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2018-01

月と浮世絵「浮世絵勉強会」 - 2018.01.31 Wed

ご近所の聖護院、ずっとカフェかなにかだったのだが、昨年なにか新しいモノになっているな、、、と思ったら、<ゲストハウス&サロン京都月と>になっていた。




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1Fはカフェもされているようだし、いろいろワークショップもされているようなので、気にはなっていたのだが、、、
このたび浮世絵勉強会があると聞いて、しかも私の大好きな月岡芳年メインと聞いてはいかずばなるまい!と初めてお邪魔した。




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ここはいろいろお店の出入りがあったけれど、もともとは現オーナーさんの祖父母さんのお家で、120年の歴史がある町家、昔は旅籠、下宿屋として使われてきたそうだ。
オーナーさんはまだお若い女性で、東京でされていた仕事をやめて、懐かしいこのお家を改修してゲストハウスにされたよし、1Fのカフェや、ワークショップなどもいろいろしていきたい、と抱負をたくさんお持ち。
「月と」は月兎のことかな?と思っていたが、お祖母様と交流のあった谷崎潤一郎の「月と狂言師」からきているとうかがう。お祖母様は狂言などもなさった洒脱な方らしく、何代目かの茂山千五郎さんといっしょに狂言をしている古いお写真も拝見した。




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会場は二階で。
まずは山芋とろろ巾着「福溜め」をご馳走になる。
すりおろした山芋を巾着にいれ、お出汁で炊いたもので、はじめての食感。お出汁が上品で美味しくて、山芋のすり下ろしのふっくら感がなんともいえない。お出汁もアゴだしやこだわり醤油でとった逸品であった。




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さて、でるわでるわの芳年コレクション!!
これはおじいさまか、ひいおじいさまのコレクションだったらしくて、さすがに古い町家にはいろんなものが秘蔵されているとうらやましくも感動したのである。

芳年は昨年東京の太田記念美術館まで見に行きましたがな。ただその時は「妖怪百物語」の方で、会期が違えば「月百姿」だったのだが、、、
月百姿は月をテーマにした100枚の芳年の傑作だと私は思っているし、ウィキペディアの能の演題を引くとほとんどかならず芳年の絵がのっているという、謡曲にも関連のあるテーマが多いのだ。





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こんなに間近で芳年が見られるとは!
しかも手触りもちょっと楽しめた。ここは白抜きか?胡粉か?とか。出版元が数種類あって、ここの出版元と芳年は仲がよかったなどのお話しも聞けた。

月は満月あり、三日月あり、新月あり、月を描かず月を想像させるのもあり、やはりすばらしい。




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一番人気はやはり「有子」さん。
1000円の差で落札し損ねた因縁もあるのだが(^_^; これはいいよね〜。月ははっきりとは描かれないが水面にその姿を想像できるところがにくい。
有子さんは厳島神社の巫女、都の公家の徳大寺実定と恋におちるが、身分違いゆえ、都へ戻った彼を追うこともできず、


  はかなしや 波の下にも入ぬべし つきの都の人や 見るとて



と歌って入水したという悲恋もので「源平盛衰記」中にあるお話し。
まことに16,7の乙女の姿、悲しくも美しい、、、、




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これは有子さんのかわりになんとか落札した「法輪寺の月 横笛」、私はこれ一枚だけれど持参して御披露目。
平家物語の滝口入道と横笛の悲恋モノ。恋した男は恋を捨て出家の身、嵯峨まで訪ねてきたが、そのような者はいないと、拒絶され、なくなく帰る場面。その後入水したとか尼になったとか諸説あり。(高山樗牛が「滝口入道」という小説にしている)

秋のもさびしい嵯峨野の月夜の風景、被づく衣も美しい。昨年秋の、大覚寺舟遊び茶会では待合に掛けた。





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あと写真にとりそこねたが、狂言「釣狐」をテーマとするお狐さんの「吼噦(こんかい=狐の鳴き声))」も好きだ。
猟師に一族みな殺されたため、僧に化けて、猟師にもう狐をころさぬよう、と頼みに行く老狐。その悲しみ、生きる者は獣も人も等しく悲しい。しみじみと胸にしみるような絵だ。





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よいもの、美しいものをたくさんみせていただいた後はお薄を一服ちょうだいする。オーナーさんはお茶も嗜まれるよし。




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また、興味深いイベントやワークショップもたくさんされていくようなので、ちょっと注目してみている。(しかも徒歩圏内だし)





雪まみれの彦根~大津ミニトリップ - 2018.01.29 Mon

なにもこんな日に、、、と思うでしょ?
でも京都はちらほらくらいの雪だったのよ。
まる一日あいたことだし、かねてから行こうと思っていた、学生時代によく行った彦根へ行こうとしたわけよ。

ところが、高速走ってたら途中でえらく吹雪いてきて、前の車が見えないくらいになって、これは本気でヤバイのでは、、、と思ったら、、、、




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ほんまにやばかった。
彦根で高速おりたら除雪されていない一般道路、タイヤはノーマルなので滑るわ、ハンドルとられるわ、、、カーブが曲がれなくて、ブレーキ効かず、前の車にあやうくぶつかりそうに、、、




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護国神社がこれだもんなあ。
ちょっと考えて勇気ある?撤退を!
回れ右して帰ったわ。湾岸道路で帰ろうかとおもったけれど、多分除雪は高速道路の方がいいはず、帰りも雪吹だったけれど、雪道をノーマルタイヤで走る怖さに比べたらどってことないわ。
(のちにこの日、彦根周辺は記録的な大雪であったと聞く)


しかし、彦根滞在時間約10分で、このまま帰るのもちょっとしゃくだし、途中大津でおりることにした。



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琵琶湖の畔に立つ(ほとんど)廃墟、県立琵琶湖文化館。10年前に閉館しても建物はそのまま。学生の時も異様な城みたいな建物だなあと思っていたが、廃墟になるとなおさら異様だ。
琵琶湖の向こう岸は雪にけむって何も見えない。





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こんな雪だもの。
湖面にカイツブリかなにか水鳥が寒そうに浮かんでいた。

ここに車を停めて京阪大津線に乗って膳所まで。
前からおじゃましたいところがあったのです。




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膳所の和菓子屋亀屋廣房さん。
京都の亀末廣さんの別家さんです。実は京都に移住する前から、ここの女将さんとはISO乙女会なるものを結成して仲良くしてもらっていたのだ。その後なかなかお目にかかるチャンスがなく、この日数年ぶりの再会となった。(ISO=五十乙女でしたが、もうみな還暦すぎたわよね(^_^;)




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数年もたてば、子供たちのことや親のことや、いろいろ環境も事情もかわってきているが、それでもお互い、楽しく元気に仕事をし、すごしていることがなによりありがたい。
数年のブランクもものともせず話がはずんだこと!




