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2018-03

上七軒・北野をどり〜平野神社〜千本釈迦堂〜桜 - 2018.03.30 Fri

五花街の踊りのトップを切って上七軒・北野をどりが始まった。




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このバカ陽気で桜は狂気のように一気に咲いて京洛は花盛り、そのさなか人の世の花も愛でに。




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ストーリー性のある舞踊劇があるので、私はこの北野をどりが一番好き。




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新調された緞帳はなんと一枚漉きの和紙!
和紙作家の堀木エリ子さんの大作。
照明が落とされると光を透かしてとても美しかった。

舞踊劇は「北野の杜の物語」
北野のお社の杜に住む、イノシシや鹿、兎、栗鼠、紅梅白梅の精などもでてくる楽しいもの。絶世の美女、吉野太夫に化けた狐と狸の化け比べもあでやかに、最後に天神さんが雷をおとすというおはなしである。




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休憩の後は踊りのオンパレードであるが、もう衣裳の美しさに目がキラキラ。
それにしても上七軒最古老、伝統技芸保持者の福鶴姐さんの踊りはすばらしい。一人舞のキレのよさ。フィナーレで舞妓ちゃんとならんで同じ踊りをするとその凄さがきわだってよくわかる。

人の世の花もまた美しい。




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出口のあたりでであった舞妓ちゃん。(narahimuro様、よろしく(^_^;)





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天神さんの北を西へ行くとすぐ桜で有名な平野神社がある。




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桜祭りは来週のはずだが、もう見頃をむかえてしまって、大丈夫だろうか、とよけいな心配をしちゃうわ。




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平野神社の社紋は桜




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しかし平野神社といえば夜桜宴会のメッカ、桜の下には宴会桟敷がいっぱい出ていて、若干艶消しだなあ。(でも数年前、ここで夜桜宴会したけど、、(^_^;)




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薄紅の霞
ここは珍しい種類の桜もあるのだ。




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桜の木の下で上を見上げるとあまりにも狂気じみた咲き方に息苦しくなる。




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人の世の花も自然の花もいずれも美しく、時がうつろえば衰えていく。だからよけいにこの一瞬圧倒的な華やぎをみせるのだろうか。




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茶所では釜で桜湯をいれてくれる。
桜祭りの時にもいつも活躍する釜だ。




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ちょっと塩からい桜湯にほんのり甘い桜花餅(わらびもち)




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また東へもどって上七軒の風情ある通り




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和菓子の老松さんにも北野をどりのポスター

この通りの弓月さんで、誂えた西陣お召しのちりよけをうけとってさらに東へ。




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千本釈迦堂の阿亀桜を見に。




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室町時代の国宝本堂を背にこちらも枝垂れ流れ落ちほとばしる花の滝




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夜は夜とて花に月

あまりに短く息苦しいほどの桜の季節である。




随心院はねず踊り2018 - 2018.03.28 Wed

東山が西にある(^_^;山科は随心院門跡。
この冬、一度おとずれて、はねずいろの花が咲くという梅林を見た。まだ枯木状態だったので、咲く様を一度見たいものだと思い、はねず踊りがおこなわれる3月最終日曜日にふたたび訪ねてみた。






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はねずとは「唐棣」、古くから薄紅色の名前であったものが、今ではすっかり死語になってしまったそうだ。




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随心院の境内にある小野梅園

小野篁などの小野家の所領であった土地柄、小町もここ出身と言い伝えられている。(諸説在り)




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これがその「はねず色」の梅である。




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乙女を思わせる淡い紅色だ。



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梅園内は散策できるし、広間の茶室もあって,呈茶がされていた。




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さて、一日に数回おこなわれるはねず踊り、踊るのは小野学区の小学校高学年の女の子たち。
これもまた、地域によって支えられ維持されている地域の祭なのだ。




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深草少将の百夜通いがテーマ(小町の元に100日通えば諾、と言われ99日目に雪で死んでしまった男の物語)

紅の縁の笠が小町、白の縁の笠が深草少将
乙女たちの衣の色がはねず色。




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この踊りは起源はあきらかでないものの、約1世紀前までは毎年はねずの梅が咲く頃、里の子たちが家家を門つけして歩いた、という記憶があるらしい。

すたれてしまったはねず踊りを再興しようと、地域の人たちが古老へのききとりなどで復活させたのが昭和48年という。




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地域の人たちの努力によって復興した祭は意外に多いと思うが、それを維持していくための地域ぐるみの努力はたいへんなものだと思う。
特に少子化の時代、子どもたちへいかに伝えるか、難題はありそうだ。




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  ♪ 少将様がござる 深草からでござる (約5kmほどの道のりらしい)

     毎夜よさりに 通うてござる 榧の木の実(小町は榧の実で通うた日を数えた)で

       九つ 十と 日数かぞえて ちょいと垣間見りゃ、、、、


この歌では小町は年老いて,この里に悠々自適し、童らをあつめてこのはねず踊りをおどって楽しんだそうな。そんな老後ならいいな。(老後の小町にはいろんな伝説があるが)





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そのあとは、今様の舞があったり




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暑いくらいの好天で、地域の人や遠方からの人もたくさんおいでだ。





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けっこう見応えがあったのが造形大瓜生山舞子連中の石見神楽「おろち」であった。




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4匹もおろちがでてきて迫力あり。
長い尻尾を引きずりながらところせましとあばれたりとぐろをまいたり、、
1匹を1人で操作している、というのも驚きだ。




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4匹合体



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素戔嗚尊が用意した酒をくらうおろち




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戦う素戔嗚尊




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こうして4匹とも首をとられて大団円である。
やんや、やんや




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終了後、お寺の中ではこれも地域の人たちが蒸籠で餅米を蒸し、搗き、丸めて販売中。結構行列できるほど人気。ぜんざいもいただけて、中にその大きなお餅がはいっていて美味しかった。





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桃山時代の建築のお堂や庭園は、冬に来たときと違って明るく開放的な感じ。




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ほんとうのはねず踊りを見たあとに、だるま商店の襖絵のはねず踊りを改めて見るとまた感慨新た。
しかし、、、この襖絵、100年たったらもちっとおちつくのかしら(^_^;?





一枝窓〜宗和流宗匠の茶事 - 2018.03.25 Sun

ここは東京をはなれること少々、一枝窓という名の茶室。
とうとう念願の宗和流・U川宗匠の一枝窓茶事にお招きいただく。(師匠、ありがとうありがとうありがとう。゚(゚´Д`゚)゚。)  (宗和流HP

キャベツ畑ものぞめる田園の中に突如あらわれる数寄屋門、中へいざなわれると、とんでもない茶の湯空間が広がっていたのだ。




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(一枝窓露地の枝垂れ梅)


U宗匠のお茶をはじめて拝見したのが約3年前、宗和流会長に就任されることを決心され(世襲ではない)、流祖・金森宗和と深いつながりのある大徳寺真珠庵・山田老師に参禅、「寒鴉(かんあ)」の齋號を授与された披露茶会@根津美術館であった。まだ40代の若さにしてすばらしい創造力、マネージメント力、人脈。お話ししたわけではないけれど、とても包容力のある暖かい、そして面白い方ではないかと秘かに思っていたのである。
そのご縁もあって、昨年秋,宗匠が懸けられた八王子美ささ苑獨楽茶会にもはるばるでかけた。その流れで宗匠と親しい師匠のお声かけで今回の茶事が決定、感激もひとしおである。

関西各都市からばらばらに、連客に茶友をつのったら、お彼岸のさなかなのに僧籍の方が3人も集まるという、、、(^_^; 実に楽しい席組となった。





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(これはうちの露地の楓の芽吹き)



待合に、不思議な、でも魅力的な未来風に解釈した観音様?の墨絵が掛かっていて、これはだれのだろう???と一堂首をかしげていたら、作者は「ファイナルファンタジー」のアートディレクター上国料勇さんという方だった。(ファイナルファンタジーを知らないモノで、、、)茶事の八寸のおさかなとして、さらさら席中で描かれたものを軸装されたとか。これがご縁で、宗匠の参禅の師、山田老師の真珠庵の襖絵を描くことになったそうだ。(このニュースは京都新聞でなにげに見ていた)


