村上開新堂〜カフェでロシアケーキ - 2017.06.30 Fri

寺町二条の村上開新堂さん。
もっぱらロシアケーキの店として有名なのと、中のインテリアが昭和初期のレトロモダンなので有名。

映画「クローズドノート」で、ヒロインが務める万年筆屋の店舗として撮影ロケに使われたのでも有名。

ここは主にロシアケーキとクッキーのお店。
ただし缶にぎっしりはいったクッキーは、大量生産できないので、予約しないともとめられないの。
でもロシアケーキ好き(*^^)vなのでいいの。
ちなみにロシアケーキというと、それ何?と聞かれるので説明しておくと、クッキーよりちょっと柔らかめでジャムを多用するロシアのお菓子を日本風にアレンジしたお菓子、、、といいましょうか。
上にジャムやらレーズンやらアンゼリカやらバタークリームやら乗って、ちょっとレトロなお菓子なんだよ。でもここのはとても上品。
宝塚に住んでいた頃は、神戸の元町高架下レンセイ製菓のロシアケーキにはまった時期があったな。
↓


コチラの方が庶民的、というか昭和の匂いがするわね。

開新堂さんの奥に、この春からカフェが新設されたというので行ってみた。
町家の奥の座敷をそのままカフェコーナーにしたみたい。

店舗の裏にあたる部分の席もレトロで良い感じやわ。

坪庭に向かってお一人様席が3席もあるのが、お一人様にはうれしい。

珈琲と、ケーキセットもあるが、ここは迷わずロシアケーキの、中でも一番好きなアプリコットジャムの載ったヤツ〜!
ここのカフェの話題をSNSにアップしたら、東京にも村上開新堂あるよ、といわれびっくり。知らんかったわ。ちなみに東京のは会員制レストランらしい。(あまり縁がなさそうだ)
京都の初代は明治4年の東京生まれ、東京の開新堂の伯父(もともと京都の出ながらご維新で上京した)のもとで西洋菓子の修行をして、村上家のルーツである京都に帰って現在の西洋菓子店を開いたのが明治40年。

この建物は昭和初期のものでその頃の雰囲気をとてもよく伝えていて、良い感じやわ。
ここでいただく珈琲もおいしかった。もちろんロシアケーキもね。ずっと下火になってたロシアケーキ愛にまた火がつきました。

なので、迷わずロシアケーキの詰め合わせを買って帰る。
そのうち予約して、待って、クッキーもゲットしよう。
粽作り2017 - 2017.06.28 Wed
今年も祗園祭のカテゴリーをたてる時期になりました。

毎年毎年同じ絵でスミマセン、、、、(^_^;
今年も綾傘鉾の粽作りのお手伝いにいって参りました。

祗園祭は7月からスタートですが、準備はもっともっと前から始まっていて、お囃子の練習なんかもっと早い時期から開始されているんです。

綾傘鉾会所になる大原神社の御札の付いた紙を粽にまきつけて(当然ながら粽自体は完成品で届く。深泥が池周辺の農家さんから)ビニール袋にきれいにいれてゴムでとめて完成。

これに参加させていただくようになってもう何年だろうかしら。いまじゃすっかり粽マイスター(?!)

作っても作ってもあとからどさ〜っと新しいのがでてくるのでもうたいへん。
綾傘鉾で3000〜4000本と聞いたから10000本作る長刀鉾なんか、たいへんだろうなあ。

それにしても毎年、この笹のよい香りが祭の到来を思い出させてうれしい。
鉾町の人たちだけではできない作業、毎年B大の学生さんがボランティアで入って人海戦術で作り上げます。

粽をお買い上げ下さったときにいれる紙の袋に紐を通すのも大切な仕事。
(私はこれむちゃプロだよ。早いよ〜)

ビニールにいれてきれいに空気を抜いて、三角形に上手に仕上げるのが一番むつかしいかな。
開始から約3時間、あれだけあって無尽蔵と思われた粽もとうとうすべて完成品になりました。
みなさん、ご苦労様。私もがんばったよ。

作業を終えて外に出てみると、鉾町の電柱はもうすでに祗園祭仕様!
ああ、今年もいよいよ祗園さんだ!
たくさん楽しみましょう!
粽も買ってね〜\(^O^)/
水無月雑記2017 - 2017.06.26 Mon

この季節の楽しみの一つが建仁寺両足院の半夏生。
半夏生がほんとうに半夏生(雑節・今年は7月2日)の頃に白くなる時に一般公開。
しかも臨池亭では毎日呈茶があります。

この日は桜の季節、ここで桜の茶事をひらいてくださった遠州流の方がご担当。
御道具は飾り置きながら、やはりええものがでてます。ああ、垂涎の古染の水指、、、、

それにしても時をあやまたず、白くなる不思議な植物もあるものです。

ちなみに先日の茶事のためにゲットした御菓子丸さんの「半夏生の宝珠」、一般公開の時だけ両足院で手に入るもの。これは大人気で、早く行きすぎると届いていない、遅すぎると売り切れ、、、という非常に難度の高い(?)お菓子。でもそこまでしてゲットする価値のある美しいお菓子です。透き通った琥珀の中にひそむ緑はピスタチオ。

北観音山の吉田家住宅。
今年度の吉田塾、はじまりました。

私の京町家好きはここ(と杉本家住宅、秦家住宅)から始まった、というくらい大好きな場所も室礼がすっかり夏座敷。
その中でこの日のテーマは夏の帷(かたびら・裏のない麻の着物)。
吉田さんの数あるコレクションの中から元禄時代の麻の友禅の小袖。袖から景色が透けて見える様はなんと夏らしく美しいことか。

奈良の旧家からみつかった「神君(家康)拝領」の箱書きのある、子供用振袖。
将軍家ゆかりの子供がまとったであろう夏用の麻のもの。惜しげもなくさわらせていただけるのがありがたい。

こちらの玄関には茶事で使う銅鑼が!
(来客がこれをならすらしい。奥に入るとピンポンは聞こえないのね)

この町家には内猫、外猫、たくさんいるのだが、走り庭の奥にいるのをよんでみたら近寄ってきて、水屋の上からこちらを監視。そして誇り高い横顔をみせる。

夕まぐれの北大路橋の賀茂川にて為さんの鴨茶中。

この日の夕空はおそろしいまでに美しかった。

為さんのお茶や手作りお菓子をいただきながら、初めましての人、よく会う人、いりまじって夜のとばりを待つかはたれどき(彼は誰時)。

とっぷり陽もおちればランプのあたたかい灯火下にて。
よきうるわしい宵をすごす。

紫野泉堂町の和菓子・青洋さん。
月に2〜3日のみの開店。

運よく早くに行けて、今日は生菓子も選び放題。(いつもは売り切れ続出)

今回のチョイスは「雷轟」
酒粕がほんのり香る錦玉。色が複雑でまた美しい。

それから左の「雨跡」
きなこの浮島。壁にできた雨のしみ。
右の「驟雨」
雨粒がつきささる感じのこなし。
3つ全部、ひとりで食べてしまった、、、(人にあげるのもったいなくて)

最後に叡電。
森見登美彦さんの「有頂天家族2」のアニメ、ただいま放映中。
これを見たり、原作読んだ方なら叡電との関係にニヤリとされることうけあい。
合い言葉は「ニセ叡電」(^_^;
天空の紫陽花の谷〜西山大原野善峯寺 - 2017.06.24 Sat

市中から(うちは東の端なんで)車で小一時間、西山の西国二十番札所、善峯寺は山の中なのである。

くどいけれど、すごい山の中なんである。

昨年ここへ初めて来たのは7月、すでに紫陽花は盛りを過ぎて枯れている頃だったが、紫陽花苑の谷間の規模はうかがい知ることができたので、これは盛りの頃に今一度行かねば、と思ったのだ。
正面の開山堂をすぎると、、、

おお!
ここはまさに天空の紫陽花苑なのだな、の感。

どこらへんの遠景がみえているのか、さっぱりオリエンテーションはつかないのだが。

そして紫陽花の谷。

残念ながら今年は空梅雨で、勢いはいまひとつ、というが、それでも一昨日の大雨に洗われて美しい。

確かに遠景で撮るとあまり花がめだたない。
けれどこの谷はびっしり、紫陽花と桜の木でうめつくされているのだ。

京都に移住して7年足らず、紫陽花の名所といわれるところを毎年めぐったが、やはりトップ3は大和郡山の矢田寺、宇治の三室戸寺、そしてここだわ。

ただ、真夏日のピーカン晴れのこの日は撮影条件はちょっと悪い。
後の懸崖造りの建物は幸福地蔵というお地蔵様をお祀りしているもの。

赤系、紫系、多種の色がある中、このブルーが一番好み。

まだ開花しきれていない若い花もある。

谷のすりばちの底に立つと見上げるだけで紫陽花の瀧。
ああ、もうちょっと曇りか雨の日ならもっときれいに撮れたのにな〜、、、

紫陽花苑の中にある白山名水という自然の湧き水が陽の光を岩屋の天井に反射していた。
開祖・源算上人(平安後期)が写経の時この水を使われた、という言い伝え。ほんとうにまわりに山しかない土地の湧き水だから、きっとお茶にもよき名水にちがいない。

ここ、善峯寺は平安時代から、青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」といわれる格式高い寺ながら、再興したお玉さん、5代将軍綱吉(犬公方さま)の母、桂昌院のお寺として名高い。

