山荘流茶事〜@陶々舎 - 2017.10.31 Tue
宇治木幡の松殿山荘がついに国の重要文化財指定をうけた。こちらには何回かお邪魔して、その十いくつもある意匠のそれぞれ異なる茶室や大広間、広大な庭園に圧倒された。むしろ指定が遅いくらいだと思った。(各方面の方々の努力のたまもの)
その松殿山荘を作り上げた大正期の数寄者高谷宗範の玄孫であり、山荘流の師範Yさんの山荘流茶事に「お点前の研究」(茶道44流派の所作の比較検討という厖大なお仕事)筆者の廣田さんにおつれいただいたのは昨年の5月であった。
その時はお点前の所作の違いに感心したり、珍しがったりがメインであったが、最近ではけっこう多くの流派に触れてきたので、少々の所作の違いには驚かなくなった。
その後Yさんと紫野遠州流(?正確な流派名はご本人も不明)のお友達を茶事にお招きしたり、せんだっての月釜でお手伝いいただいたり、ありがたい交流があって、ふたたび山荘流の茶事へお招きいただく。しかも場所は紫野の陶々舎。

ああ、久しぶりだわ、陶々舎。この灯りをみるとほっとする。
オリジナルメンバー解散後、新たなメンバーとなったお若いMさんの仕切りでほぼ夜咄みたいな感じになった。
高谷宗範はもともと遠州流(宗家か小堀遠州流かは私にはわからないが)を習得し、のちに山荘流を立ち上げるわけだが、内容はほとんどかわらないとのこと。お弟子さん達が理解しやすいように教えやすいように、教授の順番を変えたかった、ということらしい。
柄杓のサイズもことなれば、柄杓の持ち方も千家流と違うし遠州流ともちょっと違う。茶筅の握り方も違うし、一番違うのは帛紗の扱い、茶巾の扱い。最近遠州流を見る機会も多かったので、それほど違和感がない。
Yさんの悠揚迫らざるお点前運びはとても年令相当にみえず(師範だけれど、とてもお若いのよ)、まわりがいれるチャチャにもあわてずさわがず静かに切り返す精神力は、さすが宗範の血統かしらと感心しきり。濃茶の間は迫力におされてだれも言葉を発することがなかった。
裏千家はいちばんよけいなものをそぎ落としたシンプルな点前ゆえ比較的早く進むのだが、他の流派でもそうだが山荘流のお点前も省略がなく、ゆっくり時間をかけてすすむものと心得た。
順序は変則で、炭・濃茶の後、いったんブレークして鍋懐石(?)。
Mさんの鍋奉行ぶりがてきぱきとすばらしい。
ここで主客入り交じってほとんど楽しい飲み会と化すが、、、
はい、獺祭のスパークリングを持参して、さらに宴会の拍車をかけたのは私です(^_^;
しかし!みなさん、さすが茶人、しばらくしてさっと茶会モードへ切替。
最後の薄茶までたどりついた。
4流派いりまじった客組であったので、点前の所作の違いをお互いの流派に照らしてあれこれ解説しあうのはとても楽しかった。それぞれにロジックがあって、自流を別の面から見直すこともできる。遠州系では茶巾は毎回千鳥にたたむので、貴人点てのときに千鳥に四苦八苦している身には是非、これは習得したいものだと思う。
最後にご亭主にMさんが一服点てたが、いろんな流派ミックスのお点前で締めて面白かったヽ(≧∀≦)ノ
楽しんで楽しんで、家にたどりついたら午前様であったが、実はその後も酒盛りが夜明け近くまでつづいた、、、らしい(^_^; みんな元気やなあ。
Yさん、Mさん、御連客のみなさま、ありがとうございました。
国宝展・第II期〜京都国立博物館・龍光院天目など - 2017.10.29 Sun
なんと今年になってから、国宝の曜変天目を3つとも見てしまった。
藤田美術館のは近いこともあって、過去何回か見たことがある。
静嘉堂の稲葉曜変天目は、春の東博茶の湯展で間に合わなかったので、わざわざ静嘉堂まで追いかけて見た。
そして、いよいよめったに出されることのない龍光院天目にはじめてお目にかかる。

平日であったが、相変わらずの混み具合。
さすが!!今期のスターですな。
最前列で見るラインと後でもいいライン(あまり興味のない人用(^_^;)にわかれていたが、中には
「この行列何?」
「曜変天目です」
「よーへん???」
「お茶碗です」
「なんや茶碗か」
なんて会話も聞かれたりで、、、(^_^;
興味のない人にはおもしろくないわなあ。
中へ入るのに若干の行列。
まずは1Fの上記天目行列にGo!
確かに長い行列ではあったが、少しずつでも流れていたので、それほど苦になる長さではない。
静嘉堂のが華やかなビッグバンみたいな曜変なのに対して龍光院のは生まれたての星雲がまだガスに包まれて渦を巻いている、、、というそんな印象。特に底の方に宇宙の青ともいうべき光を宿していてもっとのぞき込みたかったが、チビなんで背伸びしても見えづらかったのが悲しい。もうちょっと低く展示してほしいわ。光の加減で微かにヒビかいくつも走っているのが残念であるが、それゆえに静嘉堂の完全ぶりがすごいと思う。しかし、日本人は完全より欠けたる侘びを好むので、龍光院の方が好きという人もいるだろう。藤田のはもすこし地味だが、コスミックブルーはやはり美しかった。
とりあえず3碗!みんな見たぞ!という満足感。
あとはゆっくり3Fからまた巡る。
II期だけの東大寺に伝わる「華厳五十五所絵巻」は善財童子が53箇所の善知識をたずねる様子(+文殊菩薩、普賢菩薩で55箇所)を描いたものだが、この善財君がかわいくて。現代の漫画と行っても通用するこの絵巻が平安時代に既に描かれていたなんて!
信貴山縁起絵巻はII期では尼公巻。一度は見た時に感心したが、大仏様の前で線描だけで描かれた尼公が時間と供に移動する様子を複数描くことであらわした技法は、漫画そのもの。
III期はいよいよ一番人気の剣の護法童子がでるぞ!