露地では枝垂れ梅が散りかかり、塀越しに近隣の桜の木が見える。腰掛け待合いの雨樋や枝折り戸にそれぞれ工夫があり、これも宗匠自ら考案されたものなのだろう。

初座席入り
三畳台目中柱下座床給仕口付きの小間で、突き上げ窓もある。
床にかかるのは近衞応山(信尋)の宗和への消息で、日付が「三月尽」、まさに今の季節。宗和の茶は公家社会を中心に浸透していたから、これもその人脈をうかがわせるもの。

炭手前で見事な古芦屋の釜を拝見するが、鐶付きが見猿、聞か猿、、、言わ猿がないなあ、、と思ったら、古色も見事な蓋のつまみがクチナシ(言わザル)とか。
ここらへんから宗匠の高尚なギャグが連発。

「炉縁の材は?」
「真珠庵のクリの古材ですが、クリではありません」
「?」
、、、、庫裡と栗ね (^_^;

箱書にあった「寛延(かんえん)○年、、、」と読んでいたら「B型ですかね」
「?」
、、、B型肝炎なのね。


以前2回の茶席はフォーマルな席だったので、きっとおすましされていたと思う。でもこの方は本当はもっとユーモアのある面白い方にちがいない、と思っていたので、まさに的中、茶事の間中、ずいぶん笑わせていただいた。

ちなみに宗和流の炭手前で印象深かったのは枝炭の上に「花炭」と称して小さい輪炭をおくこと。まるで梅の枝に花が咲いたように見える。
また、小豆石の炉壇がみごとであったことと、寒鴉斎の号にちなんでなんと烏で作った羽根が、まさに濡れ羽色で美しかった。(こんど烏の羽根がおちていたらひろっておこう、、)



懐石は八畳の広間にて
また八寸が長い長い、だって御連客がみな芸達者すぎて終わらない(^_^;





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これがバカウマだった奈良今西酒造のどぶろく。まさに爆発的にうまい酒。(ちなみに最初のお酒は宗和出身地の高山のお酒だった)

宗匠に八寸のおさかなとして求められて、イタリアン茶事の雄・Y和尚は例の割り箸芸(鼻の穴につっこむようにみせるやつ)を見せるし、M尾流のT和尚は声明をひとうなり、師匠はプチ落語をご披露、もうみんなお酒の勢いもあって笑いがとまらない。八寸のあとにも懐石がでてくるのは、お酒が長くなったときの臨機応変版なのね。

石杯の数を人数より一つ少なくするのは、杯が回せるから(いろいろな杯で飲める)というのは勉強になった。

名残惜しい八寸、懐石の最後にでた主菓子が、齋號披露茶会でもでた赤坂・塩野の「鴉笑」、寒鴉齋好み。黒糖のきいた小豆色のきんとんを切ると、中から赤い餡がでてきて、まさに鴉が笑ったよう。





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(これもうちの露地のつわぶき)



後座はふたたび小間にもどって。
少し暗くなった部屋で静かに練られる濃茶は斗々屋茶碗にて。茶入が美ささ苑茶会で拝見したあの背の高い高い肩衝であった。またここで再会できるとは!不昧公が作らせた出雲焼で、仁清の背高肩衝「存命」写し。あの時見損ねた、不昧公おかかえの指物師だった(小林)如泥の雪月花の三つの箱も今回はちゃんと拝見できた。


そしてそして今回最大のサプライズが薄茶席であった!!




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(寒鴉→枝にとまっているんですが、見えるかな?)



別棟の二階へ上がるとまずは二畳中板の薄暗い小間、床はなく、真珠庵和尚の画賛がかかる。釜はどこ?と思っていたら、まずは一辺の襖を開ける、するとあらわれる台目席!中柱が(そうは見えないけど)鉄で、壁が建材ボードというのもびっくり。いえいえ、まだまだ序の口、「人数が多いときは、、」とおっしゃりながら、隣の辺の襖をあける、おお、一畳の相伴席、これで三畳台目ね、と思っていたら、残る最後の辺の襖をあけはなつ、、、うおおお〜〜〜((((;゚Д゚)))))))
いきなり開放的な広い窓からさしこむ光、そこは三角形の畳もあるという変形ながら四畳半ほどの茶室になっていて、逆勝手の炉に釜がかかりお湯がわいていたのであった。


こちらは窓辺に客が腰掛けられる仕様になっていて足が楽。
お茶碗はたくさん出てきましたよ〜、仁清の三玄院天目!そういえば根津の齋號披露茶会ではじめてこの三玄院天目、というのを知ったのだった。





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これはその時の引き出物、宗匠プロデュースのスガハラガラス(sghr)で写した三玄院天目。これは透明だが、不透明黒ガラスのもあって、すごいcreativity、と思ったが、美ささ苑の茶会ではガラスでかの有名な重文茶碗・鱗波紋茶碗も写していてさらに驚いた。その茶碗にも今回再会できて感動したのである。

ふりかえって思い出せば、おどろいたり、よく笑ったり、(よく飲んだり)心はずむ楽しい茶事であった。やっぱり、私が目をつけた(?(^_^;)だけあって、宗匠はほんとうに多才なすてきな茶人でした。御連客も思うに最高・最強のメンバーでこんな一座建立はもうないのではないかと思うほど。
ありがとうありがとうありがとう(師匠、特にありがとう!)と心でくりかえし、京都に帰り着いたのであります。



(一枝窓の茶室の画像がこちらでちらっと拝見できます。宗和流HPより)





春雨と船出の茶事〜其中庵 - 2018.03.23 Fri

其中庵さんが、亀岡の楽々荘を去るにあたって、さらば楽々荘茶事を催しはったのは昨年の一月のことであった。

 


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(御所 出水の糸桜)



  飯疏食飲水 曲肱而枕之 楽亦在其中 (論語)

其中庵さんはここを去っても茶を愛するの心強く、祗園のお店で茶狂会を続けておられたが、このたびついに自宅を茶事のできるように改修し、ここに席披きの茶事をひらかはった。
そして不肖ワタクシ、他の親しいお茶友様とご一緒に参席の栄誉に浴したのである。





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苦労された其中庵さん力作の露地。
100kgもある石をご自分でころがして据え付けられた蹲居。




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これもつい最近ご自分で作られた塵穴である。

この露地の景色を、歩みながら腰掛け待合いにすわりながら楽しむ予定が、いきなりの春の嵐、よこなぐりの雨も降って断念。そういえば楽々荘最初の茶狂会も雷鳴轟く大嵐であったなあ、、と懐かしく思い出す。(かのときも、今回も、察するに大雨男F太朗のせいであろう(^_^;)





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楽々荘にもかかっていた鈍翁の「茶狂」の軸がこちらの待合に。「其中庵」の扁額も懐かしい。

本席は八畳、炉を切るのにもご苦労されたあとがしのばれる。障子をしめれば、ここはマンションの一室とは思えない密度の濃い茶の湯空間になった。茶の湯愛も業というべきか、執念というべきか、とうとうここまで形にしはったのには感動。


初座では、楽々荘とのえにし浅からぬお客さま方がこの席披きを感慨深く語り言祝ぐ。





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(御所の白木蓮)



床には澤庵 宗彭の消息「春雨の文」
金剛流脇方高安家の某への手紙で中回しが金剛裂か?

外は春雨を通り越して春の嵐であるが(^_^;




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(合掌の形の木蓮)


例によって出過ぎず引きすぎず絶妙のあんばいの富山・万惣さんの懐石
白魚のしんじょうや、富山のホタルイカのぬた、はまぐりのピカタなど、どれも春の味覚で美味しく頂戴したが、やはり一番のご馳走は煮えばなからお米が光っているご飯であった。




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席披きなのでみんなの折敷にツボツボがあったのだが、これの中味が???
ふつう酢の物をいれることが多いが、これは?と亭主にお聞きすると「あれ」と言って軸の方へ目配せ、、、、、ああ!そうか、春雨!! (大受け)

八寸ではお約束のお謡い
F太朗渾身の(?)「猩々」にあるじ十八番の「四海波」
以前茶事で私が歌ったQueenやりましょか?で全員で「We will rock you!」 を手拍子、まことに楽しい八寸タイムであった。

老松さんの美味しく美しいつくねきんとんをいただいて中立となった。




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(近衞の糸桜)