山をさらに登って奥の院まで行く間、いろいろ見所は多い。(けっこう息切れするくらいの山だけれどね)
これは国の天然記念物、樹齢600年の遊龍の松。枝先まで37mもあるのだそうだ。

釈迦堂にも名水(?)冷たくてここちよい。

ここには真っ白な紫陽花。

一番奥の薬師堂。
お地蔵様か、無縁仏か、夏草に埋もれる。
ここの庭園というか、山は広大なのだが、ほんと手入れが行き届いているのに驚く。ちょうどこの日も植木屋さんがたくさん入って剪定とかされていた。ご苦労様。

ここの池のほとりでモリアオガエルの卵も発見。

くどいけれどもう一度言うよ。
ここはほんまに山の中、天空の寺院なのだ。
鞍馬寺・竹伐り会2017 - 2017.06.21 Wed

鞍馬寺なのである。
市中から叡電に乗って30分。
でもここからがまた一山のぼらねばならないのである。(ケーブルカーもあるけどね)
若い頃は鞍馬の奥の院から貴船へのトレッキングはよくしたものだが、今となってはもうしんどいわ。

6月20日に毎年おこなわれる鞍馬寺の竹伐り会式、学生の頃からだからかれこれウン十年、行こう,行きたい、行かねば、、、と思いつつ一度も行けなかったのは、かくの如く遠いのと、平日とは限らないというのがありまして。
かくして何年越しかの宿願をやっと果たせたのであります。
苦労してたどりついた本殿はなにやら御利益ありそうで、すでに近江座、丹波座の文字も見えますね。

本堂前のパワースポットとかいう△石。(昔はこんなんなかったような気がするが)
鞍馬寺は歴史的には真言宗であったり天台宗であったり、修験道や陰陽道など、いろんな宗派がまじって最終的に宗派にとらわれない、けれど名前は鞍馬弘教というお寺である。5月のウエサク祭など、どこか異国的なにおいがする祭事もある。

けれどやっぱり一番有名なのは竹伐り会だろう。(ちなみに鞍馬の火祭は由岐神社のお祭りだからね)
本殿前の結界。
これを切って(すばやすぎて写真とれんかった、、、)式のはじまり。

鞍馬は今でも七仲間という家柄・家格をあらわすしきたりが残っていて、このあたり八瀬童子を思わせる。
お坊様のあとに赤い傘を差し掛けられているお方が導師様。
女性で、どうみても90才は越えておられるようだが、しっかりとした足取りで入堂された。

竹を伐るのは七仲間の内、一番鞍馬寺と所縁の深い大惣仲間の人たち。
手に持つのは錦の袋に入った竹を切る太刀。装束はご存じ弁慶スタイル。昔の僧兵もかくや、あらむ。

東に近江座、西に丹波座。
これはお酒?による浄めをうけているところ。(たぶん)
ちなみに竹伐り会の起源は宇多天皇のころ、というから9世紀末。
鞍馬山中興の祖・峯延上人の修法中、大蛇があらわれてこれをとって喰おうとしたのを、神呪の霊験にて大蛇を屠ることができた。この大蛇を切って龍ヶ嶽に捨てたことから、竹を大蛇に見立てて伐るのである。

ついでお稚児さんによる「七度半の御使」
それぞれの役にむかって「竹伐りの神事めでとう候」「近江、丹波の竹見事に候」、、、云々。
最後に近江・丹波両座に「竹ならしあげ候へ」と竹ならしをうながす。
ふだん使い慣れない古語をたどたどしく言うところがかわいいですね〜。
ちなみに竹ならしとは、後の勝負伐りの時の両座の条件を同じにするために竹を切りそろえこと。これはけっこう何本もの竹を伐らはった。

ふりかぶって、、、

伐る。
一発で切れることはまずなく、2〜5回くらいで竹は切れる。

伐る方もだが、竹を支えている人たちの真剣さがまた絵になる。
ちなみにみんな腰に難除けの南天の枝を挿している。

これを何度も繰り返し、竹ならし終了。
中にはこれで仕舞かと帰る観光客もいるが、本番はこれからでっせ。

本番の竹の勝負伐り(近江座、丹波座で伐る早さを競う)の前に舞楽奉納。
今年は迦陵頻。(毎年演目は変わるようだ)

これも地元の鞍馬小学校の子たちなんだろうな。
そういえば、正面のよく見える場所に「鞍馬小学校観覧席」があった。やはりこれも地元密着の行事。うらやましい。

勝負伐り。
合図は導師のかかげる檜扇なのだが、ちょうど影になって見えぬ。ちろっと扇だけ見えているのだがおわかりだろうか。

竹を一節とびに五段に伐るのだが、もう早くて早くて撮影追いつかず。

(で、ピントずれずれ)
「近江の勝ち〜!!」
と叫びながら先に切り終えた近江座が切った竹を持って本坊へ走るところ。

これは負けた丹波座の方。
ちなみに勝った方の地方が豊作になるのだとか。
持っているのは本物の刃物なので、手が滑って飛んでくることももるので下がって下さいよ〜と警備の人が言ってたわ。

かくのごとく、すっぱりときれいに切れた切り口。

かくして、ご一同様下堂され式は終了。
この間約1時間。
なかなか見応えがあった。来てヨカッタ。

この竹の結界がおもしろい。
さあ、伐る!という直前に熱中症で倒れた方がいて担架が出るという一場面もあったが、カメラ小僧ならぬじいさんが救護要員に(写真が撮れないから)座れ!と悪態をついていたのはいただけない。分別ついているはずの歳なのにマナーというか人間としてどうよ。

などということもありつつ、下山。
鞍馬の仲間組織についてちょっと興味がわいてきたのでまた勉強しようと思う。
梅雨のまほろば茶事 - 2017.06.18 Sun

そろそろ七夕の趣向もいけてる季節なので、うらの梶の木の葉っぱを玄関に。お客さまおでむかえ。

寄付は梅雨の頃なので、雨→雷様→北野天満宮の雷よけの御札を。、、、なのに関西はまったくの空梅雨で,この日も良い天気だったのですがね。
ちなみにこの御札は天満宮の摂社、火之御子社で毎年6月1日におこなわれる雷除大祭で拝領できる御札ですのよ(北野神社火之御子社雷除?護所)。これにかけて待合には大津絵の雷様、その下に天神さんの土人形を配してみました。、、、、でも雨、ふらないね(^_^;

そろそろ茶室が温室と化す季節になったので、風炉釜は切掛で。
丸灰にしてみましたが、茶室が暗いのをよいことに、細部は見えないのがミソ(^◇^;)

待合は夏の室礼。この網代がちべたくて気持ちよい。
さて、今回の茶事は「まほろば茶事」と銘打ちました。

一番最初にいつか愛する奈良をテーマに「まほろば茶事」をしたいと思ったのはもう7〜8年前になるでしょうか。京都に引っ越す前後のこと、一本の茶杓を手に入れたことから始まります。
やや煤竹めいたごつい、節がやや上のほうにあるその茶杓はどなたの作やらわかりません。おそらく無名の数寄者の方が手慰みで作って共筒を作った、、、というところではないでしょうか。その姿もなかなかのものですが、なにが気に入ったかってその歌銘なんです。
「やまとは くにのまほろば たたなづく 青垣 やまごもれる やまとし うるわし」
万葉集にある倭武尊の有名な歌であります。共筒に書かれたその歌をみたら、もう連れて帰るしかないと思いました。(ちなみにうちの子どもたちの名前も万葉集からとりました)

かくして、最初の道具。
いつかまほろば茶会もしくは茶事をする日のために、少しずつ大和の国にまつわる道具を集めていったのです。
ときに奈良の御道具屋さんや、ギャラリーへも通って。

私は南都七大寺の軒丸瓦にいたく惹かれておりまして、先だって奈良のギャラリーで東大寺のそれを蒔絵で写した薄器をねらって入手したのであります。
軒丸の真ん中に盧舎那仏の梵字、それをとりかこむ「東大寺大仏殿」の文字。ボディーにはこれまた素敵な軒平瓦。

それを入手したギャラリーのオーナーに、幕末明治の赤膚焼の名工・木白(奥田木白)の茶碗なんか手に入りませんかね〜となにげにいってみたところ、後日、なんと!それが手に入ったのであります!
赤膚焼といえば奈良絵のイメージですが、当時赤膚焼はなんでも焼いたのです。仁清風、髙取風、萩風、、、と多様。三つ見せていただいた中で一番気に入ったのは南京赤絵写しでありました。
この茶碗がまほろば茶会Go!の合図になりました。

本席の軸は、ほら、好きといったでしょ?すでに東大寺の軒丸瓦の拓本の軸をかなり前にゲットしていたのですよ。
字は東大寺管長であった狭川明俊師。年代からいくと、現在の管長(狭川普文師)のお祖父様でしょうか。

本日のお正客は東京のお茶友さんです。やっと茶事にお招きできました。それにご近所の藪内のお茶友さん、一番つきあいの長い前の社中からのお茶友さん。
今回の煮物椀は季節柄、鱧にジュンサイ+すだちでございます。あとはあいかわらずの献立で(^_^;

二献目はちまちま、これもためこんだ作家物のぐい飲み各種、お好きなのを選んでいただきました。
酒器は昨年夏ギャラリーYDSさんでゲットした西山芳弘さんのガラスボトル。
気心がなんとなくわかる主客で、笑ってくださるツボも同じなので、いままでの茶事の中で一番たくさんの笑いをいただきました。私のいい加減さも笑って許していただき、楽しい茶事になりました。