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お店の干菓子をちょうだいし、女将さんにお茶を点てていただく。
以前されていて、その後中断していた店のかたすみカフェを再開しようとされていたところだったそうで、期せずして、客第一号の栄誉に浴した。




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数ある木型のなかから「高」と書いてある物を見つけ、「?」と思ったけれど、こちらの学区であり、滋賀県ナンバーワンの進学校・膳所高のマークなんだって。記念行事の引き出物に使うのかな。おりしも、膳所高、春の選抜高校野球代表校に選ばれた!
おめでと〜!!




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お店の片隅に釜もちゃんとある。お茶碗はさすが!の膳所焼も。
こちらの看板菓子をお持ち帰り、女将さんとお別れ、また前みたいにご飯食べにいこうね。




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お店の前は旧東海道




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大津宿と草津宿の間の道になる。歴史的にも表舞台にあったエリアだ。




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帰りの大津線が漫画「ちはやふる」ラッピングで、社内までちはやふっていてびっくり!これだけでないよ、普通広告とか貼ってある天井近くに、漫画の名場面がこれでもか!と貼ってある。
映画版ちはやふるのロケ地であり、全国高校生百人一首大会の会場が電車の駅でもある近江神宮だからだろうね。(ちなみに近江神宮はもと大津京のあった場所付近)





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先ほどの琵琶湖文化館の駐車場にもどると、雪吹は少しおさまって湖岸のけしきが見えるようになっていた。



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青空が少し見え、美しい鳰(にお)の湖・丹保(にほ)の湖、琵琶湖だ。

ついで車に乗ってこちらも以前から行きたかった大津市歴史博物館へ。カーナビどおりに行ったら、なんだ、いつもお能を見に来ている伝統芸能会館のすぐ上ではないか。こんな近くにあったとはしらんかった。




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このように高台にあるので、エントランスから琵琶湖の遠景ものぞめる。
雪雲はどこかへ行ったようだ。




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こちらの学芸員さんを複数存じ上げているので、常設展ながらどんな展示なのか興味津々。
意外と知らなかった大津の歴史のお勉強をする。大津京のことや東海道の宿場町として栄えた歴史や、大津にたくさんある城の歴史とか。花の都、京都の隣で山一つこえると別の歴史や文化がはなひらいていたのだなあ。
個人的には大津絵の展示に興味があった。




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なので博物館で大津絵の本を買ってご満悦。
意味を知ってみるとなおさら面白い大津絵の世界、素朴な民画ならではの味わいが好きで、待合掛けに使ってみたい絵もたくさんある。





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本を読みつつ、いただく亀屋廣房さんの、いずれも看板菓子。
左が日吉山王さんの御供にちなむ「粟津の里」、右がほろほろ白餡で作った洋菓子のような「にほの菊」。抹茶だけでなく、珈琲にもあうのよ(*^^)v









芳心会初点〜木村宗慎さんの茶会@総見院 - 2018.01.26 Fri



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大徳寺の総見院は秀吉が(遺灰もないのに無理矢理)信長の菩提を弔うために建立した塔頭。ほとんど自分が後継者であることのデモンストレーションだったとか。

普段は非公開ながらたまに特別公開していたり、淡交会の茶会があったりするので、何度かおじゃましている。




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そらいろつばめ様におさそいいただいて、初めてこちらでひらかれる木村宗慎さんの初釜へ。といっても昨年身内のご不幸があって、今年は少し控えめにされるとの由。

木村さんは若手ながら、茶道界では説明する必要もないくらい有名な方、特に毎日菓子器と菓子をかえてアップされたブログ「一日一菓」は書籍化もされご存じの方も多いと思う。
ご幼少のころから古美術に興味を持ち、茶道を習われ、現在では茶道教室芳心会を主宰されておられる。

基本裏千家でありながら、流儀や型にとらわれず独自の数寄の道を追求されているとお聞きしたが、SHUHALLYの松村さんと(方向性は違うけど)少し通ずるものがあるような気がする。




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待合には投扇興がおいてあって、ご自由にお遊び下さい、という趣向なのでちょっとやってみたが、なかなかうまくいかないものですね。

寄付に古渓宗陳頂相、彼に参禅した利休居士の心意気で、今年も覚悟あらたに数寄の道を究める、という意か。
ここに飾られた炭道具では針で彫ったという細かい細かい彫りの堆朱香合がすばらしい。茶入は唐物でこんなでかい茶入はみたことないぞ、と思うくらいの鶴首(見た目には肩衝にもみえる)、釉薬が独特でこれもこんな釉薬見たことない、、、くらい珍しい色の釉であった。手にとらせていただき、見た目より軽いのに感激。茶入のための松木盆は、鈍翁と団琢磨があらそったというエピソードのある珠光所持・江月賛の盆の鈍翁が作らせた写し。





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最初に仏手柑が飾られた香煎席で香り高い蘭香煎(蘭の花がうかぶ香煎)をいただき、主菓子をちょうだいする。
末富さんの特注のお菓子で、銘は失念したが一見、あ、仔犬がまるまっている?とイメージしたのは香煎席の軸「戌」の画賛のせいかしら。

本席の広間での濃茶は宗慎先生自らが練られた。
寄付に呼応して、軸は古渓和尚の遺偈、のちに利休がその写しを所望した、という逸話つき。
なにせ釜が与次郎尻張、古浄元の極付きという、、、、なんといふお道具の数々、緩みがありませぬな。