後入りはさいわいにも雨が小やみになったので、やっとあるじ力作の蹲居をつかうことができてよかった。




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後座は燈火のもとにて

室町時代の竹の華籠(けこ・散華のいれもの)に一枝の桜
平家納経を思わせるような麗しい法華経の掛け物

それぞれの影が揺らめく中、濃茶が練り上がるまでの静寂は、濃縮された空間を作り出す。さきほどまで大騒ぎしていたメンバーとは思えぬほど。

手の中にすっぽり入りそうなかわいい小さい古瀬戸の茶入はその名も「春雨」。これを入手されたときのお話しもおもしろかった。

濃茶の茶碗も、続き薄でたくさんでた茶碗も、多くは楽々荘で何度か拝見した物であって、これもまた巡り会えたことがうれしい。そして楽々荘に通った数年のことをあれこれ思い出す。まさに薄茶でだされた干菓子「さまざま桜」の心境である。(さまざまな ことおもいだす桜かな 芭蕉)





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それにもまして其中庵さんはさまざまな事を思い出されていることだろう。

3月は身内の方や友人とお別れした想い出がたくさんある月だとおっしゃる。それ以上に出会いもあり、この季節は其中庵さんにとって特別な季節なのだそうだ。

そんな季節に席披き、新たなる其中庵の船出である。
その航路に幸多からんことを感謝とともに祈る。







松江散歩 - 2018.03.21 Wed

せっかく4時間近くかけて松江に来たのだから、茶会だけでなくちょっとお散歩




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これは前泊した時の夕暮れの大橋川、さらに向こうには宍道湖がひろがっているはず



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宿で荷解きしたあとは、飲食店街が軒を連ねる京橋通り周辺へ。
お濠の岸辺はきれいに整備されていて夜はいっそう美しい。



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夕食は、元は老舗旅館であったという蓬莱吉日庵さんで。




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母屋は明治時代の建物、旅館としての創業は昭和元年だというから、かれこれ100年近くたっている数寄屋建築。



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庭も広く蹲居や灯籠など、よい雰囲気。
(猫が走り回っていたのも私的にはポイント高し)




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夜の懐石コースをいただいたのだが、京都だったらこれ、確実に3倍近くの値段するよね、の内容。
美味しくて、松江の地酒もちびちびいただく1人飲みのしあわせ。




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翌日、枕流会さんのお茶会の後、帰りの列車の時間まで、主にお城周辺の伝統美観地区を中心にまわる。

左手は城のお堀、右はかつては武家屋敷がずらっと並んでいたという塩見縄手通り。



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今もまだ武家屋敷の格式をとどめる大きな家がたくさん並ぶ。




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松江に来てどうしても味わっておきたかったものが一つあって、これがその「ぼてぼて茶」

沖縄のぶくぶく茶、富山のばたばた茶と同じ系列の飲むと言うより軽食的なお茶である。
左の泡立てたお茶に、右の小皿の中のもの、赤飯、黒豆、漬け物などを投入、かきまぜていただく。農作業の合間、箸を使わずにとれる虫やしないがルーツとも。




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お茶は番茶だが、それだけでは泡立たないので、干した茶の花をいれるのだそうだ。泡立てるのはこんな長い茶筅である。茶筅はさすがに買う気にはならなかったが、ぼてぼて茶は一パック、購入した。家でやってみよう。




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やっぱり国宝・松江城はのぼらんとね。着物であったが、がんばって最上楼までのぼったよ。



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慶長16年創建、ここの一番のご馳走はやはり宍道湖の眺めだろうな。創建したのは堀尾吉晴という武将だったが、そののち次々と城主を替える。このあたり岡山城も同じだったな。




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そこらへんの歴史も知りたくて、次に向かったのは、、、、




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松江歴史館
この日は無料開館日でたくさんのちびっこたちもやってきていたから、ゆるキャラさんも大奮闘中。
ここで松江の歴史、街のなりたちなど学習した。




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ここにはいっているきはるcafeの和菓子がまたすごくかわいくて感激。なんでも和菓子で受勲された職人さんの手作りだそうだ。たしかにこの色と具象の造型は京菓子ではまずみられないものだが、それが松江という町にはとてもにあっている気がした。





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目の前の濠には観光周遊舟もたくさんでていて、気持ちよさげである。時間があれば舟で濠めぐり、したかったなあ。




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ふたたび塩見縄手にもどって、田部美術館へ。



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これは茶会の会場であった赤山茶道開館も造った田部長右衛門(23代)が、家に代々伝わる茶道具のコレクションを公開するために建てた美術館である。
不昧公ゆかりの茶道具から、出雲焼(楽山焼、不志名焼)のコレクションでまたすばらしかった!



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なんとあの古染の葡萄棚水指もあるんよ〜♪
半使、三島、刷毛目、堅手、絵高麗、、、と垂涎の高麗茶碗がならんでいるところはもう、、、、(((o(*゚▽゚*)o)))




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ほんまにこの田部さんという方は松江の茶の湯、伝統芸術に対して多大な貢献をされた方だったのだなあ。こういう方をかつて知事に持った島根県民はさいわいですね。(口は出すが本質的に貢献していないどこぞの首長とえらいちがい、、)





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最後に松江といえばやはりこの人もわすれてはいけない小泉八雲さん。
その松江の旧宅が一般公開されている。
といっても実際ここに住んだのは元松江藩士の娘セツとの新婚時代の五ヶ月間だけなのだが、著書「知られざる日本の面影」で、この家の記載がたくさんされているという。




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三方をそれぞれ雰囲気の違う庭にかこまれ、開放的な作りで、もとは武家屋敷であったそうだ。




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奥の机は八雲が使っていた椅子と机を正確に復刻した物。椅子とのバランスが奇妙で、目の悪かった彼の独特の姿勢をここから想像することができる。




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隣は小泉八雲記念館
「怪談」の作者として、あるいは失明した左目を気にして右の横顔しか写真に撮らせなかった、などは知っていたが、それ以外はほとんどしらなかったなあ、と実感。

彼はギリシャ生まれ(母がギリシャ人)のイギリス人で、文筆で身を立てるべくアメリカに新天地を求め、そしていつしか日本に流れ着き、ここを終の棲家としたのだ。
彼とセツの間に4人の子供がいたのもしらなかった。この子どもたちの家族写真がたくさん展示されていて、彼らのその後も知った。家庭人としての彼のひととなりを垣間見ることができた。




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いそぎ松江旅で、時間があればまだ行きたいところは山ほどあったのだが、、、

お土産に買ったのは彩雲堂さんの和菓子「彩紋」
これは隠岐島が実家のかつての同僚が、よくお土産に買ってきてくれたもので、とても懐かしい。






不昧公お膝元にて枕流会茶会〜松江 - 2018.03.20 Tue

お茶会に参席のため、はるばる来たのは、、、、



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なんと松江〜!!
私の記憶の最古の部類に入る三歳児だったころ以来だから、まあ、ほとんどはじめての場所といっていい。



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松江は松平不昧公のお膝元、おりしも没後200年の今年、「不昧公200年祭」に沸いているのだった。

そのお膝元で、不昧公が愛した茶の湯の精神と文化を受け継いで次世代に伝えようとしているグループが枕流会である。流派の垣根も越えて、参加は個人から、島根県の肝いりだったり、政財界のリーダーだったりする。その活動に興味をもちつつお招きもいただきながら松江は遠くて〜、、、だったのだが、今年とうとう、松江まで来ることができた。




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松江城の北、赤山茶道会館が茶会の会場である。「茶道会館」というからもっと味気ないビルを想像していたが、予想に反して立派な数寄屋の建物である。坪庭のある広い内部は江戸時代からここにあったように思えるが、昭和50年代の建築と聞いてまたびっくりする。

島根県知事だった田部長右衛門(23代)の尽力と聞く。彼は大山林地主でもあり、茶の湯をはじめ島根の文化振興に尽くした方だとか。不昧公ゆかりの茶道具も多く収蔵する田部美術館の設立や、この茶道会館に隣接する不昧公ゆかりの茶室明々庵の再建など、またご息女の1人は官休庵家元夫人である。




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待合になった広間の座敷の縁側は静かで、うらうらとよい日和、最高に気持ちがよい。庭の向こうの藁葺き屋根が再建された明々庵になる。


まずは二階の洋室広間で蕎麦懐石をいただく。ここを担当されているのが有名なお茶人ブロガーEさん、彼が懇意にされている蕎麦職人さんといっしょに考えて下さったこだわりのオリジナルメニュー。




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向付は蕎麦粉を葛でかためたもの、蕎麦めし、そして松江と言えばやっぱりこれ!しじみ汁。