さて、あいかわらずのぼろぼろの初炭のあと、例によって西陣愛信堂さんが、またやってくれました!!
まほろばだから「大和三山でひとつよろしく!」とだけおおざっぱな依頼に頭をひねってくださって、どんなんがくるかワクワクして、箱をあけたとたん目がハートになりました。なんとすてきな!
白は白妙の衣を干す天香久山
赤は火がうねる畝傍
緑は桜の名所、青葉桜の耳成山
先日明日香に行ったときに車から見た大和三山の風景が蘇りました。

後座。
さあ、でましたよ、飛鳥時代の(白鳳よりちょっと古いか?)ほんものの軒丸瓦。
玄関にいつも飾っているのを急遽花入れに。といっても後に小さな瓶に水をいれて、蓋置で高さを調整して挿してあるのですが。
花はこの日までもつかどうかはらはらしたうちの裏庭のヤマアジサイ。

茶事のハイライト(でもここまでたどり着いた段階でちょっと息切れ)濃茶はたっぷり召し上がっていただく。
青磁の水指は宗哲さんと蘇山さんの姉妹コラボの作品です。暑いときには涼しげな色が好きです。

今回は後炭もして、(あまりしたくなかった(^_^;)風炉中拝見もいたしました。薄暗いのをたのみに)。
薄茶の干菓子は、薬師寺でしか手に入らない樫舎さんの葛菓子「白鳳の飛天」と、この季節だけの御菓子丸さんの「半夏生の宝珠」。
この季節、建仁寺塔頭両足院は池を巡る白くなった半夏生の群生を一般公開されます。そのときだけの販売の菓子。しかも人気なのですぐに売り切れるのです。なんとかゲットできてよかった。白い琥珀の中にひそんでいるのは緑のピスタッチオなんです。
ちなみに両足院の半夏生はこちら(2014年)

そして主茶碗は、、、もちろんあの木白。
おしゃべりが弾みすぎて、たいへんでした。東京からいらしたお正客さまに無理矢理私のお茶を点てさせるという暴挙にも、快く応じてくださって感謝です。
約4時間の濃密な時間の後、ほんとうに楽しく一会を終えました。

戦い終わった水屋。これから後片付けをね。
楽しかったせいか、あまり疲れを感じずに、終えましたよ。
茶室がビニールハウスくらいの温室になる季節がやってきます。
しばし茶事も休憩。、、、、あ、できたら朝6時くらいの朝茶ができたらいいけどな、、、、
つれづれ写真日記〜入梅の頃 - 2017.06.15 Thu
脈絡なく日々の京都ぐらしを写真でつづってみた。

洛東法然院のたもとにある金毛院。
ここはお茶がほんとうにお好きなご住職がおられる。
毎月第2日曜日に月釜。

ご丹精のお庭の美しいこと。
とりわけ100種以上もあるという紫陽花のこの季節は最高。

お茶を通じてお知り合いになったパワフル女社長の茶道具展。
御池にある、元造酒屋だった大きな町家、嶋臺ギャラリーが会場。はじめて中へ入った。あまり町家だった頃の面影はないけれど。え?この値段?、、、な茶道具ゲット。

さすがに御年20才になると、ちょっと猫でも外見が年とってくる。人間ならかるく100才越えのシェルさん。
最近は食欲の権化、、、、というか食欲しか残ってないような(^_^;

うめだ阪急のギャラリーで池田重子コレクション。
お宝アンティーク着物が見放題、撮り放題。

暑くて、夏はできれば着たくない着物。
そんな夏着物や帯にここまで手をかけているよき時代。絽だよ、この刺繍帯。

なんて素敵な帯なんだ。

こちらは点描ともいうべき相良刺繍。なんと細かい!

半襟なども眼福、眼福。

庭の甘茶が盛りのころにあわせて一般公開される建仁寺・霊源院。
昨年初めておとずれて、お茶室でお茶とアッサンブラージュ・カキモトのお菓子を楽しんだ。今年は昨年に比べて人が多いこと!

ヤマアジサイの変種でもある甘茶の庭。

一畳台目向板の妙喜庵という小間でも甘茶がふるまわれていた。この狭さ、、、おちつくわ〜。

祗園歌舞練場のこの、、、クラシックとアヴァンギャルドのハイブリッド感!!

初めて行った河村能舞台。
こちらを切り盛りされているパワフル女丈夫さまともお茶を通じてお知り合いに。(しかしパワフル女性、身の回りに多すぎ!)
河村浩太郎さんの「邯鄲」、かっこよかった!吉田篤史さんのご子息(子方)のお仕舞いがすばらしい。
もっと小さかった頃の仕舞を見たことがあるので、このくらいの子の成長ってすごいなと思った。

観能は単衣のお召しと柳燕の帯にて。

祗園小石の黒蜜かき氷。

仁王門近くのフレンチラ・プチ・セヌでランチ。シェフがひとりできりもりされている。

久々にがっつりお肉を食べた。満足。
ナイフはラギオールだよ。

祗園町のなにげない風景。
花見小路は中国人であふれているが、ここはまだ静か。

祗園加加阿365のお干菓子、、、ならぬチョコレート。
美し、美味し。
白鳳伽藍復興完了!〜薬師寺食堂完成 - 2017.06.12 Mon
白鳳当時の面影を残すのが東塔だけだった薬師寺の白鳳伽藍を再興しようと、高田好胤師が発願されたのは半世紀前、もう50年もたったのだなあ。

その費用をまかなうため、お写経勧進という方法を開始、それをおしすすめるため全国を行脚、公演、写経の勧めを説いて回られた。最初に復興したのが昭和51年の金堂、ついで56年の西塔、、、、そして白鳳伽藍最後に完成をみたのが食堂(じきどう)である。(しょくどうじゃないよ。確かに僧侶たちの食事の場ともなったがそれのみでなく広く生活の場であった)

ちなみに寺院にそなえていなければならない建物は7つで七堂伽藍といい、塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂であるという。
今回食堂完成のお披露目が一般公開(7月1日〜)に先立ち、結縁者(写経勧進をした人)対象におこなわれた。
私は写経はまだ1度しかしていないが、屋根瓦を一枚寄進いたしましたので、、、、
↓

もう2年も前のことなんだなあ。

売店の入っている東僧坊では今日も修学旅行生にお坊様が法話を。
これは高田好胤師の「青空説法」を引き継いだもの。50年も受け継がれてきた法話で、いつも生徒たちの笑い声にあふれる。

さて、完成した食堂。
堂内を広く使うため、柱の数をオリジナルよりかなり減らしているそうな。もともと柱があった場所に白い石が敷かれて、それとわかるようになっている。その代わりに耐久性、耐震性を補強するため柱の中は鉄筋、まわりを木の柱で覆ったという建築。特に耐震性は抜群なのだそうだ。伊東豊雄設計、施工は竹中工務店。

堂内に入ってまず中央の阿弥陀三尊浄土図を拝む。天井は立体的にメタルの渦巻のような孔雀の羽根のような紋様で荘厳。ご本尊の左右にそれぞれ7枚、計14枚の壁画。最前列のはしっこににすわって見た正面の壁画が、、、あ、これ畝傍山!よく見れば隣は耳成や。すでにここでじーんと感激。

法要の間、じっくり浄土図をながめる。
阿弥陀様と観音菩薩、勢至菩薩の脇侍、ああ、東塔の水煙の飛天もちゃんとおいでだ。天に鳳凰、阿弥陀様の足元に迦陵頻伽、白鳳の仏たちの再来だ。

もう一つの内部を広く使うための工夫がこのご本尊を3Dの仏像にせずに2Dの壁画にしたこと。
依頼されたのは平山郁夫画伯の弟子であった田渕俊夫画伯。
平山画伯の絵は玄奘三蔵伽藍に「大唐西域壁画」としておさめられているが、これは仏法が印度からシルクロードをへて中国に到達した物語。田渕画伯はその先、中国から大和へ、藤原京、のちに平城京へたどり着いた仏法の道を描かれた。

これがもう感動モノで、、、。
中国の険しい山々を背景に遣唐使船が仏法にまつわる人的物的土産をもって、大和へ旅立つ。
海が荒れることもあっただろうが、やがて懐かしい大和が海の彼方に見えてくる。
瀬戸内海に入って鳴門の渦潮ものりこえ、御津の浜松(摂津難波の港)へ帰帆、遣唐使船は帆をたたむ。
いざこども はやくやまとへ おほともの みつのはままつ まちこひぬらむ (憶良)
ここで大和川をさかのぼり、早春の飛鳥川、夏の畝傍山、秋の耳成、雪景色の天香久山、かつて明日香の地にあった伽藍の数々、そして薬師寺が初めて建立された藤原京、のちに移転された平城京の俯瞰図へ。
かくして仏法は大和の国の中枢にたどりつく。

(大修理中の東塔。しばらく姿が拝めないのがさびしい)
この14枚の仏法伝来の壁画に5曲のテーマ曲を作曲したのが東京芸大西岡教授門下の若手5人。3人の若手女性音楽家がバイオリン、チェロ、フルートでこれをご披露。これがまたよくてね。
幾多の苦難を越えて、仏法伝来のために尽力した人たち、中には思いを果たせず大和に帰り着かなかった人たち、、の思いが想像されて、壁画と音楽でついうるうるしてしまった。
最近涙腺ゆるい、、、

法要のあと、外に出ればまぶしい初夏の光の中に建つ、金堂と西塔。
初めて奈良へ来た小学生の頃、まだこれらはなかったのだなあ、、、と感慨深い。

感動したあとだし、写経道場で写経をしてかえるべし。
入り口にはいると梅の香りがぷ〜ん、、と。境内でとれた梅の実どうぞお持ち帰りを、と。うちにもしこたまあるからこれはご遠慮申し上げた。

午前中のお写経に来られた方にふるまわれるおうどん。花会式の結願の日にもふるまってくれるし、こういうところ薬師寺、好き。まずはこれをいただいて、いざ、心身を清めて写経。

やっぱり全部はいつまでたっても覚えきれない般若心経。
庭からのここちよい風の入る中、不思議と頭がからっぽになるひとときであった。善哉。
あいかわらずのカナクギ流、先に完成しておさめはったご高齢の方の写経を見ると、これがまたお手本より麗しい!どうやったらこんな文字が書けるのか。自分のを出すのが若干恥ずかしいのであった。

*)食堂一般公開7月1日〜
お見逃しなく!!