主茶碗、替え茶碗がいずれもタイプの違った珠光青磁2碗、藪内の休々斎で銘が「吸尽西江水(だったかな?)」。これが珠光青磁か、と手にとらせてもらう。野村美術館によく展示される珠光青磁はもっとちんまり小ぶりだが、これは大きいなあ。大柄なご亭主の手にぴったりかも。
びっくりしたのは、珠光青磁は青磁の下手もの、というからには本物の青磁と比較を、という趣向で脇床にあった龍泉窯青磁の天目と尼崎天目台!
これもさわらせていただけるのですよ〜。お弟子さんのお話では、お稽古にこれを使わせていただけることもあるそうで、天目台のへりの薄さを実感すると、天目台は端を持たずにホオズキ近くを持つ意味が体感できると。なんと恵まれたお稽古場。本物を使う、これも宗慎さんのポリシーなのでしょう。羨ましい限り。青磁のお茶碗は内側と外側と貫入の入り方がちがって、雨過天晴ブルーが室内でも、陽光のもとでも美しかった。

一番印象に残るのは花。
唐物の小卓の上にのっているのはなんと手のひらに乗るようなかわいらしい唐物の華瓶(けびょう)。
口が小さいので中まではいっていなくて縁にのっかりながらまっすぐ立っている細竹、また口からはみだすように根っこがでているフキノトウの芽。
最初竹とフキノトウが目にはいって、花入の小ささに気づかなかった。こんな小さな華瓶が広間の茶室に映えるなんて。花の入れ方もかなりテクニックとセンスが要求されると思うよ。

茶入れは中次、根来の黒(朱を上がけする前)
茶杓は瀬田掃部が利休の茶杓にならって作ったという華奢なもの。(本来の掃部型はぶっとくて豪快なのだ)




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点心は瓢亭さんの三段弁当。
これはギッチリつまっていてほんまにお腹いっぱいになる。
点心の間も宗慎さんはお酌にでてこられて、お客様と歓談される。そらいろつばめさまのお話では、各界のレベルの高い数寄者の方々がご参席なので、いろいろご縁もつながることもあるとか。私も郷里の数寄者の方にご縁をいただく。ありがたし。
いや、それにしても次から次へお酒をだしてくださるのがうれしい。水屋の方も酒器をもってわれわれ飲助の方へまっすぐきてくださって(^_^;)満足いくまで頂戴した。
点心席の軸がなんと白隠でございました。寿と書いた袋を食う、ふくろくうじゅ→福禄寿(^_^;)





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薄茶席のお菓子は丸いマシュマロにカスタードっぽい餡の松山銘菓「つるの子」が」おいしい。(ちなみに郷里の岡山にも鶴の卵という似たお菓子があるよ)

遠近(おちこち)棚という棚が使われていたが、これは結界も兼ねられるような、めずらしいもの、お好みものだろうか、調べてもでてこない。でもこれは便利だ。
お茶碗は了入の暦手志野風、内側に楽の印のあるやつがしぶくてよかった。
床にかけられた戌年にちなむ犬の嵯峨面にいたく惹かれる。

お点前はお若い男性のお弟子さん。師匠譲りのぴっとした姿勢のよさがひかった。


以前からお名前は存じあげていたし、著書も拝読していたが、はじめて宗慎さんの席に伺うことができた。いや、噂以上で流儀にこだわることなく一本筋の通ったそれでいて遊びの境地のすてきな席であった。そらいろつばめ様、ありがとう〜〜!




行ってらっしゃい、シェル - 2018.01.23 Tue

こんな風に冬にはめずらしくあたたかい小春日和、この日と定めて行こうと決めたのね。
20年間、うちの家族によりそって生きた猫のシェル、旅立ちました。
(私のHNはこの子からもらいました)




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最後の3ヶ月、人間でも悪魔の癌といわれる口腔癌と戦いました。どんなに飢えても渇いても、口からの摂取が自力でできないのです。手術で下顎をとるとか放射線治療とか、最終的には安楽死とか、獣医さんから提示がありましたが、いずれも老猫には過酷です。
シェルが行きたい日は自分で決めるだろうと、介護して見送る覚悟をきめました。

発病してからの3ヶ月、日に日にやせおとろえて、よだれをたらしっぱなで、手足は拭いても拭いてもよだれまみれ、壊死した腫瘍の悪臭、苦しんで苦しんでの旅立ちでした。どうしてやることもできないはがゆさ、悲しさ、せめて体をなででやるしかできませんでした。
食事介助や、清拭、体が少しでも楽になるように、鎮痛剤をのませたり、ターミナルケアはできうる限りのことをしたので悔いはありません。
でも、発病するまでのあいだ、そこにいるのがあたりまえということに甘えて、留守がちな家でひとり留守番させていた時間の長さを思うと後悔の念にさいなまれます。




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20年前、シェルは震災後の西宮の仮設住宅で生まれて、子猫の時に我が家へ来ました。
誰に見せてもきれいね、といわれる美人さんでした。そして人の気持ちをよむ賢い子でした。
たまに庭のトカゲやちょうちょ、トンボを捕まえてくる名ハンターでもありました。
8歳の時に生きるか死ぬかの大病をして、もうあきらめかけたこともありましたがシェルは不死身でした。
娘や息子が次々と家をでていって、2年前に先にプリが旅だって、留守がちな家で年老いたシェルはいつもさびしく留守番していたかと思うと胸がつまります。もっとそばに長く居て、もっと甘えさせてやればよかったなあ。

夏にわずらった角膜炎も完治させてやれないままでごめんね。
苦しむ姿をみて、その頭に顔をくっつけて、もうがんばらなくていいから、もうがんばらなくていいよ、となんども言い聞かせました。でもシェルはよくがんばったのです。今、苦しみから解放されているはずなのに、その喪失感がこんなに悲しいなんて思わなかった。





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旅だったシェルの体を湯灌したり、荼毘にふしたり、一連のあわただしさがおわったあと、大好きだったクッションのへこみをみても、闘病と介護の日々をおくったソファのバスタオルをみても、そこにいない、、ということにいまさらながら気づき、そしてもう二度と会えないという事実がじわじわしみてきました。家に帰ってもお迎えはもうないのです。シェルの通り道として、戸をいつも少しあけてやっていた習慣はなくなりません。そのたびに、ああ、もういらなかったんだ、と。
しばらくは喪失感とのたたかいです。シェルをおもいだして涙があふれること、それは残された私のつとめだと思っています。





