炉の名残の五事式の茶事 - 2017.04.30 Sun
ひさびさに五事式の茶事に参加した。
(最近さぼってはいるものの(^_^; )花月、七事式のお稽古をさせてもらっている席主さんのお宅で。
五事式の茶事とは七事式のうちの五つを組み合わせた茶事で千家だけの茶事かな。

待合には七事式の偈頌のお軸。
席入り前の腰掛け待合いでは、春らしいうららかな陽射しとご丹精のお庭の花を楽しむ。
席入りして、まずは廻り炭から始まる。それぞれが炭を炉からあげたりついだり。上手なヒトがやればよいのだが、なかなか火箸は炭をたくさんつかみづらく、炭が灰まみれ。炭のつぎ方はそれぞれ独創的についでよいので、ここでセンスがとわれる。
最後に埋み火を掘り起こして最終的に炭をつぐのは亭主役の人の仕事。埋み火があまりに小さくて弱々しいので心配したが、炭ってつくんですね〜。その後、お湯がごうごうと沸いた。
まもなく来る来月はもう風炉の季節、廻り炭は炉の炭を名残惜しく楽しむためにこの時期にされることも多い。

懐石は三友居さんの点心で。
豆ご飯と生麩の田楽がおいしい。ついつい美味しい和歌山のお酒、のみすぎる。二献目は燗酒でまたすすんでしまう。どんだけ飲むんだ。やっぱり茶事は酒よね、、、云々。

主菓子は北白川やまもとさんの躑躅きんとん。
この繊細なきんとんは馬の毛(尻尾?)で漉して作るのだそうだ。
桜が過ぎて躑躅、季節は順番違えずすすんでいく。名残の春。名残の炉。

後座は仙遊で。
且座でやることも多いが、私は仙遊の方が好きだし慣れてる。
花は花寄式で。このたくさんの、花台からあふれているお花の数々はすべて席主さんのお庭から。
すばらしいご丹精だ。うちの花ちょぼちょぼの庭とえらい違い、茶人の格の違いね。
みんなで花寄をしたので、花寄屏風に花が一杯、これにかこまれて茶事は粛々とすすむ。
ついで聞香2種。
正客と,次客が本香、次香を焚く。沈香をご用意くださったので、なんともみやびな香りを楽しめた。客はみな手練れの方ばかり、スムーズに茶事はすすむ。

美味しく練られた濃茶をいただき、ついでお薄は花月で。
この干菓子は、席主さんの手作り!
浮島がぱさぱさしていなくてしっとりと美味しいのはすでにプロ級の腕。
花月は、今回茶事なので、全員がお薄とお点前があたるまで。ここのところ花月さぼっていたので、やりながら思い出してはああ、そうやった、、、と。やはりお稽古は生ものです。使っていないと腐る。がんばらな。
どうやっても茶杓がのらない景徳鎮の替え茶器に四苦八苦。最後は茶入、茶杓、仕覆、薄茶器、替え茶器の5点をどうやってならべ、どうやって持って帰って拝見するのか?のお勉強。

仙遊がおわれば一二三の式。
亭主役の人を採点する花月なのだ。かわいらしい十種香札とその箱を使う。最高点は月の一、最低は無印の三。月以上は家元とかにしか点けないのだそうだが、なんだか釈然としない。今回花の一をいちばんたくさん獲得してはった。すばらしい。
客の数が多かったので、都合6時間を越えた。
足が死んだが(^◇^;)ごいっしょさせていただいた方々と、ああだこうだと議論しながら、笑いながらシェアした時間はただただ楽しい。
ご準備、お片付けしてくださった席主様に深く感謝。
まもなく初風炉の季節、そろそろ炉もふさがなくては。
(最近さぼってはいるものの(^_^; )花月、七事式のお稽古をさせてもらっている席主さんのお宅で。
五事式の茶事とは七事式のうちの五つを組み合わせた茶事で千家だけの茶事かな。

待合には七事式の偈頌のお軸。
席入り前の腰掛け待合いでは、春らしいうららかな陽射しとご丹精のお庭の花を楽しむ。
席入りして、まずは廻り炭から始まる。それぞれが炭を炉からあげたりついだり。上手なヒトがやればよいのだが、なかなか火箸は炭をたくさんつかみづらく、炭が灰まみれ。炭のつぎ方はそれぞれ独創的についでよいので、ここでセンスがとわれる。
最後に埋み火を掘り起こして最終的に炭をつぐのは亭主役の人の仕事。埋み火があまりに小さくて弱々しいので心配したが、炭ってつくんですね〜。その後、お湯がごうごうと沸いた。
まもなく来る来月はもう風炉の季節、廻り炭は炉の炭を名残惜しく楽しむためにこの時期にされることも多い。

懐石は三友居さんの点心で。
豆ご飯と生麩の田楽がおいしい。ついつい美味しい和歌山のお酒、のみすぎる。二献目は燗酒でまたすすんでしまう。どんだけ飲むんだ。やっぱり茶事は酒よね、、、云々。

主菓子は北白川やまもとさんの躑躅きんとん。
この繊細なきんとんは馬の毛(尻尾?)で漉して作るのだそうだ。
桜が過ぎて躑躅、季節は順番違えずすすんでいく。名残の春。名残の炉。

後座は仙遊で。
且座でやることも多いが、私は仙遊の方が好きだし慣れてる。
花は花寄式で。このたくさんの、花台からあふれているお花の数々はすべて席主さんのお庭から。
すばらしいご丹精だ。うちの花ちょぼちょぼの庭とえらい違い、茶人の格の違いね。
みんなで花寄をしたので、花寄屏風に花が一杯、これにかこまれて茶事は粛々とすすむ。
ついで聞香2種。
正客と,次客が本香、次香を焚く。沈香をご用意くださったので、なんともみやびな香りを楽しめた。客はみな手練れの方ばかり、スムーズに茶事はすすむ。

美味しく練られた濃茶をいただき、ついでお薄は花月で。
この干菓子は、席主さんの手作り!
浮島がぱさぱさしていなくてしっとりと美味しいのはすでにプロ級の腕。
花月は、今回茶事なので、全員がお薄とお点前があたるまで。ここのところ花月さぼっていたので、やりながら思い出してはああ、そうやった、、、と。やはりお稽古は生ものです。使っていないと腐る。がんばらな。
どうやっても茶杓がのらない景徳鎮の替え茶器に四苦八苦。最後は茶入、茶杓、仕覆、薄茶器、替え茶器の5点をどうやってならべ、どうやって持って帰って拝見するのか?のお勉強。

仙遊がおわれば一二三の式。
亭主役の人を採点する花月なのだ。かわいらしい十種香札とその箱を使う。最高点は月の一、最低は無印の三。月以上は家元とかにしか点けないのだそうだが、なんだか釈然としない。今回花の一をいちばんたくさん獲得してはった。すばらしい。
客の数が多かったので、都合6時間を越えた。
足が死んだが(^◇^;)ごいっしょさせていただいた方々と、ああだこうだと議論しながら、笑いながらシェアした時間はただただ楽しい。
ご準備、お片付けしてくださった席主様に深く感謝。
まもなく初風炉の季節、そろそろ炉もふさがなくては。
新町六角〜懐石・瓢樹 - 2017.04.28 Fri
今月の月イチグルメ倶楽部(会員約2名)六角新町西入るの懐石瓢樹さんへ行ってきましたよ。

先日お招きいただいた建仁寺両足院の茶事で、こちらの懐石を使われていたのと、最近京都四条派の日本画家、今尾景年の軸を手に入れたので、その景年さんの旧宅であるところの瓢樹さんへいちど行ってみなければ、と思った次第。

大正年間に日本画家の家として建てられたこのお屋敷は現在では重要文化財になっている。
とはいえ、瓢樹さんがここに移転してこられたのはH13年というからまだ歴史は浅い。瓢樹さん自身は大正10年創業、かの瓢亭からののれん分けなので歴史はある。

通されたのは坪庭に面した座敷で、テーブル席であった。足の痛い人にはありがたいが、うちらはどちらかといえば畳に座って懐石食べたい方なんだが。

坪庭には小さな池や水の流れがあって、しっとりとした新緑が美しい。
本家瓢亭も庭がとても美しいので、やっとのれん分けにふさわしい場所を手に入れた、という感じか。(移転前の瓢樹をしらないけれど)

お屋敷ウォッチングとご飯食べに忙しい。
最初の八寸的なものにはやっぱり!一子相伝瓢亭卵が!
蓮根チップスが美味しい。これはお酒が進む味やわ。

お造り。
交趾の器もまた見所かしら。

煮物椀はアブラメ。
自分で懐石作るときはしんじょうか、百合根饅頭くらいしか作れないので、こんな臭みのない上品なお魚のお汁、いつかはトライしてみないと。

冷酒のちろりは中のクラッシュアイスをいれる部分が磁器製ですてき。

筍〜!
これも交趾の器がいいね。

焼物(なんの魚だったか忘れた〜)。
これも味がしっかりしていて、薄味に慣れた京都人にはちょっと濃いめかもしれないが、うちらにはぴったり。お酒もすすむしね。

海老のナントカ揚げ。(えびのしんじょうみたいな感じか)これが一番好きだったかも。

酢の物やったと思うが、この器がミニの馬上杯になっているところがツボであった。ちゃんと高い高台に穴があいているのよ。

最後にご飯と香物、お汁をいただいて、お屋敷ウォッチングを続ける。
これは明らかに茶室に付属する水屋。この裏手の部屋が茶室だったんだろうな。どういう茶室なのか、見たいところだが、中は拝見できなかった。

奥の座敷の庭。まあ、さすが、お見事!
ここのお屋敷のように、洛中のお屋敷はまだまだ外からうかがいしれない市中の山居的な庭を内包しているのだろうな。(壊されてビルになるほうが多いという現実はあれど)

蹲居のある坪庭もある。
景年さんはきっと茶の湯もたしなまれていたにちがいない。

一見酒舟石を思わせるような蹲居もすてきだ。

玄関を出るときに小上がりにあった屏風、これは景年さんの絵だろうか。聞きそびれたのが残念。
美味しい懐石とすばらしいお屋敷ウォチングができる点で、ここはなかなかオススメですよ。

先日お招きいただいた建仁寺両足院の茶事で、こちらの懐石を使われていたのと、最近京都四条派の日本画家、今尾景年の軸を手に入れたので、その景年さんの旧宅であるところの瓢樹さんへいちど行ってみなければ、と思った次第。

大正年間に日本画家の家として建てられたこのお屋敷は現在では重要文化財になっている。
とはいえ、瓢樹さんがここに移転してこられたのはH13年というからまだ歴史は浅い。瓢樹さん自身は大正10年創業、かの瓢亭からののれん分けなので歴史はある。

通されたのは坪庭に面した座敷で、テーブル席であった。足の痛い人にはありがたいが、うちらはどちらかといえば畳に座って懐石食べたい方なんだが。

坪庭には小さな池や水の流れがあって、しっとりとした新緑が美しい。
本家瓢亭も庭がとても美しいので、やっとのれん分けにふさわしい場所を手に入れた、という感じか。(移転前の瓢樹をしらないけれど)

お屋敷ウォッチングとご飯食べに忙しい。
最初の八寸的なものにはやっぱり!一子相伝瓢亭卵が!
蓮根チップスが美味しい。これはお酒が進む味やわ。

お造り。
交趾の器もまた見所かしら。

煮物椀はアブラメ。
自分で懐石作るときはしんじょうか、百合根饅頭くらいしか作れないので、こんな臭みのない上品なお魚のお汁、いつかはトライしてみないと。

冷酒のちろりは中のクラッシュアイスをいれる部分が磁器製ですてき。

筍〜!
これも交趾の器がいいね。

焼物(なんの魚だったか忘れた〜)。
これも味がしっかりしていて、薄味に慣れた京都人にはちょっと濃いめかもしれないが、うちらにはぴったり。お酒もすすむしね。

海老のナントカ揚げ。(えびのしんじょうみたいな感じか)これが一番好きだったかも。

酢の物やったと思うが、この器がミニの馬上杯になっているところがツボであった。ちゃんと高い高台に穴があいているのよ。

最後にご飯と香物、お汁をいただいて、お屋敷ウォッチングを続ける。
これは明らかに茶室に付属する水屋。この裏手の部屋が茶室だったんだろうな。どういう茶室なのか、見たいところだが、中は拝見できなかった。

奥の座敷の庭。まあ、さすが、お見事!
ここのお屋敷のように、洛中のお屋敷はまだまだ外からうかがいしれない市中の山居的な庭を内包しているのだろうな。(壊されてビルになるほうが多いという現実はあれど)

蹲居のある坪庭もある。
景年さんはきっと茶の湯もたしなまれていたにちがいない。

一見酒舟石を思わせるような蹲居もすてきだ。

玄関を出るときに小上がりにあった屏風、これは景年さんの絵だろうか。聞きそびれたのが残念。
美味しい懐石とすばらしいお屋敷ウォチングができる点で、ここはなかなかオススメですよ。
さらば旧立誠小学校〜京都ふるどうぐ市 - 2017.04.26 Wed

飲み屋がずらっと並んで夜は酔っ払い通りになる木屋町(学生時代その酔っ払いのひとりであった)、その真ん中にあった立誠小学校。なんちゅう立地なんや、教育上どうなんや、と議論したのも懐かしい。
人口のドーナツ化現象でH4に閉校となり、その後は立誠シネマやいろんなイベントで何回も足を運んだことがある。小学校はなくなっても立誠学区の人たちはここを地域の拠点として大切にされてきた。
ところがとうとう京都市はこの土地を売却(60年貸与)、あとにホテルや複合商業施設になるという。
この懐かしい感じの校舎がこわされるのか、そのまま残されるのか、変な改修をされるのか、今のところさっぱりわからないが、あまりにも残念。
洛中の歴史あるよい雰囲気の建物が先日の平楽寺書店の解体(あれ登録文化財だったんよ)といい、立誠小といい次々壊される風潮はどうしたものか。京都の町の雰囲気の良さを京都人が壊してどうする?