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蕎麦しんじょう
炊き合わせなどの強肴などもあって、箸洗いかわりにこの、、、、




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水蕎麦が最高のご馳走であった!
十割のぷるぷるの蕎麦を、タレなしで、冷たい名水でいただくという、蕎麦によほどの自信がなければ出せぬシロモノ。蕎麦そのものの味わいがとても印象深かった。




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次に濃茶席
ここは四畳半下座床の小間である。粗いスサのはいった土壁が渋い。
亭主は尾道からいらした数寄者さん。お話しがとても面白く勉強になる。
不昧公の雛の消息が軸に、呉須有馬筆の香合、古芦屋釜(茶屋四郎次郎が所持)、桃山の伊賀水指、古瀬戸春慶の茶入(薄造りで軽い!)、主茶碗はゴブレットみたいな大ぶりな宝城呉器、いずれも名品揃い。

印象に残ったのは、久須美疎安のサインがはいった(かれの義父であるところの)庸軒のごつい竹の蓋置。庸軒ってなんとなく好きやわ。(家の近くに淀看席あるし)

近衞豫楽院御作の竹の筒状の花入
ご亭主はこれにどんな花をいれるか悩まれたそうだが、すぐれた茶人でもあった豫楽院の言動を記した「槐記」(侍医であった山科道安著)にこんな花をいれた!という図がのっていたそうな。それをそのまま踏襲したそうで、柳の若芽を三本、一本は結び柳にし、そして椿。江戸時代のお公家さんの茶の湯の姿を彷彿とさせる。そして銘が「雛鶴」、軸の文にひびきあう。

お正客が宗偏流、私が裏千家で、官休庵の方もいらして、ご亭主は表千家、お点前は速水流というあまりの融通無碍な席にちょっと感動。流派を越えた自由なお茶の気風を垣間見た思いだ。




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薄茶は明るい縁側に面した広間にて
ご亭主はいつも京都でお世話になっていて、今回おまねきくださった方。ここ、出雲と深い絆を持っておられ、枕流会のお世話もされている。有馬頼底猊下ともご懇意なので、猊下所縁のお道具もたくさん。

雪舟の寿老人の軸にかわいい道八の狗香合
茶碗は古曽部焼、出雲焼、織部、、、、みなさんがそれぞれ薄茶をおかわりした数だけでてくる多彩な茶碗の数々をひとつひとつ手にとって拝見させて楽しませていただいた。

お菓子は地元・三英堂さんの「四ヶ村」
以前ご亭主の京都での茶会でいただき、その名前の由来を調べた記憶があった。



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画像は三英堂さんのHPからいただいたが、まさに開きかけの白い椿で,実に美しいお菓子。
不昧公が鷹狩りの際、この椿に目をとめて「これほどの品のある椿は、近隣の四つの村を見わたしてもない。」とおっしゃって命名されたものだとか。

実際その椿の本歌は不昧公の茶室「菅田庵」のそばに今もあるそうで、そこから挿し木したものだったか、その四ヶ村椿が床に飾られていたのには感動した。





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これが四ヶ村!たしかにこんなに美しく品のある椿はなかなかない。ああ、いいものを見たわ。

こういう茶の湯の活動が、都を遠く離れた地方都市で根付いて息づいていることはなんと貴重なことであろうか。松江のような古い歴史のある地方都市は(交通の便があまりよくないことが逆に作用して)伝統文化のタイムカプセルだと思う。損なわれることなくこれからも守って発展させていってほしいなと、僭越ながら思った次第。

枕流会の皆様、おさそいくださった薄茶席ご亭主様、蕎麦懐石のE様、ありがとうございました。



<おまけ>

隣接する明々庵の画像


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不昧公好みの茅葺き茶室
二畳台目向切の小間と四畳半




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見えにくいけれど「明々庵」の扁額は不昧公のもの



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こちら小間席

この茶室はいろいろ流浪して(東京にも行っていた)、先の田部長右衛門さんの尽力でここに再建されたそう。(不昧公没後150年記念事業として。50年前!)



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ここは高台であって、はるか松江城も望めるのであった。












茶飯釜で玄米を炊くシミュレーション - 2018.03.18 Sun

ちかぢか茶飯釜の茶事をお茶友さんとこでいっしょにする予定。

お互い共通の茶友のTさん、彼の実験茶事でだされる玄米ご飯の美味しさを再現すべく、初めての茶飯釜茶事なのに白米でなく、玄米を炊くという無茶ぶり(^_^;





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ぶっつけ本番はあまりに危険なので、事前シミュレーションをすることにした。

茶飯釜茶事は、席中でご飯を炊いて懐石として供し、その後に洗ってお茶用の釜にする。手取り釜で米も炊けば茶もわかした丿貫さんを連想させる極侘びの茶事。
専用の茶飯釜は、ご飯用の広蓋、お茶用の小蓋と、蓋を入れ替えて使い、釜の一方には「飢来飯」、反対側には「渇来茶」と鋳込んであるのがスタンダード。




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お茶友さんの釣り釜は、鎖ではなく鉄の自在でなかなか味がある。




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水に一晩漬けていた玄米3合に水5合でやってみる。
実際の茶事ではしゃもじでかき混ぜるが、水の分量確認のため柄杓を使っている例もあって、この茶事は定型というものはあまりないもよう。




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種火も、つぐ炭もいつもより多目に入れて、火力をあげる。
もちろんふ〜ふ〜の火吹きも忘れずに。茶事ではお客様にこれをやってもらうのだ。酸素を送ってやると炭ってほんとうに燃えて炎があがるのな。




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ご飯が炊けるまで、もちよりお惣菜で晩飯にしながらおしゃべり。茶事ではこの間に短冊に歌を書いてもらったり、煮物椀や強肴を先に出したり、いろいろ過ごし方があるみたいね。




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かれこれ20〜30分ごろ、さかんに湯気がでてきて、そのうちぶくぶく泡がでてきた。どこでとめるか微妙なところ。40分ごろに湯気もおさまってきて、すこ〜し焦げるにおいがしたところでおそるおそる蓋をあけてみる。




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おお〜!
炊けとる炊けとる。煮えばなをちょっと取って食べてみるが、若干芯がある感じ。食べられんこともないけどな〜、Tさんの玄米飯のイメージとちょっと違うなあ〜。




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ところが蓋をしたまま火からおろしてしばらくすると、蒸れて飯感アップ!玄米も蒸らしが大切なのだな。

ちなみに後で聞いたのだが、Tさん曰わく、玄米は3日前から水につけて、そののちお湯につけて発芽させるともっと柔らかく、甘くなるんだそうな。白米とかなり勝手が違う。茶飯釜は飯が命だから、やっぱり予習しておいてヨカッタ。




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ふたりでたらふく玄米飯を食べたあとは、ガシガシ釜をあらってお湯をわかし、お茶の用意。
せっかくだから四ヵ伝のお稽古もした。(小蓋は準備できていなくて、飯用の広蓋使ってます)

なんとかこれで本番うまいこと玄米が席中で炊けますように〜!







修二会2018〜3月13日〜お松明、走りの行、香水給わり、達陀 - 2018.03.16 Fri

若草山をのぞむ大好きな景色




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今年のお水取りは3月2日に若狭の鵜の瀬までお水送りにきっちり行ったから、なおさらはりきってでかけるのである。




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二月堂

3月13日、これに先立つ深更に、閼伽井屋の若狭井でのお水取りがおこなわれた日。その明くる日にあたり、修二会の行も残すところあと一日、という日だ。




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若狭井がある閼伽井屋
2日にお水送り見ましたけど、ちゃんとゆうべ届いたのですね。(とイメージした方が楽しいよね)




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鵜の瀬から時空をとんできて、若狭井があふれるときにともに出現した白黒の鵜のお姿が閼伽井屋の屋根にある。




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じっと待つこと2時間
しかし今年はほんまにあったかい。お水取りがまだおわっていないのに、、、といぶかしく思うくらい。

今回はお松明のあとのお堂での走り、達陀が目的だったので、なるべく正面の西の局の場所を確保すべく、お堂直下でなく、参道階段に近いところに場所とり。




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三度の案内の声を聞いて(3度目は「出仕の案内(あない)!」「承って候!」)
いよいよ北の回廊を上ってくるお松明
た〜んた〜んたんたんたたた、、、という練行衆が内陣にはいる差懸(さしかけ)の音も忘れずに耳を傾ける。