妙心寺の退蔵院にレプリカがかけられているところの「瓢鮎図」のオリジナルがここに。
狩野永徳の聚光院「花鳥図襖」は昨年ある期間だけ、聚光院に里帰りして公開してた物のうちの一枚と思われる。永徳に対抗していた長谷川派、等伯の息子、26才で夭折した久蔵の「桜図屏風」がならぶ。これは智積院で普段拝観できるので何度かみているが、胡粉をもりあげた桜の花が見事。次期には父等伯の久蔵を悼むがごとき松林図に再会できるはず。
今期限りの彦根屏風はいつみてもきれいで楽しい。当時のファッションのなんとすてきなこと。
墨蹟ではやはり空海と最澄のそろい踏みがすばらしい。空海の天才ぶりについてはいろいろなエピソードがあり、三筆の一人として知られる能書家でもあったが、書いては塗りつぶしたり、書き足したりしたメモ書きみたいなものもあって、その息づかいまで感じられる書が印象に残る。
ふたりが唐から持ち帰った教典や仏具の数々の請来目録を見ていると、当時の人の仏教への憧れや情熱を感じ取れて、1200年の時代を一気に越えたような気がする。
見終えた後、もう一度列に並んで龍光院天目を拝む。二度見がオススメよ。
さて、あわただしく2週間毎にIII期、IV期がくる。
目録を持ち帰りこれは初見、というやつをチェックして次回に備えるのであった。(気合いが違うでしょ?(^_^;、、、)
陽明文庫〜虎山荘・紅葉の茶会 - 2017.10.26 Thu
台風が来て、大雨が降って、でも茶人は行くのだ。雨が降っても槍が降っても(*^^)v
なにしろ相手は近衛家の名宝を擁する陽明文庫であるから。

陽明文庫はご存じ、近衞文麿が戦前に宇多野に建てた近衛家伝来古文書、典籍、記録、書状、古美術などおびただしい資料を保管している施設。
5年前、京博であった陽明文庫名宝展に行ったとき、あまりの古文書の多さにびっくりしたものだ。
敷地内の虎山荘は、そのお宝を展覧するための数寄屋造りの建物。
今回、ここで釜を掛けられるのが堀江宗蓬先生。今年3月孤篷庵で雛の茶会をされた遠州流の女流茶人であらせられる。
亡くなられた御夫君は古筆研究者であり書道史家の堀江知彦先生、古筆の鑑定家でもあり、箱に「知彦」と書いた軸をみたことがある。さらに我が敬愛する會津八一先生の書道のお弟子さんであったとか。
ご本人も負けてはいない。書道、茶道、華道、箏曲それぞれ一流の先生に師事され、号を持たれている多彩な文学博士なのだ。
寄付
こちらには陽明文庫所蔵の後陽成天皇宸筆の竹雀図。
第2寄付である三畳台目の小間には七回忌をむかえられる遠州茶道宗家の先代・宗慶さんの遺影が飾られ花が手向けられていた。堀江先生は茶道をはじめたときからずっと宗慶さんに師事しておられたのだ。こちらにも陽明文庫の後西天皇宸筆狂歌詠草。この中回しの裂が小袖の裂のようでとても美しかった。
奥座敷は遠州茶道宗家・小堀宗実家元による濃茶席。
なんと!国宝がかかってましたよ(;゜0゜)
後鳥羽上皇宸筆熊野懐紙。(もちろん陽成文庫所蔵)1201年に書かれたことがはっきりしているもので、深山紅葉、海辺冬月をうたったもの。
そしてその前には、、、重文の砧青磁「千声」が!(国宝の「万聲」はただ今京博にいてます)これにシランをいけていたが、花を実際にいけて床の間に飾ってある様子をみるのは初めてだ。なんとまあ贅沢なこと。万聲に比べると一回り小さく、釉薬の貫入もけっこうみられるが、四畳半くらいの部屋ではこのサイズがふさわしい感じ。
一席の人数が多かったので、床の間の横の付け書院の裏にすわることとなったが、お茶を飲むには不便な場所ながら、目の前、息がかかるくらいの至近距離で蒔絵伽羅箱「物かは」をじっくり拝見できることになったのはかえってありがたかった。足利義政所持といわれる小箱で、脇の金具が葦手で「物」「かは」の文字になっているところまで、はっきり見えた。
(「待つ宵に ふけゆく鐘の聲聞けば あかぬわかれの 鳥はものかは (小侍従)」
写真は主菓子で亀末廣製、銘を「面影」
中の餡が大徳納豆風味で、これ普通の餡より好きかも。お家元がお父上の宗慶宗匠を偲んで面影とおつけになった。
広間での薄茶席は堀江先生と孤篷庵ご住職小堀亮敬和尚の席。
まずは書院の床の間に飾られた春日鹿曼荼羅(重文・陽明文庫)に打たれる。鹿島明神を春日大社に勧請した時の鞍に榊の木をのせる白い鹿の曼荼羅はよく見るが、これはそのなかでも最古のものなのだそうだ。春日大社は藤原家の社であり、近衛家はその藤原家の宗家的存在だからね。
さらにその前に、東大寺転害門古材(天平時代)の花器に生けられた大きな紅葉した楓の枝の迫力にもおどろかされる。そう言えば雛の茶会の時にも、床の間に奄美大島から取り寄せたという枝垂れ桜が天井から降り注ぐように青竹にいれられていたっけ。さすが、華道も極められただけある。
しかもそのオチが「鹿(鹿島明神)といえば紅葉でしょ?」なので、思わずガッテンガッテン!
風炉がペルシャの香炉だそうで、まわりぐるりにアラビア語で恋の歌が書かれているのだそうだ。
主茶碗が井戸脇「さとり」。御本の入ったとても優しい感じの茶碗であった。点出の茶碗はそれぞれ違って、先生が亡き御夫君といっしょに旅をされた世界各国の器。イギリスあり、スペインあり、トルコあり、ちなみに私のはアメリカのボウルであった。一見唐三彩にもみえるものであった。
煙草盆はパリで求めたアンティークの箱で、内側にインド古代裂を貼った物。堀江先生のお道具はいつもダイナミックで楽しい。お話しも楽しい。
点心を中座敷でいただいたあと、お待ちかね、陽明文庫の中へ。
(あ、手前の傘を畳んで折られるのがお家元です(^_^;)
ここでは荷物をおいて、マスクをして、20分だけの時間限定で入庫できる。湿気がはいらぬよう、ドアも半開きという徹底ぶり。
館長の名和修先生の解説の語りがまた洒脱。
名宝展でも見た国宝・御堂関白記(中宮彰子が親王を出産の場面とか)、同じく国宝倭漢抄、小倉色紙も!
でもでも、一番のお目当てはこれだ!
近衞家煕公(予楽院)遺愛の茶杓箪笥!名宝展ではガラス越しであったが、ここでは目の前で見ることができる上、31本をまるっと全部共筒といっしょに展示(うち1本、後西天皇のは茶室に)。
後西天皇宸作、利休、紹鷗、光悦、織部、宗旦、瀬田掃部、佐久間将監、金森宗和、細川幽斎、三斎、、、なんとため息のラインナップである。
これで心の中では台風も土砂降りもぶっとんだヽ(≧∀≦)ノ
帰りに記念品にといただいたのが、堀江先生と茶道との関わり、特に小堀宗慶宗匠との出会いとエピソード、幼少期からの家庭のエピソード、ここ数年に催された茶会の美しい写真集でもある「茶艶」という書籍である。
面白くていただいてすぐ全部読んでしまった。お茶との向き合い方の真摯さ、御夫君の深慮、広い方面でのお茶の交友、そして特に感動したご家庭での母上のすばらしい子育ての姿勢、先生のお茶はだからダイナミックでインテリジェンスに富み、グローバルで(うわ〜外来語の羅列、、、)おもしろいのだな、とその秘密を垣間見た,,,気がする。
黄檗山萬福寺〜月見の煎茶会2017 - 2017.10.24 Tue
今年も宇治は黄檗山萬福寺、月見の煎茶会です。

しかし、ここも雨。
月見どころではない天気が続きます。
やはり雨のせいか例年よりお客様は少ないようです。
煎茶席は6席で、券1枚につき3席入れるので、どこに入るか毎年思案するのも楽しみ。
まずは弥勒菩薩の化身であるところの布袋様にご挨拶して。
例年は境内の屋外で、テントをはったり、幕を張り巡らせたりいろんな室礼があるのですが、今年はすべて室内だなあ、、、と思っていたら、この雨、先見の明があったというべきでしょうか。
法堂の左右に東方丈と西方丈。
まずは東方丈の二條流の席から。
萬福寺は黄檗宗の総本山、開山は中国・明からおいでになったかの有名な隠元禅師であります。よって建築はすべて中国風、この卍くずしの紋様も異国風。黄檗声明もどことなく異国的なのであります。
何回か書いていますが、煎茶は流派はゆうに200をこえるといわれるので、客の方は作法あってなきがごとし、うちの流派ではこうです、、、でおしとおせる(かな???)
点前の所作も千差万別、だからもっぱら室礼を楽しみに行く、というか。
俵屋吉富さんの月にウサギの薯蕷は、雨で見えない満月の代わりに。
気になったのがこの畳のへりの紋様。黄檗宗独特のものなのかしら?