ここで数年前からおこなわれてきた京都ふるどうぐ市、校舎の雰囲気とあいまって、買う物がなくても好きだったのに、おそらくここでの開催は今回が最後ではないかしら。さびしいねえ、、、

今回はどうぐ市のみならず、この校舎の雰囲気を記憶に焼き付けておこうと朝からでかけた。

こちらはもと講堂。
うちらが小学校の時は体育館なんてハイカラな物はなくて(いつの時代のヒト?)、全校集会とかは講堂でやってたもんだ。
ここは広いので、たくさんの出店がある。主にアンティークというよりまさに古道具的な、こんなの売り物になるん?みたいなモノが多い。ブロカンテといわれるようなものは、たいていうちらが子供の頃にリアルタイムで使っていたようなものばかりだから、むしろ懐かしいという意味では買っちゃうかもしれんが。

木造の階段をぎしぎし登った踊り場には高い窓、空はばっちり日焼けしそうな青さだ。

二階の窓から見た運動場。
ほんに町のど真ん中にこんな運動場。うちらは田舎といえば田舎の小学校だったので、運動場は山に囲まれてそれはそれは広くて開放的だったよ。

小学生の体格にあわせた低い位置にある水道。
こんなに小さかったっけ。

黒板の上にある全校放送用のスピーカー。
そうそう、こんな感じだった。

元教室も元図書館や資料室も元職員室も出店でにぎわう。

ちょっと値の張る古美術の出店もいくつか。ちょっと心引かれるモノもあったのだけれど、現金じゃないとあかんかったので、もちあわせなく断念。
下鴨のMASAさんもでてた。あそこはディスプレーがほんまにステキ。商品ひとつひとつに茶花をなげいれてあるのが、美しすぎて、ついつい自分も買ったら同じようにできるのではないかと錯覚させるところがにくいね。

こういう廊下もあったなあ。

二階から中庭の飲食ブースをみおろす。色とりどりのテントは大賑わいだ。

いつも人気でたいてい売り切れゴメンの山フーズさんのジュース、今日ははやかったので飲めた。見ているだけで楽しい色だね。

エルダーフラワー+青リンゴの炭酸割り。
美味し!

中庭の、この背の低い手洗い場がまた懐かしくて泣かせる。
外で遊んだあとは手を洗いましょう!と当時うっとうしくてかなわんかったけどな。ハンカチいつももってなかったし(^_^;

自分がでた小学校ではないのに、十分ノスタルジーにひたれるこの校舎。お別れなのかな、さびしいな。
木屋町、高瀬川のこの景色、変わらずにいてほしいものだけれど。
海北友松〜京都国立博物館 - 2017.04.24 Mon
そもそも数年前まで海北友松の名前、知らんかったよ。
茶道検定のテキストに載っていた茶摘みの図の作者が海北友泉で、海北と書いて「かいほう」と読むなんてかわってるな〜と思ったくらいで。
ちなみに友泉は友松から3代あとになる。

友松はもともと信長に滅ぼされた浅井家家臣の武士だったが禅門にはいり、最初狩野派の教えを受けたという。時代的には安土桃山〜江戸初期、狩野永徳よりは後、長谷川等伯とほぼ同時代か。

展示の第二章〜交流の軌跡のブースで、どれだけ芸術界の綺羅星たちと彼は交流があったのか、とそのすごさにビックリする。
たとえば、、、桂離宮の八条院智仁、その兄の後陽成帝、公家で歌人の中院通勝、古今伝授の細川幽斎、茶道界では利休の弟子(?)であった真如堂の東陽坊などなど。
特記すべきは明智光秀の家老であった斉藤利三との交遊。謀反人として磔にされていた遺体を奪って手厚く埋葬したという伝説もあるほど。その恩に報いて利三の娘である春日局が、後に息子の友雪をとりたてている。
展示では瀬戸肩衝茶入「真如堂」があったのがうれしい。
東陽坊伝来といわれ、友松はその真如堂に、斉藤利三の隣に埋葬されているのだ。

しかしなんといっても友松の一番有名な仕事は建仁寺大方丈障壁画52面。
そのデビューは60才をこえてから、というから遅咲きのスターであったようだ。(うん、うちらもまだまだ行ける!、、、はず)
照明を落とした部屋に二体の雲龍図。
これがやっぱり今回の展示の目玉というか圧巻というか。不明にして正直、同時代の他の絵師との違いがあまりわからなかったのだが、この雲龍だけはすごい!と思う。
怖ろしいくらいの顔であるが、実は瞳があっさり点なのだ。なのにこのにらまれる迫力は何?
胴体は雲に途切れ途切れ、その全体像がみえないところがまた畏い。手足の爪がまたすざまじい。右双の雄龍の角が枝分かれして力強い迫力があるのに対して、左双の伏龍か雌龍、角があっさり、口も閉じているがこちらも迫力が負けないのはなぜだろう。
この暗い部屋で、龍の鳴き声さえ聞こえるような気がした。(ゴジラの声になるのはなぜ???)

雲龍のように勢いのある筆でさっと描いた墨絵が多いと思っていたら、、、、突然華やかな牡丹の細密画、金碧屏風が目に飛び込んできた(花卉図屏風)。こんな緻密な色彩画も描けるんだ。友松、70才にして妙心寺の屏風に描いたもの。この人、年をとって衰えると言うことを知らない。

晩年のやや小さめの北野天満宮の雲龍図は、迫力こそ建仁寺の比ではないが、あれを描いてから数十年、なぜかとぼけた味わいが加わり、更に言うなら龍を離れて異形のものになっている。照明を落とした暗い中で対峙すると、やはりここでも龍の鳴き声が聞こえたような気がした。もっとやわらかな、やさしい、、、
茶道検定のテキストに載っていた茶摘みの図の作者が海北友泉で、海北と書いて「かいほう」と読むなんてかわってるな〜と思ったくらいで。
ちなみに友泉は友松から3代あとになる。

友松はもともと信長に滅ぼされた浅井家家臣の武士だったが禅門にはいり、最初狩野派の教えを受けたという。時代的には安土桃山〜江戸初期、狩野永徳よりは後、長谷川等伯とほぼ同時代か。

展示の第二章〜交流の軌跡のブースで、どれだけ芸術界の綺羅星たちと彼は交流があったのか、とそのすごさにビックリする。
たとえば、、、桂離宮の八条院智仁、その兄の後陽成帝、公家で歌人の中院通勝、古今伝授の細川幽斎、茶道界では利休の弟子(?)であった真如堂の東陽坊などなど。
特記すべきは明智光秀の家老であった斉藤利三との交遊。謀反人として磔にされていた遺体を奪って手厚く埋葬したという伝説もあるほど。その恩に報いて利三の娘である春日局が、後に息子の友雪をとりたてている。
展示では瀬戸肩衝茶入「真如堂」があったのがうれしい。
東陽坊伝来といわれ、友松はその真如堂に、斉藤利三の隣に埋葬されているのだ。

しかしなんといっても友松の一番有名な仕事は建仁寺大方丈障壁画52面。
そのデビューは60才をこえてから、というから遅咲きのスターであったようだ。(うん、うちらもまだまだ行ける!、、、はず)
照明を落とした部屋に二体の雲龍図。
これがやっぱり今回の展示の目玉というか圧巻というか。不明にして正直、同時代の他の絵師との違いがあまりわからなかったのだが、この雲龍だけはすごい!と思う。
怖ろしいくらいの顔であるが、実は瞳があっさり点なのだ。なのにこのにらまれる迫力は何?
胴体は雲に途切れ途切れ、その全体像がみえないところがまた畏い。手足の爪がまたすざまじい。右双の雄龍の角が枝分かれして力強い迫力があるのに対して、左双の伏龍か雌龍、角があっさり、口も閉じているがこちらも迫力が負けないのはなぜだろう。
この暗い部屋で、龍の鳴き声さえ聞こえるような気がした。(ゴジラの声になるのはなぜ???)

雲龍のように勢いのある筆でさっと描いた墨絵が多いと思っていたら、、、、突然華やかな牡丹の細密画、金碧屏風が目に飛び込んできた(花卉図屏風)。こんな緻密な色彩画も描けるんだ。友松、70才にして妙心寺の屏風に描いたもの。この人、年をとって衰えると言うことを知らない。

晩年のやや小さめの北野天満宮の雲龍図は、迫力こそ建仁寺の比ではないが、あれを描いてから数十年、なぜかとぼけた味わいが加わり、更に言うなら龍を離れて異形のものになっている。照明を落とした暗い中で対峙すると、やはりここでも龍の鳴き声が聞こえたような気がした。もっとやわらかな、やさしい、、、
石川圭さんの器で民藝茶会〜陶々舎 - 2017.04.23 Sun
紫野の陶々舎、思えばこの3年ちょっと、よう通わせてもらった。ここでできたお茶のご縁は数知れず、特にお若い茶人さんと交流できたのは何物にも代え難い財産。

その陶々舎も今月いっぱいで一応発展的解散をする。お名残惜しいので、参加できる茶会はできるだけ行っておこうと、この夜の茶会にでかける。孤篷庵向かいのこの家がなければ、このあたりはこの時間真っ暗で人っ子一人通ってないだろうなあ、と思いつつ窓からもれる燈火にほっとする。

本日は民藝茶会と銘打って、益子焼の若い陶芸家・石川圭さんの作品展とのコラボ、亭主は石川さんと茶道学園で同期であったというKiKiちゃん。(一年以内には帰国されるという、さびしいなあ)

石川さんは益子生まれの益子育ちなのだそうだ。意外とそういう方は少ないのではないかしら。
益子と言えば濱田庄司、だが、彼はまさにその濱田窯で修行されているのだとか。現在は濱田庄司のお孫さんがやってはる。

待合での汲み出しが彼の作品。この塩笥のようなツボツボのような器がお好きな形のようだ。茶席ででてきた茶碗にも同じフォルムのものがあって、特徴的であった。手によくなじむ感じで、見ているとなごむ形だわ。

蹲居を使っての席入り。
席中は手燭の燈のみで暗い。この雰囲気が好きなのだ。
まずは八寸で一献。

(暗くて申し訳ないが)お菓子が薯蕷。
う〜む、この紋様はどこかでみたことがあるようなないような、、、そう言えば同じく民藝の河井寛次郎的、、、、と思ったら、やっぱりそうであった。寛次郎の焼物の絵付けのモチーフであった。御製は愛信堂さん。

中立で玄関の小上がりの待合からは、夜桜が仄かに白く美しかった。静かなこの夜をしっかり心に焼き付けておこう。

後座の花。(これは終わったあと電灯をつけたときの写真)
KiKiちゃんのお点前はいつもほんとうに美しい。立ち居振る舞いもさることながら、今回は美しい帛紗捌きをしっかり盗んでおく。この基本となる所作がこんなに長年やっていてもいつも自信がないのだ。
お茶碗は石川さんの作品はもとより、彼のコレクションがいっぱい。
民藝であるから、李朝系のものもあれば沖縄のやちむん(焼物)風のもの(沖縄・読谷村で修行を一時されていたそうだ)、イギリスのスリップウエア風のもの、塩釉という塩を釉薬代わりにつかったものなど、多彩。
中に、あ、いいな、と思った皮鯨にワンポイントの梅の絵付けの茶碗、やっぱり!濱田庄司作品であった!(石川コレクション)石川さんはまだまだお若いこれからの方、是非この茶碗を越えるものを作られるようになっていただきたい。
楽しい茶会は果てる。
陶々舎あるじの三人はそれぞれの道を行く。お茶に関わっている限りつかずはなれすのおつきあいを続けたいものだが、それぞれの道の行く先がより志高いものに到達することを祈る。