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(元気な頃のシェルとプリ)


いまごろは先に行ったプリと仲良くしているか、けんかしているか(^_^;


行ってらっしゃい、シェル


優美で
賢くて
ハンターで
しっぽが長くて
誇り高い猫でした

さようなら 
またいつかね




京の冬の旅2018〜妙心寺・東海庵と毎年恒例、東林院小豆粥 - 2018.01.21 Sun

小正月(1月15日)には小豆粥
小豆の赤は邪気を払い一年健康にすごせますようにと、古代中国から伝わって日本に根付いた伝統。
だから15日にはあちこちの神社仏閣その他で小豆粥のおふるまいがある。




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毎年、楽しみにしているのが妙心寺塔頭東林院の小豆粥で初春を祝う会。
今年も無事、生き延びて、来ることができたことを喜ぼう。




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平日のはずれの時間なので、おひとりさま、ゆっくりと方丈で陽の当たるを楽しむ。

東林院は宿坊でもあり、こちらのご住職は典座(てんぞ)料理の達人であらせられる。精進料理の教室もあるのよ。





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方丈で略式茶礼で梅湯をいただき、、、有名な千両(赤い実のなるやつ)の庭を通って奥の座敷へ。




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生飯(さば)をとりわけて、後に境内の庭に置いて餓鬼・鬼神・鳥獣に施す、、、って主に小鳥で、餓鬼はともかく大きな獣がでてきたらこわいっす!




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お餅のはいった小豆粥、精進の副菜、素朴な味わいながら腹持ちの良いお精進。
今年もこれで無病息災でありますように。




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この日は小春日和とでもいうような、暖かな一日だったけれど、数日前の寒波で凍った氷がまだ溶け残る。



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学生の頃からよく出入りしていた妙心寺境内、先日の相国寺もそうだったが、禅宗のお寺の中は広くてはひとつの集落みたいだ。




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さて、冬の旅5年ぶり公開の東海庵に到着。

東海庵は妙心寺四派のうちの東海派の本庵。妙心寺四派については以前調べたことがあったのだけれど、きれ〜に忘れとったわ(^_^;




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玄関を入るとすぐに大きな竃のあと。この裏は厨なのかな。

こちら、開山は室町時代にさかのぼり、妙心寺に多大な土地を寄進して、山内にいくつもの塔頭も寄進している美濃の豪族斉藤氏の室、利貞尼の援助で整備されたという。(斉藤氏はのちに斎藤道三にのっとられる)
現存する建物はほとんど江戸時代のもの。




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こちらのすばらしさはなんといってもそれぞれテイストの異なる三つの庭。

まずは方丈南の「白露地の庭」




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ない、、
なんもない、、
この砂しかないすがすがしさ!
こういうのははじめてかな。

左手の棗型つくばいのみのアクセント。




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あと床の埋木フェチとしては、これも見ておかねば。(一番萌えるのはやっぱり西本願寺の埋木だけれどね)




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これは栗?
宝珠?




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これは蓮華であろう。
穴の修復とはいえ、つくろった大工さんの遊びゴコロが見られて楽しいのである。




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2番目の庭は、またがらりと変わって枯山水庭園「東海一連の庭」
蓬萊山とか、三尊石とか、鶴亀石とか、枯山水のありとあらゆるファクターをとりいれている感じ。
でも先ほどのなにもない美しさを見たあとではちょっとうるさすぎる気がしないでもない。




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でも、この一文字蹲居はすてき!
自然石をくりぬいて作ったものとか。




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最後にあまりに印象的な書院南庭の枯山水。
7石が配置されているが、見る方向によって数をかえる。




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水になげこまれた一石、そのまわりにひろがる波紋、、、凝視していると目がくらくらする。
静止していながら波動を確かに感じる。




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方向をかえてためつすがめつ眺める。
毎朝修行のひとつとして禅僧が形作っていくのだそうだ。石のきわがむつかしそうだがきれいな円形。



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ふと顔を上げると、、、大きな棕櫚の木と、飛行機雲三筋。
なんとフォトジェニック!




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堂宇の屋根瓦も壮麗でリズミカル



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いやあ、なんか久々にすばらしい枯山水見たわ。





「心理学者の茶道発見」 岡本浩一・著 - 2018.01.19 Fri



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著者の岡本浩一先生は、社会心理学者であり裏千家茶道文化賞もとられた茶人でもある。現在裏千家雑誌淡交に「茶道心講」を連載しておられる。
茶道心講の連載は毎月楽しみで、それをまとめた「茶道を深める」、「茶道に憧れる」は茶の道に精進する上での心の座右の書であるのだが、本書は20年前の連載開始のころの最初のころのをまとめたもの。実はこれは未読であった。今回新書版として加筆修正された復刻版を読む機会を得た。

本書の読み始め、「茶道を深める」などとくらべると心理学的専門用語も多く、やや難解な印象もあったのだが、読み進めるうちにああ、やはりいつもの茶道心講だ、とうれしく感じた。むしろ茶道心講の、最初からキビシイ刃を突きつけられている感じではなく、ご自分の経験、日ごろお茶をしていて私たちも遭遇しがちな具体的な状景やなどからはいっていて、やさしい感じだ。ところが2回目読み直すと、こうした経験や具体的事例を、実は心理学的に解析し、より納得させてくれる本ではないかと思い始めた。

例えば、茶事茶会の亭主として、毎回いろんな失敗をくりかえして落ち込むことも多いという事例から、自己受容(不完全も受容する)という概念、自己受容からひいては他者受容、茶の湯は他者受容の場である、という解説、自分では言葉にしたくてもうまくいえない感情の動きも、理論的に解説されると、ああ、そういうことだったのか、と妙に納得がいくのである。そうなるとあれほどむつかしくてスルーした専門用語もなんとか理解しようと思えるのだ。

特に他者受容という概念。
「他者受容が高い人と接すると、自分一人でいるときよりも、自分のことが素直にわかる。ゆがみなくありのままに受容された自分の姿をその人の態度に感得するからである。その雰囲気の中にすわるだけで、自分の本心が自分にわかり、自己受容がはじまる。」
いっしょにいて楽しいのにあとで妙に疲れる人というのは他者受容の低い人なんだそうだ。なんとなくどきっとする。他者受容の低い人は自己受容も低いという。そして、数少ないけれど他者受容の高い方を何人か思い、ああいうふうになりたいなと思う。
それに比べ自分は、、、といじいじ悩むのだが。