その費用をまかなうため、お写経勧進という方法を開始、それをおしすすめるため全国を行脚、公演、写経の勧めを説いて回られた。最初に復興したのが昭和51年の金堂、ついで56年の西塔、、、、そして白鳳伽藍最後に完成をみたのが食堂(じきどう)である。(しょくどうじゃないよ。確かに僧侶たちの食事の場ともなったがそれのみでなく広く生活の場であった)

ちなみに寺院にそなえていなければならない建物は7つで七堂伽藍といい、塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂であるという。
今回食堂完成のお披露目が一般公開(7月1日〜)に先立ち、結縁者(写経勧進をした人)対象におこなわれた。
私は写経はまだ1度しかしていないが、屋根瓦を一枚寄進いたしましたので、、、、
↓

もう2年も前のことなんだなあ。

売店の入っている東僧坊では今日も修学旅行生にお坊様が法話を。
これは高田好胤師の「青空説法」を引き継いだもの。50年も受け継がれてきた法話で、いつも生徒たちの笑い声にあふれる。

さて、完成した食堂。
堂内を広く使うため、柱の数をオリジナルよりかなり減らしているそうな。もともと柱があった場所に白い石が敷かれて、それとわかるようになっている。その代わりに耐久性、耐震性を補強するため柱の中は鉄筋、まわりを木の柱で覆ったという建築。特に耐震性は抜群なのだそうだ。伊東豊雄設計、施工は竹中工務店。

堂内に入ってまず中央の阿弥陀三尊浄土図を拝む。天井は立体的にメタルの渦巻のような孔雀の羽根のような紋様で荘厳。ご本尊の左右にそれぞれ7枚、計14枚の壁画。最前列のはしっこににすわって見た正面の壁画が、、、あ、これ畝傍山!よく見れば隣は耳成や。すでにここでじーんと感激。

法要の間、じっくり浄土図をながめる。
阿弥陀様と観音菩薩、勢至菩薩の脇侍、ああ、東塔の水煙の飛天もちゃんとおいでだ。天に鳳凰、阿弥陀様の足元に迦陵頻伽、白鳳の仏たちの再来だ。

もう一つの内部を広く使うための工夫がこのご本尊を3Dの仏像にせずに2Dの壁画にしたこと。
依頼されたのは平山郁夫画伯の弟子であった田渕俊夫画伯。
平山画伯の絵は玄奘三蔵伽藍に「大唐西域壁画」としておさめられているが、これは仏法が印度からシルクロードをへて中国に到達した物語。田渕画伯はその先、中国から大和へ、藤原京、のちに平城京へたどり着いた仏法の道を描かれた。

これがもう感動モノで、、、。
中国の険しい山々を背景に遣唐使船が仏法にまつわる人的物的土産をもって、大和へ旅立つ。
海が荒れることもあっただろうが、やがて懐かしい大和が海の彼方に見えてくる。
瀬戸内海に入って鳴門の渦潮ものりこえ、御津の浜松(摂津難波の港)へ帰帆、遣唐使船は帆をたたむ。
いざこども はやくやまとへ おほともの みつのはままつ まちこひぬらむ (憶良)
ここで大和川をさかのぼり、早春の飛鳥川、夏の畝傍山、秋の耳成、雪景色の天香久山、かつて明日香の地にあった伽藍の数々、そして薬師寺が初めて建立された藤原京、のちに移転された平城京の俯瞰図へ。
かくして仏法は大和の国の中枢にたどりつく。

(大修理中の東塔。しばらく姿が拝めないのがさびしい)
この14枚の仏法伝来の壁画に5曲のテーマ曲を作曲したのが東京芸大西岡教授門下の若手5人。3人の若手女性音楽家がバイオリン、チェロ、フルートでこれをご披露。これがまたよくてね。
幾多の苦難を越えて、仏法伝来のために尽力した人たち、中には思いを果たせず大和に帰り着かなかった人たち、、の思いが想像されて、壁画と音楽でついうるうるしてしまった。
最近涙腺ゆるい、、、

法要のあと、外に出ればまぶしい初夏の光の中に建つ、金堂と西塔。
初めて奈良へ来た小学生の頃、まだこれらはなかったのだなあ、、、と感慨深い。

感動したあとだし、写経道場で写経をしてかえるべし。
入り口にはいると梅の香りがぷ〜ん、、と。境内でとれた梅の実どうぞお持ち帰りを、と。うちにもしこたまあるからこれはご遠慮申し上げた。

午前中のお写経に来られた方にふるまわれるおうどん。花会式の結願の日にもふるまってくれるし、こういうところ薬師寺、好き。まずはこれをいただいて、いざ、心身を清めて写経。

やっぱり全部はいつまでたっても覚えきれない般若心経。
庭からのここちよい風の入る中、不思議と頭がからっぽになるひとときであった。善哉。
あいかわらずのカナクギ流、先に完成しておさめはったご高齢の方の写経を見ると、これがまたお手本より麗しい!どうやったらこんな文字が書けるのか。自分のを出すのが若干恥ずかしいのであった。

*)食堂一般公開7月1日〜
お見逃しなく!!
梅雨前の嵯峨野散歩 - 2017.06.10 Sat
所用ありまして嵯峨野へ。
ついでに久々に嵯峨野散歩。

とりあえず清涼寺に車を停めて歩き始める。
清涼寺のあぶり餅。このお姉さんがほのぼのしていていい。
嵐山の駅周辺はもう観光客でごった返して、かつて嵯峨「野」の葬送の地、、、なんて面影もないが、清涼寺まで来ると人はぐっと少なくなる。

中院入道前大納言藤原為家卿之墓。
為家は定家(ご存じ、小倉百人一首はこのあたりで編まれたのよ)の息子、かつ「十六夜日記」の阿仏尼は彼の側室。
で、このあたりの住所が中院なのだ。
教科書で習った歴史を肌で感じる京都だこと。

その近くにある厭離庵。紅葉が美しいそうで、5月や紅葉のシーズンのみ一般公開されているそうな。
定家の別荘といわれていたが、現在では定家に百人一首を依頼した蓮生上人の山荘という説が有力。
閉鎖中はひっそりとして中の様子はうかがいしれない。

清涼寺の近くのMOMI CAFEでランチしようと思ったに、、、 closed。
一体ここは何戦何敗してんだか。いまだかつて開いているときに出会ったことがない。

いい雰囲気なのにね。ハイシーズンしかやってないのかしら。
人を避けてローシーズンのしかも平日に来るような客は相手にされないのね(T_T)

二尊院。
この通称「紅葉の馬場」が一番の見所。
前を歩く観光客が写真をとり続け、なかなか進まないので、このシャッターチャンスにはちょっと時間がかかってしまった。気持ちはわかるけれどね。

翠が麗しい。

通常門である黒門から本堂をのぞむ。(本堂正面にあるのは勅使門)

境内には室町時代の建築物も残るのだ。熱田神宮や伊勢神宮など八社を請来した?八社宮。
よく見ると本体のお社は別の屋根で保護されている。

和菓子好きとしては忘れてならない小倉餡発祥の地。
二尊院周辺(小倉山周辺)の菓子職人和三郎が、空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、作ったのが始まりとされるのだそうだ。
ありがたやありがたや。(饅頭を作ったのは林淨因だけれどね)

ここは角倉了以の墓所もあったり、花もきれいで見所は多い。

もちろん釈迦如来、阿弥陀如来の「二尊」をお祀りする本堂もお忘れ無く。
ちなみにお釈迦様は極楽往生をめざす人を送り、阿弥陀様はそれをお迎えする仏とかや。

手水の周辺に半夏生発見。
さすがにまだ早く、白くはなっていない。

そうか、もう睡蓮の季節か。

本堂の床の埋木。自称埋木フェチとしては激写せねばなるまい。ここはあまり収穫なかったけれど。(フェチとしては西本願寺がオススメ)

嵯峨野をさらに奥へ行く道を歩む。
途中でトラ猫に出会う。

嵯峨野の奥は化野、それこそ明治の頃まで死体がごろごろしていたという葬送の地。いまでは街道はきれいに石畳。

これは同じ道を四年前の8月、念仏寺の千灯供養に行ったときの写真。(記事→☆)
なにせこの夜は大嵐で雷稲妻のひどい天気ゆえ、観光客もまばらでそれはそれでよかったのだ。