その陶々舎も今月いっぱいで一応発展的解散をする。お名残惜しいので、参加できる茶会はできるだけ行っておこうと、この夜の茶会にでかける。孤篷庵向かいのこの家がなければ、このあたりはこの時間真っ暗で人っ子一人通ってないだろうなあ、と思いつつ窓からもれる燈火にほっとする。

本日は民藝茶会と銘打って、益子焼の若い陶芸家・石川圭さんの作品展とのコラボ、亭主は石川さんと茶道学園で同期であったというKiKiちゃん。(一年以内には帰国されるという、さびしいなあ)

石川さんは益子生まれの益子育ちなのだそうだ。意外とそういう方は少ないのではないかしら。
益子と言えば濱田庄司、だが、彼はまさにその濱田窯で修行されているのだとか。現在は濱田庄司のお孫さんがやってはる。

待合での汲み出しが彼の作品。この塩笥のようなツボツボのような器がお好きな形のようだ。茶席ででてきた茶碗にも同じフォルムのものがあって、特徴的であった。手によくなじむ感じで、見ているとなごむ形だわ。

蹲居を使っての席入り。
席中は手燭の燈のみで暗い。この雰囲気が好きなのだ。
まずは八寸で一献。

(暗くて申し訳ないが)お菓子が薯蕷。
う〜む、この紋様はどこかでみたことがあるようなないような、、、そう言えば同じく民藝の河井寛次郎的、、、、と思ったら、やっぱりそうであった。寛次郎の焼物の絵付けのモチーフであった。御製は愛信堂さん。

中立で玄関の小上がりの待合からは、夜桜が仄かに白く美しかった。静かなこの夜をしっかり心に焼き付けておこう。

後座の花。(これは終わったあと電灯をつけたときの写真)
KiKiちゃんのお点前はいつもほんとうに美しい。立ち居振る舞いもさることながら、今回は美しい帛紗捌きをしっかり盗んでおく。この基本となる所作がこんなに長年やっていてもいつも自信がないのだ。
お茶碗は石川さんの作品はもとより、彼のコレクションがいっぱい。
民藝であるから、李朝系のものもあれば沖縄のやちむん(焼物)風のもの(沖縄・読谷村で修行を一時されていたそうだ)、イギリスのスリップウエア風のもの、塩釉という塩を釉薬代わりにつかったものなど、多彩。
中に、あ、いいな、と思った皮鯨にワンポイントの梅の絵付けの茶碗、やっぱり!濱田庄司作品であった!(石川コレクション)石川さんはまだまだお若いこれからの方、是非この茶碗を越えるものを作られるようになっていただきたい。
楽しい茶会は果てる。
陶々舎あるじの三人はそれぞれの道を行く。お茶に関わっている限りつかずはなれすのおつきあいを続けたいものだが、それぞれの道の行く先がより志高いものに到達することを祈る。
新旧乙女で祗園でお茶祭ぢゃ! - 2017.04.19 Wed

祗園さんの南楼門(これがほんまの正門なんよ)の修復竣工がついこのあいだ。それまで白いシートがかぶせられていた。これを祝ってお披露目に花を添える祗園大茶会、例年3月東山花灯路に合わせておこなわれるところ今年は4月。

祗園さんの境内に湧く御神水、大茶会にはこの水を使うので、神賑水行列と銘打って水の樽が四条通りを行く。

本席は常盤殿で芸舞妓の華やかなお点前、祗園祭の各鉾のお囃子奉納もあったらしい。(巡行復活をめざす鷹山のお囃子も初参加)
らしい、、、というのはそっちにいくいとまなどなかったからなのだ。新旧乙女の会(なんちゃって仮称・社中も年令も住むところもバラバラだけどお茶好きほんまの乙女と元乙女)で副席の一つをだすからなのよん。

祗園商店街にはためく大茶会の幟。

朝から道具をもちこみ設置。
なんといってもこの、釣り釜用、竹の三脚がいいアクセントだ。これを使いたかったのだが、悲しいかな乙女の細腕(えへへ)ではこんなの作れない。そこで鴨茶のTさんにお願い。こころよく作って設置までしてくださった。乙女感激、感謝。

祭ぢゃ祭ぢゃ♪
しかし、祭はすでに数日前から始まっておった。
乙女たち、我が家にあつまってお菓子を手作り。鹿児島にルーツのある新乙女の発案による、郷土菓子「けせん団子」。
けせんとは肉桂の葉っぱなんだそうな。はじめて知った。餡団子をこのけせんの葉ではさんで(椿餅みたいや)蒸す。
すると、、、まあ、なんてすがすがしい香りになるんだ!
いわゆるシナモンの香りとはまったくちがう、、レモングラスのような柑橘系のよい香り。
けせんの葉っぱは殺菌作用もあり、暑い鹿児島ならではの素朴なお菓子。これをお客さまにおだしする。

一昨年、昨年と円山公園内の目立たない場所でのアヤシイ、テントの茶席だったので、知人以外はほとんど寄りついてもらえなかったが、今年は四条通りに面しているので多くの外人さんの被写体になりながらのお点前、たくさんのお客さまにお茶を飲んでもらえた。

茶箱は李朝の硯箱の見立て、結界は煎茶道具の芭蕉盆、敷物は印度更紗、自分の趣味炸裂のなか、若い乙女たち、よくつきあってくれました。ほんにほっておいてもすべき仕事をみつけてさくさくやれるのは、さすが日ごろお茶の鍛錬ができているからだろうな。

お茶友さんがたくさんお越し下さった他、通りがかりの知らない方も、おこちゃまも、英語しかしゃべれない外人さんも、たくさんの方にきていただいて、お話しできて楽しくお祭♪
しまった!けせん団子、なくなってしまった!
予想外のご来客にあわてて桜餅を買いにはしったり、お茶を買いに走ったり、まあ、ここは祗園商店街、なんでもそろうけれどね。ありがたい悲鳴というか、これも祭ぢゃ!

振り出しは伊賀の笹山さんの作品。蓋も自分で木工しはったもの。何に使うか当のご本人も考えておられなかったが、これはやはり振り出しやろう。中にいれた極小金平糖、ひっくり返さないとでないところもなにかと話題になってよかったのだ。
金平糖をしらない外人の女の子に少しあげたら、キャンディーか?と確認して口にいれてた(^_^;でもおいしかったみたい。

おとなりでは絵屋宝樹さんがライブペインティング中。

完成図!
このところすっかり彼女のトレードマークになったころころしたかわいい唐子がいっぱい!!
(有名所の時代劇映画で、日本画とか障壁画とか背景にあったら彼女の作品もいくつかあるはずだよ)

各茶席を回って門つけをする実験的能パフォーマーの田○田さん、今年もまわってきてくれはった。
結び文を一つ客に引かせて、そこに書いてある歌い出しの仕舞を舞ってくれる。うちにきはった時は二回とも「髙砂」やった。これ私も習った。とてもかっこよくて好きな仕舞なのだ。住吉明神の神舞、、、♪ げにさまざまの舞姫の〜

夕刻終了。さすがに祭も疲れたころ、店じまいしかけた茶席にお向かいで釜をかけていたF太朗君が自分とこのお菓子一式もって遊びにきてくれた。なので幕をはって中で慰労会(?)
この湯桶には中村製餡のこしあん、白餡がはいっていて、希望にあわせてぱりぱりのモナカの皮にはさんで自作の小さい俎板台にのせて。いや、これ美味しかったわ、ぱりぱりの皮も全然しつこくない餡も。
ありがとう!

ゆっくりしたいところだが、すでに撤収部隊が作業をしたそうにしているので、あわてて片付け、一日の祭のあとが夢のようにあとかたもなく平常復帰。プロの仕事やな。
♪ 祭のあとのさびしさは〜
これは吉田拓郎の歌なんで知っている年代は限られると思うが、そんな気分。
お昼をゆっくり食べる閑もなく立ったまま幕の後でサンドイッチ食べたり(A君差し入れありがと)、とにかく目が回るようだったが、やはりみんなで力を合わせて何か成し遂げる、というのは何歳になってもすてきなことだね。
お客さまに、乙女たちに、力添えしてくださったたくさんの方々に感謝しつつ、、、現在は筋肉痛と戦っているのである。
銀月サロン・しだれ桜の茶会〜銀月アパートメント - 2017.04.18 Tue

前の記事の駒井家住宅のすぐそば。
北白川疏水分線のほとりにたつ銀月アパートメントは築何年か不明の木造のアパート。ああ、見えてきた,しだれ桜咲いてる咲いてる。

映画のロケにもよく使われるこの建物は、アート関係の若者が多く住んでいて、不便にもかかわらず人気なのもわかるような雰囲気。
昨年からここの一室の中国茶銀月サロンに通い出したのは、この季節のこの桜を室内から眺めたい、というのが大きな理由かも知れない。

おお!やった!
すばらしい。ちょうど見頃であった。
ここでの前回の新年茶会のときに予約をすでにいれておいたのだが、都合がつかず10日過ぎてからの再度申し込み、もう遅いかな、とあきらめていたのだが、今年の桜はゆっくりゆっくりで、ラッキーであった。

ここの室礼もいつも美しい。
なにか参考になるものは盗んでいこう、という下心。

漆器のように見えるスガハラガラス(Sghr)の茶杯に、サロン主お手製のミルフィオーリガラスの桜の皿。お菓子は八重桜と山桜の二種類ある葛のお菓子+ペパーミントせんべい。
お菓子もここでいろいろおしえてもらっている。

窓と反対側の壁には午前中のこの時間だけできる桜の影がゆれる。
影もうっすら薄桜色。

ウエルカムティーはジャスミンスパークリング。
水出ししたジャスミンティーに炭酸水を。

しゅわしゅわキラキラ、ほとんどシャンパンだね。
味はしっかりジャスミンティー。

続いて香りも味もすばらしいとしか言いようのない鳳凰単叢・蜜桃香をいれていただく。
枝垂れ桜をバックになんて絵になるんだ。

このお茶は乾燥状態でも蓮華の花のような蜜の香り、まさにその名に負う。
一煎目は華やかな花の香りがひろがり、二煎目はどっしりとした実力派のお茶の味、不思議なことに三煎目でふたたび香りが蘇り、味はまろやかになっている。
まるで女性の人生みたいだと思う。
だから今自分がいるところである最後の三煎目が一番美味しいと思った。

次に安渓鉄観音の一番中国茶らしいお茶をお客さま同士で煎れあう。
5人で煎れても五煎目までしっかりしたお茶になるのは発酵茶ならでは。
そしてお楽しみの点心。
わあ、これはすてきな入れ物だ。

ワカメと蛤のお椀。
新ワカメだけでこんな出汁がでるとは知らなかった。

さきほどの簀巻きを開くと!
中華風ばら寿司!
上にのっている新牛蒡のいためたのや、ナンプラーと砂糖レモンで味付けした水菜、ほんまに美味しい。
銀月サロンは実は点心も楽しみ。いつも珍しいものが出て、作り方を聞いてちょっとだけまねしているのだ。

この日はお花見気分で濁り酒も少々でた。
最後にいただいたのは白茶に薔薇茶(薔薇のつぼみを乾燥させたもの)をうかべて。
白茶は香りはうるさくなく、やさしい味わいなので、うかべた薔薇の香りがひきたつ。

お菓子はこれもサロン主手作りのかのこ桜羊羹。

ばたばた走り回る日常をしばし脇に置いておいて、このひとときだけは桜を愛でながらゆっくりと美しい時間を味わったのであった。
仕舞「杜若」クセ - 2017.04.17 Mon
某能楽堂にて能の社中の発表会。
演者はすべて素人ではあるが、お囃子や地謡が今をときめくプロの能楽師の方々、実にぜいたくな発表会なのである。
昨年は源氏物語から「玉鬘」をやらせていただいたが、今年は伊勢物語から「杜若」のクセの部分を。約10分たらず、けっこう長いのである。これを半年やりこんで、2ヶ月前の社中内発表会では舞台上であれ?あれ?、、と一部舞を忘れるという大失態。今回は一般のお客さん(主に出演者の縁者)の前なので、失敗はゆるされないのだ。