もちろん学問的なことばかりではなく、お茶の稽古をするときや、茶事茶会の亭主となるときの自分を励ましてくれる座右の銘にしたい言葉がちりばめられている。

「個性発揮のためには型の習得が必要なのである。型にはまって個性が発揮されないように見える人は型の習得が未だ不十分なことがほとんど」

「稽古と平行して知的好奇心(茶道具にまつわるすべて)を充実させようとする人は、単に点前の手順だけ習えばよいという気持ちで稽古にのぞむ人とでは大きな差がついてくるのは当然である。その差はたんに知識や点前の差だけにとどまらない。全人格的な属性としての教養的態度に通じる。」

自分がめざすことはまちがっていない、言葉にあらわせなかったが、言いたかったことはこれだ、と思う一節。


背筋をのばしてまた勉強、そしてお茶の自己鍛錬をしようと改めて思う。ただ熱しやすくさめやすいのが欠点でいつまで続くか問題だが(自己受容(^_^;?)、本書がくれるような刺激を自分に継続的に与えていかないといけないようだ。




京の冬の旅2018〜相国寺・豊光寺と林光院 - 2018.01.17 Wed

観光客のぐっと減る京都に人を呼び込もうとの思惑で始まった「京の冬の旅」(1/6〜3/18)も52回目らしい。
今回は近場で、相国寺内の塔頭、いずれも冬の旅初公開の寺院を訪れた。




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相国寺の北門から南下したところにあるのが豊光寺。





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相国寺の92世・西笑承兌(さいしょうじょうたい)和尚が慶長年間、豊臣秀吉追善のために建てた寺だという。




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こちらの寺門にはまだ根曳き松のお飾りが。




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かくの如く蹲居の水にも厚い氷が張る寒い寒い日で、観光客も数名がちらほら。




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見所は、ご本尊向かって右の西笑和尚と左の、明治年間に本寺を復興した獨園和尚のけっこう生々しい頂相像と、おふたりの和尚様の墨蹟など。




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西笑和尚は秀吉や家康の外交僧でもあり、文禄の役(秀吉の朝鮮出兵)の講和交渉もされた方らしい。あとで調べて知ったのだが、あの有名な直江状(直江兼続・上杉家家老が家康に対して上洛をはねつけた書状)は当時上杉家との折衝にあたっていたこの和尚様宛だったのだ!




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明治にこの寺を再興された獨園和尚は信徒にしたわれた方らしく、遷化後にその徳を顕彰する退耕塔が有志によって建てられている。この写真ではわかりにくいと思うが碑文の「退耕」は富岡鉄斎の揮毫。(退耕とは官職を退いて田を耕すような悠々自適の境地)




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さて、こちらを辞してさらに境内を南下。




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京都の臨済宗のお寺はどこも広いなあ、、、
この突き当たりはもう同志社大学の施設になる。



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松林の向こうにみえる壮麗な本堂。
相国寺も東の端にちかい林光院へ。



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創建は室町時代ながら、その後移転をくりかえし、秀吉時代に当地に、そして関ヶ原の戦い以後に島津家とふかい縁ができたという。



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島津久光は、この界隈に二本松薩摩藩邸を建て、いっそうつながりが深まったそうだ。
ここは近衞さんとも近く、島津は近衛家の荘園官吏であった関係から、両家の間には深い絆があり、天璋院篤姫が将軍御台所になるときに、近衞家の養女となったのも有名な話。
ちなみに明治になって、この旧薩摩屋敷が同志社になった話は「八重の桜」で学習しましたね(^_^;

今年の大河ドラマは「西郷どん」なので、京の冬の旅もいっそう薩摩色をおしだしているようだ。




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こちらの本堂の襖絵

なんだ、これは?猫か?

いえいえ、、、虎なんです(^_^;。ちろっと左目をあけているのがわかるだろうか?この襖絵は対面に龍が描かれている。その龍が吟ずるのを「ナンダ?うるさいな」とでも言っているような顔がふてぶてしいような、かわいいような、一度見たら忘れられない虎だ。光琳の描いた、京博のマスコットキャラのとらりんにどことなく似ている。

最初にこの本堂の襖絵を注文し、あまりの出来の良さについでに全部、、、といって林光院内の襖絵ほとんどを4年かけて描き上げたのが藤井湧泉という画家さんで、なんと昨年完成したばかりという新しさ!初お披露目やね。

彼は実は中国の方で、(茶道具好きには有名な)古美術オークションハウス○裂会に就職のため来日されたという。(顧客は中国人も多いからね)現在は日本に帰化されている。なんでも若冲に憧れて絵を学んだ、、、というだけあって、ああ、なんとなく若冲の虎図にもかようものはあるな、と。

この竜虎だけでなく、それぞれの部屋も襖に、栗鼠と葡萄(武道を律する)、蓮花、竹林、芥子、、、など墨絵を描いているが、確かにすばらしい。この絵を見に来るだけでも価値があると思う。墨絵に一室だけ薄紅をまじえて描いているのが「鶯宿梅」図。
この寺院のウリでもある。



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(これは門前庭の梅なので鶯宿梅ではありません)



まだ春は浅すぎて、固い蕾であったが、庭園にある鶯宿梅は赤と白の咲き分けである。
林光院の最初の創建場所が二条西院あたり、紀貫之の屋敷跡だったという。もともと貫之邸にあった梅の銘木、帝に召し上げられそうになって、、、
「勅なれば いともかしこし 鶯の宿はと問はば いかが答えむ」
紀貫之の娘、紀内侍の有名な「大鏡」のエピソード。

何代か目であろうと思うが、公開は3月半ばまでなので、そのころ尋ねれば満開の鶯宿梅が見られるとおもうよ。






李青・寺町店 - 2018.01.15 Mon

自称我がテリトリーの寺町通り(御池より北)、なにげに丸太町通りまで出てみると、、、、

ええ〜っ!!!\(◎o◎)/!





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こ、、、ここは私が学生の頃からアジア雑貨のお店(経営者は代わったかもしれない)だった場所だが?!