化野念仏寺、ほんまにあの日以来、ひさしぶり。

参道で日蔭の蔓発見!
(もちろんお持ち帰りしてないわよ(^_^; )

紅葉を透かして見あげる仏舎利塔。

西院の河原。
8000体以上あるという石仏はかつて化野一帯に葬られた人々の墓石。
散乱し、土に埋もれていたそれらをここへ集めたのは明治の頃という。
表面にほられていたであろう仏様の姿はもうすっかりおぼろげになって、墓石かどうかもよくわからない感じだが、真ん中にたつと、それらがすべて中央にある仏塔を向いているのがわかる。
真ん中にたつと、すべての石仏にみつめられているようでちょっとぞわぞわした。

8月23日24日は千灯供養、美しい景色なので是非おすすめする。(ただし天気がよいときはかなりの人出は覚悟の上で)

四年前の千灯供養の写真、貼っておくね。

ここまでくると観光客は数えるほどで、嵐山駅周辺の人わさわさの竹林より美しい竹林の道が楽しめるよ。

やさしいお顔のお地蔵様。
生まれようとして生まれなんだ子、幼くして亡くなった子を慈愛の目で見つめるがごとし。

帰る道で気づいた、あ、泉仙ってここにあるんだ。(精進料理、仕出しのわりと有名なお店どす)

帰りにちょっと足を伸ばして野々宮へも。
なにせ先日の薪能の演目が「野宮」だったので、その舞台装置でもある黒木の鳥居をちょっと見たくなって。(ちなみにこのあたり人いっぱい、、、)

むしやしないは老松さんの嵐山店で、、、

とろっとろのできたてわらび餅。

清涼寺の近くの豆腐の森嘉さんで、カラシ豆腐を買いたかったのだが、手荷物いっぱいで断念。残念。
(森嘉さんの名物飛竜頭は大丸で買えるよ)

お土産に老松さんでこの季節だけのお楽しみ、稀少な夏蜜柑で作った夏柑糖を買って帰ったのは言うまでもない。
ついでに久々に嵯峨野散歩。

とりあえず清涼寺に車を停めて歩き始める。
清涼寺のあぶり餅。このお姉さんがほのぼのしていていい。
嵐山の駅周辺はもう観光客でごった返して、かつて嵯峨「野」の葬送の地、、、なんて面影もないが、清涼寺まで来ると人はぐっと少なくなる。

中院入道前大納言藤原為家卿之墓。
為家は定家(ご存じ、小倉百人一首はこのあたりで編まれたのよ)の息子、かつ「十六夜日記」の阿仏尼は彼の側室。
で、このあたりの住所が中院なのだ。
教科書で習った歴史を肌で感じる京都だこと。

その近くにある厭離庵。紅葉が美しいそうで、5月や紅葉のシーズンのみ一般公開されているそうな。
定家の別荘といわれていたが、現在では定家に百人一首を依頼した蓮生上人の山荘という説が有力。
閉鎖中はひっそりとして中の様子はうかがいしれない。

清涼寺の近くのMOMI CAFEでランチしようと思ったに、、、 closed。
一体ここは何戦何敗してんだか。いまだかつて開いているときに出会ったことがない。

いい雰囲気なのにね。ハイシーズンしかやってないのかしら。
人を避けてローシーズンのしかも平日に来るような客は相手にされないのね(T_T)

二尊院。
この通称「紅葉の馬場」が一番の見所。
前を歩く観光客が写真をとり続け、なかなか進まないので、このシャッターチャンスにはちょっと時間がかかってしまった。気持ちはわかるけれどね。

翠が麗しい。

通常門である黒門から本堂をのぞむ。(本堂正面にあるのは勅使門)

境内には室町時代の建築物も残るのだ。熱田神宮や伊勢神宮など八社を請来した?八社宮。
よく見ると本体のお社は別の屋根で保護されている。

和菓子好きとしては忘れてならない小倉餡発祥の地。
二尊院周辺(小倉山周辺)の菓子職人和三郎が、空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、作ったのが始まりとされるのだそうだ。
ありがたやありがたや。(饅頭を作ったのは林淨因だけれどね)

ここは角倉了以の墓所もあったり、花もきれいで見所は多い。

もちろん釈迦如来、阿弥陀如来の「二尊」をお祀りする本堂もお忘れ無く。
ちなみにお釈迦様は極楽往生をめざす人を送り、阿弥陀様はそれをお迎えする仏とかや。

手水の周辺に半夏生発見。
さすがにまだ早く、白くはなっていない。

そうか、もう睡蓮の季節か。

本堂の床の埋木。自称埋木フェチとしては激写せねばなるまい。ここはあまり収穫なかったけれど。(フェチとしては西本願寺がオススメ)

嵯峨野をさらに奥へ行く道を歩む。
途中でトラ猫に出会う。

嵯峨野の奥は化野、それこそ明治の頃まで死体がごろごろしていたという葬送の地。いまでは街道はきれいに石畳。

これは同じ道を四年前の8月、念仏寺の千灯供養に行ったときの写真。(記事→☆)
なにせこの夜は大嵐で雷稲妻のひどい天気ゆえ、観光客もまばらでそれはそれでよかったのだ。

化野念仏寺、ほんまにあの日以来、ひさしぶり。

参道で日蔭の蔓発見!
(もちろんお持ち帰りしてないわよ(^_^; )

紅葉を透かして見あげる仏舎利塔。

西院の河原。
8000体以上あるという石仏はかつて化野一帯に葬られた人々の墓石。
散乱し、土に埋もれていたそれらをここへ集めたのは明治の頃という。
表面にほられていたであろう仏様の姿はもうすっかりおぼろげになって、墓石かどうかもよくわからない感じだが、真ん中にたつと、それらがすべて中央にある仏塔を向いているのがわかる。
真ん中にたつと、すべての石仏にみつめられているようでちょっとぞわぞわした。

8月23日24日は千灯供養、美しい景色なので是非おすすめする。(ただし天気がよいときはかなりの人出は覚悟の上で)

四年前の千灯供養の写真、貼っておくね。

ここまでくると観光客は数えるほどで、嵐山駅周辺の人わさわさの竹林より美しい竹林の道が楽しめるよ。

やさしいお顔のお地蔵様。
生まれようとして生まれなんだ子、幼くして亡くなった子を慈愛の目で見つめるがごとし。

帰る道で気づいた、あ、泉仙ってここにあるんだ。(精進料理、仕出しのわりと有名なお店どす)

帰りにちょっと足を伸ばして野々宮へも。
なにせ先日の薪能の演目が「野宮」だったので、その舞台装置でもある黒木の鳥居をちょっと見たくなって。(ちなみにこのあたり人いっぱい、、、)

むしやしないは老松さんの嵐山店で、、、

とろっとろのできたてわらび餅。

清涼寺の近くの豆腐の森嘉さんで、カラシ豆腐を買いたかったのだが、手荷物いっぱいで断念。残念。
(森嘉さんの名物飛竜頭は大丸で買えるよ)

お土産に老松さんでこの季節だけのお楽しみ、稀少な夏蜜柑で作った夏柑糖を買って帰ったのは言うまでもない。
吉田山大茶会2017 - 2017.06.08 Thu

今年も吉田神社でくりひろげられる吉田山大茶会。

主に中国茶だが、ほかにも日本茶とか、韓国茶とかモンゴル茶とか,珈琲とかいろいろ。

あちこちに茶席がもうけられているので、どこに入ろうかと迷って、、、、迷う必要ありませんでした(^_^;
どこも人気で予約時間がずいぶん先とか。

こちらは昨年いい雰囲気で、参席させてもらった奈良で出張茶館をしている囍茶さんの席。
雰囲気は好日居さんに似ているかな。こちらも予約いっぱいで、、、

そして今年もでているかな〜と気になっていたトラック茶席!!
ありました、ありました!