(大田の沢の杜若 数年前の写真)
「杜若」は何回か見たことがある。
簡単なストーリーをここで。
旅の僧が三河の国にて、杜若が美しく咲いている沢にみとれていると、里の女登場。ここはかの業平が「からころも、、、」を詠んだ八橋というところだと告げて、いろいろ業平について語る。
女は僧を家にいざない、そこで、「色も輝く衣」をまとい、「透額の冠」を着け、僧の前に現れる。この輝く衣は二条の后こと高子(業平の東下りの原因ともなった恋人)の后の御衣、冠は業平が五節の舞いで身につけた冠であると告げる。
(男性の冠、女性の唐衣を身につけ、中性的な美しさを連想させる)
女は自分は杜若の精であるとつげ、業平の物語を語り、美しい舞を舞って、最後に業平は極楽の歌舞の菩薩の化現なれば、草木も悉皆成仏する、、と夜明けとともに消えていった。

(今回先生からお借りした舞扇。あんまり杜若っぽくないけど)
クセの部分は、伊勢、尾張、浅間山を見ながら三河の国の八ッ橋へと東下りのルートをたどって、とりわけこの八ッ橋の杜若は名高い、、、、云々。
昨年の「玉鬘」にも蛍を追いかけるシーンがあったのだが、今回も「光も乱れて飛ぶ蛍の、、、」と顔の向きで蛍を追う場面があり、これがむつかしい。あんまりしんねりやると日本舞踊になっちゃうし。目線をあげる角度がなあ、,いまいちきまらない。
クセのフィナーレは業平の有名な歌もよみこんで華麗に(脳内イメージでは)
、、、暗きに行かぬ有明の 光あまねき月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
本覚真如の身をわけ 陰陽の神といわれしも ただ業平の事ぞかし かように申す物語 うたがわせたもうな旅びと はるばる来ぬる唐衣 着つつや舞を 奏づらん、、、、
疑わせたもうな、のところで右手におりたたんだ扇を(そこにすわっているはずの)旅の僧につきつけるところが、なんだかミエを切っているようで、好きやなあ。
今度からプロの「杜若」を見るとき、自分の覚えたところは真剣に見ることができそうだ。
まあ、間違えはしなかったし、自分ではまあまあかとも思ったが、まあまあと思った昨年の動画をみると操り人形のようにカクカクと非常にぎこちなかったので、今年もどうだかなあ、、、(^_^; 1年の精進の進歩はあったのだろうか???
しかし他の先輩方の舞は、、、やっぱりすごかった。

杜若っぽい着物がなかったので、帯だけでも琳派に。
(ってわかる人にしかわからんよねえ(^_^; 光琳の燕子花、宗達の風神雷神いずれも琳派代表)
演者はすべて素人ではあるが、お囃子や地謡が今をときめくプロの能楽師の方々、実にぜいたくな発表会なのである。
昨年は源氏物語から「玉鬘」をやらせていただいたが、今年は伊勢物語から「杜若」のクセの部分を。約10分たらず、けっこう長いのである。これを半年やりこんで、2ヶ月前の社中内発表会では舞台上であれ?あれ?、、と一部舞を忘れるという大失態。今回は一般のお客さん(主に出演者の縁者)の前なので、失敗はゆるされないのだ。

(大田の沢の杜若 数年前の写真)
「杜若」は何回か見たことがある。
簡単なストーリーをここで。
旅の僧が三河の国にて、杜若が美しく咲いている沢にみとれていると、里の女登場。ここはかの業平が「からころも、、、」を詠んだ八橋というところだと告げて、いろいろ業平について語る。
女は僧を家にいざない、そこで、「色も輝く衣」をまとい、「透額の冠」を着け、僧の前に現れる。この輝く衣は二条の后こと高子(業平の東下りの原因ともなった恋人)の后の御衣、冠は業平が五節の舞いで身につけた冠であると告げる。
(男性の冠、女性の唐衣を身につけ、中性的な美しさを連想させる)
女は自分は杜若の精であるとつげ、業平の物語を語り、美しい舞を舞って、最後に業平は極楽の歌舞の菩薩の化現なれば、草木も悉皆成仏する、、と夜明けとともに消えていった。

(今回先生からお借りした舞扇。あんまり杜若っぽくないけど)
クセの部分は、伊勢、尾張、浅間山を見ながら三河の国の八ッ橋へと東下りのルートをたどって、とりわけこの八ッ橋の杜若は名高い、、、、云々。
昨年の「玉鬘」にも蛍を追いかけるシーンがあったのだが、今回も「光も乱れて飛ぶ蛍の、、、」と顔の向きで蛍を追う場面があり、これがむつかしい。あんまりしんねりやると日本舞踊になっちゃうし。目線をあげる角度がなあ、,いまいちきまらない。
クセのフィナーレは業平の有名な歌もよみこんで華麗に(脳内イメージでは)
、、、暗きに行かぬ有明の 光あまねき月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
本覚真如の身をわけ 陰陽の神といわれしも ただ業平の事ぞかし かように申す物語 うたがわせたもうな旅びと はるばる来ぬる唐衣 着つつや舞を 奏づらん、、、、
疑わせたもうな、のところで右手におりたたんだ扇を(そこにすわっているはずの)旅の僧につきつけるところが、なんだかミエを切っているようで、好きやなあ。
今度からプロの「杜若」を見るとき、自分の覚えたところは真剣に見ることができそうだ。
まあ、間違えはしなかったし、自分ではまあまあかとも思ったが、まあまあと思った昨年の動画をみると操り人形のようにカクカクと非常にぎこちなかったので、今年もどうだかなあ、、、(^_^; 1年の精進の進歩はあったのだろうか???
しかし他の先輩方の舞は、、、やっぱりすごかった。

杜若っぽい着物がなかったので、帯だけでも琳派に。
(ってわかる人にしかわからんよねえ(^_^; 光琳の燕子花、宗達の風神雷神いずれも琳派代表)
北白川・駒井家住宅2017春 - 2017.04.15 Sat

北白川の疏水分線も花盛り。

この季節のここがこんなに美しいとは、、、
花吹雪に巻かれて、しばし幸せな時間をすごす。

そのほとりにある駒井家住宅へ久しぶりに行った。以前京都和菓子の会がここであったのは、調べてみたらもう9年も前のことだった。(その時はまだ京都在住じゃなかったのにね)

この住宅は、遺伝学者であった京都帝国大学名誉教授・駒井卓博士(1886~1972)静江夫妻の私邸として、昭和2年、ヴォーリズ建築事務所の設計により建てられたもの。ヴォーリズの奥様と静江さんが神戸女学院の同窓であったご縁らしい。
ご夫妻亡き後、保養所、研修所として使われていたそうだが、現在ではナショナルトラストが管理するところとなっている。

他の部屋はほとんど洋室なのだが、前回来たときには気づかなかった和室が、玄関入ってすぐの所にあったのね。床の間もあって、茶室としても使っておられたのだろうか。

広いリビングの奥にあるこのサンルームが駒井家住宅のシンボルのような気がする。すてきなスペースだ。
前回来たときはたくさんの人でいっぱいだったが、今回はお一人様。受付の方も奥に入って声をかけないとでてこられず、思いがけなく独り占めできたのがうれしい。

リビングの絵になる一画。この窓の下はちょっとしたソファになっている。反対側にドイツ製のピアノがあるが、これは静江さんへ博士が贈った物だそうだ。このソファにすわってピアノの演奏をご夫婦で楽しまれたのだろうな。

こちらはキッチン。保養所時代にかなり改変されているらしい。
現在、スタッフの方が実際使用されているが、いずれここも復元される予定とか。

前回来たとき、和菓子のテーマともなったアメジストのドアノブ。美しい。

クリスタルのもある。フライベートとパブリックで使い分けたとか内と外で使い分けたとか。こういう細かいところのこだわりも楽しい。

玄関ホールにつながる二階への階段。
これも優雅な雰囲気だ。

こちらは主寝室につながるサンルーム。

ここにすわると大文字が正面に見えるのだ。
反対側をみると、こんどは桜の木。
研究の合間、ここにすわってのひとときはきっと博士の大きな安らぎであったろうと想像する。送り火の日にはここで眺めたに違いない。

サンルームの反対がわ。
この箪笥だけが和風なんだが。まわりの柱とかは進駐軍接収時(接収されてたんだ!)に塗り替えられたというから、本来もっとしっくりくる色合いだったんだろうな。

浴室洗面所。
浴室は見られなかったが、白いタイルはあの時代のもの的。

駒井博士の書斎の西向きの窓からは庭のシンボルツリー、大王松が見える。

書斎の本棚。
本がぎっしり。やはり学者の書斎だな。
不明にして、博士の科学的功績をあまり存知あげない。しかし日本の動物遺伝学、動物分類学の泰斗であったときく。

玄関から出ると、そこはもう桜並木の疏水分線だ。
今度はお庭散策。全部で300坪あるというから、けっこう広い。

庭側からみたサンルーム。
この窓、American-Spanish様式というらしい。

リビングから出られるテラスは藤棚になっていた。

奥には温室。
手前の芝生の部分にはかつてはいろんな植栽があったのかもしれない。池もあったというが面影はない。

離れの入り口。
どこかヨーロッパの国の建物のように見える。

庭には主にハナニラの花が盛りを迎えて綺麗だった。
京大の教官が多く住むインテリジェントな雰囲気の北白川の地。
知的で深い教養とキリスト教的慈愛の心をもったご夫婦が、静かにここで暮らしておられた。そのために建てられた家があまりにそれにふさわしいのにおどろく。
ご家族の方がよくぞ残してくださったものだと、感謝。
好日居・茶ノ教室夜会〜卯の花月2017 - 2017.04.13 Thu
疏水べりの桜ライトアップが美しい岡崎の好日居さんで恒例の茶ノ教室・夜会。

夜桜を見つつ逍遙する人たちもここまでは来ない。

今月は桜月、卯の花月(旧暦4月の古称)
まずは季節柄、お花の茶を。

福建省・玉蘭花茶。
玉蘭とは白木蓮のこと、英語ではマグノリアティー。上品で華やかな香り、私は蓮華の花の香りを思い出したのだけれど。

早くも点心をいただく。
これも春そのものの春餅(チュンピン)。
中国では立春の日の行事食だそうだ。

小麦粉をといたもちもちしたクレープといった感じの皮に鶏そぼろや卵焼き、お野菜を盛って甜麺醤をかける。う〜ん、これは北京ダック的だ。なかなか日本では手に入りにくい春餅、この日は膳所漢(洛中の中華レストラン)さんに作ってもらったそう。

さて、昨年も4月の教室は夜桜の下に茶道具一式もちだし野遊び風のお茶をいただくのだが、昨年も今年も雨でできなかった。残念。
せめて気分だけでもピクニック、、、ということで大谷石の床の部屋へ移動。
さすらいのギタリストならぬギ茶リスト(ギターを点茶盤に改造したり、、、)さんがソメイヨシノ、ヤマザクラ、枝垂れ桜の枝をもってきてくださった。これを大きな壺にいれると夜桜見物の気分に十分なれる。

ここでいただくのは四川省・竹青茶。
これは以前に大山崎山荘の中国茶会でいただいて印象に残っているお茶だ。
ごらんのとおり、固い竹の葉っぱみたいな外見。でも茶葉なんだ。こういう風に茶碗で煎れる入れ方もある。

この竹青茶は苦みが効いて青くさいまでのお茶。特にきょうのは社前茶といって立春よりも早い時期(だったか?)に摘まれた若い若い茶葉。
二日酔いの時に効きそうだ。何煎かのんでいるうちにまろやかになって、ああ、やっぱりお茶の葉なんだなあとわかるようになる。

この茶則、実は桜の木でできているのです。桜の倒木かなにかから磨いて磨いてつるつるの手触り、これもさきほどのギ茶リストさんの作品。実際に使われたが、たくさんたくさん茶葉がはいる。

最後のお茶のためのお菓子は、昨年もいただいて感激した嵐山・琴きき茶屋の桜餅。あんこがはいていません、道明寺だけで桜の香りとほんのり甘みと。
他にさらしよし飴(霜柱の大きいやつみたいな)など。

最後にいただくのが高級茶、私の好きな大紅袍、なかでも中国茶師所持だった最高級品の「福建・武夷岩茶・帝皇袍」。
これぞ中国茶!という香りと味。杯に残った香りを聞くのが楽しみで。それはそれはうっとりするよき香りであった。かつては皇帝の飲み物であったとか。なるほど、とうなづける。
お互いにお茶を煎れあったり(煎茶道にとてもよく似ているのだ)、おしゃべりをしたり、中国茶は小さい杯で何回ものみながらおしゃべりできるのがいいな〜と思うのであった。
今宵も美しいお茶時間は終了です。