いつのまにか李青2号店になってる!


李青さんといえば、私が京都に移住する前から愛用している河原町今出川の李朝カフェ。北村美術館へ行ったときにはほとんどかならず寄っている場所、寺町に新しく店舗ができたとは!
なんてうれしい!




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河原町・李青は、(これを見て李朝オタクになったと言っても過言ではない)李朝家具や白磁の壺、木俑や、朝鮮美術関係の本がいっぱいあって、BGMもカヤグム(朝鮮の伝統的琴)の音だったり、とても居心地のいい場所なのだ。

だが、ここもすてき!




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オーナーは高麗美術館創設者・鄭詔文さんのお嬢さんだから、むべなるかな。
アジア雑貨の店だった名残が全然ないわ。
聞けばオープンは昨年10月、もともとご友人のお家だったそうだ。




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垂涎の李朝家具に李朝の祭器にのる仏手柑。
どこをとっても絵になる空間。




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河原町の方はビビンバなど食事系もあるけれど、こちらは喫茶専門。珈琲ものめるよ。




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この冬一番の冷え込みで、道なんか凍っている日に冷たい水正果(スジョンカ)を注文する客なんて他にはいないよね。でもここのこれ、好きなんだ。(シナモンがきいた干し柿入りのほんのり甘い飲み物)




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各テーブルにおかれた鬼灯のオブジェ
ギャラリーコーナーもあって、ここで存じ上げている、李朝陶器の写しがお上手な女流陶芸家さんの作品まで見つけて、うれしくなる。


参考までに河原町李青の写真もアップするね。だいぶん前の写真だけれど。




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入り口






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テーブルにソバン(小盤)の上だけを敷物に大きな花瓶と花、これは寺町李青も同じテイスト。




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このランプもなかせる。
寺町散策のまた新しい寄り道ポイントができた(*^^)v




十日ゑびすの残り福〜宮川町のろじうさぎとか - 2018.01.13 Sat

今年は京都ゑびす神社の十日ゑびすに行けなかったので、ぎりぎりセーフの12日、残り福をいただきに。




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とはいえ、12日ともなると露店も全然でていなくて、(亥の子餅が最高に美味しいところの)鍵甚さんとこの恵比寿餅もはぐれてしまった。

ちなみに昨年の10日の賑わいはこんな感じ ↓




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(2017,1.10)




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なにはともあれ、お参りお参り。
普段はあまり人通りがない場所なので、これでも賑やかな方なのよ。




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まずは裏にまわって社殿の横の板をトントンとたたいて、お耳の遠い恵比寿さんに目をさましてもらう。




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そしてお参り、商売繁盛?(^_^;




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福笹を手にした人もちらほら。
10日前後は福笹授与も東映の時代劇の女優さんが町娘の姿でしはったり、宮川町の舞妓ちゃんだったり華やかなのだが、やっぱりちょっとさびしい。




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福笹には飾り付けのオプションもあるよ。(全部そろえたらけっこうなお値段になる)




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すごいたくさんのおみくじ。
8日の宵ゑびすから始まって、今日までの、参拝者たちの夢の跡というべきか。





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さきほどのたたいた板の横、裏門をまっすぐでると、、、




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このブログでもよく紹介しているところの、元気印の京都通、卯年生まれの女性がオーナーであるところのろじうさぎさんへ、ランチしに。(昨年はお休みだった)




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町家を改修したところのおちついた座敷が定位置。
ここはカフェというよりお食事処と言って良いほどフードメニューが豊富なのだ。(朝ご飯もあるよ)



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京都通のオーナーだけあって、閲覧可能な京都本がたっくさん!
ご飯食べながら京都検定ドリルなんかを斜め読みするのも楽しい。
ちなみに最近、新聞にでていた昨年の京都検定の問題を解いてみたが、3級は楽勝、2級はややあやしい、1級になると全く歯が立たない(^_^;




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ランチもお肉とお魚が選べるの。
うちはお雑煮はおすましだから、ここでは白味噌のお雑煮をいただく。




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昨日が(11日)鏡開きだったので、そのおすそわけもいただいて満足。




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場所は宮川町筋を東へ。
この看板もなんどかアップしてるなあ(^_^;(決して袖の下もらっているわけではありません。お気に入りなんです)




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ここから宮川町筋をさがってすぐに、ステーショナリー好きが避けて通れぬ裏具さん、最近あちこちに違うコンセプトの支店が増殖してるけど、私はろうじの奥のここが一番好きやな。




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で、またまた買い物。
ステーショナリー好きの「あるある」だと思うが、買ってももったいなくて使えなくてどんどん一筆箋とかカードとかが、たまってしまう病気。
残りの寿命を考えたらどんどん使わないといけないのにねえ。




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一筆箋とカードの間の一束。
活版印刷!というのについ惹かれて。紙にかすかな凹凸のある線がたまらないのよ。私の名刺も活版印刷だしさ。




冬の山科・随心院 - 2018.01.11 Thu

東山を裏から(東側から)見た風景



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山科では東山が西にある。
太陽も月も東山からでることはない。だから山科は京都ではない、といういぢわるを言う人もいる(^_^;



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その山科にも、数ルートある奈良街道のひとつが通っていて、ここから六地蔵、宇治へ到る道、その道沿いに随心院門跡がある。




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ここから1kmほど下ったところには太閤の醍醐の花見で有名な醍醐寺があるが、こちらにはあまり観光客はいない。





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門前ではかなり小規模ながら地元の手作り市がひらかれていた。




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随心院と言えば今では小野小町との関わりが有名。実際このあたりは小野氏(小野妹子や小野篁が有名)の地盤であったし、現在も地名に「小野」が残るが、小町がここ出身である、、というような小町伝説は全国あちこちにあるので、真偽のほどはさだかではない。




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お寺の大玄関の準棟纂冪。お寺に行くとまず上を見ちゃうなあ、、この美しさ。

開山は真言宗・仁海僧正、平安時代の一条天皇の頃(紫式部や清少納言が活躍した時代)。
夢に亡き母が牛に転生していることを嘆き、その牛の死後牛の皮に曼荼羅を描いたという伝承あり。