トラックの上に作った即席炉にはちゃんと炭がはいってる。
こちらも入席3時間先、ということであきらめた。
朝早くにきて席入りできたという知人に聞くと、このご亭主はサラリーマン時代にお茶を習ってその魅力にどっぷり、そのお茶を生かせる仕事ということで庭師になったんだそうだ。(普通逆の話はよく聞くけどね、、、)

でもほんと、すてきな茶席。お客さんは椅子で楽だし。
この地下足袋がツボでした(^◇^;)

他にもお茶の葉を飾った土佐茶のブースとか、昔懐かし飴細工の屋台やら、、、

無農薬のお茶も。
これはやはり少しクセがある感じ。でもおいしくいただける。
(鴨茶の為さんの無農薬茶はちょっと苦かったが、、、、^_^;)
最近は無農薬、あるいは自然農のお茶栽培も増えてきたような印象。むつかしいこともいろいろあるのだろうけれど。

これは韓国茶の席。
室礼が李朝っぽくてええわ。

京都では中国茶といえば岩茶房さん。今年も茶葉を販売されていたのでさっそく何種類かゲット。
しかし、、、大紅袍20g7000円とは!さすがに手がでない。

結局20分ほど待って入れたのが、この好茶(ハオチャ)工房さんの席。

席毎にいれるお茶の種類がかわるようです。
私の席はこの苺ベースのフルーツ茶「草苺水果茶」。
入れる前から苺の甘い匂いが。

薄紅色はハイビスカスの色。

ハイビスカスの酸っぱさと苺を初めとしたフルーツの甘さが良い感じにミックス。
器は今中国ではやりのガラスを埋め込んだ磁器。昔は蛍といって釉薬の透け感だったけれど、もろに透けるガラスを好むってところが中国らしい。

で、けっこう散財したよ。
宮崎のお茶で作った紅茶がテイスティングでとても美味しく、これはゲットしました。
ちゃんとした茶器で、ゆっくりとした時間にいれて楽しもう。
平安神宮薪能2017 - 2017.06.06 Tue
今年も恒例、平安神宮薪能。
昼間、どんなに暑かろうが夜は酷寒が大げさでないほど冷えるので、やはり寒かった昨年の記事にも「来年はダウンジャケット持参しよう」と書いたにもかかわらず、のど元すぎればなんとやら、それなりの防寒準備はしながらも、全然足りん!バカバカ!私のあほ〜!
というほど、昼間よい天気だっただけによけいに冷え込んだ今宵の薪能。

今年のテーマは「神出鬼没 幽冥巡礼」。
今年ははじめての試みとして、各演目の前に狂言師のお二人が(第2夜は茂山茂師、島田洋海師)演目ゆかりの京都名所旧跡をまわってあらすじをおもしろおかしくわかりやすく説明する、というナビ付き。
これはなかなか見る方にはありがたい、よいこころみであったと思う。

30分前に行ったにもかかわらず、たくさんの観客、いまさらながら京都の観能人口の多さに驚く。知人がたまたま前の方にいたので、お隣のよい席にすわれた。ラッキー、感謝。

今年もパンフの袋は、まわりを切り取ればクリアファイルになるというすぐれもの。
これを客席で売って歩くのも狂言師の方々。
茂山逸平さんの口上がとても面白く、みんな大笑い。
「西日がまぶしい!その日よけにも是非このパンフレットを!」とか、
「今日はお兄ちゃん(宗彦さん)がいません。それで売り上げが落ちたらお兄ちゃんにデカイ顔されます。なので助けると思って買って下さい!」とか。(^◇^;)
アナウンスの方も笑いをこらえてお仕事されてたそうですよ。

この薪能は観世座、金剛座、合同というところに意味があるのよね。
さらに昔は金春座の提灯もかかっていたとか。
2日目の一曲目は「弓八幡」。
舞台は石清水八幡宮。かなりはしょって、ワキ方登場のあとはいきなり後半の高良明神登場へ。
神様だから衣裳も所作も神々しい。
弓八幡で思い出すのは、今年の春先、両足院での茶事に招かれたとき、遠州流のご亭主が茶碗の弦巻の絵付けを見て「弓八幡」の話をされたこと。髙砂の祝言を謡われるくらい、能にも造詣の深いご亭主であった。
日も落ちて、火入れ式のあとは幽玄の「野宮」。
六条御息所が源氏を忘れるため、伊勢の斎王となった娘とともに嵯峨野の野宮にこもり、やがて伊勢に下って行くという源氏物語のエピソードから。
ちょうどお稽古場で先輩がこの仕舞を舞っておられたので、なにやらゆかしい。
野宮のシンボルである黒木の鳥居、ここを越えようとして越えず、の場面がこれであったかと。

ちなみにこれが嵯峨野の今の野宮神社・黒木の鳥居。
狂言は鬮罪人(くじざいにん)
町内で祗園祭の山のだしものを考える、というまもなく始まる祇園祭にちなんだ演目がうれしい。
総勢八名の狂言師が登場するという、にぎやかな楽しいお話しであった。
最後の曲が金剛流の「小鍛冶」
一昨年の薪能で演じられ、しかもご近所に粟田口・合槌稲荷(小鍛冶に由来する)があるので、親しみのある、しかし狐の天冠の後シテがかっこいい演目。
前シテがいつもは童子なのに、いきなり翁がでてきてびっくりしたが、これこそ金剛流の小書(特殊演出)「白頭」。
前シテが、童子の時は狐の精は赤い髪だが、翁の時は白い髪なんだそうな。
狐の精が宗近の合槌(刀を打つ)をつとめる場面がクライマックスだが、意外と時間は短い。名刀「小狐丸」の由来。

こんなに寒いのに、今年は最後まで観覧するお客さんがほとんどで、すばらしい。
ある程度予備知識がないとわかりにくい能であるが、わかりやすく三分の一くらいの長さで演じられる薪能は、能への入り口としてオススメである。

それにしても、来年こそはかならずダウンジャケット持参するぞ!!(忘るべからず!!自分!)
昼間、どんなに暑かろうが夜は酷寒が大げさでないほど冷えるので、やはり寒かった昨年の記事にも「来年はダウンジャケット持参しよう」と書いたにもかかわらず、のど元すぎればなんとやら、それなりの防寒準備はしながらも、全然足りん!バカバカ!私のあほ〜!
というほど、昼間よい天気だっただけによけいに冷え込んだ今宵の薪能。

今年のテーマは「神出鬼没 幽冥巡礼」。
今年ははじめての試みとして、各演目の前に狂言師のお二人が(第2夜は茂山茂師、島田洋海師)演目ゆかりの京都名所旧跡をまわってあらすじをおもしろおかしくわかりやすく説明する、というナビ付き。
これはなかなか見る方にはありがたい、よいこころみであったと思う。

30分前に行ったにもかかわらず、たくさんの観客、いまさらながら京都の観能人口の多さに驚く。知人がたまたま前の方にいたので、お隣のよい席にすわれた。ラッキー、感謝。

今年もパンフの袋は、まわりを切り取ればクリアファイルになるというすぐれもの。
これを客席で売って歩くのも狂言師の方々。
茂山逸平さんの口上がとても面白く、みんな大笑い。
「西日がまぶしい!その日よけにも是非このパンフレットを!」とか、
「今日はお兄ちゃん(宗彦さん)がいません。それで売り上げが落ちたらお兄ちゃんにデカイ顔されます。なので助けると思って買って下さい!」とか。(^◇^;)
アナウンスの方も笑いをこらえてお仕事されてたそうですよ。

この薪能は観世座、金剛座、合同というところに意味があるのよね。
さらに昔は金春座の提灯もかかっていたとか。
2日目の一曲目は「弓八幡」。
舞台は石清水八幡宮。かなりはしょって、ワキ方登場のあとはいきなり後半の高良明神登場へ。
神様だから衣裳も所作も神々しい。
弓八幡で思い出すのは、今年の春先、両足院での茶事に招かれたとき、遠州流のご亭主が茶碗の弦巻の絵付けを見て「弓八幡」の話をされたこと。髙砂の祝言を謡われるくらい、能にも造詣の深いご亭主であった。
日も落ちて、火入れ式のあとは幽玄の「野宮」。
六条御息所が源氏を忘れるため、伊勢の斎王となった娘とともに嵯峨野の野宮にこもり、やがて伊勢に下って行くという源氏物語のエピソードから。
ちょうどお稽古場で先輩がこの仕舞を舞っておられたので、なにやらゆかしい。
野宮のシンボルである黒木の鳥居、ここを越えようとして越えず、の場面がこれであったかと。

ちなみにこれが嵯峨野の今の野宮神社・黒木の鳥居。
狂言は鬮罪人(くじざいにん)
町内で祗園祭の山のだしものを考える、というまもなく始まる祇園祭にちなんだ演目がうれしい。
総勢八名の狂言師が登場するという、にぎやかな楽しいお話しであった。
最後の曲が金剛流の「小鍛冶」
一昨年の薪能で演じられ、しかもご近所に粟田口・合槌稲荷(小鍛冶に由来する)があるので、親しみのある、しかし狐の天冠の後シテがかっこいい演目。
前シテがいつもは童子なのに、いきなり翁がでてきてびっくりしたが、これこそ金剛流の小書(特殊演出)「白頭」。
前シテが、童子の時は狐の精は赤い髪だが、翁の時は白い髪なんだそうな。
狐の精が宗近の合槌(刀を打つ)をつとめる場面がクライマックスだが、意外と時間は短い。名刀「小狐丸」の由来。

こんなに寒いのに、今年は最後まで観覧するお客さんがほとんどで、すばらしい。
ある程度予備知識がないとわかりにくい能であるが、わかりやすく三分の一くらいの長さで演じられる薪能は、能への入り口としてオススメである。

それにしても、来年こそはかならずダウンジャケット持参するぞ!!(忘るべからず!!自分!)
光琳乾山忌茶会2017 - 2017.06.04 Sun
前夜の雷雨にすっかり洗い流された空が美しい朝の奥嵯峨・広沢池。

この爽やかな1日、今年で3回目の参席になるMOA美術館主催平安郷の光琳乾山忌茶会にいざ。
ちなみに光琳、乾山の兄弟は約30年の時をへだてて同じ6月2日に亡くなったのです。

約3万坪もの土地を有する平安郷、枝垂れ桜の頃には一般公開もあります。中の移動はマイクロバスにて。(それほど広大なのよ)
ただ、今年は作戦まちがえました。
昨年は30分早く行って、一番混み合う中の茶屋を一番にすませて昼前には全部回れたのですが、今年は出遅れたのと、上の茶屋か下の茶屋がすいてますよ〜の甘言(?)にだまされて(?)一番人気の中の茶屋を最後にしたところ終わったのが3時過ぎに。
来年への教訓。早めにいってまずは一番に中の茶屋をめざす!