私が学んだ(ちょっとだけ)流派はお茶が数滴しかないのだけれど、二條流ではそこそこありましたし、お菓子も一煎目と二煎目の間にいただけばよいのでした。(習った流派は二煎のあと、白湯の前)
この萬福寺の景色で好きなのがこの吊り灯籠なのです。
まだそれほど暗くはないので、こんな感じですが。
雨の境内を眺めて語らうお客様。
なんだか絵になる。
長い回廊もさすがにこの雨では人影も少なく。

食事や法要の時間を告げる大きな雲梆(うんぱん)。
そのお向かいに萬福寺のシンボルともいうべき魚の形の開梆(かいぱん)。木魚の原型ともいわれます。口から吐き出しているのはたたかれるたびに煩悩がでていく、、ということから煩悩玉とよばれているのだそうですよ。煩悩玉ねえ、、、すてきなネーミング(^_^;
次いで入ったのが五雲居の黄檗売茶流の立礼席。ここにはいるのは初めて。
琴がおいてあるのに驚きましたが、なんと、お点前の途中から奏者が奏で始めたではありませんか。それも伝統的な和の曲ではなく、むしろギターとかピアノとかに合いそうな曲で美しく、着物ではなくオーガンジーの長衣をまとった女性の点前に実によく似合っていました。
こちらも独特の大きな器で。(いろんな点前の種類はあると思いますが、ここでのこの流派はいつもこの大きな茶碗のような気がする)
テーブルもスタイリッシュですね。
点茶盤もモダンで素敵。衣裳といい、ここの席主さんはなかなかおしゃれな方のようです。
最後に双鶴亭の瑞芽庵流の席をとっておいたのですが、予定より早く始まったらしく入れません。次の席まで待つ時間がなくて、お菓子を頂戴し、お席だけちらっとみて帰りました。
待合。
瑞芽庵流は初めてで、お点前見られなかったのが少々残念です。
室礼はお月見で。
雨で見えない月に思いをよせて。
前席終了後にちらっと撮影だけしたのがこれです。
さて、日もいよいよ暮れて、18時から本堂で献茶式法要が始まるようです。ここで黄檗声明がたっぷり聞けるのですが、今年はちょっと所用有っておつきあいできず、後ろ髪引かれながら後にしました。
そのころ吊り灯籠の景色は最高に美しくなるのです。
この宙に浮かんだランタンのようにみえる幻想的な景色を最後に見て、萬福寺を辞しました。
来年は月が見られるといいね。
金毛茶会〜高台寺 - 2017.10.22 Sun
今年の10月はすかっと晴れた日があまりなくて、しょぼしょぼ雨の日ばかり。
この日もお茶会だというのに朝からしとしと、しとしと、、、

場所は高台寺。
洛陽ライオンズ倶楽部の毎年一回の茶会である。
金毛=獅子=ライオンだもんね〜。
数年前から老松の、、というより弘道館の太田先生が担当されることになり、昨年は渉成園だったかな。昨年は行けなかったので、今年は是非に。
本席が混み合っていたので、まずは香席から。
志野流の組香である。
30人以上席入りしてどうやって聞香、組香をするのか疑問であったが、そこはプロですわ。最初の10客のみ、重硯を用い、席中で出香し、書記が記録を書いていくのだが、残りは10名ずつ区切って、言わば水屋からの点出のように出香される。なので採点も10名ずつ。
(ちょっと色づいてきた山)
今回は菊合香。
秋風と白菊という香を混ぜて聞いて、4回でる香をあてるもの。茶歌舞伎と同じ、というか、茶歌舞伎が香道をまねしているんだとおもうけれど(^_^;
秋風の 吹上にたてる 白菊は
花かあらぬかなみのよするか (古今集 道真)
で、4種のうち2種しかあたらないのも茶歌舞伎と同じ、連敗記録更新中の私である。
全部当てた方もおられて、さすがやな〜っと。
香名をあてるだけでなく、古今集、せいぜい新古今までの歌を雅にめでるのもお約束。香道の道具もチマチマして、そのくせりっぱな蒔絵まであって、すてきだな。
本堂に帰って本席へ参席。
お堂前の白砂の紋様は、、、、プリン型を連想したのは私だけだろうか?(^_^;
席主の太田さんがあれこれ席入りの面倒もみてはったので、是非1枚!とお声がけしたらこんな風にちょっとおどけてみえました(^∇^)
席もお人柄そのもの、すごいお道具の間にくすっと笑えるユーモアをまぜこんで。ここらへんは弘道館のお茶会でこちらも慣れている。
本床に細川三斎の白菊の文(森鴎外「興津弥五右衛門の遺書」はこの名香白菊にまつわる物語)が掛かったその横に、卵かけご飯(食サンだと思うけど、、、)があったり、お茶碗は「いろいろ百味のちゃわん」と銘うって、高麗のとなりに現代作家の漫画ちっくな茶碗が並んだり、一時が万事、この調子。
台子も透明樹脂製であったな。
高台院様のお寺だから、秀吉さんをしのんで、風炉先に天正15年10月(北野大茶会のあったとき)北野天満宮古材も。
一番笑ったのが、(もうクスッと笑うレベルでなくて)水次!
太田先生が「はい!みなさん水次がでましたよ、注目!」
ロバの形の水次で、口から水がでるのだろうな、、、、と思っていたら、、、!!
あにはからんや!ロバの鼻からジャバジャバと水が!
うわ〜やられた!一堂大爆笑。これはどうも本来は如雨露だったようだ。私的には今回これが一番のご馳走。
(吉野太夫ゆかりの遺香庵)
もうひとつの今回の金毛茶会の目玉が、重文の傘亭・時雨亭の傘亭内でのお白湯席である。
雨の中、急な階段をかなり登らないといけない。
けれど雨でいっそう美しい苔庭と色づきはじめた木々の葉をながめるのはなんと清々する気持ちだろう。
桜の木の色づきが一番早い。
傘亭には「茶くれん席」と書かれてあり、ここでもクスッと。(北野天満宮ちかくに「湯だく山(さん)茶くれん寺」っていうのがほんとうにある)
たしかにここではお茶はでませぬ。
見上げるその名の由来の傘の骨組みのような天井。
実はわたし、6年前の夏に一度この中でお茶をいただいたことがある。ちょうど東北大震災のチャリティーで、ここを公開しはったのだった。
お白湯をいただきながら傘亭の説明を拝聴。
伏見城の遺構で利休デザインとか言われるが、確証はないのだ。ただこの一段下がったところが船着き場になって、、、
このはね上げ戸を開けて中にはいり、お茶を楽しんだという。
ねねさんと秀吉さんの楽しい語らいを想像する場所でもある。
扁額の「安閑窟」は当時の先進国であった、朝鮮から来た人が書いた物だろうといわれている。
さて、最後に礼拝聴聞室「利生堂」にて呈茶。
この建物は今年はじめに落慶法要があったばかりの新しい建物。
壁のぐるりにに南北朝の涅槃図をデジタルで再現したという、、、まあ、当世の建物だな。
お呈茶をきびきびとこなしておられたのは、中村宗哲さん、諏訪蘇山さんのご姉妹。作品の展示も。
しかし、、、、このエアコンの擬態には萌えた!
たっぷり楽しめた茶会の余韻をひきずって高台寺の門をでれば、目の前に八坂の塔。
茶会も含めて、これぞ京都だなあ、、、、。
信楽の古民家を手に入れた陶芸家〜ペンと古民家 - 2017.10.20 Fri
うちから車で約1時間、信楽は朝宮地区はお茶の産地としても有名。

雨に煙る茶畑の畝が美しい。
そんな景色が見えるお屋敷古民家をサラリーマン陶芸家こと平金昌人さんが手に入れはった。以前から自分で築いていた窯場の近くに半年ほど前に。
彼は石州流の茶人でもあり、自ら茶陶を作陶もすればお点前もされる。
おお!これがそのうわさの古民家!
もともと土地の分限者のお屋敷だったそうで、14もの部屋がある。
もちろん入手当時は荒れに荒れて雨漏りもして根太も傷んでいたそうだ。そこを、一部大工さんの手をかりながらも自ら床を張ったり、漆喰の壁を塗ったりして改修中。完成にはまだ遠いらしいが、楽しみながらやっているらしい。
(一応(^_^;)サラリーマンなので、ここにおられるのは週末だけなのだが、茶縁や彼のお人柄に惹かれて週末訪れる人はあとをたたないとか。
ワタクシも訪ねてみたいと思っていたが、このたびここで「ペンと古民家」と銘打って書家の奥田先生(若くてきれいな先生)と古民家ライフ(?)コラボのイベントをたちあげはったので、一目散に。
平行して緩和ケアネットワークの集会所も立ち上げ予定でその名前が「はなぐみ集会所」。
なんだか土地の人にはあやしい新興宗教?と疑われているとかいないとか(^_^;
緩和ケアは、今年最愛の妹さんをなくされた悲しい経験からきたものと聞いた。
母屋、座敷前の庭もかなり手入れをされたもよう。以前は野生の鹿の集会所だったとか。
雑草取りの時にはヒルに吸い付かれるというご苦労もあったようだ。
庭石にえ?っとビックリするような巨石もあって、やはり分限者のお屋敷だったのだな、と。
高い上がりかまちの玄関は二間以上?
玄関の間から玄関を振り返る。
玄関の間からして四畳半以上ありそうだった。(カウントしていないが)
ここにギャラリーコーナーを設け、平金作品を展示。
玄関の間の建具がまたいい!
ちなみに彼はとにかく井戸茶碗が大好き。(私も一碗所蔵してる)電気窯から初めて現在は2号の穴窯を近所に鋭意作成中。薪での窯になって、作品の意図しない変化が面白いと以前言っておられた。
玄関の間から上がった広い座敷からは正面に茶畑が見える。
座敷の土壁は、かつて床の間が物置になっていたときの傷がいっぱいついているが、むしろそれがスサみたいでいい景色になっている。
この広間の上につけた照明カバーは,地震や火事になったらこれだけ持って逃げる!という時代物。非売品をあの手この手で攻略してようやくゲットしたものだそうだ。暗くて見えないがこの下に房がついていて、たしかに惚れるのもわかるよいものだった。
広間に続く次の間はフローリングだがこれもご自分で張られたもの。舞良戸の押し入れがすてき。
どこにあるのかわからないくらい上手にかくしたスピーカーから低くながれるジャズ系のBGMが雰囲気にぴったりだ。
どこをとっても絵になる。(この照明はいいね!)