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いくたびもの戦火で焼失したが慶長年間に再建され一条家、二条家、九条家などから門跡が入山し門跡寺院になったそうで、だから寺紋は九条藤なのね。(この玄関は九条家所縁の尼さまからの寄進とか)




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寺内には写経室も。




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本堂は慶長、つまり桃山時代の建築。
ご本尊は扉にかくれて拝見できなかったが如意輪観音という。




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慶長ではあるが、この揚げられた蔀戸がなんとなく小町の時代を連想させて好きやわ。




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他に観光客もいないので、額縁庭園をゆっくり楽しむ。




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狩野派の襖絵もたくさん拝見できたが、これにはびっくり!!
なんぢゃこりゃ!?おちついた寺院の色彩のなかにとびこんでくるこのビビッドな、、、
どこかで見た画風だと思ったら、やっぱり絵描きユニットだるま商店デザインだったわ。




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小町の生涯を描いたものらしく、これは小町が宮中で召されて五節の舞姫をつとめたときのものね。




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こちらは随心院で毎年おこなわれる、はねず踊り(3月の最終日曜)だが、この踊り自体昭和48年からというから、観客が携帯を持っているのもむべなるかな、芸が細かい。
卒塔婆小町チックな年老いた小町の姿も描かれていて、すみからすみまでけっこう楽しんだ。




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庭園は枯山水ではなく、一面苔におおわれて美しい。
雨だれがうがったへこみもなんだか趣がある。




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苔の中を一筋の道




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これは榧(かや)の実
初めて見るが、まるでアーモンドのようだ。
有名な深草少将の百夜通いのエピソード(百夜連続で通い続けられたらあなたのものになると小町に言われ百夜目に雪で門前で凍死してしまったかわいそうな少将のおはなし)で、小町は少将が通ってくるたびに榧の実を糸でとおして数を数えたといわれる。




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門をでると小野梅園がひろがる。梅の枝先も少し色がついてきているようだ。この中に茶席もあるらしいが、残念ながら今は中へはいれないが、3月初めから公開されるようなので。
ちなみにはねず踊りのはねずとは、この梅林に一番多い薄紅の梅の花の色をさすらしい。




付記)いつもは近くのランチの場所なども紹介するのだが、ここ、まわりにみごとにな〜んもありませんでしたので、あしからず。



大津伝統芸能会館新春公演〜二人静 - 2018.01.09 Tue

今年最初の観能は三井寺のとなりの大津市伝統芸能会館





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なぜかここへ来るときはいつも雨、、、なのは気のせい?(^_^;




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本日の演題は「二人静」

菜摘女=味方玄 静御前=片山九郎右衛門
という、ダブル・シテ!と言ってもいいような贅沢な公演ではありませぬか!

まだ能について多くを知らなかった頃、平安神宮の薪能で「二人静」を見た時には途中で意識を失ってましたが、、、(^_^;

予定がはっきりしなかったため、直近でチケットをとったので、正面席はとれず、脇正面ながら舞台に近く、橋懸かりもよく見えて思ったより良い席がとれた。それでも正面席はほぼ満席だったからすごい。




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あらすじ、、、時まさに正月七日、吉野の勝手明神で神官が娘に神前に供える若草を摘んでくるように命じる。菜摘川のほとりいずこともなく女人があらわれ、「この身の供養に社家の方々に一日経(大勢での写経)を願いたい」と。

半信半疑で神社へ帰り、神官に事の次第を報告する菜摘女、しかし供養の相手は名前も知れず、本人も夢か幻かと思っている様子、そこへ先ほどの女が菜摘女にとり憑き、神官と問答をかわすうちに、その人が吉野で義経にうちすてられた静御前の霊であることが判明する。

途中まで、菜摘女であるが、ふとだまりこむ瞬間=静御前に憑かれる、そして、同じ菜摘女でありながら、口調もかわって静御前である己の身をかたりだす瞬間がみどころ。

神官は供養する代わりに、舞の名手であった静にひとさし舞を所望する。

神社の宝蔵に、当時静が奉納した舞の衣裳があるといい、その衣裳を「袴は精好(織り)、水干は秋の野の花すすき」と言い当て、その衣裳を身につけて舞うのである。




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そこへ橋懸かりから重なるようにあらわれた静御前の霊、衣裳は色違いの長絹(菜摘女は紫、静は白)最初は向き合って、やがて二人体を重ねるようにシンクロする舞。最高の見せ場なので、ここでは目がぱっちり!(前半やや意識が飛んだところもあるが、、、(^_^;)

能面は可視範囲がきわめて狭く、相手をみながら合わせるのは不可能に近いらしい。だから息があうことを要求される難度の高い曲なんだそうだ。
足踏みのところはだいたい謡のこのへん、とわかるから一致するのだが、扇をかざしたり、サシコミヒラキをするときに微妙にずれるのが、かえってここちよいゆらぎとなって幻想的な雰囲気がよくでると思う。

  静や静 静の苧環(おだまき)繰り返し 昔を今になすよしもがな、、、


静が橋懸かりで、菜摘女が舞台中央でシンクロして舞うパートは、正面から見た方がいいだろうと思った。遠近法的なシンクロ舞が見られただろうに、脇正面ではどうも同一視野にはおさまらなくて。

最後の方で、静が菜摘女の肩へ手をかけ「静が跡を弔いたまへ」と合掌してふたりとも橋懸かりから消え、曲は終わるのであった。

味方玄先生は亡き片山幽雪先生に師事されていたから、九郎右衛門先生とは同門、さすがに息があって、なおかつ単なるシンクロでない奥深い二重の舞を見せていただいた。ありがたや。

  千歳楽には民をなで 萬歳楽には命を延ぶ
    相生乃松風 爽々の声ぞ楽しむ 爽々の声ぞ楽しむ



赤山禅院・新春八千枚大護摩供〜山ばな平八茶屋 - 2018.01.07 Sun

新春第一弾京都巡り(?)はなぜか修学院の赤山禅院。
修学院は京都市中の東北の角あたり、比叡山の麓で市中より明らかに寒い。




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この日も若干時雨れてさぶいこと。
調べてみたら以前ここへきたのはもう5年も前のことだった。