で、最初に行った下の茶屋。
ここは教団施設の中にある茶室で,京都美術青年会主宰。
寄付の「謝茶」は淡々斎の筆。
裏千家の老分でもあったキンシ正宗の社長から、代々伝わる清厳和尚の「謝茶」の扁額だったか?軸だったか?譲り受けたのを喜んで御礼にそれに似せて書いた物とか。漢詩の部分なんか途中で点々になって省略されているところが洒脱な淡々斎らしく。
管耳付の砧青磁は耳がでかすぎて、ややバランスが悪く、国宝級(萬聲とか)ほどではないが、見るたびに微妙に変化する色はやはり美しい。花はそれに負けない大山蓮華。
薄器が町棗(町方の無名の塗師によってつくられた町衆の棗)で紫陽花の蒔絵であったが、この紫陽花、花弁が五枚なのがなんともご愛敬。宗旦在判。
主茶碗が、この茶会のために依頼して、4月に焼き上がったばかりという当代楽さんの焼貫。この茶碗は掌へのなじみもよく縁もなめらか。あの唇が切れそうなアバンギャルド時代をへて、古典への回帰、でも肌はしっかりあの焼貫、という新しい境地の作品に思えました。
替えの斗々屋がまた渋くて青みがかった色がよくて、、、、しびれる。

次にバスで上の茶屋へ移動。
シロツメクサの絨毯が美しく、風が幔幕やテントを激しくはためかせて、まさに「青嵐」とはこのことじゃのう。

こちらはMOA美術館席。
寄付で今年も赤坂・塩野の浮島みたいな餡カステラみたいなお菓子をいただいく。翠のグレデーションの美しいお菓子でした。銘「新緑」
こちらには光悦の消息。蓮の花をくれてありがとうの礼状。送り主はどんな花入れにいれて持って行ったのか、光悦はどんな花器にどういけたのか、イマジネーションがひろがるわ。
菓子器が光琳・乾山風、草花の蒔絵の三段重箱。まさにこの茶会にふさわしい。

本席は永徳のお父さん、狩野松栄の広沢池図。まさにこの地にぴったり。
聚光院の松栄・永徳合作の襖絵は(公開は終了)迫力あったが、永徳にくらべるとやはりおとなしい感じ。
この絵では池の畔に旅人とかの人物の姿もあった。広沢池は当時も今とそれほど姿は変わらなかったのだろうか。

京都の武家旧家伝来の砂張の釣舟にいれたれた白いシラン、縞葦、そして蔓性の馬の鈴草(これの名前も昨年か一昨年、ここで知ったっけ)が実に涼しげに感じよくさがっているのがステキでした。
茶器が、寸胴で大きめ、見た目挽家といったほうがいいような千鳥蒔絵茶器。時代が室町で、まだ利休が棗の寸法や形を定める以前のもの、と聞いてなるほどと納得。

主茶碗が彫三島。銘「残雪」
いわゆる三島より時代が下って、日本からの注文で作られた粉青。東博で同じようなのを見たことがあるわ。けっこう好きなタイプ。
替茶碗が仁清の錆絵染付。これもきらびやかでなくて、渋いタイプの仁清。
銘が「さが野」、箱書きが、最近亡くなられた林屋晴三先生のもの。追悼の思いをこめて、しかも場所は奥嵯峨、これ以上ぴったりの茶碗はなかろうと。
茶杓は一翁宗守、銘も「清滝(嵯峨野の地名)」。

マイクロバスで、最終にして最大の目的地中の茶屋へ。
このすがすがしい景色もなんとご馳走であろうか。暑くもなく,寒くもなく。

この季節、毎年アザミの花が綺麗だな、とここで思う。

中の茶屋第2待合。実はここで2時間近く待つという、、、、(>_<)ゞ

やっと順番が来て、ようやく第1待合へ。
ここはいくら待たされても大丈夫、なにしろ広沢池に面するテントが待合なので、景色を見ていれば飽きることはないの。

昨夜の雨で水はやや濁っているものの、水面をいく水鳥のつがいや大きなアオサギなど、見ながら風にふかれるのもすてきなもの。
さて、中の茶屋は毎年名だたる茶の湯の名品所蔵の美術館がかけはる。
一昨年は根津美術館、昨年は正木美術館、そして今年は永青文庫!細川家のお宝お宝♪
今は東博の「茶の湯」展にエース級のものは出張中だが、それでも逸品の数々。

寄付がお父ちゃん、(古今伝授の)細川幽斎の待七夕の和歌の短冊なら、菓子席では息子の三斎の元和四年の御道具附(茶会の道具の記録)
よく見ると水指・芋頭、茶杓・利休、、、にまじって茶入・中山!
かの有名な三斎のエピソード付きの中山肩衝であるな。なんか感激。
(かつて幽斎から三斎へ伝わった肩衝、三斎は安国寺恵瓊にこれをゆずる。ゆえに安国寺肩衝とも。関ヶ原後に転々として津田秀政の手へ。ある日彼の茶会に招かれた三斎はこの茶入に思いもかけず再会、「佐夜の中山」と言い捨ててこの茶入を持って帰ってしまう。なんて乱暴な(^◇^;)、、、後日金200枚を送ったそうな。西行の「年たけて また越ゆべしと 思いきや いのちなりけり 佐夜の中山」、このような名器には2度とお目にかかれないという気持ちで持ち帰ったのだ、という逸話。ゆえに中山肩衝と)

(孤篷庵のご住職様と、遠州流の堀江先生とごいっしょの席だった♪)
小間の床には三斎作の竹二重切花入にすがすがしい夏椿。錆の出た床の壁によく映る。
茶入は中興名物瀬戸肩衝「塞(こしじ)」。
でかくて無骨。お手をふれないように、とのことだったが、孤篷庵様が特権で(?)手にとって見てはったので、横からのぞいて全方向が拝めたのがよろしゅうございましたわ。見る向きで景色が違うのがよくわかったし。
茶杓が、同時代を生き、堺へ下る利休をともに見送った織部の作。銘「さかひ(逆樋か?)」
茶碗が、利休所持であった柿の蔕。
もう、これは激渋で、激渋で、、、なんぼ渋好みでもちょっと私の手にはおえませんわ。
実際に濃茶を点てられた茶碗が、これまた教科書的な正しい端反りの熊川ですてき。拝見する前に回収されてしまいましたが〜〜(-_-#)

(聚洸さん 「翠水」 美しく美味しい食べる宝石でありました)
でも意外や、一番印象深かったのは、ひからびた利休作の竹の蓋置。
少し壁面がカーブした,小さい、枯れて黒っぽく変色した蓋置。
おそらく利休が作って使った青竹の蓋置を、三斎は大事にもってかえったのだろう。挽家まで作って大事に大事にしたのだろう。師を尊敬し、その弟子であることを誇りに思いつつ。
これはなんだろう、、、見た目のひからび具合と、形見にと大事にするその心情は、赤子をもった親が大事にする「臍の緒」に通じるような気がするのですが。
最後に、濃茶をいただいた茶碗が細川家の現当主、細川護煕さん作の井戸茶碗であったのはツボであったわ。

最後に嵐山吉兆の点心をやっとこさいただいて帰路につきました。
青嵐の中、よきものをたくさん愛でられた1日であったこと。

この爽やかな1日、今年で3回目の参席になるMOA美術館主催平安郷の光琳乾山忌茶会にいざ。
ちなみに光琳、乾山の兄弟は約30年の時をへだてて同じ6月2日に亡くなったのです。

約3万坪もの土地を有する平安郷、枝垂れ桜の頃には一般公開もあります。中の移動はマイクロバスにて。(それほど広大なのよ)
ただ、今年は作戦まちがえました。
昨年は30分早く行って、一番混み合う中の茶屋を一番にすませて昼前には全部回れたのですが、今年は出遅れたのと、上の茶屋か下の茶屋がすいてますよ〜の甘言(?)にだまされて(?)一番人気の中の茶屋を最後にしたところ終わったのが3時過ぎに。
来年への教訓。早めにいってまずは一番に中の茶屋をめざす!