台所に続く食堂だったとおぼしき小間。その向こうは裏山になる。
裏庭には、いまでも鹿が通り過ぎたりするそうだ。
柿が色づいていた。
まずは懐石をいただけるようだ♪
大工さんに一枚板をカットして作ってもらったという折敷がいいな。
台所にある食器棚も手作りっぽい。
彼のコレクション、主に古伊万里が多いのだが、ご自分の作品が土物なので、磁器の古伊万里のように白くてきれいなものが反対に欲しくなるのだと。なので向付は古伊万里。
飯碗がなんと平金井戸でありました。まさしく茶碗!
朝宮地区のお米に滋賀県特産赤コンニャクの汁、鯉の洗い。ご飯は二碗目から栗ご飯でとってもうれしい!
古伊万里に厚焼き卵。庭を背景にするととてもきれいな景色になるので、しばし皆様撮影タイム(^_^;
煮物椀はこの地区の神社のお祭りの撤饌であるところの小餅入り。
平金さんはすでにこの神社の氏子として、地域の所帯主(男性のみ)の集まりにすでにデビューされている。ここを終の棲家とするにあたって、地域を愛し、溶け込む姿勢はほんとうに大事だし、うらやましくさえある。
懐石のあとはお菓子をいただいて、抹茶を一服よばれる。満ち足りた時間。
このあと、本来の目的の「ペンと、、、」を忘れて(^_^;まだほとんど手つかずの二階部分を探索。
土ひねりをしている土間では主に五輪塔を制作。プロの陶芸家なら,売れる物を焼くが、そうでない自分はかえって好きな物が焼けるので、来年早々に予定している穴窯二号機の最初の窯炊きのときにこの五輪塔をいっぱい詰めたいとおっしゃっていた。供養のお気持ちもこめてかな。
作業場のガラス建具が昭和で懐かしい、、、実家にもあったわ、こんなの。
現在使用してはいないが、昭和の遺構として是非残してほしい風呂。このタイルがなあ、、これも懐かしいのよ。
二階の使用人部屋であったとおぼしき部屋や奥座敷であったろうりっぱな床柱の座敷は傷みがひどくて、まだまだ改修に手がかかりそうだが、ここはこんなことに使いたい、そこはこうできるのでは、と他人の家にもかかわらず、つぎつぎイマジネーションがわいてきて困った(´・ω・`) 。
維持管理は大変だと思うが、どれだけ遊べるのだろうとわくわくする空間である。
そしてやっとみんなの興奮がおさまったころ、本日のイベント、「ペンと珈琲」主宰の奥田先生のペンと古民家。
芳名録、色紙、柿渋紙、半紙など好きな用紙に好きな言葉を書いていく。書く道具も筆、筆ペン、ガラスペン、などなど。
私は数年前ベネチアで買ったままほうりっぱなしだったガラスペンを持ってきた。
下書きの半紙に向かうと、、、はてさて、一体何を書いた物やら、、、
先生は心にうかんだどんな言葉でも、お手本としてもってきた南方録の一節でも、と。
う〜ん、こんなに自由な「習字」は初めてだ。自由に書け、といわれるとかえって何を書いていいのかワカラナイ。
悩んで、英語の歌の歌詞を書いてみたり、南方録を抜き書きしてみたり、なぜか心に浮かんだ明恵上人の歌を書いてみたり、西行の歌を書いてみたり、、、
これって不思議な時間だった。
自分の内面を垣間見たような気がする。自分の心と向き合うことがはからずもできた時間。
かくてこの場所に惹起された深層心理の中からうかびあがった万葉集の狭野弟上娘子の歌を、柿渋紙に書くことにする。
「君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼ほろぼさむ 天(あめ)の火もがも」
この激しさが好きだ。いくつになっても。
苦しんでいる最中に差し入れられる朝宮茶ロールと珈琲。これも古伊万里。ありがたし。
かくて皆様の作品完成!
これに布や和紙にのせて軸のようにすることができるというご提案もあり、小学校以来大嫌いだった「習字」をかくも楽しくこなせることがうれしかったのである。
これにて古民家をおいとましたが、平金さんはよき場所を見つけられた。そしてご縁のある方に開放してくださるありがたさ。これからますますいいものを作ってそしてお茶も楽しんでください。
今度はミニ五輪塔をつくりに行きたいなあ〜。
島原角屋〜秋期鑑賞会 - 2017.10.17 Tue
ご存じ、唯一島原に残る揚屋(料亭のようなもの、ちなみに輪違屋は置屋)建築の雄、角屋である。

なんとど迫力な総二階総格子!
400年の伝統に圧倒されるわ。
しかし、こんな夜の時間にこのあたりに来たのは初めてである。
今宵は秋の鑑賞会、太夫の舞と呈茶、一般公開の時には見る事ができなかった二階(これがまたすごいのだ)のガイド付き観賞。
もちろん現在は揚屋としての営業はなく、重要文化財として「角屋もてなしの文化美術館」となっているが、夜、格子の向こうに灯りがはいるとなんだか艶めいてみえるではないか。
まずは一階の大広間・松の間にて太夫の舞を観賞。
この扇の形の屏風留め、ちょっと萌える。
髪は島田髷、総重量いくらになるか見当も付かない簪、笄、櫛。
帯は前に「心」の字結び。蝋燭ではないが、夜にみるとなまめかしさアップだ。
舞は「茶音頭」
舞の中でお茶を点てる所作をするのだが、ちゃんと帛紗もつけて帛紗さばきもする。これが裏千家なのだ。島原は藪内と聞いていたがな。
ちなみに舞は角屋では京舞・篠塚流が仕切っている。
ここで舞を披露する人は、江戸初期に島原で活躍した流派の八千代太夫にあやかってその名をなのるのだそうだ。(だからこの方はほんとうの太夫さんではないと思う)
しかしまあ、絢爛豪華な衣裳。
舞妓さんなどとはまた違う華やかさ。ちなみに島原の太夫は当時の客筋、公家や皇族のもてなしもできる正五位の位をもっていたという。
松の間の前の臥龍の松。三代目らしい。
その奥に茶室あり。(ここだけはなかなかのぞけないらしい)
手前の茶室が曲木亭、その裏に藪内の清隠斎があるはず。
かつての揚屋建築にはかならず茶室がついていたのだそうだ。ここに集ったのは与謝蕪村などの当時の文化人たち。
松の間の床の間には岸駒の寒山拾得図。
ここも意匠がこらされた部屋なのだが、初めて二階へいって、こんなもんどころではない!とビックリしたのだ。残念ながら撮影はできなかったが。
(松の間の脇床の意匠)
襖が緞子張り(蝋燭の煤で真っ黒だが)の緞子の間、だまし絵みたいに御簾の襖絵に囲まれ一箇所だけほんものの御簾のかかる御簾の間(落掛が紫檀の曲木という贅沢さ!床の間の天井がカーブをえがいているのも斬新)、天井に扇面をちらした扇の間、天井、障子が檜垣紋でしかも障子の桟が削りだした曲線になっているのが印象的な檜垣の間、、、などいずれも夜見るのでさらに当時の雰囲気をよく再現していると思う。
(引き手はどこも蔦紋。角屋の紋が蔓三蔦紋)
中でも一番すごいな、と思ったのが青貝の間。
黒い漆喰(もとは浅葱色だったそうだが)にはめ込まれた吉祥紋の螺鈿、黒い漆塗の建具にもはめこまれる螺鈿。部屋の向きは南からの陽光をうけてさらに螺鈿が輝く設計だが、むしろ燈下にきらめく様の方が、妖しくて美しいかも知れない。対して天井は煤けた筵状、このコントラストがまたすばらしい。
二階は予約で見ることができるそうなので、百聞は一見にしかず、是非見に行ってほしいわ。
さて、二十八畳の網代の間でお呈茶。
お運びしてくれるのは袖につけた鈴の音も清々しく麗しい禿さんたち。
お隣に司太夫さんがお客さんとして来てはったので(もちろん普通のお着物姿)、太夫さんたちのお茶の流儀についてちょっとお伺いする。
呈茶は表千家。茶音頭の裏千家と、流儀の藪内と、呈茶の表千家が仲良くミックス(^_^;
お運びの禿さん。
これがその袖につけて,歩くたびにしゃらしゃら鳴る鈴。
だれがこんなカワイイ仕掛けを考えたのだろうね。
終了後は一階の調理場、配膳場、帳場などを見てまわる。
なにしろ料亭という扱いなので、料理や配膳は大切な仕事だったのだ。
こちらは3年前に撮った一般公開の時の写真がたくさんあるので、かるく撮影。
家紋・蔓三蔦紋の透かしのはいった衝立。
ここがかつて使用人にあふれ活気に満ちていた時代を想像する。
この蔓三蔦の暖簾は使用人の入り口に置かれた物、なぜか向こうの壁の上に広隆寺の牛祭のお面が、、??