こういう音も音楽的で楽しみたいのだが、いかんせん周囲のおばちゃんの声がうるさくて〜(´・_・`)





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北に上がり南の欄干の端まで走るお松明

今年も無事、見ることができた。私にとってはスパンのとっても短い「不退の行」ですわ(^_^;




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今年はやや遠景



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それでも火の粉は少しだけ飛んでくる。美しいながめ

達陀のある日(最後の3日間)は参拝客も多いので、規制が年々きびしくなるが、なんとかお堂正面の西の局に潜り込み成功!すでに参拝客でぎゅうぎゅう。(数時間前にいっとかないと、場所とれない。)

これから約5時間あまりをお籠もりする。




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その前に、場所を確保してちょっと用足し。
茶所は最後の3日間はミニ食堂に早変わりするので、軽食をとることもできる。




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他の日は使われない竃にも火が入り、大釜に湯もわく。これも3日間だけのお楽しみの風景だ。





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瓜灯籠


二月堂のお堂には東西南北に局があり、女性でもここまでは入れる。格子の向こうに内陣、外陣が見え、外陣には男性の参拝客(東大寺所縁の招待客のみ)のみ

昨年は南の局でお籠もりしたが、寝ると死ぬぞ!と思うくらいの寒さであったがな、今年のあったかさはどうなんだ。防寒グッズ山ほど用意したが用がなかった。

13日はまず神明帳、「○○の大明神、XXの大明神、、、大明神、、、」と歌うように続く。遅参して若狭井を湧かせた遠敷明神もよばれているはず。




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カラコロと鈴の音、法螺貝の音、差懸の音、声明の声、とくに「南無観 南無観 南無観、、、」のいわゆる南無観コーラスは何度聞いてもいい。般若心経もふつうのメロディーとちょっと違って音楽的で、これも耳にここちよい。
今年もお声に艶があってすごくいい上司永照師が大導師で入堂されており、お声を聞き分けることができた。

正面なので、戸帳がよく見える。その向こうの灯明に描き出される練行衆の影が幻想的で、視覚でも楽しめる。

走りの行は23時ごろから

最初は差懸の音をひびかせて戸帳(白い粗い目の長い布)の向こうで練行衆がお堂のなかをぐるぐるまわるのだが、いつのまにか差懸の音が消えている。
練行衆が足袋はだしでだんだんスピードをあげてぐるぐる走る走る。

 兜率天での1日は人間界の400日にあたる。少しでも天上界に近づかんと、走るのだ。
咒師の「しっちへん!」というかけ声で1人が外陣にとびだし五体投地をする板、バンバン!という音。

和上(練行衆の中の四職の一つ)が「御帳をあげはんべれ〜!」と声を上げると、兜巾、篠懸の格好を許された堂童司が、外陣と内陣をへだてる戸帳をまずふわっとひろげる。そしてきりきりきりと独特の作法で巻き上げてゆく。たくさんのお灯明が燃え明るいので、はっきりと内陣の須彌壇の前に山型に積まれた壇供の餅や糊こぼしの造花の荘厳がくっきり見える。これは兜率天の様子を参拝客にみせているのだという。


走りの行のあとは香水給わり
これも数年前いただいたことある、、と思ったらすでに5年前のことだった。

今回は鵜の瀬までいったので、その水をいただけるのでは、、と思ったが、参拝客にふるまわれるのは昨年の香水なんだそうな。残念。ちなみに練行衆にはその年の新しい香水が与えられる。

「礼堂に香水参らせ〜」

これを合図に格子にかけよって手をさしだす。
(↓小学館の「東大寺お水取り」より)



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長い柄の付いた唐銅水杓で手のひらにたっぷりいただいた。口に含むと甘露、今年はひとしお感慨深い。

午前1時頃、いよいよ達陀

これも数年前南の局から(いっぱいで西にははいれなかった)端っこの方でかすかに見ることができたのだが、今年は堂々真正面から。西の局から内陣までの距離は短いので、思った以上の迫力。

咒師が四天王勧請、四方にて場を浄める四方加持ののち、八天の加持。 

八天は水天(水を撒く)、火天(火の粉)、芥子(ハゼ)、楊枝(楊枝)、大刀、鈴、錫杖、法螺

1人1人が小走りにあらわれ、身をかがめて何回かはずみをつけたあとピョンと跳び上がってはそれぞれの呪物まいてはすばやくひっこむ。

このときのはずみを付ける動作が蛙を連想させてとてもユーモラス、一体どこからこの所作はきたのだろうか。不思議でしょうがない。(これも由来がわからないそうだ)

下の写真(小学館)はたぶんハゼを撒いているところ




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そのあと達陀のクライマックス、3m、40kgある杵型の達陀松明をひきずって堂内を一周した火天と、洒水器と散杖をもった水天のせめぎあい、「ブ〜ン、ブン。ブ〜ン、ブン。」という独特の法螺貝のリズム、とびちる炎、、、もうただただ美しかった。

最後に局の方に向けて放り投げたたきつけられる松明、圧巻である。


興奮さめやらぬなか、この日の行を終えた練行衆が「ちょうず、手水〜」とさけびながら下堂、午前1時半である。











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練行衆が参籠所にお帰りになった後、せっかく本当の若狭の遠敷明神へ、今年はお参りしたのだから、(おそらく)分社の二月堂上にある遠敷明神にお参り、私の中で、今年は若狭と奈良がつながった。



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一段高いところにある遠敷明神から眺める瓜灯籠




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お松明が登ってきた北の回廊をおりて帰途につく。




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練行衆の体をささえる食事をつくる湯屋の夜の景色もとても好きだ。




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裏参道からの帰路




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輪注連の懸かる塔頭発見、ここの方が練行衆に出仕されているしるし。




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というわけで、、、、今年はお籠もりに重点をおいて西の局ゲットのため、お松明の燃えさしあつめははしょってしまった。参籠所の前で、かろうじて見つけた小さな燃えさしのみ、これが今年の戦利品である。


お水取りはおわった、春が来る、、、いやもう十分来ているよね、今年は。





西園寺公望公の京都別邸にて春の新旧乙女茶会 - 2018.03.13 Tue

百万遍の京大近くにたたずむ清風荘。
学生時代から前はしょっちゅう通っていて、一体なんなのかな〜〜〜???と疑問に思っていたのが清風荘の外構でありました。

明治の元勲・西園寺公望の京都の別業(別邸)で、実弟である住友春翠が兄のために建てたお屋敷です。




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現在は京都大学が所有しており、以前は荒れ果てていましたが、近年整備され、庭共々重要文化財になりました。その経緯は以前ここで心茶会後輩の茶会があったときの記事に書いたので読んでくださいませ。





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このたび、その後輩のご縁でもって、新旧乙女茶会(ほんまの乙女と,元乙女のお茶会乙女団→団長?・私(^_^;)、このすばらしい邸宅のあちこちを使って、大文字が正面に見える植治の庭も使っての春の茶会を催すことができたことに感謝。


非公開文化財なので、写真はアップできませんが、知る人ぞ知るこのすばらしい邸宅、庭園は是非こちらの京大HPで見てくださりませ。ほんまにすごいよ。




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待合に、庭園がみわたせ、大文字も正面に見えるところ広間の座敷をつかわせてもらったけれど、床の間があまりに広大なので、乙女のひとりがアイデアで、千代紙で蝶々を折って、床の間の床に飾ってくれました。いつも新旧乙女茶会で登場する花にちなんだ歌の百人一首の札もいっしょに。





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茶室は庭園内に独立してたつ保真斎
四畳半の茶室で江戸時代の建築、清風荘を建てるに当たって移築した物とか。えらい茶室つかわせてもらえたこと。さらに独立した袴付き+供待ちの閑睡軒という建物もあるという贅沢さ。



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風炉先に花結界を使う。
こんな道具もみんな乙女たちの持ち寄り。




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床には西園寺さんの消息を巻物風に表装したものを直に下に置いたので、花入は無双釘に。花結界なので、ここには花は入れず朝、庭で切ってきたドウダンツツジの芽吹きを。
この花入は人生最初の茶事で使った思い出のもの(作者不明)





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おりしも東日本大震災からちょうど7年目の日、供養のつもりで脇床に清水公照さんの泥仏、そして鎮魂の供茶を。

茶席のお茶碗はじめお道具みんなでもちより。

水屋には水道も電気もないので、そこは苦労したけれど、そこそこ広くて使い勝手がよかった。




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抹茶席の主菓子はこなしの花見団子

え?形がいびつですって??