夜桜を見つつ逍遙する人たちもここまでは来ない。

今月は桜月、卯の花月(旧暦4月の古称)
まずは季節柄、お花の茶を。

福建省・玉蘭花茶。
玉蘭とは白木蓮のこと、英語ではマグノリアティー。上品で華やかな香り、私は蓮華の花の香りを思い出したのだけれど。

早くも点心をいただく。
これも春そのものの春餅(チュンピン)。
中国では立春の日の行事食だそうだ。

小麦粉をといたもちもちしたクレープといった感じの皮に鶏そぼろや卵焼き、お野菜を盛って甜麺醤をかける。う〜ん、これは北京ダック的だ。なかなか日本では手に入りにくい春餅、この日は膳所漢(洛中の中華レストラン)さんに作ってもらったそう。

さて、昨年も4月の教室は夜桜の下に茶道具一式もちだし野遊び風のお茶をいただくのだが、昨年も今年も雨でできなかった。残念。
せめて気分だけでもピクニック、、、ということで大谷石の床の部屋へ移動。
さすらいのギタリストならぬギ茶リスト(ギターを点茶盤に改造したり、、、)さんがソメイヨシノ、ヤマザクラ、枝垂れ桜の枝をもってきてくださった。これを大きな壺にいれると夜桜見物の気分に十分なれる。

ここでいただくのは四川省・竹青茶。
これは以前に大山崎山荘の中国茶会でいただいて印象に残っているお茶だ。
ごらんのとおり、固い竹の葉っぱみたいな外見。でも茶葉なんだ。こういう風に茶碗で煎れる入れ方もある。

この竹青茶は苦みが効いて青くさいまでのお茶。特にきょうのは社前茶といって立春よりも早い時期(だったか?)に摘まれた若い若い茶葉。
二日酔いの時に効きそうだ。何煎かのんでいるうちにまろやかになって、ああ、やっぱりお茶の葉なんだなあとわかるようになる。

この茶則、実は桜の木でできているのです。桜の倒木かなにかから磨いて磨いてつるつるの手触り、これもさきほどのギ茶リストさんの作品。実際に使われたが、たくさんたくさん茶葉がはいる。

最後のお茶のためのお菓子は、昨年もいただいて感激した嵐山・琴きき茶屋の桜餅。あんこがはいていません、道明寺だけで桜の香りとほんのり甘みと。
他にさらしよし飴(霜柱の大きいやつみたいな)など。

最後にいただくのが高級茶、私の好きな大紅袍、なかでも中国茶師所持だった最高級品の「福建・武夷岩茶・帝皇袍」。
これぞ中国茶!という香りと味。杯に残った香りを聞くのが楽しみで。それはそれはうっとりするよき香りであった。かつては皇帝の飲み物であったとか。なるほど、とうなづける。
お互いにお茶を煎れあったり(煎茶道にとてもよく似ているのだ)、おしゃべりをしたり、中国茶は小さい杯で何回ものみながらおしゃべりできるのがいいな〜と思うのであった。
今宵も美しいお茶時間は終了です。
徒歩圏内+αの桜礼賛 - 2017.04.11 Tue
今年の春は、桜はあっというまに満開、同時に散りはじめる。
忙しくて、遠い名所に行く余裕がなかった。でも桜は名所もさることながら、いつも見慣れたご近所の桜がいとおしいものではなかろうか。厳しい冬を耐え抜いた姿も知っているだけに。
自宅から徒歩圏内の桜を愛でる。

岡崎を流れる疏水の桜。残念ながら雨模様。

だれもが足を止める桜の渦。

ここの桜はソメイヨシノ

美術館やみやこメッセ、動物園、岡崎の名所をぐるりと回り疏水べりにずっと続く桜の並木。

東大路だってこえちゃう。

この季節は桜十石舟もでる。(ただしかなり待ち時間長いよ)

すでに花筏も流れてくる。もう少ししたらもっと密度の高い花筏ができるので、これをぼ〜っと眺めるのは結構楽しいのん。

水辺にある桜はことさら美しいのはなぜだろう。

こちらは知る人ぞ知る、白川通り、錦林車庫裏の桜並木。
観光客はまず来ない。こんな満開でも人の姿がほとんどない秘密のお気に入りスポット。

うってかわって観光客でごったがえす平安神宮。
この屋根を見越す紅枝垂れがすごい。

紅枝垂れはソメイヨシノから少し遅れるから、この日はまだまだ蕾の方が多い。

神苑内にある茶室澄心亭では、1日から約二週間毎日日替わりで、いろんな流派の方が釜をかける。お邪魔したこの日は表千家さんの席だった。

境内ではおみくじの桜も咲いていたよ。
(ちなみに私はおみくじというモノを引かないことに決めている)

タクシーから眺めた宮川町の桜があまりに綺麗だったので、途中下車してめでる。

時はおりしも宮川町歌舞練場で京おどりの真っ最中、ここの桜はだから艶っぽいのか。

五条あたりの鴨川も花盛り。雪柳、レンギョウ、、、、

ここでお弁当を広げる人もいる。都の人にはなくてはならない鴨川べり。
今日はお茶点てている人は、、、、いないわね、残念。

木屋町の桜も見逃せない。

こんな桜の絨毯もできる。

ふたたび地元にもどって哲学の道。
これは大豊神社のところの大桜。

この日は雨で観光客もあまり多くはなかったのでゆっくり楽しめたよ。

命のたくましさを感じさせる、幹からはえて咲くけなげな花。

ここは疏水べりに住む方々がいろんな花を植えてはるので、それを見るのも楽しみ。
レンギョウ、オウバイ、雪柳、ミツマタ、シャクナゲ、バイモ、、、それから勝手に生えてるカラスノエンドウもきれいだ。

ひとつひとつの花は白に近いのに、たくさん集まると薄紅になる。この色を出すために桜は蕾の頃に紅色の色素を作るのだという。だから草木染めは花が咲く前の木でしなければならないのだとか。

疏水べりのギャラリーのシンボルツリーも春にはこのように。
さて、圧巻の疏水の夜桜!

ご近所というだけで自慢してしまいそうになるこの風景。ロームシアター(わたし的には京都会館、,ね)の横。

十石舟は遅くまでごくろうさまだ。

昼間の雨があがりおりしも満月の月が。
最高の花見。お酒もご馳走もないけれど、これぞ正しい花見。

鏡面に映る。

花に見入る人たちのシルエットを見るのが好き。だから毎年この絵柄で写真撮ってるわね。

今年は美術館が増築にはいって、いつもの南側の桜の下に入れないのが残念。

南禅寺まで足をのばせば、湯豆腐のお店の桜もまた見事であった。

インクラインの桜もお忘れ無く。
雨で人が少ないのがかえってよいかも。
こちら下り方向(西向き)

こちら上り方向(東向き)

碧雲荘お向かいの清流亭の枝垂れも咲きました。
桜の花の命は短くて、ぼ〜っとしているとあっという間に散り果てる。人生もまたかくの如し。
あした、あした、と言って今日を大事に生きない者は、人生を大事にも生きない。
そんな人生観をなぞらえられる花は桜のみ、日本人でよかったと思う。
忙しくて、遠い名所に行く余裕がなかった。でも桜は名所もさることながら、いつも見慣れたご近所の桜がいとおしいものではなかろうか。厳しい冬を耐え抜いた姿も知っているだけに。
自宅から徒歩圏内の桜を愛でる。

岡崎を流れる疏水の桜。残念ながら雨模様。

だれもが足を止める桜の渦。

ここの桜はソメイヨシノ

美術館やみやこメッセ、動物園、岡崎の名所をぐるりと回り疏水べりにずっと続く桜の並木。

東大路だってこえちゃう。

この季節は桜十石舟もでる。(ただしかなり待ち時間長いよ)

すでに花筏も流れてくる。もう少ししたらもっと密度の高い花筏ができるので、これをぼ〜っと眺めるのは結構楽しいのん。

水辺にある桜はことさら美しいのはなぜだろう。

こちらは知る人ぞ知る、白川通り、錦林車庫裏の桜並木。
観光客はまず来ない。こんな満開でも人の姿がほとんどない秘密のお気に入りスポット。

うってかわって観光客でごったがえす平安神宮。
この屋根を見越す紅枝垂れがすごい。

紅枝垂れはソメイヨシノから少し遅れるから、この日はまだまだ蕾の方が多い。

神苑内にある茶室澄心亭では、1日から約二週間毎日日替わりで、いろんな流派の方が釜をかける。お邪魔したこの日は表千家さんの席だった。

境内ではおみくじの桜も咲いていたよ。
(ちなみに私はおみくじというモノを引かないことに決めている)

タクシーから眺めた宮川町の桜があまりに綺麗だったので、途中下車してめでる。

時はおりしも宮川町歌舞練場で京おどりの真っ最中、ここの桜はだから艶っぽいのか。

五条あたりの鴨川も花盛り。雪柳、レンギョウ、、、、

ここでお弁当を広げる人もいる。都の人にはなくてはならない鴨川べり。
今日はお茶点てている人は、、、、いないわね、残念。

木屋町の桜も見逃せない。

こんな桜の絨毯もできる。

ふたたび地元にもどって哲学の道。
これは大豊神社のところの大桜。

この日は雨で観光客もあまり多くはなかったのでゆっくり楽しめたよ。

命のたくましさを感じさせる、幹からはえて咲くけなげな花。

ここは疏水べりに住む方々がいろんな花を植えてはるので、それを見るのも楽しみ。
レンギョウ、オウバイ、雪柳、ミツマタ、シャクナゲ、バイモ、、、それから勝手に生えてるカラスノエンドウもきれいだ。

ひとつひとつの花は白に近いのに、たくさん集まると薄紅になる。この色を出すために桜は蕾の頃に紅色の色素を作るのだという。だから草木染めは花が咲く前の木でしなければならないのだとか。

疏水べりのギャラリーのシンボルツリーも春にはこのように。
さて、圧巻の疏水の夜桜!

ご近所というだけで自慢してしまいそうになるこの風景。ロームシアター(わたし的には京都会館、,ね)の横。

十石舟は遅くまでごくろうさまだ。

昼間の雨があがりおりしも満月の月が。
最高の花見。お酒もご馳走もないけれど、これぞ正しい花見。

鏡面に映る。

花に見入る人たちのシルエットを見るのが好き。だから毎年この絵柄で写真撮ってるわね。

今年は美術館が増築にはいって、いつもの南側の桜の下に入れないのが残念。

南禅寺まで足をのばせば、湯豆腐のお店の桜もまた見事であった。

インクラインの桜もお忘れ無く。
雨で人が少ないのがかえってよいかも。
こちら下り方向(西向き)

こちら上り方向(東向き)

碧雲荘お向かいの清流亭の枝垂れも咲きました。
桜の花の命は短くて、ぼ〜っとしているとあっという間に散り果てる。人生もまたかくの如し。
あした、あした、と言って今日を大事に生きない者は、人生を大事にも生きない。
そんな人生観をなぞらえられる花は桜のみ、日本人でよかったと思う。
両足院にて遠州の桜の茶事 - 2017.04.09 Sun

都をどりが華やかさを添える花見小路のどんつきは臨済宗建仁寺。かつて洛外に建てられた禅寺が、花街のど真ん中になるとは栄西さんも予想しなかっただろう。
4月の始め、こちらの塔頭・両足院にて遠州流のご亭主による茶事にお招きいただいた。
桜はこのころは、まだまだ蕾であったが。

境内の桜もやっとこれから、、、というところ。

両足院は半夏生のころは毎年、そしてさまざまなお茶のイベントで何回も来ているので、とても親しい感じがする。しかし、この日はわれわれ数人のお客のためだけに両足院を借り切ってのお招き、こんな機会はめったとあるまい。なんと贅沢なことよ。
普段は閉鎖されている正門からお迎えをうけた。(ちなみに下足番、水屋の方々は藪内流だった!)

待合では遠州流の先々代、先代(だったかな)家元の画賛がかかる。絵は曲水の宴、筆をとり構想を練るふたりの王朝人の姿を家元親子の姿になぞらえたか。歌銘も多い遠州ならではの趣。
席入りに際して、広い庭園すべてがわれわれ独占の露地になる。(贅沢贅沢!)