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赤山禅院は場所柄、皇城表鬼門(丑寅の方角)を守護する比叡山延暦寺の塔頭なので、天台宗寺院なのだが、参道入り口には鳥居が立っているし、ご本尊が泰山府君(陰陽道の主祭神)=赤山大明神という、宗教混合もここまでくると私には手におえない。




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しかも境内には諸処の神様が祀られていて、そのうちの一つ、福禄寿殿が都七福神の一つというおまけまである。だからけっこう辺鄙な場所(地元の方、ごめんなさい)にあるにもかかわらず、参拝客は意外と多い。




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創建は9世紀、円仁聖人起願と伝わる。聖人が唐へ留学中滞在したのが赤山法華院だったことが名前の由来のよう。




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拝殿の上には魔除けの猿が置かれている。ちょうど御所の猿が辻(御所の丑寅)の猿に相対するとか。比叡=日枝=日吉→猿、、、となんとなくわかる。
手には御幣と鈴を持っているが、夜な夜な動いて悪さをするので檻に閉じ込めたという伝説。




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上の写真が逆光であまりよくないので、5年前の写真もあげておく。なんともとぼけたお顔のお猿さん。




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他にも弁財天、金神社、相老社、地蔵堂、いろんな神様やら仏様やらでこの鬼門を守っているのだろう。




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地元の人と神社の人はみなさん顔なじみらしく、新年の挨拶をかわしているのも地元の神社らしくていい。




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境内の各社をまわっていると、こんな狛犬さんも。まあ、あちこちにお賽銭おいてもらって、いいわね〜。




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お参りの人のために火をおこしてくれている社もあって、こんな時雨れて寒い日にはありがたい。





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こちらは雲母不動堂。
赤山禅院と比叡山を繋ぐ道が雲母坂(きららざか)であって、現在もこの地名は有名。(雲母漬けなんて漬け物もあるよ) そこにあった不動寺という寺院が明治に廃寺となり、そのご本尊をこちらに移したお堂とか。




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ここは修験道とも関わりが深い。千日回峰行のときに修験者が、比叡から雲母坂を何回も登ったりおりたりするからだそうだ。だからこの日は(1月5日)は毎年大阿闍梨による護摩供養がおこなわれる。(新春八千枚大護摩供:9時〜15時何回かにわけて)
(ちなみに不動寺開山は千日回峰行の創始者らしい)




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お堂によせてもらうと、堂内はぎっしり信者の方、近所の方でうまっている。とぎれることなく唱えられる不動明王の真言(ノウマクサンマンダー、,,,云々)、大阿闍梨が大きな護摩壇に次々と護摩木を投入。炎が立ち上がり渦を巻く様を眺めるのはなかなかの壮観。その炎の向こうにあまり大きくはない不動尊像が見える。
今年も元気に佳き一年となるよう、護摩木を私もおさめた。



せっかく修学院まで来たので、お昼はここから歩いて行けるこちらにしよう。





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山ばなは山端で、現在でもここの地名。






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創業は安土桃山時代というから、正真正銘の京都の老舗。ここは若狭街道、別名鯖街道沿いにあるので、都へ入る人出る人がここで麦飯にとろろをぶっかけた飯で一服した、という。現存する建物はそれでも寛永年間と言うからすごい。




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なんか、茶室でもありそうな数寄の庭だなあ。




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料理旅館なのだが、名物麦とろ飯はこちらでいつでも食べることができる。




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眼前は高野川




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反対側は数寄の庭
眺め抜群




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名物麦とろこと、麦飯にとろろをぶっかけていただく。
かすかな塩味が素朴ながら美味しい。もう一つの名物はぐじ(甘鯛)の料理なのだが、お腹と相談して今回は見送り。





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帰りにお庭をみせていただく。
旅館なので、たくさんの部屋があるわけだが、いずれも外からうかがうだけながら良い感じだ。




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このガラス戸がレトロで、懐かしく泣かせる。




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宿泊客はこのかま風呂にはいるのだろうな。残念ながら宿泊する機会はないだろうが、ちょっとのぞいてみたい気もする。

ここを後にするときに女将さんや仲居さんが門のところでお見送り、かなり進んで、道があっているか確かめるためにふりむいたら、やはりまたお辞儀をしてくれていた。(お茶をする人ながら、忘れていた私は×、ですが、平八茶屋さん、さすがです!)





お正月2018 - 2018.01.04 Thu

大晦日は紫野某所にてプチ年越し茶事(?!)




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炉には鍋がかかってるし、日本酒のラインナップはすごいし、燗のための温度計まであるという、なんてすてきなプチ懐石!



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少々出来上がったところで、二畳の茶室でお茶をよばれる。




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伏せ籠にこめたりつるお菓子のいとをかしく美味しきこと。



そんなありがたくも楽しい大晦日はすぎて、明けては新年。




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徒歩圏内の平安神宮に恒例の初詣。
ここは午前中早くだとそんなに混み合わないが、昼からはお賽銭投げるのも長蛇の列になる。




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ここの幔幕の四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)はかっこよい。




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ついで氏子であるところの、兎が神様のお使いの岡崎神社へ。
昨年末にはお茶友さんがここで結婚式をあげられ、参列の栄誉に浴した。神殿の中へはいれた貴重な体験であった。(末永くおしあわせに〜)




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初詣から帰り、家内の初釜準備。釜に湯をわかし、かねてより準備したお正月のお菓子を。ここは花びら餅と行きたいところだが、幼児には不人気なのよね、味噌餡。




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なんとな〜くおめでたそうな軸をかけて、年末にいただいた大量の水仙を伊賀の花入れに。




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幼児の成長はめざましく、年々茶室でおとなしくできるようになった。



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特に年中の子は昨年末E子先生にさわりのお茶のお稽古をしてもらったので、懐紙の使い方とか、箸の使い方とかなかなか堂にいっている。茶筅振りもちょっとさまになってきた。来年はもっと高度なことに挑戦しようね。




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家内初釜の後は独座観念(?)自分だけいい茶碗で(^_^; 独服




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水仙は玄関飾りに




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炉の残り火は火鉢に入れて餅をのんびり焼いてみる。




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年末年始どたばたと我が家ですごした子供たちも孫たちも皆それぞれ帰って、やっとやれやれ、ゆっくりと自分の正月、、、と思ったら、気の緩みか風邪をひいて寝込むことになってしまったのである。やれやれ。





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