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なにせ乙女の手作りですから(^_^;

前日TT舎をまたお借りして、作ってみんなで丸めたの。


抹茶席がおわれば、庭園を歩いてもらって、景色を楽しんでもらいながら、ここでも大文字がよくみえるポイントにも立ってもらう。そして煎茶席へご案内。天気がよく、春めいた一日でよかった。




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煎茶席は八畳の居間、西園寺公が主に起居されていた座敷になる。
煎茶は今回初参加してくださったOさんにお願いしました。煎茶道10年のベテラン(ちなみに私は3ヶ月でやめたヤツです)




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煎茶席の干菓子は和菓子・青洋さんのオリジナル。
上のふわふわは、ほうずい(鳳瑞)、和風マシュマロで桜風味、下のは薔薇の摺り琥珀。なんて乙女なんだ!




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こちらの脇床にはまたどこかで見たような、、というか乙女の茶会にはいつもこっそり紛れ込んでいる陶俑さん。(全日根・作)今回は扇と桜をもってはった。
床には大きな彼岸桜の枝、蒔絵の箱には千代紙で折り鶴を3と11、これも震災の鎮魂

こちらは自由な茶風の煎茶席、いろいろとお客様の話がはずんだようです。

煎茶席終了後はお客様をご案内して、邸内ミニツアー、もっと時間に余裕があればもう少したくさんご案内できたのですが、、、




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乙女たちは新も旧も髪に花を飾りました。(はずかしながらわたくしも、、)

今回私は両席をいったりきたり、案内役と調整役に徹し、抹茶席は若い人たちに完全にお任せしていたのですが、みんなすごく有能な茶人です。安心して任せられました。昨年乙女茶会したときよりさらにバージョンアップしたことに感激。

そしておいでくださった44名のお客様に、一座建立ともにしていただきまして、感謝です。


この日の茶杓の銘が「今日はこのままで」
乙女のひとりがだしてくれたもの

お客様ひとりひとりがその意味をそれぞれ考えてくだされば良いと思います。
私的解釈ではこんな楽しい一日、今日このままでずっといたい、、、という気持ちにあまりにぴったりで泣けました。



猫と梅〜梅宮大社 - 2018.03.11 Sun

今年の梅見はどこへいこうか。




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まだ行ったことのない、松尾大社の近くの梅宮大社に行ってみよう。
松尾大社はもろ、お酒の神様だが、こちらの主祭神も大山祇神(おおやまつみ)、別名・酒解神(さけとけのかみ)と言い、酒造にかかわる神様なのだ。
だから門の上にいっぱい酒樽があるのね。




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ちなみに大山祇神は木花咲耶姫(このはなさくや)と石長姫(いわなが)のおとうちゃんね。
天孫ニニギノミコトが美人の木花咲耶姫を妻に選んで石長姫をかえしたばかりに、天孫は短命になったとか。




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ところでここの神社のもう一つ有名なのは、、、、




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そう、神社の飼っている外猫がたくさんいること。(岩合さんの猫あるきにも取り上げられました)
早速目の前の拝殿のなかをすすす〜と、、、我が物顔。




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どう見ても猫にしか見えないお戌さんと、かわいさ比べ。
「うちのほうがかわいいにきまってるやろ」




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おっと、、、梅を見に来たのだった、、、神苑へはいる券を買おうと社務所へいったら、、、、




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あああ〜〜〜
「ただいまお待ち下さい」と、猫が言っている。
さすが酒の神様だけあってオリジナルのお酒もあるもよう。





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ちょっと肌寒いので丸まっているサビねこ
写真を撮ったら迷惑そうな顔をされた。ごめん。




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ぬくぬくのフリースの上で丸まる黒猫




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こちらにまとめられた猫の寝床には1匹だけトラ猫
なかなかの面構え



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神苑入り口は自分で出入りするおおらかさ

ところでここの神社の御利益は子授けである。本殿内には、またげ石、という石があって、これをまたげば子宝に恵まれるという。




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マンサクの花がまっさかり

子授けの由来は嵯峨天皇の妻である壇林皇后(西福寺の九相図で有名な方ね)が、ここに祈願して後の仁明天皇を授かった事による。壇林皇后は橘家の出身、ここはもともと橘家の氏神であり、この地に安堵したのも彼女である。





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入り口はいったところにあった紅梅はお見事!

ここを最初に創建したのが県犬養三千代、不比等の妻にして光明皇后の母、橘諸兄の母でもある(光明子の異父兄)。諸兄の何代か先の子孫が壇林皇后だったのね。





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入り口の地味さに比べてなんと神苑の中は広いではありませんか。
池の中洲には茶室らしき建物もあった。




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白梅もまけていません。




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枝垂れ梅も

梅宮大社というくらいだから、梅ばかりが名物かと思いきや、この神苑は初夏には杜若が美しいのだそうだ。今はまだ地下茎のまま冬ごもり中だったが、これはまた楽しみがふえた。




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むこうの山はもう嵐山かな




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椿のトンネルをくぐって神苑をあとにする。




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そしてもいちど、ここの猫たちにごあいさつ

うん、ええ面構えや





7年ぶりの上賀茂・秋山 - 2018.03.08 Thu

猫の介護があって、しばらくお休みしていた月イチ美食倶楽部(会員2名)、久々に再開です。




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皆様ご存じ、上賀茂秋山さん
京都へ移住してきてからすぐに行った記憶があり、しらべたらなんと7年ぶり




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囲炉裏のある土間で汲み出しをいただきながら、連客(?!)がそろうのを待って、席入り、、、ならぬ席へ。




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春の蛸料理からスタート
春キャベツのムース状ソースでいただく

しかし、例によって美味しかったという記憶しか残らない頭なので、食材についての詳しい情報はお教えできない。(覚えていない)




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たしか以前にもコースの他に残った食材をうまくアレンジして、ちょこちょこ小さい器にいれて出してくれるのが、とても楽しみであり、うれしいのだ。大将は器にこだわりはないとおっしゃるが、どうしてどうして、豆皿には萌えますわよ。




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煮物椀はしんじょうをワカメで巻いてある。お雛様の季節なので、大根、人参、柚子の菱餅切りがかわいい。このアイデアはいただこう。




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一応顔はふせておくが、7年前には一目見るなり「あ!えなりかずき!」と思ったのだが、7年の実績と自信と老成のせいか、えなりかずき感はかなりうすらいでいた。




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お造り
おぼえているのチヌ(黒鯛)だけ〜。あとアイナメ???




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わ〜い、また出た豆皿の一品、全然くさみのない雲丹

こうしてちまちまいただくうちにお腹がいっぱいになる。
そもそもここへ来たのは、ガッツリ食べたい!という相方の希望だったのだが、それを決して裏切ったりしない。




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穴子の中骨とさっとゆでた物
これは7年前に穴子の焼き霜として食べて感激した物だが、ゆでただけでこの美味しさなのか???と思わず疑ってしまう。





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こちらも以前いただいたことのある、かなりなめらか黒米のお粥なのだが、中に入っている物がなんだろ?これ?しゃくしゃくとちょっと酸味?