露地を通って、池にかかる橋をはさんでご亭主の迎え付けをうける。

池の奥には臨池亭(右)と水月亭(左)二つの茶室があるが、一般公開の時に使われるのはもっぱら臨池亭で、となりの如庵写しの水月亭は外から眺めるのみであった。しかし、今回はその水月亭を使われるという。なんとうれしい。こちらは二畳半台目、鱗板つき暦張り、火灯窓ありの全くの如庵の写し(有楽窓はさすがになかったが)。
ここの蹲居も初めて使わせてもらった。

(左が水月亭)
なにしろお仕事柄、すばらしいお道具をたくさんお持ちのご亭主、でてくる道具すべてが、ひとつあれば十分一会がなりたってしまうようなものばかり、それを惜しげもなくだしてくださる。
中でもこの席の松花堂昭乗の晩年の自画賛はとても印象に残る。
片膝をたてている墨染めの昭乗のお顔はどことなくとぼけていて、そのお人柄まで想像できてしまいそうだ。世俗を捨てた出家の身でありながら、桜の季節になるとそわそわしてあかんわ、、という内容の賛。わかるわかるわ〜。あの西行でさえ江口の遊女の家に宿をたのんだくらいだもの。出家といっても、中味は血の通った人間なのだから。お坊様でもそうなんだと思うと俗人のわれわれはどこかほっとする。
灰器が上田宗品の雲華焼、今回土風炉師としてのこの名前を学習したぞ。
遠州流の初炭は裏千家の後炭と同じ所作もあって、おそらく昔に近い形だろうと思われる。そういえば先日遠州流系のお客さまをお呼びしたときに、裏千家の炭手前があまりに早くおわってしまうのに(省略省略だから)びっくりされていたっけ。

懐石は瓢樹さん。書院の大広間にて。
広間の広さにまけない狩野元信(永徳のじいちゃん・室町時代)の朝陽に波の絵がかかる。
向付に半開扇の古染がそろえられおもわず持って帰りそうになる(ウソ)
汁が赤出汁になったのに、季節はもう春なのだなあ、、と感じる。めずらしい食材もあり美味しくちょうだいしたが、お酒も美味しくてこまってしまうヽ(≧∀≦)ノ
出された石杯で、一番に飛びついたのがミニサイズの刷毛目〜!これ好きやわ。古備前の徳利は使い込まれてつやつや。
ここで下手くそな仕舞を披露して皆様のお目汚しをしてしまう。御連客だった師匠は落語(のような)語りを一くさり、ご亭主は髙砂のお謡いを。なんて楽しいんだ♪
主菓子は二條若狭屋さんのういろうの「しだれ桜」であった。美しいお菓子だ。

中立後はふたたび小間にて濃茶を。
軸の代わりに後座にかかるのは石州の竹一重切花入れ、花は椿。茶碗は桜の花びらのような美しい御本のでた、端整な御本呉器。水指が黒くて、どこの焼物?と思ったら、古備前なのだと!w( ̄o ̄)w
あとで明るいところでみたら、確かに、備前の胡麻がでている。こんな黒いのは初めて拝見する。
しかし、私も遠州流のお点前はかなり見たので、なんだか慣れてきた。
淡々と下地窓の光をバックにお点前されるお姿が自然体で、(あれだけすごい)お道具の説明も控えめで、するするといつのまにか終わっているという、これは利休が理想的といった点前の姿ではなかったか。

薄茶は趣向を変えて、書院の八畳ノ間で。部屋へはいるなり、うっとりするような雅な香りが。伽羅を焚いてくださったのだ。しかも!仁清の蝶の聞香炉で。これ以上なにを望みましょうや。
しつらいは唐木を多く使った唐風。風炉で点前された。ここで灰白色の斗々屋にいたくひかれたのだが、一見絵唐津のような古萩の茶碗に描かれた弦巻(弓の弦の予備をくるくる巻いたもの)から、能の「弓八幡」へ行くあたり、さきほどの髙砂ともあわせて、ご亭主の能への造詣の深さがうかがえる。
書院棚に広げられた遠州の消息(?)、初桜を尋ねてあちこちいって、よかった、とか感激したとかのメモみたいなものか。何百年後ののち、こうしてたくさんの他人にじろじろ見られることになるとは思わなかっただろうな。文中に「福知山」の文字などもみえ、遠州の息づかいまで感じられる文字面で、その人となりがまた想像されるのであった。

お土産にいただいたのが、薄茶席でだされた紫野源水の有名で人気な桜の有平糖。宝石みたいにきれいなお菓子だ。
これをなめなめ、この日いくつの桜が席中に咲いただろうかと数えるのも後の楽しみの茶事であった。
茶縁に深く感謝。
Four Seasonsにちょっとだけ潜入 - 2017.04.07 Fri

桐蔭席のあと、ほど近い京都国立博物館、海北友松やってるって聞いたのでいさんでやってきたら、、、まだやった(^_^; フライング。(4月11日から)

ちょっと悔しいのでお向かいの、昨年オープンしたばかりのフォーシーズンズホテルに潜入してみよう。
なにせ富裕層しか相手にしないといううわさのフォーシーズンズ、ほとぼりが冷めてからのぞきにいこうかと(単なる野次馬根性デス)思っていたけれど、この機会に。
なんと入り口を間違えてレジデンス(それこそ富裕層しか相手にしていない)の方から入ってしまったが、客室の中を通りぬけ通り抜けしながらちゃんと案内してくれたのには、さすが!と思ったわ。
この写真はホテルのメインダイニング、ブラッスリーを上から見たとこ。
事前のリサーチ(?)では、ホテルの富裕層云々に対して、ダイニングのお値段設定は意外と庶民、若い人でもちょっとがんばれば行けそうだ。

下におりたとこ。
正面が、かつての積翠園(しゃくすいえん)庭園の池になっている。ちなみにここがまだ先々代の某病院だった頃、ことわれば入らせてもらえたので、来たことがある。

カウンター席。
残念ながら、さきほど美味しい点心をたっぷりいただいたので、食事はさすがにできない。景色を眺めるだけ、、、というメーワクな客になってたわ(^_^;

テラス席。
積翠園は、平重盛の別邸・小松殿の庭であったという伝説もあり、平安末期の庭園の遺構という説もある。
いずれにせよ、春の日、こんな池のそばでぼ〜っとするのはなんと気持ちよいことだろう。

池のはしに見える建物が新たに建てられた茶室・積翠亭らしい。ここでは宿泊客相手に茶道体験もできるとか。夜にはバーになるんだって。関係なさそうやわ。

まあせっかくやし、池をみおろす場所にあるラウンジで別腹の甘いもんでもいただこか。
この照明がまたスタイリッシュ。
左手の滑車が天井の滑車をつたって重い照明をぶらさげている。

これを動かすことで照明の高さがかえられるのね。
この滑車にいたく惹かれた。

いただいたのはこの桜モンブラン。
いっぱつで開いた桜のクリームを絞り出せるという絞り口はどうなっているのか、見たいものだ。それにしても美しい。味も桜餅系のフレーバーで別腹にするりと入る。

さすがにインテリアとかおいてあるオブジェとか絵とか、建物の中に青竹の竹林があったりとか、ハイセンスでゴージャスやわ。スタッフの教育もさすがであった。どんな人が泊まるんだろ。やっぱり大陸系の富裕層が多いのだろうなあ。まあ、私は泊まることないやろけど。(京都に住んでいても俵屋旅館には泊まりたいけれど、泊まったけれど^_^;)

ホテルの裏から入って入り口から出て行く、、というややこしいことをしたが、ふむ、これがエントランスであったか。
植栽はまだまだこれから変化しそう。

左手の竹の塀を見たところ。これはなかなか手がこんでいる。桂離宮にもあった竹穂垣というやつじゃなかろか。すごいな。
こんな楽しい桐蔭席♪ - 2017.04.05 Wed
先月に続いて裏千家では格式が高いことで知られる桐蔭席へ。
ご縁のない場所で、とうてい行く機会などないだろうと思っていたから、先月と2回続けて席入りできたことは奇跡的にありがたいのだが、おそらくこれで最後だろうと思う。

しかるに!
本日の茶席は、肩の凝るしゃっちこばる席というイメージを、なんと一新した席であったことか!
待合で煙草盆に載っているのがいきなり電子煙草に携帯灰皿。ただしそれをのせている盆が杉木普斎箱だもの。
この日お招き下さった席主は、いつもいろいろお世話になっている(?)黙楽庵様。毎月23日に祗園某所で月釜もされている。

前回は雨で露地は使えなかったが、今回は露地を通り、蹲居を使って小間に席入り。植栽の緑が美しい季節だ。同じ席にはいっても、露地をとおるだけで、なんだか違う席に入ったような錯覚を覚える。席入りの露地って大事よね。浮世の塵を捨てて入る、という観念的だけではない生理的な効果があるような気がする。
先日は雨でよくわからなかった突き上げ窓の効果も納得。

薄茶のお点前は席主みずからされた。
お正客が北村美術館の館長さん、「ワシ、耳が遠いさかいなあ。」というお言葉に、「どうぞお菓子のお取り回しを!」と(おそらくその必要も実はないのだろうが)大声で応酬するご亭主。それだけで座がなごむ。
(ちなみにお菓子は鍵善さんの桜の花びら形で、氷餅をまぶしたふわふわの薄紅のお菓子で美しかった)

一入の茶碗がでると館長さん、「ほ〜一入やと。ええもんもってはるな〜」。それに対して「お宅の美術館では数茶碗でしょ?」との応酬。思わずみなさん、大笑い。お隣の桐蔭常連とおぼしき大奥様もふふふ、、、と。
常日頃、いつどこでダジャレを炸裂させようかと考えておられるとおぼしき席主様、ときにはちょっと寒いのもあるけれど(^_^;ダジャレの連発が楽しい23日の月釜、桐蔭だろうとどこだろうと普段とかわらぬ(多少上品にしあげてはりましたが)洒脱な会話に、席中クスクスと楽しい笑いが満ちる。
そしてなんとお運びさんがF太朗君はじめ、お馴染みの若い面々ではないか!これもうれしい。

本席の軸が庸軒の書付。祗園と仁和寺と加茂の桜を見に行ったが、お酒があったのでのんじゃった〜みたいな内容。
花入が土岐二三(ときじさん・わが?岡崎に住んでた江戸中期の茶人、文人)、花が撫子と宗旦椿。宗旦の逸話にちなんで、一輪、花が下に落下。
う〜む、、、、宗旦、普斎、庸軒、(同時代の)土岐二三、、、、とくれば宗旦と、その四天王にちなんだお道具を集めたか!?と思ったらやっぱりそうだった。庸軒在判で娘婿かつ四天王の一人、久須美疎安の箱なる水指がまた渋くてかっこよい。下の方に釉薬が掛からずむき出しになった土の部分が荒々しく銘が「雪くずれ」というのもなんとなくうなづける。誰の作かと思いきや、空中(光悦の孫)や〜〜!

お茶碗が、お正客から三客さんまで、楽一入、古萩(これ粉引みたいでよかったわ〜)、絵唐津、、、で、いずれもすてきな茶碗であったが、「一楽二萩三唐津でだしてみました〜。」の洒落には気づかんかった!やられた!すごい!
庸軒作の茶杓の銘が「江口」と聞いて、能を少々かじる身としては西行さんやろ、と思ったがやはりそうで、西行といえば桜、と季節も重ねたのだそうだ。(西行が江口の里の遊女家で一夜の宿をことわられる話)
同時代を生きた金森宗和の香合も拝見しつつ、とどめは、四天王の親玉、宗旦の薄器。蓋裏に燦然と輝く花押。
しかも桜吹雪にかけて、形は雪吹でありました。最後まで、、、、(^◇^;)
さて、、、、四天王のあとひとり、山田宗偏はいずこ?