来客用玄関の景色を楽しみながら、これにて夜の角屋においとましよう。
国宝展・第I期〜京都国立博物館 - 2017.10.15 Sun
中に入るのに行列とか、中も黒山のひとだかりとか、いろいろ聞いててびびっていたのだが、、、、

平日朝、雨のおかげか、中へ入るには待ち時間ゼロであった京都国立博物館・国宝展。
それでも中はけっこうごったがえす。全部が国宝だもんな〜、、、
一番人気は二階の雪舟コーナー。
入場したら(最初の展示室の)3F、2Fはとばして一番に1Fの陶磁コーナーへ。ここまでくると人混みも少しは緩和される。
まずは志野の「卯花牆」、数年前東京の三井記念美術館で見たやつ〜♪
吉州窯玳皮天目、相国寺蔵、不昧公が一時所蔵、これは本ではよく見るが、実物ははじめて。内側のなんともいえない複雑微妙な色あいがすばらしい。
砧青磁花入「萬聲」、東洋陶磁で「千聲」と今回もでている飛青磁花入の三つそろい踏みをみた〜♪
やっぱりでかい、、、というか存在感ありすぎ。これにつりあう花があるのだろうか。
、、、、というと、一回か二回見ているものがかなりあるわけだ。
しかしそこはまあ、一堂に会する、というところに価値があるのだわ(きっと)
ここまで茶の湯関係のものをさっさと見たので、あとは余裕で(?)見ていく。
中宮寺の天寿国繍帳の実物ははじめてかもしれない。これのオリジナルはかなり大きな天幕のようなものだったといわれ、使われた糸や染料、紋様の断片を分析してCGで復元するというNHKの番組があったが、あれはすごかった。これ一枚で天寿国という宇宙がひろがる。
獅子狩紋錦のオリジナルも初めて見たぞ。仕覆によく使われるアレのオリジナル、法隆寺蔵。あの円形の紋様が実は大きくて、直径40cmくらいあるとは知らなかった。狩人はペルシャ系の顔、狩られる獅子もはっきり。よくこれだけ錦が残ったものだと感心する。
信貴山縁起絵巻・山崎長者巻も昨年奈良国立博物館で見た〜♪
三期全部見てやっと全巻見られる仕組みがなんとも(^_^;
平安鎌倉初期の「病草子」は当時の庶民の姿をよく写しているというが、歯槽膿漏とか、二形(ふたなり、androgynus、半陰陽)とか、まあ、考えればあたりまえだが、この時代からあったのだなあ。
千代姫(家光長女)三歳の時に作られた有名な初音の調度も、どこかで見たとおもうのだが、これだけ全パーツ、そろってみたのははじめてかも。徳川幕府の威信をかけた蒔絵の最高峰やもんね〜。でも実際にこれ、使われたのだろうか?ほとんど傷みないし。
国宝展のトップを飾る№1にあてられたのは、かくもうるわしい薬師寺「吉祥天像」。この絵は中学のとき愛読していた「少年少女世界文学全集・日本編」の表紙であって、印象深い絵画、ここで本物にお目にかかれるとは感激。
国宝指定第1号、平安時代の「普賢菩薩像」。
あやうく廃仏毀釈で海外にうっぱらわれる所を救われ、国宝第一号となったのだそうだ。普賢菩薩の白い肌と白象の白い肌は呼応し、天から降る宝相華が美しい、たしかに心に残る仏画だ。
先だって根津で、「ほとけを支える」展で、仏像が足の下にしくものにスポットライトをあてた展示をみたばかりで、どうしても足元に目が行くようになってしまった。だからよけいに面白い。
宗達、光琳、抱一のそろい踏みを最近みたところの「風神雷神(宗達)」もでてたが、これは他の絵画も見事なので、ちょっとうもれがち。
さて、人だかりの雪舟コーナーへ突入。
これも最近「禅」展で見た、「慧可断臂図」に再会。達磨の弟子になるために腕を切ってその覚悟をしめしたのが題材。
その中でも一番人気はやはり記念切手の図柄にもなった「冬山水図」。真ん中に縦に走る線が途中で消えていく、、、これは一体何なのだろう、、、と中学の頃から思っていた。巨岩壁の輪郭だと聞いてもなお、不可思議な線に魅力を覚える。ただものではない、雪舟。(ちなみに郷里は同郷なのよん。備前)
先日担い茶屋を北野天満宮で復活使用された太田先生が、この絵を見て担い茶屋の使い方を研究をしたという狩野秀頼「高雄観楓図屏風」。室町桃山の風俗が描かれている中、確かに担い茶屋でお湯を茶碗にそそいでいる男がいるわ。
あと教科書によくでてくる僧形八幡の座像とか、茶道検定によくでてくる「板渡しの墨蹟(無準師範)」とか古林清茂の「月林・道号」とか、これもあれも、あれもこれも、見て感動で、、、見過ぎて若干げっぷでそう、、、、(^_^;
全部でIV期にわたり、それぞれにその期しかでない物もあって、やっぱり全期通しでいかなあかんかな。とりあえずII期の龍光院曜変天目は見んとな。
体力つけとかな。特に天目はきっと大勢がおしかけると思うんだ。
で、全期はいってる3000円のぶっとい厚い図録を買ってしまったという、、、、
このあとこれをぶらさげて買い物に行くのはしんどかったよ。でもお家で確かめながら楽しめるのでやはり欲しい。
大覚寺舟遊び茶会 - 2017.10.11 Wed
奥嵯峨・嵯峨院ゆかりの大覚寺、大沢池の畔に立つ茶席望雲亭に最初に案内してもらったのは今年3月だった。かのときは梅の花がまだ咲いていて、池の蓮はみごとな枯れ蓮であった。

建物に手を入れ、露地も改修し、ありとあらゆるお茶のための設備が充実していながら、本格的な茶会に使われることのなかった望雲亭に、最初の茶会の足跡を残せたのは、いろいろなご縁のたまもの。
いまふりかえれば夢のような1日で、この貴重な体験とご縁に感謝せずにはおれない。
少しでも記録に残しておきたく、本日は画像の量が少し多いがご容赦を。
前日に掃除と仕込みに水屋有志と訪れたときの大沢池と舟。
数日前に観月祭の舟をだしたばかりなので、その内装をそのままひきつぐ。
さすがに竜頭はないなあ、、と思っていたら、、、
玄関先に、、、(^_^;
結局薄茶席の亭主を丸投げしたF太朗君が、使いたいとのことで当日船首につけましたよ〜。
これは濃茶席に使う予定の二畳向切+二畳相伴席。
船底天井なのでほんとうの舟(薄茶席)に乗る前に、舟に見立てた茶室という室礼にしよう。
障子を開けたとき、眼前にひろがる大沢池は、建具に切り取られて見るとさらに感動的な景色だ。
さあ!茶会の始まり!