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正体はこれ

北アメリカ原産のアピオスというイモ科の植物
青森がリンゴの苗木をアメリカから輸入したときに苗木にまじって入ってきて、青森に根付いた食物なのだそうだ。青森では「ほどいも」というらしい。

そんなエピソードもおもしろおかしく交えながら大将のワンマンショー。
客あしらいや会話術がさらにこの7年で磨きを掛けたもよう。





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ぬたや白和えなどの3種
ひっちぎりの豆皿が泣かせる。




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さ〜て、ここらへんからお酒もまわってきて、記憶がますますあやしくなったぞ。
鹿肉だったかな。産地を聞いたが忘れました。少なくとも奈良ではない。奈良の鹿は(神鹿というのもあるけど(^_^;)鹿せんべいをたくさん食べているので美味しくないのだとか。





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菊づくし
春菊の緑のソースにとってもやわらかい牛蒡、牛蒡はキク科の植物ってはじめてしった。
上にのっているのがタンポポの葉っぱで、もちろんキク科、これも食べられるんだ〜と思った記憶が。




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いよいよ終盤の鴨肉の鍋、芹がいっぱい入って春を感じる。
そろそろお腹がいっぱい。


カウンターに外国のお客様もおられたので、大将、あやしげな単語だけをつないだ英語?で食材の説明して、これも笑いをとっていた(^∇^)




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〆は土鍋で炊いたご飯
ほんとうに土鍋で炊くとご飯が甘いのな。




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忘れちゃイケナイおこげの所望
これに香物、塩、お茶をかけていただくと、腹一杯といいながら、するっとはいるのだ。

懐石の湯斗にいれるおこげは、自宅の電気釜では作るのがむつかしく、フライパンやオーブントースターでご飯を焼いて作る、という苦肉の策をとっているが、やっぱりほんもののおこげにはかなわない。




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この苺も特別な産地の物だったと思うが、忘レマシタ。甘くてやわらか

ここまでいただいて、三々五々、待合の土間に帰ると、、、




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道明寺をのせたひっちぎりのお菓子がまっていました。これも大将作

そして、ひとりひとりに大将が抹茶を鉄瓶のお湯で点ててくれます。表さんなのね、泡が少ない。

御連客はカウンターに一列だったので、横の人としかお話しできなかったけれど、ここではじめてみんなでうちとけて、美味しかったね、とかきれいだったね、とか話もはずみ、これもまた一座建立。








若狭・お水送り2018〜後編 - 2018.03.06 Tue

若干時間は逆戻りするが、こちらは若狭神宮寺の閼伽井屋




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こちらの閼伽水が鵜の瀬で献じられ、二月堂若狭井に届く、、はずである。




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二月堂の若狭井は固く秘密にされてみることができないが、ここ、若狭の閼伽井屋はおおらかだ。中へ入って、水を飲むこともできるのだ。まだ修二会で清められて御香水になる前だからいいのかしら。


さきほどの本堂の中では修二会(薬師悔過法、こちらは薬師如来なのね)がおこなわれている。見ることはできないが中の様子はマイクで流される。これもおおらか。

修二会の達陀(だったん)も有名だが、こちらでも法要の最後に達陀がおこなわれ、火天が達陀松明を振り回すのは見ることができる。







法螺貝の音や火のはじける音は二月堂で聞くものと同じでなにやら懐かしい。



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火天の火は松明にうつされ、、、、



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大護摩法要の元火となる。
二月堂の法要より、若狭のは修験道の色彩が濃い。四方を浄める法弓の矢をねらったが、ゲットできず残念(´・_・`)




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気がつけば境内は人でぎっしりだ。



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大護摩の火は大松明にうつされ、いよいよ鵜の瀬まで、1.8kmの松明行列開始!



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まるでKKKみたいな装束(^_^;



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このうちの誰かが御香水を持っているはずなんだが、シャッターチャンスを逃した。
大松明、法師一団が出発した後はいよいよ中松明の出発。護摩壇の火を順次つけていく。









中松明はだいたい3〜6人くらいでかつぐ。
うちらの中松明はおばさん3人、おじさん1人でかつぐ。これがけっこう重い、、、1.8kmかあ、、、がんばれ!

しかし、これ何かに似ている、、、と思ったら、そうだ、鞍馬の火祭だ。
調べれば,鞍馬も(ついでに水の貴船も)、若狭彦・姫神社〜比叡山〜東大寺〜熊野本宮の東経135度にほぼ乗っているではないか。これはほんとに不思議だ。

修二会をはじめた実忠和尚は印度僧といわれてきたが、拝火教(ゾロアスター)のペルシア僧だったという節もあり、火の祭の系脈はそんなところからきているのかもしれない。





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ほぼ満月のもとの中松明の行列。
この後に約3千人といわれる手松明の行列が延々と続いて、これが美しい景色なんだそうだ、、、そう、中松明かつぐのに精一杯で、見る余裕がなかった!!残念!!




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ちょっとだけ、手松明の遠景(^_^;




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うちらの松明。
松明は追い越せないので、前がとまるとこうやって松明を立てて休憩。




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前を行く松明からほとばしる火の粉、道におちてはぜる火の粉、、、人工の灯りのない道にそれがとても美しく、しばし松明の重さを忘れる。




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ようやく鵜の瀬に到着
向こう岸ではすでに松明に火が入り遠敷川の水面を照らす。




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ここでもまず護摩供養
ほんとうに修験道色濃い




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そして行衆は対岸にわたり、いよいよ送水神事のはじまり



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し、、、しかし、、、松明のスモークであまりにも見えへん!

水師が送水文を読みあげ、その紙をはらりと鵜の瀬に流し、ついで法剣で浄め、御香水を鵜の瀬に注ぎこむ(かろうじて肉眼では見えたが、画像は無理がある)









御香水が注ぎ込まれた瞬間、ひびきわたる法螺貝の音




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パンフの写真を載せておくので、だいたいこんなもの、と想像してね(^_^;



 
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激しい流れの鵜の瀬
10日後に無事、東大寺二月堂若狭井に到着しますように

鵜の瀬から道へ上がる途中に紙コップにお酒をついで待っている人たちがいて、出仕者や参拝者に御神酒のふるまい、これを立ち直会というのだそうだ。




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また若狭神宮寺まで帰る道はほんとうに真っ暗で、行灯の明かりだけがたより、この「下根來」というのが鵜の瀬の地名であり、八百比丘尼の出生集落である。

いや、ほんとうに良い経験であった。美しい景色も見た。奈良ほど参拝客は多くないし、規制もゆるいので、お水送りもやみつきになりそうな気がするわ。



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夜は宿に一泊して早朝、有明の月とともに始発で仕事に向かったのだが、これは夜が明けてきた頃の敦賀駅の風景。
家を出たとき、京都は春だったが、ここはまだまだ雪解けころの早春の風情






若狭・お水送り2018〜中編 - 2018.03.05 Mon


お水取りの水を送る、その鵜の瀬がこちらである。




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大雨のあとなので、遠敷川は増水し濁っているが普段はもっと水は澄んでいるそうだ。



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すでに報道陣の特別席が最前列にもうけられていて、川岸まではいけないのがちょっと残念。




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お水送りがおこなわれる一連の行事に修験道の護摩焚きがある。川べりに用意された護摩壇。




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川に浮いている行灯みたいなものに「鵜の瀬」の文字。夜、ここで若狭神宮寺の閼伽井屋の水が投入され、10日後、二月堂の若狭井に届くといわれる。




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川べりに用意された松明。
水と火の祭(儀式)が予想されわくわくする。




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漫画「陰陽師」では、ここから清明が瓜を流し、それが水中洞穴にひきこまれるように描かれていた。



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若狭彦・若狭姫二神をお守りする若狭神宮寺。
ここでお水送りの松明行列に参加するための手松明を購入できる。参加者は手松明に火をともし、ここから先ほどの鵜の瀬までの約1.8kmを行列して歩くのだ。




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参加者は手松明にそれぞれ願い事を書く。




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こんな感じで持って歩く。道は長いし,夜はひえこむし、火花もとんで服に穴をあけるので、みなさん、防寒、防火花対策ばっちりで。



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私は手松明ではなくて、わりと大きい中松明を4人でかつぐことにした。
中松明の担ぎ手はこの法被を貸してくれる。団子のように厚着した上にレインコート、法被、ともう身動きとれないくらいに着ぶくれて、、、でもビジュアルはもうどうでもいいの、、、、




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そろそろ暮れてきた境内に、若狭神宮寺の修二会、達陀、大護摩を見るためにたくさんの人が集まってきた。




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これは松明行列の先頭に立つ大籠松明、その向こうに見えるのが今宵担ぐ予定の中松明だ。意外とでかい、、、はたして大丈夫か?