、、、と思っていたら、広間の点心席で、ありましたありました!
菜の花が投げいれられている旅枕花入れが宗偏在判!やられたな〜。
(しかもここにおかれた会記に、四天王のところだけ桜の花びらが小さくマークされていた^_^;)
点心席では、、、あらまあ、ここもいつもお茶でおつきあいのある乙女たちがしずしずぞろぞろと!
お膳を運んでお酒もついでくれる。白酒もあったよ。乙女たち、きりっとしてかっこよかったなあ。
すごく偉い方々とのおつきあいも対等にでき、こんな若い人たちとも対等に接する、その懐の深さ。黙楽庵さま、ただのダジャレおじさんにいさんではなかった、すごい人なんや、とご一緒した共通の茶友とうなずきあったわ。
大寄せ茶会で、家元の箱書きばかりがずらっとならぶ茶会も悪いとはいわないが、へ〜、すごいなあ!と思っても楽しいなあとか、印象に残るとかは実はあまり多くない。それに頼って茶会のテーマがはっきりしないことも多い。
考え抜かれたお道具組、それにまつわるストーリー、しかも道具は秀逸、そして洒脱な会話、そんな茶会のなんと楽しく、うれしいことよ!心に残る茶会とはこんな茶会だ。
いつもは格式高い茶席に慣れてはる常連のお客さまもクスクス笑ってはった。実はこんな茶会をひそかに待ってはったんじゃないだろうか。
ご縁のない場所で、とうてい行く機会などないだろうと思っていたから、先月と2回続けて席入りできたことは奇跡的にありがたいのだが、おそらくこれで最後だろうと思う。

しかるに!
本日の茶席は、肩の凝るしゃっちこばる席というイメージを、なんと一新した席であったことか!
待合で煙草盆に載っているのがいきなり電子煙草に携帯灰皿。ただしそれをのせている盆が杉木普斎箱だもの。
この日お招き下さった席主は、いつもいろいろお世話になっている(?)黙楽庵様。毎月23日に祗園某所で月釜もされている。

前回は雨で露地は使えなかったが、今回は露地を通り、蹲居を使って小間に席入り。植栽の緑が美しい季節だ。同じ席にはいっても、露地をとおるだけで、なんだか違う席に入ったような錯覚を覚える。席入りの露地って大事よね。浮世の塵を捨てて入る、という観念的だけではない生理的な効果があるような気がする。
先日は雨でよくわからなかった突き上げ窓の効果も納得。

薄茶のお点前は席主みずからされた。
お正客が北村美術館の館長さん、「ワシ、耳が遠いさかいなあ。」というお言葉に、「どうぞお菓子のお取り回しを!」と(おそらくその必要も実はないのだろうが)大声で応酬するご亭主。それだけで座がなごむ。
(ちなみにお菓子は鍵善さんの桜の花びら形で、氷餅をまぶしたふわふわの薄紅のお菓子で美しかった)

一入の茶碗がでると館長さん、「ほ〜一入やと。ええもんもってはるな〜」。それに対して「お宅の美術館では数茶碗でしょ?」との応酬。思わずみなさん、大笑い。お隣の桐蔭常連とおぼしき大奥様もふふふ、、、と。
常日頃、いつどこでダジャレを炸裂させようかと考えておられるとおぼしき席主様、ときにはちょっと寒いのもあるけれど(^_^;ダジャレの連発が楽しい23日の月釜、桐蔭だろうとどこだろうと普段とかわらぬ(多少上品にしあげてはりましたが)洒脱な会話に、席中クスクスと楽しい笑いが満ちる。
そしてなんとお運びさんがF太朗君はじめ、お馴染みの若い面々ではないか!これもうれしい。

本席の軸が庸軒の書付。祗園と仁和寺と加茂の桜を見に行ったが、お酒があったのでのんじゃった〜みたいな内容。
花入が土岐二三(ときじさん・わが?岡崎に住んでた江戸中期の茶人、文人)、花が撫子と宗旦椿。宗旦の逸話にちなんで、一輪、花が下に落下。
う〜む、、、、宗旦、普斎、庸軒、(同時代の)土岐二三、、、、とくれば宗旦と、その四天王にちなんだお道具を集めたか!?と思ったらやっぱりそうだった。庸軒在判で娘婿かつ四天王の一人、久須美疎安の箱なる水指がまた渋くてかっこよい。下の方に釉薬が掛からずむき出しになった土の部分が荒々しく銘が「雪くずれ」というのもなんとなくうなづける。誰の作かと思いきや、空中(光悦の孫)や〜〜!

お茶碗が、お正客から三客さんまで、楽一入、古萩(これ粉引みたいでよかったわ〜)、絵唐津、、、で、いずれもすてきな茶碗であったが、「一楽二萩三唐津でだしてみました〜。」の洒落には気づかんかった!やられた!すごい!
庸軒作の茶杓の銘が「江口」と聞いて、能を少々かじる身としては西行さんやろ、と思ったがやはりそうで、西行といえば桜、と季節も重ねたのだそうだ。(西行が江口の里の遊女家で一夜の宿をことわられる話)
同時代を生きた金森宗和の香合も拝見しつつ、とどめは、四天王の親玉、宗旦の薄器。蓋裏に燦然と輝く花押。
しかも桜吹雪にかけて、形は雪吹でありました。最後まで、、、、(^◇^;)
さて、、、、四天王のあとひとり、山田宗偏はいずこ?

、、、と思っていたら、広間の点心席で、ありましたありました!
菜の花が投げいれられている旅枕花入れが宗偏在判!やられたな〜。
(しかもここにおかれた会記に、四天王のところだけ桜の花びらが小さくマークされていた^_^;)
点心席では、、、あらまあ、ここもいつもお茶でおつきあいのある乙女たちがしずしずぞろぞろと!
お膳を運んでお酒もついでくれる。白酒もあったよ。乙女たち、きりっとしてかっこよかったなあ。
すごく偉い方々とのおつきあいも対等にでき、こんな若い人たちとも対等に接する、その懐の深さ。黙楽庵さま、ただのダジャレ
大寄せ茶会で、家元の箱書きばかりがずらっとならぶ茶会も悪いとはいわないが、へ〜、すごいなあ!と思っても楽しいなあとか、印象に残るとかは実はあまり多くない。それに頼って茶会のテーマがはっきりしないことも多い。
考え抜かれたお道具組、それにまつわるストーリー、しかも道具は秀逸、そして洒脱な会話、そんな茶会のなんと楽しく、うれしいことよ!心に残る茶会とはこんな茶会だ。
いつもは格式高い茶席に慣れてはる常連のお客さまもクスクス笑ってはった。実はこんな茶会をひそかに待ってはったんじゃないだろうか。
まもなく建て替え閉館の藤田美術館〜特別茶会 - 2017.04.03 Mon
今期の展示が終了すると大阪網島の藤田美術館は長期の建て替えの為の閉館にはいる。(2020年まで)

この戦火を免れた土蔵、ここに床を張っただけで展示室になっている美術館は今時めずらしい。照明も古くさいし、床のオイル引きの匂いもするけれど、実はその雰囲気がとても好きだったのだが。
土蔵が守ってくれたお宝を今後も天災・人災から守るためにもっと近代的装備の美術館になるのはいたしかたないか。(東大寺の暗いお堂にあった国宝仏像がミュージアムへ引っ越された如く、残念だがしかたない、、、)

その費用を捻出するのに美術館は中国古美術絵画何点かを売却したと聞いた。(数百億とか?)
ここは職場に近いこともあって何度も来ているのでお名残惜しい。よって席主=藤田美術館の特別茶会ときいてこれは行かねば!と。茶会のあとにゆっくり名残を惜しみながらここでの最後の展示「ザ・コレクション」を拝見するとしよう。

会場は美術館のお向かいにある結婚式場・宴会場の太閤園の奥にある、料亭淀川邸。
藤田傳三郎の次男の邸宅(東邸)になる。ちなみに傳三郎と長男(本邸)、三男(西邸)の邸宅もここにあったのだが、空襲で焼失、さきほどの土蔵と次男の邸宅のみが残ったのだ。この淀川邸だけでも広大なのにそれの三倍以上の敷地があったのだから藤田財閥おそるべし。
エントランスはなんどか外から見たが、中へ入ったのははじめて。

建築は大正3年だという。まあ、長い長い、、、、どこかのお城みたいだ。迷子になりそう。

たくさんの部屋を通り過ぎて奥へ奥へ。
ここらへんはお食事を楽しむ一般のお客さまも通る。新しい増築部分や改修部分もあるが、、、、

この洋間の広間は当時の面影があるのだろう。
かつてはここでパーティーなぞもおこなわれたに違いない。
そういえば傳三郎翁は長州奇兵隊の出身であったな。

まずは料亭・淀川邸の点心からいただく。場所は大広間。
まあ、見て。この折上格天井!

欄間もすごいよ。
これは松の老大木と藤の花と見た(画像で判別できないけどね)。名前が藤田だけに。

庭に面する廊下の庇がまたすごくて、アールのついた格天井にプラスしてやっと小舞天井。(画像では室内のシャンデリアがガラスに反射してみえづらくてスミマセン)

春らしい献立。これに煮物椀や刺身やらデザートまでついてうれしい美味しい。

さて、ここからは渡り廊下をわたって一般客立ち入りできない奥の奥へ。(渡り廊下は香雪記念美術館の邸宅に似てる。ちなみに画像はちがう場所)
庭園からはうらやましげに眺めたことがあるが、立ち入りははじめて。
淀川邸には現在でもいくつか茶室が残っているが、かつて傳三郎翁が三人の息子と暮らしていた頃は、一邸に10、だからかける3の30もの茶室が網島屋敷にあったという。
なんともはやすざまじい。財力をもった男たちが茶の湯を本気でやるとこうなったという、、、もはや驚嘆するしかない。

(庭園への入り口。あいにくの本格的降りとなった)
今回の茶室は残月の間・表千家残月亭写し(二畳の広い床に六畳+二畳)。障子のすぐそとが庭園の池に面しているので、雨音がここちよく聞こえる。
伝土佐光長の斎宮女御(鎌倉時代)はお顔をお見せになっている。三十六歌仙の絵では几帳の陰でお顔を隠しているというのが見慣れた姿だったので、これはめずらしい。
広い床に負けない青磁鳳凰耳の花入は小ぶりながらかえって風情があり、いまにも開きそうな白い椿がよく似合っている。

(残月の間を池側から)
お点前はF先生。
濃茶がねりあがったころ、席主のお若い現館長さんが席中にはいられた。うわさには聞いていたがたしかに男前〜!傳三郎から下ること5代だそうだ。
(お道具は別席の展覧席のものとあわせて)
茶入が漢作唐物「田村文琳」
思いの外小さくて愛らしい。箱の「田村」は遠州の筆。
日本のビール王といわれた馬越化生(恭平)所持をどうしてもゆずって欲しくて傳三郎翁が懇願し、やっと手に入れた茶入。なのになかなかお披露目の茶会をしない。なぜならこれに取り合わせるのに交趾大亀香合以外ない、それを手に入れるまでは茶会はしない、と思い定めていたから。しかしやっと落札できたときに翁は病床にあり、披露目の茶会を開くことなく亡くなった、という。
(ちなみに当時落札するために奔走した美術商のT商店さんの現店主が展覧席の説明役だった^_^;)

(楓が芽をふく)
この席のお正客さんがなんと馬越翁の故郷(岡山県現井原市)にお住まいで馬越家旧宅もお近いのだとか。これはお話しもはずむ。館長さんが傳三郎翁は岡山の児島湾開拓事業もしていた、というお話しから、そこにある藤田村は傳三郎の名前から来ているとおっしゃる。藤田村は名前知っているが(私も岡山出身なもので)そこからきていたのか〜!!といまさらながら初めて知った!(◎-◎;)

茶杓は庸軒の「花橘」
共筒に「五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする(伊勢物語)」
茶碗は大井戸「江山」わりとシンプル、灰色がかって梅花皮も控えめ、形端整。
実際にお点前につかわれたのが青井戸(銘は聞き損なった)。くすんだ枇杷色、どちらかと言えばコチラの方が好きかも。

主菓子は白餡を薄紅の求肥でくるみ、さらに薄い白い求肥で未開紅風に包んだもの。くちどけがほろっと軽くとてもおいしいお菓子だった。
続き薄の干菓子は太宰府藤丸製、味噌餡を麩の焼きでつつんでつまんで蝶の造型がステキなのと、桜のマシュマロ。こちらもさすがのセレクト。

茶碗はのんこうの赤楽「小町」。
のんこうにしてはかせた感じの鈍い赤で、横から見ると四角の形、篦目もあり、渋い。底に「楽」印あり。
実際に使われたのは桃山の黒織部、紅葉呉器「朝陽」、これも良い感じだった。
数茶碗が、茶事でごいっしょしたことのある村田浩一郎さんの絵唐津であったのはうれしかった。(ここにもT商店の影を感じつつも^_^; かつて財閥数寄者と美術商の間には独特の絆と信頼があったのだ)
菓子器の光琳芝舟蒔絵は、この上にモノ載せていいんですか???と思うくらい贅沢な、青貝をふんだんに使った蒔絵であった。

こちらは展覧席になった六畳の茶室を外から見た物。
趣向的にはこちらの茶席の方が凝っている。雪見障子をあけるとすぐそこが池で、池の点前に手を伸ばす青葉が芽吹き始めた楓。船底化粧裏天井や斜めに切り込んだ踏み込み板など。
みなさま、お茶碗や茶杓,茶入拝見に夢中で誰一人見てられませんでしたが、床にひそかにかかっていた軸は玉澗でしたぞ。(梧桐小禽)

あとは雨にも負けず、庭を散策。
残月の間の隣にあった分厚い茅葺きの茶室ものぞいてみたかったな。

(藤田の図録はA5版の冊子で安くて扱いやすくて、とてもいい)
さあ、このお蔵の美術館最後の展示、拝見しよう。
何回か見たことのある国宝曜変天目がなんといっても目玉。不思議な宇宙的な輝きは瑠璃揚羽の鱗粉にも似て、何回見ても引き込まれる。4月に東博の静嘉堂の曜変天目はまだ見たことないが、これ以上と言うから、これも楽しみである。
みなさま、6月11日までですぞ。おいそぎを!