水屋一同(若いお茶友さんたち有志)総勢12人で50余名、計5席のお客様をおむかえする。
広間は待合にしてお菓子をめしあがっていただく。
せんだって東京・太田記念美術館で見た月岡芳年、月にまつわる名場面100枚を描いた「月百姿」のうちの一、「法輪寺〜横笛」の浮世絵を飾る。(横笛は平家物語の滝口入道との悲恋の相手)
なにしろ大沢池は嵯峨院が月見のためだけに1200年前に作った人工の池、月がなければはじまらないのだ。ちなみに大沢池だけは当時とほぼその姿がかわらないのだそうだ。
そして、舟板にのった全日根さんの陶俑にもたせたのが、、、、百人一首藤原公任
「滝の音はたえてひさしくなりぬれど なこそながれてなお聞こえけれ」
大沢池畔にある名古曽の滝、この一枚をどうしても使いたくて。短冊にするとこの広い床の間に負けるので、苦肉の策(^_^;
めしあがっていただく主菓子は「水面の月」愛信堂さん特注。
鉢は高麗の三島。
からすうりと萩の蒔絵盆にものせて。
水面に映った月がさざ波に光の粉をまきちらしている、、、というような風景。
舟の中、という設定なので、風炉釜は小さく、モバイル釜、、、こと時代のミニミニ万代屋釜。
脇山さとみさんの水指と大きさがいい勝負。
やっぱり舟なので、香合は櫂。
実は岩渕祐二さんにおねがいして2日前に届いたばかりの特注品。
皆様、興味しんしんの香収納部はこのようになっております(^_^)b
久野輝幸さんの茶杓・波シリーズに「波心」と銘をつけて、自分で和紙を貼った。
出典は白楽天「月点波心一顆珠」(月が波にあたってひとつぶの珠のようだ)、主菓子に響き合う銘になった。(ちなみに白楽天のこの詩は桂離宮月波楼の出典でもある)
タイムスケジュールは比較的ゆったり。
広くて使い勝手のよい水屋の窓から大沢池の景色を楽しめる。
薄茶席担当組は打ち合わせ中。
今回は舟とだけ告げてあとは丸投げ。
F太朗君ならきっと素敵な使い方をするだろうと信じてるから。
舟に竜頭を取り付け中。
濃茶を終えられたお客様は、大沢池側の障子をあけはなって(ここが見せ場!)、露地から舟にのりこんでいただく。
3月には枯れ蓮だったけしきが一転、蓮の葉の林をいく舟。
ゆったりと進む、、、、眺めるだけでもすてきだ。
薄茶もおわり帰路にむかう舟とお客様、、、、すると!!
大覚寺本堂近くの桟橋から謡の声が朗々と水面を渡る。
鼓の冴えた音に奥嵯峨の山がこだまを返す。
この日能のパフォーマンスをお願いしていた陶々舎つながりの能ユニット「田○田(たぼた)」のお二人だ。
これ、もう最高の贅沢、いにしえの貴賓にでもなった心地だろう。
さて、水屋は各席二人ずつ、薄茶席の舟にご相伴、私も同席させていただく。
蓮の林を行く。
まあ、なんとすがすがしく美しい風景だろう。
F太朗君の雨男ぶりだけが心配だったのだが(^_^;、すばらしい晴天に恵まれた時点でもう8割方、茶会は成功したようなもの。
お客様もみなさん、はしゃいでおられた。
さて、迎えまする薄茶の亭主・F太朗君は本日、嵯峨天皇に梵釈寺で初めて呈茶をした、という永忠和尚のいでたちにて。
干菓子はこれも愛信堂さんが「唐菓子(からくだもの・中国から渡ってきた菓子の原型)」のお題で作ってくださったもの。
粉熱(ふずく:豆の粉と棗、栗、くるみ、蜂蜜(当時は甘葛)などを練って作った唐菓子)
まがひ(小麦粉を練って揚げたもの)
きっと嵯峨天皇もこんな唐菓子を楽しまれた事だろう。
舟に火気持ち込み禁止なので、お湯をもちこみ四頭形式で。
浄瓶(じんびん)にみたてた水注。
あらかじめ茶碗をくばり、茶をすくい入れ、お湯を注ぐ間、客はずっと茶碗をもっている。
このように手に持ったまま点ててもらう。
ちなみにこの茶碗の載る麻の帛紗(?)、F太朗君がよなべして?作った手作り。
お茶をいただき、空と水の景色を楽しみ、流れてくる謡いに心洗われ、、、
水に映る空。
お客さま方もきっと心に残して下さるひとときであっただろうと思う。
そろそろ望雲亭に帰り着く。
濃茶席から見える水屋さんの姿。
この日、本堂ではアニメ・ワンピースのイベントに5000人がつめかけたそうだが、こちらをうらやましがって見ているのがちょっと優越感(^_^;
この舟は多数のインスタ素材になったと思われる。
薄茶席を終えられたお客様は点心席の大広間へ。
この重厚なテーブル椅子セットは有栖川宮家からの下賜の品。ここで食べる点心は格別だったにちがいない。正面は樽の輪っかで作った満月(F太朗作)。
われわれはどんな点心か見ることができなかったので、これはお客様のお一人からいただいた画像。なかなか美味しそう。(泉仙さん製)
ここでも田○田のお二人に謡と鼓のパフォーマンスを。
最後の五席目のみ、日没時間とのかねあいで、まずは舟の薄茶席からはじまる。そろそろ日もかげってきて、嵯峨野の山に残照。
朝の明るい景色も、昼の遊覧も、日暮れ近い池も、、いずれもそれぞれの趣があって、どの席の方もよい景色をご覧になったと思う。
お片付けを始めつつ、広間の待合にて、最後の周航を見送る水屋組。
とうとう最後の濃茶席は燈火が必要になった。
これもまた味わい深い。
濃茶が練り上がる頃には外はもうほぼ真っ暗であった。(なにしろ外はほとんど灯りがない)
こうして最後のお客様を送り出して、総勢で片付け、掃除、人海戦術でほぼ1時間くらいで撤収までいったのではなかろうか。
残念ながらこの日は満月を過ぎていたので、大沢池の上に出る月は拝めなかったが、帰る車中で東山から大きく赤くのっとでてくる月を見た。
さて、今までも何度も書いているが、仲間で一つの目標にむけてそれぞれの能力をフル活用して、走りきったあとの満たされた気持ちはなにものにも代え難い。
また、いっしょに走ってくれる仲間の存在ほどありがたいものはない。
この大覚寺も計画をはじめてほぼ半年、いろいろ趣向に悩んだりもしたが、みんなに助けられてようやくゴールにたどりつけた。
心満たされ、感謝もこめて月に祈る。
さて、明日からまた走り出さなくては!人生はまだまだ続く。
<感謝>
大覚寺ご担当の方々、大覚寺に縁を繋いで下さった方に深く感謝いたします。
海の見える待合の(観月)茶会 - 2017.10.09 Mon

今回お招きいただいた茶会の腰掛け待合いは、、、、なんと瀬戸内の海を見わたすこの景色であった。
某Y流のお家元の出張お稽古場がここなのである。今宵は観月茶会と称してお弟子さんたちによる茶会が。
残念ながら雲におおわれて、月は見えなくとも、とてもすてきな茶会であった。
(雲火焼の花器)
場所は赤穂、海に面する小高い丘の上に立つ桃井ミュージアム、かつて赤穂で生まれ廃れていった雲火焼をされた館主のプライベートミュージアムである。元はお父上の経営される会社の寮であったとか、そのロケーションはすばらしいすぎるのである。
テラス庭ではあちこちに蝋燭の火がいれられる。この眺めだけでもすばらしいが、、、
庭園のあちらこちら、さりげなく館主のセンスがひかる室礼がみられるのである。
これは煙草盆と蹲居と考えてよいのであろうか。
全部を撮影できなかったのが悔やまれるくらい。
テラスになんだか竹がたくさんはえているな、、、と思ったら、一本一本花器に据えられた竹であった。石のテーブルから生えているがごとき薄や萩や、秋の草花の数々、これも館主の手になる物だった。
濃茶席はロビーの一画を上手にしきって作られた四畳半、床柱もちゃんとある。ロールカーテンをおろせば閉めきることもできるスグレモノの茶室!
後見におでましになったのはY流の当代のお家元。お菓子は末富さんの兎きんとんで、なんとこれを70個!お家元自らが運んでこられたのだそうだΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
すごい!(重かっただろうなあ、、)
お道具も素晴らしい物がたくさん出ていたが、これらはすべて館主のお家の所蔵品なのだそうだ。それもすごい!
そろそろ庭の燈火が美しく見える頃、月は見えねど雰囲気満点。
薄茶席は庭のテラスで立礼にて。
こちらの流派の立礼卓はコンパクトで使い勝手がよさそう。
これも末富さんのお干菓子。(こちらは日持ちするので配達ね、きっと)
肉桂風味の栗のお菓子が美味しい。
やさしい海風に吹かれながら、庭にすだく虫の音を聞きながら、、、ゆったりといただくお茶、あわただしい日常をすっかり忘れてこの雰囲気にひたる。
そしてそして、薄茶のあとは茶友の仕舞と、、、なんと鼓、そしてプロの能楽師のお謡い。
最高の舞台でよきものを拝見した。「髙砂」のキリは私もちょっと謡えるので唱和す。
点心でこのあと今期初の松茸土瓶蒸し!を食す。
久々に酒もきこしめす。
この色漆の季節にぴったりのお盆も、ここの館主コレクションなのだそうだ。どれだけの数寄者でいらっしゃるのか。
ロビーにはこちらも復興なった赤穂緞通のデモ機が。
そう、、、垂涎の赤穂緞通。
これこれ↓(これは古いものだが)
赤穂は義士や塩味饅頭だけでなく、いろいろあるのだなあ。関西弁の西端でもある(^_^;
お開きのあとも多くのお客様が残られてテラスで二次会。
なんとここでもざっくばらんなお家元さま、さしつさされつお隣でツーショットを撮るなどという我が流派では絶対あり得んシチュエーションを楽しんだのである。
さすがに赤穂は遠く、帰り着いたら午前様であったが、こんな楽しいすばらしい茶会なら来年もまた是非よんでいただきたい!