で、最初に行った下の茶屋。
ここは教団施設の中にある茶室で,京都美術青年会主宰。
寄付の「謝茶」は淡々斎の筆。
裏千家の老分でもあったキンシ正宗の社長から、代々伝わる清厳和尚の「謝茶」の扁額だったか?軸だったか?譲り受けたのを喜んで御礼にそれに似せて書いた物とか。漢詩の部分なんか途中で点々になって省略されているところが洒脱な淡々斎らしく。
管耳付の砧青磁は耳がでかすぎて、ややバランスが悪く、国宝級(萬聲とか)ほどではないが、見るたびに微妙に変化する色はやはり美しい。花はそれに負けない大山蓮華。
薄器が町棗(町方の無名の塗師によってつくられた町衆の棗)で紫陽花の蒔絵であったが、この紫陽花、花弁が五枚なのがなんともご愛敬。宗旦在判。
主茶碗が、この茶会のために依頼して、4月に焼き上がったばかりという当代楽さんの焼貫。この茶碗は掌へのなじみもよく縁もなめらか。あの唇が切れそうなアバンギャルド時代をへて、古典への回帰、でも肌はしっかりあの焼貫、という新しい境地の作品に思えました。
替えの斗々屋がまた渋くて青みがかった色がよくて、、、、しびれる。

次にバスで上の茶屋へ移動。
シロツメクサの絨毯が美しく、風が幔幕やテントを激しくはためかせて、まさに「青嵐」とはこのことじゃのう。

こちらはMOA美術館席。
寄付で今年も赤坂・塩野の浮島みたいな餡カステラみたいなお菓子をいただいく。翠のグレデーションの美しいお菓子でした。銘「新緑」
こちらには光悦の消息。蓮の花をくれてありがとうの礼状。送り主はどんな花入れにいれて持って行ったのか、光悦はどんな花器にどういけたのか、イマジネーションがひろがるわ。
菓子器が光琳・乾山風、草花の蒔絵の三段重箱。まさにこの茶会にふさわしい。

本席は永徳のお父さん、狩野松栄の広沢池図。まさにこの地にぴったり。
聚光院の松栄・永徳合作の襖絵は(公開は終了)迫力あったが、永徳にくらべるとやはりおとなしい感じ。
この絵では池の畔に旅人とかの人物の姿もあった。広沢池は当時も今とそれほど姿は変わらなかったのだろうか。

京都の武家旧家伝来の砂張の釣舟にいれたれた白いシラン、縞葦、そして蔓性の馬の鈴草(これの名前も昨年か一昨年、ここで知ったっけ)が実に涼しげに感じよくさがっているのがステキでした。
茶器が、寸胴で大きめ、見た目挽家といったほうがいいような千鳥蒔絵茶器。時代が室町で、まだ利休が棗の寸法や形を定める以前のもの、と聞いてなるほどと納得。

主茶碗が彫三島。銘「残雪」
いわゆる三島より時代が下って、日本からの注文で作られた粉青。東博で同じようなのを見たことがあるわ。けっこう好きなタイプ。
替茶碗が仁清の錆絵染付。これもきらびやかでなくて、渋いタイプの仁清。
銘が「さが野」、箱書きが、最近亡くなられた林屋晴三先生のもの。追悼の思いをこめて、しかも場所は奥嵯峨、これ以上ぴったりの茶碗はなかろうと。
茶杓は一翁宗守、銘も「清滝(嵯峨野の地名)」。

マイクロバスで、最終にして最大の目的地中の茶屋へ。
このすがすがしい景色もなんとご馳走であろうか。暑くもなく,寒くもなく。

この季節、毎年アザミの花が綺麗だな、とここで思う。

中の茶屋第2待合。実はここで2時間近く待つという、、、、(>_<)ゞ

やっと順番が来て、ようやく第1待合へ。
ここはいくら待たされても大丈夫、なにしろ広沢池に面するテントが待合なので、景色を見ていれば飽きることはないの。

昨夜の雨で水はやや濁っているものの、水面をいく水鳥のつがいや大きなアオサギなど、見ながら風にふかれるのもすてきなもの。
さて、中の茶屋は毎年名だたる茶の湯の名品所蔵の美術館がかけはる。
一昨年は根津美術館、昨年は正木美術館、そして今年は永青文庫!細川家のお宝お宝♪
今は東博の「茶の湯」展にエース級のものは出張中だが、それでも逸品の数々。

寄付がお父ちゃん、(古今伝授の)細川幽斎の待七夕の和歌の短冊なら、菓子席では息子の三斎の元和四年の御道具附(茶会の道具の記録)
よく見ると水指・芋頭、茶杓・利休、、、にまじって茶入・中山!
かの有名な三斎のエピソード付きの中山肩衝であるな。なんか感激。
(かつて幽斎から三斎へ伝わった肩衝、三斎は安国寺恵瓊にこれをゆずる。ゆえに安国寺肩衝とも。関ヶ原後に転々として津田秀政の手へ。ある日彼の茶会に招かれた三斎はこの茶入に思いもかけず再会、「佐夜の中山」と言い捨ててこの茶入を持って帰ってしまう。なんて乱暴な(^◇^;)、、、後日金200枚を送ったそうな。西行の「年たけて また越ゆべしと 思いきや いのちなりけり 佐夜の中山」、このような名器には2度とお目にかかれないという気持ちで持ち帰ったのだ、という逸話。ゆえに中山肩衝と)

(孤篷庵のご住職様と、遠州流の堀江先生とごいっしょの席だった♪)
小間の床には三斎作の竹二重切花入にすがすがしい夏椿。錆の出た床の壁によく映る。
茶入は中興名物瀬戸肩衝「塞(こしじ)」。
でかくて無骨。お手をふれないように、とのことだったが、孤篷庵様が特権で(?)手にとって見てはったので、横からのぞいて全方向が拝めたのがよろしゅうございましたわ。見る向きで景色が違うのがよくわかったし。
茶杓が、同時代を生き、堺へ下る利休をともに見送った織部の作。銘「さかひ(逆樋か?)」
茶碗が、利休所持であった柿の蔕。
もう、これは激渋で、激渋で、、、なんぼ渋好みでもちょっと私の手にはおえませんわ。
実際に濃茶を点てられた茶碗が、これまた教科書的な正しい端反りの熊川ですてき。拝見する前に回収されてしまいましたが〜〜(-_-#)

(聚洸さん 「翠水」 美しく美味しい食べる宝石でありました)
でも意外や、一番印象深かったのは、ひからびた利休作の竹の蓋置。
少し壁面がカーブした,小さい、枯れて黒っぽく変色した蓋置。
おそらく利休が作って使った青竹の蓋置を、三斎は大事にもってかえったのだろう。挽家まで作って大事に大事にしたのだろう。師を尊敬し、その弟子であることを誇りに思いつつ。
これはなんだろう、、、見た目のひからび具合と、形見にと大事にするその心情は、赤子をもった親が大事にする「臍の緒」に通じるような気がするのですが。
最後に、濃茶をいただいた茶碗が細川家の現当主、細川護煕さん作の井戸茶碗であったのはツボであったわ。

最後に嵐山吉兆の点心をやっとこさいただいて帰路につきました。
青嵐の中、よきものをたくさん愛でられた1日であったこと。
皐月雑記2017 - 2017.06.01 Thu

ご近所の、バロン住友(住友春翠)のコレクションを擁する泉屋博古館。
この日はマルシェ・ミュゼ(博物館市)がひらかれているもよう。

お目当てはマルシェの二日間のみ、ここの中庭に出現する竹の茶室・帰庵。
大工さんが制作した、という竹だけで組み立てできる茶室。

おお、やってるやってる。

遠景。
なるほど。
シンプルだ。

しかし、躙り口はちゃんとある。

数寄屋っぽい屋根もあって、茶室の要素はちゃんと備えているんだな。

組み立てはほぞに突起をさしこんだだけのもの。
ばらすのも簡単。

私の時はひとりだけだったので、ゆったり楽しめた。
お点前さんはハワイ大学で昔お茶を習った、、、という外人さん。でも日本語ぺらぺら。
茶筅立ては普通突起に差し込むというのが一般的だが、ここでは穴に差し込む、という逆転の発想。大工さんはお茶を習ったことがないそうで、先入観がなかったのがよかったのね。ちなみに水指はキャンプ用のお鍋。
かつてこの茶室を持って、山の奥とか鴨川でお茶をしたこともあるそうな。
う〜〜ん、、、似たこと考える人、けっこういるのね。
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(2011 植物園大茶会 F太朗さん)

ちなみにこの日のお菓子は泉屋博古館内所蔵の三千年前の中国青銅器”虎卣(こゆう)”を模した塩芳軒の特製和三盆!!
この細かさを見よ!!(長さ4cm)
人間をだきかかえた虎の歯ときたら!ここまで再現したとは!
木型ではここまで細かくできないので、樹脂(だったかな?)をレーザーで彫って型を作ったんだそうな。

さて、今年の庭の梅。
今年は豊作みたいだ。

少し例年よりはやいが、そろそろぽろぽろ落下する実もあるので収穫。
数えたら158個、のちに木に残っていたのを2個発見したので合計160個!
毎年恒例の梅シロップをつくる。
材料は梅と氷砂糖とりんご酢(これが紅色なので、できたシロップもほんのり紅色)

数日で、これだけ水があがってきた。
梅が全部しわしわになったら完成。ジュースにしたりゼリーにしたり、一夏楽しむぞ。
(ちなみに梅酒は6〜7年物がまだ残っていて、、、、^_^;)

裏千家の茶名の一つ上の準教授の免状いただいた。
この上は教授だが、弟子もいないし、教授になることはないと思われるので、最後の免状。
茶名はもらってうれしかったが、準教授って中途半端であまり特典ってないよな。○交会の会費があがるだけかもよ。
まあ、お茶は免状に関係ないところで楽しませてもらっているので、それでいいのだけれど。

なに?
と思われた方、よ〜くみると蛍の灯が写っているんですがね(中央よりやや右下、,,,苦しい、、、)。スマホのカメラではこれが限界。
今年も蛍が見られる季節になった。
これは鴨川に平行して二条から北へ流れるせせらぎ川のほとり。ここは本当に蛍、多くて、目の前をす〜っと飛んでいったり、地面で点滅していたりするのもいて、しばし幻想的な景色を楽しむ。

そして蛍を眺めながら川のほとりでミニ茶会をする茶友Mちゃん。
最高!
そして京都に鴨川があってよかった、としみじみ思う。
交通量の多い道のすぐそばにこんな蛍の見られる景色があるのだもの。