雨の中、土の道をあるいたにも関わらず、雨コートを着ていたとはいえ、着物に泥跳ね一つなし!着物での所作がだいぶんうまくなってきたな(自画自賛)。
この季節に使いたかった友禅の数寄屋袋。知人が染めた物。

この戦火を免れた土蔵、ここに床を張っただけで展示室になっている美術館は今時めずらしい。照明も古くさいし、床のオイル引きの匂いもするけれど、実はその雰囲気がとても好きだったのだが。
土蔵が守ってくれたお宝を今後も天災・人災から守るためにもっと近代的装備の美術館になるのはいたしかたないか。(東大寺の暗いお堂にあった国宝仏像がミュージアムへ引っ越された如く、残念だがしかたない、、、)

その費用を捻出するのに美術館は中国古美術絵画何点かを売却したと聞いた。(数百億とか?)
ここは職場に近いこともあって何度も来ているのでお名残惜しい。よって席主=藤田美術館の特別茶会ときいてこれは行かねば!と。茶会のあとにゆっくり名残を惜しみながらここでの最後の展示「ザ・コレクション」を拝見するとしよう。

会場は美術館のお向かいにある結婚式場・宴会場の太閤園の奥にある、料亭淀川邸。
藤田傳三郎の次男の邸宅(東邸)になる。ちなみに傳三郎と長男(本邸)、三男(西邸)の邸宅もここにあったのだが、空襲で焼失、さきほどの土蔵と次男の邸宅のみが残ったのだ。この淀川邸だけでも広大なのにそれの三倍以上の敷地があったのだから藤田財閥おそるべし。
エントランスはなんどか外から見たが、中へ入ったのははじめて。

建築は大正3年だという。まあ、長い長い、、、、どこかのお城みたいだ。迷子になりそう。

たくさんの部屋を通り過ぎて奥へ奥へ。
ここらへんはお食事を楽しむ一般のお客さまも通る。新しい増築部分や改修部分もあるが、、、、

この洋間の広間は当時の面影があるのだろう。
かつてはここでパーティーなぞもおこなわれたに違いない。
そういえば傳三郎翁は長州奇兵隊の出身であったな。

まずは料亭・淀川邸の点心からいただく。場所は大広間。
まあ、見て。この折上格天井!

欄間もすごいよ。
これは松の老大木と藤の花と見た(画像で判別できないけどね)。名前が藤田だけに。

庭に面する廊下の庇がまたすごくて、アールのついた格天井にプラスしてやっと小舞天井。(画像では室内のシャンデリアがガラスに反射してみえづらくてスミマセン)

春らしい献立。これに煮物椀や刺身やらデザートまでついてうれしい美味しい。

さて、ここからは渡り廊下をわたって一般客立ち入りできない奥の奥へ。(渡り廊下は香雪記念美術館の邸宅に似てる。ちなみに画像はちがう場所)
庭園からはうらやましげに眺めたことがあるが、立ち入りははじめて。
淀川邸には現在でもいくつか茶室が残っているが、かつて傳三郎翁が三人の息子と暮らしていた頃は、一邸に10、だからかける3の30もの茶室が網島屋敷にあったという。
なんともはやすざまじい。財力をもった男たちが茶の湯を本気でやるとこうなったという、、、もはや驚嘆するしかない。

(庭園への入り口。あいにくの本格的降りとなった)
今回の茶室は残月の間・表千家残月亭写し(二畳の広い床に六畳+二畳)。障子のすぐそとが庭園の池に面しているので、雨音がここちよく聞こえる。
伝土佐光長の斎宮女御(鎌倉時代)はお顔をお見せになっている。三十六歌仙の絵では几帳の陰でお顔を隠しているというのが見慣れた姿だったので、これはめずらしい。
広い床に負けない青磁鳳凰耳の花入は小ぶりながらかえって風情があり、いまにも開きそうな白い椿がよく似合っている。

(残月の間を池側から)
お点前はF先生。
濃茶がねりあがったころ、席主のお若い現館長さんが席中にはいられた。うわさには聞いていたがたしかに男前〜!傳三郎から下ること5代だそうだ。
(お道具は別席の展覧席のものとあわせて)
茶入が漢作唐物「田村文琳」
思いの外小さくて愛らしい。箱の「田村」は遠州の筆。
日本のビール王といわれた馬越化生(恭平)所持をどうしてもゆずって欲しくて傳三郎翁が懇願し、やっと手に入れた茶入。なのになかなかお披露目の茶会をしない。なぜならこれに取り合わせるのに交趾大亀香合以外ない、それを手に入れるまでは茶会はしない、と思い定めていたから。しかしやっと落札できたときに翁は病床にあり、披露目の茶会を開くことなく亡くなった、という。
(ちなみに当時落札するために奔走した美術商のT商店さんの現店主が展覧席の説明役だった^_^;)

(楓が芽をふく)
この席のお正客さんがなんと馬越翁の故郷(岡山県現井原市)にお住まいで馬越家旧宅もお近いのだとか。これはお話しもはずむ。館長さんが傳三郎翁は岡山の児島湾開拓事業もしていた、というお話しから、そこにある藤田村は傳三郎の名前から来ているとおっしゃる。藤田村は名前知っているが(私も岡山出身なもので)そこからきていたのか〜!!といまさらながら初めて知った!(◎-◎;)

茶杓は庸軒の「花橘」
共筒に「五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする(伊勢物語)」
茶碗は大井戸「江山」わりとシンプル、灰色がかって梅花皮も控えめ、形端整。
実際にお点前につかわれたのが青井戸(銘は聞き損なった)。くすんだ枇杷色、どちらかと言えばコチラの方が好きかも。

主菓子は白餡を薄紅の求肥でくるみ、さらに薄い白い求肥で未開紅風に包んだもの。くちどけがほろっと軽くとてもおいしいお菓子だった。
続き薄の干菓子は太宰府藤丸製、味噌餡を麩の焼きでつつんでつまんで蝶の造型がステキなのと、桜のマシュマロ。こちらもさすがのセレクト。

茶碗はのんこうの赤楽「小町」。
のんこうにしてはかせた感じの鈍い赤で、横から見ると四角の形、篦目もあり、渋い。底に「楽」印あり。
実際に使われたのは桃山の黒織部、紅葉呉器「朝陽」、これも良い感じだった。
数茶碗が、茶事でごいっしょしたことのある村田浩一郎さんの絵唐津であったのはうれしかった。(ここにもT商店の影を感じつつも^_^; かつて財閥数寄者と美術商の間には独特の絆と信頼があったのだ)
菓子器の光琳芝舟蒔絵は、この上にモノ載せていいんですか???と思うくらい贅沢な、青貝をふんだんに使った蒔絵であった。

こちらは展覧席になった六畳の茶室を外から見た物。
趣向的にはこちらの茶席の方が凝っている。雪見障子をあけるとすぐそこが池で、池の点前に手を伸ばす青葉が芽吹き始めた楓。船底化粧裏天井や斜めに切り込んだ踏み込み板など。
みなさま、お茶碗や茶杓,茶入拝見に夢中で誰一人見てられませんでしたが、床にひそかにかかっていた軸は玉澗でしたぞ。(梧桐小禽)

あとは雨にも負けず、庭を散策。
残月の間の隣にあった分厚い茅葺きの茶室ものぞいてみたかったな。

(藤田の図録はA5版の冊子で安くて扱いやすくて、とてもいい)
さあ、このお蔵の美術館最後の展示、拝見しよう。
何回か見たことのある国宝曜変天目がなんといっても目玉。不思議な宇宙的な輝きは瑠璃揚羽の鱗粉にも似て、何回見ても引き込まれる。4月に東博の静嘉堂の曜変天目はまだ見たことないが、これ以上と言うから、これも楽しみである。
みなさま、6月11日までですぞ。おいそぎを!

雨の中、土の道をあるいたにも関わらず、雨コートを着ていたとはいえ、着物に泥跳ね一つなし!着物での所作がだいぶんうまくなってきたな(自画自賛)。
この季節に使いたかった友禅の数寄屋袋。知人が染めた物。
花の春は今年も御所に - 2017.04.01 Sat
今年も開花宣言が京都市でだされ、いよいよ本格的花の季節がやってきた。
澤庵さんの「野に山に なべて花咲くこの頃は 宿におかれぬ我が心かな」の気持ちで仕事が終わった夕刻、御所へでかける。(本日の様子よ)

出水の駐車場から北上すると、まずは紫木蓮。

夕刻の陽は長い影をつくる。

ここらの桜は里桜なので、ソメイヨシノよりもさらに遅い開花になる。
これは御衣黄かもしれない。

ほら、見えてきた。
桜の季節のオープニングを飾る近衞の糸桜。(旧近衛邸跡の桜)
今年はこんな時間なのにこんなにたくさん桜を愛でる人が。

今年もまた、瀧のようになだれおちる糸桜を愛でる。

今年も近衞の糸桜いとどめでたき春は巡りて、、、下手くそな和歌にもならんような、めでる言葉が次々と湧いてくる。

あるじ失いし近衞の池にその腕をさしのべるかや糸桜

西日の逆光で花びらを透かして見るもまた美し。

見わたせば、桜を愛でる人ばかり。
善き哉、美しいニッポンの春。

薄紅、白に近い桜いろ、時とともにうつろうその色と形。

池の反対側の一群れの桜はまだまだ堅いつぼみだ。この木だけが五分咲き、それもあと数日で一気に開花する様はすばらしいだろうなあ。

ふたたび南下して出水の糸桜も見に行こう。
途中でであう白木蓮。

桃苑では桃の花が今を盛りと、、、

旧暦のお雛様の季節に時あやまたず咲く桃の花。

『春の園 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つをとめ』(万葉集)
出で立つ乙女、、もいるがそうでない方もそれなりに(^_^; 桃の花の下、その頬は桃色に染まっていましてよ。

ああ、見えてきた。出水の小川の向こうに糸桜。そこだけ夕映えに明るい。

こちらも見事。
こちらも多くの人にめでられて。

お兄さん、ナイスショット撮れた?

この桜が散る頃ソメイヨシノは満開、それも散る頃また里桜が咲く。
桜はこの季節1日ですっかり様相が変わる。忙しいことだ。
ますます「宿におかれぬ我が心」におつきあいしなければならない私もいそがしい。
澤庵さんの「野に山に なべて花咲くこの頃は 宿におかれぬ我が心かな」の気持ちで仕事が終わった夕刻、御所へでかける。(本日の様子よ)

出水の駐車場から北上すると、まずは紫木蓮。

夕刻の陽は長い影をつくる。

ここらの桜は里桜なので、ソメイヨシノよりもさらに遅い開花になる。
これは御衣黄かもしれない。

ほら、見えてきた。
桜の季節のオープニングを飾る近衞の糸桜。(旧近衛邸跡の桜)
今年はこんな時間なのにこんなにたくさん桜を愛でる人が。

今年もまた、瀧のようになだれおちる糸桜を愛でる。

今年も近衞の糸桜いとどめでたき春は巡りて、、、下手くそな和歌にもならんような、めでる言葉が次々と湧いてくる。

あるじ失いし近衞の池にその腕をさしのべるかや糸桜

西日の逆光で花びらを透かして見るもまた美し。

見わたせば、桜を愛でる人ばかり。
善き哉、美しいニッポンの春。

薄紅、白に近い桜いろ、時とともにうつろうその色と形。

池の反対側の一群れの桜はまだまだ堅いつぼみだ。この木だけが五分咲き、それもあと数日で一気に開花する様はすばらしいだろうなあ。

ふたたび南下して出水の糸桜も見に行こう。
途中でであう白木蓮。

桃苑では桃の花が今を盛りと、、、

旧暦のお雛様の季節に時あやまたず咲く桃の花。

『春の園 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つをとめ』(万葉集)
出で立つ乙女、、もいるがそうでない方もそれなりに(^_^; 桃の花の下、その頬は桃色に染まっていましてよ。

ああ、見えてきた。出水の小川の向こうに糸桜。そこだけ夕映えに明るい。

こちらも見事。
こちらも多くの人にめでられて。

お兄さん、ナイスショット撮れた?

この桜が散る頃ソメイヨシノは満開、それも散る頃また里桜が咲く。
桜はこの季節1日ですっかり様相が変わる。忙しいことだ。
ますます「宿におかれぬ我が心」におつきあいしなければならない私もいそがしい。