北野神社ずいき祭〜西ノ京御旅所にて - 2017.10.07 Sat
西大路から妙心寺道を西へ。
道には屋台がたちならぶ。
北野天満宮のずいき祭である。(10月1日〜5日)
しかし、北野天満宮に御旅所があるとは実はしらなんだ。ましてや、ここにあるなんて。
ずいき(サトイモの茎)や野菜で飾った神輿など写真でよく見たし、名前もよく聞いていたのだが、実際に見たことなかったのだ。
境内にも屋台がたくさん。学校帰りの子たちがけっこう群がってたこ焼きやら唐揚げなんかを食べてた。これも地域の祭やなあ。
天満宮の神様は神幸祭でご鳳輦に乗られて西ノ京の御旅所へおでまし、その道中氏子地域を練り歩く。これも見ものだが、今年は残念ながらみられず。4日の還幸祭まで五穀豊穣に感謝する氏子の神事や舞の奉納など、神様はここで楽しまはるのだ。
ただいま神事(甲御供奉饌・・かぶとの形をした供物をささげる)の最中。奉仕される七保会は北野神人(じにん:雑司をつかさどる神職の一)の末裔の方たちの会だとか。
これが、かの有名なずいきの神輿か〜。
なるほど、屋根を葺いているのが赤ずいきと白ずいき。
ちなみに元は瑞饋祭、瑞饋と芋茎(ずいき)の音が一緒だったので、ずいきを飾るようになったのだとか。
柑橘に稲穂。
この祭はもともと秋の五穀豊穣、豊作を感謝しその作物を神様に捧げたのがはじまりというのも納得。
ちなみに始まりは村上天皇の御代だから、平安時代にまでさかのぼるという。現在の祭の原型は江戸初期のころとか。その後廃止されたり復活されたり、今にいたるそうだ。これを支えてこられたのが、西ノ京保存会の方々。
神輿の四面には、保存会の各町内が趣向を凝らした野菜で作る飾り。
浦島太郎などのオーソドックスな昔話のあれば、これみたいにひふみんと天才藤井棋士の将棋対決や、美女と野獣、、、なんてのもあった。
この瓔珞の笠は白が白ごま、黒が九条葱の種、茶色が水菜の種がぎっしりつまってできているのだ。
柱をびっしり埋めているのと同じ花は赤と白の千日紅。
茗荷や、吊り瓔珞は赤茄子、柚子、五色唐辛子などなど。
加茂茄子鈴(これは作り物のようだが)なんてのもあった。
神輿を先導する猿田彦の乗った導山も境内に。
これは見事なずいきだこと。
北野天満宮で最近復活したにない茶屋による呈茶があるとのことで、待っている間にやっぱり屋台の誘惑に勝てず、蛸焼き食べる。(お腹一杯で晩飯食べられず)
このにない茶屋、北野天満宮さんとこで100年眠ってたらしい。天満宮ともご縁の深い老松さん(もしくは弘道館)の太田はんによってお茶が点てられる。点て方など、中世のにない茶屋の絵を見て研究しはったのだとか。
北野天満宮はまた秀吉の北野大茶会の所縁の場所でもあって、ちょうどそれがおこなわれた時期が今ごろ(天正15年旧暦10月1日)だったとか、いろいろ楽しい太田はんの蘊蓄をききながら、美味しく頂戴。(さっき蛸焼き食べて腹一杯だったのに、、、、)
北野の神様をおのせした、三基の御鳳輦。
天神さんに剣鉾があるのは、御霊の親玉だからだろうなあ(^_^;
京菓子二編〜青洋さんの和菓子教室+Story of Wagashi - 2017.10.05 Thu
このごろ京菓子の世界では女性の職人さんの活躍がめざましい。特に上生菓子は、女性の「きれい」「かわいい」「詩的」な感性が光るのだろうか。
京都で活躍中で、私も時々利用させてもらっている和菓子店 青洋の青山洋子さん、昨年の弘道館主催「手のひらの自然・京菓子展」大賞受賞者の仙台の和菓子まめいちの幾世橋陽子さんの世界を垣間見る。(ちなみにおふたりとも京都上七軒・老松さんで修行された)
<青洋さん和菓子教室とお茶>
京都でも和菓子教室を開催されている青洋さん、今回は大阪で。コチラの方が仕事帰りに来やすいの。

会場は上本町の昔ながらの町家。
まずは京菓子とはというおはなし。
1)五感で楽しむ
2)抽象化させる、、、季節や時のうつろいを色であらわす
3)菓銘がある、、、ふくらむイマジネーション
今回は初心者向けなので、材料はすべて用意していただいて、成形だけを実習。これがまた、立体造形才能ゼロの私にはむつかしいんだな〜。
今回は手前の2つをつくる。
まずはデモンストレーション。
こなし(京菓子独特の材料で、練り切りとはちょっと違う。私もこれは作ったことあるよ)を使って作る「盛(さか)る」秋草が盛るイメージ、、、と、きんとん「月明」
職人さんの手の動きは美しく無駄がない。
みとれているだけで、自分でやるとなかなか〜、、、(^_^;
うちにも装備しているにもかかわらず、一度もつかってないきんとん篩と先の細いきんとん箸。
もっと細かいきんとんを作る馬毛通しというのも見せてもらった。
これが青洋さん独特の色だなと思う。パルテルカラーは色素でだすのはほんとにむつかしいのだ。
向こう側が「盛る」用のこなし、手前がきんとん用のつくね。
で、作業中の写真はありません。だって必死だもの。
完成品はこちら、、、、
きんとんは篩ったあと、くっつける時、せっかくのエッジがつぶれまくり。
こなしの方は、,,もう秋草かどうかわかんない、、、(´・_・`)
まあ、これが私の実力よ。
そのあとはそれぞれが形成したお菓子をもって町家の二階でミニミニ茶会。
形はナンだけれど、食べると当たり前ながら美味しいのでした。
<Story of Wagashi>
こちらは会場は弘道館。
今回幾世橋さんもご在館。
独創的で、かわいい、きれい、すてきな和菓子が並ぶ。イラストレーター佐々木洋子さんのイラストがその世界をさらに広げる。(あら、なんだかみんな「ヨウコ」さんだわね)
JKがきゃ〜♪といいそうなお菓子。
茶人好みのお菓子。このエッジの立っていること!
サツマイモのいろいろなエッセンスをつめこんだ和菓子。
わ〜〜、、、
和菓子の惑星宇宙だ。
プチケーキでもとおりそうだ。
よく見ると、とても細かい仕事をしてる
これはどうみてもチョコレートボンボン???
そして昨年大賞の受賞作品「若冲:動植綵絵・老松孔雀図」(参考→☆)ができるまで。
(昨年のテーマは若冲・蕪村の世界だった)
和菓子に使う小豆に囲まれた餡、寒天、金箔、、、、
そして華麗なる完成品!
さらにあまりに美しいので、そのまま孔雀になって天高く飛んでいっちゃった、、、、という。
こんなのもったいなくてとても口にいれられないわ、、、
最後に弘道館の茶室で幾世橋さんのお菓子をいただきながらお茶を一服いただく幸せ。
(銘をききそこねたのだけは残念だった!)
和菓子の世界はなんてすてき!
奈良・萩の寺〜白毫寺・元興寺 - 2017.10.03 Tue
出町柳の萩の寺、常林寺の前を通りすぎて、ああ、そうか、萩の花が盛りなんだと思った。
そういえば、萩の頃行ってみたいと思ったところが奈良に2箇所あったっけ、、、、で、そのまま京阪経由近鉄に乗って奈良へ行きましょう。

高円の 野辺の秋萩いたづらに
咲きか散るらむ みるひとなしに (万葉集)
まずは高円山白毫寺。
主な奈良の観光スポットからはずれて、交通の便もあまりよくないので、観光客もまばらなところがかえってよろしいわ。
以前に来たのはもうかれこれ10年近く前になるかな。
あのころ人気の観光部長(?)の猫さんがいたっけ、、、(お寺の方に聞いたらさすがにもう寿命で、、、)
有名な五色の椿を見るために来たので、あれは春先。萩の切り株だけ見て、これが咲いたら見事だろうな、いつか萩の季節に来ようと思ったのだ。
春日山に連なる高円山からの眺め。
おや、、アレが見えますか?