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日も落ちて白装束の、行事を司る人たちが本堂に入っていく。いよいよ炎の行のはじまりだ。

(つづく)





若狭・お水送り2018〜前編 - 2018.03.04 Sun

東大寺二月堂修二会はずっと追い求めるテーマ(というか単なる物好きなんだが)で、ここ20数年来毎年どこかの日に行っている。そして毎年何かしら新しい発見があるのでますますのめりこむのだが、ここ数年来、二月堂の若狭井にお水をおくる若狭のお水送りに行きたいな、、、とずっと願っていた。今年、曜日並びがよいので、思い切ってでかけることにしたのである。


ご存じのように、3月12日、修二会のクライマックスお水取りは、二月堂前の閼伽井屋の中にある若狭井から香水を汲み上げる絶対秘密の儀。その若狭井にわく香水はその10日前、3月2日に若狭の国の遠敷川(おにゅうがわ)の鵜の瀬からおくられてくるとされる。


修二会をはじめた実忠和尚が全国の神を請来したときに、釣りに夢中で遅れた若狭の国の遠敷明神がおわびにご本尊・十一面観音に聖水を送ることを約束、そして二月堂前の大岩をうがって白黒2匹の鵜とともに聖水が湧き出たという。これが若狭井である。
(ちなみに本堂の裏にも遠敷神社がある)


若狭の鵜の瀬には地下に水の道があって東大寺につながっていると信じられているが、現実的に考えれば鵜の瀬の水は日本海にそそぐだけである。しかし、そんな伝承が生まれた背景には、若狭の地理的歴史的条件がある、というのは民俗学者、歴史学者の研究テーマであるし、八百比丘尼伝説や、徐福伝説など不老不死の伝説がたくさん残るのも若狭で、それもまた実におもしろいのだ。

今回ガイド役をつとめてくれた方は、つねにコンパスを携帯し、神社がどちらの方向をむいているか意識してまわる、とおっしゃっていたが、なぜか若狭にはコンパスが狂う場所や時間がいろいろあるらしい。丹(に=水銀)の産地でもあることから地質学的にもおもしろい場所である。




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若狭の国、福井県小浜、ここへ来たのは40年ぶりくらいだ。
当時もたくさん散在する寺にあちこち詣でたはずなのだが、とんと記憶がないところが悲しいところ。

まずは若狭彦・若狭姫の夫婦神の渡来からはじまる。
海からやってきたと思われるこの二神は唐人の姿をしていたと言われ、朝鮮半島・大陸にひらいたこの地には渡来人・海人(あま)族がたくさん来ていた歴史とかさなる。鵜の瀬に降臨した二神はのちに若狭彦神社、若狭姫神社へ鎮座された。





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若狭姫神社
大きさや規模から言うとコチラの方が若狭彦神社よりりっぱ。門は真東を向き、春分秋分には鳥居越しに朝日のご来光をを拝めるらしい。




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修二会に遅刻した遠敷明神ゆかりの遠敷神社はこの若狭姫神社の古称という。




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本殿のそばにそびえる見事な千年杉。




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境内は空気にも土にもなんとなく水の気配を感じる。湧き水は飲むことができるので、一口いただく。甘露。
若狭自体が水脈が豊富な場所であり、この季節は雪解け水もあいまって、よけいに水の気配を感じるのだろうか。

そして二月堂のご本尊、十一面観音はまさに水の性の仏様である。(左手に水瓶をお持ち)修二会において水が大きな役割をはたしているのもうべなるかな。





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ついで若狭彦神社。
ここには二本の大きな杉の大木が参道をはさんで立っており、これが鳥居の役割をはたしている。現在の鳥居の原型はこういうものであったろうとのこと。




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前方は拝殿かなにかの跡らしい。

本殿の屋根の上の千木と鰹木はそれぞれ男神、女神で違うそうだが、ここではなぜか若狭彦なのに女神仕様になっているそうだ。長い歴史の途中でまちがったのか、もともとここが若狭姫の方だったのか、まったくわからないというのもおもしろい。(姫の方が彦よりりっぱだったのはそれ?)




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この境内には溶け残った雪がまだわだかまっており、あふれる地下水も量が多い。やはり水の国だ。




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この平城京を中心とした五芒星は有名で、漫画「陰陽師」でもでてきていたのだが、まことに興味深い。

お水取りのはじまり遠敷明神こと若狭二神の神社〜平安京・比叡山〜平城京・東大寺〜吉野金峯山寺〜熊野本宮は、東経135度にみごとに一直線にならんでいるのだ。(参考→


お水送りの水の流れはこの直線上の流れでもある。
この道は仏教や大陸の技術・文化・人の伝来の道でもあり、御食国(みけつくに・朝廷へ食材を献上する土地)の若狭から海産物が朝貢された道でもある。(特に塩、それから鯖!鯖街道の入り口だもんね!)その道が仮想の地下の水の道を生んだ、と考える学者も多い。

東大寺開山の良弁上人がこの鵜の瀬上流の土地出身であった、という伝説(?)は今回初めて知った。(鵜の瀬下根來に住んでいた子供の頃、鷲にさらわれ、杉の木《良弁杉って今も何代目かがある》にひっかかっていたところ、僧たちに助けられ、のちに東大寺開山した高僧になったという)
奈良と若狭のつながりはこんなところにも!





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ついでに不老不死伝説の方も。
こちらは空印寺にある八百比丘尼入定の場所と言われる洞窟で、中へはいることができる。まっくらだが。




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人魚の肉を食べたばかりに若い姿のまま年をとらず800年生きた少女は、全国津々浦々、橋をかけたり、寺を修復したり、椿を植えて行脚したという。そんな椿の末裔か、洞穴のそばにたくさん咲いていた。





如月京都便り〜2018 - 2018.03.02 Fri

今年の如月をふりかえって雑記、小咄を。




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花街のひとつ、北野天満宮につななる上七軒




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春の北野をどりも、もうすぐ



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ここにある弓月京店はお気に入りなんである
西陣お召しを作っている織元さんのアンテナショップ




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町家の二階のギャラリー


お召しはしゃきっとして、紬みたいに着やすく、柔らかもんに負けない艶があって好きなのだ。
お茶席に着られるかは微妙なところだが。




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こちらではお茶うけにオリジナル干菓子(豆落雁)をだしてくださるが、三日月の部分の色が月替わり。如月は紅梅白梅の色なんだそうだ。




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お菓子と言えば、大阪の胡麻の会社が作っている胡麻飴があまりにおいしかったので、自分でも作ってみた。砂糖を水を煮詰めて+少量の酢、飴っぽくなったところで胡麻を大量に投入、クッキングシートの上で冷やせばこのとおりさ! 形はなんだけど、、、味は美味い!




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今年の寒い冬に重宝した指なし長手袋
着物を着るときにヒートテックは必需品だが、袖口からあれがちらちらのぞくのは野暮というもの。寒さ対策に肘まであるこの手袋は着物姿にもなじむのでおすすめ。普通の女子用雑貨店で売ってる。



遠方からお客様がこられたので、お仕事へ行かれる短い時間、ランチをご一緒

場所は京都駅から徒歩圏内、東本願寺近くの井筒安さん



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玄関のこの写真は昨年夏の時の写真
創業170年の老舗旅館だが、食事だけもできるのだ。




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時間がないので松花堂にしたのだが、、




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松花堂に煮物椀はつくし、陶釜でたいたご飯の鯵茶漬けはでてくるわ、デザートまで!季節の野菜もたっぷりで、自家製からすみも。
なんてコスパなんだ!のお値段で、この献立と美味しさ

正しい懐石そのもの、しかも出汁をひくところからカウンター越しにみることができる。

お客様は茶道の造詣が深い方なので、きっとよろこんでくださったと思う。




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祗園楽々の如月の月釜は茶箱に恋して恋していらっしゃるふくいひろこさんがご亭主



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「はじめての茶箱あそび」という御本も上梓しておられるくらいだ。この本は昨年秋にされた茶箱展の折に入手したが、ほんまに茶箱の宇宙という感じ、とてもかわいくて痺れた。箱にあわせて道具をいろんな作家さんに誂えてもらったり、道具に会わせて箱を誂えたり、オリジナルが大半をしめるのがすばらしい。




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かくいう私もその茶箱展の時に久野輝之さんのモダンな茶杓を1本手に入れた。




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本日のお点前に使われた茶箱
こういう方はなにを見ても茶箱のあれに使えないかしら?と思われるのだろうなあ。まさに茶箱に恋して。




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岡崎の国立近代美術館開催中のゴッホ展
ジャポニズムとの関連をテーマにしたゴッホ展だが、たしかに浮世絵を写した物も多いが、浮世絵の影響???と思うにはいささか強引なのもあったなあ、、、




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美術館一階ロビーにて
如月19日は二十四節季の雨水だし、雪も終わって雨やなあ、、、と思ってたら、、、よくみれば透明な吸着盤(^_^;




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今年の我が家の梅、第一号開花は如月26日であった。あれからあれよあれよというまに次々と蕾はほころんでいる。




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、、、、というわけで、今年は若狭までお水送りを見に行くことにした。
この話はまた




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