)に入って見よう。

普通の住宅の、玄関脇の部屋を改造してカフェにしているといった造り、中も狭いのだがそれがかえって落ち着くし、手作り感がいっぱいでなんだかなごむ。




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お昼の日替わりランチ、この日のメインはサーモンカツ。
まあこんなもんだろうと、予想したよりはるかに美味しい。ありふれた料理にも一手間かかっていて、意外な収穫にひそかに喜んだのであります。天神さんへ来たらランチはここにしよう。




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で、デザートといったらやっぱりここ、リスボン時代を知っているところのカステラ・ド・パウロ。
大鳥居の東側。



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ここは天神さんに来たらほぼ毎回寄っているな。

お持ち帰りすることも多いが、今日は店内でいただこう。



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カステラよりもパステルデナタ!!(ポルトガルのエッグタルト)
パウダーシュガーとシナモンをふりかけて。これ最高。


さて、もう一つの天神さんは下京区、祗園祭の岩戸山のあたりにある。



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菅大臣社。

観光客はほとんどこない知る人ぞ知る、静かな神社。この地は菅原道真の紅梅殿・白梅殿という邸宅があったといわれ、ほん北側に紅梅殿神社というさらにひっそりした小さな神社、、、というよりはお社があります。


太宰府まで飛んでいった伝説の飛び梅はもと、ここに生えていたんだそうな。



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この日はここの月釜へ。
四畳半の茶室で蹲居をつかって席入り。京都に月釜数あれど、ここは中でも特に好き。意外と知られていない穴場でもあるのよ。




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境内には猫もいる(^o^)



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枝垂れ梅の向こうにかすかに見えるのは道真が産湯につかった、と言われる井戸。



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薄紅の花の雨だ。




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油小路へ続く参道にも見事な白梅。

天神さんというより、なる前の道真さんへ思いを寄せながらそぞろ歩きもまたよし。




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参道の石畳の二箇所に(一箇所はいまいち確信がもてない)、天神さんのお使いの牛の角があるので、是非、みつけてみてね。



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最後はおまけのわがやどの梅。


  我が宿の 梅咲きたりと 告げ遣らば 
        来と言ふに似たり 散りぬともよし (万葉集)


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