私の中では奈良のシンボル・興福寺の五重塔と改修中の国宝館(?)金堂
この白毫寺は天智天皇の第7皇子・志貴皇子の邸跡に建てられたという。冒頭の万葉集の歌の中にでてくる「みるひとなしに」のひとは志貴皇子といわれ、その彼が亡くなったことを悼んだ歌なのだそうだ。
天智の皇子でありながら、皇位をあらそうこともなく政治とは無縁の場所にいて歌を愛し,文化人として生きたといわれる。
そういえば有名な歌がありましたね。
「いわばしる たるみのうえのさわらびの もえいづるはるに なりにけるかも」
境内にはフジバカマも。
志貴皇子は皇位におそらく関心のない方だったのだろうけれど、その薨去後に息子が光仁天皇になったため、皇統は天武系からまた天智系にもどって現在まで続くという。
お堂の下の盛り土も崩れがちなところが奈良っぽくていいわ(^_^;
ここは一時荒廃したけれど、儲茶で有名な西大寺の叡尊によって再興され、堂宇は江戸時代の物が残る。
さすがに萩の季節は、ここまでくる観光客もぱらぱらとおられる。
大きな古木の足元にはなにやらあやしいキノコもはえていて、、、
彼岸の頃きっちり咲く律儀な彼岸花。
春には赤・白・紅白の絞りの椿が1本の木から咲く、五色椿も忘れずにみてね。
ちょっと人里はなれた高円山からならまちにもどってきた。
ここはご存じ元興寺極楽坊。行きやすいので、なんだかよく来ている。この2月に珠光茶会でもおじゃましたわよね。
でも萩の盛りの季節は初めて。
いつも盛りを過ぎたり、早すぎたりの季節しか来ていなかったので、今日は来ることができてよかった。いまをさかりの萩の花。
(今年2月の時の写真と比べてね。萩がばっさりきれいさっぱりないから。)
萩は比較的地味な花なのだが、こういうふうに大株になると迫力がある。
以前宝塚の庭にも植えていたが、切っても切っても年々大きくなりすぎて手に負えなくなったのを思い出した。こういう広いところでこそ。
こちらの境内にもフジバカマ。
香りがよいので蝶々が蜜を吸うのに余念がない。
こちらはアオスジアゲハ(たぶん、、、)
なんといってもこちらは飛鳥時代の瓦が残ることで有名。元興寺はもともとならまち全部を境内とする広大な堂宇を誇っていたのだが、いまは極楽坊とよばれた現在のお寺のみが残る。
石仏のあいまに咲く桔梗
珠光茶会で中へはいれた奈良の名指物師・川崎幽玄作の茶室・泰楽軒
毎年10月28日に川崎幽玄顕彰茶会がここでおこなわれる。(問い合わせはあーとさろん宮崎まで)
ここにも彼岸花
石仏やお地蔵様にとてもよく似合う花だと思う。
帰りの道、ここは近鉄奈良駅にちかいお土産物屋さん。
私が小学校の修学旅行で来たときからある懐かしい風景なので、今日もまた健在だと確認してほっとして帰るのである。
NHK「自閉症アバターの世界」第一夜・脳内への旅 第二夜・仮想と現実を生きる - 2017.10.01 Sun
NHK・EテレでハートネットTVというのがある。

「生きづらさを抱えるすべての人へ」というコンセプトの福祉番組。
今回、個人的にお知り合いでもあるアメリカ・ニュースクール大学大学院教授で社会学者の池上英子先生(NY在住ですが日本のお家がご近所)が、リアル(現実)とバーチャル(仮想)の世界を生きる自閉症スペクトラム(ASD)の方たちを両方の世界で尋ねるという、二夜連続の自閉症アバターの世界の回を見た。
池上先生は10年ほど前にセカンドライフという3DCGで構成された仮想空間に研究室を作り(もちろんバーチャル)ご自分の分身であるアバター(キレミミ・タイガーポウ)と、ここを訪れる世界中のアバターとバーチャル世界でのチャットをされてきた。
*セカンドライフについては番組HPからの引用
米国リンデンラボ社が運営する、3DCGで構成されたインターネット上の仮想空間。ゲームのようなシナリオは無く、利用者は「アバター」と呼ばれる自分の分身を操り、住民と交流しながら生活します。街や娯楽施設もユーザー自身によって建てられ、お店を経営したりライブを開いたりと、自由な活動が可能です。
このセカンドライフは一時爆発的な人気があったそうだが、SNSの発展とともにすたれてきた。ところが今でも残ってその世界を楽しんでいる人たちにASDの人がとても多いことに気づき、やりとりを重ね実生活では他人とのコミニュケーションに障害があり、他人への共感が少ないといわれる彼らがお互いに共感し合い、とても豊かなバーチャルライフを送っていることに驚いたという。
彼らのバーチャル世界での会合を傍聴したり、参加して会話をしたり、を重ねるうち、リアル世界の彼らがどんな生活をしているのか興味を持ち、そのうちの4人に実際に会いにいく約束をとりつける。本番組はその記録である。
リアル社会では、アスペルガーの男性が構築するバーチャルの世界(3DCG)は、あまりに不思議で、かつとても美しい。黒い壁に囲まれた空間に浮かぶ多面体、植物の根の土の中の世界、不思議の国のアリスのようなトランプの世界、「2001年宇宙の旅」の一場面を思わせるような世界、、、あり得ないシュールな世界で、見ていてワクワクして惹きこまれる。彼の頭の中を可視化するとこうなるそうだ。ここでは彼のアバターはちょっとシャイな中性的少年だ。
彼はまたセカンドライフで経営するダンスフロアのカリスマDJ、彼の作る不思議な、でもここちよい電子サウンドで世界中のアバターが気持ちよさげに踊る。バーチャルの世界で彼は自由で、のびのびと羽根を伸ばし、自信にあふれているように見える。
では現実ではどうか。
人とのコミュニケーションがとりづらく、人間関係がしんどい、ときにパニック発作を起こす。仕事も長続きしないが、人と対面することの少ない夜勤でなんとか続けられる。セカンドライフでのあの自由な翼は折れてしまっているようにみえる。
しかし、彼は言う。バーチャルの世界を作ることもまた現実であると。
ASDとバイセクシャルなことで親から虐待を受け、家を追い出された青年、そんな彼を受け入れたADHDの青年、リアル世界でもバーチャル世界でも支えあって生きている。しかし、職がみつからない現実、これからふたりはどうやって生きていくのか。
別の女性のアバターは賢く知的で洞察力もするどい。しかし現実世界では意思伝達アプリを使わなければ店で物を買うのもむつかしい。パニック発作をおこしそうになるのを予防するための、経験則でみつけたグッズを、いっぱいポケットのあるジャケットに山のようにつめこんでから外出する。
2つの世界のあまりの解離を思わずにはいられないのだが。
しかし、第二夜で最後にでてきたアリス、障害者教育に長年たずさわり、現在は引退したが、障害者のアートの才能をバーチャルとリアルで融合しようと試みている伝説的カリスマなのだそうだが、彼女の言葉が印象深い。リアルの世界は物質的世界、バーチャルな世界は物質的でこそなけれ、やはりそこに存在する同じくらいリアルな世界なのだと。
仕事がハードでも、仕事が終われば趣味の世界で(私ならお茶に)仕事とは関係ない世界を楽しむ、、、なんていうのと実は同じなのかも知れない。どちらも大切な自分の世界だ。ただASDの人たちの脳内世界は一般的には外から見ることができないので、私たちにはただただ奇妙に異常に見える。ところがパソコンを通じて意外と理路整然、あるいはシュールに美しいその世界を垣間見ることができるとは、われわれの時代は、すごいツールを持つようになったのだな、と感慨深い。ASDと非ASDの人たちの相互理解をすすめるツールに将来なっていくことを期待する。
TVでは池上先生はつぎつぎその生活の場で彼らに出会っていく。
アバター同志の交流はあったとはいえ、初めてリアルで出会った時にすっと会話に入っていけるのもすごいなあと思うが、撮影まで了承してくれたこの人たちもすごいなと思った。
セカンドライフの3DCGの画像だけでもすごく魅力的で惹きこまれた。おすすめ、是非!
*再放送 NHK Eテレ 10月3日4日 いずれも13:05〜